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私のような体験したものがコメントするのはどうなんかな?と思いながらコメントします。肺がん腺がんの母を在宅で看取りました。余命を知らされてから仕事もやめて母を絶対に苦しめないという強い気持ちで看病しました。最後の3ヶ月は私のレパートリーの中の1つの歌を歌って欲しいと言い、亡くなる1週間は母の手を握り歌い続けていました。せん妄かと思われる症状も、糸と針を持っているかのような手つきでパジャマの裾を持ちニコニコしながら縫い物を長時間続けているようで、看護者の私を常に和ませてくれました。住み慣れた家にいるのと病院にいるのでは随分違うと思います。私も最期まで看取れるか自信はなかったけど、母を絶対に苦しめない選択を常にしてきました。MSコンチンで疼痛コントロールし、それでも痛むと座薬を入れました。けど総じてその用量も人より少くてすんだと思います。亡くなる2日前から何も食べられないので薬も飲んでいませんが痛みはもう出ませんでした。亡くなる1週間前に眩暈を起こしているのに気付いたら、訪問看護ステーションから(25分はかかる)、病院にいるより早く注射が届きびっくりしました!「これで眩暈は楽になりますよ」って。ほんとに眩暈が治り母はにっこりしました。めまいと言う言葉は言えなくなっていましたが、ずっと看病しているとわかります。訪問看護師さんは人間の末期をよく熟知されています。処方箋がいるだろうに注射が早くて本当にびっくりしました。いかなる苦痛も緩和したい私の心がのりうつったように看護師さんは頑張って下さいました。母もだんだん食べられなくなって体が衰弱しても私の冗談に思わず笑って…。点滴はしないので体のどこもむくみませんでした。告げられた余命より長く生きてくれました。私が歌い続けた歌は「ムグンファの花/テンチュエ(天雀)」です。検索で歌詞は出ると思います。末期がんになれば、自分の生活を看病にシフトするのも長期間ではありません。事情が許すのであれば是非住み慣れた家で最期を穏やかに過ごし、QOLを高めた生活を最期まで送ってもらいたいと切に思います。16年前でもたまたまかもしれないけど出来ましたので😊大津先生、又場をお借りしたみたいで申し訳ありません。今は緩和ケアも進んでいるだろうし、大津先生のような先生を探すことも大切かもしれませんね。ありがとうございました。
心がこもったお看取りのお話、ありがとうございます。見守るご家族の皆さんは苦悩や戸惑いも多いと思いますので、美奈さんのようなご体験の話は参考になったり励まされたりすると思います。
今日。母が緩和ケアで亡くなりました。痛みがなく、苦しくなく。せん妄もキツくなく。ゆっくり亡くなりました。緩和ケアで良かったです。他に出来ることはあったかも知れないけど。良かったです。医療関係者の方には感謝しかありません。先生。緩和ケアを広めてくれてありがとうございます。世界中の終末期の患者さんが苦しまず最後の時を過ごせますように。。
先生の動画を見て主人が現在せん妄が出てきてるんだと思えました。担当医は認知症があるかもしれないと言いましたがいい時間と悪い時間があり時々記憶が無い時があったりしてて この動画でせん妄なんだと言うことで腑に落ちました。余命あと僅かですが緩和ケアをお願いしたので穏やかな終末期になることを望んで止みません。ありがとうございました。
今回もためになるお話をありがとうございました。大切な人を悔いなく看取ることができるように、日頃から知識を蓄えていきたいと思います。また、今回のお話の中で「最善を望みながら最悪に備える」という言葉にとても感銘を受けました。日常の様々な場面で役に立つ、素晴らしい考え方だと思います。
4年前に急性骨髄性白血病で、昨年父を肺気腫で亡くしました。いつも拝見しながら先生の仰る内容は、全て納得がいく話ばかりです。両親の死因はそれぞれですが、終末期のせん妄はそれぞれの症状で、出てました。当時、せん妄を知らなかったので、認知症と思いながら、何か違うな!と感じていました。最終期の回復に思える症状も、私が思うに、体や脳の機能が低下していく中で、我々が反応の情報を確認できるのは、やはり体より話し方だったり表情ですので、苦しみが回復してるのではなくて感覚そのものが麻痺し、脳細胞も新しい記憶が処理できなくなり、最後に残った古い記憶だけが本人の認識として呼び出されるのではないかと思っています。担当医も良くしていただきましたが、やはり多数の中の一人ですので、最適に診て判断して、薬剤処置されるには、限界があるな!と、感じていました。でも、私は冷静に両親を見る事ができ、まるで本人の皮膚が透けて体の変化を見ているように感じていました。まだ、未熟な私でしたが最期は、『頼んだぞ!』と、言われたように思えました。亡くなった時も寂しさは全く感じませんでした。死後の霊界で、見守ってくれているような気がします。
私の父は肺ガンでした。最期は家で過ごすと言う事を父本人と確認して娘の私は最期まで父の世話をしました。せん妄は無かったかな…苦しいから先生を呼んで、もう充分生きたと言って意識もはっきりしていました。今思い出しても私よりもしっかりしていました。
父の最期が近かったあの頃、父の状態の変化が認知症と言われるまま信じました。後に私のかかりつけの心療内科の医師に「おそらくせん妄だったのではないかと思う」と言われ、聞けば聞くほどそうだったんだと思うことばかりでした。かんわいんちょーさんのお話をもっと早く聞けていれば、せん妄であることがわかっていたら、やれることはあったと思うと悔やんでも悔やみきれません。そんな思いをする方が減ってくれればと思います。先生、大切なお話をありがとうございました。
先生、いつも分かりやすく温かいご説明を有難うございます。私は夫を亡くしてまだ🔰が取れていない60代です。先生の動画、よく拝見させていただいております。ワクチンの事も先生の動画を基にして学びました。今回は意識障害についてのお話しをお伺い出来まして、心の中に刺さっていたトゲが抜けた想いで、スッキリと致しました。夫は癌でもなく、認知の症状でもなく、他の病気で数年間の闘病の末に亡くなりましたが、まさか先生の動画を拝見していて、この様に疑問が解けるとは思ってもいませんでした!先生、本当に有難うございます。詳細の説明を得意と致しませんので、歯がゆいのですが、亡くなる患者さんが全て苦しみに悶え、気持ちまでが歪み、落胆の末に命が尽きるのでは無いのだという尊さを、学ばせていただいた思いでおります。夫は、大変穏やかな性格でしたので、闘病中も穏やかに闘い過ごしました。素晴らしい闘病でした。こうして、私が学んだ事を安堵してくれるかと思います。先生の動画で気持ちが軽くなりました。先生、有難うございました。
先生のコメントは、本当に学ぶ事があります。せん妄状態により血液データで高カルシウム血症により状態が悪い時もあるのですね。なかなか、そこまで気づく先生はいないです。それにより、助けられる命もあるので勉強になりました。
ありがとうございます。頻繁にあるわけではないのですが、意外にあるのも事実で、見つけるのと見つけないのとでは先行きが激変してしまうので、一度は測定してみるということは大切だと思いますね。
先生、今回の内容は私が知りたかったことばかりでした。薬学部の病院実習で緩和ケアを経験させていただきましたが、短期間で身につけられるものではないと痛感させられました。これからもっと勉強して、緩和ケアに携わっていきたいものです。
それは良かったです。コメントありがとうございます。緩和ケアへのさらなるご関与、楽しみにしています。
私の母は老衰という事でしたので全く当てはまりませんが、触ったり栄養剤をあげようとすると信じられないほどの力で抵抗され看護師も私もメガネを飛ばされたり引っ掛かれたりでとても衰弱しているとは思えず・・・大声で歌を歌ったり・・・亡くなるまでの1ヶ月半は戦いのようでした。今でも何だったのだろう?と思います😢安らかに逝って欲しかったのですが😢最期まで苦しそうに見えて私には老衰の定義がわからなくなりました。先生のお話、いつも為になります。有り難うございます♡
