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ブルトレとしては短命に終わってしまった「紀伊」ですが、テールマークのデザインが美しく、心惹かれるものがありました。
もうこんなワクワクする列車はでないだろうかな 昭和に戻りたい
スマホ📱ないよ😁
懐かしく拝見いたしました。20代の頃、実家のある尾鷲から利用しました。日曜日、実家で夕飯と風呂を済まして夜9時尾鷲発の紀伊号に普段着で乗り、東京には月曜朝6時半に着くので、車内でスーツに着替えそのまま出勤するのに便利でしたね。今は紀伊号の代わりに夜行バスがありますが、寝台車の横になれるのに比べようがないです。
ご視聴いただきありがとうございました。そのように時間を無駄無く使えるのが夜行列車の良いところでしたよね。時代の流れとはいえ、消え去ってしまったのは寂しいですね。
西園寺じゃないのか…😁
貴重なテープありがとうございました。
うわあああ今となっては超貴重な音声ですね。消さないで欲しい…
紀伊号とは懐かしいですね。今となっては紀勢線にブルートレインが走ったとは信じられないです。走行音と時折聞こえる汽笛もいいですね。
子どもの声が入ってるけど、その子たちは2019年、アラフォーくらいだろうなあ。遠い、遠い昔のお話。寂しいなあ。
すごいいいですね、旅情を感じます。平成生まれで思慮分別がついた頃にはほとんどブルトレが廃止されていました。大学生になった今、どうしてもその感じを味わいたくて、隣の中国で寝台列車乗りまくりました。やはり効率性に持って変わって他の乗客と喋ったりして同じ時を過ごす機会が失われるのはどこか寂しいです。
ご視聴いただきありがとうございました。寝台列車がまだ移動手段として成り立っていた頃は、おっしゃる通り、隣の寝台の人と仲良くなって色々お話したのを覚えてます。特に東京行きに乗ると、上京して新生活を迎えると言う人によく出会いました。懐かしいです。
貴重な音源ありがとうございます。
寝台の車内アナウンスはやっぱり最高だ!!寝台が少なくなった今、こういうアナウンスは哀愁すら感じられます。
紀伊 何回乗ったか懐かしい
お聞きいただきありがとうございます。小学生の時はまだ学割がきかないので、大変でしたね。スゴイ情熱ですね。脱帽です。紀伊のような、鉄道がまだ長距離輸送の主役だった頃の列車に、滑り込みでも乗れて良かったです。わたくしも、あけぼのがあるうちに乗っておきたいです。一番最初に乗せてもらったのは奥羽線山形経由の頃のあけぼの3号でした。父の田舎の山形で降りてしまったので、中途半端でした。
出雲3号は設定当初は「いなば」でしたね。さらに、この二つの列車は「出雲3号」は米子車掌区、「紀伊」は東京車掌区と別個の車掌区担当でした。ちなみに、「さくら」「みずほ」と共通運用だったので食堂車がついていましたが、このころから食堂車の営業中止が増えていました。
この時代は、この到着時間でよかったんだよね。今は早く早くという時代。不便だったけど、これが人間らしい時間の活用なのかもしれませんね。当時小学生だったけど、乗りたかったかな…
ありがとうございます。まだ飛行機が一般的でなかった時代ですね。繁忙期は寝台券がとりづらい時代でした。時は金なりの時代となり、ずいぶん旅情がなくなったと思います。
kumosukeponsuke 時代がそうなりましたね。昔は三重県松阪市から東京行きカーフェリーがありましたけど、東京に明け方4時代に着くために、不評だったようです。見知らぬ?土地でカーナビもない時代に、早くから起こされて自動車運転では無理ありません。
紀伊が廃止の憂き目を喰らったのは他の交通機関との競争というより ビジネスホテルの普及による客離れで国鉄の合理化の波に抗いきれなかったというのが一番の理由やったそうです。あの当時は白浜空港のYS 11は少しの風でも欠航したし、高速道路も大して整備されてませんでしたし。
