Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
名古屋線の改軌準備を進めていたところに、伊勢湾台風が名古屋市をはじめとした、近鉄名古屋線に壊滅的な打撃を与えてしまう状況となるも、当時の近鉄の佐伯社長が、「復旧作業と同時に改軌工事もせよ」との大号令をかけて、名古屋線の改軌が前倒しに完成し、現在の近鉄の特急網の骨組みが出来上がりました。佐伯社長の大英断と、現場の皆さんの尽力には、頭の下がる思いです。
新幹線の食堂・ビュフェ・車販には近鉄系の都ホテルが担当していたものもありました。関連会社を介してではありますが、敵である新幹線でも商売をしていた近鉄はなかなかの策士ですね。
かぎろい、あおによしはスナックカーの再利用じゃなかったっけ?再利用繋がりで言うなら、青の交響曲もそうなんだけど、近鉄は車両の再利用には長けているんだけど、自前の鉄道博物館を作って過去の車両を動態or静態で保存しようとしないよね。良い観光資源になると思うけどな。名鉄と違って沿線の観光資源に恵まれてるんだから、そこに自社のテイストを上乗せしたらブランディングに繋がると思うけど。
名古屋駅からアーバンライナー乗る時に流れる、ドナウの漣のメロディが好きだ。優雅でありながら旅情すら感じる。これからいよいよ大阪だ…と気分が高まる。
自分は世代が古いので、楠トシエさんの『近鉄特急の歌』ですね。
逆に言えば 新幹線開業のおかげで『乙特急』が大発展したとも言えますね。座面が前にせり出すリクライニングシートの機構は国鉄でも後の183系からの『簡易リクライニングシート』に影響を与えました。『都コーナー』は都ホテルがやってたんですよね。
名古屋都ホテルが配膳した料理を、当時車内サービスを担当していた近鉄観光が販売していたという、非常にややこしい状態でした。その料理も当時の社内報の写真を見る限りあのテーブルに載るサイズのもの。加熱容器や紙コップやテトラパック(!)の飲料などが配膳されていましたので、当時の感覚としては値段の割に安っぽい印象がありました。ただ全車両にシャープ製の電子レンジ(1台20万円也。現在の物価で換算すると約200万円)が装備されたことで、のちに量産効果がおこって市販価格が10万円を切る価格まで下がった覚えがありますよ。
名阪甲特急の低迷期を沿線で見たおぼえがある世代です。2時間に一本2両編成のノンストップ表記で、私鉄総連スト決行日には集改札ストとセットで運休してました。そのくらい乗客がいなかったと。
まさに恐るべし近鉄特急躍進のきっかけを作った12000系、ちぐはぐな編成にも対応して登場した車両、
編成が最小2両から組めたのも本当に運用の柔軟さを発揮しましたね。閑散期と繁忙期の対応も自由自在で、まさに「汎用特急」の礎を作った車両ですわ。
他の私鉄では中々2連の特急車を多数配備併結して使うって光景がほぼ無い分、非沿線民・他沿線民視点だと実に興味深いスタイル。後、模型鉄目線でも12200系は小さな単位から走らせられるのが魅力。
元三重県民ですが、スナックコーナーはリアルでは知らないけど冷水器は普通にあったの覚えてる。あと係員の人がおしぼりを配ってくれた。10:14一番馴染みがあるのはこれや!真ん中の特急マークと、テールライトの真上にある行先表示(反対側には稀に赤字でノンストップ)!かっこよかった!
おしぼりはアーバンライナーの頃まで配っていたようですね。それもペーパータオルではなく布製の温めたもの。配っていたのは当時車内販売を担当していた近鉄観光の客室乗務員ではなかったかな?
