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ヨンサントウ白紙ダイヤ改正では、松本運転所のかいじは、ビュッフェも営業していました。それと、115系使用でグリーン車を連結されていたかいじ6号は、上りは快速甲府発で運転されていた。
急行「ひのくに」は食パン715系で運用されていた時期があり、なんとロングシートの指定席があったそうな。
南海のかつてあった本線特急「サザン」の前身、特急「四国」号なんてそれ以前から、二扉の扉間のみ転換クロスで車端部がロングシートの1000系を、ロングシート部も料金採ってた全席指定で毎日走ってたよ…😅
まさに遜色急行ですね。他に711系の急行かむいやキハ40系の急行つやまもそうでしたね。
711系は座席こそ近郊型だけど、ロングシートはなく、片開き2ドアでデッキ付き。ほぼ急行型レベルだったからね。岩見沢や滝川や深川等にも停まるさちかぜと、札幌出たら旭川まで問答無用のノンストップのかむい。特急ライラック ホワイトアローからスーパーカムイの原点。
@@fukushimakatumi7465 そうですね。近郊形のカテゴリーだけど2ドアだから急行形としても通用するようなレベルでしたね。
115系遜色急行アルプスシールドビーム(300番台)やったー冷房付きだー大目玉ライト(0番台)ゲゲー冷房無しのサウナ風呂車だ。昭和時代の幼い頃の思い出。
きっと、走行音に紛れて「ザワ、ザワ」というざわめきが聞こえたに違いない😅
やっぱアンタはすげー‼️‼️‼️鉄道はもちろん、当時の時代背景やらものすごく勉強されてますね‼️‼️かいじ号、人物なら泣けるほどの物語ですね👍
末期の【かすが】は(上等な)遜色急行だった。【快速みえ】と同じキハ75だけど、専用車両でちょっとだけ高級感があった。
急行かいじは毎月のように乗っていたなあ、アルプスより時間かかるけど必ず座れるのが良かった。車内販売もあずさアルプスと違って、笹子餅の売り子(中央車販)さんが乗ってくるんだよねえ。
三鷹から岡山に転属した115系の中オカD-26,27編成(旧西ミツ9,11編成)は、かつて「かいじ」に充当され、44年後にまさかの「リバイバル急行鷲羽」に抜擢され、昭和と令和で「遜色急行」の運用実績を残すことになるとは…
かつての非電化時代の千鉄局では 海水浴シーズンの夏ダイヤになると キハ45系や26系をごちゃ混ぜに連結した臨時急行『 そとうみ』『うちうみ』が走ったり キハ58系の定期急行にも 編成の中間にキハ45が増結された列車がありました。電化されても113系の臨時『外房』『内房』が走り 幕張に新製配置されたばかりの『サロ113』組み込みの全車冷房車の編成が走った事もありました。(サロ113は 後に関西に転出)
キハ23系はまだ近郊用だからまだしも、さらにひどいと千葉に大量に持っていたキハ35系まで使ったとかで、たとえロングシート車が急行だろうと問答無用に急行料金を巻き上げていた。遜色どころかボッタクリ急行だった。
@@fukushimakatumi7465 さま記憶が曖昧だったので 17系や35系は 書かなかったのですが やっぱりあったんですね。そういや千鉄局の準急も 始まりは26系ではなく 一般用の20系でしたからね。ロングシートで急行料金は 確かにボッタクリ。今でも地方私鉄では 秩鉄や富山地鉄で ロングシート車が急行や特急で代走しても きっちり料金は取るようですね。
@@fukushimakatumi7465 そういう事やってるから房総は衰退したのですね。東海道線ならいくら悪くても155系くらいでしたから。
中央東線の115系急行は上諏訪発着のアルプス51.56号が1984年頃まで走っていた記憶がありますよ。
国鉄・JRの遜色急行、ありましたねぇ。JR化後にも臨時急行ひのくになんかもありました。でも車両は115系よりかはまし?だったらしい。
遜色急行だったのを逆手に115系でリバイバル運転されたようですね。まともな急行だったら165/169系はとっくに無くなってたのでリバイバル出来なかったかと
リバイバルの鷲羽が近郊型に無理やり大型ヘッドマーク付けてたの思い出した
甲府から特急に乗るときにかいじはあずさより空いてるし、何より甲府始発だから自由席利用の時は座って行けるから良い。
昔の甲府民は、自由席狙いでかいじ利用してましたよね〜現在は全車指定化してしまったため、甲府民は早く着けるあずさを利用してしまいますよね...
懐かしの「遜色急行かいじ」ですね。47~48年前に甲府~八王子間を「自由席でギュウギュウ詰め」だったのを思い出します。もっとも115系電車はまだまともなほうでしたが。
115系のかいじは後年知りましたが、167系の臨時急行「かいじ・かわぐち」には乗ったなあ、修学旅行色で大月から先4両とコンパクトな急行だった、甲府で身延線に乗換え乗ったのが62系、クモハユニ44とかに乗りたかったのに・・・残念、なのもいい思い出
昭和56年~59年まで甲府におり、帰省とUターンで鈍行や急行はよく使いました。あまり話題に上りませんが、165系急行みのぶ号が身延線内を2M3Tの5両編成だったのは意外でした。
サンロクトウのダイヤ改正時は山梨市駅は日下部駅でした。1962年1月15日に日下部駅は山梨市駅に改称しました。
繁忙期、臨時の「スカ色の急行アルプス」にも使われていました。当時はエアコン付きが鈍行との違い?だったのかと。
急行かわぐちは何回か乗った事あるなぁ。懐かしいなぁ。
三鷹電車区での165系の写真。サハシ?が連結されている。50のおっさんだが、私が幼少のころはアルプス号、かいじ号の165系にはビュッフェ車両が連結されていたなあ。(営業はしてないが)
その近郊型が借り上げられると二次的な車両不足が発生し、101系800番代基本編成が夕刊輸送のクモ二やクモユニを併結し、甲府以東ローカル運用に入っていました。 方向幕に「甲府」が入った先頭車が少なかったので、運転室窓内側にサボを掲出、字幕の方は適当な位置(コマとコマの間)にしてあり、いかにも臨電という感じでした。昭和40年代中期、夏の夕方、新宿駅で時々見かけた光景。
3:47 〜の曲、ちょっと懐かしいメロディが国鉄急行の雰囲気に合ってて好き
この曲のことを知ってたらすみません、一応お伝えすると「北朝鮮の統一列車は走る」という曲です。特に国鉄関連の解説だからかかなり似合いますよね^ ^😊
