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目次0:00 テーマ「家族が余命宣告をされた…先生助けてください…!」1:41 家族にだけ、余命宣告された…6:51 手術をしたら、がんが治ると思ってた…9:23 抗がん剤をする目的ってなんだろう?11:49 家族が背負う、余命宣告14:43 治療をやめてしまったら…18:54 余命って、本人に伝えるべきなの…?21:27 お母さんと家族の向き合い方23:04 大切な人との時間をどう過ごすか?24:03 相談したことでの心の変化25:48 普通に過ごしていると、忘れてしまうこと先日、1本の電話がありました。電話をかけて来てくれたのは、私の知り合いの娘さんでした。娘さんのお話を聞いてみると…「大切なお母さんが、がんを患い、治療を頑張っていたけど、とうとう治療ができなくなってしまった。そして、家族にだけ余命宣告をされた…。どうやって伝えればいいのか分からないし、お母さんが亡くなることと、どのように向き合えばいいのか分からない。お母さんがいなくなってしまうことが、怖い…」と、つらい胸の内を私に話してくれました。今回の動画は、この娘さんと同じような状況で困っている方のために作りましたが、それと同時に、今はがんなんて関係ないと思っている方にこそ、ぜひ見ていただきたい動画です。少し長いですが、普段の診察はこんな感じなんだと思って見ていただければ嬉しいです。それではごゆっくりご覧ください。書籍「また、あちらで会いましょう」アマゾンのリンクはこちら➡amzn.to/3hJQCSHこの度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。とても好評いただき、ありがたいことに重版がかかりました。アマゾンなど、ネットでは品切れのこともありますので、その際はお近くの書店でお買い求めください。
昨年秋に母を卵巣癌で亡くした者です。最期の三か月はホスピスに入りましたが、一日置きに面会に行く日々でした。仕事をしながら母の欲しいものを買って病院へ行くことを夢中でやっていたように思います。正直、その頃のことをあまり思い出すことができません。先生が動画で相談者の方に、大変だったねと温かい言葉をかけているのを聞いて、勝手に私に言われた気になり、涙が出ました。
引っ越しした先で小学校に入学した息子には保育園からの友達もいず、夫も海外出張ばかりの生活。田舎から上京して癌治療を受けていた母を、仕事の帰りに毎日電車で見舞いました。一人待つ息子のことが気になり、病院には5分、10分しかいられませんでしたが、助からない母のもとへ通いました。休日は息子もつれていきました。思い出すだけで涙が出ます。息子には障害もあったので本当に辛かったです
私も同じ…あと余命三ヶ月と言われた母の病室ヘ、毎日毎日通いました。平日は仕事が終わった後、夜遅くまで病室に残り、痛み止めが効いて母が眠るまで見守っていました。自分のことはそっちのけで、ご飯も三食おにぎりとか、朝にカフェオレ一杯だけとか、布団に入らずその辺に雑魚寝とか、かなりめちゃくちゃな生活をしていて、多分当時の体調はボロボロだったと思います。でも全く気にならなかった…その時の影響かどうかわかりませんが、私もガン発症しました。
(号泣)
私も最愛の母を余命3ヶ月ぐらいだと医師から聞き頼み込んで退院させて頂き自宅で看取りました。当時母は60代でした。当時は介護サービスも充実しておらず3人の幼児を抱え絶望の中で必死に介護をした経験があります。母を失う恐怖、とても理解できます。最後まで告知はしていませんが母自身も静かに死を受け入れていきました。この同居できた短い時間は今もかけがえのないものです。心にいつも母が居ます。お優しい先生のお言葉に救われます。
すごくいい相談内容で、自分にもかぶるように考えました。去年の1月に親父を亡くしまして、あと母親ですが、母親も胆嚢摘出手術をしたり、年々とどうしても弱ってしまいます。母親は69才ですが、生きていてくれるうちに親孝行したいです。
私も同じ経験をしましたお医者様からは「もうこれ以上毒を盛る事は出来ない…お母さんの抗癌剤治療を中止します」と言われました私は治療前にお医者様から「お母さんは抗癌剤治療をしなければ余命半年です」と言われましたが、最期まで母には余命の話はしませんでしたその件で迷う事はなかったです4月に母に「花見に行こうか?」と尋ねたら「今は体調が良くないので来年行く」と答えてくれた時、私の方が病気に負けてる母は諦めずに闘ってるとハッとしました私は今年の花見は母の最後の花見だと言う気持ちがあったのです…最期まで母は生きる意志を持ち続けていました強い母でした
心温まる動画、ありがとうございました。私は、夫を急性白血病で亡くしました。入院一ケ月後、正式な病名を告げられ2週間後でした。未主治医によると、未だ症例を見た事のない白血病で、色々問い合わせているという、説明でした。病名が判り、抗がん剤治療を2回目で白血球が少くなり、中止しました。その後高熱が続き、くるしそうでした。亡くなる前日に、いつもと様子が違うのでは?と主治医に伝えたら、いつもそうですと、返事がありました。翌朝、看護師から冷たくなり顎も上がっていると、亡くなった連絡がありました。飛んでいきましたが、先生か来られ、処置するまで病室に入れないと。30分待たされました。その間、何が行われたのか?未だに納得いかないです。先生は、奥様のかんがあたりましたねと言われ、悔しさが残りました。死因は、敗血症という事でしたが、心の準備がないまま、見送ったので、後悔が残っています。ご相談者様が、お母様の残された時間、色々な思い出を紡がれるよう、お祈り申し上げます。
もののけ姫様私は夫を亡くして2年になります。積極的治療はしないで自宅で最期を迎えたいと、訪問診療看護をして過ごしていましたが、ある時、気胸のせいか、呼吸がどうにも苦しくてたまらなくなり、家の隣にあるホスピスに入院する手続きをしました。ホスピスのベッドが空いていず、空くまで同じ階の病棟の個室に入りました。そこで受けた点滴がひどいもので、携帯で話もできなくなりました。お漏らしをしたので着替えを持ってこい病院から電話があり(着替えは十分すぎるほど持っていったいた)持っていくと、ひどい状態でした。私はそばについていたいと懇願しましたが、コロナのため規則だから帰れというのです。私はPCR検査を毎週していると訴えましたが、看護師長まで出てきて帰れと言う。ーー帰らなければよかったのです。帰って夜病院から電話があり、駆けつけると、もう顎呼吸でした。最期まで手を握っていてあげたかった。ホスピスの医師は許せません。10月18日に入院し21日に亡くなりました。とんだキリスト教病院の、ホスピスです
