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生きていることが奇跡な時代ですね。七五三の意味合いが良くわかりました。
実家は鳶職、六区六番組頭、先祖代々の江戸っ子です、お江戸の話しが好きで鬼平犯科帳の小説が好き、頭の中で江戸の街をイメージして現代の街を歩く、神社仏閣だけは色々開発があっても特別変わら無いと感じています、神社の空気感がすきですね❤お江戸にタイムスリップしたいなぁ
AIによるナレーションが多い中、新鮮でした。お着物も素敵でした。貝原益軒、読みたくなりました。
「心を守る」深すぎる言葉…
初めて拝見しました。以前見てた、NHKお江戸でござるに出演してた女の先生な感じでよいです。これから見ます。
「ストレスフリー」「メンタルヘルス」「ワークライフバランス」結局、長生きに必要なことは今も昔も変わらないみたいですね! 参考にさせていただきます!!
「昔の平均寿命が低いのは、乳児や子供の死亡率が高い」からで、「高齢者も結構多い」というのは、統計上のからくり、これ、途上国も同じですね。
まったくですよね。平均寿命が30歳だったら、30前後の人たちがバタバタ死んでいったら、それはそれで怖いです
着物姿が素敵です(^_^)。
結局、平均寿命は生存条件が激しいという意味になるのでしょう。現代に例えたら、人数だけで考えると偏差値50以上の高校や大学に進学出来ない人、転職する人は次々と亡くなっていくイメージか。それでも男性が女性より多かったというのは豊な証拠。厳しい時代は女性の方が多い。
戦後、平均寿命が急上昇したのは乳幼児の死亡率が減ったことが大きく影響したのは確かだろうけど、江戸時代の平均寿命意識の計算に神のうちの乳幼児分が入ってるとは思えないのと、乳幼児の死亡率がある程度安定した高度成長後は出生率の低下も含めて平均寿命の上昇に影響与えてるとは思えんけどな。あくまで平均だから長生きするのも若死にするのも多かったんだろうけど、この4、50年でも年寄りの概念が15、6年は高齢化してる。最高齢は変わらなくても90以上とか100越え、すっごい増えてる。
我が家の過去帳を見ると江戸時代のご先祖様は89歳まで生きた記録あったので、平均寿命30歳って聞くとイメージは完全に30歳前後でみんな亡くなるように思えちゃいますよね。現代の医療技術に感謝です!
1日5時間働いて年収500万。江戸の町の大工さんはエリートですね。
日本人の生活上の創意工夫が素晴らしくていいわぁ~♪
養生訓良いですね✨心静かに欲張らず、楽しむ事を心掛けます!😆
養生訓今も愛読してます笑
突然の返信を失礼いたします。65歳のシニアです。昔、15年から20年ぐらい前、某公共放送の教育番組で貝原益軒の養生訓についての番組がありました。その出版社に問い合わせれば入手可能かもしれません。ご参考にして頂ければ幸いです。
@@リボンの騎士ひろ Amazonとかで現代語訳の養生訓買えますよ。
@@at-pw6tt さま、ご返信ありがとうございました。
田家茶話六老之図の解説で今も昔も変わらないなぁと思いホッコりとした気持ちになりました。
いつもありがとうございます。江戸を知ると無事に“生きている”って本当に素晴らしいことだと実感します。今回の動画で“心”を大事にしているのが意外でしたが、長年の経験でメンタルヘルスの重要性をわかっていたんですね😊現代人も見習いたいところです。次回も楽しみにしています!
子どもが疫病に罹らないための風習や、健康に育ってることへのお祝いの儀式が、今も引き継がれてることは素晴らしい文化ですね生誕から老いまで、江戸庶民の代表的な人生の送り方を分かりやすく教えていただき、迚も為になりました
そんな絵文字どうやって出すんですか😮
@sachiko4594 【ほーりとお江戸、いいね!】のメンバーシップに加入されますと、これらの特典絵文字が使用できるようになります🎶
初めてみました。江戸の人々と現代人医療の発達は別にしておんなじですね✨いつの世も健康管理は関心が高いのですね😊
楽しく拝見しております。江戸人の一生で、幼年期から寺子屋、丁稚奉公と教育が必ず背景にあったのですねぇ。それによって識字率、算術力が非常に高い状態にあったので、日本人の人格形成に大きな影響をもたらしたと理解しました。
以前、江戸時代の老人が描かれた絵を探してなかなか見つからなかったことがあります(探し方が甘かったというのはありますが)。その時は江戸時代は寿命が短かったから老人が少なかったのだろうとか、老人は絵にならないから描かれなかったのだろうなどと解釈したことがあったのですが、六老之圖のようなものがあったんですね。いつも貴重な資料を見せていただき、勉強になっております。
健康でさえあれば今より何だかのんびりしていて気楽でこころ豊かな人生が送れてたのかもしれないですね❤
とても聞きやすく分かりやすい解説ありがとうございます❤何故だかわからないんですが、江戸の人々や文化が好きです。
最近 温故知新 になって 江戸にも関心が湧いてきましたご隠居さんなんて方もいましたねーつの動画 楽しみにしています❤
凄い‼️初めて観ましたがTV番組みたいな編集と構成で、大変勉強になります。チャンネル登録しました♪
久しぶりに動画を観た。やはり面白い。帯が可愛い。
就業時間が5時間弱で家賃も安いなら、今より恵まれた環境だな。
