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ふと目覚めると真夜中の運転停車。全くの無音状態から突然ガタン!と動き出す。そして独特の間合いの客車のジョイント音が高まってゆく....。本当に至福の空間でしたね。
Aoki S.様、こんにちは。「北斗星」に続いて、コメントありがとうございます。「北斗星」もそうですが、「あけぼの」も客車ならではの独特の音と揺れ。特に雪の日は音が雪に掻き消されて、静けさの中でゆっくりと動き出すあの瞬間がたまりませんでしたね。
母の実家が青森で、私が小さい頃、帰省の時に583系はくつるの下段に乗りました。月明りが妙に明るくて、一睡もせずに景色を見てました。大人になって、経済的に余裕が出来たらもう一度!と思いを馳せつつ、気づいたら583系どころか上野発の寝台列車は全てなくなっていました。上野発寝台特急の旅、その車窓撮影、永遠に叶わぬ夢となってしまいました…。
にゆコマ車掌 箱葉電鉄chさん、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。お母さまのご実家が青森、帰省で583のはくつる。懐かしいですね。僕も、子供の時に父の実家の新潟へ20系の天の川で帰省したのが寝台列車デビューでした。「大人になってお金と時間が自由になってから寝台に乗りまくる!」と思っていたのですが、にゆコマ車掌さん同様、私も時間とお金が自由になった時には既に遅し。ほとんどの夜行列車が消えていました。
まだ小学生だったころ、1度だけ「あけぼの」に乗ったことがあります。急に決まった旅行でキャンセル待ちでしたが、直前にシングルデラックスのキャンセルが出て、父親と2人で乗ることが出来ました。もう引退してしまった「あけぼの」。あの時キャンセルが出て本当に良かったです。幸せな時間でした。
そうですか、そうですか。それは本当に良かった!日頃の行いが良かったのかもしれませんね😊今では寝台列車に乗りたくても、乗れませんから、お父様との寝台列車の思い出。一生の思い出になったことでしょう。
小学生時代、毎年冬に寝台特急あけぼのに乗って秋田の祖父母の家に遊びに行っていたのを思い出し、懐かしく感じます。列車のアナウンス、車内の匂い、線路のガタガタ音、夜の灯り、真っ暗な日本海から聞こえる波音、雪化粧風景…祖父母に会いに行くのにワクワクしていたあの頃の気持ちがよみがえり、涙がでます。動画投稿ありがとうございます。
カワイ三世さん、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。私も年をとって、どうも涙もろくなり、コメントを読んでるだけで、こちらももらい泣きしそうです。「あけぼの」のコメントは、圧倒的に秋田エリアに関連する方のコメントが多く、秋田で愛された列車なのだなぁ…とつくづく思います。夜行列車の独特の雰囲気、音、闇夜の合間に見える家や街の灯、海の白波と夜明けの静けさ…全部、夜行列車ならではの旅情ですよね。
あけぼのは青森行きでしたが、青函対応という意味合いよりは、鳥海を統合して秋田地区の旅客輸送に重きをおいていた列車でした故に停車駅がこまめで、秋田青森の始発特急としての役割も担っていましたほんとに特急?なんて揶揄されたこともありましたが、新幹線開業後も、残った寝台特急だったのは、そのためですね☺️
私は今学生で、寝台列車に乗った事は一度もありませんが、上野駅の「寝台特急」という言葉を聞くととても懐かしい気持ちになります。土休日や繁忙期限定でいいので上野発の夜行列車を復活させて欲しいです。
大隈重信様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。今は学生さんですか。確かに、今の若い方は、「寝台特急」というものを乗ったことがない方も多い事でしょう。かつては、庶民の夜間移動の強い味方だった「寝台列車」。今は、「瑞風」や「四季島」のような、ブルジョアな観光寝台しかありませんからね。時代の進化と共に、物事は普通、どんどん良くなっていくものですが、鉄道旅行の旅情という点においては、逆に失われた物の方が多いように思います。
運行開始直後から良く乗りました。余裕のあるダイヤでしたので、冬でもあまり遅れなかったので、助かりました。もう半世紀前になってしまいました。
musashiねこさん、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。運行開始直後からですか。これはなんとも羨ましい…。僕は列車に乗る事が好きですが、列車そのものについてはあまり詳しくないので、早速「あけぼの」の歴史を調べてみたら、運行開始って1970年だったのですね。確かに半世紀が経ちました。僕の年齢とほぼ一緒です。そう考えると、感慨深いものがあります。
寝る前に再生開始するとリアルな旅が堪能できます
マフィ三郎さん、おはようございます!コメントありがとうございます。寝る前にスタートして、寝ながら(聞きながら)お楽しみ頂けるのが、寝台列車の車窓動画の一番の楽しみ方だと思います。本当にありがとうございます。是非、また見に来て下さいね。
@@syaso かなり種類もあるので見させていただきます。通過駅ごとに実際の時間が書かれてるので寝る時間に合わせてそこからスタートできるのが良いですね。チャンネル登録しました!
母親の実家が弘前で、夏休み、年末年始は毎年寝台列車で帰ってました。やはり奥羽本線のあけぼのが1番利用してました。他にもゆうづる、はくつるも少し遠回りして利用してました。子供ながら、毎回ほとんど寝ずに車窓を眺めてましたね。通路側の折りたたみの座席に座りながら見るのが好きでした。子供の頃を思い出して、なんとも言えない気持ちになります。本当に貴重な映像、ありがとうございました。
エネル先輩様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。お母様のご実家が「弘前」でしたか。「ゆうづる」や「はくつる」も、まだまだ現役の頃は、色々な方法で弘前に行く事ができましたね。私の父は実家が新潟だったので、弘前よりは全然近かったのですが、やはり、初めて小学生の時に乗った寝台急行「天の川」では、嬉しくて眠れなくて、一人で朝までほとんど起きて車窓を眺めていました。夜行列車から眺める車窓っていいですよね😊
夜行列車の単調な車窓を不眠不休で記録し続ける事が、当時どれほど奇特な行動であったことか。自分もそんな記録を残す事を夢には見たけれど、まさか本当にやってた御仁がいらっしゃったとは。
yoshikuni4245さん、コメントありがとうございます。まさに奇特だったかもしれませんね。子供の頃から寝台列車に憧れ、「お金と時間が自由にできる大人なったら寝台列車に乗りたい!」と思っていました。そして、夢が叶い始めたころ、世の中の寝台列車は、ほとんどなくなっていました。これはやばい…もしかしたら全廃するかも…」と思い、世の中から寝台列車がなくなっても、家で寝台列車気分を味わうためには自分で記録するしかないと思いやりはじめたわけです。次の夢は、定年退職後に家の中に寝台列車を再現する事です。開放2段のB寝台を再現して、窓の部分にモニターを設置し、自分の撮影した動画を流して、本格的に寝台列車を楽しむことを夢見ています。
自分は撮影とかはしてませんが、寝ずに窓を見ているという「奇特」なことをしてました。時刻表では通過マークなのに停車する駅が、ホームの照明が煌々と点いており、とても眩しかった記憶があります。特に真夜中の仙台駅は眩しかったぁ。
父が秋田県出身で小さい頃からお世話になり、大好きなブルートレインです!鉄道グッズが発売されてると、必ずあけぼののグッズは買ってしまいます…!途中日本海が一望出来るあの風景がもう一度見たかった。大好きな電車です!あのきれいな青い車体、シートのデザイン…想い出が蘇ります。あけぼの廃止が決まった時は悲しくて悲しくて…泣いたのを思い出しました。
岡田あゆみ様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。お父様が秋田の御出身なのですね。「あけぼの」は、青森行なのですが、ここでコメントを下さる方の大半が秋田に関係する方なので、やはり秋田と縁の深い列車なのだなぁ…と改めて思いました。「あけぼの」は、ブルートレインが全盛期の時は、どちらかというと地味な存在でしたが、結果的にはブルートレインの中でも最後まで残った列車でした。僕も何度も利用させてもらった思い出深い列車です。
寝台車で眠れない時にふと車窓を眺めたことを思い出しました。素晴らしい動画です。またこういう経験をしたいものです。
康雄 筒井さん、コメントありがとうございます。寝台車でも眠れない時もありましたよね。上越線経由の夜行だと、高崎あたりから浅い眠りに入って、「寝るかな…どうかな…」って時に、水上に運転停車。窓を見たら静かなホームに深々と雪が降り注いでいて、なんかもの悲しさみたいなのを感じた記憶があります。
20年以上前の10月末に青森行のあけぼのに乗った時の事、夜中に目を覚まして窓の外を見たら笹川流れの辺りを走行していて、海の低い位置に満月があり、月あかりがまるで月へと続く海上の道のようになっていて、とても綺麗でした。再び見てみようと何回か乗りましたが見る事は出来ずにあけぼのも引退してしまいました。 とても良い思い出です、動画のアップありがとうございました。
ゴッドハンドさん、コメントありがとうございます。こんばんは。そうそう、そうなんですよ。笹川流れ。昼間の「いなほ」で見るのとは一味も二味も違うんですよね。夜行列車の明け方に見る「笹川流れ」。同じ景色も、昼間と夜行列車では全然違う。味わいが違う。この感覚、もう二度と味わうことができないなんて、切ないですね。
修学旅行やライブの時よく乗ってたなぁ。一列に横並びのタイプと向かい合うボックスタイプがあった記憶。窓から見える景色が刺激的で、すごくワクワクして好きだった。また乗りたいな。
蒼様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。修学旅行やライブで利用されたということで、きっと楽しい思い出の1ページに、この「あけぼの」も刻まれているのでしょうね。横1列がA寝台、ボックスタイプがB寝台ですね。「あけぼの」は、最後まで伝統的な客車ブルートレインとして活躍しました。いい列車でした😊
一番愛用した寝台特急があけぼのでした。見る景色全てが懐かしいです。
KuroNosukeくろのすけ音鐵•車窓chさん、コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。「あけぼの」、何回も利用されたのですね。「あけぼの」は、「北斗星」や「カシオペア」のような華やかさはなかったですけど、元祖ブルートレイン的な感じで、それはそれで良かった。僕も、東北や北海道への撮影には何回も利用しました。本当に便利な列車でした。
@@syaso さん さん東北日本海側へ行くのに便利な列車でしたし、東北方面のフリーきっぷであけぼのが乗れたのも大きかったです。実用的で地域密着型な昔ながらの夜行列車でもあったので、いい意味で人間臭さがありました。
@@kuronosukech6163 返信ありがとうございます。地域密着型夜行。なるほど、なるほど。その表現がありましたか。わかりやすい。そして実用的。私の旅にも実用的でした。まさに、青森・函館フリーきっぷなんかは、Bソロ使えましたからね。僕も何度かフリーきっぷでお世話になりました。
中学時代、父が青森に単身赴任していたことがきっかけで東北に目が向くようになり、あけぼのにも何回か乗りました。指定席券で乗れるゴロンとシートやダイヤも便利でしたし。旅に特別な意味を添えてくれる、そんな列車だったように思います。
Kono Akihiro様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。お父様の青森単身赴任がきっかけで「あけぼの」に乗ることがあったのですね。「あけぼの」は、指定券で乗れる「ゴロンとシート」がありましたから、便利でしたね。確かに、ダイヤも便利で、北海道へ行く時にも「あけぼの」を利用することが何回かありました。
大雪のために羽後本荘で運転取り止めになって、任意で秋田まで振替のバスに乗車。秋田に着いたら、結局復活した あけぼの が追いついてきて、秋田〜青森まで乗車した事がありました。思い出しながら、夜寝る時に聞いています!