@@electroniclimitedexpressca571 ちょうど知りたかったので助かる😊
115系とサロ165が混結できたとは知りませんでした。😮
その昔TOMIXで発売されていた「横須賀色版サロ112」、そのお手本とも呼べそうな列車だったんですね。さすがに普通車は「そりゃ無いプス!!」なアコモデーションだったわけでしょうけれど。
鉄ピで、遜色急行特集とか、115系特集で取り上げられていた。東海道本線でも、111系使用の準急「日本平」号を走らせていた。
最後の定期急行「つやま」はキハ40でしたね
運行最終日の山陽新聞に「ぼったくり急行と言われて」の見出しで「つやま」に関する記事が掲載されていました。この列車が生まれたのは津山市のせいです。
昔、千葉の内房線でも押しかける海水浴客を捌くべく各地から列車を借りて臨時急行を運転してたが、中には小山電車区からの115系も使われて運悪く乗り合わせてしまった記憶があります。もちろん非冷房車でした😅😅😅
80年代、臨時急行ざおう乗ったとき、真夏の非冷房キハ58はジコクだった。黒磯で、115系冷房車普通に逃げた人多数。まあ、座席座れなかった人はみーんな逃げた。その頃は、115系は天国だった。
全区間架線下の電化完結なのに、なぜだかキハ58系気動車だった急行ときわもあった。
@@fukushimakatumi7465 急行ときわは、急行奥久慈を連結していたから。昔は、常陸大子や磐城石川まで、直通していた。急行ときわは、電車のほうが多かったね。夏の臨時ざおうは、修学旅行用のキハ58が使われたね。満員立席あり、排気ガスいっぱい、エンジンから排熱ありの、冷房なしの急行は、ジコク。115系冷房車が、天国だった。
@@fukushimakatumi7465 ときわは奥久慈との併合の関係。ざおうは455系の運用の関係では?
@@fukushimakatumi7465 一番遠いには男鹿、秋田行きかなキハ58でほとんどが非冷房車、ときわ・奥久慈は冷房車が入っていた。
1990年代は、「かいじ」は名称だけで「あずさ」の影に隠れた存在感は否め無かった。むしろE353系になり「かわぐち」が「富士回遊」という特急になったのは驚き。
プレステ5みたいな電車はいいな。
関西地区には、近郊型を使った急行は、なかったように思い出します。関東地区では、その他にうち房の季節列車や、ゆけむりとあかぎが朝ラッシュ時の折り返しで運転されていた。また急行なすのも同様だった。がいじには、一時新前橋電車区のサロ165型が豊田電車区に貸し出されていたのではないか?
私は415系使用の急行能登路5号に乗ったことがあります。もちろんガラガラでした。周遊券を持っていたので、快速みたいなもんでしたが。
昔から急行「能登路」の一部列車や編成にはキハ45、車端部がロングシートで非冷房のキハ58、そして電化後は仰るように415系が充てられ「能登路の伝統は遜色急行の伝統」と言ってもよいほどに「能登路」は冷遇されていました。キハ58の内装をリクライニングシートにしてテレビを設置して「ビデオカー」として、一部の列車に組み込んだそうですが長くは続かなかったようです。私は七尾線電化直前の学校の夏休みに運転免許取得合宿で能登半島に行き、合宿が終わって自宅に帰ろうと能登路に乗ったら車端部がロングシートに改造された車両が編成の一部にあり、えっ?急行にロングシートがある…と思いました。
JRになってからもあの有名な遜色急行キハ48つやま 阪和線・紀勢線に221系急行しらはまってのも
晩年の「かすが」はキハ75系と記憶しておりますが違いましたか?
221系やキハ75系は"遜色"なんですか?転換クロスシートなので充分急行に対応できると思いますけど。
@@By-Gaeshi 様。コレは私的見解ですが…近郊系と急行系、国鉄時代での基本的な違いは前者が乗降が比較的安易であるのに対して後者は外界とワンクッションおいている事でしょうか。→つまりデッキの有無?北海道の711系が「かむい」「さちかぜ」が急行運用についたのは、その為でしょうか。しかしながら、この構造も冬場の外気遮断が目的でしょうし、そういった件は50系客車にも該当しましょう。メカ構造に疎いのでハッキリした解答とは言えませんが、117系と185系の違いはデッキが…というヒトもいるとか。デッキの有無についても、会社によっては概念は曖昧で「ふじかわ」に使用される373系はデッキが簡易になっていますし(ドア開閉スイッチで対応?)、JR九州の66/67系は筑豊近辺の急行「はんだ」等の履歴もあります。また私鉄特急車両は小田急ロマンスカー3000系等はノンデッキでしたし、近鉄16000系のように省略した例もあります。JR九州の「はやとの風」等、近鉄「青のシンフォニー」のように一般型改造もありますし、その概念は前述の通り諸々でどこまでが「遜色」か否かは、私の見解は「そこまで」かと…余談ですが、「かすが」は片側3扉のうち、中間扉を締め切りとしていたようです。
かいじ号じゃないけど1960#年代に 糸魚川から塩山まで 急行アルプスに乗りました。キハ58だったと思うけど子供ながらに「金持ちが乗る汽車だ」と思いました。
大糸北線がピンチなのでLCTでもいいので新宿ー糸魚川の列車が走らせないかな。
ガキの頃、新宿発甲府行きの急行・快速・普通に全部乗ったな。115系普通は中央特快よりも停車駅が少なかったけど、何故か都内完結の乗客が乗ってこなくて不思議だった。確か新宿を出たら中野、三鷹、(国分寺)、立川、八王子、高尾だったと記憶している。この頃は小学生だったし鉄でも無かったから曖昧だけど。
でも考えてみたら昔の165系とかキハ58系とか普通車とはいえよくあんな直角の向かい合わせでピッチも狭い向かい側の人の膝がくっつく激狭シートで特別料金取ってたなあ。デッキで客室と乗降扉付近が仕切られているたけで実際は近郊型とたいして変わらんから。
当初特急かいじは敢えて183系初期車を当て、代わりにかいじ切符なる往復運賃分で特急に乗れますにしてました。(あずさは乗車不可)
さすがに甲府からの普通列車は今は廃止されましたが、乗り換えなしの東京行という列車は、甲州方面で昔から需要は旺盛であるという証拠なんですね🙂
首都圏の遜色急行って上尾事件がきっかけだったってきいたことがありますが...
