【歴史解説】ゆっくり大江戸 その82 江戸時代の命と罪と罰【江戸時代】
HTML-код
- Опубликовано: 8 фев 2025
- 16世紀の日本はとても人の命の軽かった時代でした。しかし江戸時代に入るとそれは一変します。何故乱世の世から260もの平和を築けたのか?それを江戸時代の刑罰の歴史から見ていきたいと思います
※この動画は東方Projectの二次創作であるゆっくりキャラを用いた解説動画です。またキャラ素材【ゆっくり魔理沙改】の改変素材を個人的に作成、使用していますのでご了承下さい
姉妹チャンネルご案内↓↓
■zero sen(ゆっくり近代史解説チャンネル)
/ @zerosen1868
Twitterやってます httpd:// tera_sen
軽率な好奇心を煽るような解説を避け、視る側に正確な情報を伝えようとする主さんの姿勢に賛同します。
とても大切な事だと思いますよ。
次回も楽しみにしてます。
素晴らしい。面白可笑しく事例を紹介するだけの動画が多い中、その背景事情から納得させられてしまう説明でした。物の道理をせつせつと説いてとは、このチャンネルのことかもしれない。
戦国時代(基本)しか紹介しない某歴史動画よりも役に立ちますね。人物は武士だけでなく庶民などもいると言うのに。
なるほど、畜生より命の価値を下に見られて、初めて人の命の価値に目覚めたわけだ。
物事にはプラス面とマイナス面がありますが、「生類憐れみの令」にこんなプラス面があったとはすごい学びになりました。
ありがとうございます -人-
>畜生より命の価値を下に見られて… 多分そうは見られてませんよ。綱吉は儒学にも傾倒してましたから。儒学では「人間こそ生類の頂点」って考え方がガッシリありますもん。
歴史を見る時に大切な事は、その時に発生した事象のみを現代の価値観で判断するのではなく、当時の価値観に立って発生した事柄の理由を丁寧にたどる事につきると思います。
今日の動画はとても深く考えさせられる動画でした。
ありがとうございました。
最近室町時代や南北朝時代を扱う動画が結構あってそっちも見るんだけど、両方見ることで命や罰に関する考え方の変遷が理解できますな。
この動画のテーマ毎の再生数と人気順て、現代の日本人が「江戸時代」をどう考えているかについての貴重なデータなんだろうね。
すばらしい!きわめて客観的・公正・合理的な考察です。脱帽です!
こういうテーマってテレビとかだと「視聴率狙い・興味本位」になっちゃうんだけど、RUclipsだと「とにかくチャンネル登録者が納得するもの。ハンパな内容だと許してくれない」になるから、いいね!ですね!
生類憐みの令って、昔はお犬様とか、とんでもない法律だったみたいに授業で教えられましたけど、
ここ数年くらいで随分評価が変わりましたよね。
テレビ番組とかで生類憐みの令を褒めちぎる専門家が出てきたりとか。
人の命が軽い時代を変える契機が天下の悪法と言われる生類憐みの令とは。歴史は一面のみ見ると間違うのですね。次も楽しみにしています。
このチャンネルは、江戸時代に対する見方が変わります。
教科書では教えないテストにも出ない知識が出てきますからね。
日本の刑事裁判って江戸時代から判例主義というか前例主義なんだな
その1から見始めてやっと追いつきました。ゆっくりの再生速度がちょうど聞き取りやすい速度で、快適に視聴させてもらっています。今後の更新も楽しみにしています。
ご覧頂きありがとうございます。今後とも当チャンネルをよろしくお願い申し上げます
戦国期の殺伐とした世の中に加え、現代と違って医療も発達してなく、飢饉や疫病が流行ったら人がボロボロ死んでいく世の中で、死んだら極楽に行けると信じた人々であればどうしても「死」というものが身近で今よりも命が軽く感じられたのはしょうがないと思います。
大岡越前守は公事方御定書の写しが出回っているのを黙認していたという話がありますね。
1週間振りのうp動画、、、有難う御座います、うp主さん。
当時の法令ってきちんと周知するための努力が希薄だったようですね。禁令なんかでも高札場に高札を掲げるだけで、古いものは新しい札の陰になって見えなくなっている様子が当時の絵に残ってます。これではしばらくすると禁令が忘れ去られ、同じ禁令を廃止したわけでもないのに何度も出したなんて変な話になってしまうわけですね。
生類憐れみの令が悪法な最大の理由は、その極端な刑罰に反比例して適応がザルだったところ。ぶっちゃけ、他人をハメるのに超便利だった。
魔女狩りに通じるものを感じますね(T△T)
やはりお気持ちに理論が挟まれる余地がなかったか
リクエストに応えてくださり、ありがとうございました!
