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このなんともいえない国鉄時代の旅情が好きすぎる…タイムスリップしてぇぇ
函館の雪降る寒い中、ホームで乗車前に立ち食いそばをすするおじさんが羨ましいです。今では車内販売が廃止の一途をたどる中、おおぞらでは札幌で車内販売の補充も見受けられましたね。
tsuka5116 古き良き風景
国鉄の導入計画は成功し、その後183系は北海道特急のエースとして鉄路を支えた。輝かしいです!
この女性ナレーターとBGMがいかにも時代を感じさせますね
面白いですね。時代によって話し方がちがうなんて。よその国でもそうなんですかね?
まだ地方に人が沢山いた時代
編成が長い。
北海道の各地が元気だった頃こんな時代に生きたかった
古き良き昭和の鉄道の映像、今は完全に失われたものや未だ微かに面影を残すものもある風景に、目が潤んできました。貴重な映像を本当にありがとうございます。
北海道ワイド周遊券があれば、宿に泊まらなくても夜汽車で二十日間遊びまくれた夢のような時代…
昔使いました。いい時代でしたね。
私も北海道ワイド周遊券を使って、北海道を一周しました。全て車中泊、若かれし頃だけど、家に帰ってから1週間ぐらい、体調がおかしかった思い出があります。確かにあの頃は楽しかった。昨年北海道に行ってきましたが、夜行列車がないのが寂しかったです。
夜行急行に鈍行もありましたよね。
からまつ
懐かしいですね。40年前に戻りたい!
これからこの大地に時速300キロ以上の高速列車ができて大変便利だろうと思いますがやっぱり連絡船やブルートレインの方が旅らしくていいですね
キハ183初期型の力強い爆音、しかも10輌編成でマジ痺れます。アップ有り難う御座います。国鉄時代でも新型導入車輌の説明が車内放送で行われていたんですね。
中山和也 因みに画像のは試験車であった900番代ね
@@スーパーおおとり シートの色がレギュラーグループと違うしね。781系電車のシートと同じ色。自分が車内販売のアルバイトしてた頃は試作車達もバリバリ活躍してはいたが、試作車の車販準備室は後の増備車のそれより狭苦しく、使い勝手が悪く苦労したっすわ(笑)。
キハ80系の老朽化した置き換え用だからな
その昔、学生時代、青函トンネルが開通する直前のころ、上野から夜行に乗り、青函連絡船で函館に着き、そこからこの特急おおぞらで旭川まで乗車しました。運よく函館から自由席に乗れたのですが、座れなかった50代前後のおじさんが私の近くに立って乗車していたのを憶えておりますが、そのおじさん、札幌までの4時間ずっと立ちっぱなしでした。まだ若かった私ですが、「どうぞお座りください」って譲ってあげればよかったと今更ながらに後悔しています。もう30年以上前の話ですから、そのおじさん今でも健在かなあ?青春時代の思い出でした。
貴重な動画をありがとう。今と違って、快適で情景を感じながら移動出来ることがアピールポイントなんだなぁって感じですね。今だと、クルーズトレインみたいな例外を除いて、短い時間で目的地へ快適に移動する空間がアピールポイントなことがあるので、時代によって異なる価値観を感じながら動画を楽しみました。
この時代の感覚がいまだに抜けず、キハ183系や50系客車を新型だと思ってる昭和なオレ。キハ183スラントやレッドトレイン、もうないんだよな(涙)
らいちゃん 私も全く同じ感覚です。キハ40系もまだ新型って思ってます。
激しく同意!
この動画は昔みどりの窓口って番組で見た
キハ183 以外にも国鉄車だと117系や185系、201系 私鉄だと阪急7000系や、営団8000系も同じ時期にデビュー
当時親に買ってもらっていたNゲージTOMIXのカタログを見ながら「183系斬新な顔だなー」って思ってた。カタログ上でもまだ現物じゃなくて図面の状態。「この時代の感覚がいまだに抜けず」まったく同じです(笑)!
1980年頃だったか、門司港発柳ヶ浦・後藤寺行き帰宅列車が50系客車で、行橋までは13両編成の堂々たる編成のレッドトレインで、累積赤字にあえぐ末期的症状の断末魔な国鉄は、あたかも線香花火の最後の火の玉のような芸術の域にあった。
この頃乗っている50系客車が、今後通勤ディーゼル車になるなんて、誰も思っていないと思う。
まして筑豊本線を電化して新型電車投入なんで予想した人は居なかっただろうな。
この映像は、鉄道ジャーナル社が制作しており、現在でも 「鉄道ジャーナルDVD」 として入手可能です。
何というタイトルのDVDでしょうか?
「思い出の国鉄 (前編) 」 です。元々、鉄道ジャーナル社は、動画タイトルが示すように、国鉄から依頼されたPR映像を手がける企業で、1968年 (だったかな?) に雑誌 「鉄道ジャーナル」 が創刊されました。PR映像は当時の交通博物館とか、テレビ朝日 (当時はNETテレビ) で放映されていた鉄道情報番組 「みどりの窓口」 でも流れていました。それらをビデオ化して販売していたのですが、後にDVD化して再発。シリーズ化されていて、昭和国鉄の時代に活躍した列車が数多く登場します。
ぼくそのDVD手に入れたい!
