(生録)寝台特急「ゆうづる5号」車内アナウンス

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  • Опубликовано: 21 авг 2024
  • 上野発青森行きの寝台特急「ゆうづる5号」(583系電車)の上野駅入線から上野駅発車時の車内アナウンスまでを収録しました。昭和56年4月30日録音。

Комментарии • 151

  • @infiniti-bc9bc
    @infiniti-bc9bc 10 месяцев назад +7

    何故この時代の車内放送は癒やされるのでしょうか?
    今の自動放送にはない暖かさを感じます。貴重な記録ありがとうございました。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  10 месяцев назад

      癒されるのは、車掌さんが自分の声でアナウンスしているからなんでしょうね。そのうち、AIを使った人工音声で、人間そっくりな訛り入り車内アナウンスがされるようになるかもしれませんが。

  • @blue0848
    @blue0848 4 года назад +10

    亡くなった実父が国鉄の夜行列車の車掌で、上野車掌区勤務でした。
    RUclipsで車内放送サウンド集を聞きながら、どこかに父の車内放送の音声が残ってないか確認してますが、いまだに出会ったことはありません。(笑)。当時は夜行列車に乗れることがうれしかった少年時代。今だから白状しますが、父の乗務列車に乗る際、「パン下」の寝台がたまたまあいていたので使わせてもらいました。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  4 года назад +5

      昭和56(1981)~63(1988)年頃、帰省のために上野~青森間は何度も乗車し、大抵はウォークマンで車内放送を録音しておりました。RUclipsでは音源だけアップすることはできず、なにかしらの映像を背景にしなくてはいけないのがちょっと面倒です。

  • @user-ge4ro2ke3p
    @user-ge4ro2ke3p 7 дней назад

    東京訛りかな。高年と思しき熟練の車掌さんの声を聴いてるだけで、古き良き昭和時代にタイムスリップしたかの様だ。貴重な音声をありがたうございました。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 дней назад +1

      長距離列車では車掌さんの訛りがいやがうえにも旅情を引き立てましたね。

  • @kk1721920
    @kk1721920 4 года назад +10

    大学受験でゆうづるを利用しました。めっちゃ懐かしい。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  4 года назад +3

      新しい人生を歩み出すために「ゆうづる」を利用して新天地を目指した人は数多くいたでしょうね。

  • @user-en6yg8pw5h
    @user-en6yg8pw5h 3 года назад +6

    最高です。これ聞いて寝て当時の気分を味わいます。小さい頃、北海道のばあちゃん家に行く時に乗っていました。青函トンネルと北斗星ができる前はゆうづる→青函連絡船でした。本当ありがとうございます。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +5

      当時、札幌に帰省する時には色々な列車に乗車していました。鈍行乗り継ぎで上野から青森まで行ったりも。
      時間はかかりましたが、それなりに帰省を楽しんだものです。新幹線よりも「ゆうづる」乗車の方が遥かに楽しく、その分寝不足になっていました(小窓から車窓を楽しんでいたので。)

  • @yakiudohn
    @yakiudohn 10 лет назад +17

    上野駅に19番線があった時代ですね。現在では新幹線のコンコースになってしまいました。それにしても、ゆうづるはヘッドマークがいい!!蒸気機関車、ディーゼル機関車、寝台電車、電気機関車どれでもよく似合います。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  10 лет назад +11

      まさに「ゆうづる」のヘッドマークは秀逸の一言ですね。青い「はくつる」は比較的地味でしたが。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +6

      「ゆうづる」のヘッドマークのデザインは評価が高いですね。私も大好きです。

  • @user-gt1ej7op5w
    @user-gt1ej7op5w 6 лет назад +13

    最初のアナウンス前の音楽!!たまらなく懐かしい、、幼稚園の頃から寝台はくつる、ゆうづるには大変御世話になりました!!復活してもらいたい、、、、

  • @matunokura6028
    @matunokura6028  10 лет назад +8

    学校を卒業すると北海道を出て、本州で働いておりましたので、1年に3回の帰省では鉄道ファンらしく、もっぱら鉄道~青函連絡船~鉄道というコースを使っていました。「ゆうづる」以外にも583系では「みちのく」や「はつかり」を利用したこともあります。いわゆる「メタルデンスケ」という録音機を持ち歩き、暇な道中、生録に勤しんでおりました。583系では、空いている時には思いっきり脚を伸ばせるのが心地よかった思い出があります。

  • @MrHARIBOTE
    @MrHARIBOTE 5 лет назад +10

    到着時間の詳細
    (上野 21時40分発)
    水戸 23時08分
    平 0時22分
    盛岡 4時42分
    八戸 5時59分
    青森 7時05分
    ほかの方々の意見と被りますが、本当に停車駅の少ない特急だったんですね。
    この時代のダイヤを見ていると、現代目線のノスタルジーを感じる一方で、
    スピードが今より無いなりに効率的な長距離輸送をしようという部分が感じられますね。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro 3 года назад +1

      ゆうづる1号は上野、水戸、平、仙台、青森じゃ無かったでした?