普段はかけているストッパーが効かなくなるという側面もあるのでしょうね。20年近く前、せん妄のご高齢の方が暴れられるのを必死に止めたことがあります。ものすごいお力でした。 お母様、「戦い」のようだったのですね。それは大変なことでしたね。
@@kanwa 後に入院された高齢者の方々が静かに亡くなられていくのに私の母だけ生命力が強かったのか・・・早く楽になって欲しいと思ってしまいました。
先生の動画は いつも見てますコロナウイルスも こんな話しもとても勉強に 成ります
私の父は96歳でこの前亡くなりましたずっと在宅介護していたのですが肺炎をおこしかけて入院しました。一時退院しましたが思うように食べられなくなり再び入院しました。最後の1ヶ月位は全く食べられずなくなりました最後の言葉が、家に帰りたいだったそうです。苦しむ事もなく穏やかに亡くなりました
祖父の在宅介護を母と行っており、勉強させていただいております。ありがとうございます。祖父は、家に寝たきりでいながら毎日いろいろなことを体験しているようです。昔勤めていた仕事の人が訪問してきたり、車に乗っている知り合いを助けたり、好きな数学の難問に挑戦したり、講演会をひらいたりと、毎日体験をリアルタイムで共有してくれます。人や物が目の前にあるかのように手振りを交えて伝えてくれます。最初は戸惑いましたが、どの体験も祖父らしいエピソードで、祖父にとっては大切な時間のように感じています。
その方の世界というものは興味深いですよね。人は本当に奥深いものです。
せん妄は難しいですね。私の身内でも経験しましたが、かかりつけ医に恵まれて良い看取りができたと思います。緩和ケアの重要性は目の前にならないと認識できません。早期の介入が人間関係を気づき救いを与えてもらえると思います。もっとメジャーになってほしいです。
せん妄は確かに百聞は一見にしかずですし、見ないとなかなかイメージし難いものかもしれませんね。ぎりぎりとなってではなく、早めに緩和ケアという言葉を思いつくあるいは思い出してくださるようになると、もっと穏やかに時間を過ごせる方が増えるのではないかと思っております。
夢なのか 幻覚なのか 最後の日には 何年も前に他界した祖母や叔母や叔父の名前を何回も 何回も呼んでました。せん妄 状態になってたとは 気が付きませんでした。この動画を見て納得しました。意識が普通に有り普通に話してる時間と苦しんでる時間と確かに有りましたよ。実は手術後もICU症候群になりせん妄になりましたが その時は 付き添って すぐに正常に なったので 終末期の最後の日は 勿論 その数日前から 付き添ってますが、せん妄とは 気が付かなかったです。と言うよりも せん妄と看護師に言われても 家族としては認めたくないのが 心情です。母が苦しんでる時 主治医が来て 母の 背中をさすり 大きな声で 大丈夫 もうすぐ治るから安心してと言ったら 母も安心して大人しくなり、そのまま寝ました。主治医は 限られた 残り少ない時間を 出来るだけ 沢山話をして 気を 紛らわせてれば 本人も 苦痛が取れますからと、言ってました。不思議ですね。因みに 私は 4日間一睡もせずに 付き添いましたが 母は4日間全く寝てませんでした。でも昼間とかほんの僅かな時間ウトウトしたりもしてましたが その時は 安心して私も眠れると思ってたら すぐに起きて 寒い 暑いとか布団が重いとか 言い出したり してました。これも せん妄と解釈するべき なんですね。掛け替えのない 家族の終末期を看取った者としては 動画見て辛くなりました。
せん妄は日内変動があるので、普通の時間もあればそうではない時間もありますよね。そのためチャンネル岩さんがそばにいることはもちろん感じていらっしゃったでしょうし、部分部分で意思疎通も図れていたものと存じます。せん妄は自然な死にゆく過程の一環でもありますね。4日間一睡もせずとのことで、思いを込めて看護されたことがとても伝わってきました。それはお母様にも十分伝わったものと存じます。
ほんとに、とても勉強になります これからも いろんな事教えてください
それは良かったです。お言葉ありがとうございます。
老衰死であっても、せん妄が起きるんですね。衝撃的なお話でしたが、怖い、でも知ってよかった、と思いました。先生のお話は本当にありがたく思います。そして、お医者様の携わっておられるお仕事の苛烈さを今更ながらですがおもわされました。御尊敬申し上げます。
お言葉ありがとうございます。医師になって最初にせん妄を拝見した頃は驚きましたが、それらの経験があってこそ、今ご家族にこのような状況だとお伝えすることが出来ているので、それらが糧になっていると感じます。
そう言えば最期は「お父さん、お母さん、有り難う!」と何度も言っていました。私も母のように最期は感謝の言葉が出るだろうか?と考えさせられました。
やっぱりご父母のことが出て来ますよね。不思議です。 感謝の言葉、しっかり伝えたいものですね。
@@kanwa 先生が仰る通り、配偶者も娘たちも出てきませんでした!
先生のおかげで、早期から緩和ケアにつながれました!ほんとうに感謝しています!先生👍沢山勉強する事が出来てよかったです!
それは良かったです。知ることは確実に良い方向につながります😊
私の夫はガンで他界しましたが夫が入院してる時目おつぶったまま話もしませんでした。話かけても黙ったまま息引き取る前一粒の涙流し他界しました。
ご主人のお話、ありがとうございます。お話をされなかったのですね。
@@kanwa 涙流した意味知りたいのですが。
知らない事か沢山理解できました。ありがとうございました。
約1ヶ月前、肝硬変で母は亡くなりましたが、亡くなる3週間ほど前、やはりお迎え体験をしていました。母にとって怖い存在だった母の祖父が夜病室に来たと。連れて行かれる!と思った母は、いつも近くで面倒を見てくれていた弟の名前を呼んで、手を握ったそうです。(夢の中で)その時は弟に、よろしく頼むと祖父が言って消えたそうですが、、。その後、私の妹の夢に母の母が出てきて、穏やかな笑顔を見せてくれたそうです。まるで、心配しなくていいよ、というかのように。その後、思ったよりかなり早く亡くなってしまいましたが、長く苦しまないように穏やかな場所へ、連れて行ってくれたのかなと思えて、良かったのだと今は思っています。不思議な話ですが、ちょっと先生にお話させて頂きたくて、、コメントさせていただきました。長文大変失礼致しました。いつも為になる動画や、心温まるお話をありがとうございます。
チャンネル登録させて頂きました私の父、膵臓ガン末期でした 呼吸が止まりました と 言う電話連絡 今でも忘れません 病院に駆けつけたのは、連絡から30分後 そこで 医師の診断で 駆けつけた時間を臨終として頂きました 私たち家族のケアまでして頂いたこと 大変感謝しております。
今年の2月下旬に65歳の父が職場で他界しました。お昼にしようと社長さんが、倉庫で作業していた父に連絡したところ連絡がつかなかったので、倉庫に行ったところもう既に心停止していたそうです。しゃがんだ状態で壁に寄りかかった体勢だったそうです。死因はクモ膜下出血でした。父が最後何を思っていたのか分からず、最後に見ていたものが何だったのか、何を頭がよぎったのか私は知りたいです…
今回の続編も興味深い内容でした。
ありがとうございます。
配偶者が出てこない・・のところの先生の表情が絶妙すぎました!家族や自分の最期に、こんな先生にお世話になりたいです。
配偶者はめったに出て来ないですね😁
先生誠実にありがとう御座います.感謝いたしております
素人ですが、分かりやすい説明です。ありがとうございます……お医者さん、みんなご存知なのかなぁ