「カイジ」にこんな歴史があるのは知りませんでしたね…(漫画の方ではありませんよ)これはまだ調べがいがありそうですね😊
115系「かいじ」が走っていた頃の中央線は、キハ58・65系による三階建て急行「アルプス・八ヶ岳・かわぐち」が12連で轟音を響かせ、特急「あずさ」は181系と183系0番台、165系も「アルプス・こまがね」、「かいじ・かわぐち」のいずれも12連、普通列車は新宿発着の115系+荷郵電のほか高尾発着の71・72系もあり、身延線からの出稼ぎで塩山~韮崎を戦前型旧国が爆走し、初狩と笹子を通過するEF64牽引の旧客も健在、とまあ実に多彩な顔ぶれが行き交い、どれに乗ってもワクワクしていました。1970年代、甲府在住だった頃の思い出です。
115系の急行「かいじ」「かわぐち」は何度か乗りました。当時は東北線の急行「なすの」の115系も乗ったし、常磐線の401,403系の急行「ときわ」にも乗りました。千葉地区にも113系の急行もありました。考えてみればけっこうあちこちにありました。また非電化区間では、一般形気動車による急行列車もけっこうあった時代です(編成表にも出てこないものもあった。)。もともと急行は、普通列車と同等の設備の列車が、特急列車ほどでないにしても、ある程度の駅を通過し、中長距離を乗り換えなしで、比較的速く格安で移動できる乗り得の列車として、設定されていた面があります。だから、客車時代には、普通列車用の旧型客車などを主に使っている急行列車はいくらでもありました。中央線では、この当時「あずさ」と「かいじ」の中間の、急行「たてしな」(新宿⇔岡谷)には旧型客車が用いられていました(ドアは完全手動。)。ある程度の一般形(近郊型)車両の急行列車への使用はやむを得なかったと思います。
1960年代前半頃に準急らうすで戦前製のキハ04系(旧キハ41000形)が使われていたのもかなりやばいと思っています。※かいじの名前について→1953年~1954年頃に土曜日限定の新宿~甲府の快速列車で1度名前が使われていたようです。
115系の急行なんてむしろ乗ってみたい。
高崎・上越線の急行「ゆけむり」1号は115系での運用だったよ(全車自由席)🚃下りだけだったけど(^^)
まだ宇都宮線すらなかった東北線にも、急行なすのに115系の列車があった。しかもグリーン車すらないが全て300番台や1000番台車編成。今や東北新幹線の近距離各駅停車のなすのが昔はこんな散財急行だったとは。
そのサロ組み込み115系『かいじ』用の編成は 朝は 甲府発新宿行き(立川行きだったかもしれない)の通勤快速に使われていました。そしてそのスカ色に塗り替えたサロ165は 新前橋からの借り物。因みに気動車時代の『かわぐち』は 富士急が乗り入れ用に新製したキハ58001〜003で 併結する国鉄急行が気動車だったから 全線架線下を走るにもかかわらず わざわざ造った『私鉄製キハ58』で 特に003は 数あるキハ58系の中で唯一『新製 両運転台車』でした。気動車急行末期の頃は国鉄車が 冷房付きだったのに 富士急車は最後まで非冷房で サービス格差が生じていました。
後に臨時快速に格下げられて、JR化後は後にホリデー快速ピクニック号の甲府 河口湖行きのスジに。豊田の115系9連時代もあったが、三鷹の165系9連や4両ずつで田町の167系8連もあった。停車駅は三鷹と立川と高尾と上野原が追加されただけ。国鉄時代初鹿野だった甲斐大和は特急追い抜きで必ず停車してた。
キハ58003は今でも有田鉄道跡で保存中。
遜色急行、遜色特急、時刻表には料金減額の表記が記載されていた時代も。それより、普通列車に特急車両を使うのもどうかと思った事もあったかな、何せ通勤通学時間帯だったし。
JRになっても221系の臨時急行とかあったからねでも3扉の車両を急行に使われると違和感あるんだよな
221系の急行運用は海水浴シーズンにありましたね。列車名はマリン城崎号で、3扉ながら当時は新車でした。
115系急行かいじは、臨時だけでなく定期運用もありましたがな最終のかいじ6号がそれで、こねのみは定期券で利用出来たので、今でいうところのライナー号みたいな感じでしたろうかちなみに翌日の上り快速高尾行きとして戻ってきていました
165系の急行かいじは、甲府が母の田舎でしたので、よく乗りました。アルプスでは甲府から乗車ではまず座れなかったですから、かいじなら絶対座れますのでね。
「かいじ」の行先は信州の山か、やっぱりシェルターはその辺なんだな
3:33「吸収合併!どうする!どうする!どうするんだぁ~!補完のままでイイのか?カイジ~!」大月(大槻)班長...?
河口湖行きの直通は残っていますね
ときわ「呼ばれた気がした」
急行つやま「許されたw」冗談はさておき、季節限定横浜方面~松本の「はまかいじ」も入れてほしかった。
[かいじ切符]…高速バスへの対抗策&破格の安値だった😂
115系を使ったこの列車を、【特快扱い】にすれば乗り得列車たりえただろうが…。
夏の常磐線では415系新製冷房車を使った臨時のときわが運転されていたし、繁忙期に非冷房115系のあかぎや佐渡も運転されてた時期があった様だ。東海道線は155系や167系が有ったので冷房の有無は別としてそこまで酷いのは無かったようだ。
ここから漫画家「かわぐちかいじ」の筆名が誕生した
空母いぶきさん!?
