Why do we need a footage like this? It's shocking how we're ignorant of our past. The only source may be TV drama or movie, but who cares about the background scene? Isn't this kind of thing to be learned at school? That's our history! Thank you so much for posting with such details!
たまたまおすすめに出てきたのでなんとなく見ていたのですが、5年前に亡くなった祖母が認知症になる前、よく使っていた言葉がたくさん出てきて 上手く言葉には言い表せないなんとも言えない気持ちになりました。ネコイタとかエモンカケとかすんごく懐かしくって、生前の元気だった頃の祖母を思い出しました。どれだけ時代が便利になろうと、古くからの知恵ってやっぱり凄いものですね。あたたかい気持ちになれました、ありがとうございます。
物は豊かだが、心は貧しい現代と、
物は少なくても、心が豊かな江戸の暮らし。
昭和30年代生まれなので、子供の頃の生活を思い起こさせるものがたくさんありました。火鉢とか蚊帳とか普通に使ってました。売り子がよく通りを歩いてました。実家が店をやっていたので、店の中まで入ってくることも珍しくありませんでした。
この動画に出会って、江戸時代にハマりそうです…😮✨✨
朝は納豆や色んな物が家の前まで売りにくる、便利だね。
高台から江戸の街並みを写した古写真を見たことありますが、今みたいに高いビルが全くないので、全て瓦屋根で統一感があり、空が広く、非常に美しい光景でした。この時代の人達って現代人より情緒的に優れていたと思う。
国家統制だったからですよ。 都市づくり、建築に個人の自由は認められなかった。 徹底した規制。 長屋も幕府が防災と防衛目的で建設した官営市民住宅のようなもの。
個人所有が認められていないから賃貸であり、非常時には有無言わさず取り壊される。 情緒とか関係ない。 情緒は許された範囲内で楽しみ発展させた。
今は冷蔵庫あるし通販できるし
そこまで厳しく統制されてたのかな?
@@Y.S.494 適当なこと言ってんな。国家統制も何も国家なんてなかったじゃん。本当に学校行った?
昭和30-40年代に、長屋で家族5人でくらしていました。お風呂はないので家族でほぼ毎日銭湯に通っていました。
長屋は土壁一枚で隣りと隔てられていたため、隣りの話し声は丸聞こえ。夏は戸を開け放して、蚊帳をつるして蚊帳の中で寝ていました。雨の日は雨漏りが5箇所くらいあって洗面器を置いて寝ました。土間のつくりも同じでした。ものを捨てない時代でしたので、新しいものは簡単に買わなかった。現金買いの時代でした。長屋の家賃は7000円でした。
私も昭和30年代、6歳くらいまで、家族4人と長屋に住んでいました。
壁を隔てて隣には、父親の家族が4人。
水道は通っていましたが、共同の井戸もあり、冷蔵庫が普及してなかった時代でもあり、そこでスイカなど冷やしました。
ご近所誘い合って毎日戦闘へ出かけた、なつかしい時代ですね。
@@ひめにゃん-r5c
冷蔵庫は一番したの空間に氷屋から買った氷の塊を置いて冷やしていました。それとは別に水がめに水をいれて、その中にすいかを丸ごといれて冷やしていました。
平成に生まれてよかった
惨めさを誤魔化すような不幸自慢とかしなくてすんだもん
@@vcwvpzq
不幸じゃないよ。だって、当時は平均庶民はみな長屋にすんでいたからね。その後、皆郊外に一戸建て住宅を購入して移動して行った。わたしの両親もそういった日本人の一人であり、わたしも兄弟も大学を卒業させてもらった。感謝でしかない。
戦闘はアカン…
これといった財産がなくても貯蓄がなくても生きていけた 江戸時代は 違う意味で豊かな国だった
豊かさの価値観が現代と全く違うんですよね。ミニマリストは、ある意味原点回帰かも。大好きなお気に入りのものだけに囲まれて暮らす、本当に豊かな生活だと思います😊
@@Sara-o6n3m
当時の日本人の骨を見てみろ
みんな栄養失調で、貧乏なりに頑張って生きていたというのが実情だろ
よく火事が起こって貯めても全て燃える
江戸時代の賃金労働者は14~15時くらいに仕事を終えてその日の給金をほぼ使いきったらしいね 今と違い金を管理する術がなかったんで家に置いて盗られたり火事で焼けたりでアホらしいから 宵越しの銭はもたねえ ってのはここから発祥した言葉
いや、いや、美化しすぎ😂貧乏,これが間違いなく、江戸時代の日本は貧乏だ♪
私は陸上自衛官ですが、江戸の長屋生活は、なんか独身時代の営内班(独身寮)での生活に似て親近感を感じますね!