私の旦那は先月膵臓癌で亡くなりましたが、痛み止めを使い出した頃からせん妄が酷くなりコミュニケーションを取れなくなり、肝心な話しも出来なくて困りました。でも、時には漫才のようなやり取りになったりして楽しかった事もありました。しかしベッドから何としてでも降りようと暴れていたのでそうなるともし緩和ケアに居たら拘束となるのでしょうか? 私はそれが可哀想で最後まで家で看取りました。それはそれで良かったです。
こんにちは。うちの祖母96歳(心不全、腎不全持ち)が、先日、錯乱したように、お金がない!誰々(亡くなった人)がわたしを迎えにetc...といきなり言い出して、大変だったと母が言っていました。祖母はなかなか眠れなかったようで、気分が落ち着いたらグッスリと長く眠っていたようです。母にも、先生の動画を見せておこうかなと思いました。心の準備、大切ですもんね。
なかなか思うようにはいかないものですが、知っていたり準備をしていたりすれば、きっと良いことはあると思いますものね。
それとなーく、タイミングをみながら。母の気持ちもありますからね。
先生の説明で思い出したことがあります。仕事でお付き合いしていた人がガンになり、ご家族が言うには、若かった事も重なってあっという間に進行していたそうですが、お見舞いに行った後で夜になると掛かってくる「無言電話」に悩みました。相手はその人だった訳ですが、何で自分に電話をしてくるのか?分からないんですよね。ご家族も止めているにも関わらず。結局最後まで訳が分からないままでしたが、何か伝えたい事があったのかなぁとしばらく考えました。同年代だったし、「生き続ける」であろう私と「死に行く」であろう自分とを比較して思っていたより、心理的に追い詰められていたのだろうか?と今では考えるようになりました。
それはまた印象的なご体験ですね。celavie05さんへの電話が、失った日常とつながること、生きる実感を取り戻すことであったのかもしれませんね。
年を取って「今」の記憶の上書きが出来なくなっても、遠い過去の記憶は消えない。それが、表面に現れてくるのかな?高カルシウム血症を調べるのは大切なんですね。お迎え体験が脳の見せている幻だろうと、本人が幸せならばそれで良いと思います。
昔の記憶は消えないのですよね。認知症の方と話していても、鮮やかに昔の情景を描写されるので驚きます。
私の母親(84)も亡くなる8時間前に「おかん、お花」と言ってました。
2ヶ月前に入院加療中だった母を多系統萎縮症由来の上気道閉塞による突然死で喪いました。呼吸不全と摂食が難しくなったとの事で本人承諾の下で経鼻栄養を施した上で経過観察のため相部屋から個室に移動との主治医の先生から連絡を受けた翌日に入院から9ヶ月ぶりに個室転室のためリモート面会制限を解除され直接面会でき手を握り背中を擦り話をすることが出来ました。前日の呼吸不全から酸素量も半減したため病棟の看護師の皆さんも私もてっきり多系統萎縮症由来の膀胱炎に対する抗生剤が有効であり週明けには主治医の先生の判断次第では相部屋に戻れるかも、との認識でした。母には「また明日ね」と軽く挨拶して洗濯物を戴いて1時間の道程を帰宅した途端、病棟からの電話で「瑞鳴があり酸素15L流しているのですぐ戻れ」とのことで急行したところ病室に着いて30分後には心停止でした。以来、主治医は勿論、訪問診療を戴いた先生やいろんな方々にご意見を伺いました。今回の入院に際して診療部長先生と主治医の先生には睡眠時無呼吸からの発作的な声帯反転発作による意識清明下での窒息による苦しみだけは出来るだけ避けて欲しいとのお願いをしていましたので、果たして最低限のハードルだけは越えることができたのかがずっと気になっていました。先生のお話をお伺いできて、主治医の先生のご説明と訪問診療の先生の補完のご説明を改めて咀嚼反芻することができました。先生のお話に照らして、他界する一週間前からの母の様子を振り返るといくつも腑に落ちるところがあります。先生のお話で母が苦しまずに旅立って戴けた可能性がさらに有力となったものと得心することが出来ました。何処からともなくやって来て誠に勝手な物言いなのですが、ご解説本当にありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。
偶然にも友人が医師で…、やはり彼も毎日、勉強や経験を“続行”しています。私自身は、“文系”人間で、感情に流されやすいのですが…(大津先生のように)固定概念や先入観に囚われず、柔軟性のある考え方をしていきたいと思います。
譫(せん、たわごと)妄(もう、善悪の分別がかける)か。人の死をめとるのはそんなにないので、知らない世界でした。ありがとうございます。
看取ることも、看取られることも、人生においてはたくさんというわけではないですし、常にそのため迷ったりすることが当然ですものね。
いつも誠実に、教えてくださって、本等に、有り難う御座います.感謝いた;しておりますー大好きです〜
ありがとうございます!!
個人的に、とても興味のある情報です。有難うございます😀先日、ドイツの緩和ケアについてのドキュメンタリー番組を観ました。在宅での看取りを希望されている方も多く、それをサポート出来るスタッフや色々なセラピーが紹介されていました。その番組の中で、ドイツは世界でもトップクラスを誇れるほど緩和医療は進んでいる、との事でした。日本でも、もっと理解が深まって、緩和医療の大切さが広く知られるようになる日が近く来る事を願っています🍀
ドイツは緩和ケアにおいて先進国ですよね。日本も20年前とは比較にならないほど進歩したので、おっと多くの方に知ってもらいたいと思っております。
感染症のせん妄と言えば、音楽の授業で習った魔笛という楽曲が頭をよぎりました。授業を受けた時は、風邪を拗らせて高熱を出した子供が見た幻覚の話だと思っていました。母は当日の朝に父にいつ来るか電話したあと、近所のおばちゃんたちに電話しまくってたそうです。これもせん妄だったのでしょうね。その後、意識がはっきりしなくなったとか。鎮静剤は、そのまま息が止まる可能性や意識を取り戻す可能性を考えてギリギリまで使用しない、という方針でした。ただ、苦しそうに見えた時にお医者さんの判断で鎮痛剤?鎮静剤?の注射してもらいました。緩和ケアの先生には感謝しかありませんが、こういう事も説明して欲しかったなあ、聞けば良かったなあ、と少し後悔しています。この動画を見た人は、動画の内容を頭の片隅において欲しいです。こういう知識の有無で、その時の心構えが違うので。
経験談ありがとうございます。最終末期にはよくご家族と医療者間のコミュニケーションが図られることが大切ですね。もちろんなかなか思うようにはいかないものではありますが、そのような意識があるのとないのとでも違いますから、この動画がその促進のためにも役立つと良いと考えています。
先生のお話を聞いて姪を思い出しましたみんなで焼き肉を食べに行こうと話していたそうです最後は自宅で迎えました
みんなで焼き肉を食べに行こうと話されていたのですか。それがとてもお好きだったのでしょうかね。
こんにちは、私にはちょうど良い位の話すスピードですが、大勢の中にはゆっくり聞きたい人もいるでしょう、スピード調整が出来る案内をされると喜ばれると思います。貴重なお話、ありがとうございます。
高カルシウム血症のお話など、素人の上っ面な知識は危険ですね。勉強になります。
ありがとうございます!
妻は、先生に現在余命はと聞いても分かりませんねと、 催事の準備をと思い、一年前に3ヶ月と言われてあろゆる治療法を、して現在五月になりました。 朝は、咳吐き気タンが出にくいので😂辛いですが、夜は元気です😊 病院に入院したいと言っても無理だと言われています。
私の祖母は87歳で、せんもうはなく、「お世話になりました」と言って自宅で亡くなりました。
意識障害について重要な情報をありがとうございました😊
ありがとうございます😊!
