【フェラーリ低迷期の不運】ジャン・アレジのレースキャリアを解説【F1】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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アグレッシブな走りでファンを魅了し若くしてチャンピオン候補に名前が挙げられていたジャン・アレジですが、フェラーリの低迷期と在籍時期が重なった不運などもあり、F1ではわずか1勝に終わってしまいました。
近年では息子、ジュリアーノ・アレジのレース支援に熱心なことでも話題です。
今回はそんなジャン・アレジのレースキャリアを解説していきます。
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たった1勝しかしてないにも関わらずこのような動画が引退後にもアップされる凄いドライバー
正に記憶に残るドライバーだったのだと思う。
まさに記録よりも記憶に残る
ドライバー
日本では「ゴクミの旦那」て有名
息子の
「ジュリアーノ・アレジ」は
日本でレースしてる❗
アレジの勝ったカナダGPはリアルタイムで観ていました。当時は確か毎年カナダGPのみ時差の関係で完全生中継だったような…。
現地でゴクミが感涙して「ありがとう!」って言う音声が放送されたのが印象的です。
タイムマシンがあったらなー
と言っても誰からも非難されない人
なんかティレル時代が一番キレてて輝いていたような印象
本当に❕
ですね。セナを追いましたあのアメリカグランプリがすごい‼️
古いタイプのドライバーですね。タイプ的に80年代のたいぷ。ハイテクのブレーキングタイプじゃない。感覚的なロックが感じれるタイプだよね。
中嶋のセッティング能力に助けられてたのでしょう
レーシングスクールでのタイムはプロストを超えたドライバーなんだよな。
1991年にウィリアムズ移籍した世界線のアレジも見てみたいなー
アレジはテスト嫌いでセッティング苦手というのもあるし
ウィリアムズに行ってたら行ってたで馴染めなかったかもと言う気も・・・
「アレジはもう少しイギリス系のチームにいるべきだった」との言葉通り、セッティングがあまりうまくなく、テスト嫌いともなれば「速く走らせることはできても、勝利への走りはできない」ですからね。ティレルでもう2,3年修行すればベストドライバーになれただろうけど、やはりアレジは情熱の走りが身上なんですよね。
パスタの茹で方🍝だけはうるさいみたいだよね。
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まぁ両親ともにイタリア人で、フランス人と言うよりフランス在住のイタリア人ですからね
「美しき駄馬」F92Aを褒めちぎった時点でチームメートのカペリは青ざめたらしいです。
90年のアメリカGPとモナコGPでの活躍は鮮烈で、当時はセナに匹敵する天才とも言われてた。
当時の新人としては断トツのインパクトだったけど、フェラーリで思うように活躍できなかったこととシューマッハが出てきたことで霞んでしまった感がある。
アレジの乗ったap03のミニチャンプスのミニカー大事に持ってます
アレジ、F1はたった1勝だったけどDTMでは何度か勝っていた模様
現時点V12エンジン最後の優勝者としても記憶に残るドライバーですよね。
ジャンアレジとセナのオーバーテイク合戦見てからf1にハマった。勝利数少ないのは納得いかない…
90年アメリカGPゴール後、中嶋さんがアレジの肩を叩いてるシーンが印象的👍
ここ最近爆竹で事務所ぶっこわすヤンチャしてて大爆笑しました、元気そうでよかったです
シューマッハが才能でいえば間違いなくヒルよりアレジの方が上だって言ってたなあ。マシントラブルさえ無ければ何回も優勝してたはず。なかなかいいマシンに巡り逢えなかったのが残念😥アレジのドライビングスタイルにベストマッチの壊れにくい、いいマシンにさえ乗っていれば…天賦の才能を持った名ドライバーでした😌