在宅のケアマネをしております。先生がおっしゃる様に、主治医がこの様な説明をしてくださっていたら、もっとちゃんとご自身命と向き合う事ができる患者様、そして御家族様が増えるのだろうと感じずにはいられません。こんなはずじゃなかった…と旅立つ方、見送る方が減りますように…ケアマネとして自分のできる事の為に、本当に勉強になりましたありがとうございます😊
私は23年前に大好きな父を亡くし当時の癌治療は悲惨で未だに心残りがあります。そんな私の主人58歳が昨年前立腺がん骨とリンパ余命1年と言われすぐ治療を始めましたが半年経った頃PSA数値が300超えまして抗がん剤ドタキセルを始めましたが175まで下がりましたが平行線です。骨を守る為ゾーフィゴ静注射を勧められましたが、お金問題が発生し治療に行き詰まり中です。自分の何もしてあげれない気持ちに押しつぶされております。寄り添う私より主人は痛みもあり麻薬の痛み止めも飲んでます。叉お父さんの時みたいに後悔するのかと毎日が怖くて涙が出てしまいます。
先生のお人柄をまた一つ拝見する事ができ、嬉しく思いました。数えきれない程の患者さんと関わられてきた先生が、このように優しい声でゆっくりと耳を傾けて、頷いてきいて下さるのですね。私まで心が癒されました。今の私は病気をしていませんが、辛い気持ちでいる方のお話をきかせて頂き、そっと寄り添っていきたいと思いました。お向かいのご主人が白血病で昨年亡くなられ、奥様お一人になられました。枕花をお届けしたら、あのお花で随分励まされましたと言って下さいました。お気持ちをきかせて頂く事が1番だと改めて思いました。今日もありがとうございました。
私の母が年明け19日に71歳で他界しました。大晦日に心臓の血栓が脳に飛び脳梗塞で倒れて病院にて息を引き取りました。まだ受け入れられず近所の母の同年代の元気な方を見ると辛いです。動画の田中さんと同じ気持ちでした。なぜ?何をしたらよかったのか?なぜ治らなかったのか? 本当に辛いです。田中さんの話しを伺って同じ気持ちになりました。田中さんに寄り添う先生も素晴らしいです。こんな先生がいたらと思いました。田中さんには ご兄弟や旦那さんお子さんがいらっしゃるなら きっと見守ってくれてると思います。
ほんとにみんな、大切な人や自分が「いつか必ずいなくなる」ということを知らないで生きているのだなと思いました。こういうことを、どうやって受けとめていくんでしょう…?
優しく傾聴される、トッシュ先生のお姿に、温かい気持ちになりました。
お母様に愛されて育った方なんですね。私は身勝手な両親に捨てられたので……亡くなったと知らせがきても葬式にも出ませんでした。涙も出なかった。それより気持ちがラクになりました。子供を捨てた罰だって!だから私は自分の娘達を大切に育てていますが、私の事で子供が悩む姿は見たくない。いつか人間は、死を迎えます。永遠一緒にいる事はできない。気持ちを整理したら、受け入れて、お母様と1日1日を大切に生きてほしいです。
お疲れ様です。現在僕は色々な専門家の話を聞いています。人によって、言い方は違うのですね。勉強になりました。勉強したことを、後進の皆さんに伝えることが医療の発展に繋がると確信しました。先生もどうか身体をご自愛ください。ありがとうございました。
いつも拝見しています。看護師をしています。300人以上の方を看取ってきました。私の母も今看取り期にあり、近い将来、自分や大切な人の死を意識して辛い方へ寄り添ってお話しをきく仕事がしたいなと思っています。先生の様に、人生の大切な問題集の一つとして、もとに歩んでいきたいです。
私も相談者さんと同じ様な立場にあります。 母の病気が分かった時、膵臓尾部の低文化の腺癌で肝転移があり、手術適応外の状態でした。 私は看護師で状況が深刻なのはよく理解しているつもりです。母は病気が分かってから、私の家で療養始めました。日々、様々な不満を口にする母との向き合い方に頭を悩ませています。ですが、先生の動画を見て気持ちが少し楽になりました。ありがとうございました。今後も先生の動画を参考にさせて頂きます。
MRI検査の結果が良くても悪くても、教えてほしい。そう思っています。誰でもそうだと思いますが、どんな病気であれ怖いです。医療費も決して安くないのもわかります。夫婦とも,50代なので,確かに病気のリスクは避けては通れない…主人にとって幸せは何?と聞いた時,そばにいてくれることだよ。そう言ってくれたので,この動画を見てすごく頑張っておられるんだなと思いました。気持ちは、わかります。主人の両親は癌で亡くなってます。主人の兄も肺の病気で亡くなっています。私の亡くなった母の先祖も,癌です。主人のそばにいたいです。先生のような優しい先生がそばにいてくれたら。そう思います。長文で,御免なさい。😢
Dr.Toshのこの動画を3ヶ月前に知っていればと悔やまれます。大学病院の主治医の診察は、患者といつも付き添う私に抗がん剤治療中止と余命宣告をされ、住んでいる地元で緩和ケアに移行するためのホスピスか在宅診療医を探しなさいと告げられました。その大学病院には緩和ケア科もあったはずなのに、そちらでの受診を勧められることもなく、私たちは大変に戸惑いました。初めての命に関わる重大時に際し、無理やり野に放り出され、夫も私もひどく動揺しました。悲しいことに患者は初めての経験、それに戸惑って当然なのに、患者からアクションを起こさなければ何も導いてはくれなかった、悲しい経験でした。
人の命は医者にもわからない❗私の母も、去年10月癌が再発し治療しなければ3ヶ月と言われ、抗がん剤を3回受けましたが辛くて止め、緩和ケアに変更しました。そしたら、少し元気になり今、1年3ヶ月ですけど生きています。びっくりです
そうそう。人の命をわかるわけない。まだまだ生きる❗️父は余命どうりでしたがお母様が元気でおられるって嬉しいです。
義母が膵臓癌末期で積極的治療を2年半頑張り、今は治療を終えて自宅療養しながら通院しています。昨日主治医から、義母さんは僕はあと2ヶ月かなと思っていますと言われました。癌患者さんを何人も見て来ている先生の感覚って当たるもんなのでしょうか?義母は自立歩行もできるし身の回りの事もできているのでなんだか信じられずにいますけど知っておきたかったので聞いてよかったなとも思っています
私は、本人には伝える方が良いかなと思っています。母親にきちんと伝えなかった事をとても後悔しているからです。私自身は言いたい気持ちがあったのですが、兄妹は言いたくないとの事だったので…。一時退院した時、母は書類や衣類の片付けを黙々としていましたし、自分の寿命をわかっていたと思います。私自身、昨年末に余命宣告受けたけど、何故か前より元気に生活出来ていて不思議です。
