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国民の生活が苦しくなっても減税しないのは、昔も今も変わらない。
226事件が起きたのもそういうのが原因なんだろうなあ
@@tubekobe9917あれは軍のクーデターやから何も関係ない😂当時の国民がどう国を訴えれるんや😂処刑されるだけやで。
昔と今を比べるのは違いすぎる。日本の税金なんぞまだ優しいくらいや。よその国ではそれ以上の税金がかかってる国もあるの知らないと日本がどれくらい良いか解る。まぁ、国のやり方は良くないが発展してきたからこそ起こり得たことやし、苦しくなってもと言っても1部はギャンブルなどに使いまくるから苦しくなるんは自業自得😂苦しくなったのは国の責任言ってる世の中やけど、それに対応してない国民が駄目なだけや💦賢い人こそ対応してる。
@@コツメカワウソ-n3x ほぼ全ての国民が食べたいものを食べ、着たいものを着て、スマホを持ちドヤ顔してミニバンで行きたい場所に行く贅沢三昧な生活をしていながら文句タラタラ。自分たちが悪政をする国会議員を選んでおきながら文句言うのはお門違いもいいとこ。まあ国民のレベルが低いんだから政治もそれなりに低いってことが理解できない国民が何と多いことか(笑)
@@コツメカワウソ-n3x苦労も努力もしてない人間ほど、こういう言い方でシュバって否定するのも、昔も今も変わらんな。
昭和恐慌さなかの1933年に仙台三越が開業(1931年には四国に高松三越も開業)困窮の一方で高級百貨店が地方都市にも進出する時代、富が偏在していたんだなと思う。
九州の岩田屋もこの時期に今も建物がPARCOとして残る岩田屋が九州初のターミナルビルとして開店。東北が特別ひどかったのだと思う。
確かに冷害はあったが、水稲農林一号により、かなり被害は少なくなった。水稲農林一号は、1931年、新潟県農事試験場で育成された。寒冷地用水稲であり、極早生種で食味もよく多収量品種であった。耐冷性を持つことで1934年の東北地方の冷害での被害が少なかった。このあと、戦後の飢饉も緩和するなど、多くの人命を救った。育成に成功した並河成資・鉢蝋清香は今なら国民栄誉賞に値する。
ウチの海外へ移住してた高祖父が義援金送ってる(1935年の東北凶作義援金)。外国で会社経営して大成功してたから。
素晴らしい!
じいちゃますげえ( ゚Д゚)
「内地」である東北が如何に悲惨な状況でも、財閥とその欲望に引っ張られた政府と軍部は満蒙開拓を東北支援より優先させたし、朝鮮総督府への予算は相変わらず厚遇されてた。上っ面はジャパンファーストのあの時代ですらこんなんですよ。。。
豪雪地帯は大変だと思うわ。今でも天候不順で野菜の不作とかのニュースが流れる時も多いけど、西日本太平洋側のウチの畑ではそのような極端な不作というのはあまりない。冬は雪かきしないといけないし、自転車やバイクは使えないだろうし、除雪車が来るまでクルマも使えない場合があるし、スキーや温泉旅行で行くだけなら良いけど、住む苦労はただならぬものがあると思う。
ターミナル駅、幹線系統の路線バスのバス停、大規模商業施設などから至近距離の集合住宅に住んで、移動は徒歩か公共交通機関で済ませるというライフスタイルにすれば家の周りの雪かきと冬場のクルマの運転からはとりあえず解放される。ただ、それは自分だけがラクになっているだけで、根本的な解決には全くなっていないわけだが・・・。
これがもし薩摩や長州で起きていたら、どうせ政府はしっかり援助してるんだろ
特にしないと思うよ。当時は、新婚旅行人気第一位が九州旅行だよ。
冷害 強い稲の品種改良もされていない当時大変な苦労であったと思います。更に追い打ちをかけたのは耕す農地を大地主が持ち借りて耕す小作人が大部分。加え高い小作料が拍車をかけたと思います。
水稲農林1号が後10年早く誕生してたら。
冷害対策といえば蕎麦だろう。水沢藩(現岩手県水沢市)出身の蘭学者、高野長英は「救荒二物考」という本で蕎麦とじゃがいもの栽培を推奨した。
