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0:01 なんかいきなり地元出てきてビビったわ
私も色々調べてみました。準急最盛期の昭和39年4月の時刻表を隈なく見て見ても、準急→普通はまあまああるのですが、急行→準急・急行→普通は数は少ないものの見受けられましたしかし、三段階の急行→準急→普通は調べた限り以下の二通りでした■第一白馬:新宿23:00→松本[急行]→信濃森上[準急]→糸魚川[普通] 下りのみ・上りは信濃森上始発で普通区間無し■奥能登:松波10:12→穴水[普通]→金沢[準急]→大阪[急行「きたぐに」と併結] 上りのみ・松波発は穴水で輪島始発と併結し金沢で切り離し・下りは和倉(現・和倉温泉)止まりで普通区間無しケースとしては本線から支線に入る急行が準急になる事は有るが、更に末端が普通設定で、「第二羊蹄」のように本線での運用は珍しいのは、臨時運転で無理やり組み込んだ賜物ですね
4:26当時の時刻表(北海道版)は蒸機牽引は蒸機のイラストが書かれた。(懐😊)
そして、蒸気牽引を期待して行ったらDL代走で「フザケンナアアアア」になる迄がお決まり。
@@STEAMLOCOMOTIVEFAN さん、よくありましたよ、Dがひとつ多い51とか....。
一風変わった運用、北近畿エリアにも確かにありました。京都を10時15分に急行「丹後」1号として出発し、西舞鶴で宮津線・網野行きと敦賀行きとに分割した後、同駅から各駅に停まるかと思いきや隣の東舞鶴まで1駅間だけ急行「丹後」1号として運転される列車も実際にありました(そのために宮津線・豊岡行きと敦賀行きとに分割する5号とは異なり西舞鶴までではなく東舞鶴までの急行券が別途必要)。とりわけ当時急行専従だった東舞鶴まではかなりの需要があり、西舞鶴での分割後1駅間だけ急行として運転しても問題ないと聞いたことがあります。
そんな山線も新幹線が開業する頃には廃止になってしまうとなると切ないですね…
夏休みということは、学生の利用が激減するからその変な運用でも問題ないという判断か。
以前は臨時列車に50番台を使ってましたね。その後80番台へ。
札幌にはいい時間に到着するが、深夜の函館での乗換は大変だっただろう。
かつて、新安城から急行→神宮前から準急→須ヶ口から普通の弥富行きとかいうバケモノが名鉄にいたけど…クソっ、併結してないから負けた(何に)
小田急にも「快速急行⇔急行」に変わる、通称「化け急」がありますね。
列車種別のサボはどのように表示にしたのか興味深い。想像するだけで楽しいですね
とてもカオスな列車ですね。現在では考えられないほどの函館本線山線の繁栄ぶりが窺えます。数年後の新幹線札幌開業で廃線になってしまうのが寂しいですね。
山線沿線住みで、この頃の列車もけっこう勉強してきたけど「羊蹄」という名の急行は初耳でした。東北であの頃よく見かけた多層建て急行の応用版って感じですね。スジ屋さん考えたなぁ。
苦肉の策とはいえ、よく考えられていますね、😮
青函連絡船最末期の7隻の愛称のうち唯一列車名になったかどうかわからなかった「羊蹄」。なかなかカオスな列車だったのですね...
急行ー普通-急行という変な列車は他にもあったのよ
名古屋鉄道の種別変更みたいなものか…
特急型車両の普通列車運用のルーツっぽい。
「第2」羊蹄、だから全席指定(自由席を連結していたら「羊蹄2号」の筈。ひゃー?!
