栄華の絶頂から大転落 残念過ぎる男・伊周に学べ!
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- Опубликовано: 26 сен 2024
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藤原道長 (人物叢書 新装版)
amzn.to/3Ic7X0v
増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代 (文春新書) amzn.to/4b0bZpe
一条天皇 (人物叢書)
amzn.to/4a5E6Dc
枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫) amzn.to/3SuGUm5
新訂 枕草子 上 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) amzn.to/3TrZ20g
新訂 枕草子 下 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) amzn.to/3TD7lWW
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【目次】
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #平安時代
ホワイトボード誤字
正暦5年(944)× 正暦5年(994)〇
音声が正しいです。
😂
父・道隆の強引さが負の遺産になった部分もありますが、花山法皇一行を襲ったのが致命傷になっているのでだいたいは自分のせいですねえ。
Mm😅😅m
勝手に自滅(自爆〰️💣️💥)… やっちまったなぁ😂…
悲劇と言うよりは自業自得だと思いますが。
逃げた先が妹定子の所。定子は実の兄達だから匿ったようですが、当然見つかり、皇后のところに兵が踏み込む醜聞を巻き起こしました。
しかも妹を不幸にして。この匿ったせいで出家の流れになってしまった。
定子を愛していた一条天皇も罪に問う立場になり可哀想でした。あの事件が全ての中関白家没落の始まりでしょうね。
伊周にとって道長は、年も近いだけに必要以上にライバル視してしまう相手だったのだろう。父の地位の継承、他から抜きん出た高い教養、そして強気な性格が、彼の人生の行き方を方向付けてしまったと思う。年齢不相応な昇進は当然多くの反感を生むのだから、謙虚であり過ぎるくらいで丁度いいのに、傲慢さが敵を作り事態を悪化させる。道綱くらいの気楽な生き方ができれば、生まれの高さからももっと生きやすかったのではと思う。そんな伊周を絶賛する清少納言の存在は、人により同人物の評価の変わることの不思議を感じる。やはり類稀な教養の持ち主であり、魅力もあったのだろう。頭が良い人なのに、自分を好人物に演じるメリットを知らなかったのは意外でもある。
道長はその点、さすが抜かりがない。自分の娘影子が子(敦成親王)を産むまでは、伊周方の敦康親王を尊重し伊周とも協調しているが、敦成親王が生まれると、次第に敦康親王と疎遠となり、伊周とも再度対立する。伊周の死が、”小右記”や”権記”にすら軽くしか触れられていないのは、切ない気持ちにさせる。こういう生い立ちの人物と知っても、三浦翔平さんのイケメンぶりに可哀想に感じてしまう。
最後の敦成親王祝いの席での解説には、考えさせられた。隆や周の諱や”康きかな”という語が問題視されるのは、まるで家康が方広寺鐘銘事件で秀頼達を陥れた時のようで、日本語の言葉を記す難しさを感じる。
解説もわかりやすく、お声も聞きやすくて歴史に疎い私でも楽しめております。ありがとうございます。
とても楽しかったです。
いつもありがとうございます😊
色々と勉強になります★
解説ありがとうございます、10代で若くして家を継いでるので道隆がもう少し長生きしてれば違ったのかもしれません。
中関白家は弟隆家の子孫が残ったのは救いかも。
隆家の子孫は水無瀬流と呼ばれ、明治維新で子爵に叙されました。
伊周は一言で表すと、我慢が出来ない短慮な性格といえそうです。子供の頃から甘やかされて、欲しいものは何でもすぐに手に入ると思っていたのでしょう。その結果性急に事を運ぼうとして勝手に自滅するという、道長からすると大変やりやすい相手でしたね。
いつもありがとうございます!すごくわかりやすいです😊藤原隆家の解説がとても楽しみです!
