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うちの嫁の母方の先祖になります。幕府より闕所(財産没収)処分受けた時に千両箱を荷車に積んで全国にバラバラに逃げたようですが戦後暫くは持って逃げた小判等で普通に生活出来たみたいです。
家に居ながら、こんな面白い動画が観れる今の時代が凄い✌🏼ありがとうございます。
よかった。ものすごく勉強になりました。先ず何度も拝聴し、やる気を出さねばなりません。よかった。
何のやる気?豪商に成るの?
昔漫画日本の歴史などの江戸時代のエピソードで必ずでてくる越後屋の話で、再仕官が叶った浪人が明日その藩の屋敷に行かないといけないのだが紋付の羽織がない。そのため一日で服を仕立ててくれるという越後屋に行って羽織を注文、夕方に店に行くと本当に仕立ててくれていて「ありがたい、これで明日お屋敷にいける」と喜ぶのがありましたね。当時としては驚異的な速さだったんだと思います。
後、宣伝とサービスで買い物に来た客が帰りに雨が降り越後屋の屋号が書かれた傘を無料で貸し出ししたり着物は一反で売って居たが小物を作りたい客の為に切り売りしたり商品に値札をしたり少し傷んだ商品や売れ残りを特別に安くしてバーゲンセールをして大名から庶民までの客層が広まり最終的に幕府御用達までになった。
反物から仕立てる人もいるけど、出来合いの着物も古着あつかいであるから、先に仕立てて家紋だけ刺繍かもしれないな。と思ってたが、最後まで動画を聞いて考えてみて熟練なら可能かもしれないとは思った。
淀屋が淀屋橋を作ったのは 娘を川向こうに ある 習い事を 習いに行きやすくするため だったですね(笑)😄
淀屋のすげえところって闕所になる前からそれを察知して着々と手を打ってたことなんだよね突然財産全て奪われた悲劇の豪商を演じつつ裏では再興のための準備を怠らないその強かさが豪商たる所以
昔テレビの歴史番組で淀屋が天井をガラス張りにして金魚を飼い涼を求めたシーンがあり驚いた記憶があります。以前の住友銀行本店の一帯がその跡だとのことだとか。本間家も昔琵琶湖を持っていた話とかビックリです。三井家も松阪の創業の地に行ったときに行ったとき近江から来たと聞きました。
考えてみたら、桁外れの金持ちは常識はずれのアイデアを持ってたりする実例ですね。今だったらプロジェクターで天井に映せば見れる光景なんですが。
もう30年も前になるか三井さんで遺産分与が有り證券、土地、軸 茶器等に分けられ好きな物を選ぶという方法でした。時はバブルで土地と言う意見に書画は換金性で劣るが税務署の捕捉が難しく子孫への譲り渡しに際し課税を逃れやすいと意見を具申した。所がその量を見て驚いた、座敷に山のように積まれていた。その後どうされたかは聞かなかった
大正時代に建立されたという、大理石4階建ての旧三井財閥本部で仕事していた事があったけど、格式高いその構造に驚嘆したものです。迂回している廊下を赤じゅうたんが敷き詰められていて、掃除しているオバさん曰く、着物を着た人が歩き回るのをよく見かけただとか。ちなみに銀座線三越前駅を作ったのも三越財閥らしいですねえ。あちこちに大理石と金ぴか装飾が使われているのはそういう事らしいです。
これからも解説頑張ってください!応援しています。
動画をいつも楽しく拝見させていただいております。さて、現在の地方の多くの名物が、江戸時代の特産品開発の影響と聞いたことがあります。代表的な特産品や、それにまつわるエピソードがあれば見てみたいです。
もう一つ江戸時代から現代まで生き残っている住友もやって欲しいです。こっちは江戸時代の主要輸出品である銅にも絡む話だし。
住友の源流は室町時代ですよ。世界最古の財閥らしいよ。因みに、住友の反映のきっかけら愛媛の別子銅山。だから、銅の住友なんて言われる。住友商事が銅に強いのもこの事が起源
住友は、現代でも昔から続く篤志家でもある。バブル崩壊の時に銀行から「某家の莫大な陶器コレクションを買い取って下さい。国外散逸の聞きです。ついでに美術館建てて一般公開して下さい」と泣きつかれて協議。買い取って調査。自分達のコレクションも加えて美術館建てて「丸ごと大阪市に寄付」とかしている。(大阪市立東洋陶器美術館)
加賀の豪商 銭屋五兵衛も最期はとてつもなく悲惨だったと言いますね。
太く短いが、あるところでつまづかなければ子孫も続いたのだろうね。ただ、ここの子孫も続いてたら加賀も維新の方に行ったかもしれないね。
おいおい鎖国破りは重罪だろ。淀屋と一緒にすんなよ
金融の基本だけど、現金による預金や資産がなくても、金融業者に大きな信用力があれば手形や通帳の数字だけで貸付を行うことができる。天文学的な資金融資は現金では無く帳簿上の数字を動かすだけで行われるし、金融業者の金庫はブラックボックスだから、金融業者は借り手に返済能力があると考えうる限りは、無制限に貸し付けを行うことができる。これを信用創造といって、金融工学の基本的な考え方らしい。
淀屋は余りにも豪商になりすぎたので潰されたがその子孫が明治時代幕府打倒に資金を出して復讐をしてるな。
大丸や野村證券なんかも元は大阪やな。
@@Laurel-2.5clubs 創業って意味じゃ三菱・住友もな。三井も創業は三重だし近畿だらけだよ
まってたよー
三井高利はかなり歳をとってから才能発揮しているけどね~!
伊勢商人のルーツは、秀吉によって蒲生氏郷が近江日野から松坂城主に転封された時に同行した近江商人、と聞いたような。
蒲生氏郷。イチバン好き
どっちにしろ今の東京は政府系企業以外、近畿創業だらけ
紀伊国屋文左衛門のお大尽ぶりは他の商人の逸話を集めた伝説だという説もありますが、淀屋はガラスをはめた格子天井を作りたくさんの金魚を放したなんて時代を超越した遊びをやっていて、異世界人じみていましたね。しかし決して豊かではない武士にしてみればそんな大商人の存在は不快極まりなかった事は想像に難くなく、まあそうなるわな…、という感じです。越後屋が同業者の執拗な嫌がらせにもかかわらず存続できたのは客の支持はもちろん、権力者を敵にしなかったからでしょうか…。
淀屋は贅沢三昧を宣伝していました淀屋と正反対に節約していたのが鴻池とか
淀屋の贅沢っぷりは、小学生の頃の教科書に載ってた記憶が。
贅沢して天下に回してくれた方が為になると思いますがまあ動機はやっぱり借金額でしょうね越後屋は貸付本業にしてなかったりお渡しにしたりと気を付けてますね
確かにガラスをはめて金魚を泳がせる天井とは異世界じみてるな。現代人すらレーザー光でイルミネーションがほとんどなのに。それの江戸時代版が廻り灯籠
三井家は質屋や酒屋(室町期には土倉と並び金貸兼営が多かった)が祖業だから、はじめ両替商、すなわち金融業として大成した。当然大名貸もしていたが、高利の頃の大番頭が、他の大名貸商人が没落していく様を分析し大名貸を戒めはじめた。件の大番頭は、当時の大名の収入源とは年貢米であるから、貸出金の回収の裏付けとは米価である以上、大名に対する長期貸付与信とは、限月がかなり先日付の米先物相場へ参加しているも同然だからボラティリティリスクが高すぎると考えた。よって過度に金融業、与信取引に依存することは家を傾けると戒めた。結果、与信要素を徹底的に排した現金商売の越後屋モデルが生まれる。これは見方を変えれば信用コストを圧縮すれば安価販売によって差別化できるというビジネスモデル。明治以後、三井家は逆に信用コストの負担が付加価値になると捉えて中間流通に参画し、市場参加者間の与信コストを補完(仕入先に対しては短期決済、販売先に対しては長期決済)する代わりに利ザヤを得ようとする。これが商社のビジネスモデルで、今の三井物産であるけれど、金融と現金小売という対極のビジネスモデルを兼営していたからならではのビジネス創出にも感じる。
人と人の繋がりを大切にする商売は形が変わっても長く続くのでしょうか。それを応援していく客の在り方も大事そうですね
(2:00~)そういえば現存する最も古い企業って日本の寺社仏閣建築会社『金剛組』らしいですね元々は四天王寺建立の際(578年~)百済から呼び寄せた技術者によって組織されたいわゆる『宮大工』の技術者集団で以後四天王寺お抱えとして1000年以上に渡り営業しているそうです(現在は経営的には大手建設会社高松建設傘下)
金剛組は経営破綻しているよ。だから厳密に言えば世界最古ではなくなっている。確かに金剛組の商号は残っているけど、経営破綻時に金剛一族の手から離れていて、スポンサーの高松建設が作った受け皿会社に事業を譲渡した後、受け皿会社の商号を金剛組に変更したもの。したがって、四天王寺建立の技術者集団とは直接関係なくなっている。新金剛組に事業を移した旧金剛組は破産(しかも費用不足で破産手続廃止)した。社寺建築での最古参企業は今では、中堅ゼネコンの松井建設かな。
@@changnabe2606 宮大工やってりゃよかったのに鉄筋コンクリートに手を出そうとして事業に失敗したと聞きました。惜しい事をしたものです(´・ω・`)
@@nuruosan4398 まぁ宮大工だけで食っていくのも難しかったでしょうけどね。
古事記伝の本居宣長の実家みたいに松坂商人だったんだな
ヨドバシカメラは淀橋浄水場があった新宿の地名からだもんねえー
新宿の伊勢丹のあたりで甲州街道から分かれた青梅街道の神田川に掛かる橋が淀橋。その周囲が淀橋町、淀橋区となった。
何時も楽しい動画を有難う! しかしその兜もよく似合ってますよ! よっ!伊達マリサ宗…?