頑張ってください。
ありがとうございます😊
江戸時代にタイムスリップしても生きていけそう
@@ii2457
確かに。w
ニキかっこいい!
プライバシーがないから、否応なく相互監視する環境に置かれていたんだろうな。
日本人が空気を読むようになったのはこういう環境がベースになっているのかも。
適当なこと言ってるな。文系はいいね。
@@ogikubo15理系は文系バカにした気になるだけで頭良くなった気になれていいね
大学で京都の話になったとき
逆に都会の方が人数が多いため相互監視が緩くなるためマナーが発達したと習ったことがあります。
確かに田舎の方がよその人が入ってきた時に監視が厳しいですし、古くから住んでいる人の俺ルールが多い傾向にあるので
江戸の町が相互監視する環境の原因というわけではないと思います。
平成生まれの30歳ですが、数年前に結婚で家を出るまでボットントイレ(死語?)、土壁、井戸水のお風呂で毎日火を起こしてくれて入っていましたよー!
実家も建て直してしまって、祖母も亡くなり寂しいです。
落ち着いたら古民家で昔ながらの生活がしたいです。
私は今58才ですが、私がこどもの頃、家におひつがあって使ってたんですよ。夏には蚊帳をつって寝たし、お風呂は薪で沸かしていました。幼稚園の頃はまだ扇風機が家になかったので、夏の夜は母に団扇で扇いでもらいながら寝ていました。今じゃ考えられませんが、春にツバメが家の中に巣を作って子育てした事もありました(小学校に上がる前ですが、田舎だったので、ツバメが巣を作ると縁起がいいという事で、追い払うことはしなかったのです。当然フンが落ちるので、下に新聞紙を敷いていました。子育ての間はずっとツバメが自由に通れるように玄関の戸を透かしていたんですよ)。今と比べたらずっと不便だったけど、当時はそれが当たり前だったので、不便でイヤだとも思いませんでした。今思い返せば、あの頃が懐かしいです。
わかります。
懐かしく子供の頃を思い出すと、不便だったりはあったとしてもやはり風情がありました。四季が物でも楽しめました。
😅
うちも薪で風呂焚いてたな 蚊帳なんて若い人は知らないだろうねw
@@ラシアザ-v2i 様 家は農家で、おばあさんが明治生まれだったので、昔の古道具がけっこうあったんですよ。冬は炬燵といっしょに練炭火鉢も使っていたし、魚を焼くときは庭で七輪で焼いていました。当時の田舎では別に珍しくなかったと思いますが、今では懐かしいですよね。
@@加藤由美子-o2k
うちも田舎だったんで似たようなもんです 昔の家は断熱0なんで練炭火鉢活躍しました 今みたいな空調設備がなかったんで冬は耐え夏は快適に暮らすってのが当時の田舎の家だったんでしょうね。
イザベラバードの話だと『日本には貧乏はあっても(心の)貧困はない』と。
一包みのお菓子をあげると家族みんなでわけた。みんな貧乏だったが泥棒は全くいなかった。😢家族全員が仲が良かったそう。
江戸期の庶民的な生活が蘇ってくる様な気持ちに成りました。私のご先祖もそこの一角にお世話になったかなーと。😊。また他の庶民的な話題教えてください。❤
蚊帳は昔住んでいた家で昭和57年(1982年)まで使っていました。😃
今でも長屋は普通にありますね。名前はテラスハウスとかレオパレスとかカタカナになってますけど、声が筒抜けなところといい、一部屋だけのところといい、ちゃんと定義通りです。
五徳の脇に猫が丸まって寝ている浮世絵が可愛らしいですね。
上京したばかりの風呂無し四畳半生活が懐かしい......