私もお母さん亡くし本当に辛かった、苦しかった。😢お母さんは難病の肺せん維症肺が最終的にはどんどん硬くなり呼吸困難が常につきまとい酸素とりこめなくなっていきます😢末期になると常に呼吸困難がつきまとい汗だくになりながら必死呼吸して酸素がなかなかあがらない状態が毎日の様に続き、、傍でみている私は辛かったですかわいそうで、呼吸が苦しいのは耐え難い恐怖と窒息感で死ぬ恐怖と戦いお母さんは呼吸困難になるたんびに必死でした、病室では常にアラームがなりひびきお母さんのうめき声と(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ今にも死んでしまうって病院にいるのなんとかできないの!!って思いが常にあり私も心臓がドキドキハラハラして苦しむ姿があまりにも酷で涙がとまりませんでした、可愛そうでなりませんでした、どうか苦しいのをとってあげたい、いっしんで必死で常に思ってましたお母さんは不安で私が面会時間が終わりそうになり帰る時に泊まって傍についていてほしいと何度も怯えたように母は1人になるのが怖いってナースコール押しても直ぐにきてくれないって苦しいから苦しいと叫んだら看護師に怒られたらしく。まわりの患者に迷惑なのよ!って怒鳴られたらしく翌日泣きながら私に伝えてくれました色々雑に扱われ、夜が特に嫌だと意夜勤の看護師が怖いいきたここしたがしない、って、😢患者が気を使い。‥😭😭ありえない総合病院でした、、、病人を叱る看護師なんて!後からしちょうさんからその件のお詫びがきました。主治医、看護師との信頼関係がなくお母さんは辛くて地獄の闘病生活、私と病室で、面会できる唯一の時間だけがお母さんには心の支え幸せの時間だったように思います安心した表情してたもんやっと来てくれたって😌☺️😢最後の最後まで私、母が納得した最期じゃない亡くなりかたで、あまりにも悲惨で可愛そう最期でした😢みとることもできずに間に合わず😢だから今でも悔しさ無念が残ってます、母も同じだと思います!患者の心に寄り添えない主治医、看護師は失格だとその時に私は思いました!言葉ひとつで患者は救われるんです。例え余命が短くても主治医、看護師の優しさや言葉ひとつ優しいお世話、患者には生きる希望になり。よしがんばろって思うんです、先生のような優しい医者が母の時にいてもらいたかったです。お母さんを自宅に連れて帰りたくても帰れずに動かすことすらできないと言われ😢母のような患者には病院が最期を迎え亡くなる場所になるんだからせめて病棟病室にいる間の残りわずかな時間を最期を穏やかに迎えるためにも優しく寄り添えて不安をなくしてあげるまでが主治医看護師の役目だと患者は言葉ひとつで救われんです、、お母さんが難病になり色々な学びが私にはありました。😢きっと母もそうだったと思います。先生みたいな最期までしっかり見届けて最期を迷うことなく患者が安心してたびだたれる様に、、、そんな医者がもっとたくさん増えてほしいなと思いました
母が希少がんで延命のための抗がん剤治療を受けています。いつ治療が終わってしまうか、転移が拡がってしまうのではないか、毎日不安です。私も相談者さんと同じくらいの年代で父はすでに他界し、同じような状況の人が周りにはいないので相談ができず辛かったです。先生の動画を見て自分の不安に応えていただいているような気持ちになりました。ありがとうございました。
医者は治療する立場なので抗がん剤を本当にギリギリまで試してきました。(言い方良くないかもですが…) もっと家族側にいろんな知識があれば、ギリギリの体力なくなる前に抗がん剤をやめる選択ができていたら、最期もっと有意義に過ごせたのかな…とか結果論ですが思うことがあります。亡くなった今でも私は先生の動画や、終末期について調べてしまう毎日です…
その日初めて会った主治医に母は余命3ヶ月、長くて半年、腎瘻つけなかったら2週間と言われた時を思い出しました。抗がん剤や手術は出来ないと言われたので、腎瘻つけてくださいととりあえず言いました。その日から半年とちょっと生きてくれました。母が死んだあとが考えられないのは私も同じでした。今は母が旅立って1年たちましたが、猫がいたから寂しさをまぎらわせました。追伸先生の本昨日やっと手に入りました。本屋で見つけられなかったのでメルカリで買いました🙏一気に読んでしまいました。今後の人生に必ず役に立つ本なので、ずっと持っていてまた読み返します。
先生の動画、いつも拝見し元気をもらっております!ありがとうございます✨私も母が卵巣がん、抗がん剤ができなくなって2ヶ月の終末期です。そして私は2児の母、36歳です。相談者さんのお気持ちすごくわかります。友達になりたいくらい!(笑)人生百年の時代になんで60代で…という気持ちになりますよね。そして周りの友達には、あまり親を亡くした方がいないので、なかなか相談できずにいます。一番怖いことは「お母さんが死んでしまうこと」というお気持ちすっっっっごくわかります!!
先生、今回動画を拝見して、抗がん剤の目的や余命が平均値でない事など、誤った知識だった事に気づかされました。数年前に、父を癌で亡くし、今弟が闘病中でいます。毎日、日々漠然とした不安の中で過ごしていましたが、最後まで拝見して 少し心が風通しよくなったような気がしています。思えば父の最期の1カ月はほぼ寝てる状態で、会話もままならず、もう少し状態を理解していたら また違った日々を過ごせていただろうといまだに後悔が残っています。主治医の先生とももっとお話ししたかったです。トシ先生ありがとうございました。
1月8日に、ご近所の母と同じ歳の独身女性の方を看取りました。年末に腹水からの不調で入院してしまいました。私はおそらく末期だと予想してたので、お家で年越ししたかったら先生に言ってみて」とLINEしたら、腹水を抜いてお薬を調整して退院になりました。余命宣告されてたことを知ったのは退院の相談を親族の方としてた時でした。お家で最期を迎えたいというご本人の希望を叶えてあげられたとおもってるし、友人や親族の方にもお別れできたし、痛みがひどいのは半日くらいでお薬増やして、薬が効いてうとうとしたまま静かに亡くなりました。精一杯のことをしたつもりなので、あまり後悔の気持ちは沸いてはこないのですが、もやもやした思いが拭い切れずに辛いです。この私の気持ちはどうしたらもっと楽になるのかなと、、、最後に交わしたコミニュケーションは夜の投薬の時「お薬飲めますか?」と聞いたら首を横に振ったこと看護師さんに相談して、誤嚥が心配なので朝まで様子をみて、起きてるときに飲ませる事にして、意味で一度も喉がゴロゴロ言ったことないのに、その日は少ししてたので、心配で私も同じ部屋に泊まりました。時々、寝息を確認してましたが、朝方に息がおかしいので声をかけたら息を引き取りました。表情からも苦しんでないことは分かりましたが、あまりにあっけなくて、なにが私を辛くしてるのかわかりません。こんな時、相談できる場所はあるのでしょうか?
