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【関連動画】ガン患者に医師が伝える余命はどこまで正確なのか?(#183)ruclips.net/video/1IDbuzKkPEM/видео.html【がん在宅医療】自宅で幸せな最期を過ごすために守ってほしい3つの約束(#180)ruclips.net/video/bWtzd9Pup4w/видео.html【末期がん 余命1週間】痛みも苦しみもない幸せな最期の迎え方(#188)ruclips.net/video/Dy3Bb8v4dJY/видео.html【がん終末期】人生の最期まで自分の口から食べるを叶えるために、ご家族ができるサポート(#229)ruclips.net/video/rOxOKIMhXJY/видео.html心が疲れている方、心を落ち着かせたい方のための動画【亡くなる前の5つの兆候】(#217)ruclips.net/video/X3FQMUpSbU8/видео.html目次0:00 テーマ「がん終末期の余命は知るべきか」1:03 残された時間、あなたは知りたいですか?2:16 治療中の余命と終末期の余命はなにが違うのか6:45 月単位の時期ご家族はどうしたらいいか10:32 週単位の時期ご家族はどうしたらいいか15:56 日単位の時期ご家族はどうしたらいいか23:11 あなたに伝えたいメッセージオンラインサロンを始めました。ぜひ覗いてみてください!今後、質問やご相談などはこちらで対応させていただきます。YOOR➡yoor.jp/door/dr_tosh紹介動画➡ruclips.net/video/f7OKqlcUlIk/видео.html「また、あちらで会いましょう」購入リンクはこちら➡amzn.to/3hJQCSHこの度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。RUclipsであまりお話していない、私の死に対する考えも深く書かせていただいていますので、読んでみたいなと思ってくださった方はこのリンクから、本を購入していただければ嬉しく思います。
こちらこそ、お話下さりありがとうございます。亡き母は、何度も会議を開いて頂き、病院側の御配慮で著明な先生を呼んで頂き診察頂きましたが結局、病名が付かず不明のまま亡くなりました。何名も先生が付いて頂けましたが、ダメでした。私も当時2歳になったばかりの子を抱え、毎日必死で、子供に公園なんて連れてってやる事も出来ず、病棟の看護師さん達に可愛がって頂き、手も目も掛けて頂きました。だから、母との時間を作れた事、未だに感謝しております。終末期せん妄時、孫ちゃん……看護師さんになってるね。って、突然。今まで辻褄が合わない事をうわ言のように言ってたと思ったら、突然。その翌日、綺麗な朝焼けの日に亡くなりました。未だに、母との日々母が最後に着ていたパジャマも棄てられず。まだやれた事はあったはず。けれど思い付く限りを尽くしたと自分を納得させてるつもりでも、まだ出来たはずと思えてならない。先生のお話をお聞きし、私が出来なかった事は受け入れる覚悟が足りなかったと思います。あれから23年。母に伝えたい。時間は短かったですが、可愛がった母の孫娘である私の娘。母の予言通り、正看護師になって、2年目頑張って居ますよ。やっぱり未だに思います。母は、未だに私にとって偉大だと。先生、ありがとうございます。長年掛かりましたが、胸の中の靄が晴れてきた気がします。感謝。
父が今日は呼吸の苦しさをやけに訴え、食欲もあまりありませんでした。顔を見て、少し太ったのかとも思って安心していましたが、むくみですね😢父とはあまり会話しないのですが、後悔のないように色々話そうと思います。ありがとうございました。
2年に及ばぬ闘病の末、今年5月に母を胆道がんで亡くしました。母の病気が分かってから先生の動画に出会い、奇跡が起こるかもという希望と最悪の場合の覚悟、絶望の繰り返しでした。絶対に絶対に後悔したくなくて介護休業を取得しできる限り母の人生と向き合おうと思いました。実際日々の変化に直面すると信じたくなくて受け止めきれない自分がいました。母が亡くなってしまった直後も3ヶ月経った今も後悔は尽きません。余命宣告から介護、入院母の喜ぶ顔、嬉し涙が見たくて必死になり、幸せを感じる一方病状が悪化し絶望する母に決して優しいとは言えない接し方をする日もありました。何度か悪化持ち直しを繰り返し変わらない日常が続くのだと思い込み気を抜いてしまいそうになっていた矢先の最期でした。しかし、やはりどこかで覚悟が出来ていたことは確かなのです。本当に苦しそうでしたが、最期たしかに母は微笑んで逝った。思い出すことが多いのはその笑顔です。絶えない後悔のなかにどこかでそう思える自分がいます。それは偏に先生のおかげです。毎日すごくすごく悲しいです。母を亡くしてから悲しみが優しさに変わるという言葉をよく目にします。いつになるか今は全く見当もつきません。でもお世話になった緩和ケアチームのみなさん、周りで母娘ともに支えていただいたみなさんに本当に感謝しています。大切なことを伝えていただいたトッシュ先生、本当にありがとうございます。追伸66年の人生、最後の最後まで一生懸命全力でがんばってくれたお母さん。本当に本当にありがとう。どんなに感謝しても足りません。またあの世で必ず会いたいです。生まれ変わりがあるのならまたお母さんの子供にしてね。
今思い起こせば…あっという間の出来事だった直前前まで仕事をしていた入院して1ヶ月内治療法もなく…本人の希望で在宅医療…自宅に戻り…一週間心の準備もなく旦那を看取りました…まさにその通り…今でも自分が死ぬまで忘れられない😢いつもありがとうございます。
父の終末期に先生の動画でお話を聞いて、父への接し方や家族の在り方を共有して先月末に悔いのない看取りをできました。最期の事を色々考えたり心の準備が出来ていたので葬儀を終了した現在までに至り悔い無く看取り期間を過ごすことができました。大変有り難う御座いました。
ありがとうございます!