深川江戸資料館に行って来ました!
SDG’s何て遅れてる〜と思うしかない
完璧なるエコロジーの世界。
然も皆んなに優しく楽しい😀
ヴェニスばりの水路で繋がる町々
きっと素敵だったろうな💓
この動画見たら古典落語を聞きたくなりますね。
長屋の花見、三軒長屋、人情八百屋、、
私の親戚が墨田区や台東区に住んでいましたが、スカイツリーの周辺に長屋がまだありました❣️
今でもまだ一部、残っていると思いますよ🥰
すごく合理的な生活をしてたんだなー
今の70代、80代の人たちが子どもの頃にはギリギリ江戸時代生まれの人が生きてたと思うのでその人たちが使っていた言葉や文化は直接伝わるから150〜200年くらい前なら全然身近な感じかもなあ
いやあ、さすがに江戸時代生まれの人には会ったことがないなあ。今と違って短命だったので、60歳くらいの人はよぼよぼだったよ。80歳以下は第二次世界大戦も知らないんだもの。
@@87hana31 確かに今より寿命は短いですね。けど昭和20年生まれの人が10歳くらいの頃に90代の人が周りにいればギリギリ江戸時代生まれなのであり得なくないなと思いましたので
だからその子の親世代は確実江戸時代生まれと接してるから言葉や文化はわりと直に伝わりそうですよね
ありがとうございます
素人落語をやっているので、イメージがしやすくなりました。
慌しい朝の様子など、今の生活と基本的には変わらなかったんですね。
もちろん電化製品が無いので、家事の一つ一つが大変だった事でしょう。
日の出とともに起き、日の入りとともに床につく生活… これが本来、人間にとって一番快適で理に適った暮らしだったんでしょうね。
こういうの見てたら故郷を思い出すみたいに心が疼く
とても良い内容でした。感謝。リタイヤして、イラストの仕事してましたが、好きなイラストを描きたいと考えてました。それは日本史の中で表に出ない当時の庶民の暮らしがテーマでしたが資料集めが滞ってました。とても丁寧な説明でしかも画像はしっかりしているので役に立ちます。友人に言わせるとそんな地味なイラストは誰も見向きもしないだろうと言われました。そりゃきれいな着物の女性の方がいいかもと迷ってましたが、思い直すチャンスをありがとう。
こんにちは😄❗そのな絵待っていました❗❗いつか会えます様に❗願っています❗有難うございます🙏❗😊
❤ご縁の良さを見せてもらいました。嬉しい😃💕
とてもいいと思います。見られる日を楽しみにしています😊
落語の小ネタ に 有りました。長屋の子供が遊び仲間に 『俺んち 広く 成ったんだ! 』
『良いな~ 引っ越したのか?』
『違うわ~い…・・箪笥と長持 父ちゃんが質屋に売ったんだ。』
豊富な画像資料も相まって分かりやすい
イザベラ・バードの記録を見ると、江戸と田舎では全くの別世界で、山間部の集落などでは木綿の着物すらない石器時代のような世界もあったようですね。そうした所では平安時代でも幕末でも大した違いはなかったのかもしれません。
「武士(上士)」や「江戸」といった、当時はほんの上澄みのような存在だったものが、時代が過ぎるとまるで日本そのものを代表するもののように扱われていくのは面白いものです。伝統というものは事実よりも情報と憧れによって作られるのでしょうかね。
東京の下町育ちですが、改めて江戸庶民の生活ってまさに現代の下町の原型だったんだなぁと気づきました。
東京の下町は荒っぽいから好きになれないざます
昔下町の三軒長屋に住んでたことがあって、裏の勝手口から出ると歩行者しか通れないような細い路地が他の長屋との連絡通路みたいに繋がってたのを思い出しました。今考えると江戸期の長屋の構造を引き継いでいたのかもしれません
当時の江戸は火事が出た時 直ぐ逃げ出すため 最小限の物しか置かないと聞きました
宵越しの銭は〜って言うのも火事の時に全部パーになってしまうからだったそうてすね
