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上野までずっと乗車する車掌さんだから旅行の面倒見る感覚があっていい。
国鉄は接客態度が悪かったと言われますが、この放送を聞くと思いやりのある案内ですね。担当している車掌さんは人柄も良さそうな感じがします。
乗り慣れない乗客のためであろうか、案内が実に事細かで臨場感も最高。何かラジオの番組を聴いている気分になってくる。
たった一本の列車に車掌さんと乗客に一体感を生ませるようなアナウンス。これぞ、プロといった感じ。それでいてマニュアル通りでない所が素晴らしい…
最近はマニュアル、マニュアルで人間がロボットみたいに話す放送が多いが、この放送は人間味があり個性があり聞き苦しくなく素晴らしいですね。一度、乗車してみたかった。
こういう放送するとクレーム入るようになったからマニュアル、マニュアルで人間がロボットみたいに話す放送ばかりになったんだよ。悪いのはどうでもいい事にクレームするようになった人々。
ほんとくだらない話ですね。人間味がない
人気にて増発を御覧に?審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両連結を製造に専門型?似た機関車型。
綺麗な自動放送も良いけど、昔のこういう人間らしい放送も良いな〜
国鉄時代でもたまにこういうマニュアルに従わないアドリブたっぷりの親しみある車掌さんいましたよ。こういう車掌さんのアナウンス聞くとお客さんもみんなほっこり笑ってましたね。
令和の今に車内放送するべきですね。分かりやすくて良い
洗面台のくだり、めちゃくちゃ親切だね!今でも共感できますよ!
丁寧な案内ですね
いやぁ本当にヒューマニティー(人間性)溢れる車掌さんですねぇ。昭和の時代らしい光景ですねぇ。
どこも買うような駅はありません面白い車掌だw
盛岡とか水戸とかも買う駅に該当しないとか・・・
@@atsushimito7356 夜で売店がやってないからでは?
旅情あふれる名調子。懐かしくて涙溢れます。
自分は下りの「ゆうづる」に乗車した事があります。東北訛りの入る車掌さんは寝台特急を「すんだいとっきゅう」とアナウンスするなど味が有り、24時に床に着いたら朝6時になるまで全く目が覚めないなど、自分の人生何本の指に入る位の心地良い睡眠を得る事が出来ました。目が覚めて10分位して「ハイセンスのセレナーデ」が鳴った後に聴く東北訛りの入った車掌さんの「おはよう放送」も又とても心地良かったです。
こういう放送なかなか好きです
ゆうづるだかはつかりだったかわからないけどうちの母が北海道出身でばあさまが青函連絡船に乗って青森まで送りに来て、この寝台車に乗って手を振ってた時母がめちゃくちゃ泣いてたの思い出した。結局ばあさまと母はそれが今生の別れとなったんだけど、思い出す度に何か思いに耽る母と自分。昭和のこうした錆びて古びた列車や車掌さんの声姿を見るだけで涙が出てくる。思い出をありがとう。あと昭和の車掌さんは駆け回ってる三歳児にも我が子のように怒鳴り諭すくらいの人情があった。今では考えられないけどね。
なんて温かみの有る放送なんでしょう。こんな車掌さんは良いなぁ😉
懐かしいですね。ゆうづる10号とこれに雁行する12号は親の帰省の帰路に何回か利用した列車でした。青函連絡船との接続もあるため当時の青森駅は深夜まで駅弁も駅そばも食べられましたし、ホームの売店も開いていました。同じ色の電車が島式のホームに2本並ぶために誤乗注意のアナウンスがホームではやかましく、発車を待つ間に折返しの連絡船に接続する下り列車が次々に到着し、船から下りてきた貨車が駅と隣接したヤードでガチャガチャと入換されてと、その賑わい方は違えども人の数と音は上野駅に匹敵するほどでした。私はこの寝台電車では上段を好んで使っていました。覗き小窓を開けば、狭いながらも寝ながら車窓が見られたこと。寝台に並行する形でささやかな荷物が置けるスペースがあったこと(中段下段にはないのです)。一番上はハンモックに委ねているように揺れもゆっくりで、かつ進行方向に向かって寝転んでいますから、一晩中ウォータースライダーの中を走っているような気持ちの良さがあったのです。真冬、しかも粉雪が降る夜だと屋根に当たる雪の音がして、ベンチレータから粉雪の欠片がかすかにキラキラと入ってきます。それがもたらす寒さが天井に上がってくる暖房の暖気とちょうどミックスされてとても快適だったことも思い出されます。代わりに夏は暑いわ冷えないわで最悪だったですが(笑車内放送にもあるような、赤ちゃん連れでも寝台車での移動を強いられた時代に戻るのが良い事なのかはわかりませんが、過度な演出がなくても移動そのものが楽しめるような時代が新しくやってくるとよいですね。と、テレワークの自宅にてコメントさせていただきました。
とても詳しいご説明ありがとうございます。実は私の亡き父が、この583系を造る仕事をしていたのですが、私の幼い頃には乗る機会なく、学生時代は寝台など高嶺の花で、やっと乗れたのが急行きたぐにになってからでした。電車なのに、24系などの客車よりむしろ静かな車内。狭いけれど進行方向に伸びた寝台。感慨深いです。
親切な車掌さんだ〜。盗難、忘れ物対策もきちんと話してくれる。
風情ある時代が、ホント懐かしい!