ありがとうございました。昨年の11月26日に夫を肺がんで亡くしました。急変して入院してから約一月、不安でいっぱいでしたが、先生の動画から学び、最後まで時間を共にして後悔なく見送る事が出来ました。感謝しかありません。ありがとうございました。お忙しいと思いますが、ご自愛ください。
今晩は、私は人は老い必ず死にます、その時がいつかは誰も知りません、未来を知ることも大切ですが日々を悔いなく生きていきたいです
先生の仰っている終末期の変化は急激です、という言葉は本当です。父が胆嚢癌のステージ4だと告げられてから、こちらのチャンネルへ辿り着き、短い間に沢山の事を教えていただきました。まだ月単位の変化だと入院当初は思っていました(余命は〜2ヶ月くらい、3ヶ月は厳しいと思うと主治医から言われていました)。でも振り返ってみると既に週単位でした。入院してから3週間ほどで旅立ちました。入院当初は「ご飯が食べられない」と言って私は(オーバーに言って入院したいからなのかな)なんて思っていました。(数日前には普通にご飯を食べていたので。無理して食べていたのかもしれないですね)でもその時すでに私が渡したリンゴも食べられなかったんです(剥くのが面倒だったという可能性はあります、私がすってあげていたら食べられたかもしれません)一緒にあげた父の昔よく食べていたインスタントのワンタンスープは「食べれたよ」と嬉しそうに、今思えば言ってました。(それなら食べられるとわかって自分でも追加購入していました)父が亡くなるちょうど1週間前、「先生からもう鎮痛剤を使わないとダメだと言われた」と姉へLINEが飛びました。私へも「伝えておいて」。と。その日だったか翌日だったかくらいに見舞いへ行った時、「今までは何とか自分でトイレへ行っていたけど、目が視界が白くぼやけてもう行けない」と言っておむつに変わっていました。父が携帯操作できていたのはこの目がダメになる前までです。幸い、父とあまり仲の良くなかった兄弟は葬儀の時に呼んだ方が良いのか?私達だけで良いのか?という意外と大事な部分は私が早い段階で確認を取っており、不必要に呼ぶ事なく葬儀が済みました。後悔が全くないと言えば嘘になりますが、母もだいぶ前に癌で亡くした経験もあったからなのか、心構えはできており、その後も生活はそれなりに送れています。月単位、週単位、日単位、時間単位は本当です。皆さまも参考にされて、少しでも悔いの残らぬように患者さんと接してください。耳は最後まで聞こえている、というのも本当だと思います。最期に駆け付けた時、「お姉ちゃんがまだ来ていないから、もう少しだけ頑張ってね」と声かけをしたところ、頑張ってくれました(?)。姉が着いてから息を引き取りました。父の闘病は終わりましたが、今後のためにも時々また動画を拝見したいと思っています。先生、ありがとうございます☺️。
父が闘病中ですが、本当にためになるお話しをありがとうございます。母を看取ったときのような後悔がないように、先生のお話しを参考に準備していきたいです。
91歳のがん患者です。昨年(2023年12月8日、回盲部を30~40センチ切除しました。)高齢なので、がん治療はしないことになりました。現在、3か月ごとに血液検査をしています。悪性大細胞型、B型リンパ腫、ステージ4です。自宅で机に向かう仕事をしています。先生の解説は、とても易しく明快です。心から感謝申し上げます。
91歳で仕事!?!?私の祖父母はみんな早死にだったので少しでもがんがよくなって長生きしてください😢
私は膵臓がんと言う致死率が極めて高い癌にかかったと言うこともあるのですが、それでも当初は生存の可能性にすがって悶々とした生活を送っておりどんなに考えても堂々巡りを繰り返すだけで神経が日に日に疲れていきました。でもあるときいくら考えても結果は運命的にくるんだと言うことに気づき、妻に死ぬことを前提に将来のことを真剣に話し合いました。するとスッと心が軽くなりその後は抗がん剤の苦しみや死への恐怖も薄くなり、今は天命を待つ気持ちで楽しく過ごせています。余命がわかるわからないに関わらずその覚悟を持つことが大事だと言うことを学びました。
神のご加護をお祈りします。
癌だと判明した時点で余命が月単位でした。やれることは限られていました。あれで良かったのか、これで良かったのか…新盆を済ませた今、葬儀後とは違った虚無感が押し寄せてきます。
まさに先生の言う通りの過程を通りました。その時に 知っていればと後悔しています。
先生ありがとうございます
9月9日に末期癌の父を看取りました…😭主治医から後1ヶ月…と言われて話はできない状態でしたが合わせたい人に合わせ、家族で見送る準備を始めました。なくなる日,ずっと付き添っていました…そして息を引き取るその瞬間を目の当たりにしました…あっ…と思い涙が溢れましたが、父はようやく痛みから解放された😔とも思い、私は少し安堵しました先生の動画を見て心の準備ができていたと思いますとても冷静に父を見送る事ができました先生,ありがとうございました😭
