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楽しみに待っていました。小さい頃にかかっていた医師は診察の時、必ず脚気の検査をしてくれた。当方アラフィフ。中条流、なかじょうりゅうと読むのですか?ずっとちゅうじょうりゅうだと思っていました。
ご指摘ありがとうございます。調べてみましたら初期の頃はなかじょうりゅうと発音していたものが後期にはちゅうじょうりゅうとなったという事でした
potu potu いっj
@@terasen 自分も「ちゅうじょうりゅう」と思っていました。アラ還です。
導入の言葉が美しいのが好き
動画の作りが3人で一緒に机を囲んでおしゃべりしてるみたいで好き
内容もさることながらこういう落ち着いたBGMで構成してくれるチャンネルは本当に耳障りがよく頭にも入りやすいこれからも応援してます、頑張って下さい
毎回知識が増える深い考察と情報に感謝します。
大名行列を産婆さんが横切れるってなんかいい話に感じる
きずかし 飛脚も横切れた……
@@mutsuhito1868 超高速参勤交代でありましたね
仁で、綾瀬はるかの「さ、産婆でございます」は、可愛かった♡
人命にかかわるからね。見栄の為に女と赤子殺した、となったら、そりゃヤベぇよ。
内容はどうあれ、冒頭の和室の座卓、パースがおかしいと思う。エラく、奥の卓脚が長い事になる。
とても興味深い話でした。江戸時代には、売薬も盛んだったと知り、少し驚いています。で、江戸時代から現在まで続く売薬と言えば、『越中・富山の薬売り』こと、富山の配置薬ですよね。また、薬の町と言えば富山ですが、あまり知られていない事なんですが、大阪も富山に続く江戸時代からの『薬の町』でして。大阪の道修町(どしょうまち)には、薬の神様として知られる少彦名命(すくなひこなのみこと)をお祀りした少彦名神社(通称・神農(しんのう)さん)がありますしロ〇〇製薬とか、〇田薬品とか、現在も大阪に本社があったり、昔、大阪に本社を置いていたりする製薬会社は、かなり多いんですよ。後、京都の祇園祭や大阪の天神祭は、夏場になると流行して多くの人の命を奪っていく天然痘や麻疹を鎮めるために行われ始めたと言う説もあります。
現代に通ずる所が多々あり、考えさせられる神回でした。
このチャンネルめっちゃためになる。ありがとう。
11:12 「毎回「歯の磨き方が悪い」と先生に怒られている魔理沙ちゃん」は草。探検帽もかわいいですね💕
魔理沙さん、ではマリーアントワネット風のヘアアレンジを見たい気がします。1日に何回か見てしまうそんな二人をこれからも応援しますぞえ^_^🤗🍒
魔理沙、ヒトシ君人形みたい笑笑(ある意味)お人形さん的な魔理沙さん
待ってました!歴史大好きやから本当に為になる。
虫歯は本当に怖いです細菌が入り込み、白血球の数値も異常に上がり即日入院した事があります( ;∀;)食事も流動食、退院後もしばらく歯茎にチューブを刺したまま自分で消毒でした虫歯は放置してはいけません(´;ω;`)
脚気で思い出しましたが「アルプスの少女ハイジ」のクララも脚気じゃないか、という話を聞いた気がします😓クララのようなお金持ちが食べていた白パンよりも、ハイジのような庶民が食べていた黒パンの方がビタミン類が多かった、とか😓美味しいものもいいけど、栄養って大事ですよね😅
確かにライ麦パンは栄養がおおいですが白パンにも十分にビタミンb1が入ってますので脚気はないと思います。
クララはくる病だったと言われていますね。元々石造りの御屋敷で暮らしていたことにくわえ、産業革命の噴煙で日光が遮断された社会的背景が大きいらしいです。
聴きやすい!わかりやすい!おもしろい!
お酒片手にのんびり見るのにちょうどいい。歴史きらいだけど楽しい
魔理沙の探検隊帽子が可愛いですね、兜も被せられてる感が七五三みたいで良かったですが(笑)バンダナとか、ねじり鉢巻きみたいな被り物じゃないのも見てみたいです。江川英龍が種痘を広めたとか聞いたことがありますけど、それより前にも試みられてたんですねぇ。麻酔然り、やり始めは暗中模索で大変だったろうなぁ。
種痘は幕末にすごい勢いで広まるんですよね。これがすごいと思います。その理屈を受け入れるだけの基礎的素養が、医師と、それを受け入れる庶民にあったということを示します。江戸時代、言われているよりは、医学、結構発達してたんじゃないかと思います。
マニアックだからか、分かりやすい対比構造にこだわったからか、この動画ではほとんど取り上げられてないけど、当時の日本には、先進医療をすぐに取り入れたり、既成理論も改良出来るくらいの素地があった。将軍家光らがオランダ流の「カスパル流外科」を医者に学ばせて定着させたし、江戸中期には日本の漢方医が中国漢方の複雑怪奇な理論を捨てて日本流にアレンジした。日本初の人体解剖に踏み切って西洋解剖学の正しさを示したのは、実は日本流の漢方医の1人だった。そんな進取の気風があったから、種痘も受け入れられたんだと思う。
『解体新書』の著者、杉田玄白と言う人は当時として稀な、84歳まで長生きたそうです。また、十二指腸と言う医学用語も彼がつくった言葉でした。『十二指腸』と言う意味は、『腸の長さが十二本位の指の長さ』と言う意味だそうです。
待ってました ⤴️本当に嬉しい⤴️宇津救命丸 今もあるのかな
