『藤原彰子』は日本の歴史上でも重要な人物だった!?

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  • Опубликовано: 6 окт 2024
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    藤原行成「権記」全現代語訳 (講談社学術文庫) amzn.to/48Khsje
    藤原道長「御堂関白記」 中 全現代語訳 (講談社学術文庫 ) amzn.to/3XQpSTL
    藤原道長「御堂関白記」 下 全現代語訳 (講談社学術文庫) amzn.to/3VPzmfd
    藤原道長を創った女たち:〈望月の世〉を読み直す amzn.to/43GjLCn
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    #歴史 #日本史 #大河ドラマ

Комментарии • 76

  • @jsuzu7747
    @jsuzu7747 3 месяца назад +136

    ドラマの彰子は内向的で、父母の言いなりのような大人しい姫君ですが、これから父道長にも真っ向から物申したり、実資から「賢后」と称賛されるような強く賢い女性に成長していく様をどんな風に描かれるのか楽しみです

  • @hero-bg7xy
    @hero-bg7xy 3 месяца назад +56

    大河ドラマの主人公になってもおかしくないくらいの素晴らしい女性ですね。
    これからドラマ観るのが楽しみになりました!

    • @まるだいず-w6c
      @まるだいず-w6c 2 месяца назад +4

      彰子を主人公にして書かれた小説(「月と日の后」沖方丁)があるので、ぜひこれを原作に、「光る君へ」の続編が作られたら良いな、と思っています。(続編という言い方は失礼かもしれませんが・・・)

    • @hero-bg7xy
      @hero-bg7xy 2 месяца назад +5

      ありがとうございます!
      小説読んで見たいです。
      いつも動画見ていて、大河ドラマの先が見たい!と感じています。
      今まで知らなかった鎌倉時代や平安時代や渋沢栄一の事などいろいろ知れて大河ドラマに感謝です!

  • @聖子-o7o
    @聖子-o7o 3 месяца назад +63

    彰子も息子達が自分より先に逝ってしまい、辛かったでしょうね。
    イメージ的には慈悲深い人です。

  • @パン大好き-s4i
    @パン大好き-s4i 3 месяца назад +62

    彰子様 知れば知るほど素晴らしい方だったのですね。内覧をしていたとは知りませんでした。道長に抵抗して敦康親王を立てるところは、一条天皇への愛情を感じます。

  • @せんちゃん心はいつも3歳児
    @せんちゃん心はいつも3歳児 3 месяца назад +43

    彰子が内覧になっていたのは知らなかったです。有り難うございます。

  • @cowboy8163
    @cowboy8163 3 месяца назад +19

    これから成長していく彰子を見るのが楽しみになってきました ありがとうございます♪

  • @cancan5892
    @cancan5892 3 месяца назад +165

    年若い彰子が後宮でさぞ辛い日々を送っただろうと思っていましたが、彼女は母倫子の全面的サポートを受けていたそうです。倫子は自身が出産間近の身でありながら彰子に付き従い、自身の血縁者を中心に女房衆を組織し、彰子サロンの品々からその場の雰囲気までも空間プロジュースし、自身も参内しながら他の女房らからも彰子の様子を逐一報告させる、ここまで完璧にサポートすれば彰子も不安はなかったでしょう。前々から不思議に感じていた敦康親王の養育も、育児経験豊富な倫子の全面的バックアップがあれば怖いものなしで、その上その事実が中関白家の口出しを阻み封じ込めとなるという絶大な効果もあります。敦康親王の養育は、伊周ら中関白家に渡らないようにする道長の意向でもあったそうです。その後彰子に二皇子が生まれ状況は変わりましたが、敦明親王が皇太子を辞退した際には、今度こそ敦康親王を皇太子にと彰子は望んだそうです。しかし道長の思い通り、彼女の次男に皇太子は渡り、彰子は父を非難します。自分の息子より、亡き一条帝の強い思いを叶えたいという彼女の意思が強かったんだろうと思います。息子や孫達よりはるかに長く生きた彼女の心の内は、満足だったのかそれとも父との対立を秘め亡き夫にすまないと後悔する気持ちだったのか知りたくなります。

  • @clai47tere1sar
    @clai47tere1sar 3 месяца назад +34

    彰子が実子ではない敦康親王を推したのは、自分の子にはきちんと成人してから即位してほしかったから、順番を後回しにしたかった、という説を見たことがあります。
    でもそういう計算高い理由じゃなくて、一条天皇の遺志を誰よりも大事にしたから、だと思いたいです。