14:25 今の常識が当時の革新か・・・、凄いな、アイデアは時代を超える
本当に凄いアイデアは周りにどんどん模倣されるか、考え出した奴がビッグプレーヤーに成長するかして、いずれグローバルスタンダード化するからね。ローカルや個性的って立場に何十年も留まってるアイデアは本当の意味で革新的とは言わないのさ。
「越後屋、おぬしも・・・」ちっとも「悪」じゃないじゃん。
「越後屋、おぬしも悪よのぉ~」って台詞は、時代劇では出てきていないみたいですね。時代劇で『越後屋』の名前が使われるのは、水戸黄門が世直しの旅に出る時の世を忍ぶ仮の身分設定が『越後屋の隠居』で、代官に賄賂を贈る悪徳商人としては使われていないようです。『越後屋』が悪徳商人の代名詞のように使われるようになったのは、「カンロのど飴」のCMで「越後屋、おぬしも悪よのぉ~」の台詞が有名になったのが切っ掛けのようです。
@@たまてばこ-y8t 殿いやこれはわざわざのご指摘痛み入る、世の中には物知りな御仁が居られるものですな、勉強になり申した、忝い。
@@たまてばこ-y8t さん 時代劇のイメージ戦略にまんまと乗せられた?悪代官が美しい町娘を毒牙に掛け 腰帯を牽くとあ~ら 不思議、娘が独楽の如く回転し 【あ~れ~ いけませぬぅ なりませぬぅ】と云う 成り行きに別に娯楽作品だから 深い意図は無い!愉しければ 其れで善いのだ。😤😻
@@シバトミー あぁ。女の子の帯を引っ張っても女の子が倒れるだけですからね。女の子が回る速度で引っ張るか、女の子を寝かせて転がしながら引っ張る必要がありました。実際にやってみると面倒くさいんですよね・・・むしろ、脱がさない方が楽し・・・
うーん、でも現金掛け値無し、は今で言えばAmazonのネット通販みたいな画期的な商法だったんだよな。シメが「このやり方も続いて欲しい」だけど、視点を変えれば越後屋こそ、300年前に今のAmazonのように古い商法を駆逐した新興企業だったんだよな
しかし、ネット販売は詐欺も多い。そしてUber Eatsは配達途中で食べてしまう配達人が続出。
日本人に独創性が無いってのはウソだな世界初の先物取引に定価販売、ローソク足チャートの発案、しかも鎖国の時代にだよ越後屋のロゴ入り傘はイギリスの歴史学者も触れてた
淀屋といえば鳥取県倉吉市に墓や旧宅が残ってますね。
淀屋は完全に権力につぶされたな。まあ、幕府や大名の生死を握る商人って危険視されてもしょうがないしな。
いつも電車に乗ってる時、いつも聴いてます。作家の山口敏太郎と申します。歴史を学ぶ事は現在のビジネスにも通ずるところがありますね。これからも期待しております
めっちゃおもしろかった 淀屋橋有名だよね
傷物販売の実施ってのは今風に言えばB級品セールだな。ところで以前三越の広報の人がテレビで「三越の越後屋は良い越後屋です!」って言ってた。ちなみに同時期に商売はじめた現在まで続く企業にキッコーマンなどがある。
悪い越後屋さんがテレビで「お主も悪よのう(ふぉっふぉっふぉっ)」って言われて悪代官と結託してましたからねーww
@@DaruiRama それよく言われますが週刊文春が調査した結果、越後屋が悪役で出ているドラマって実はないという結果が出ています(というかドラマ自体に善人を含めて越後屋が登場しないです)。
@@韓非-h4u ええっ!! 知らなかったそうなんですねっっ どうしてそんなイメージがついてしまったのだろう(激謎) 越後屋さん濡れ衣つーか風評被害受けてたんすのね そしてスプリングセンテンスたまには良い仕事するぢゃ〜ん!
三井不動産がアウトレットモールを立ち上げたヒントが「三井高利による傷物や訳あり品バーゲン」のことをどこかで知ったからかなと思いました。mitsui-shopping-park.com/mop/
面白い話題ありがとうございました
紀文大尽が落ちぶれた話は有名だけど、実際には江戸深川に隠居して、好きな俳句を作りながら悠々自適の一生を送った、というのが真相らしい。(破産したのは二代目を名乗った息子だという)
紀伊国屋といえば本屋(笑)創業者は同じ紀州の出で生家は材木商らしいが紀伊国屋文左衛門とは違う
鹿児島でも三越鹿児島店が閉店してからは、かつての屋号であった丸屋を継承した「マルヤガーデンズ」として経営していますね。
この時代、借金だけなら、それが多額でも、返済を先延ばしにし続けたり、単にチャラを宣言するだけで済みます。幕府にとって。幕府が淀屋を潰した最大の理由は、米の供給側と需要側で公平な取引市場を設立したいが、そのためには、米の卸売で独占的な地位を築いていた淀屋を筆頭とする大阪商家が邪魔だったからです。淀屋のような極一部の大阪米商人が全国の米の価格や供給網に対して絶大な影響力を持っていて、それが大阪の米需要に支えられた北陸や東北の経済界を圧迫する形になっていました。幕府にはこの不公平な経済関係を解消するように、さまざまな方面で圧力がかけられていました。東北で飢饉が頻発したのはご存じでしょう。それは天候だけが原因だけなわけではありません。実際に、淀屋が潰された数年後、堂島米会所が設立されます。
淀屋の膨大な貸金の話、逆に言うと、すでに支払いに淀屋の上げる莫大な利潤という信用さえあれば、それだけのサービスを行い、また業界を維持する経済実体があったという事になりますね。日本中の農地から淀屋に回っていた利潤が、本来どういうものだったのかを考えると…足りてないのは、徴税システムと通貨…。不幸なめぐり合わせとはいえ、淀屋の処分は江戸時代の繁栄を引き伸ばす上で妙策だったのはないかと…。本間家も事実上の国交、経済産業省?として機能してますしね。にしても越後屋、51歳からの再スタートはすごいですね、平穏な田舎暮らしの中で、若き日の江戸ぐらしの記憶に滾るものがあったんだろうか。純粋な商売上手だから、公的マネーに関わりはないですもんね、権力側も不当な利益とは考え辛かったのでは。両都で儲かってるから、為替業も出来る。もしかしたら初期の支店同士でのやり取りが外部サービスに発展したのかな。面白そう、三越がまだあるから、大河にはしにくいのかなw
それはありますね。
江戸時代なんて鉄砲保有世界一の信長時代から参勤交代や鎖国みたいな無駄なことして265年も日本を停滞させ、黒船に驚愕する弱小国家に貶めたんだから、終わった方が良かったんだよ。犬HKが関東上げの欲望まるだしで、民主主義の世に徳川絶賛してる奇妙な集団なだけ
たまたま見つけてたどり着いたのですが。元々歴史が大好きな歴女ですwチャンネル登録させてもらいましたw凄く見やすくて面白かったですw特に幕末が大好きです。
淀屋は取りつぶしを事前に察知していて番頭の牧田仁右衛門に暖簾分けをさせました牧田は出身地倉吉で倉吉淀屋を開き、淀屋取りつぶし後に大坂に淀屋を再興し幕末まで存続させますしかし1859年に財産の全てを朝廷に献上し閉業これは倒幕勢力への資金援助で、淀屋の恨みは150年後見事晴らせたのでありましたなんて言われてますね。
新潟三越かな?