宇津救命丸は1597年11月とありましたので、恐らく現役の医薬品の中で最古の物であると思います。養命酒がその5年後の1602年でタッチの差で宇津が最古の医薬品と言うことになるようです。もちろんどちらも現役の医薬品です。
盲目になっても技術を腕に「覚えさせる」ことができる、按摩や鍼灸師という職種が定着したのは、被術側のニーズよりもむしろ施術側の、眼病が蔓延していたってのが大きいのかもね
健康ってありがたいよね、今回も勉強になったありがとう。
健康に生んでくれた親、祖父母、その系図に感謝ですね。15:40 感染症や病気に勝てる体力を受け継げたのはすごいとなんだと思いました。(私の甥っ子のときもそうだったけど、殺菌はしない、基本的には煮沸なしの水洗い、山水を平気で下手すると汚れに汚れてもむしろ免疫が付くだし、、、)
古くから存在し今でも有効な薬と言えば個人的には葛根湯医療従事者の家族もこれが一番効くとお墨付きを与える名薬
家に帰ったら手洗いうがい、マスクや上下水道の整備。これらは先人の経験則からくる習慣なんですよねぇ。今このご時世で海外に比較して日本の被害が少なく済んでいるのもそういったご先祖様の教訓を繋いできたからだと思うと、江戸の人々の事が少し身近に感じますね。あとやはり「仁」で当時の医学について知った人は多いんでしょうねぇ。
牛痘といえばお玉が池種痘所設立に手塚良庵が関わってたというので陽だまりの樹(曾孫謹製)や風雲児たちでも描かれてた位有名なエピソードですよね。
それから半年。日常は未だ取り戻せてはいない……
昔からある薬で個人的に印象深いのは陀羅尼助かなぁ。今だと丸がメインだと思うけど、昔は板チョコみたいに四角いのを割って飲んでた。
現在の脚気は栄養バランスの悪い食事もだけど、アルコール依存症によるアルコールの大量摂取でも起きている。
大谷吉継が罹患したことで有名ならい(ハンセン病)、癲癇も昔からの病。できれば取り上げて欲しかったです。
魔理沙の帽子、まるでトレジャーハンターみたいに見えるんだけど……。
産婆を特権与えて保護した江戸時代の身分制との柔軟さ。山帰来ことサルトリイバラが梅毒薬に使われたらしい、サルトリイバラはサルサパリラと海外で呼ばれている。
いつも楽しく拝見させて頂いております。大変勉強になります。魔理沙の頭のお飾りですが、兜もかっこよくて、伊達政宗の兜が好きでしたが、簪などは使わないのですか?やっぱり、江戸時代と言えば、武将の装いでしょうか?
今でこそ医師は医師免許が必要だけど、整体師やカイロプラクターと名乗るのには何の公的な資格も不要なんですよね。鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師はちゃんと国家試験を通らないといけないけど、広告が規制されているために、広告し放題な整体師などと比べ、周知されてにくいという皮肉。
ほんとそれ。大枚叩いて時間もかけて資格を取得しても、クローズドな世界だから広まらない。保険の扱いも厳しいし不透明な世界。でも後から発生した柔道整復師がホイホイ保険適用にする。
パタリロでありましたね。雀医者:だんだん竹に近づく 土手医者:竹にもなれない 紐医者:物が紐だけにかかったら必ず死ぬ 落語です。
ネタでヒモ医者ってのも引っかかるとあの世行き鉄砲医者ってのもあったなw
勉強になる
医者参上!日本の東洋医学は漢方を輸入に頼っていたので、少量で最大の効果を発揮するように発展してきた針や灸もツボを刺激することで自己免疫力を高めることが目的で基本的に日本の医学は直接病理にアプローチする医療はほとんど無かったと学びました
医術は西洋が何歩も前に出ていた感が動画を見て感じました。逆に西欧人(イギリス人だったかな)が驚いた測量技術、ドイツの医師シーボルトが欲しがった日本地図を作った『伊能忠敬』を江戸時代の地図の流れで解説お願いしたいです。その時代になったらでいいので!是非にお願いします。
一応、世界初の全身麻酔を日本人が行うなどしていましたね。科学的な知見にはやはり差があったと言うべきではありますが…。
江戸時代までは内科は五分以上で、西洋優位なのは外科。理由は強力な武器を開発しながらずっと戦争してたから。華岡青洲はオランダ外科を取り入れつつ、麻酔薬は漢方的な配合で開発した。西洋医学が化学、微生物学を応用して漢方を圧倒するのは明治期。動画が「江戸時代の漢方」と「明治以降の西洋」を比べ出るように見えるから誤解しやすいけど。脚気の原因確定は明治後期だし、ペニシリンの実用化も第二次世界大戦の頃。
日本のものなんてダメダメザコザコ!このチャンネルみたいに西洋化してかなきゃ!!
歯科医ですが甘いものを短時間に1度に大量食べるよりしょっぱくても、甘みが少ない量でも回数を増やす方が齲蝕(カリエスとも言います)リスクは高いと言われています。江戸時代は食の回数が量よりも多かったと推察されます。もちろん削合出来なかった、抗生物質や麻酔薬の普及がなかったこともあるでしょうけれども
そういえば現代のアメリカでも食文化の崩壊のため「肥満児の栄養失調」とかいうわけわからん問題が指摘されていますね
ところで使用されてるBGMはなんですか?
江戸っ子の再現ご飯で山盛りの白米にお漬物なんて見るとそりゃ脚気にもなるわと誰もが思う
今度は直江兼続の愛の兜を装着して欲しいです♪
脚気と言えば仁のあんドーナツが凄い美味しそうだったな。
日本の医療技術で江戸時代から入れ歯の作成技術は海外よりも優秀だったらしい。あと眼病といえば諺の「風が吹けば桶屋が儲かる」の途中プロセスでもありますね?
