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熊本の実家にある仏壇の裏から古い紙が出てきて、伊勢神宮に行ってきたっていう手紙とお札が出てきた。これだったんですね。スッキリしたのと同時にうちの先祖も行ってたんだと感慨深い気持ちになりました!
それ歴史的資料だから大事にしてほしい
博物館にでも持ち込んでみては?
隙あらば自分語り
そろりそろり
面白かったです!絵とマッチしていて、イメージが湧きやすくて、同じ日本人としてこんな時代から今につながっているんだなあとちょっと胸熱。
これ見ると、たった150年で庶民の生活水準上がりすぎだろと思う先人に感謝
背もたった150年で15cmぐらい伸びてるからね凄まじいスピードで発展した
現在みたいに一般庶民の生活水準が高くなったのは第二次大戦後の高度成長期以降だと思う
ちなみにあの杖は仕込み杖なんですよ 江戸時代は現代と同じ武器携帯は禁止ですが長い道中だと街道や峠越えで野犬の群れに遭遇することもあり旅の時は仕込み杖は持参してもよろし、でした
仕込み杖とはまるで忍者ですな...新しい知識が増えました。ありがとうございます!
ネット情報がない時代において人情が正義だとすると思う
私も伊勢参りや 皇居参りをしています そして全国の神社仏閣や縄文遺跡を訪ねて回っています むかしの旅人と同じことをしていますね 去年は山寺にも行きましたが 西行 芭蕉などの歌枕も外せませんね
今だったら新東名と伊勢湾岸道と伊勢道で大体5、6時間あれば東京から伊勢まで行けるわけだから、テクノロジーの発展ってすごいね
面白かったです旅に出るのも大変でしょうね💦今の時代なら温泉♨️旅行とかプチ旅行は普通女性に厳しいのは驚きましたあと犬のお礼参りとか知りませんでしたし🐕
いい時代になりましたね
こーゆうの見たらあらためて紀元前にインフラや上下水道を整備してたローマ帝国って凄いんだな~って思う
伊勢参りは信心深いだけでなく、移動を制限されていた江戸時代において伊勢参りといえば移動がしやすいからと言う話を見た事があるのですが、そんな説はあるんですか?
庶民の娯楽の為の旅行は幕府により禁止されていましたが、神社仏閣への参拝はOKだったのでお伊勢参りみたいな参拝を理由にして旅行していた様ですね。因みに他の藩の領内とか他地域みたいな他所へ引っ越す行為も禁止されていたりします(基本的に一度定着した場所、地域で一生を終える形になり同じ領内でも後ろ盾がない庶民がホイホイ引っ越すのは難しかった様です)
移動には関所で通行手形を提出しないとならないが、その発行には長屋の大屋さんや農村の庄屋さんを通じて奉行所や代官所に発行してもらわないとならないが、伊勢参りの口実だと比較的発生してもらいやすかった。ちな、通行手形があっても関所での審査には差があり、箱根などを筆頭に厳格な審査の場所を嫌う者は、裏街道を通る場合があった。(東海道の裏街道の大山街道246号や甲州街道の裏街道の青梅街道や陣場街道などや中山道の裏街道の川越街道254号など)
@@tokoname19790803 居住移転の禁止は建前で村八分、田畑を売った(本来は違法)飢饉による逃散、家を継げない二男三男など村に居場所がなくなった人間はどんどん江戸に集まっていった、だから100万人近い人口に膨れ上がった
足腰つよかっただろうなぁ
歴史を深く掘り下げての面白解説ありがとうございます。
女性の移動が困難で厳しかった理由が、領地にしばりつけていたのは知りませんでした。江戸幕府に争いがなかったのはこうしたきびしい決まりがあったのですね。
昔は、江戸から京都まで徒歩で一ヶ月程度かかっていたのが、今は、東京から京都まで東海道新幹線で2時間10分で行けるのだから、文明の進歩は凄いと感じると同時に、恐ろしいと感じます。
シーボルト「こんなに民衆が旅行する国を見たことがない」
蘭学を教えてくれた偉人だったのに、追放だなんて。🙍
ドイツからご苦労さまです
@@57home1 ドイツ人でありながらオランダ軍の軍医になったり、明治維新後に再来日したりとめちゃくちゃ冒険心がある。😼イザベラ・バードみたいだ。😎
@@梶龍磨 まー当時の地図ってのは今とはくらべものにならないレベルの軍事機密なのでしゃーないっすね。
単体で向かったおかげ犬はどうやって伊勢にたどり着いたんだろう関所での扱いは
数々の文献から、おかげ犬は要所要所である程度誘導されて伊勢まで向かっていたらしいですが明確に行けた理由は今でも明らかになっていませんまた、関所においてはおかげ犬の首にぶら下げた荷物を役人が確認して問題なければスルーしていたそうですさらにおかげ犬を虐待すると罰当たりモノと言われるどころか役人に捕まって厳罰が科されていました
@@somo3 おお! 細部を教えていただきありがとうございます!昔は今よりもずっと、神仏を大切に思う慣習が根付いていたからこそ、おかげ犬は保護されて旅の安全が確保できていたわけですね!
『こんぴら狗 (くもんの児童文学) 』おすすめです!今井恭子さん(著)・いぬんこさん (イラスト)当時の様子が活き活きと描かれていて、おかげ犬はもちろん、人情味あふれる人々のやさしさがジーンとくる作品です🥲大人にも・・・というか大人にこそおすすめの本!