東京在住なら、書泉グランデか書泉ブックタワーが手っ取り早いかな。
ありがとう。ぜひ行ってみますね。
この時に旅をしたかった(泣)
40年も前だ、仕方ない、時は流れる
貴重な映像をアップして下さりありがとうございます。昔の函館駅、とても懐かしいです。
車販孃が売っているお茶も懐かしい…
石勝線がまだ開通してなかった頃、滝川まわりのおおぞらで釧路まで行きました。食堂車も連結していていい時代でしたね。
当時は当たり前だと思っていたものが、実は大変貴重なものだった。過ぎさってから後悔する人間の、なんと愚かなことか…。(涙)ああ、あの時…。(悔)
あとの祭りって、正にこのことなんだよなぁ~(;´д`)今になって思えば、国鉄も正に莫大な赤字抱えてた中で新たな車両をいつの間にか開発していたとはねぇ~50系客車然り、キハ183系特急気動車然り・・・・・
前代の80系に何回も乗りました。函館→釧路間、いや〜長かったこと記憶してます。青春時代の思い出一杯詰まってます😂青函連絡船もよかった。
0:04 吹雪の中を行く青函連絡船の姿が勇ましい。
まさしく「津軽海峡冬景色」
そう、この歌が青函連絡船の旅路にピッタリですね。
降雪時疾走する183型 風情があってよいですね。当時の方は10時間 列車に載る気分は如何だったのか?今では贅沢な旅ですよね。後半の客車ですが昭和63年位までは札幌~小樽間を電気機関車が牽引していた記憶が。免許試験場に行くのに札幌駅から手稲駅まで乗車した覚えがあります。
50系の車両は、高校時代に通学していた時に乗っていた。内装も同じだった。懐かしい。
てかめちゃくちゃ混んでる、今じゃこんなに混まないような
淡白直樹 それだけ北海道が元気だった時代ですわ
50系客車の思い出は10代の良き思い出。北海道から四国まで一生忘れません。
おおぞらが滝川経由という事は、石勝線の開通前ですから今よりもかなり遠回りですね。この時代はまだ鉄道で長旅する人が多かったと思います。
札幌でスイッチバック、座席を回転させてたのが懐かしい。
今は 飛行機 利用が 多くなった
10:11 なるほど。まさにレッドトレインはブルートレインの反対語と言うわけですね。意味:レッドトレイン ⇒ 各駅停車 短距離ブルートレイン ⇒ 特急、急行 長距離
その『レッド』に国鉄の世の末を暗示しているような気が・・・(;´д`)
50系客車は、90年代前半に東北で乗った。首都圏のコイルばね電車より造りは新しく、機関車に機器が集中してるから惰性走行が静か。快適だったな。
20年以内で大半が引退したけど、15年程度で廃車して、次の世代で運行システム併せて更新って考え方は、209系以降が持つ思想と奇しくも通じる。よき“世代つなぎランナー”でした。
運転を適当にする機関車運転士だと、発車時のガツーン!!が凄かったがな。
くしろ くしろー くしーろー って3回言うのが当時っぽくてたまらない
これが昭和の鉄道の旅心(^-^)
貴重な映像ですね。ありがとうございます。
7:57 旧型客車も今では懐かしさあふれる客車で、SL列車や臨時の客車列車には欠かせないものです。
昭和末期じゃ旧客はハズレ列車って思ってました。夏は暑いし冬は隙間風便所は総じて臭くて汚い。
旧型客車は今じゃ信じられないけど、乗降扉は手動式で走行中にも開放できたんですよね。
tsuka5116 だから停車寸前で下車発車すぐなら乗車が出来たただし車掌に怒られましたけどね
イギリスではまだ現役ですけどねww
走行中、高校生がよく悪さしましたね(笑)
tsuka5116 それで宮城道雄 氏が転落したかと
自分は降車時でした。ホームを歩いて駅員さんの前を横切るその瞬間、小声で「飛び降りたらつまらん(いけない)ぞ!」と、巻いたフライ旗の柄でケツをはたかれましたw 場所は、九州の玄関口と称されるK倉駅・・・。忘れもしない、日豊線経由で門司港へ向かうED76牽引の上り列車でしたねー
改良型とはいえ、つい最近まで183系が走っていたんですよね。石勝線が開通していないとはいえ、滝川から根室本線経由で釧路まで走るとは、道路網が脆弱であった当時でこそあり得た長距離運用ですね。
高速道路がかなり開通したからね
まさに『津軽海峡冬景色』ですね。
50系は子供の頃快速海峡で辛うじて乗ったのが唯一の思い出。既にレッドトレインではなかったけど。
いいなぁこういう旅。00年代生まれの自分には味わえない魅力だ
0:05 吹雪の海を行く青函連絡船が、いかにも勇敢な船って感じがしますね。1:04 キハ183系を初めて採用されたのが、この「おおぞら」ですよね。本当に懐かしい姿ですね。7:11 赤い電気機関車と赤い客車のコーディネートがバッチリですね。
ヘッドマークのタンチョウ(鶴)が、いかにも北海道の特急らしさを物語ってますね(^-^)さすが『おおぞら』と言ったところか・・・そう言えば鶴もアイヌ民族の世界では『サロルン・カムイ』っていうくらいだからねぇ~(^-^)
3:49 このキハ183系ディーゼル特急は新製時から食堂車がないので、このようにお弁当や飲み物などの車内販売をやっていたのです。
Poron Yumeno さん車内販売も減ってきてさみしい感じがします。
そうですよね。今のJR北海道の特急全ては車内販売が乗らなくなったんだから。その時は列車に乗る前に弁当や飲み物を買う方がベストですね。
仲宗根康太 せめて自販機は設置して欲しいと思う
@@仲宗根康太-v5t だから駅に最近セブンイレブン多くなった訳だ(爆)
今は列車に乗る前に昼飯を済ませる方がいいですよね。
駅弁も乗り継ぎのときにコンビニキオスクで買わなきゃならない
今のキオスクってコンビニと化してますからねぇ~(^-^)下手したらセブンイレブンになってみたりローソンになってみたり、はたまたファミリーマートになってみたりといった感じで((((;゜Д゜)))
@@tomohikosatoh8897 JR西は殆どセブンイレブンになってますね。
20年くらい前は、筑豊辺りまだ50系客車みることは、あったな。乗ればよかった。
電化前日まで走ってましたね
ナレーションのワードチョイスがいちいち良いな
× 座り心地のいい○ かけ心地のいい品のいい言葉を遣いますよね
希望に満ちた短距離ランナーもあっという間に姿を消しましたね……
お茶の容器が懐かしいですね。\(^o^)/
背面の突起を削り取ったら貯金箱になったんだよな。持ち帰っても使うことないのに持ち帰ってしまうんだ。
長旅は憧れてだった。大人になったら寝台列車に乗り倒すつもりだったのに、今じゃサンライズだけ…客車の包容力が欲しいんだな…
幼児「こくてつのおちゃだ!!」
@@tsubossie その『国鉄のお茶』は、キオスクが〝変身〟したセブンイレブンで『(伊藤園の)おーいお茶』と名を変え、ペットボトルとなった訳じゃそうな(^-^)
今はペットボトルが当たり前ですものね。
51系客車なら1992年に札幌→小樽で乗った。8両もの圧巻編成で今思えば貴重なシーンだったが手元にビデオカメラがなく撮れなかったのが残念。この動画で当時の記憶が蘇ったよ!
