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目次0:00 テーマ「がん終末期後期の点滴に対する考え方」1:27 終末期後期に点滴はしてはいけない2:54 終末期後期に点滴を控える医学的な理由7:53 最期まで点滴をしてほしいと望んだご家族の話14:25 あなたに伝えたいメッセージ「また、あちらで会いましょう」購入リンクはこちら➡amzn.to/3hJQCSHこの度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。RUclipsであまりお話していない、私の死に対する考えも深く書かせていただいていますので、読んでみたいなと思ってくださった方はこのリンクから、本を購入していただければ嬉しく思います。
お母様のご逝去、心よりお見舞い申し上げます。実は今、まさに主人が緩和ケアー病棟にて飲めず食えずで入院の最中なので、この動画を参考にさせてもらいました。点滴の内容は、痛み止めの認識はあり、又 食べれないので栄養点滴もされるだろぅと安心してました。結果、栄養点滴は当初からされておらず、それに気づいたのが増悪になった1週間後でした。急遽、看護師長へ申し出をしたところ、終末期は弊害が懸念されるので控えてますとのこと。事前の説明も無いまま経過したので、回復の機会を失われたのではないかと思うと、悔しくてなりません!家族は終末期後期の認識は無く、後期に突入した位の認識でしたので、医療従事者との温度差がかなりあるのでしょうね。困惑します😢
本日、ガン末期の父が入所している施設の看護師から「水分嚥下もできなくなりました。点滴はしますか?」と連絡がありました素人考えで身体が乾くと辛いのかと思い「点滴くらいはお願いします」と伝えたところ、事前に「全ての選択は本人が痛くない、辛くないを基準にお願いします」と伝えていたため、後から医師からまた電話があり「本人の苦痛を鑑みるなら勧めない」と言われたので私の判断で「では、点滴はしないでください」とお願いし、母には私から説明し納得してもらいましたその判断で良かったのか心配になりこの動画に行き着きましたこれから看取りに移行すると思いますが私は最後に父の事を思いやれたのですよね……?😢
私も同じような経験をしました。母が亡くなる少し前、点滴を続けるかどうかで迷った。止めると判断した医師の説明の言葉は伝えられなかったので、母の所に行って見ると、話も少しできるし、もう止めちゃうのと不信感を持ちました。それで、再度点滴をしてもらったのです。母は点滴をすると胸が苦しいと呟き、呼吸も身体の胸の部分が呼吸の度に持ち上がるようになっている事に気付き、他の姉妹に「苦しいと言うし、胸が辛そうである」事を伝え、点滴を止める了解を姉妹達から取りました。本当は医療者の判断の範疇なのでしょうが、それには詳しい説明は不可欠だと思います。
自分の口で食事ができなくなった時点で就活をすべきだろう。多くの日本人の死生観が未練がましい。自分の口で食事ができないということはもう治療は不可能と覚悟すべきだ。そこで安楽死があれば人は残された時間を自分なりに生き抜こうと決める。安楽死があることによって緩和ケアとかで苦しむ必要もない。ストレスが急激に減少する。苦しみの最大の元はストレスだと思っている。 安楽死があれば最後は安らかに人生に終始符が打てると思うことが担保となってスイスやオランダの安楽死を法制化している国では患者は癌の苦痛を訴えるのが減り、癌と共存して自然死、癌による老衰死が増えているという。安楽死を法制化していない日本の終末期医療は癌患者等の苦しみを増加させているだけだ。 安楽死を法制化している国を参考にして、厳しい制約を設けて1日も早く日本も安楽死の法制化を急ぐべきだ。