  • @nk-tm7fo
    @nk-tm7fo 3 месяца назад +28

    藤原彰子の解説とても楽しみにしていました!ドラマではまだ気弱そうで内向的な女の子ですが、こんなに素晴らしい女性へと成長していくんですね。ドラマではどのように描かれるのか楽しみです。

  • @ダイアナここ
    @ダイアナここ 2 месяца назад +24

    内覧を許されていたということは聡明な方だったのですね。

  • @ロイド-l1m
    @ロイド-l1m 3 месяца назад +29

    藤原彰子は87歳ですか、すごい長寿ですね、いろいろな事はあったと思いますが幸せだったのではないでしょうか。理由は長寿の現代でもストレスだらけだったら87歳まで生きるの無理ですしw当時の環境で87歳は幸せだったのかなと思います。

  • @owyd2236
    @owyd2236 3 месяца назад +26

    あの、院政をはじめた白河院にも影響を与えたとは、驚きですね。

  • @EverydayTamagoSand
    @EverydayTamagoSand 2 месяца назад +35

    家の立場的にライバルというべき藤原定子の遺児を育て上げ、
    譲位にあたっては父に意見し…
    真の強い素敵な女性だよ

  • @まるだいず-w6c
    @まるだいず-w6c 2 месяца назад +14

    当時の平安貴族の晩年の健康状態を見ると、おそらく美食が祟って糖尿病の合併症に苦しみ短命に終わった方が多かったように思われますが、彰子はよほど節制して生活していたのか、そのような病に苦しむこともなく、87歳の天寿をまっとうしたのは、まさに驚異的です。どんな食事だったのか記録が残っているなら、見てみたいです。

    • @toyo-rex4899
      @toyo-rex4899 Месяц назад

      それでも60代半ばには重い病で半年以上も床に臥せていたそうです。
      時の関白・藤原頼通(彰子の実弟)は彰子の病気快癒祈願のために大赦を実施。これにより、前年に前九年の役を起こしていた安倍氏が「お咎めなし=無罪」になっています。
      そのおかげもあってか、最終的には87歳の天寿を全うすることになります。

  • @momo4540984
    @momo4540984 3 месяца назад +18

    国母であり慈母でもある。後の皇族の政治体制にも関わる重要人物。

  • @平時国
    @平時国 3 месяца назад +14

    解説ありがとうございます彰子が内覧となり院政に影響を与えたというのは初めて知りました。
    出家の身で若い天皇を後見したのは後に将軍の母として政治に関わった北条政子にも似てると思います。

  • @ヨシヒコ-i6u
    @ヨシヒコ-i6u 3 месяца назад +21

    摂関政治を終わらせたと言われる後三条天皇や白河天皇にも一目置かれる彰子ちゃんってやっぱり凄いですね!!
    父と対立したり、弟を支えたりと彰子ちゃんって凄い「一家の長女」て感じがして好き😊
    今度は彰子ちゃんに比べ、あまり注目されない姸子ちゃん、威子ちゃん、嬉子ちゃんの解説もお願いします🤲
    あと明子ちゃんとの子ども達も

  • @giantszero6962
    @giantszero6962 3 месяца назад +32

    彰子が公文書の内覧をしていた前例があったため白河上皇はそれができて院政につながった。
    なるほど、その流れは重要だね。

  • @zeroforwardslips9458
    @zeroforwardslips9458 3 месяца назад +21

    婚姻関係を見るとかなり血縁が濃いと思いますが、ハプスブルク家の様な問題は起こらないかったのが不思議です。

    • @Aちゃん-o3k
      @Aちゃん-o3k 3 месяца назад +20

      若き天皇が次々と崩御しているのは血の濃さの影響かも❓

    • @ダイアナここ
      @ダイアナここ 2 месяца назад +9

      病気はあったと思います。ハプスブルク家があって日本の王室だけ無い等あり得ないので。

    • @おかひじき-f6c
      @おかひじき-f6c 2 месяца назад +13

      後冷泉天皇の場合、父も母も后妃たちも自分も祖母も
      道長の直系💦
      子供がいなかったのは血が濃すぎたせいもありそうです

    • @ユミコ-i9c
      @ユミコ-i9c 2 месяца назад +4

      白河天皇の母親は、藤原公季の子孫(叔母の夫の養女になった。叔母の夫は道長の四男能信)で少し遠い血筋なので、近親婚から逃れられた。

    • @ダイアナここ
      @ダイアナここ 2 месяца назад +4

      @@おかひじき-f6c
      京女に東男と昔から言われていて自分から遠く離れた人と結婚するのが良いという事ですがこの頃の王族は真逆の事をやってますね。権力に巻き込まれお気の毒です。