アルコール発酵と蒸留をしたら焼酎も作れて地場産業になっていたぞ。
東北、東北というが、『警視庁統計書』から第二次世界大戦以前の東京稼業娼妓数を出身地別に調べたものを見てみると、圧倒的なのは新潟県なんですよね。山形が急激に多かったのは1935年前後だけでその後急落、また、米生産額が減少すると増加する傾向はあるが、米生産額が増加したときは特に傾向は見られないのも面白いところ。米よりも、実は繭生産額の方が影響を与えたりするし、鉄道の影響も大きかったりする。さらにいえば、日本海側はやませの影響が少ないんですけどね。
新潟県つまり越後は江戸時代から女郎の本場と言われていたそうです。
@@たまうさ-s1j新潟は日本海側の中心都市で維新あたりでは江戸(東京)よりも人口が多かった地域。都市化されている分、女への価値観も都市化されていたのかもね。
寒冷な土地なのに稲作を強要されていたといふ江戸時代がらの、長い間の悲劇的な歴史がある。
江戸時代は米本位制経済で米の収量=国力だから、とにかく米を作らない事にはなにもできない。仙臺藩は表高62万石だけど、ひたすら稲作重視で資本投下した結果、江戸中期には実高100万石を超えました。その米偏重が飢饉の原因の一つでもあるんだけどね。
うちの爺さんは姉が人買いに買われてったって言ってたな。戦前の東北は悲惨よ。
昔も今も政治家は国民から税金を取るのが仕事なのか
税率そのものよりむしろ運用に問題があると思う。昔は税率が低かった分、インフラや社会保障や共済制度が不十分だった。だからその分を担う為に税金や社会保険料が高いのはまだ納得できる。特にこのような動画をみれば、行政と税金の必要性は理解できる。問題は、使い方が特定の人に利益が偏っている点。特定の人というのは政治家だけに非ず、一般市民にもいる。「納税の義務」を果たすことは出来ないのは仕方がないとして、過剰な要求による行政の過剰負担により、不必要な高税率を必要とさせている要因。
利権を扱うお仕事ですよ
中央が地方を見捨てた結果、しっぺ返しを食らった現代も同じことを繰り返してるので同じような事件が起きる可能性は高いわなこの時期の事柄だと農村青年社関係の本も読んでるなぁ
姿は違えど現在と変わらない
この時代の東北は地方格差が凄かったからな農村地帯行けば竈門囲炉裏で生活してる人がおりました。道路も4号線以外はまだ未舗装だったわ
歴史の教科書とかには明治維新でさも新時代に突入したように書かれているけど、農村の暮らしはあまり変わってないんだよね
明治に入ると年貢=米による物納が金銭による納税に変わったことに加え、学校建設等の費用を負担させられたために負担が激増し、農民は大いに困窮しました。イメージ通りの悲惨な一揆は、実は明治初頭に起こったものの話だったりします。江戸時代のそれは、そこまで悲惨ではなかったのです。
大塩
令和の新嘗祭でゼンマイを献上した山形はガチ
「1930年からはじまった経済的な大混乱昭和恐慌はー」大混乱だから大根をかじる写真なんですね。
上杉鷹山のような政治家が出てくれば国民も救われるのだが。
日本の皆さん、大災害、に備え、天、チ、海に感謝して、慎ましく生きるように、心掛けて、無事子孫に繋ぐように、頑張りましょう‼️
もし今食糧危機対策で菜園をするならじゃがはサヤアカネ、さつまいもはコナイシン、ミチシズクがおすすめ、病気に強いよ
万世大路・関山街道・土湯峠などが改修されたのもこれが絡んでいるからとも。
もうすぐ戦争始まるのにこんな大災害起きてたらほんとキツイよな…
回復の兆しがあった1937年に盧溝橋事件発生し日中戦争へ発展する過程で、物資の軍事への振り分けや農村にいる予備役の動員で農業生産が低下しする救いの無いアフターストーリー
リアルおしんですね。大根といったら大根めし🍚
農村の地主、小作という構造も農家の疲弊をもたらした原因ですよね。被搾取階級である小作人は一定パーセントの小作料を地主に搾取階級に払い更に税金を金納する義務を負っていたので飢餓状態に陥るのも不思議じゃなかったわけです。