だから江戸時代の人は結構暇だった。だから伊勢参り旅行や、読書、浮世絵、談話、今で言うところのメイド喫茶であるお茶屋などの娯楽が沢山できて、今の日本のサブカルチャーの元祖が生まれた時代なんだよー。俺らがアニメや漫画を楽しめるのは江戸時代のお陰らしい
@@亜ボボ 時間はあり、尚且つ案外可処分所得はあった。それなのに、貯蓄・資産の退蔵が少ないので消費に回る。というか、町民は実質的に無税に近いしね。それで資本の蓄積と利潤の再投下の概念も希薄ならば、娯楽が文化になるわな。
@@平和の泉 農民が江戸に行くのは仕事を探してただけじゃくて、年貢から逃れるためだったりもするのかもね
@@亜ボボ それは所謂「逃散」ですね。幕府・諸藩の処罰対象なので天明飢饉などの危機時や江戸後期の社会混乱時以外はなかなか難しく、その後期も幕府は人返し令を度々出して帰農を促しました。通常で言う農民の江戸流入は、要するに、農地の単独相続が理由で、次男三男は長男の下男として生涯飼われるか別の生き方をするしかなかったからで、その選択肢として江戸に流入があった訳ですね。
@@平和の泉 じゃあ…俺が言った通りか
今回も、楽しく学ばせていただきました誕生から高齢になるまでわかりやすかったです医療が発展していなかった当時、神頼みや民間療法がとても大切なことだったんですね。「養生訓」がベストセラーになったのも納得です😄しかし、メンタルヘルスは昔も今も大切なんですね!今回の動画もすごくよかったですよ
江戸時代の健康法なんて栄養状態とか環境衛生かと思いきや「養生の術はまず心を守らなければはじまらない」とは意外でした。江戸時代でそれなら、メンタル厳しい現代社会でのメンタルヘルスの重要性はどんだけ?ですね。
そもそも医術が陰陽の気がどうとか言ってる時代だから。
面白い番組だ
明治24年の調査でも平均寿命は男42.8歳、女44.3歳。60才を越えたのは1950年代になってから。縄文時代の出土人骨の3割は65歳以上だったという話も
乳幼児の死亡率と共に昭和期でも厄年近辺での死亡率も高かっただろうと思います。今では壮年期に大病を患い現代医療で一命を取り留めその後養生して永く生きた人も少なくないですが結核が不治の病とされたのもそう遠くない昔だし抗生物質もなく外科手術もほとんどできなかった江戸時代では70歳以上長生きする人もいたがそれ以上に乳幼児の死亡率の高さや壮年期にちょっとした病で亡くなった人が今では考えられないくらい多かったと考えられます。
日清、日露で大分若い人は亡くなったんだろうから平均寿命も下がっただろうね。
面白かったです。さらっと上手くまとまっていて観やすかったです。
今の世の中人生100歳と言われてますが江戸時代100歳も生きたら仙人だね❗️
このセリフひとつひとつを読むと面白い。頭痛持ちの人、目が見えなくて困ります、おがんでいる人、お手を取っている人。悩みは今も昔も一緒ですね😊
心を守る、かあ……大切だよな。現代と比べて、大変なこと、辛いことは沢山あったかもしれない。でもここに、現代の日本が失ってしまったことがある気がする。
今は産後は寝て過ごすけど、江戸時代は産後に横になると頭に血が行くからと睡眠も取らせず座らせてたんですよね。寝落ちすると叩き起こされたとか。江戸時代のお母さん辛すぎるー😭
終わりの方で紹介された狂歌は吹いてしまいました。確かにその通りですね。で、「7歳までは神のうち」はその頃までに自然免疫を獲得するからですね。昔の人は良く見ていたということです。
お早う御座います!ホーリーさん今回は、江戸の庶民の男性の一生、ですね。昔は、出産それ自体が母子ともに死亡の危険が有りましたし、まずこの世に「オギャー」と生まれた瞬間から人生生き残りサバイバルの始まりだったんでしょう。実は自分も産婆さんに取りあげて貰ったらしくて、母親が出産当時のドタバタ劇の話しを良くしてくれます。6歳の時には伝染病に罹患し生死を彷徨ったとも、江戸時代なら死んでいたでしょう。お七夜、初宮参り、初食い始め、正月の玩具にも健やかな子供の成長を込める。江戸の人々にとっては、子供は宝物だったんでしょう。勿論現在でも宝物ですが、子供に対する愛情が昔の方が遙かに深いと思うのは自分だけでしょうか。
当時も心を大事にと説かれていたのなら、江戸期でも心が重くなる事はいくつもあったんでしょうね
ほーりーが、またYou Tubeを始めてくれてうれしい。
現在は医療も発達して、インターネットなどの情報も豊かで、寿命も長くなっています。また私が生きてきた昭和は江戸に近かったような気がしますけどね。
いつも楽しく見させていただいています。ほーりーさんの本では聞けない生の声にうきうきと江戸の生活を思い浮かべています。今度のお話でふと疑問に思ったことがあります。ご隠居さんはどうやって生活していたのでしょうか?年金もなかった時代、家賃や食費をどうやって工面していたのか気になってしまいました。いつか何かの機会に触れていただけたら嬉しいです。次のお話を楽しみにしています。
自分もあっという間び五十台半ばです。自分は人によりけりだけど「今の若い連中は⁉️」が出て来ましたね。長髪でも喧嘩好きでも口が悪くても茶バツでもダメージジーンズでも男子のイヤリングでも学歴も職歴も無用で結構です。多感な時期ですからね。但し最低限の挨拶の出来ない者はダメです。
素晴らしいチャンネルですね。欲を言えば、マイクの質を上げて頂いて、ポップガード等もあったら更に聞き心地もアップするかも。応援してます。
ラジオのころから聞いていました。いいね!