  • @いうあ-q7o
    @いうあ-q7o 2 месяца назад +13

    一条天皇・定子・敦康親王・彰子
    この4人の関係がグッと来るし、彰子が道長に言われるままでなく貴族社会に君臨するほどの影響力を持つ強い女性になるのもかっこいい
    光る君へはどうしても道長を憧れの光キャラにしたいみたいだからその縛りの中で彼女をどう描いていくのか気になる

  • @森田慶勝
    @森田慶勝 3 месяца назад +11

    ドラマ鑑賞の深度が深まる解説、いつも有り難うございます🙏🏼
    ところで、本作の主人公・紫式部の没年は不明らしいですね。
    道長十数年前〜道長の没後二年ほど後までと推測されている様子です(主人公だから長めにやるのでしょうが)。
    だとすると、本作は今日の話のどこまで描くのでしょうか?
    道長没までだと少し尻切れトンボに終わる気もしますし、源氏物語は主人公・光源氏の死後まで物語は続いているのでそれに倣うのもありそうですし。
    武士道さんの解説のお陰で、妄想が広がります。感謝🙏🏼😊

    • @金築明子
      @金築明子 2 месяца назад +2

      ドラマをずっと見ていてまひろさん(紫式部)は私が漠然と思っていた紫式部のイメージとかなり違ってずいぶんご苦労をなさって人生を歩まれたのだなということです❗幼くして母と死に別れ父はなかなか官職に就けず家庭的にも経済的にも苦労の多かった女性だったんだな!という印象を受けました。但し紫式部のことはほとんどわかっていないそうなので今までの経緯は脚本家の創作なのでしょうがそれでも千年前に書かれた源氏物語の作者紫式部という人物像を千年の時を超えていまに至り少しでも知ることは興味をかき立てられます😂これからのドラマを楽しみにしております。

  • @コウキュウ
    @コウキュウ 2 месяца назад +3

    かなり、若い頃から嫁ぎ若くして出産していた割に長生きしていて良かった政治に、利用されて、かなり無理をさせられていたのに、長生きできて、良かった❤😊

  • @sonchuzan
    @sonchuzan 8 дней назад

    道長の政治力をきちんと継いでいたのだろう。息子ならみたいな人

  • @SaraVance-qv2do
    @SaraVance-qv2do Месяц назад

    Thank you for about he r😊! never heard before! Sara Vance( Japanese)❤😢

  • @rinnmm2523
    @rinnmm2523 2 месяца назад +12

    彰子だったから定子の息子を養育したのでしょうね
    これが逆なら定子は彰子の息子を養育したでしょうか?
    多分自分の息子を天皇にしたくて彰子の子供を仏門に追いやったと思います
    後ろに伊周らが控えていたのを考えると、敵の子供を育てたと考え辛いです

    • @ユミコ-i9c
      @ユミコ-i9c 2 месяца назад +2

      もしかすると、伊周の長女の結婚相手が頼宗ではなく頼通になっていたかもしれない。
       そして、伊周の娘は頼通の間にガンガン子供作って(史実子供が多い)、一人ぐらいは、帝の皇子を産んでいたかもしれない。
       ifで、想像するといろんな可能性が出てくる。

  • @ピーナッツ-m8l
    @ピーナッツ-m8l 3 месяца назад +9

    前例て利用されるんね。前例が無い!て慎重になるのも歴史長い文化ですね!良くも悪くもてとこですね😁

  • @taka586
    @taka586 2 месяца назад +12

    一帝二后は、定子が一条天皇との愛欲に溺れ、中宮の務めを果たしていなかったので、その仕事をする人物が必要だったのもあったそうです。宮中祭祀で中宮の受け持つ仕事を定子がやって来なかったので、災害が頻発したと解釈され、定子の評価はかなり低かったと、読んだ本にはありました。天皇には愛されたが、中宮としては失格と周りには思われていたとの事。何より、出家した身で男性との関係を続けて出産迄したのは、性に寛容だった平安時代においても破廉恥な行為と判断されたそうですね。ただ、あの時代の書物はフィクションを含んでいて、史実のみ(真実のみ)ではないとの事なので、大河ドラマ同様エンタメとして受け取る必要があるようです。ドラマとは違い、天皇の寵愛も受けていて、天皇は定子に気を使いながら、その目を盗むように会いに行っていたらしいので、全く愛されなかったとコメントしていた人もいましたが、どうもそれは個人的願望を書いただけのようです。(どのチャンネルか忘れましたが。FBだったかも!?)当時は、姫は政争の道具でもあり、彰子も苦労したように思いますね。