懐かしい、いい時代でした。
敬語を多用しつつ僅かな東北訛りの中にハッキリした表現、今だったら、くどいとか苦情があるだろうが、誤解がなくていいと思う。青森車掌区の車掌長ですね。今のJRじゃこんな放送はないな。もう40年も前か。旧客、20系、14系から583系まで夜行列車が満席で乱舞していた時代、郷愁いっぱいです。
国鉄時代は車掌長-専務車掌-車掌というランクがあって、車掌長は車掌歴20年と言ったベテラン揃いでした。それだけに放送や客扱いもマニュアル通りでない深みがありました。今は特急も車掌なりたての若い人が乗務し、車掌はキャリアパスの通過点になっていますが、当時は定年まで車掌として勤め上げる方が多く、特急の車掌長ともなれば仕事振りにも誇りが感じられました。
人間くさい味のある放送ですね。今なら苦情が出るんでしょうね。嫌な世の中です。
今苦情がでるかもしれないですけど団臨で運行したら拍手喝采ですね。
東北人・道民みんな安全に上野に連れて行くよ!的な親心のような。引率の先生のような。
懐かしい車内放送を聞いていると、583系の車内の、通路に沿って両側に天井から床までくすんだ青のカーテンとはしごが並んでいた光景が蘇ってきます。青函連絡船からの連絡橋を下りて、クリームと青の車体に光る大きな四角い方向幕の「上野」の文字にワクワクしながら乗り込んだ思い出も。3段寝台は下段がやはり人気でしたね。上中段が小窓だけだったのに対し、下段はブラインド式の大きい窓を独り占めできましたし。今の個室のほうが何倍も快適なのは間違いないですが、あの頃のワクワク感はもう感じません。
タイムスリップしてこのゆうづるに乗ってみたいです。やっぱり夜行列車にはこういったベテラン風の車掌さんが似合いますね。後オルゴールの鉄道唱歌も良い味出してますね。
なんかトーク番組のパーソナリティーが話しているみたいですね。今のマニュアル通りの放送か録音放送に慣れた耳には新鮮です。
連帯感産んでくれるアナウンス😊ありがとう😉👍️🎶
昔の車内放送ってこんな感じだったんだ!ある意味衝撃です。
昭和50年~55年迄は上野から青森迄 利用してました。お茶と冷凍みかん +駅弁 を必ず 買ってました。
こう言う音声は貴重です、映像でも懐かしさありますが音声でも懐かしさはあります、いろんな事がよみがえります。
コメント有難うございます。本当に貴重になりましたね。
懐かしい。当時の私は、帰省の特急券が取れない父に、急行で帰るのは嫌だと駄々をこねていたクソ生意気な少年でした。そんな時、母の友人に親戚が国鉄マンがいて、すんなりこの「ゆうずる」の券を取ってもらいました。あの乗車した時の喜び(物凄く興奮しすぎて一睡もできなかった)は、何十年経った今でも忘れられません。
自分の言葉で、経験で語っているもんなあ…伝わるわあー、安心!誠実一路!これぞ車掌さん、素晴らしい!アップありがとうございます(^-^)/
懐かしい――国鉄時代の車内放送 思い出ですね
正に「鉄道唱歌」に相応しい見事な車内放送だ。
車内放送がなかなか旅情ありますね!今でも寝台特急ではこんな放送していただきたいです…。
現存するサンライズで、こういう車内放送を再現できるかどうか…ですね(^_^;)
国鉄時代独特の昭和の温かさを感じさせる放送ですね😃
とても温かみのある車内放送、思わず吹いてしまいました(^^)それにしても、『ゆうづる』だけで電車と客車合わせて5往復とかあった時代が懐かしいですね!