田舎者「なんでぇ、俺っちの麦飯が臭くて食えねぇってのかい?」似非江戸っ子「てやんでぇ、こちとら江戸っ子よぉ、白くねぇオマンマなんか食えるけぇ!」田舎者「かっけぇ~」
江戸っ子も京都の人からしたら田舎者だけどな
アマビエの登場もこの時代ですし、神頼みにすがるしかない、大変なご時世ですね。
いつも、楽しく、拝聴させていただいています。今更で申し訳ないのですが、BGMの詳細をお教えください。
昔は具合が悪く医者に行くと、必ず、膝を打診され脚気を疑われたなwそれだけ栄養失調が多く、学校では給食に肝油を配られたw
脚気の検査はグレートマジンガーでの1シーンのみ見た事が有る
この現代こそ、病を洒落と諧謔で笑い飛ばせる江戸人の知恵と活力を学ぶべきだろう。
昔の薬で思い出すのは、[石田散薬]土方歳三が、出稽古の際に売りつけてた薬土方歳三の実家が作ってたやつ!!
水戸黄門の印籠に入ってる薬は茹で過ぎたウドンだったような気がした(´・ω・`)
数年前、石田散薬の制作を体験してきました(笑)
今では内科と外科だけど、元は本道との対語で外道という含みがあったという噂。
19:05のとこの天然痘に関する、ところの背景の孝明天皇の字が違います。孔明天皇(誤)孝明天皇(正)
実家は無医村だったから学校で予防接種はやったけど病気で医者にかかった事は大学に入って都会(笑)に引っ越すまで無かったなあ出産は近所のおばさん達が集まっての共同作業になってました無医村なんてそんなもの
落語の風邪の神送りを思い出した.当時神さん仏さん頼みだったのだろう.日本にペストなどの悪質な伝染病が無かったのは幸いだ.
一応、現代日本でも中絶は違法です。が、母体の健康を害する(お金がないから不健康になりかねない、なども含む)、強姦による妊娠など、中絶しても良い特例があって、「希望者に無理やり特例を当てはめる」ということで事実上自由になってます。取り締まったのに効果がなかった江戸時代と大差ないかもしれませんね。
国際的にはそう(まさに法文通り)解釈されて『中絶後進国』とか評価されることもありますねあと事実上の運用のヤバさ(実際は解釈で自由に堕胎できるんだが『ソレ』に対応する法律がない、整備されてない)を指摘して(逆に)『中絶やりほうだい』国(いいかげん国)と批判されることも両方ありますね(^_^;) このあたりは『中絶』を宗教(価値判断)と絡めて解釈する他国(西洋)との違いなのかなとも思いますねえ💦(うちの母親が何も考えず最初に連れて行ってくれた神社が『水子供養』専門の神社だったの後で知ったの思い出しましたww日本人はその辺(産まれる前に(残念ながら)おろすことが普通な時代のことと幼児死亡率が(これも残念ながら)高い時代のこと)いちいち区別しないんですよね(;´Д`))
探検隊みたいな帽子被った魔理沙
江戸わずらい。当時白米は贅沢なもので庶民の憧れの食べ物だっただろうけど皮肉にも脚気の原因になったわけか。こうしてみるとこち亀で署員達が高いコレステロール値を気にしてる中で青魚を中心に食べていた両さんが低コレステロールで異常なしであって、その時発したセリフが名言かもしれない「初めて金持ちに勝った」
梅毒は高熱に弱いので、梅毒患者をあえてマラリアに感染させてマラリアによる高熱で梅毒の病原菌が死滅したのを確認してからマラリアを治療するという荒っぽい治療法があるそうな。江戸の風呂屋は50℃近い熱湯だったそうだけど、それじゃあ治んないのかな(´・ω・`)?
梅毒はゆっくり死ぬ。熱中症はすぐ死ぬ。普通の人はリスクを冒して完治させるより、ゆっくりと死ぬ方を選ぶんだよね。
あっつーい温泉で梅毒治療って話がありますね。草津温泉はph2という強酸性で、皮膚病に効能があったそうです。昔は70~80cm四方の湯船が何十もあって、首だけ出して浸かっていたとか。
@@mizutansan594 草津温泉は懸賞で旅館一泊が当たって遊びに行ったことがありますが、街中にたくさん無料風呂があってびっくりしましたね。でも調子に乗って入りすぎると全身真っ赤になってすごく痛くなるというおまけつき。あれなら大抵の病気は治りそうな気がします
【刀傷】 刀傷も皮膚を縫い合わせるだけだって本当なのかな。 傷が内蔵に達していたら無理だよな。
魔理沙、麦わら帽子も似合いそう👒
夜鷹にはお花お千代(お鼻落ちよ)はきつき事
そう言えば、昔小学校の給食で定期的に肝油と言うドロップの様なマシュマロの様なものを喰わされた。あれも日本人に多い何かの病気対策で喰わされていた。と聞いた様な気が…
食べてみたかったです…amazonで買えるかな?