  • @江國慶子-t5y
    @江國慶子-t5y 2 месяца назад +5

    還俗が一般かしてないから。
    時代が下れば、院になればやりたい放題。彰子のひまご、白河天皇はその代表。

  • @熊澤典子-h2v
    @熊澤典子-h2v 3 месяца назад +4

    😮こんにちは😊

  • @Akio_Sugano
    @Akio_Sugano 2 месяца назад +7

    白河天皇の話題が出ましたが、今後院政の時代になって、後白河法皇が権力を握り、平清盛の世になると考えるとワクワクしますね!

    • @ドミニオンパワー
      @ドミニオンパワー 2 месяца назад +1

      平清盛自身が白川天皇(白川院)の御落胤と言われてます
      だから、異例の大出世して武士政権の途を開いた
      彰子は源義家が参戦した前九年の役や白川天皇の代まで生きるのは凄いですね
      大河「炎立つ」の源義家(佐藤浩市)や大河「平清盛」の白川院(伊東四朗) にも通じていきますよね

  • @dindon1969
    @dindon1969 3 месяца назад +8

    女性の彰子を前例もなく内覧にしたのは
    父親の道長しか考えられないですよね?
    彰子が要求すれば成れたとは思えないので。
    ドラマでそこをどう描きますか。
    まさか70年後に院政の前例に利用されるとは。

  • @せんちゃん心はいつも3歳児
    @せんちゃん心はいつも3歳児 3 месяца назад +3

    お疲れ様です。クラファンしたかったのですが、auじゃないんで諦めました。

  • @おやすミタパン
    @おやすミタパン 3 месяца назад +11

    (「光る君へ」の中で)彰子のサロンの女房の中にしれっと長澤まさみが混じっていても違和感が無いw

    • @sakujansaku8713
      @sakujansaku8713 3 месяца назад +2

      なぜ?長澤まさみ?

    • @かや-d4o
      @かや-d4o 2 месяца назад +4

      ​@@sakujansaku8713たぶん競馬の広告?見上愛さん、佐々木蔵之介さん、長澤まさみさんの3人で、すでに長澤まさみさん以外はドラマに出ている

    • @sakujansaku8713
      @sakujansaku8713 2 месяца назад +2

      @@かや-d4o あっそうですね😅みなさん出てますね。だからかー。納得

  • @かがみ純
    @かがみ純 3 дня назад

    天皇家に蔦のように絡みつく藤原一族。御堂流と中関白家で対立しながら、とにかく近い血族でゴチャゴチャやっていた感じ。これだけ血が濃くなると皇族も長生きできなかったのではないか。

  • @grify051
    @grify051 2 месяца назад +6

    彰子が内覧になったってことは会議に参加してるってことなの? 関白は会議に参加できないけど内覧は会議に参加できるってこのチャンネルで聞いたから疑問に思った

    • @toyo-rex4899
      @toyo-rex4899 Месяц назад

      関白でも会議(陣定)に参加した事例はあります。
      彰子の弟・藤原頼通は関白でありながら左大臣として陣定に参加しています。昔の大河ドラマ『炎立つ』にて、そのようなシーンが度々登場します。
      ちなみにその時の右大臣は頼通の同母弟・教通、内大臣は異母弟・頼宗であり、三大臣の職を道長の子が独占している状態でした。

  • @kyogoin2411
    @kyogoin2411 2 месяца назад +1

    (^^♪いや~驚いた!院政の先駆けをしていたとは!
    大河ドラマでは阿保ポイ感じなのに・・・・これからの展開が楽しみです。

  • @江國慶子-t5y
    @江國慶子-t5y 2 месяца назад +3

    今は不細工で全く光らない女子だが、今の無茶ぶりな下駄履かせが将来の栄光につながる。若い彰子が、一条帝に恋してそれか、叶って母になったとしたいのだろうが。
    私は違うと思う。単に女体と
    して、関係を持ったに違いない。ただ弱っちい一条帝の種でも畑彰子は頑強。子供がポンポンと二人生まれたが、これで打ち止め。弱っちい一条帝の種であっても畑彰子は頑丈。一条帝にその気があればもっと生まれていたに違いない。体調不良なのかは?だがとにかくお渡りは無くなったと思われる。