何の力にもなれないけどコメントさせてください。ご近所の方に最期まで寄り添うなんてなかなかできることではないので、すごく優しい方なのですね。個人的な感想ですが、その方はChikoさんがいてくれたことで穏やかな良い時を過ごすことができて救われたのではないかな、と感じました。
こういうコミュニケーションの研修がしたくて色々参加していますが、良いものに出逢えません。先生のオススメのコミュニケーション研修方法を教えていただきたいです。
同じ境遇で参考になりました
私も9年前、母をガンで失いました。母の余命宣告を聞いた時、始めは私も、もうすぐ母と永遠の別れが来るということに納得出来ず、主治医の先生に、ずいぶんわがままを言ったような気がします。納得したのは少し時間が経ってからでしたが、母を助けることが出来なかった無力感と後悔が猛烈に襲って来ました。今でも少しも自分を許せてはいません。
私も、相談する相手が誰もいなくて、1人で受け止めるには辛すぎて壊れそうです。
私も2014年に定期健診のマモグラムで乳癌を発見されました。手術は両方の摘出手術をしてもらいました。乳癌の再発の予防です。手術後はホルモン治療を5年しました。血液検査は半年ごとにしています。私を定期的に診てくれる外科医は、もし再発するなら骨か肺と推測してくれています。これらのプロセスから人は一度癌になったら一生癌患者と思った方がさまざまなことに対処しやすいと思います。もし再発したら、癌の治療のキモセラピーも放射線も体に大きな負担がかかるので、それらの治療だけをする人生で終わりたくないですね。だからこそ、やりたいことを優先して悔いが無いように生きて人生を卒業したいです。
先生の動画をもっと早く見つけていれば、、、と思います。症状からもしかして日単位かも知れません。もう眠る時間が増えて、会話も出来ません。ホスピスに転院させてあげたい思いはありますが、誤嚥性肺炎、胆嚢炎が起こってしまい、もう動かす事も危険なのかと思うと、何も出来ません。後悔ばかりです。
こんにちわ。53歳女性です。みぞおちから下腹部にかけて腫れており、腹水も少し溜まっていると3月に産婦人科医に言われました。大腸検査,胃カメラ(5月)にしました。腸はきれいだったのですが胃の方は、逆流性食道炎でした。下腹部(子宮)?が痛むので産婦人科医に診てもらいましたがエコー検査では異常なしでした。今度は,骨盤のMRI検査を受けることになっています。ただ心配なのは、尿が少ししか出なくなってきていることや,食欲が落ちてきていること。便が最近下痢になっていること。主人と二人暮らし👫なので,負担をかけたくないのですが、今まで経験したことのない痛みなので正直怖いですね。更年期なので生理はありません。息子は独立して彼女と二人で暮らしています。仕事も忙しいようなので連絡したくはないですね。今年の1月から4月ごろまでに医療費がけっこう使っていると主人に言われ,どう思われているのかな?心配してくれているのか?気持ちがわからなくなっています。もちろん私は主人のそばにいたいですし、これからも一緒に生きていきたいです。😢まだMRI検査していないので,今の段階ではどうということは言えないのですが…あと,体の痛みについて主人に話した時に,RUclipsで現役の先生に悩みを話したと言ったら、なんで?という感じでした。主人の気持ちとしては、俺を信じて頼ってほしい。そう考えてくれているのでしょうか?もし,MRI検査で変な結果が出てしまった場合,主人に負担をかけてしまうことになるので怖いです。私の場合は,腰や膝,手の痺れなどの症状もあるので…どうしたら主人と二人で普通に暮らせるのか?真剣に考えてます。最近,主人の笑顔が少なくなっている気がします。私のせいでしょうか?😢
1年半程抗がん剤の治療をしていた母ですが先日医師の方から家族の方も来てほしいと言われ覚悟していましたが抗がん剤の効果ももう無いので止める話しと緩和ケアについて、そして余命についての話しがありました。母は余命を知りたくないとの事で先に部屋から出ましたが私は知っておきたいので聞きました。まだ一応「元気」とは言えないけど家事もしてるし買い物も行くくらいの体力はあるので「半年くらいかな」と思っていたら「2カ月」と言われちょっと想像の斜めを行き過ぎていて笑ってしまいました。その医師の方は「あくまでも平均だからね」とは言ってましたが、これから一週間後、一か月後に突然体調が崩れるという想像が未だにできず、その日が来ることが怖いです。でも準備できることはやっておきたいと思います。
私は55歳末期の乳癌ですいろんな所に転移してます余命宣告3年1年たちました家族はいません最後の抗癌剤治療にかけたいと主治医に伝えました1人でいる時痛みや熱で苦しくて泣きながら耐えていますもうそろそろ後始末の事はじめ夜痛みや熱で出た時薬服用して耐えるしかないのでしょうか?体重食欲の減少まだ動くので家事は1人でしてますがまだ動く内にできれば旅行も行きたいししたい事まだありますがするべきでしょうか?彼氏いますが協力してくれませんしお金貯めろと言われます好きな事してはいけないのでしょうか?
私は子宮体がん😢余命はいわれず5年生存率だけ言われた60パーセント抗がん剤は治療やなくて延命なだけやて、、やりたくないし、後遺症もつらかった手術、抗がん剤してから4年経って生きている😊
統計の話を上手にして希望を持たせるのは良いけど、それでいいのか?実際には余命が平均値の方がまだ希望が持てたのではないかと思うけど。
私はがん患者でして、勉強してきましたが姉が余命宣告されました、余命一ヶ月。二ヶ月目に亡くなりました。姉の様子を見てると余命宣告は言わない方が良さそうな気がします
気管支を焼いてから、ズーと咳がでます。けっけう大変な治療でした、呼吸は、幾分楽で、今ステロイドで参っています
何でも病気は、大変です。ね、
そりゃ〜抗がん剤で、「がんなくなる!」と思うわ。だって渡辺謙だったかな?復帰してるから、がんしてない人からは、そう思うわ。再発のがんは、抗がん剤は、「緩和」やで!とは本人も家族も「えっー」だわね。余命宣告は、患者本人に言うべきではないわね。副作用は、本人しかわからない。
目次
0:00 テーマ「家族が余命宣告をされた…先生助けてください…!」
1:41 家族にだけ、余命宣告された…
6:51 手術をしたら、がんが治ると思ってた…
9:23 抗がん剤をする目的ってなんだろう?
