【歴史解説】ゆっくり大江戸91 お江戸の夜事情~江戸を彩った灯りから夜具まで~【江戸時代】

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  • Опубликовано: 23 дек 2024

Комментарии •

  • @another3598
    @another3598 3 года назад +24

    18:43
    そういう方々はよく「俺は見えるから」
    っておっしゃいますけど、誰もお前の視界なんざ心配しちゃいねえって毎度毎度思います

  • @tokyostroller88
    @tokyostroller88 3 года назад +44

    いつ観てもゆっくり同士の平和な会話劇に癒されます。
    刹那的なお笑い番組や世知辛いニュースばかりの昨今、とてもありがたい!

  • @castellanhacnhac
    @castellanhacnhac 3 года назад +39

    この動画を見て、実家で使っていた丹前の事を思い出しました。
    江戸時代からのものだったのですね。
    帯で結ばずに掻巻のように腕を通して掛けていました。毛布丹前なる起毛素材のものもあって大変心地良かったです。
    着る毛布として令和でも残っているのを考えると、理に適った文化なのでしょうね。

  • @SiOnigiri
    @SiOnigiri 3 года назад +21

    今でも中秋の名月を祝う理由って
    月の光が有難い物だった名残なんでしょうね
    今でこそ旧江戸の市中に住み闇夜など無縁の暮らしですが
    田舎にいた時は音が聞こえそうなほど月がとっても明るかった記憶があります

    • @シュウ-y2p
      @シュウ-y2p 3 года назад +5

      芋名月で、収穫祭の意味合いが大きいかと
      栗名月は何だったかな?

    • @弾正だんじょう
      @弾正だんじょう 3 года назад +11

      月は明るいです。
      都会に居ると有難みを忘れますが、山などに居ると明るさを実感します。
      夜なのに影が出来るほどですからね。

    • @言霊の幸う國のムソジニスト
      @言霊の幸う國のムソジニスト 2 года назад

      どんな音?

  • @山田太郎-t8u4u
    @山田太郎-t8u4u 3 года назад +26

    行燈ってすごい明るいぞ。
    炎が紙の繊維に乱反射して、明るくなる。

    • @morimaki5896
      @morimaki5896 3 года назад +6

      昔の文字は総じて大きいので、本を読むことはできそうですね。

  • @こーけいい
    @こーけいい 3 года назад +7

    311の停電の時に、街灯のない夜の街がいかに暗いか実感した記憶があります。ちょっと気軽に外出する気にはなれません。
    夜着は、掻い巻きのことなんでしょうね。
    昭和までは結構見ました。っていうか今でも「かいまき布団」としてアマゾンで売ってますね。

  • @オグリユキヒサ-y4s
    @オグリユキヒサ-y4s 3 года назад +17

    夜間に無灯火で自転車を漕ぐのは本当に危ないですよね.私もやめてほしいと思っています.

  • @あぼぼです
    @あぼぼです 3 года назад +57

    明かりと寝具が贅沢品か・・・・・昔の時代劇で貧乏な長屋の住民のところに、金貸しが来て
    布団まではぎ取っていく理由がよくわかる内容でした。※綿が貴重だから布団は高値で売れるんですね