チャンピオンになれなかったけど、アレジさんは世界のF-1ファンから愛されていたドライバーだと思ってます。個人的には1992年のスペイングランプリの追い上げが凄かったです。
90年のアメリカGPでのセナとのバトルは手に汗握るレースだった。
91年ウィリアムズに乗ってたらどんな未来があったのかね
フェラーリのカーナンバー27への魅力が強かったんだろうね。
タラレバたけど ウイリアムズに行ってれば…
プロスト「今のフェラーリは赤いトラクターだ」
小林旭「解せぬ」
91年開幕戦予選1日目トップでアレジ時代来たと思ったが、2日目の予選最後のアタックに失敗。シーズン通してもプロストに予選で上回れず。次世代のチャンピオンには遠いなと思いました。
確かに記録や勝率が大切なF1!でも、あくまでもマンパワー!アレジというキャラクターはファンの中で生き続ける名ドライバーですね。当時フェラーリのパートナーであった音響メイカーパイオニアのカーオーディオカロッツェリアのカーナビのCMでも人気があって売り上げに貢献していましたね。全てにおいて憧れでした。
初代ジョーダンフォードHBに乗ってたらどぅなってたかなぁ
初優勝の時の中継、TVで観ていました。ピットレポーターの川井さんが、とても嬉しそうだったのが印象に残っています。
ジャンアレジが本当に大好きでした!当時低迷してたフェラーリで物凄く熱い走りを見せてくれてましたね!ここ一番の速さはピカイチだったと思います。特に雨のコンディション。ただ結果が出せなかったと、、世間の評価は低いのが本当に悲しいです。本当に運のないドライバーでしたね、、
1998年のザウバーってレッドブルがスポンサーでペトロナスだったのか・・今を思えばある意味凄いコンビだ
今じゃ名門f1チームの名称とメインスポンサーですもんね
ウィリアムズに移籍してセナとチームメイトになるところ観たかった
マシンの戦闘力不足というのもあっただろうけど、プロスト・ベルガーという好みの違うチームメイトに当たってしまったのも
いまひとつブレイクできなかった要因のような気がする。ティレルのときのようにアレジに合わせたマシンを与えられたら
もっと輝いたんじゃないかって思う。
特にアレジのファンではなかったが
当時アレジのステアリングを握る位置がうんたらかんとかとかケチ付けてた大御所がいて、自分がF1で走ってから言えと思ったもんだった。
特徴的なんですよね
かなり上のほうを持つというか
ステアリングの上のほうで両手揃えるような感じの持ち方をする
だからベルガーのステアリングは上下が切ってある今のF1みたいなステアリングだったけど
アレジは上のほう(切ってある部分)を持つから旧式の丸型ステアリングだった
それを言ってたのはパトリック・タンベイですね タンベイもベルギーで事故死した親友ジル・ヴィルヌーブの代役でフェラーリに乗った由緒正しいF1ドライバーです
@@user-bd1um7on4c 自分のコメントは、
F1にフル参戦したことのない日本人ドライバーが言っていた内容についてです。
名前を出さないのは、それなりの大御所で信者もいそうだからです。
@@bluephantomtetra ありがとうございます 信者がいるでだいたい分かりました笑
最後の入賞となった2001年ベルギーGPのラルフ・シューマッハとの6位争いは脱帽だった。
圧倒的不利の中、あそこまでラルフを抑えられる力はアレジだから出来る技だと思った。
ミハエルに劣ると言われながらも、まわりの若手を圧倒する走りが魅力的だった。
ウイリアムズに移籍してればと2〜3勝は出来たかもしれませんねぇ。
まだタイトルしか見てない状態でいったん書きますね。
・フェラーリの低迷期ど真ん中に加入してしまった
・彼自身テスト嫌いだったり開発能力と言う面ではレースほどの才能は無かった
ぼろくそ書きましたが今でも一番好きなフェラーリドライバーです。勝てばよいというものではない。誰とは言わないけど。
…赤い皇帝。あ、言っちゃったww
以降視聴中です。
フランスのABC…俺も入れてくれbyヤニック・ダルマス
そういえば「国際F300チャンプはF1では勝てない」ジンクスを打ち破った人でもありますね。
カナダGPで初優勝!