平穏な時期にはそれが終末に向かうある程度元気な段階と考えたくないばかりに、残された時を有意義に、というよりも、奇跡を期待してしまうことも多いのかなと思いました。それでもある意味恵まれていると考えることはできるのではないかなと。。なかなか受け入れられるものではないと思いますが。うちは心筋梗塞のため、全く読めません。急変があるため毎日がジェットコースターですが、重症のため先は長くない気がします。とにかく生きてくれている奇跡に手を合わせる日々です。大切な動画をありがとうございます。
末期癌の母がいます動画のお話のように急に弱り現在日単位の状態です口パクのようですが反応が少しありだるいの?と聞いたら反応があったので足をマッサージしてなるべく肩や腰もさすってきました口が渇くと水とずっとうなっていたの看護師さんを呼びましたが誤嚥性肺炎になると口の中にゼリーを塗るだけでした家族にも口腔ケアはさせず1日数回しているからと言われるだけで見ていてとても辛く帰宅途中運転しながら涙がポロポロ。病院により方針が違うのでしょうか…口腔ケアを娘の私もしてあげたいですあと少し前はアイスを食べたいとずっと言っていたのにそれも看護師さんに止められあげられませんでしたもう先がないのは分かっていて最後に好きな物を食べさせてあげたい…この動画を見てそう思いましたもっと強く言うべきなのでしょうか…辛いですもうほとんど寝てるので手遅れかもしれませんが……長文失礼致しました
後どの位父の時間が残ってるか分かりませんが、母親も寝たきり…そして私しか居ない…もう、やる事が多すぎて中々毎日は面会行けません。本人は治して帰るんだと言って頑張っているので、今の段階で告知は考えてません。性格的に弱いと思うので、母親にも言ってません。面会の時会わせて居ますが、互いに言わずに優しい時間流れているので、これでいいと思ってます。今は出来るだけ会わせてあげて穏やかに過ごせる事それが私が父親にしてあげられる事だと思うので…正解も不正解も、それぞれの家族が考えて最善選んであげる事が幸せなのではないかなって思ってます。まだまだ大変ですが最期まで笑って接したいと思います。
余命は信じるなに、そうなんだと思いました。この数ヶ月に及ぶ検査からの7月29日に余命一年との宣告を受けました。初めての検査から緩和ケアと言う言葉を耳にし(色々と調べましたRUclipsやこちらの動画もかなり見ましての)その中で母の苦しみ方や、様子を見ていて私の家に連れ帰りました。が、3日の間に恐ろしい位の体調の変化深夜に救急車を呼び搬送して頂きました。そこからの先生に言われたのが余命一週間と、急変だと3日と言われ看取りの準備をして下さいとそこからの今日で9日間勿論、食事はほぼ取れず昨年より17キロの体重減先生は、症候状態との事でしたが症候状態の期間って月単位で居てくれるでしょうか先生曰く、自宅に帰る事は無理でとは言われております。
約一年前に一歳半の子供を残して妻を亡くしました。このお話、一年前に聞きたかった内容でした。抗がん剤治療を終えると決まってからの時系列は動画で先生がお話されているものと概ね同じでした。ただ、当時の私はこの情報を知らず、お別れの時は突然訪れてしまい、準備が出来ていなかったと悔やまれもっと妻やその両親などが望むやり方があったのではないかと後悔は尽きません。皆さんがそうした想いをなさらないよう、動画をみていただけら幸いです。
血圧が低下している、と、病院から呼ばれ駆けつけると、夫は喘ぐような呼吸をし、むくみのある手を握ると弱く握り返してくれました。目を覗くと瞳孔が今までとは違って白っぽく見えたので、もう間も無くかなと思いしばらくそばについていましたが、処置の時間になり側を離れました。間も無く臨終の知らせがありました。
この動画に早く出会って居たら…まだ先だと思ってたのに
父が膵臓がんでホスピスで息をひきとったとこを思い出します 一言で語れないですね 壮絶でした
1週間前に祖母が癌で亡くなりました。もっとジワジワ来るのかと思っていましたが、本当に突然でした。年末まで持たないと言われていましたが、亡くなったのは12月10日です…。本当に前日まで普通に話していたのにです…。もっと一緒にいればよかったと後悔しています…
病気で亡くなる前の人は殆ど好きだったものが食べられるのは本当に不思議に思いました。
家の主人は週単位かもしれません。大学病院から、緩和ケア看取りまでする転院したばかりです。脳転移してるので、話できる時出来ないときありますが、せん妄かもしれません。今日、面会したから朝から40℃の熱、座薬入れたそうです。で、明日は検査して抗生剤を点滴に入れるかどうか決めると看護士さんが言ってました。主人は家に帰りたいと、家でみるつもりでいましたが家では無理でしょうとのことで転院です。今まで熱のお話はあったでしょうか?