病院で「痛いー、痛いー、助けてー、痛いー」と繰り返してる人を見た事があります。苦しそうな表情は無く 小さい声で機械みたいに単調に言い続けてました。あれはせん妄だったのですね。
今から20年前に実母を亡くしました。余命宣告後の終末期にモルヒネの投与をされていたので、母にせん妄が起こっている事を理解。山がボウボウ燃えていた。ポポちゃん(私の娘の人形)が道を歩いていた。など話してきました。そんな事があったんだねぇなんて日々返しながら亡くなりました。いい事なのか悪い事なのか解りませんでしたが、母の言葉を聞いてやりたかったので。本当は緩和ケア専門のHPへ転院させたかったのですが、父の猛反対「治療を諦めるのか!!」と言う逆鱗に触れ何も出来ず。余談ですが、あの当時2歳だった娘が、自分の祖母をケアしてやりたかったが、出来なかった(飛び飛びに何となく記憶があるそうです)から、正看護師になり当時のHPへ入所する!を目標に大学で学んでいます。きっと母は、喜んでくれてるかな?
緩和いんちょーさん、こんばんは。高カルシウム血漿についてはある程度知識がありましたが(以前VDのコメントで触れた気も?)いくつか解りにくい点があっかのが繋がりました!ありがとうございます(^_^)そういえば、だいぶ昔に父親を何かの病気で亡くしていますが、あとに"暴れたことがある"と聞きました。今思えばせん妄だったのかもしれません。私の記憶には、急に手を握られて"お前の手はいつも冷たいな"と言われました。父親の手は温かく、私の手はいつも氷のように冷たいのは事実なので、その時は話としては(内容は)普通でしたが、元々あまりそういうことをする人ではないと思っていたので意外でした。次に会った時は既に意識はなく、あれが最後になりましたね。その頃は私も知識がありませんでしたし、他の家族も当時の私より知らないだろうなと、父親が亡くなった時の話を聞いていてそう思います。そう言う私もジャンルに偏った病理と薬のことしかわからないのでまだまだですが。院長先生の動画でこれからまた少しずつ勉強していけると良いなと思っています。
いつもありがとうございます。 「お前の手はいつも冷たいな」という言葉は重みのある言葉ですね。お二人の重ねた時間がそこにこもっているような印象を受けました。それぞれの別れがありますね。
Excellent video ! Thank you !!
It's all my pleasure.
もう大分昔ですが、ある晩祖母が亡くなる夢を見ました。朝食時に祖母を心配してその話をすると母も曾祖父母や亡き親戚の方々が紋付の正装で祖母を中心にして宴席を持っている夢を見たとのことでした。その話の途中で田舎から祖母が亡くなったとの電話をもらいました。その母は、レビー小体型認知症のせいもあったかもしれませんが、亡くなる1年ほど前から祖母と亡き母の姉の姿が頻繁に見えていたようです。
まるで予知夢ですね。世の中には不思議なことが様々にありますね。
@@kanwa 第六感というものなのでしょうか?普段は夢を覚えていることはありませんが、何か重大なことが起きる時だけ、正夢を見ます。
このような大事を、医師に徹底できたらいいですね。、、、68歳オバサンより。
せん妄?限り有る時間を、大切にしたいね😢
大切ですね。
最善を望みながら最悪に備える!あらゆる事柄に通ずる言葉m(__)m
せん妄に対してよくクエチアピンやオランザピンが使われますが、抗コリン作用による弊害は多いのでしょうか?特にオランザピンは末端に3級アミンが付いているのでクエチアピンよりも抗コリン作用は強く出るのではないかと思いますが。
薬によりそれぞれ特性は異なりますよね。そこらへんも加味して専門家は薬剤の調整を行います😊
まさに祖母が亡くなる前、身の置き所のない状態でな痛そうな辛い顔をして、痛いの?ときくとうんうん、うんうん、と頷くだけの状態になっていました。看護師さんにと伝えても身の置き所のない状態なんだと思いますと言われて、痛いって言ってるのに違うの?とモヤモヤしていましたが、先生の動画を拝見して、あぁあれがせん妄状態だったんだなあと理解出来ました。これからまたそういう時が来た時、先生の動画を思い出して最期の時間をより良く過ごせるように努めたいです。ありがとうございました。
亡くなる数日前に瞼を閉じることができず仮死状態なにりますね、その時、本人は意識があるのでしょうか?呼びかけに対し聞いてるのでしょうか?
意識は混濁していますね。呼びかけは聞こえていることもあると存じます。
医療が進んでもなかなかなくなるようにはできないんでしょうかね。
皆さん、こんにちは。先日、人が亡くなってゆく際の変化を、特に身体の状態を中心にご説明しました。ruclips.net/video/knTE2L2eDKI/видео.htmlこの過程を知っておくことは、ご本人はもちろん、周囲でその方を支えるご家族にとっても役立つと存じます。今日は、精神を中心とした変化について3つポイントを述べました。皆が穏やかに生を全うできる時代がさらに深まることを願ってやみません。まずはこの禍を脱することですね。引き続き予防と体調管理に努め、この状況を乗り切って参りましょう。
皆さんも、せん妄やお迎え体験、ほか今回の動画で取り上げたような状態をみた経験があればぜひコメント欄でお寄せください。
田舎には、緩和の先生がなかなかいないですね。
そのため、遠方の相談に乗る私の行っているような外来もあります。
@@kanwa 正直羨ましい限りです。こちらはそう言う先生は、町内で一人だけで、往診を頼むと、長時間待ちだそうです。
うちの親父は部屋に黒い人が何人も入って来たと言ってたそうです。
横から失礼します。3年前 私の母が亡くなる日の明け方窓の外を見ていたら背後に母の身内と思われる4体の黒い影が見えて その日の夕方 母が亡くなりました。さらに 次の日の夜 キッチンに立っていたら腰の曲がった祖母らしき女性の黒い影が背後に見えて温かくなりました。寺と病院 両方に勤めていたことがありますが 寺より病院の方が 霊らしきものを多く目撃します。勤めていた病院の患者さんが亡くなられた日の夜(その日は私は休日でしたが)家のキッチンに立っていたらフワッとその患者さんの匂いがしました。挨拶に来てくれたのだなと 悲しいような嬉しいようなでも苦しみから解放されて良かったなというような ありがとうございますという気持ちになりました。ご冥福をお祈りします。
昏睡との違いはどんなですか
昏睡は声をかけても反応はありません。せん妄は声をかけて反応はありますが、疎通性がよくありません。例えばしっかりとした会話が成立しなかったりなどです。昏睡だと会話はできません。そのような違いがありますね。
母親が高カルシウム値なのでゼリーの処方箋が出ていた。美味しいと食べていたから甘いのだろうね。母親の美味しいと言うのは甘さで判断しているからね。それとその蓋が硬くて指先で開けるのが一苦労していた、そのお陰で握力が強かった。
握力が強かったのですね!