キャリアはこの1勝のみでしたが…
フェラーリの伝説のドライバー出身地で…
ジャン・アレジにゼッケン27
V12エンジン
心が熱くなるワードでございます。
勝てなくても熱い走りに感動しました…。
ウィリアムズを蹴って、フェラーリに行ったのが全て。
フェラーリへのワークス入りを断念しウィリアムズルノーと三年契約を結べばそれこそタイトル獲得は勿論上手く行けばマクラーレンホンダから移籍して来たセナとチームメイトになる事も夢ではなかったかもしれませんねぇ。><
アレジも言ってました
ティレルでの活躍により
ウイリアムズからオファーがあり契約
その後
フェラーリからのオファーに契約
2重契約になり
ウイリアムズとフェラーリが揉めて
フェラーリがウイリアムズへ
違約金を払うで合意
アレジか引退した後の雑誌インタビューで
「ウイリアムズと契約したら
ワールドチャンピオンになれたかもしれない
現役12年で、1勝しかできなかったけど
あの伝説のフェラーリにいたのだから
後悔はしてないよ。」
アレジかフェラーリ移籍
最初のテストで
「アランプロストと同じセッティングにしてくれ」と頼んた
更に本来ならカーナンバー28だけど
ジル・ヴィルヌーヴが付けてた
27に変えてくれと頼み込んた❗
ケン・ティレルは、フェラーリへ行くのは「もう一年、待て」と忠告したのにと。結果は、正にその通りだな。中嶋との結果を見ても焦る必要無かったのに😙カナダ優勝の時は、解説の今宮純氏は「此で、一皮剥ける」と解説を述べたが、個人的には、クレバーなイメージは、無かった😜
だがそのティレルも91年のマシンがバランスが悪くて同じ結果かも。
ウィリアムズに行けばもっと勝っていたと言うのは事実だったかもしれないが、やっぱりアレジはフェラーリのブランドが似合っていたし、勝てるはずなのに勝てないと言うもどかしさこそが最大級の魅力だったと思う。
個人的にフェラーリは強過ぎる全盛期より、今や90年代のような「頼むから次こそは勝ってくれ!」とファンを刺激するような脆さが好きだし、プロストが去ってシューマッハに明け渡すまでの5年間を必死に支えた功績は大きかった。
個人的には、このアレジ氏とフレンツェン氏ってなんかイメージ的に超重なるのです。
タイヤ使いの巧さはヒルとフレンツェンと
供に3本の指に入ると思います!
もしも「2000年アーバインの代わりにフェラーリでシューマッハのチームメイト」噂が実現していたら、黄金期のチームで勝ち星上げたか?少なくともプロストプジョー(以下略
紆余曲折
浮き沈み
恵まれているのか悲運なのか
でもファンの多いドライバー
人柄の良い印象
マジ大好きだった!フェラーリ時代は不運だったがフェラーリにムチを打ちいつもキレた走りにはシビれたよ!レプリカヘルメットを買って走る時にコーナーを回るとき真似して傾けながら走ってた!だから95年カナダで優勝した時は夜中涙を流して喜んだ事を思い出すよ
アレジがウィリアムズ行ってたらマンセルやプロストやヒルはチャンピオンに成れたんだろうか?
小林可夢偉が3位になった、2012年日本GPの表彰式でプレゼンターをやっておられましたね。
正直、よく知らないままで「ゴクミの旦那」という印象しかなかったのですが、波乱万丈なレースキャリアを送ってたんですね。
息子さんのジュリアーノ君も結局フェラーリのドライバー育成では上手くいかなかったですが、心機一転、日本で頑張ってるから、これからの活躍に期待ですね。
ティレルの時のタイヤテストも中嶋さん任せで、この頃からシッカリと開発能力を上げて行ってたら、フランスなんで、ウイリアムズルノー、リジェとかあったんでしょうね。ジョーダンプジョーもあったのかな?プロストは、無限ホンダまでは、良かったです。でも、パニスに立ち位置は取られてそうですね。
首をグイッと曲げてコーナーリングする姿勢は、正にファイターを思わせてカッコ良かった!あと、シャルル・ルクレールを見ていると、アレジを思い出しますネ。難しい愛馬をムチ打って走らせる姿が重なります!
