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私の祖母は、奉公経験者です。私が子供のころ、奉公していた話を良く聞きました。まだ元気な時に、奉公先の近くのお寺へつれていってあげたら、懐かしく喜んでいましたのを思い出します。
三重県から新潟県へ地震のボランティアに行った時に、新潟のお婆ちゃんから、三重の紡績会社へ集団就職へ行った。と聞きました。そして結婚相手はお見合いで、結婚式の日に初めて相手の顔を見たのだと。旦那さんは奥さんの顔を写真で知ってたそう。まっちゃさんの祖母様はおいくつくらいですか?奉公行ってたなら、もう一世代上かな?俺が十代の頃は、青森から出稼ぎ?季節労働?の人が職場にいました。世の中の変化って早いですね。ありがたい時代に生まれた事を感謝しますm(_ _)m
@@度會縣民よっとん兄 さま生きていたら、100歳ぐらいでしょうかね。大正生まれで、奉公に出たのは昭和一桁ぐらいの時だったそうです。
@@まっちゃ-z7m さん昭和初めにもまだ奉公が有ったのですね。ご返信ありがとうございます。
@@度會縣民よっとん兄 さま江戸時代~明治の頃の名残で、昭和初期でもあったのでしょうね。祖母が生きていたら、昔のことで教えてほしいことがたくさんあります。
ありがとうございます!
ナイスパ👏💰
返信が遅くなりました。サンクスありがとうございます
物語の『まりさどん』に現実の魔理沙(うp主の心の声?)がツッコむのがシュールwwwなお亡き父は集団就職世代で、田舎からラーメン屋に修行に入って30代半ばで店を持った(結婚もその頃お見合)らしいから、姿が被ってしんみりしました。
食事内容は基本ご飯と味噌汁・漬物、安い時のみ魚が付く(精々鰯・鯵・秋刀魚くらいか?)用事や休日で外出できるときは小遣いが支給されるから、この時に蕎麦や団子などを食べてたりするかで脚気になるかならないかの分岐だったのでは?と思うときがあります
今日日、サンマが不漁で半ば高級魚。🐟️
@@五十嵐真一-h6v 毎日、ご飯と大根の煮物ですね
他では取り上げない超ニッチなテーマ扱ってくれるのが嬉しいです。
私の母方の曽祖父も小学校を行かせてもらえず丁稚奉公に行かされ、そこで読み書き算盤を教わり、大番頭までのぼりつめたみたいです。
時代劇では旗本のお姫様付きの武士が、店の手代なんかに威張り散らしているけど、下手したら手代のほうが給料もらっているかもしれないと思うと、時代劇の見方も変わってきますね。
武士なのに月給三両と月給四両の手代・・・今で言ったら契約採用の役所の窓口担当と中小企業の主任くらいの差か
@@マサ-t3j 武士年収で3両の人も
下手したら飯が食えないのがざらに主人や奥方が機嫌悪ければ飯抜き殴る蹴ると
また博物館とか城跡訪問とかのリアルレポ動画も待ってます
Thanksありがとうございます。近間になりますが予定しておりますのでご視聴よろしくお願いします
あなたのアイコンを見て、とても見覚えがあるのですが、松下さんでしょうか?
魔理沙どんのお話し本当に興味深く拝聴いたしました。今後も期待しております。
「あかんたれ」は不朽の名作
私の祖父が明治生まれで米屋の店番。給与は有ったけど兄が全部取っていたと。父や兄の言うことは絶対の時代だった
冒頭をどう導入するか…大好きなんだぜ。「丁稚」ときけば『あっちこっち丁稚』を思い出してしまいますが…(『あかんたれ』もそう)…近江出身の母方祖父(私の誕生後一カ月に死亡)も…奉公に出てたときかされたな…。まりさどん…これは「新シリーズ」の予感か?(なかなか本音のツッコミ?ボケ?素?wが面白かった)
新撰組・副長の土方歳三も、11歳の頃に「上野広小路の呉服商・いとう松坂屋」に奉公に出されましたが、番頭に叱られたのがきっかけで逃げ出して実家に帰ったそうです。その後、17歳の時に「大伝馬町の呉服屋」に2度目の奉公に出ましたが、今回は女性問題を起こしてクビになって再び実家に帰ったという逸話が残されています。
実家が裕福だったからですね!😅
貧乏長屋の子では松坂屋に奉公できません。ある程度の家の子でなくては。土方歳三は豪農の家の子でしたから松坂屋の丁稚になれました。
白木屋って地元由来なのか。今でも有るのかな?小6で勉強出来ても親元離れて見知らぬ土地で仕事するって相当色々大変、辛かったと思う。
昭和33年に東急百貨店に買収されて消滅しました。老舗の名前を大事にしないんですよ、あの頃の日本は。
1960年代に経営権でさんざん揉めて東急百貨店に吸収合併されて東急日本橋店に。それも近年閉店、今ではCOREDO日本橋になってます