yoshu1982様、明けましておめでとうございます。コメントを下さりありがとうございます!それは、また、珍しいパターンですね。ちょっと残念なような、それでいて貴重な体験のような…まぁ、印象的な思い出になったことは間違いないですね😊
親父の実家が小出に在り、新清水トンネル開通以前の(旧)清水トンネルを電車(各駅停車)で通った記憶が在ります。ループトンネルを身体で感じ、それに続く長い(当時日本一の)清水トンネル(約9km)を10分以上(?)掛けて通り抜けていた気がします。この動画では、特急とは言え、更に4割以上長い約13kmの新清水トンネルを10分程(2:48'40"~2:58'45"?)で走り抜けているのが、印象的でした。 また、動画では通過が深夜で景色は判り辛かったものの、〇十年前の昼間の冬景色を何となく思い出しながら、拝観しました😅
岡部不二男様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。私の父の実家は、その先の三条でした。子供の頃は帰省の際に、上越線の「とき」や「佐渡」で、何度も清水トンネル・新清水トンネルを通過しました。流石に、旧トンネル時代は経験がありません。川端康成の「雪国」のように、トンネルを抜けると、一気に雪景色になる冬の上越線は感動的です。トンネルの中の轟音から抜け出し、雪の音に走行音が掻き消されていく、あの感覚が心地よいです。
あ、御免なさい、(旧)と書いたのは、新清水トンネルに対しての『旧』で、『清水トンネル』の事でした🙇♀そういえば当時、越後中里の駅は柵がしっかりしてなかった様で、改札を通らず、直接駅前のゲレンデに出ていく客も見掛けましたね😱😅
改めて拝見しました。明け方の残り雪の中を疾走する音を聞いてるだけで涙が止まりません😢ブルートレインは自分の印象としてはとにかくなんとも言えず色っぽい?のです。艶やかというかなんというか...。幼心からそんなイメージを抱き続けておりました😆
piropi様、おはようございます。コメントありがとうございます!北国に向かう寝台列車の夜明けの雪景色というのは格別なものがあります。確かに、ブルートレインには「艶」があるというイメージ、私にもわかります。それを上手く表現することはできないのですが、感覚的なものなのですよね。静かな美しさみたいな…。
一回乗りたかったルートの寝台特急。
ザギンでシースーさん、コメントありがとうございます。私が車窓動画を撮影しはじめた時には「あけぼの」は、高崎・上越・羽越・奥羽線経由でしたが、かつては東北・奥羽、中には陸羽東線経由なんかもあったので、その頃に乗っておきたかったです。でも、そのころの私は学生でお金もなかったですけど。
初見です。自分は東北、陸羽東線、奥羽と秋田に乗車した事がありますが確かに日本海側周りの時の『あけぼの』にも乗車してみたかったです。記念です。ありがとうございます。
上野⇔青森 だと ゆうづる、はつかりが メインで 利用。あけぼのには 何故か乗る機会がありませんでした。(昭和48~56年頃)
夜明けのヴァンさん、コメントありがとうございます。おはようございます。そうですか、そうですか。昭和48年から56年頃と言えば、まだまだ東北や常磐の筋は活気のあった頃ですよね。上野から青森、青森から上野となれば、当時は夜はゆうづる・はくつる、昼ははつかりを利用する人が多かったことでしょう。中には「みちのく」なんていう選択肢も。ここでのコメントで秋田の方が割と多いので、あけぼのは、秋田で割と需要があったのかな?と推察しますね。
奥羽本線経由ではないやつなんですね。35年前に福島〜山形の峠越え乗りました。
ステファノス様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうなんですよ。振り返れば、「あけぼの」は、新幹線の工事などで、ルート変更を余儀なくされ、陸羽東線経由時代を経て、上越線経由へと。奥羽線経由時代が、一番、「あけぼの」が華やかだった時代に思います。
小学生の時、田舎の大曲へ行くのにあけぼのに乗せてくれた両親。20系を背景に今は亡き親父とピースサインをした私が映った写真が今は宝物。自分も親父になり娘たちにカシオペア、北斗星を経験させた。多分、一生の思い出になっているはず。
こじろうたくんさん、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。20系時代。いい時代です。僕も小学生の時にはまだ20系が現役でした。あまり鉄道に興味のない女の子でも、寝台列車は楽しいみたいですね。カシオペアも北斗星も、きっとお父様との素敵な思い出になってますね。
@@syaso ご返信ありがとうございます。女の子の場合、男と違って車窓を見て感慨にふけるというより部屋で食べる弁当やお菓子の方に興味があるみたいでしたww。来月、銀婚式の祝いでサンライズ出雲の乗車を計画中。妻からは私のイビキがうるさいからツインではなくシングル2部屋にしてと言われていますw。
乗りたいと思っていた列車の一つでした。寝台列車は非日常の世界だと思います。時計を見ない時間を気にしない旅や、夜中に目が覚めた時にどこを走っているのか気になったり通過駅の駅名標を見るのが凄い楽しみでした。飲食物を事前に準備するのは仕方ないですが、それもまた寝台列車の楽しみの一つではないかと。
まーくん様、引き続きコメントありがとうございます!そうですね、そうですね。まさに「非日常」の世界を感じる事ができるのが寝台列車でした。僕が子供の頃は、富士、はやぶさ、さくらなど、名立たる寝台列車には食堂車も連結されていて、非日常感が更にパワーアップしていたのではないでしょうか?寝台のセットや解体など、ちょっとした「ショー」みたいなのもありましたし。残念ながら、僕がこうしてビデオ片手に撮影するようになった頃にはブルートレインも末期で、老体に鞭打ちながら走っているような状態でしたが、それでもブルーに身を包んだ車体が駅のホームにゆっくりと入ってくると、もうそれだけで興奮したものです。こういった鉄道の旅の魅力がどんどん失われてしまって、だんだんと鉄道の旅も、鉄道そのものも無機質で深みの無いものになってきたような気がします。
客車は高崎の方などでも乗ることができるけど高速で快走していく姿はもう拝めないと考えると寂しいですが時々この動画を見てその気分を味わっています。幼き頃にお見送りで終わった車両にもう一度このような形で乗車できて本当に感謝です。
はむかえ様、おはようございます。コメントありがとうございます!加えて、いつもご覧頂き、ありがとうございます😊
今夜はあけぼのを見て寝ます🤗
金田卓也様、こんにちは。いつもコメント、ご視聴ありがとうございます!金田さんは、やっぱり北へ向かう列車が好きですね!
この寝台列車見てると、全く用事無いのに青森に行きたくなります😅
PANさん、おはようございます。コメントありがとうございます。笑っちゃいました!すみません。確かに、寝台列車で青森に行きたい!特に雪のシーズンはいいなぁ…
アップされた日から毎日少しずつ見てまして、今日青森に到着しました。秋田県北部住みで、東京に帰省するためにあけぼのを利用(上りだけ)した事があります。動画を拝見し、乗った時の思い出が蘇ってきました。とてもいい動画をアップしていただきありがとうございました😊
ミーヤンさん。こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。毎日少しづつ…。いやぁ~嬉しいです。本当にありがとうございます。ミーヤンさんも秋田ですか。ここでのコメントは、本当に秋田の方が多いですね。つくづく秋田の方に愛された列車だったのだと思い知らされます。秋田の方々の色々な思いを乗せて「あけぼの」は走り続けたのですね。
両親の実家が青森だったので、夏休みは上野から青森行きの寝台列車に乗って行ってました。自分の定番は、583系のゆうづる号でした。当時のあけぼの号は福島までは東北本線を通り、福島から奥羽本線で山形・新庄を経由してました。さらに青森行きと秋田行きの2パターンありましたね。その後、陸羽東線やら北上線を経由したりと経路は転々として、最終的に日本海側回りとなり、ゆうづるやはくつるを差し置いて、最後まで残った青森行きの寝台特急でした。
ま様、おはようございます。コメントありがとうございます!以前、「ムーンライト高知」にもコメントを頂き、ありがとうございました!私が小学生の頃は、まだまだ「ゆうづる」「はくつる」が東北方面の花型寝台特急で、特に「ゆうづる」は本数も多く、まさか廃止になるとは思いもしませんでした。一方、「あけぼの」は、名脇役とでも言いましょうか、どちらかと言うと地味な存在ではあったものの、20系客車を使った最後の寝台特急として、いぶし銀の走りを最後まで見せつけました。そんな、どちらかというと地味な「あけぼの」が、花形列車達を尻目に、紆余曲折を経て、最後まで生き残ったのですから、人生と一緒で、何が起こるかわかりませんね😊
亡くなった母親との思い出の寝台列車です。田舎に帰るときにも使いました。あの頃を思い出します。ありがとうございます(ノД`)
カツオ風味のさん、コメントありがとうございます。おはようございます。そうですか、そうですか。お亡くなりになったお母様との思い出の列車。なんか、少し涙がでてきそうです。僕の母はもうすぐ90で健在ですが、僕がそもそも鉄道に乗るのが好きになったきっかは、母の影響でした。まだまだちっちゃかった僕を連れて隣町まで買い物に行く度に電車を利用していたことで、僕は鉄道好きになったようです。なので、今もその路線の車窓を見ると、母に連れられて電車に乗り、車窓を眺めながら買い物に行った子供の頃を思い出します。
東京行った時に往復あけぼのにお世話になりました。素敵な動画有難うございます!
まさる1966さん、コメントありがとうございます。こちらこそご視聴ありがとうございます。東京に行った時…ということは、東北の方なのでしょうかね。新幹線がいくら速かったしても、夜のうちに移動できる寝台列車の方が旅行にもビジネスにも便利でしたし、旅情があったと感じます。
子供の頃よく祖父母の家に遊びに行く時、新幹線ではなく、必ずあけぼのを利用していました!少年時代の記憶が蘇る最高の動画をありがとうございます😊
a muusan様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。と、いう事は、恐らく秋田ですかね?新幹線は確かに便利で速い。4時間弱で東京から秋田まで行けます。一方「あけぼの」では、2倍以上の10時間!時間は2倍以上かかりますが、旅情と旅の楽しさは10倍以上あるように思います。
高崎線沿線に住んでいるので、夜の下り列車、朝の上り列車を見かけました。早朝に犬の散歩をしていると、「あけぼの」「鳥海」「北陸」「能登」など、上りの夜行列車がたくさん走っていて楽しかったことを思い出します。特に冬は雪で真っ白になった列車。旅情を感じたものです。
逆粉舎矢太郎さん、コメントありがとうございます。高崎線沿線ですか。そうですか、そうですか。早朝の犬の散歩と行き交う列車…目に浮かびます。高崎線もかつては本当に優等列車街道で、物凄い数の列車が走っていましたよね。逆粉舎矢太郎さんのお歳がわからないので、私の話はとても古臭い話になるかもしれませんが、信越本線の横軽が廃線になる前とか、上越新幹線開業前は、本当にすごかったでしょうね。あけぼの、鳥海、北陸、能登はもちろん、夜行急行では天の川、越前、昼間はとき、佐渡、妙高、ゆけむり、信州、白山、あさま、そよかぜ…今とは全く違う風景を高崎線は見せていたでしょうね。冬の豪雪地帯を走り抜けてきた真っ白な雪をかぶった列車たち。上越国境からほど遠くない高崎線ならでは風景でしたでしょうね。
@@syaso さん返信ありがとうございます。私はアラフィフのおっさんですが、自宅の窓からも見えていました(200mくらい離れてますが)。あの頃は、こういう列車が全くなくなるとは思ってもみませんでしたね。なのでこのような動画で見られるのはとても嬉しいです。これからも、素敵な動画を楽しみにしています!
@@neishan 重ね重ねコメントありがとうございます。そうですか、そうですか。僕と同じジェネレーションで嬉しいです!まさに、高崎線が優等列車大街道時代を目の当たりにしていた世代ですよね。冬の小出スキーとか、石打スキーとかの客車急行、特急「新雪」なんかも走っていましたよね。いい時代だったなぁ。
幼い頃に数回乗ったことがありますが、列車の中は特別な空間でした。
はとや様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。幼い頃に数回乗車されましたか。寝台列車は、やはり、幼心にも強く印象に残るものですよね。だからこそ、特別な空間だったのだと思います。僕も初めて乗った寝台列車は、もう40年も前ですが、その時にことは今も忘れずに覚えています。
このゆっくりと駅を出て車輪とレールを擦る音とどんどん加速していく感じが旅の始まりの感じで好き
昭和が大好きな男さん、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですね、そうですね。客車ならではの感覚。旅情を感じさせます。駅に到着してしばらくしてから、機関車からの波動で客車が少し下がる感じも好きです。
寝台列車の何とも言えない寂寥感が好きで、往時を思い出しながら寝床で流してます…
no name様、おはようございます。コメントありがとうございます!わかります、その寂寥感という感じ。寝台列車ならではの感じですよね。
こんなチャンネルがあるとは知らなかった!環境音だけだと乗車している気分になれます♪小学生の時は東海道線の沿線に住んでいたので、ブルートレインは身近に感じていました。この夜行列車も 8:54:23 で並走している夜行バスに置き換わったことで役目を終えたんでしょうね。
Rin様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。そうおっしゃって頂けて、とても嬉しいです。ありがとうございます!しかも、並走するバスのタイムスタンプをありがとうございます。私自身、気づいていませんでした。まさか、こんなところで、夜行バスと並走していたとは…
あけぼの昔1990年代に乗った事あるのですが、確かその頃は高崎線周りではなく仙台までは東北本線走っていたかと思ったのですが。
Nobuyuki Suzukiさん、コメントありがとうございます。まさに、おっしゃる通り。東北線経由でした。僕の中の「あけぼの」も、そっちのイメージが強かったです。ですが、私が時間もお金もある程度自由にできて車窓撮影をはじめた時には、既に高崎・上越・羽越・奥羽線経由となっておりました。むしろ、私は東北・奥羽や、陸羽東線経由時代に乗りたかった…
これはEF81が上野-青森間通し牽引していた時代ですね。結構短命でしたが平坦線や電源切替区間走るのに得意とするEF81は勾配区間が続く上越線とは相性悪く、すぐにこの区間に強いEF64-1000に替わりました
荒井健さん、コメントありがとうございます。そうなんです。EF81が全線に渡り牽引していた時代です。ところで、車窓が趣味の私は、機関車の事とか、車両とかには全く詳しくないので勉強になりました。そうなんですね。EF64-1000は、勾配に強い機関車だったのですね。やはりEF64の0番台よりも1000番台はだいぶパワーアップしているのでしょうかね。個人的にはEF64の0番台が急行の客車とか引いてる姿が好きだったので、側面に窓の付いた1000番台が世に出た時にはちょっと違和感を感じたものです。見た目はEF81の方がゴツいように感じますが、EF64-1000って見た目と違って意外と力持ちなんですね。ありがとうございました。
上野口から81牽引があったのですね
@@塩島聖一 乗る事ばかりが好きな私は牽引機にあまり関心がなかったのですが、皆さんからのコメントでEF81やEF64-1000を調べるきっかけになって、勉強になりました。機関車も面白いですね。
更に前はEF65でしたよ走破経路路線はもちろんこの動画と違いましたけど東京口の下枠交差のパンタでなく菱形パンタのEF65でしたけどね
もう冒頭のアナウンスからたまらん。
シトシトさん、おはようございます。コメントありがとうございます。寝台列車、夜行列車、長距離列車は、車内放送でワクワクしたものです。「旅の始まり」の高揚感は、始発のオルゴールとアナウンスから始まりますね。
長い動画を上げてくれてありがとう&お疲れ様でした!私は奥羽本線を走る列車の中で一番好きなのがこの「あけぼの」でした!ハイケンスのセレナーデが流れ始めてから一夜の旅が始まるのにワクワクしてよく眠れなかったことを覚えています!