木賃宿が300文と言っても今のおカネで、多分、相部屋食事なしで5000-7000円だから決してやすくはないなぁ。それで最低限の食事に草鞋台でも、30日で約3両は最低限、イチネン奉公して3両一分のサンピンには夢物語だろな。
いや全く違うw江戸時代って言っても初期から幕末まで260年も続いてるから貨幣価値が大きく異なる。それ故に江戸時代の金額を現代の円に換算するのは非常に難しい。
@@semisonic87ify ワンコ代参の記録は1771年の記録からって言うから、大体江戸期に入って2/3を過ぎたあたり以後、なので、考えるべきは260年間じゃなく70~90年間?ただ、幕末には金流出量が増えて”一両小判の質・質量低下”それに伴い1両=4000文ではなくもっとわずかのゼニとしか交換できなかったとは思う。一応、幅を持たせて一両=67000円~9万程度にしたけれど、”まったく違うw”というほどに違うのかな?しっているならオシエレちょうだい。
そもそも木賃宿が300文もするわけない。どこから300文って出てきたのやら。
@@こばあか-e6f UPヌシさん、動画タイトルには一日300円って書いてるから、察してあげて。江戸後期の木賃宿に限らず、ネットの情報だと他の物品も含めて正確な価格は、だれか筆まめなヒトの旅日記でも見ればある程度は出て来ても、季節や場所によってのばらつきもあるだろうから、ワカラン。まあ、今でも二人分は有りそうな大きな鰻かば焼きで1500円以下のも7~8千円のも有るんだから、”蕎麦一杯イクラ”と断定するなんて無理べ。
江戸時代中期(元禄時代)以降に庶民の旅行熱が高まった理由は、貨幣経済の発展もありますが、やはり「生類憐みの令」だと思います。それ以前だと街中で平然と辻斬りが行われていたり、旅先の宿で病気になると宿から追い出されたりするような「人命軽視」の風潮が色濃く残っていました。そんな中での旅行はまさに「命賭け」であり、気軽にできるものではありませんでした。それを払拭してくれたのが5代将軍・綱吉が発令した「生類憐れみの令」。一般的なイメージとしては「犬を初めとしたあらゆる動物を大事にする」というものですが、実は人間もその対象になっていた(具体的には捨て子の禁止や病人の保護など)ことを知る人はそんなにいないと思います。人命軽視から人命尊重の風潮に変化したことから、庶民が気軽に旅行ができるようになったのだと思います。
300年前はわざわざ自分で安い宿を探し、電車や飛行機なる乗り物で何時間もかけて海外へ旅行へ行っていました。なんて時代が来るんかの〜?
伊勢参りが大流行した理由の一つに、女性でも藩を跨ぐ旅行を認めてもらいやすかったという点があるようです動画にもあるように女性の移動は厳しく制限されていました(特に江戸は深刻な嫁不足のため難しかったようです)となると、女性が旅行をするには伊勢参り等の許可の出やすい理由が必要でした伊勢講と並んで富士講も人気でしたが、富士は女人禁制だったため女性の旅と言えばお伊勢参りとなったようです
面白かったです!
😊これはまぎれなく教育番組ですね☺️
昔の人は健脚だっただろうなぁそれにしてもこの動画すごく面白い
私が住んでいる村の2つくらい村に行くまでに昔は山を歩いて行ってたらしいんですがね、昔はその山を旅人達が通って行くと何と山賊が出ていたそうです,今は鋪装された道路が通り道路も広くなっているんですがね、周りを見ると確かにこの道路が出来るまでは木々が生えたあの山道を通って旅をしていたんだなと思いましたね,地元のおばあさんが教えてくれた話なので本当だと思いますよ、
自転車で都心から多摩方面とか郊外に往復100km程度のサイクリングしてるときも「江戸時代とか徒歩でここまで来るの大変だっただろうな」っていつも考えてた。 布田道や関谷の切り通しとか通るたびに「ここまで徒歩で来るとか1日じゃ無理だよな」なんて。当然未舗装で草刈りも今ほど行われてなく照明もなく大半が獣道に近いレベルだったんじゃないかと。
講というのが現在の保険や年金の元だと思う。江戸の文化レベルって当時世界的に見てもすごい高いと思う
めちゃくちゃ面白かったです。
イッヌを大切にしてる日本人 本当にそこだけは最高やな
昔の話とはいえ、一生に一度の旅行とは何とも慎ましく、且つ人々がお互いを想いやって助け合う様が昔から日本人は素晴らしいと感じた。特におかげ犬は主人の願いをかなえるひたむきさと周りの人がそういうことも察して優しく世話を焼いてやる様が素晴らしく感動した。やはり日本人は優しさと情にあふれた善なる国の人々と思った。
それに比べていまの若者は…😊
@@2039mumeiそんな事言ってるから善意を受けられないんですよ
@@2039mumeiお決まりの流れ
今の若者もいい奴多いですよ。例えばアメリカに行くとスケボーやる子の周りは落書きやゴミだらけだけど、私の家の近くでスケボーで遊ぶ子は格好はストリートですが帰りはきれいにして帰ります。やはり日本の子は美しい。素晴らしい公共心で遊んだ後も清々しくて大好きです。