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Год назад +1

      @@user-tabiichiro この動画は5号だからね。1号ならば多分そう。ちなみに、この頃は「ゆうづる」だけで7本あったから電車「ゆうづる」は対北海道、客車「ゆうづる」は対北東北っつー使い分け😉

    • @playboy4649japan
      @playboy4649japan Год назад

      当時は東北自動車道が仙台南までだったので寝台特急は有利だった。飛行機はまだ贅沢な乗り物だった。

  • @a6903239
    @a6903239 9 лет назад +20

    これだけ停車駅が少ないと、まさに「特別急行列車」という感じですね(北海道連絡の速達性を重視した結果でしょうけど)。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  9 лет назад +6

      当時はすでに多くの特別急行列車が日本中を走っていましたが、寝台特急列車は特別感が格別でした。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +1

      でも寝てしまえば停車駅の数はあまり意識しないかも。

    • @user-fh6vt5fu7s
      @user-fh6vt5fu7s Год назад

      客レで運転されていた列車が、盛岡以北の輸送に重点を置いていた様な・・・一戸・
      北福岡(現・二戸)・三戸・八戸・三沢・野辺地と停車(一部の駅は変則停車(千鳥停車)しておりました)。浅虫(現・浅虫温泉)に停車する列車はなかった様ですが。

  • @user-rr3hm1yv4i
    @user-rr3hm1yv4i 3 года назад +7

    583系は引退ぎりぎりの時に八王子発秋田行きの臨時寝台列車で乗車しました。
    防音性がとても良かったのが印象的です。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +1

      臨時とはいえ、八王子発というのは珍しいですね。

  • @TASHICHIEI
    @TASHICHIEI 10 лет назад +23

    昔、国鉄時代にこのような年配の車掌さんの声を聞くと特急列車に乗っているんだなぁ...思ったものです。今は若いのか声に味が無い。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  10 лет назад +7

      昔は名物車掌と呼ばれる国鉄マンがいましたね。彼らを綴った檀上完爾さんの「赤い腕章」はお勧めです。今はその腕章すら消えて寂しいです。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +3

      方言(イントネーション)が微妙に混じっているのが、また味わい深かったですね。

  • @user-ox5bo3om9f
    @user-ox5bo3om9f 3 года назад +5

    次々に夜行寝台が発車して行ったあの頃の上野駅
    車掌さんの「ミョウアサ」のアナウンス
    北海道連絡列車内での青函連絡船乗船名簿配布の案内
    ただただ懐かしく聴きました
    ありがとうございました

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +2

      あの頃の日常が今となってはかけがえのない思い出になろうとは。昔の自分に、よく記録しておいたと褒めたくなることがあります。撮影や帰省の時にはいつも録音機能付きウォークマンを持ち歩いていました。

    • @user-ox5bo3om9f
      @user-ox5bo3om9f 3 года назад +2

      @@matunokura6028 よくぞ記録してくださった👏👏👏👏👏本当に感謝です🙇‍♂️もう懐かしくて懐かしくて…

  • @user-od2ku8tf8f
    @user-od2ku8tf8f 2 года назад +10

    今はゆうづる1号の出発時間1950を過ぎても、その日のうちに青森に到着できる新幹線があるとかすごすぎる

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  2 года назад +6

      全くですね。移動時間が短縮されることは、多方面でメリットがあります。ただ、鉄道の旅は、時間をかけることで味わえるものもありますね。

  • @inuinuchiichan
    @inuinuchiichan Год назад

    やばい動画。
    ゆうづるのアナウンスを聴けるなんて嬉しいです。
    私の初めて乗った寝台。
    ありがとうございます。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  Год назад

      そういえば私も初めて乗った寝台特急は「ゆうづる」でした。高校の修学旅行で、20系客車でしたけど。わんわん。

  • @shinobuhazuki1761
    @shinobuhazuki1761 6 лет назад +5

    主さん、よく取りましたね。最高です。私もう、この時は青森の人間です。それでも上野からのは懐かしいですね。そう言えば13号車まで有ったから青森駅は今で言うとオーバーだったのが判ります。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  6 лет назад +3

      札幌に帰省する際に録音したものです。この当時は撮影に行く時にも録音機能付きウォークマンを持参し、列車の車内アナウンスをよく録っていました。でも、腰掛などにいい加減にマイクを置いていたので、クリアに録れているものが少ないのが残念です。