近鉄名古屋駅の特急用4番5番ホームに、スナックコーナーで提供されるメニューの見本コーナーがありました。カレーライス、サンドイッチ等がありました。
1970年代には京都線で、さらにはバブル期に名伊特急でも数回利用しました。どの時代においても快適な車両でしたね。お盆からトングで運ぶおしぼりサービスも気持ち良いものでした。ビジネス、観光、さらには通勤輸送と様々な用途に応える近鉄の輸送体系にマッチしていました。ビスタカーや後年のアーバンライナー、しまかぜやひのとりと比べると地味な存在かもしれませんが、まさに近鉄の名車の一つと言えます。
スナックカー車内の窓の横に、造花一輪挿しのガラス花瓶がありましたね。あれがささやかなオシャレ感があって好きでした。
12600系までは花あったがB更新でなくなった
12200系近鉄スナックカーは、幼い頃からの憧れの特急電車で、つい2年前3年前に、引退がするまで、よく乗りました、最後の時には、涙が出てたまりませんでした。
名阪特急冬の時代を支えた名車。
12000系は「旧スナックカー」と言われていた。リクライニングシートを採用したため、10100系ビスタカー、10400系旧エースカー、11400系新エースカーよりも広くシートピッチが広くなったが、エースカーと1両あたりの定員を合わせる為、スナックコーナーがあるMc車は扉が片側1箇所、Tc車においてはトイレの位置が運転台の直後の位置とレイアウトでもかなり苦心の策だったと聞いている。動画では当時の近鉄は国鉄、特に新幹線への対抗意識、ビジネスか観光仕様かという中、スナックカーが近鉄の苦悩の時代の特急の礎だったと言う事なのか。当然の事だけど、スナックカーの誕生が無ければ、アーバンライナー、伊勢志摩ライナー、しまかぜ、ひのとりの登場は無かっただろう。
初代スナックカー12000系は、そのトイレ洗面所を、スナックコーナーのある車両の反対側の車両の運転室の真後ろに配置したことで、なんとか定員を確保出来たんだよね。しかも、トイレは、限られたスペースに和式トイレを配置するのに、部屋の対角線上に一段高い和式トイレを配置してスペースを確保したという🚻
晩年は遜色特急かもしれないが登場当時は現在のひのとりやしまかぜ並の近鉄の威信と財力をかけた車両なのは間違いない
名阪甲特急復権は、アーバンライナーによって達成されたね。
アーバンが出る前12400系が繋ぎみたいな感じで名阪甲特急運用についてはいなかったかな?
なんば延長と新幹線が値上げしたから客が増えてきたから連以上になったんだよね(12410系がそうだったし)
規格面では、ビスタ三世に繋がるモデルチェンジ車でしたよね。ビスタ二世→旧エ―スカ―から一步進んだと言う意味で。
1980年頃の名阪特急の復調はまず11400系の3両編成を充当する事で対応してましたね。でも非更新車両はリクライニングシートではなくサービスダウンなので、急遽12410系3両編成の新造、それと11400系の更新改造で回復した需要に対応していました。
字幕のフォント変更したんですね!(前より読みやすくて良いです👍)画期的なスライド式リクライニングシートは、後輩車両にも受け継がれていますね!
そうなんですよ!前のは小さかったんで…笑
今回はスナックカーですね。お疲れ様です。12000系はもうさよなら運転になったんでしたよね。12000系は特急の103系見たいで来るとこればかりでつまらなかったです。近鉄は12000系は160km/hが釣り合い速度としてますが実際は140km/hが良いところです。しかし静かで滑るように走る点は素晴らしかったです。
12000系の最大の特徴と言えば、ク12100形の運転台の真後ろにWCが設置されていることです。また、早期に12007F(1969年事故廃車)と12001F(1971年事故廃車)が離脱してしまったので、実質的に2両編成x8本の16両だけでの小世帯となっていました。
前者が伊勢中川駅北方の雲出川橋梁付近の脱線事故、後者が大阪線旧総谷トンネルでの正面衝突(相手は12200系でこちらも廃車)ですよね。
ちょっと不思議なのが、当時の鉄道雑誌などの近鉄の広告に『ビスタカー』はあっても『スナックカー』を全面に打ち出した宣伝や広告がないことです🤔いくつか蔵書している雑誌(特に近鉄特集号など)を確認してみましたが、内容記事以外に明らかな表示は見受けられませんでした。ということは本格営業前の利用状況等の結果が芳しく無く、早期に方針転換してしまっていたということになると思いますね😥
スナックカーの登場時からしばらくは近鉄は新幹線との競争による苦悩の時代。丁度この頃、大阪線の旧総谷トンネルで当事車両になったのが、12000系と12200系。そこからの復活は並大抵では無かっただろう。スナックカーを軸にした特急の設定で、やがてサニーカー、ビスタ3世30000系と特急網を確立出来たのだから。
ありがとうございます!