    • @ほげほげ-j3z
      @ほげほげ-j3z 3 года назад +11

      一見古い煎餅布団も綿を打ち直して表生地を変えれば、何と言うことでしょう❗リメイク完了です。

    • @あぼぼです
      @あぼぼです 3 года назад +8

      @@ほげほげ-j3z 元々布団屋さんは旅館とかの、綿の打ち直しとかも重要な仕事だったみたいですね

    • @まっちゃ-z7m
      @まっちゃ-z7m 3 года назад +2

      当時、明かりと寝具は「ナッシング」だったんですね。

    • @宮口光明
      @宮口光明 3 года назад

      @@ほげほげ-j3z ?ん

  • @まっちゃ-z7m
    @まっちゃ-z7m 3 года назад +10

    時代劇の夜のシーン、明るすぎるということですね。

  • @朝倉綺堂
    @朝倉綺堂 3 года назад +11

    置く場所もないけど、火事が多いから質屋の土蔵に保管してもらうほうが安全なんだよね。

  • @koperu1966
    @koperu1966 3 года назад +17

    いつも、楽しみにしています。
    これからも宜しくお願いします。😀

  • @honda10102004
    @honda10102004 3 года назад +8

    あまり知られてはいませんが江戸市中は自身番や辻番方などがあり今の交番か派出所のように治安を維持していました
    町人が町毎に負担したり武家が単独もしくは連名で負担していました
    そして木戸があるので隣町に行く事はとても面倒な事でした
    特に江戸市中と江戸郊外の境界にある見附門は厳重に閉ざされるので夜間に江戸市中に入る事は出来ませんでした
    江戸郊外の吉原で営業時間ギリギリまで遊ぶと浅草橋門や筋違門などからは江戸に入れず柳橋や和泉橋でこっそり江戸に入れましたがそこから自分の住む街まで何ヵ所も木戸を通らねばならなかったのです
    木戸の番人に吉原帰りだと申告しチップを払って通行しました
    吉原に居続け(宿泊)するのも費用が掛かるけど江戸市中に戻るにもかなりの散財が必要でした
    因みに武士は外泊が禁止されているので吉原に居続ける事は不可能です、発覚すればお家断絶です

  • @abbtk14
    @abbtk14 3 года назад +25

    当時の大きな建物では奥まった部屋など日中でも外光が届かず、それこそ真っ暗だったはず。京都の寺院でそういう暗さを再現していたことがありましたが本当に不便で、日中でも有明行燈のようなものが必要だったでしょうね。博物館の展示でも実際どうしていたのか解説されておらずもどかしいです。

    • @シュウ-y2p
      @シュウ-y2p 3 года назад +9

      たまに仏像が煤払いされて、ピカピカになるとコレじゃない感が出るのが面白いところ
      金閣寺が補修されたときに、多くの人間がおもちゃみたいと思ったのも似ている

    • @junesunshine417
      @junesunshine417 3 года назад +7

      そう、私が通ってた幼稚園はとある京都のお寺が経営していて、園児は月に一度本堂のお参りに連れて行かれました。中が夜にように暗くて、曼荼羅が地獄絵のように見えてとても怖かったのを今でも良く覚えています。

  • @仮にパンダさん
    @仮にパンダさん 3 года назад +62

    明治時代の寒村も生活たいして変わらないのだから、徴兵されて3食暖かいもの食べられて毛布で寝られる軍隊生活は異次元の体験だったんだろうな

    • @綿帽子-x4s
      @綿帽子-x4s 3 года назад +22

      白いご飯がたらふく食べれるってのも魅力だったみたいですね。
      それが脚気の原因になったそうだけど。

    • @五十嵐真一-h6v
      @五十嵐真一-h6v 3 года назад +19

      @@綿帽子-x4s
      その対策で導入されたのが「麦飯」。ただしそれは大麦の処理の仕方が悪いもので、いわゆる「臭い飯」になって兵士たちからはすこぶる評判の悪いものだった。😭

    • @giboo7250
      @giboo7250 3 года назад +28

      生前大正5年生まれの祖父が「子供の頃は電気なくてランプで暮らしてた」と言ってるのを聞いた大正12年生まれの祖母が「うちは電気通ってた、電気無いなんてそんなド田舎と違う」と言っててこれがジェネレーションギャップというやつか、と思いました

  • @シュウ-y2p
    @シュウ-y2p 3 года назад +9

    菜種油が安く出回るまでは夜が早いんだよね

  • @no41jupiter
    @no41jupiter 3 года назад +9

    捕り物で有名な「御用」の提灯の「御用」の文字は、正面に書くと前が暗くなるから左右に書いてあったって聞いたことがあります。

  • @小野高広-k2o
    @小野高広-k2o 3 года назад +4

    田舎の夜のステイホーム飲酒と都会の夜の外出飲酒の差は本当にあるよね。最後の最後に江戸から令和に一気に戻ってきたけど、このご時世では考えさせられるなぁ。

  • @ragnagra
    @ragnagra 3 года назад +13

    そんだけ街灯に焚火使ってりゃ火事も多くなるわ

  • @chaihana-q8o
    @chaihana-q8o 3 года назад +9

    大正生まれの恩師に
    「子供時代は夜ろうそく一本で、お客さんがくると贅沢して二本。
    ろうそく一本分の明かりが1ワットだよ」と教わりました。

  • @話ズ
    @話ズ 3 года назад +9

    10:26
    豪勢な食事を取っていたのは商家、大名、将軍家ではなく豪商、豪農の類ですね。
    江戸や関東は全体的に食事が貧相で、全国の各地方の方が町も農村も中流層が多く大衆ですらもっと良いものを食べていました。(人口比で言うと10%以上が菜食中心にそれなりの物を食べていました)
    人口密集地である江戸や京などは貧しい人間の数がかなり多かったみたいですね。