11:49 家族が背負う、余命宣告
14:43 治療をやめてしまったら…
18:54 余命って、本人に伝えるべきなの…?
21:27 お母さんと家族の向き合い方
23:04 大切な人との時間をどう過ごすか?
24:03 相談したことでの心の変化
25:48 普通に過ごしていると、忘れてしまうこと
先日、1本の電話がありました。
電話をかけて来てくれたのは、私の知り合いの娘さんでした。
娘さんのお話を聞いてみると…
「大切なお母さんが、がんを患い、治療を頑張っていたけど、とうとう治療ができなくなってしまった。そして、家族にだけ余命宣告をされた…。どうやって伝えればいいのか分からないし、お母さんが亡くなることと、どのように向き合えばいいのか分からない。お母さんがいなくなってしまうことが、怖い…」と、つらい胸の内を私に話してくれました。
今回の動画は、この娘さんと同じような状況で困っている方のために作りましたが、それと同時に、今はがんなんて関係ないと思っている方にこそ、ぜひ見ていただきたい動画です。
少し長いですが、普段の診察はこんな感じなんだと思って見ていただければ嬉しいです。
それではごゆっくりご覧ください。
書籍「また、あちらで会いましょう」
アマゾンのリンクはこちら➡amzn.to/3hJQCSH
この度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。とても好評いただき、ありがたいことに重版がかかりました。アマゾンなど、ネットでは品切れのこともありますので、その際はお近くの書店でお買い求めください。
昨年秋に母を卵巣癌で亡くした者です。最期の三か月はホスピスに入りましたが、一日置きに面会に行く日々でした。仕事をしながら母の欲しいものを買って病院へ行くことを夢中でやっていたように思います。正直、その頃のことをあまり思い出すことができません。先生が動画で相談者の方に、大変だったねと温かい言葉をかけているのを聞いて、勝手に私に言われた気になり、涙が出ました。
引っ越しした先で小学校に入学した息子には保育園からの友達もいず、夫も海外出張ばかりの生活。田舎から上京して癌治療を受けていた母を、仕事の帰りに毎日電車で見舞いました。一人待つ息子のことが気になり、病院には5分、10分しかいられませんでしたが、助からない母のもとへ通いました。休日は息子もつれていきました。思い出すだけで涙が出ます。息子には障害もあったので本当に辛かったです
私も同じ…あと余命三ヶ月と言われた母の病室ヘ、毎日毎日通いました。平日は仕事が終わった後、夜遅くまで病室に残り、痛み止めが効いて母が眠るまで見守っていました。自分のことはそっちのけで、ご飯も三食おにぎりとか、朝にカフェオレ一杯だけとか、布団に入らずその辺に雑魚寝とか、かなりめちゃくちゃな生活をしていて、多分当時の体調はボロボロだったと思います。でも全く気にならなかった…
その時の影響かどうかわかりませんが、私もガン発症しました。
(号泣)
私も最愛の母を余命3ヶ月ぐらいだと医師から聞き頼み込んで退院させて頂き自宅で看取りました。当時母は60代でした。当時は介護サービスも充実しておらず3人の幼児を抱え絶望の中で必死に介護をした経験があります。母を失う恐怖、とても理解できます。最後まで告知はしていませんが母自身も静かに死を受け入れていきました。
この同居できた短い時間は今もかけがえのないものです。心にいつも母が居ます。
お優しい先生のお言葉に救われます。
すごくいい相談内容で、
自分にもかぶるように考えました。
去年の1月に親父を亡くしまして、
あと母親ですが、母親も胆嚢摘出手術をしたり、年々とどうしても弱ってしまいます。
母親は69才ですが、生きていてくれるうちに親孝行したいです。
私も同じ経験をしました
お医者様からは
「もうこれ以上毒を盛る事は出来ない…お母さんの抗癌剤治療を中止します」と言われました
私は治療前にお医者様から「お母さんは抗癌剤治療をしなければ余命半年です」と言われましたが、最期まで母には余命の話はしませんでした
その件で迷う事はなかったです
4月に母に「花見に行こうか?」と尋ねたら「今は体調が良くないので来年行く」と答えてくれた時、私の方が病気に負けてる母は諦めずに闘ってるとハッとしました
私は今年の花見は母の最後の花見だと言う気持ちがあったのです…
最期まで母は生きる意志を持ち続けていました
強い母でした
心温まる動画、ありがとうございました。
私は、夫を急性白血病で亡くしました。
入院一ケ月後、正式な病名を告げられ2週間後でした。未主治医によると、未だ症例を見た事のない白血病で、色々問い合わせているという、説明でした。
病名が判り、抗がん剤治療を2回目で白血球が少くなり、中止しました。その後高熱が続き、くるしそうでした。亡くなる前日に、いつもと様子が違うのでは?と主治医に伝えたら、いつもそうですと、返事がありました。
翌朝、看護師から冷たくなり顎も上がっていると、亡くなった連絡がありました。
飛んでいきましたが、先生か来られ、処置するまで病室に入れないと。30分待たされました。
その間、何が行われたのか?未だに納得いかないです。
先生は、奥様のかんがあたりましたねと言われ、悔しさが残りました。死因は、敗血症という事でしたが、心の準備がないまま、見送ったので、後悔が残っています。
ご相談者様が、お母様の残された時間、色々な思い出を紡がれるよう、お祈り申し上げます。
もののけ姫様
私は夫を亡くして2年になります。積極的治療はしないで自宅で最期を迎えたいと、訪問診療看護をして過ごしていましたが、ある時、気胸のせいか、呼吸がどうにも苦しくてたまらなくなり、家の隣にあるホスピスに入院する手続きをしました。ホスピスのベッドが空いていず、空くまで同じ階の病棟の個室に入りました。そこで受けた点滴がひどいもので、携帯で話もできなくなりました。お漏らしをしたので着替えを持ってこい病院から電話があり(着替えは十分すぎるほど持っていったいた)持っていくと、ひどい状態でした。私はそばについていたいと懇願しましたが、コロナのため規則だから帰れというのです。私はPCR検査を毎週していると訴えましたが、看護師長まで出てきて帰れと言う。ーー帰らなければよかったのです。帰って夜病院から電話があり、駆けつけると、もう顎呼吸でした。最期まで手を握っていてあげたかった。ホスピスの医師は許せません。10月18日に入院し21日に亡くなりました。とんだキリスト教病院の、ホスピスです
在宅のケアマネをしております。
先生がおっしゃる様に、主治医がこの様な説明をしてくださっていたら、もっとちゃんとご自身命と向き合う事ができる患者様、そして御家族様が増えるのだろうと感じずにはいられません。こんなはずじゃなかった…と旅立つ方、見送る方が減りますように…ケアマネとして自分のできる事の為に、本当に勉強になりました
