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偉大すぎる長女である姉を持った次女は容姿でしか勝てず、女の子しか産めなかったばかりに一族の中で軽んじられる存在となった。なんだか現代にも通じるものがありそう。いつの時代も姉妹・兄弟は比べられ苦々しい思いをするんですね。道長だって末っ子で軽く見られていた時期があって苦しんだ時期があっただろうに親になるとそういうのは忘れてしまうものなんでしょうか。でも、Wikipediaにも書いてありますが>華美を好むあまりに身内の眉をひそめさせることもあった妍子だが、亡くなる間際に身を清め、正式な受戒を済ませての潔い臨終であり、道長は末娘嬉子に続く次女の死に「老いた父母を置いてどこへ行かれるのか、私達も供をさせてくれ」と泣いて取り縋ったと伝えられる。道長も娘を愛していないわけではなかったのだと思います。それでも気持ちを伝えるのが遅すぎた。姉に対抗心を燃やし時には嫉妬心も抱きながら生き、それでも潔く最期を迎えようとしていた妍子には道長の言葉はどう響いたのでしょうか。
興味深いね典型的な妹キャラなんだけど道長はやっぱり可愛かったんだな
倫子腹で、一番の美人だったという、三条院(68番)の尚侍→中宮妍子さま。派手で華美を好み、パーティー(宴会を執り行うために、貴族負担で、一種類の食べ物を持ち寄らせる)大好き。 なんて、現代的な価値観で見ていても、楽しそうです。自己主張をハッキリさせ過ぎて、父・道長や姉・彰子から叱られるのが、玉にキズって感じで、側に居たら楽しそうですね。 それも、一条天皇の中宮定子様とどことなく親しみを覚えられます。聡明で才気煥発で、自由闊達さのあるサロン。女房が自信を持って発言できるサロン。殿上人や若い青年貴族を楽しませるのと、似て非なるものなのに。 中関白家と高階氏は院政になってから復権してきたのと同じで、一旦は望月の欠けたるところなし→満月になれば、いずれは欠けるもの。手放しに喜んだであろう摂関政治の代表的人物・藤原道長公。しかし、長い歴史の波のうねりを見ると、人の運命はめぐる小車、超越者の声のない微笑みが感じられるようになってきます。妍子の産んだのが、たまたま皇女だったので、プンプン怒って当たり散らし、お産のお祝いもろくにしなかった………と言う逸話があるのですが、その皇女が母方の祖父の政治生命を断ち切る切っ掛けになろう………とは。
ひ孫が白河法皇ですから、藤原氏に引導を渡した一族の血筋になってしまいますよね。仮に清盛が白河法皇の烙印だとすれば、清盛は玄孫になるわけですね。ただの贅沢好きのわがままな姫なだけで無く、重要なファクターとなる人物ですね。
姉妹一の美貌の持ち主でありながら、男児を生まなかったという理由で、姉 彰子のような栄光を享受することができなかった日影の中宮みたいなイメージがあります。救いは 彼女出生の禎子内親王を三条天皇がことのほか可愛がってくれたことでしょうか?
"しょうし"と"けんし"でないと、やっぱりしっくりこないね。慣れない…。キヨコ、男子が生まれなかっただけで酷い扱い、可哀想に思ってしまった。
@@高津明美-k1k 妍子の妹(倫子の三女)威子も、男児が生まれず 女児…内親王2人のみで その事を気に病んでいたそうですが、夫君たる帝が「まぁ…古の時代では女帝が即位したりしていたし…」と庇ってくれてたそうです。末の妹 嬉子は男児を出産するも、あまりにも若くして亡くなり、結局 真実幸せだったのは 長姉 彰子だけだったのかな?