沈黙の艦隊…⁉
@@user-maru-8.okugemoriyama なるほど。ずっと思い込んでました。多謝。
それウソ。彼は本名「川口開治」さん
@@prossi4802 さま。まさか本名とはね。しかし勘ぐってしまいますよね。
特急かいじの一部は竜王駅まで運転区間が延びてるけど…
国鉄電車115系近郊型直流電車800番台車横須賀色の急行かいじ号、かわぐち号はカトー関水金属製品のNゲージ鉄道模型として健在です。また、グリーン車は高崎鉄道管理局新前橋電車区から借り入れのため湘南色のままとしてあります。また、列車番号は急行かいじ号が下りが6505M上りが 6606M 、急行かわぐち号が下り6501M上り 6502M の列車番号になっていました。また、金銭面で余裕が出来ましたらポポンデッタ-のレンタルレイアウトで165系と115系800番台車の両方の急行かいじ号、かわぐち号を走らせる事を考えています。165系は定期列車の急行かいじ号、かわぐち号として、また、115系800番台車の横須賀色は季節列車の急行かいじ号、かわぐち号として区別してあります。
古びたキハ58よりかは115系のほうが快適だったのでは説
E233系オールロングシートの急行があったら・・・
近郊型の急行を「残念」とか言っているが、かつての急行型車両というのもリクライニングなしのクロスシートだったわけで、現代的感覚だと近郊型とたいして変わらないと思うのだが・・・。デッキがあったかもしれないが、その程度の違い。
115系を「かいじ」に召し上げられた高尾発列車は101-800にトイレ代りの83800付いた編成に
101系800番台車に郵便荷物合造制御電動車のクモユニ82型と荷物合造制御電動車のクモニ83型を連結した編成カトー関水金属製品のNゲージ鉄道模型でもっています。これは101系通勤型直流電車に便所の設備がなかったための苦肉の策でした。再生産されましたら是非購入する事をおすすめします。
今みたいに高速バスがない時代は鉄道一択だった。
高速バスの運転手不足なのでそこで大糸北線を活用しましょう。
@@monoeye4x489そこは高速バス🚍️通ってないが😉
鹿児島本線の「ぎんなん」のなんてグリーン車も無い近郊型の編成もあったヨ。
1:48 1日1往復?なぜ昼過ぎに出るんだろう?
乗客「夢に決まってる······!😱」国鉄「ところがどっこい·······夢じゃありません········!」
そして、その特急河口は、現在は、特急富士海遊となった
BGMの主張が強いですね
もう2度と韓国ソングをBGMに流さないで!と思ってる視聴者多いと思う。今後この路線を貫くなら見ないから。
グリーン車に乗る人間からしたら「別に問題ない」のでしょうけどね
近郊型使用が「遜色急行」なら「急行」型による特急もまた「遜色」?過去には153系使用の「こだま」もあったらしい。→いわゆる「かえだま」。
キハ80系の配置が間に合わず 暫定的に急行形キハ56で運転された『特急 北斗』や 12系客車で運転された『臨時特急 つばさ』の例もありました。これらは 特急料金を¥200程割り引いていました。
@@toriri-service さま。そういった実例も存在しました。なんでもキハ81系が故障連発で、特急いなほの455系による代走の履歴があるらしいです。件の「こだま」ですが、実は153系だけでなく157系が使用された事もあるらしく、交友社「鉄道ファン」(昭和51年2月号)に写真も掲載されていました。このパターンも「遜色特急」に該当しますか?なお私が体験した遜色急行列車は赤羽から三峰口まで乗車した秩鉄直通「ちちぶ」で115系。熊谷まで「あかぎ」と併結、と記憶しております。
@@雅夫大場 さま特急『富士』踏切事故で パーラーカー『クロ151-7』が廃車になった とばっちりでしたね。クハ161が東海道特急の先頭に立ったり 『とき』が157系+161系となったり(どちらもギア比が4.21と一緒だったので 運転に支障はないものの 屋根高さが違うので凸凹編成)したこともあったそうです。出自はデラックス準急用の157系でしたが 車内アコモは 登場時から特急用と遜色なく この頃は冷房も載せられていて 窓が固定じゃないこと以外問題はなく実際 特急『ひびき』としても運用されていましたので これは『遜色特急』ではなくギリOKかもしれません。高崎線の秩鉄直通急行は存じませんでした。普通電車に併結される臨時『みつみね』は 実際に見たこともありましたが 調べてみたら本当にあったみたいですね。時刻表ネタ 昭和51年 115系急行「ゆけむり」「あかぎ」「みつみね」: マル鉄コレクション館 marutetsu.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-12b1.html私鉄では 東武鉄道で 踏切事故に遭った1720系DRCが 衝突して発火したクルマからのもらい火で 先頭車が焼けた為に 5700系が臨時『けごん』で走ったことがありました。元特急車とはいえ アコモや性能(元々のDRCのダイヤで走れなかった)に格差があり過ぎた為 特急料金は 全額返還されたそうです。
@@雅夫大場 157系は冷房搭載後なので問題無し、161系との混結は渡り板の高さがどうだったのかが気になる所。
遜色急行は全国各地に運行していました東海道では不定期の「日本平」、常磐線では「ときわ」は数本と、特に臨時・不定期列車は「二線級の車両だけど座れる可能性は高いぜ~、新型車両だけど座れるか解らないのとふっる~い車両だけど座れるのどっちが良い?」って意味合いで、近郊型や冷房が付いて無かったり座り心地悪かったり…だけど急行料金はちゃっかりもらうというサービスとしては超絶ダメダメなやり方をしていましたね。昔の国鉄は。今も、停車駅は昔の準急レベルなのに特急料金を取ってたら「かいじ」も中央高速バスには勝てないよ…って思っております
遜色『ときわ』も 冷房付きの415系ならともかく 一番古い401系低運転台車が 充てがわれていた事もありました。
八王子と立川🐹🐱
常磐線の赤電も思い出しました(笑)
通勤型車両で急行料金を徴収するのは酷いな。
今ならせいぜい「快速」ですね。
千葉が非電化時代はこんな急行当たり前。58があればまさに天国。まだキハ55/26型や20系やキハ10系などいい方で、キハ45系が混ざってたり、さらにひどいと大量に持っていたキハ30系まで駆り出された。無論ロングシートだろうが情け容赦なく急行料金を強奪するぼったくり急行だった。客車列車時代にまだまともな35系ならいい方で板背刷り座席のオハ61系まで使ったとかで、問答無用に料金を強奪してた。護送車レベルのレベルの悪さ。