3:58
この年のモナコGPは第4戦です。
エディ・ジョーダンの若手を見る目、凄いな・・・。
フェラーリ時代は最大のスランプ時期と重なった上、ベルガーにいい所を持って行かれた感しかしない。
ベネトンでも同じ様にベルガーにいい所を持って行かれたし。
ザウバーで好走を見せてもフェラーリに帰れなかったのが運の尽き。
フェラーリでもベネトンでもベルガーの後塵を配してるのが彼の本当の実力でしょう?
不運とかでは決して無いと思う。
ザウバーで好走してもフェラーリには出戻れなかったなんじゃないかな。
名実共に『第二ドライバー』の立場を受け入れるとも思えない。
出戻ったフェラーリドライバーってレガッツォーニ以外いなかった気がする。
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知ったような事を唱えているようですが、
それだけを根拠にホザいているのですか?
(冷笑)
@@c2w358
アオリお疲れ(爆笑)
@@user-dp7jh6dl8x
煽ってるのはどちらですか!?(冷笑)
アンタの文章を元に質問しているのだが。
答えられないのですね(笑)
アレジとフィジケラ、パニスは上手かったですね。速いより上手い。まさにいぶし銀の様な存在で戦闘力の低いマシンでも粘り強く走り、大きなミスも無い、そんな素晴らしいドライバーでした。
なんか3人とも開発能力は無さそうなメンツを選んでしまいました
ジャン・アレジは生まれるのがおそすぎた。
1970年代までだったらWC取れたでしょうが、彼がF1に来たときにはすでに勝つためにはドライビングテクニックだけではなく、マシン開発能力が必須になっていた。
残念ながら彼にはその能力が足りなかった。
アレジが乗ったマシン達は何故か変態マシン好きの僕に刺さるんだよな〜
決して良いマシンに恵まれない人だったけど、もし91年フェラーリへ移籍せずウィリアムズに移籍したら…
僕の中ではNo.1ドライバー。
ほんとにほんとに楽しませてくれた。
爆竹爆破でニュースになってたけどアレジが一番のF1ドライバー。懐かしい。
F1最後のレースは、キミライコネンのスピンに巻き込まれリタイア…
ピットに戻る時もライコネンを気遣い、最後はチームメカニック全員と握手
なんて紳士なドライバーだ🏎で印象でした✨
あまり結果が出なかった
ザウバーだけど
雨が降った時のアレジはべらぼうに
速く
シューマッハやハッキネンが
並みのドライバーになる(笑)
元々ラリースト志望だったけど奨学金制度が無いからサーキットレーサーになったって話を昔聞いたけど真偽をご存知の方います?
それは、アレッサンドロ・ナニーニの話じゃないですか?
@@上杉貴志 ナニーニのその逸話は知りませんでした。僕が勘違いしてたのかも。
まさに優勝回数以上の凄さを持つドライバー
ベルガーに似てるバカっ速の天才ドライバー
イギリス系チームにあまりいられなかったのはその英語力のせいか?