ゆうづる7往復と十和田3往復です
今走ってないですけど、私自身乗ってましたので、ありがたい放送でしたねぇ。平成だとだいぶこのような親切な方見られなかったですねぇ。懐かしいですありがとうございました。
仕事熱心な車掌さんですね。楽しみながら仕事してるみたいです。今はおカネとクレームが無いようにするのが仕事のような感じかな。時代の流れで片付けたくない任じ車掌さんですね。
「青森」の言い方が東北訛りで親近感ある
・電車・10分・全然ありませんと関西イントネーションに近い言い回しです。ホンマ親切丁寧な車掌さんや。
お見送りのお客様、今すぐ降りてください。wwwwww
この車掌さん、これまでの乗務で散々深夜に弁当やら飲み物やらが手に入らないか聞かれてイヤになった&ヤケになっちゃったんだろうね。
高速バスの案内みたいで面白い。今のJRにこそ必要な案内の仕方だと思う
親切の極み
親切な車掌だなあ
はじめまして、何度も聴かせてもらってますが本当に当時の発車前の車内の感じが手にとるように感じます、録音機器の古さとかも有るんでしょうね! とにかく懐かしいの一言、有り難う御座います!
今となっては何もかもが懐かしいですね。
マジでなんと親切‼️
チャイム懐かしいですね。
今は新幹線の見送りで「離れて下さい」、まだ離れ無い客に「離れて下さい」と最後強めの口調になる
刻がゆっくり流れていた時代でした!これが本当の旅です。今はスピードを競い合い旅より単なる移動手段に成り下がってしまった!この頃が懐かしい!
ゴミを置きますと、不潔でございます‼️本当にそう思います、今、その辺にゴミを放置する人にいいたい🎉いかりやさんを彷彿させる、えー、ございます口調がよいですね❤
平(たいら)駅懐かしいですよね😄現在は、いわき駅になってますものね。
1980年に583系ゆうずるで青森⇒上野まで乗車しましたが、この音声は懐かしい。
めっちゃええひとやなーーー
0:14からの言い回し最高。でも冷酷な中にも温かみがあるよ
青森2110上野635ですか21世紀にも通用するダイヤの特急ですねJR東日本さん走らせてくれないかなぁ。
だって、奥中山を最高120㎞/hですっ飛ばすんだもん、速いよ
アナウンスは人間が人間相手にする接点。親に連れられた旅行ではない、初めての長距離旅行は、88年の急行八甲田。自由席だからと、14時から並んでいました。1号車でしたが、その前にMOTOトレインが連結されてました。リバイバル青函連絡船に乗り、シップホテルで青森に泊まったり。でも音声は残っていません。。記憶が薄れる前に、直後からレポート用紙に乗車記をひたすら書きました。今ではそれが唯一の思い出。高1の頃です。
40年前にのりました 国鉄時代でしたか 下段の寝台は寝台列車のA寝台波の広さでした はくつるは東北本線だったと思いますが なんともなつかしい主様に感謝
マニュアル人間ではない、人情車掌。
ですねー👍最近はJRの車掌もバスの運転手もマニュアル人間ばかりですね‼️こんなベラベラ面倒くさい案内は最近では聞く事はできませんね😂😂😂「わかったけもういいちゃ、うるせーったい‼️‼️」ち言いたくなりますね😂😂😂しかし味があっていいです👍👍👍
今ならありえない車内放送ですが、この時代の方が温かみがあります。
人気にて増発?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両連結を製造に専門型?似た機関車型。
今は寝台列車はサンライズ瀬戸・出雲だけになってしまいましたが…この時代、寝台列車はまだまだ主役で、自動放送は当然の事ながらなく、車掌さんのアナウンスでした。人間臭みが良い意味で効いていて、(寝台)列車に乗ったと実感した記憶があります。都会で仕事して、里帰りで乗ると、故郷に帰るのかと感じていました。寝る時の子守唄は静かに聞こえる走行音と踏切のかすかな光。これで十分。寝台列車、企画でも構わないからやって頂きたい。アナウンスは無論、このような人間味ある車掌さんで。場をわきまえない仮面ファンは立入禁止で。
いつ聞いても国鉄らしいね。時代の違いを感じますね。
貴重な車内放送をありがとうございます。このような国鉄の車内放送を聞くと小さい頃に親に乗せてもらったはまかぜ号の車掌さんの名調子を今でも思い出します。今はそのような車掌さんも引退され、若者ながらこの何年かでJRは変わったように感じられ、国鉄時代を羨ましく思います。ですが、私達が素晴らしいと感じる国鉄の栄光とは裏腹に駅員の対応はひどいの一言だったと父が言っておりました。実際に切符を購入した際、煙草をふかしながら放り投げて渡されたそうです。その点でJRになってサービスを重視するようになり、印象が大きく変わったようです。しかし、それを聞いてもなお列車に乗ると車掌さんが国鉄風の車内放送をしてくださるのを夢見てしまいます。
昭和ノスタルジックやな❗車掌さん最高です
3:05183系1000番台と並ぶのは貴重ですね。
…丁寧な車掌さんですね✨感動しました🎵
記録残してくれてありがとう
コメント有難うございました
この列車の車掌さん優しさをかんじます😉
いわきじゃなくて平ってところが良いね
主さんの旅情たっぷりという表現がピッタリですね。車内アナウンスを聞いているとドキュメンタリー映像のナレーションのようにも聞こえてきます。この車掌さんはそんなところからもヒントを得ながら車内アナウンスされていたのではないでしょうか。すばらしい記録音声でした。
語り掛ける口調の車内放送。初めて聞きます。ナレーションのようで素敵ですね。
国鉄らしい放送ですね。
懐かしいですね。若き日を思い出します。この時代は駅のホームや車内でもタバコはどこでも吸えましたね。駅の柱に吸い殻入れがありました。
コメントありがとうございます
3:43の鉄道唱歌の音程珍しいですね。そしてこの車掌さん面白い方ですね!
