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今日のテーマは「亡くなるまでの1週間と、ご家族にできること」です。今日は、がん患者さんが最期の時間をどのように過ごし、そしてどのように旅立たれるか、そして、そんな時ご家族は患者さんに何をしてあげられるのかについてお話します。どんなに準備をしても、後悔は残るものかもしれません。しかし、大切な人と最期まで向き合い、その貴重な時間をどう過ごすかで、後悔の度合いは大きく変わります。以前もこのテーマをお話しましたが、この話はとても大事なお話なので、何度も繰り返し聞いてほしいと思い改めてお話しします。また、今回は、この時期にご家族だからできることについても詳しくお話ししたいと思います。がん患者さんの最期のプロセスを理解し、安心して、大事な人と最期の時間をすごすことができる方が増えるとうれしいです。本日もよろしくお願いいたします。目次0:00 テーマ「亡くなるまでの1週間と、ご家族にできること」1:15 大切な人の死が迫ってきても…3:48 人が亡くなる1週間前に何が起こるのか8:03 この時期に家族ができること11:24 急変時の対応12:23 お葬式などの準備はいつからすればいいか13:18 自宅で大事な人に囲まれて幸せな最期を迎えた女性の話16:47 あなたに伝えたいメッセージ
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丁度24時間前 父が亡くなりました。トッシュ先生の動画を何度も拝聴させていただき、父に置き換え父があとどの位 生きられるのかを家族と沢山話しました。亡くなる1日前には、訪問入浴もさせることが出来、亡くなる2時間前にはコーラを口に含ませることも出来ました。娘が看護学生であったこともあり、血中酸素濃度や血圧、脈拍を測ったり・・・血中酸素濃度が50を切り、120前後あった血圧が90台となり、いよいよ最後だと確信した際には家族全員 父のそばに集まって楽しい思い出話しをしました。一通り話し終わると目尻にうっすら涙を浮かべ、亡くなりました。亡くなるまで穏やかに息を引き取りました。顔もニッコリ微笑んでいるようです。ありがとうございました。
先日、ガン終末期の父かがなくなりました。本人の希望で在宅の緩和ケアでした。トッシュ先生の動画を何度も観ていたお陰で最期、手を握りながら看取る事が出来ました😊ありがとうございます。なにより父が嫌がっていた点滴を断れた事や亡くなる前にビールを飲ませてあげられたことやり残した事は無いか聞けたこと.……毎日、衰えてツラそうな父を見るのがツラかったですが、こんなに父に触れた時間も初めてでとても嬉しかったです。支離滅裂になりましたがありがとうございます☺️😊
怖くて、末期のケアの動画を探さず、母を看取りました。先生の動画を怖がらずにもっと早くから出会っていたら、と、今は思います。動画を今更ですがみて、母と過ごした、貴重な2週間のことをまた、思い出しています。
壮絶な癌治療と戦いつつも天国へ旅立った父を看取って今年で25年を迎えます。父が無くなる5か月程前に母が病で旅立ちその母を見送る事が出来ない中、父は癌治療を頑張ってました。私は一人っ子で1歳足らずの子供を育てながら病気の両親の世話をして…今考えてもよくやってたなと思える程時間と心の余裕が有りませんでした。母を先に亡くし、喪主だった私は悲しみに暮れる暇もなく葬儀の準備等々決め事に追われていました。当然寝る事も出来ませんのでフラフラになって必死で耐えていました。しかしなんとかやり遂げられたのは周りで支えて下さる方がいたお陰でした。こういった経験を経て、身内の死はどうしても受け入れがたい事ですがやはり見送りの準備と心の準備は必要なんだと強く実感しました。父は在宅療養をしてましたが体調が芳しく無い中定期健診で転移が見つかり緊急入院になりました。そして入院後、10日もせず旅立ちました。こんなにあっけなくお別れするとは思ってもみませんでした。入院中の症状も、今まで会った事もないご老人と若い娘さん2人が会いに来られたとか他にも現実ではあまり聞かないような話をしたり。死期が近くなる頃は苦しむ様子は見られず意識が無いままで、亡くなる直前に大きく1回スーっと長く息を吐いて最期を迎えました。本当は生きたいと願い大変な治療を受け、痛みと苦しみに耐えた父でしたが最期は苦しむ様子も無く旅立てたのは残された者としてのせめてもの救いでした。立て続けに両親をみおくり大変悲しみの深い一年を過ごしましたがその分自分自身の死生観に大きく影響を与えてくれた様に思います。これ以降、死への恐怖を抱かなくなりました。しかし今は死ぬまでの間に襲われる痛み苦しみについて知らないが故の恐怖心がありますが先生の動画がそれを解消して下さってると実感しています。これからも何か不安が芽生えた時に拝見させて頂きます。ありがとうございました。
もう少しで母が亡くなって1年となります。こちらの動画を見せていただいたことでどれだけ心構えができたか・・・。トッシュ先生には本当に感謝をしています。次は自分が逝くとき、どれだけ家族に感謝して逝けるか、悲しませないで逝けるかを考えていきたいと思います。
先日家族を自宅で看取りました。先生の動画を見ていたお陰で、事前に何が起きるのか把握することが出来、とても助かりました。ありがとうございました。在宅で真摯な医師、看護士さんにケアして頂けた事も、救いでした。最後まで家族がそばにいる事が出来て、残された家族にとっても良かったと思います。
義母が余命1週間から2週間となりました。半年ほど前からTosh先生の動画で勉強をさせていただき、後悔なくしたいと思っています。主人をはじめ主人の兄弟たちにもその時の義母の状況を伝えて、ともかく後悔のないようにと伝えています。担当の先生ともこの動画で学んだおかげで詳しく説明もいただけるし、私自身の理解度も上がっていると思います。これからもう少しの間ですが、この動画を見ながら、その時を迎えたいと思っています。本当に感謝してます、ありがとうございます。
