Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
京阪特急8000系【テレホンカード専用公衆電話設置】車両1989年10月5日木曜日鴨東(おうとう)線三条⇔出町柳間開業日同時新しい丸太町と出町柳の2駅開業日から運行開始いたしました。京阪特急8000系8両編成の列車種別の特急『淀屋橋•天満橋⇔出町柳間』をはじめ急行『淀屋橋•天満橋⇔寝屋川市【車庫所在駅】⇔枚方市⇔樟葉⇔淀【車庫所在駅※淀駅発着便のみ運用】』⇔出町柳間』、準急『淀屋橋•天満橋⇔枚方市•樟葉•淀【車庫所在駅】間※8両編成のみ対応』、区間急行『淀屋橋•天満橋⇔萱島【車庫所在駅】⇔寝屋川市【車庫所在駅】⇔香里園⇔枚方市⇔樟葉間』、普通『淀屋橋•天満橋⇔守口市⇔萱島【車庫所在駅】⇔寝屋川市【車庫所在駅】⇔香里園⇔枚方市⇔樟葉⇔淀【車庫所在駅】•三条⇔出町柳間※樟葉•淀⇔三条間普通停車駅8両編成運用不可能のため、6両編成または7両編成のみ対応』当時の京阪特急8000系特急列車以外の種別が急行や準急ならび普通列車まで8両編成のみ対応できる駅での乗車もありがたくて、携帯電話の普及前でテレホンカード専用公衆電話設置車両が備えてから、通話可能区間が京橋から東福寺まで電波📡のよいエリアが可能なところです。それ以外は淀屋橋⇔天満橋間と七条⇔三条⇔出町柳間の各駅はテレホンカード専用公衆電話圏外のため通話不可能な場所がありました。※京阪特急8000系車内案内放送男性声で三条のりかえ山科(京阪山科)•大津(浜大津 ※現在はびわ湖浜大津)•びわ湖方面「島の関•石場•京阪膳所•膳所本町•京阪石山•唐橋前•石山寺•三井寺•別所(※現在は大津市役所前)•皇子山(※現在は大津京)•近江神宮前•坂本(※現在は坂本比叡山口)」は地下改札口をでて京津線のりば京津三条駅におのりかえくださいの案内放送を行いました。五条は七条のりかえ急行または普通列車、丸太町は三条のりかえ急行または普通列車のりかえ案内放送も行いました。1997年10月12日日曜日から京津線京津三条駅⇔御陵(みささぎ)間地上路線廃止から地下路線は京津線と京都地下鉄東西線相互直通乗入れ区間が京都市役所前⇔三条京阪(京阪特急のりば三条のりかえ)⇔御陵(みささぎ)⇔京阪山科⇔四宮⇔浜大津(※現在はびわ湖浜大津)間ルート変更後、三条のりかえ案内放送が京都地下鉄東西線と京津線大津•びわ湖方面はおのりかえくださいの放送も変更いたしました。※京阪京津線京津三条駅地上路線が京都地下鉄東西線(京阪京津線乗入れ)三条京阪駅地下路線を切り替えてはや27年になりました。※当時の京阪特急8000系デビュー同時鴨東線開業にあわせて京阪線(京阪本線)大阪淀屋橋駅から大津線(石山坂本線)石山寺駅まで【三条と浜大津のりかえ】1枚の乗車券も購入ができました✨。京阪線三条駅地下⇔大津線京津三条駅地上は徒歩連絡で結ばれました。 1997年10月12日日曜日から京都地下鉄東西線開業に伴い、いままでは京阪線と大津線の乗車券購入が1枚で利用いただけましたが、京都地下鉄東西線開業後は京阪線各駅と大津線『京都地下鉄東西線ならび京都地下鉄烏丸線』各駅の乗車券購入が別々に変更いたしました。例えば、大阪淀屋橋駅から三条駅まで京阪線乗車券購入と三条京阪駅から石山寺駅まで京都地下鉄東西線•京阪大津線連絡乗車券をあわせて2枚別々になりました。※現在は京阪線大阪淀屋橋駅から三条駅までと京都地下鉄東西線三条京阪駅から京阪大津線石山寺駅まで交通系ICカード1枚で利用が可能になりました。※交通系ICカード『ICOCA乗車前に入金チャージが必要限度額20,000円、PiTaPa後払い』もキャシュレス決済の時代になりました。大阪淀屋橋駅から石山寺駅までおでかけは京阪線京阪特急8000系【大阪淀屋橋⇔京都三条間利用】プラス新しく特別車両プレミアムカー連結をあわせて導入いたしました。
@@亀の瀬快速 コメントありがとうございます。テレホンカードの公衆電話やテレビカーに二階建てなど特急は特別な車両でしたね。案内放送も他は車掌の肉声でしたし、自動放送は当時は地下鉄以外では珍しかったですね。