最近お気に入りのチャンネルです。江戸の生活や文化が分かりやすく簡潔にまとめられていてとても楽しいです。
これからも応援しています。
おそらく当時も、そして現代までも、世界一流の市民社会、合理的且つエコな生き方。これでいいんだ、と思わせるところがある。この延長線上に多分日本の未来の生活哲学がある・・・【社会は豊かに個人は質素に】(土光敏夫) 俺の家、庭も家も大きくて広くて疲れた。
いい時代ですね、解説を聞きながら情景を想像しました。江戸時代は食、娯楽、様々な文化が発達しているし素晴らしいですね。同時代のヨーロッパと比べると、江戸の街は非常に衛生的だったそうです。
とはいえ江戸時代は医学がそれなりで例えば盲腸炎になったらほぼ100%亡くなるそうです。風邪を引いてもこじらせたら肺炎になってあっという間に亡くなったそうです。私なんかでしたらそもそも母が結婚前に盲腸してますから亡くなって私が産まれないし私自身現代医学でなんとか60代まで生きていますしね
江戸時代のころのパリやロンドンは路上に汚物を平気で捨てる輩が多かったせいで悪臭が常に絶えなかったみたいですもんね。
それにひきかえ江戸の町はリサイクルが一般常識として人々に共有されていたから清潔だった。
@@hf8624 後に下水道できてもセーヌ川やテムズ川へ捨てるだけ!それを下層民は飲料水にしてた
@@hf8624 人間性ですよね。何を良しとするか。
そういう民族なのです 現在でも衛生面に厳しいです
外食文化が充実していたし、風呂も外だし、娯楽(芝居)も外だし・・・趣味や仕事が家の中の一部の人は部屋の中はぐちゃぐちゃで、ミニマリストじゃないよね・・・。北斎の家の中は煩雑・・・過ぎて、掃除しないで引っ越しを重ねた。芝居や落語などの娯楽があるのがいいよね。
子供頃から23歳まで県営の住宅に住んでましたが、長い建物を何分割か壁で仕切って正に
江戸の長屋風でしたね。隣の家とは壁一枚で仕切られていましたが土壁だったせいか余り物音は
聞こえた記憶はなかったですが、それでも壁近くの音や振動は伝わってましたね。
やはり住んでる住人は同じ所得の人達が多くヨソから移住者が殆どで中には生活保護や身体障害者の方達
も何軒か見受けられました。
家族の居る家庭は皆、子供が3人以上はいて結構賑やかな環境でした。
ここに移り住む前はアパート暮らしばかりだったので小さいながらも庭があり2部屋の間取りに風呂場があり
それは居住環境に余裕があり地に着いた家って本当に良いと子供心に思ったものです。
今住んでる所にも長屋風の市営住宅があるのですが前を通る度に昔の事を思い出します。
一口に、県営、市営と言っても、時代で様々ですが、お風呂どころか、台所もないアパートもあったそうで諸姉兄の苦労が偲ばれます。でもね、楽しかったんだろうなと、思うんですよ、絶対。子供達の為にお弁当作る為、安全安心の台所があることは、必要なことだけど、あの楽しさとは、違う。どうすることが正解だったのか、今もわからん。
小学生向けの歴史漫画で一番好きだった巻が、江戸の下町文化を描いたもの。
合理的ですごいなぁーっていつも隅から隅まで眺めてた❤
私は古物集めが趣味ですが、我が家には、壁にかかっている巨大ノコギリがあります😮笑 まさにミニマリストな生活!
憧れるな〜❤
面白かったです。プライベートはないけど集団としてとても効率化された生活環境だと思いました。
朝餉・昼餉・夕餉を同時に作ることは私もよくあります。生活インフラに調理家電の進歩様々。
おかずを売りに来る棒手振りは江戸のウーバー配達員(笑)
動画の内容とは直接関係ないですが、江戸時代でも結構色々な職業の人がいたんですね。一つの裏長屋に対して、様々な業種の人がひしめき合って暮らしていたのは面白いです。
🎉楽しそう❤
新鮮な食品を購入でき江戸時代の食事は今より美味しそう
長屋と近辺の店を回るだけのシュミレーターゲームないかなぁ。
欲しいてす!