テレビ創成期の「番頭はんと丁稚どん」ってコメディー番組で、大村昆さん演じる丁稚の役名が「昆松」だったのはそういう慣例だったのね
ああ、懐かしい番組ですね
今でも私の街の郊外、野原にポツンとオロナミン大村崑と、ボンカレー叔母さんのホーロー看板、微笑んでるよ。
ああ、この番組懐かしい!番頭ハンは雁之助師匠だったっけ?番頭はんの貫禄があったなあ。
江戸時代は人身売買は禁止だったので、遊郭に身売りするときは建前上養子縁組してました。養子も女子は禁止だったので、男の子の名前を使って男子養子といって誤魔化してます。そのような事情で江戸の遊女は店では「桃太郎」や「金太郎」などの男の子の名前で呼ばれていました。
23:20大沢たかおと綾瀬はるかさんの出番ですね。そしてペニシリンも。23:42・・・「同じ釜の飯を食う」「同期の桜」。そんな高校時代を送れたら、どんなに幸せだったのか。
農作業も辛いが商家への奉公人も十分辛いな・・・相当な社畜じゃないと独立なんて夢のまた夢だな。
まだ、農家のほうが自由恋愛だからいいかも
でもどんな家に生まれても確実に叩き上げが可能で実力主義やぞ
吉原の前借年季奉公は奉公期間中の生活費や衣装代、部屋代なんかも前借金に加算されていったから、それこそ身請けされない限り返し切れなかったらしい。
松下幸之助も丁稚奉公に出されていました9才から
それが世界の松下。やはり、身分の固定化は悪だろうな
武家の子供も商家で奉公人になっていたみたいですね。1200石の旗本である初鹿野信興という武士は、幼少期奉公に出てます。
『あかんたれ』の世界ですね。勉強になります。
時代劇で江戸の様子を描くこと多いの関西ものは貴重ですね
伊勢 近江 関西が商人の三大勢力
18:53数えで11歳。当時は生まれた瞬間に1歳と数えるし、基本的に正月が過ぎたら一斉に歳を重ねるというカウント方式なのでタイミングによってはマイナス2歳。するってえと今の加齢方式だと9歳くらいってことだから、厳しいな~。
一昔前まで美容師も奉公制でしたね。祖母から師匠の家に住み込みで子守りや買い物など美容の仕事以外もやらされて大変だったと聞いたことある。
丁稚→手代→番頭→暖簾分けで《主》。苦労して成り上がる見本。
独立できるまで結婚できないとかきつい
丁稚どんと言えば丁稚羊羹!美味しいですよ。滋賀にお越しの際は是非お土産にどうぞ!
先日食べて虜になりました❤水羊羹に近いさっぱりしたお味なのがよろし。お正月休暇の時に実家に土産として持ち帰ったらしいので、お正月のお菓子みたいですね。
何だかとっても泣けますなぁ・・・
まりさどん、ゆっくりの守のようにスピンオフ作品として製作してくれないかな?
まりさどん お店を持つ 手代編
以前読んだ江戸時代の資料では、丁稚から番頭まで上がれる人間は300人に1人だったらしい。店によっては番頭になると近所の長屋を借りて通いになる所もあったとかそこで妻帯して、暖簾分けまで頑張るという人もいた模様です。暖簾分けや行商から店を構えた人もいたんでしょうね。※節約して、貯金する人間は「江戸っ子のなりぞこない」などと呼ばれバカにされてたような風潮があったみたいですが
月末が心配な俺は江戸っ子や〜〜(笑)
今回もとても興味深いです。順調でも独立が許される頃には30過ぎってなかなか厳しいですが、衣食住保証で教育をしつつ育て、商人として一定の信用を得るとなれば自ずからそうなってしまうんでしょうね。才覚があれば成り上がれるあたり、腕一本の職人の世界より夢がでかそうです。
今だったら大企業商社に出来の良い小学生を入れて教育&職業訓練するようなもの今でも最近話題になった車メーカーは自前の訓練学校を工場内に持っていて丁稚に近いシステム持っていたのだけど会社自体危ないね
そんなに故郷に帰れないものなのか…。海外在住なので途中まで自分に投影しながら感慨深く観てました。しかし考えてみれば、私などはここ数年は2年おきに有給で帰省して、しかも頻繁に両親や日本の友達とZoomしてます。実際に今こうして日本のコンテンツを観てるわけですし。移動手段が徒歩しか無く通信技術も未発達だった時代には、上方から江戸に行くのは現在の私達が日本からアメリカに行くよりももっと覚悟のいる決断だったかもしれませんね。
白木屋といえば、どうしてもヒゲのおじさんのコースターの居酒屋さんを思い浮かべてしまうが...。そんなことはさておき、長年高齢者介護の仕事をしていると「若い時に丁稚奉公に行ってねえ...」なんて話をよく聞きます。詳しい話って知らなかったんで大変勉強になりました!