ありがとうございます!!
名阪特急もそうですがもう一つの花形運用として阪伊特急と京伊特急を併結して賢島に向かう10両編成の運用がありました。当時大手私鉄特急で20m級車両の10両編成は西武5000系レッドアローとこのスナックカーだけだったと思います。
1975年頃「こんばんは日比栄一です」で始まるCBCニュースワイド(関西の方ゴメンやで)で、連日の様に「近鉄名阪ノンストップ特急の廃止問題ですが…」と話題が出て2両編成で空気を運ぶ12200系の姿が放送されていましたが、1976年秋に 国鉄が運賃50%値上げの暴挙に出た為 名阪間の需要が近鉄に戻って来ましたね。廃止問題も泡と消え今日では不死鳥(ひのとり)が輝きを放っています。
開業予定のリニア中央新幹線は奈良、三重と近鉄エリアを走るようになるからその時どう対抗するんだろ?
新幹線が開業した当時は「新幹線が運んできてくれたお客様を伊勢や奈良へ運ぶ」という考え方の転換で特急利用客を増やしてたんで(ちょうど大阪万博も開催されて伊勢志摩を第二の会場に、というスローガンで奈良•伊勢志摩方面の特急を増発)、リニアが開業してもどうにかなると思います
リニューアルACEとスナックカーの併結はあまりに格差があり過ぎて笑ってしまった記憶があります。また、50年近く稼働させてもピンピン動いていたのは流石近鉄だなあと感心したものです。
JR特急で例えたら485系ボンネット型と681系が連結運転するくらい無茶だからな
ACEのインバーター制御とスナックカーのそうではない制御にはギクシャクした走りの差があった。新世代車両と1969年誕生の車両。リニューアルされながら生き延びた。
この12000系はデビュー当時こそ、12200系初期車よりも小さなスナックコーナー等で容易に区別出来てたそうだが、車体更新により、全く区別出来なくなってしまいましたね。12200系では50年以上(団臨転用車等は形式変更されつつ今尚現役)も重宝されてるのに対し、本形式は近鉄にしては比較的早い30数年で(然も先輩の16000系や全車団臨転用改造を受けた18200系よりも先に)引退になりましたね。同時期に2年程後輩の18400系も幅狭が仇となって殆どが31年程度(10400系とほぼ同程度か)で引退。とは言え10000系(13年)、10100系(20年弱)は早過ぎだが…。
近鉄12000系良き迫真の匠最高
しかしながら12200系が2021年まで残っていたとな.......。
あをによしに改造されたのはまだ生き残ってる!
1両の単行甲特急は見たかった。
スナックカーでは中華ランチが人気だったらしい。
途中でシュウマイランチに変わりました。残念なのは、当時みやこコーナーで提供されていた軽食のサンプル写真が残っていないので、いったいどんなものが提供されていたのかが、今ではわからないことですね。唯一洋食ランチは、当時の社内報に写真が掲載されていたらしいです。
モーターは18200系以来のものしかし車体幅、全長が延びたため、機器配置に余裕ができた
最近まで残っていた12200系、何でこんな番号なのかと思ったら12000系があったんですね。
つい最近まで残ってた理由が分かったわ。
12000.12200系6連=11400系6連分モーター減った
まず名古屋までしか開業しないリニアは、近鉄名阪間輸送には後押しになる!!
スナックカーって、名前が昭和だよな😅
グループ・サウンズのバンド『パープル・シャドウズ』の『小さなスナック』が大ヒットしたのは、このころ。歌と同名の映画が公開されたのは、その少し後。主演はのちの初代仮面ライダーの藤岡弘、さん。『科学忍者隊ガッチャマン』で白鳥のジュンが経営する『ゴーゴー喫茶・スナックJ』が登場するのは、もう少しあと。まて!燕の甚平はたしか11歳ぐらいだったはずだから、店で働くのは児童福祉法違反では?風営法的にもヤバいのでは?