「紀伊」は、上りはいいが下りは到着時刻早すぎ!ワイなら、亀山で2時間停めて、津などの利便性を向上させる😉
ディーゼル発電機の音が14系らしくていいですね。14系の特急は2010年3月の北陸号廃止ですべて消えたのでもうこの音を聞きながら寝ることはできませんね・・・
幼い頃は乗ろうと思える歳ではなかった。消えた以降にはじめて関心を抱いた。ブルトレの思い出はないけど、寝台特急はトワイライトエクスプレスが最初で最後の寝台特急の思い出。青森で故障して、津軽海峡線へ乗り換えとなりましたが、結局北海道新幹線が新函館北斗まで開通したことにより、乗り換えも無駄ではありませんでした。夜行関連だとはまなすを往復したものです。その後は復刻版の時刻表を見て、想像するしかなくなりました。戦後から国鉄末期。
ご視聴いただきありがとうございました。私自身は小田原と言うブルートレインが沢山通る場所に住んでいたので乗る機会は多かったです。国鉄末期からJR初期、ワイド周遊券のある頃に多用しました。
併結区間では同一車掌区受け持ちが多いのですが、深夜の乗務交代をさけてか米子・東京で持っていたそうですね。かつてはサンライズが米子・岡山持ちでしたし、あかつきや彗星が寝台利用中に他車掌区と交代(JR九州同士)もあったし、現在のサンライズも寝台利用中の交代だし…。珍しいですね。
「紀伊」という列車は、亀山かどこかで那智勝浦行きと以前は、奈良県の王寺行きに切り離されたと思います。晩年は出雲にくっついていたのですね。upして戴きありがとうございます。
名古屋は、運転停車だったんですよね。機関車付け替えだからそれ迄は、EF58で名古屋からDD51でしたねぇ。
ワイの頃は東京~名古屋(~京都)はEF65😉
寝台特急出雲号紀伊号懐かしいの一言に尽きます紀伊号はいつ回も乗ったことがない残念に思っている私です
くっそ貴重じゃないですかありがとうございます
こちらこそ、ご視聴いただきありがとうございました。
きのさき7時20分!ブルートレインってすごいとこまで走ってたんですね。
号泣兵庫県議、野々村がちょくちょく行ってたというあの城崎か!
何でだかブルートレインの中でも紀伊が大好きで 小学校6年の夏休み 親に一人旅を承諾してもらい 貯金していたお年玉吐き出し初めて乗った寝台列車でした。当時の思い出は記憶しか残っていませんが、ハイケンスのセレナーデのチャイム音と共に鮮明に思い出されました^^ 今では東海道を走るブルートレインも消えてしまい旅情を楽しむと言う時代ではなくなって来たようで寂しいものです。東北への移動の際はなんとしても「あけぼの」に乗車を企む事としますw
i yさいたま
「サンライズ紀伊」って実現出来ないかな。臨時で構わないから和歌山経由で。
「WE銀河」で我慢やな😁
ここに書かれているコメントが書かれた時には廃止寸前とはいえブルトレが残っていたのですね。たった数年とはいえブルートレインがなくなって定期夜行列車もサンライズを残すのみとなってしまった今となっては、ここに書かれたコメントたちもすでに過去の歴史になってしまったのですね。
+asamacat ありがとうございます。辺り前の存在の頃の記録がいかに重要か痛感いたします。
父方の田舎が三重県の多気町だったので、上りの紀伊号には、よく乗りました。下りは
一回ぐらいかな朝が早く着くから懐かしいです。
もうこの頃には食堂車の営業を止めていたんですね貴重な音源をありがとうございます
那智の滝のテールマーク懐かしい。名古屋駅でのDD51との衝突事故……短命でした。
下り列車は名古屋駅は切り離しによる運転停車のみで、上り列車は客扱いをやってたんですね。
0:50までエンジンの過給機が作動してますね。
この当時はこの響きが当たり前だったのですが、最後まで残った富士・はやぶさは過給機が動作するのを聞かなかった気がします。そういうものなのでしょうか?