士官の例え分かり易かったです!
感動したぞ まりさどん れいむどん
その昔、叔父の下で将来店を持つことを夢見る青年がいた。地図を作るのが得意な青年だったのだが、地図を作るのに夢中になり過ぎて、何年経っても自分の店を持つことが出来なかった。暫く見ない間があったが、後にその青年は声優になったそうな。元々商いのセンスは無い彼だったが、人間いつどうなるかは分からないものですね。
戦前派の祖父母も東京と横浜の商家に奉公してた話を聞ききました。その時ドラマのおしんを見ながらこんな辛かったと聞くと 二人とも「旦那さんもおかみさんも奉公してる衆らもみんなおなじ部屋で飯食ってひとつの家族だったからこんなひどくはなかった」と言っていましたね。そこでは仕事以外に礼儀作法や家事・商売のいろはを学んだために、奉公が終わって静岡に帰れば一人前として認められたとか…。そのせいか祖父母ともに早起きと毎日の家の掃除には厳しく、神棚の手入れは亡くなるまで続けていました。
18:58 かわいい!!
一生親方日の丸で安泰かと思いきや6年以内に陸曹に昇進できないと解雇される一般曹候補生みたいなシビアな世界は現代でもあるけど、リタイアしても帰る場所もなく良くて一生針の筵の厄介者、悪ければ無宿か渡世人かというまりさどんみたいな子とは比べ物にならないか
ちょっと前だと看護婦さん(当時)が看護学校と寮と病院でしたね
こういう話、調べてもなかなか詳しいのが出てこなかったからありがたい…!何か参考にしてる本とかありますか?
あの頃でも、人事は結構しっかりしていたんだね、現代とそれほど変わらない、と言うか、当時から連綿と継続されていたと言うことか。
曽祖父は神社の長男だったけど、明治維新でお説教している場合じゃない。地元の繊維業もこれからは工業化の時代だと繊維系機械の職人(エンジニア)・経営者になったらしい。それ以来、祖父は重工業、父は流通・小売りと時代の職人を続けている。
当時の極一部しかいない超大企業のエリートビジネスマンならわからなくもない奉公の厳しさだけど、中小はもっと厳しいのか緩いのかどうだったんだろう?
白木屋は東急百貨店日本橋店でしたね。白木屋の屋号が白星に繫がると力士の化粧廻しを引き受けて繁盛していましたね。
今回も面白かったです売掛金の回収って言葉にドキッとしましたw最近ちょっと不良が増えてきてるんですよね・・・
たくさん意味もなく、物を買う会社は計画倒産するケースが多い
私は、熊本で貿易と農業用品及び印刷物販売をしており、親父のとこと分離独立して会社を起こして3年ほどやってきて思ったのが、今でも、日本は、農業や業者間取引はかけ売りで、農家向けは、半年払いもありますから自分自身、日本の商売は(中国も掛け売りもあるので)江戸時代から大きく変わらないと思います。
なんか、話だけで涙ぐむ感じです。
以前学園物の漫画で主人公がものを知らない為「俺先生に「でっちぼうこうしか無いな。」と言われたと進学できると思いこんでいるので周りがずっこけると言う作品を思い出しました。
こういう話を聞くと落語の藪入りを思い出すわ
日本は雇用形態が世界と比べて違いがあるんですから、世界の標準に合わす必要はないと思いますけどね。
どの様な雇用形態が良いかは仕事により色々とあると思いますので、何か一つの標準にとらわれる事なく多様である国であってほしいですね。
グローバルスタンダードの罠ですね。竹O平蔵とかいう男がどさくさに紛れて自分だけが儲かる仕組みを作って肥え太りました
@@M司書 さんほんま👏👏👏😃
俺たちの戦いはこれからだ! 完
なんか、すげー懐かしい。オッサンがはじめて勤めたマグロ屋(仲買店)じゃ、15歳だったオッサンは「小僧さん」って呼ばれた。会長は「大旦那さん」、社長は「旦那さん」、部長は「番頭さん」って呼ばれてた。直属の上司は「親方」だった。高校(定時制)に通わせてもらって、調理師免許も取らせてもらった。親方は筆頭の番頭さんで、やたら面倒見のいい人だったけど、怒らせると鬼より怖い人だった。親方に空手を習った。なんか、涙出てきた。なんか懐かしい。
健康で生き残るだけでも運がよいほうだからね。
それは今の時代の日本でも一緒ですな。
面白かった♪ 奉公というと、”奴隷”っぽい感覚があったのですが、これは現代の”社会人”と同じではないですかwww与えられた環境に、どう適応して、どうサバイバルしていくのか、今回のお話は、是非若い方たちに見てほしいなあ (*´∇`*)
終身雇用制度もある意味奉公人制度の近現代版だったんかな。
日曜日が無いから盆と正月以外はずっと仕事なのかな?