八王子🐹🐹🐹🐱🐱🐱
西の桜井線、和歌山線、環状線、学研都市線、東西線と福知山線の篠山口駅以南を除いて普通列車のオールロングシート車率が低いことは、昔の遜色急行とは対照的な特徴。
6:35 だる
立川🐹🐱
最近はコロナの関係か遜色特急がやたらと増えてきたような気がする。JRと東武は目立つ。
「急行」型が足りないなら「近郊」型を使えば?どっかで聞いたセリフ…
ざわ…ざわ…
がいじ
ヨンサントウ白紙ダイヤ改正では、松本運転所のかいじは、ビュッフェも営業していました。それと、115系使用でグリーン車を連結されていたかいじ6号は、上りは快速甲府発で運転されていた。
急行「ひのくに」は食パン715系で運用されていた時期があり、なんとロングシートの指定席があったそうな。
南海のかつてあった本線特急「サザン」の前身、特急「四国」号なんてそれ以前から、二扉の扉間のみ転換クロスで車端部がロングシートの1000系を、ロングシート部も料金採ってた全席指定で毎日走ってたよ…😅
まさに遜色急行ですね。他に711系の急行かむいやキハ40系の急行つやまもそうでしたね。
711系は座席こそ近郊型だけど、ロングシートはなく、
片開き2ドアでデッキ付き。ほぼ急行型レベルだったからね。
岩見沢や滝川や深川等にも停まるさちかぜと、
札幌出たら旭川まで問答無用のノンストップのかむい。
特急ライラック ホワイトアローからスーパーカムイの原点。
@@fukushimakatumi7465 そうですね。近郊形のカテゴリーだけど2ドアだから急行形としても通用するようなレベルでしたね。
115系遜色急行アルプス
シールドビーム(300番台)
やったー冷房付きだー
大目玉ライト(0番台)
ゲゲー冷房無しのサウナ風呂車だ。
昭和時代の幼い頃の思い出。
きっと、走行音に紛れて「ザワ、ザワ」というざわめきが聞こえたに違いない😅
やっぱアンタはすげー‼️‼️‼️鉄道はもちろん、当時の時代背景やらものすごく勉強されてますね‼️‼️
かいじ号、人物なら泣けるほどの物語ですね👍
末期の【かすが】は(上等な)遜色急行だった。【快速みえ】と同じキハ75だけど、専用車両でちょっとだけ高級感があった。
急行かいじは毎月のように乗っていたなあ、アルプスより時間かかるけど必ず座れるのが良かった。車内販売もあずさアルプスと違って、笹子餅の売り子(中央車販)さんが乗ってくるんだよねえ。
三鷹から岡山に転属した115系の中オカD-26,27編成(旧西ミツ9,11編成)は、
かつて「かいじ」に充当され、44年後にまさかの「リバイバル急行鷲羽」に抜擢され、
昭和と令和で「遜色急行」の運用実績を残すことになるとは…
かつての非電化時代の千鉄局では 海水浴シーズンの夏ダイヤになると キハ45系や26系をごちゃ混ぜに連結した臨時急行『 そとうみ』『うちうみ』が走ったり キハ58系の定期急行にも 編成の中間にキハ45が増結された列車がありました。
電化されても113系の臨時『外房』『内房』が走り 幕張に新製配置されたばかりの『サロ113』組み込みの全車冷房車の編成が走った事もありました。
(サロ113は 後に関西に転出)
キハ23系はまだ近郊用だからまだしも、
さらにひどいと千葉に大量に持っていた
キハ35系まで使ったとかで、たとえロングシート
車が急行だろうと問答無用に急行料金を巻き上げていた。
遜色どころかボッタクリ急行だった。
@@fukushimakatumi7465 さま
記憶が曖昧だったので 17系や35系は 書かなかったのですが やっぱりあったんですね。
そういや千鉄局の準急も 始まりは26系ではなく 一般用の20系でしたからね。
ロングシートで急行料金は 確かにボッタクリ。
今でも地方私鉄では 秩鉄や富山地鉄で ロングシート車が急行や特急で代走しても きっちり料金は取るようですね。
@@fukushimakatumi7465 そういう事やってるから房総は衰退したのですね。東海道線ならいくら悪くても155系くらいでしたから。
中央東線の115系急行は上諏訪発着のアルプス51.56号が1984年頃まで走っていた記憶がありますよ。
国鉄・JRの遜色急行、ありましたねぇ。JR化後にも臨時急行ひのくになんかもありました。でも車両は115系よりかはまし?だったらしい。
遜色急行だったのを逆手に115系でリバイバル運転されたようですね。
まともな急行だったら165/169系はとっくに無くなってたのでリバイバル出来なかったかと
リバイバルの鷲羽が近郊型に無理やり大型ヘッドマーク付けてたの思い出した
甲府から特急に乗るときにかいじはあずさより空いてるし、何より甲府始発だから自由席利用の時は座って行けるから良い。
昔の甲府民は、自由席狙いでかいじ利用してましたよね〜
現在は全車指定化してしまったため、甲府民は早く着けるあずさを利用してしまいますよね...
懐かしの「遜色急行かいじ」ですね。47~48年前に甲府~八王子間を「自由席でギュウギュウ詰め」だったのを思い出します。もっとも115系電車はまだまともなほうでしたが。
115系のかいじは後年知りましたが、167系の臨時急行「かいじ・かわぐち」には乗ったなあ、修学旅行色で大月から先4両とコンパクトな急行だった、甲府で身延線に乗換え乗ったのが62系、クモハユニ44とかに乗りたかったのに・・・残念、なのもいい思い出
昭和56年~59年まで甲府におり、帰省とUターンで鈍行や急行はよく使いました。あまり話題に上りませんが、165系急行みのぶ号が身延線内を2M3Tの5両編成だったのは意外でした。
サンロクトウのダイヤ改正時は山梨市駅は日下部駅でした。
1962年1月15日に日下部駅は山梨市駅に改称しました。
繁忙期、臨時の「スカ色の急行アルプス」にも使われていました。当時はエアコン付きが鈍行との違い?だったのかと。
急行かわぐちは何回か乗った事あるなぁ。
懐かしいなぁ。
三鷹電車区での165系の写真。
サハシ?が連結されている。
50のおっさんだが、私が幼少のころはアルプス号、かいじ号の165系にはビュッフェ車両が
連結されていたなあ。(営業はしてないが)
その近郊型が借り上げられると二次的な車両不足が発生し、101系800番代基本編成が夕刊輸送のクモ二やクモユニを併結し、甲府以東ローカル運用に入っていました。
方向幕に「甲府」が入った先頭車が少なかったので、運転室窓内側にサボを掲出、字幕の方は適当な位置(コマとコマの間)にしてあり、いかにも臨電という感じでした。昭和40年代中期、夏の夕方、新宿駅で時々見かけた光景。