明治生れの祖父は、棒手振りが江戸弁で「あっさりィ〜しンじみィ」といって貝類を売る声を、
「あっさりタヒんじめぇ」と聞こえるといってよく機嫌を損ねてたそうですw
落語のネタやん
人々はそれぞれ近い距離で互いに向かい合って共存してたんですね。
賑やかでせわしない風景を想像しました。現代の1人が好き、他人を感知せず自分も干渉嫌いな人はこの時代も、生きづらいですね😅
いいなぁ、こんな活気ある時代に暮らしてみたかった。粋でいなせでワクワクする
ただし江戸時代は風邪を引いてもろくな治療がされずに簡単に亡くなるしましてや盲腸炎になったら苦しみ脱いて亡くなるしかないしね、病気になったらほぼ助からない!又赤ちゃんの生き延びる率も昭和になっても低かった!現に俺の母ちゃんは本当は3女なのが上二人が幼く亡くなり長女に繰り上がったからね
@@サトケン-x9h
医学がまだ進歩してないからそれは仕方ない。
そんな事言いだしたら未来の人からすれば令和ではガンで苦しんで死ぬ人がいたんだよっていうようなもの
今は物が多すぎる
と感じさせられました
熊さん、八っつぁん、横町のご隠居に長屋の大家さん・・・落語の世界ですね
祖父母が東京の下町で木造2階建ての長屋に住んでいました 昭和6年に建てられたもので 土間も広く居間が6畳くらいあり居間の隣に4畳半くらいの台所とおトイレ 2階には部屋が2つあり
就寝用と元子ども部屋がありました
平成になり道路を拡張のために取り壊されました あの黒檀の木の柱や階段が大好きでした
とても面白かったです。この動画一つで当時の生活のいろんなところが見えて興味を持てました。部屋の割り図の図解があったのが特にわかりやすかったです。
確かに断捨離してると引き継いでるんだなぁと😊
もの凄い詳しくわかりやすい情報量 大変勉強になります🤔
1800年頃、北京の人口が90万、ロンドンが86万、パリが54万と言われていますので、江戸の町は江戸時代
中期には世界的に見ても北京やロンドンを超えるほどの人口を抱える「大江戸」と呼ぶにふさわしい巨大都市
墨田区に住んでたことがありました。自分の住んでたところを江戸の地図を見たら長屋でした。目の前にあんみつ屋さんがあって、江戸切子屋さんもあった。手ぬぐいと洗面器を持ったおじいちゃんがいたり。好きだったなー
プライバシー0やぞ 狭いし だけど楽しそうだね 合宿みたいで
すごく当時の暮らしが思い浮かびました。時代小説読みたくなりました。
とても面白く、ためになる動画でした。
昭和47〜48年頃
四畳半 三畳の板の間(流し) 北向き
確か 7,000〜8,000円の家賃だったと思います
銭湯が小人40円
意外と高いのに驚きました
面白かったです♪
蚊帳は昭和でも活躍してたね。おれんちも昭和44年くらいまで現役、まだその頃は窓の網戸がついていなくて(家が古くてつけられなくて。その後引っ越しして網戸がつけられて蚊帳は不必要になった、
毎日楽しそう‼️😊平和❗️
時代劇の小説をよりリアルに想像できそうです。ありがとうございます。今、大菩薩峠を読んでいるところです
「銭形平次」というテレビドラマを昭和に見ていた世代ですが、ドラマ内の長屋を思い出します。損料屋には驚きました。最近の考え方だと思っていたので。町の成り立ちは現代のように「駅」に近い暮らしが便利なのに比べて昔は何を中心に発展していたのか知りたいです。
昭和30年代築100年以上の家に住んでいました。煮炊きは土間で薪を燃やし土間に水がめがありました。囲炉裏がありましたがとにかく家が寒くて冬にはしもやけができました。風呂とトイレは母屋とは別に外にありました。近所に友達やお兄さん、お姉さん、親戚がいて毎日誰かと遊んでいました。今は60代になりあの頃を懐かしく思い出しますが、あの頃の生活には耐えられないと思います。
昭和30年代は、今より寒くて、霜柱を踏みながら登校してました。
しもやけもできて、ひどくなると指の関節が割れて出血してました。
栄養状態が悪かったのかな?