海外に住む日本人は他国民と違って、基本日本人同士の接触を必要以上に避けて助け合ったりはしないから一概にそうとは言えないけどね😅(村社会的な民族性への忌避感から日本を出た人同士だからというものありそうだけど)お互いを助け合う性質というよりは、旅は恥のかき捨てという言葉があるように、日本人にとって旅って特別なものだったのかもね。
おかげ犬かわいいな🤣
旅………改めて考えさせられるね‼️直ぐに目的地に着くだけが【旅】じゃないんだよね😊
ん?こんぴらさん出てきた?こんぴらさんってそんなにメジャーなところだったんだ
昔 の 日本ありがとう
人生を満喫した時代 😮
ぐれ宿今の簡易宿泊所のような感じでしょうね。途中…地元の浮世絵がありました🙇
犬の話は少し盛られてますね、正確には伊勢までは飼い主と行きましたが、参拝途中で病にかかり犬に持ち物託し、家まで戻ったと文献で拝見しました
伊勢講のシステムは面白いですね互いの信用と信頼があったんですね。似たようなもので自分の田舎では「頼母子(たのもし)」といって町内会 でお互い出資しあいくじに当たればそのお金を自分の事に使えるものでした。1990年頃に終焉しました。みんな貧しかったんですね。
浮世絵には東海道が広く描かれていますが、昔の街道は行列がすれ違える幅もないし、旅人も大名行列と袖擦りあいながら歩いていたはずです😊
今でこそ大変だけど、当時はそんなに大変な感覚はなかったのでは。
山賊や強盗の恐怖はめっちゃあっただろうね
@@momotaaro幕府は盗賊、山賊の取り締まりを目的として関所など設けて取り締まりをしていたみたいだけど完全に防ぐのは難しかったみたいだね。ただ、それは現代も一緒ではないかね。夜はどこでも何かしら犯罪に巻き込まれる可能性はゼロではない。
関所がない姫街道ってのがありますね
旅行って出来たんですね!移動の自由がないと思ってました😅
移動の自由はあったけど、移住の自由は無かったって感じでしょうね。
とっくに登録させていただいたと思っていましたが登録されていませんでした。大変失礼いたしました。誤読の無いナレーションはとてもありがたいです。
おかげ犬って、一匹で長い道のりを歩いて行ったってこと?道わかるの?ちょっと信じられない😂
気になったのでググって掘り下げてるけど、「餌をくれる人について行く」っていう習性を上手く利用したとかなんとかそうやって誘導されてるうちに「人がいっぱい歩いてる道を歩けばいいらしい」くらいは理解するのかも
@@Penntyann 調べてくださったんですね!ありがとうございます。 それは一理ありそうですよね。でもよほど理解のある犬でないと主人の元を離れたりしないと思うので驚きます。帰りは匂いをたどって帰れるのでしょうね。不思議です。
@@nico-jk9un ・この当時の犬は、今で言う地域猫と同じ飼われ方をするのが一般的だった。なので恐らく、その地域の中で最も利口で、そして人懐っこいような、おかげ犬に相応しいものを選び出してたんでしょう・おかげ犬には、代参を依頼した人の住所を記載したものも持たせていた。これなら本能を頼りに帰る必要は無い・参考資料は見つからなかったけど、伊勢神宮でお参りを済ませたら、何かしらの証明書(御札とか御守りとか、犬でも運べそうなやつ)を持たせたのでしょう。つまり、おかげ犬を見かけた→お参りの証明書を持ってない→伊勢神宮へ案内するお参りの証明書を持ってる→記載の住所へ案内するという仕組みになっていたんじゃないかな。知らんけど・しかし、人でさえ大変な旅路となる時代なので、全てのおかげ犬が務めを果たして故郷へ帰れたわけではなく、野生動物に襲われたり、怪我や病気で道半ばで野垂れ死んだり、持ち物を落として出自の分からぬ迷い犬になってしまい、見知らぬ街で第二の人生もとい犬生を送ったおかげ犬も、きっといたでしょうでも、人の勝手で犬にお遣いさせた挙げ句、道中で文字通り犬死にさせようものなら、お伊勢さまからどんな天罰が下るか分かったもんじゃない。そういうこともあって、おかげ犬は行く先々で丁重に扱われたんでしょう
@@Penntyann良い読み物になった。ありがとう!
@@Penntyann 素晴らしい考察です!
当時は現在と違って娯楽がほとんど無かったはずです。特に農村は死ぬほど単調な生活だったでしょう。であるならば、お伊勢参りは一生に一度の数少ない娯楽だったのでしょう。旅の目的も神仏への参拝だったら大義名分も立つので問題ない。そういえば、十辺舎一九の東海道中膝栗毛はそんなお伊勢参りを題材のした小説でしたっけ。久し振りに読んでみようかと思います。
インターネットも電話もない時代に旅してみたかったなこれこそが真のバックパッカーだね
子供だけで伊勢参りする事もあったと以前本で読んだ事があるけど映画化して欲しいな。
旧東海道を車やバイクで抜けると実は周りが田んぼだらけの場所でも景観の為に松が植えられ、街道沿いだけが街として発展していて道を外れるといきなりど田舎になるので当時の観光としての伊勢参りの経済効果は高いのと景観の為の松を植えると言うのは世界でも例がないそうです。
おかげ犬が優しくされたのも生類憐みの令のおかげですね!