せん妄は、医療用麻薬のせいだと思ってました。だけど終末の数週間になった場合このようにせん妄によって痛いと伝えてるのか又は本当に痛いのかとか医師の方々は判断がわからず医療用麻薬や鎮静をかけたりとかになりそうで不安です・・・
そのためこその「緩和ケアのできる医師に診てもらうこと」であり、私などが行っている「早期からの緩和ケア相談」が大切になりますね。
@@kanwa 本当にその通りだと思います。唯、素人的に考えると仰る様に初期のころから例えば大津先生の所で相談させて頂いていたとして、現実強い鎮痛が必要になる位になった場合、入院してる病院と個別に受診してる緩和専門医師の場所が違うとなると物理的にどの様に指示が入ったり現時点での当該者の容態とか見られなかったりの中での投薬の指示とかってなるのかな・・・とか既に自分で受診できるわけではない時とか・・・どうなるのか不安はあります。
母が亡くなる1ヶ月くらい前に急に両腕が紫色の斑点が全体的に出ていた。それを見た時、病院の看護師や介護士が虐待しているんじゃないかと疑ったけど、世話になっているから余計なことを聞いて一段と虐待が激しくなってもいけないと思って聞かなかった。家族からしたら、人質に取られている感じだった。
譫妄
私のような体験したものがコメントするのはどうなんかな?と思いながらコメントします。肺がん腺がんの母を在宅で看取りました。余命を知らされてから仕事もやめて母を絶対に苦しめないという強い気持ちで看病しました。最後の3ヶ月は私のレパートリーの中の1つの歌を歌って欲しいと言い、亡くなる1週間は母の手を握り歌い続けていました。せん妄かと思われる症状も、糸と針を持っているかのような手つきでパジャマの裾を持ちニコニコしながら縫い物を長時間続けているようで、看護者の私を常に和ませてくれました。住み慣れた家にいるのと病院にいるのでは随分違うと思います。私も最期まで看取れるか自信はなかったけど、母を絶対に苦しめない選択を常にしてきました。MSコンチンで疼痛コントロールし、それでも痛むと座薬を入れました。けど総じてその用量も人より少くてすんだと思います。亡くなる2日前から何も食べられないので薬も飲んでいませんが痛みはもう出ませんでした。亡くなる1週間前に眩暈を起こしているのに気付いたら、訪問看護ステーションから(25分はかかる)、病院にいるより早く注射が届きびっくりしました!「これで眩暈は楽になりますよ」って。ほんとに眩暈が治り母はにっこりしました。めまいと言う言葉は言えなくなっていましたが、ずっと看病しているとわかります。訪問看護師さんは人間の末期をよく熟知されています。処方箋がいるだろうに注射が早くて本当にびっくりしました。いかなる苦痛も緩和したい私の心がのりうつったように看護師さんは頑張って下さいました。母もだんだん食べられなくなって体が衰弱しても私の冗談に思わず笑って…。点滴はしないので体のどこもむくみませんでした。告げられた余命より長く生きてくれました。私が歌い続けた歌は「ムグンファの花/テンチュエ(天雀)」です。検索で歌詞は出ると思います。末期がんになれば、自分の生活を看病にシフトするのも長期間ではありません。事情が許すのであれば是非住み慣れた家で最期を穏やかに過ごし、QOLを高めた生活を最期まで送ってもらいたいと切に思います。16年前でもたまたまかもしれないけど出来ましたので😊
大津先生、又場をお借りしたみたいで申し訳ありません。今は緩和ケアも進んでいるだろうし、大津先生のような先生を探すことも大切かもしれませんね。
ありがとうございました。
心がこもったお看取りのお話、ありがとうございます。見守るご家族の皆さんは苦悩や戸惑いも多いと思いますので、美奈さんのようなご体験の話は参考になったり励まされたりすると思います。
今日。母が緩和ケアで亡くなりました。痛みがなく、苦しくなく。せん妄もキツくなく。ゆっくり亡くなりました。緩和ケアで良かったです。他に出来ることはあったかも知れないけど。良かったです。
医療関係者の方には感謝しかありません。
先生。緩和ケアを広めてくれてありがとうございます。世界中の終末期の患者さんが苦しまず最後の時を過ごせますように。。
先生の動画を見て主人が現在せん妄が出てきてるんだと思えました。担当医は認知症があるかもしれないと言いましたがいい時間と悪い時間があり時々記憶が無い時があったりしてて この動画でせん妄なんだと言うことで腑に落ちました。
余命あと僅かですが緩和ケアをお願いしたので穏やかな終末期になることを望んで止みません。
ありがとうございました。
今回もためになるお話をありがとうございました。
大切な人を悔いなく看取ることができるように、日頃から知識を蓄えていきたいと思います。
また、今回のお話の中で「最善を望みながら最悪に備える」という言葉にとても感銘を受けました。
日常の様々な場面で役に立つ、素晴らしい考え方だと思います。
4年前に急性骨髄性白血病で、昨年父を肺気腫で亡くしました。
いつも拝見しながら先生の仰る内容は、全て納得がいく話ばかりです。
両親の死因はそれぞれですが、終末期のせん妄はそれぞれの症状で、出てました。当時、せん妄を知らなかったので、認知症と思いながら、何か違うな!と感じていました。
最終期の回復に思える症状も、私が思うに、体や脳の機能が低下していく中で、我々が反応の情報を確認できるのは、やはり体より話し方だったり表情ですので、苦しみが回復してるのではなくて感覚そのものが麻痺し、脳細胞も新しい記憶が処理できなくなり、最後に残った古い記憶だけが本人の認識として呼び出されるのではないかと思っています。
担当医も良くしていただきましたが、やはり多数の中の一人ですので、最適に診て判断して、薬剤処置されるには、限界があるな!と、感じていました。
でも、私は冷静に両親を見る事ができ、まるで本人の皮膚が透けて体の変化を見ているように感じていました。
まだ、未熟な私でしたが最期は、『頼んだぞ!』と、言われたように思えました。
亡くなった時も寂しさは全く感じませんでした。
死後の霊界で、見守ってくれているような気がします。
私の父は肺ガンでした。最期は家で過ごすと言う事を父本人と確認して娘の私は最期まで父の世話をしました。せん妄は無かったかな…苦しいから先生を呼んで、もう充分生きたと言って意識もはっきりしていました。今思い出しても私よりもしっかりしていました。
父の最期が近かったあの頃、父の状態の変化が認知症と言われるまま信じました。
後に私のかかりつけの心療内科の医師に「おそらくせん妄だったのではないかと思う」と言われ、聞けば聞くほどそうだったんだと思うことばかりでした。
かんわいんちょーさんのお話をもっと早く聞けていれば、せん妄であることがわかっていたら、やれることはあったと思うと悔やんでも悔やみきれません。
そんな思いをする方が減ってくれればと思います。
先生、大切なお話をありがとうございました。
先生、いつも分かりやすく温かいご説明を有難うございます。私は夫を亡くしてまだ🔰が取れていない60代です。先生の動画、よく拝見させていただいております。ワクチンの事も先生の動画を基にして学びました。今回は意識障害についてのお話しをお伺い出来まして、心の中に刺さっていたトゲが抜けた想いで、スッキリと致しました。夫は癌でもなく、認知の症状でもなく、他の病気で数年間の闘病の末に亡くなりましたが、まさか先生の動画を拝見していて、この様に疑問が解けるとは思ってもいませんでした!先生、本当に有難うございます。詳細の説明を得意と致しませんので、歯がゆいのですが、亡くなる患者さんが全て苦しみに悶え、気持ちまでが歪み、落胆の末に命が尽きるのでは無いのだという尊さを、学ばせていただいた思いでおります。夫は、大変穏やかな性格でしたので、闘病中も穏やかに闘い過ごしました。素晴らしい闘病でした。こうして、私が学んだ事を安堵してくれるかと思います。先生の動画で気持ちが軽くなりました。先生、有難うございました。
先生のコメントは、本当に学ぶ事があります。
せん妄状態により
血液データで高カルシウム血症により状態が悪い時もあるのですね。
なかなか、そこまで気づく先生はいないです。
それにより、助けられる命もあるので勉強になりました。
ありがとうございます。頻繁にあるわけではないのですが、意外にあるのも事実で、見つけるのと見つけないのとでは先行きが激変してしまうので、一度は測定してみるということは大切だと思いますね。
先生、今回の内容は私が知りたかったことばかりでした。薬学部の病院実習で緩和ケアを経験させていただきましたが、短期間で身につけられるものではないと痛感させられました。これからもっと勉強して、緩和ケアに携わっていきたいものです。
それは良かったです。コメントありがとうございます。緩和ケアへのさらなるご関与、楽しみにしています。
私の母は老衰という事でしたので全く当てはまりませんが、触ったり栄養剤をあげようとすると信じられないほどの力で抵抗され看護師も私もメガネを飛ばされたり引っ掛かれたりでとても衰弱しているとは思えず・・・大声で歌を歌ったり・・・亡くなるまでの1ヶ月半は戦いのようでした。
今でも何だったのだろう?と思います😢安らかに逝って欲しかったのですが😢
最期まで苦しそうに見えて私には老衰の定義がわからなくなりました。
先生のお話、いつも為になります。有り難うございます♡
普段はかけているストッパーが効かなくなるという側面もあるのでしょうね。20年近く前、せん妄のご高齢の方が暴れられるのを必死に止めたことがあります。ものすごいお力でした。 お母様、「戦い」のようだったのですね。それは大変なことでしたね。