583系のゆうづるや583系のはくつるは1度は乗ってみたかった。それと583系みちのくも。
いかりや長介さんを思わせる口調ですね。青森駅での売店の利用を促したり発車の際の放送など平成の人間の自分からすると、この時代はおおらかだったことが伺えます。
もしものコーナー寝台列車編ですか?
いや~旅情有りますね、
まるでドラマみたい
コメント有難うございます。私の知る限り、青森駅発は上野行き列車に東北本線周りか、奥羽本線周りしか無いからだと思いますが?青森駅発車時には駅員さんが東北線周りと放送しています。
国鉄時代の車掌さんの方が、今のJR車掌さんより人間味があるよねー最近は自動放送が多くなってきたし^_^
1:42 「売店をご利用の方は時間がありませんのでおやめください(無慈悲)」
黄金期の13両編成ですね!
昔の 常磐線は 寝台特急が たくさん走ってたし 平機関区もあったし常磐炭鉱時代は 石炭も 運んでたし今より 活気が あったよね
常磐線経由ですね。当時は夜行急行""とわだ""も走ってました。懐かしい。所要時間や移動コストを考えると飛行機や長距離バスには太刀打ち出来なかった。
懐かしいなあゆうづる。青函連絡船からゆうづるに3度乗ったよ。初期のスーパー北斗も、札幌出ると函館まで東室蘭以外止まらない(今は止まる)特急で似てる。
おぉ!ゆうづるだーこの頃まだ青函連絡船があったんだよね。
これ本当ですか?ビックリ⁉️ この年代よく乗っていましたが ここまで喋る車掌さん居たのかと、ビックリしてます‼️
車掌さん案内が凄い丁寧に紹介しています。感謝状です。
風が吹きすさぶ・・・
面白い車掌だなw
車内販売と食堂車無く大変青森駅前に弁当お茶を買いないと700キロ以上落ち着かない
あけましておめでとうございます。懐かしいですね!583系ですね。この車掌さんも今は現役を退いたのでしょうかね~今の時代はすぐにクレームがきますからね。昔は結構許し合ったものですが・・・
夜遅い時間に青森を出発して朝は6時くらいに上野に着くので夕飯は食べてから乗れるし上野に着いてから早朝からやっている飲食店に行けば良いしこの頃はまだトンネルではなく連絡船の頃かな?船内にも食堂もあるし売店があって弁当も売っていたかと思うのでそこで買って来れば良いから食堂車や車内販売がないのかと思います。
コメントありがとうございます。確かに現在の言い回しとは違いますね。時代の流れでしょうか?
「ゆうずる」「はくつる」「はつかり」「あけぼの」583系を押し付けられた、特急はみな絶滅。
飛行機の機長のアナウンスみたいですね。
583系寝台は、ハネの下段に乗るためにある。サロも乗車したがハネの下段の方が良かった。北海道へは20回以上行ったが、東北本線上りは、東京に帰るので途中寄り道しない場合、本当につまらなかった。そういうことも思い出の動画をありがとうございました。
どこの駅も買うような駅はございません(笑)昔の車内アナウンスの方が良かったな。
effort 80 コメントありがとうございます。面白いですねー
2号車、4号車、7号車、10号車モハネ582の両端はパンタグラフがある為、パン下中段
本当に当時の接客は悪かったのかと疑問になりますね。当時を知る方実際はどうでしたか?