  • @yamayosu7959
    @yamayosu7959 4 года назад +5

    発車後のアナウンスと、
    ターミナル駅の到着前
    乗り換え案内のアナウンスは
    ワクワクする‼

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  4 года назад +2

      長距離列車の場合、アナウンスにお国訛りが入ると感慨深いものがありました。

  • @user-jx2zz5lf1n
    @user-jx2zz5lf1n 4 года назад +4

    高校の北海道への修学旅行で青森まで乗りました。懐かしい……

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  4 года назад +1

      私は京都への修学旅行で、その帰りに青森まで乗りました。

  • @user-eh4wo5xx8b
    @user-eh4wo5xx8b Год назад +2

    この時代のゆうづるは7往復でしたね。1号~5号、10号~14号が583系で、7号~13号、2号~8号が客車寝台でしたね。583系のゆうづる、はくつるは、一戸、北福岡(二戸)、三戸には停車しませんでした。停車するのはゆうづるの客車寝台2往復ずつでした。昼行特急も北福岡(二戸)、三戸がはつかり2往復。一戸がはつかり1往復に、みちのく1往復でした。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  Год назад +1

      2往復は季節列車だったので、定期は5往復でした。それでも今から考えれば、多かったですね。

  • @user-mg7yq6sv1j
    @user-mg7yq6sv1j 8 лет назад +14

    いまや、青森までは新幹線の時代だもんな。夜行は夜行バスですものね。でも、夜行バスよりは、寝台特急列車の方が乗り心地がいいように感じます。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад +5

      いや、絶対に寝台特急の方が乗り心地いいんでないかい。「水曜どうでしょう」の夜行バスの旅では、大泉洋がぼやいてたし。

    • @maochanhappy
      @maochanhappy 8 лет назад +1

      +ヒマりん。 人によるかもしれませんが夜行列車は寝れますけど、夜行バスはなかなか熟睡できませんからね・・・

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад

      夜行列車の場合は、すれ違う列車が気になって眠れないという弊害がありますね。

  • @user-nn6dp2fr1x
    @user-nn6dp2fr1x 9 месяцев назад +1

    「速く速くとせかされた我々は、何か大切なものを置き忘れてきてしまったのかもしれません。」
    って、何かの寝台特急のラストランの映像で車掌さんが言ってた意味がなんとなくわかる。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  9 месяцев назад

      効率を求めすぎると、非効率なものを排除しようとする動きに要注意ですね。「トワイライトエクスプレス」が最後まで絶大な人気を維持していたのも、鉄道旅行の非日常的空間が、非効率を上回る圧倒的魅力を孕んでいたからでしょう。速達性に優れた新幹線は素晴らしい乗り物ではあるけれど、各駅停車の鈍行列車も地元には必要不可欠であり、また旅人の心をわしづかみにする魅力を秘めており、決してぞんざいに扱うべき存在ではないでしょう。

  • @user-lv6uo4mg5c
    @user-lv6uo4mg5c Месяц назад

    20番線、583系みちのく、この時代の上野駅がいちばん輝いてましたね。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  Месяц назад

      寝台特急、夜行急行、特急電車、急行電車などがウハウハ着発していた時代でしたね。

  • @shintake4045
    @shintake4045 8 лет назад +6

    この頃仙台駅は、新幹線工事のため確か貨物の方走ってたんですよね。
    ので停まらなかったと記憶してます。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад +3

      おもむろに昭和55年10月の時刻表を見てみると、ゆうづる7往復のうち、23時台、0時台に着発する1~4号は仙台駅に停車しますが、5~14号は通過していますね。そういうことだったんですね。

    • @ogasawarah
      @ogasawarah 8 лет назад +4

      +SHIN TAKE 急行八甲田に乗った時、仙石線地下工事で仙台を通らず、貨物線経由で長町駅に止まった記憶があります。
      それにしても、停車駅は水戸・平・盛岡・八戸だけですか・・・ 在来線特急の面目躍如ですね。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад +2

      東北新幹線の建設工事は昭和47(1972)年の年末に着工しており、昭和48(1973)年2月1日から昭和53(1978)年10月1日まで、夜行列車の一部は宮城野貨物線経由で運転されていたようです。仙台乗車・下車の乗客向けに長町~仙台間の連絡バスなんてものもあったようですね。昭和55年10月号云々の件は、新幹線建設工事とは関係ないかもしれません。因みに昭和53(1978)年5月号の道内時刻表を見ると、夜行急行「十和田」が長町停車、仙台通過になっています。
      仙石線再地下化工事による「八甲田」長町停車仙台通過は確認できませんでした。

  • @nariken5972
    @nariken5972 3 года назад +3

    47年位前だったかな、母と弟と千葉から札幌に帰る時の事思い出しました❣️ありがとう。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +2

      音源の頃より更に10年近く前になりますね。私が修学旅行で帰りに583系「ゆうづる」に乗った頃に近いです。1974年。

    • @nariken5972
      @nariken5972 3 года назад +1

      @@matunokura6028 さん、ありがとうございます。確かハンドル回したら窓のブラインドが開閉出来たような気がしたんですが、合ってますか❓

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +2

      @@nariken5972 様
      合っています。ベネシアンブラインドと云います。583系かどうかは忘れましたが改造して普通のカーテンに替えてしまった車両もありましたね。381系だったかな?