今は三菱東京UFJの一つゆなってる鴨池(三和銀行の前身の一つ)もある。また住友は三井より古い。
三井が伊勢屋ではなく越後屋を名乗った理由とは?越後は某ご隠居で有名な縮や越後上布の産地だったのも関係するのかな?
文才が無いのでのでわかりずらかったらすいません。お父さんの、高安さんが蒲生さんに使えてて『越後守』だったので、その人が酒味噌やになり『越後殿の酒』から、越後屋になったって、聞きましたよ。武士から商人に成った人多かったらしいです。
ミカエル 三井高安は高利の祖父ですね。高利の父で同音の高俊が高安の息子で、高俊の代に武士を辞めているようです。
待ってたよ!
堂島も淀屋橋も近いから移転って言っても近くに引っ越したのね
信用創造で実在しない17億両を発行するとは…淀屋って、今の中央銀行みたいだな
幕府が淀屋を潰すのでなく、中央銀行として取り込んでいれば日本史は全く違う流れになったろうね。淀屋を「破綻が目に見えていた」と訳知り顔で語るか、「恐ろしく先進的な金融業者だ」と戦慄するかで、ある意味その人の経済への理解度も分かるw
収益化できましたか! よかったですね!
今関東のスーパーや梅田の本屋さんの紀伊國屋はこの紀伊國屋なんでしょうか?
フランス革命時に地方では領主の屋敷を焼いて借金の証文を焼いたと言うのがあるけど、支配階層がそれをやるのは世界史的にも珍しいんじゃ
フッガー家はそれやられて破綻してますがね
兵士より恐れられたと言われるフランス市民つえー
室町時代に高利貸しが流行り出して国が混乱する元凶になりましたからね。そりゃ江戸幕府も怖がって取り壊すわな。
@@矢浜単気 何怖がってとかまとも風なこと言ってんの…この関東人。ただの人権蹂躙の国家ヤクザのくせに
本番に入る時のこの曲好き過ぎ 何か癒される。説明聞いている内に何時も寝込んでしまう(*‘ω‘ *)
淀屋が潰されなかったら、「5000兆円欲しい」の夢を叶えられたかもしれないな
だから淀屋1つとっても、地方交付税で威張り散らされても、利子にすらなってない。実際は莫大な数の本社(地方税)強奪もあるから、盗京に変えた方がいい
呉服屋ふぜいがなぜそんなにと思いきや衣・食・住の衣を牛耳るということは不動産業や食品産業の頂点を極めるのに匹敵することなんですよねそれにしても近代的商法のルーツともいえる14:18の8項目は驚嘆に値します
時代劇で良く出てくる「越後屋、お前も悪よのーー」というセリフの元になった店かな?
淀屋没落後の大阪随一、天下随一の豪商は大阪は今橋の鴻池善右衛門じゃなかったですか。鴻池を始めとする大阪の豪商が明治改元後、没落したのは、江戸時代の大阪商人は権力に密着するのを嫌っていた。そうした大阪商人気質が、時流に乗り遅れ凋落したといわれていますね。江戸時代の俳人でもあった大阪商人小西来山の句 お奉行の名さえ知らず、年暮れぬ三井や政商三菱の岩崎弥太郎等は時の薩長閥に取り入って時流に乗れたが、鴻池等、江戸時代以来の大阪商人は凋落しました。伝統的大阪商人は権力に取り入るのが下手なのです。だから大阪は明治以降、大物政治家が殆どいません。その代わり、ノーベル賞受賞者は大阪が全国一です。人口がず抜けて多く大学の数も抜きん出ている文教都市東京が、ノーベル賞受賞者を殆ど出していないのは以外と言うか皮肉ですね。
9:29 為替手形をして実態を伴わない証文だけの借金が重ねられ、ていうのは現代の金融の世界では当たり前の話で別におかしなことではない。現代で言う「信用創造」とはまさしくこれ。また、信用創造が成立するからには両替商間での交互計算による債権債務の精算システム(すなわち為替)が完成していたことにほかならない。幕府は度々改鋳して出目を通貨発行益とする、金本位制から管理通貨制への実質的移行を断続的に行っていたけれど、民間での金融リテラシーの高さを理解できる勘定系の官僚が度々現れていたということだろうね。
感覚として正しいのは分かるけど、理屈として理解するのはとても難しい。当時の商人や幕府高官も、こんな絵に書いた餅で本物の餅が買えるようなシステムのカラクリ、理解できない(でも買えてしまう)まま試行錯誤したんでしょうね。
三越越後屋❗️この先100年、200年、500年と歴史を積んで欲しいです‼️楽したったです❣️
その時代の蓄財について気になります。銀行が無い以上、金の管理ができませんよね?両替商は庶民に使えないでしょうし。だから、宵越しの金は持たないですか?
士農工商という身分制度はなかったという説も出ていますが実際には厳格に存在していました。承認が町人のくせに贅沢三昧、歌舞伎役者が人非人もくせに町人のような服装などで罰せられています。淀屋も越後屋も元々武家出身でしたが淀屋の処分は武家救済の意味合いが強かったのでしょう。300年以上同じ場所で商売を続ける越後屋(三越)のすごさ
身分と言うより世の中で必要性のある順番‼️
昭和何年か忘れたけど、越後屋創業400年を武道館で祝ってたよ。元社長が岡田も出てたな。
江戸前エルフで見ました
淀屋に借金してた諸侯は淀屋の闕所処分で借金帳消しになっただろうから幕府に感謝したのかな?(7:52)
なんか、村上ファンドの阪神株買い占めとその後を思いう出すな~
三井家は元は武家で商人になったのが三井高利の父親である三井高俊で高俊の父親が越後守を称して居て三井高俊が武士を辞めて近江から松坂に住み店を開いて屋号を越後屋にした。
銅山の住吉家も凄いよね
住友だった(~_~;)
吉本新喜劇の、炭屋のトモさんの略しょうでは無く?
客良し、店良し、世間良し、という商売における三箇条があるんだけど、「客良し」というのは「お客様に喜んでもらう」あるいは「お客様は神様」の意味で無く、「貧乏人に用は無い」という意味。大勢の貧乏人を相手にするより一握りの金持ちを相手にする方が良いし儲かるという意味。今でも大阪では庶民はあしざまに扱われる。
幕府は淀屋を潰したかもしれないが、その準備段階で上手の手から水が漏るの言葉通り、その意向は淀屋まで達したらしく、潰される前に暖簾分けをして少なくない資産を逃がしたみたいです。橘玲の「日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル」だったかな?政府は素早くは動けないので、政策として個人資産を何とかしようとしても、防衛する事は出来る。と書いてました。当時も同じ様な事情があったのかもしれませんね。
僭越ながら補足します。三井家の元々のルーツは近江国である。始祖は藤原道長(御堂関白、966~1028)であり6代目の子孫である左馬之助信生の代に近江国に下ったという。近江を巡行していた際に宝物があった三つの井戸を見つけたことから「三井」を名乗ったという。信生から12代目の当主・乗定には男子がいなかったことから、主君である六角佐々木氏から養子を迎えた。備中守高久である。以後、三井家の当主は「高」を通字とし、高久の5代目の子孫が動画にも登場した三井高俊(?~1633)の父・高安(鯰江城主、越後守、?~1610?)である。高利(1622~1694)が屋号を越後屋にしたのも祖父・高安の受領名(名乗り)に因んだという。一方、淀屋であるが、淀屋を創業した岡本家によるものを前期淀屋、闕所後に牧田家により再興されたものを後期淀屋と呼ぶ。初代・岡本常安(じょうあん、1560?~1622)は豊臣政権下で伏見城の築城や淀川の築堤工事で采配を振るい、淀屋を興したという。常安は家康にも大坂の陣の兵糧調達を通して取り入ったという。この功績が認められ山城国八幡で山林田畑300石と苗字帯刀を許された。また大坂夏の陣の戦後復興にも携わり、不要となった武具や家屋の古材で大儲けをし、この時点で1億両にも及ぶ資産を蓄えたという。5代目の辰五郎廣當(とうこう、ひろまさ1684?~1718)のときに闕所となったのは動画のとおりである。後に辰五郎廣當は流罪を赦され、山城国八幡の山林田畑300石の還付を受けたが、闕所は解かれなかったという。1718年(享保2)に寂しく病没したという。淀屋を復興したのは、4代目の重當(じゅうとう、しげまさ、1634~1697)の妹婿で番頭だった牧田仁右衛門である。伯耆国倉吉に暖簾分けで独立し、淀屋清兵衛を名乗り大坂の淀屋闕所後も屋号を守り抜いた。以後、牧田家は8代目・孫三郎の没する1895年(明治28)まで続いた。後期淀屋は幕末に薩長側へ莫大な資金提供をし、維新後は新政府へ資産の殆どを献納したことでも知られている。なお、前期淀屋・岡本家の血統は現代に続いている。前期淀屋・岡本家には 常安町家、大川町家、斎藤町家、大豆葉町家の4つの別家(分家)があったが、そのうちの大豆葉町家が現存しているという。
新潟にある大阪屋は創業者が大阪で修業したから敬意をもって屋号にしたけど、越後屋は何なの?何で越後なの?