京都も運転停車だったんですね。
オルゴールはたしか「ハイケンスのセレナーデ」というタイトルだった筈です。たぶんA寝台側には「ブラームスの子守唄」と言う別バージョンが有ったはずです。ちなみにディーゼルカーのオルゴールは「アルプスの牧場」と言うタイトルです。
電車特急は鉄道唱歌
6:00盗難の注意喚起があったなんて…時代ですね・
ウチんとこからなら津か松阪まででればそのまま東京行ける便利な列車やったな。
ありがとうございました。国鉄時代は大都市と結ぶ長距離列車が当たり前のように運行されてました。今の夜行バスみたいな感じなのだろうなと思います。
たまに聞こえる機関車の汽笛がタマラナイ
2:22から車内放送
有難うございます
@@Sannana37 どういたしまして❗️
紀伊勝浦到着はいい時間なのに出雲市はだいぶ遅い時間だな
「出雲3号」は豊岡〜倉吉あたりがメインターゲットでしたね。元は米子行きの「いなば」ですし。1号の寝台券が取れなかった人のためにも、出雲市まで運行していたようです。
此の14系のハイネケンス音が24系のものより好きでした。。笑
+merciluke こちらの方は完全なオルゴールですよね?24系のと言うのは最後まで残った電子音の方でしょうか?
鉄道走行音ライブラリー そうです。廃止直前の寝台特急富士はやぶさに乗車した刻は電子音でした。。
+merciluke ありがとうございます。自分も90年代に多用したブルトレは電子式のものでした。そちらも懐かしいですよね。
当時の さくら・みずほ と・・・同じ編成なんですね。。食堂の営業がないんですね。。。。
最終運転の時に小学生でチケットまで取っておりましたが一緒に行く隣の兄ちゃんの親が平日の為学校を休むのはダメだとチケットを泣く泣く払い戻しした思い出があります。懐かしくもあり苦い思い出が蘇りました^^
苦い思い出ですね。わたくしも急行天の川の切符をキャンセルした苦い思い出がございます。
放送は2:21から。
鳥取のイントネーションからアナンウスは米子車掌区ですね
昔は寝台専用特急という言い方がわりとあったんですね。
「さくら」「みずほ」と、共通運用。「紀伊」号は、距離が短いのと、利用時間帯が、悪すぎる。確か、京都駅で「出雲3号」と「出雲2号」が、すれ違うようだったケド・・・。貴重なアナウンスありがとうございます。
寝台特急出雲号は記憶にありますが、紀伊はわかりません。いつ頃まで走っていたのですか?
59-2😉
84年のダイヤ改正で廃止になりました~
ご視聴いただきありがとうございました
紀伊!懐かしい
紀伊号の沿線出身ですが、運行時間が悪すぎた。新宮や勝浦に7時に着く必要性がないしこの速い時間じゃ三重県の中勢〜南勢の人は利用しずらい。運行時間は前身の急行那智時代の方が良かった。
ワイなら、下りは亀山で2時間停めておく😉
営業しないのにダイニングを組込むのが出雲の良さ
単に「さくら」「みずほ」と共通編成なだけ😉
@@psychedelicraspberry517まじか!?