3:47 〜の曲、ちょっと懐かしいメロディが国鉄急行の雰囲気に合ってて好き
この曲のことを知ってたらすみません、一応お伝えすると「北朝鮮の統一列車は走る」という曲です。特に国鉄関連の解説だからかかなり似合いますよね^ ^😊
@@electroniclimitedexpressca571 ちょうど知りたかったので助かる😊
115系とサロ165が混結できたとは知りませんでした。😮
その昔TOMIXで発売されていた「横須賀色版サロ112」、そのお手本とも呼べそうな列車だったんですね。さすがに普通車は「そりゃ無いプス!!」なアコモデーションだったわけでしょうけれど。
鉄ピで、遜色急行特集とか、115系特集で取り上げられていた。東海道本線でも、111系使用の準急「日本平」号を走らせていた。
最後の定期急行「つやま」はキハ40でしたね
運行最終日の山陽新聞に「ぼったくり急行と言われて」の見出しで「つやま」に関する記事が掲載されていました。この列車が生まれたのは津山市のせいです。
昔、千葉の内房線でも押しかける海水浴客を捌くべく各地から列車を借りて臨時急行を運転してたが、中には小山電車区からの115系も使われて運悪く乗り合わせてしまった記憶があります。もちろん非冷房車でした😅😅😅
80年代、臨時急行ざおう乗ったとき、真夏の非冷房キハ58はジコクだった。黒磯で、115系冷房車普通に逃げた人多数。まあ、座席座れなかった人はみーんな逃げた。その頃は、115系は天国だった。
全区間架線下の電化完結なのに、なぜだかキハ58系気動車だった
急行ときわもあった。
@@fukushimakatumi7465 急行ときわは、急行奥久慈を連結していたから。昔は、常陸大子や磐城石川まで、直通していた。
急行ときわは、電車のほうが多かったね。
夏の臨時ざおうは、修学旅行用のキハ58が使われたね。満員立席あり、排気ガスいっぱい、エンジンから排熱ありの、冷房なしの急行は、ジコク。115系冷房車が、天国だった。
@@fukushimakatumi7465 ときわは奥久慈との併合の関係。
ざおうは455系の運用の関係では?
@@fukushimakatumi7465 一番遠いには男鹿、秋田行きかなキハ58でほとんどが非冷房車、ときわ・奥久慈は冷房車が入っていた。
1990年代は、「かいじ」は名称だけで「あずさ」の影に隠れた存在感は否め無かった。むしろE353系になり「かわぐち」が「富士回遊」という特急になったのは驚き。
プレステ5みたいな電車はいいな。
関西地区には、近郊型を使った急行は、なかったように思い出します。関東地区では、その他にうち房の季節列車や、ゆけむりとあかぎが朝ラッシュ時の折り返しで運転されていた。また急行なすのも同様だった。がいじには、一時新前橋電車区のサロ165型が豊田電車区に貸し出されていたのではないか?
私は415系使用の急行能登路5号に乗ったことがあります。
もちろんガラガラでした。
周遊券を持っていたので、快速みたいなもんでしたが。
昔から急行「能登路」の一部列車や編成にはキハ45、車端部がロングシートで非冷房のキハ58、そして電化後は仰るように415系が充てられ「能登路の伝統は遜色急行の伝統」と言ってもよいほどに「能登路」は冷遇されていました。キハ58の内装をリクライニングシートにしてテレビを設置して「ビデオカー」として、一部の列車に組み込んだそうですが長くは続かなかったようです。私は七尾線電化直前の学校の夏休みに運転免許取得合宿で能登半島に行き、合宿が終わって自宅に帰ろうと能登路に乗ったら車端部がロングシートに改造された車両が編成の一部にあり、えっ?急行にロングシートがある…と思いました。
JRになってからもあの有名な遜色急行キハ48つやま 阪和線・紀勢線に221系急行しらはまってのも
晩年の「かすが」はキハ75系と記憶しておりますが違いましたか?
221系やキハ75系は"遜色"なんですか?
転換クロスシートなので充分急行に対応できると思いますけど。
@@By-Gaeshi 様。
コレは私的見解ですが…
近郊系と急行系、国鉄時代での基本的な違いは前者が乗降が比較的安易であるのに対して後者は外界とワンクッションおいている事でしょうか。→つまりデッキの有無?
北海道の711系が「かむい」「さちかぜ」が急行運用についたのは、その為でしょうか。
しかしながら、この構造も冬場の外気遮断が目的でしょうし、そういった件は50系客車にも該当しましょう。
メカ構造に疎いのでハッキリした解答とは言えませんが、117系と185系の違いはデッキが…というヒトもいるとか。
デッキの有無についても、会社によっては概念は曖昧で「ふじかわ」に使用される373系はデッキが簡易になっていますし(ドア開閉スイッチで対応?)、JR九州の66/67系は筑豊近辺の急行「はんだ」等の履歴もあります。また私鉄特急車両は小田急ロマンスカー3000系等はノンデッキでしたし、近鉄16000系のように省略した例もあります。
JR九州の「はやとの風」等、近鉄「青のシンフォニー」のように一般型改造もありますし、その概念は前述の通り諸々でどこまでが「遜色」か否かは、私の見解は「そこまで」かと…
余談ですが、「かすが」は片側3扉のうち、中間扉を締め切りとしていたようです。
かいじ号じゃないけど1960#年代に 糸魚川から塩山まで 急行アルプスに乗りました。キハ58だったと思うけど子供ながらに「金持ちが乗る汽車だ」と思いました。
大糸北線がピンチなのでLCTでもいいので新宿ー糸魚川の列車が走らせないかな。
ガキの頃、新宿発甲府行きの急行・快速・普通に全部乗ったな。
115系普通は中央特快よりも停車駅が少なかったけど、何故か都内完結の乗客が乗ってこなくて不思議だった。
確か新宿を出たら中野、三鷹、(国分寺)、立川、八王子、高尾だったと記憶している。
この頃は小学生だったし鉄でも無かったから曖昧だけど。
でも考えてみたら昔の165系とかキハ58系とか
普通車とはいえよくあんな直角の向かい合わせでピッチも狭い向かい側の人の膝がくっつく激狭シートで特別料金取ってたなあ。
デッキで客室と乗降扉付近が仕切られているたけで実際は近郊型とたいして変わらんから。
当初特急かいじは敢えて183系初期車を当て、代わりにかいじ切符なる往復運賃分で特急に乗れますにしてました。
(あずさは乗車不可)
さすがに甲府からの普通列車は今は廃止されましたが、乗り換えなしの東京行という列車は、甲州方面で昔から需要は旺盛であるという証拠なんですね🙂
首都圏の遜色急行って上尾事件がきっかけだったってきいたことがありますが...