そのせいでジョン・バーナードと仲が悪いとずっと思われてた。
ただ雑誌「GPX」の裏話で「単にアレジの英語がヘタなだけ」と完全に否定されてたが(笑)。
最近、事件で一人ダイハードやってしまいましたねw😅😅
一番エンジンサウンドの美しいフェラーリ達に乗れたんだからよかったんじゃないかな。
移籍のタイミングが悪かったとしか言えん
フェラーリは黄金期前のゴタゴタしていた時期だしベネトンも旬が過ぎていたしプロストはフランスのよしみとはいえ走らなかったしジョーダンも2000年を境に弱くなってしまったのでチーム運に恵まれなかったものの時折ダメなマシンでも入賞に導く才能はあるんだなとも思う
ウィリアムズに行っていればなぁ
91年の移籍先が、あの揉めたウイリアムズだったら、全く違ったF1人生だったと思います。
速さは間違いないし、特にスタートは天下一品なのに、テストが嫌い、フィードバック苦手だし「速いけど安定して勝てない」というポジションになるべくしてなった気がします。
天性の才能はあまりなさそうなのにテストと開発力でのしあがったデイモン・ヒルとは対照的です。
アレジもベルガーもフェラーリ、ベネトンと渡り歩いたチームが好調期の直後に移籍しているんだよね。
微妙なタイミングの違いでチャンプになれなかった気がしてならない。
アレジは大好きなドライバーだけど、客観的に見ればチャンピオンの器ではなかったと思う。
才能としてはベルガーと同等か、やや下な印象だけど、熱い走りを体現する最後のドライバーだったと思う。
ジル・ヴィルヌーヴの再来と言われていたが、ジルと同じく記憶に残るドライバーだった。
ニュースで、ジャン・アレジが逮捕された時は、「え?!」と思ってびっくりしました。(アレジの息子が、現在レーシングドライバーで活動中ですが、とてもかわいそうでした。)
補足すると2002年アレジはジョーダンに残留希望していたけどホンダとジョーダンの関係で佐藤琢磨を乗せることが決まっていた(佐藤琢磨を乗せることでエンジン代金を安くしてもらう)ことで引退を余儀なくされてしまった
誰よりも首が傾いてた。大好きでした。
フェラーリ入りが正しい選択だったか難しいところですF1でフェラーリのマシンで一勝しましたフランスの警察に身柄を拘束されましたけど無事に実業家として活躍して下さい
当時の古舘伊知郎とフジテレビのジャン・アレジ推しはなんだったんだろ..
アレジ 実力有るのにメカニカルトラブルが多く優勝出来るチャンスを
度々逃してる。
アレジ、ゴクミとの結婚でレーサーとしての運全て使い果たしたのだろう。
#27赤いマシンを駆るアレジ、リザルトに繋がらない攻めのスタイルだったね。鈴鹿での切れた走りには、痺れたぁ!
ウィリアムズに行っていればチャンピオンになれただろうな・・・
ジョバンニ・アレジですね。
フェラーリに拘り、旬を逃した
チームに恵まれなかった天才ですね
ジャンアレジですね😆自分には1990年アメリカグランプリでマクラーレンホンダのセナとバトルがすごかった😃。アレジはチィレルで中島悟でコンビ。1991年からフェラーリでプロスト後ベルガ。残念だったのはアレジがF1ドライバーで勝利1回だけ。今回も本当にありがとうございました。また次の映画を楽しみに待ってます👍
それよりも爆竹事件が気になってます。
好きなドライバー キレたドライビングはジル・ヴィルヌーヴを彷彿させる。
不運? 不運なものか! レーサーの運は全てゴクミとの結婚で使い果たした。
ジュリアーノも父親譲りの
勝てなささだよな。
GTとSFで今年結果を出さなかったら来年はいないだろうな
ジャン・アレジ
マシンを走らせる能力は高かったです。
しかし、フィードバック能力が皆無と言っていいほどないのが弱点で
もし、ウィリアムズに行ってたら
当時テストドライバーだったデイモン・ヒル(フィードバック能力に定評がある)が走り込んで完成されたマシンを手にする事になり優勝はおろかタイトル争いまでやれたのでは?と思います。
あとは少し若いミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン(こちらも勝てるまで時間がかかってしまったけどチャンピオンに登り詰めた)の登場もアレジの存在を小さくしてしまった感があります。
優勝こそ一度だけに終わったものの
「近くは危険」と呼ばれた事もあるアイルトン・セナと一対一の接近戦を当たらずにやってのけたのはアレジくらいでしょう。セナとハードなのにフェアなバトルが多かった印象が強いです。
アレジはセナ信者でもあり、F1デビューの時に「ついにセナと同じカテゴリーに来た」と話していました。
一方であの1990年開幕戦のセナvsアレジを終えたセナのコメントも
「ジャンとのバトルは心から楽しめた」と前年の失意を引きずっていたセナが「闘志」を取り戻したレースとも言われています。
来年、豊田章男社長はジャン・アレジとユハ・カンクネン、ジュリアーノ・アレジとステファン・ヨハンソンと織戸学と組んで水素自動車でトヨタの為にニュルブルクリンクや富士24時間に参戦してアレジ親子のレースが見たくなります!