Green Leraie ドラッグストアにあるみたいですよ
うちみたいに虫歯にならない体質の歯の人はまりさや江戸時代のひとにはうらやましがられるだろうな
体質というか、親が口移しなんかで虫歯菌を移さなかったんだろうね。3~4歳までに虫歯菌が無ければ、その後は虫歯にはならないそうだから。親に無ければ、子供もならないとは思うけど。
@@熊五郎-k4v 虫歯は感染症なんだよね(´・ω・`)
「私は虫歯にならないから」と言って歯磨き怠って重度の歯周病になって歯が抜ける患者さんが実際に多いですよ。歯周病に気をつけて
『解体新書』は春画でアレしてた成人男性が無修正ビニ本をゲットした的なアレかな。きっと「いや、経絡図もなかなか良いモンなんだって」と言う一派が現代の東洋医学に。
右側の寝ている子は。獏可愛いですね
当時は牙科といってたかな。木杭を虫歯にあてて木づちで打ち付けてたとか。古代エジプト人のよくある死因に歯槽膿漏があったというし、わからんでもない。
薬が旅のおみやげの定番になるときいて、滑舌法でおなじみの「外郎売り」を思い出しました(*´∀`*)
魔理ちゃんかわいい。
「江戸時代はエコで...」何ていうが、やっぱり現代が一番暮らしやすいよね。
性病は怖いですよね独り身なら仕方ないけど世帯持ちなら・・・
薬といえば、山田浅右衛門が製造、販売していた薬があったけど、処刑された罪人の内臓から作られていたという効能があったのか疑問がある薬で山田浅右衛門は代々浪人なのに大名並みの収入があった。
小さい頃膝をコンコン叩かれて何だろうと思っていた。小学一年生の健康診断でもされた覚えがある。あれが脚気の検査だったんだわ。いつ頃やらなくなったのかなあ😃
このコロナ禍において日本での犠牲者が少ないのが判る様な内容ですね、病気に対する予防の知識や意識を持つ事が大事と。(-""-;)
江戸とは違いますが、ツツガムシ病も古来から日本人を苦しめてきましたね。夏になると東北のある地域で猛威を振るう病気。ダニが原因とは薄々わかっていて、虫を患部から掘り出す職業が専門にあったほど。ツツガムシ病は現在も適切な治療をしないと致死率の高い恐ろしい病気です。
正確にいうと、白米が原因というより、副食を食べない偏食のせいでは。現在の我々も白米を食べている。また癪やせんきは、病名ではなく、症状名。
勉強になりました贅沢病ってもう死語かなぁ
「幕府は何故対策を採らなかったか?」じゃなくて、「取りたくても取りようがなかった」が正解じゃないの?
確か長崎から江戸まで旅した西洋人の日記に旅の途中の農村などの住民に眼病を患っているものが多いが原因は目に染みる位に畑の肥え壺から沸き立つ悪臭ではないかと書いていますね。中条流、惨いしわざで倉を建て、でしたっけ?
大変、興味深い話でしたが、江戸時代は避妊しなかったという話は、どうかと思います。当時から既に、詰め紙、茎袋(きょうたい)、兜形等の避妊具の他、避妊薬も天女丸等が存在しております。(いずれも、効果のほどは怪しかったそうですが)江戸時代の江戸の男性の生涯独身率は、本によっては、50%だとか80%だとか書かれていますが、女房を持たずに、上は吉原、下は夜鷹(路上売春婦)で性行為を済ませる者が多かった事を考えれば、避妊はむしろ基本だったのではないかと。遊女は子供ができてしまっては商売を続けられませんので。
魔理沙可愛い
当時、梅毒・クラミジア等の性感染症流行したらしい江戸時代に抗生物質ものなく感染したら死の病でした現在でも性感染症は少なからず、います薬有っても手遅れ有るそうです薬例(ペニシリン系抗生物質)
コロナもそうだけど、今も昔も、外国との交易や移民をすればするほど、病気が蔓延し、争いが起きる
解体新書展なんてあったなあ
にゃんこさん寝てます。もう一人寝てるのは何者さんですか。( 〃▽〃)?
バクじゃないかな?
ちなみに日本で科学肥料が導入された一番はじめはマッカーサー夫人のため生野菜(サラダ🥗)を人糞肥料💩に頼らず作ることになったから
人糞肥料を使っていた時代は、白菜の漬け物とか生野菜は食べてはダメだと祖母が言っていた。でも母は気にしなくて、良くぎょう虫の検査に引っ掛かったよ。
人間は多少不潔な環境に居るくらいのほうがかえって免疫力がついて健康に良いと思います。
幕府が梅毒の対策をしなかったのって罹患率がわかったところでもし禁止にでもしたら遊郭周りの経済や住民の精神がポンッと弾けて飛ぶからじゃないかな?下手したら暴動が起きかねないくらいに。
単に治療法が無かっただけじゃないかと・・・(´・ω・`)
7歳までは神の内…だっけか?免疫力のない幼い子供の死亡率エグかったんだろうな…
前の会社にパチンコ依存症の人が居たけど金なくて脚気になってたなぁその人クビになったけど今生きてんのかな?
産婆さん最高‼︎
更新、大儀、大儀!さぁ、おねえちゃん所に呑みに行くンゴ。(川○探検隊にで行くんか?)
巨人のヘルメット希望です!そういえば昔オリックスにボラギ…じゃなかったセギノールっていう外人がいましたね。(笑)
堕胎は現代日本でも基本的には違法ですよ。例外的に堕胎できる条件があって、それが拡大解釈されて広く行われているだけで
薬と毒は紙一重ですな・・・
首切り役人お刀試し人の山田家は医者それとも薬屋どっちですか
子供の頃けっこう太ってて近所の医者に行くと「ちょっと太り過ぎ」と言われたのを覚えてるただその医者がデブかつ常に鼻詰まったような声で、子どもながらに「お前が言うか!」と思ってた。こないだ実家帰ったらまだ健在だった医者としてデブはデブなりに節制してるのかね?