ありがとうございます😊
私は23年前に大好きな父を亡くし当時の癌治療は悲惨で未だに心残りがあります。
そんな私の主人58歳が昨年前立腺がん骨とリンパ余命1年と言われすぐ治療を始めましたが半年経った頃PSA数値が300超えまして抗がん剤ドタキセルを始めましたが175まで下がりましたが平行線です。
骨を守る為ゾーフィゴ静注射を勧められましたが、お金問題が発生し治療に行き詰まり中です。
自分の何もしてあげれない気持ちに押しつぶされております。
寄り添う私より主人は痛みもあり麻薬の痛み止めも飲んでます。
叉お父さんの時みたいに後悔するのかと毎日が怖くて涙が出てしまいます。
先生のお人柄をまた一つ拝見する事ができ、嬉しく思いました。
数えきれない程の患者さんと関わられてきた先生が、このように優しい声でゆっくりと耳を傾けて、頷いてきいて下さるのですね。
私まで心が癒されました。
今の私は病気をしていませんが、辛い気持ちでいる方のお話をきかせて頂き、そっと寄り添っていきたいと思いました。
お向かいのご主人が白血病で昨年亡くなられ、奥様お一人になられました。
枕花をお届けしたら、あのお花で随分励まされましたと言って下さいました。
お気持ちをきかせて頂く事が1番だと改めて思いました。
今日もありがとうございました。
私の母が年明け19日に71歳で他界しました。大晦日に心臓の血栓が脳に飛び脳梗塞で倒れて病院にて息を引き取りました。まだ受け入れられず近所の母の同年代の元気な方を見ると辛いです。動画の田中さんと同じ気持ちでした。なぜ?何をしたらよかったのか?なぜ
治らなかったのか? 本当に辛いです。
田中さんの話しを伺って同じ気持ちになりました。
田中さんに寄り添う先生も素晴らしいです。こんな先生がいたらと思いました。
田中さんには ご兄弟や旦那さんお子さんがいらっしゃるなら きっと見守ってくれてると思います。
ほんとにみんな、大切な人や自分が「いつか必ずいなくなる」ということを知らないで生きているのだなと思いました。
こういうことを、どうやって受けとめていくんでしょう…?
優しく傾聴される、トッシュ先生のお姿に、温かい気持ちになりました。
お母様に愛されて育った方なんですね。
私は身勝手な両親に捨てられたので……
亡くなったと知らせがきても葬式にも出ませんでした。涙も出なかった。それより気持ちがラクになりました。子供を捨てた罰だって!だから私は自分の娘達を大切に育てていますが、私の事で子供が悩む姿は見たくない。いつか人間は、死を迎えます。永遠一緒にいる事はできない。
気持ちを整理したら、受け入れて、お母様と1日1日を大切に生きてほしいです。
お疲れ様です。
現在僕は色々な専門家の話を聞いています。
人によって、言い方は違うのですね。
勉強になりました。
勉強したことを、後進の皆さんに伝えることが医療の発展に繋がると確信しました。
先生もどうか身体をご自愛ください。
ありがとうございました。
いつも拝見しています。
看護師をしています。300人以上の方を看取ってきました。私の母も今看取り期にあり、近い将来、自分や大切な人の死を意識して辛い方へ寄り添ってお話しをきく仕事がしたいなと思っています。先生の様に、人生の大切な問題集の一つとして、もとに歩んでいきたいです。
私も相談者さんと同じ様な立場にあります。
母の病気が分かった時、膵臓尾部の低文化の腺癌で肝転移があり、手術適応外の状態でした。
私は看護師で状況が深刻なのはよく理解しているつもりです。
母は病気が分かってから、私の家で療養始めました。
日々、様々な不満を口にする母との向き合い方に頭を悩ませています。
ですが、先生の動画を見て気持ちが少し楽になりました。ありがとうございました。
今後も先生の動画を参考にさせて頂きます。
MRI検査の結果が良くても悪くても、教えてほしい。そう思っています。誰でもそうだと思いますが、どんな病気であれ怖いです。医療費も決して安くないのもわかります。夫婦とも,50代なので,確かに病気のリスクは避けては通れない…主人にとって幸せは何?と聞いた時,そばにいてくれることだよ。そう言ってくれたので,この動画を見てすごく頑張っておられるんだなと思いました。気持ちは、わかります。主人の両親は癌で亡くなってます。主人の兄も肺の病気で亡くなっています。私の亡くなった母の先祖も,癌です。主人のそばにいたいです。先生のような優しい先生がそばにいてくれたら。そう思います。長文で,御免なさい。😢
Dr.Toshのこの動画を3ヶ月前に知っていればと悔やまれます。大学病院の主治医の診察は、患者といつも付き添う私に抗がん剤治療中止と余命宣告をされ、住んでいる地元で緩和ケアに移行するためのホスピスか在宅診療医を探しなさいと告げられました。その大学病院には緩和ケア科もあったはずなのに、そちらでの受診を勧められることもなく、私たちは大変に戸惑いました。初めての命に関わる重大時に際し、無理やり野に放り出され、夫も私もひどく動揺しました。
悲しいことに患者は初めての経験、それに戸惑って当然なのに、患者からアクションを起こさなければ何も導いてはくれなかった、悲しい経験でした。
人の命は医者にもわからない❗私の母も、去年10月癌が再発し治療しなければ3ヶ月と言われ、抗がん剤を3回受けましたが辛くて止め、緩和ケアに変更しました。そしたら、少し元気になり今、1年3ヶ月ですけど生きています。びっくりです
そうそう。
人の命をわかるわけない。
まだまだ生きる❗️
父は余命どうりでしたがお母様が元気でおられるって嬉しいです。
義母が膵臓癌末期で積極的治療を2年半頑張り、今は治療を終えて自宅療養しながら通院しています。
昨日主治医から、義母さんは僕はあと2ヶ月かなと思っていますと言われました。
癌患者さんを何人も見て来ている先生の感覚って当たるもんなのでしょうか?義母は自立歩行もできるし身の回りの事もできているのでなんだか信じられずにいます
けど知っておきたかったので聞いてよかったなとも思っています
私は、本人には伝える方が良いかなと思っています。母親にきちんと伝えなかった事をとても後悔しているからです。私自身は言いたい気持ちがあったのですが、兄妹は言いたくないとの事だったので…。一時退院した時、母は書類や衣類の片付けを黙々としていましたし、自分の寿命をわかっていたと思います。
私自身、昨年末に余命宣告受けたけど、何故か前より元気に生活出来ていて不思議です。
私もお母さん亡くし本当に辛かった、苦しかった。😢お母さんは
難病の肺せん維症
肺が最終的にはどんどん硬くなり呼吸困難が常につきまとい酸素とりこめなくなっていきます😢末期になると常に呼吸困難がつきまとい