令和6年3月現在近鉄はサービス悪いし割引が悪い
名古屋線の改軌準備を進めていたところに、伊勢湾台風が名古屋市をはじめとした、近鉄名古屋線に壊滅的な打撃を与えてしまう状況となるも、当時の近鉄の佐伯社長が、「復旧作業と同時に改軌工事もせよ」との大号令をかけて、名古屋線の改軌が前倒しに完成し、現在の近鉄の特急網の骨組みが出来上がりました。佐伯社長の大英断と、現場の皆さんの尽力には、頭の下がる思いです。
新幹線の食堂・ビュフェ・車販には近鉄系の都ホテルが担当していたものもありました。
関連会社を介してではありますが、敵である新幹線でも商売をしていた近鉄はなかなかの策士ですね。
かぎろい、あおによしはスナックカーの再利用じゃなかったっけ?
再利用繋がりで言うなら、青の交響曲もそうなんだけど、近鉄は車両の再利用には長けているんだけど、自前の鉄道博物館を作って過去の車両を動態or静態で保存しようとしないよね。
良い観光資源になると思うけどな。
名鉄と違って沿線の観光資源に恵まれてるんだから、そこに自社のテイストを上乗せしたらブランディングに繋がると思うけど。
名古屋駅からアーバンライナー乗る時に流れる、ドナウの漣のメロディが好きだ。優雅でありながら旅情すら感じる。これからいよいよ大阪だ…と気分が高まる。
自分は世代が古いので、楠トシエさんの『近鉄特急の歌』ですね。
逆に言えば 新幹線開業のおかげで『乙特急』が大発展したとも言えますね。
座面が前にせり出すリクライニングシートの機構は国鉄でも後の183系からの『簡易リクライニングシート』に影響を与えました。
『都コーナー』は都ホテルがやってたんですよね。
名古屋都ホテルが配膳した料理を、当時車内サービスを担当していた近鉄観光が販売していたという、非常にややこしい状態でした。
その料理も当時の社内報の写真を見る限りあのテーブルに載るサイズのもの。加熱容器や紙コップやテトラパック(!)の飲料などが配膳されていましたので、当時の感覚としては値段の割に安っぽい印象がありました。
ただ全車両にシャープ製の電子レンジ(1台20万円也。現在の物価で換算すると約200万円)が装備されたことで、のちに量産効果がおこって市販価格が10万円を切る価格まで下がった覚えがありますよ。
名阪甲特急の低迷期を沿線で見たおぼえがある世代です。
2時間に一本2両編成のノンストップ表記で、私鉄総連スト決行日には集改札ストとセットで運休してました。
そのくらい乗客がいなかったと。
まさに恐るべし近鉄特急躍進のきっかけを作った12000系、ちぐはぐな編成にも対応して登場した車両、
編成が最小2両から組めたのも本当に運用の柔軟さを発揮しましたね。閑散期と繁忙期の対応も自由自在で、まさに「汎用特急」の礎を作った車両ですわ。
他の私鉄では中々2連の特急車を多数配備併結して使うって光景がほぼ無い分、非沿線民・他沿線民視点だと実に興味深いスタイル。
後、模型鉄目線でも12200系は小さな単位から走らせられるのが魅力。
元三重県民ですが、スナックコーナーはリアルでは知らないけど冷水器は普通にあったの覚えてる。
あと係員の人がおしぼりを配ってくれた。
10:14一番馴染みがあるのはこれや!
真ん中の特急マークと、テールライトの真上にある行先表示(反対側には稀に赤字でノンストップ)!かっこよかった!
おしぼりはアーバンライナーの頃まで配っていたようですね。それもペーパータオルではなく布製の温めたもの。配っていたのは当時車内販売を担当していた近鉄観光の客室乗務員ではなかったかな?