定休日やお祭りは休みです
基本的年2回だけの休みだけで基本なし更にはご飯食べれない場合あるからね
@@kathuyaaa-1115 天地創造した外国の神様ですら週一で安息日やのにな。
@@弾正だんじょう昔年寄り聞きましたが地獄の釜が開く日は休みで年2回だと聞きましたが地域により違い下手したら1月16日は地獄の釜開く日らしく、それ以外は休みがなく大変と年寄り達から聞きました下手したら暴力は日常的であまり良い身分でなく逃げては不良やらになるとか
百年目とか聞くと奉公て形態も悪くないのではと思える
魔理沙どん 霧雨魔法店に奉公に出る、の巻魔理沙って原作では大店の一人娘、、、、、
この譬話はニートのまりさどんには辛すぎる。
「ほうこう」と言えば、コーエーの「鋼鉄の咆哮」
丁稚……98式丁稚……うっ!頭が……(´;ω;`)
「下人」「奴隷」「奉公」内容、実態は古今東西でかなり変わる。付け加えれば「年功序列」「終身雇用」なんて、いわばマッカーサーのプレゼント、我が国の伝統でも何でもない。
現代でも試用期間という奉公に近い制度もあります。
あれは適性があるか見る期間
@@マサ-t3j そうなんですが、給料も少なく、ボーナスを貰える期間に含まれないのは悲しいものがあります。
来た来た
うだつの上がらないその他大勢で他人を蹴落とし生き残った昭和のお気楽歌手みたいなもんか名前は確か金太郎飴の始祖植木等だっけ?
ハードワークを毛嫌いするTwitter社の社員どもに見せたい動画No.1やな(真顔
給金でて、やる時はヤル 抜く時はヌクで吉原かと思った
こらこら(笑)同じくやけどさ😅
近江屋商人は4歳くらいで丁稚 30歳で年期明け(定年)退職金2千両
どれを元に開業。
それをもとに開業
昏い陰であるデッチ、若衆への同性愛の強要などは割愛せず取り上げて欲しかった。江戸の丁稚奉公はこうした性的な犠牲がいわば最初から前提となった悲惨なものだったことは、実際、多くの文献に残っている。
ちょ。。。丁稚奉公
いつも丁寧でわかりやすい解説ありがとうございます。しかし、本筋から逸れてしまいますが、5:06の「農奴制」は正しくないと思います。少なくとも江戸時代に「農奴」がいたなんて聞いたことがありませんし、領主が領民を売買の対象になんてしていません。土地に紐づけしているだけで「農奴制」というのは発想が飛躍しすぎているのではないでしょうか?
当時の商家は今のブラック企業よりキツかったのでは?www知らんけど
今で言ったら身一つで都会にいって成り上がるようなものでは
これがブラック企業の原型ですね。w
逆に武家奉公人の下人のほうがやばかった一年契約で安い
どこが?
なさん
今で言ったらニートで終わるなら都会の教育機関で教育されて就職したほうがましといったようなものか
明治になれば丁稚奉公は児童虐待以外の何物でもないけどなあ(義務教育無視)ゆたぼんさんは自ら私設丁稚奉公に出ていると解釈すればよいのか
えΣ(゚Д゚)
丁稚奉公が西洋の奴隷に近いってのはさすがに言い過ぎだろ。西洋の奴隷は完全に領主の所有物で、言うことを聞かないと鞭で叩かれてたからな。紐や手枷をつけて歩かされたり、不当な理由でころされても役人に裁かれることもない。動物と同じ扱いだよ。
日本の丁稚奉公は昔機嫌悪ければ飯抜きに暴力は普通にあるだよな
ーコメだ!
成績の悪い子、粗暴な子は通常の小中学校には通学させず、こういう奉公制度で鍛え直すっていうこともあってもいいかも。
お店にとっては迷惑至極
自殺者増えるが貴様は責任とれますか?