社会でこういうの習いたかった🥺
色々物価とか調べてみたら、結構納得のいく金額だったりすることが多いんですよね。
5:58 これがシンクロニシティってやつか
テレビもネットもなく、リアルな周りが全てだった時代って考えたらこういう旅行って今で言ったら贅沢な旅行だよね
おかげ犬かわいい
日本人は旅行好きだったんだよね
13:26 かっこいい
おかげ犬の話、やはりお金を盗んだりする罰当たりは0じゃないだろうけど、おかげ犬が成立するほどには少なかったのだろうから、やはり良いな。
女性が旅することを厳しく制限したと紹介されたあとに江戸の旅は助け合いという結論付けをするとちょっとおかしいかもしれません弥次喜多道中記などでそうした助け合いのエピソードを紹介したあとで結論されたほうが良いような気がします
「ぐれ宿」・・・さしずめ今ならライダーハウスですかね?
結構な人が命を落としてそう許可制とはいえ幕府が道中差し(武器)の携帯を認めるぐらいだから、追い剥ぎもそうだけど野犬に出くわす危険が高かったと思われる。
現代で言うツアーコンダクターがいたり、関所はイミグレーション、手形はパスポートやビザに当たるかな?規模や難易度は違うとはいえ仕組みそのものは現代とほぼ変わっていなくて、江戸時代の文化水準の高さに驚く
>商売道具や旅先で買ったお土産物は前もって送っていた。さらっと言ってるが当時の宅急便ってどうなってたのか気になった。(飛脚で送る手紙は別として)宿場を指定してそこで受け取るとかできたんだろうか。馬の背中に荷物積んだ配送便も街道を行き来してたりするのかも。
「万巻の書を読み千里の道を行ったものでなければともに語るに足りない」て 文字通りの選良の話しなんですね
江戸から伊勢は遠いから一生で一回だろうが、箱根や富士だと一生で三回ぐらいは行けるな。
9:25寺にお伊勢参りした犬の石像…?おおらかでいいなw
知れば知るほど治安が良かったのが分かる
若い内しか長距離を徒歩は難しいな。馬があれば日本の縦向きの移動なんて大した事ないだろうが。しかし足軽の筋肉も目を見張るものがある。歩く人はみんな鶏むね肉並にたんぱくな筋肉がぎっちぎちになってそう。脂も取ってねぇのによくやるよ。
藤屋御本陣の本陣ってそういうことだったのか...!?
うん。俺にはちょっとマニアックな内容過ぎた。このチャンネル好きな人マジで歴史好きな人だと思う。
現代でも、泊まりの旅行なんて夢のまた夢だという庶民はいっぱいいる現実も忘れちゃいけないね。
貧乏暇なしだからこそ、余暇があって小金持ちのインバウンドが目障りで仕方がないという人が出てくる
昔は当たり前だが、信号が無かったから距離感はもっと近かった筈
あのめっちゃ幅の広い傘って、頭につけてるから手が自由になるし現代でも需要ある筈なのに、もう一度流行らないね。なんでだろう。紐で顎にかけて、邪魔になるときは後ろにスライドさせれば背中に背負えるし。すこし首元が危ないか。
犬が伊勢参りってすごすぎる。今より治安いいんじゃないか?
行きは江戸楽しみってモチベでいけるけど、帰りは行きのキツさを知ってるから帰るのだるそう
コメ欄おもろいやつ多い
この手のコンテンツ、動画は面白いのにコメント欄が臭いのが残念
現代の旅行は旅先でするもの過去の旅行は目的地までの道
わんこ好きは昔からなのね
伊勢講ってのは初めて聞いた。なるほどねえ。
庶民にとっては一生に一度の楽しみっていうことは今でいう四季島とか瑞風くらいの価値があったんだな
だからおかげ横丁というんだねぇ
金比羅と書いて『こんぴら』と読みます。
おかげ犬ってほんとに伊勢まだ行けたのかな?
紹介されているシロがあれだけ崇められているのを見るに、やっぱり多くの犬が迷って行方不明になったり命を落としたりしたとは思うわ
帰り足痛くて無理
道中で命を落とす方も多かったでしょうね。
60年ごとに式年遷宮があるからね!
すごいな、、、、、
一度も行ったことがない伊勢神宮に犬だけで行かせるのは絶対無理だろ……途中で野良化してただろ絶対…
同じ路を行く旅人達がリレー形式で連れていったらしい
日本各地を旅行して手記を遺した女性がいますね
6:11絶対干支が関係してるだろ
遷宮が60年ごとなので、翌年のお参りをお陰参りって説が濃厚そう。
シロ!
持ち物がiPhoneで代用できそうなものばかりだね江戸時代のiPhoneは高価だったのかな?
古臭いが余計かな?
飛行機も船も電車も新幹線も車もあるのに一生に一度も旅行さえしなくなっていく日本人😤いいと思います😊
えぇ…
関門を無断で超えると死刑
旅くらいしか娯楽がないんだろ
銭湯や居酒屋があった
お四国参りなんてお金持たなくても大丈夫だったんだぜ。ま、途中で病に倒れる人も結構いたという事で村境には遍路墓があったりした。国道11号線が通った時には大量の骨が出た場所がある。俺の家もお接待用の部屋が有って無料で泊めて食事まで出してたと爺さんが言ってたな。お接待すれば、お大師(弘法大師空海)の御蔭がもらえるとか自分の代わりにお四国米死してくれてるからとかの理由だったらしい。明治の初めころの話。現代においても無料接待宿(無人)が有るぜ。
お四国米死?
一生に一度か、切ないね
みんな臭そうだな・・・
どうやって犬が一匹で行ったこともない数百キロも先の目的地について帰って来れるんや
熊本の実家にある仏壇の裏から古い紙が出てきて、伊勢神宮に行ってきたっていう手紙とお札が出てきた。
これだったんですね。
スッキリしたのと同時にうちの先祖も行ってたんだと感慨深い気持ちになりました!