近鉄名古屋駅の特急用4番5番ホームに、スナックコーナーで提供されるメニューの見本コーナーがありました。
カレーライス、サンドイッチ等がありました。
1970年代には京都線で、さらにはバブル期に名伊特急でも数回利用しました。どの時代においても快適な車両でしたね。お盆からトングで運ぶおしぼりサービスも気持ち良いものでした。
ビジネス、観光、さらには通勤輸送と様々な用途に応える近鉄の輸送体系にマッチしていました。
ビスタカーや後年のアーバンライナー、しまかぜやひのとりと比べると地味な存在かもしれませんが、まさに近鉄の名車の一つと言えます。
スナックカー車内の窓の横に、造花一輪挿しのガラス花瓶がありましたね。
あれがささやかなオシャレ感があって好きでした。
12600系までは花あったがB更新でなくなった
12200系近鉄スナックカーは、幼い頃からの憧れの特急電車で、つい2年前3年前に、引退がするまで、よく乗りました、最後の時には、涙が出てたまりませんでした。
名阪特急冬の時代を支えた名車。
12000系は「旧スナックカー」と言われていた。リクライニングシートを採用したため、10100系ビスタカー、10400系旧エースカー、11400系新エースカーよりも広くシートピッチが広くなったが、エースカーと1両あたりの定員を合わせる為、スナックコーナーがあるMc車は扉が片側1箇所、Tc車においてはトイレの位置が運転台の直後の位置とレイアウトでもかなり苦心の策だったと聞いている。動画では当時の近鉄は国鉄、特に新幹線への対抗意識、ビジネスか観光仕様かという中、スナックカーが近鉄の苦悩の時代の特急の礎だったと言う事なのか。当然の事だけど、スナックカーの誕生が無ければ、アーバンライナー、伊勢志摩ライナー、しまかぜ、ひのとりの登場は無かっただろう。
初代スナックカー12000系は、そのトイレ洗面所を、スナックコーナーのある車両の反対側の車両の運転室の真後ろに配置したことで、なんとか定員を確保出来たんだよね。
しかも、トイレは、限られたスペースに和式トイレを配置するのに、部屋の対角線上に一段高い和式トイレを配置してスペースを確保したという🚻
晩年は遜色特急かもしれないが登場当時は現在のひのとりやしまかぜ並の近鉄の威信と財力をかけた車両なのは間違いない
名阪甲特急復権は、アーバンライナーによって達成されたね。
アーバンが出る前12400系が繋ぎみたいな感じで名阪甲特急運用についてはいなかったかな?
なんば延長と新幹線が値上げしたから客が増えてきたから連以上になったんだよね(12410系がそうだったし)
規格面では、ビスタ三世に繋がるモデルチェンジ車でしたよね。ビスタ二世→旧エ―スカ―から一步進んだと言う意味で。
1980年頃の名阪特急の復調はまず11400系の3両編成を充当する事で対応してましたね。
でも非更新車両はリクライニングシートではなくサービスダウンなので、急遽12410系3両編成の新造、それと11400系の更新改造で回復した需要に対応していました。
字幕のフォント変更したんですね!
(前より読みやすくて良いです👍)
画期的なスライド式リクライニングシートは、後輩車両にも受け継がれていますね!
そうなんですよ!前のは小さかったんで…笑
今回はスナックカーですね。お疲れ様です。12000系はもうさよなら運転になったんでしたよね。12000系は特急の103系見たいで来るとこればかりでつまらなかったです。近鉄は12000系は160km/hが釣り合い速度としてますが実際は140km/hが良いところです。しかし静かで滑るように走る点は素晴らしかったです。
12000系の最大の特徴と言えば、ク12100形の運転台の真後ろにWCが設置されていることです。
また、早期に12007F(1969年事故廃車)と12001F(1971年事故廃車)が離脱してしまったので、実質的に2両編成x8本の16両だけでの小世帯となっていました。
前者が伊勢中川駅北方の雲出川橋梁付近の脱線事故、後者が大阪線旧総谷トンネルでの正面衝突(相手は12200系でこちらも廃車)ですよね。
ちょっと不思議なのが、当時の鉄道雑誌などの近鉄の広告に『ビスタカー』はあっても『スナックカー』を全面に打ち出した宣伝や広告がないことです🤔
いくつか蔵書している雑誌(特に近鉄特集号など)を確認してみましたが、内容記事以外に明らかな表示は見受けられませんでした。
ということは本格営業前の利用状況等の結果が芳しく無く、早期に方針転換してしまっていたということになると思いますね😥
スナックカーの登場時からしばらくは近鉄は新幹線との競争による苦悩の時代。丁度この頃、大阪線の旧総谷トンネルで当事車両になったのが、12000系と12200系。そこからの復活は並大抵では無かっただろう。スナックカーを軸にした特急の設定で、やがてサニーカー、ビスタ3世30000系と特急網を確立出来たのだから。
ありがとうございます!