汗だくになりながら必死呼吸して酸素がなかなかあがらない状態が毎日の様に続き、、傍でみている私は辛かったですかわいそうで、呼吸が苦しいのは耐え難い恐怖と窒息感で死ぬ恐怖と戦い
お母さんは呼吸困難になるたんびに必死でした、病室では常にアラームがなりひびきお母さんのうめき声と(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ今にも死んでしまうって病院にいるのなんとかできないの!!って思いが常にあり私も心臓がドキドキハラハラして苦しむ姿があまりにも酷で涙がとまりませんでした、可愛そうでなりませんでした、
どうか苦しいのをとってあげたい、いっしんで必死で常に思ってました
お母さんは不安で私が面会時間が終わりそうになり帰る時に泊まって傍についていてほしいと何度も怯えたように母は1人になるのが怖いってナースコール押しても直ぐにきてくれないって苦しいから苦しいと叫んだら看護師に怒られたらしく。まわりの患者に迷惑なのよ!って怒鳴られたらしく翌日
泣きながら私に伝
えてくれました色々雑に扱われ、夜が特に嫌だと意夜勤の看護師が怖いいきたここしたがしない、って、😢患者が気を使い。‥😭😭ありえない総合病院でした、、、病人を叱る看護師なんて!後からしちょうさんからその件のお詫びがきました。主治医、看護師との信頼関係がなくお母さんは辛くて地獄の闘病生活、私と病室で、面会できる唯一の時間だけがお母さんには心の支え幸せの時間だったように思います安心した表情してたもんやっと来てくれたって😌☺️😢最後の最後まで私、母が納得した最期じゃない亡くなりかたで、あまりにも悲惨で可愛そう最期でした😢みとることもできずに間に合わず😢だから今でも悔しさ無念が残ってます、母も同じだと思います!患者の心に寄り添えない主治医、看護師は失格だとその時に私は思いました!言葉ひとつで患者は救われるんです。例え余命が短くても主治医、看護師の優しさや言葉ひとつ優しいお世話、患者には生きる希望になり。よしがんばろって思うんです、先生のような優しい医者が母の時にいてもらいたかったです。お母さんを自宅に連れて帰りたくても帰れずに動かすことすらできないと言われ😢
母のような患者には病院が最期を迎え亡くなる場所になるんだから
せめて病棟病室にいる間の残りわずかな時間を最期を穏やかに迎えるためにも優しく寄り添えて不安をなくしてあげるまでが主治医看護師の役目だと患者は言葉ひとつで救われんです、、お母さんが難病になり色々な学びが私にはありました。😢きっと母もそうだったと思います。先生みたいな最期までしっかり見届けて最期を迷うことなく患者が安心してたびだたれる様に、、、そんな医者がもっとたくさん増えてほしいなと思いました
母が希少がんで延命のための抗がん剤治療を受けています。いつ治療が終わってしまうか、転移が拡がってしまうのではないか、毎日不安です。私も相談者さんと同じくらいの年代で父はすでに他界し、同じような状況の人が周りにはいないので相談ができず辛かったです。先生の動画を見て自分の不安に応えていただいているような気持ちになりました。ありがとうございました。
医者は治療する立場なので抗がん剤を本当にギリギリまで試してきました。(言い方良くないかもですが…) もっと家族側にいろんな知識があれば、ギリギリの体力なくなる前に抗がん剤をやめる選択ができていたら、最期もっと有意義に過ごせたのかな…とか結果論ですが思うことがあります。亡くなった今でも私は先生の動画や、終末期について調べてしまう毎日です…
その日初めて会った主治医に母は余命3ヶ月、長くて半年、腎瘻つけなかったら2週間と言われた時を思い出しました。抗がん剤や手術は出来ないと言われたので、腎瘻つけてくださいととりあえず言いました。その日から半年とちょっと生きてくれました。母が死んだあとが考えられないのは私も同じでした。今は母が旅立って1年たちましたが、猫がいたから寂しさをまぎらわせました。
追伸先生の本昨日やっと手に入りました。本屋で見つけられなかったのでメルカリで買いました🙏一気に読んでしまいました。今後の人生に必ず役に立つ本なので、ずっと持っていてまた読み返します。
先生の動画、いつも拝見し元気をもらっております!ありがとうございます✨
私も母が卵巣がん、抗がん剤ができなくなって2ヶ月の終末期です。
そして私は2児の母、36歳です。
相談者さんのお気持ちすごくわかります。友達になりたいくらい!(笑)
人生百年の時代になんで60代で…という気持ちになりますよね。
そして周りの友達には、あまり親を亡くした方がいないので、なかなか相談できずにいます。
一番怖いことは「お母さんが死んでしまうこと」というお気持ちすっっっっごくわかります!!
先生、今回動画を拝見して、抗がん剤の目的や余命が平均値でない事など、誤った知識だった事に気づかされました。数年前に、父を癌で亡くし、今弟が闘病中でいます。毎日、日々漠然とした不安の中で過ごしていましたが、最後まで拝見して 少し心が風通しよくなったような気がしています。思えば父の最期の1カ月はほぼ寝てる状態で、会話もままならず、もう少し状態を理解していたら また違った日々を過ごせていただろうといまだに後悔が残っています。主治医の先生とももっとお話ししたかったです。トシ先生ありがとうございました。
1月8日に、ご近所の母と同じ歳の独身女性の方を看取りました。
年末に腹水からの不調で入院してしまいました。
私はおそらく末期だと予想してたので、お家で年越ししたかったら先生に言ってみて」とLINEしたら、腹水を抜いてお薬を調整して退院になりました。
余命宣告されてたことを知ったのは退院の相談を親族の方としてた時でした。
お家で最期を迎えたいというご本人の希望を叶えてあげられたとおもってるし、友人や親族の方にもお別れできたし、痛みがひどいのは半日くらいでお薬増やして、薬が効いてうとうとしたまま静かに亡くなりました。
精一杯のことをしたつもりなので、あまり後悔の気持ちは沸いてはこないのですが、もやもやした思いが拭い切れずに辛いです。
この私の気持ちはどうしたらもっと楽になるのかなと、、、
最後に交わしたコミニュケーションは夜の投薬の時「お薬飲めますか?」と聞いたら首を横に振ったこと
看護師さんに相談して、誤嚥が心配なので朝まで様子をみて、起きてるときに飲ませる事にして、意味で一度も喉がゴロゴロ言ったことないのに、その日は少ししてたので、心配で私も同じ部屋に泊まりました。
時々、寝息を確認してましたが、朝方に息がおかしいので声をかけたら息を引き取りました。
表情からも苦しんでないことは分かりましたが、あまりにあっけなくて、なにが私を辛くしてるのかわかりません。
こんな時、相談できる場所はあるのでしょうか?