@@kanwa 後に入院された高齢者の方々が静かに亡くなられていくのに私の母だけ生命力が強かったのか・・・早く楽になって欲しいと思ってしまいました。
先生の動画は いつも見てますコロナウイルスも こんな話しもとても勉強に 成ります
私の父は96歳でこの前亡くなりました
ずっと在宅介護していたのですが肺炎をおこしかけて入院しました。一時退院しましたが思うように食べられなくなり再び入院しました。最後の1ヶ月位は全く食べられずなくなりました
最後の言葉が、家に帰りたいだったそうです。
苦しむ事もなく穏やかに亡くなりました
祖父の在宅介護を母と行っており、勉強させていただいております。ありがとうございます。
祖父は、家に寝たきりでいながら毎日いろいろなことを体験しているようです。昔勤めていた仕事の人が訪問してきたり、車に乗っている知り合いを助けたり、好きな数学の難問に挑戦したり、講演会をひらいたりと、毎日体験をリアルタイムで共有してくれます。人や物が目の前にあるかのように手振りを交えて伝えてくれます。最初は戸惑いましたが、どの体験も祖父らしいエピソードで、祖父にとっては大切な時間のように感じています。
その方の世界というものは興味深いですよね。人は本当に奥深いものです。
せん妄は難しいですね。私の身内でも経験しましたが、かかりつけ医に恵まれて良い看取りができたと思います。緩和ケアの重要性は目の前にならないと認識できません。早期の介入が人間関係を気づき救いを与えてもらえると思います。もっとメジャーになってほしいです。
せん妄は確かに百聞は一見にしかずですし、見ないとなかなかイメージし難いものかもしれませんね。ぎりぎりとなってではなく、早めに緩和ケアという言葉を思いつくあるいは思い出してくださるようになると、もっと穏やかに時間を過ごせる方が増えるのではないかと思っております。
夢なのか 幻覚なのか 最後の日には 何年も前に他界した祖母や叔母や叔父の名前を何回も 何回も呼んでました。
せん妄 状態になってたとは 気が付きませんでした。
この動画を見て納得しました。
意識が普通に有り普通に話してる時間と苦しんでる時間と確かに有りましたよ。
実は手術後もICU症候群になり
せん妄になりましたが その時は 付き添って すぐに正常に なったので 終末期の最後の日は 勿論 その数日前から 付き添ってますが、せん妄とは 気が付かなかったです。
と言うよりも せん妄と看護師に言われても 家族としては認めたくないのが 心情です。
母が苦しんでる時 主治医が来て 母の 背中をさすり 大きな声で 大丈夫 もうすぐ治るから安心してと言ったら 母も安心して大人しくなり、そのまま寝ました。主治医は 限られた 残り少ない時間を 出来るだけ 沢山話をして 気を 紛らわせてれば 本人も 苦痛が取れますからと、言ってました。
不思議ですね。因みに 私は 4日間一睡もせずに 付き添いましたが 母は4日間全く寝てませんでした。
でも昼間とかほんの僅かな時間ウトウトしたりもしてましたが その時は 安心して私も眠れると思ってたら すぐに起きて 寒い 暑いとか布団が重いとか 言い出したり してました。
これも せん妄と解釈するべき なんですね。掛け替えのない 家族の終末期を看取った者としては 動画見て辛くなりました。
せん妄は日内変動があるので、普通の時間もあればそうではない時間もありますよね。そのためチャンネル岩さんがそばにいることはもちろん感じていらっしゃったでしょうし、部分部分で意思疎通も図れていたものと存じます。せん妄は自然な死にゆく過程の一環でもありますね。4日間一睡もせずとのことで、思いを込めて看護されたことがとても伝わってきました。それはお母様にも十分伝わったものと存じます。
ほんとに、とても勉強になります これからも いろんな事教えてください
それは良かったです。お言葉ありがとうございます。
老衰死であっても、せん妄が起きるんですね。
衝撃的なお話でしたが、怖い、でも知ってよかった、と思いました。
先生のお話は本当にありがたく思います。そして、お医者様の携わっておられるお仕事の苛烈さを今更ながらですがおもわされました。御尊敬申し上げます。
お言葉ありがとうございます。医師になって最初にせん妄を拝見した頃は驚きましたが、それらの経験があってこそ、今ご家族にこのような状況だとお伝えすることが出来ているので、それらが糧になっていると感じます。
そう言えば最期は「お父さん、お母さん、有り難う!」と何度も言っていました。
私も母のように最期は感謝の言葉が出るだろうか?と考えさせられました。
やっぱりご父母のことが出て来ますよね。不思議です。 感謝の言葉、しっかり伝えたいものですね。
@@kanwa 先生が仰る通り、配偶者も娘たちも出てきませんでした!
先生のおかげで、早期から緩和ケアにつながれました!ほんとうに感謝しています!先生👍
沢山勉強する事が出来てよかったです!
それは良かったです。知ることは確実に良い方向につながります😊
私の夫はガンで他界しましたが夫が入院してる時目おつぶったまま話もしませんでした。話かけても黙ったまま息引き取る前一粒の涙流し他界しました。
ご主人のお話、ありがとうございます。お話をされなかったのですね。
@@kanwa 涙流した意味知りたいのですが。
知らない事か沢山理解できました。
ありがとうございました。
約1ヶ月前、肝硬変で母は亡くなりましたが、亡くなる3週間ほど前、やはりお迎え体験をしていました。
母にとって怖い存在だった母の祖父が夜病室に来たと。
連れて行かれる!と思った母は、いつも近くで面倒を見てくれていた弟の名前を呼んで、手を握ったそうです。(夢の中で)
その時は弟に、よろしく頼むと祖父が言って消えたそうですが、、。
その後、私の妹の夢に母の母が出てきて、穏やかな笑顔を見せてくれたそうです。
まるで、心配しなくていいよ、というかのように。
その後、思ったよりかなり早く亡くなってしまいましたが、長く苦しまないように穏やかな場所へ、連れて行ってくれたのかなと思えて、良かったのだと今は思っています。
不思議な話ですが、ちょっと先生にお話させて頂きたくて、、コメントさせていただきました。
長文大変失礼致しました。
いつも為になる動画や、心温まるお話をありがとうございます。
チャンネル登録させて頂きました
私の父、膵臓ガン末期でした
呼吸が止まりました と 言う電話連絡 今でも忘れません 病院に駆けつけたのは、連絡から30分後 そこで 医師の診断で 駆けつけた時間を臨終として頂きました
私たち家族のケアまでして頂いたこと 大変感謝しております。
今年の2月下旬に65歳の父が職場で他界しました。
お昼にしようと社長さんが、倉庫で作業していた父に連絡したところ連絡がつかなかったので、倉庫に行ったところもう既に心停止していたそうです。
しゃがんだ状態で壁に寄りかかった体勢だったそうです。
死因はクモ膜下出血でした。
父が最後何を思っていたのか分からず、最後に見ていたものが何だったのか、何を頭がよぎったのか私は知りたいです…
今回の続編も興味深い内容でした。
ありがとうございます。
配偶者が出てこない・・のところの先生の表情が絶妙すぎました!家族や自分の最期に、こんな先生にお世話になりたいです。
配偶者はめったに出て来ないですね😁
先生誠実にありがとう御座います.感謝いたしております
素人ですが、分かりやすい説明です。ありがとうございます……お医者さん、みんなご存知なのかなぁ
私の旦那は先月膵臓癌で亡くなりましたが、痛み止めを使い出した頃からせん妄が酷くなりコミュニケーションを取れなくなり、肝心な話しも出来なくて困りました。でも、時には漫才のようなやり取りになったりして楽しかった事もありました。
しかしベッドから何としてでも降りようと暴れていたのでそうなるともし緩和ケアに居たら拘束となるのでしょうか? 私はそれが可哀想で最後まで家で看取りました。それはそれで良かったです。
こんにちは。うちの祖母96歳(心不全、腎不全持ち)が、先日、錯乱したように、お金がない!誰々(亡くなった人)がわたしを迎えにetc...といきなり言い出して、大変だったと母が言っていました。祖母はなかなか眠れなかったようで、気分が落ち着いたらグッスリと長く眠っていたようです。
母にも、先生の動画を見せておこうかなと思いました。
心の準備、大切ですもんね。
なかなか思うようにはいかないものですが、知っていたり準備をしていたりすれば、きっと良いことはあると思いますものね。
それとなーく、タイミングをみながら。母の気持ちもありますからね。
先生の説明で思い出したことがあります。仕事でお付き合いしていた人がガンになり、ご家族が言うには、若かった事も重なってあっという間に進行していたそうですが、お見舞いに行った後で夜になると掛かってくる「無言電話」に悩みました。相手はその人だった訳ですが、何で自分に電話をしてくるのか?分からないんですよね。ご家族も止めているにも関わらず。結局最後まで訳が分からないままでしたが、何か伝えたい事があったのかなぁとしばらく考えました。同年代だったし、「生き続ける」であろう私と「死に行く」であろう自分とを比較して思っていたより、心理的に追い詰められていたのだろうか?と今では考えるようになりました。
それはまた印象的なご体験ですね。celavie05さんへの電話が、失った日常とつながること、生きる実感を取り戻すことであったのかもしれませんね。
年を取って「今」の記憶の上書きが出来なくなっても、遠い過去の記憶は消えない。
それが、表面に現れてくるのかな?