それが当たり前と、特に違和感は有りませんでした。
国鉄良いな!味がある
八戸の次は北福岡。二戸駅を北福岡と言った時代を知らない世代のほうが今は多くなったのだろうな。
上野までずっと乗車する車掌さんだから旅行の面倒見る感覚があっていい。
国鉄は接客態度が悪かったと言われますが、この放送を聞くと
思いやりのある案内ですね。担当している車掌さんは人柄も良さそうな感じがします。
乗り慣れない乗客のためであろうか、案内が実に事細かで臨場感も最高。何かラジオの番組を聴いている気分になってくる。
たった一本の列車に車掌さんと乗客に一体感を生ませるようなアナウンス。これぞ、プロといった感じ。それでいてマニュアル通りでない所が素晴らしい…
最近はマニュアル、マニュアルで人間がロボットみたいに話す放送が多いが、この放送は人間味があり個性があり聞き苦しくなく素晴らしいですね。一度、乗車してみたかった。
こういう放送するとクレーム入るようになったからマニュアル、マニュアルで人間がロボットみたいに話す放送ばかりになったんだよ。悪いのはどうでもいい事にクレームするようになった人々。
ほんとくだらない話ですね。人間味がない
人気にて増発を御覧に?審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両連結を製造に専門型?似た機関車型。
綺麗な自動放送も良いけど、昔のこういう人間らしい放送も良いな〜
国鉄時代でもたまにこういうマニュアルに従わないアドリブたっぷりの親しみある車掌さんいましたよ。こういう車掌さんのアナウンス聞くとお客さんもみんなほっこり笑ってましたね。
令和の今に車内放送するべきですね。分かりやすくて良い
洗面台のくだり、めちゃくちゃ親切だね!今でも共感できますよ!
丁寧な案内ですね
いやぁ本当にヒューマニティー(人間性)溢れる車掌さんですねぇ。昭和の時代らしい光景ですねぇ。
どこも買うような駅はありません
面白い車掌だw
盛岡とか水戸とかも買う駅に該当しないとか・・・
@@atsushimito7356 夜で売店がやってないからでは?
旅情あふれる名調子。
懐かしくて涙溢れます。
自分は下りの「ゆうづる」に乗車した事があります。東北訛りの入る車掌さんは寝台特急を「すんだいとっきゅう」とアナウンスするなど味が有り、24時に床に着いたら朝6時になるまで全く目が覚めないなど、自分の人生何本の指に入る位の心地良い睡眠を得る事が出来ました。目が覚めて10分位して「ハイセンスのセレナーデ」が鳴った後に聴く東北訛りの入った車掌さんの「おはよう放送」も又とても心地良かったです。
こういう放送なかなか好きです
ゆうづるだかはつかりだったかわからないけどうちの母が北海道出身でばあさまが青函連絡船に乗って青森まで送りに来て、この寝台車に乗って手を振ってた時母がめちゃくちゃ泣いてたの思い出した。結局ばあさまと母はそれが今生の別れとなったんだけど、思い出す度に何か思いに耽る母と自分。昭和のこうした錆びて古びた列車や車掌さんの声姿を見るだけで涙が出てくる。思い出をありがとう。あと昭和の車掌さんは駆け回ってる三歳児にも我が子のように怒鳴り諭すくらいの人情があった。今では考えられないけどね。
なんて温かみの有る放送なんでしょう。こんな車掌さんは良いなぁ😉
懐かしいですね。
ゆうづる10号とこれに雁行する12号は親の帰省の帰路に何回か利用した列車でした。
青函連絡船との接続もあるため当時の青森駅は深夜まで駅弁も駅そばも食べられましたし、ホームの売店も開いていました。
同じ色の電車が島式のホームに2本並ぶために誤乗注意のアナウンスがホームではやかましく、発車を待つ間に折返しの連絡船に接続する下り列車が次々に到着し、船から下りてきた貨車が駅と隣接したヤードでガチャガチャと入換されてと、その賑わい方は違えども人の数と音は上野駅に匹敵するほどでした。
私はこの寝台電車では上段を好んで使っていました。
覗き小窓を開けば、狭いながらも寝ながら車窓が見られたこと。
寝台に並行する形でささやかな荷物が置けるスペースがあったこと(中段下段にはないのです)。
一番上はハンモックに委ねているように揺れもゆっくりで、かつ進行方向に向かって寝転んでいますから、一晩中ウォータースライダーの中を走っているような気持ちの良さがあったのです。
真冬、しかも粉雪が降る夜だと屋根に当たる雪の音がして、ベンチレータから粉雪の欠片がかすかにキラキラと入ってきます。
それがもたらす寒さが天井に上がってくる暖房の暖気とちょうどミックスされてとても快適だったことも思い出されます。
代わりに夏は暑いわ冷えないわで最悪だったですが(笑
車内放送にもあるような、赤ちゃん連れでも寝台車での移動を強いられた時代に戻るのが良い事なのかはわかりませんが、過度な演出がなくても移動そのものが楽しめるような時代が新しくやってくるとよいですね。
と、テレワークの自宅にてコメントさせていただきました。
とても詳しいご説明ありがとうございます。実は私の亡き父が、この583系を造る仕事をしていたのですが、私の幼い頃には乗る機会なく、学生時代は寝台など高嶺の花で、やっと乗れたのが急行きたぐにになってからでした。電車なのに、24系などの客車よりむしろ静かな車内。狭いけれど進行方向に伸びた寝台。感慨深いです。
親切な車掌さんだ〜。
盗難、忘れ物対策もきちんと話してくれる。
風情ある時代が、ホント懐かしい!