「〇〇まで停まりません」って言い方が通例だった時代か…懐かしい。
京橋を出てからの車内の雰囲気がゆったりしていましたね。次は京都の七条なのでのんびりしてました。
北浜に三越と、天満橋に松坂屋があった時の放送は、懐かしいですね😊
コメントありがとうございます。小さい頃は、この放送を真似して遊びました。あの頃とはずいぶん変わりましたね。
@@picopicotrain さんまだこの頃は中之島線もなく、天満橋行きの列車もありましたよね😊懐かしいですね。
@@新あおぞら号 そうですね。天満橋駅の3番線、4番線は頭端式ホームで3番線に天満橋発着の電車がいましたね。日中の使っていない時は、暗い雰囲気になっていました。
これは懐かしい!子供のころ、京阪特急の自動アナウンスをよく真似した記憶があります。その頃はまだ鴨東線は開通しておらず、三条駅は地上にありました。
コメントありがとうございます。私も子供の頃によく真似しました。駅名を早口で全駅言うのも流行りました~。
大伴英嗣さんの特急車内放送が懐かしい
特急だけ自動放送でしたので、特に印象に残りますね。
自動音声ガイダンス懐かしいですね!琵琶湖大津方面の案内等今に成ったら思い出しました。
コメントありがとうございます。当時は山科、大津琵琶湖方面へ三条で乗り換えて行きましたが、今はJRが主流になりましたね。
淀屋橋でバックに聞こえてる「まもなく 3番線に 京都出町柳行き急行が 8両で 参ります」アナウンスが地味に貴重ですね。他の方がコメントされている手動放送は自動放送装置の記憶容量が不足した故の措置です(1989年製造のメモリだと2003年の放送情報量に対応するのは無理です)が、中之島線開業までにあっさり解決しているので、この手動放送も地味に貴重です。いろいろウマウマですね!R5.4.8加筆 1992年に朝ラッシュの輸送人員ピーク増加が止まり、以後だんだん余裕ができたので1997年に9000系で枚方市に通勤特急停車、2003年に樟葉・枚方市に特急停車、2017よりライナー運行 と事業形態が切り替わっています。ライナー(2023現在、帰宅時間帯のプレミアム席全然取れない状況で運転頻度が充実しててホンマありがたい)、プレミアムカー増備と観光用電車が今後の収益源となる流れは今後加速していくでしょうけど、”次の停車駅は 京都の七条 七条です”ノスタルジーは私たちが生きている間価値を保ち続けると思います。貴重な記録ありがとうございます。
貴重なコメントありがとうございます。当時は普通に聞いていた放送も今となっては懐かしい記憶となりました。京阪の放送は停車駅が多い急行が特に好きです。特急の停車駅も時代とともに変わりましたね。
鴨東線開通前は、三条終点頃、伏見稲荷、七条、四条だったんですが、伏見稲荷、七条、五条、四条、三条、丸太町です。
京阪特急は一度だけ乗りました。しかもちょうどこの年です。1991年。
コメントありがとうございます。今と違い京橋から七条までノンストップの特急らしい頃でしたね。
2003年頃に初めて京阪特急乗ってこの放送を聞いた記憶があります。確か京橋を出ますと中書島まで停まりませんとアナウンスしてました。翌年再度乗りましたが自動放送じゃなく車掌の手動放送になってました。
コメントありがとうございます。2003年頃は私もよく乗っていましたK特急ですね。京橋から中書島までノンストップでしたので適度に座れたのを覚えています。手動放送の時期があったのは記憶してませんでした。
私にとって京阪電車のアナウンスと言えば未だにこの男性の放送です。確か2000年代前半まで使われていたのではないでしょうか。
コメントありがとうございます。2003年頃まで使われていた京阪で一番最初の自動放送です。淀屋橋では1番線、3番線が男性、2番線、4番線が女性の声でした。
2003年迄使われていた列車接近男性大伴さんのは、京阪が初めて、急行樟葉〜淀屋橋の8両編成運転開始された頃から使われてたと思います!1985年頃