@@sunami808 小作人が地主に苦しめられていたなんてのは、戦後になってサヨが喧伝したせいでそういうイメージを持ってしまったってのもあるね。実際は戦後にGHQの指令で農地解放が行われた時も、自作になるのを嫌がって小作で居続けたいと思う農民も少なくなかった。
@@un-105x いつの世も環境が変わるってことを恐れる人はいる豊かになるより「なんか不安」「面倒くさい」が先に来ちゃうんですね
地主レベルでもいざという時のリスク分散してたと思う。中小企業の世襲と同じだから。当然基金なら取らないし持ち出せるものがあれば持ち出し支給するよ。企業倒産レベルだと出せるものがない。
人買いは1960年代(昭和40年ころ)の名古屋あたりでも普通にいましたよ。
地元なのでエピソードが知りたいです。
@@harnakaiyaa9 幼稚園児のころ母と歩いていたら、前方から来る男性とすれ違うことになりました。母は大いにうろたえてこう言いました。「私の後ろに隠れてなさい、絶対にあの人と目を合わせてはいけません」無事すれ違ったら、「あの人は人買いです、目を付けられたら面倒なことになります」とのことでした。人買いのうわさは時々聞きましたが、実物(?)を見たのはこれが最初で最後ですね。
そのころの人買いは、いわゆる児童買春などを執り行うヤクザなどのものですね、恐ろしいです
父親の借金のカタに日雇い人夫の会社に入れられて現場で働いている若者いましたよ昼飯はいつも会社から支給される弁当とエコー1個、金を全く持ってなくて可哀そうでしたね、平成初期(1995年)の話後日談で43歳で借金を全て返せたそうです、馬鹿な親だと子供も人生を棒にふりますね
大根せめて茹でてあげてほしい
ジャンボ兎(飢饉緊急の食材確保・イヌイットのソリ犬同様に)雪深く寒さ厳しい地域特有の発展。でも娘の身売りは哀しい。
令和の御代はホスト遊びでセルフ身売り
この時代だと農村は電気が通った程度であとは江戸時代と変わらない生活だったと言われてる。
今世界的な火山活動が起こったり、戦国時代の世界的な寒冷期小氷河期になったら、日本の食料自給率ならもっと酷い事態になるのでは?
今年も陽さんから歴史を学べる慶び
こういう厳しい時代を知らずして、と言っても教科書でチラとは習うのだが、戦後から現代までの世相を腐敗政治とばかり思い込んで「こんな世の中にしてごめんなさい」なんて感傷的なコメントを特攻隊の動画にしてる人達……戦前戦中がまるで神聖な時代だと?
しかもばら撒き政治って、奪うだけ、もらえて当然が増えちゃう教育方向。
農業は大変な仕事ですね。同じ年齢の人でも、農家の人と会社員ではふけかたが違いますね。機械化できることはできるだけできるようにしてほしい。
「欠食児童」と言う言葉は昭和期の記憶として残っています。今日においても別に死語ではなかろうと思いますが。
おしんの大根飯を思い出した
財閥に対し一層厳しい目で敵視するようになったんですよね。
「財閥富を誇れども、社稷を思う心なし」「ああ廓清の血は躍る」ですね。
「政府の対応」はもう1つあって、貧民をブラジル・サイパン・満州を始めとした外国に移住させた。つまり「政府は貧困に苦しむ自国民の対応に困った末に、彼らを外国に捨てた」ということ。自国民を外国に捨てる政府なんて日本以外に聞いた事が無い。
@@superm.k1617 そんなの、現代を含めて歴史的には古今東西枚挙に暇がないぞ。今の難民問題だってそうだし。国家行政機構が破綻していて国民に福祉や行政を提供出来ない状態。戦前戦後も含めて、日本は行政機構は消滅したことがない。(だから帝国憲法は停止されずに現憲法と連続的に「改正」された)一応移民は(違法斡旋業者による不法行為を除けば)本人らの希望だし、国内で支えきれなかった産物。
耳鼻科で診察を受けることをお勧めします。…いや、半径30cmのことしか分からないのなら知らないのも当然かもしれませんね。案外棄民というものはどこにでもある話ですよ。
@ 例えば?