やっぱねー。
勉強になりました。w
そりゃ江戸はお酒大好きな武士が刀持ってウロウロしてた都市ですからねぇ…。
そろそろ、ゆっくりの守に会いたいなぁ
ヤバすぎとか安易なサムネで中身の無い動画とかには興味無いです!
このシリーズは江戸好きには本当にたまらない。。。!
生類憐れみの令は当時の人にははた迷惑だったかもしれないけど、後世への意義は大きかったよね。
江戸時代で最もポピュラーな刑罰であった死罪←なんというパワーワード
江戸時代は正義より秩序を重んじる風潮が出来た時代。
おお😃「生類憐みの令」にそんな効果があったんですね。
一つの方向だけでなく、違う方向から意見を仰っていて、
とても意義のある動画だと思います😊
いつも面白い話題をありがとうございます!
たいへん興味深い話でした。江戸時代、他の藩の領地に、飛び地があったと思うのですが、
刑罰も違ったりしたのかな~ 😀✨
「公事方御定書の写本は結構でまわっており・・・」 旗本のいい小遣い稼ぎだったんじゃないかな。
今回もとても興味深い内容でした。
私の薄っぺらい知識が霊夢と魔理沙うp主のおかげで少しずつ厚くなってる気がします🧐😆 次回も楽しみにしています❗️
不倫の話で思い出しましたが、
室町時代で起こった大店の妻と出入りしていた間男の不倫の裁きは、
大店にも間男にもバックの「家」がついていて仲裁が難しかったため、
大店の妻だけ手打ち(死刑)にして双方の顔を立てたなんて話もあったとか。
それ、うしいちさんの動画で見たかも。面白かったなー。
江戸時代の相撲を紹介してほしいです谷風・小野川・雷電などを
あと松平治郷(不味)も.
鋸挽きは怖いよね。
切り捨て御免は正当性が認められないと武士が厳しく処罰され、軽い罰でも家禄没収、最悪の場合お家取り潰しや切腹だった
切腹なんて名誉ある死では無く、斬首だよ
だから面倒くさくてリスクがある切り捨て御免はやりにくかった
それを知ってる輩町人が武士をおちょくる話があったと思う
動画ありがとうございます。吉宗の公事方御定書は基本的には刑罰の緩刑化の一環で、刑罰は法で決められたものでなければならないという精神に基づくものですからね。その意味ではむやみやたらに人を罰しないようにするという方向にあったと言えるでしょう。あと、吉宗のライバル宗春は死刑は慎重に扱うべきと考えていて死刑執行しなかったけれど、当時の尾張は繁栄していましたからね。
刑罰の緩厳は社会の治安がいいか、民衆の側に抑止力に頼らなくても順法するという精神があるか、権力の側に恣意的な法制定や法運用をしないかということと関係があると言えるでしょう。
あと、武士の死刑である切腹は建前上は君主から死を賜るという形で名誉刑ですから、庶民の死罪と違うという意味では、江戸時代は身分制社会の意味合いも強かったとも言えるでしょう。
次回は遠山ですか。まあ妖怪鳥居に立ち向かったくらいだから相当のカミソリであることは間違いないでしょうね。
因みに仇討は「機会を与える」というもので、相手を探すのも自分自身でやらなければならず、しかも失敗して返り討ちに遭ったらそれで話は終わりだった。だから仇討を果たそうとする者は友人や知人、親族に「助太刀」を頼んだりしていた。一方、仇の方も友人や知人、親族に「助太刀」を頼めた。
しかも仇討ち果たすまで帰れない
仇討ち諦めた連中案外多いのではと
縁座って今も形を変えて、加害者の家族が見せしめのように死ねよがしのような扱いや村八分みたいに扱われますね。
犯罪でなくても、コロにかかれば死ねよがしのように扱われます。
江戸時代の拷問 ギザギザの板の上に乗せられて石をだんだん積み上げられていく・・・・・・というのが子供の頃のイメージ
戦国時代は鼻削ぎの刑だったのが多少マイルドになって刺青刑に以降するなど、戦国時代が如何に血なまぐさかったかよくわかりますね。
※口の中に鼠を入れられる拷問があったと来たときはマジでビビりましたが・・・・・・
こういう拷問が刑罰ならまだしも、容疑者に自白させるために行われたわけだし、時には何の罪もない家族すら「下手人の居場所を吐け」と言って拷問され、そのまま死ぬことも多かったと言われるから、まあ現代から見れば残酷極まりないね。