三井家の先祖に『越後守』に任官した人がいたから、と聞いたことがあります。
@@木元西 納得しました。ありがとうございます。
だから、淀屋出身が明治維新で徳川幕府を潰した!商人の恨み恐るべし!
ついに三越キターーー
明治維新のころ大黒屋六兵衛の豪商が小名木川近辺にいた。ebookに配信しているが、色々な暗躍により歴史から消された人物です。ぜひこの人物を紹介してほしい。
大名の解説で松平治郷(不味)の紹介をお願いします。
新しい動画お願いします。
どうでも良いけど「高利(たかとし」って・・・なんか金の相談とかしにくい名前だな(´・ω・`)
生まれながらの高利貸しw
浪人上がりの父親(三井家では、この方を始祖とされているそうな)がつけたそうな。
淀屋は廃れたのではなく不合理に取り潰されたんですよね。全国の大名や幕府の勘定方はさぞかしバンザイを叫んだことでしょう。
ヨドバシカメラのヨドバシは新宿本店の旧地名が淀橋に由来してます
何時の時代も如何に儲け、続けて行くかが、全てかなぁ? 、
紀伊国屋文左衛門と聞いてチルソニアJr.を思い出したw
こちらの近くの三越も閉店してしまいましたよ
広告はどうなりましたか?RUclips様に剥がされたままですか?
コメントありがとうございます。お察しの通り、当方の努力不足により収益化は剥奪されてしました
当方を始めとするゆっくり動画の剥奪騒動は昨年散々議論されていましたが、どうも権利関係ではなさそうなのです恐らくAIの誤爆であるのではというのが多方の結論となっていますが、真相は未だに謎です
越後屋は未来を見てきたんじゃないかレベル。
投資家やってるが江戸時代は生きられなかっただろうな、、米本位がきつすぎる 基本通貨である「米」が安定した通貨じゃないとか無理ゲーすぎる日本人の金融経済感覚が、西洋人より低いのもちょっと前まで米本位経済だったからだろうと思ってます
いや、信用創造のカラクリや不換紙幣の概念を理解出来てれば、異世界チート系ラノベ並に無双出来るんじゃね?淀屋がクソほど膨れ上がったのは、多分そのチートを知ってたからじゃ無いかな
次の一万円の渋沢栄一先生がやってましたが、、、各藩ごとに藩札あったり、その藩札も何種類もあったり、隣町とレートがちがったりそれ以前に、村落で貨幣が流通してないだの、、大変な苦労をされたようです地味にアラビア数字と簿記がなかったのも、苦労に拍車をかけられたようで軌道に乗ってからは大変儲けられたそうですが、、僕じゃクズ藩札掴まされて破産するのが関の山です
完全にチート系ラノベの発想ですが、自分ならなんとか薩摩藩と交渉して密かに菱刈鉱山(佐渡金山を凌ぐ日本最大の金山)を見つけ出し、その黄金を信用の担保としめ薩摩藩を通じ信用度の高い藩札を大量に発行させ、日本経済を牛耳る事を考えますねwうーん、どっかでチェストされそーだ、、、
多分いけると思いますが、、その牛耳った日本経済が、米本位の経済という情けなさ、、結局、お抱えの外国人を雇ったり日本の産業基盤の元を底上げしたり、、渋沢さんと同じことしなきゃいけないのがねーそういえば渋沢さんの話は(序盤は)凄いなろうっぽかったですよ西洋経済で政府の信頼を得て無双する感じでした
結局、米本意をぶっ壊すところから始めないとダメで、となるとやはり薩摩藩をけしかけて倒幕する所から始めないとダメですかねwそのうえで信用通貨主体の経済体制に移行させると
今から90年も前に駅建設費負担を条件にして「三越前」を銀座線に開設したネーミングライツの先見性は凄い。今でこそ副駅名で(〜前)は珍しくないが、まだ地下鉄が銀座線しかない時代に駅名を買った費用対効果は、全ての地下鉄、私鉄の案内に「三越前」と表示される事を考えると無限大
日本橋三越といえば、三越前駅は三越が作ったという説は本当なのかな?
淀屋の子孫が幕末の倒幕運動に資金を供出して一矢報いた話は?
それはまた、別の話になってくるんじゃない。
創作だけど花の慶次で秀吉の世を終わらせる為に大阪堺衆が家康にお金はいくらでも融通しますって連判状出す話があった。大阪が徳川を立てる為に資金を出し、倒す時にも資金を出す。流石商人、手のひらクルクル。
魔理沙さま、40代… !Σ(×_×;)!
イーロンマスクさんが淀屋にならないといいね
淀屋は没収された後、娘が武士に嫁いで惨殺されてるからイーロンが総資産約26兆9100億円没収されたとしてもまだ全然軽い。それほどの事を東京が大阪にやらかしてるのを犬HKは1回もドラマ化せず渋沢や得川(徳川)みたいな関東勢ばかり持ち上げて大阪=柄悪いの印象操作してんだから、いかに異常な国か分かる
淀屋?故郷に淀屋って雑貨屋が有ったな。なに、ナガドロ(長泥?)って淀みの脇に有っただけの話だから、由来はその辺でしょうがね。変わり者のオッチャンが今でもやってるはず。
地元の有名人の話でうれしいですが、三井家ってあんまり馴染みがない(^ー^;A、松阪は、三井銀行も無いし残ってるのは非公開のお屋敷だけ。まだ本居宣長の実家で紙問屋の小津さんや丹波屋の長谷川さんの方が色々残ってるし観れるから身近ですね。
うp主は新潟の人だったのか。同じグループの相模原市の伊勢丹が去年閉店したけど、「今更言うことかな?」と思ったので調べたら勘違いしてたw
淀屋が(元)財閥として今もあったら大阪は一体どんな街になってたんだろうな
今度蔦屋の事をやってくださいね
いかがお過ごしですかって?ここを見てるのさm9(`・ω・´)キリッ
越後屋の起源は明らかになってないけど越後は中世で日本一のカラムシの産地で現在では小千谷縮があります。これを江戸に捌いて財を成したのではないでしょうか?
今の日本も借金1000兆円って言われるが、対外純資産の額が圧倒的世界1。加えて国民が持ってる預貯金が300〜400兆。しかも借金とされると国債はほぼ全て勝ってるのが日本人。実は今でも世界一の金余り国なんだよなぁ。
淀屋はマジでエグい1日の遊興費が5億やからなwww
しかも大阪で店閉めた後に鳥取でひっそりと淀屋再興して幕末に閉店して全財産を新政府側に渡して倒幕に協力した150年越しの復讐劇凄すぎやろ
なんかね、淀屋の運命と今の欧米の金融屋の近い未来がダブりそうなんだけど
淀屋の件は一族惨殺もあったんだぞ。一部が逃げ延びただけ。今の世に同じことやったらユダヤ人の件と同列に語られるほどエグい事大阪夏の陣開城後も城下町の惨殺があったが江戸城は無血。東の国家ヤクザがどれだけのことを大阪にしてきたかを語らず、大阪に柄悪い印象操作してる風潮は気味悪いだけ
エチゴヤ オヌシモ ワルヨノー むひひ・・・
利根川東遷事業そのうちお願いします
うちの嫁の母方の先祖になります。
幕府より闕所(財産没収)処分受けた時に千両箱を荷車に積んで全国にバラバラに逃げたようですが戦後暫くは持って逃げた小判等で普通に生活出来たみたいです。
家に居ながら、こんな面白い動画が観れる今の時代が凄い✌🏼ありがとうございます。
よかった。ものすごく勉強になりました。
先ず何度も拝聴し、やる気を出さねばなりません。
よかった。
何のやる気?豪商に成るの?
