藤原妍子の生涯 道長に人生を振り回された母親似の派手好きな次女【光る君へ】
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- Опубликовано: 23 сен 2024
- 彰子の妹で三条天皇の后となった妍子は、姉への対抗心から贅沢な生活を好み、姉妹はたびたび対立しました。
しかし、天皇の后としては不幸に見舞われ、三条天皇の退位と死去など、一族の栄華の裏で苦汁をなめることとなります。
彰子が天皇の母として絶対的な権力を得る一方、妍子は道長や彰子の意向を無視して豪華な宴を催すなど、姉との差が広がっていくのを見続ける生涯を送りました。
今回は、姉に対抗心を燃やし続け、死後に娘と孫が道長と彰子が築き上げた摂関政治の栄華を終わらせることとなる妍子の生涯について紹介します!
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参考文献
服藤早苗『藤原道長を創った女たち』
amzn.to/48J0IZT
岩井隆次 『従一位源倫子』
(古代学協会『古代文化』37-11 1985)
aterui.ws.hose...
服藤早苗『藤原彰子 (人物叢書)』
amzn.to/4byl3Sg
大隅和雄『文化史の構想』
amzn.to/3BgVQiA
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト
www.nhk.jp/p/h...
【目次】
1:26 妍子の出自
6:45 出産後の妍子
13:17 三条天皇死後の妍子
#光る君へ #妍子 #大河ドラマ
なんか懐かしい顔の白河法皇でてきた😂
12年前の大河(「平清盛」)の伊東四朗さん演じる白河法皇ですね。後白河法皇なんか松田翔太さん(「平清盛」)だったり、西田敏行さん(「鎌倉殿の13人」)だったり。
きよ子こんなに美しいはずなのに
酷い扱いでしたね
生前幸せに暮らし欲しかった
昔は男尊女卑というのは本当だったんですね
"しょうし"と"けんし"でないと、やっぱりしっくりこないね。慣れない…。キヨコ、男子が生まれなかっただけで酷い扱い、可哀想に思ってしまった。
偉大すぎる長女である姉を持った次女は容姿でしか勝てず、女の子しか産めなかったばかりに一族の中で軽んじられる存在となった。
なんだか現代にも通じるものがありそう。いつの時代も姉妹・兄弟は比べられ苦々しい思いをするんですね。道長だって末っ子で軽く見られていた時期があって苦しんだ時期があっただろうに親になるとそういうのは忘れてしまうものなんでしょうか。
でも、Wikipediaにも書いてありますが
>華美を好むあまりに身内の眉をひそめさせることもあった妍子だが、亡くなる間際に身を清め、正式な受戒を済ませての潔い臨終であり、道長は末娘嬉子に続く次女の死に「老いた父母を置いてどこへ行かれるのか、私達も供をさせてくれ」と泣いて取り縋ったと伝えられる。
道長も娘を愛していないわけではなかったのだと思います。それでも気持ちを伝えるのが遅すぎた。
姉に対抗心を燃やし時には嫉妬心も抱きながら生き、それでも潔く最期を迎えようとしていた妍子には道長の言葉はどう響いたのでしょうか。
姉とは異なり、裏目裏目の人生ですね。回り合せとしか言いようがありませんが、三条帝との18歳の年の差と既に多くの彼の子供がいて、すけ子という押しも押されもせね存在感の強い妻がいた(四男二女がいたとは!)ことが痛いですね。いかにも新参者の妍子は、どうしようもなかったと感じます。彰子よりはるかに厳しい立ち位置だとも思います。その上女子しか産まず、その後の三条帝の病気と父による頑強な彼への退位要求、続く彼の死では、挽回の仕様もありません。23歳で未亡人とは、気の毒です。姉が国母として君臨する中、思うことも多かっただろうと推察します。その腹いせに豪華で華美なことを好み、同気質の頼通と享受していたのは、せめてもの憂さ晴らしだったのかもしれません。これでは姉妹の確執は、決して解けませんね。若年で没した納得のいかない生涯だったかもしれませんが、彼女の子孫が父姉の極めた摂関政治の終焉をもたらしたのは、歴史の皮肉でもありますね。
全く同感です。素晴らしい👏
@@パン大好き-s4i さん ありがとうございます。考察上手な貴方に賛同頂けると、嬉しいです。
命を奪ったのはやっぱり糖尿病かな?
栄花物語には「風病にかかり熱のため顔も赤くなり〜」とあり、それまで体調不良の記述もほとんど見られないため、慢性的な糖尿病というより、突発的な病気のような気がします。