Thanx!
私も家族の余命が知りたいです。でも医師は教えてくれません。心の準備が出来ず毎日が不安で落ち着かないのです。
50年後、100年後はどうなるのかなっておもってしまいましたっ。そんなに遠くない、年金どうなるのかなってレベルの未来と思います。宗教とかではなく、あらゆる生物はこの生きているという次元の次から始まる次元、これがすごくながいはじまりです。例えるなら人生100年といいますが、この次元人生に例えるならほんの1分過ぎただけです。まだ何もわからない、これからのはじまりです。
アメリカ人のルームメイトが大腸がんで2度手術をしています。転移が見つかりましたがもう手術は不可能だと言われ、2週間に1度の抗がん剤を受けています。先生に 自分の命はあとどのぐらいかと聞いたところ、分からないと言われたそうです。現在、当人は色々なところに旅行に行っていますが、死の恐怖と生きなければならない、その方が辛そうです。
(T^T)💧そうでょうか。複雑な気持ちです
言われる患者側は辛いですが😢💦それを宣告しなければならないお医者様も辛いですよね(T^T)💧
最後の入院の時はすでにおそし。後悔だけです。看護ケアに行かないと言うのも私は知らなく主治医に言われビックリしました。せめても緩和ケアに行ってくれば私も後悔なかったかも。三月に亡くなった夫を今も受け止められなくおかしくなりそうです。どうすれば助けて下さい。あの人の後追いたいです。死にたい。
最愛のご主人を亡くされて、お辛いと思いますが、どうか後追いされず、生きていてほしいと願っています🛐 きっと貴女を大切に思っていらっしゃるかたが、悲しくて辛い気持ちになると思います✨いつか、少しずつ、今の悲しみが和らぐ日が訪れることを信じて、ご自分を大切に可愛いがって下さるよう、切にお祈りします💟
一日一日お大切に。私もそう思いながら、親のあることとて、まだいけていません。周りの方のためにも、生きる道を探していただけると有り難く存じます。
肝臓癌骨転移の予後はよくないと聞きます。先生の意見伺います。
抗がん剤の副作用の話しだな。辛い余命より楽しい終末。延命治療の功罪...
私は、亡くなる時癌がいいなあと思います。最近身内が入院後少し精神をやんだようです。しっかりしているうちにまた使えるお金があるうちにおばあちゃんのようにいきなり末期癌になりたいのです色々変わり変わった生活環境、医師不足も経験したり、真面目に南海トラフにて死ねたらと思ったり長生き出来ていたらと良く考えいたけど最近は、早く死にたいと感じるよ。中々色々なことが大変と言う事だね。
なにいってんの?亡くなる時癌がいいとはどういう事ですか??正気ですか??
@@keiko-ce6wo 私には、難治喘息始め多数病気があり、もう30年近く病人をしております。祖母はやはり一代結核をはじめとして病人として生きて来た人です。最晩年肺がんの末期で病が見つかり私が看病しました。癌の場合、認知と違い自分の意思により医療が行われていいなあと思った事などあり癌もいいなあと思いました。長引く病人生活色々あり随分色々な治療をしてもうあまり治療をしたりして考える力もあり、緩和医療もあり最近いきなり末期癌も悪くないなあと思ったりします。
貴方の仰ってることは必死で明日を生きようとしている癌患者への冒涜ですよ。言って良いことと悪い事があります。ふざけるな、と言いたい。
@@法子-w1r数多くの癌の中でも肺癌が一番最悪の最後になると聞きますよ。どの癌でもとてつもない痛みがある上、肺癌だと息もできなくて常に溺れている状態で最後になるので二重苦です。うちの義母は肺癌でしたが、最後はうめき散らして息苦しそうな死に顔で眉間にシワ寄せたまま逝きました。
先生は余命を知った方がいいとおっしゃいますが、高齢者と若い人とは違うと思います高齢者はそこ自体が、短い寿命だからもっと生きたいと縋りついてるのに、その希望が生きがいなのに、余命やガン告知されたらもう生きる希望がなくなりますどうすべきでしょうか?
「がん患者」ではなくて、「がん患者さん」、あるいは、「がん患者様」と呼んだほうが、良いと思いますよ?
両親ともガンで亡くしたけど、このコメントほどどうでもいい内容は他にはないな
@@まるはさりアル中バー さんどういう意味でしょうか?