何回かコメントさせて頂いてます。この動画を母が癌だとわかった時に見ていればもっと後悔の無い看取りが出来たんじゃないかと思い残念です。でも、私は母が88歳で胆嚢癌だとわかったのですが、痛み止めを毎食3回飲んでいたら、普段と変らない母でいたので、こんな元気な母が亡くなるはずはない、歳寄りだから進行は遅いだろう、1年位持つんじゃないかと思っていました。でも先生が言われる通り2週間前から歩くのが大変になり車椅子になり、最後の3日は寝返りもうてなくなりました。それでも母はいつもと変わらず明るくしていたので、まさか亡くなるわけないとここでも思っていたのです。亡くなる前日に「苦しい」と言ってその数時間後にろれつが回らなくなったので寝かしたら半分目を開けて寝てしまいました。しかし、それは意識がなくなったのかも知れません。ここに言われるようにせん妄やぜいぜいとは無縁でした。最後は意識のないまま7時間位静かに寝てました。最後の最後に呼びかけたら目を開き私と弟を確認してそのまま亡くなりました。寝ている間も、私は手を握っていると母も軽くではなく意外と意識のあるような手で握り返していたので目は私が手を握っているのがわかっているようでした。こんな感じでしたが、私は母が亡くなるなんて最後の最後まで信じられず、受け入れられませんでした。今でもあの明るい母はいないなんて信じられないのです。父が亡くなって3年間毎日涙が出ました。母には私が亡くなるまで毎日、母を想うと思います。生きてる時に亡くなった時の事は想像できても本当にそうなった時と違います。後悔のないようにと思っても自分の生活もあり、なかなか出来るものではありません。母には癌は言ってなかったので、「生んでくれてありがとう」とは言えなかったですが、最低限の言葉は伝えたし、苦労したねとか一番よく働いたねとか母のおかげで私達は幸せな生活が出来てるとか言えました。無理しても感謝は亡くなる前に伝えておきたいものです。
母が癌で亡くなってからもうすぐ2年。そして3回忌になります。母の腹水が本当に切なかったですが、生きることを諦めていなかったように思いました。ですが、穏やかな顔をして旅立ちました。
いつでも戻ってきてくださいね。と言う言葉をとても有りがたく心の居場所がわからなくなった時に、救いになりました。親族が亡くなって3.4年たちましたが、まだ、何処かに居るような勝手な気持ちになって、なぜ会えないのか、辛くなります。これからも、お見送りする事もまだまだあると思います…次は自分かも知れませんが…しっかり向き合ってお互いのこれから為にも現実を知っておく事は大切です。思い出して、涙が出ましたが、これからも新たな旅立ちに出来る限りの事をしたいと思っています。いつも、ありがとうございます🍀
つい先日、大好きな兄をホスピスで看取りました。入院して1ヶ月ぐらいでした。。あまりの弱っていく速さに理解が追いつかなく、戸惑いばかりの毎日でした。この動画を先に知っていれば。。そんな余裕もなく、ただただ家族みんなで精一杯の「ありがとう」を沢山言い続けました。この動画で少し納得出来たような気がします。先生、ありがとうございました。
初めまして。初めてコメント致します。先生の動画は今から半年程前から、一本の動画を数十回見て勉強させて頂いておりました。私の母は乳癌で抗がん剤治療を続けていましたが、治療効果も見当たらず、最後の抗がん剤も7月に終了しました。その後日和見感染で入院となり、退院後は在宅ケアを1ヶ月過ごし。最後の2週間はホスピスで過ごし、今月旅立ちました。在宅ケアになった際も慌てる事なく対処でき、訪問看護の方にも協力してもらいながら、母の終末期に訪れる症状に対処する事が出来、同居家族にも先生から学んだ知識を共有する事が出来ました。まだ心の整理はつきませんが、先生のおっしゃる悔いのない最後を迎えられたと心から思っています。ほんとうにほんとうにありがとうございました。これからも先生の動画を視聴し続けたいと思います。
ありがとうございます!
つい先日、母を自宅で看取りました。あまり穏やかとは言い難かったような気がします。心肺機能が強かったのか、病気と体が戦ってるようで、辛そうでした。本人の口から早く沈静してほしいい、早く終わらせてほしいと言われ、つらかったですが、本人の希望通り処置しました。鎮静前は絶えず水を欲してましたが、鎮静後は水分を取ることもなく、旅立ちも早かったです。なかなか穏やかな最後って難しそうです。
私の母と殆ど同じ状況だったので私が入力したのかと思いました💦去年、母を亡くし今月ようやく一周忌を迎えました。最期も余り穏やかでは無かったし割と精神力が強いせいか鎮静を打っても抗ってました😢本人は辛くないと言われても見てる私たちはとても辛かったです😢
私の夫ももがき苦しんで3日前位に寝てばかりになりました。死ぬのも大変です。忍耐づよい人がどうしていいか解らない位に苦しんでいたので早く楽にしたいとおもったものです。
5月25日に義父が、6月20日に友人ががんで亡くなりました。義父が入院してからこのチャンネルに出会い、死を現実のものととらえることができました。やはり、後悔するのはがんの方がどの位置にいるのかわからないまま見送らざるを得ない事だと思い、先生のチャンネルを全部拝見し、緩和ケアの意義も教えていただきました。妻は、当初は見るのがつらいと申しておりましたが、このチャンネルを拝見して、奇跡的にせん妄がない段階で、義父に「ありがとう、育ててくれたありがとう」と何度も言えて看取ることができました。妻は義父と些細な事で口喧嘩をして一年くらい顔を合わせていませんでしたが、このチャンネルを見て、義父がそこまで長くないと悟り、病院に通う事ができました。感謝の意を伝え仲直りができた後に見送ったので後悔をしなくてよかったと本当に感謝していました。その後、私の末期がんの友人と市の二週間前に会いましたが、その時にせん妄以外はすべての症状が出ていて、私は彼の死が近い事を悟り、彼の最後の頼みをしっかり聞き届けられました。死はいずれ訪れるものですので生きている間にやはりやるべきことはやることを再認識しました。感謝しています。
3月10日に亡くなりました。先生の話しを聞いていたらどんなに良かったか。週単位日単位の事をもっと知りたかった。何の説明もありませんでした。緩和室に移った瞬間亡くなりました。トシ先生と出会いたかった。市民病院の先生や看護士は薄情でした。大好きな物食べたい物など口にあげたかった。なにもできなかった事が悔やまれる、