大伴さんのアナウンスが懐かしいですね。
この時は運行時刻毎に大伴英嗣氏の声による8トラテープを使っていたのが1990年代にROM放送に変わったが停車駅増加の為ROMが対応できず暫く肉声放送で対応。現在はROM容量の拡大と長年担当した大伴英嗣氏から女性に変更し、現在に至っています。「何某まで停まりません!」と言う言い回しは関西ではよく聴けましたが最近は「何某の次は何某に停まります」や「右側(左側)ドアが開きます。ご注意ください」の文言が「右側(左側)の扉を開けます。ご注意ください」」と「ドア」から「扉」へ変わったのは最近で、名古屋以西で(名古屋市営地下鉄も含め)「扉」を使い始め、ついに関東の私鉄の一部やJR東日本で使われる事があります。
コメントありがとうございます。鉄道放送の歴史の移り変わりが知れて貴重な情報ありがとうございます。特に言い回しの変化はたいへん興味深いです。ドアが扉になるとことか。
1991年代の京阪電車は、特急の途中停車駅は、枚方市、樟葉、中書島、丹波市に止まらなかったんですね。
コメントありがとうございます。2000年に丹波橋と中書島、2003年に樟葉と枚方市が加わり現在の形になったと記憶してます。JRとの競合が原因だと思います。
昔の京阪特急は、今の快速特急洛楽と同じで京橋〜七条ノンストップですね。
コメントありがとうございます。京阪も阪急もそれが通常でした。京都に用事がないと乗れない特別な車両が日中15分毎に出ていました。
まだ現メトロ長堀鶴見緑地線は心斎橋まで通ってないので地下鉄鶴見緑地線のこの時代の自動放送は貴重といえる。更に出町柳延長から5か月間は地下鉄はまだ開通してないので京橋到着時は「JR環状線片町線はお乗り換えです」のアナウンスだった。三条まででも永らく国鉄だったのでやはり期間は短かった
コメントありがとうございます。JR環状線片町線はお乗り換えですのアナウンスは良く覚えています。懐かしいですね。
今朝も完璧デス😊
昔の発車音が好きやった🤗特急は、パンバッパパンパッパパーンで、急行ば、パーンパーンパーンパーンパーンパーンパパパーンパーンやってん🤗分からんか😅
コメントありがとうございます。特急は昔から特別だったのですね。
スーパーフライ
京阪特急8000系【テレホンカード専用公衆電話設置】車両1989年10月5日木曜日鴨東(おうとう)線三条⇔出町柳間開業日同時新しい丸太町と出町柳の2駅開業日から運行開始いたしました。京阪特急8000系8両編成の列車種別の特急『淀屋橋•天満橋⇔出町柳間』をはじめ急行『淀屋橋•天満橋⇔寝屋川市【車庫所在駅】⇔枚方市⇔樟葉⇔淀【車庫所在駅※淀駅発着便のみ運用】』⇔出町柳間』、準急『淀屋橋•天満橋⇔枚方市•樟葉•淀【車庫所在駅】間※8両編成のみ対応』、区間急行『淀屋橋•天満橋⇔萱島【車庫所在駅】⇔寝屋川市【車庫所在駅】⇔香里園⇔枚方市⇔樟葉間』、普通『淀屋橋•天満橋⇔守口市⇔萱島【車庫所在駅】⇔寝屋川市【車庫所在駅】⇔香里園⇔枚方市⇔樟葉⇔淀【車庫所在駅】•三条⇔出町柳間※樟葉•淀⇔三条間普通停車駅8両編成運用不可能のため、6両編成または7両編成のみ対応』当時の京阪特急8000系特急列車以外の種別が急行や準急ならび普通列車まで8両編成のみ対応できる駅での乗車もありがたくて、携帯電話の普及前でテレホンカード専用公衆電話設置車両が備えてから、通話可能区間が京橋から東福寺まで電波📡のよいエリアが可能なところです。それ以外は淀屋橋⇔天満橋間と七条⇔三条⇔出町柳間の各駅はテレホンカード専用公衆電話圏外のため通話不可能な場所がありました。
※京阪特急8000系車内案内放送男性声で三条のりかえ山科(京阪山科)•大津(浜大津 ※現在はびわ湖浜大津)•びわ湖方面「島の関•石場•京阪膳所•膳所本町•京阪石山•唐橋前•石山寺•三井寺•別所(※現在は大津市役所前)•皇子山(※現在は大津京)•近江神宮前•坂本(※現在は坂本比叡山口)」は地下改札口をでて京津線のりば京津三条駅におのりかえくださいの案内放送を行いました。