村上もとかさんが新しい時代描いてるけど、江戸初期も書いて欲しいよね
家光が夜遊びしていたのは仰景録に記されているが
辻斬りをやっていたのかは不明
ただ、夜な夜な友人・家臣の屋敷へ出かけては伝家の宝刀家光で夜稽古に励んでいたそうで
宝刀の意味違
喧嘩といえば、伏見稲荷の神輿渡行で東福寺の寺領民との喧嘩で、弓や刀を持ち出して暴れ回ったと云う室町時代の記録が残ってます。
江戸時代の喧嘩なら、四代家綱の頃の「幡随院長兵衛」ですかね。
切った張ったが当たり前を全国規模で改めさせるとか大変だろうと思います。
あれは水野十郎左衛門成之が悪いですね。
一応水野勝成の孫ですがゴロツキ同然の最低野郎でした。
@@松ちゃん工房 さん
保科正之の事後処理が上手く行った事もあって、武士の面目が立ったとは言っても、蟄居閉門の後切腹だったので、江戸町人も少しは納得出来たのでしょうね。
喧嘩でなく、洪水時の堤防切に対岸に行った人間はどう裁かれたか知りたい
捕まればそのままリンチだが、成功時とかはどうなったんだろうと
@@shibamofumofu4983
その時の水野成之の態度は月代も剃らずドヤ顔して開き直ってました。
そして「息の詰まる娑婆に長々居とうない、地獄の底へところがへせん」と言って切腹しました。
@@松ちゃん工房 さん
娑婆では歌舞伎のネタされて、極悪人扱いになりましたから、本人も地獄行きで納得でしょうね。
面白かった!
喧嘩両成敗も戦国時代から。一方的であれば喧嘩にならない。刃傷の件は色々で逃げても武士としてあるまじき行為で切腹とかでもう黙ってやられるか素手で取り押さえるしかないのかと思うのだけど、吉良の殿様は逃げず抜かずでもああなったのだからどうした良いのかわからないです。
江戸落語に「間男ネタ」はたくさんあり、「紙入れ」は今は亡き桂歌丸師匠の持ちネタでした
江戸時代は刑事法(公事方御定書)しかなかったですが、奉行所は民事事件も裁いていたんですよね。民事は法がないので、過去の判例をもとに裁いていたと聞いたことがあります。江戸時代は奥が深くて面白いです。
江戸時代は検断家(町人)でも刑事事件や興行の取締などをしてましたよ。
世界的にも
人権なんて言葉どころか概念すら無かった時代やからしゃ~ない。
現代に生まれた幸福と
人類の進歩に感謝する以外ないよ
8:24 この時点でこれを理由に水戸藩を改易にすべきだった。少なくとも幕末の水戸浪士のテロは防げた。
水戸光圀「生類憐みの令?は?なんか言った!そんなん知らぬ。」
やはり松平家の血統は短気で激情型かどう考えても
忍耐強いや鳴くまで待とうとは真逆
うぽつ
好戦的で荒々しくはあっても、残忍ではなかったかと。
凌遅刑は我が国にはありませんでした。
なるほどー
時代劇に よく出てくるね 拷問は キツいけどね
これは次回が気になる引きだ(笑)
タイトルだけ見たらドストエフスキーみたいだが。
戦国時代や江戸時代初期の処刑は残忍だったが江戸時代中期以降からも色々な形で残ったが、
広島には『不義密偵は鼻切りの刑』と言う福島正則が決めた刑が浅野が入った後も残ったようだし。
15:23
これイスラーム法と同じスタンスだよな
今も昔も権力者の都合で法律なんざコロコロ変わるもんですね、中には良い法律も在りますが
当時は完全に徳川家が決めた法律は採決無しで決定でしたし
6:25 そしてその時遠方過ぎて処断がなあなあになった薩長に滅ぼされるんだから、やっぱ禍根って残したらいかんのですねえ…という気持ちにw
落語のテレスコで十両盗めば死罪になるを知りました。
フランスの公認処刑家のサンソン家の人がフランス革命前後の事を日記に残してるけれど、フランスやヨーロッパでの公開処刑は庶民の娯楽として認識されてた様ですが、日本でも娯楽として見る風潮は有ったのでしょうかね?
生類憐みの令のおかげで赤子や病人がそこらに捨てられるみたいな事が減って江戸時代における人の命が軽く見られてた風潮が徐々に緩和されていったんやなかった?