先生、終末期に輸液をするデメリットのわかりやすい説明と、貴重な事例をありがとうございます。看護師をしていますが、終末期の患者さんのご家族様に、どうして輸液を中止した方がいいのかを説明する際に、先生の動画を思い出して説明させて頂こうと思います。事例の息子さんの気持ちの吐露の場面、涙が出てきました。先生は説明が遅かったとおっしゃいましたが、息子さんの思いを受け止め、おそらく、息子さんが納得するまでの時間、先生もスタッフの皆様も、息子さんを受容的に丁寧に接してこられたのだと感じました。だからこそ息子さんは、最終的には先生のお話を受け入れることができたのだと思います。私も99歳の祖母が終末期に食事が取れなくなった時に、CVをするかどうかの選択を迫られましたが、末梢で取れるのみでとお願いしました。しかし、それが苦痛を減らす方法だと頭でわかっていても、どこかでCVをしていれば、もう少し生きられたのでは思ってしまう自分もいて、終末期の患者さんに関わってきた看護師ですら身内のこととなると判断が鈍るという経験をしました。ご家族様が終末期の患者さんを目の前に動揺するのは当然のことですね。正しい情報の提供と、受容的に傾聴することの大切さ、先生の動画を拝見し改めて感じました。チャンネル登録させていただき、今後も勉強させて頂こうと思います。ありがとうございました。
そういう事だったのですね。私は、中々末梢血管が取れなくなり、この暑さ熱中症にならないようにポカリ薄め飲んでいます。血管の走行が曲がっている為だそうです。元気に過ごしいまの所過ごしています、先生お体気をつけて下さいね
本当にいいお話し伺いました。この話は77歳の私より娘に知っていて欲しいです。
親の終末期に点滴が血管から漏れて浮腫を起こしていました。もう点滴はやめて欲しい、と医師に言いましたが「後で後悔するから続けた方がいい」と言って医師の指示で続行しました。そのまま浮腫が悪化し、胸水が溜まり、寝返りも難しくなりました。あの医師には今でも不信感を抱いています。
大変ためになるお話をありがとうございます。
つい先日、愛妻が亡くなりました。がんの痛みでオピオイドの点滴を24時間付けていましたが、浮腫も酷くなったので、点滴を外してほしいとドクターに言いましたが、最後まで外されることもなく、最期を迎えました。オピオイドの点滴は、最期まで付けていた方がいいのか、そうでないのか?今でも分かりません。
もっと早く知りたかった。最後点滴で辛い思いをさせてしまいました。ごめんなさい。ありがとうございました。
為になるお話をありがとうございました。勉強になりました🙏
そういう事だったんですね。やっと腑に落ちました。有難うございました。
父が認知症専門の🏥に色呆けで入院。院内感染でコロナにかかり、完治したけど食欲が戻らず、看取りに入りました。看取りに入るとDr.から連絡がきた時に、『点滴も結構です』っと話したのですが、それから2ヶ月半後に逝去。水分点滴のみで、脚や腕が浮腫み内出血で、痛々しかったです。😢ごめんね、父さん🙏
去年の話ですが、トリプルネガティブ乳がんからの小脳転移で放射線後に在宅医療になった母は、その時既に肺にお水が溜まってて在宅酸素でした。ステロイドのせいで顔も手足もパンパンでした。終末期はいろんな神経症状が出てきたものの、おまもりがわりにオプソ持ってましたがついに一度も痛みは訴えず、最期まで普通に我儘でしたwステロイドのお陰でわりと最期まで驚くほど食べてました。最後の方は傾眠傾向になり(放っておくと寝てしまう)、起こして食べさせたくて仕方ない父に、私はよく「無理に起こさなくていい!」と言ってました。最後にあんみつ食べたのが10/4のお昼頃、そのまま丸一日眠ってて、5日の深夜に枕元でお祈りしてたら目を覚まして私を見ていっしょにお祈りし、しっかりとした会話ができました。翌6日の朝は、この期に及んでまだ全力でオムツを拒否るので、父がチカラワザでベッド脇のポータブルトイレに座らせ、小さいコップに1/3くらいのりんごジュースを飲んでまた眠りました。その時はもうあまり見えない、聞こえない、ほとんど声も出ない、飲み込むとむせる状態。何かを口にしたのはこのりんごジュースが最後でした。その晩から自分で酸素マスクを外したり、声は出ないけど何か叫ぶ感じ、怯える様な動作、胸のあたりをさすったり布団をはいだり身をよじる感じが始まり、目つきもおかしくなってきました。