明治時代も子供の死亡率は江戸時代と変わらなかったらしいですね。大正時代になって水道水を塩素による殺菌を始めてから劇的に少なくなったと聞きます。
初めて見ました。とっても面白いです。登録しました。
いつも勉強させていただいております。江戸は男性超過のイビツな人口形態。生涯独身男性の老後も知りたいですね。私の知っている話では弟子入りを認める代わりに弟子に老後の世話を約束を約束させた話を聞いた事があります。
実家の仏壇にも位牌並んでいますが、「行年当歳」と書かれた位牌がいくつかあります。いずれも明治から大正にかけてのものですが、江戸時代なら尚更成人まで生きるのは難しかったのかなと…
江戸時代のご先祖のお墓が田舎にありますが、お墓に彫ってある死亡年齢は基本70歳超えてますね。中レベルの農民でもそのくらい長生きなので、江戸時代の農村は想像より豊かだったと思います。
都市部では脚気や疫病でバタバタ死んでいたから江戸・京都・大坂(+名古屋)は『死都』だったそうで。かといって初婚年齢は26歳前後で、今とあまり変わらない。『昔は早婚早産だった』なんていうのは明治以降の富国強兵策以降だそうで(鬼頭宏 人口から読む日本の歴史から)、『昔はああだこうだ』などは宗教屋の『未来は破滅』論並みに胡散臭い。UP主さんみたいに、こういう情報を出してくれたのはありがたいです。
貝殻益軒の『養生訓』。貝原の生き残りバイアスかかってそうだけれど、体験(者)から学ぶのも大事ですからね。
養生軒、本当健康の基礎は心からだよなー
心を守る事か〜
養生訓、素晴らしいですね😃読んでみたくなりました✨
大正生まれの母が小さい頃祖父は90歳くらいで寝ている間にぽっくり。だから江戸時代でも長生きしている人は多かっただろうね。
親知らずは歯が生えた頃には親は居ないて話を聞いた事があります。赤とんぼの歌で「15で姉やは嫁に行き」て歌詞があるから親4~50歳くらいが寿命だったのでは。
いつもラジオで声聴いてますよ。
1:40産婦さんは布団に産籠に座って冷えないように布団を掛けて貰っている姿、産婆さんは左側のお数珠を持っている人(多分)。寿命に関しては江戸川柳を見ると寿命50歳として25歳(ヴァンサンカンですね)を折り返しとしていたようです。ちなみに女性の厄年は19歳でした。短くても濃密な生き方が出来ていたとも思えます。ありがとうございます。
江戸時代の方が現代の建築業界よりも良い環境なんですね。
産湯の浸かり方海外でもやってました!昔の日本もそうだったんだー
大工さんはけっこう良い待遇だね。いまのほうが雇用が悪い😂
最後の狂歌いいですね今の年寄りそのもの😄この辺は100年200年経っても同じなのかもしれませんね
江戸時代は概ね15歳で元服、一番人気が大工さんで私がその時代に生きていたら、おそらくはうだつの全然上がらない立場で働く呼び出し太郎になっていたかも⁉️父が大工で母が蕎麦屋で働く雇われ女将の間に生まれ、15〜20歳まで大工→20〜25歳まで土方→25〜30歳まで名の知れた大名の江戸屋敷で住み込み生活したら、そこで家老の覚えめでたく下級藩士へ。30歳以降は名の知れた大名藩士から藩主の命令で江戸を離れ、地元での生活を送るようになってからは30〜35歳まで経理担当→35〜43歳まで経理主任→43歳以降は経理与力まで出世し63歳で引退、江戸屋敷へは35〜38歳時と43〜46歳時、そして51〜53歳時の3回といずれも参勤交代によるもので、引退した後江戸へ戻るも生まれ育った深川ではなく品川にて生活するようになり、藩士時代に習得した技術を活かして傘屋稼業を始め、そこが大当たりとなって大商いを営む商人になり、帯刀を許される身分になって一生を終えるなどと妄想する今日この頃でこの場を借りて失礼致しました‼️
7歳までは神のうちと言う言葉は子供が純粋という意味だと思ってました。7歳になるまで生き残る事を願う親の願いが七五三なのですね。現代と江戸の価値観の違いに驚きました。
時代に関わらず、またアフリカやアジア、欧米に関わらず、成人を無事過ぎた人は何歳まで生きたか?という統計をとらないと、正確な平均寿命は割り出せないよね。
丁稚奉公は昭和までありましたね
ただこれは都心部の江戸の話なんで、一般ではないですね。江戸や大阪はそうかもですが、八割以上いた農民は寺子屋にもいけないしもっと貧乏なため死亡率も高いです。あくまで江戸や大阪のレベルの例で、江戸時代は豊かだねとかは勘違いです。今でも東京の山手内に住んでる人の例を出されて、日本人は、、と間違えて錯覚するのと同じ現象です
眼鏡が有ったのがびっくりですね~年を取る事は経験が増える事なので悪くないと思いますが😢あちこち痛くなるのは難儀な者ですね😂
「七五三」の意味がわかりました。『七歳までは皆で大事に育てる』良い事だと思います。次は女の一生ですか?(笑)
楽しくみています。ところで、お話くださる内容は、どこから得られた知識なのでしょう。また、時代考証はどなたに習ったのでしょうか。杉浦日向子さんはしっかりした基礎と知識がありました。ので、信憑性がありました。
「七歳までは神の子」ちなみに母親の死亡立も高かった。
信じられないような時代でした、今は幸せ。でも現代の中での文化の紹介みたいなのは楽しいかもです。
昔も100歳近くまで生きる人がいたから「喜寿」「米寿」「白寿」の祝いがあった。現在の最高齢は110歳くらいだからその伸びは10歳程度でしかない。
江戸は喧嘩も多かったらしく、五体満足で生き延びるのは成人してからもなかなか大変だったという話を聞いたことがあります。