@@kathuyaaa-1115 そういうことに耐えられるよう厳しくして社会に役立つ人間をつくることが社会の発展につながります。
私の祖母は、奉公経験者です。私が子供のころ、奉公していた話を良く聞きました。まだ元気な時に、奉公先の近くのお寺へつれていってあげたら、懐かしく喜んでいましたのを思い出します。
三重県から新潟県へ地震のボランティアに行った時に、新潟のお婆ちゃんから、三重の紡績会社へ集団就職へ行った。と聞きました。
そして結婚相手はお見合いで、結婚式の日に初めて相手の顔を見たのだと。
旦那さんは奥さんの顔を写真で知ってたそう。
まっちゃさんの祖母様はおいくつくらいですか?
奉公行ってたなら、もう一世代上かな?
俺が十代の頃は、青森から出稼ぎ?季節労働?の人が職場にいました。
世の中の変化って早いですね。
ありがたい時代に生まれた事を感謝しますm(_ _)m
@@度會縣民よっとん兄 さま
生きていたら、100歳ぐらいでしょうかね。大正生まれで、奉公に出たのは昭和一桁ぐらいの時だったそうです。
@@まっちゃ-z7m さん
昭和初めにもまだ奉公が有ったのですね。
ご返信ありがとうございます。
@@度會縣民よっとん兄 さま
江戸時代~明治の頃の名残で、昭和初期でもあったのでしょうね。祖母が生きていたら、昔のことで教えてほしいことがたくさんあります。
ありがとうございます!
ナイスパ👏💰
返信が遅くなりました。サンクスありがとうございます
物語の『まりさどん』に現実の魔理沙(うp主の心の声?)がツッコむのがシュールwww
なお亡き父は集団就職世代で、田舎からラーメン屋に修行に入って30代半ばで店を持った(結婚もその頃お見合)らしいから、姿が被ってしんみりしました。
食事内容は基本ご飯と味噌汁・漬物、安い時のみ魚が付く(精々鰯・鯵・秋刀魚くらいか?)
用事や休日で外出できるときは小遣いが支給されるから、この時に蕎麦や団子などを食べてたりするかで
脚気になるかならないかの分岐だったのでは?と思うときがあります
今日日、サンマが不漁で半ば高級魚。🐟️
@@五十嵐真一-h6v 毎日、ご飯と大根の煮物ですね
他では取り上げない超ニッチなテーマ扱ってくれるのが嬉しいです。
私の母方の曽祖父も小学校を行かせてもらえず丁稚奉公に行かされ、そこで読み書き算盤を教わり、大番頭までのぼりつめたみたいです。
時代劇では旗本のお姫様付きの武士が、店の手代なんかに威張り散らしているけど、下手したら手代のほうが給料もらっているかもしれないと思うと、時代劇の見方も変わってきますね。
武士なのに月給三両と月給四両の手代・・・
今で言ったら契約採用の役所の窓口担当と中小企業の主任くらいの差か
@@マサ-t3j 武士年収で3両の人も
下手したら飯が食えないのがざらに
主人や奥方が機嫌悪ければ飯抜き殴る蹴ると
また博物館とか城跡訪問とかのリアルレポ動画も待ってます
Thanksありがとうございます。近間になりますが予定しておりますのでご視聴よろしくお願いします
あなたのアイコンを見て、とても見覚えがあるのですが、松下さんでしょうか?
魔理沙どんのお話し本当に興味深く拝聴いたしました。
今後も期待しております。
「あかんたれ」は不朽の名作
私の祖父が明治生まれで米屋の店番。給与は有ったけど兄が全部取っていたと。父や兄の言うことは絶対の時代だった
冒頭をどう導入するか…大好きなんだぜ。
「丁稚」ときけば『あっちこっち丁稚』を思い出してしまいますが…(『あかんたれ』もそう)…近江出身の母方祖父(私の誕生後一カ月に死亡)も…奉公に出てたときかされたな…。
まりさどん…これは「新シリーズ」の予感か?(なかなか本音のツッコミ?ボケ?素?wが面白かった)
新撰組・副長の土方歳三も、11歳の頃に「上野広小路の呉服商・いとう松坂屋」に奉公に出されましたが、番頭に叱られたのがきっかけで逃げ出して実家に帰ったそうです。
その後、17歳の時に「大伝馬町の呉服屋」に2度目の奉公に出ましたが、今回は女性問題を起こしてクビになって再び実家に帰ったという逸話が残されています。
実家が裕福だったからですね!😅
貧乏長屋の子では松坂屋に奉公できません。ある程度の家の子でなくては。土方歳三は豪農の家の子でしたから松坂屋の丁稚になれました。
白木屋って地元由来なのか。
今でも有るのかな?