訪問医の指示でそのままいっさい点滴せず、薬も飲まず、父は泣いてましたがみるみる浮腫が引いてきて、9日の晩にはかなり穏やかに眠ってました。10日の朝4時にたまたまトイレに起きた父が、静かに呼吸を止める瞬間を見守りました。最後の数日で不穏っぽさが出てしまったのは、さすがに脱水させすぎたのでしょうか?(^◇^;)でも浮腫は完全に引いてしまい、大変穏やかで安らかな死に顔。家族みんなが笑顔になれた最期でした。点滴どころか酸素も薬もやめてしまい、熱すら計らずモニターなしで自然に逝ったので、これで本当に良かったのかは今でも謎ですが後の祭りです(^◇^;)後悔しないつもりですが、いまだに先生のこの手の動画観てしまいますね 笑
私だったらこのように逝きたいと思いました。なので現在の看取りもそうしたいと思います。
@@younishi1392 コメントありがとうございます。最後の3日間はサチュレーションどん底なはずなのに酸素マスクを外してしまい、傾眠傾向だからいっさい薬も飲まず、起きると目がイッちゃってて不穏な様子に父は泣きましたが、不思議と痛み苦しみを訴えることはなく、眉間に皺を寄せる辛そうな表情もなかったので、ドクターは呼ばず、心静かに神様の助け(旅立ちの助け)に信頼して委ねる祈りをしました。神様が母にとって最善の時に、最善の方法で受け取って下さるのを、妨げてはならないと思ったので、息を止めても引き止めませんでした。一番大事なことは、「脳転移」とか「終末期」とか「せん妄」「死」などの言葉に打ちのめされ、不安や恐怖や悲しみに溺れて絶望してしまわないことではないでしょうか?本当に怖かったのは、私は「絶望」だけでした。そうならずに済んだことを幸いに思います。younishiさんのお看取りが穏やかでかけがえのない幸せな時間でありますように。
うちの母は乳ガンによる全身ガンでなくなりましたが、生前時、体の水分を減らすと痛みが減ると言ってましたよ。点滴受けるとフワフワしていた意識が消えて、強い神経痛と悪夢観る様になるとか
がんだけではなく、老衰などでも点滴は減らすか止めるのは、同じだと思います。自宅で看取った母。高齢なりに普通に生活していましたが、急に食べられなくなり、老衰で亡くなりました。食べられなくなったイコールもう食べ物はいらないんですよね。適量を点滴していましたが、亡くなるまでほとんど寝ていました。血管が細いため、点滴針が血管に入らず、皮下点滴でした。尿も出なくなり、点滴量を減らしても最後は、腕や太ももの下に水がたまり始めました。亡くなる3日前に点滴を止めました。大好きだったアイスクリームやお茶を含ませてあげたら、有難うと言ってくれました。最後の言葉でした。家族としたら、何かをしてあげたいですけど、重要なのは、本人が一番楽に穏やかに逝ける事が大事なんですよね。母は、食事が出来なくなってから2週間で苦しまずに逝きました。大往生でした。食べられなくなってから、短い時間に先生の動画に出会い色々調べて悔いの無い様、大事に過ごせました。何もわからないと点滴で楽になるとか、長生き出来る、何かしてあげたいと思いがちですが、点滴をする事は終末期には苦痛なのだと知れて良かったです。母は自分で自分の身体、最後が近い事が良くわかっていたのだなと実感しました。
今主人が入院してる病院では、余命一週間ですけど、まだ毎日点滴しています、大丈夫か、行くたびに悩んでしまいます。
癌でも老衰でも終末期になったら余分な事はしないが一番です。大概は点滴を望まれるご家族が多いのも事実です。もっとこのような動画の発信が増える事を望みます。先生有難うございます♪終末期ケアを長年経験してきて共感しています。
母は現在癌はありますが心不全の状態が強く最初運ばれた時は既に肺に水が。せん妄もあり一週間毎に面会に行くと様子がその都度変わり苦しさと痛みを訴えます。尿道パックも最近は乏尿気味です。食欲もなく…医師は半分点滴をと言われました。心不全は最期が判断が難しく私も遠方で3時間掛けて通いますが😢包括病棟で転院を検討するように言われましたが。体位も難しく病院にも不信も…説明もありません!💦辛い時期ですが一人暮らしの母は運ばれる迄頑張って生活してたようです。願いは緩和状態ですが田舎の病院では出来るのか?悩みます。