@@おがわかおる-c4s 返信ありがとうございます。朝になると電柱の下に大きな蛾が落ちていたり家の前を流れる小さな川にたくさんの貝がいたりしました。たまにはガメラやモスラの映画を見に行くこともありました。アイスは10円でした。八ちゃんラーメンやぞうさんラーメンというインスタントラーメンがありましたが、今は探してもないですね。退職して家にいるので時間に余裕があり、今まで忘れていた子供の頃のことをよく思い出します。
ミニマリズムっていうのは、本来「物質的豊かさを享受出来得る富裕層が精神性を追求して選択的に身の回りの品を最小限に留めること」なので、江戸の長屋住まいの人々がミニマリストであったというのは似て非なるものとは思いつつ、実際の長屋の人々の生活ぶりは決して恵まれてはいない質素なものながら、知恵にあふれているなと思う。
見た目は恵まれていない質素な生活だったけど、火事が多かったからね、持ち物はかえって少ない方がいいんですよ。(ある人力車夫は)全財産は鍋釜と古つずらと行灯で、火事になった時に夫婦でこれを持ち、子供を連れて逃げれば失うものは何もなかったそうで。翌朝になれば被災者救助金がいくらか入り、仕事に出れば賃金が2倍もらえるばかりか、お酒も握り飯も食べ放題、焼ける前の家賃と米屋の勘定は払わなくてすむ。だから、当時の人たちは十中七、八は火事を喜んだそうです。
@@加藤由美子-o2k
ある意味今の自民政府より被災者救ってますね。
@@加藤由美子-o2k 必要性があっての事とは思いますが、すごく良いですね?愛に溢れていると言うか。代わりに付け火は厳しい御沙汰であったとか。逃げれない人の苦しみを思えば当然ですが、火事、多かったのって、、、。
歌麿や豊国の画いた庶民女性がどれも色っぽくて美しいですね。当時の浮世絵の美人画は目が小さくて鼻が高く、現代のアニメ・マンガで画かれる美人とはまるっきり正反対なのも興味深いです。
平屋の借家にすんでます!トタン外装の昭和な、江戸時代もよき時代すね😊
タイムトラベル出来るとしたら、縄文時代と江戸時代にいきたい。
東京都市整備局の資料を借りると
江戸の市域をみると武家地が約7割を占めていました。
住区ごとの面積
武家地. 38.7km2(68%)
町人地 8.9km2. (16%)
寺社地. 8.8km2. (16%).
江戸は幕臣や諸藩の藩士約50万人。
町人も約50万人。
ちゃんと身分で別れていたのが分かる。
身分の下の者は人間扱いされていたのかな❓😊
@@エツコタカハシ
江戸の約50万人の町人は15%の土地に住んでいた。
その人口密度は1平方kmあたりおよそ6万人
2015年の東京都の最も人口密度の高い豊島区でさえ1平方kmあたり2.2万人。
当時は、現代のような高層住宅はなく多くは平屋。
東京都内の開発で掘り出された人骨を、国立科学博物館が大量に保管している。
1万人分。江戸時代の骨がほとんどで、今よりも小柄で栄養状態も悪かった。
栄養状態が悪く、現代なら死亡率の低い若い世代の骨が多いのも特徴で、伝染病がたびたび流行し、人が簡単に死んだことを物語るという。
江戸時代の成人の平均身長は男性が150センチ台半ばで、女性はそれよりも10センチほど低い。
日本のすべての時代の中で最も小柄だった。
栄養状態が悪いうえに狭い長屋などに密集して生活したストレスの影響と考えられるという。
江戸庶民の住環境はよくねいね。
愛おしい
当時は人口の大半が農家だから、相続問題ってのがあるわけですよ。
相続のたびに農地を分割してたら、土地が細切れになって数世代で誰も食べられなくなっちゃうんで、多くの場合、長男が一括で相続することになるわけです(ただし一部には、独立できる年齢になった長男から都会へ出て、残った子が家を継ぐパターンもありました)。
一方で、昔は乳幼児死亡率も高いですから、一人っ子なんてのは危なっかしいんで、たいてい次男三男もいるわけですね。