  • @toko5418
    @toko5418 3 года назад +5

    勉強なりました♪

  • @ゆっくり解説科学と数学
    @ゆっくり解説科学と数学 3 года назад +55

    早寝早起き、夕食は軽め、魚は天然、野菜は有機栽培、移動は徒歩。
    現代人と比べると、めちゃくちゃ健康的ですね。

    • @April-cat
      @April-cat 3 года назад

      揚げ足とり

    • @ゆっくり解説科学と数学
      @ゆっくり解説科学と数学 3 года назад +3

      @@April-cat そんなつもりでは・・・ないんですけどねw
      マジで健康的と思ったよ?

    • @April-cat
      @April-cat 3 года назад +3

      @@ゆっくり解説科学と数学
      1つ上の返信に言ったよ 堤内徹の 感じ悪い
      もろもろ、健康的だと思う。
      寄生虫もメリットがあるっていう研究もあるし、寿命や死亡率の話題挙げてないのに何してやったり風なことを言ってるんだ?と思う。

    • @ゆっくり解説科学と数学
      @ゆっくり解説科学と数学 3 года назад +3

      @@April-cat あーなるほど。たしかに腸内細菌とか、共生関係にあるって言いますね。

    • @話ズ
      @話ズ 3 года назад +2

      @ゆっくり解説 科学と数学
      まあ普段から軽い下痢や腹痛などの原因になったり、少し栄養を取られてお腹が減ったりとあまりロクなもんでもないですが、免疫系など何かしら良い影響もあるかもしれません。花粉症との関連は否定されつつあるそうです。
      八十年前の第二次大戦中に衛生環境の悪化で一気に寄生虫が増えたようです。

  • @小東夷
    @小東夷 3 года назад +11

    「街灯」のない時代だもんな、銀座にガス灯が灯るのが明治も後期になってからだし

  • @puuramu
    @puuramu 3 года назад +20

    こりゃ火事が怖いわけだぜー

    • @nuruosan4398
      @nuruosan4398 3 года назад +8

      古代ローマでも防火のために各家庭には台所を作らなかった
      おかげで飲食店がたくさん営業してたとか

  • @hiroyukis537
    @hiroyukis537 3 года назад +4

    面白かったよ!

  • @ともともピアノ
    @ともともピアノ 3 года назад +4

    マニアックな話かも知れないけど、幕末には東芝の創業者の田中久重の作った無尽灯という照明もあったんだよ。

    • @オハラ正助
      @オハラ正助 2 года назад

      東芝は原発で転けましたねぇ😅。

  • @455jj3
    @455jj3 3 года назад +23

    今思えば、テレビの演出は過剰なんですね

    • @綿帽子-x4s
      @綿帽子-x4s 3 года назад +15

      そうしないと面白くないからね。
      でもそのせいで間違ったイメージが

  • @ygoch1978
    @ygoch1978 3 года назад +14

    今が生きやすい世の中だってはっきりわかんだね

  • @椎茸-k5l
    @椎茸-k5l 2 года назад +4

    寝る時に聞くと音楽もあってよう眠れる 動きもないしラジオみたいで丁度いい

  • @パチンコCR7
    @パチンコCR7 3 года назад +4

    中世ヨーロッパを舞台にしたゲーム、キングダムカムでも夜の街を出歩く時は無灯火厳禁だったな

  • @ishinji1928
    @ishinji1928 3 года назад +41

    日々の暮らしの金さえ稼げれば良いやという粋な江戸っ子も、悲しいかな、女の柔肌は忘れられない。
    しかし吉原へ行く金もなく、せいぜい美人画で自分を慰める日々…って、あれ?なんだか現代日本の独身男性とあまり変わらないなあw