それ歴史的資料だから大事にしてほしい
博物館にでも持ち込んでみては?
隙あらば自分語り
そろりそろり
面白かったです!絵とマッチしていて、イメージが湧きやすくて、同じ日本人としてこんな時代から今につながっているんだなあとちょっと胸熱。
これ見ると、たった150年で庶民の生活水準上がりすぎだろと思う
先人に感謝
背もたった150年で15cmぐらい伸びてるからね
凄まじいスピードで発展した
現在みたいに一般庶民の生活水準が高くなったのは第二次大戦後の高度成長期以降だと思う
ちなみにあの杖は仕込み杖なんですよ 江戸時代は現代と同じ武器携帯は禁止ですが長い道中だと街道や峠越えで野犬の群れに遭遇することもあり
旅の時は仕込み杖は持参してもよろし、でした
仕込み杖とはまるで忍者ですな...
新しい知識が増えました。
ありがとうございます!
ネット情報がない時代において人情が正義だとすると思う
私も伊勢参りや 皇居参りをしています そして全国の神社仏閣や縄文遺跡を訪ねて回っています むかしの旅人と同じことをしていますね 去年は山寺にも行きましたが 西行 芭蕉などの歌枕も外せませんね
今だったら新東名と伊勢湾岸道と伊勢道で大体5、6時間あれば東京から伊勢まで行けるわけだから、テクノロジーの発展ってすごいね
面白かったです
旅に出るのも大変でしょうね💦
今の時代なら温泉♨️旅行とかプチ旅行は普通
女性に厳しいのは驚きました
あと犬のお礼参りとか知りませんでしたし🐕
いい時代になりましたね
こーゆうの見たらあらためて紀元前にインフラや上下水道を整備してたローマ帝国って凄いんだな~って思う
伊勢参りは信心深いだけでなく、移動を制限されていた江戸時代において
伊勢参りといえば移動がしやすいからと言う話を見た事があるのですが、そんな説はあるんですか?
庶民の娯楽の為の旅行は幕府により禁止されていましたが、神社仏閣への参拝はOKだったのでお伊勢参りみたいな参拝を理由にして旅行していた様ですね。
因みに他の藩の領内とか他地域みたいな他所へ引っ越す行為も禁止されていたりします(基本的に一度定着した場所、地域で一生を終える形になり同じ領内でも後ろ盾がない庶民がホイホイ引っ越すのは難しかった様です)
移動には関所で通行手形を提出しないとならないが、
その発行には長屋の大屋さんや農村の庄屋さんを通じて奉行所や代官所に発行してもらわないとならないが、
伊勢参りの口実だと比較的発生してもらいやすかった。
ちな、通行手形があっても関所での審査には差があり、箱根などを筆頭に厳格な審査の場所を嫌う者は、裏街道を通る場合があった。
(東海道の裏街道の大山街道246号や甲州街道の裏街道の青梅街道や陣場街道などや中山道の裏街道の川越街道254号など)
@@tokoname19790803 居住移転の禁止は建前で
村八分、田畑を売った(本来は違法)飢饉による逃散、家を継げない二男三男など
村に居場所がなくなった人間はどんどん江戸に集まっていった、だから100万人近い人口に膨れ上がった
足腰つよかっただろうなぁ
歴史を深く掘り下げての面白解説ありがとうございます。
女性の移動が困難で厳しかった理由が、
領地にしばりつけていたのは知りませんでした。
江戸幕府に争いがなかったのはこうしたきびしい決まりがあったのですね。
昔は、江戸から京都まで徒歩で一ヶ月程度かかっていたのが、今は、東京から京都まで東海道新幹線で2時間10分で行けるのだから、文明の進歩は凄いと感じると同時に、恐ろしいと感じます。
シーボルト
「こんなに民衆が旅行する国を見たことがない」
蘭学を教えてくれた偉人だったのに、追放だなんて。🙍
ドイツからご苦労さまです
@@57home1 ドイツ人でありながらオランダ軍の軍医になったり、明治維新後に再来日したりとめちゃくちゃ冒険心がある。😼イザベラ・バードみたいだ。😎
@@梶龍磨 まー当時の地図ってのは今とはくらべものにならないレベルの軍事機密なのでしゃーないっすね。
単体で向かったおかげ犬はどうやって伊勢にたどり着いたんだろう
関所での扱いは
数々の文献から、おかげ犬は要所要所である程度誘導されて伊勢まで向かっていたらしいですが明確に行けた理由は今でも明らかになっていません
また、関所においてはおかげ犬の首にぶら下げた荷物を役人が確認して問題なければスルーしていたそうです
さらにおかげ犬を虐待すると罰当たりモノと言われるどころか役人に捕まって厳罰が科されていました
@@somo3
おお! 細部を教えていただきありがとうございます!
昔は今よりもずっと、神仏を大切に思う慣習が根付いていたからこそ、おかげ犬は保護されて旅の安全が確保できていたわけですね!
『こんぴら狗 (くもんの児童文学) 』おすすめです!
今井恭子さん(著)・いぬんこさん (イラスト)
当時の様子が活き活きと描かれていて、おかげ犬はもちろん、
人情味あふれる人々のやさしさがジーンとくる作品です🥲
大人にも・・・というか大人にこそおすすめの本!