懐かしい、いい時代でした。
敬語を多用しつつ僅かな東北訛りの中にハッキリした表現、今だったら、くどいとか苦情があるだろうが、誤解がなくていいと思う。青森車掌区の車掌長ですね。今のJRじゃこんな放送はないな。もう40年も前か。旧客、20系、14系から583系まで夜行列車が満席で乱舞していた時代、郷愁いっぱいです。
国鉄時代は車掌長-専務車掌-車掌というランクがあって、車掌長は車掌歴20年と言ったベテラン揃いでした。それだけに放送や客扱いもマニュアル通りでない深みがありました。今は特急も車掌なりたての若い人が乗務し、車掌はキャリアパスの通過点になっていますが、当時は定年まで車掌として勤め上げる方が多く、特急の車掌長ともなれば仕事振りにも誇りが感じられました。
人間くさい味のある放送ですね。
今なら苦情が出るんでしょうね。嫌な世の中です。
今苦情がでるかもしれないですけど団臨で運行したら拍手喝采ですね。
東北人・道民みんな安全に上野に連れて行くよ!的な親心のような。
引率の先生のような。
懐かしい車内放送を聞いていると、583系の車内の、通路に沿って両側に天井から床までくすんだ青のカーテンとはしごが並んでいた光景が蘇ってきます。青函連絡船からの連絡橋を下りて、クリームと青の車体に光る大きな四角い方向幕の「上野」の文字にワクワクしながら乗り込んだ思い出も。
3段寝台は下段がやはり人気でしたね。上中段が小窓だけだったのに対し、下段はブラインド式の大きい窓を独り占めできましたし。今の個室のほうが何倍も快適なのは間違いないですが、あの頃のワクワク感はもう感じません。
タイムスリップしてこのゆうづるに乗ってみたいです。やっぱり夜行列車にはこういったベテラン風の車掌さんが似合いますね。後オルゴールの鉄道唱歌も良い味出してますね。
なんかトーク番組のパーソナリティーが話しているみたいですね。今のマニュアル通りの放送か録音放送に慣れた耳には新鮮です。
連帯感産んでくれるアナウンス😊ありがとう😉👍️🎶
昔の車内放送ってこんな感じだったんだ!ある意味衝撃です。
昭和50年~55年迄は上野から青森迄 利用してました。お茶と冷凍みかん +駅弁 を必ず 買ってました。
こう言う音声は貴重です、映像でも懐かしさありますが音声でも懐かしさはあります、いろんな事がよみがえります。
コメント有難うございます。本当に貴重になりましたね。
懐かしい。
当時の私は、帰省の特急券が取れない父に、急行で帰るのは嫌だと駄々をこねていたクソ生意気な少年でした。
そんな時、母の友人に親戚が国鉄マンがいて、すんなりこの「ゆうずる」の券を取ってもらいました。
あの乗車した時の喜び(物凄く興奮しすぎて一睡もできなかった)は、何十年経った今でも忘れられません。
自分の言葉で、経験で語っているもんなあ…
伝わるわあー、安心!
誠実一路!これぞ車掌さん、素晴らしい!アップありがとうございます(^-^)/
懐かしい――国鉄時代の車内放送 思い出ですね
正に「鉄道唱歌」に相応しい見事な車内放送だ。
車内放送がなかなか旅情ありますね!
今でも寝台特急ではこんな放送していただきたいです…。
現存するサンライズで、こういう車内放送を再現できるかどうか…ですね(^_^;)
国鉄時代独特の昭和の温かさを感じさせる放送ですね😃
とても温かみのある車内放送、思わず吹いてしまいました(^^)
それにしても、『ゆうづる』だけで電車と客車合わせて5往復とかあった時代が懐かしいですね!