熊の胆とか反魂胆とか、ちゃんと効くでー
楽しみに待っていました。
小さい頃にかかっていた医師は診察の時、必ず脚気の検査をしてくれた。当方アラフィフ。
中条流、なかじょうりゅうと読むのですか?ずっとちゅうじょうりゅうだと思っていました。
ご指摘ありがとうございます。調べてみましたら初期の頃はなかじょうりゅうと発音していたものが後期にはちゅうじょうりゅうとなったという事でした
potu potu いっj
@@terasen 自分も「ちゅうじょうりゅう」と思っていました。アラ還です。
導入の言葉が美しいのが好き
動画の作りが3人で一緒に机を囲んでおしゃべりしてるみたいで好き
内容もさることながら
こういう落ち着いたBGMで構成してくれるチャンネルは本当に耳障りがよく頭にも入りやすい
これからも応援してます、頑張って下さい
毎回知識が増える深い考察と情報に感謝します。
大名行列を産婆さんが横切れるってなんかいい話に感じる
きずかし
飛脚も横切れた……
@@mutsuhito1868 超高速参勤交代でありましたね
仁で、綾瀬はるかの
「さ、産婆でございます」は、可愛かった♡
人命にかかわるからね。
見栄の為に女と赤子殺した、となったら、そりゃヤベぇよ。
内容はどうあれ、冒頭の和室の座卓、パースがおかしいと思う。
エラく、奥の卓脚が長い事になる。
とても興味深い話でした。
江戸時代には、売薬も盛んだったと知り、少し驚いています。
で、江戸時代から現在まで続く売薬と言えば、『越中・富山の薬売り』こと、富山の配置薬ですよね。
また、薬の町と言えば富山ですが、あまり知られていない事なんですが、大阪も富山に続く江戸時代からの『薬の町』でして。
大阪の道修町(どしょうまち)には、薬の神様として知られる少彦名命(すくなひこなのみこと)をお祀りした少彦名神社(通称・神農(しんのう)さん)がありますし
ロ〇〇製薬とか、〇田薬品とか、現在も大阪に本社があったり、昔、大阪に本社を置いていたりする製薬会社は、かなり多いんですよ。
後、京都の祇園祭や大阪の天神祭は、夏場になると流行して多くの人の命を奪っていく天然痘や麻疹を鎮めるために行われ始めたと言う説もあります。
現代に通ずる所が多々あり、考えさせられる神回でした。
このチャンネルめっちゃためになる。ありがとう。
11:12 「毎回「歯の磨き方が悪い」と先生に怒られている魔理沙ちゃん」は草。探検帽もかわいいですね💕
魔理沙さん、ではマリーアントワネット風のヘアアレンジを見たい気がします。
1日に何回か見てしまうそんな二人をこれからも応援しますぞえ^_^🤗🍒
魔理沙、ヒトシ君人形みたい笑笑
(ある意味)お人形さん的な魔理沙さん
待ってました!歴史大好きやから本当に為になる。
虫歯は本当に怖いです
細菌が入り込み、白血球の数値も異常に上がり即日入院した事があります( ;∀;)
食事も流動食、退院後もしばらく歯茎にチューブを刺したまま自分で消毒でした
虫歯は放置してはいけません(´;ω;`)
脚気で思い出しましたが「アルプスの少女ハイジ」のクララも脚気じゃないか、という話を聞いた気がします😓
クララのようなお金持ちが食べていた白パンよりも、ハイジのような庶民が食べていた黒パンの方がビタミン類が多かった、とか😓
美味しいものもいいけど、栄養って大事ですよね😅
確かにライ麦パンは栄養がおおいですが白パンにも十分にビタミンb1が入ってますので脚気はないと思います。
クララはくる病だったと言われていますね。元々石造りの御屋敷で暮らしていたことにくわえ、産業革命の噴煙で日光が遮断された社会的背景が大きいらしいです。
聴きやすい!わかりやすい!おもしろい!
お酒片手にのんびり見るのにちょうどいい。歴史きらいだけど楽しい
魔理沙の探検隊帽子が可愛いですね、兜も被せられてる感が七五三みたいで良かったですが(笑)
バンダナとか、ねじり鉢巻きみたいな被り物じゃないのも見てみたいです。
江川英龍が種痘を広めたとか聞いたことがありますけど、それより前にも試みられてたんですねぇ。
麻酔然り、やり始めは暗中模索で大変だったろうなぁ。
種痘は幕末にすごい勢いで広まるんですよね。これがすごいと思います。その理屈を受け入れるだけの基礎的素養が、医師と、それを受け入れる庶民にあったということを示します。
江戸時代、言われているよりは、医学、結構発達してたんじゃないかと思います。
マニアックだからか、分かりやすい対比構造にこだわったからか、この動画ではほとんど取り上げられてないけど、当時の日本には、先進医療をすぐに取り入れたり、既成理論も改良出来るくらいの素地があった。
将軍家光らがオランダ流の「カスパル流外科」を医者に学ばせて定着させたし、江戸中期には日本の漢方医が中国漢方の複雑怪奇な理論を捨てて日本流にアレンジした。日本初の人体解剖に踏み切って西洋解剖学の正しさを示したのは、実は日本流の漢方医の1人だった。そんな進取の気風があったから、種痘も受け入れられたんだと思う。
『解体新書』の著者、杉田玄白と言う人は当時として稀な、84歳まで長生きたそうです。また、十二指腸と言う医学用語も彼がつくった言葉でした。『十二指腸』と言う意味は、『腸の長さが十二本位の指の長さ』と言う意味だそうです。
待ってました ⤴️本当に嬉しい⤴️
宇津救命丸 今もあるのかな
宇津救命丸は1597年11月とありましたので、恐らく現役の医薬品の中で最古の物であると思います。養命酒がその5年後の1602年でタッチの差で宇津が最古の医薬品と言うことになるようです。もちろんどちらも現役の医薬品です。