@@身体を鍛えて健康になりたい 医療サービスの向上を目的として、そういう呼び方になっていきましたが、この方はただ動画で終末期にどういうことになるのかを説明してるわけであってこの動画で、患者を診てるわけではいから、そこにこだわる必要はない。
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【がん終末期】人生の最期まで自分の口から食べるを叶えるために、ご家族ができるサポート(#229)
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心が疲れている方、心を落ち着かせたい方のための動画【亡くなる前の5つの兆候】(#217)
ruclips.net/video/X3FQMUpSbU8/видео.html
目次
0:00 テーマ「がん終末期の余命は知るべきか」
1:03 残された時間、あなたは知りたいですか?
2:16 治療中の余命と終末期の余命はなにが違うのか
6:45 月単位の時期ご家族はどうしたらいいか
10:32 週単位の時期ご家族はどうしたらいいか
15:56 日単位の時期ご家族はどうしたらいいか
23:11 あなたに伝えたいメッセージ
オンラインサロンを始めました。ぜひ覗いてみてください!
今後、質問やご相談などはこちらで対応させていただきます。
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この度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。RUclipsであまりお話していない、私の死に対する考えも深く書かせていただいていますので、読んでみたいなと思ってくださった方はこのリンクから、本を購入していただければ嬉しく思います。
こちらこそ、お話下さり
ありがとうございます。
亡き母は、何度も会議を開いて頂き、病院側の御配慮で著明な先生を呼んで頂き診察頂きましたが
結局、病名が付かず不明のまま亡くなりました。
何名も先生が付いて頂けましたが、ダメでした。
私も当時2歳になったばかりの子を抱え、毎日必死で、子供に公園なんて連れてってやる事も出来ず、病棟の看護師さん達に可愛がって頂き、手も目も掛けて頂きました。
だから、母との時間を作れた事、未だに感謝しております。
終末期せん妄時、孫ちゃん……看護師さんになってるね。
って、突然。
今まで辻褄が合わない事をうわ言のように言ってたと思ったら、突然。
その翌日、綺麗な朝焼けの日に亡くなりました。
未だに、母との日々母が最後に着ていたパジャマも棄てられず。
まだやれた事はあったはず。
けれど思い付く限りを尽くしたと自分を納得させてるつもりでも、まだ出来たはずと思えてならない。
先生のお話をお聞きし、私が出来なかった事は
受け入れる覚悟が足りなかったと思います。
あれから23年。
母に伝えたい。
時間は短かったですが、可愛がった母の孫娘である私の娘。
母の予言通り、正看護師になって、2年目
頑張って居ますよ。
やっぱり未だに思います。
母は、未だに私にとって偉大だと。
先生、ありがとうございます。
長年掛かりましたが、胸の中の靄が晴れてきた気がします。
感謝。
父が今日は呼吸の苦しさをやけに訴え、食欲もあまりありませんでした。顔を見て、少し太ったのかとも思って安心していましたが、むくみですね😢
父とはあまり会話しないのですが、後悔のないように色々話そうと思います。
ありがとうございました。
2年に及ばぬ闘病の末、今年5月に母を胆道がんで亡くしました。母の病気が分かってから先生の動画に出会い、奇跡が起こるかもという希望と最悪の場合の覚悟、絶望の繰り返しでした。絶対に絶対に後悔したくなくて介護休業を取得しできる限り母の人生と向き合おうと思いました。実際日々の変化に直面すると信じたくなくて受け止めきれない自分がいました。母が亡くなってしまった直後も3ヶ月経った今も後悔は尽きません。余命宣告から介護、入院母の喜ぶ顔、嬉し涙が見たくて必死になり、幸せを感じる一方病状が悪化し絶望する母に決して優しいとは言えない接し方をする日もありました。何度か悪化持ち直しを繰り返し変わらない日常が続くのだと思い込み気を抜いてしまいそうになっていた矢先の最期でした。
しかし、やはりどこかで覚悟が出来ていたことは確かなのです。本当に苦しそうでしたが、最期たしかに母は微笑んで逝った。思い出すことが多いのはその笑顔です。絶えない後悔のなかにどこかでそう思える自分がいます。それは偏に先生のおかげです。毎日すごくすごく悲しいです。母を亡くしてから悲しみが優しさに変わるという言葉をよく目にします。いつになるか今は全く見当もつきません。でもお世話になった緩和ケアチームのみなさん、周りで母娘ともに支えていただいたみなさんに本当に感謝しています。大切なことを伝えていただいたトッシュ先生、本当にありがとうございます。
追伸
66年の人生、最後の最後まで一生懸命全力でがんばってくれたお母さん。本当に本当にありがとう。どんなに感謝しても足りません。またあの世で必ず会いたいです。生まれ変わりがあるのならまたお母さんの子供にしてね。
今思い起こせば…あっという間の出来事だった
直前前まで仕事をしていた
入院して1ヶ月内治療法もなく…本人の希望で在宅医療…自宅に戻り…一週間心の準備もなく旦那を看取りました…まさにその通り…今でも自分が死ぬまで忘れられない😢
いつもありがとうございます。
父の終末期に先生の動画でお話を聞いて、父への接し方や家族の在り方を共有して先月末に悔いのない看取りをできました。最期の事を色々考えたり心の準備が出来ていたので葬儀を終了した現在までに至り悔い無く看取り期間を過ごすことができました。大変有り難う御座いました。
ありがとうございます!