地方は、中々このプロセスを説明してくれる暇はない気がします。末期癌でも自宅療養を余儀なくされ、私も、しましたが、家に帰る準備、ホスピスに行ける準備に追われます。すなわち、ズーとおいてくれません。看取りのみです。中々大変でした。確かに一週間その通りでしたホスピスにもいましたが、精神科のケアが、上手く行ってなくて、僧侶でも怖がる日々でした。やる事がないから、ほっておくというのか、私は、家に帰る決断をしました。そしたら、精神的に落ち着きました。私は、精神科のケアとたの診療科をリンクさせて行くのがホスピスと思います。その一環として、一週間のイメージ説明が必要に思いました。私も怖く、それでも毎日ケア出来る日々は、ありがたく思いました
本日、もう昨日になってしまいましたが、母の余命宣告を受けました。違和感を覚えてから10日ほど、あと1週間から2週間とのことです。兄とも相談してますが、在宅を考えてます。母はかつて入院した際、ずっと家のある方向を見てました。今も夜になると、兄や私のことをうわ言のように言っているそうです。確かに点滴や排泄のことを考えるとケアを考えてしまいますが、ケアだと十分な対応をしていただいても日に30分しか会えない。在宅は不十分かもしれないけど、時間を共に過ごせる。今はあれをしておけばよかった、伝えておけばよかった、など後悔ばかりでXデーが刻一刻と近づいてくる恐怖と悲しさ、無念、、、様々なことがよぎってます。意識あるうちに色々話したい、そして過ごしたいと思ってます。
去る6月3日に、父を肺癌で亡くしました。納得が行かないほど早かったので質問させて下さい。父享年73歳です。昨年12月頭、肺癌ステージ1。転移なし・12月いっぱい放射線治療・2月から抗がん剤1回目(転移なし念の為)・3月に肺炎で一旦抗がん剤延期・4月末、結核発覚により結核治療開始・5月の21日までの3週間結核治療を通院で受けるも、身体がとても辛い(痛い&気持ち悪い)ので検査・5月22日の血液検査では転移の初見なし・1週間後の5月29日にあまりの苦しさにもう一度通院にて血液検査&レントゲン。すると全身転移の末期で治療法なしと言われ入院にてモルヒネ投与。・そのたった6日後、亡くなりました…5月22日の血液検査で転移もなしなのに、その後たったの1週間で手遅れになってました。肺癌発覚からたったの半年でした。主治医曰く、結核治療薬の影響(約1ヶ月投与)で、凄い勢いで、癌が全身に散らばったとの事でしたが…そんな事あるのでしょうか?
私自身が卵巣癌のステージ4と診断され、抗がん剤治療を終え、投薬治療中です。再発させないための治療中ですが、再発が不安です。再発した場合でも、先生の動画を見て、自分の最期をどのようにしたいか、きちんと考えていこうと思います。いつもありがとうございます。
先生、こんばんは。2年前の今日、母ががんで余命長くて半年とわかり、先生の動画に出会いました。本当に亡くなる1ヶ月前までは起き上がれてましたが、それからは覚悟しないといけないなあと思う日々でした。コロナの真っ最中だったから在宅で最後を迎えました。たぶん母は病院ならもっと早く亡くなってたと思うから、後悔はあっても良かったと思います。もう母が亡くなって1年半たちました。病院で言われた余命より1ヶ月長く頑張ってくれたので、最後に遠距離に住む弟に会えました。
追伸、母を緩和センターで看取り、その内容を主人に話したら、主人は沢山看取りやホスピスの本を読んでいるので私の母はとても運がいい、よく緩和センターに入れたねと言ってます。私も主人は最後は延命をせず、苦しまず短くてもいいから緩和センターに行きたいと思っています。しかし、いろいろ調べると全国に緩和センターはとても少ないのです。東京の区に2つか3つです。私の区もつしかないのです。それも病棟は15部屋です。これでホスピスに行くなんて無理です。私の母は市に3つあったので電話して入れるか聞きましたが、満室で順番待ちでした。運良く2つ開いた時にすばやく病院に行き私が面談をして私と一緒に入院する事が出来ました。個室が20部屋です。運良くお風呂も洗面も着いてる大きな部屋で快適でした。やはりこの数字では緩和センターは無理です。もっと沢山緩和病棟出来る事を願ってます。
安心しました ありがとうございます
祖母が先月、膵臓癌で亡くなりました。事前に先生の動画を見て準備をしていましたが、いざその時が来ると思い出せないものですね。この動画を見て祖母の変化を思い返すと、正しく言われている通りでした。苦しかったかなと思った場面がありましたが、そうではなく穏やかに逝けたと分かり安心しました。最期の看取りや送り方には何ら後悔はありませんが、今はどうしても喪失感があります。特に癌告知から最期まで付き添った父は素晴らしくやり切りましたが、身体的には楽になりましたが、精神的にはとても辛そうです。これは時間薬に頼るしかないのでしょうか
先生。家族と同じくらいとても大切な友人の最期までもう時間がありません。その子から最期が近づく時、そしてその時は側に居て欲しいと頼まれ約束しました。彼女は在宅医療なのですが彼女の母は私が彼女の所に行くことを拒否します。ただ側にいて、手を握り話がしたいだけなのですが…。両親の想いもわかりますが、どんな自分になっても見て居て欲しいという約束が守れていません。辛く苦しいです。
二十数年前に母をなくしました。思い出しては、もっともっと、してあげることがあったはずだと後悔です。病院で、最後を看取れたとはいうものの、ドクターもナースも側にもおらず、何か手違いがあったのではないかと感じるくらいあっけないものでした。無知だったなぁと…。自分自身も高齢化した今、少しづつ勉強していこうと思います。
60過ぎても働き続ける母に、すこしでも楽に余生を過ごしてほしい。と思い続けて働いていたのに、定年退職して半年後のダブルキャンサー 発覚😢亡くなる一週間前に緊急入院し、兄と交代で母に付き添えて皆を見届けて安心したかのように穏やかに天国へ旅立った母。そのことな関しては納得している。だけどずっと社会保険料を支払い続けた母。これから私はだれのために生きていけばいいのだろう