五条は七条のりかえ急行または普通列車、丸太町は三条のりかえ急行または普通列車のりかえ案内放送も行いました。
1997年10月12日日曜日から京津線京津三条駅⇔御陵(みささぎ)間地上路線廃止から地下路線は京津線と京都地下鉄東西線相互直通乗入れ区間が京都市役所前⇔三条京阪(京阪特急のりば三条のりかえ)⇔御陵(みささぎ)⇔京阪山科⇔四宮⇔浜大津(※現在はびわ湖浜大津)間ルート変更後、三条のりかえ案内放送が京都地下鉄東西線と京津線大津•びわ湖方面はおのりかえくださいの放送も変更いたしました。
※京阪京津線京津三条駅地上路線が京都地下鉄東西線(京阪京津線乗入れ)三条京阪駅地下路線を切り替えてはや27年になりました。
※当時の京阪特急8000系デビュー同時鴨東線開業にあわせて京阪線(京阪本線)大阪淀屋橋駅から大津線(石山坂本線)石山寺駅まで【三条と浜大津のりかえ】1枚の乗車券も購入ができました✨。京阪線三条駅地下⇔大津線京津三条駅地上は徒歩連絡で結ばれました。
1997年10月12日日曜日から京都地下鉄東西線開業に伴い、いままでは京阪線と大津線の乗車券購入が1枚で利用いただけましたが、京都地下鉄東西線開業後は京阪線各駅と大津線『京都地下鉄東西線ならび京都地下鉄烏丸線』各駅の乗車券購入が別々に変更いたしました。
例えば、大阪淀屋橋駅から三条駅まで京阪線乗車券購入と三条京阪駅から石山寺駅まで京都地下鉄東西線•京阪大津線連絡乗車券をあわせて2枚別々になりました。
※現在は京阪線大阪淀屋橋駅から三条駅までと京都地下鉄東西線三条京阪駅から京阪大津線石山寺駅まで交通系ICカード1枚で利用が可能になりました。
※交通系ICカード『ICOCA乗車前に入金チャージが必要限度額20,000円、PiTaPa後払い』もキャシュレス決済の時代になりました。
大阪淀屋橋駅から石山寺駅までおでかけは京阪線京阪特急8000系【大阪淀屋橋⇔京都三条間利用】プラス新しく特別車両プレミアムカー連結をあわせて導入いたしました。
@@亀の瀬快速 コメントありがとうございます。テレホンカードの公衆電話やテレビカーに二階建てなど特急は特別な車両でしたね。案内放送も他は車掌の肉声でしたし、自動放送は当時は地下鉄以外では珍しかったですね。
「〇〇まで停まりません」って言い方が通例だった時代か…懐かしい。
京橋を出てからの車内の雰囲気がゆったりしていましたね。次は京都の七条なのでのんびりしてました。
北浜に三越と、天満橋に松坂屋があった時の放送は、懐かしいですね😊
コメントありがとうございます。小さい頃は、この放送を真似して遊びました。あの頃とはずいぶん変わりましたね。
@@picopicotrain さん
まだこの頃は中之島線もなく、天満橋行きの列車もありましたよね😊懐かしいですね。
@@新あおぞら号 そうですね。天満橋駅の3番線、4番線は頭端式ホームで3番線に天満橋発着の電車がいましたね。日中の使っていない時は、暗い雰囲気になっていました。
これは懐かしい!
子供のころ、京阪特急の自動アナウンスをよく真似した記憶があります。その頃はまだ鴨東線は開通しておらず、三条駅は地上にありました。
コメントありがとうございます。私も子供の頃によく真似しました。駅名を早口で全駅言うのも流行りました~。
大伴英嗣さんの特急車内放送が懐かしい
特急だけ自動放送でしたので、特に印象に残りますね。
自動音声ガイダンス懐かしいですね!琵琶湖大津方面の案内等今に成ったら思い出しました。
コメントありがとうございます。当時は山科、大津琵琶湖方面へ三条で乗り換えて行きましたが、今はJRが主流になりましたね。
淀屋橋でバックに聞こえてる「まもなく 3番線に 京都出町柳行き急行が 8両で 参ります」アナウンスが地味に貴重ですね。
他の方がコメントされている手動放送は自動放送装置の記憶容量が不足した故の措置です(1989年製造のメモリだと2003年の放送情報量に対応するのは無理です)が、中之島線開業までにあっさり解決しているので、この手動放送も地味に貴重です。いろいろウマウマですね!