ありがとうございました。
昨年の11月26日に夫を肺がんで亡くしました。急変して入院してから約一月、不安でいっぱいでしたが、先生の動画から学び、最後まで時間を共にして後悔なく見送る事が出来ました。感謝しかありません。ありがとうございました。お忙しいと思いますが、ご自愛ください。
今晩は、私は人は老い必ず死にます、その時がいつかは誰も知りません、未来を知ることも大切ですが日々を悔いなく生きていきたいです
先生の仰っている終末期の変化は急激です、という言葉は本当です。
父が胆嚢癌のステージ4だと告げられてから、こちらのチャンネルへ辿り着き、短い間に沢山の事を教えていただきました。
まだ月単位の変化だと入院当初は思っていました(余命は〜2ヶ月くらい、3ヶ月は厳しいと思うと主治医から言われていました)。
でも振り返ってみると既に週単位でした。入院してから3週間ほどで旅立ちました。
入院当初は「ご飯が食べられない」と言って私は(オーバーに言って入院したいからなのかな)なんて思っていました。
(数日前には普通にご飯を食べていたので。無理して食べていたのかもしれないですね)
でもその時すでに私が渡したリンゴも食べられなかったんです
(剥くのが面倒だったという可能性はあります、私がすってあげていたら食べられたかもしれません)
一緒にあげた父の昔よく食べていたインスタントのワンタンスープは「食べれたよ」と嬉しそうに、今思えば言ってました。
(それなら食べられるとわかって自分でも追加購入していました)
父が亡くなるちょうど1週間前、「先生からもう鎮痛剤を使わないとダメだと言われた」と姉へLINEが飛びました。私へも「伝えておいて」。と。
その日だったか翌日だったかくらいに見舞いへ行った時、
「今までは何とか自分でトイレへ行っていたけど、目が視界が白くぼやけてもう行けない」と言っておむつに変わっていました。
父が携帯操作できていたのはこの目がダメになる前までです。
幸い、父とあまり仲の良くなかった兄弟は葬儀の時に呼んだ方が良いのか?私達だけで良いのか?という意外と大事な部分は私が早い段階で確認を取っており、
不必要に呼ぶ事なく葬儀が済みました。
後悔が全くないと言えば嘘になりますが、母もだいぶ前に癌で亡くした経験もあったからなのか、心構えはできており、その後も生活はそれなりに送れています。
月単位、週単位、日単位、時間単位は本当です。
皆さまも参考にされて、少しでも悔いの残らぬように患者さんと接してください。
耳は最後まで聞こえている、というのも本当だと思います。
最期に駆け付けた時、「お姉ちゃんがまだ来ていないから、もう少しだけ頑張ってね」と声かけをしたところ、頑張ってくれました(?)。
姉が着いてから息を引き取りました。
父の闘病は終わりましたが、今後のためにも時々また動画を拝見したいと思っています。
先生、ありがとうございます☺️。
父が闘病中ですが、本当にためになるお話しをありがとうございます。
母を看取ったときのような後悔がないように、先生のお話しを参考に準備していきたいです。
91歳のがん患者です。昨年(2023年12月8日、回盲部を30~40センチ切除しました。)高齢なので、がん治療はしないことになりました。現在、3か月ごとに血液検査をしています。悪性大細胞型、B型リンパ腫、ステージ4です。自宅で机に向かう仕事をしています。
先生の解説は、とても易しく明快です。心から感謝申し上げます。
91歳で仕事!?!?
