紫式部と道長の恋愛の真相 彰子出産の裏で2人の関係は結ばれていた?【光る君へ】

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  • Опубликовано: 27 дек 2024

Комментарии • 14

  • @rekishock
    @rekishock  3 месяца назад +36

    茶色の狩衣姿の道長は「道長と断定できない男、紫式部集でのみ表現される道長」を表しています。
    式部の創作ではなく全部事実だったら個人的には嬉しいですね。

  • @パン大好き-s4i
    @パン大好き-s4i 3 месяца назад +23

    タイムリーな解説ありがとうございます。
    ドラマのラスト、倫子様が道長藤式部二人の関係に気付き、逆鱗に触れそうな雲行きになってきましたが、そうでないことを祈ります。次回は菊露のエピソードがあるのでしょうか?
    ドラマの様な幼少期からの間柄でないにしても、道長は藤式部を本音を明かせる相手としていたんではないかと思います。
    小少将の君と式部への道長の言葉、ドラマの道綱みたいに小少将の君と藤式部、どちらかわからないで夜這いしてしまいそうだから言ったのではないか?と思ってしまいます。
    紫式部日記を道長家に提出後に修正し、紫式部歌集に日記にないことを記載し、合わせて賢子に託したのであれば、賢子の宮仕を予測した、藤式部の先を読む聡明さにひざまづくしかないです。

    • @murt2286
      @murt2286 3 месяца назад +2

      文箱の漢詩の時から、別に女がいる!ってず〜っと疑ってきたからなぁ。バレたかもね。

  • @cancan5892
    @cancan5892 3 месяца назад +16

    ドラマで登場した歌に加え、道長紫式部間の贈答歌の解説、分かりやすかったです。
    紫式部日記の編纂時期が違うという指摘、なるほど!です。彰子の出産の様子を書くことは道長宛の正式な文書となりますが、その他の事象、宮仕えの内情、女房らとの確執、自身の随想(エッセイ的思い)は明らかに内向きの内輪話であり、当時共に書かれたとは思えませんね。何のためにわざわざ書いたかは、自身の回顧録というよりやはり娘への覚書のように感じます。祖父や母に似て聡明だったであろう賢子の行く末にまだ宮仕えが具体的になかったとしても、その可能性を鑑み書き残しておいたというのは、十分考えられます。紫式部日記と歌集紫式部集の歌の情景描写が微妙に異なっている(敢えて随身の存在を消す)のも、作者の機転とクリエーターとしての脚色なのかもしれません。

  • @vianeplus
    @vianeplus 3 месяца назад +27

    声の聞こえる様な寝殿造りで結構大胆だな。

  • @村田年子
    @村田年子 2 месяца назад

    大胆な2人!
    👍 いいね❤
    by TTTMT

  • @りん-w8c1m
    @りん-w8c1m 3 месяца назад +8

    「すっとばすな」www

  • @HiroyokotoaHiroyokotoa
    @HiroyokotoaHiroyokotoa 2 месяца назад

    道長は権力者。敵/味方(外様か内輪か)の違いに敏感だったはず。一条天皇を彰子に近づけるために文学相当の源氏物語を式部に書かせ、一条と彰子との間に子供まで産ませることができた。式部の貢献も大。褒美を与えるだけでは無粋。内輪に一段と近づいたわけだから、40代の式部を褒美として抱いてあげたとしても不思議ではない。

  • @渡辺郁子お菓子と娘えくれー
    @渡辺郁子お菓子と娘えくれー 3 месяца назад +1

    ikuko 君とのかかわり気になりますね

  • @drxhipxup1
    @drxhipxup1 2 месяца назад +1

    実の甥のこれちか ??

  • @渡辺郁子お菓子と娘えくれー
    @渡辺郁子お菓子と娘えくれー 3 месяца назад +1

    イクコチャン  アリガトウ よくわかりますよ

  • @かがみ純
    @かがみ純 3 месяца назад

    こらこら、千年前になにをしとるねんw

  • @asjioafshosda
    @asjioafshosda 3 месяца назад

    ミチナガ