Braver様、おはようございます。「お知らせ」にも、コメントありがとうございました。以前、「はやて」でもコメントを下さったので、青森とご縁があるのですかね。東北に向かう列車。中でも冬の「あけぼの」に乗ると、「津軽海峡冬景色」を思い出さずにはいられません。ハイケンスが流れ、車掌の長い車内放送がはじまる。ワクワクしながらも、いつの間に心地よい走行音と揺れが眠気を誘い、ふと目を覚ます頃には上越線の雪景色。旅情がギュッと詰まった寝台列車、それが「あけぼの」でした。
ただただ懐かしい涙小さい頃に上野から秋田まで一人で乗っていったなぁ結局寝ないで外見ながらうとうとしてた覚えがあります笑寝台列車がそれが最初で最後だったなぁ
まっちゃんさん、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。小さい時に上野から秋田まで一人で乗られたのですかね。それだけの長距離を一人で乗るって、それもなかなか凄いです。それが、最初で最後の寝台列車だったとしても、いい思い出になってますね。
みなさん、詳しくて凄い❗ただの電車好きなのですが、ホームのアナウンスからゾクゾクします。あー、来ました『あけぼの』💕では、これからゆっくり楽しみます。🚃💨🤭
佑樹さん、いつもコメントありがとうございます。駅の入線アナウンスとか、車内放送って旅情を掻き立てますよね。僕もただの電車好き、乗るのが好きってタイプなので、詳しい人のコメントから勉強させてもらってます!
18年程前、今の奥さんと学生時代の友人とツーペアでB寝台に乗り秋田乳頭温泉に行ったのは良い思い出です。夜、連結部のガチャガチャ音でなかなか熟睡は出来ませんでしたが、それも含めてブルートレインが大好きでした。音鉄という訳ではない私も車内放送の始まりのチャイムはそれだけでたまらないものがあります。
シトシトさん、おはようございます。先般もコメント頂きありがとうございます。そうですか、そうですか。今の奥さんと学生時代の友人と、ツーペアで。とても素敵な思い出ですね。B開放で楽しい旅行だったことでしょう。秋田の乳頭温泉。これもいいですね。僕も行って見たい温泉のひとつです。チャイム、車内放送…特に始発の車内放送は、ロマンがあってワクワクしたものです。
上野駅からずっとEF81が牽引していた時代があったのですね!僕はちょうど10年前くらい、たしか2012年ごろに一度、あけぼのを利用しましたが、その時は、上野駅からはEF64-1000が牽引、長岡だか新津の辺りで、EF81に付け替えていた記憶がございます。いずれにしても、普段の電車では味わえない、超深夜帯のホームや路線と言うのは、普通に見ることができない場所である分、ドキドキさせられるものがありましたね。寝台特急(ブルートレイン)が全廃され、夜行列車の定期便がサンライズエクスプレスのみとなってしまった昨今、北斗星やあけぼの、いわゆる『東北夜行』が懐かしくなってしまいました。
Japan Air 721 Heavyさん、おはようございます。コメントありがとうございます。ここでもコメントを下さった方がおっしゃっていましたが、上越線では勾配に強いEF64-1000の方が良かったのでしょうね。手間はかかるけど、手間かけてでも上越線内はEF64-1000が良かったのでしょう。かつては東北方面と言えば、ブルートレインや夜行列車は選びたい放題と言う時代がありましたよね。「ゆうづる」「はくつる」は客車と電車がありましたし、急行で「八甲田」「十和田」などもありました。加えて北海道へは「青函連絡船」もありました。かつての東北・北海道への旅行は、旅情とロマンに溢れる旅だったと思います。新幹線が開業してからも、北海道へは「北斗星」「カシオペア」など、魅力的な夜行列車が走っていましたが、結局は北海道新幹線の開業で全て廃止となってしまいました。現在、東北・北海道への直通で行く鉄道旅行は、新幹線一択という、とても味気ないものになってしまいましたね。
素晴らしい動画をありがとうございます。中学生の頃、碇ヶ関の今は亡き祖母の家へ遊びに行くのに必ずあけぼのを利用していました。北上するにつれだんだんと景色が銀世界に変わっていく様子と、この独特なアナウンスの声は今でも鮮明に覚えています。終わった後もなんだかんだ数年は臨時運行があるだろうと思い2014年は利用しなかったのですが、結局その翌年の運行があけぼのの最後になってしまいましたね… その後は夜行バスを利用するようになりましたが、やはり寝台特急のような旅情はありません。今や庶民が利用できる身近な寝台特急はサンライズ出雲くらいしか無いのが残念です。あけぼのは私の青春そのものでした。色んな感情が溢れて文が滅茶苦茶になってますが、改めて、車窓をアップしてくれてありがとうございました。
Dohg様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。胸の熱くなるようなコメントに感謝です。北へ向かう寝台列車。特に冬の「あけぼの」は旅情の塊でした。「あけぼの」で北に向かう時には、「上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中~」という、「津軽海峡・冬景色」の歌詞がいつも頭の中をよぎりました。どんなに時間的に優位な「飛行機」も、金銭的に優位な「高速バス」でも、「旅情」や「旅の楽しみ」そして「ワクワク感」という面においては寝台列車には敵いませんね。
寝台特急北斗星には乗りましたが寝台特急あけぼのには乗らなかったことにはもったいないことしたなと今になれば思います。映像として残してくれてありがとうございます。
フレイムオレンジさん、コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。でも、北斗星の方が距離も長いし、食堂車もあって、北斗星も良かったなぁ。北斗星って、色々な臨時があって、「北斗星ニセコスキー」・「北斗星トマムスキー」・「北斗星トマムサホロ」とか…この北斗星シリーズ、乗りたかったなぁ…。もうちょっと早く車窓撮影始めていたら良かったと後悔してます。
安眠用にさせていただいてます…。ありがとうございます…。
G A様、こんにちは。コメントありがとうございます!是非是非、安眠用にご活用下さい😊
@@syaso こういうのをずっと探してたんですよ…。それにしても良く撮ってましたね…。当時カメラもこんな長い時間録画できるメモリやSDも貴重でしょう…。
ありがとうございます。バカでかいカメラとバッテリー、それにカセットテープみたいなのに録画する時代でした😊
先月に東北新幹線で新青森に降りてから在来線で人生初の青森駅に向かいました。自分の目で見た本州の北側は『津軽海峡冬景色』より明るく美しい景色でした
不良将校さん、コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。初めての青森。夏の津軽海峡は、「津軽海峡冬景色」のイメージとは全く違うでしょうが、夏の津軽海峡も素敵です。
昔よく乗ってた、懐かしい😢
I nj655様、おはようございます。コメントを頂きありがとうございます!I nj655様は、よく乗っていたということは、秋田や青森に所縁があるのですかね?私は東北や北海道の撮影遠征で良く利用させてもらいました。とても便利な列車でした。
じいちゃんに乗せてもらったことがあります。初めての時楽しく眠れませんでした。寝て起きると景色が一変あれを忘れることはできません。
房総沖釣り師小玉様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。おじい様と乗車されましたか。特に東北に向かう冬の寝台列車は、朝、目覚めると、一面が雪景色ということもあり、感動したものです。
泣ける! 思い出列車です。
いも爺様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。ということは、東北のご出身でいらっしゃるのですかね。「あけぼの」にコメントを下さる方は、圧倒的に秋田に所縁の方が多く、ついで、青森、山形…みたいな感じですかね。奥羽本線は、かつては沢山の優等列車が走っていました。しかし今日では、ロングシートにステンレスといういでたちの通勤電車ばかりで、味気ない路線になってしまいました。
はじめまして、あけぼの懐かしいです13番ホームも 実家が秋田でしたからよく使ってました
バモバモさん、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。ご実家が秋田ですか。やはり「あけぼの」は秋田エリアの方々に人気の列車ですね。ここでのコメントも青森の方より、圧倒的に秋田の方が多いですよね。秋田の皆さんに親しまれた列車なのだぁ…と改めて思います。
懐かしい列車です。40年前後前秋田発奥羽本線、東北本線上野着の寝台特急ですね、よくnhkのゆく年くる年のなかで行き雪の線路を、走る中継を思い出します。
門脇さん、おはようございます。コメントありがとうございます。40年位前、「あけぼの」は、東北常磐経由の花形列車であった「ゆうづる」、「はくつる」に比べて本当に地味で、秋田エリアの地元に密着した地味な寝台列車だったようですね。でも、結局は地味であるが故に新幹線の開通からも逃れて、最後まで北東北への足として、地元に方に愛された列車だったようです。雪景色のとても似合う寝台列車でした。
僕は島根なのですが、34年前に仕事で茨城県に行くのに浜田市発東京行きのブルートレイン出雲号によく乗りました。今は出雲市発東京行きのサンライズ出雲が毎日走っていますよ!日本で唯一の寝台車なので末長く残して欲しいですね!
渋谷正樹様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。ブルートレイン時代の「出雲」。いいですね。ブルトレ時代の出雲。乗りたかったのですが、僕が撮影を始めた2007年には廃止になっていました。今はサンライズとなって、ブルトレとは姿形は違いますが、僕もサンライズは大好きです。1日でも長く走り続けて欲しいですね。
神奈川から秋田へ移住し、帰省する時にこの列車が無いことが悔やまれます。学生時代、乗る事はできずとも頑張って撮影旅行に行った大館駅舎も今は亡く、金曜の仕事帰りに余裕を持って旅をすることもこの頃より難しくなってしまいました。寂しいですね…
球面収差様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。神奈川から秋田へ移住されたのですか。私は生まれも育ちも東京ですが、仕事の関係で徳島に来て25年になります。確かに、夜行列車や寝台列車が走っていたときには、休みの日の前日から寝台列車を利用して遠方に出かけたものです。こういった夜行列車がなくなったことで、時刻表をめくって旅を計画する時の楽しみも半減したように思います。
懐かしい‼️😊帰省の時よく乗りました
金田さん、いつもコメントありがとうございます。おはようございます。そうですか、そうですか。帰省での利用とのことで。帰省の度に寝台列車を利用できるとは、羨ましい限りですね。
@@syaso さんお得なキップが、ありました‼️北斗星は対象外であけぼのは含まれていましたから
@@syaso さん今夜はこの映像見ます!2009年三月の帰省を思い出しながら🤗
主さん、お帰りなさい。そしてありがとうございます。あけぼのは未乗車で残念ですが、3段寝台時代の日本海乗車で終着青森駅にて連絡する連絡船は先着の あけぼの のお客さんと一緒だった記憶が あります。経由地は動画のあけぼのとは違ったかも知れませんが 三段寝台は狭かったなあ、なんて話を しながら広い連絡船の中で色々な話をしました。今回はその出会った人達の目線で 拝見しようかと思います。
まつよしさん、いつもありがとうございます。温かいお言葉にも感謝です。まつよしさん、コメント4時間前なので、真夜中ですかね。お疲れ様です。3段寝台、いい響きだなぁ。懐かしい!連絡船って響き、いいなぁ…。本当にいい。そうですか、そうですよね。東京からの客と、大阪からの客。東と西の人間が、青森でひとつになる。なんかいいですよね。3段寝台の、あの狭さ。あれが話のネタになって盛り上がる。いいじゃないですか。当時、2段B寝台なんて、ちょっと豪華な感じがしたものですよ。B個室なんてなかったですしね。僕は連絡船に乗ったことがないんですよ。なので連絡船に、いまでもすごい憧れがあります。連絡船の記念館で「飾り毛布」を見た時に、「これぞおもてなし!」って思いました。いやぁ~、乗りたかった連絡船!!
実際の時間に合わせて見てます‼️実際に旅気分です(☆∀☆)ありがとうございました‼️
加川さん、おはようございます!コメントありがとうございます。私が今コメントを返信させていただいているのが、AM5:38なので、間もなく象潟です。さすがに、もう寝てらっしゃいますかね。いつでもご乗車をお待ちしております。
今夜はあけぼのに乗車します😊
金田様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!昨夜は、「あけぼの」号へのご乗車ありがとうございます!
新幹線開通に伴い奥羽本線経由から上越、羽越、奥羽線に変更になったんよねあけぼの1号だと福島出た後、米沢山形新庄を通過してたがそれが見られなくなったのは残念
木田様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうそう、知らない間に運行経路が変更になっていました。ブルートレインが衰退期に入っていったときに、まさか「あけぼの」が最後の方まで残るとは思いもよりませんでした。奥羽本線を貫徹する「あけぼの」に乗る事は叶いませんでしたが、上野発着の東北方面への寝台列車として、最後まで良く頑張ってくれたと思います。
ブルトレ世代じゃないからブルトレの営業運転一度もはみたことはないけど、ブルトレに乗るとこう見えるんだな~と思いました。それにしてもブルトレ(特に東北方面)に乗ってみたかったのですがこの動画は景色だけでも見せてくれます。動画ありがとうございました。
満月さん、おはようございます。嬉しいコメントありがとうございます。そしてご視聴頂きありがとうございます。そうですか、そうですか。満月さんは、私よりはだいぶお若いのでしょうね。ブルトレという現物をみていないとイマイチ実感が湧かないでしょうが、そういう時代がありました。私は50歳を超えたおじさんですが、そんな私でも、もう少し早く生まれていれば良かったと思うのです。あと10年早く生まれていれば…。もっともっと乗りたかった列車が沢山あります。なので、今、60歳位の人が、一番「鉄道が楽しい時代」を過ごしてきたのではないかと思い、羨ましい限りでございます。
[忙しい人向け]1:00:002:00:003:00:004:00:005:00:006:00:007:00:008:00:009:00:0010:00:0011:00:0012:00:00
マルハチチャンネル様、おはようございます。コメントありがとうございます!「忙しい方向け」のタイムスタンプ、ありがとうございます!