30年位前、癌患者さんにIVHで高カロリーやっていて私も医師の指示に普通に従ってました。それが間違いだったと今は思います。脚は浮腫でパンパンで毛穴から水分が出てきます。糖で癌細胞に栄養を与える。今の大病院ではどうしてるのかな…
病院にいると言う事は、何かしないといけないのでしょうね。医師もやりたくてやってる訳では、無いだろうし、家族の希望もあったりなのでしょうね。自宅で老衰で亡くなった母は、幸せだったなあと思います。
先生、ありがとうございます🈵☘️m(__)m今迄、最後迄の点滴が最後の望みと勘違いしていました😅m(__)m💦❤
終末期後期に簡単な説明だけでいきなり点滴減らす医者もいるから家族は納得できないんだよね。
お疲れ様です。妻はまだ3次治療ですが、先々のことを知っておくことこそ重要ですよね。
この事例、息子さんが、終末期になっても相変わらず患者さんの気持ちを考えずご自身のおっしゃる通り「自分勝手」だったのが非常に興味深い。どうして患者さんを直接診ているドクターではなく、終末期のケアもできない・患者さんを診たこともない腎臓内科医のいうことのほうをきくのか…テレビ番組に左右される患者さんも多いですし、ほんとうに不思議です。息子さんは、篠宮先生の関わりで、軌道修正が間に合ってよかったです。合掌。
親を胆嚢癌で亡くしただけに、よく分かります。涙が出ました。
私の主人は、白血病で、嘔吐を繰り返し、血圧も下がってきたので、救急車を呼びました。いつも入退院を繰り返ししてた病院名をつげました。でも、運ばれた病院は、一番大きな救急指定病院でした。私は、もう緩和ケアに入っているので、いつも入退院を繰り返している病院にお願いします。と、言ったんですが、いいですか。奧さん、ご主人は、低血圧で、今、命の危険があるんですよ。こんなことを言っては、いけないかもしれませんが、そこの病院では、医療体制が乏しいです。後で説明しますが、とにかく、この大きな病院が一番設備も整っています。詳しいことは、病院で聞いて下さい。の一点張りで、私の言うことなど、聞いてくれませんでした。今、主人は、集中治療室で、いろんな検査を受け、治療しています。家族の意向など、詳しく説明しても、若い先生には、伝わりませんでした。余命月単位と言われている主人を、家でゆっくり家族と過ごしたいと、言っていた主人を救急車を呼んだばっかりに、こんなことになってしまい、後悔しています。まだ、集中治療室にいますが、月単位と言われている主人を、私は、どうすれば良かったのか?!
救急車を呼んだ事が、全ての間違いだったのです。
寝たきり植物人間になった患者の延命措置の治療費に国民の税金が使われるのが謎です
目次
0:00 テーマ「がん終末期後期の点滴に対する考え方」
1:27 終末期後期に点滴はしてはいけない
2:54 終末期後期に点滴を控える医学的な理由
7:53 最期まで点滴をしてほしいと望んだご家族の話
14:25 あなたに伝えたいメッセージ
「また、あちらで会いましょう」購入リンクはこちら
➡amzn.to/3hJQCSH
この度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。RUclipsであまりお話していない、私の死に対する考えも深く書かせていただいていますので、読んでみたいなと思ってくださった方はこのリンクから、本を購入していただければ嬉しく思います。
お母様のご逝去、心よりお見舞い申し上げます。
実は今、まさに主人が緩和ケアー病棟にて飲めず食えずで入院の最中なので、この動画を参考にさせてもらいました。
点滴の内容は、痛み止めの認識はあり、又 食べれないので栄養点滴もされるだろぅと安心してました。
結果、栄養点滴は当初からされておらず、それに気づいたのが増悪になった1週間後でした。
急遽、看護師長へ申し出をしたところ、終末期は弊害が懸念されるので控えてますとのこと。
事前の説明も無いまま経過したので、回復の機会を失われたのではないかと思うと、悔しくてなりません!