「カイジ」にこんな歴史があるのは知りませんでしたね…(漫画の方ではありませんよ)
これはまだ調べがいがありそうですね😊
115系「かいじ」が走っていた頃の中央線は、キハ58・65系による三階建て急行「アルプス・八ヶ岳・かわぐち」が12連で轟音を響かせ、特急「あずさ」は181系と183系0番台、165系も「アルプス・こまがね」、「かいじ・かわぐち」のいずれも12連、普通列車は新宿発着の115系+荷郵電のほか高尾発着の71・72系もあり、身延線からの出稼ぎで塩山~韮崎を戦前型旧国が爆走し、初狩と笹子を通過するEF64牽引の旧客も健在、とまあ実に多彩な顔ぶれが行き交い、どれに乗ってもワクワクしていました。1970年代、甲府在住だった頃の思い出です。
115系の急行「かいじ」「かわぐち」は何度か乗りました。当時は東北線の急行「なすの」の115系も乗ったし、常磐線の401,403系の急行「ときわ」にも乗りました。千葉地区にも113系の急行もありました。考えてみればけっこうあちこちにありました。また非電化区間では、一般形気動車による急行列車もけっこうあった時代です(編成表にも出てこないものもあった。)。
もともと急行は、普通列車と同等の設備の列車が、特急列車ほどでないにしても、ある程度の駅を通過し、中長距離を乗り換えなしで、比較的速く格安で移動できる乗り得の列車として、設定されていた面があります。
だから、客車時代には、普通列車用の旧型客車などを主に使っている急行列車はいくらでもありました。中央線では、この当時「あずさ」と「かいじ」の中間の、急行「たてしな」(新宿⇔岡谷)には旧型客車が用いられていました(ドアは完全手動。)。ある程度の一般形(近郊型)車両の急行列車への使用はやむを得なかったと思います。
1960年代前半頃に準急らうすで戦前製のキハ04系(旧キハ41000形)が使われていたのもかなりやばいと思っています。
※かいじの名前について→1953年~1954年頃に土曜日限定の新宿~甲府の快速列車で1度名前が使われていたようです。
115系の急行なんてむしろ乗ってみたい。
高崎・上越線の急行「ゆけむり」1号は115系での運用だったよ(全車自由席)🚃
下りだけだったけど(^^)
まだ宇都宮線すらなかった東北線にも、急行なすのに
115系の列車があった。しかもグリーン車すらないが
全て300番台や1000番台車編成。
今や東北新幹線の近距離各駅停車のなすのが
昔はこんな散財急行だったとは。
そのサロ組み込み115系『かいじ』用の編成は 朝は 甲府発新宿行き(立川行きだったかもしれない)の通勤快速に使われていました。そしてそのスカ色に塗り替えたサロ165は 新前橋からの借り物。
因みに気動車時代の『かわぐち』は 富士急が乗り入れ用に新製したキハ58001〜003で 併結する国鉄急行が気動車だったから 全線架線下を走るにもかかわらず わざわざ造った『私鉄製キハ58』で 特に003は 数あるキハ58系の中で唯一『新製 両運転台車』でした。
気動車急行末期の頃は国鉄車が 冷房付きだったのに 富士急車は最後まで非冷房で サービス格差が生じていました。
後に臨時快速に格下げられて、JR化後は後に
ホリデー快速ピクニック号の甲府 河口湖行きのスジに。
豊田の115系9連時代もあったが、三鷹の165系9連や
4両ずつで田町の167系8連もあった。
停車駅は三鷹と立川と高尾と上野原が追加されただけ。
国鉄時代初鹿野だった甲斐大和は特急追い抜きで
必ず停車してた。
キハ58003は今でも有田鉄道跡で保存中。
遜色急行、遜色特急、時刻表には料金減額の表記が記載されていた時代も。
それより、普通列車に特急車両を使うのもどうかと思った事もあったかな、何せ通勤通学時間帯だったし。
JRになっても221系の臨時急行とかあったからね
でも3扉の車両を急行に使われると違和感あるんだよな
221系の急行運用は海水浴シーズンにありましたね。列車名はマリン城崎号で、3扉ながら当時は新車でした。
115系急行かいじは、臨時だけでなく定期運用もありましたがな
最終のかいじ6号がそれで、こねのみは定期券で利用出来たので、今でいうところのライナー号みたいな感じでしたろうか
ちなみに翌日の上り快速高尾行きとして戻ってきていました
165系の急行かいじは、甲府が母の田舎でしたので、よく乗りました。アルプスでは甲府から乗車ではまず座れなかったですから、かいじなら絶対座れますのでね。
「かいじ」の行先は信州の山か、やっぱりシェルターはその辺なんだな
3:33「吸収合併!どうする!どうする!どうするんだぁ~!補完のままでイイのか?カイジ~!」
大月(大槻)班長...?
河口湖行きの直通は残っていますね
ときわ「呼ばれた気がした」
急行つやま「許されたw」
冗談はさておき、季節限定横浜方面~松本の「はまかいじ」も入れてほしかった。
[かいじ切符]…高速バスへの対抗策&破格の安値だった😂
115系を使ったこの列車を、【特快扱い】にすれば乗り得列車たりえただろうが…。
夏の常磐線では415系新製冷房車を使った臨時のときわが運転されていたし、繁忙期に非冷房115系のあかぎや佐渡も運転されてた時期があった様だ。東海道線は155系や167系が有ったので冷房の有無は別としてそこまで酷いのは無かったようだ。
ここから漫画家「かわぐちかいじ」の筆名が誕生した
空母いぶきさん!?