ゆうづる7往復と十和田3往復です
今走ってないですけど、私自身乗ってましたので、ありがたい放送でしたねぇ。平成だとだいぶこのような親切な方見られなかったですねぇ。懐かしいですありがとうございました。
仕事熱心な車掌さんですね。楽しみながら仕事してるみたいです。
今はおカネとクレームが無いようにするのが仕事のような感じかな。時代の流れで片付けたくない任じ車掌さんですね。
「青森」の言い方が東北訛りで親近感ある
・電車
・10分
・全然ありません
と関西イントネーションに近い言い回しです。
ホンマ親切丁寧な車掌さんや。
お見送りのお客様、今すぐ降りてください。wwwwww
この車掌さん、これまでの乗務で散々深夜に弁当やら飲み物やらが手に入らないか聞かれてイヤになった&ヤケになっちゃったんだろうね。
高速バスの案内みたいで面白い。今のJRにこそ必要な案内の仕方だと思う
親切の極み
親切な車掌だなあ
はじめまして、何度も聴かせてもらってますが本当に当時の発車前の車内の感じが手にとるように感じます、録音機器の古さとかも有るんでしょうね! とにかく懐かしいの一言、有り難う御座います!
今となっては何もかもが懐かしいですね。
マジでなんと親切‼️
チャイム懐かしいですね。
今は新幹線の見送りで「離れて下さい」、まだ離れ無い客に「離れて下さい」と最後強めの口調になる
刻がゆっくり流れていた時代でした!これが本当の旅です。今はスピードを競い合い旅より単なる移動手段に成り下がってしまった!この頃が懐かしい!
ゴミを置きますと、不潔でございます‼️
本当にそう思います、今、その辺にゴミを放置する人にいいたい🎉
いかりやさんを彷彿させる、えー、ございます口調がよいですね❤
平(たいら)駅懐かしいですよね😄現在は、いわき駅になってますものね。
1980年に583系ゆうずるで青森⇒上野まで乗車しましたが、この音声は懐かしい。
めっちゃええひとやなーーー
0:14からの言い回し最高。でも冷酷な中にも温かみがあるよ
青森2110
上野635
ですか
21世紀にも通用するダイヤの特急ですね
JR東日本さん走らせてくれないかなぁ。
だって、奥中山を最高120㎞/hですっ飛ばすんだもん、速いよ
アナウンスは人間が人間相手にする接点。親に連れられた旅行ではない、初めての長距離旅行は、88年の急行八甲田。自由席だからと、14時から並んでいました。1号車でしたが、その前にMOTOトレインが連結されてました。リバイバル青函連絡船に乗り、シップホテルで青森に泊まったり。でも音声は残っていません。。記憶が薄れる前に、直後からレポート用紙に乗車記をひたすら書きました。今ではそれが唯一の思い出。高1の頃です。
40年前にのりました 国鉄時代でしたか 下段の寝台は寝台列車のA寝台波の広さでした はくつるは東北本線だったと思いますが なんともなつかしい主様に感謝
マニュアル人間ではない、人情車掌。
ですねー👍最近はJRの車掌もバスの運転手もマニュアル人間ばかりですね‼️こんなベラベラ面倒くさい案内は最近では聞く事はできませんね😂😂😂「わかったけもういいちゃ、うるせーったい‼️‼️」ち言いたくなりますね😂😂😂しかし味があっていいです👍👍👍
今ならありえない車内放送ですが、この時代の方が温かみがあります。
人気にて増発?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両連結を製造に専門型?似た機関車型。
今は寝台列車はサンライズ瀬戸・出雲だけになってしまいましたが…
この時代、寝台列車はまだまだ主役で、自動放送は当然の事ながらなく、車掌さんのアナウンスでした。
人間臭みが良い意味で効いていて、(寝台)列車に乗ったと実感した記憶があります。
都会で仕事して、里帰りで乗ると、故郷に帰るのかと感じていました。
寝る時の子守唄は静かに聞こえる走行音と踏切のかすかな光。これで十分。
寝台列車、企画でも構わないからやって頂きたい。アナウンスは無論、このような人間味ある車掌さんで。
場をわきまえない仮面ファンは立入禁止で。
いつ聞いても国鉄らしいね。時代の違いを感じますね。
貴重な車内放送をありがとうございます。
このような国鉄の車内放送を聞くと小さい頃に親に乗せてもらったはまかぜ号の車掌さんの名調子を今でも思い出します。今はそのような車掌さんも引退され、若者ながらこの何年かでJRは変わったように感じられ、国鉄時代を羨ましく思います。
ですが、私達が素晴らしいと感じる国鉄の栄光とは裏腹に駅員の対応はひどいの一言だったと父が言っておりました。
実際に切符を購入した際、煙草をふかしながら放り投げて渡されたそうです。
その点でJRになってサービスを重視するようになり、印象が大きく変わったようです。
しかし、それを聞いてもなお列車に乗ると車掌さんが国鉄風の車内放送をしてくださるのを夢見てしまいます。
昭和ノスタルジックやな❗車掌さん最高です
3:05
183系1000番台と並ぶのは貴重ですね。
…丁寧な車掌さんですね✨感動しました🎵
記録残してくれてありがとう
コメント有難うございました
この列車の車掌さん優しさをかんじます😉
いわきじゃなくて平ってところが良いね
主さんの旅情たっぷりという表現がピッタリですね。
車内アナウンスを聞いているとドキュメンタリー映像のナレーションのようにも聞こえてきます。
この車掌さんはそんなところからもヒントを得ながら車内アナウンスされていたのではないでしょうか。
すばらしい記録音声でした。
語り掛ける口調の車内放送。初めて聞きます。ナレーションのようで素敵ですね。
国鉄らしい放送ですね。
懐かしいですね。若き日を思い出します。この時代は駅のホームや車内でもタバコはどこでも吸えましたね。駅の柱に吸い殻入れがありました。
コメントありがとうございます
3:43の鉄道唱歌の音程珍しいですね。
そしてこの車掌さん面白い方ですね!