平安時代の平均寿命は男性は50歳、女性は40歳。本来は女性(動物でも雌)の方が長生きするのにこの時代は逆なのは、それだけ出産にリスクがあるから。産むだけでも命懸けなのに、父親とか男に産め産めとせかされ、生まれる子供の性別は母親にはどうにも出来ない事なのに女の子が生まれれば冷遇される。この時代からそういう時代が何十年も続く上に、現代ですらそういう奴がいるから本当に胸糞悪い。
気の毒な点もあるけどやっぱり普段の暮らしぶりや行い、相応しい品格がないと運が巡って来ないんだよ…
姉とは異なり、裏目裏目の人生ですね。回り合せとしか言いようがありませんが、三条帝との18歳の年の差と既に多くの彼の子供がいて、すけ子という押しも押されもせね存在感の強い妻がいた(四男二女がいたとは!)ことが痛いですね。いかにも新参者の妍子は、どうしようもなかったと感じます。彰子よりはるかに厳しい立ち位置だとも思います。その上女子しか産まず、その後の三条帝の病気と父による頑強な彼への退位要求、続く彼の死では、挽回の仕様もありません。23歳で未亡人とは、気の毒です。姉が国母として君臨する中、思うことも多かっただろうと推察します。その腹いせに豪華で華美なことを好み、同気質の頼通と享受していたのは、せめてもの憂さ晴らしだったのかもしれません。これでは姉妹の確執は、決して解けませんね。若年で没した納得のいかない生涯だったかもしれませんが、彼女の子孫が父姉の極めた摂関政治の終焉をもたらしたのは、歴史の皮肉でもありますね。
全く同感です。素晴らしい👏
@@パン大好き-s4i さん ありがとうございます。考察上手な貴方に賛同頂けると、嬉しいです。
太皇太后彰子、皇太后妍子、中宮威子と全部が自分の娘、天皇(後一条天皇)と東宮(後朱雀天皇)は自分の孫という、その一人の妍子さま。 個人的には、一番、現代的な派手好きで華美を好み、パーティーが大好き、自己主張を通し、姉である彰子を、手こずらせていたりしている。 さながら、『若草物語』の妍子自身が、メグ、ジョー、ベス、エイミーのエイミーを彷彿させるんですよね。ある意味、賢后彰子より、感情移入しやすそう😊
@@ae3779 メグ ジョー ベスはそれぞれ誰になります?
😊
こりゃ、確かに仲が悪く様なお話ですね。彼女が摂関政治から院政の種をまいたというのは、面白いお話でした。
きよ子こんなに美しいはずなのに酷い扱いでしたね生前幸せに暮らし欲しかった昔は男尊女卑というのは本当だったんですね
姉妹といっても、一緒に生活してないから姉妹愛があったか、どうか?彰子中宮にとっては、一緒に生活していた定子皇后の遺児の方が身内愛があったかも?
楽しい動画をありがとうございます
妍子がもし母や姉の様に長生きしたら、娘や孫達をどうやって守っただろうか。 能信と手を組んだろうか。それとも断って自力で守っただろうか。
今期 録画して観まくってます。1位無能のタカ2位全決 3位民王r4位宙わたる教室5位放課後カルテ6位モンスターとにかく面白いドラマが多い。朝ドラがダメなので、帰ってよかった
姸子は今後の大河ドラマで道長を掻き回す存在になりますね
すけこは多産で体も丈夫だったんでしょうね。
折り紙でもいっぱい重ねると折るの難しいのに、着物を20枚も着たのか。そりゃ動けんわ。
宮廷においてこんなに血の濃い婚姻が繰り返されてますが、遺伝的にはどうだったのか?と思います。当時の雅な方達は近親婚における科学的知識があったのかどうか興味があります。
なんか懐かしい顔の白河法皇でてきた😂
12年前の大河(「平清盛」)の伊東四朗さん演じる白河法皇ですね。後白河法皇なんか松田翔太さん(「平清盛」)だったり、西田敏行さん(「鎌倉殿の13人」)だったり。
@@直己-g5vさん ドクロベエ1世、白河 ドクロベエ二世後白河
妍子は、生きている時は気苦労&心労が多かったけど、後に一人娘の禎子内親王が後朱雀天皇との間に儲けた尊仁親王が、後三条天皇として即位した事で天皇の祖母となった。妍子はさぞ、あの世から留飲を下げたでしょうね
そして、現代皇室へとつながってますね
そう言えば紫式部さんの娘さんの名前も賢子と書いてけんしさんと言う名前
後三条天皇「我が祖母の無念を晴らしたぞ!ざまぁみろ摂関家!」
皇子をうめなかったきよこの贅沢くらい許してあげてほしい
兄妹もそうだけど姉妹も対抗意識あったりで複雑。このあたり千年前から変わってないw 好きだけどね、妍子ちゃん。そして出産も性別同じ子供が続くってのもありがち。女児三人とか男児三人とか一般的な確率無視してありがちなんだよなあ。
だから結局、大きな歴史観と国家観をを持った道長が権力を持つ事が出来、そこに到らなかった伊周や頼道や姸子なんかは凋落してしまうんだよね。
命を奪ったのはやっぱり糖尿病かな?