本当です😉
@@psychedelicraspberry517 (途中まで)同じ方向へ行くブルートレインだもんな🚃納得。
14系終わってないですよあけぼので使われてます
喪もナマカナヤカですねー😃
紀伊号見たことないです
営業しない食堂車繋ぐ理由はなんだったんだろ
山陽新幹線博多開業まであさかぜが3往復で営業運転、1往復が山陽新幹線博多延伸のため廃止、その車両がいなば紀伊に割り当てられる、食堂車が営業されずに連結
ブルトレとしては短命に終わってしまった「紀伊」ですが、テールマークのデザインが美しく、心惹かれるものがありました。
もうこんなワクワクする列車はでないだろうかな 昭和に戻りたい
スマホ📱ないよ😁
懐かしく拝見いたしました。20代の頃、実家のある尾鷲から利用しました。日曜日、実家で夕飯と風呂を済まして夜9時尾鷲発の紀伊号に普段着で乗り、東京には月曜朝6時半に着くので、車内でスーツに着替えそのまま出勤するのに便利でしたね。今は紀伊号の代わりに夜行バスがありますが、寝台車の横になれるのに比べようがないです。
ご視聴いただきありがとうございました。
そのように時間を無駄無く使えるのが夜行列車の良いところでしたよね。
時代の流れとはいえ、消え去ってしまったのは寂しいですね。
西園寺じゃないのか…😁
貴重なテープありがとうございました。
うわあああ今となっては超貴重な音声ですね。消さないで欲しい…
紀伊号とは懐かしいですね。
今となっては紀勢線にブルートレインが走ったとは信じられないです。
走行音と時折聞こえる汽笛もいいですね。
子どもの声が入ってるけど、その子たちは2019年、アラフォーくらいだろうなあ。遠い、遠い昔のお話。寂しいなあ。
すごいいいですね、旅情を感じます。平成生まれで思慮分別がついた頃にはほとんどブルトレが廃止されていました。大学生になった今、どうしてもその感じを味わいたくて、隣の中国で寝台列車乗りまくりました。やはり効率性に持って変わって他の乗客と喋ったりして同じ時を過ごす機会が失われるのはどこか寂しいです。
ご視聴いただきありがとうございました。寝台列車がまだ移動手段として成り立っていた頃は、おっしゃる通り、隣の寝台の人と仲良くなって色々お話したのを覚えてます。特に東京行きに乗ると、上京して新生活を迎えると言う人によく出会いました。懐かしいです。
貴重な音源ありがとうございます。
寝台の車内アナウンスはやっぱり最高だ!!
寝台が少なくなった今、こういうアナウンスは哀愁すら感じられます。
紀伊 何回乗ったか
懐かしい
お聞きいただきありがとうございます。
小学生の時はまだ学割がきかないので、大変でしたね。
スゴイ情熱ですね。脱帽です。
紀伊のような、鉄道がまだ長距離輸送の主役だった頃の列車に、滑り込みでも乗れて良かったです。
わたくしも、あけぼのがあるうちに乗っておきたいです。
一番最初に乗せてもらったのは奥羽線山形経由の頃のあけぼの3号でした。
父の田舎の山形で降りてしまったので、中途半端でした。
出雲3号は設定当初は「いなば」でしたね。さらに、この二つの列車は「出雲3号」は米子車掌区、「紀伊」は東京車掌区と別個の車掌区担当でした。ちなみに、「さくら」「みずほ」と共通運用だったので食堂車がついていましたが、このころから食堂車の営業中止が増えていました。
この時代は、この到着時間でよかったんだよね。
今は早く早くという時代。
不便だったけど、これが人間らしい時間の活用なのかもしれませんね。
当時小学生だったけど、乗りたかったかな…
ありがとうございます。まだ飛行機が一般的でなかった時代ですね。繁忙期は寝台券がとりづらい時代でした。時は金なりの時代となり、ずいぶん旅情がなくなったと思います。
kumosukeponsuke 時代がそうなりましたね。昔は三重県松阪市から東京行きカーフェリーがありましたけど、東京に明け方4時代に着くために、不評だったようです。見知らぬ?土地でカーナビもない時代に、早くから起こされて自動車運転では無理ありません。