木賃宿が300文と言っても今のおカネで、多分、相部屋食事なしで5000-7000円だから決してやすくはないなぁ。それで最低限の食事に草鞋台でも、30日で約3両は最低限、イチネン奉公して3両一分のサンピンには夢物語だろな。
いや全く違うw江戸時代って言っても初期から幕末まで260年も続いてるから貨幣価値が大きく異なる。それ故に江戸時代の金額を現代の円に換算するのは非常に難しい。
@@semisonic87ify ワンコ代参の記録は1771年の記録からって言うから、大体江戸期に入って2/3を過ぎたあたり以後、なので、考えるべきは260年間じゃなく70~90年間?ただ、幕末には金流出量が増えて”一両小判の質・質量低下”それに伴い1両=4000文ではなくもっとわずかのゼニとしか交換できなかったとは思う。一応、幅を持たせて一両=67000円~9万程度にしたけれど、”まったく違うw”というほどに違うのかな?しっているならオシエレちょうだい。
そもそも木賃宿が300文もするわけない。どこから300文って出てきたのやら。
@@こばあか-e6f UPヌシさん、動画タイトルには一日300円って書いてるから、察してあげて。江戸後期の木賃宿に限らず、ネットの情報だと他の物品も含めて正確な価格は、だれか筆まめなヒトの旅日記でも見ればある程度は出て来ても、季節や場所によってのばらつきもあるだろうから、ワカラン。まあ、今でも二人分は有りそうな大きな鰻かば焼きで1500円以下のも7~8千円のも有るんだから、”蕎麦一杯イクラ”と断定するなんて無理べ。
江戸時代中期(元禄時代)以降に庶民の旅行熱が高まった理由は、貨幣経済の発展もありますが、やはり「生類憐みの令」だと思います。
それ以前だと街中で平然と辻斬りが行われていたり、旅先の宿で病気になると宿から追い出されたりするような「人命軽視」の風潮が色濃く残っていました。そんな中での旅行はまさに「命賭け」であり、気軽にできるものではありませんでした。
それを払拭してくれたのが5代将軍・綱吉が発令した「生類憐れみの令」。一般的なイメージとしては「犬を初めとしたあらゆる動物を大事にする」というものですが、実は人間もその対象になっていた(具体的には捨て子の禁止や病人の保護など)ことを知る人はそんなにいないと思います。
人命軽視から人命尊重の風潮に変化したことから、庶民が気軽に旅行ができるようになったのだと思います。
300年前はわざわざ自分で安い宿を探し、電車や飛行機なる乗り物で何時間もかけて海外へ旅行へ行っていました。
なんて時代が来るんかの〜?
伊勢参りが大流行した理由の一つに、女性でも藩を跨ぐ旅行を認めてもらいやすかったという点があるようです
動画にもあるように女性の移動は厳しく制限されていました(特に江戸は深刻な嫁不足のため難しかったようです)
となると、女性が旅行をするには伊勢参り等の許可の出やすい理由が必要でした
伊勢講と並んで富士講も人気でしたが、富士は女人禁制だったため女性の旅と言えばお伊勢参りとなったようです
面白かったです!
😊これはまぎれなく教育番組ですね☺️
昔の人は健脚だっただろうなぁ
それにしてもこの動画すごく面白い
私が住んでいる村の2つくらい村に行くまでに昔は山を歩いて行ってたらしいんですがね、昔はその山を旅人達が通って行くと何と山賊が出ていたそうです,今は鋪装された道路が通り道路も広くなっているんですがね、周りを見ると確かにこの道路が出来るまでは木々が生えたあの山道を通って旅をしていたんだなと思いましたね,地元のおばあさんが教えてくれた話なので本当だと思いますよ、
自転車で都心から多摩方面とか郊外に往復100km程度のサイクリングしてるときも「江戸時代とか徒歩でここまで来るの大変だっただろうな」っていつも考えてた。 布田道や関谷の切り通しとか通るたびに「ここまで徒歩で来るとか1日じゃ無理だよな」なんて。
当然未舗装で草刈りも今ほど行われてなく照明もなく大半が獣道に近いレベルだったんじゃないかと。
講というのが現在の保険や年金の元だと思う。
江戸の文化レベルって当時世界的に見てもすごい高いと思う
めちゃくちゃ面白かったです。
イッヌを大切にしてる日本人 本当にそこだけは最高やな
昔の話とはいえ、一生に一度の旅行とは何とも慎ましく、且つ人々がお互いを想いやって助け合う様が昔から日本人は素晴らしいと感じた。特におかげ犬は主人の願いをかなえるひたむきさと周りの人がそういうことも察して優しく世話を焼いてやる様が素晴らしく感動した。やはり日本人は優しさと情にあふれた善なる国の人々と思った。
それに比べていまの若者は…😊
@@2039mumeiそんな事言ってるから善意を受けられないんですよ
@@2039mumeiお決まりの流れ
今の若者もいい奴多いですよ。例えばアメリカに行くとスケボーやる子の周りは落書きやゴミだらけだけど、私の家の近くでスケボーで遊ぶ子は格好はストリートですが帰りはきれいにして帰ります。
やはり日本の子は美しい。素晴らしい公共心で遊んだ後も清々しくて大好きです。