    • @nariken5972
      @nariken5972 3 года назад +1

      @@matunokura6028 さん、ありがとうございます。お詳しいんですね‼️記憶は合ってました(笑)

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +1

      @@nariken5972 様
      鉄ちゃん歴50年。の割には実はあまり良く知らない。

  • @doratmo1
    @doratmo1 7 лет назад +8

    583は隠れた特等席がありました。それはパンタグラフのある車両の両端の2段目です。ここはパンタグラフがあるため2段しかないのです。その2段目は意外と広くて快適でした。他は必ず頭をぶつける。笑いい思い出ですね。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +3

      モハ582でしたね。一度だけ運よくあたったことがあります。というか、窓口で「パンタグラフの下の中段で」などと申し出て寝台券を発行してもらった記憶があります。

    • @doratmo1
      @doratmo1 7 лет назад +3

      そしたら同じパンタグラフの下の中段を狙うライバルだったんですね。笑天井が高くて、モーターの音も気にならない、値段も安いっていうメリットがありました。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +1

      通りすがりおじさん 様
      ライバル。そういうことになりますね。昨日の敵は今日の味方とも言いますし、ここは手打ちということで。よ~パン。たぐらふ。

    • @blue0848
      @blue0848 4 года назад +1

      @@matunokura6028 通称パン下。懐かしい

  • @user-eg6nq7xr8q
    @user-eg6nq7xr8q 5 месяцев назад

    私ねぇー、大阪在住なのですが、この「ゆうづる」に乗りたくて、わざわざ上野まで出かけて……。
    しかし、国鉄時代の夜行列車の車掌さんの車内放送はいいですねぇ。
    味わいがあります。
    今のJRの車掌は、NHKのアナがニュース原稿を読み上げるような、実に味わいのないものです。
    ゆうづる🚂🚃🚃
    上野駅発車!
    みちのくへ。
    生涯忘れられない思い出です

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  5 месяцев назад

      東北の車内アナウンスには少々東北訛りが入ることがあり、なかなか味わい深いものです。関西にも関西弁での車内アナウンスがあると聞いたことがあります。せめて人間個人は標準化・画一化されることなしに個性や地域色を全面に発揮して欲しいです。

  • @user-yv4yw3rp4t
    @user-yv4yw3rp4t 2 года назад +2

    鉄道好きな女性開業医です。まだ幼い頃、ゆうづる号に乗って青森に行った事が懐かしい思い出です。私の父も鉄道好きで、帰路は特急白鳥号のグリーン車。日本海の景色が素敵でした。車内で父は日本酒の〆張鶴を、私はオレンジジュースを飲みました。
    父との思い出と共に、当時の国鉄監修の時刻表、
    所有しております。
    乗車した、ゆうづる5号は、上野駅19番線。
    21:40分発です。
    常磐線まわり、青森駅、07:05分到着。
    当時は、わくわくするほど、寝台特急が東北と九州地方を網羅していましたね!
    JRになってからは、魅力が褪せてしまいました。
    そのため、私は現在までヨーロッパ諸国の特急列車を制覇目指しています。長くなりましたが、
    とても素晴らしい番組をアップして頂き、ありがとう御座います!

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  2 года назад +2

      青函トンネル開業以前は、全国各地に様々な寝台特急列車・寝台急行列車・夜行急行列車・夜行鈍行列車が走り回っており、移動の自由度が高かったですね。もっとも、寝台券や指定席券を持てない乗客は席取り合戦を覚悟せねばならず、何時間も前からホームに並んだりと、決して楽ではありませんでした。実際私も臨時夜行急行で上野から山形まで立ちっぱなしで夜を過ごしたことがあります。しんどかった・・・。でも当時の人々はみんなそういう試練を乗り越えていましたね。今の人は新幹線に5時間くらい乗車しただけで根を上げるそうですが。列車では車内をうろつけるので長時間乗車してもエコノミー症候群にはなりにくそうです。
      歴史ある鉄道路線のあるヨーロッパ諸国を、是非、特急列車で巡りまくって下さい。(TGVとICEとイタリアの新幹線以外、なんもイメージがわきませんが。)