テレビでやるべき。今は赤ちゃんや子供をうるさいと言う大人が多いけど、神の子を大切にできてないから、地獄行きですね。大切なことがたくさん江戸時代には散りばめられていると思いました。
貝原益軒の養生訓、心を守る養生の術‼
現代にも参考になる話大工さんとか肉体労働系は勤務時間短く高給料にするしかないのか😊
現代では還暦や厄年は昔の風習の一つくらいにしか感じないが、昔は人生の区切りを表す重要な年齢だったと思う。七五三や元服を幼少期の区切りだとすれば、還暦や厄年は成人の区切り。そこまで生きれば、まずまずの人生であり多くの人はそのあたりで亡くなり、その先は長寿の域だったのかもしれない。
手習いは江戸、寺子屋は上方での呼び方だったはず。無事に成長してからは、平均50歳前後だったんじゃないかな。
江戸時代いいな
子どもの年ごとの行事は、今よりも死亡率が高いから「ああまた病やケガから逃れて生き延びてくれたね」とする親の思いが、現在よりも一段と強かったのですね。七五三のお祝いも現在では一度きりのお宮参りですが、何度も神頼みをして長生きを願ったのでしょう。着飾ることが中心の現在とはかなり違いますね。
今の独身男性の平均寿命が65歳と現代でも短いのと同じ。
温故知新。江戸の書物にはいいものがありますね。
戦国時代でも50歳が晩年って感覚なんだろうね。葛飾北斎は90近くまで生きたんだっけ?好きな事やるのが1番なのは今も変わらないのが面白い
何故か江戸の生活が気になります。マイブームは江戸時代です。
意識は普遍で永らえる…先人〜現代人色々思考錯誤して来て今がある‥
江戸時代は、今より休みも多いし、人間関係も近い、貧乏でも助け合って生きてたし、年収500万で長屋が6000円は羨ましいw
ワシの考察によれば、現代の暦に合わせると五十くらいが寿命と思う。人生五十年は昔の名残り。栄養不足が原因と思われる。すべての死亡のケースに流行り病は当てはまらない。結核が流行ったからといって人がバタバタ倒れるわけではないし。沖田総司を例に挙げると、周りの隊士で感染した話は聞いたことないし史料もない。どこかでウィルスをもらってきて発症、風邪と同じ原理と考えるのが無難かな。早逝は免疫系や先天性の病が関与してると推測する。江戸好きなので登録しました。今後のご活躍を楽しみにしています。
時代は変わっても老人あるある格言は現代にも通じますネ。そして未来にも
昔は日本以外でも同じでしょうね。子供が亡くなるのが多いのは、今でもアフリカの方ではそうなんですから。更に老人あるあるも昔から世界でも同じなんでしょう。昔のエジプトでも「今の若いもんは・・・・」ってかかれてたそうですしね。
貝原益軒って「健康のためには接して漏らさず(Hするけど最後まで行くなー)」とか言った人ですよね。理想的なメンタルの話もですが、現実的な身体や食事の話なんかも面白そうです。
声、しゃべり方ががいらしくて明るい番組になっていますね。教科書では知らないことが多く良い企画です。
江戸時代生まれも地球上に男性は昭和53年、女性は昭和56年までいましたよ。どちらもアメリカ。日本は男女共に昭和51年までいたので、長生きする人はする。明治生まれの男性も地球上で残り5人(そのうち1人が日本人)だけど、3人が中南米という結果も出てる。逆に江戸時代や貧しい国は何もかも高価だし、手に入るのも大変だから自然と粗食になるから長生きできたのかもしれない。
吉原女郎の平均寿命が25歳くらいというのも吉原では28歳で年季明けなので、吉原近くのお寺の無縁仏の過去帳には年季明けの女郎の記録がないためです
「病は気から」って言葉があるけど、病気なんか気持ちの問題だから気合いで乗り切れって事じゃなくて、養生訓にあるように健康は心を守ることから始まるって事だったのかなぁ?
江戸時代の庶民は今より自由で楽しく生きてるように見えるなぁ大工以外の年収がわからないけど500万あって長屋の家賃が6000円だったら、そりゃ飲む打つ、買う三昧出来たろうなぁ実働5時間も羨ましいねぇ流石に大工は花形だろうから、その他の職業の年収もわかればもっとイメージしやすくなるのになぁ
面白い!…………「通りゃんせ」って歌を思い出しました。「この子の七つのお祝いに、お札を納に参ります」…………と、あります。七つまで生きる保証がない世の中ならば、神頼み。「神職」「住職」は、さぞ商売になった事でしょう。「坊主丸儲け」などと揶揄する言葉もありますが、現代もほぼ同じような気がします。ちなみに、今は「令和」という時代です。この国にある、現代においても勉強になること。よく考えてみれば、必要のないもの。その選択肢は、現代にも日々日常に溢れていると思います。
なんか今の日本生きづらすぎて、この時代の生まれたかったなとか思う。
この頃は能力に応じたお仕事を自然と勧められたようで今よりずっと迷いない未来の足場があったようですね。復古してほしい社会構造の一つです。
火災による「スクラップ&ビルド」が常に起きていたから、職業の不安は少なかったのかも。
4:35で寺子屋ですけど、一日6時間ですと、お昼は自宅で食事でしようか?しかし、昔は週7日の概念もなく、ずっと毎日、寺子屋に通ったのでしようか? 農家だと考えにくい(地主は別として)と思ってしまいました。都会と地方の学習熱の差は、歴史があるのですね。
江戸時代って言ったって260〜70年間あるからねぇ。明治、大正、昭和、平成、令和全部足してもまだ足りない。信長が人生五十年と舞ってるから、戦乱が続いていた江戸初期でも30年はあり得ないんじゃない?縄文期?