連帯責任のルーツは古くここからきているのね
江戸の庶民の暮らしに淡いロマンを描いていたが、家族の罪に連座させられたりとか勘弁。
冤罪もあったろうし、拷問されたりとか、オソロシイ。
姦通は、「違法」ではありません。
民法上の「不法行為」です。
細かい用語の指摘で申し訳ありません。
残酷な事件を見るたびに、現代でも生類憐れみの令を発令したほうがいいのではないかって思えてきます・・・。
自分はこの「見せしめ刑」は形を変えて現在でも生きているとかんがえています、たとえばいくら被害が大きいとはいえあきらかに過失が原因の交通事故の加害者を犯罪者あつかいし報道機関も必要のない実名報道をやるというのがそれです、実際には効果がないにもかかわらず。
十両以上を盗めば死罪とは言え、盗まれた方も「金を盗まれただけで人が死ぬのも……」という感じで何十両盗まれようと「盗まれたのは九両二朱でございます」みたいにぎりぎりの金額で届け出た、という話があると聞いたことがあるな。役人もそれがわかっていてその通りに受け取ったとか。だいぶ昔に何かで読んだ話だから話の出所がわからないので本当かどうかは保証できないし、数多あった盗みのエピソードの一つにすぎないかもしれないが。
罪というと、ひげと男装が禁止だったというのはどこかで見ました
江戸時代は、検断(町人)も刑事事件とか興行の取締などもしていた。
天保の改革が出るなら水野忠邦と鳥居燿蔵をおわすれなく
日本で、何もそこまで、と言う拷問がヨーロッパではスタンダード
ヨーロッパがどん引きする拷問が、バルカンではスタンダード
バルカンが、裸足で逃げ出すのが中華圏のそれ
と言うのが世界の常識だそうです。
刑についても同じ事が言えるのではないでしょうか。
中華圏は多少盛ってると仮定しても、「そもそもよくそんな拷問思いつくな、、、」みたいなエグいことやってますからね
@@ポシェット-d8r 様
凌遅刑
が代表的ですかね……。
奉神演技でも、何こいつらで
項羽とかも、恐怖支配の凶王
どこからその発想出てくるので
トドメは、731部隊への妄想
お前ら、自分がやること敵に仮託するなよ
酷いのといえば、のこぎり…
最近歴史学について数理的アプローチやってんねんけど、おんなじように法学についても数理的に解析できへんかな
連座がなぜあったのかっていうメカニズムが知りたい、解明したい
正直、付火や殺しは今でも獄門でいいと思う。
徳川綱吉の評価はその時代の倫理観を知っていないと正しい評価ができないんでしょうね。
戦国の、野蛮な、風を、回転させる為に綱吉の、「生類憐みの令」と言う劇薬が、必要であった‼️💖
この話に限らず現代人が理知的で古人が野蛮だという考えは傲慢だという事は心に留めておいた方が良い。
水戸徳川家は家の格が黄門なので,水戸の黄門様は何人もいますよ。
紀州と尾張が大納言で水戸が中納言です。
三蔵法師と一緒ですね
有名なのしか認識されていない
辻斬をしていたのが、光國。
戦国時代〜江戸時代初期はリアル北斗の拳だったんですね。信長はラオウっぽいキャラかな?秀吉や家康は…何だろ?
刑事罰について市場経済的な分析してみたいな、できるんかな
そのためにもそもそも刑事罰というのがどのように自然発生しどのような役割を果たすのかはっきりさせなな
そりゃついこの間まで殺し合いで飯が食えていたのに戦争は終わりましたから、もうそういう行為は禁止ですよ、なんて言われてもどうやって生活していけばいいんだよってなるのも分かる気がする。
殺生が残酷というよりも、それが当然で生業としてきて、強いられて生きてきた人はむしろ時代の被害者とも言えるかな。
上手く抑止力側につくことが出来た人達は生きていけるかもしれんけどそんな人間なんて一握りだろうしね。
個人的には戦争そのものは否定するつもりはないけど、戦争によって生まれるこういう弊害はどんな時代でも何も生まない
公儀隠密、死して屍拾うもの無しで
江戸むらさき特急で町人が、奉行所に公儀が死んでるんだけど回収してよと頼んでるネタが好き
綱吉がそんな役に立っていたなんて。それはともかく、江戸時代の皇室や公家はどんな生活をしていたんでしょうか?収入源が気になります。
収入源なんてありません。ど貧乏です。内職と寄付でなんとか食い繋いでいました。
Oh...ひょっとして、旧家名家に多い○○流家元ってその名残ですか? 皇室は...将軍に任命してもらわないと行けないし、さすがに幕府から多少のお金は出てませんか?生かさず殺さずレベルかも知れないけど