秋田到着前放送でハイケンス鳴りましたが、車掌さんによっては鳴らさない時もありましたね
長谷川悠様、こんばんは。コメントを下さりありがとうございます。そうなんですよね。期待していて鳴らないと、ちょっと損した気分にもなります…😢
盛岡以北の東北線が三セク化され、『はくつる』が退役した後の青森方面への足は専ら『あけぼの』でした(下りは) 撮影遠征の足として利用していたので可能な限りBソロに乗車しておりました。
黒磯電機商会様、おはようございます。コメントありがとうございます。僕ももっぱら撮影遠征には「あけぼの」のBソロ使ってました。東北・北海道への撮影遠征には便利な列車だっただけに残念です。
時代の流れ故に致し方のないことですが新幹線の延長と高速化は「旅情」を一気に置き去りにした感がありますね。石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」の影響もあってか首都圏から北国へ向かう列車には、哀愁や望郷を感じずにはいられませんでした。
温泉たまご様、おはようございます。コメントありがとうございます!おっしゃる通りです。『旅情』という言葉は、在来線、特に「夜行列車」にこそ似合うフレーズ。当時、『あけぼの』に乗ると、「津軽海峡・冬景色」を心の中で歌ってしまう自分がいました😊
寝台特急『あけぼの』は一番利用回数が多かった寝台特急だったよ、東北地方の温泉巡りの旅をする時は本当に使い勝手が良かった。
渦潮 黒潮様、こんにちは。連投ありがとうございます!
逆ルートは別の方が上げていますが青森行きは初めて見ます。ほぼ新幹線に被らないルートで青森行きなら朝の日本海を見れるし残ってほしかったです。
真ほいみんさん、コメントありがとうございます。夏だと、日の出の時間に日本海側に出るので、景色が良くなるタイミングと起床のタイミングがぴったりで良かったのですがね。
秋田県小阪の「ブルートレインあけぼの」に宿泊しながら動画を拝見しています。家族全員で乗ることができた最初で最後の寝台特急があけぼのでした。(当時は臨時列車になってました)今は成人した息子たちがとても興奮していたのがつい先日のようです。小坂のあけぼの、当時の再現には凝りに凝ってます。さらにこの動画を見ていると保存車両なのに本当に動いているかのような錯覚に陥ります(^^;)))今夜は眠れそうにありません。
TAKAO NISHIKAWA様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。小坂の「ブルートレインあけぼの」に宿泊されましたか。コロナで営業を停止していて、車両の痛みも激しく、クラファンで寄付を募って、再開にこぎつけたとニュースで見ました。いや~、良かった、良かった。本当に良かった。私の動画で、疑似乗車体験をして頂けたのなら、尚の事良かったです😊
新青森駅開業して後、上野から、B寝台個室に乗りました❗青森から鳥海のA寝台下段に乗ったり、新庄から陸羽東線経由のあけぼのに乗った事が有ります‼️
カズ様、「北斗星」に続いて、引き続きコメントありがとうございます!そうですか、そうですか。「北斗星」だけでなく、「あけぼの」や「鳥海」も乗車されましたか。なかなかの強者ですね。しかも、陸羽東線経由の「あけぼの」とは、これは羨ましい限りです!!
7:51:20〜辺りなどで空に見える光は、月(満月?)でしょうか?水面に反射していますね。夜でも薄っすらと雪景色を感じられるのはそうだからかな。秋田港駅に留め置かれている、あけぼので使われていた車両などがそろそろお別れなのだというニュース記事を見ました。動画のコメントを読んでわかりましたが、この列車は多くの人たちの思い出に残っているのだなあと。寂しいと思う人は少なくないはずです。
toribariさん、おはようございます。いつもご視聴とコメントありがとうございます。満月カレンダーで確認したら、この日は確かに満月でした。7:51:20~の風景は、水面に反射していて幻想的な風景です。「あけぼの」は、秋田の人たちに愛された列車だったようで、本当に沢山の方からコメントを頂きました。こういう列車が、もう2度と走ることがないのだと思うと切ない気持ちになります。
上越線もEF81の頃だあ!懐かしい!
トン茶ァ!さん、おはようございます。コメントありがとうございます。私はもっぱら乗ることが趣味の人間なので、あまり牽引機について関心がなかったのですが、荒井さんもEF81にコメントされていたので気になって調べたら、この撮影から1年後の2009年3月ダイヤ改正で勾配に強いEF64-1000が上野から長岡を担当するようになったようですね。どっちの機関車であっても私は国鉄っぽさが好きです。
素晴らしい!最高のasmrですね
drviossy様、おはようございます。コメントありがとうございます!いやぁ~、恥ずかしながら「asmr」とは、何ぞや?ということで、調べました。間違っていたら、恥の上塗りとなってしまいますが、私が調べた感じでは、Autonomous Sensory Meridian Responseの略で、「自律感覚絶頂反応」ということでよろしいのでしょうか?簡単に言えば、「視覚や聴覚への刺激によって、ゾクゾクするような感覚」ということで、もし、そうであれば、自画自賛になってしまいますが、私の動画で臨場感のある乗車体験を味わって頂けているなら、これは本当に有難いお言葉を頂戴しました😊
なつかしいですね~一度だけ土日きっぷを使って上野~酒田で乗車したことがあります!ゴロンとシートにきっぷを忘れて、対応してくれた酒田駅の駅員さんにはご迷惑をおかけしました(笑)それにしても土日きっぷ、超絶便利でしたよねえ…
食の冒険家さん、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。土日きっぷで上野~酒田を利用されましたか。土日きっぷとかゴロンとシートとか、懐かしい響きです。
高崎線、上越線経由とは知らなかった。そのまま東北線通るのかと思ってました。
松田様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうそう、元々は「あけぼの」は東北線・奥羽線経由でしたよね。僕が子供の頃、ブルトレ全盛期の頃は、東北線から奥羽線への経由だったと思います。いつの頃からか、上越線経由になっていましたが、調べてみたら、色々と経路は紆余曲折の上、最終的に上越線経由に収まったみたいですね。
乗ってみたかったな
AMP3様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか…。乗る事ができなかったのですね。時代は変わっていきます。ヨーロッパでは、夜行列車が次々に復活しているとも言います。そういうブームが日本にも来ると良いのですが…。
良く乗った【あけぼの】。思い出しますね☆ミ素敵な映像、ありがとうございます引退間際に乗車した時、ベテラン名物車掌さんに「長い間お世話になりました」と伝えたら、手作りの乗車記念カードを頂き、宝物になっています☆THE!ブルートレインという風格が、今でも大好きです。
Nukki Nukkiさん、コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。私も「あけぼの」は、何かと良く利用しました。東北方面の旅行には本当に便利な列車でした。車掌さんからの手作りの乗車記念カード、いいですね。いい思い出になりましたね。僕も元祖ブルートレインのイメージを持つ「あけぼの」、大好きな列車でした。
国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった😊
HAJIME NINOMAE様、おはようございます。いつもありがとうございます!そうなんですよね~。冬の上越線の醍醐味と言えば、まさにそれです😊
神奈川に居る叔母へ遊びに行くのに祖母と乗りましたよ✨確かB寝台?だったと思いましたが夜8時過ぎ位かな?奥羽本線の駅から終点まで長い時間でしたが楽しかったですよ✨今思えば乗って良かった寝台列車です👍それと、祖母と一緒に乗ったあけぼのが栃木県の黒磯駅に停車した記憶が今でもありますけど、あけぼのって黒磯駅に止まる筈ないのに調べても無いんですよ。やむを得ず別ルートに変更したのかな?
いいかげん商会 改様、こんばんは。コメントありがとうございます!「あけぼの」って、以前は東北本線・奥羽本線経由だったので、その頃は「黒磯」を通っていた筈と思い、手持ちの「ブルートレイン全百科」を見てみました。すると、黒磯に「あけぼの」1号は0:05~0:11まで停車しています。もしかしたら、運転停車かも知れませんが…。
@@syaso 主さん調べてくれて有り難う御座いました😢凄くスッキリしましたよ💡私は素人で調べるにも限度がありますが主さんの様に詳しい方が居てくれて有り難う御座いました😢
いえいえ、私なんか全然詳しくありませんよ!私も、コメントで皆さんに教えてもらってばっかりです😊
こんばんは(^.^)お疲れ様です〜🙋♀️上野から青森迄行ったのですね。私は1月1日の切符で上越新幹線で新潟迄行き新潟から在来線特急いなほ号青森行き迄行きました。⛄️があった年となかった年がありましたがーーー。青森から特急はつかりで盛岡迄座って盛岡から上野迄東北新幹線🚄で帰って来ました。2年間やりましたがーーー。
小澤様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。新潟まで新幹線で、新潟から青森行の「いなほ」に乗り継いで青森まで行きましたか。そして青森からは「はつかり」で盛岡へ。当時は、まだ、東北新幹線も盛岡までで、「いなほ」も、青森まで走っていた時代ですね。昨今は、在来線の特急の運行区間がどんどん短くなってきています。今度の北陸新幹線延伸で、「サンダーバード」も、「しらさぎ」も、敦賀止まりとなってしまいますね。
ソロの下段ですね A個室はあさかぜのお古なので、山側の景観が良くない部屋でしたから毎月乗っていたので、乗客がだんだん減って、車販もなくなり寂しくなる列車でしたこの動画の秋田運輸区の車掌さんが一番丁寧な乗務されてましたね
8739masaさん、おはようございます。コメントありがとうございます。A個室は「あさかぜ」のお古だったのですね。これまた知りませんでした。確かに、僕が「あけぼの」でBソロを選んで乗ったのは、海側車窓で撮影できるからでした。シングルDXが海側車窓だったら、きっとシングルDXに乗車したと思います。僕も「あけぼの」は複数回乗りましたが、車掌さんのことまでは気にしていませんでした。この日の車掌さんは、良い人だったのですね。
はい。ジャンパ栓の関係で部屋が山側になっていて、不評でしたね。なので、ソロが満室のときはいつも仕方なくシングルDXでした😂
7:34:50 自分用のジョイント音
森のクマさん様、おはようございます。タイムスタンプありがとうございます!
上野発の夜行列車降りた時から~、青森~駅は雪~の中~😅
Hideki Nakamori様、コメントありがとうございます。おはようございます。阿久悠さんの秀逸な歌詞ですね。たった1行で上野を出発した女性が青森駅に着いている。そして目の前の真っ白な雪景色、青函連絡船、津軽海峡…。「あけぼの」は、その歌詞のまんまを体感できるような、そんな列車でしたね。
腰据えて拝見させて戴きます🍺🚬💨感謝❤
酒めいきょうさん、いつもありがとうございます。おはようございます。全区間は長丁場なので、ちょこちょこっと見てもらえたらそれだけでも十分嬉しいです。よろしくお願いいたします。
たまたま隣のJRホームいて写真撮っていて寝台特急いたらサイコーな写真撮れるよね、埼玉生まれ東京育ち故郷ない私乗ってみたいが知り合いも友達もいないただ往復する為高額払って迄乗りたくない。
高橋さん、コメントありがとうございます。おはようございます。僕も、もともとは東京育ちで、故郷はありませんでした。なので、ふるさとのある地方出身の人がかえって羨ましかったりしました。大学生の時なんかは、地方出身者は一人暮らしとかできるのも羨ましかったですね。寝台列車は、本来は旅行、ビジネス、帰省で利用するのが目的ですから、僕みたいに、「寝台列車に乗ることが自体が目的」っていうのは、鉄道ファン独特の考えですね。
上越線のEF64重連貨物が懐かしい。
岡桃14号機さん、コメントありがとうございます。EF64と言えば、私が子供の頃、1000番台が出てきて、その頃は、すごくあの側面の窓に違和感があったのですが、それも段々と好きになって。そんなEF64も、もう過去の機関車となってしまいましたね。
よく髙崎駅で夜2番線から出発するのを見ていました最終横川行きに乗るので❗
原沢さん、おはようございます。コメントありがとうございます。かつて高崎駅は信越本線と上越線の分岐駅として、色々な優等列車が発着していて、見ていて楽しかったものです。今では横軽も廃線となり、上越線は新幹線にとってかわって、在来線の賑わいがなくなってしまいましたね。
そのうち211がなくなり❗233が信越線や両毛線や上越線や吾妻線に走るのでつまらなくなりますね‼️SLもいつまで走るのやら❗
確か青森から羽後本荘まではB寝台は寝台券不要だったはず。それを使って青森から秋田まで移動するのに1度乗ったのが、唯一の日本で乗った寝台席でした。
Yoshihiroさん、コメントありがとうございます。懐かしいですね。「立席特急券」ってやつですね。かつての寝台列車には、ありましたよね。「立席」とあるので、立って乗車しないといけないのか…というと、そうではなくて、空席があれば座れるという切符だったと思います。しかも、だれも回りにいなければ寝転んで移動することもできたと思うので、「いなほ」や「つがる」で移動するよりも面白かったのではないかと思います。
@@syaso まさにその通りです。確かいなほやつがるって16時頃の早い時間が青森発のラストで、その次に出る秋田まで行けるラストが青森駅18時か19時発のあけぼのだったんですよね。初めてのB寝台で、思ったよりシート固いんだと思った記憶があります。4月なので早く日も落ちて外も真っ暗で何も見えず、、上段には羽後本荘から利用できる寝具類が積まれていたので、できることなら布団ひいて寝たかったなというのが本音でした笑
立席枠は4号車 3人掛け窓側 中 通路下りは羽後本荘 上りは秋田までだったかななにぶん、旧い記憶なので間違ってるかもしれません下りは早朝 上りは最終特別急行の補完を担ってました青森終起点でしたが、鳥海と統合したために 秋田県内はこまめに停車してました同じ羽越 奥羽を走っていた日本海と停車駅が異なるのは 前記のためです末期はほぼ大館 秋田以外の駅での降車客はおりませんでしだが
素晴らしい!