心を養生する、とは江戸でもストレス社会だったのかねえ。
なるほどね。乳幼児死亡率が高かったから平均すると30歳ぐらいになっちゃう。乳幼児死亡分を除いた平均はおそらく50歳ぐらいかもしれないね。それでも今よりは低いがとりあえずは753まで成長できればとりあえずそんなもんぐらいは生きていた。解説のかた、江戸時代が好きなのね。なんか楽しそうに解説してる。江戸時代、悪いポイントもいろいろあったが、おもしろい点もあるよね。時代劇でしか知らないけど、江戸時代は日本にとっておもしろい時代だよね。ヨーロッパも中世がおもしろいけどね
明治大正のデータを見ても、五人に一人は一歳の誕生日を迎えられませんでした。ましてや江戸時代では。もし私が江戸時代に生まれていたら、たぶん大人にはなれなかったでしょう。
男女の意志で結婚出来た江戸庶民は当時のキリスト教世界とはまるで違う。
生きていることが奇跡な時代ですね。七五三の意味合いが良くわかりました。
実家は鳶職、六区六番組頭、先祖代々の江戸っ子です、お江戸の話しが好きで鬼平犯科帳の小説が好き、頭の中で江戸の街をイメージして現代の街を歩く、神社仏閣だけは色々開発があっても特別変わら無いと感じています、神社の空気感がすきですね❤お江戸にタイムスリップしたいなぁ
AIによるナレーションが多い中、新鮮でした。お着物も素敵でした。貝原益軒、読みたくなりました。
「心を守る」深すぎる言葉…
初めて拝見しました。
以前見てた、NHKお江戸でござるに出演してた女の先生な感じでよいです。これから見ます。
「ストレスフリー」「メンタルヘルス」「ワークライフバランス」
結局、長生きに必要なことは今も昔も変わらないみたいですね! 参考にさせていただきます!!
「昔の平均寿命が低いのは、乳児や子供の死亡率が高い」からで、「高齢者も結構多い」というのは、統計上のからくり、これ、途上国も同じですね。
まったくですよね。平均寿命が30歳だったら、30前後の人たちがバタバタ死んでいったら、それはそれで怖いです
着物姿が素敵です(^_^)。
結局、平均寿命は生存条件が激しいという意味になるのでしょう。
現代に例えたら、人数だけで考えると偏差値50以上の高校や大学に進学出来ない人、転職する人は次々と亡くなっていくイメージか。
それでも男性が女性より多かったというのは豊な証拠。
厳しい時代は女性の方が多い。
戦後、平均寿命が急上昇したのは乳幼児の死亡率が減ったことが大きく影響したのは確かだろうけど、江戸時代の平均寿命意識の計算に神のうちの乳幼児分が入ってるとは思えないのと、乳幼児の死亡率がある程度安定した高度成長後は出生率の低下も含めて平均寿命の上昇に影響与えてるとは思えんけどな。
あくまで平均だから長生きするのも若死にするのも多かったんだろうけど、この4、50年でも年寄りの概念が15、6年は高齢化してる。最高齢は変わらなくても90以上とか100越え、すっごい増えてる。
我が家の過去帳を見ると江戸時代のご先祖様は89歳まで生きた記録あったので、平均寿命30歳って聞くとイメージは完全に30歳前後でみんな亡くなるように思えちゃいますよね。現代の医療技術に感謝です!
1日5時間働いて年収500万。江戸の町の大工さんはエリートですね。
日本人の生活上の創意工夫が素晴らしくていいわぁ~♪
養生訓良いですね✨心静かに欲張らず、楽しむ事を心掛けます!😆
養生訓今も愛読してます笑
突然の返信を失礼いたします。65歳のシニアです。
昔、15年から20年ぐらい前、某公共放送の教育番組で貝原益軒の養生訓についての番組がありました。
その出版社に問い合わせれば入手可能かもしれません。
ご参考にして頂ければ幸いです。
@@リボンの騎士ひろ
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@@at-pw6tt さま、ご返信ありがとうございました。
田家茶話六老之図の解説で今も昔も変わらないなぁと思いホッコりとした気持ちになりました。
いつもありがとうございます。
江戸を知ると無事に“生きている”って本当に素晴らしいことだと実感します。
今回の動画で“心”を大事にしているのが意外でしたが、長年の経験でメンタルヘルスの重要性をわかっていたんですね😊
現代人も見習いたいところです。
次回も楽しみにしています!
子どもが疫病に罹らないための風習や、健康に育ってることへのお祝いの儀式が、今も引き継がれてることは素晴らしい文化ですね生誕から老いまで、江戸庶民の代表的な人生の送り方を分かりやすく教えていただき、迚も為になりました
そんな絵文字どうやって出すんですか😮
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初めてみました。江戸の人々と現代人医療の発達は別にしておんなじですね✨いつの世も健康管理は関心が高いのですね😊
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江戸人の一生で、幼年期から寺子屋、丁稚奉公と教育が必ず背景にあったのですねぇ。
それによって識字率、算術力が非常に高い状態にあったので、日本人の人格形成に
大きな影響をもたらしたと理解しました。
以前、江戸時代の老人が描かれた絵を探してなかなか見つからなかったことがあります(探し方が甘かったというのはありますが)。その時は江戸時代は寿命が短かったから老人が少なかったのだろうとか、老人は絵にならないから描かれなかったのだろうなどと解釈したことがあったのですが、六老之圖のようなものがあったんですね。
いつも貴重な資料を見せていただき、勉強になっております。
健康でさえあれば今より何だかのんびりしていて気楽でこころ豊かな人生が送れてたのかもしれないですね❤