@@superm.k1617 19世紀アイルランドのジャガイモ飢饉とそれに対する現イングランド政府の対応を例に出そうと思ったのですが、調べてみるとそもそも「棄民」という言葉が日本でしか通用していない、いわゆる殴りやすくて殴り返してこない政権批判のための言葉ではないかと考え始めたのでこれ以上の回答を控えさせていただきます。ご了承ください。
@@sepiairo煽るだけ煽って、あとは耳を塞いで逃走か楽しそうですな
東北地方日本海側の超ド田舎に昭和9年に生まれた私の祖母曰く「山さ行けば食いモノはある」とのことでした。小作料だけで生計を立てていた人は苦しかったと思いますが、山の入会権を持っていたり、商用作物の他に自給自足をするダーチャのような菜園を持っていたり、マルチな収入源や現物生産力を確保していたところはそんなに打撃は無かったということは現代にも通ずる教訓でしょう。「お前が消えて喜ぶ者(増税クソ政府)に お前のオールを任せるな」ですまた、穀物農業が存在しない縄文時代に飢餓はなく、穀物農業が始まってから飢餓が発生したことはよく考える必要があると思います。
これからまた格差が広がって見捨てられるんだろうな
西暦と和暦統一してほしい分かりづらい😅
ウチの御本家は?秋田で養蚕やっていたけど、亡くなった親父の相続手続きやったら、土地家屋調査士が😅古い地名が😅でも農地委員会での手続き済みました😅しかしあの時代父方の爺さん婆さんそれでも十人以上子供作ってます😅長男が大正産まれ一番下の叔母さんは、なんと❗昭和二十年産まれ😅男の子ならば兵隊に取られて戦死する可能性有るからか?または養蚕業の働き手として😅せっせと子供作ったのかなぁ😅
元旦の夜にこれ見てるやつありがたさ捨てたいんか
このとき政治家は何くってたんだろーな
失業率どうなんだろう
政治家もいろいろいるだろうが、東京にいた政治家は普段通りの食事。飢饉は東北、北海道のことだから。
令和7年の現代でも二・二六事件が起きる可能性も、、、
令和恐慌が今ですね農家いじめで農家を畳む人が増え米野菜価格爆上がりの現実。重税と仲介中抜き、買い叩きで農家の手元に残らない奉仕農家問題を考えなかった事ですね。
GHQありがとう🥲
税金を取らなければ大丈夫だったようですね🤔✨
岩手の沿岸では今でもイルカを食べるみたい道の駅でパック入りで売っていた。岩手県は過去からこれからも援助をしなければ成り立たないところだ
しかしこんな状態なのに税金取る?今と変わらないし血も涙もないな....😢😢😢😢
東北って常に悲惨なイメージある😢
花将軍の北畠顕家の軍がどうして強かったか分かるね😊
東日本大震災や福島原発に全く、活かされなかった教訓
これから令和恐慌が起きます。皆さん、シートベルトを締めてください。間違いなく来ます。そして、追い詰められた日本は開戦を決意する。これってもしかして第2回目と同じ・・・!?