R5.4.8加筆 1992年に朝ラッシュの輸送人員ピーク増加が止まり、以後だんだん余裕ができたので1997年に9000系で枚方市に通勤特急停車、2003年に樟葉・枚方市に特急停車、2017よりライナー運行 と事業形態が切り替わっています。
ライナー(2023現在、帰宅時間帯のプレミアム席全然取れない状況で運転頻度が充実しててホンマありがたい)、プレミアムカー増備と観光用電車が今後の収益源となる流れは今後加速していくでしょうけど、”次の停車駅は 京都の七条 七条です”ノスタルジーは私たちが生きている間価値を保ち続けると思います。
貴重な記録ありがとうございます。
貴重なコメントありがとうございます。当時は普通に聞いていた放送も今となっては懐かしい記憶となりました。京阪の放送は停車駅が多い急行が特に好きです。特急の停車駅も時代とともに変わりましたね。
鴨東線開通前は、三条終点頃、伏見稲荷、七条、四条だったんですが、伏見稲荷、七条、五条、四条、三条、丸太町です。
京阪特急は一度だけ乗りました。しかもちょうどこの年です。1991年。
コメントありがとうございます。今と違い京橋から七条までノンストップの特急らしい頃でしたね。
2003年頃に初めて京阪特急乗ってこの放送を聞いた記憶があります。確か京橋を出ますと中書島まで停まりませんとアナウンスしてました。翌年再度乗りましたが自動放送じゃなく車掌の手動放送になってました。
コメントありがとうございます。2003年頃は私もよく乗っていましたK特急ですね。京橋から中書島までノンストップでしたので適度に座れたのを覚えています。手動放送の時期があったのは記憶してませんでした。
私にとって京阪電車のアナウンスと言えば未だにこの男性の放送です。
確か2000年代前半まで使われていたのではないでしょうか。
コメントありがとうございます。2003年頃まで使われていた京阪で一番最初の自動放送です。淀屋橋では1番線、3番線が男性、2番線、4番線が女性の声でした。
2003年迄使われていた列車接近男性大伴さんのは、京阪が初めて、急行樟葉〜淀屋橋の8両編成運転開始された頃から使われてたと思います!1985年頃
大伴さんのアナウンスが懐かしいですね。
この時は運行時刻毎に大伴英嗣氏の声による8トラテープを使っていたのが1990年代にROM放送に変わったが停車駅増加の為ROMが対応できず暫く肉声放送で対応。現在はROM容量の拡大と長年担当した大伴英嗣氏から女性に変更し、現在に至っています。「何某まで停まりません!」と言う言い回しは関西ではよく聴けましたが最近は「何某の次は何某に停まります」や「右側(左側)ドアが開きます。ご注意ください」の文言が「右側(左側)の扉を開けます。ご注意ください」」と「ドア」から「扉」へ変わったのは最近で、名古屋以西で(名古屋市営地下鉄も含め)「扉」を使い始め、ついに関東の私鉄の一部やJR東日本で使われる事があります。
コメントありがとうございます。鉄道放送の歴史の移り変わりが知れて貴重な情報ありがとうございます。特に言い回しの変化はたいへん興味深いです。ドアが扉になるとことか。
1991年代の京阪電車は、特急の途中停車駅は、枚方市、樟葉、中書島、丹波市に止まらなかったんですね。
コメントありがとうございます。2000年に丹波橋と中書島、2003年に樟葉と枚方市が加わり現在の形になったと記憶してます。JRとの競合が原因だと思います。
昔の京阪特急は、今の快速特急洛楽と同じで
京橋〜七条ノンストップですね。
コメントありがとうございます。京阪も阪急もそれが通常でした。京都に用事がないと乗れない特別な車両が日中15分毎に出ていました。
まだ現メトロ長堀鶴見緑地線は心斎橋まで通ってないので地下鉄鶴見緑地線のこの時代の自動放送は貴重といえる。更に出町柳延長から5か月間は地下鉄はまだ開通してないので京橋到着時は「JR環状線片町線はお乗り換えです」のアナウンスだった。三条まででも永らく国鉄だったのでやはり期間は短かった
コメントありがとうございます。JR環状線片町線はお乗り換えですのアナウンスは良く覚えています。懐かしいですね。
今朝も完璧デス😊
昔の発車音が好きやった🤗特急は、パンバッパパンパッパパーンで、急行ば、パーンパーンパーンパーンパーンパーンパパパーンパーンやってん🤗分からんか😅
コメントありがとうございます。特急は昔から特別だったのですね。
スーパーフライ