肉増しさん、ご視聴ありがとうございます!
あけぼの懐かしすぎる。秋田駅に何度も見に行ったなぁ。今度ははつかり(スーパーはつかり)や白鳥とかも残っていたらお願いします!
狭間の時さん、コメントありがとうございます。秋田に何度も見に行ったということは、秋田の近くにお住まいなのですかね。「あけぼの」はブルトレの中でも最後の方までよく頑張ってくれました。「はつかり」は、ごめんなさい。撮影してないんですよ。「白鳥」は、八戸→函館なら、以前、「スーパー白鳥」で、前面展望をアップしていまが、大阪ー青森は持っていません…。485系の「白鳥」八戸→函館であれば以前に撮影しているので、今度、アップしたいと思います。よろしくお願いします。
@@syaso 秋田に住んでいますので(笑)(今も)
@@TaPuMa512 そうですか、そうですか。語弊があるかも知れませんが、秋田、ちょっと羨ましいです。かつて秋田は色々な列車が通っていましたよね。夜行では鳥海、天の川、おが、日本海、臨時あきた、臨時あおもり…昼行でも、白鳥、いなほ、つばさ…私の亡き父の実家は新潟で、20系の「天の川」秋田行を1度だけ利用した事があります。東三条っていう駅で降りてしまうので、「あぁ…このまま秋田まで乗りたい!」って子供の頃思いました。年が知れますが(笑)秋田とか青森とかの人が羨ましかった…。変な事言ってすみません。
大昔上野から北海道に帰郷する時はお金が無くいつも急行八甲田に乗りあけぼのには乗った事がありませんでした……(´;ω;`)ウゥゥ
Yosihisa Tagamiさん、コメントありがとうございます。いや~、全然いいじゃないですか!僕からしたら羨ましいですよ!急行「八甲田」は、憧れの列車でした。「十和田」とか、秋田までなら「おが」とか「鳥海」なんかもDC急行の「出羽」なんかもありましたよね。ちょっとリッチに行くなら寝台急行「新星」や「天の川」。東北・常磐・羽越、奥羽には憧れの列車が山のようにありました。特急でなく、急行っていうのがシブいんですよね。
@@syaso 返信ありがとうございますm(_ _)mいつもは八甲田だったんですけど数回気分転換?wwwに急行津軽も使ってました。窓にビールを並べて12時間ずっと車窓を眺めてた30数年前の懐かしい思い出です。
@@yosihisatagami972 こちらこそ、ありがとうございます。「津軽」!忘れてた!津軽もいいなぁ…愛称名がいい!30数年前だと、12系とか14系とかの時代ですかね。窓にビール並べ…イメージ湧いてきます。30数年前にビールということはTagamiさんは、僕のちょっと先輩か同じ年位ですかね。僕が上野駅に子供の頃よく撮影に行ってた頃は「津軽」はまだ10系寝台が連結してました。10系とか20系が活躍してた頃の急行は特にシブかった。雑多編成の国鉄急行は、私の憧れでした。
うお、大館でかすかに聞こえるきりたんぽ物語が泣ける、、乗ってみたかった、、
豆大腐さん、コメントありがとうございます。おはようございます。いや~、すごい。よく聞いてますね。私、恥ずかしながら、全く気づきませんでした。しかも、豆大腐さんに言われて、初めて大館駅で「きりたんぽ物語」という曲が発車メロディーに使われている事を知りました。早速、youtubeで検索したところ、「きりたんぽ物語」の動画を発見!そこには豆大腐さんのコメントも発見!とても切ないメロディーと歌詞。そして歌手の方の声がいい声!少しもの悲しい北国の感じが日本人の心に沁み渡るようなような1曲です。この曲は、確かに、もっと評価されていいように思う。
@@syaso コメントまで見つけられてしまって恥ずかしいですw
17:03 尾久駅
簡単感嘆様、明けましておめでとうございます。タイムスタンプありがとうございます!
21:17 赤羽通過のときに「わー!埼京線の205系だー!なつかしー!」って思った直後、なんか205系がわんさか出てきて「ちょっとでしゃばりすぎん?」っておもってしまったw
面白くない人さん、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですね、そうですね。当時は205系がまだまだ全盛期。そこかしこで走ってましたからね。そんな風景も、今では過去のものとなってしまいました。
10:28:30 二ツ井到着。
アカワイン三世様、おはようございます。タイムスタンプありがとうございます!
日本海の水平線がお月さんに反射されてるのが素晴らしい、やってくれるね?
原じぃ原尾さん、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます!先日は「津軽線」にもコメントを頂きありがとうございました。月明かりが海に反射して見える時には僕も嬉しくなります!
あけぼの懐かしいです👍学生の頃祖母と乗って叔母の所へ遊びに行ってましたよ✨動画は上野→青森ですが私は秋田から上野まで乗って行きましたね。私の自宅は奥羽本線の側なので日本海やあけぼの、白鳥、トワイライトエクスプレスなどが通過してる音がよく聞こえました。あけぼのを乗ってる動画を観れて此方も乗ってる感を味わえたので嬉しかったです。主さん有り難う御座います(^^)
いいかげん商会さん、モチベーションのあがるコメントありがとうございます。そうですか、そうですか。「あけぼの」でのコメントは、秋田の方が多いですよね。奥羽本線の沿線ということで、かつては面白い列車が沢山見れたことでしょう。日本海、あけぼの、トワイライト、白鳥…みんな懐かしい列車たちです。そしてどれも魅力的な列車でした。全部無くなるなんて、子供の頃は想像もできませんでした。優等列車街道だった奥羽本線も寂しくなってしまいましたね。
@@syaso 奥羽本線から東は東京、西は大阪まで向かう列車があったので遠くまで行くには凄く有難いですよ。学生の頃にあけぼのや日本海、トワイライトエクスプレスや白鳥は自分が大人になってもずっとあるのだろうなと思い続けてましたが無くなって残念ですよ(泣)今は貨物、普通、特急位しか走ってないので寂しくなりましたよ(泣)希に奥羽本線にカシオペアが走ってると「良いな」と思いますね✴
@@いいかげん商会 重ね重ねコメントありがとうございます!なるほどですね。僕は東京や大阪方から鉄道を見る癖がついてますが、秋田側から見ると、確かに東西両方に行けるわけですよね。優等列車街道だった奥羽本線から名列車が次々と消え、普通列車も通勤電車みたいなものばかりになり、かつての奥羽本線らしさがほとんど感じられなくなっってしまいました。そんな中でたまに来る「カシオペア」はちょっと嬉しくなりますよね。
あけぼの臨時化すると乗れる車が6両に、なるハズです。。
鉄様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
寝台特急の動画もやっぱりたのしいです‼️関西の特急の動画も出してみてもいいと思いますよ特急くろしお、特急まいづる、はしだて、きのさきとか、出してみて下さい‼️
ぽん鉄道TVさん、先ほどのコメントに引き続き、今回もコメントありがとうございます。関西特急、これであればいくつか撮影しています。くろしお、まいづる、はしだて、きのさき…全て撮影していますが、ただ、全部古いんですよ。僕はもう50歳のオッサンですから、国鉄車両へのこだわりが強くてね。183系時代に撮影したものばかりですなんです。なので、古い車両による車窓動画になりますが、今度、追ってアップしていきたいと思います。よろしくお願いします。
華が無い寝台特急と言えばあけぼののイメージが強い世代です。
hnさん、コメントありがとうございます。華がないんですよね。あけぼの。北斗星とかカシオペアみたいな華やかさ。でも、KuroNosukeさんがおっしゃるように、北東北の日本海側の人にとって実用的で「地域密着型」な所が晩年まで生き残れた理由のひとつかもしれませんね。
この動画のような12時間以上の動画のアップロードの仕方をお教え頂けないでしょうか?🙇♀️他のチャンネルで12時間以上の動画がアップされてるのをあまり見た事がないので方法が気になります🙇♀️
Anonymousさん、こんにちは。コメントありがとうございます。12時間以上の動画も、おそらく通常のやり方でアップロードできると思います。ただ、アカウントによっては、制限がかかっているようです。僕はyoutubeをはじめたのが15年以上前なので、今とはアップロードの制限などで条件が違っていたかもしれません。ちなみに、以下のサイトが参考になるかもしれません。youtube→ ruclips.net/video/AroTpC_0X-s/видео.htmlブログ→ www.howtonote.jp/youtube/movie/index4.htmlよかったら、参考にしてみて下さいね。
ふと目覚めると真夜中の運転停車。全くの無音状態から突然ガタン!と動き出す。そして独特の間合いの客車のジョイント音が高まってゆく....。本当に至福の空間でしたね。
Aoki S.様、こんにちは。「北斗星」に続いて、コメントありがとうございます。
「北斗星」もそうですが、「あけぼの」も客車ならではの独特の音と揺れ。
特に雪の日は音が雪に掻き消されて、静けさの中でゆっくりと動き出すあの瞬間がたまりませんでしたね。
母の実家が青森で、私が小さい頃、帰省の時に583系はくつるの下段に乗りました。月明りが妙に明るくて、一睡もせずに景色を見てました。
大人になって、経済的に余裕が出来たらもう一度!と思いを馳せつつ、気づいたら583系どころか上野発の寝台列車は全てなくなっていました。
上野発寝台特急の旅、その車窓撮影、永遠に叶わぬ夢となってしまいました…。
にゆコマ車掌 箱葉電鉄chさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。お母さまのご実家が青森、帰省で583のはくつる。懐かしいですね。
僕も、子供の時に父の実家の新潟へ20系の天の川で帰省したのが寝台列車デビューでした。
「大人になってお金と時間が自由になってから寝台に乗りまくる!」と思っていたのですが、
にゆコマ車掌さん同様、私も時間とお金が自由になった時には既に遅し。
ほとんどの夜行列車が消えていました。
まだ小学生だったころ、1度だけ「あけぼの」に乗ったことがあります。急に決まった旅行でキャンセル待ちでしたが、直前にシングルデラックスのキャンセルが出て、父親と2人で乗ることが出来ました。もう引退してしまった「あけぼの」。あの時キャンセルが出て本当に良かったです。幸せな時間でした。
そうですか、そうですか。それは本当に良かった!
日頃の行いが良かったのかもしれませんね😊
今では寝台列車に乗りたくても、乗れませんから、お父様との寝台列車の思い出。一生の思い出になったことでしょう。
小学生時代、毎年冬に寝台特急あけぼのに乗って秋田の祖父母の家に遊びに行っていたのを思い出し、懐かしく感じます。
列車のアナウンス、車内の匂い、線路のガタガタ音、夜の灯り、真っ暗な日本海から聞こえる波音、雪化粧風景…
祖父母に会いに行くのにワクワクしていたあの頃の気持ちがよみがえり、涙がでます。
動画投稿ありがとうございます。
カワイ三世さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。私も年をとって、どうも涙もろくなり、コメントを読んでるだけで、こちらももらい泣きしそうです。
「あけぼの」のコメントは、圧倒的に秋田エリアに関連する方のコメントが多く、秋田で愛された列車なのだなぁ…とつくづく思います。
夜行列車の独特の雰囲気、音、闇夜の合間に見える家や街の灯、海の白波と夜明けの静けさ…全部、夜行列車ならではの旅情ですよね。
あけぼのは青森行きでしたが、青函対応という意味合いよりは、鳥海を統合して秋田地区の旅客輸送に重きをおいていた列車でした
故に停車駅がこまめで、秋田青森の始発特急としての役割も担っていました
ほんとに特急?なんて揶揄されたこともありましたが、新幹線開業後も、残った寝台特急だったのは、そのためですね☺️
私は今学生で、寝台列車に乗った事は一度もありませんが、上野駅の「寝台特急」という言葉を聞くととても懐かしい気持ちになります。土休日や繁忙期限定でいいので上野発の夜行列車を復活させて欲しいです。
大隈重信様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。今は学生さんですか。
確かに、今の若い方は、「寝台特急」というものを乗ったことがない方も多い事でしょう。
かつては、庶民の夜間移動の強い味方だった「寝台列車」。
今は、「瑞風」や「四季島」のような、ブルジョアな観光寝台しかありませんからね。
時代の進化と共に、物事は普通、どんどん良くなっていくものですが、鉄道旅行の旅情という点においては、逆に失われた物の方が多いように思います。
運行開始直後から良く乗りました。余裕のあるダイヤでしたので、冬でもあまり遅れなかったので、助かりました。もう半世紀前になってしまいました。
musashiねこさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。運行開始直後からですか。
これはなんとも羨ましい…。
僕は列車に乗る事が好きですが、列車そのものについてはあまり詳しくないので、早速「あけぼの」の歴史を調べてみたら、運行開始って1970年だったのですね。
確かに半世紀が経ちました。僕の年齢とほぼ一緒です。
そう考えると、感慨深いものがあります。
寝る前に再生開始するとリアルな旅が堪能できます
マフィ三郎さん、おはようございます!コメントありがとうございます。
寝る前にスタートして、寝ながら(聞きながら)お楽しみ頂けるのが、寝台列車の車窓動画の一番の楽しみ方だと思います。
本当にありがとうございます。
是非、また見に来て下さいね。
@@syaso かなり種類もあるので見させていただきます。通過駅ごとに実際の時間が書かれてるので寝る時間に合わせてそこからスタートできるのが良いですね。チャンネル登録しました!