栄花物語には「風病にかかり熱のため顔も赤くなり〜」とあり、それまで体調不良の記述もほとんど見られないため、慢性的な糖尿病というより、突発的な病気のような気がします。
@@rekishock はしかかも
もしかしたら、毒を盛られたかも。(娘の入内を阻止するため死なない程度に)
馬鹿にしてた姉上が偉くなってくの、くやしかっただろうな~
ケンシ
、
実の妹は親子ほど違う三条帝の気を引くために愛とか想いとかではなく実行あるのみ、なんとかお渡りを願い、足をおっピロげて実力行為で、妊娠出産。現実の話、不細工彰子二くらべ、うんと可愛い。一帝二后の罰があたり道長の野望は崩れ落ちる。実の兄弟、姉妹の諍いはかなり面白そう。
偉大すぎる長女である姉を持った次女は容姿でしか勝てず、女の子しか産めなかったばかりに一族の中で軽んじられる存在となった。
なんだか現代にも通じるものがありそう。いつの時代も姉妹・兄弟は比べられ苦々しい思いをするんですね。道長だって末っ子で軽く見られていた時期があって苦しんだ時期があっただろうに親になるとそういうのは忘れてしまうものなんでしょうか。
でも、Wikipediaにも書いてありますが
>華美を好むあまりに身内の眉をひそめさせることもあった妍子だが、亡くなる間際に身を清め、正式な受戒を済ませての潔い臨終であり、道長は末娘嬉子に続く次女の死に「老いた父母を置いてどこへ行かれるのか、私達も供をさせてくれ」と泣いて取り縋ったと伝えられる。
道長も娘を愛していないわけではなかったのだと思います。それでも気持ちを伝えるのが遅すぎた。
姉に対抗心を燃やし時には嫉妬心も抱きながら生き、それでも潔く最期を迎えようとしていた妍子には道長の言葉はどう響いたのでしょうか。
興味深いね
典型的な妹キャラなんだけど道長はやっぱり可愛かったんだな
倫子腹で、一番の美人だったという、三条院(68番)の尚侍→中宮妍子さま。派手で華美を好み、パーティー(宴会を執り行うために、貴族負担で、一種類の食べ物を持ち寄らせる)大好き。
なんて、現代的な価値観で見ていても、楽しそうです。自己主張をハッキリさせ過ぎて、父・道長や姉・彰子から叱られるのが、玉にキズって感じで、側に居たら楽しそうですね。
それも、一条天皇の中宮定子様とどことなく親しみを覚えられます。聡明で才気煥発で、自由闊達さのあるサロン。女房が自信を持って発言できるサロン。殿上人や若い青年貴族を楽しませるのと、似て非なるものなのに。
中関白家と高階氏は院政になってから復権してきたのと同じで、一旦は望月の欠けたるところなし→満月になれば、いずれは欠けるもの。手放しに喜んだであろう摂関政治の代表的人物・藤原道長公。しかし、長い歴史の波のうねりを見ると、人の運命はめぐる小車、超越者の声のない微笑みが感じられるようになってきます。妍子の産んだのが、たまたま皇女だったので、プンプン怒って当たり散らし、お産のお祝いもろくにしなかった………と言う逸話があるのですが、その皇女が母方の祖父の政治生命を断ち切る切っ掛けになろう………とは。
ひ孫が白河法皇ですから、藤原氏に引導を渡した一族の血筋になってしまいますよね。仮に清盛が白河法皇の烙印だとすれば、清盛は玄孫になるわけですね。ただの贅沢好きのわがままな姫なだけで無く、重要なファクターとなる人物ですね。
姉妹一の美貌の持ち主でありながら、男児を生まなかったという理由で、姉 彰子のような栄光を享受することができなかった日影の中宮みたいなイメージがあります。救いは 彼女出生の禎子内親王を三条天皇がことのほか可愛がってくれたことでしょうか?