とても聞きやすく分かりやすい解説ありがとうございます❤何故だかわからないんですが、江戸の人々や文化が好きです。
最近 温故知新 になって 江戸にも関心が湧いてきました
ご隠居さんなんて方もいましたねー
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時間はあり、
尚且つ案外可処分所得はあった。
それなのに、貯蓄・資産の退蔵が少ないので消費に回る。
というか、町民は実質的に無税に近いしね。
それで資本の蓄積と利潤の再投下の概念も希薄ならば、
娯楽が文化になるわな。
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@@亜ボボ
それは所謂「逃散」ですね。
幕府・諸藩の処罰対象なので天明飢饉などの危機時や江戸後期の社会混乱時以外はなかなか難しく、その後期も幕府は人返し令を度々出して帰農を促しました。
通常で言う農民の江戸流入は、要するに、農地の単独相続が理由で、次男三男は長男の下男として生涯飼われるか別の生き方をするしかなかったからで、
その選択肢として江戸に流入があった訳ですね。
@@平和の泉 じゃあ…俺が言った通りか
今回も、楽しく学ばせていただきました誕生から高齢になるまでわかりやすかったです医療が発展していなかった当時、神頼みや民間療法がとても大切なことだったんですね。「養生訓」がベストセラーになったのも納得です😄しかし、メンタルヘルスは昔も今も大切なんですね!今回の動画もすごくよかったですよ
江戸時代の健康法なんて栄養状態とか環境衛生かと思いきや「養生の術はまず心を守らなければはじまらない」とは意外でした。江戸時代でそれなら、メンタル厳しい現代社会でのメンタルヘルスの重要性はどんだけ?ですね。
そもそも医術が陰陽の気がどうとか言ってる時代だから。
面白い番組だ
明治24年の調査でも平均寿命は男42.8歳、女44.3歳。60才を越えたのは1950年代になってから。縄文時代の出土人骨の3割は65歳以上だったという話も
乳幼児の死亡率と共に昭和期でも厄年近辺での死亡率も高かっただろうと思います。
今では壮年期に大病を患い現代医療で一命を取り留めその後養生して永く生きた人も少なくないですが結核が不治の病とされたのもそう遠くない昔だし抗生物質もなく外科手術もほとんどできなかった江戸時代では70歳以上長生きする人もいたがそれ以上に乳幼児の死亡率の高さや壮年期にちょっとした病で亡くなった人が今では考えられないくらい多かったと考えられます。
日清、日露で大分若い人は亡くなったんだろうから平均寿命も下がっただろうね。
面白かったです。
さらっと上手くまとまっていて
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今の世の中
人生100歳と言われてますが江戸時代
100歳も生きたら
仙人だね❗️
このセリフひとつひとつを読むと面白い。頭痛持ちの人、目が見えなくて困ります、おがんでいる人、お手を取っている人。悩みは今も昔も一緒ですね😊
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現代と比べて、大変なこと、辛いことは沢山あったかもしれない。でもここに、現代の日本が失ってしまったことがある気がする。
今は産後は寝て過ごすけど、江戸時代は産後に横になると頭に血が行くからと睡眠も取らせず座らせてたんですよね。寝落ちすると叩き起こされたとか。
江戸時代のお母さん辛すぎるー😭
終わりの方で紹介された狂歌は吹いてしまいました。確かにその通りですね。で、「7歳までは神のうち」はその頃までに自然免疫を獲得するからですね。昔の人は良く見ていたということです。
お早う御座います!ホーリーさん
今回は、江戸の庶民の男性の一生、ですね。
昔は、出産それ自体が母子ともに死亡の危険が有りましたし、まずこの世に「オギャー」と生まれた瞬間から人生生き残りサバイバルの始まりだったんでしょう。
実は自分も産婆さんに取りあげて貰ったらしくて、母親が出産当時のドタバタ劇の話しを良くしてくれます。6歳の時には伝染病に罹患し生死を彷徨ったとも、江戸時代なら死んでいたでしょう。
お七夜、初宮参り、初食い始め、正月の玩具にも健やかな子供の成長を込める。江戸の人々にとっては、子供は宝物だったんでしょう。勿論現在でも宝物ですが、子供に対する愛情が昔の方が遙かに深いと思うのは自分だけでしょうか。
当時も心を大事にと説かれていたのなら、江戸期でも心が重くなる事はいくつもあったんでしょうね
ほーりーが、またYou Tubeを始めてくれてうれしい。
現在は医療も発達して、インターネットなどの情報も豊かで、寿命も長くなっています。また私が生きてきた昭和は江戸に近かったような気がしますけどね。
いつも楽しく見させていただいています。ほーりーさんの本では聞けない生の声にうきうきと江戸の生活を思い浮かべています。今度のお話でふと疑問に思ったことがあります。ご隠居さんはどうやって生活していたのでしょうか?年金もなかった時代、家賃や食費をどうやって工面していたのか気になってしまいました。いつか何かの機会に触れていただけたら嬉しいです。次のお話を楽しみにしています。
自分もあっという間び五十台半ばです。自分は人によりけりだけど「今の若い連中は⁉️」が出て来ましたね。長髪でも喧嘩好きでも口が悪くても茶バツでもダメージジーンズでも男子のイヤリングでも学歴も職歴も無用で結構です。多感な時期ですからね。但し最低限の挨拶の出来ない者はダメです。
素晴らしいチャンネルですね。
欲を言えば、マイクの質を上げて頂いて、ポップガード等もあったら更に聞き心地もアップするかも。応援してます。
ラジオのころから聞いていました。いいね!