緩和ケアはあてにならないなんでこうなってるのってほど母は叫んで苦しみました見かねて鎮静を頼んで最期は大きな呼吸が浅くなり叫び声が消えたった1時間で死にましたまるで野良犬の安楽死でした深夜から苦しんで午前中いっぱいまで苦しんで鎮静されたのはそのあとでしたどういうシステムなのかモルヒネの選択すら打診されなかったずっとオキノームのみでした
妻が先日、急性骨髄性白血病で亡くなりました。こちらのサイトで、確実な回復の見込みが無ければ、亡くなることを前提に準備をしても不謹慎ではないと知りました。微塵でもそういうことを思ってはいけないと自戒していましたが、そのような状態になってから、悲しみを抱えながら動き回るのは無理があります。況してや家族が他におらず、喪主になるものが、亡くなってから慌てて動き回ると、事故を起こしたり、心身共に疲弊し、倒れる危険もあります。これは亡くなった方の本意ではないだろう。葬儀社、斎場、寺院等を事前に調べたり、手配することは一切問題ないし、不謹慎でもないと思いました。患者本人が回復して、それらをキャンセルすることは、その業者や宗教関係者も咎めはしないし、寧ろ良かったと歓迎してくれると思いました。亡くなったときに、どのような方々に連絡するかも、事前に整理しておいた方が良いと知りました。このようなことを準備するのは大変辛いし、哀しいです。回復を祈りながら手足は亡くなることを前提に動くのはキツイです。しかしこれは、必ずやらなければいけないことで、事前に先生のお話しを伺ったことで確信を持って行動出来ました。
私の母は癌で病院で亡くなりました。一晩中痛い痛いと言って可哀そうでした。痰がぜろぜろして苦しそうなのに点滴を外すなら退院しないといけないと😢自宅で看取れる環境でなかったこと、残念です
父と母の介護をしているものです今年の4月から高校生になる娘が小学一年生の時からヤングケアラーとして手伝ってくれています長く介助介護をしているので覚悟はしているつもりでしたが余命宣告された母の死に耐えられるのか正直自信がありません先生のお話を聞いていて母の最後が近づいて来ているのだと感じていますが父の介護、娘の入学準備、仕事と母に寄り添える時間を持てないでいます母は「いまどこ」とメールをして寂しそうです今週に入って起き上がるだけでも呼吸がだいぶ苦しそうになってきました呼吸が楽になるなら薬をお願いしてみようかと思います…
母はせん妄は1日くらいで、まったく話せなくなりました。話せないけど起き上がろうとします。起き上がろうとするけど力尽きてしまう。混乱してると言われます。苦しそうじゃないから大丈夫と言われますが、身の置き所が無い辛さがないのか心配です。昼間は基本的に起こしているのですが、昼も眠らせるか判断が出来ず悩みます。
先月大好きな母を看取りました。緩和ケア病棟の個室に10日間自分も簡易ベッドで付き添いが出来ました。数日間眠ったまま逝きました。安らかだったと思いますが何かもっと出来たのではないか?と考えてしまいます。母が居ないひとりぼっちの年末年始は本当にツライです。時間が経つのをただただ待つしかないのですがツライです。
母が肺癌の疑いで大きい病院の専門医の診察を受けるよう紹介されました。背中が痛いと言って受信しました。これからどうなっていくのか心配です。84才なので手術は無理と思います。副作用の少ない抗癌剤治療を望みます。手遅れであれば緩和ケアを望みます。
事前に最期のプロセスを知りたかったです。訪問医も看護師もわかっていたはずなのに、家族にショックを与えたくないから隠すのですか。語ってはくれなかった。最期の夜に、私は病状の急変への対応にひとりだけで慌てていました。在宅訪問医も臨時の対応はしない、夜間の訪問看護師は不足。電話指示の鎮静の失敗、夫の在宅の看取りが出来て良かったのかわかりません。もう何時間か夫は生きられたのではないか、後悔ばかりで辛いです。
2023年3月7日夫は、癌でなくなりました。在宅医療を受けていました。先生の動画を視聴して、終末癌で流れがどうなるか学んでいたので、亡くなる数時間前に、手足をマッサージしたり、手を繋いだりしていました。水を数分間おきに少しずつ飲みたがり、手で少しと合図をしていました。ヘルパーさんが来たので、お湯を沸かしに離れにいき、帰ってきたら、ががく呼吸をしていたので、ヘルパーさんと亡くなるのが近いとががく呼吸になるみたいと話をしていたら、ヘルパーさんが呼吸が止まったというので、鼻に手を近づけても、呼吸してないし、心臓も動いてなかったです。とし先生から、救急車を呼ばないようにと動画で話されていたので、呼ばず。訪問看護師に連絡して、在宅医者がきてくれました。朝方に亡くなったので、私一人のときでなくて、ヘルパーさんがいてくれたので、慌てずに済みました。訪問看護師さんがくるまでいてもらいました。最近になりとても辛くて辛くて辛くて。お地蔵さんに似た死に顔でした。毎日お供えしています。私はクリスチャンなのですが、夫の葬儀は仏式でしたので、毎日お供えしています。とし先生の動画を視聴していたお陰さまで、悔いがないとはいえませんが、側に居られたので良かったです。六ヶ月。抗がん剤治療しても、六ヶ月でなくなりました。主治医は、治療してもにねん、治療しなくて、六ヶ月と余命宣告されました。こんなに早くに亡くなるならば、抗がん剤治療しなければ良かったと今は思います。味覚障害があり、何を食べても味がしないと、ほとんど何も食べなかったので、体重は20kg以上痩せました。あまり話さなかったです。辛かったのだと思います。でもお互いに感謝の言葉を言えたので、それは良かったのではないかと思います。亡くなる前に金沢市や温泉にもいけたので、良かったです。すい臓癌でなくなりました。早くに亡くなりショックです。とし先生の動画を視聴していて、本当に良かったです。ありがとうございました。今は辛くて。遺族会か、ボッチ会みたいなのがあれば、夫の話をしてみたいです。
がん患者本人なんですけど、……一定歳月を越えたら、経過観察もなくなるから緩和との つながりもなく又、身元引き受け人もいない場合の 旅立ち方ありますか、……
最後の晩餐はガリガリ君か、私ならやはりビールか日本酒だろうか。知人2人は奇しくも「味噌ラーメン」だった。
今日のテーマは「亡くなるまでの1週間と、ご家族にできること」です。