"しょうし"と"けんし"でないと、やっぱりしっくりこないね。慣れない…。キヨコ、男子が生まれなかっただけで酷い扱い、可哀想に思ってしまった。
@@高津明美-k1k
妍子の妹(倫子の三女)威子も、男児が生まれず 女児…内親王2人のみで その事を気に病んでいたそうですが、夫君たる帝が「まぁ…古の時代では女帝が即位したりしていたし…」と庇ってくれてたそうです。末の妹 嬉子は男児を出産するも、あまりにも若くして亡くなり、結局 真実幸せだったのは 長姉 彰子だけだったのかな?
平安時代の平均寿命は男性は50歳、女性は40歳。
本来は女性(動物でも雌)の方が長生きするのにこの時代は逆なのは、それだけ出産にリスクがあるから。
産むだけでも命懸けなのに、父親とか男に産め産めとせかされ、生まれる子供の性別は母親にはどうにも出来ない事なのに女の子が生まれれば冷遇される。
この時代からそういう時代が何十年も続く上に、現代ですらそういう奴がいるから本当に胸糞悪い。
気の毒な点もあるけどやっぱり普段の暮らしぶりや行い、相応しい品格がないと運が巡って来ないんだよ…
姉とは異なり、裏目裏目の人生ですね。回り合せとしか言いようがありませんが、三条帝との18歳の年の差と既に多くの彼の子供がいて、すけ子という押しも押されもせね存在感の強い妻がいた(四男二女がいたとは!)ことが痛いですね。いかにも新参者の妍子は、どうしようもなかったと感じます。彰子よりはるかに厳しい立ち位置だとも思います。その上女子しか産まず、その後の三条帝の病気と父による頑強な彼への退位要求、続く彼の死では、挽回の仕様もありません。23歳で未亡人とは、気の毒です。姉が国母として君臨する中、思うことも多かっただろうと推察します。その腹いせに豪華で華美なことを好み、同気質の頼通と享受していたのは、せめてもの憂さ晴らしだったのかもしれません。これでは姉妹の確執は、決して解けませんね。若年で没した納得のいかない生涯だったかもしれませんが、彼女の子孫が父姉の極めた摂関政治の終焉をもたらしたのは、歴史の皮肉でもありますね。
全く同感です。素晴らしい👏
@@パン大好き-s4i さん ありがとうございます。考察上手な貴方に賛同頂けると、嬉しいです。
太皇太后彰子、皇太后妍子、中宮威子と全部が自分の娘、天皇(後一条天皇)と東宮(後朱雀天皇)は自分の孫という、その一人の妍子さま。
個人的には、一番、現代的な派手好きで華美を好み、パーティーが大好き、自己主張を通し、姉である彰子を、手こずらせていたりしている。
さながら、『若草物語』の妍子自身が、メグ、ジョー、ベス、エイミーのエイミーを彷彿させるんですよね。ある意味、賢后彰子より、感情移入しやすそう😊
@@ae3779 メグ ジョー ベスはそれぞれ誰になります?