家族は終末期後期の認識は無く、後期に突入した位の認識でしたので、医療従事者との温度差がかなりあるのでしょうね。
困惑します😢
本日、ガン末期の父が入所している施設の看護師から「水分嚥下もできなくなりました。点滴はしますか?」と連絡がありました
素人考えで身体が乾くと辛いのかと思い「点滴くらいはお願いします」と伝えたところ、事前に「全ての選択は本人が痛くない、辛くないを基準にお願いします」と伝えていたため、後から医師からまた電話があり「本人の苦痛を鑑みるなら勧めない」と言われたので私の判断で「では、点滴はしないでください」とお願いし、母には私から説明し納得してもらいました
その判断で良かったのか心配になり
この動画に行き着きました
これから看取りに移行すると思いますが私は最後に父の事を思いやれたのですよね……?😢
私も同じような経験をしました。母が亡くなる少し前、点滴を続けるかどうかで迷った。止めると判断した医師の説明の言葉は伝えられなかったので、母の所に行って見ると、話も少しできるし、もう止めちゃうのと不信感を持ちました。それで、再度点滴をしてもらったのです。母は点滴をすると胸が苦しいと呟き、呼吸も身体の胸の部分が呼吸の度に持ち上がるようになっている事に気付き、他の姉妹に「苦しいと言うし、胸が辛そうである」事を伝え、点滴を止める了解を姉妹達から取りました。本当は医療者の判断の範疇なのでしょうが、それには詳しい説明は不可欠だと思います。
自分の口で食事ができなくなった時点で就活をすべきだろう。多くの日本人の死生観が未練がましい。自分の口で食事ができないということはもう治療は不可能と覚悟すべきだ。そこで安楽死があれば人は残された時間を自分なりに生き抜こうと決める。安楽死があることによって緩和ケアとかで苦しむ必要もない。ストレスが急激に減少する。苦しみの最大の元はストレスだと思っている。
安楽死があれば最後は安らかに人生に終始符が打てると思うことが担保となってスイスやオランダの安楽死を法制化している国では患者は癌の苦痛を訴えるのが減り、癌と共存して自然死、癌による老衰死が増えているという。安楽死を法制化していない日本の終末期医療は癌患者等の苦しみを増加させているだけだ。
安楽死を法制化している国を参考にして、厳しい制約を設けて1日も早く日本も安楽死の法制化を急ぐべきだ。
先生、終末期に輸液をするデメリットのわかりやすい説明と、貴重な事例をありがとうございます。
看護師をしていますが、終末期の患者さんのご家族様に、どうして輸液を中止した方がいいのかを説明する際に、先生の動画を思い出して説明させて頂こうと思います。
事例の息子さんの気持ちの吐露の場面、涙が出てきました。
先生は説明が遅かったとおっしゃいましたが、息子さんの思いを受け止め、おそらく、息子さんが納得するまでの時間、先生もスタッフの皆様も、息子さんを受容的に丁寧に接してこられたのだと感じました。だからこそ息子さんは、最終的には先生のお話を受け入れることができたのだと思います。
私も99歳の祖母が終末期に食事が取れなくなった時に、CVをするかどうかの選択を迫られましたが、末梢で取れるのみでとお願いしました。しかし、それが苦痛を減らす方法だと頭でわかっていても、どこかでCVをしていれば、もう少し生きられたのでは思ってしまう自分もいて、終末期の患者さんに関わってきた看護師ですら身内のこととなると判断が鈍るという経験をしました。
ご家族様が終末期の患者さんを目の前に動揺するのは当然のことですね。
正しい情報の提供と、受容的に傾聴することの大切さ、先生の動画を拝見し改めて感じました。
チャンネル登録させていただき、今後も勉強させて頂こうと思います。ありがとうございました。
そういう事だったのですね。私は、中々末梢血管が取れなくなり、この暑さ熱中症にならないようにポカリ薄め飲んでいます。血管の走行が曲がっている為だそうです。元気に過ごしいまの所過ごしています、先生お体気をつけて下さいね
本当にいいお話し伺いました。この話は77歳の私より娘に知っていて欲しいです。
親の終末期に点滴が血管から漏れて浮腫を起こしていました。
もう点滴はやめて欲しい、と医師に言いましたが「後で後悔するから続けた方がいい」と言って医師の指示で続行しました。
そのまま浮腫が悪化し、胸水が溜まり、寝返りも難しくなりました。
あの医師には今でも不信感を抱いています。
大変ためになるお話をありがとうございます。
つい先日、愛妻が亡くなりました。
がんの痛みでオピオイドの点滴を24時間付けていましたが、
浮腫も酷くなったので、点滴を外してほしいとドクターに言いましたが、
最後まで外されることもなく、最期を迎えました。
オピオイドの点滴は、最期まで付けていた方がいいのか、そうでないのか?