DE10牽引の50系、SLもおか号を思い出しますね。昨年(2019年)2月、SLもおか号20年ぶりの汽車旅を満喫しまして、DE10牽引の50系真岡行きを体験しました。なんとかC11 325のお別れ乗車で別れを惜しむことができて最高でした。ちなみに今、日本で唯一の50系動態は真岡鐵道だけです。
懐かしいお茶の容器の横に、さりげなくみかんがある昔、キオスクの売店で冷凍みかんを売っての思い出した
今冷凍みかんってあるのかな?
いいですね~駅のホームでうどん🍜食べたりお弁当買ったり時代を感じます日本人とそして地方の活性感が凄い
今より言葉が上品
50系客車懐かしいなぁ。学生時代に乗ったなぁ。俺の時代は門司港~飯塚を数往復するだけになってたけど。
13:03北海道向け50系51形登場!!!
貴重な映像をありがとうございます。キハ183スラントノーズじゃつい最近現役引退。50系客車はJRからは全車引退しているが、もおか鐵道で3両現存。SL「もおか」で使われているけど、色は違えど内装はほぼそのまま。50系客車がデビューしたときって国鉄線からSLが全車引退したあとだから実はSL「もおか」って50系客車が国鉄→JRで現役の頃はSLと組んでいないからある意味不思議な組み合わせなんですね。思い出した、50系客車は「客車」としてはJRに現存しないけど、気動車改造された車両が走っていますね。SLに牽引されるからほぼ客車だけど。。。
50系基本番台車は確かに引退していますが、SL人吉号用の客車がJR最後の50系客車になりますね・・・。
真岡鉄道に50系が居たとは知りませんでした。真岡には部品取りDE101014が居たと思うけど新製時の配置は広島機関区でした。50系の最初の配置先も広島運転所でしたから、これこそ不思議な巡り合わせでしょうか?
あと、北海道のノロッコ号で自由席として連結されてるオハ510もお忘れなく車番や塗色は変わったけど、車内はほぼオリジナルのままですよ
50系客車は最初は広島、最終は亀山でした
函館駅の旧駅舎がたまらん… 今ではホームの立ち食いそばすらないんだよなぁ orzおおぞら、函館~釧路の乗り通しをしてないのが悔しい…おおとりは上りで一度だけ全区間乗車出来ました。キシ80での食事も楽しみました50系51形、通学時にそこそこ乗ってました。一両だけの3ダァ車も数回乗れました
50系客車は快速海峡のイメージ。あとは、改造されたキハ140系
津軽海峡線50系客車乗ってた😭
分かりにくいが、函館駅のホームのシーン。釧路行き特急『おおぞら』網走行き特急『おおとり』稚内行き急行『宗谷』の3列車が見られる。国鉄末期ではあるが、かつての栄光を感じさせるシーンである。
bolaurel1 その後おおぞら は一往復を除き 札幌⇔釧路宗谷別れましたな
そうですね。その後1981年の改正で、『おおとり』は残りましたが、『宗谷』の函館~札幌間は特急『北海3号』になり、『おおぞら』の函館~札幌間は廃止、石勝線経由となりました。余談ですが、小生が1983年に初めて北海道に行った際、急行『八甲田』から函館11時20分着の連絡船に乗船し、さらに11時40分発の『おおとり』に乗り継ぎ、札幌着15時55分着だった事は36年経った今でも覚えております。
@@bolaurel1 北海は定期としては廃止されましたが臨時(季節)特急としてありますね。(名称失念、確か「ニセコ」だったかな?)
@@maruhiroya417 ズバリ、『ニセコ』です(^^)
@@tomohikosatoh8897 観光特急という位置なら北海よりもふさわしい名前ですよね、JR後の車両だと海山の差は縮められてたと言いますから山廻りの定期特急が無くなったのは残念です。
長距離移動でも、ぐずらずにおとなしく寝るお嬢ちゃん。こんな良い子は今はなかなかいないだろうね。
日本のいろいろなところが元気だった時代
減速した283系でもまだ今のほうが早い
駅のホームで立ち食いそば…🍜駅弁が売ってたり…懐かしい光景✨🍱キハの惚れ惚れするデザイン✨
横の、臨時寝台急行 『たっぴさき』も懐かしい
最後の函館時代ですね。この次の白紙改正から札幌中心に移行しました。時を同じくして、現在にいたる山線軽視(廃止への布石)がはじまったわけです
筑豊本線の一部と篠栗線は現在は電化され福北ゆたか線となっています。
0:21 1980年頃でもまだ『いい日旅立ち』のキャンペーンをやってるなんて根性ありますね。
令和になった今こそ夜行列車をどんどん復活してほしい今日この頃
6:58客車列車には、真の「ゆとり」があり、ロマンがあり、ドラマがあるって言いますからね。
フェリーの雑魚寝席ばかりの夜行列車とかあれば、若者に需要がありそうな気がします。
F Toru かつてのミッドナイトはまなすの一両の様な?
@@スーパーおおとり そうですね。ゴロンとシートでしたっけ❓高速バスにも対抗出来そうな気がします。
F Toru カーペットカー?
学生時代の昭和59年の2月、大阪発の白鳥3号と青函連絡船を乗り継ぎ初めて北海道を訪れました。早朝(未明)の函館駅にはいずれも札幌行きの82系北海号と183系北斗号が入線していましたが、迷わず北斗号の自由席に駆け込みました。気動車特急は当時、煎餅布団のような座席だった82系で運転されていた高山線の「ひだ」しか乗ったことがなく、183系がムチャクチャ快適だったことを鮮明に覚えています。
50系は86年夏休み東北旅行に行ったとき北上ー一ノ関間で乗りました。もうあの感覚はないんですね。
50系客車にはどだい明るい希望があるようには見えないのだが…
釧路駅ぜんぜん変わってない!