    • @user-yv4yw3rp4t
      @user-yv4yw3rp4t 2 года назад +2

      @@matunokura6028
      こんにちは。ご丁寧なメッセージありがとうございます!
      私は父の影響ですっかり鉄道好きになり、小学校時代から、国鉄監修時刻表と鉄道ジャーナルを毎月必ず購入しておりました。両親の経営する病院の購買部の雑誌や女性週刊誌と共に、この2冊だけは私の為に納品されておりました。
      いつも、素晴らしい表紙にわくわくしていました。私はゆうづる号と白鳥号を起点に、全国の寝台特急と特急列車、ローカル線に乗り、その土地の人の優しさと風土に触れた青春時代を過ごしました。また、列車の思い出と共に地酒や郷土料理も堪能しました。
      女子学生のひとり旅の私に、車掌さん達もとても優しく、車窓をはじめ汽笛や車内放送・列車内の匂いも、いつでも旅情が溢れておりました。
      現在の高速鉄道は移動手段であって、年々魅力が無くなりましたね。
      ゆうづる号と白鳥号の切符も保管してありますが、「特別急行券」と青いスタンプが押されています。
      学生時代、おきにいりの特急列車は、博多~大阪のまつかぜ号でした。
      どんな景色にも溶け込む、優雅なボディーと
      ディーゼル特急独特のモーター音、山陰訛りの車内放送が強く印象に残っております。
      素晴らしい番組ありがとう御座いました!

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  2 года назад +1

      @@user-yv4yw3rp4t 様
      小学生からの鉄乙女でしたか。そりゃ凄い。その頃だと「鉄道ジャーナル」では白井朝子さんが記事を書いておられていましたかね。蒸機廃止後、苗穂駅近くで列車の写真を撮っている女性を見かけたことがありますが、その方がそうだったのではなんて思い込んでおります。お会いしたことはありませんが。
      私は列車を撮りたいだけの視野狭窄鉄なので、観光やグルメには見向きもせずにせっせと撮影ばかりしてきました。基本的に単独撮影なので、一番財布に負担のかからないやり方に走り、それはもう高校生時代以来、今でも踏襲しているスタイルです。宿泊も基本的には車中泊。臭くなったら銭湯へGO。
      列車に乗車したのは撮影や帰省のための移動手段としてであり、乗車のための乗車は少ないです。そしてせっかく乗車したのだからついでに車内アナウンスを録音しとこ、ってな感じでウォークマンの録音機を回していました。なので、他の乗客と会話するということも少なかったです。それやると録音ができなくなってしまいますから。車窓もロケハンのために眺めるだけで、そうでない場合にはすぐに眠りこけてしまいます。乗り鉄失格者ですね。
      国鉄時代、山陰本線の撮影に行った時(「まつかぜ」「はまかぜ」「おき」「あさしお」なども撮影)、旧型客車には何度も乗って録音もし、訛りたっぷりな地元の通学生やおばさんの話し声も録音したのですが、真夏で扇風機が回っていたので、その風によるボーボー音で生録は台無しでした(泣)。
      railway-photo.hatenablog.com/entry/2020/03/02/105757
      railway-photo.hatenablog.com/entry/2019/09/10/085038

    • @user-yv4yw3rp4t
      @user-yv4yw3rp4t 2 года назад +1

      @@matunokura6028
      私が中学校時代から、たくさんの特急列車に乗車出来た背景には、ワイド周遊券の存在が有りました。学割の書類に親の捺印と、利用目的と経路を記入しました。
      寝台特急列車に乗車希望などは、学校の事務長には通用し無いため、毎回「父の医学学術会議への随行の為」と記入しました。
      カトリック系の中高一貫教育学校でしたので、鉄道好きの私は、私は特異な存在でした。
      しかし、中学校時代から大学院卒業まで、
      部活はオーケストラ部で第1バイオリンを担いました。楽器を手にしなかったのは、旅行の時だけでした。クラッシックの名曲を演奏するたび、この作曲家の国々の特急列車に乗りたいと、希望が膨らみました。日本も国鉄からJRになり、国鉄時代の列車が廃止されてから、ヨーロッパ諸国の鉄道に興味をいだきました。フランス新幹線はボディーデザインが素敵ですが、シートをはじめ内装が粗末なのは残念でした。しかし、ヨーロッパ諸国の主要都市の駅舎は荘厳な建築設計ですね。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  2 года назад +2