紀伊が廃止の憂き目を喰らったのは他の交通機関との競争というより ビジネスホテルの普及による客離れで国鉄の合理化の波に抗いきれなかったというのが一番の理由やったそうです。あの当時は白浜空港のYS 11は少しの風でも欠航したし、高速道路も大して整備されてませんでしたし。
「紀伊」は、上りはいいが下りは到着時刻早すぎ!ワイなら、亀山で2時間停めて、津などの利便性を向上させる😉
ディーゼル発電機の音が14系らしくていいですね。
14系の特急は2010年3月の北陸号廃止ですべて消えたのでもうこの音を聞きながら寝ることはできませんね・・・
幼い頃は乗ろうと思える歳ではなかった。消えた以降にはじめて関心を抱いた。ブルトレの思い出はないけど、寝台特急はトワイライトエクスプレスが最初で最後の寝台特急の思い出。青森で故障して、津軽海峡線へ乗り換えとなりましたが、結局北海道新幹線が新函館北斗まで開通したことにより、乗り換えも無駄ではありませんでした。夜行関連だとはまなすを往復したものです。
その後は復刻版の時刻表を見て、想像するしかなくなりました。戦後から国鉄末期。
ご視聴いただきありがとうございました。私自身は小田原と言うブルートレインが沢山通る場所に住んでいたので乗る機会は多かったです。国鉄末期からJR初期、ワイド周遊券のある頃に多用しました。
併結区間では同一車掌区受け持ちが多いのですが、深夜の乗務交代をさけてか米子・東京で持っていたそうですね。かつてはサンライズが米子・岡山持ちでしたし、あかつきや彗星が寝台利用中に他車掌区と交代(JR九州同士)もあったし、現在のサンライズも寝台利用中の交代だし…。珍しいですね。
「紀伊」という列車は、亀山かどこかで那智勝浦行きと以前は、奈良県の王寺行きに切り離されたと思います。晩年は出雲にくっついていたのですね。upして戴きありがとうございます。
名古屋は、運転停車だったんですよね。機関車付け替えだからそれ迄は、EF58で名古屋からDD51でしたねぇ。
ワイの頃は東京~名古屋(~京都)はEF65😉
寝台特急出雲号紀伊号懐かしいの一言に尽きます紀伊号はいつ回も乗ったことがない残念に思っている私です
くっそ貴重じゃないですか
ありがとうございます
こちらこそ、ご視聴いただきありがとうございました。
きのさき7時20分!ブルートレインってすごいとこまで走ってたんですね。
号泣兵庫県議、野々村がちょくちょく行ってたというあの城崎か!
何でだかブルートレインの中でも紀伊が大好きで 小学校6年の夏休み 親に一人旅を承諾してもらい 貯金していたお年玉吐き出し初めて乗った寝台列車でした。当時の思い出は記憶しか残っていませんが、ハイケンスのセレナーデのチャイム音と共に鮮明に思い出されました^^ 今では東海道を走るブルートレインも消えてしまい旅情を楽しむと言う時代ではなくなって来たようで寂しいものです。東北への移動の際はなんとしても「あけぼの」に乗車を企む事としますw
i yさいたま
「サンライズ紀伊」って実現出来ないかな。臨時で構わないから和歌山経由で。
「WE銀河」で我慢やな😁
ここに書かれているコメントが書かれた時には廃止寸前とはいえブルトレが残っていたのですね。
たった数年とはいえブルートレインがなくなって定期夜行列車もサンライズを残すのみとなってしまった今となっては、ここに書かれたコメントたちもすでに過去の歴史になってしまったのですね。
+asamacat ありがとうございます。辺り前の存在の頃の記録がいかに重要か痛感いたします。
父方の田舎が三重県の多気町だったので、上りの紀伊号には、よく乗りました。下りは
一回ぐらいかな朝が早く着くから懐かしいです。
もうこの頃には食堂車の営業を止めていたんですね
貴重な音源をありがとうございます
那智の滝のテールマーク懐かしい。
名古屋駅でのDD51との衝突事故……
短命でした。
下り列車は名古屋駅は切り離しによる運転停車のみで、上り列車は客扱いをやってたんですね。
0:50までエンジンの過給機が作動してますね。
この当時はこの響きが当たり前だったのですが、最後まで残った富士・はやぶさは過給機が動作するのを聞かなかった気がします。そういうものなのでしょうか?