今思えば、この特急「おおぞら」で函館から釧路まで10時間だなんてきつそうな旅です。
それでも183系登場当初は石勝線が開通しておらず、相変わらず滝川富良野経由で特急が運行されていたために所要時間10時間以上も無理無しだったそうです(^-^)
身体はきつかったけどキハ183系登場以前の82系の頃は食堂車も連結されていたし、それなりに楽しい旅でした。何よりこういうのが普通だったので(笑)
国鉄時代の勇姿ですね!🤩
うわ、細い提げ紐のついたお茶とテトラパックの牛乳?が懐かしいです。
しかも,北海道ならでは?の『よつ葉3,4牛乳』なるロゴが秀逸。
ゆうづると青函連絡船に乗っておおぞらに乗って北海道旅行 たのしそう
今の感覚だと疲れるだけかもしれないけど、当時はこれが当たり前。何度も乗りました。楽しかったですよ〜。
183系おおぞらいいですね。まだ石勝線がない頃ですね。50系はディーゼルカーに改造されいまでも北海道を走っています。
このころ誰が想像しただろう50系客車が気動車になるということをw
当時、レッドトレインという名前は知りませんでしたが故郷に帰省するのに山陰本線の下関ー益田間でよく乗ってました。最後尾の車両からモクモクと蒸気が出ていた記憶があります。
1:48 の駅弁売りのおっちゃん、あの頃の鉄道雑誌に度々写真で写ってたから未だ見覚えがある。
'54年のローレル賞懐かしいなぁ…この頃、京阪神快速にはグリーン車細々残ってた夜行特急に夜行急行この頃に戻りたい。。
釧路駅1番ホームが今も殆ど変わっていない
本来、これぐらいの移動がちょうどいいと思うけど…北海道の大きさ、距離感を感じられる
木目調の仕切板が暗く感じるが、どことなく落ち着く、試作車はヘーゼルナッツで量産車はロームブラウンの座席だった
伯備線のシーンは旧型合造車付き、この手の記録映像は侮れない
ン( -_・)?合造車ってことは?郵便+荷物か? 荷物+座席か?それとも郵便+座席か?(^o^)
Tomohiko Satoh 座席+座席もある1等+2等とか
皆様コメントありがとうございます。はっきりとは判明できませんでしたが、動画中で50系と併結していたのはオハニとかオハユニなどの座席+荷物またはそれら+郵便の合造車にみえま。
50系の赤ってすぐ退色して、艶消しの紫になるんだよね。旧客のぶどう色は茶色!ぶどう色ってのは色褪せた50系!ってくらいに。
昔の函館駅懐かしい。車内販売のお姉さんが売っている弁当やお茶がいいですね。あのプラスチック容器のお茶は、きっと熱くてグニャグニャです。テトラパックの牛乳もいい!釧路駅のプラットホームは、暗くてよくわからないけど、現在と大差は無いような感じがする。特に改札口から見た景色はいいですね。昭和30年代後半から40年代前半にかけての5年間、私は北九州市小倉区で過ごしました。その時に筑豊炭田の事や八幡製鉄のことを習い、北九州にまだ活気があった時代のことを知っています。直方、飯塚は、10年位前に行ったけど、ずいぶん変わりましたね。
福岡市民のおっさんですが北九州や筑豊と無縁だったので、50系客車を見たことがありません。他の鉄道系動画で知った位です。
京都鉄博に1両展示してます。
まだ道内の特急が函館起点だった頃ですね。183系の山線まわり、北海に乗ったことを思い出しました。それにしてもキハ82のマスクはいつ見ても色あせないなあ。
ああ、何という青函連絡船の懐かしさ(;´д`)
ニセコ方面が廃線になるとは思わなかったひと。
12:10 懐かしい。播但線の姫路駅ですね。当時赤い50系客車をDD51やDE10で引っ張ってたよなー。高校時代はこの列車のお世話になってましたね。この時はもうJRになってましたけど。あとはキハ40系や急行落ちしたボロい58系も走ってました。卒業して10年後に姫路~寺前間が電化されて、現在の播但色の103系電車がメインに。早朝には221系も走ってますね。
追分から石勝線に入るのかと思ったらこのころはまだなかったんですね。まさか滝川まわりとは。
石勝線が開業したのはキハ183がデビューした翌年の10月。それまではご承知のとおり滝川経由でした。
ニュータイプの50系は最新の技術を取り入れた画期的な客車↓後に画期的な通勤型気動車141系になりました。↓更にJR東日本に売り飛ばされ、魔改造を受け【SL銀河】の補機として強調運転を行う画期的な客車っぽい気動車となりました。
更にその後、気動車なんだか客車なんだか分からないSL列車になりました
キハ33系(1989年登場)もキハ141系(1989年登場)と同じく50系からの改造です
8:04 レッドトレインに使われている赤い客車とってもキレイね。ポロンはね、このかわいいワンピースのように赤いのが大好きなの。(ポロン)
これはまさに、INTERURBAN6304さんにおすすめしたいです。今後の現地調査RUclips活動の参考になるといいですね。
03:55 この「熱でいかにも何か析出してます」っていう塩ビ臭いようなポリ茶なついな
今見ても、それほど古く感じないんたから、日本の鉄道技術はとんでもなく優れているね。
50系客車なら、奥羽本線・青森~川部で、小学校の頃よく乗った。末期は津軽海峡線用に改造されて、蟹田まで乗った。懐かしい😭
短い編成で乗客がキツキツの気動車に乗ると、ゆっくりゴットンの客車はありがたかったと、つくづく感じます。
札幌ー釧路はいまのスーパーおおぞら9号の時刻に近い
10時間…すごい!
いやー良い動画ですね。当時は「新型」とされていたもののよくよく考えてみるとキハ183のエンジンは非力なdmf15を2つにしたようなそれほど性能が向上したともいえないものだったんじゃないですかね。だからこそ、その非力なエンジンを唸らせながら石北峠を越えていくのが大好きだったんですがね~はて、今もさして変わらないんですか? はーそれにしても風情がありますねぇノスタルジーを感じます。
181でやらかした(「つばさ」で板谷峠オーバーヒート)だけに投入は慎重でした、パワーも投入当初は181より落としてましたし。
赤い、ニュータイプと言われたら・・・
何と言ってもあの50系客車!
シャア専用○○だったりして(爆)
@@tomohikosatoh8897 そして「量産型ザコ客車」とdisられる50系www
今や初期車両は引退、後期型は廃車が始まっているこの頃
この頃から食堂車が削られていったんだなあ。ディーゼルだけじゃなくて電車の183系も食堂車がなくなったし。国鉄の晩期という感じがします。
183は最初が房総だったので当初から食堂車は考慮されてませんでした、耐寒仕様が上越に入った時にはもう食堂車に予算が割けなくなってまして古い181に食堂車を残してしのいでました。(昭和53年春迄)
貴重な映像ですね。
4:01 車内販売の飲み物は、テトラパック入りの牛乳のようですね。
ほとんどが北海道ならではの?『よつ葉3,4牛乳』ですね😃
このなんともいえない国鉄時代の旅情が好きすぎる…
タイムスリップしてぇぇ
函館の雪降る寒い中、ホームで乗車前に立ち食いそばをすするおじさんが羨ましいです。
今では車内販売が廃止の一途をたどる中、おおぞらでは札幌で車内販売の補充も見受けられましたね。
tsuka5116 古き良き風景
国鉄の導入計画は成功し、その後183系は北海道特急のエースとして鉄路を支えた。輝かしいです!