今でも分かりません。
もっと早く知りたかった。最後点滴で辛い思いをさせてしまいました。ごめんなさい。
ありがとうございました。
為になるお話をありがとうございました。勉強になりました🙏
そういう事だったんですね。やっと腑に落ちました。有難うございました。
父が認知症専門の🏥に色呆けで入院。
院内感染でコロナにかかり、完治したけど食欲が戻らず、看取りに入りました。
看取りに入るとDr.から連絡がきた時に、『点滴も結構です』っと話したのですが、それから2ヶ月半後に逝去。
水分点滴のみで、脚や腕が浮腫み内出血で、痛々しかったです。😢
ごめんね、父さん🙏
去年の話ですが、トリプルネガティブ乳がんからの小脳転移で放射線後に在宅医療になった母は、その時既に肺にお水が溜まってて在宅酸素でした。
ステロイドのせいで顔も手足もパンパンでした。
終末期はいろんな神経症状が出てきたものの、おまもりがわりにオプソ持ってましたがついに一度も痛みは訴えず、最期まで普通に我儘でしたw
ステロイドのお陰でわりと最期まで驚くほど食べてました。
最後の方は傾眠傾向になり(放っておくと寝てしまう)、起こして食べさせたくて仕方ない父に、私はよく「無理に起こさなくていい!」と言ってました。
最後にあんみつ食べたのが10/4のお昼頃、そのまま丸一日眠ってて、5日の深夜に枕元でお祈りしてたら目を覚まして私を見ていっしょにお祈りし、しっかりとした会話ができました。
翌6日の朝は、この期に及んでまだ全力でオムツを拒否るので、父がチカラワザでベッド脇のポータブルトイレに座らせ、小さいコップに1/3くらいのりんごジュースを飲んでまた眠りました。
その時はもうあまり見えない、聞こえない、ほとんど声も出ない、飲み込むとむせる状態。
何かを口にしたのはこのりんごジュースが最後でした。
その晩から自分で酸素マスクを外したり、声は出ないけど何か叫ぶ感じ、怯える様な動作、胸のあたりをさすったり布団をはいだり身をよじる感じが始まり、目つきもおかしくなってきました。
訪問医の指示でそのままいっさい点滴せず、薬も飲まず、父は泣いてましたがみるみる浮腫が引いてきて、9日の晩にはかなり穏やかに眠ってました。
10日の朝4時にたまたまトイレに起きた父が、静かに呼吸を止める瞬間を見守りました。
最後の数日で不穏っぽさが出てしまったのは、さすがに脱水させすぎたのでしょうか?(^◇^;)
でも浮腫は完全に引いてしまい、大変穏やかで安らかな死に顔。
家族みんなが笑顔になれた最期でした。
点滴どころか酸素も薬もやめてしまい、熱すら計らずモニターなしで自然に逝ったので、これで本当に良かったのかは今でも謎ですが後の祭りです(^◇^;)
後悔しないつもりですが、いまだに先生のこの手の動画観てしまいますね 笑
私だったらこのように逝きたいと思いました。なので現在の看取りもそうしたいと思います。
@@younishi1392 コメントありがとうございます。
最後の3日間はサチュレーションどん底なはずなのに酸素マスクを外してしまい、傾眠傾向だからいっさい薬も飲まず、起きると目がイッちゃってて不穏な様子に父は泣きましたが、不思議と痛み苦しみを訴えることはなく、眉間に皺を寄せる辛そうな表情もなかったので、ドクターは呼ばず、心静かに神様の助け(旅立ちの助け)に信頼して委ねる祈りをしました。
神様が母にとって最善の時に、最善の方法で受け取って下さるのを、妨げてはならないと思ったので、息を止めても引き止めませんでした。
一番大事なことは、「脳転移」とか「終末期」とか「せん妄」「死」などの言葉に打ちのめされ、不安や恐怖や悲しみに溺れて絶望してしまわないことではないでしょうか?