普通列車区間を挟むので、普通急行料金と準急行料金との単純合算だと思うのですが、偶然にも急行200円+準急100円との合算額300円と、始発函館から終着札幌まで連続して急行で向かった場合の急行料金300円と同額であったと言うところが面白いですね。まあ胆振線内各駅利用客向けの列車で、連続して乗車するお客さんはほとんどいらっしゃらなかったと推察いたします。
山線が数年後廃止されるのは反対です。何故に廃止するのか。
0:01 なんかいきなり地元出てきてビビったわ
私も色々調べてみました。準急最盛期の昭和39年4月の時刻表を隈なく見て見ても、準急→普通はまあまああるのですが、急行→準急・急行→普通は数は少ないものの見受けられました
しかし、三段階の急行→準急→普通は調べた限り以下の二通りでした
■第一白馬:新宿23:00→松本[急行]→信濃森上[準急]→糸魚川[普通] 下りのみ・上りは信濃森上始発で普通区間無し
■奥能登:松波10:12→穴水[普通]→金沢[準急]→大阪[急行「きたぐに」と併結] 上りのみ・松波発は穴水で輪島始発と併結し金沢で切り離し・下りは和倉(現・和倉温泉)止まりで普通区間無し
ケースとしては本線から支線に入る急行が準急になる事は有るが、更に末端が普通設定で、「第二羊蹄」のように本線での運用は珍しいのは、臨時運転で無理やり組み込んだ賜物ですね
4:26当時の時刻表(北海道版)は蒸機牽引は蒸機のイラストが書かれた。
(懐😊)
そして、蒸気牽引を期待して行ったらDL代走で「フザケンナアアアア」になる迄がお決まり。
@@STEAMLOCOMOTIVEFAN さん、よくありましたよ、Dがひとつ多い51とか....。
一風変わった運用、北近畿エリアにも確かにありました。
京都を10時15分に急行「丹後」1号として出発し、西舞鶴で宮津線・網野行きと敦賀行きとに分割した後、同駅から各駅に停まるかと思いきや隣の東舞鶴まで1駅間だけ急行「丹後」1号として運転される列車も実際にありました(そのために宮津線・豊岡行きと敦賀行きとに分割する5号とは異なり西舞鶴までではなく東舞鶴までの急行券が別途必要)。
とりわけ当時急行専従だった東舞鶴まではかなりの需要があり、西舞鶴での分割後1駅間だけ急行として運転しても問題ないと聞いたことがあります。
そんな山線も新幹線が開業する頃には廃止になってしまうとなると切ないですね…
夏休みということは、学生の利用が激減するからその変な運用でも問題ないという判断か。
以前は臨時列車に50番台を使ってましたね。その後80番台へ。
札幌にはいい時間に到着するが、深夜の函館での乗換は大変だっただろう。
かつて、新安城から急行→神宮前から準急→須ヶ口から普通の弥富行きとかいうバケモノが名鉄にいたけど…
クソっ、併結してないから負けた(何に)
小田急にも「快速急行⇔急行」に変わる、通称「化け急」がありますね。
列車種別のサボはどのように表示にしたのか興味深い。想像するだけで楽しいですね
とてもカオスな列車ですね。現在では考えられないほどの函館本線山線の繁栄ぶりが窺えます。数年後の新幹線札幌開業で廃線になってしまうのが寂しいですね。
山線沿線住みで、この頃の列車もけっこう勉強してきたけど「羊蹄」という名の急行は初耳でした。東北であの頃よく見かけた多層建て急行の応用版って感じですね。スジ屋さん考えたなぁ。
苦肉の策とはいえ、よく考えられていますね、😮
青函連絡船最末期の7隻の愛称のうち唯一列車名になったかどうかわからなかった「羊蹄」。なかなかカオスな列車だったのですね...
急行ー普通-急行という変な列車は他にもあったのよ
名古屋鉄道の種別変更みたいなものか…
特急型車両の普通列車運用のルーツっぽい。
「第2」羊蹄、だから全席指定(自由席を連結していたら「羊蹄2号」の筈。
ひゃー?!
普通列車区間を挟むので、普通急行料金と準急行料金との単純合算だと思うのですが、偶然にも急行200円+準急100円との合算額300円と、始発函館から終着札幌まで連続して急行で向かった場合の急行料金300円と同額であったと言うところが面白いですね。
まあ胆振線内各駅利用客向けの列車で、連続して乗車するお客さんはほとんどいらっしゃらなかったと推察いたします。
山線が数年後廃止されるのは反対です。何故に廃止するのか。