この女性ナレーターとBGMがいかにも時代を感じさせますね
面白いですね。時代によって話し方がちがうなんて。よその国でもそうなんですかね?
まだ地方に人が沢山いた時代
編成が長い。
北海道の各地が元気だった頃
こんな時代に生きたかった
古き良き昭和の鉄道の映像、今は完全に失われたものや未だ微かに面影を残すものもある風景に、目が潤んできました。
貴重な映像を本当にありがとうございます。
北海道ワイド周遊券があれば、宿に泊まらなくても夜汽車で二十日間遊びまくれた夢のような時代…
昔使いました。いい時代でしたね。
私も北海道ワイド周遊券を使って、北海道を一周しました。全て車中泊、若かれし頃だけど、家に帰ってから1週間ぐらい、体調がおかしかった思い出があります。
確かにあの頃は楽しかった。
昨年北海道に行ってきましたが、夜行列車がないのが寂しかったです。
夜行急行に鈍行もありましたよね。
からまつ
懐かしいですね。40年前に戻りたい!
これからこの大地に時速300キロ以上の高速列車ができて大変便利だろうと思いますがやっぱり連絡船やブルートレインの方が旅らしくていいですね
キハ183初期型の力強い爆音、しかも10輌編成でマジ痺れます。アップ有り難う御座います。国鉄時代でも新型導入車輌の説明が車内放送で行われていたんですね。
中山和也
因みに画像のは
試験車であった
900番代ね
@@スーパーおおとり シートの色がレギュラーグループと違うしね。781系電車のシートと同じ色。自分が車内販売のアルバイトしてた頃は試作車達もバリバリ活躍してはいたが、試作車の車販準備室は後の増備車のそれより狭苦しく、使い勝手が悪く苦労したっすわ(笑)。
キハ80系の老朽化した置き換え用だからな
その昔、学生時代、青函トンネルが開通する直前のころ、上野から夜行に乗り、青函連絡船で函館に着き、そこからこの特急おおぞらで旭川まで乗車しました。運よく函館から自由席に乗れたのですが、座れなかった50代前後のおじさんが私の近くに立って乗車していたのを憶えておりますが、そのおじさん、札幌までの4時間ずっと立ちっぱなしでした。まだ若かった私ですが、「どうぞお座りください」って譲ってあげればよかったと今更ながらに後悔しています。もう30年以上前の話ですから、そのおじさん今でも健在かなあ?青春時代の思い出でした。
貴重な動画をありがとう。
今と違って、快適で情景を感じながら移動出来ることがアピールポイントなんだなぁって感じですね。
今だと、クルーズトレインみたいな例外を除いて、短い時間で目的地へ快適に移動する空間がアピールポイントなことがあるので、
時代によって異なる価値観を感じながら動画を楽しみました。
この時代の感覚がいまだに抜けず、キハ183系や50系客車を新型だと思ってる昭和なオレ。キハ183スラントやレッドトレイン、もうないんだよな(涙)
らいちゃん
私も全く同じ感覚です。
キハ40系もまだ新型って思ってます。
激しく同意!
この動画は昔みどりの窓口って番組で見た
キハ183 以外にも国鉄車だと117系や185系、201系 私鉄だと阪急7000系や、営団8000系も同じ時期にデビュー
当時親に買ってもらっていたNゲージTOMIXのカタログを見ながら「183系斬新な顔だなー」って思ってた。カタログ上でもまだ現物じゃなくて図面の状態。「この時代の感覚がいまだに抜けず」まったく同じです(笑)!
1980年頃だったか、門司港発柳ヶ浦・後藤寺行き帰宅列車が50系客車で、行橋までは13両編成の堂々たる編成のレッドトレインで、累積赤字にあえぐ末期的症状の断末魔な国鉄は、あたかも線香花火の最後の火の玉のような芸術の域にあった。
この頃乗っている50系客車が、今後通勤ディーゼル車になるなんて、誰も思っていないと思う。
まして筑豊本線を電化して新型電車投入なんで予想した人は居なかっただろうな。
この映像は、鉄道ジャーナル社が制作しており、現在でも 「鉄道ジャーナルDVD」 として入手可能です。
何というタイトルのDVDでしょうか?
「思い出の国鉄 (前編) 」 です。元々、鉄道ジャーナル社は、動画タイトルが示すように、国鉄から依頼されたPR映像を手がける企業で、1968年 (だったかな?) に雑誌 「鉄道ジャーナル」 が創刊されました。PR映像は当時の交通博物館とか、テレビ朝日 (当時はNETテレビ) で放映されていた鉄道情報番組 「みどりの窓口」 でも流れていました。それらをビデオ化して販売していたのですが、後にDVD化して再発。シリーズ化されていて、昭和国鉄の時代に活躍した列車が数多く登場します。
ぼくそのDVD手に入れたい!
東京在住なら、書泉グランデか書泉ブックタワーが手っ取り早いかな。
ありがとう。ぜひ行ってみますね。
この時に旅をしたかった(泣)
40年も前だ、仕方ない、時は流れる
貴重な映像をアップして下さりありがとうございます。
昔の函館駅、とても懐かしいです。
車販孃が売っているお茶も懐かしい…
石勝線がまだ開通してなかった頃、滝川まわりのおおぞらで釧路まで行きました。
食堂車も連結していていい時代でしたね。
当時は当たり前だと思っていたものが、実は大変貴重なものだった。
過ぎさってから後悔する人間の、なんと愚かなことか…。(涙)
ああ、あの時…。(悔)
あとの祭りって、正にこのことなんだよなぁ~(;´д`)
今になって思えば、国鉄も正に莫大な赤字抱えてた中で新たな車両をいつの間にか開発していたとはねぇ~
50系客車然り、キハ183系特急気動車然り・・・・・
前代の80系に何回も乗りました。
函館→釧路間、いや〜長かったこと記憶してます。青春時代の思い出一杯詰まってます😂青函連絡船もよかった。
0:04 吹雪の中を行く青函連絡船の姿が勇ましい。
まさしく「津軽海峡冬景色」
そう、この歌が青函連絡船の旅路にピッタリですね。
降雪時疾走する183型 風情があってよいですね。
当時の方は10時間 列車に載る気分は如何だったのか?