小6で勉強出来ても親元離れて見知らぬ土地で仕事するって相当色々大変、辛かったと思う。
昭和33年に東急百貨店に買収されて消滅しました。老舗の名前を大事にしないんですよ、あの頃の日本は。
1960年代に経営権でさんざん揉めて東急百貨店に吸収合併されて東急日本橋店に。それも近年閉店、今ではCOREDO日本橋になってます
テレビ創成期の「番頭はんと丁稚どん」ってコメディー番組で、大村昆さん演じる丁稚の役名が「昆松」だったのはそういう慣例だったのね
ああ、懐かしい番組ですね
今でも私の街の郊外、野原にポツンとオロナミン大村崑と、ボンカレー叔母さんのホーロー看板、微笑んでるよ。
ああ、この番組懐かしい!番頭ハンは雁之助師匠だったっけ?番頭はんの貫禄があったなあ。
江戸時代は人身売買は禁止だったので、遊郭に身売りするときは建前上養子縁組してました。養子も女子は禁止だったので、男の子の名前を使って男子養子といって誤魔化してます。
そのような事情で江戸の遊女は店では「桃太郎」や「金太郎」などの男の子の名前で呼ばれていました。
23:20大沢たかおと綾瀬はるかさんの出番ですね。そしてペニシリンも。
23:42・・・「同じ釜の飯を食う」「同期の桜」。そんな高校時代を送れたら、どんなに幸せだったのか。
農作業も辛いが商家への奉公人も十分辛いな・・・相当な社畜じゃないと独立なんて夢のまた夢だな。
まだ、農家のほうが自由恋愛だからいいかも
でもどんな家に生まれても確実に叩き上げが可能で実力主義やぞ
吉原の前借年季奉公は奉公期間中の生活費や衣装代、部屋代なんかも前借金に加算されていったから、それこそ身請けされない限り返し切れなかったらしい。
松下幸之助も丁稚奉公に出されていました9才から
それが世界の松下。
やはり、身分の固定化は悪だろうな
武家の子供も商家で奉公人になっていたみたいですね。1200石の旗本である初鹿野信興という武士は、幼少期奉公に出てます。
『あかんたれ』の世界ですね。勉強になります。
時代劇で江戸の様子を描くこと多いの関西ものは貴重ですね
伊勢 近江 関西が商人の三大勢力
18:53数えで11歳。
当時は生まれた瞬間に1歳と数えるし、基本的に正月が過ぎたら一斉に歳を重ねるというカウント方式なのでタイミングによってはマイナス2歳。
するってえと今の加齢方式だと9歳くらいってことだから、厳しいな~。
一昔前まで美容師も奉公制でしたね。
祖母から師匠の家に住み込みで子守りや買い物など美容の仕事以外もやらされて大変だったと聞いたことある。
丁稚→手代→番頭→暖簾分けで《主》。
苦労して成り上がる見本。
独立できるまで結婚できないとかきつい
丁稚どんと言えば丁稚羊羹!美味しいですよ。
滋賀にお越しの際は是非お土産にどうぞ!
先日食べて虜になりました❤
水羊羹に近いさっぱりしたお味なのがよろし。お正月休暇の時に実家に土産として持ち帰ったらしいので、お正月のお菓子みたいですね。
何だかとっても泣けますなぁ・・・
まりさどん、ゆっくりの守のようにスピンオフ作品として
製作してくれないかな?
まりさどん お店を持つ 手代編
以前読んだ江戸時代の資料では、丁稚から番頭まで上がれる人間は300人に1人だったらしい。店によっては番頭になると近所の長屋を借りて通いになる所もあったとか
そこで妻帯して、暖簾分けまで頑張るという人もいた模様です。暖簾分けや行商から店を構えた人もいたんでしょうね。
※節約して、貯金する人間は「江戸っ子のなりぞこない」などと呼ばれバカにされてたような風潮があったみたいですが
月末が心配な俺は江戸っ子や〜〜(笑)
今回もとても興味深いです。順調でも独立が許される頃には30過ぎってなかなか厳しいですが、衣食住保証で教育をしつつ育て、商人として一定の信用を得るとなれば自ずからそうなってしまうんでしょうね。才覚があれば成り上がれるあたり、腕一本の職人の世界より夢がでかそうです。
今だったら大企業商社に出来の良い小学生を入れて教育&職業訓練するようなもの
今でも最近話題になった車メーカーは自前の
訓練学校を工場内に持っていて丁稚に近いシステム持っていたのだけど会社自体危ないね
そんなに故郷に帰れないものなのか…。海外在住なので途中まで自分に投影しながら感慨深く観てました。しかし考えてみれば、私などはここ数年は2年おきに有給で帰省して、しかも頻繁に両親や日本の友達とZoomしてます。実際に今こうして日本のコンテンツを観てるわけですし。
移動手段が徒歩しか無く通信技術も未発達だった時代には、上方から江戸に行くのは現在の私達が日本からアメリカに行くよりももっと覚悟のいる決断だったかもしれませんね。
白木屋といえば、どうしてもヒゲのおじさんのコースターの居酒屋さんを思い浮かべてしまうが...。
そんなことはさておき、長年高齢者介護の仕事をしていると「若い時に丁稚奉公に行ってねえ...」なんて話をよく聞きます。詳しい話って知らなかったんで大変勉強になりました!