今日は、がん患者さんが最期の時間をどのように過ごし、そしてどのように旅立たれるか、そして、そんな時ご家族は患者さんに何をしてあげられるのかについてお話します。
どんなに準備をしても、後悔は残るものかもしれません。しかし、大切な人と最期まで向き合い、その貴重な時間をどう過ごすかで、後悔の度合いは大きく変わります。
以前もこのテーマをお話しましたが、この話はとても大事なお話なので、何度も繰り返し聞いてほしいと思い改めてお話しします。また、今回は、この時期にご家族だからできることについても詳しくお話ししたいと思います。がん患者さんの最期のプロセスを理解し、安心して、大事な人と最期の時間をすごすことができる方が増えるとうれしいです。
本日もよろしくお願いいたします。
目次
0:00 テーマ「亡くなるまでの1週間と、ご家族にできること」
1:15 大切な人の死が迫ってきても…
3:48 人が亡くなる1週間前に何が起こるのか
8:03 この時期に家族ができること
11:24 急変時の対応
12:23 お葬式などの準備はいつからすればいいか
13:18 自宅で大事な人に囲まれて幸せな最期を迎えた女性の話
16:47 あなたに伝えたいメッセージ
P
丁度24時間前 父が亡くなりました。
トッシュ先生の動画を何度も拝聴させていただき、父に置き換え父があとどの位 生きられるのかを家族と沢山話しました。
亡くなる1日前には、訪問入浴もさせることが出来、亡くなる2時間前にはコーラを口に含ませることも出来ました。
娘が看護学生であったこともあり、血中酸素濃度や血圧、脈拍を測ったり・・・
血中酸素濃度が50を切り、120前後あった血圧が90台となり、いよいよ最後だと確信した際には家族全員 父のそばに集まって楽しい思い出話しをしました。
一通り話し終わると目尻にうっすら涙を浮かべ、亡くなりました。
亡くなるまで穏やかに息を引き取りました。
顔もニッコリ微笑んでいるようです。
ありがとうございました。
先日、ガン終末期の父かが
なくなりました。
本人の希望で在宅の緩和ケアでした。
トッシュ先生の動画を
何度も観ていたお陰で
最期、手を握りながら看取る事が
出来ました😊
ありがとうございます。
なにより
父が嫌がっていた点滴を断れた事や
亡くなる前にビールを飲ませて
あげられたこと
やり残した事は無いか聞けたこと.……
毎日、衰えてツラそうな父を見るのがツラかったですが、こんなに父に触れた時間も初めてでとても嬉しかったです。
支離滅裂になりましたが
ありがとうございます☺️😊
怖くて、末期のケアの動画を探さず、母を看取りました。
先生の動画を怖がらずにもっと早くから出会っていたら、と、今は思います。
動画を今更ですがみて、母と過ごした、貴重な2週間のことをまた、思い出しています。
壮絶な癌治療と戦いつつも天国へ旅立った父を看取って今年で25年を迎えます。
父が無くなる5か月程前に母が病で旅立ち
その母を見送る事が出来ない中、父は癌治療を頑張ってました。
私は一人っ子で1歳足らずの子供を育てながら病気の両親の世話をして…
今考えてもよくやってたなと思える程時間と心の余裕が有りませんでした。
母を先に亡くし、喪主だった私は悲しみに暮れる暇もなく
葬儀の準備等々決め事に追われていました。
当然寝る事も出来ませんのでフラフラになって必死で耐えていました。
しかしなんとかやり遂げられたのは周りで支えて下さる方がいたお陰でした。
こういった経験を経て、身内の死はどうしても受け入れがたい事ですが
やはり見送りの準備と心の準備は必要なんだと強く実感しました。
父は在宅療養をしてましたが体調が芳しく無い中
定期健診で転移が見つかり緊急入院になりました。
そして入院後、10日もせず旅立ちました。
こんなにあっけなくお別れするとは思ってもみませんでした。
入院中の症状も、今まで会った事もないご老人と若い娘さん2人が会いに来られたとか
他にも現実ではあまり聞かないような話をしたり。
死期が近くなる頃は苦しむ様子は見られず意識が無いままで、
亡くなる直前に大きく1回スーっと長く息を吐いて最期を迎えました。
本当は生きたいと願い大変な治療を受け、痛みと苦しみに耐えた父でしたが
最期は苦しむ様子も無く旅立てたのは残された者としてのせめてもの救いでした。
立て続けに両親をみおくり大変悲しみの深い一年を過ごしましたが
その分自分自身の死生観に大きく影響を与えてくれた様に思います。
これ以降、死への恐怖を抱かなくなりました。
しかし今は死ぬまでの間に襲われる痛み苦しみについて
知らないが故の恐怖心がありますが
先生の動画がそれを解消して下さってると実感しています。
これからも何か不安が芽生えた時に拝見させて頂きます。
ありがとうございました。
もう少しで母が亡くなって1年となります。こちらの動画を見せていただいたことでどれだけ心構えができたか・・・。トッシュ先生には本当に感謝をしています。次は自分が逝くとき、どれだけ家族に感謝して逝けるか、悲しませないで逝けるかを考えていきたいと思います。
先日家族を自宅で看取りました。
先生の動画を見ていたお陰で、事前に何が起きるのか把握することが出来、とても助かりました。ありがとうございました。
在宅で真摯な医師、看護士さんにケアして頂けた事も、救いでした。
最後まで家族がそばにいる事が出来て、残された家族にとっても良かったと思います。
義母が余命1週間から2週間となりました。半年ほど前からTosh先生の動画で勉強をさせていただき、後悔なくしたいと思っています。
主人をはじめ主人の兄弟たちにもその時の義母の状況を伝えて、ともかく後悔のないようにと伝えています。
担当の先生ともこの動画で学んだおかげで詳しく説明もいただけるし、私自身の理解度も上がっていると思います。
これからもう少しの間ですが、この動画を見ながら、その時を迎えたいと思っています。本当に感謝してます、ありがとうございます。
何回かコメントさせて頂いてます。この動画を母が癌だとわかった時に
見ていればもっと後悔の無い看取りが出来たんじゃないかと思い残念です。
でも、私は母が88歳で胆嚢癌だとわかったのですが、痛み止めを毎食3回
飲んでいたら、普段と変らない母でいたので、こんな元気な母が亡くなる