今では贅沢な旅ですよね。
後半の客車ですが昭和63年位までは札幌~小樽間を
電気機関車が牽引していた記憶が。
免許試験場に行くのに札幌駅から手稲駅まで乗車した覚えがあります。
50系の車両は、高校時代に通学していた時に乗っていた。内装も同じだった。懐かしい。
てかめちゃくちゃ混んでる、今じゃこんなに混まないような
淡白直樹 それだけ北海道が元気だった時代ですわ
50系客車の思い出は10代の良き思い出。北海道から四国まで一生忘れません。
おおぞらが滝川経由という事は、石勝線の開通前ですから今よりもかなり遠回りですね。この時代はまだ鉄道で長旅する人が多かったと思います。
札幌でスイッチバック、座席を回転させてたのが懐かしい。
今は 飛行機 利用が 多くなった
10:11 なるほど。まさにレッドトレインはブルートレインの反対語と言うわけですね。
意味:
レッドトレイン ⇒ 各駅停車 短距離
ブルートレイン ⇒ 特急、急行 長距離
その『レッド』に国鉄の世の末を暗示しているような気が・・・(;´д`)
50系客車は、90年代前半に東北で乗った。
首都圏のコイルばね電車より造りは新しく、機関車に機器が集中してるから惰性走行が静か。
快適だったな。
20年以内で大半が引退したけど、15年程度で廃車して、次の世代で運行システム併せて更新って考え方は、209系以降が持つ思想と奇しくも通じる。
よき“世代つなぎランナー”でした。
運転を適当にする機関車運転士だと、発車時のガツーン!!が凄かったがな。
くしろ くしろー くしーろー って3回言うのが当時っぽくてたまらない
これが昭和の鉄道の旅心(^-^)
貴重な映像ですね。ありがとうございます。
7:57 旧型客車も今では懐かしさあふれる客車で、SL列車や臨時の客車列車には欠かせないものです。
昭和末期じゃ旧客はハズレ列車って思ってました。夏は暑いし冬は隙間風便所は総じて臭くて汚い。
旧型客車は今じゃ信じられないけど、乗降扉は手動式で走行中にも開放できたんですよね。
tsuka5116
だから
停車寸前で下車
発車すぐなら乗車が出来た
ただし
車掌に怒られましたけどね
イギリスではまだ現役ですけどねww
走行中、高校生がよく悪さしましたね(笑)
tsuka5116
それで
宮城道雄 氏が転落したかと
自分は降車時でした。ホームを歩いて駅員さんの前を横切るその瞬間、
小声で「飛び降りたらつまらん(いけない)ぞ!」と、
巻いたフライ旗の柄でケツをはたかれましたw 場所は、九州の玄関口と称されるK倉駅・・・。
忘れもしない、日豊線経由で門司港へ向かうED76牽引の上り列車でしたねー
改良型とはいえ、つい最近まで183系が走っていたんですよね。
石勝線が開通していないとはいえ、滝川から根室本線経由で釧路まで走るとは、道路網が脆弱であった当時でこそあり得た長距離運用ですね。
高速道路がかなり開通したからね
まさに『津軽海峡冬景色』ですね。
50系は子供の頃快速海峡で辛うじて乗ったのが唯一の思い出。既にレッドトレインではなかったけど。
いいなぁこういう旅。
00年代生まれの自分には味わえない魅力だ
0:05 吹雪の海を行く青函連絡船が、いかにも勇敢な船って感じがしますね。
1:04 キハ183系を初めて採用されたのが、この「おおぞら」ですよね。本当に懐かしい姿ですね。
7:11 赤い電気機関車と赤い客車のコーディネートがバッチリですね。
ヘッドマークのタンチョウ(鶴)が、いかにも北海道の特急らしさを物語ってますね(^-^)
さすが『おおぞら』と言ったところか・・・
そう言えば鶴もアイヌ民族の世界では『サロルン・カムイ』っていうくらいだからねぇ~(^-^)
3:49 このキハ183系ディーゼル特急は新製時から食堂車がないので、このようにお弁当や飲み物などの車内販売をやっていたのです。
Poron Yumeno さん
車内販売も減ってきてさみしい感じがします。
そうですよね。今のJR北海道の特急全ては車内販売が乗らなくなったんだから。その時は列車に乗る前に弁当や飲み物を買う方がベストですね。
仲宗根康太
せめて
自販機は設置して欲しいと思う
@@仲宗根康太-v5t だから駅に最近セブンイレブン多くなった訳だ(爆)
今は列車に乗る前に昼飯を済ませる方がいいですよね。
駅弁も乗り継ぎのときにコンビニキオスクで買わなきゃならない
今のキオスクってコンビニと化してますからねぇ~(^-^)
下手したらセブンイレブンになってみたりローソンになってみたり、はたまたファミリーマートになってみたりといった感じで((((;゜Д゜)))
@@tomohikosatoh8897
JR西は殆どセブンイレブンになってますね。
20年くらい前は、筑豊辺りまだ
50系客車みることは、
あったな。
乗ればよかった。
電化前日まで走ってましたね
ナレーションのワードチョイスがいちいち良いな
× 座り心地のいい
○ かけ心地のいい
品のいい言葉を遣いますよね
希望に満ちた短距離ランナーも
あっという間に姿を消しましたね……
お茶の容器が懐かしいですね。\(^o^)/
背面の突起を削り取ったら貯金箱になったんだよな。持ち帰っても使うことないのに持ち帰ってしまうんだ。
長旅は憧れてだった。大人になったら寝台列車に乗り倒すつもりだったのに、今じゃサンライズだけ…客車の包容力が欲しいんだな…
幼児「こくてつのおちゃだ!!」
@@tsubossie その『国鉄のお茶』は、キオスクが〝変身〟したセブンイレブンで『(伊藤園の)おーいお茶』と名を変え、ペットボトルとなった訳じゃそうな(^-^)
今はペットボトルが当たり前ですものね。
51系客車なら1992年に札幌→小樽で乗った。8両もの圧巻編成で今思えば貴重なシーンだったが手元にビデオカメラがなく撮れなかったのが残念。この動画で当時の記憶が蘇ったよ!