昔漫画日本の歴史などの江戸時代のエピソードで必ずでてくる越後屋の話で、再仕官が叶った浪人が明日その藩の屋敷に行かないといけないのだが紋付の羽織がない。そのため一日で服を仕立ててくれるという越後屋に行って羽織を注文、夕方に店に行くと本当に仕立ててくれていて「ありがたい、これで明日お屋敷にいける」と喜ぶのがありましたね。当時としては驚異的な速さだったんだと思います。
後、宣伝とサービスで買い物に来た客が帰りに雨が降り越後屋の屋号が書かれた傘を無料で貸し出ししたり着物は一反で売って居たが小物を作りたい客の為に切り売りしたり商品に値札をしたり少し傷んだ商品や売れ残りを特別に安くしてバーゲンセールをして大名から庶民までの客層が広まり最終的に幕府御用達までになった。
反物から仕立てる人もいるけど、出来合いの着物も古着あつかいであるから、先に仕立てて家紋だけ刺繍かもしれないな。
と思ってたが、最後まで動画を聞いて考えてみて熟練なら可能かもしれないとは思った。
淀屋が淀屋橋を作ったのは 娘を川向こうに ある 習い事を 習いに行きやすくするため だったですね(笑)😄
淀屋のすげえところって闕所になる前からそれを察知して着々と手を打ってたことなんだよね
突然財産全て奪われた悲劇の豪商を演じつつ裏では再興のための準備を怠らないその強かさが豪商たる所以
昔テレビの歴史番組で淀屋が天井をガラス張りにして金魚を飼い涼を求めたシーンがあり驚いた記憶があります。以前の住友銀行本店の一帯がその跡だとのことだとか。本間家も昔琵琶湖を持っていた話とかビックリです。三井家も松阪の創業の地に行ったときに行ったとき近江から来たと聞きました。
考えてみたら、桁外れの金持ちは常識はずれのアイデアを持ってたりする実例ですね。
今だったらプロジェクターで天井に映せば見れる光景なんですが。
もう30年も前になるか三井さんで遺産分与が有り證券、土地、軸 茶器等に分けられ好きな物を選ぶという方法でした。時はバブルで土地と言う意見に書画は換金性で劣るが税務署の捕捉が難しく子孫への譲り渡しに際し課税を逃れやすいと意見を具申した。所がその量を見て驚いた、座敷に山のように積まれていた。その後どうされたかは聞かなかった
大正時代に建立されたという、大理石4階建ての旧三井財閥本部で仕事していた事があったけど、格式高いその構造に驚嘆したものです。迂回している廊下を赤じゅうたんが敷き詰められていて、掃除しているオバさん曰く、着物を着た人が歩き回るのをよく見かけただとか。
ちなみに銀座線三越前駅を作ったのも三越財閥らしいですねえ。あちこちに大理石と金ぴか装飾が使われているのはそういう事らしいです。
これからも解説頑張ってください!応援しています。
動画をいつも楽しく拝見させていただいております。
さて、現在の地方の多くの名物が、江戸時代の特産品開発の影響と聞いたことがあります。
代表的な特産品や、それにまつわるエピソードがあれば見てみたいです。
もう一つ江戸時代から現代まで生き残っている住友もやって欲しいです。こっちは江戸時代の主要輸出品である銅にも絡む話だし。
住友の源流は室町時代ですよ。
世界最古の財閥らしいよ。
因みに、住友の反映のきっかけら愛媛の別子銅山。
だから、銅の住友なんて言われる。住友商事が銅に強いのもこの事が起源
住友は、現代でも昔から続く篤志家でもある。バブル崩壊の時に銀行から「某家の莫大な陶器コレクションを買い取って下さい。国外散逸の聞きです。ついでに美術館建てて一般公開して下さい」と泣きつかれて協議。
買い取って調査。自分達のコレクションも加えて美術館建てて「丸ごと大阪市に寄付」とかしている。(大阪市立東洋陶器美術館)
加賀の豪商 銭屋五兵衛も最期はとてつもなく悲惨だったと言いますね。
太く短いが、あるところでつまづかなければ子孫も続いたのだろうね。ただ、ここの子孫も続いてたら加賀も維新の方に行ったかもしれないね。
おいおい鎖国破りは重罪だろ。淀屋と一緒にすんなよ
金融の基本だけど、現金による預金や資産がなくても、金融業者に大きな信用力があれば手形や通帳の数字だけで貸付を行うことができる。
天文学的な資金融資は現金では無く帳簿上の数字を動かすだけで行われるし、金融業者の金庫はブラックボックスだから、金融業者は借り手に返済能力があると考えうる限りは、無制限に貸し付けを行うことができる。
これを信用創造といって、金融工学の基本的な考え方らしい。
淀屋は余りにも豪商になりすぎたので潰されたがその子孫が明治時代幕府打倒に
資金を出して復讐をしてるな。
大丸や野村證券なんかも元は大阪やな。
@@Laurel-2.5clubs 創業って意味じゃ三菱・住友もな。三井も創業は三重だし近畿だらけだよ
まってたよー
三井高利はかなり歳をとってから才能発揮しているけどね~!
伊勢商人のルーツは、秀吉によって蒲生氏郷が近江日野から松坂城主に転封された時に同行した近江商人、と聞いたような。
蒲生氏郷。イチバン好き
どっちにしろ今の東京は政府系企業以外、近畿創業だらけ
紀伊国屋文左衛門のお大尽ぶりは他の商人の逸話を集めた伝説だという説もありますが、淀屋はガラスをはめた格子天井を作りたくさんの金魚を放したなんて時代を超越した遊びをやっていて、異世界人じみていましたね。しかし決して豊かではない武士にしてみればそんな大商人の存在は不快極まりなかった事は想像に難くなく、まあそうなるわな…、という感じです。越後屋が同業者の執拗な嫌がらせにもかかわらず存続できたのは客の支持はもちろん、権力者を敵にしなかったからでしょうか…。
淀屋は贅沢三昧を宣伝していました
淀屋と正反対に節約していたのが鴻池とか
淀屋の贅沢っぷりは、小学生の頃の教科書に載ってた記憶が。
贅沢して天下に回してくれた方が為になると思いますがまあ動機はやっぱり借金額でしょうね
越後屋は貸付本業にしてなかったりお渡しにしたりと気を付けてますね
確かにガラスをはめて金魚を泳がせる天井とは異世界じみてるな。
現代人すらレーザー光でイルミネーションがほとんどなのに。それの江戸時代版が廻り灯籠
三井家は質屋や酒屋(室町期には土倉と並び金貸兼営が多かった)が祖業だから、はじめ両替商、すなわち金融業として大成した。当然大名貸もしていたが、高利の頃の大番頭が、他の大名貸商人が没落していく様を分析し大名貸を戒めはじめた。
件の大番頭は、当時の大名の収入源とは年貢米であるから、貸出金の回収の裏付けとは米価である以上、大名に対する長期貸付与信とは、限月がかなり先日付の米先物相場へ参加しているも同然だからボラティリティリスクが高すぎると考えた。
よって過度に金融業、与信取引に依存することは家を傾けると戒めた。結果、与信要素を徹底的に排した現金商売の越後屋モデルが生まれる。これは見方を変えれば信用コストを圧縮すれば安価販売によって差別化できるというビジネスモデル。
明治以後、三井家は逆に信用コストの負担が付加価値になると捉えて中間流通に参画し、市場参加者間の与信コストを補完(仕入先に対しては短期決済、販売先に対しては長期決済)する代わりに利ザヤを得ようとする。これが商社のビジネスモデルで、今の三井物産であるけれど、金融と現金小売という対極のビジネスモデルを兼営していたからならではのビジネス創出にも感じる。
人と人の繋がりを大切にする商売は形が変わっても長く続くのでしょうか。それを応援していく客の在り方も大事そうですね
(2:00~)そういえば現存する最も古い企業って日本の寺社仏閣建築会社『金剛組』らしいですね
元々は四天王寺建立の際(578年~)百済から呼び寄せた技術者によって組織されたいわゆる『宮大工』の技術者集団で以後四天王寺お抱えとして1000年以上に渡り営業しているそうです(現在は経営的には大手建設会社高松建設傘下)
金剛組は経営破綻しているよ。だから厳密に言えば世界最古ではなくなっている。
確かに金剛組の商号は残っているけど、経営破綻時に金剛一族の手から離れていて、スポンサーの高松建設が作った受け皿会社に事業を譲渡した後、受け皿会社の商号を金剛組に変更したもの。したがって、四天王寺建立の技術者集団とは直接関係なくなっている。新金剛組に事業を移した旧金剛組は破産(しかも費用不足で破産手続廃止)した。社寺建築での最古参企業は今では、中堅ゼネコンの松井建設かな。
@@changnabe2606 宮大工やってりゃよかったのに鉄筋コンクリートに手を出そうとして事業に失敗したと聞きました。惜しい事をしたものです(´・ω・`)
@@nuruosan4398 まぁ宮大工だけで食っていくのも難しかったでしょうけどね。
古事記伝の本居宣長の実家みたいに松坂商人だったんだな
ヨドバシカメラは淀橋浄水場があった新宿の地名からだもんねえー
新宿の伊勢丹のあたりで甲州街道から分かれた青梅街道の神田川に掛かる橋が淀橋。その周囲が淀橋町、淀橋区となった。
何時も楽しい動画を有難う! しかしその兜もよく似合ってますよ! よっ!