私の祖父母はみんな早死にだったので少しでもがんがよくなって長生きしてください😢
私は膵臓がんと言う致死率が極めて高い癌にかかったと言うこともあるのですが、
それでも当初は生存の可能性にすがって悶々とした生活を送っており
どんなに考えても堂々巡りを繰り返すだけで神経が日に日に疲れていきました。
でもあるときいくら考えても結果は運命的にくるんだと言うことに気づき、
妻に死ぬことを前提に将来のことを真剣に話し合いました。
するとスッと心が軽くなりその後は抗がん剤の苦しみや死への恐怖も薄くなり、
今は天命を待つ気持ちで楽しく過ごせています。
余命がわかるわからないに関わらずその覚悟を持つことが大事だと言うことを
学びました。
神のご加護をお祈りします。
癌だと判明した時点で余命が月単位でした。
やれることは限られていました。
あれで良かったのか、これで良かったのか…新盆を済ませた今、葬儀後とは違った虚無感が押し寄せてきます。
まさに先生の言う通りの過程を通りました。
その時に 知っていればと後悔しています。
先生ありがとうございます
9月9日に末期癌の父を看取りました…😭
主治医から後1ヶ月…と言われて話はできない状態でしたが合わせたい人に合わせ、家族で見送る準備を始めました。なくなる日,ずっと付き添っていました…そして息を引き取るその瞬間を目の当たりにしました…
あっ…と思い涙が溢れましたが、父はようやく痛みから解放された😔とも思い、私は少し安堵しました
先生の動画を見て心の準備ができていたと思います
とても冷静に父を見送る事ができました
先生,ありがとうございました😭
平穏な時期にはそれが終末に向かうある程度元気な段階と考えたくないばかりに、残された時を有意義に、というよりも、奇跡を期待してしまうことも多いのかなと思いました。それでもある意味恵まれていると考えることはできるのではないかなと。。なかなか受け入れられるものではないと思いますが。うちは心筋梗塞のため、全く読めません。急変があるため毎日がジェットコースターですが、重症のため先は長くない気がします。とにかく生きてくれている奇跡に手を合わせる日々です。大切な動画をありがとうございます。
末期癌の母がいます
動画のお話のように急に弱り現在日単位の状態です
口パクのようですが反応が少しありだるいの?と聞いたら反応があったので足をマッサージしてなるべく肩や腰もさすってきました
口が渇くと水とずっとうなっていたの看護師さんを呼びましたが誤嚥性肺炎になると口の中にゼリーを塗るだけでした
家族にも口腔ケアはさせず1日数回しているからと言われるだけで見ていてとても辛く帰宅途中運転しながら涙がポロポロ。
病院により方針が違うのでしょうか…口腔ケアを娘の私もしてあげたいです
あと少し前はアイスを食べたいとずっと言っていたのにそれも看護師さんに止められあげられませんでした
もう先がないのは分かっていて最後に好きな物を食べさせてあげたい…
この動画を見てそう思いました
もっと強く言うべきなのでしょうか…辛いです
もうほとんど寝てるので手遅れかもしれませんが……
長文失礼致しました
後どの位父の時間が残ってるか分かりませんが、母親も寝たきり…そして私しか居ない…
もう、やる事が多すぎて中々毎日は面会行けません。
本人は治して帰るんだと言って頑張っているので、今の段階で告知は考えてません。性格的に弱いと思うので、母親にも言ってません。面会の時会わせて居ますが、互いに言わずに優しい時間流れているので、これでいいと思ってます。今は出来るだけ会わせてあげて穏やかに過ごせる事それが私が父親にしてあげられる事だと思うので…
正解も不正解も、それぞれの家族が考えて最善選んであげる事が幸せなのではないかなって思ってます。
まだまだ大変ですが最期まで笑って接したいと思います。
余命は信じるなに、そうなんだと思いました。
この数ヶ月に及ぶ検査からの7月29日に余命一年との宣告を受けました。
初めての検査から緩和ケアと言う言葉を耳にし(色々と調べました
RUclipsやこちらの動画もかなり見ましての)
その中で母の苦しみ方や、様子を見ていて私の家に連れ帰りました。
が、3日の間に恐ろしい位の体調の変化深夜に救急車を呼び搬送して頂きました。
そこからの先生に言われたのが余命一週間と、急変だと3日と言われ看取りの準備をして下さいと
そこからの今日で9日間
勿論、食事はほぼ取れず
昨年より17キロの体重減
先生は、症候状態との事でしたが
症候状態の期間って月単位で居てくれるでしょうか
先生曰く、自宅に帰る事は無理でとは言われております。
約一年前に一歳半の子供を残して妻を亡くしました。このお話、一年前に聞きたかった内容でした。
抗がん剤治療を終えると決まってからの時系列は動画で先生がお話されているものと概ね同じでした。
ただ、当時の私はこの情報を知らず、お別れの時は突然訪れてしまい、準備が出来ていなかったと悔やまれもっと妻やその両親などが望むやり方があったのではないかと後悔は尽きません。
皆さんがそうした想いをなさらないよう、動画をみていただけら幸いです。
血圧が低下している、と、病院から呼ばれ駆けつけると、夫は喘ぐような呼吸をし、むくみのある手を握ると弱く握り返してくれました。目を覗くと瞳孔が今までとは違って白っぽく見えたので、もう間も無くかなと思いしばらくそばについていましたが、処置の時間になり側を離れました。間も無く臨終の知らせがありました。
この動画に早く出会って居たら…まだ先だと思ってたのに
父が膵臓がんでホスピスで息をひきとったとこを思い出します 一言で語れないですね 壮絶でした
1週間前に祖母が癌で亡くなりました。もっとジワジワ来るのかと思っていましたが、本当に突然でした。年末まで持たないと言われていましたが、亡くなったのは12月10日です…。本当に前日まで普通に話していたのにです…。もっと一緒にいればよかったと後悔しています…
病気で亡くなる前の人は殆ど好きだったものが食べられるのは本当に不思議に
思いました。
家の主人は週単位かもしれません。大学病院から、緩和ケア看取りまでする転院したばかりです。脳転移してるので、話できる時出来ないときありますが、せん妄かもしれません。今日、面会したから朝から40℃の熱、座薬入れたそうです。で、明日は検査して抗生剤を点滴に入れるかどうか決めると看護士さんが言ってました。主人は家に帰りたいと、家でみるつもりでいましたが家では無理でしょうとのことで転院です。今まで熱のお話はあったでしょうか?