盲目になっても技術を腕に「覚えさせる」ことができる、按摩や鍼灸師という職種が定着したのは、被術側のニーズよりもむしろ施術側の、眼病が蔓延していたってのが大きいのかもね
健康ってありがたいよね、今回も勉強になったありがとう。
健康に生んでくれた親、祖父母、その系図に感謝ですね。
15:40 感染症や病気に勝てる体力を受け継げたのはすごいとなんだと思いました。(私の甥っ子のときもそうだったけど、殺菌はしない、基本的には煮沸なしの水洗い、山水を平気で下手すると汚れに汚れてもむしろ免疫が付くだし、、、)
古くから存在し今でも有効な薬と言えば個人的には葛根湯
医療従事者の家族もこれが一番効くとお墨付きを与える名薬
家に帰ったら手洗いうがい、マスクや上下水道の整備。これらは先人の経験則からくる習慣なんですよねぇ。今このご時世で海外に比較して日本の被害が少なく済んでいるのもそういったご先祖様の教訓を繋いできたからだと思うと、江戸の人々の事が少し身近に感じますね。あとやはり「仁」で当時の医学について知った人は多いんでしょうねぇ。
牛痘といえばお玉が池種痘所設立に手塚良庵が関わってたというので
陽だまりの樹(曾孫謹製)や風雲児たちでも描かれてた位有名なエピソードですよね。
それから半年。日常は未だ取り戻せてはいない……
昔からある薬で個人的に印象深いのは陀羅尼助かなぁ。
今だと丸がメインだと思うけど、昔は板チョコみたいに四角いのを割って飲んでた。
現在の脚気は栄養バランスの悪い食事もだけど、アルコール依存症によるアルコールの大量摂取でも起きている。
大谷吉継が罹患したことで有名ならい(ハンセン病)、癲癇も昔からの病。できれば取り上げて欲しかったです。
魔理沙の帽子、まるでトレジャーハンターみたいに見えるんだけど……。
産婆を特権与えて保護した江戸時代の身分制との柔軟さ。
山帰来ことサルトリイバラが梅毒薬に使われたらしい、サルトリイバラはサルサパリラと海外で呼ばれている。
いつも楽しく拝見させて頂いております。大変勉強になります。
魔理沙の頭のお飾りですが、兜もかっこよくて、伊達政宗の兜が好きでしたが、簪などは使わないのですか?
やっぱり、江戸時代と言えば、武将の装いでしょうか?
今でこそ医師は医師免許が必要だけど、整体師やカイロプラクターと名乗るのには何の公的な資格も不要なんですよね。鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師はちゃんと国家試験を通らないといけないけど、広告が規制されているために、広告し放題な整体師などと比べ、周知されてにくいという皮肉。
ほんとそれ。
大枚叩いて時間もかけて資格を取得しても、クローズドな世界だから広まらない。
保険の扱いも厳しいし不透明な世界。
でも後から発生した柔道整復師がホイホイ保険適用にする。
パタリロでありましたね。
雀医者:だんだん竹に近づく 土手医者:竹にもなれない 紐医者:物が紐だけにかかったら必ず死ぬ 落語です。
ネタでヒモ医者ってのも
引っかかるとあの世行き
鉄砲医者ってのもあったなw
勉強になる
医者参上!日本の東洋医学は漢方を輸入に頼っていたので、少量で最大の効果を発揮するように発展してきた
針や灸もツボを刺激することで自己免疫力を高めることが目的で
基本的に日本の医学は直接病理にアプローチする医療はほとんど無かったと学びました
医術は西洋が何歩も前に出ていた感が動画を見て感じました。
逆に西欧人(イギリス人だったかな)が驚いた測量技術、ドイツの医師シーボルトが欲しがった
日本地図を作った『伊能忠敬』を江戸時代の地図の流れで解説お願いしたいです。その時代になったらでいいので!是非にお願いします。
一応、世界初の全身麻酔を
日本人が行うなどしていましたね。
科学的な知見にはやはり
差があったと言うべきでは
ありますが…。
江戸時代までは内科は五分以上で、西洋優位なのは外科。理由は強力な武器を開発しながらずっと戦争してたから。華岡青洲はオランダ外科を取り入れつつ、麻酔薬は漢方的な配合で開発した。西洋医学が化学、微生物学を応用して漢方を圧倒するのは明治期。動画が「江戸時代の漢方」と「明治以降の西洋」を比べ出るように見えるから誤解しやすいけど。脚気の原因確定は明治後期だし、ペニシリンの実用化も第二次世界大戦の頃。
日本のものなんてダメダメザコザコ!
このチャンネルみたいに西洋化してかなきゃ!!
歯科医ですが甘いものを短時間に1度に大量食べるよりしょっぱくても、甘みが少ない量でも回数を増やす方が齲蝕(カリエスとも言います)リスクは高いと言われています。江戸時代は食の回数が量よりも多かったと推察されます。もちろん削合出来なかった、抗生物質や麻酔薬の普及がなかったこともあるでしょうけれども
そういえば現代のアメリカでも
食文化の崩壊のため「肥満児の栄養失調」とかいうわけわからん問題が指摘されていますね
ところで使用されてるBGMはなんですか?
江戸っ子の再現ご飯で山盛りの白米にお漬物なんて見るとそりゃ脚気にもなるわと誰もが思う
今度は直江兼続の愛の兜を装着して欲しいです♪
脚気と言えば仁のあんドーナツが凄い美味しそうだったな。
日本の医療技術で江戸時代から入れ歯の作成技術は海外よりも優秀だったらしい。
あと眼病といえば諺の「風が吹けば桶屋が儲かる」の途中プロセスでもありますね?