すると次男以降は成長したら、新田開発して独立するか、賑やかな場所へ出て独立するか、あるいは生涯独身のまま(実家の居候で)過ごすか、みたいな選択肢になるわけです(藩によっては家を離れることが難しかった地域もあります)。
そこで落語に出てくる熊さん八さんの家族は何処にいるのか、という疑問の答えが見えてくるわけですね。
先に都会へ出て生活基盤を築いた同郷者を頼って都会に出たりもするので、この業界には先祖が同じ地域の出身者が多い、なんてのもあります。
一方で、若くして親元を離れるわけですから、中には道を踏み外してしまう人も出てきます。
こうした流れは国内に止まらず、戦前から現在までも似たようなパターンで続いてるので、ちょっと気にしてみてください。
外国人がドアにカギがなくて驚いたそうですね
上京した時の築60年アパートの集落思い出した。
昔の6畳は、江戸間だから現代の1畳よりも広いよね…8畳ワンルームくらいか
ミニマリストもっと流行って欲しいな
寄席へ行って古典落語を聴きたくなりました😊
数字は取れないかも知れないけど、チャンバラとか抜きにしてこういう
リアル江戸町人時代劇みたいなのあったら観たいもんです(地味だと思うけど)
まさに、今の自分の生活を見ているようですわ😁
都内山手線内側在住で風呂、エアコン、洗濯機、テレビ無しで、月極駐車場に毛が生えたくらいの家賃💧
コロナ禍で益々収入不安定のフリーランス。。。
今住んでいる裏長屋も取り壊し決まり、同じような裏長屋が見つかるか?
令和になっても江戸時代の裏長屋生活と変わらん生活やWWW
江戸時代は鮮魚はほぼ海の近くでしか食べられないし江戸の町でも魚はいわゆる魚市場から歩ける範囲しか流通出来ないからね、それよりも遠くはせいぜい干物しか買えなかった。まぁ保存方法ないからあまり遠くへは不可能やからね、
これなら車が無くても買い物に困らないですね😆
スーファミのがんばれゴエモンがあるが、
主人公のゴエモンも長屋だったなぁ…
あと必殺仕置人の念仏の鉄も長屋住まい。
表店に住む人を江戸っ子といいます
裏長屋に住む人達は江戸市中に住む百姓身分です、江戸市外の百姓と違い年貢義務がない為飢饉などがあるたびに地方から出稼ぎしに出て来る百姓が多く幕府は度々地方に送還する措置をとっています
裏長屋に住む為には保証人(主に旦那寺)が江戸市中にいないと借りる事が出来ないので何のコネもない地方の人は江戸市中に住む事は困難でした
その為、規制の緩い深川や浅草などの江戸場末に集住する事になります
地方から江戸に引越しするには地方の旦那寺から江戸市中の同じ宗派の寺への紹介状を貰い江戸での保証人となって貰い大家と賃貸契約を結びます
今の様に誰でも上京して東京都民になれる訳ではありませんでした
夏でも朝に1日の米をまとめて炊いたら夜には傷んでいなかったのかな?
江戸時代はレンタルやリサイクルが盛んで、借りたり、中古品を買い、売る事もあったようだが、長屋の環境を見るとレンタルや中古市場が拡大した事に納得した。
電気炊飯器が普及する高度成長期まではまだそれが普通でしたよ
そのために殺菌効果のあるサワラやヒノキのお櫃がどこの家庭にも必ずあったものです
お櫃は良いよね
電気炊飯器の中にずっと米を入れておくと香りも悪くなるし水分飛んで不味くなる
お櫃に入れておくと余分な水分は吸収してくれるし美味しさを保てるから今でも使ってます
@@武藤盛彦-i3i
電気炊飯器でずっと保温状態にしてると黄色くなって味が落ちますね。
だから、炊き上がったらすぐに電源を消します。白いままで美味しいですよ。
生まれてからしばらくは江戸っ子でした😆
私が子供の頃は、夏でも夜は今ほど暑くなかったと思います。エアコン無くても生きていられました😅
ご飯のおかずも冷蔵庫ではなく蝿帳(はいちょう)に入れていました。ウチだけだったのかな?