母親の実家が弘前で、夏休み、年末年始は毎年寝台列車で帰ってました。
やはり奥羽本線のあけぼのが1番利用してました。
他にもゆうづる、はくつるも少し遠回りして利用してました。
子供ながら、毎回ほとんど寝ずに車窓を眺めてましたね。
通路側の折りたたみの座席に座りながら見るのが好きでした。
子供の頃を思い出して、なんとも言えない気持ちになります。
本当に貴重な映像、ありがとうございました。
エネル先輩様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。お母様のご実家が「弘前」でしたか。
「ゆうづる」や「はくつる」も、まだまだ現役の頃は、色々な方法で弘前に行く事ができましたね。
私の父は実家が新潟だったので、弘前よりは全然近かったのですが、やはり、初めて小学生の時に乗った寝台急行「天の川」では、嬉しくて眠れなくて、一人で朝までほとんど起きて車窓を眺めていました。
夜行列車から眺める車窓っていいですよね😊
夜行列車の単調な車窓を不眠不休で記録し続ける事が、当時どれほど奇特な行動であったことか。
自分もそんな記録を残す事を夢には見たけれど、まさか本当にやってた御仁がいらっしゃったとは。
yoshikuni4245さん、コメントありがとうございます。
まさに奇特だったかもしれませんね。
子供の頃から寝台列車に憧れ、「お金と時間が自由にできる大人なったら寝台列車に乗りたい!」と思っていました。
そして、夢が叶い始めたころ、世の中の寝台列車は、ほとんどなくなっていました。
これはやばい…もしかしたら全廃するかも…」と思い、世の中から寝台列車がなくなっても、家で寝台列車気分を味わうためには自分で記録するしかないと思いやりはじめたわけです。
次の夢は、定年退職後に家の中に寝台列車を再現する事です。
開放2段のB寝台を再現して、窓の部分にモニターを設置し、自分の撮影した動画を流して、本格的に寝台列車を楽しむことを夢見ています。
自分は撮影とかはしてませんが、寝ずに窓を見ているという「奇特」なことをしてました。
時刻表では通過マークなのに停車する駅が、ホームの照明が煌々と点いており、とても眩しかった記憶があります。特に真夜中の仙台駅は眩しかったぁ。
父が秋田県出身で小さい頃からお世話になり、大好きなブルートレインです!鉄道グッズが発売されてると、必ずあけぼののグッズは買ってしまいます…!途中日本海が一望出来るあの風景がもう一度見たかった。大好きな電車です!あのきれいな青い車体、シートのデザイン…想い出が蘇ります。あけぼの廃止が決まった時は悲しくて悲しくて…泣いたのを思い出しました。
岡田あゆみ様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。お父様が秋田の御出身なのですね。
「あけぼの」は、青森行なのですが、ここでコメントを下さる方の大半が秋田に関係する方なので、やはり秋田と縁の深い列車なのだなぁ…と改めて思いました。
「あけぼの」は、ブルートレインが全盛期の時は、どちらかというと地味な存在でしたが、結果的にはブルートレインの中でも最後まで残った列車でした。
僕も何度も利用させてもらった思い出深い列車です。
寝台車で眠れない時にふと車窓を眺めたことを思い出しました。
素晴らしい動画です。
またこういう経験をしたいものです。
康雄 筒井さん、コメントありがとうございます。
寝台車でも眠れない時もありましたよね。
上越線経由の夜行だと、高崎あたりから浅い眠りに入って、「寝るかな…どうかな…」って時に、水上に運転停車。
窓を見たら静かなホームに深々と雪が降り注いでいて、なんかもの悲しさみたいなのを感じた記憶があります。
20年以上前の10月末に青森行のあけぼのに乗った時の事、夜中に目を覚まして窓の外を見たら笹川流れの辺りを走行していて、
海の低い位置に満月があり、月あかりがまるで月へと続く海上の道のようになっていて、とても綺麗でした。再び見てみようと何回か乗りましたが
見る事は出来ずにあけぼのも引退してしまいました。
とても良い思い出です、動画のアップありがとうございました。
ゴッドハンドさん、コメントありがとうございます。こんばんは。
そうそう、そうなんですよ。笹川流れ。
昼間の「いなほ」で見るのとは一味も二味も違うんですよね。夜行列車の明け方に見る「笹川流れ」。
同じ景色も、昼間と夜行列車では全然違う。味わいが違う。
この感覚、もう二度と味わうことができないなんて、切ないですね。
修学旅行やライブの時よく乗ってたなぁ。一列に横並びのタイプと向かい合うボックスタイプがあった記憶。
窓から見える景色が刺激的で、すごくワクワクして好きだった。また乗りたいな。
蒼様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
修学旅行やライブで利用されたということで、きっと楽しい思い出の1ページに、この「あけぼの」も刻まれているのでしょうね。
横1列がA寝台、ボックスタイプがB寝台ですね。
「あけぼの」は、最後まで伝統的な客車ブルートレインとして活躍しました。
いい列車でした😊
一番愛用した寝台特急があけぼのでした。
見る景色全てが懐かしいです。
KuroNosukeくろのすけ音鐵•車窓chさん、コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。
「あけぼの」、何回も利用されたのですね。
「あけぼの」は、「北斗星」や「カシオペア」のような華やかさはなかったですけど、元祖ブルートレイン的な感じで、それはそれで良かった。
僕も、東北や北海道への撮影には何回も利用しました。本当に便利な列車でした。
@@syaso さん
さん
東北日本海側へ行くのに便利な列車でしたし、東北方面のフリーきっぷであけぼのが乗れたのも大きかったです。
実用的で地域密着型な昔ながらの夜行列車でもあったので、いい意味で人間臭さがありました。
@@kuronosukech6163 返信ありがとうございます。
地域密着型夜行。なるほど、なるほど。その表現がありましたか。わかりやすい。
そして実用的。私の旅にも実用的でした。
まさに、青森・函館フリーきっぷなんかは、Bソロ使えましたからね。僕も何度かフリーきっぷでお世話になりました。
中学時代、父が青森に単身赴任していたことがきっかけで東北に目が向くようになり、あけぼのにも何回か乗りました。指定席券で乗れるゴロンとシートやダイヤも便利でしたし。旅に特別な意味を添えてくれる、そんな列車だったように思います。
Kono Akihiro様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。お父様の青森単身赴任がきっかけで「あけぼの」に乗ることがあったのですね。
「あけぼの」は、指定券で乗れる「ゴロンとシート」がありましたから、便利でしたね。
確かに、ダイヤも便利で、北海道へ行く時にも「あけぼの」を利用することが何回かありました。
大雪のために羽後本荘で運転取り止めになって、任意で秋田まで振替のバスに乗車。
秋田に着いたら、結局復活した あけぼの が追いついてきて、秋田〜青森まで乗車した事がありました。
思い出しながら、夜寝る時に聞いています!
yoshu1982様、明けましておめでとうございます。コメントを下さりありがとうございます!
それは、また、珍しいパターンですね。
ちょっと残念なような、それでいて貴重な体験のような…
まぁ、印象的な思い出になったことは間違いないですね😊
親父の実家が小出に在り、新清水トンネル開通以前の(旧)清水トンネルを電車(各駅停車)で通った記憶が在ります。ループトンネルを身体で感じ、それに続く長い(当時日本一の)清水トンネル(約9km)を10分以上(?)掛けて通り抜けていた気がします。
この動画では、特急とは言え、更に4割以上長い約13kmの新清水トンネルを10分程(2:48'40"~2:58'45"?)で走り抜けているのが、印象的でした。 また、動画では通過が深夜で景色は判り辛かったものの、〇十年前の昼間の冬景色を何となく思い出しながら、拝観しました😅
岡部不二男様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
私の父の実家は、その先の三条でした。
子供の頃は帰省の際に、上越線の「とき」や「佐渡」で、何度も清水トンネル・新清水トンネルを通過しました。
流石に、旧トンネル時代は経験がありません。
川端康成の「雪国」のように、トンネルを抜けると、一気に雪景色になる冬の上越線は感動的です。
トンネルの中の轟音から抜け出し、雪の音に走行音が掻き消されていく、あの感覚が心地よいです。
あ、御免なさい、(旧)と書いたのは、新清水トンネルに対しての『旧』で、『清水トンネル』の事でした🙇♀
そういえば当時、越後中里の駅は柵がしっかりしてなかった様で、改札を通らず、直接駅前のゲレンデに出ていく客も見掛けましたね😱😅
改めて拝見しました。明け方の残り雪の中を疾走する音を聞いてるだけで涙が止まりません😢ブルートレインは自分の印象としてはとにかくなんとも言えず色っぽい?のです。艶やかというかなんというか...。幼心からそんなイメージを抱き続けておりました😆
piropi様、おはようございます。コメントありがとうございます!
北国に向かう寝台列車の夜明けの雪景色というのは格別なものがあります。
確かに、ブルートレインには「艶」があるというイメージ、私にもわかります。
それを上手く表現することはできないのですが、感覚的なものなのですよね。
静かな美しさみたいな…。
一回乗りたかったルートの寝台特急。
ザギンでシースーさん、コメントありがとうございます。
私が車窓動画を撮影しはじめた時には「あけぼの」は、高崎・上越・羽越・奥羽線経由でしたが、かつては東北・奥羽、中には陸羽東線経由なんかもあったので、その頃に乗っておきたかったです。でも、そのころの私は学生でお金もなかったですけど。
初見です。自分は東北、陸羽東線、奥羽と秋田に乗車した事がありますが確かに日本海側周りの時の『あけぼの』にも乗車してみたかったです。記念です。ありがとうございます。
上野⇔青森 だと ゆうづる、はつかりが メインで 利用。あけぼのには 何故か乗る機会がありませんでした。(昭和48~56年頃)
夜明けのヴァンさん、コメントありがとうございます。おはようございます。
そうですか、そうですか。昭和48年から56年頃と言えば、まだまだ東北や常磐の筋は活気のあった頃ですよね。
上野から青森、青森から上野となれば、当時は夜はゆうづる・はくつる、昼ははつかりを利用する人が多かったことでしょう。
中には「みちのく」なんていう選択肢も。
ここでのコメントで秋田の方が割と多いので、あけぼのは、秋田で割と需要があったのかな?と推察しますね。
奥羽本線経由ではないやつなんですね。35年前に福島〜山形の峠越え乗りました。
ステファノス様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうなんですよ。振り返れば、「あけぼの」は、新幹線の工事などで、ルート変更を余儀なくされ、陸羽東線経由時代を経て、上越線経由へと。
奥羽線経由時代が、一番、「あけぼの」が華やかだった時代に思います。
小学生の時、田舎の大曲へ行くのにあけぼのに乗せてくれた両親。20系を背景に今は亡き親父とピースサインをした私が映った写真が今は宝物。自分も親父になり娘たちにカシオペア、北斗星を経験させた。多分、一生の思い出になっているはず。
こじろうたくんさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。20系時代。いい時代です。
僕も小学生の時にはまだ20系が現役でした。
あまり鉄道に興味のない女の子でも、寝台列車は楽しいみたいですね。
カシオペアも北斗星も、きっとお父様との素敵な思い出になってますね。
@@syaso ご返信ありがとうございます。女の子の場合、男と違って車窓を見て感慨にふけるというより部屋で食べる弁当やお菓子の方に興味があるみたいでしたww。来月、銀婚式の祝いでサンライズ出雲の乗車を計画中。妻からは私のイビキがうるさいからツインではなくシングル2部屋にしてと言われていますw。
乗りたいと思っていた列車の一つでした。寝台列車は非日常の世界だと思います。時計を見ない時間を気にしない旅や、夜中に目が覚めた時にどこを走っているのか気になったり通過駅の駅名標を見るのが凄い楽しみでした。飲食物を事前に準備するのは仕方ないですが、それもまた寝台列車の楽しみの一つではないかと。
まーくん様、引き続きコメントありがとうございます!
そうですね、そうですね。まさに「非日常」の世界を感じる事ができるのが寝台列車でした。
僕が子供の頃は、富士、はやぶさ、さくらなど、名立たる寝台列車には食堂車も連結されていて、非日常感が更にパワーアップしていたのではないでしょうか?
寝台のセットや解体など、ちょっとした「ショー」みたいなのもありましたし。
残念ながら、僕がこうしてビデオ片手に撮影するようになった頃にはブルートレインも末期で、老体に鞭打ちながら走っているような状態でしたが、それでもブルーに身を包んだ車体が駅のホームにゆっくりと入ってくると、もうそれだけで興奮したものです。
こういった鉄道の旅の魅力がどんどん失われてしまって、だんだんと鉄道の旅も、鉄道そのものも無機質で深みの無いものになってきたような気がします。
客車は高崎の方などでも乗ることができるけど高速で快走していく姿はもう拝めないと考えると寂しいですが時々この動画を見てその気分を味わっています。
幼き頃にお見送りで終わった車両にもう一度このような形で乗車できて本当に感謝です。
はむかえ様、おはようございます。コメントありがとうございます!
加えて、いつもご覧頂き、ありがとうございます😊
今夜はあけぼのを見て寝ます🤗
金田卓也様、こんにちは。いつもコメント、ご視聴ありがとうございます!
金田さんは、やっぱり北へ向かう列車が好きですね!
この寝台列車見てると、全く用事無いのに青森に行きたくなります😅
PANさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
笑っちゃいました!すみません。
確かに、寝台列車で青森に行きたい!