田舎者「なんでぇ、俺っちの麦飯が臭くて食えねぇってのかい?」
似非江戸っ子「てやんでぇ、こちとら江戸っ子よぉ、白くねぇオマンマなんか食えるけぇ!」
田舎者「かっけぇ~」
江戸っ子も京都の人からしたら田舎者だけどな
アマビエの登場もこの時代ですし、神頼みにすがるしかない、大変なご時世ですね。
いつも、楽しく、拝聴させていただいています。今更で申し訳ないのですが、BGMの詳細をお教えください。
昔は具合が悪く医者に行くと、必ず、膝を打診され脚気を疑われたなwそれだけ栄養失調が多く、学校では給食に肝油を配られたw
脚気の検査はグレートマジンガーでの1シーンのみ見た事が有る
この現代こそ、病を洒落と諧謔で笑い飛ばせる江戸人の知恵と活力を学ぶべきだろう。
昔の薬で思い出すのは、[石田散薬]土方歳三が、出稽古の際に売りつけてた薬
土方歳三の実家が作ってたやつ!!
水戸黄門の印籠に入ってる薬は茹で過ぎたウドンだったような気がした(´・ω・`)
数年前、石田散薬の制作を体験してきました(笑)
今では内科と外科だけど、元は本道との対語で外道という含みがあったという噂。
19:05のとこの天然痘に関する、ところの背景の孝明天皇の字が違います。
孔明天皇(誤)
孝明天皇(正)
実家は無医村だったから学校で予防接種はやったけど病気で医者にかかった事は大学に入って都会(笑)に引っ越すまで無かったなあ
出産は近所のおばさん達が集まっての共同作業になってました
無医村なんてそんなもの
落語の風邪の神送りを思い出した.
当時神さん仏さん頼みだったのだろう.
日本にペストなどの悪質な伝染病が無かったのは幸いだ.
一応、現代日本でも中絶は違法です。が、母体の健康を害する(お金がないから不健康になりかねない、なども含む)、強姦による妊娠など、中絶しても良い特例があって、「希望者に無理やり特例を当てはめる」ということで事実上自由になってます。取り締まったのに効果がなかった江戸時代と大差ないかもしれませんね。
国際的にはそう(まさに法文通り)解釈されて『中絶後進国』とか評価されることもありますね
あと事実上の運用のヤバさ(実際は解釈で自由に堕胎できるんだが『ソレ』に対応する法律がない、整備されてない)を指摘して(逆に)『中絶やりほうだい』国(いいかげん国)と批判されることも両方ありますね(^_^;)
このあたりは『中絶』を宗教(価値判断)と絡めて解釈する他国(西洋)との違いなのかなとも思いますねえ💦(うちの母親が何も考えず最初に連れて行ってくれた神社が『水子供養』専門の神社だったの後で知ったの思い出しましたww
日本人はその辺(産まれる前に(残念ながら)おろすことが普通な時代のことと幼児死亡率が(これも残念ながら)高い時代のこと)いちいち区別しないんですよね(;´Д`))
探検隊みたいな帽子被った魔理沙
江戸わずらい。
当時白米は贅沢なもので庶民の憧れの食べ物だっただろうけど皮肉にも脚気の原因になったわけか。
こうしてみるとこち亀で署員達が高いコレステロール値を気にしてる中で青魚を中心に食べていた両さんが低コレステロールで異常なしであって、その時発したセリフが名言かもしれない
「初めて金持ちに勝った」
梅毒は高熱に弱いので、梅毒患者をあえてマラリアに感染させてマラリアによる高熱で梅毒の病原菌が死滅したのを確認してからマラリアを治療するという荒っぽい治療法があるそうな。
江戸の風呂屋は50℃近い熱湯だったそうだけど、それじゃあ治んないのかな(´・ω・`)?
梅毒はゆっくり死ぬ。熱中症はすぐ死ぬ。
普通の人はリスクを冒して完治させるより、ゆっくりと死ぬ方を選ぶんだよね。
あっつーい温泉で梅毒治療って話がありますね。
草津温泉はph2という強酸性で、皮膚病に効能があったそうです。昔は70~80cm四方の湯船が何十もあって、首だけ出して浸かっていたとか。
@@mizutansan594 草津温泉は懸賞で旅館一泊が当たって遊びに行ったことがありますが、街中にたくさん無料風呂があってびっくりしましたね。でも調子に乗って入りすぎると全身真っ赤になってすごく痛くなるというおまけつき。あれなら大抵の病気は治りそうな気がします
【刀傷】
刀傷も皮膚を縫い合わせるだけだって本当なのかな。
傷が内蔵に達していたら無理だよな。
魔理沙、麦わら帽子も似合いそう👒
夜鷹にはお花お千代
(お鼻落ちよ)はきつき事
そう言えば、昔小学校の給食で定期的に肝油と言うドロップの様なマシュマロの様なものを喰わされた。
あれも日本人に多い何かの病気対策で喰わされていた。と聞いた様な気が…
食べてみたかったです…amazonで買えるかな?