  • @三線娘
    @三線娘 Месяц назад +4

    今の大河ドラマは、時代背景フル無視、歴史よりも創造が酷くて、単なる装束を着た平安フィクション、と化してるので、内容についてはあまり注視して居ないのですが、単に雅な装束が見たくて、何となく見てます。
     そもそも、この時代の貴族の女性たちは、父や身内以外の男性に名前を呼ばれると、魂を抜かれる(悪霊に取り憑かれる、だったかも?)と信じていた時代であり、まひろ、などと他人の前で名乗る事自体有り得ないのですが。
    だから、高い位についた一部の女性たちを除き、名前が残って居ないのはそのためですもんね。
    道長の娘達は全員が中宮ですから、后となったから当然名前が後世に残っている。
    后ではないのに例外なのは、式部の娘、賢子。
    彼女は、彰子の妹、喜子が生んだ皇子の、乳母になってますもんね。そしてその皇子の後に即位して、天皇の乳母ということで、三位という高い位を貰い、大出世を遂げた、平安時代の超キャリアウーマン。だから名前が残ってる訳で。(百人一首にも選ばれて居る、大弐三位、が賢子です。)
    彰子は、中宮になっても、実質父のお人形さんとして生きて来たようですが、式部をはじめ、賢い女房達に教育される事で、だんだんと自分の意思を持ち始めたようですね。
    父に歯向かうようなってきて、式部が入れ知恵したのでは、と疑い、道長が式部を辞めさせた、という説まで有りますよね。

  • @信二-f9q
    @信二-f9q 9 дней назад

    ドロドロして汚い 若さがあれば何とでも望むだろう

  • @妙子-h1r
    @妙子-h1r 2 месяца назад

    😅

  • @江國慶子-t5y
    @江國慶子-t5y 2 месяца назад +3

    後日彰子の立場が愛されようが、愛されなかろうが、彰子が土御門邸に帰って行った時 
    即座に定子親子を内裏にお召、絶対に離さないとバリ判り。この執着は彰子には感じない。だから女体として据え膳彰子をいただいたんだと思う。畑彰子は頑強、弱っちい一条天皇の種でもポンポンと二人生まれた。がこれで打ち止め。体調不良かそこら辺はわからないが定子ほどの愛されなかったのは本当だと思うな。

  • @YUMI4930
    @YUMI4930 2 месяца назад +4

    彰子の子供である後一条と後朱雀も道長の道具でかわいそうだったと思います。後一条に至っての妻は母の妹でかなり年上の叔母のみ。結局脱・嫌道長が後三条天皇から始まります。女性は政治に口出しをしてはいけないのに一条の母の詮子と彰子も口出しをしていたので賢后というのは言いすぎかなと思います。

    • @rinnmm2523
      @rinnmm2523 2 месяца назад

      天皇家に権力を取り戻す事に心を砕き、基盤を作った人です。貴族の間を取り持ち、政治バランスを取る為に生涯を費やしました
      その為以後の天皇や院がその手腕を元に政治を行うようになって、白河法王は彰子の政治を参考にしたとされています。
      あと、倫子は43歳で娘を産んでいて歳の離れたおばではなかったはずです
      女性が政治に口出し無用との事ですが、定子も色々口を出していますし、多かれ少なかれ生家繁栄の為の結婚である以上、何らかの形で生家が有利になるように様々な后は誘導していたと思われます

    • @ユミコ-i9c
      @ユミコ-i9c 2 месяца назад +5

      古代から皇后は、政治に関与出来ました。(中国程ではないが)、持統天皇が即位出来たのは、彼女が皇女であるだけでなく、夫の生前中から共同統治者だったからです。
       皇后の権限をよく知っていた藤原氏は、皇族でない光明子を皇后にして、一気に朝廷の権力を握った。
      彰子の方は、中宮として政治発言をしていて、公私は別けている。
       詮子の方は私も口出しすぎかなと思う。彼女は、口を出すために女院になったのだろうけど、後の女院達が口を出す先例になってしまった。

  • @宮本空-f5h
    @宮本空-f5h 2 месяца назад +1

    ま藤原も村上もいつまでつきまとってんのって話養子に出した人間だろ

    • @宮本空-f5h
      @宮本空-f5h 2 месяца назад +1

      おまえら武蔵捨てたのだ