伊達マリサ宗…?
14:25 今の常識が当時の革新か・・・、凄いな、アイデアは時代を超える
本当に凄いアイデアは周りにどんどん模倣されるか、考え出した奴がビッグプレーヤーに成長するかして、いずれグローバルスタンダード化するからね。
ローカルや個性的って立場に何十年も留まってるアイデアは本当の意味で革新的とは言わないのさ。
「越後屋、おぬしも・・・」
ちっとも「悪」じゃないじゃん。
「越後屋、おぬしも悪よのぉ~」って台詞は、時代劇では出てきていないみたいですね。
時代劇で『越後屋』の名前が使われるのは、水戸黄門が世直しの旅に出る時の世を忍ぶ仮の身分設定が『越後屋の隠居』で、代官に賄賂を贈る悪徳商人としては使われていないようです。
『越後屋』が悪徳商人の代名詞のように使われるようになったのは、「カンロのど飴」のCMで「越後屋、おぬしも悪よのぉ~」の台詞が有名になったのが切っ掛けのようです。
@@たまてばこ-y8t 殿
いやこれはわざわざのご指摘痛み入る、世の中には物知りな御仁が居られるものですな、勉強になり申した、忝い。
@@たまてばこ-y8t さん 時代劇のイメージ戦略にまんまと乗せられた?悪代官が美しい町娘を毒牙に掛け 腰帯を牽くとあ~ら 不思議、娘が独楽の如く回転し 【あ~れ~ いけませぬぅ なりませぬぅ】と云う 成り行きに
別に娯楽作品だから 深い意図は無い!愉しければ 其れで善いのだ。😤😻
@@シバトミー
あぁ。
女の子の帯を引っ張っても女の子が倒れるだけですからね。
女の子が回る速度で引っ張るか、女の子を寝かせて転がしながら引っ張る必要がありました。
実際にやってみると面倒くさいんですよね・・・
むしろ、脱がさない方が楽し・・・
うーん、でも現金掛け値無し、は今で言えばAmazonのネット通販みたいな画期的な商法だったんだよな。
シメが「このやり方も続いて欲しい」だけど、視点を変えれば越後屋こそ、300年前に今のAmazonのように古い商法を駆逐した新興企業だったんだよな
しかし、ネット販売は詐欺も多い。
そしてUber Eatsは配達途中で食べてしまう配達人が続出。
日本人に独創性が無いってのはウソだな
世界初の先物取引に定価販売、ローソク足チャートの発案、
しかも鎖国の時代にだよ
越後屋のロゴ入り傘はイギリスの歴史学者も触れてた
淀屋といえば鳥取県倉吉市に墓や旧宅が残ってますね。
淀屋は完全に権力につぶされたな。まあ、幕府や大名の生死を握る商人って危険視されてもしょうがないしな。
いつも電車に乗ってる時、いつも聴いてます。作家の山口敏太郎と申します。歴史を学ぶ事は現在のビジネスにも通ずるところがありますね。これからも期待しております
めっちゃおもしろかった 淀屋橋有名だよね
傷物販売の実施ってのは今風に言えばB級品セールだな。
ところで以前三越の広報の人がテレビで「三越の越後屋は良い越後屋です!」って言ってた。
ちなみに同時期に商売はじめた現在まで続く企業にキッコーマンなどがある。
悪い越後屋さんがテレビで「お主も悪よのう(ふぉっふぉっふぉっ)」って言われて悪代官と結託してましたからねーww
@@DaruiRama それよく言われますが週刊文春が調査した結果、越後屋が悪役で出ているドラマって実はないという結果が出ています(というかドラマ自体に善人を含めて越後屋が登場しないです)。
@@韓非-h4u ええっ!! 知らなかったそうなんですねっっ どうしてそんなイメージがついてしまったのだろう(激謎) 越後屋さん濡れ衣つーか風評被害受けてたんすのね そしてスプリングセンテンスたまには良い仕事するぢゃ〜ん!
三井不動産がアウトレットモールを立ち上げたヒントが「三井高利による傷物や訳あり品バーゲン」のことをどこかで知ったからかなと思いました。
mitsui-shopping-park.com/mop/
面白い話題ありがとうございました
紀文大尽が落ちぶれた話は有名だけど、実際には江戸深川に隠居して、好きな俳句を作りながら悠々自適の一生を送った、というのが真相らしい。(破産したのは二代目を名乗った息子だという)
紀伊国屋といえば本屋(笑)
創業者は同じ紀州の出で
生家は材木商らしいが
紀伊国屋文左衛門とは違う
鹿児島でも三越鹿児島店が閉店してからは、かつての屋号であった丸屋を継承した「マルヤガーデンズ」として経営していますね。
この時代、借金だけなら、それが多額でも、返済を先延ばしにし続けたり、単にチャラを宣言するだけで済みます。幕府にとって。
幕府が淀屋を潰した最大の理由は、米の供給側と需要側で公平な取引市場を設立したいが、そのためには、米の卸売で独占的な地位を築いていた淀屋を筆頭とする大阪商家が邪魔だったからです。
淀屋のような極一部の大阪米商人が全国の米の価格や供給網に対して絶大な影響力を持っていて、それが大阪の米需要に支えられた北陸や東北の経済界を圧迫する形になっていました。
幕府にはこの不公平な経済関係を解消するように、さまざまな方面で圧力がかけられていました。
東北で飢饉が頻発したのはご存じでしょう。
それは天候だけが原因だけなわけではありません。
実際に、淀屋が潰された数年後、堂島米会所が設立されます。
淀屋の膨大な貸金の話、逆に言うと、すでに支払いに淀屋の上げる莫大な利潤という信用さえあれば、それだけのサービスを行い、また業界を維持する経済実体があったという事になりますね。
日本中の農地から淀屋に回っていた利潤が、本来どういうものだったのかを考えると…足りてないのは、徴税システムと通貨…。
不幸なめぐり合わせとはいえ、淀屋の処分は江戸時代の繁栄を引き伸ばす上で妙策だったのはないかと…。
本間家も事実上の国交、経済産業省?として機能してますしね。
にしても越後屋、51歳からの再スタートはすごいですね、平穏な田舎暮らしの中で、若き日の江戸ぐらしの記憶に滾るものがあったんだろうか。
純粋な商売上手だから、公的マネーに関わりはないですもんね、権力側も不当な利益とは考え辛かったのでは。
両都で儲かってるから、為替業も出来る。もしかしたら初期の支店同士でのやり取りが外部サービスに発展したのかな。
面白そう、三越がまだあるから、大河にはしにくいのかなw
それはありますね。
江戸時代なんて鉄砲保有世界一の信長時代から参勤交代や鎖国みたいな無駄なことして265年も日本を停滞させ、黒船に驚愕する弱小国家に貶めたんだから、終わった方が良かったんだよ。犬HKが関東上げの欲望まるだしで、民主主義の世に徳川絶賛してる奇妙な集団なだけ
たまたま見つけてたどり着いたのですが。元々歴史が大好きな歴女ですwチャンネル登録させてもらいましたw凄く見やすくて面白かったですw
特に幕末が大好きです。
淀屋は取りつぶしを事前に察知していて番頭の牧田仁右衛門に暖簾分けをさせました
牧田は出身地倉吉で倉吉淀屋を開き、淀屋取りつぶし後に大坂に淀屋を再興し幕末まで存続させます
しかし1859年に財産の全てを朝廷に献上し閉業
これは倒幕勢力への資金援助で、淀屋の恨みは150年後見事晴らせたのでありました
なんて言われてますね。
新潟三越かな?