道長は父の兼家の苦労を見てきたことも大きかったように思えます。兼家は権力を握って政を司る立場になりましたが、それは晩年の事で、それまでは血縁者やライバルたちから出世の邪魔をされて、格下げ人事も食らわれ、何度も煮え湯や苦汁を飲まされていました。道長はそういう父親の苦悩や苦労を目の当たりにしてきました。
伊周は兼家の孫ということもあり、兼家からは少し距離があり、兼家の苦労をあまり見てこなかったように思えます。物心ついた時には兼家が権力を握って、道隆もそれにともない出世していました。このため、高い地位や権力は「あって当たり前」という考えになっていたのかもしれません。それ故に傲慢になり、身を滅ぼすことになったように思えます。道長は父の苦労を見てきた分だけ、謙虚な一面も持ち合わせていたのだと思います。
八歳しか変わらんのだよ
伊周は父の七光りで出世したのを実力と勘違いしたのか、早すぎる出世が増長をもたらしたのでしょうね。
伊周は何もせずジッとしていれば実権が握れたんですがね...😅
将来が確約されながら何かも自分のせいで終わっていった人物というのも歴史上珍しいので興味深い人物ですね。
プライドの高い貴公子なのに失脚した後は情け無いムーブばかりなところが何故か憎みきれない。
Mr武士道さんのお話を聞くと名前だけだった人物が人間に見えてくるといいますか、本当に面白いです。もっとお話ききたいです。楽しみにしてます。
とてもわかりやすく、面白かったです!ありがとうございました😊 次は隆家の動画がみたいです!
伊周の長男さんの悲恋の和歌を読むとツラいです。😭
「今はただ 思ひ絶えなんとばかりを
人づてならで 言ふよしもがな」
百人一首に載ってますね。🥲💦左京大夫道雅
親子(伊周→道雅)揃って、グズ
スピード出世と裏腹に、転落も早いですね。
必ずしも、そうとは限りませんが、これが中関白家の運命としか言いようがありますせん、それにしても、道長は強運ですね。
隆家(弟)は、流されたあと、刀伊を撃退したなど優秀な力を出したのに、伊周は、何も成長がなく、道長にも嫌われたりしてしまうという悲運な力を出した早熟に見えますね。
わかりやすい解説楽しませていただきました。
明日の光る君へも楽しみですね✨
今回は三浦翔平さんが見事に演じられていますが、一昔前だったら谷原章介さんにピッタリハマりそうな役だと思って観ています!
ただ、知識ひけらかすだけの伊周、天下一の差がな者と言われる隆家では、いい知恵なんて浮かびませんよ。だから、誤解して、花山法皇に矢を射かけてしまったんですね。これは母親である貴子なども責任があります。道隆は死んでしまったんだから、この政争の中、支えるのが彼女の役目ですね。本当はもっと、定子を信じ、支えていくのが彼らの役割だったんですがね。
伊周が定子のいる二条邸へ逃げ込んだために定子は検非違使に家に踏み込まれたショックで出家してしまったじゃないか。素直に処分に従っていれば定子をそこまで追い込まずに済んだのに
定子自らの意思で匿ってるから
中関白家の絶頂からの急降下の人生はすごいですね😱
若いうちからいい官職に着いた伊周は人生経験もないから公卿からひんしゅくをかってしまう行動や発言があるんですね
凄く面白い解説で、何度も観ています!