Green Leraie ドラッグストアにあるみたいですよ
うちみたいに虫歯にならない体質の歯の人はまりさや江戸時代のひとにはうらやましがられるだろうな
体質というか、親が口移しなんかで虫歯菌を移さなかったんだろうね。
3~4歳までに虫歯菌が無ければ、その後は虫歯にはならないそうだから。
親に無ければ、子供もならないとは思うけど。
@@熊五郎-k4v 虫歯は感染症なんだよね(´・ω・`)
「私は虫歯にならないから」
と言って歯磨き怠って
重度の歯周病になって歯が抜ける患者さんが実際に多いですよ。
歯周病に気をつけて
『解体新書』は春画でアレしてた成人男性が無修正ビニ本をゲットした的なアレかな。
きっと「いや、経絡図もなかなか良いモンなんだって」と言う一派が現代の東洋医学に。
右側の寝ている子は。獏可愛いですね
当時は牙科といってたかな。木杭を虫歯にあてて木づちで打ち付けてたとか。
古代エジプト人のよくある死因に歯槽膿漏があったというし、わからんでもない。
薬が旅のおみやげの定番になるときいて、滑舌法でおなじみの「外郎売り」を思い出しました(*´∀`*)
魔理ちゃんかわいい。
「江戸時代はエコで...」何ていうが、やっぱり現代が一番暮らしやすいよね。
性病は怖いですよね
独り身なら仕方ないけど世帯持ちなら・・・
薬といえば、山田浅右衛門が製造、販売していた薬があったけど、処刑された罪人の内臓から作られていたという効能があったのか疑問がある薬で山田浅右衛門は代々浪人なのに大名並みの収入があった。
小さい頃膝をコンコン叩かれて何だろうと思っていた。小学一年生の健康診断でもされた覚えがある。あれが脚気の検査だったんだわ。いつ頃やらなくなったのかなあ😃
このコロナ禍において日本での犠牲者が少ないのが判る様な内容ですね、病気に対する予防の知識や意識を持つ事が大事と。(-""-;)
江戸とは違いますが、ツツガムシ病も古来から日本人を苦しめてきましたね。
夏になると東北のある地域で猛威を振るう病気。
ダニが原因とは薄々わかっていて、虫を患部から掘り出す職業が専門にあったほど。
ツツガムシ病は現在も適切な治療をしないと致死率の高い恐ろしい病気です。
正確にいうと、白米が原因というより、副食を食べない偏食のせいでは。現在の我々も白米を食べている。また癪やせんきは、病名ではなく、症状名。
勉強になりました
贅沢病ってもう死語かなぁ
「幕府は何故対策を採らなかったか?」じゃなくて、「取りたくても取りようがなかった」が正解じゃないの?
確か長崎から江戸まで旅した西洋人の日記に旅の途中の農村などの住民に眼病を患っているものが多いが原因は目に染みる位に畑の肥え壺から沸き立つ悪臭ではないかと書いていますね。
中条流、惨いしわざで倉を建て、でしたっけ?
大変、興味深い話でしたが、江戸時代は避妊しなかったという話は、どうかと思います。
当時から既に、詰め紙、茎袋(きょうたい)、兜形等の避妊具の他、避妊薬も天女丸等が存在しております。(いずれも、効果のほどは怪しかったそうですが)
江戸時代の江戸の男性の生涯独身率は、本によっては、50%だとか80%だとか書かれていますが、
女房を持たずに、上は吉原、下は夜鷹(路上売春婦)で性行為を済ませる者が多かった事を考えれば、避妊はむしろ基本だったのではないかと。遊女は子供ができてしまっては商売を続けられませんので。
魔理沙可愛い
当時、梅毒・クラミジア等の性感染症流行したらしい
江戸時代に抗生物質ものなく感染したら死の病でした
現在でも性感染症は少なからず、います薬有っても手遅れ有るそうです
薬例(ペニシリン系抗生物質)
コロナもそうだけど、今も昔も、外国との交易や移民をすればするほど、病気が蔓延し、争いが起きる
解体新書展なんてあったなあ
にゃんこさん寝てます。もう一人寝てるのは何者さんですか。( 〃▽〃)?
バクじゃないかな?
ちなみに日本で科学肥料が導入された一番はじめはマッカーサー夫人のため生野菜(サラダ🥗)を人糞肥料💩に頼らず作ることになったから
人糞肥料を使っていた時代は、白菜の漬け物とか生野菜は食べてはダメだと祖母が言っていた。でも母は気にしなくて、良くぎょう虫の検査に引っ掛かったよ。
人間は多少不潔な環境に居るくらいのほうがかえって免疫力がついて健康に良いと思います。
幕府が梅毒の対策をしなかったのって罹患率がわかったところでもし禁止にでもしたら遊郭周りの経済や住民の精神がポンッと弾けて飛ぶからじゃないかな?
下手したら暴動が起きかねないくらいに。
単に治療法が無かっただけじゃないかと・・・(´・ω・`)
7歳までは神の内…だっけか?免疫力のない幼い子供の死亡率エグかったんだろうな…
前の会社にパチンコ依存症の人が居たけど金なくて脚気になってたなぁ
その人クビになったけど今生きてんのかな?
産婆さん最高‼︎
更新、大儀、大儀!
さぁ、おねえちゃん所に呑みに行くンゴ。(川○探検隊にで行くんか?)
巨人のヘルメット希望です!
そういえば昔オリックスにボラギ…じゃなかったセギノールっていう外人がいましたね。(笑)
堕胎は現代日本でも基本的には違法ですよ。例外的に堕胎できる条件があって、それが拡大解釈されて広く行われているだけで
薬と毒は紙一重ですな・・・
首切り役人お刀試し人の山田家は医者それとも薬屋どっちですか
子供の頃けっこう太ってて近所の医者に行くと「ちょっと太り過ぎ」と言われたのを覚えてる
ただその医者がデブかつ常に鼻詰まったような声で、子どもながらに「お前が言うか!」と思ってた。
こないだ実家帰ったらまだ健在だった
医者としてデブはデブなりに節制してるのかね?
熊の胆とか反魂胆とか、ちゃんと効くでー