      @@user-yv4yw3rp4t 様
      どう考えても住む世界が違う方が、鉄道に興味を持たれていることに親近感を覚えます。もっとも鉄道は、優秀なエンジニアの方々が構築したシステムですから、決して凡庸な人間だけが興味を持つ世界にはとどまりませんね。芸能人の中にも鉄道ファンはそれなりにいらっしゃるみたいですし。六角精児さんのように、酒飲んで列車に乗るのが番組になるなんて、或る意味NHKの凄さでしょうか。
      音楽との関係で云えば、「パシフィック231」という曲がありますね。聴いたことはありませんが、曲名は国産機ではC51形蒸気機関車に始まる旅客用機関車の軸配置を示すものです。C57もそうです。2-C-1とか4-6-2とか表現することもあります。汽車や鉄道を舞台にした楽曲ならば、日本にも多くありますね。演歌とか歌謡曲によくありそうですが、北海道出身の松山千春さん、中島みゆきさんも作詞しています。関口知宏さんはまさに音楽と絵を携えて世界中の鉄道に乗っていましたね。バイオリンの音色は、一人で寝台車に乗車した時のちょっぴり物悲しい夜から、目の覚めるような朝日を迎えた朝までを表現してくれそうです。
      因みに私の父は国鉄職員だったので、学生時代までは運賃7割引きの職割りをよく使っていました。社会人になってからは周遊券を積極的に利用しました。
      ところでヨーロッパの鉄道は多くの国々を結んでいるところから、長距離列車の多くは伝統ある客車列車なのだそうですね。TGVも両端機関車の客車列車ですし。驚いたのは、日本の国鉄では大正時代に廃止されたネジ式連結器がヨーロッパでは未だに現役なのだとか。一部ではありますけど。

  • @user-zx3py4ww2j
    @user-zx3py4ww2j 7 месяцев назад

    この動画1981年と出てますね。何とこの年私が17才で.勝田駅(現ひたちなか)駅で、勝田祭りの帰り友人と下りホームにて通過するの見ました。私が初めて🔰ゆうづる583系を見たその年1981年。動画も1981年何か運命的な物を感じます😂

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 месяцев назад +1

      見ず知らずの人同士が、後になってからニアミスをしていたことを知る、なんて話はたまにありますね。

  • @hokutosei2053
    @hokutosei2053 8 лет назад +5

    8:06 到着予定時間をご記憶ください。ある意味すごい言い回し。そしていわきがまだ平だったころの案内も懐かしいし、ELと電車の寝台特急がごっちゃになっていた上野駅が…

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад +4

      記憶して下さい・・・何かの授業みたいですね。間違ったら強制下車とか。
      当時の上野駅は・・・といっても今の上野駅は存じませんが、活気と熱気のカオス状態にありながら、厳として規律ある列車が世界を律していたというか・・・訳分かんないや。

    • @ecneicslaicos
      @ecneicslaicos 8 лет назад +2

      +matuno kura
      そうですね~。子どもの時、夜行急行「八甲田」は通路や連結器の上まで人がいてすごかった~。ホームに座って待つ人、トイレの汚さ、割り込み、公衆電話のある場所の浮○者(ホームレ○)の多いこと!そして東北新幹線開業後は山手線への移動者の波・混雑!親についていくのに必死でした…。でも、これでもバブル期の話です。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад +2

      概ね、夜行列車は混雑していましたね。座れないことの心配よりもまず乗車できるかどうかが問題でした。乗ってさえしまえば後は何とかなるさと。今じゃ絶対無理!

  • @RU1ESBA
    @RU1ESBA 8 лет назад +4

    当時の仙台以北の東北線の時刻表には常磐線回りの表示が出てた。
    常磐線回りの列車(ゆうづる・みちのく・十和田・もりおか)に乗ってみたかった。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад +3

      幹線なのに「本線」は名乗りませんね。かつては特急「はつかり」も勾配が緩いという理由で常磐線回りだったとか。
      常磐線の完全復旧はいつになるでしょう。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +1

      「ゆうづる」も「みちのく」も「十和田」も臨時ながら「もりおか」も乗りましたが、後者2本の夜行急行はハザしか乗っていないので、あずましくありませんでした。

    • @kenli10321
      @kenli10321 3 года назад +2

      国鉄関連の列車群に関しては1970年代より後の生まれの人は悔しい思いをしていますよね。タイムマシンがあれば・・・

    • @user-eh4wo5xx8b
      @user-eh4wo5xx8b Год назад +1

      東北本線にも寝台専用急行新星号仙台行きや、寝台特急北星号盛岡行きがありました。ぎり、北星の写真は上野駅で撮ったことがあります。急行いわて号盛岡行きもありました。

  • @ryojimuto4165
    @ryojimuto4165 9 месяцев назад +2

    平って懐かしいね

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  9 месяцев назад +1

      鎌倉時代よりも前だもね。

  • @yoshimi2322
    @yoshimi2322 7 лет назад +2

    福一の事故で不通になっている区間をゆうづるが颯爽と走っていた。でも2019年頃に全通する常磐線をリバイバルして欲しいが583系が4月8日に完全引退してしまった。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +1

      昼夜兼行で活躍した特急電車の歴史は終わってしまいました。
      それにしても長生きしました。

  • @user-fg4ed3vh7q
    @user-fg4ed3vh7q 10 лет назад +6

    西村京太郎作・終着駅殺人事件の舞台となったゆうつ”る5号と7号
    懐かしい

  • @playboy4649japan
    @playboy4649japan Год назад

    寝台列車が山手線並に発車する国鉄時代が懐かしい。昼間の特急、急行も山手線並に発車してた。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  Год назад