はずはない、歳寄りだから進行は遅いだろう、1年位持つんじゃないかと
思っていました。でも先生が言われる通り2週間前から歩くのが大変になり
車椅子になり、最後の3日は寝返りもうてなくなりました。それでも母は
いつもと変わらず明るくしていたので、まさか亡くなるわけないとここでも
思っていたのです。亡くなる前日に「苦しい」と言ってその数時間後に
ろれつが回らなくなったので寝かしたら半分目を開けて寝てしまいました。
しかし、それは意識がなくなったのかも知れません。ここに言われるように
せん妄やぜいぜいとは無縁でした。最後は意識のないまま7時間位静かに寝てました。
最後の最後に呼びかけたら目を開き私と弟を確認してそのまま亡くなりました。
寝ている間も、私は手を握っていると母も軽くではなく意外と意識のあるような
手で握り返していたので目は私が手を握っているのがわかっているようでした。
こんな感じでしたが、私は母が亡くなるなんて最後の最後まで信じられず、受け入れ
られませんでした。今でもあの明るい母はいないなんて信じられないのです。
父が亡くなって3年間毎日涙が出ました。母には私が亡くなるまで毎日、母を
想うと思います。生きてる時に亡くなった時の事は想像できても本当にそうなった
時と違います。後悔のないようにと思っても自分の生活もあり、
なかなか出来るものではありません。母には癌は言ってなかったので、
「生んでくれてありがとう」とは言えなかったですが、
最低限の言葉は伝えたし、苦労したねとか一番よく
働いたねとか母のおかげで私達は幸せな生活が出来てるとか言えました。
無理しても感謝は亡くなる前に伝えておきたいものです。
母が癌で亡くなってからもうすぐ2年。そして3回忌になります。
母の腹水が本当に切なかったですが、生きることを諦めていなかったように思いました。ですが、穏やかな顔をして旅立ちました。
いつでも戻ってきてくださいね。
と言う言葉をとても有りがたく心の居場所がわからなくなった時に、救いになりました。
親族が亡くなって3.4年たちましたが、まだ、何処かに居るような勝手な気持ちになって、なぜ会えないのか、辛くなります。
これからも、お見送りする事もまだまだあると思います…
次は自分かも知れませんが…
しっかり向き合ってお互いのこれから為にも現実を知っておく事は大切です。
思い出して、涙が出ましたが、これからも新たな旅立ちに出来る限りの事をしたいと思っています。
いつも、ありがとうございます🍀
つい先日、大好きな兄をホスピスで看取りました。入院して1ヶ月ぐらいでした。。あまりの弱っていく速さに理解が追いつかなく、戸惑いばかりの毎日でした。この動画を先に知っていれば。。そんな余裕もなく、ただただ家族みんなで精一杯の「ありがとう」を沢山言い続けました。この動画で少し納得出来たような気がします。先生、ありがとうございました。
初めまして。初めてコメント致します。
先生の動画は今から半年程前から、一本の動画を数十回見て勉強させて頂いておりました。
私の母は乳癌で抗がん剤治療を続けていましたが、治療効果も見当たらず、最後の抗がん剤も7月に終了しました。
その後日和見感染で入院となり、退院後は在宅ケアを1ヶ月過ごし。最後の2週間はホスピスで過ごし、今月旅立ちました。
在宅ケアになった際も慌てる事なく対処でき、訪問看護の方にも協力してもらいながら、母の終末期に訪れる症状に対処する事が出来、同居家族にも先生から学んだ知識を共有する事が出来ました。
まだ心の整理はつきませんが、先生のおっしゃる悔いのない最後を迎えられたと心から思っています。ほんとうにほんとうにありがとうございました。これからも先生の動画を視聴し続けたいと思います。
ありがとうございます!
つい先日、母を自宅で看取りました。あまり穏やかとは言い難かったような気がします。心肺機能が強かったのか、病気と体が戦ってるようで、辛そうでした。本人の口から早く沈静してほしいい、早く終わらせてほしいと言われ、つらかったですが、本人の希望通り処置しました。鎮静前は絶えず水を欲してましたが、鎮静後は水分を取ることもなく、旅立ちも早かったです。なかなか穏やかな最後って難しそうです。
私の母と殆ど同じ状況だったので私が入力したのかと思いました💦去年、母を亡くし今月ようやく一周忌を迎えました。
最期も余り穏やかでは無かったし割と精神力が強いせいか鎮静を打っても抗ってました😢本人は辛くないと言われても見てる私たちはとても辛かったです😢
私の夫ももがき苦しんで3日前位に寝てばかりになりました。死ぬのも大変です。忍耐づよい人がどうしていいか解らない位に苦しんでいたので早く楽にしたいとおもったものです。
5月25日に義父が、6月20日に友人ががんで亡くなりました。義父が入院してからこのチャンネルに出会い、死を現実のものととらえることができました。やはり、後悔するのはがんの方がどの位置にいるのかわからないまま見送らざるを得ない事だと思い、先生のチャンネルを全部拝見し、緩和ケアの意義も教えていただきました。
妻は、当初は見るのがつらいと申しておりましたが、このチャンネルを拝見して、奇跡的にせん妄がない段階で、義父に「ありがとう、育ててくれたありがとう」と何度も言えて看取ることができました。妻は義父と些細な事で口喧嘩をして一年くらい顔を合わせていませんでしたが、このチャンネルを見て、義父がそこまで長くないと悟り、病院に通う事ができました。感謝の意を伝え仲直りができた後に見送ったので後悔をしなくてよかったと本当に感謝していました。その後、私の末期がんの友人と市の二週間前に会いましたが、その時にせん妄以外はすべての症状が出ていて、私は彼の死が近い事を悟り、彼の最後の頼みをしっかり聞き届けられました。死はいずれ訪れるものですので生きている間にやはりやるべきことはやることを再認識しました。感謝しています。
3月10日に亡くなりました。先生の話しを聞いていたらどんなに良かったか。週単位日単位の事をもっと知りたかった。何の説明もありませんでした。緩和室に移った瞬間亡くなりました。トシ先生と出会いたかった。市民病院の先生や看護士は薄情でした。大好きな物食べたい物など口にあげたかった。なにもできなかった事が悔やまれる、