士官の例え分かり易かったです!
感動したぞ まりさどん れいむどん
その昔、叔父の下で将来店を持つことを夢見る青年がいた。
地図を作るのが得意な青年だったのだが、地図を作るのに夢中になり過ぎて、何年経っても自分の店を持つことが出来なかった。
暫く見ない間があったが、後にその青年は声優になったそうな。
元々商いのセンスは無い彼だったが、人間いつどうなるかは分からないものですね。
戦前派の祖父母も東京と横浜の商家に奉公してた話を聞ききました。その時ドラマのおしんを見ながらこんな辛かったと聞くと 二人とも「旦那さんもおかみさんも奉公してる衆らもみんなおなじ部屋で飯食ってひとつの家族だったからこんなひどくはなかった」と言っていましたね。そこでは仕事以外に礼儀作法や家事・商売のいろはを学んだために、奉公が終わって静岡に帰れば一人前として認められたとか…。
そのせいか祖父母ともに早起きと毎日の家の掃除には厳しく、神棚の手入れは亡くなるまで続けていました。
18:58 かわいい!!
一生親方日の丸で安泰かと思いきや6年以内に陸曹に昇進できないと解雇される一般曹候補生みたいなシビアな世界は現代でもあるけど、リタイアしても帰る場所もなく良くて一生針の筵の厄介者、悪ければ無宿か渡世人かというまりさどんみたいな子とは比べ物にならないか
ちょっと前だと看護婦さん(当時)が看護学校と寮と病院でしたね
こういう話、調べてもなかなか詳しいのが出てこなかったからありがたい…!何か参考にしてる本とかありますか?
あの頃でも、人事は結構しっかりしていたんだね、現代とそれほど変わらない、と言うか、当時から連綿と継続されていたと言うことか。
曽祖父は神社の長男だったけど、明治維新でお説教している場合じゃない。地元の繊維業もこれからは工業化の時代だと
繊維系機械の職人(エンジニア)・経営者になったらしい。それ以来、祖父は重工業、父は流通・小売りと時代の職人を続けている。
当時の極一部しかいない超大企業のエリートビジネスマンならわからなくもない奉公の厳しさだけど、中小はもっと厳しいのか緩いのかどうだったんだろう?
白木屋は東急百貨店日本橋店でしたね。白木屋の屋号が白星に繫がると力士の化粧廻しを引き受けて繁盛していましたね。
今回も面白かったです
売掛金の回収って言葉にドキッとしましたw
最近ちょっと不良が増えてきてるんですよね・・・
たくさん意味もなく、物を買う会社は計画倒産するケースが多い
私は、熊本で貿易と農業用品及び印刷物販売をしており、親父のとこと分離独立して会社を起こして3年ほどやってきて思ったのが、今でも、日本は、農業や業者間取引はかけ売りで、農家向けは、半年払いもありますから自分自身、日本の商売は(中国も掛け売りもあるので)江戸時代から大きく変わらないと思います。
なんか、話だけで涙ぐむ感じです。
以前学園物の漫画で主人公がものを知らない為「俺先生に「でっちぼうこうしか無いな。」と言われたと進学できると思いこんでいるので周りがずっこけると言う作品を思い出しました。
こういう話を聞くと
落語の藪入りを思い出すわ
日本は雇用形態が世界と比べて違いがあるんですから、世界の標準に合わす必要はないと思いますけどね。
どの様な雇用形態が良いかは仕事により色々とあると思いますので、何か一つの標準にとらわれる事なく多様である国であってほしいですね。
グローバルスタンダードの罠ですね。竹O平蔵とかいう男がどさくさに紛れて自分だけが儲かる仕組みを作って肥え太りました
@@M司書 さん
ほんま👏👏👏😃
俺たちの戦いはこれからだ! 完
なんか、すげー懐かしい。
オッサンがはじめて勤めたマグロ屋(仲買店)じゃ、15歳だったオッサンは「小僧さん」って呼ばれた。会長は「大旦那さん」、社長は「旦那さん」、部長は「番頭さん」って呼ばれてた。直属の上司は「親方」だった。
高校(定時制)に通わせてもらって、調理師免許も取らせてもらった。
親方は筆頭の番頭さんで、やたら面倒見のいい人だったけど、怒らせると鬼より怖い人だった。
親方に空手を習った。
なんか、涙出てきた。
なんか懐かしい。
健康で生き残るだけでも運がよいほうだからね。
それは今の時代の日本でも一緒ですな。
面白かった♪ 奉公というと、”奴隷”っぽい感覚があったのですが、これは現代の”社会人”と同じではないですかwww
与えられた環境に、どう適応して、どうサバイバルしていくのか、今回のお話は、是非若い方たちに見てほしいなあ (*´∇`*)
終身雇用制度もある意味奉公人制度の近現代版だったんかな。
日曜日が無いから
盆と正月以外はずっと仕事なのかな?