沈黙の艦隊…⁉
@@user-maru-8.okugemoriyama なるほど。ずっと思い込んでました。多謝。
それウソ。彼は本名「川口開治」さん
@@prossi4802 さま。
まさか本名とはね。
しかし勘ぐってしまいますよね。
特急かいじの一部は竜王駅まで運転区間が延びてるけど…
国鉄電車115系近郊型直流電車800番台車横須賀色の急行かいじ号、かわぐち号はカトー関水金属製品のNゲージ鉄道模型として健在です。また、グリーン車は高崎鉄道管理局新前橋電車区から借り入れのため湘南色のままとしてあります。また、列車番号は急行かいじ号が下りが6505M上りが 6606M 、急行かわぐち号が下り6501M上り 6502M の列車番号になっていました。また、金銭面で余裕が出来ましたらポポンデッタ-のレンタルレイアウトで165系と115系800番台車の両方の急行かいじ号、かわぐち号を走らせる事を考えています。165系は定期列車の急行かいじ号、かわぐち号として、また、115系800番台車の横須賀色は季節列車の急行かいじ号、かわぐち号として区別してあります。
古びたキハ58よりかは115系のほうが快適だったのでは説
E233系オールロングシートの急行があったら・・・
近郊型の急行を「残念」とか言っているが、かつての急行型車両というのもリクライニングなしのクロスシートだったわけで、現代的感覚だと近郊型とたいして変わらないと思うのだが・・・。
デッキがあったかもしれないが、その程度の違い。
115系を「かいじ」に召し上げられた高尾発列車は101-800にトイレ代りの83800付いた編成に
101系800番台車に郵便荷物合造制御電動車のクモユニ82型と荷物合造制御電動車のクモニ83型を連結した編成カトー関水金属製品のNゲージ鉄道模型でもっています。これは101系通勤型直流電車に便所の設備がなかったための苦肉の策でした。再生産されましたら是非購入する事をおすすめします。
今みたいに高速バスがない時代は鉄道一択だった。
高速バスの運転手不足なのでそこで大糸北線を活用しましょう。
@@monoeye4x489そこは高速バス🚍️通ってないが😉
鹿児島本線の「ぎんなん」のなんてグリーン車も無い近郊型の編成もあったヨ。
1:48 1日1往復?なぜ昼過ぎに出るんだろう?
乗客「夢に決まってる······!😱」
国鉄「ところがどっこい·······夢じゃありません········!」
そして、その特急河口は、現在は、特急富士海遊となった
BGMの主張が強いですね
もう2度と韓国ソングをBGMに流さないで!と思ってる視聴者多いと思う。今後この路線を貫くなら見ないから。
グリーン車に乗る人間からしたら「別に問題ない」のでしょうけどね
近郊型使用が「遜色急行」なら「急行」型による特急もまた「遜色」?
過去には153系使用の「こだま」もあったらしい。→いわゆる「かえだま」。
キハ80系の配置が間に合わず 暫定的に急行形キハ56で運転された『特急 北斗』や 12系客車で運転された『臨時特急 つばさ』の例もありました。
これらは 特急料金を¥200程割り引いていました。
@@toriri-service さま。
そういった実例も存在しました。
なんでもキハ81系が故障連発で、特急いなほの455系による代走の履歴があるらしいです。
件の「こだま」ですが、実は153系だけでなく157系が使用された事もあるらしく、交友社「鉄道ファン」(昭和51年2月号)に写真も掲載されていました。このパターンも「遜色特急」に該当しますか?
なお私が体験した遜色急行列車は赤羽から三峰口まで乗車した秩鉄直通「ちちぶ」で115系。熊谷まで「あかぎ」と併結、と記憶しております。
@@雅夫大場 さま
特急『富士』踏切事故で パーラーカー『クロ151-7』が廃車になった とばっちりでしたね。
クハ161が東海道特急の先頭に立ったり 『とき』が157系+161系となったり(どちらもギア比が4.21と一緒だったので 運転に支障はないものの 屋根高さが違うので凸凹編成)したこともあったそうです。
出自はデラックス準急用の157系でしたが 車内アコモは 登場時から特急用と遜色なく この頃は冷房も載せられていて 窓が固定じゃないこと以外問題はなく
実際 特急『ひびき』としても運用されていましたので これは『遜色特急』ではなくギリOKかもしれません。
高崎線の秩鉄直通急行は存じませんでした。
普通電車に併結される臨時『みつみね』は 実際に見たこともありましたが 調べてみたら本当にあったみたいですね。
時刻表ネタ 昭和51年 115系急行「ゆけむり」「あかぎ」「みつみね」: マル鉄コレクション館 marutetsu.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-12b1.html
私鉄では 東武鉄道で 踏切事故に遭った1720系DRCが 衝突して発火したクルマからのもらい火で 先頭車が焼けた為に 5700系が臨時『けごん』で走ったことがありました。
元特急車とはいえ アコモや性能(元々のDRCのダイヤで走れなかった)に格差があり過ぎた為 特急料金は 全額返還されたそうです。
@@雅夫大場 157系は冷房搭載後なので問題無し、161系との混結は渡り板の高さがどうだったのかが気になる所。
遜色急行は全国各地に運行していました
東海道では不定期の「日本平」、常磐線では「ときわ」は数本と、特に臨時・不定期列車は「二線級の車両だけど座れる可能性は高いぜ~、新型車両だけど座れるか解らないのとふっる~い車両だけど座れるのどっちが良い?」って意味合いで、近郊型や冷房が付いて無かったり座り心地悪かったり…だけど急行料金はちゃっかりもらうというサービスとしては超絶ダメダメなやり方をしていましたね。昔の国鉄は。
今も、停車駅は昔の準急レベルなのに特急料金を取ってたら「かいじ」も中央高速バスには勝てないよ…って思っております
遜色『ときわ』も 冷房付きの415系ならともかく 一番古い401系低運転台車が 充てがわれていた事もありました。
八王子と立川🐹🐱
常磐線の赤電も思い出しました(笑)
通勤型車両で急行料金を徴収するのは酷いな。
今ならせいぜい「快速」ですね。
千葉が非電化時代はこんな急行当たり前。
58があればまさに天国。まだキハ55/26型や
20系やキハ10系などいい方で、キハ45系が
混ざってたり、さらにひどいと大量に持っていた
キハ30系まで駆り出された。
無論ロングシートだろうが情け容赦なく急行料金を
強奪するぼったくり急行だった。
客車列車時代にまだまともな35系ならいい方で
板背刷り座席のオハ61系まで使ったとかで、問答無用
に料金を強奪してた。護送車レベルのレベルの悪さ。
八王子🐹🐹🐹🐱🐱🐱
西の桜井線、和歌山線、環状線、学研都市線、東西線と福知山線の篠山口駅以南を除いて普通列車のオールロングシート車率が低いことは、昔の遜色急行とは対照的な特徴。
6:35 だる
立川🐹🐱
最近はコロナの関係か遜色特急がやたらと増えてきたような気がする。JRと東武は目立つ。
「急行」型が足りないなら「近郊」型を使えば?
どっかで聞いたセリフ…
ざわ…ざわ…
がいじ