😊
こりゃ、確かに仲が悪く様なお話ですね。彼女が摂関政治から院政の種をまいたというのは、面白いお話でした。
きよ子こんなに美しいはずなのに
酷い扱いでしたね
生前幸せに暮らし欲しかった
昔は男尊女卑というのは本当だったんですね
姉妹といっても、一緒に生活してないから姉妹愛があったか、どうか?
彰子中宮にとっては、一緒に生活していた定子皇后の遺児の方が身内愛があったかも?
楽しい動画をありがとうございます
妍子がもし母や姉の様に長生きしたら、娘や孫達をどうやって守っただろうか。
能信と手を組んだろうか。それとも断って自力で守っただろうか。
今期 録画して観まくってます。1位無能のタカ2位全決 3位民王r4位宙わたる教室5位放課後カルテ6位モンスターとにかく面白いドラマが多い。朝ドラがダメなので、帰ってよかった
姸子は今後の大河ドラマで道長を掻き回す存在になりますね
すけこは多産で体も丈夫だったんでしょうね。
折り紙でもいっぱい重ねると折るの難しいのに、着物を20枚も着たのか。そりゃ動けんわ。
宮廷においてこんなに血の濃い婚姻が繰り返されてますが、遺伝的にはどうだったのか?と思います。当時の雅な方達は近親婚における科学的知識があったのかどうか興味があります。
なんか懐かしい顔の白河法皇でてきた😂
12年前の大河(「平清盛」)の伊東四朗さん演じる白河法皇ですね。後白河法皇なんか松田翔太さん(「平清盛」)だったり、西田敏行さん(「鎌倉殿の13人」)だったり。
@@直己-g5vさん ドクロベエ1世、白河 ドクロベエ二世後白河
妍子は、生きている時は気苦労&心労が多かったけど、
後に一人娘の禎子内親王が後朱雀天皇との間に儲けた尊仁親王が、
後三条天皇として即位した事で天皇の祖母となった。
妍子はさぞ、あの世から留飲を下げたでしょうね
そして、現代皇室へとつながってますね
そう言えば紫式部さんの娘さんの名前も賢子と書いてけんしさんと言う名前
後三条天皇「我が祖母の無念を晴らしたぞ!ざまぁみろ摂関家!」
皇子をうめなかったきよこの贅沢くらい許してあげてほしい
兄妹もそうだけど姉妹も対抗意識あったりで複雑。このあたり千年前から変わってないw 好きだけどね、妍子ちゃん。
そして出産も性別同じ子供が続くってのもありがち。女児三人とか男児三人とか一般的な確率無視してありがちなんだよなあ。
だから結局、大きな歴史観と国家観をを持った道長が権力を持つ事が出来、そこに到らなかった伊周や頼道や姸子なんかは凋落してしまうんだよね。
命を奪ったのはやっぱり糖尿病かな?
栄花物語には「風病にかかり熱のため顔も赤くなり〜」とあり、それまで体調不良の記述もほとんど見られないため、慢性的な糖尿病というより、突発的な病気のような気がします。
@@rekishock はしかかも
もしかしたら、毒を盛られたかも。(娘の入内を阻止するため死なない程度に)
馬鹿にしてた姉上が偉くなってくの、くやしかっただろうな~
ケンシ
、
実の妹は親子ほど違う三条帝の気を
引くために愛とか想いとかではなく
実行あるのみ、なんとかお渡りを願い、足をおっピロげて実力行為で、妊娠出産。
現実の話、不細工彰子二くらべ、うんと可愛い。一帝二后の罰があたり
道長の野望は崩れ落ちる。実の兄弟、姉妹の諍いはかなり面白そう。