大阪に来いよ。シナ事変で砲兵工廠は残業地獄になるほど人手不足だったと爺さんが言っていた。ちなみに残業手当だけで別宅が買えたそうです。また婆ちゃんは阪急百貨店でエレベーターガールやってました。
大体にして、当時は冷害に強い品種が無かった。東北じゃ当時は稲作は無理
本当に大変な時代だったと痛感します。また、今も昔も政府は、他人事で公共の事業とか言って、中抜き事業に精を出して何もしないのですね。税金は、支払わないが1番です。
欠食児童なら今でも居るでしょ
豊作貧乏。江戸時代の飢饉の多くは人災。特に「名君」と言われた徳川吉宗が悪い。
国民の生活が苦しくなっても減税しないのは、昔も今も変わらない。
226事件が起きたのもそういうのが原因なんだろうなあ
@@tubekobe9917
あれは軍のクーデターやから何も関係ない😂
当時の国民がどう国を訴えれるんや😂
処刑されるだけやで。
昔と今を比べるのは違いすぎる。
日本の税金なんぞまだ優しいくらいや。
よその国ではそれ以上の税金がかかってる国もあるの知らないと日本がどれくらい良いか解る。
まぁ、国のやり方は良くないが発展してきたからこそ起こり得たことやし、苦しくなってもと言っても1部はギャンブルなどに使いまくるから苦しくなるんは自業自得😂
苦しくなったのは国の責任言ってる世の中やけど、それに対応してない国民が駄目なだけや💦
賢い人こそ対応してる。
@@コツメカワウソ-n3x ほぼ全ての国民が食べたいものを食べ、着たいものを着て、スマホを持ちドヤ顔してミニバンで行きたい場所に行く贅沢三昧な生活をしていながら文句タラタラ。自分たちが悪政をする国会議員を選んでおきながら文句言うのはお門違いもいいとこ。まあ国民のレベルが低いんだから政治もそれなりに低いってことが理解できない国民が何と多いことか(笑)
@@コツメカワウソ-n3x
苦労も努力もしてない人間ほど、こういう言い方でシュバって否定するのも、昔も今も変わらんな。
昭和恐慌さなかの1933年に仙台三越が開業(1931年には四国に高松三越も開業)
困窮の一方で高級百貨店が地方都市にも進出する時代、富が偏在していたんだなと思う。
九州の岩田屋もこの時期に今も建物がPARCOとして残る岩田屋が九州初のターミナルビルとして開店。東北が特別ひどかったのだと思う。
確かに冷害はあったが、水稲農林一号により、かなり被害は少なくなった。水稲農林一号は、1931年、新潟県農事試験場で育成された。寒冷地用水稲であり、極早生種で食味もよく多収量品種であった。耐冷性を持つことで1934年の東北地方の冷害での被害が少なかった。このあと、戦後の飢饉も緩和するなど、多くの人命を救った。育成に成功した並河成資・鉢蝋清香は今なら国民栄誉賞に値する。
ウチの海外へ移住してた高祖父が義援金送ってる(1935年の東北凶作義援金)。外国で会社経営して大成功してたから。
素晴らしい!
じいちゃますげえ( ゚Д゚)
「内地」である東北が如何に悲惨な状況でも、財閥とその欲望に引っ張られた政府と軍部は満蒙開拓を東北支援より優先させたし、朝鮮総督府への予算は相変わらず厚遇されてた。
上っ面はジャパンファーストのあの時代ですらこんなんですよ。。。
豪雪地帯は大変だと思うわ。今でも天候不順で野菜の不作とかのニュースが流れる時も多いけど、西日本太平洋側のウチの畑ではそのような極端な不作というのはあまりない。冬は雪かきしないといけないし、自転車やバイクは使えないだろうし、除雪車が来るまでクルマも使えない場合があるし、スキーや温泉旅行で行くだけなら良いけど、住む苦労はただならぬものがあると思う。
ターミナル駅、幹線系統の路線バスのバス停、大規模商業施設などから至近距離の集合住宅に住んで、移動は徒歩か公共交通機関で済ませるというライフスタイルにすれば家の周りの雪かきと冬場のクルマの運転からはとりあえず解放される。ただ、それは自分だけがラクになっているだけで、根本的な解決には全くなっていないわけだが・・・。
これがもし薩摩や長州で起きていたら、どうせ政府はしっかり援助してるんだろ
特にしないと思うよ。当時は、新婚旅行人気第一位が九州旅行だよ。