今は三菱東京UFJの一つゆなってる鴨池(三和銀行の前身の一つ)もある。
また住友は三井より古い。
三井が伊勢屋ではなく越後屋を名乗った理由とは?
越後は某ご隠居で有名な縮や越後上布の産地だったのも関係するのかな?
文才が無いのでのでわかりずらかったらすいません。お父さんの、高安さんが蒲生さんに使えてて『越後守』だったので、その人が酒味噌やになり『越後殿の酒』から、越後屋になったって、聞きましたよ。武士から商人に成った人多かったらしいです。
ミカエル 三井高安は高利の祖父ですね。高利の父で同音の高俊が高安の息子で、高俊の代に武士を辞めているようです。
待ってたよ!
堂島も淀屋橋も近いから移転って言っても近くに引っ越したのね
信用創造で実在しない17億両を発行するとは…
淀屋って、今の中央銀行みたいだな
幕府が淀屋を潰すのでなく、中央銀行として取り込んでいれば日本史は全く違う流れになったろうね。
淀屋を「破綻が目に見えていた」と訳知り顔で語るか、「恐ろしく先進的な金融業者だ」と戦慄するかで、ある意味その人の経済への理解度も分かるw
収益化できましたか! よかったですね!
今関東のスーパーや梅田の本屋さんの紀伊國屋はこの紀伊國屋なんでしょうか?
フランス革命時に地方では領主の屋敷を焼いて借金の証文を焼いたと言うのがあるけど、支配階層がそれをやるのは世界史的にも珍しいんじゃ
フッガー家はそれやられて破綻してますがね
兵士より恐れられたと言われるフランス市民つえー
室町時代に高利貸しが流行り出して国が混乱する元凶になりましたからね。そりゃ江戸幕府も怖がって取り壊すわな。
@@矢浜単気 何怖がってとかまとも風なこと言ってんの…この関東人。ただの人権蹂躙の国家ヤクザのくせに
本番に入る時のこの曲好き過ぎ
何か癒される。
説明聞いている内に何時も寝込んでしまう(*‘ω‘ *)
淀屋が潰されなかったら、「5000兆円欲しい」の夢を叶えられたかもしれないな
だから淀屋1つとっても、地方交付税で威張り散らされても、利子にすらなってない。実際は莫大な数の本社(地方税)強奪もあるから、盗京に変えた方がいい
呉服屋ふぜいがなぜそんなにと思いきや
衣・食・住の衣を牛耳るということは不動産業や食品産業の頂点を極めるのに匹敵することなんですよね
それにしても近代的商法のルーツともいえる14:18の8項目は驚嘆に値します
時代劇で良く出てくる「越後屋、お前も悪よのーー」というセリフの元になった店かな?
淀屋没落後の大阪随一、天下随一の豪商は大阪は今橋の鴻池善右衛門じゃなかったですか。
鴻池を始めとする大阪の豪商が明治改元後、没落したのは、江戸時代の大阪商人は権力に密着するのを嫌っていた。そうした大阪商人気質が、時流に乗り遅れ凋落したといわれていますね。江戸時代の俳人でもあった大阪商人小西来山の句
お奉行の名さえ知らず、年暮れぬ
三井や政商三菱の岩崎弥太郎等は時の薩長閥に取り入って時流に乗れたが、鴻池等、江戸時代以来の大阪商人は凋落しました。伝統的大阪商人は権力に取り入るのが下手なのです。だから大阪は明治以降、大物政治家が殆どいません。その代わり、ノーベル賞受賞者は大阪が全国一です。人口がず抜けて多く大学の数も抜きん出ている文教都市東京が、ノーベル賞受賞者を殆ど出していないのは以外と言うか皮肉ですね。
9:29 為替手形をして実態を伴わない証文だけの借金が重ねられ、ていうのは現代の金融の世界では当たり前の話で別におかしなことではない。現代で言う「信用創造」とはまさしくこれ。
また、信用創造が成立するからには両替商間での交互計算による債権債務の精算システム(すなわち為替)が完成していたことにほかならない。
幕府は度々改鋳して出目を通貨発行益とする、金本位制から管理通貨制への実質的移行を断続的に行っていたけれど、民間での金融リテラシーの高さを理解できる勘定系の官僚が度々現れていたということだろうね。
感覚として正しいのは分かるけど、理屈として理解するのはとても難しい。
当時の商人や幕府高官も、こんな絵に書いた餅で本物の餅が買えるようなシステムのカラクリ、理解できない(でも買えてしまう)まま試行錯誤したんでしょうね。
三越越後屋❗️この先100年、200年、500年と歴史を積んで欲しいです‼️楽したったです❣️
その時代の蓄財について気になります。
銀行が無い以上、金の管理ができませんよね?
両替商は庶民に使えないでしょうし。だから、宵越しの金は持たないですか?
士農工商という身分制度はなかったという説も出ていますが実際には厳格に存在していました。
承認が町人のくせに贅沢三昧、歌舞伎役者が人非人もくせに町人のような服装などで罰せられています。
淀屋も越後屋も元々武家出身でしたが淀屋の処分は武家救済の意味合いが強かったのでしょう。
300年以上同じ場所で商売を続ける越後屋(三越)のすごさ
身分と言うより世の中で必要性のある順番‼️
昭和何年か忘れたけど、越後屋創業400年を武道館で祝ってたよ。元社長が岡田も出てたな。
江戸前エルフで見ました
淀屋に借金してた諸侯は淀屋の闕所処分で借金帳消しになっただろうから幕府に感謝したのかな?(7:52)
なんか、村上ファンドの阪神株買い占めとその後を思いう出すな~
三井家は元は武家で商人になったのが三井高利の父親である三井高俊で高俊の父親が越後守を称して居て三井高俊が武士を辞めて近江から松坂に住み店を開いて屋号を越後屋にした。
銅山の住吉家も凄いよね
住友だった(~_~;)
吉本新喜劇の、
炭屋のトモさんの略しょうでは無く?
客良し、店良し、世間良し、という商売における三箇条があるんだけど、「客良し」というのは「お客様に喜んでもらう」あるいは「お客様は神様」の意味で無く、「貧乏人に用は無い」という意味。大勢の貧乏人を相手にするより一握りの金持ちを相手にする方が良いし儲かるという意味。今でも大阪では庶民はあしざまに扱われる。
幕府は淀屋を潰したかもしれないが、その準備段階で上手の手から水が漏るの言葉通り、その意向は淀屋まで達したらしく、潰される前に暖簾分けをして少なくない資産を逃がしたみたいです。
橘玲の「日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル」だったかな?
政府は素早くは動けないので、政策として個人資産を何とかしようとしても、防衛する事は出来る。と書いてました。
当時も同じ様な事情があったのかもしれませんね。
僭越ながら補足します。
三井家の元々のルーツは近江国である。
始祖は藤原道長(御堂関白、966~1028)であり6代目の子孫である左馬之助信生の代に近江国に下ったという。近江を巡行していた際に宝物があった三つの井戸を見つけたことから「三井」を名乗ったという。
信生から12代目の当主・乗定には男子がいなかったことから、主君である六角佐々木氏から養子を迎えた。備中守高久である。以後、三井家の当主は「高」を通字とし、高久の5代目の子孫が動画にも登場した三井高俊(?~1633)の父・高安(鯰江城主、越後守、?~1610?)である。高利(1622~1694)が屋号を越後屋にしたのも祖父・高安の受領名(名乗り)に因んだという。
一方、淀屋であるが、淀屋を創業した岡本家によるものを前期淀屋、闕所後に牧田家により再興されたものを後期淀屋と呼ぶ。
初代・岡本常安(じょうあん、1560?~1622)は豊臣政権下で伏見城の築城や淀川の築堤工事で采配を振るい、淀屋を興したという。常安は家康にも大坂の陣の兵糧調達を通して取り入ったという。この功績が認められ山城国八幡で山林田畑300石と苗字帯刀を許された。また大坂夏の陣の戦後復興にも携わり、不要となった武具や家屋の古材で大儲けをし、この時点で1億両にも及ぶ資産を蓄えたという。
5代目の辰五郎廣當(とうこう、ひろまさ1684?~1718)のときに闕所となったのは動画のとおりである。後に辰五郎廣當は流罪を赦され、山城国八幡の山林田畑300石の還付を受けたが、闕所は解かれなかったという。1718年(享保2)に寂しく病没したという。
淀屋を復興したのは、4代目の重當(じゅうとう、しげまさ、1634~1697)の妹婿で番頭だった牧田仁右衛門である。伯耆国倉吉に暖簾分けで独立し、淀屋清兵衛を名乗り大坂の淀屋闕所後も屋号を守り抜いた。以後、牧田家は8代目・孫三郎の没する1895年(明治28)まで続いた。後期淀屋は幕末に薩長側へ莫大な資金提供をし、維新後は新政府へ資産の殆どを献納したことでも知られている。
なお、前期淀屋・岡本家の血統は現代に続いている。
前期淀屋・岡本家には 常安町家、大川町家、斎藤町家、大豆葉町家の4つの別家(分家)があったが、そのうちの大豆葉町家が現存しているという。
新潟にある大阪屋は創業者が大阪で修業したから敬意をもって屋号にしたけど、越後屋は何なの?何で越後なの?