DE10牽引の50系、SLもおか号を思い出しますね。昨年(2019年)2月、SLもおか号20年ぶりの汽車旅を満喫しまして、DE10牽引の50系真岡行きを体験しました。なんとかC11 325のお別れ乗車で別れを惜しむことができて最高でした。ちなみに今、日本で唯一の50系動態は真岡鐵道だけです。
懐かしいお茶の容器の横に、さりげなくみかんがある
昔、キオスクの売店で冷凍みかんを売っての思い出した
今冷凍みかんってあるのかな?
いいですね~
駅のホームでうどん🍜食べたりお弁当買ったり時代を感じます
日本人とそして地方の活性感が凄い
今より言葉が上品
50系客車懐かしいなぁ。学生時代に乗ったなぁ。俺の時代は門司港~飯塚を数往復するだけになってたけど。
13:03北海道向け50系51形登場!!!
貴重な映像をありがとうございます。
キハ183スラントノーズじゃつい最近現役引退。
50系客車はJRからは全車引退しているが、もおか鐵道で3両現存。
SL「もおか」で使われているけど、色は違えど内装はほぼそのまま。
50系客車がデビューしたときって国鉄線からSLが全車引退したあとだから
実はSL「もおか」って50系客車が国鉄→JRで現役の頃はSLと組んでいないから
ある意味不思議な組み合わせなんですね。
思い出した、50系客車は「客車」としてはJRに現存しないけど、気動車改造された車両が走っていますね。
SLに牽引されるからほぼ客車だけど。。。
50系基本番台車は確かに引退していますが、SL人吉号用の客車がJR最後の50系客車になりますね・・・。
真岡鉄道に50系が居たとは知りませんでした。
真岡には部品取りDE101014が居たと思うけど新製時の配置は広島機関区でした。
50系の最初の配置先も広島運転所でしたから、これこそ不思議な巡り合わせでしょうか?
あと、北海道のノロッコ号で自由席として連結されてるオハ510もお忘れなく
車番や塗色は変わったけど、車内はほぼオリジナルのままですよ
50系客車は最初は広島、最終は亀山でした
函館駅の旧駅舎がたまらん… 今ではホームの立ち食いそばすらないんだよなぁ orz
おおぞら、函館~釧路の乗り通しをしてないのが悔しい…
おおとりは上りで一度だけ全区間乗車出来ました。キシ80での食事も楽しみました
50系51形、通学時にそこそこ乗ってました。一両だけの3ダァ車も数回乗れました
50系客車は快速海峡のイメージ。
あとは、改造されたキハ140系
津軽海峡線50系客車乗ってた😭
分かりにくいが、函館駅のホームのシーン。
釧路行き特急『おおぞら』
網走行き特急『おおとり』
稚内行き急行『宗谷』
の3列車が見られる。
国鉄末期ではあるが、かつての栄光を感じさせるシーンである。
bolaurel1 その後
おおぞら は一往復を除き 札幌⇔釧路
宗谷別れましたな
そうですね。その後1981年の改正で、『おおとり』は残りましたが、
『宗谷』の函館~札幌間は特急『北海3号』になり、『おおぞら』の函館~札幌間は廃止、石勝線経由となりました。
余談ですが、小生が1983年に初めて北海道に行った際、
急行『八甲田』から函館11時20分着の連絡船に乗船し、さらに11時40分発の『おおとり』に乗り継ぎ、札幌着15時55分着だった事は36年経った今でも覚えております。
@@bolaurel1
北海は定期としては廃止されましたが臨時(季節)特急としてありますね。(名称失念、確か「ニセコ」だったかな?)
@@maruhiroya417 ズバリ、『ニセコ』です(^^)
@@tomohikosatoh8897
観光特急という位置なら北海よりもふさわしい名前ですよね、JR後の車両だと海山の差は縮められてたと言いますから山廻りの定期特急が無くなったのは残念です。
長距離移動でも、ぐずらずにおとなしく寝るお嬢ちゃん。こんな良い子は今はなかなかいないだろうね。
日本のいろいろなところが元気だった時代
減速した283系でもまだ今のほうが早い
駅のホームで立ち食いそば…🍜
駅弁が売ってたり…懐かしい光景✨🍱
キハの惚れ惚れするデザイン✨
横の、臨時寝台急行 『たっぴさき』も懐かしい
最後の函館時代ですね。この次の白紙改正から札幌中心に移行しました。時を同じくして、現在にいたる山線軽視(廃止への布石)がはじまったわけです
筑豊本線の一部と篠栗線は現在は電化され福北ゆたか線となっています。
0:21 1980年頃でもまだ『いい日旅立ち』のキャンペーンをやってるなんて根性ありますね。
令和になった今こそ夜行列車をどんどん復活してほしい今日この頃
6:58客車列車には、真の「ゆとり」があり、ロマンがあり、ドラマがあるって言いますからね。
フェリーの雑魚寝席ばかりの夜行列車とかあれば、若者に需要がありそうな気がします。
F Toru
かつての
ミッドナイト
はまなすの一両の様な?
@@スーパーおおとり そうですね。ゴロンとシートでしたっけ❓
高速バスにも対抗出来そうな気がします。
F Toru
カーペットカー?
学生時代の昭和59年の2月、大阪発の白鳥3号と青函連絡船を乗り継ぎ初めて北海道を訪れました。早朝(未明)の函館駅にはいずれも札幌行きの82系北海号と183系北斗号が入線していましたが、迷わず北斗号の自由席に駆け込みました。気動車特急は当時、煎餅布団のような座席だった82系で運転されていた高山線の「ひだ」しか乗ったことがなく、183系がムチャクチャ快適だったことを鮮明に覚えています。
50系は86年夏休み東北旅行に行ったとき北上ー一ノ関間で乗りました。
もうあの感覚はないんですね。
50系客車にはどだい明るい希望があるようには見えないのだが…
釧路駅ぜんぜん変わってない!