ありがとうございます!!
名阪特急もそうですがもう一つの花形運用として阪伊特急と京伊特急を併結して賢島に向かう10両編成の運用がありました。
当時大手私鉄特急で20m級車両の10両編成は西武5000系レッドアローとこのスナックカーだけだったと思います。
1975年頃「こんばんは日比栄一です」で始まるCBCニュースワイド(関西の方ゴメンやで)で、連日の様に「近鉄名阪ノンストップ特急の廃止問題ですが…」と話題が出て2両編成で空気を運ぶ12200系の姿が放送されていましたが、1976年秋に 国鉄が運賃50%値上げの暴挙に出た為 名阪間の需要が近鉄に戻って来ましたね。
廃止問題も泡と消え今日では不死鳥(ひのとり)が輝きを放っています。
開業予定のリニア中央新幹線は奈良、三重と近鉄エリアを走るようになるからその時どう対抗するんだろ?
新幹線が開業した当時は「新幹線が運んできてくれたお客様を伊勢や奈良へ運ぶ」という考え方の転換で特急利用客を増やしてたんで(ちょうど大阪万博も開催されて伊勢志摩を第二の会場に、というスローガンで奈良•伊勢志摩方面の特急を増発)、リニアが開業してもどうにかなると思います
リニューアルACEとスナックカーの併結はあまりに格差があり過ぎて笑ってしまった記憶があります。
また、50年近く稼働させてもピンピン動いていたのは流石近鉄だなあと感心したものです。
JR特急で例えたら485系ボンネット型と681系が連結運転するくらい無茶だからな
ACEのインバーター制御とスナックカーのそうではない制御にはギクシャクした走りの差があった。新世代車両と1969年誕生の車両。リニューアルされながら生き延びた。
この12000系はデビュー当時こそ、12200系初期車よりも小さなスナックコーナー等で容易に区別出来てたそうだが、車体更新により、全く区別出来なくなってしまいましたね。12200系では50年以上(団臨転用車等は形式変更されつつ今尚現役)も重宝されてるのに対し、本形式は近鉄にしては比較的早い30数年で(然も先輩の16000系や全車団臨転用改造を受けた18200系よりも先に)引退になりましたね。同時期に2年程後輩の18400系も幅狭が仇となって殆どが31年程度(10400系とほぼ同程度か)で引退。とは言え10000系(13年)、10100系(20年弱)は早過ぎだが…。
近鉄12000系良き
迫真の匠最高
しかしながら12200系が2021年まで残っていたとな.......。
あをによしに改造されたのはまだ生き残ってる!
1両の単行甲特急は見たかった。
スナックカーでは中華ランチが人気だったらしい。
途中でシュウマイランチに変わりました。残念なのは、当時みやこコーナーで提供されていた軽食のサンプル写真が残っていないので、いったいどんなものが提供されていたのかが、今ではわからないことですね。唯一洋食ランチは、当時の社内報に写真が掲載されていたらしいです。
モーターは18200系以来のもの
しかし車体幅、全長が延びたため、機器配置に余裕ができた
最近まで残っていた12200系、何でこんな番号なのかと思ったら12000系があったんですね。
つい最近まで残ってた理由が分かったわ。
12000.12200系6連
=
11400系6連分
モーター減った
まず名古屋までしか開業しないリニアは、近鉄名阪間輸送には後押しになる!!
スナックカーって、名前が昭和だよな😅
グループ・サウンズのバンド『パープル・シャドウズ』の『小さなスナック』が大ヒットしたのは、このころ。
歌と同名の映画が公開されたのは、その少し後。主演はのちの初代仮面ライダーの藤岡弘、さん。
『科学忍者隊ガッチャマン』で白鳥のジュンが経営する『ゴーゴー喫茶・スナックJ』が登場するのは、もう少しあと。
まて!燕の甚平はたしか11歳ぐらいだったはずだから、店で働くのは児童福祉法違反では?風営法的にもヤバいのでは?
令和6年3月現在
近鉄はサービス悪いし
割引が悪い