ぼわぁっと、平安貴族ってのんびり優雅と言う印象だったのが、現代人にも通じてて随分変わりました
私見ですが、道長には強力なライバルがいなかったと思っています。確かに伊周は道長と張り合える存在でしたがまだ若く経験もないためライバルというより「困ったちゃん」という気がします。今年の大河は円融天皇、花山天皇、道兼などたくさん「困ったちゃん」が出てきますね。「困ったちゃん」に道長はどう対処していくのかが今後の大河の注目点のひとつですね。
困ったもんです
が、今後の展開が楽しみです。
わかりやすい
花山法皇を射掛けたのも勘違いだしなぁ…普通に無能だったのでは
平安貴族って優雅で穏やかなイメージもたれてるけど、血気盛んですぐ純粋な暴力に訴える層がどの時期にも一定数いますよね笑
弟の隆家は刀伊の入寇で目覚ましい功績を挙げるなど、軍事的才能にも恵まれ道長も一目置く能吏だったのになぁ
今更ながら(32話段階)伊周の解説を聞いてます。適格な解説ですね。
私も何故、学識も品位もある母(貴子さんでしたっけ?)が育てたのに残念すぎる人になったのかずっと疑問でした。
長男可愛さあまり学問は物の通りを教えず身の丈に合わない躾をすると、こうなるのだな、が、私の結論です。
正暦5年は994年です。
いつもわかりやすい解説、ありがとうございます。父も父なので、仕方ないのでしょうか。父を反面教師として見る器量があったり、ちゃんとした教育を受けていれば違った人生を歩んだのかも知れません。本人だけのせいではなさそうですね。
早熟の悲劇ですか。ハンカチ王子を思い出します。
円融帝も藤原兼家の娘より、子を成さなくても、自分の好きな女性ん大切にしたり、花山帝も若くて即位して、好きな女性がはっきりしてるし、面白いです。みんな個性的で。三条帝は道長にいびりまくられ、一時目が見えなくなるし。哀しい和歌も、残してます。身分は考えず、この頃の人達の悲しみや喜びは、現代人にも心な響くな。戦国時代はあまりに残酷で、感情移入できない。
道長のライバルとするには無能すぎる…
儀同三司母の儀同三司って伊周のことですね
都合よく兄2人が次々と死ぬ
本当に偶然だったんだろうか⋯
吉宗と同じ強運の持ち主なのですよ😅
奢れた生活で成人病なるし、医療未発達で疫病かかったら死亡率高いし、無知でお白粉や秘薬など有毒物質摂取するし
逆に考えると道長は運良く長生きできただけなのかも…
@@柏原新征 殿
道長も晩年は糖尿病に苦しんでいたようです。
大河でどう描くか?
道長は北の方の子供でも実際は五男ですから、大人しく待っているとあっという間に老人になってしまいます。
まさか、藤原隆家が殺害する道長の随身って、百舌彦ってことは…ないよね…
でも伊周の文章作成能力高いっすね
空気読めれば覇者になれたような…
ちょっと武田勝頼っぽい残念さを感じてしまいます
歴史は繰り返すのかなぁ
内大臣に昇進したのは、994年では?
典型的な育ちの良いお坊ちゃまですね。秀才だけど、泥臭い権力闘争が苦手なタイプ。まさにお公家様(*_*;
さだこ
ちゅうぐう ていし
だと↑思ってた
せいしょうなごん X
せい しょうなごん みたいな
歴史学的には「ちゅうぐう ていし」で正しいですよ。
ただし当時「ていし」とよんだわけでなく、訓読みしたはずです。が、現代の訓読みとは違う可能性があるので(そういう例が確認されている)歴史学者の先生たちはこの時代の女性たちを音読みする慣習があります。なので歴史の授業では音読みで習います。
が、ドラマでは現代の訓読みで読んでいるので、さだこ。武士道さんもそれに合わせているんだと思います
正歴5年は944年ですか😮?
994の間違いかな?
いかずちの相と言われたらしい
逆張りトレーダーJINさんにしか見えない
道隆が生きている間は定子以外の入内を許さなかったのだから娘を女御にしたい公家から反感を受けるのは当たり前ですし一条天皇の気持ちが定子に有ったのかは伊周への対応から疑問です。他の妻たる女性がひとりも配されていない環境なので。
肝心どころの説明が全く分かりにくいよ
いつも楽しく拝聴しております。
よい勉強をさせていただいております。
伊周の続編として、弟の藤原隆家について、取り上げていただけないでしょうか。
刀伊の入寇からわが国を救ったヒーローで、この時代の偉人のなかで、思い入れのある方のひとりです。
この方の逸話を是非、ミスター武士道様の講釈でお聴かせいただけないでしょうか。
何卒よろしくお願い申し上げます。
いつも素晴らしい崇高な歴史の配信有難うございます✨
平安朝のガルマ
伊周?岸田首相のあの息子?