海外に住む日本人は他国民と違って、基本日本人同士の接触を必要以上に避けて助け合ったりはしないから一概にそうとは言えないけどね😅(村社会的な民族性への忌避感から日本を出た人同士だからというものありそうだけど)
お互いを助け合う性質というよりは、旅は恥のかき捨てという言葉があるように、日本人にとって旅って特別なものだったのかもね。
おかげ犬かわいいな🤣
旅………改めて考えさせられるね‼️
直ぐに目的地に着くだけが【旅】じゃないんだよね😊
ん?こんぴらさん出てきた?こんぴらさんってそんなにメジャーなところだったんだ
昔 の 日本
ありがとう
人生を満喫した時代 😮
ぐれ宿今の簡易宿泊所のような感じでしょうね。途中…地元の浮世絵がありました🙇
犬の話は少し盛られてますね、正確には伊勢までは飼い主と行きましたが、参拝途中で病にかかり犬に持ち物託し、家まで戻ったと文献で拝見しました
伊勢講のシステムは面白いですね互いの信用と信頼があったんですね。
似たようなもので自分の田舎では「頼母子(たのもし)」といって町内会 でお互い出資しあいくじに当たればそのお金を自分の事に使えるものでした。
1990年頃に終焉しました。
みんな貧しかったんですね。
浮世絵には東海道が広く描かれていますが、昔の街道は行列がすれ違える幅もないし、旅人も大名行列と袖擦りあいながら歩いていたはずです😊
今でこそ大変だけど、当時はそんなに大変な感覚はなかったのでは。
山賊や強盗の恐怖はめっちゃあっただろうね
@@momotaaro幕府は盗賊、山賊の取り締まりを目的として関所など設けて取り締まりをしていたみたいだけど完全に防ぐのは難しかったみたいだね。
ただ、それは現代も一緒ではないかね。
夜はどこでも何かしら犯罪に巻き込まれる可能性はゼロではない。
関所がない姫街道ってのがありますね
旅行って出来たんですね!
移動の自由がないと思ってました😅
移動の自由はあったけど、移住の自由は無かったって感じでしょうね。
とっくに登録させていただいたと
思っていましたが
登録されていませんでした。
大変失礼いたしました。
誤読の無いナレーションは
とてもありがたいです。
おかげ犬って、一匹で長い道のりを歩いて行ったってこと?道わかるの?ちょっと信じられない😂
気になったのでググって掘り下げてるけど、「餌をくれる人について行く」っていう習性を上手く利用したとかなんとか
そうやって誘導されてるうちに「人がいっぱい歩いてる道を歩けばいいらしい」くらいは理解するのかも
@@Penntyann 調べてくださったんですね!ありがとうございます。 それは一理ありそうですよね。でもよほど理解のある犬でないと主人の元を離れたりしないと思うので驚きます。帰りは匂いをたどって帰れるのでしょうね。不思議です。
@@nico-jk9un
・この当時の犬は、今で言う地域猫と同じ飼われ方をするのが一般的だった。なので恐らく、その地域の中で最も利口で、そして人懐っこいような、おかげ犬に相応しいものを選び出してたんでしょう
・おかげ犬には、代参を依頼した人の住所を記載したものも持たせていた。これなら本能を頼りに帰る必要は無い
・参考資料は見つからなかったけど、伊勢神宮でお参りを済ませたら、何かしらの証明書(御札とか御守りとか、犬でも運べそうなやつ)を持たせたのでしょう。つまり、
おかげ犬を見かけた→
お参りの証明書を持ってない→伊勢神宮へ案内する
お参りの証明書を持ってる→記載の住所へ案内する
という仕組みになっていたんじゃないかな。知らんけど
・しかし、人でさえ大変な旅路となる時代なので、全てのおかげ犬が務めを果たして故郷へ帰れたわけではなく、野生動物に襲われたり、怪我や病気で道半ばで野垂れ死んだり、持ち物を落として出自の分からぬ迷い犬になってしまい、見知らぬ街で第二の人生もとい犬生を送ったおかげ犬も、きっといたでしょう
でも、人の勝手で犬にお遣いさせた挙げ句、道中で文字通り犬死にさせようものなら、お伊勢さまからどんな天罰が下るか分かったもんじゃない。そういうこともあって、おかげ犬は行く先々で丁重に扱われたんでしょう
@@Penntyann良い読み物になった。ありがとう!
@@Penntyann 素晴らしい考察です!
当時は現在と違って娯楽がほとんど無かったはずです。特に農村は死ぬほど単調な生活だったでしょう。
であるならば、お伊勢参りは一生に一度の数少ない娯楽だったのでしょう。旅の目的も神仏への参拝だったら大義名分も立つので問題ない。
そういえば、十辺舎一九の東海道中膝栗毛はそんなお伊勢参りを題材のした小説でしたっけ。
久し振りに読んでみようかと思います。
インターネットも電話もない時代に旅してみたかったな
これこそが真のバックパッカーだね
子供だけで伊勢参りする事もあったと以前本で読んだ事があるけど映画化して欲しいな。
旧東海道を車やバイクで抜けると
実は周りが田んぼだらけの場所でも景観の為に松が植えられ、街道沿いだけが街として発展していて
道を外れるといきなりど田舎になるので当時の観光としての伊勢参りの経済効果は高いのと
景観の為の松を植えると言うのは
世界でも例がないそうです。
おかげ犬が優しくされたのも生類憐みの令のおかげですね!