    • @あぼぼです
      @あぼぼです 3 года назад +16

      江戸時代 春画 現代 エロゲー ・・・・・ううっ頭が・・・・・・・

    • @y--sizuki
      @y--sizuki 3 года назад +9

      てか、当時の春画というか 刷絵もかなりの高価品だし、
      下手すりゃ 夜鷹の方が気軽にサクッと……
      でも、江戸時代の衛生状態だと性病を高確率で、貰ったんだろうなぁ‥‥日本は温帯で天然ゴムの木も生えないし 梅毒とかも不治の病だしねぇ💦

  • @吉川正純
    @吉川正純 3 года назад +26

    「辻斬り」は侍が行っているのであまり悪印象なかったけどよく考えたら「通り魔」と同義ですよね。光圀公も若い頃に行っていたとか。

    • @hi777ro
      @hi777ro 3 года назад +6

      >「辻斬り」は侍が行ってるのであまり悪印象無かった
      恐ろしい感覚だなあ

    • @アンティーク-v1y
      @アンティーク-v1y 3 года назад

      まあ時代によっては命の重さが現代とは比較にならんぐらい軽いので、多分今で言うヤンチャして喧嘩してました〜ぐらいの感覚なんでしょうね

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが 3 года назад +14

    動画ありがとうございます。うp主さんご指摘の通り都市の生活となるとやはり夜の生活が必要になってくるのだということが言えるのだなと思いました。そのために必要な明かりの類、仕事など社会の状況を学べたのはよかったと思いました。

  • @裏銭
    @裏銭 3 года назад +6

    江戸時代の明かりと言えば居酒屋の掛行灯と忠臣蔵の龕灯

  • @Funyasan
    @Funyasan 3 года назад +6

    秋、柿。今は甘い薩摩芋。
    食欲やわ~

  • @April-cat
    @April-cat 3 года назад +9

    あの硬い枕で熟睡できたんだろうか…といつも思う。

    • @wakakochin
      @wakakochin Год назад +1

      私も時代劇とか大河ドラマみて思ってました😅

  • @松ちゃん工房
    @松ちゃん工房 3 года назад +6

    やはり平和な時代の暮らしがよくわかりますよね。
    知りたいのはこれで、武将列伝ではありませんから。
    武将の暮らしは1日二食でかなり簡素であまり食事も美味くはなかったとか
    勿論板間に雑魚寝だった。

  • @HK-xg6zm
    @HK-xg6zm 3 года назад +10

    昔、おじいちゃん家に丸い火鉢がありました。w

    • @あぼぼです
      @あぼぼです 3 года назад +6

      伯母がいまでも使ってますな。毎年冬場に立ち寄ったら餅とか焼いてる

    • @akaguroi
      @akaguroi 3 года назад +3

      亡くなった祖母の茶道具の棚に丸火鉢がありましたね。

    • @高杉邦治
      @高杉邦治 3 года назад

      懐かしいです
      子供の頃の良い思い出
      お餅や干し芋を焼きました

    • @言霊の幸う國のムソジニスト
      @言霊の幸う國のムソジニスト 2 года назад

      ウチは長火鉢あったよ

  • @ooutsuke1560
    @ooutsuke1560 3 года назад +17

    化け猫
    やっぱり元気で長生きするにゃあ
    DHA&EPAが豊富な魚の油に限るぜ

  • @ドライスキン
    @ドライスキン 3 года назад +4

    ごようだごようだって今で言うパトカーや救急車のサイレンみたいなものかー

  • @星川正人-h3r
    @星川正人-h3r 3 года назад +4

    男女の叡知は灯の中で華やぐ、だって真っ暗だとねぇ…ナニがなんだか(笑)

  • @戦国参謀
    @戦国参謀 3 года назад +7

    村上もとか『仁』でも、先生が「夜が真っ暗だ」みたいな事いってた。そして、辻斬りに襲われる。
    蛍の描写がすごい綺麗な思い出。「灯りを‼」って勝海舟の奥さんの手術するときもいってたなぁ。

  • @hammer99kg
    @hammer99kg 3 года назад +11

    夜具と見て
    ブヒヒと思った私
    なさけなし

  • @いでたかゆき-r8i
    @いでたかゆき-r8i 3 года назад +3

    そろそろ家慶の解説をお願いします

  • @万卜人のオタク夜話
    @万卜人のオタク夜話 3 года назад +7

    無尽燈というのが幕末、あったらしいけど

    • @幻影09
      @幻影09 3 года назад +2

      万年時計を作り出した田中久重の発明品ですね。
      東芝の創始者だとか。

    • @万卜人のオタク夜話
      @万卜人のオタク夜話 3 года назад

      @谷干城 たにたてき?