冷蔵庫小さかったし😆60年近く前の話しです😊
@@春日京子-j5f 昭和40年々生まれですが、小学生の頃、家に蝿帳ありました。冷蔵庫もワンドアで、冷凍庫ではなく製氷室。部屋に冷房もなかったけど、暮らせていました。
結構高いな、長屋。
だいぶ前だけど神戸で一部屋
風呂無しトイレ共同で14000円
だったぞ。
隣のティッシュを取る音さえ聞こえたw
この動画を観ながら、佐伯泰英や池波正太郎の小説を読むと面白さが数倍です。
Why do we need a footage like this? It's shocking how we're ignorant of our past. The only source may be TV drama or movie, but who cares about the background scene? Isn't this kind of thing to be learned at school? That's our history! Thank you so much for posting with such details!
レンタル屋に出前、外食は江戸時代からの伝統というあまり知られてない豆知識
流し場の排水ってどうなってるんだろう、溜まった水を外の排水溝にすてるんだろうか
興味深い話をありがとうございます。こんな狭い家では、子どもが2人以上いたら生活できないでしょう。江戸では、食料ではなく家の狭さが人口制約要因になっていたのかも。一家の大黒柱を亡くしたり、病気で働けなくなった家族はどうなったのでしょう。また、年老いて、仕事もあまりできなくなった場合は? その場合はもう死ぬしかなっかたということですか。
知りたいですね❗😊
江戸のえねるぎー事情 という本を是非紹介してください。
江戸東京博物館は面白いよね!😁👍
蚊帳の説明が必要なことに時代を感じる
この時代 お金以外は全部あった。
仲間 友人 会話 祭り
人たちの 活気
懐かしいな、、、、
医療はないよ。
何歳だよ
@@いとう-m1g
27 回目
わかる?
@@gamahachi2420
気合い で乗り越えてたな、、、
@@WW-gc4op
風呂に入らないやつあ、、、
みたいな 空気はあったけど
どの時代にも 風呂嫌いはいた
あと ワキガも ヤバいのも居た
金を持っていても上手い使い方を知らずに、持て余している日本人より、限られた条件下の中で、なんとか知恵を絞ってやり繰りをする日本人の方が遥かに、生物として美しいという気がする。
大変なんだけどなんか楽しそう
昔の東京は今の東京と比べものにならないくらい、他人とのコミュニケーションがある都会生活だったんですね。コミュニケーション、煩わしいこともあるけど、でも今の完全「個」の空間で他に関わらない、なんなら他を煩わしい・不快だと思う都市生活はなんだか悲しいですね。
#姫路大手門前公園に江戸時代から昭和初期までの復元建造物が姫路城下 大手前公園に建ち並ぶ 姫路城下プロジェクト
にも参考になります!てかこの資料 私持っています 姫路城下 観光各や勿論地元の人々にも大変歓んで頂けるかと思います
歴史と共に歩みキセキの国宝 世界遺産登録もなされた姫路城 私達がこよなく愛する街がより一層景観条例を守りながら発展する事をお約束致します。
ほっこりするいい時代ですね。再び日本人だけで暮らしたいものです。
井戸端会議ってココから来てたんですね
現代の貨幣価値でと言われるとそんなに変わらない気もするが
当時の収入との比較をされると恐ろしい物価上昇を感じるな
今の御時世なら3日ほどでそのくらいの物価上がるけど
そんなお茶漬けが粗食とか贅沢の基準が狂うな
楽しかったあ、参考になりました.
畳と長火鉢という自堕落超便利グッズがなくなってしまったのは非常に残念です。
布団に入りながら調理やお湯沸かしができる暖房なんて。