Thanx!
私も家族の余命が知りたいです。
でも医師は教えてくれません。
心の準備が出来ず毎日が不安で落ち着かないのです。
50年後、100年後はどうなるのかなっておもってしまいましたっ。そんなに遠くない、年金どうなるのかなってレベルの未来と思います。宗教とかではなく、あらゆる生物はこの生きているという次元の次から始まる次元、これがすごくながいはじまりです。例えるなら人生100年といいますが、この次元人生に例えるならほんの1分過ぎただけです。まだ何もわからない、これからのはじまりです。
アメリカ人のルームメイトが大腸がんで2度手術をしています。転移が見つかりましたがもう手術は不可能だと言われ、2週間に1度の抗がん剤を受けています。先生に 自分の命はあとどのぐらいかと聞いたところ、分からないと言われたそうです。現在、当人は色々なところに旅行に行っていますが、死の恐怖と生きなければならない、その方が辛そうです。
(T^T)💧
そうでょうか。
複雑な気持ちです
言われる患者側は辛いですが😢💦
それを宣告しなければならないお医者様も辛いですよね(T^T)💧
最後の入院の時はすでにおそし。後悔だけです。看護ケアに行かないと言うのも私は知らなく主治医に言われビックリしました。せめても緩和ケアに行ってくれば私も後悔なかったかも。三月に亡くなった夫を今も受け止められなくおかしくなりそうです。どうすれば
助けて下さい。あの人の後追いたいです。
死にたい。
最愛のご主人を亡くされて、お辛いと思いますが、どうか後追いされず、生きていてほしいと願っています🛐 きっと貴女を大切に思っていらっしゃるかたが、悲しくて辛い気持ちになると思います✨
いつか、少しずつ、今の悲しみが和らぐ日が訪れることを信じて、ご自分を大切に可愛いがって下さるよう、切にお祈りします💟
一日一日お大切に。
私もそう思いながら、
親のあることとて、まだいけていません。
周りの方のためにも、生きる道を探していただけると有り難く存じます。
肝臓癌骨転移の予後はよくないと聞きます。先生の意見伺います。
抗がん剤の副作用の話しだな。辛い余命より楽しい終末。延命治療の功罪...
私は、亡くなる時癌がいいなあと思います。最近身内が入院後少し精神をやんだようです。しっかりしているうちにまた使えるお金があるうちにおばあちゃんのようにいきなり末期癌になりたいのです色々変わり変わった生活環境、医師不足も経験したり、真面目に南海トラフにて死ねたらと思ったり長生き出来ていたらと良く考えいたけど最近は、早く死にたいと感じるよ。中々色々なことが大変と言う事だね。
なにいってんの?亡くなる時癌がいいとはどういう事ですか??正気ですか??
@@keiko-ce6wo 私には、難治喘息始め多数病気があり、もう30年近く病人をしております。祖母はやはり一代結核をはじめとして病人として生きて来た人です。最晩年肺がんの末期で病が見つかり私が看病しました。癌の場合、認知と違い自分の意思により医療が行われていいなあと思った事などあり癌もいいなあと思いました。長引く病人生活色々あり随分色々な治療をしてもうあまり治療をしたりして考える力もあり、緩和医療もあり最近いきなり末期癌も悪くないなあと思ったりします。
貴方の仰ってることは必死で明日を生きようとしている癌患者への冒涜ですよ。
言って良いことと悪い事があります。ふざけるな、と言いたい。
@@法子-w1r数多くの癌の中でも肺癌が一番最悪の最後になると聞きますよ。どの癌でもとてつもない痛みがある上、肺癌だと息もできなくて常に溺れている状態で最後になるので二重苦です。うちの義母は肺癌でしたが、最後はうめき散らして息苦しそうな死に顔で眉間にシワ寄せたまま逝きました。
先生は余命を知った方がいいとおっしゃいますが、
高齢者と若い人とは違うと思います
高齢者はそこ自体が、短い寿命だから
もっと生きたいと縋りついてるのに、その希望が生きがいなのに、
余命やガン告知されたら
もう生きる希望がなくなります
どうすべきでしょうか?
「がん患者」ではなくて、「がん患者さん」、あるいは、「がん患者様」と呼んだほうが、良いと思いますよ?
両親ともガンで亡くしたけど、このコメントほどどうでもいい内容は他にはないな
@@まるはさりアル中バー さん
どういう意味でしょうか?
@@身体を鍛えて健康になりたい 医療サービスの向上を目的として、そういう呼び方になっていきましたが、この方はただ動画で終末期にどういうことになるのかを説明してるわけであってこの動画で、患者を診てるわけではいから、そこにこだわる必要はない。
私も家族の余命が知りたいです。
でも医師は教えてくれません。
心の準備が出来ず毎日が不安で落ち着かないのです。
私も家族の余命が知りたいです。
でも医師は教えてくれません。
心の準備が出来ず毎日が不安で落ち着かないのです。
私も家族の余命が知りたいです。
でも医師は教えてくれません。
心の準備が出来ず毎日が不安で落ち着かないのです。