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平塚宿の話は知りませんでしたが、同様の話では『保土谷宿の呼び込みはかなりしつこいから注意せよ』というのは当時の旅指南書にも書かれているとか聞いたことがありますね。早朝に江戸を出た旅人は大抵、戸塚で一泊目を取ることになるのですが、その前の保土谷に差し掛かった時に、「次の戸塚まではこの先の権太坂(箱根駅伝でも選手泣かせの難所として有名ですよね)を超えなくてはならず、そうこうしているうちに日が暮れてしまうから保土谷で宿を取って明日朝一で出立するのが最善だよ」と、執拗に言ってくると。東海道中膝栗毛にもこのやり取りは描写されています。丁度夕刻前の中途半端な時間帯に通過する機会が多い上に隣の宿場との距離も短いという微妙な立ち位置にいる宿場町では特に客の奪い合いが熾烈だったのでしょうね。
勉強になりました!ところで、なぜ日本では「馬車」が使われなかったか(明治期には少し使用。現在も皇室関連行事では使用)という問題があります。使える技術はあったのに、江戸時代には参勤交代含め、馬車は禁止されていました。馬は人や荷を背中に乗せるだけで車は引きませんでした。街道が舗装されていなかった、橋もかけられていなかった、等馬車が使えなかった理由も指摘されていますが、馬車を使わせたくなかったから舗装しなかった、の方が当たっているとも思われます。基本的には軍事的な理由ということでしょう。馬車より人が運ぶ方がコストが安かったのかもしれません。ただし、改めて宿場間の距離は徒歩でも短かったことを考えると、どうも「宿場を維持する」ためというのも理由の一つのような気もします。行列も旅行もゆっくりの方が、宿場は助かった、それが軍事的にも意味があった、ということなのでしょうか。
ありがとうございます!
ありがとうございます(^^)
宿場町でこんなに深い話があったとは思いもしませんでした。旅の途中のただの宿のイメージでした。
東海道五十三次を前に育った自分にとっては感慨深いものでした。この動画を見て箱根駅伝や街道を観るとまた違います。
それで「東海道五十三次」か‼️私が無学なのでしょうが、目から鱗でした。
「次」の意味って、意外と知られてないですからね。
面白いなーめちゃくちゃ考えられて作られてたんだ
浅田次郎著の「一路」でも描かれているね
戸塚〜藤沢間も直ぐ近くの宿場
京都から江戸に向かうFCソフトで敵キャラ中で女性が出てくるステージは嘗て遊郭があった宿場町と知ったときは作った所はキチンと調べていたと思いました。
平塚宿の話は興味深かったです。ちなみに現在の高麗山(湘南平)の頂上は公園になっていて、展望台もあり、車で登れます。大磯に抜ける道は駅伝でもわかる通り、少しだけ登っているくらいで、山を越えるという感じではないですね。
😮
どこがヤバすぎたの?
嘘つきは商人の始まり
侍道をやろうな
何度聴いても語尾の った⤴は癖なんですかね?