明治時代も子供の死亡率は江戸時代と変わらなかったらしいですね。
大正時代になって水道水を塩素による殺菌を始めてから劇的に少なくなったと聞きます。
初めて見ました。とっても面白いです。登録しました。
いつも勉強させていただいております。
江戸は男性超過のイビツな人口形態。生涯独身男性の老後も知りたいですね。
私の知っている話では弟子入りを認める代わりに弟子に老後の世話を約束を約束させた話を聞いた事があります。
実家の仏壇にも位牌並んでいますが、「行年当歳」と書かれた位牌がいくつかあります。
いずれも明治から大正にかけてのものですが、江戸時代なら尚更成人まで生きるのは難しかったのかなと…
江戸時代のご先祖のお墓が田舎に
ありますが、お墓に彫ってある
死亡年齢は基本70歳超えてますね。中レベルの農民でもそのくらい長生きなので、江戸時代の農村は想像より豊かだったと思います。
都市部では脚気や疫病でバタバタ死んでいたから江戸・京都・大坂(+名古屋)は『死都』だったそうで。
かといって初婚年齢は26歳前後で、今とあまり変わらない。『昔は早婚早産だった』なんていうのは明治以降の富国強兵策以降だそうで(鬼頭宏 人口から読む日本の歴史から)、『昔はああだこうだ』などは宗教屋の『未来は破滅』論並みに胡散臭い。UP主さんみたいに、こういう情報を出してくれたのはありがたいです。
貝殻益軒の『養生訓』。
貝原の生き残りバイアスかかってそうだけれど、体験(者)から学ぶのも大事ですからね。
養生軒、本当健康の基礎は心からだよなー
心を守る事か〜
養生訓、素晴らしいですね😃読んでみたくなりました✨
大正生まれの母が小さい頃祖父は90歳くらいで寝ている間にぽっくり。だから江戸時代でも長生きしている人は多かっただろうね。
親知らずは歯が生えた頃には親は居ないて話を聞いた事があります。
赤とんぼの歌で「15で姉やは嫁に行き」て歌詞があるから親4~50歳くらいが寿命だったのでは。
いつもラジオで声聴いてますよ。
1:40産婦さんは布団に産籠に座って冷えないように布団を掛けて貰っている姿、産婆さんは左側のお数珠を持っている人(多分)。寿命に関しては江戸川柳を見ると寿命50歳として25歳(ヴァンサンカンですね)を折り返しとしていたようです。ちなみに女性の厄年は19歳でした。短くても濃密な生き方が出来ていたとも思えます。ありがとうございます。
江戸時代の方が現代の建築業界よりも良い環境なんですね。
産湯の浸かり方海外でもやってました!昔の日本もそうだったんだー
大工さんはけっこう良い待遇だね。いまのほうが雇用が悪い😂
最後の狂歌いいですね
今の年寄りそのもの😄
この辺は100年200年経っても同じなのかもしれませんね
江戸時代は概ね15歳で元服、
一番人気が大工さんで私がその
時代に生きていたら、おそらくは
うだつの全然上がらない立場で働く
呼び出し太郎になっていたかも⁉️
父が大工で母が蕎麦屋で働く雇われ女将の間に生まれ、15〜20歳まで
大工→20〜25歳まで土方→
25〜30歳まで名の知れた大名の江戸屋敷で住み込み生活したら、そこで家老の覚えめでたく下級藩士へ。
30歳以降は名の知れた大名藩士から
藩主の命令で江戸を離れ、地元での
生活を送るようになってからは30〜35歳まで経理担当→35〜43歳まで経理主任→43歳以降は経理与力まで出世し63歳で引退、江戸屋敷へは
35〜38歳時と43〜46歳時、そして51〜53歳時の3回といずれも
参勤交代によるもので、引退した後
江戸へ戻るも生まれ育った深川ではなく品川にて生活するようになり、藩士時代に習得した技術を活かして
傘屋稼業を始め、そこが大当たりと
なって大商いを営む商人になり、
帯刀を許される身分になって一生を
終えるなどと妄想する今日この頃で
この場を借りて失礼致しました‼️
7歳までは神のうちと言う言葉
は子供が純粋という意味だと思ってました。7歳になるまで生き残る事を願う親の願いが七五三なのですね。現代と江戸の価値観の違いに驚きました。
時代に関わらず、またアフリカやアジア、欧米に関わらず、成人を無事過ぎた人は何歳まで生きたか?
という統計をとらないと、正確な平均寿命は割り出せないよね。
丁稚奉公は昭和までありましたね
ただこれは都心部の江戸の話なんで、一般ではないですね。江戸や大阪はそうかもですが、八割以上いた農民は寺子屋にもいけないしもっと貧乏なため死亡率も高いです。あくまで江戸や大阪のレベルの例で、江戸時代は豊かだねとかは勘違いです。今でも東京の山手内に住んでる人の例を出されて、日本人は、、と間違えて錯覚するのと同じ現象です
眼鏡が有ったのがびっくりですね~年を取る事は経験が増える事なので悪くないと思いますが😢あちこち痛くなるのは難儀な者ですね😂
「七五三」の意味がわかりました。『七歳までは皆で大事に育てる』良い事だと思います。次は女の一生ですか?(笑)
楽しくみています。ところで、お話くださる内容は、どこから得られた知識なのでしょう。また、時代考証はどなたに習ったのでしょうか。杉浦日向子さんはしっかりした基礎と知識がありました。ので、信憑性がありました。
「七歳までは神の子」
ちなみに母親の死亡立も高かった。
信じられないような時代でした、今は幸せ。でも現代の中での文化の紹介みたいなのは楽しいかもです。
昔も100歳近くまで生きる人がいたから「喜寿」「米寿」「白寿」の祝いがあった。
現在の最高齢は110歳くらいだからその伸びは10歳程度でしかない。
江戸は喧嘩も多かったらしく、五体満足で生き延びるのは成人してからもなかなか大変だったという話を聞いたことがあります。
テレビでやるべき。
今は赤ちゃんや子供をうるさいと言う大人が多いけど、神の子を大切にできてないから、地獄行きですね。
大切なことがたくさん江戸時代には散りばめられていると思いました。
貝原益軒の養生訓、心を守る養生の術‼
現代にも参考になる話
大工さんとか肉体労働系は勤務時間短く高給料にするしかないのか😊