ベルガーとアレジのやんちゃ騒ぎの話多すぎて😅😅 どれも面白いけどジャン・トッドさんの車の件は爆笑
アレジさんは天才じゃありません
ベルガーとどっこい位のレベル
最もベルガーは通算10勝で高速コースでは無類の速さを見せていたので比較するのもナンセンスかも知れませんが
アレジは数多くの不利なチームオーダーに寄って周回遅れにさせられる羽目も喰らわされてるんだよ。
そんな事も知らずに何言ってんの?
@@ww-uf1mw
不利なチームオーダーがあったかどうか当方には知る由もありませんが、もしそうだとしても不利な条件を被らざるを得ない。それが全てです。優れたドライバーは不利なチームオーダーを指示されません、又はされにくいです。
色々話題になってますが、間違いなく記憶に残る名ドライバーです。
フェラーリに移籍する事に決めたのは憧れのドライバーがジル・ヴィルニューブだったからのようですが、ウィリアムズと契約していれば全く違うキャリアになってた事でしょう。
確かフェラーリがウィリアムズに支払った違約金は90年のフェラーリ641だったかと。ウィリアムズのミュージアムに歴代のウィリアムズのマシンと一緒に展示されてましたよ。
良く記憶に残るドライバーって言われてるけど具体的にどのレースでしょうか…
ディスる訳じゃないんだけど私に関しては全く記憶に残って無いです。
641/2ですね
何年か前に、コレクターに売ったと聞きました
フェラーリでもベネトンでもベルガーよりもコンスタントにポイントは取るけど、数少ない優勝の機会をかっさらうのは決まってベルガーでしたね。
フェラーリ上層部がもう少しまともなら、プロストともう一年組めて実力が伸びた気がします。
ジャンは世界中に愛されたドライバーの一人やね。あのミハエルも「引退する」と聞いたときショックが大きかったと言ってたしな。
俺がアレジのスゲ〜と思ったのは92年の モナコの予選の走りですね。
ガードレール擦ってるやんぐらい攻めてるのは 鳥肌もんでした(^^)
この年、勝ったセナよりも 衝撃でした^ ^
分かります! 92年モナコ予選だけでなく、92年モンツァ予選のアレジもキレッキレで見応えたっぷりでした!
90年台アレジが居たチームがそもそも低迷していたかという見方は分かれるだろうけどね。
アレジのアメリカGPでセナを抜き返した衝撃はいまだに覚えている
ティレル時代はキレキレの走りだった
フェラーリに行ってからなんか落ち着いた感じの走り
ゴクミと結婚してから落ち着いた?