本当に怖かったのは、私は「絶望」だけでした。
そうならずに済んだことを幸いに思います。
younishiさんのお看取りが穏やかでかけがえのない幸せな時間でありますように。
うちの母は乳ガンによる全身ガンでなくなりましたが、生前時、体の水分を減らすと痛みが減ると言ってましたよ。点滴受けるとフワフワしていた意識が消えて、強い神経痛と悪夢観る様になるとか
がんだけではなく、老衰などでも点滴は減らすか止めるのは、同じだと思います。
自宅で看取った母。高齢なりに普通に生活していましたが、急に食べられなくなり、老衰で亡くなりました。
食べられなくなったイコールもう食べ物はいらないんですよね。
適量を点滴していましたが、亡くなるまでほとんど寝ていました。
血管が細いため、点滴針が血管に入らず、皮下点滴でした。
尿も出なくなり、点滴量を減らしても最後は、腕や太ももの下に水がたまり始めました。
亡くなる3日前に点滴を止めました。
大好きだったアイスクリームやお茶を含ませてあげたら、有難うと言ってくれました。最後の言葉でした。
家族としたら、何かをしてあげたいですけど、
重要なのは、本人が一番楽に穏やかに逝ける事が大事なんですよね。
母は、食事が出来なくなってから2週間で苦しまずに逝きました。
大往生でした。
食べられなくなってから、短い時間に先生の動画に出会い色々調べて悔いの無い様、大事に過ごせました。
何もわからないと点滴で楽になるとか、長生き出来る、何かしてあげたいと思いがちですが、点滴をする事は終末期には苦痛なのだと知れて良かったです。
母は自分で自分の身体、最後が近い事が良くわかっていたのだなと実感しました。
今主人が入院してる病院では、余命一週間ですけど、まだ毎日点滴しています、大丈夫か、行くたびに悩んでしまいます。
癌でも老衰でも終末期になったら余分な事はしないが一番です。
大概は点滴を望まれるご家族が多いのも事実です。
もっとこのような動画の発信が増える事を望みます。
先生有難うございます♪
終末期ケアを長年経験してきて共感しています。
母は現在癌はありますが心不全の状態が強く最初運ばれた時は既に肺に水が。せん妄もあり一週間毎に面会に行くと様子がその都度変わり苦しさと痛みを訴えます。尿道パックも最近は乏尿気味です。食欲もなく…医師は半分点滴をと言われました。心不全は最期が判断が難しく私も遠方で3時間掛けて通いますが😢包括病棟で転院を検討するように言われましたが。体位も難しく病院にも不信も…説明もありません!💦辛い時期ですが一人暮らしの母は運ばれる迄頑張って生活してたようです。願いは緩和状態ですが田舎の病院では出来るのか?悩みます。
30年位前、癌患者さんにIVHで高カロリーやっていて私も医師の指示に普通に従ってました。それが間違いだったと今は思います。脚は浮腫でパンパンで毛穴から水分が出てきます。糖で癌細胞に栄養を与える。今の大病院ではどうしてるのかな…
病院にいると言う事は、何かしないといけないのでしょうね。
医師もやりたくてやってる訳では、無いだろうし、
家族の希望もあったりなのでしょうね。
自宅で老衰で亡くなった母は、幸せだったなあと思います。
先生、ありがとうございます🈵☘️m(__)m
今迄、最後迄の点滴が最後の望みと勘違いしていました😅m(__)m💦❤
終末期後期に簡単な説明だけでいきなり点滴減らす医者もいるから家族は納得できないんだよね。
お疲れ様です。
妻はまだ3次治療ですが、先々のことを知っておくことこそ重要ですよね。
この事例、息子さんが、終末期になっても相変わらず患者さんの気持ちを考えずご自身のおっしゃる通り「自分勝手」だったのが非常に興味深い。
どうして患者さんを直接診ているドクターではなく、終末期のケアもできない・患者さんを診たこともない腎臓内科医のいうことのほうをきくのか…テレビ番組に左右される患者さんも多いですし、ほんとうに不思議です。
息子さんは、篠宮先生の関わりで、軌道修正が間に合ってよかったです。合掌。
親を胆嚢癌で亡くしただけに、よく分かります。涙が出ました。
私の主人は、白血病で、嘔吐を繰り返し、血圧も下がってきたので、救急車を呼びました。
いつも入退院を繰り返ししてた病院名をつげました。
でも、運ばれた病院は、一番大きな救急指定病院でした。
私は、もう緩和ケアに入っているので、いつも入退院を繰り返している病院にお願いします。と、言ったんですが、
いいですか。奧さん、
ご主人は、低血圧で、今、命の危険があるんですよ。
こんなことを言っては、いけないかもしれませんが、そこの病院では、医療体制が乏しいです。
後で説明しますが、とにかく、この大きな病院が一番設備も整っています。
詳しいことは、病院で聞いて下さい。の一点張りで、私の言うことなど、聞いてくれませんでした。
今、主人は、集中治療室で、いろんな検査を受け、治療しています。
家族の意向など、詳しく説明しても、若い先生には、伝わりませんでした。
余命月単位と言われている主人を、
家でゆっくり家族と過ごしたいと、言っていた主人を
救急車を呼んだばっかりに、こんなことになってしまい、後悔しています。
まだ、集中治療室にいますが、
月単位と言われている主人を、私は、どうすれば良かったのか?!
救急車を呼んだ事が、全ての間違いだったのです。
寝たきり植物人間になった患者の延命措置の治療費に国民の税金が使われるのが謎です