地方は、中々このプロセスを説明してくれる暇はない気がします。末期癌でも自宅療養を余儀なくされ、私も、しましたが、家に帰る準備、ホスピスに行ける準備に追われます。すなわち、ズーとおいてくれません。看取りのみです。中々大変でした。確かに一週間その通りでしたホスピスにもいましたが、精神科のケアが、上手く行ってなくて、僧侶でも怖がる日々でした。やる事がないから、ほっておくというのか、私は、家に帰る決断をしました。そしたら、精神的に落ち着きました。私は、精神科のケアとたの診療科をリンクさせて行くのがホスピスと思います。その一環として、一週間のイメージ説明が必要に思いました。私も怖く、それでも毎日ケア出来る日々は、ありがたく思いました
本日、もう昨日になってしまいましたが、母の余命宣告を受けました。違和感を覚えてから10日ほど、あと1週間から2週間とのことです。兄とも相談してますが、在宅を考えてます。母はかつて入院した際、ずっと家のある方向を見てました。今も夜になると、兄や私のことをうわ言のように言っているそうです。確かに点滴や排泄のことを考えるとケアを考えてしまいますが、ケアだと十分な対応をしていただいても日に30分しか会えない。在宅は不十分かもしれないけど、時間を共に過ごせる。今はあれをしておけばよかった、伝えておけばよかった、など後悔ばかりでXデーが刻一刻と近づいてくる恐怖と悲しさ、無念、、、様々なことがよぎってます。意識あるうちに色々話したい、そして過ごしたいと思ってます。
去る6月3日に、父を肺癌で亡くしました。
納得が行かないほど早かったので質問させて下さい。父享年73歳です。
昨年12月頭、肺癌ステージ1。転移なし
・12月いっぱい放射線治療
・2月から抗がん剤1回目(転移なし念の為)
・3月に肺炎で一旦抗がん剤延期
・4月末、結核発覚により結核治療開始
・5月の21日までの3週間結核治療を通院で受けるも、身体がとても辛い(痛い&気持ち悪い)ので検査
・5月22日の血液検査では転移の初見なし
・1週間後の5月29日にあまりの苦しさにもう一度通院にて血液検査&レントゲン。すると全身転移の末期で治療法なしと言われ入院にてモルヒネ投与。
・そのたった6日後、亡くなりました…
5月22日の血液検査で転移もなしなのに、その後たったの1週間で手遅れになってました。肺癌発覚からたったの半年でした。
主治医曰く、結核治療薬の影響(約1ヶ月投与)で、凄い勢いで、癌が全身に散らばったとの事でしたが…そんな事あるのでしょうか?
私自身が卵巣癌のステージ4と診断され、抗がん剤治療を終え、投薬治療中です。再発させないための治療中ですが、再発が不安です。再発した場合でも、先生の動画を見て、自分の最期をどのようにしたいか、きちんと考えていこうと思います。いつもありがとうございます。
先生、こんばんは。
2年前の今日、母ががんで余命長くて半年とわかり、先生の動画に出会いました。
本当に亡くなる1ヶ月前までは起き上がれてましたが、それからは覚悟しないといけないなあと思う日々でした。コロナの真っ最中だったから在宅で最後を迎えました。たぶん母は病院ならもっと早く亡くなってたと思うから、後悔はあっても良かったと思います。
もう母が亡くなって1年半たちました。病院で言われた余命より1ヶ月長く頑張ってくれたので、最後に遠距離に住む弟に会えました。
追伸、母を緩和センターで看取り、その内容を主人に話したら、
主人は沢山看取りやホスピスの本を読んでいるので私の母は
とても運がいい、よく緩和センターに入れたねと言ってます。
私も主人は最後は延命をせず、苦しまず短くてもいいから緩和センターに
行きたいと思っています。しかし、いろいろ調べると全国に緩和センターは
とても少ないのです。東京の区に2つか3つです。私の区もつしかないのです。
それも病棟は15部屋です。これでホスピスに行くなんて無理です。
私の母は市に3つあったので電話して入れるか聞きましたが、満室で順番待ち
でした。運良く2つ開いた時にすばやく病院に行き私が面談をして私と一緒に
入院する事が出来ました。個室が20部屋です。運良くお風呂も洗面も着いてる
大きな部屋で快適でした。やはりこの数字では緩和センターは無理です。
もっと沢山緩和病棟出来る事を願ってます。
安心しました ありがとうございます
祖母が先月、膵臓癌で亡くなりました。
事前に先生の動画を見て準備をしていましたが、いざその時が来ると思い出せないものですね。
この動画を見て祖母の変化を思い返すと、正しく言われている通りでした。
苦しかったかなと思った場面がありましたが、そうではなく穏やかに逝けたと分かり安心しました。
最期の看取りや送り方には何ら後悔はありませんが、今はどうしても喪失感があります。
特に癌告知から最期まで付き添った父は素晴らしくやり切りましたが、身体的には楽になりましたが、精神的にはとても辛そうです。
これは時間薬に頼るしかないのでしょうか
先生。家族と同じくらいとても大切な友人の最期までもう時間がありません。その子から最期が近づく時、そしてその時は側に居て欲しいと頼まれ約束しました。
彼女は在宅医療なのですが彼女の母は私が彼女の所に行くことを拒否します。
ただ側にいて、手を握り話がしたいだけなのですが…。
両親の想いもわかりますが、どんな自分になっても見て居て欲しいという約束が守れていません。
辛く苦しいです。
二十数年前に母をなくしました。思い出しては、もっともっと、してあげることがあったはずだと後悔です。
病院で、最後を看取れたとはいうものの、ドクターもナースも側にもおらず、何か手違いがあったのではないかと感じるくらいあっけないものでした。無知だったなぁと…。
自分自身も高齢化した今、少しづつ勉強していこうと思います。
60過ぎても働き続ける母に、すこしでも楽に余生を過ごしてほしい。と思い続けて働いていたのに、定年退職して半年後のダブルキャンサー 発覚😢
亡くなる一週間前に緊急入院し、兄と交代で母に付き添えて皆を見届けて安心したかのように穏やかに天国へ旅立った母。
そのことな関しては納得している。だけどずっと社会保険料を支払い続けた母。
これから私はだれのために生きていけばいいのだろう
緩和ケアはあてにならない