高カルシウム血症を調べるのは大切なんですね。
お迎え体験が脳の見せている幻だろうと、本人が幸せならばそれで良いと思います。
昔の記憶は消えないのですよね。認知症の方と話していても、鮮やかに昔の情景を描写されるので驚きます。
私の母親(84)も亡くなる8時間前に「おかん、お花」と言ってました。
2ヶ月前に入院加療中だった母を多系統萎縮症由来の上気道閉塞による突然死で喪いました。
呼吸不全と摂食が難しくなったとの事で本人承諾の下で経鼻栄養を施した上で経過観察のため相部屋から個室に移動との主治医の先生から連絡を受けた翌日に入院から9ヶ月ぶりに個室転室のためリモート面会制限を解除され直接面会でき手を握り背中を擦り話をすることが出来ました。
前日の呼吸不全から酸素量も半減したため病棟の看護師の皆さんも私もてっきり多系統萎縮症由来の膀胱炎に対する抗生剤が有効であり週明けには主治医の先生の判断次第では相部屋に戻れるかも、との認識でした。
母には「また明日ね」と軽く挨拶して洗濯物を戴いて1時間の道程を帰宅した途端、病棟からの電話で「瑞鳴があり酸素15L流しているのですぐ戻れ」とのことで急行したところ病室に着いて30分後には心停止でした。
以来、主治医は勿論、訪問診療を戴いた先生やいろんな方々にご意見を伺いました。
今回の入院に際して診療部長先生と主治医の先生には睡眠時無呼吸からの発作的な声帯反転発作による意識清明下での窒息による苦しみだけは出来るだけ避けて欲しいとのお願いをしていましたので、果たして最低限のハードルだけは越えることができたのかがずっと気になっていました。
先生のお話をお伺いできて、主治医の先生のご説明と訪問診療の先生の補完のご説明を改めて咀嚼反芻することができました。
先生のお話に照らして、他界する一週間前からの母の様子を振り返るといくつも腑に落ちるところがあります。
先生のお話で母が苦しまずに旅立って戴けた可能性がさらに有力となったものと得心することが出来ました。
何処からともなくやって来て誠に勝手な物言いなのですが、ご解説本当にありがとうございました。
心より厚く御礼申し上げます。
偶然にも友人が医師で…、やはり彼も毎日、勉強や経験を“続行”しています。私自身は、“文系”人間で、感情に流されやすいのですが…(大津先生のように)固定概念や先入観に囚われず、柔軟性のある考え方をしていきたいと思います。
譫(せん、たわごと)妄(もう、善悪の分別がかける)
か。
人の死をめとるのはそんなにないので、知らない世界でした。ありがとうございます。
看取ることも、看取られることも、人生においてはたくさんというわけではないですし、常にそのため迷ったりすることが当然ですものね。
いつも誠実に、教えてくださって、本等に、有り難う御座います.感謝いた;しておりますー大好きです〜
ありがとうございます!!
個人的に、とても興味のある情報です。有難うございます😀
先日、ドイツの緩和ケアについてのドキュメンタリー番組を観ました。在宅での看取りを希望されている方も多く、それをサポート出来るスタッフや色々なセラピーが紹介されていました。その番組の中で、ドイツは世界でもトップクラスを誇れるほど緩和医療は進んでいる、との事でした。日本でも、もっと理解が深まって、緩和医療の大切さが広く知られるようになる日が近く来る事を願っています🍀
ドイツは緩和ケアにおいて先進国ですよね。日本も20年前とは比較にならないほど進歩したので、おっと多くの方に知ってもらいたいと思っております。
感染症のせん妄と言えば、音楽の授業で習った魔笛という楽曲が頭をよぎりました。
授業を受けた時は、風邪を拗らせて高熱を出した子供が見た幻覚の話だと思っていました。
母は当日の朝に父にいつ来るか電話したあと、近所のおばちゃんたちに電話しまくってたそうです。
これもせん妄だったのでしょうね。
その後、意識がはっきりしなくなったとか。
鎮静剤は、そのまま息が止まる可能性や意識を取り戻す可能性を考えてギリギリまで使用しない、という方針でした。
ただ、苦しそうに見えた時にお医者さんの判断で鎮痛剤?鎮静剤?の注射してもらいました。
緩和ケアの先生には感謝しかありませんが、こういう事も説明して欲しかったなあ、聞けば良かったなあ、と少し後悔しています。
この動画を見た人は、動画の内容を頭の片隅において欲しいです。
こういう知識の有無で、その時の心構えが違うので。
経験談ありがとうございます。最終末期にはよくご家族と医療者間のコミュニケーションが図られることが大切ですね。もちろんなかなか思うようにはいかないものではありますが、そのような意識があるのとないのとでも違いますから、この動画がその促進のためにも役立つと良いと考えています。
先生のお話を聞いて姪を思い出しましたみんなで焼き肉を食べに行こうと話していたそうです最後は自宅で迎えました
みんなで焼き肉を食べに行こうと話されていたのですか。それがとてもお好きだったのでしょうかね。
こんにちは、私にはちょうど良い位の話すスピードですが、大勢の中にはゆっくり聞きたい人もいるでしょう、スピード調整が出来る案内をされると喜ばれると思います。貴重なお話、ありがとうございます。
高カルシウム血症のお話など、素人の上っ面な知識は危険ですね。勉強になります。
ありがとうございます!
妻は、先生に現在余命はと聞いても分かりませんねと、 催事の準備をと思い、一年前に3ヶ月と言われてあろゆる治療法を、して現在五月になりました。 朝は、咳吐き気タンが出にくいので😂辛いですが、夜は元気です😊 病院に入院したいと言っても無理だと言われています。
私の祖母は87歳で、せんもうはなく、「お世話になりました」と言って自宅で亡くなりました。
意識障害について重要な情報をありがとうございました😊
ありがとうございます😊!