それにしてもジョーダンは凄いな
F3000でアレジを抜擢、F1でもシューマッハをスポットで使い予選7位
シューマッハはジョーダンがいなかったら陽の目を浴びなかったかも。
91年にウイリアムズに行っていればどれだけよかったか。とは言ってはいけないというか仕方ないのですかね。
爆竹の扱いでは優勝です
確かに速かったけど、チャンピオンになるには「年間を通しての安定感」が必要だから、
チャンピオンになるのは難しかったね。
アレジはオーバーレブ気味に運転するから、どうしてもマシントラブルによるリタイアが
多かったとF1速報か何かで読んだ。
ただ、同じ1勝止まりのコバライネンやマルドナードと比べて格段に記憶に残る
ドライバーではあった。
それにしても、イタリア人のナニーニがフェラーリからのオファーを断ったのは勿体なかったな。1年契約だったのが不服だったらしいけど。
もしナニーニが(右腕切断もなく)フェラーリに移籍していてアレジがウィリアムズに
移籍していたら。そんなシーズンも見てみたかったが、そうするとマンセルがシートを失っていてマンセルのチャンピオンも無かったのか。
本当なら稀代の名車FW14シリーズに乗れてたのにな
あのまますんなりウィリアムズに行ってたら何勝したんだろうな
アレジがフェラーリに移籍の違約の際
フェラーリがウィリアムズに641/2を1台譲渡
それによりウィリアムズのセミオートマの開発が進んで後の黄金時代の礎を築いたとか
そう考えたらアレジは90年代中盤以降のF1の歴史を作った中心人物だと言えるかも
アレジはティレルが一番あってた気がする。切れ味鋭いハンドリングは軽量なシャーシーがあっていたのだろう。ベネトンのピケのように。8気筒の軽いエンジンとゴテゴテの装備をしていないシャーシーが良かったのだろう。
後藤久美子さんとの馴初め話も入っているのかと勝手に期待してしまった^^
仮契約のシンデラにはなれなかったのですね。
昔「F3000クラスのカテゴリーでチャンピオン獲ったドライバーはF1で優勝出来ない」ってジンクスが存在してたけど、95年カナダでの優勝はそのジンクスを打ち破ったりもしてるんだよな…
確かにアグレッシブな走りでしたがセナ、マンセルのような緻密に計算されたアグレッシブとは違うんだよねこの人。
他のコメントにもあるようにマシン開発やセッティングに無頓着な人でその走りもアグレッシブと言うか無謀な走りが際立つ(自滅も多かった)感じでした。
仮にフェラーリでなくウィリアムズで当時最強マシンに乗っていたら?と言うコメントありますがそれでも私はこの人チャンピオンになれてないと思うしウィリアムズもすぐクビになっていたと思う。
ある意味あの時点でのフェラーリ入りは正解でフェラーリだからこそこの人はここまで人気が上がったのだと思います。
個人的には好きなドライバーですが決して天才型でも無かったしハラハラドキドキ感のある走りが好きだっただけかも。
もしハッキネンがいなかったらファンになっていただろうな。
ベネトン時代もトップを走っていながらマシントラブルで
リタイアした事があったな。ドイツGPだったか⁉︎
とにかくツキがなかったね。
同じ事を思っているはずだけど、1991年にウィリアムズに3年契約で移籍している選択をすれば歴代最強と言われるマシンに乗れたし、シューマッハ並みのドライバーになったのかも
→そうすれば、その後のマンセル、プロスト、セナの動向も違ったんでしょうね
2000年のプロストグランプリに行ったのもそうだけど、祖国の英雄で同じフランス人であるプロストがいるフェラーリに行ったのが評価下げる原因でしたね
好きなドライバーで実力もあったはずたけど、運が無かった典型的なタイプですね
同じ事がデレック・ワーウィックにも言える。
Wikipediaから抜粋するけど、彼もトールマンとルノーで結果を残してて85年のウィリアムズに誘われていたが、ルノーとの契約優先して断った結果が代わりにマンセルが契約してマンセルその後の躍進に繋がってしまった。
翌年ロータスのセカンドドライバーに起用されるどころか、セナに嫌われて契約出来ず浪人に繋がってしまいその後のワーウィックは勝利するチャンスを完全に失ってしまった。
@@11wildboys ワーウィックはプロトタイプのTWRジャガーで成功した分まだ救いがありましたね。
F-1よりもプロトタイプ好きとしては嬉しかったな。