    • @幻影09
      @幻影09 3 года назад +2

      @谷干城 様
      はい、若い頃
      「カラクリぎえもん」の異名で呼ばれ、有名な「茶運び人形」などを制作された方ですね。

    • @万卜人のオタク夜話
      @万卜人のオタク夜話 3 года назад +2

      @@幻影09 昔、NHKでドラマになったことがあった。確か少年ドラマシリーズの一つだったような気がするけど……

  • @吉澤朋子-u5x
    @吉澤朋子-u5x 3 года назад +3

    ヨギというのは、群馬では違う言い方をしました。忘れましたけど。祖母がいたので、小さい頃は、ヨギをかけて寝てました。

    • @まる2
      @まる2 3 года назад +1

      かいまきですかね?
      東はかいまき、西は布団だったとどこかで読んだ覚えがあります。
      群馬県出身の父はかいまきを長いこと使っていました。

    • @吉澤朋子-u5x
      @吉澤朋子-u5x 3 года назад

      @@まる2
      多分…

    • @Maria-dj3uu
      @Maria-dj3uu 3 года назад

      寒さに弱い私は冬場かいまき手放せません笑

  • @坂田満-e5q
    @坂田満-e5q 3 года назад

    ターミナルデパートは阪急百貨店が最初かな。
    大食堂では、ライスにウスターソースかけただけのソースライスが大人気

  • @弾正だんじょう
    @弾正だんじょう 2 года назад

    提灯の御用は、公用と言う意味か(´▽`)

  • @anewreturner1
    @anewreturner1 3 года назад +1

    薄暗い照明器具しかなかったわけで怪談が生まれた理由でもありますね。

  • @takuyaNakano
    @takuyaNakano 3 года назад

    ヘッドライトあんだから気を付けないと前方不注意で車に過失

  • @edomurasaki0
    @edomurasaki0 3 года назад +8

    てっきりお色気路線だと思って
    動画のタイトルを最後まで読まずに
    すっ飛んできましたwタイトル詐欺だww

  • @不知火燈夜
    @不知火燈夜 2 года назад

    かいまき?って普通に使ってなかった?長~い半纏みたいな掛け布団

  • @kathuyaaa-1115
    @kathuyaaa-1115 3 года назад +1

    たまには江戸だけでなく他の地域の江戸時代をやってほしいかな

  • @pochicancan55
    @pochicancan55 3 года назад +1

    今は田舎は真っ暗ではありません。誰も通らなくても街灯が点いています。

  • @user-5963rumi
    @user-5963rumi 3 года назад

    そうか~。良くドラマで見る夜にやってるそば屋なんてなかったんだね(笑)そば屋ごときでは灯り代にもならない!でも冬は凄く寒かったんじゃないのかな?火鉢があっても掛け布団が無いんだから、コタツにしてもムシロをかけても大して暖かくはなかっただろうね。板張りの床だから畳と違って温もりもない!まさか藁が布団代わりとか、凄いな。その藁も買って来ないとないし。平安時代もそうだったんだろうね。まさか布団が出来たのが結構近年なんて、畳もそうだし。どんだけ文化遅かったのか!

    • @rika8290
      @rika8290 3 года назад +2

      藁の入った掛け布団があったようですよ。藁を打って(専用の打具で繊維をほぐす)梳いて細い繊維状にしたものを綿の代わりに詰めるそうです。戦後も残ってたようで農家は雨の日は藁布団を打ち直したって聞きます。聞いた話ですが綿の布団並に暖かかったそうです。色々な文献見るとどうやら江戸時代にはあったようですよ。

  • @box4960
    @box4960 3 года назад +1

    質屋を利用して春夏秋冬やり過ごすのはエロゲで知った
    もちろん忠〇蔵

  • @凶太郎-t1m
    @凶太郎-t1m 3 года назад

    オープニングがNHKラヂオチックなのがいいね。

  • @k_k3737
    @k_k3737 3 года назад

    大変面白いのですが、プリコネのシナリオ並みに「ともあれ」が連発されてて気になってしまった