@@todobk8733
○○流の件は私もよく知りませんが、皇室は生かさず殺さずという程度でしょうね。皇室が強くなったら武家政権が潰れますから。
明治時代になって公家の財政状態が上向いて贅沢しだしたことを、江戸っ子や武家の人は、よく揶揄っていたみたいです。少し前まで貧乏だったくせに偉くなったもんだね、みたいな感じで。
@@よしよし-k6p うわぁ、予想通り徳川政権、鬼ですね。ありがとうございます。
@@todobk8733
政治の本質は闘争ですから。皇室や公家が弱体化してしまったということに過ぎません。むしろ、徳川家は260年も国内平和を保ったのだから、政治技術として非常に優れていたと言えます。そんなにも長く一家族が平和を保ったのは、世界史でも例がないのでは?ハプスブルク家やモンゴル帝国なんて戦争ばかりですし。
どうして九両三分二朱
名前を残す為政者はそれ相応の転機でもあったわけなんですね。
その昔1976年東映映画でエログロシーン満載の「徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑」全編で刑罰シーンは作り物ですが、リアルに再現されてます。
「又裂き、蒸し焼き、釜茹で、縛り首胴切り」など
刑罰が苛烈なのは、数百人の官吏で今の都庁、消防庁、警視庁、検察庁、裁判所、拘置施設、刑務所などを完全に運営する為の手段で、娯楽の少なかった時代、人の命を奪う刑罰は今のテレビや週刊紙と同じように一種の娯楽だったんだよね。
親は引き回しや獄門を子供に見せて、あんなことをするとこうなることを教え込む、一種の娯楽教育だったのだとおもう。
だから、百万都市の江戸の治安を数百人でいじできた。更に行政も。
今に続く、町内会などの自治組織もあったが。
本来の刑罰の抑止効果発揮できた時代で、税も最小限で済んだのかな。
不義密通→不倫も重罪にして欲しいですね。された側の傷は簡単に治らないから‼️死刑迄は行かないまでも刑務所に5年位入れるとか、不倫した事にたいして心底反省する様な刑を‼️
男子も女子も公平にして下さい
@@いでたかゆき-r8i
勿論ですが誘った側がより重い罰を望みたい‼️
@@user-ggnono319
いやいや、江戸時代の方がちゃんと罰があっただけ今の時代は確たる罰が無いのはおかしい‼️
誰が得するんやそれ
まさか極少数の被害者の為に税金使ってぶち込むとは言わないよなぁ?
@@はは-z2f
自分の家庭、もしくは他人の家庭を壊したんだから、それ相応の償いはしてもらわないとねぇ…
う〜ん縁座ってそんなに悪いかな?もし仮に自分の父親が罪を犯して処刑されたとして周りの人達にうしろゆびさされながら生きる位なら…。
蝿とか蚊を殺したら100たたきの刑だったらしい。😮怖い。😮
辻斬り怖すぎワロタ・・・
大体暇な侍の刀試し切りでしたからね。
こう言うのって、明治大学の博物館に展示されてるの?
連座 惣五郎 うっ 頭が(成田市民)
綱吉が戦国から続く空気感をガラッと変えたのは井沢元彦の逆説の日本史で詳しく論ぜられていますね。
もっと世間に周知されるべきことかと思うのでこの動画は価値が高いですね。
でも、一族皆殺しって戦国期でもレアでしょ。秀次と道糞くらいじゃん
荒木道糞(村重)は信長に逆らったから仕方ないにしても秀次のは明らかに秀吉が難癖付けて
秀次は切腹、その一族や関係者は皆殺しで、秀次に会ったこともない最上義光の愛娘駒姫も、来たらすぐに処刑されそれを聞いた義光は寝込んでしまい、駒姫の母は急死し、以降義光は秀吉を憎んだとか。
人間より犬猫ほざいてる基地は綱吉の頃に行けばいいとマジで思う。
そもそもみんな法に従うなら腰に刀なんて差さないもんね😅
江戸時代初期に比べると現在は異常に罰が軽いですね。世界と比べても。
戦国時代だったり、敗戦国だったり、前の時代を引きずって今の刑罰に影響するのは興味深いです。
外出会食自粛しろという御触れを為政者自身が会食や政治資金かき集めパーティーばかりしている国では国民は言うことをきかないからね。
為政者はまず自らが襟を正すべきですよ。それを最初にした将軍が吉宗
生類憐みの令の根幹はあくまで「儒学」なんですがそれは・・・。儒学はあくまで「人間=生き物の頂点」っていう感え方があったんで、子捨て・姥捨ても当然のように大罪だった訳ですが?
大阪城代の漢字が、上→城、誤植ですよ。
子供の頃から武士道なんて平和になったから言ってられるぬるい考えだと思っている
剣道も打つところをわざわざ大声で叫ぶのも
意味不明