現代では還暦や厄年は昔の風習の一つくらいにしか感じないが、昔は人生の区切りを表す重要な年齢だったと思う。七五三や元服を幼少期の区切りだとすれば、還暦や厄年は成人の区切り。そこまで生きれば、まずまずの人生であり多くの人はそのあたりで亡くなり、その先は長寿の域だったのかもしれない。
手習いは江戸、寺子屋は上方での呼び方だったはず。
無事に成長してからは、平均50歳前後だったんじゃないかな。
江戸時代いいな
子どもの年ごとの行事は、今よりも死亡率が高いから「ああまた病やケガから逃れて生き延びてくれたね」とする親の思いが、現在よりも一段と強かったのですね。七五三のお祝いも現在では一度きりのお宮参りですが、何度も神頼みをして長生きを願ったのでしょう。着飾ることが中心の現在とはかなり違いますね。
今の独身男性の平均寿命が65歳と現代でも短いのと同じ。
温故知新。江戸の書物にはいいものがありますね。
戦国時代でも50歳が晩年って感覚なんだろうね。葛飾北斎は90近くまで生きたんだっけ?好きな事やるのが1番なのは今も変わらないのが面白い
何故か江戸の生活が気になります。マイブームは江戸時代です。
意識は普遍で永らえる…先人〜現代人色々思考錯誤して来て今がある‥
江戸時代は、今より休みも多いし、人間関係も近い、貧乏でも助け合って生きてたし、年収500万で長屋が6000円は羨ましいw
ワシの考察によれば、現代の暦に合わせると五十くらいが寿命と思う。人生五十年は昔の名残り。栄養不足が原因と思われる。
すべての死亡のケースに流行り病は当てはまらない。結核が流行ったからといって人がバタバタ倒れるわけではないし。沖田総司を例に挙げると、周りの隊士で感染した話は聞いたことないし史料もない。どこかでウィルスをもらってきて発症、風邪と同じ原理と考えるのが無難かな。
早逝は免疫系や先天性の病が関与してると推測する。
江戸好きなので登録しました。今後のご活躍を楽しみにしています。
時代は変わっても老人あるある格言は現代にも通じますネ。そして未来にも
昔は日本以外でも同じでしょうね。
子供が亡くなるのが多いのは、今でもアフリカの方ではそうなんですから。
更に老人あるあるも昔から世界でも同じなんでしょう。
昔のエジプトでも「今の若いもんは・・・・」ってかかれてたそうですしね。
貝原益軒って「健康のためには接して漏らさず(Hするけど最後まで行くなー)」とか言った人ですよね。理想的なメンタルの話もですが、現実的な身体や食事の話なんかも面白そうです。
声、しゃべり方ががいらしくて明るい番組になっていますね。
教科書では知らないことが多く良い企画です。
江戸時代生まれも地球上に男性は昭和53年、女性は昭和56年までいましたよ。どちらもアメリカ。
日本は男女共に昭和51年までいたので、長生きする人はする。
明治生まれの男性も地球上で残り5人(そのうち1人が日本人)だけど、3人が中南米という結果も出てる。
逆に江戸時代や貧しい国は何もかも高価だし、手に入るのも大変だから自然と粗食になるから長生きできたのかもしれない。
吉原女郎の平均寿命が25歳くらいというのも吉原では28歳で年季明けなので、吉原近くのお寺の無縁仏の過去帳には年季明けの女郎の記録がないためです
「病は気から」って言葉があるけど、病気なんか気持ちの問題だから気合いで乗り切れって事じゃなくて、養生訓にあるように健康は心を守ることから始まるって事だったのかなぁ?
江戸時代の庶民は今より自由で楽しく
生きてるように見えるなぁ
大工以外の年収がわからないけど500万あって
長屋の家賃が6000円だったら、そりゃ飲む
打つ、買う三昧出来たろうなぁ
実働5時間も羨ましいねぇ
流石に大工は花形だろうから、その他の職業の
年収もわかればもっとイメージしやすくなるのになぁ
面白い!…………
「通りゃんせ」って歌を思い出しました。
「この子の七つのお祝いに、お札を納に参ります」…………と、あります。
七つまで生きる保証がない世の中ならば、神頼み。「神職」「住職」は、さぞ商売になった事でしょう。
「坊主丸儲け」などと揶揄する言葉もありますが、現代もほぼ同じような気がします。
ちなみに、今は「令和」という時代です。
この国にある、現代においても勉強になること。よく考えてみれば、必要のないもの。
その選択肢は、現代にも日々日常に溢れていると思います。
なんか今の日本生きづらすぎて、この時代の生まれたかったなとか思う。
この頃は能力に応じたお仕事を自然と勧められたようで今よりずっと迷いない未来の足場があったようですね。復古してほしい社会構造の一つです。
火災による「スクラップ&ビルド」が常に起きていたから、
職業の不安は少なかったのかも。
4:35で寺子屋ですけど、一日6時間ですと、お昼は自宅で食事でしようか?
しかし、昔は週7日の概念もなく、ずっと毎日、寺子屋に通ったのでしようか? 農家だと考えにくい(地主は別として)と思ってしまいました。
都会と地方の学習熱の差は、歴史があるのですね。
江戸時代って言ったって260〜70年間あるからねぇ。
明治、大正、昭和、平成、令和全部足してもまだ足りない。
信長が人生五十年と舞ってるから、戦乱が続いていた江戸初期でも30年はあり得ないんじゃない?縄文期?
心を養生する、とは江戸でもストレス社会だったのかねえ。
なるほどね。乳幼児死亡率が高かったから平均すると30歳ぐらいになっちゃう。
乳幼児死亡分を除いた平均はおそらく50歳ぐらいかもしれないね。
それでも今よりは低いがとりあえずは753まで成長できればとりあえずそんなもんぐらいは生きていた。
解説のかた、江戸時代が好きなのね。なんか楽しそうに解説してる。
江戸時代、悪いポイントもいろいろあったが、おもしろい点もあるよね。
時代劇でしか知らないけど、江戸時代は日本にとっておもしろい時代だよね。
ヨーロッパも中世がおもしろいけどね
明治大正のデータを見ても、五人に一人は一歳の誕生日を迎えられませんでした。ましてや江戸時代では。もし私が江戸時代に生まれていたら、たぶん大人にはなれなかったでしょう。
男女の意志で結婚出来た江戸庶民は当時のキリスト教世界とはまるで違う。