京都も運転停車だったんですね。
オルゴールはたしか「ハイケンスのセレナーデ」というタイトルだった筈です。たぶんA寝台側には「ブラームスの子守唄」と言う別バージョンが有ったはずです。ちなみにディーゼルカーのオルゴールは「アルプスの牧場」と言うタイトルです。
電車特急は鉄道唱歌
6:00
盗難の注意喚起があったなんて…時代ですね・
ウチんとこからなら津か松阪まででればそのまま東京行ける便利な列車やったな。
ありがとうございました。国鉄時代は大都市と結ぶ長距離列車が当たり前のように運行されてました。今の夜行バスみたいな感じなのだろうなと思います。
たまに聞こえる機関車の汽笛がタマラナイ
2:22から車内放送
有難うございます
@@Sannana37
どういたしまして❗️
紀伊勝浦到着はいい時間なのに出雲市はだいぶ遅い時間だな
「出雲3号」は豊岡〜倉吉あたりがメインターゲットでしたね。
元は米子行きの「いなば」ですし。1号の寝台券が取れなかった人のためにも、出雲市まで運行していたようです。
此の14系のハイネケンス音が24系のものより好きでした。。笑
+merciluke こちらの方は完全なオルゴールですよね?24系のと言うのは最後まで残った電子音の方でしょうか?
鉄道走行音ライブラリー そうです。廃止直前の寝台特急富士はやぶさに乗車した刻は電子音でした。。
+merciluke ありがとうございます。自分も90年代に多用したブルトレは電子式のものでした。そちらも懐かしいですよね。
当時の さくら・みずほ と・・・
同じ編成なんですね。。
食堂の営業がないんですね。。。。
最終運転の時に小学生でチケットまで取っておりましたが一緒に行く隣の兄ちゃんの親が平日の為学校を休むのはダメだとチケットを泣く泣く払い戻しした思い出があります。
懐かしくもあり苦い思い出が蘇りました^^
苦い思い出ですね。
わたくしも急行天の川の切符をキャンセルした苦い思い出がございます。
放送は2:21から。
鳥取のイントネーションからアナンウスは米子車掌区ですね
昔は寝台専用特急という言い方がわりとあったんですね。
「さくら」「みずほ」と、共通運用。「紀伊」号は、距離が短いのと、利用時間帯が、悪すぎる。確か、京都駅で「出雲3号」と「出雲2号」が、すれ違うようだったケド・・・。貴重なアナウンスありがとうございます。
寝台特急出雲号は記憶にありますが、紀伊はわかりません。いつ頃まで走っていたのですか?
59-2😉
84年のダイヤ改正で廃止になりました~
ご視聴いただきありがとうございました
紀伊!懐かしい
紀伊号の沿線出身ですが、運行時間が悪すぎた。新宮や勝浦に7時に着く必要性がないしこの速い時間じゃ三重県の中勢〜南勢の人は利用しずらい。運行時間は前身の急行那智時代の方が良かった。
ワイなら、下りは亀山で2時間停めておく😉
営業しないのにダイニングを組込むのが出雲の良さ
単に「さくら」「みずほ」と共通編成なだけ😉
@@psychedelicraspberry517まじか!?
本当です😉
@@psychedelicraspberry517 (途中まで)同じ方向へ行くブルートレインだもんな🚃
納得。
14系終わってないですよ
あけぼので使われてます
喪もナマカナヤカですねー😃
紀伊号見たことないです
営業しない食堂車繋ぐ理由はなんだったんだろ
山陽新幹線博多開業まであさかぜが3往復で営業運転、1往復が山陽新幹線博多延伸のため廃止、その車両がいなば紀伊に割り当てられる、食堂車が営業されずに連結
単に「さくら」「みずほ」と共通編成なだけ😉