三井家の先祖に『越後守』に任官した人がいたから、と聞いたことがあります。
@@木元西 納得しました。ありがとうございます。
だから、
淀屋出身が明治維新で徳川幕府を潰した!
商人の恨み恐るべし!
ついに三越キターーー
明治維新のころ大黒屋六兵衛の豪商が小名木川近辺にいた。ebookに配信しているが、色々な暗躍により歴史から消された人物です。
ぜひこの人物を紹介してほしい。
大名の解説で松平治郷(不味)の紹介をお願いします。
新しい動画お願いします。
どうでも良いけど「高利(たかとし」って・・・なんか金の相談とかしにくい名前だな(´・ω・`)
生まれながらの高利貸しw
浪人上がりの父親(三井家では、この方を始祖とされているそうな)がつけたそうな。
淀屋は廃れたのではなく不合理に取り潰されたんですよね。全国の大名や幕府の勘定方はさぞかしバンザイを叫んだことでしょう。
ヨドバシカメラのヨドバシは新宿本店の旧地名が淀橋に由来してます
何時の時代も如何に儲け、続けて行くかが、全てかなぁ? 、
紀伊国屋文左衛門と聞いてチルソニアJr.を思い出したw
こちらの近くの三越も閉店してしまいましたよ
広告はどうなりましたか?RUclips様に剥がされたままですか?
コメントありがとうございます。お察しの通り、当方の努力不足により収益化は剥奪されてしました
当方を始めとするゆっくり動画の剥奪騒動は昨年散々議論されていましたが、どうも権利関係ではなさそうなのです
恐らくAIの誤爆であるのではというのが多方の結論となっていますが、真相は未だに謎です
越後屋は未来を見てきたんじゃないかレベル。
投資家やってるが江戸時代は生きられなかっただろうな、、
米本位がきつすぎる 基本通貨である「米」が安定した通貨じゃないとか無理ゲーすぎる
日本人の金融経済感覚が、西洋人より低いのもちょっと前まで米本位経済だったからだろうと思ってます
いや、信用創造のカラクリや不換紙幣の概念を理解出来てれば、異世界チート系ラノベ並に無双出来るんじゃね?
淀屋がクソほど膨れ上がったのは、多分そのチートを知ってたからじゃ無いかな
次の一万円の渋沢栄一先生がやってましたが、、、
各藩ごとに藩札あったり、その藩札も何種類もあったり、隣町とレートがちがったり
それ以前に、村落で貨幣が流通してないだの、、大変な苦労をされたようです
地味にアラビア数字と簿記がなかったのも、苦労に拍車をかけられたようで
軌道に乗ってからは大変儲けられたそうですが、、
僕じゃクズ藩札掴まされて破産するのが関の山です
完全にチート系ラノベの発想ですが、自分ならなんとか薩摩藩と交渉して密かに菱刈鉱山(佐渡金山を凌ぐ日本最大の金山)を見つけ出し、その黄金を信用の担保としめ薩摩藩を通じ信用度の高い藩札を大量に発行させ、日本経済を牛耳る事を考えますねw
うーん、どっかでチェストされそーだ、、、
多分いけると思いますが、、
その牛耳った日本経済が、米本位の経済という情けなさ、、
結局、お抱えの外国人を雇ったり
日本の産業基盤の元を底上げしたり、、
渋沢さんと同じことしなきゃいけないのがねー
そういえば渋沢さんの話は(序盤は)凄いなろうっぽかったですよ
西洋経済で政府の信頼を得て無双する感じでした
結局、米本意をぶっ壊すところから始めないとダメで、となるとやはり薩摩藩をけしかけて倒幕する所から始めないとダメですかねw
そのうえで信用通貨主体の経済体制に移行させると
今から90年も前に駅建設費負担を条件にして「三越前」を銀座線に開設したネーミングライツの先見性は凄い。今でこそ副駅名で(〜前)は珍しくないが、まだ地下鉄が銀座線しかない時代に駅名を買った費用対効果は、全ての地下鉄、私鉄の案内に「三越前」と表示される事を考えると無限大
日本橋三越といえば、三越前駅は三越が作ったという説は本当なのかな?
淀屋の子孫が幕末の倒幕運動に資金を供出して一矢報いた話は?
それはまた、別の話になってくるんじゃない。
創作だけど花の慶次で秀吉の世を終わらせる為に大阪堺衆が家康にお金はいくらでも融通しますって連判状出す話があった。大阪が徳川を立てる為に資金を出し、倒す時にも資金を出す。流石商人、手のひらクルクル。
魔理沙さま、40代… !Σ(×_×;)!
イーロンマスクさんが淀屋にならないといいね
淀屋は没収された後、娘が武士に嫁いで惨殺されてるからイーロンが総資産約26兆9100億円没収されたとしてもまだ全然軽い。それほどの事を東京が大阪にやらかしてるのを犬HKは1回もドラマ化せず渋沢や得川(徳川)みたいな関東勢ばかり持ち上げて大阪=柄悪いの印象操作してんだから、いかに異常な国か分かる
淀屋?故郷に淀屋って雑貨屋が有ったな。
なに、ナガドロ(長泥?)って淀みの脇に有っただけの話だから、由来はその辺でしょうがね。
変わり者のオッチャンが今でもやってるはず。
地元の有名人の話でうれしいですが、三井家ってあんまり馴染みがない(^ー^;A、松阪は、三井銀行も無いし残ってるのは非公開のお屋敷だけ。まだ本居宣長の実家で紙問屋の小津さんや丹波屋の長谷川さんの方が色々残ってるし観れるから身近ですね。
うp主は新潟の人だったのか。
同じグループの相模原市の伊勢丹が去年閉店したけど、「今更言うことかな?」と思ったので調べたら勘違いしてたw
淀屋が(元)財閥として今もあったら大阪は一体どんな街になってたんだろうな
今度蔦屋の事をやってくださいね
いかがお過ごしですかって?
ここを見てるのさm9(`・ω・´)キリッ
越後屋の起源は明らかになってないけど越後は中世で日本一のカラムシの産地で現在では小千谷縮があります。これを江戸に捌いて財を成したのではないでしょうか?
今の日本も借金1000兆円って言われるが、対外純資産の額が圧倒的世界1。加えて国民が持ってる預貯金が300〜400兆。しかも借金とされると国債はほぼ全て勝ってるのが日本人。実は今でも世界一の金余り国なんだよなぁ。
淀屋はマジでエグい
1日の遊興費が5億やからなwww
しかも大阪で店閉めた後に鳥取でひっそりと淀屋再興して幕末に閉店して全財産を新政府側に渡して倒幕に協力した150年越しの復讐劇凄すぎやろ
なんかね、淀屋の運命と今の欧米の金融屋の近い未来がダブりそうなんだけど
淀屋の件は一族惨殺もあったんだぞ。一部が逃げ延びただけ。
今の世に同じことやったらユダヤ人の件と同列に語られるほどエグい事
大阪夏の陣開城後も城下町の惨殺があったが江戸城は無血。
東の国家ヤクザがどれだけのことを大阪にしてきたかを語らず、大阪に柄悪い印象操作してる風潮は気味悪いだけ
エチゴヤ オヌシモ ワルヨノー むひひ・・・
利根川東遷事業そのうちお願いします