特に雪のシーズンはいいなぁ…
アップされた日から毎日少しずつ見てまして、
今日青森に到着しました。
秋田県北部住みで、東京に帰省するためにあけぼのを利用(上りだけ)した事があります。
動画を拝見し、乗った時の思い出が蘇ってきました。
とてもいい動画をアップしていただきありがとうございました😊
ミーヤンさん。こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。毎日少しづつ…。いやぁ~嬉しいです。
本当にありがとうございます。
ミーヤンさんも秋田ですか。ここでのコメントは、本当に秋田の方が多いですね。つくづく秋田の方に愛された列車だったのだと思い知らされます。
秋田の方々の色々な思いを乗せて「あけぼの」は走り続けたのですね。
両親の実家が青森だったので、夏休みは上野から青森行きの寝台列車に乗って行ってました。自分の定番は、583系のゆうづる号でした。
当時のあけぼの号は福島までは東北本線を通り、福島から奥羽本線で山形・新庄を経由してました。さらに青森行きと秋田行きの2パターンありましたね。
その後、陸羽東線やら北上線を経由したりと経路は転々として、最終的に日本海側回りとなり、ゆうづるやはくつるを差し置いて、最後まで残った青森行きの寝台特急でした。
ま様、おはようございます。コメントありがとうございます!
以前、「ムーンライト高知」にもコメントを頂き、ありがとうございました!
私が小学生の頃は、まだまだ「ゆうづる」「はくつる」が東北方面の花型寝台特急で、特に「ゆうづる」は本数も多く、まさか廃止になるとは思いもしませんでした。
一方、「あけぼの」は、名脇役とでも言いましょうか、どちらかと言うと地味な存在ではあったものの、20系客車を使った最後の寝台特急として、いぶし銀の走りを最後まで見せつけました。
そんな、どちらかというと地味な「あけぼの」が、花形列車達を尻目に、紆余曲折を経て、最後まで生き残ったのですから、人生と一緒で、何が起こるかわかりませんね😊
亡くなった母親との思い出の寝台列車です。
田舎に帰るときにも使いました。
あの頃を思い出します。ありがとうございます(ノД`)
カツオ風味のさん、コメントありがとうございます。おはようございます。
そうですか、そうですか。お亡くなりになったお母様との思い出の列車。
なんか、少し涙がでてきそうです。
僕の母はもうすぐ90で健在ですが、僕がそもそも鉄道に乗るのが好きになったきっかは、母の影響でした。
まだまだちっちゃかった僕を連れて隣町まで買い物に行く度に電車を利用していたことで、僕は鉄道好きになったようです。
なので、今もその路線の車窓を見ると、母に連れられて電車に乗り、車窓を眺めながら買い物に行った子供の頃を思い出します。
東京行った時に往復あけぼのにお世話になりました。素敵な動画有難うございます!
まさる1966さん、コメントありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございます。
東京に行った時…ということは、東北の方なのでしょうかね。
新幹線がいくら速かったしても、夜のうちに移動できる寝台列車の方が旅行にもビジネスにも便利でしたし、旅情があったと感じます。
子供の頃よく祖父母の家に遊びに行く時、新幹線ではなく、必ずあけぼのを利用していました!
少年時代の記憶が蘇る最高の動画をありがとうございます😊
a muusan様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。と、いう事は、恐らく秋田ですかね?
新幹線は確かに便利で速い。4時間弱で東京から秋田まで行けます。
一方「あけぼの」では、2倍以上の10時間!
時間は2倍以上かかりますが、旅情と旅の楽しさは10倍以上あるように思います。
高崎線沿線に住んでいるので、夜の下り列車、朝の上り列車を見かけました。
早朝に犬の散歩をしていると、「あけぼの」「鳥海」「北陸」「能登」など、上りの夜行列車がたくさん走っていて楽しかったことを思い出します。
特に冬は雪で真っ白になった列車。旅情を感じたものです。
逆粉舎矢太郎さん、コメントありがとうございます。
高崎線沿線ですか。そうですか、そうですか。
早朝の犬の散歩と行き交う列車…目に浮かびます。
高崎線もかつては本当に優等列車街道で、物凄い数の列車が走っていましたよね。
逆粉舎矢太郎さんのお歳がわからないので、私の話はとても古臭い話になるかもしれませんが、
信越本線の横軽が廃線になる前とか、上越新幹線開業前は、本当にすごかったでしょうね。
あけぼの、鳥海、北陸、能登はもちろん、夜行急行では天の川、越前、昼間はとき、佐渡、妙高、ゆけむり、信州、白山、あさま、そよかぜ…
今とは全く違う風景を高崎線は見せていたでしょうね。
冬の豪雪地帯を走り抜けてきた真っ白な雪をかぶった列車たち。
上越国境からほど遠くない高崎線ならでは風景でしたでしょうね。
@@syaso さん
返信ありがとうございます。
私はアラフィフのおっさんですが、自宅の窓からも見えていました(200mくらい離れてますが)。
あの頃は、こういう列車が全くなくなるとは思ってもみませんでしたね。
なのでこのような動画で見られるのはとても嬉しいです。
これからも、素敵な動画を楽しみにしています!
@@neishan 重ね重ねコメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。僕と同じジェネレーションで嬉しいです!
まさに、高崎線が優等列車大街道時代を目の当たりにしていた世代ですよね。
冬の小出スキーとか、石打スキーとかの客車急行、特急「新雪」なんかも走っていましたよね。
いい時代だったなぁ。
幼い頃に数回乗ったことがありますが、列車の中は特別な空間でした。
はとや様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。幼い頃に数回乗車されましたか。
寝台列車は、やはり、幼心にも強く印象に残るものですよね。
だからこそ、特別な空間だったのだと思います。
僕も初めて乗った寝台列車は、もう40年も前ですが、その時にことは今も忘れずに覚えています。
このゆっくりと駅を出て車輪とレールを擦る音とどんどん加速していく感じが旅の始まりの感じで好き
昭和が大好きな男さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですね、そうですね。客車ならではの感覚。旅情を感じさせます。
駅に到着してしばらくしてから、機関車からの波動で客車が少し下がる感じも好きです。
寝台列車の何とも言えない寂寥感が好きで、往時を思い出しながら寝床で流してます…
no name様、おはようございます。コメントありがとうございます!
わかります、その寂寥感という感じ。
寝台列車ならではの感じですよね。
こんなチャンネルがあるとは知らなかった!
環境音だけだと乗車している気分になれます♪
小学生の時は東海道線の沿線に住んでいたので、ブルートレインは身近に感じていました。
この夜行列車も 8:54:23 で並走している夜行バスに置き換わったことで役目を終えたんでしょうね。
Rin様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
そうおっしゃって頂けて、とても嬉しいです。ありがとうございます!
しかも、並走するバスのタイムスタンプをありがとうございます。
私自身、気づいていませんでした。
まさか、こんなところで、夜行バスと並走していたとは…
あけぼの昔1990年代に乗った事あるのですが、確かその頃は高崎線周りではなく仙台までは東北本線走っていたかと思ったのですが。
Nobuyuki Suzukiさん、コメントありがとうございます。
まさに、おっしゃる通り。東北線経由でした。
僕の中の「あけぼの」も、そっちのイメージが強かったです。
ですが、私が時間もお金もある程度自由にできて車窓撮影をはじめた時には、既に高崎・上越・羽越・奥羽線経由となっておりました。
むしろ、私は東北・奥羽や、陸羽東線経由時代に乗りたかった…
これはEF81が上野-青森間通し牽引していた時代ですね。結構短命でしたが平坦線や電源切替区間走るのに得意とするEF81は勾配区間が続く上越線とは相性悪く、すぐにこの区間に強いEF64-1000に替わりました
荒井健さん、コメントありがとうございます。
そうなんです。EF81が全線に渡り牽引していた時代です。
ところで、車窓が趣味の私は、機関車の事とか、車両とかには全く詳しくないので勉強になりました。
そうなんですね。EF64-1000は、勾配に強い機関車だったのですね。
やはりEF64の0番台よりも1000番台はだいぶパワーアップしているのでしょうかね。
個人的にはEF64の0番台が急行の客車とか引いてる姿が好きだったので、側面に窓の付いた1000番台が世に出た時にはちょっと違和感を感じたものです。
見た目はEF81の方がゴツいように感じますが、EF64-1000って見た目と違って意外と力持ちなんですね。
ありがとうございました。
上野口から81牽引があったのですね
@@塩島聖一 乗る事ばかりが好きな私は牽引機にあまり関心がなかったのですが、皆さんからのコメントでEF81やEF64-1000を調べるきっかけになって、勉強になりました。機関車も面白いですね。
更に前はEF65でしたよ
走破経路路線はもちろんこの動画と違いましたけど
東京口の下枠交差のパンタでなく
菱形パンタのEF65でしたけどね
もう冒頭のアナウンスからたまらん。
シトシトさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
寝台列車、夜行列車、長距離列車は、車内放送でワクワクしたものです。
「旅の始まり」の高揚感は、始発のオルゴールとアナウンスから始まりますね。
長い動画を上げてくれてありがとう&お疲れ様でした!私は奥羽本線を走る列車の中で一番好きなのがこの「あけぼの」でした!ハイケンスのセレナーデが流れ始めてから一夜の旅が始まるのにワクワクしてよく眠れなかったことを覚えています!
Braver様、おはようございます。「お知らせ」にも、コメントありがとうございました。
以前、「はやて」でもコメントを下さったので、青森とご縁があるのですかね。
東北に向かう列車。
中でも冬の「あけぼの」に乗ると、「津軽海峡冬景色」を思い出さずにはいられません。
ハイケンスが流れ、車掌の長い車内放送がはじまる。
ワクワクしながらも、いつの間に心地よい走行音と揺れが眠気を誘い、ふと目を覚ます頃には上越線の雪景色。
旅情がギュッと詰まった寝台列車、それが「あけぼの」でした。
ただただ懐かしい涙
小さい頃に上野から秋田まで一人で乗っていったなぁ
結局寝ないで外見ながらうとうとしてた覚えがあります笑
寝台列車がそれが最初で最後だったなぁ
まっちゃんさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。小さい時に上野から秋田まで一人で乗られたのですかね。
それだけの長距離を一人で乗るって、それもなかなか凄いです。
それが、最初で最後の寝台列車だったとしても、いい思い出になってますね。
みなさん、詳しくて凄い❗
ただの電車好きなのですが、ホームのアナウンスからゾクゾクします。
あー、来ました『あけぼの』💕
では、これからゆっくり楽しみます。
🚃💨🤭
佑樹さん、いつもコメントありがとうございます。
駅の入線アナウンスとか、車内放送って旅情を掻き立てますよね。
僕もただの電車好き、乗るのが好きってタイプなので、詳しい人のコメントから勉強させてもらってます!
18年程前、今の奥さんと学生時代の友人とツーペアでB寝台に乗り秋田乳頭温泉に行ったのは良い思い出です。
夜、連結部のガチャガチャ音でなかなか熟睡は出来ませんでしたが、それも含めてブルートレインが大好きでした。
音鉄という訳ではない私も車内放送の始まりのチャイムはそれだけでたまらないものがあります。
シトシトさん、おはようございます。先般もコメント頂きありがとうございます。
そうですか、そうですか。今の奥さんと学生時代の友人と、ツーペアで。
とても素敵な思い出ですね。B開放で楽しい旅行だったことでしょう。
秋田の乳頭温泉。これもいいですね。僕も行って見たい温泉のひとつです。
チャイム、車内放送…特に始発の車内放送は、ロマンがあってワクワクしたものです。
上野駅からずっとEF81が牽引していた時代があったのですね!
僕はちょうど10年前くらい、たしか2012年ごろに一度、あけぼのを利用しましたが、その時は、上野駅からはEF64-1000が牽引、長岡だか新津の辺りで、EF81に付け替えていた記憶がございます。
いずれにしても、普段の電車では味わえない、超深夜帯のホームや路線と言うのは、普通に見ることができない場所である分、ドキドキさせられるものがありましたね。
寝台特急(ブルートレイン)が全廃され、夜行列車の定期便がサンライズエクスプレスのみとなってしまった昨今、北斗星やあけぼの、いわゆる『東北夜行』が懐かしくなってしまいました。
Japan Air 721 Heavyさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
ここでもコメントを下さった方がおっしゃっていましたが、上越線では勾配に強いEF64-1000の方が良かったのでしょうね。手間はかかるけど、手間かけてでも上越線内はEF64-1000が良かったのでしょう。
かつては東北方面と言えば、ブルートレインや夜行列車は選びたい放題と言う時代がありましたよね。
「ゆうづる」「はくつる」は客車と電車がありましたし、急行で「八甲田」「十和田」などもありました。
加えて北海道へは「青函連絡船」もありました。
かつての東北・北海道への旅行は、旅情とロマンに溢れる旅だったと思います。
新幹線が開業してからも、北海道へは「北斗星」「カシオペア」など、魅力的な夜行列車が走っていましたが、結局は北海道新幹線の開業で全て廃止となってしまいました。
現在、東北・北海道への直通で行く鉄道旅行は、新幹線一択という、とても味気ないものになってしまいましたね。
素晴らしい動画をありがとうございます。
中学生の頃、碇ヶ関の今は亡き祖母の家へ遊びに行くのに必ずあけぼのを利用していました。北上するにつれだんだんと景色が銀世界に変わっていく様子と、この独特なアナウンスの声は今でも鮮明に覚えています。
終わった後もなんだかんだ数年は臨時運行があるだろうと思い2014年は利用しなかったのですが、結局その翌年の運行があけぼのの最後になってしまいましたね… その後は夜行バスを利用するようになりましたが、やはり寝台特急のような旅情はありません。
今や庶民が利用できる身近な寝台特急はサンライズ出雲くらいしか無いのが残念です。
あけぼのは私の青春そのものでした。色んな感情が溢れて文が滅茶苦茶になってますが、改めて、車窓をアップしてくれてありがとうございました。
Dohg様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
胸の熱くなるようなコメントに感謝です。
北へ向かう寝台列車。特に冬の「あけぼの」は旅情の塊でした。
「あけぼの」で北に向かう時には、「上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中~」という、「津軽海峡・冬景色」の歌詞がいつも頭の中をよぎりました。
どんなに時間的に優位な「飛行機」も、金銭的に優位な「高速バス」でも、「旅情」や「旅の楽しみ」そして「ワクワク感」という面においては寝台列車には敵いませんね。
寝台特急北斗星には乗りましたが寝台特急あけぼのには乗らなかったことにはもったいないことしたなと今になれば思います。映像として残してくれてありがとうございます。
フレイムオレンジさん、コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。でも、北斗星の方が距離も長いし、食堂車もあって、北斗星も良かったなぁ。
北斗星って、色々な臨時があって、「北斗星ニセコスキー」・「北斗星トマムスキー」・「北斗星トマムサホロ」とか…
この北斗星シリーズ、乗りたかったなぁ…。もうちょっと早く車窓撮影始めていたら良かったと後悔してます。
安眠用にさせていただいてます…。
ありがとうございます…。
G A様、こんにちは。コメントありがとうございます!