何の力にもなれないけどコメントさせてください。ご近所の方に最期まで寄り添うなんてなかなかできることではないので、すごく優しい方なのですね。個人的な感想ですが、その方はChikoさんがいてくれたことで穏やかな良い時を過ごすことができて救われたのではないかな、と感じました。
こういうコミュニケーションの研修がしたくて色々参加していますが、良いものに出逢えません。先生のオススメのコミュニケーション研修方法を教えていただきたいです。
同じ境遇で参考になりました
私も9年前、母をガンで失いました。母の余命宣告を聞いた時、始めは私も、もうすぐ母と永遠の別れが来るということに納得出来ず、主治医の先生に、ずいぶんわがままを言ったような気がします。
納得したのは少し時間が経ってからでしたが、母を助けることが出来なかった無力感と後悔が猛烈に襲って来ました。今でも少しも自分を許せてはいません。
私も、相談する相手が誰もいなくて、1人で受け止めるには辛すぎて壊れそうです。
私も2014年に定期健診のマモグラムで乳癌を発見されました。手術は両方の摘出手術をしてもらいました。乳癌の再発の予防です。手術後はホルモン治療を5年しました。血液検査は半年ごとにしています。私を定期的に診てくれる外科医は、もし再発するなら骨か肺と推測してくれています。これらのプロセスから人は一度癌になったら一生癌患者と思った方がさまざまなことに対処しやすいと思います。もし再発したら、癌の治療のキモセラピーも放射線も体に大きな負担がかかるので、それらの治療だけをする人生で終わりたくないですね。だからこそ、やりたいことを優先して悔いが無いように生きて人生を卒業したいです。
先生の動画をもっと早く見つけていれば、、、と思います。症状からもしかして日単位かも知れません。もう眠る時間が増えて、会話も出来ません。ホスピスに転院させてあげたい思いはありますが、誤嚥性肺炎、胆嚢炎が起こってしまい、もう動かす事も危険なのかと思うと、何も出来ません。後悔ばかりです。
こんにちわ。53歳女性です。みぞおちから下腹部にかけて腫れており、腹水も少し溜まっていると3月に産婦人科医に言われました。大腸検査,胃カメラ(5月)にしました。腸はきれいだったのですが胃の方は、逆流性食道炎でした。下腹部(子宮)?が痛むので産婦人科医に診てもらいましたがエコー検査では異常なしでした。今度は,骨盤のMRI検査を受けることになっています。ただ心配なのは、尿が少ししか出なくなってきていることや,食欲が落ちてきていること。便が最近下痢になっていること。主人と二人暮らし👫なので,負担をかけたくないのですが、今まで経験したことのない痛みなので正直怖いですね。更年期なので生理はありません。息子は独立して彼女と二人で暮らしています。仕事も忙しいようなので連絡したくはないですね。今年の1月から4月ごろまでに医療費がけっこう使っていると主人に言われ,どう思われているのかな?心配してくれているのか?気持ちがわからなくなっています。もちろん私は主人のそばにいたいですし、これからも一緒に生きていきたいです。😢まだMRI検査していないので,今の段階ではどうということは言えないのですが…あと,体の痛みについて主人に話した時に,RUclipsで現役の先生に悩みを話したと言ったら、なんで?という感じでした。主人の気持ちとしては、俺を信じて頼ってほしい。そう考えてくれているのでしょうか?もし,MRI検査で変な結果が出てしまった場合,主人に負担をかけてしまうことになるので怖いです。私の場合は,腰や膝,手の痺れなどの症状もあるので…どうしたら主人と二人で普通に暮らせるのか?真剣に考えてます。最近,主人の笑顔が少なくなっている気がします。私のせいでしょうか?😢
1年半程抗がん剤の治療をしていた母ですが先日医師の方から家族の方も来てほしいと言われ覚悟していましたが抗がん剤の効果ももう無いので止める話しと緩和ケアについて、そして余命についての話しがありました。母は余命を知りたくないとの事で先に部屋から出ましたが私は知っておきたいので聞きました。まだ一応「元気」とは言えないけど家事もしてるし買い物も行くくらいの体力はあるので「半年くらいかな」と思っていたら「2カ月」と言われちょっと想像の斜めを行き過ぎていて笑ってしまいました。その医師の方は「あくまでも平均だからね」とは言ってましたが、これから一週間後、一か月後に突然体調が崩れるという想像が未だにできず、その日が来ることが怖いです。でも準備できることはやっておきたいと思います。
私は55歳末期の乳癌ですいろんな所に転移してます余命宣告3年1年たちました家族はいません最後の抗癌剤治療にかけたいと主治医に伝えました1人でいる時痛みや熱で苦しくて泣きながら耐えていますもうそろそろ後始末の事はじめ夜痛みや熱で出た時薬服用して耐えるしかないのでしょうか?体重食欲の減少まだ動くので家事は1人でしてますがまだ動く内にできれば旅行も行きたいししたい事まだありますがするべきでしょうか?彼氏いますが協力してくれませんしお金貯めろと言われます好きな事してはいけないのでしょうか?
私は子宮体がん😢
余命はいわれず
5年生存率だけ言われた
60パーセント
抗がん剤は治療やなくて
延命なだけやて、、
やりたくないし、
後遺症もつらかった
手術、抗がん剤してから
4年経って生きている😊
統計の話を上手にして希望を持たせるのは良いけど、それでいいのか?
実際には余命が平均値の方がまだ希望が持てたのではないかと思うけど。
私はがん患者でして、勉強してきましたが姉が余命宣告されました、余命一ヶ月。二ヶ月目に亡くなりました。姉の様子を見てると余命宣告は言わない方が良さそうな気がします
気管支を焼いてから、ズーと咳がでます。けっけう大変な治療でした、呼吸は、幾分楽で、今ステロイドで参っています
何でも病気は、大変です。ね、
そりゃ〜抗がん剤で、「がんなくなる!」と思うわ。だって渡辺謙だったかな?復帰してるから、がんしてない人からは、そう思うわ。再発のがんは、抗がん剤は、「緩和」やで!とは本人も家族も「えっー」だわね。余命宣告は、患者本人に言うべきではないわね。副作用は、本人しかわからない。