今思えば、この特急「おおぞら」で函館から釧路まで10時間だなんてきつそうな旅です。
それでも183系登場当初は石勝線が開通しておらず、相変わらず滝川富良野経由で特急が運行されていたために所要時間10時間以上も無理無しだったそうです(^-^)
身体はきつかったけどキハ183系登場以前の82系の頃は食堂車も連結されていたし、それなりに楽しい旅でした。何よりこういうのが普通だったので(笑)
国鉄時代の勇姿ですね!🤩
うわ、細い提げ紐のついたお茶とテトラパックの牛乳?が懐かしいです。
しかも,北海道ならでは?の『よつ葉3,4牛乳』なるロゴが秀逸。
ゆうづると青函連絡船に乗っておおぞらに乗って北海道旅行 たのしそう
今の感覚だと疲れるだけかもしれないけど、当時はこれが当たり前。何度も乗りました。楽しかったですよ〜。
183系おおぞらいいですね。まだ石勝線がない頃ですね。50系はディーゼルカーに改造されいまでも北海道を走っています。
このころ誰が想像しただろう
50系客車が気動車になるということをw
当時、レッドトレインという名前は知りませんでしたが
故郷に帰省するのに山陰本線の下関ー益田間でよく乗ってました。
最後尾の車両からモクモクと蒸気が出ていた記憶があります。
1:48 の駅弁売りのおっちゃん、あの頃の鉄道雑誌に度々写真で写ってたから未だ見覚えがある。
'54年のローレル賞
懐かしいなぁ…
この頃、京阪神快速にはグリーン車
細々残ってた夜行特急に夜行急行
この頃に戻りたい。。
釧路駅1番ホームが今も殆ど変わっていない
本来、これぐらいの移動がちょうどいいと思うけど…
北海道の大きさ、距離感を感じられる
木目調の仕切板が暗く感じるが、どことなく落ち着く、試作車はヘーゼルナッツで量産車はロームブラウンの座席だった
伯備線のシーンは旧型合造車付き、この手の記録映像は侮れない
ン( -_・)?
合造車ってことは?
郵便+荷物か? 荷物+座席か?
それとも郵便+座席か?(^o^)
Tomohiko Satoh 座席+座席もある
1等+2等とか
皆様コメントありがとうございます。
はっきりとは判明できませんでしたが、動画中で50系と併結していたのはオハニとかオハユニなどの座席+荷物またはそれら+郵便の合造車にみえま。
50系の赤ってすぐ退色して、艶消しの紫になるんだよね。旧客のぶどう色は茶色!ぶどう色ってのは色褪せた50系!ってくらいに。
昔の函館駅懐かしい。
車内販売のお姉さんが売っている弁当やお茶がいいですね。あのプラスチック容器のお茶は、きっと熱くてグニャグニャです。テトラパックの牛乳もいい!
釧路駅のプラットホームは、暗くてよくわからないけど、現在と大差は無いような感じがする。特に改札口から見た景色はいいですね。
昭和30年代後半から40年代前半にかけての5年間、私は北九州市小倉区で過ごしました。その時に筑豊炭田の事や八幡製鉄のことを習い、北九州にまだ活気があった時代のことを知っています。
直方、飯塚は、10年位前に行ったけど、ずいぶん変わりましたね。
福岡市民のおっさんですが北九州や筑豊と無縁だったので、50系客車を見たことがありません。他の鉄道系動画で知った位です。
京都鉄博に1両展示してます。
まだ道内の特急が函館起点だった頃ですね。183系の山線まわり、北海に乗ったことを思い出しました。それにしてもキハ82のマスクはいつ見ても色あせないなあ。
ああ、何という青函連絡船の懐かしさ(;´д`)
ニセコ方面が廃線になるとは思わなかったひと。
12:10 懐かしい。
播但線の姫路駅ですね。当時赤い50系客車をDD51やDE10で引っ張ってたよなー。
高校時代はこの列車のお世話になってましたね。この時はもうJRになってましたけど。
あとはキハ40系や急行落ちしたボロい58系も走ってました。卒業して10年後に姫路~寺前間が電化されて、現在の播但色の103系電車がメインに。早朝には221系も走ってますね。
追分から石勝線に入るのかと思ったらこのころはまだなかったんですね。まさか滝川まわりとは。
石勝線が開業したのはキハ183がデビューした翌年の10月。それまではご承知のとおり滝川経由でした。
ニュータイプの50系は最新の技術を取り入れた画期的な客車
↓後に
画期的な通勤型気動車141系になりました。
↓更に
JR東日本に売り飛ばされ、魔改造を受け【SL銀河】の補機として強調運転を行う画期的な客車っぽい気動車となりました。
更にその後、気動車なんだか客車なんだか分からないSL列車になりました
キハ33系(1989年登場)もキハ141系(1989年登場)と同じく50系からの改造です
8:04 レッドトレインに使われている赤い客車とってもキレイね。ポロンはね、このかわいいワンピースのように赤いのが大好きなの。(ポロン)
これはまさに、INTERURBAN6304さんにおすすめしたいです。今後の現地調査RUclips活動の参考になるといいですね。
03:55 この「熱でいかにも何か析出してます」っていう塩ビ臭いようなポリ茶なついな
今見ても、それほど古く感じないんたから、日本の鉄道技術はとんでもなく優れているね。
50系客車なら、奥羽本線・青森~川部で、小学校の頃よく乗った。末期は津軽海峡線用に改造されて、蟹田まで乗った。懐かしい😭
短い編成で乗客がキツキツの気動車に乗ると、ゆっくりゴットンの客車はありがたかったと、つくづく感じます。
札幌ー釧路はいまのスーパーおおぞら9号の時刻に近い
10時間…すごい!
いやー良い動画ですね。当時は「新型」とされていたもののよくよく考えてみるとキハ183のエンジンは非力なdmf15を2つにしたようなそれほど性能が向上したともいえないものだったんじゃないですかね。だからこそ、その非力なエンジンを唸らせながら石北峠を越えていくのが大好きだったんですがね~はて、今もさして変わらないんですか?
はーそれにしても風情がありますねぇノスタルジーを感じます。
181でやらかした(「つばさ」で板谷峠オーバーヒート)だけに投入は慎重でした、パワーも投入当初は181より落としてましたし。
赤い、ニュータイプと言われたら・・・
何と言ってもあの50系客車!
シャア専用○○だったりして(爆)
@@tomohikosatoh8897
そして「量産型ザコ客車」とdisられる50系www
今や初期車両は引退、後期型は廃車が始まっているこの頃
この頃から食堂車が削られていったんだなあ。
ディーゼルだけじゃなくて電車の183系も食堂車がなくなったし。
国鉄の晩期という感じがします。
183は最初が房総だったので当初から食堂車は考慮されてませんでした、耐寒仕様が上越に入った時にはもう食堂車に予算が割けなくなってまして古い181に食堂車を残してしのいでました。(昭和53年春迄)
貴重な映像ですね。
4:01 車内販売の飲み物は、テトラパック入りの牛乳のようですね。
ほとんどが北海道ならではの?『よつ葉3,4牛乳』ですね😃