冷害 強い稲の品種改良もされていない当時大変な苦労であったと思います。更に追い打ちをかけたのは耕す農地を大地主が持ち借りて耕す小作人が大部分。加え高い小作料が拍車をかけたと思います。
水稲農林1号が後10年早く誕生してたら。
冷害対策といえば蕎麦だろう。
水沢藩(現岩手県水沢市)出身の蘭学者、高野長英は「救荒二物考」という本で蕎麦とじゃがいもの栽培を推奨した。
アルコール発酵と蒸留をしたら焼酎も作れて地場産業になっていたぞ。
東北、東北というが、『警視庁統計書』から第二次世界大戦以前の東京稼業娼妓数を出身地別に調べたものを見てみると、圧倒的なのは新潟県なんですよね。
山形が急激に多かったのは1935年前後だけでその後急落、
また、米生産額が減少すると増加する傾向はあるが、米生産額が増加したときは特に傾向は見られないのも面白いところ。
米よりも、実は繭生産額の方が影響を与えたりするし、
鉄道の影響も大きかったりする。
さらにいえば、日本海側はやませの影響が少ないんですけどね。
新潟県つまり越後は江戸時代から女郎の本場と言われていたそうです。
@@たまうさ-s1j
新潟は日本海側の中心都市で維新あたりでは江戸(東京)よりも人口が多かった地域。
都市化されている分、女への価値観も都市化されていたのかもね。
寒冷な土地なのに稲作を強要されていたといふ江戸時代がらの、長い間の悲劇的な歴史がある。
江戸時代は米本位制経済で米の収量=国力だから、とにかく米を作らない事にはなにもできない。
仙臺藩は表高62万石だけど、ひたすら稲作重視で資本投下した結果、江戸中期には実高100万石を超えました。
その米偏重が飢饉の原因の一つでもあるんだけどね。
うちの爺さんは姉が人買いに買われてったって言ってたな。戦前の東北は悲惨よ。
昔も今も政治家は国民から税金を取るのが仕事なのか
税率そのものよりむしろ運用に問題があると思う。
昔は税率が低かった分、インフラや社会保障や共済制度が不十分だった。
だからその分を担う為に税金や社会保険料が高いのはまだ納得できる。
特にこのような動画をみれば、行政と税金の必要性は理解できる。
問題は、使い方が特定の人に利益が偏っている点。
特定の人というのは政治家だけに非ず、一般市民にもいる。
「納税の義務」を果たすことは出来ないのは仕方がないとして、過剰な要求による行政の過剰負担により、不必要な高税率を必要とさせている要因。
利権を扱うお仕事ですよ
中央が地方を見捨てた結果、しっぺ返しを食らった
現代も同じことを繰り返してるので同じような事件が起きる可能性は高いわな
この時期の事柄だと農村青年社関係の本も読んでるなぁ
姿は違えど現在と変わらない
この時代の東北は地方格差が凄かったからな
農村地帯行けば竈門囲炉裏で生活してる人がおりました。道路も4号線以外はまだ未舗装だったわ
歴史の教科書とかには明治維新でさも新時代に突入したように書かれているけど、農村の暮らしはあまり変わってないんだよね
明治に入ると年貢=米による物納が金銭による納税に変わったことに加え、学校建設等の費用を負担させられたために負担が激増し、農民は大いに困窮しました。
イメージ通りの悲惨な一揆は、実は明治初頭に起こったものの話だったりします。
江戸時代のそれは、そこまで悲惨ではなかったのです。
大塩
令和の新嘗祭でゼンマイを献上した山形はガチ
「1930年からはじまった経済的な大混乱昭和恐慌はー」大混乱だから大根をかじる写真なんですね。
上杉鷹山のような政治家が出てくれば国民も救われるのだが。
日本の皆さん、大災害、に備え、天、チ、海に感謝して、慎ましく生きるように、心掛けて、無事子孫に繋ぐように、頑張りましょう‼️
もし今食糧危機対策で菜園をするならじゃがはサヤアカネ、さつまいもはコナイシン、ミチシズクがおすすめ、病気に強いよ
万世大路・関山街道・土湯峠などが改修されたのもこれが絡んでいるからとも。
もうすぐ戦争始まるのにこんな大災害起きてたらほんとキツイよな…
回復の兆しがあった1937年に盧溝橋事件発生し日中戦争へ発展する過程で、物資の軍事への振り分けや農村にいる予備役の動員で農業生産が低下しする救いの無いアフターストーリー
リアルおしんですね。
大根といったら大根めし🍚