社会でこういうの習いたかった🥺
色々物価とか調べてみたら、結構納得のいく金額だったりすることが多いんですよね。
5:58 これがシンクロニシティってやつか
テレビもネットもなく、リアルな周りが全てだった時代って考えたら
こういう旅行って今で言ったら贅沢な旅行だよね
おかげ犬かわいい
日本人は旅行好きだったんだよね
13:26 かっこいい
おかげ犬の話、やはりお金を盗んだりする罰当たりは0じゃないだろうけど、おかげ犬が成立するほどには少なかったのだろうから、やはり良いな。
女性が旅することを厳しく制限したと紹介されたあとに江戸の旅は助け合いという結論付けをするとちょっとおかしいかもしれません
弥次喜多道中記などでそうした助け合いのエピソードを紹介したあとで結論されたほうが良いような気がします
「ぐれ宿」・・・さしずめ今ならライダーハウスですかね?
結構な人が命を落としてそう
許可制とはいえ幕府が道中差し(武器)の携帯を認めるぐらいだから、追い剥ぎもそうだけど野犬に出くわす危険が高かったと思われる。
現代で言うツアーコンダクターがいたり、関所はイミグレーション、手形はパスポートやビザに当たるかな?
規模や難易度は違うとはいえ仕組みそのものは現代とほぼ変わっていなくて、江戸時代の文化水準の高さに驚く
>商売道具や旅先で買ったお土産物は前もって送っていた。
さらっと言ってるが当時の宅急便ってどうなってたのか気になった。(飛脚で送る手紙は別として)
宿場を指定してそこで受け取るとかできたんだろうか。
馬の背中に荷物積んだ配送便も街道を行き来してたりするのかも。
「万巻の書を読み
千里の道を行ったものでなければ
ともに語るに足りない」
て 文字通りの選良の話しなんですね
江戸から伊勢は遠いから一生で一回だろうが、箱根や富士だと一生で三回ぐらいは行けるな。
9:25
寺にお伊勢参りした犬の石像…?
おおらかでいいなw
知れば知るほど治安が良かったのが分かる
若い内しか長距離を徒歩は難しいな。馬があれば日本の縦向きの移動なんて大した事ないだろうが。しかし足軽の筋肉も目を見張るものがある。歩く人はみんな鶏むね肉並にたんぱくな筋肉がぎっちぎちになってそう。脂も取ってねぇのによくやるよ。
藤屋御本陣の本陣ってそういうことだったのか...!?
うん。俺にはちょっとマニアックな内容過ぎた。
このチャンネル好きな人マジで歴史好きな人だと思う。
現代でも、泊まりの旅行なんて夢のまた夢だという庶民はいっぱいいる現実も忘れちゃいけないね。
貧乏暇なしだからこそ、余暇があって小金持ちのインバウンドが目障りで仕方がないという人が出てくる
昔は当たり前だが、信号が無かったから距離感はもっと近かった筈
あのめっちゃ幅の広い傘って、頭につけてるから手が自由になるし現代でも需要ある筈なのに、もう一度流行らないね。なんでだろう。紐で顎にかけて、邪魔になるときは後ろにスライドさせれば背中に背負えるし。すこし首元が危ないか。
犬が伊勢参りってすごすぎる。今より治安いいんじゃないか?
行きは江戸楽しみってモチベでいけるけど、帰りは行きのキツさを知ってるから帰るのだるそう
コメ欄おもろいやつ多い
この手のコンテンツ、動画は面白いのにコメント欄が臭いのが残念
現代の旅行は旅先でするもの
過去の旅行は目的地までの道
わんこ好きは昔からなのね
伊勢講ってのは初めて聞いた。なるほどねえ。
庶民にとっては一生に一度の楽しみっていうことは今でいう四季島とか瑞風くらいの価値があったんだな
だからおかげ横丁というんだねぇ
金比羅と書いて『こんぴら』と読みます。
おかげ犬ってほんとに伊勢まだ行けたのかな?
紹介されているシロがあれだけ崇められているのを見るに、やっぱり多くの犬が迷って行方不明になったり命を落としたりしたとは思うわ
帰り足痛くて無理
道中で命を落とす方も多かったでしょうね。
60年ごとに式年遷宮があるからね!
すごいな、、、、、
一度も行ったことがない伊勢神宮に犬だけで行かせるのは絶対無理だろ……途中で野良化してただろ絶対…
同じ路を行く旅人達がリレー形式で連れていったらしい
日本各地を旅行して手記を遺した女性がいますね
6:11
絶対干支が関係してるだろ
遷宮が60年ごとなので、翌年のお参りをお陰参りって説が濃厚そう。
シロ!
持ち物がiPhoneで代用できそうなものばかりだね
江戸時代のiPhoneは高価だったのかな?
古臭いが余計かな?
飛行機も船も電車も新幹線も車もあるのに一生に一度も旅行さえしなくなっていく日本人😤いいと思います😊
えぇ…
関門を無断で超えると死刑
旅くらいしか娯楽がないんだろ
銭湯や居酒屋があった
お四国参りなんてお金持たなくても大丈夫だったんだぜ。ま、途中で病に倒れる人も結構いたという事で村境には遍路墓があったりした。
国道11号線が通った時には大量の骨が出た場所がある。
俺の家もお接待用の部屋が有って無料で泊めて食事まで出してたと爺さんが言ってたな。
お接待すれば、お大師(弘法大師空海)の御蔭がもらえるとか自分の代わりにお四国米死してくれてるからとかの理由だったらしい。
明治の初めころの話。
現代においても無料接待宿(無人)が有るぜ。
お四国米死?
一生に一度か、切ないね
みんな臭そうだな・・・
どうやって犬が一匹で行ったこともない数百キロも先の目的地について帰って来れるんや