病院で「痛いー、痛いー、助けてー、痛いー」と繰り返してる人を見た事があります。苦しそうな表情は無く 小さい声で機械みたいに単調に言い続けてました。あれはせん妄だったのですね。
今から20年前に実母を亡くしました。
余命宣告後の終末期にモルヒネの投与をされていたので、母にせん妄が起こっている事を理解。
山がボウボウ燃えていた。
ポポちゃん(私の娘の人形)が道を歩いていた。
など話してきました。
そんな事があったんだねぇ
なんて日々返しながら亡くなりました。
いい事なのか悪い事なのか解りませんでしたが、母の言葉を聞いてやりたかったので。
本当は緩和ケア専門のHPへ転院させたかったのですが、父の猛反対「治療を諦めるのか!!」と言う逆鱗に触れ何も出来ず。
余談ですが、あの当時2歳だった娘が、自分の祖母をケアしてやりたかったが、出来なかった(飛び飛びに何となく記憶があるそうです)から、正看護師になり当時のHPへ入所する!を目標に大学で学んでいます。
きっと母は、喜んでくれてるかな?
緩和いんちょーさん、こんばんは。
高カルシウム血漿についてはある程度知識がありましたが(以前VDのコメントで触れた気も?)いくつか解りにくい点があっかのが繋がりました!ありがとうございます(^_^)
そういえば、だいぶ昔に父親を何かの病気で亡くしていますが、あとに"暴れたことがある"と聞きました。今思えばせん妄だったのかもしれません。
私の記憶には、急に手を握られて"お前の手はいつも冷たいな"と言われました。
父親の手は温かく、私の手はいつも氷のように冷たいのは事実なので、その時は話としては(内容は)普通でしたが、元々あまりそういうことをする人ではないと思っていたので意外でした。
次に会った時は既に意識はなく、あれが最後になりましたね。
その頃は私も知識がありませんでしたし、他の家族も当時の私より知らないだろうなと、父親が亡くなった時の話を聞いていてそう思います。
そう言う私もジャンルに偏った病理と薬のことしかわからないのでまだまだですが。
院長先生の動画でこれからまた少しずつ勉強していけると良いなと思っています。
いつもありがとうございます。 「お前の手はいつも冷たいな」という言葉は重みのある言葉ですね。お二人の重ねた時間がそこにこもっているような印象を受けました。それぞれの別れがありますね。
Excellent video ! Thank you !!
It's all my pleasure.
もう大分昔ですが、ある晩祖母が亡くなる夢を見ました。朝食時に祖母を心配してその話をすると母も曾祖父母や亡き親戚の方々が紋付の正装で祖母を中心にして宴席を持っている夢を見たとのことでした。その話の途中で田舎から祖母が亡くなったとの電話をもらいました。
その母は、レビー小体型認知症のせいもあったかもしれませんが、亡くなる1年ほど前から祖母と亡き母の姉の姿が頻繁に見えていたようです。
まるで予知夢ですね。世の中には不思議なことが様々にありますね。
@@kanwa 第六感というものなのでしょうか?普段は夢を覚えていることはありませんが、何か重大なことが起きる時だけ、正夢を見ます。
このような大事を、医師に徹底できたらいいですね。、、、68歳オバサンより。
せん妄?限り有る時間を、大切にしたいね😢
大切ですね。
最善を望みながら最悪に備える!
あらゆる事柄に通ずる言葉m(__)m
せん妄に対してよくクエチアピンやオランザピンが使われますが、抗コリン作用による弊害は多いのでしょうか?
特にオランザピンは末端に3級アミンが付いているのでクエチアピンよりも抗コリン作用は強く出るのではないかと思いますが。
薬によりそれぞれ特性は異なりますよね。そこらへんも加味して専門家は薬剤の調整を行います😊
まさに祖母が亡くなる前、身の置き所のない状態でな痛そうな辛い顔をして、痛いの?ときくとうんうん、うんうん、と頷くだけの状態になっていました。
看護師さんにと伝えても身の置き所のない状態なんだと思いますと言われて、痛いって言ってるのに違うの?とモヤモヤしていましたが、先生の動画を拝見して、あぁあれがせん妄状態だったんだなあと理解出来ました。
これからまたそういう時が来た時、先生の動画を思い出して最期の時間をより良く過ごせるように努めたいです。ありがとうございました。
亡くなる数日前に瞼を閉じることができず仮死状態なにりますね、その時、本人は意識があるのでしょうか?呼びかけに対し聞いてるのでしょうか?
意識は混濁していますね。呼びかけは聞こえていることもあると存じます。
医療が進んでもなかなかなくなるようにはできないんでしょうかね。
皆さん、こんにちは。先日、人が亡くなってゆく際の変化を、特に身体の状態を中心にご説明しました。
ruclips.net/video/knTE2L2eDKI/видео.html
この過程を知っておくことは、ご本人はもちろん、周囲でその方を支えるご家族にとっても役立つと存じます。今日は、精神を中心とした変化について3つポイントを述べました。皆が穏やかに生を全うできる時代がさらに深まることを願ってやみません。
まずはこの禍を脱することですね。引き続き予防と体調管理に努め、この状況を乗り切って参りましょう。
皆さんも、せん妄やお迎え体験、ほか今回の動画で取り上げたような状態をみた経験があればぜひコメント欄でお寄せください。
田舎には、緩和の先生がなかなかいないですね。
そのため、遠方の相談に乗る私の行っているような外来もあります。
@@kanwa
正直羨ましい限りです。こちらはそう言う先生は、町内で一人だけで、往診を頼むと、長時間待ちだそうです。
うちの親父は部屋に黒い人が何人も入って来たと言ってたそうです。
横から失礼します。
3年前 私の母が亡くなる日の明け方
窓の外を見ていたら背後に母の身内と思われる4体の黒い影が見えて その日の夕方 母が亡くなりました。
さらに 次の日の夜 キッチンに立っていたら腰の曲がった祖母らしき女性の黒い影が背後に見えて温かくなりました。
寺と病院 両方に勤めていたことがありますが 寺より病院の方が 霊らしきものを多く目撃します。
勤めていた病院の患者さんが亡くなられた日の夜(その日は私は休日でしたが)家のキッチンに立っていたらフワッとその患者さんの匂いがしました。挨拶に来てくれたのだなと 悲しいような嬉しいような
でも
苦しみから解放されて良かったなというような ありがとうございますという気持ちになりました。
ご冥福をお祈りします。
昏睡との違いはどんなですか
昏睡は声をかけても反応はありません。せん妄は声をかけて反応はありますが、疎通性がよくありません。例えばしっかりとした会話が成立しなかったりなどです。昏睡だと会話はできません。そのような違いがありますね。
母親が高カルシウム値なのでゼリーの処方箋が出ていた。美味しいと食べていたから甘いのだろうね。母親の美味しいと言うのは甘さで判断しているからね。それとその蓋が硬くて指先で開けるのが一苦労していた、そのお陰で握力が強かった。
握力が強かったのですね!
せん妄は、医療用麻薬のせいだと思ってました。だけど
終末の数週間になった場合このようにせん妄によって
痛いと伝えてるのか又は本当に痛いのかとか医師の方々
は判断がわからず医療用麻薬や鎮静をかけたりとかに
なりそうで不安です・・・
そのためこその「緩和ケアのできる医師に診てもらうこと」であり、私などが行っている「早期からの緩和ケア相談」が大切になりますね。
@@kanwa 本当にその通りだと
思います。唯、素人的に考えると仰る様に初期のころから例えば大津先生の所で
相談させて頂いていたとして、現実強い鎮痛が必要になる位になった場合、入院してる
病院と個別に受診してる緩和専門医師の場所が違うとなると物理的にどの様に指示が
入ったり現時点での当該者の容態とか見られなかったりの中での投薬の指示とかって
なるのかな・・・とか既に自分で受診できるわけではない時とか・・・どうなるのか
不安はあります。
母が亡くなる1ヶ月くらい前に急に両腕が紫色の斑点が全体的に出ていた。それを見た時、病院の看護師や介護士が虐待しているんじゃないかと疑ったけど、世話になっているから余計なことを聞いて一段と虐待が激しくなってもいけないと思って聞かなかった。家族からしたら、人質に取られている感じだった。
譫妄