農村の地主、小作という構造も農家の疲弊をもたらした原因ですよね。被搾取階級である小作人は一定パーセントの小作料を地主に搾取階級に払い更に税金を金納する義務を負っていたので飢餓状態に陥るのも不思議じゃなかったわけです。
@@sunami808 小作人が地主に苦しめられていたなんてのは、戦後になって
サヨが喧伝したせいでそういうイメージを持ってしまったってのもあるね。
実際は戦後にGHQの指令で農地解放が行われた時も、自作になるのを嫌がって
小作で居続けたいと思う農民も少なくなかった。
@@un-105x
いつの世も環境が変わるってことを恐れる人はいる
豊かになるより「なんか不安」「面倒くさい」が先に来ちゃうんですね
地主レベルでもいざという時のリスク分散してたと思う。中小企業の世襲と同じだから。当然基金なら取らないし持ち出せるものがあれば持ち出し支給するよ。企業倒産レベルだと出せるものがない。
人買いは1960年代(昭和40年ころ)の名古屋あたりでも普通にいましたよ。
地元なのでエピソードが知りたいです。
@@harnakaiyaa9
幼稚園児のころ母と歩いていたら、前方から来る男性とすれ違うことになりました。
母は大いにうろたえてこう言いました。
「私の後ろに隠れてなさい、絶対にあの人と目を合わせてはいけません」
無事すれ違ったら、
「あの人は人買いです、目を付けられたら面倒なことになります」
とのことでした。
人買いのうわさは時々聞きましたが、実物(?)を見たのはこれが最初で最後ですね。
そのころの人買いは、いわゆる児童買春などを執り行うヤクザなどのものですね、恐ろしいです
父親の借金のカタに日雇い人夫の会社に入れられて現場で働いている若者いましたよ
昼飯はいつも会社から支給される弁当とエコー1個、金を全く持ってなくて可哀そうでしたね、平成初期(1995年)の話
後日談で43歳で借金を全て返せたそうです、馬鹿な親だと子供も人生を棒にふりますね
大根せめて茹でてあげてほしい
ジャンボ兎(飢饉緊急の食材確保・イヌイットのソリ犬同様に)雪深く寒さ厳しい地域特有の発展。でも娘の身売りは哀しい。
令和の御代はホスト遊びでセルフ身売り
この時代だと農村は電気が通った程度であとは江戸時代と変わらない生活だったと言われてる。
今世界的な火山活動が起こったり、戦国時代の世界的な寒冷期小氷河期になったら、日本の食料自給率ならもっと酷い事態になるのでは?
今年も陽さんから歴史を学べる慶び
こういう厳しい時代を知らずして、と言っても教科書でチラとは習うのだが、戦後から現代までの世相を腐敗政治とばかり思い込んで「こんな世の中にしてごめんなさい」なんて感傷的なコメントを特攻隊の動画にしてる人達……
戦前戦中がまるで神聖な時代だと?
しかもばら撒き政治って、奪うだけ、もらえて当然が増えちゃう教育方向。
農業は大変な仕事ですね。同じ年齢の人でも、農家の人と会社員ではふけかたが違いますね。機械化できることはできるだけできるようにしてほしい。
「欠食児童」と言う言葉は昭和期の記憶として残っています。今日においても別に死語ではなかろうと思いますが。
おしんの大根飯を思い出した
財閥に対し一層厳しい目で敵視するようになったんですよね。
「財閥富を誇れども、社稷を思う心なし」「ああ廓清の血は躍る」ですね。
「政府の対応」はもう1つあって、貧民をブラジル・サイパン・満州を始めとした外国に移住させた。
つまり「政府は貧困に苦しむ自国民の対応に困った末に、彼らを外国に捨てた」ということ。
自国民を外国に捨てる政府なんて日本以外に聞いた事が無い。
@@superm.k1617
そんなの、現代を含めて歴史的には古今東西枚挙に暇がないぞ。
今の難民問題だってそうだし。
国家行政機構が破綻していて国民に福祉や行政を提供出来ない状態。
戦前戦後も含めて、日本は行政機構は消滅したことがない。(だから帝国憲法は停止されずに現憲法と連続的に「改正」された)
一応移民は(違法斡旋業者による不法行為を除けば)本人らの希望だし、国内で支えきれなかった産物。
耳鼻科で診察を受けることをお勧めします。
…いや、半径30cmのことしか分からないのなら知らないのも当然かもしれませんね。案外棄民というものはどこにでもある話ですよ。
@ 例えば?