      上野駅へ撮影に行くと、地上ホームと高架ホームとを行ったり来たりで大忙しでしたね。事前に発着時刻とホーム番線との一覧表を作成して撮影したものです。

  • @maochanhappy
    @maochanhappy 7 лет назад +9

    ゆうづるは新幹線の名前に残してもらいたかった。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +4

      赤い車体なら似合いそうですね。

    • @GuacamoleTaco
      @GuacamoleTaco 7 лет назад +9

      一位を獲得したはつかりを不採用にしたり、JRは不可解なことをしますよねえ。青森出身の母とニュースを見て「はぁぁぁぁ?」と声をあげたものです。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +4

      人気投票第一位の愛称が選ばれないのは伝統的なものかもしれません。
      JRの内情は知りませんが、一般的には、組織には「天の声」という絶対服従を強いる習慣がありがちですし。

    • @user-yv4yw3rp4t
      @user-yv4yw3rp4t 2 года назад +2

      鉄道好きな女性開業医です。私も同感です。

  • @31kurohyou
    @31kurohyou 6 лет назад +5

    国鉄時代、特急に乗務できる車掌はある程度の経験者だけでしたね。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  6 лет назад +2

      JRになって、特急の運転士が若いアンちゃんだった時には、びっくりしました。車掌は割と年配の方々しか見かけませんでしたけど。車掌→専務車掌→車掌長と位がありましたが、今はどうなんでしょう。腕章がないのでサッパリ分かりません。

    • @31kurohyou
      @31kurohyou 6 лет назад +1

      matuno kura さん
      最近の九州は比較的若い方も乗務されてますね。
      1人乗務も増えましたし、位など無いのかもしれませんね。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  6 лет назад +2

      新幹線では、往路が運転士で復路が車掌という乗務もあると聞いています。JRの社長は、たまに車掌をやって乗客の気持ちを知るのもよろしいのではないでしょうか。

  • @user-kv4vm4wt7w
    @user-kv4vm4wt7w 7 лет назад +2

    昭和55年前後。ブルトレブームの最盛期とも言えるのでしょうか。
    ゆうづる以外にもとにかく寝台特急の本数が多い(笑)
    昭和50年には定期でゆうづる14号まであったんですね。
    良い時代だ...
    沿線で構えてたら普通に光線ある状態で撮り放題だったと考えるととても羨ましい時代。
    当時の撮り鉄様からすれば極普通の光景で撮ってる人そんないなかったのでしょうが...。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +1

      昭和55年10月のダイヤ改正時点では、3、4、9、14の2往復は季節列車ですね。

  • @supream_700
    @supream_700 5 лет назад +5

    ゆうづるは常磐線経由だったんだね

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  5 лет назад +5

      そうです。東北線経由は「はくつる」。

  • @lmusicclipjp
    @lmusicclipjp 4 года назад +2

    学生時代茨城の筑波町から東京の大学に当時通っていました。帰省の途中土浦駅でゆうづるが止まる時は、電車を遅らせてもゆうづるの入線を待ち、よく観察するのが好きでした。昼間は土浦止まりもあり、食堂車やグリーン車を見ると遠くまで行くんだなあと感じたものです。その後に学生時代、就職直後に二度乗りました。距離数は東北線周りより短かったと思います。常磐線はマイナーに感じますが、速度も輸送力も思いの外高く、仙台まで複線化出来ていたら、もしかしたら信越線のように東北線を上回る幹線鉄道になっていたかも知れません。昼間は土浦と仙台、一関のも亭主したような気がします。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  4 года назад +1

      「ゆうづる」はこの時期、季節列車も合わせると、客車4往復と電車3往復が走っていました。これに対して、東北回りは「はくつる」の1往復のみ。寝台列車だけで見ると常磐線が断然、幹線っぽかったです。逆に日中は「はつかり」に完敗で、常磐線回りで上野~青森を結ぶ特急列車は1本もありませんでした。「日本鉄道」が敷設した東北本線は歴史がある分、確たる地位を保っていたということでしょうか。

  • @kumoroha287
    @kumoroha287 6 лет назад +4

    高評価不可避

  • @user-rn1sm6cf7q
    @user-rn1sm6cf7q 4 года назад +4

    ぬわぁに⁈仙台も通過するだとぉ⁈

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  4 года назад +3

      5号から13号まで全部通過だい。「はくつる」もね。

  • @324otayA
    @324otayA 8 лет назад +4

    座席グリーンの利用は、平(いわき)あたりまでの利用者が多かったのでしょうか?
    さすがに盛岡までは寝台利用でしょうか。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад

      庶民な私は、グリーン車なんて利用したことがないのでさっぱり分かりません。
      でも確かに全区間通しでグリーン車に座ってというのも、結構疲れる気はします。
      平駅、懐かしい響きですね。平機関区、ハドソンのねぐらでしたね。行ったことないですけど。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад

      グリーン車には足を踏み入れたことがないので分かりませんが、盛岡までなら寝台を選びそうです。

    • @1078rtk
      @1078rtk 3 года назад

      父が出張で使ったお下がりの小型時刻表で旅をする小学生でした。
      父は仕事命の人で、旅行にはほとんど連れて行ってもらえませんでしたので、時刻表でもって各地に思いを馳せていました。
      東京多摩地域に住む小学生にとって遥か彼方のこの漢字一文字の駅は、あの寝台特急ゆうづるも停まるのだからきっと大きな駅なのだろうと。どんな駅なのだろうと。
      平っていう駅名が何ともよかったのになあ。
      並走する特急ひたち平ゆきの側面幕が夕闇にゆらゆらと揺れ、行ったことのない、違う方向へ車体を傾けて去ってゆく。
      自治体としては平市を含めて合併し、とっくにいわき市になってはいましたが、平駅からいわき駅に変わった時はなんだかショックでした笑。
      長文失礼しました。。

  • @user-jh2ft5yn5i
    @user-jh2ft5yn5i Год назад +1

    確か仙台までは、常磐線経由で行ってたはず、

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  Год назад

      そうアナウンスしてます。

    • @user-zx3py4ww2j
      @user-zx3py4ww2j 6 месяцев назад

      常磐線の残念な1つの現実、平以北は単線区間な事。

  • @user-mg7yq6sv1j
    @user-mg7yq6sv1j 8 лет назад +1

    おいらは、電車型特急の方がすきですね。「ゆうづる」のほか「はくつる」、「あけぼの」も電車型がいいですね。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  8 лет назад +3

      電車は速いけど、オラは客車の方が好きだナ。でもパンタの下の中段なら電車の方がいいかな。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад

      モハ582のパンタ下中段なら言うことありません。

  • @user-qf8dt9ne4q
    @user-qf8dt9ne4q 3 года назад +3

    平、寝台特別急行…。古さを感じますな。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +2

      C62が居た頃の平機関区に行ってみたかった。

  • @user-qf8dt9ne4q
    @user-qf8dt9ne4q 3 года назад +3

    ゆうづるが常磐線回り、はくつるが東北本線経由?

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +3

      そうでんな。「はつかり」が東北線回りで「みちのく」が常磐線回り。

    • @kenli10321
      @kenli10321 3 года назад +3

      @@matunokura6028
      埼玉県在住の者です。
      年齢的にも経済的にも上野発のはつかり、ゆうづるは乗車不可能でしたが20代の時に廃止間際のはくつる下りに乗車できました。グリーン車で青森まで乗りましたがその日のグリーン車の乗客は自分一人だけ。夜明けからの車窓も感動。
      勝手ながら素晴らしい動画の数々を堪能させていただきました。世代的にはだいぶ下になります。
      お金と情熱がかかった素晴らしい貴重な記録の数々ですね。投稿活動心から感謝します。
      カセットデンスケは父も購入して使っていました。

    • @kenli10321
      @kenli10321 3 года назад +3

      追記 583系のはくつるに乗った時の話です。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  3 года назад +4

      @@kenli10321 様
      グリーン車に一人きり・・・まさに貸し切り状態。なかなか体験できないことでしょうね。
      寝台車には何度か乗りましたが、グリーン車には4回しか乗ったことがありません。「北斗」のダブルデッカーキロ182、「おおぞら」の平床キロ182、「はつかり」のクロハ481、「加越」のサロ481、以上。
      カセットデンスケはもう何年も前に処分してしまいましたが、代わりにウォークマンサイズのDATレコーダーがまだ手元にあります。ビデオを撮るようになってからめっきり出番がなくなってしまいました。

    • @coziyftv78
      @coziyftv78 10 месяцев назад +1

      柏に停車していれば、松戸・柏・我孫子方面から拾えたな

  • @user-zn3bj4qx2m
    @user-zn3bj4qx2m Год назад

    5:59ベルといえばこれだね

  • @coziyftv78
    @coziyftv78 10 месяцев назад

    千代田線6000系と併走が見られたな

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  10 месяцев назад

      首都圏ならすれ違いや並走なんて幾らでもあるのでしょうね。

  • @1ASAKAZE
    @1ASAKAZE 8 лет назад +1

    ある意味今でもこれだけゆうづるの本数があるとしたら!?
    福島原発事故にゾッとする。

    • @matunokura6028
      @matunokura6028  7 лет назад +1

      原発事故の前に大地震で線路がズタズタですので、そちらの方が怖かったでしょう。