多分AIなんじゃ
その癖のある喋り方が良いんじゃないか
AIも冬は鼻が詰まってるような話し方をするんやな。
大名たちの参勤交代のための宿、それが取っ掛かりでね庶民たちの旅行ブームが江戸時代に始まった この宿に宿場町が出来上がったことは、素晴らしいことだ 日本人の識字率の高さが、旅行というブームになったのだね。勉強して得た知識をもとに、訪ねてみようとする。今の海外旅行者が日本に押し寄せる気持ちと同じかな
東海道中膝毛
飛脚で何週間?どんな時間感覚してるんだ?現代人が歩いたって数日で着くだろ。😊
履き物、道路整備、飛脚→仕事→責任、スマホで考えてるだけ(妄想、想像)
@知-n5u 昔の人の方が足は丈夫だったはずなんだが。
@@知-n5u ちなみに、東海道は全行程500キロほどだろ?今の人間が普通に歩いたら時速4キロくらい。1日8時間歩けるとして30キロくらい。だとしたら、どんなに掛かっても二週間は掛からない。
平塚宿の話は知りませんでしたが、同様の話では『保土谷宿の呼び込みはかなりしつこいから注意せよ』というのは当時の旅指南書にも書かれているとか聞いたことがありますね。
早朝に江戸を出た旅人は大抵、戸塚で一泊目を取ることになるのですが、その前の保土谷に差し掛かった時に、「次の戸塚まではこの先の権太坂(箱根駅伝でも選手泣かせの難所として有名ですよね)を超えなくてはならず、そうこうしているうちに日が暮れてしまうから保土谷で宿を取って明日朝一で出立するのが最善だよ」と、執拗に言ってくると。
東海道中膝栗毛にもこのやり取りは描写されています。丁度夕刻前の中途半端な時間帯に通過する機会が多い上に隣の宿場との距離も短いという微妙な立ち位置にいる宿場町では特に客の奪い合いが熾烈だったのでしょうね。
勉強になりました!ところで、なぜ日本では「馬車」が使われなかったか(明治期には少し使用。現在も皇室関連行事では使用)という問題があります。使える技術はあったのに、江戸時代には参勤交代含め、馬車は禁止されていました。馬は人や荷を背中に乗せるだけで車は引きませんでした。街道が舗装されていなかった、橋もかけられていなかった、等馬車が使えなかった理由も指摘されていますが、馬車を使わせたくなかったから舗装しなかった、の方が当たっているとも思われます。基本的には軍事的な理由ということでしょう。馬車より人が運ぶ方がコストが安かったのかもしれません。ただし、改めて宿場間の距離は徒歩でも短かったことを考えると、どうも「宿場を維持する」ためというのも理由の一つのような気もします。行列も旅行もゆっくりの方が、宿場は助かった、それが軍事的にも意味があった、ということなのでしょうか。
ありがとうございます!
ありがとうございます(^^)
宿場町でこんなに深い話があったとは思いもしませんでした。旅の途中のただの宿のイメージでした。
東海道五十三次を前に育った自分にとっては感慨深いものでした。この動画を見て箱根駅伝や街道を観るとまた違います。
それで「東海道五十三次」か‼️
私が無学なのでしょうが、目から鱗でした。
「次」の意味って、意外と知られてないですからね。
面白いなーめちゃくちゃ考えられて作られてたんだ
浅田次郎著の「一路」でも描かれているね
戸塚〜藤沢間も直ぐ近くの宿場
京都から江戸に向かうFCソフトで敵キャラ中で女性が出てくるステージは嘗て遊郭があった宿場町と知ったときは
作った所はキチンと調べていたと思いました。
平塚宿の話は興味深かったです。ちなみに現在の高麗山(湘南平)の頂上は公園になっていて、展望台もあり、車で登れます。大磯に抜ける道は駅伝でもわかる通り、少しだけ登っているくらいで、山を越えるという感じではないですね。
😮
どこがヤバすぎたの?
嘘つきは商人の始まり
侍道をやろうな
何度聴いても語尾の った⤴は癖なんですかね?
多分AIなんじゃ
その癖のある喋り方が良いんじゃないか
AIも冬は鼻が詰まってるような話し方をするんやな。
大名たちの参勤交代のための宿、それが取っ掛かりでね庶民たちの旅行ブームが江戸時代に始まった
この宿に宿場町が出来上がったことは、素晴らしいことだ
日本人の識字率の高さが、旅行というブームになったのだね。
勉強して得た知識をもとに、訪ねてみようとする。今の海外旅行者が日本に押し寄せる気持ちと同じかな
東海道中膝毛
飛脚で何週間?どんな時間感覚してるんだ?現代人が歩いたって数日で着くだろ。😊
履き物、道路整備、飛脚→仕事→責任、スマホで考えてるだけ(妄想、想像)
@知-n5u 昔の人の方が足は丈夫だったはずなんだが。
@@知-n5u ちなみに、東海道は全行程500キロほどだろ?今の人間が普通に歩いたら時速4キロくらい。1日8時間歩けるとして30キロくらい。だとしたら、どんなに掛かっても二週間は掛からない。