@@superm.k1617 19世紀アイルランドのジャガイモ飢饉とそれに対する現イングランド政府の対応を例に出そうと思ったのですが、調べてみるとそもそも「棄民」という言葉が日本でしか通用していない、いわゆる殴りやすくて殴り返してこない政権批判のための言葉ではないかと考え始めたのでこれ以上の回答を控えさせていただきます。ご了承ください。
@@sepiairo
煽るだけ煽って、あとは耳を塞いで逃走か
楽しそうですな
東北地方日本海側の超ド田舎に昭和9年に生まれた私の祖母曰く「山さ行けば食いモノはある」とのことでした。
小作料だけで生計を立てていた人は苦しかったと思いますが、山の入会権を持っていたり、商用作物の他に自給自足をするダーチャのような菜園を持っていたり、マルチな収入源や現物生産力を確保していたところはそんなに打撃は無かったということは現代にも通ずる教訓でしょう。
「お前が消えて喜ぶ者(増税クソ政府)に お前のオールを任せるな」です
また、穀物農業が存在しない縄文時代に飢餓はなく、穀物農業が始まってから飢餓が発生したことはよく考える必要があると思います。
これからまた格差が広がって見捨てられるんだろうな
西暦と和暦統一してほしい分かりづらい😅
ウチの御本家は?秋田で養蚕やっていたけど、亡くなった親父の相続手続き
やったら、土地家屋調査士が😅古い地名が😅でも農地委員会での手続き済みました😅しかしあの時代父方の爺さん婆さんそれでも十人以上子供作ってます😅長男が大正産まれ一番下の叔母さんは、なんと❗昭和二十年産まれ😅男の子ならば兵隊に取られて
戦死する可能性有るからか?または
養蚕業の働き手として😅せっせと
子供作ったのかなぁ😅
元旦の夜にこれ見てるやつありがたさ捨てたいんか
このとき政治家は何くってたんだろーな
失業率どうなんだろう
政治家もいろいろいるだろうが、東京にいた政治家は普段通りの食事。飢饉は東北、北海道のことだから。
令和7年の現代でも二・二六事件が起きる可能性も、、、
令和恐慌が今ですね
農家いじめで農家を畳む人が増え米野菜価格爆上がりの現実。
重税と仲介中抜き、買い叩きで農家の手元に残らない奉仕農家問題を考えなかった事ですね。
GHQありがとう🥲
税金を取らなければ大丈夫だったようですね🤔✨
岩手の沿岸では今でもイルカを食べるみたい道の駅でパック入りで売っていた。
岩手県は過去からこれからも援助をしなければ成り立たないところだ
しかしこんな状態なのに税金取る?今と変わらないし血も涙もないな....😢😢😢😢
東北って常に悲惨なイメージある😢
花将軍の北畠顕家の軍がどうして強かったか分かるね😊
東日本大震災や福島原発に全く、活かされなかった教訓
これから令和恐慌が起きます。
皆さん、シートベルトを締めてください。
間違いなく来ます。
そして、追い詰められた日本は開戦を決意する。
これってもしかして第2回目と同じ・・・!?
大阪に来いよ。シナ事変で砲兵工廠は残業地獄になるほど人手不足だったと爺さんが言っていた。
ちなみに残業手当だけで別宅が買えたそうです。
また婆ちゃんは阪急百貨店でエレベーターガールやってました。
大体にして、当時は冷害に強い品種が無かった。東北じゃ当時は稲作は無理
本当に大変な時代だったと痛感します。また、今も昔も政府は、他人事で公共の事業とか言って、中抜き事業に精を出して何もしないのですね。税金は、支払わないが1番です。
欠食児童なら今でも居るでしょ
豊作貧乏。
江戸時代の飢饉の多くは人災。
特に「名君」と言われた徳川吉宗が悪い。