583系のゆうづるや583系のはくつるは1度は乗ってみたかった。それと583系みちのくも。
いかりや長介さんを思わせる口調ですね。青森駅での売店の利用を促したり発車の際の放送など平成の人間の自分からすると、この時代はおおらかだったことが伺えます。
もしものコーナー寝台列車編ですか?
いや~旅情有りますね、
まるでドラマみたい
コメント有難うございます。
私の知る限り、青森駅発は上野行き列車に東北本線周りか、奥羽本線周りしか無いからだと思いますが?青森駅発車時には駅員さんが東北線周りと放送しています。
国鉄時代の車掌さんの方が、今のJR車掌さんより人間味があるよねー最近は自動放送が多くなってきたし^_^
1:42 「売店をご利用の方は時間がありませんのでおやめください(無慈悲)」
黄金期の13両編成ですね!
昔の 常磐線は 寝台特急が たくさん
走ってたし 平機関区もあったし
常磐炭鉱時代は 石炭も 運んでたし
今より 活気が あったよね
常磐線経由ですね。当時は夜行急行""とわだ""も走ってました。懐かしい。所要時間や移動コストを考えると飛行機や長距離バスには太刀打ち出来なかった。
懐かしいなあゆうづる。青函連絡船からゆうづるに3度乗ったよ。初期のスーパー北斗も、札幌出ると函館まで東室蘭以外止まらない(今は止まる)特急で似てる。
おぉ!ゆうづるだー
この頃まだ青函連絡船があったんだよね。
これ本当ですか?ビックリ⁉️ この年代よく乗っていましたが ここまで喋る車掌さん居たのかと、ビックリしてます‼️
車掌さん案内が凄い丁寧に
紹介しています。
感謝状です。
風が吹きすさぶ・・・
面白い車掌だなw
車内販売と食堂車無く
大変
青森駅前に弁当お茶を買いないと
700キロ以上落ち着かない
あけましておめでとうございます。
懐かしいですね!583系ですね。この車掌さんも今は現役を退いたのでしょうかね~
今の時代はすぐにクレームがきますからね。昔は結構許し合ったものですが・・・
夜遅い時間に青森を出発して朝は6時くらいに上野に着くので夕飯は食べてから乗れるし上野に着いてから早朝からやっている飲食店に行けば良いしこの頃はまだトンネルではなく連絡船の頃かな?船内にも食堂もあるし売店があって弁当も売っていたかと思うのでそこで買って来れば良いから食堂車や車内販売がないのかと思います。
コメントありがとうございます。
確かに現在の言い回しとは違いますね。
時代の流れでしょうか?
「ゆうずる」「はくつる」「はつかり」「あけぼの」583系を押し付けられた、特急はみな絶滅。
飛行機の機長のアナウンスみたいですね。
583系寝台は、ハネの下段に乗るためにある。サロも乗車したがハネの下段の方が良かった。
北海道へは20回以上行ったが、
東北本線上りは、東京に帰るので途中寄り道しない場合、本当につまらなかった。
そういうことも思い出の動画をありがとうございました。
どこの駅も買うような駅はございません(笑)
昔の車内アナウンスの方が良かったな。
effort 80
コメントありがとうございます。
面白いですねー
2号車、4号車、7号車、10号車
モハネ582の両端はパンタグラフがある為、
パン下中段
本当に当時の接客は悪かったのかと疑問になりますね。当時を知る方実際はどうでしたか?
それが当たり前と、特に違和感は有りませんでした。
国鉄良いな!味がある
八戸の次は北福岡。
二戸駅を北福岡と言った時代を知らない世代のほうが今は多くなったのだろうな。