なんでこうなってるのってほど母は叫んで苦しみました
見かねて鎮静を頼んで最期は大きな呼吸が浅くなり叫び声が消えたった1時間で死にました
まるで野良犬の安楽死でした
深夜から苦しんで午前中いっぱいまで苦しんで鎮静されたのはそのあとでした
どういうシステムなのかモルヒネの選択すら打診されなかった
ずっとオキノームのみでした
妻が先日、急性骨髄性白血病で亡くなりました。こちらのサイトで、確実な回復の見込みが無ければ、亡くなることを前提に準備をしても不謹慎ではないと知りました。微塵でもそういうことを思ってはいけないと自戒していましたが、そのような状態になってから、悲しみを抱えながら動き回るのは無理があります。況してや家族が他におらず、喪主になるものが、亡くなってから慌てて動き回ると、事故を起こしたり、心身共に疲弊し、倒れる危険もあります。これは亡くなった方の本意ではないだろう。葬儀社、斎場、寺院等を事前に調べたり、手配することは一切問題ないし、不謹慎でもないと思いました。患者本人が回復して、それらをキャンセルすることは、その業者や宗教関係者も咎めはしないし、寧ろ良かったと歓迎してくれると思いました。亡くなったときに、どのような方々に連絡するかも、事前に整理しておいた方が良いと知りました。このようなことを準備するのは大変辛いし、哀しいです。回復を祈りながら手足は亡くなることを前提に動くのはキツイです。しかしこれは、必ずやらなければいけないことで、事前に先生のお話しを伺ったことで確信を持って行動出来ました。
私の母は癌で病院で亡くなりました。一晩中痛い痛いと言って可哀そうでした。痰がぜろぜろして苦しそうなのに点滴を外すなら退院しないといけないと😢自宅で看取れる環境でなかったこと、残念です
父と母の介護をしているものです
今年の4月から高校生になる娘が小学一年生の時からヤングケアラーとして手伝ってくれています
長く介助介護をしているので覚悟はしているつもりでしたが余命宣告された母の死に耐えられるのか正直自信がありません
先生のお話を聞いていて母の最後が近づいて来ているのだと感じていますが
父の介護、娘の入学準備、仕事と母に寄り添える時間を持てないでいます
母は「いまどこ」とメールをして寂しそうです
今週に入って起き上がるだけでも呼吸がだいぶ苦しそうになってきました
呼吸が楽になるなら薬をお願いしてみようかと思います…
母はせん妄は1日くらいで、まったく話せなくなりました。話せないけど起き上がろうとします。起き上がろうとするけど力尽きてしまう。混乱してると言われます。苦しそうじゃないから大丈夫と言われますが、身の置き所が無い辛さがないのか心配です。昼間は基本的に起こしているのですが、昼も眠らせるか判断が出来ず悩みます。
先月大好きな母を看取りました。緩和ケア病棟の個室に10日間自分も簡易ベッドで付き添いが出来ました。数日間眠ったまま逝きました。安らかだったと思いますが何かもっと出来たのではないか?と考えてしまいます。
母が居ないひとりぼっちの年末年始は本当にツライです。時間が経つのをただただ待つしかないのですがツライです。
母が肺癌の疑いで大きい病院の専門医の診察を受けるよう紹介されました。背中が痛いと言って受信しました。これからどうなっていくのか心配です。84才なので手術は無理と思います。副作用の少ない抗癌剤治療を望みます。手遅れであれば緩和ケアを望みます。
事前に最期のプロセスを知りたかったです。訪問医も看護師もわかっていたはずなのに、家族にショックを与えたくないから隠すのですか。語ってはくれなかった。
最期の夜に、私は病状の急変への対応にひとりだけで慌てていました。在宅訪問医も臨時の対応はしない、夜間の訪問看護師は不足。電話指示の鎮静の失敗、夫の在宅の看取りが出来て良かったのかわかりません。もう何時間か夫は生きられたのではないか、後悔ばかりで辛いです。
2023年3月7日夫は、癌でなくなりました。在宅医療を受けていました。先生の動画を視聴して、終末癌で流れがどうなるか学んでいたので、亡くなる数時間前に、手足をマッサージしたり、手を繋いだりしていました。水を数分間おきに少しずつ飲みたがり、手で少しと合図をしていました。ヘルパーさんが来たので、お湯を沸かしに離れにいき、帰ってきたら、ががく呼吸をしていたので、ヘルパーさんと亡くなるのが近いとががく呼吸になるみたいと話をしていたら、ヘルパーさんが呼吸が止まったというので、鼻に手を近づけても、呼吸してないし、心臓も動いてなかったです。とし先生から、救急車を呼ばないようにと動画で話されていたので、呼ばず。訪問看護師に連絡して、在宅医者がきてくれました。朝方に亡くなったので、私一人のときでなくて、ヘルパーさんがいてくれたので、慌てずに済みました。訪問看護師さんがくるまでいてもらいました。
最近になりとても辛くて辛くて辛くて。お地蔵さんに似た死に顔でした。毎日お供えしています。私はクリスチャンなのですが、夫の葬儀は仏式でしたので、毎日お供えしています。
とし先生の動画を視聴していたお陰さまで、悔いがないとはいえませんが、側に居られたので良かったです。六ヶ月。抗がん剤治療しても、六ヶ月でなくなりました。主治医は、治療してもにねん、治療しなくて、六ヶ月と余命宣告されました。こんなに早くに亡くなるならば、抗がん剤治療しなければ良かったと今は思います。味覚障害があり、何を食べても味がしないと、ほとんど何も食べなかったので、体重は20kg以上痩せました。あまり話さなかったです。辛かったのだと思います。でもお互いに感謝の言葉を言えたので、それは良かったのではないかと思います。亡くなる前に金沢市や温泉にもいけたので、良かったです。すい臓癌でなくなりました。早くに亡くなりショックです。とし先生の動画を視聴していて、本当に良かったです。ありがとうございました。今は辛くて。遺族会か、ボッチ会みたいなのがあれば、夫の話をしてみたいです。
がん患者本人なんですけど、……
一定歳月を越えたら、経過観察もなくなるから
緩和との つながりもなく
又、身元引き受け人もいない場合の 旅立ち方ありますか、……
最後の晩餐はガリガリ君か、私ならやはりビールか日本酒だろうか。
知人2人は奇しくも「味噌ラーメン」だった。