定休日やお祭りは休みです
基本的年2回だけの休みだけで基本なし
更にはご飯食べれない場合あるからね
@@kathuyaaa-1115 天地創造した外国の神様ですら週一で安息日やのにな。
@@弾正だんじょう昔年寄り聞きましたが地獄の釜が開く日は休みで年2回だと聞きましたが地域により違い下手したら1月16日は地獄の釜開く日らしく、それ以外は休みがなく大変と年寄り達から聞きました
下手したら暴力は日常的であまり良い身分でなく逃げては不良やらになるとか
百年目とか聞くと奉公て形態も悪くないのではと思える
魔理沙どん 霧雨魔法店に奉公に出る、の巻
魔理沙って原作では大店の一人娘、、、、、
この譬話はニートのまりさどんには辛すぎる。
「ほうこう」と言えば、コーエーの「鋼鉄の咆哮」
丁稚……98式丁稚……うっ!頭が……(´;ω;`)
「下人」「奴隷」「奉公」
内容、実態は古今東西でかなり変わる。
付け加えれば「年功序列」「終身雇用」なんて、いわばマッカーサーのプレゼント、我が国の伝統でも何でもない。
現代でも試用期間という奉公に近い制度もあります。
あれは適性があるか見る期間
@@マサ-t3j そうなんですが、給料も少なく、ボーナスを貰える期間に含まれないのは悲しいものがあります。
来た来た
うだつの上がらないその他大勢で他人を蹴落とし生き残った昭和のお気楽歌手みたいなもんか
名前は確か金太郎飴の始祖植木等だっけ?
ハードワークを毛嫌いするTwitter社の社員どもに見せたい動画No.1やな(真顔
給金でて、やる時はヤル 抜く時はヌクで
吉原かと思った
こらこら(笑)
同じくやけどさ😅
近江屋商人は4歳くらいで丁稚 30歳で年期明け(定年)退職金2千両
どれを元に開業。
それをもとに開業
昏い陰であるデッチ、若衆への同性愛の強要などは割愛せず取り上げて欲しかった。江戸の丁稚奉公はこうした性的な犠牲がいわば最初から前提となった悲惨なものだったことは、実際、多くの文献に残っている。
ちょ。。。丁稚奉公
いつも丁寧でわかりやすい解説ありがとうございます。
しかし、本筋から逸れてしまいますが、
5:06の「農奴制」は正しくないと思います。
少なくとも江戸時代に「農奴」がいたなんて聞いたことがありませんし、
領主が領民を売買の対象になんてしていません。
土地に紐づけしているだけで「農奴制」というのは発想が飛躍しすぎているのではないでしょうか?
当時の商家は今のブラック企業よりキツかったのでは?www知らんけど
今で言ったら身一つで都会にいって成り上がるようなものでは
これがブラック企業の原型ですね。w
逆に武家奉公人の下人のほうがやばかった
一年契約で安い
どこが?
なさん
今で言ったらニートで終わるなら都会の教育機関で教育されて就職したほうがましといったようなものか
明治になれば丁稚奉公は児童虐待以外の何物でもないけどなあ(義務教育無視)
ゆたぼんさんは自ら私設丁稚奉公に出ていると解釈すればよいのか
えΣ(゚Д゚)
丁稚奉公が西洋の奴隷に近いってのはさすがに言い過ぎだろ。西洋の奴隷は完全に領主の所有物で、言うことを聞かないと鞭で叩かれてたからな。紐や手枷をつけて歩かされたり、不当な理由でころされても役人に裁かれることもない。動物と同じ扱いだよ。
日本の丁稚奉公は昔機嫌悪ければ飯抜きに暴力は普通にあるだよな
ーコメだ!
成績の悪い子、粗暴な子は通常の小中学校には通学させず、こういう奉公制度で鍛え直すっていうこともあってもいいかも。
お店にとっては迷惑至極
自殺者増えるが貴様は責任とれますか?
@@kathuyaaa-1115 そういうことに耐えられるよう厳しくして社会に役立つ人間をつくることが社会の発展につながります。