是非是非、安眠用にご活用下さい😊
@@syaso
こういうのをずっと探してたんですよ…。
それにしても良く撮ってましたね…。
当時カメラもこんな長い時間録画できるメモリやSDも貴重でしょう…。
ありがとうございます。
バカでかいカメラとバッテリー、それにカセットテープみたいなのに録画する時代でした😊
先月に東北新幹線で新青森に降りてから在来線で人生初の青森駅に向かいました。自分の目で見た本州の北側は『津軽海峡冬景色』より明るく美しい景色でした
不良将校さん、コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。初めての青森。
夏の津軽海峡は、「津軽海峡冬景色」のイメージとは全く違うでしょうが、夏の津軽海峡も素敵です。
昔よく乗ってた、懐かしい😢
I nj655様、おはようございます。コメントを頂きありがとうございます!
I nj655様は、よく乗っていたということは、秋田や青森に所縁があるのですかね?
私は東北や北海道の撮影遠征で良く利用させてもらいました。
とても便利な列車でした。
じいちゃんに乗せてもらったことがあります。初めての時楽しく眠れませんでした。寝て起きると景色が一変
あれを忘れることはできません。
房総沖釣り師小玉様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。おじい様と乗車されましたか。
特に東北に向かう冬の寝台列車は、朝、目覚めると、一面が雪景色ということもあり、感動したものです。
泣ける! 思い出列車です。
いも爺様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。ということは、東北のご出身でいらっしゃるのですかね。
「あけぼの」にコメントを下さる方は、圧倒的に秋田に所縁の方が多く、ついで、青森、山形…みたいな感じですかね。
奥羽本線は、かつては沢山の優等列車が走っていました。
しかし今日では、ロングシートにステンレスといういでたちの通勤電車ばかりで、味気ない路線になってしまいました。
はじめまして、あけぼの懐かしいです13番ホームも 実家が秋田でしたからよく使ってました
バモバモさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。ご実家が秋田ですか。
やはり「あけぼの」は秋田エリアの方々に人気の列車ですね。
ここでのコメントも青森の方より、圧倒的に秋田の方が多いですよね。
秋田の皆さんに親しまれた列車なのだぁ…と改めて思います。
懐かしい列車です。40年前後前秋田発奥羽本線、東北本線上野着の寝台特急ですね、よくnhkのゆく年くる年のなかで行き雪の線路を、走る中継を思い出します。
門脇さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
40年位前、「あけぼの」は、東北常磐経由の花形列車であった「ゆうづる」、「はくつる」に比べて本当に地味で、
秋田エリアの地元に密着した地味な寝台列車だったようですね。
でも、結局は地味であるが故に新幹線の開通からも逃れて、最後まで北東北への足として、地元に方に愛された列車だったようです。
雪景色のとても似合う寝台列車でした。
僕は島根なのですが、34年前に仕事で茨城県に行くのに浜田市発東京行きのブルートレイン出雲号によく乗りました。今は出雲市発東京行きのサンライズ出雲が毎日走っていますよ!日本で唯一の寝台車なので末長く残して欲しいですね!
渋谷正樹様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。ブルートレイン時代の「出雲」。いいですね。
ブルトレ時代の出雲。乗りたかったのですが、僕が撮影を始めた2007年には廃止になっていました。
今はサンライズとなって、ブルトレとは姿形は違いますが、僕もサンライズは大好きです。
1日でも長く走り続けて欲しいですね。
神奈川から秋田へ移住し、帰省する時にこの列車が無いことが悔やまれます。
学生時代、乗る事はできずとも頑張って撮影旅行に行った大館駅舎も今は亡く、金曜の仕事帰りに余裕を持って旅をすることもこの頃より難しくなってしまいました。
寂しいですね…
球面収差様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。
神奈川から秋田へ移住されたのですか。
私は生まれも育ちも東京ですが、仕事の関係で徳島に来て25年になります。
確かに、夜行列車や寝台列車が走っていたときには、休みの日の前日から寝台列車を利用して遠方に出かけたものです。
こういった夜行列車がなくなったことで、時刻表をめくって旅を計画する時の楽しみも半減したように思います。
懐かしい‼️😊
帰省の時よく乗りました
金田さん、いつもコメントありがとうございます。おはようございます。
そうですか、そうですか。帰省での利用とのことで。
帰省の度に寝台列車を利用できるとは、羨ましい限りですね。
@@syaso さん
お得なキップが、ありました‼️
北斗星は対象外であけぼのは
含まれていましたから
@@syaso さん
今夜はこの映像見ます!
2009年三月の帰省を思い出しながら🤗
主さん、お帰りなさい。そしてありがとうございます。あけぼのは未乗車で残念ですが、3段寝台時代の日本海乗車で終着青森駅にて連絡する連絡船は先着の あけぼの のお客さんと一緒だった記憶が あります。経由地は動画のあけぼのとは違ったかも知れませんが 三段寝台は狭かったなあ、なんて話を しながら広い連絡船の中で色々な話をしました。今回はその出会った人達の目線で 拝見しようかと思います。
まつよしさん、いつもありがとうございます。
温かいお言葉にも感謝です。まつよしさん、コメント4時間前なので、真夜中ですかね。お疲れ様です。
3段寝台、いい響きだなぁ。懐かしい!連絡船って響き、いいなぁ…。本当にいい。
そうですか、そうですよね。東京からの客と、大阪からの客。東と西の人間が、青森でひとつになる。なんかいいですよね。
3段寝台の、あの狭さ。あれが話のネタになって盛り上がる。いいじゃないですか。
当時、2段B寝台なんて、ちょっと豪華な感じがしたものですよ。B個室なんてなかったですしね。
僕は連絡船に乗ったことがないんですよ。なので連絡船に、いまでもすごい憧れがあります。
連絡船の記念館で「飾り毛布」を見た時に、「これぞおもてなし!」って思いました。
いやぁ~、乗りたかった連絡船!!
実際の時間に合わせて見てます‼️実際に旅気分です(☆∀☆)ありがとうございました‼️
加川さん、おはようございます!コメントありがとうございます。
私が今コメントを返信させていただいているのが、AM5:38なので、間もなく象潟です。
さすがに、もう寝てらっしゃいますかね。いつでもご乗車をお待ちしております。
今夜はあけぼのに
乗車します😊
金田様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
昨夜は、「あけぼの」号へのご乗車ありがとうございます!
新幹線開通に伴い奥羽本線経由から上越、羽越、奥羽線に変更になったんよね
あけぼの1号だと福島出た後、米沢山形新庄を通過してたがそれが見られなくなったのは残念
木田様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうそう、知らない間に運行経路が変更になっていました。
ブルートレインが衰退期に入っていったときに、まさか「あけぼの」が最後の方まで残るとは思いもよりませんでした。
奥羽本線を貫徹する「あけぼの」に乗る事は叶いませんでしたが、上野発着の東北方面への寝台列車として、最後まで良く頑張ってくれたと思います。
ブルトレ世代じゃないからブルトレの営業運転一度もはみたことはないけど、ブルトレに乗るとこう見えるんだな~と思いました。
それにしてもブルトレ(特に東北方面)に乗ってみたかったのですがこの動画は景色だけでも見せてくれます。
動画ありがとうございました。
満月さん、おはようございます。嬉しいコメントありがとうございます。
そしてご視聴頂きありがとうございます。
そうですか、そうですか。満月さんは、私よりはだいぶお若いのでしょうね。
ブルトレという現物をみていないとイマイチ実感が湧かないでしょうが、そういう時代がありました。
私は50歳を超えたおじさんですが、そんな私でも、もう少し早く生まれていれば良かったと思うのです。
あと10年早く生まれていれば…。もっともっと乗りたかった列車が沢山あります。
なので、今、60歳位の人が、一番「鉄道が楽しい時代」を過ごしてきたのではないかと思い、羨ましい限りでございます。
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マルハチチャンネル様、おはようございます。コメントありがとうございます!
「忙しい方向け」のタイムスタンプ、ありがとうございます!
秋田到着前放送でハイケンス鳴りましたが、車掌さんによっては鳴らさない時もありましたね
長谷川悠様、こんばんは。コメントを下さりありがとうございます。
そうなんですよね。期待していて鳴らないと、ちょっと損した気分にもなります…😢
盛岡以北の東北線が三セク化され、『はくつる』が退役した後の青森方面への足は専ら『あけぼの』でした(下りは) 撮影遠征の足として利用していたので可能な限りBソロに乗車しておりました。
黒磯電機商会様、おはようございます。コメントありがとうございます。
僕ももっぱら撮影遠征には「あけぼの」のBソロ使ってました。
東北・北海道への撮影遠征には便利な列車だっただけに残念です。
時代の流れ故に致し方のないことですが新幹線の延長と高速化は「旅情」を一気に置き去りにした感がありますね。
石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」の影響もあってか首都圏から北国へ向かう列車には、哀愁や望郷を感じずにはいられませんでした。
温泉たまご様、おはようございます。コメントありがとうございます!
おっしゃる通りです。
『旅情』という言葉は、在来線、特に「夜行列車」にこそ似合うフレーズ。
当時、『あけぼの』に乗ると、「津軽海峡・冬景色」を心の中で歌ってしまう自分がいました😊
寝台特急『あけぼの』は一番利用回数が多かった寝台特急だったよ、東北地方の温泉巡りの旅をする時は本当に使い勝手が良かった。
渦潮 黒潮様、こんにちは。連投ありがとうございます!
逆ルートは別の方が上げていますが青森行きは初めて見ます。ほぼ新幹線に被らないルートで青森行きなら朝の日本海を見れるし残ってほしかったです。
真ほいみんさん、コメントありがとうございます。
夏だと、日の出の時間に日本海側に出るので、景色が良くなるタイミングと起床のタイミングがぴったりで良かったのですがね。
秋田県小阪の「ブルートレインあけぼの」に宿泊しながら動画を拝見しています。
家族全員で乗ることができた最初で最後の寝台特急があけぼのでした。(当時は臨時列車になってました)
今は成人した息子たちがとても興奮していたのがつい先日のようです。
小坂のあけぼの、当時の再現には凝りに凝ってます。
さらにこの動画を見ていると保存車両なのに本当に動いているかのような錯覚に陥ります(^^;)))
今夜は眠れそうにありません。
TAKAO NISHIKAWA様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
小坂の「ブルートレインあけぼの」に宿泊されましたか。
コロナで営業を停止していて、車両の痛みも激しく、クラファンで寄付を募って、再開にこぎつけたとニュースで見ました。
いや~、良かった、良かった。本当に良かった。
私の動画で、疑似乗車体験をして頂けたのなら、尚の事良かったです😊
新青森駅開業して後、上野から、B寝台個室に乗りました❗
青森から鳥海のA寝台下段に乗ったり、新庄から陸羽東線経由のあけぼのに乗った事が有ります‼️
カズ様、「北斗星」に続いて、引き続きコメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
「北斗星」だけでなく、「あけぼの」や「鳥海」も乗車されましたか。
なかなかの強者ですね。
しかも、陸羽東線経由の「あけぼの」とは、これは羨ましい限りです!!
7:51:20〜辺りなどで空に見える光は、月(満月?)でしょうか?水面に反射していますね。
夜でも薄っすらと雪景色を感じられるのはそうだからかな。
秋田港駅に留め置かれている、あけぼので使われていた車両などがそろそろお別れなのだというニュース記事を見ました。
動画のコメントを読んでわかりましたが、この列車は多くの人たちの思い出に残っているのだなあと。寂しいと思う人は少なくないはずです。
toribariさん、おはようございます。いつもご視聴とコメントありがとうございます。
満月カレンダーで確認したら、この日は確かに満月でした。
7:51:20~の風景は、水面に反射していて幻想的な風景です。
「あけぼの」は、秋田の人たちに愛された列車だったようで、本当に沢山の方からコメントを頂きました。
こういう列車が、もう2度と走ることがないのだと思うと切ない気持ちになります。
上越線もEF81の頃だあ!懐かしい!
トン茶ァ!さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
私はもっぱら乗ることが趣味の人間なので、あまり牽引機について関心がなかったのですが、
荒井さんもEF81にコメントされていたので気になって調べたら、この撮影から1年後の2009年3月ダイヤ改正で勾配に強いEF64-1000が上野から長岡を担当するようになったようですね。
どっちの機関車であっても私は国鉄っぽさが好きです。
素晴らしい!最高のasmrですね
drviossy様、おはようございます。コメントありがとうございます!
いやぁ~、恥ずかしながら「asmr」とは、何ぞや?ということで、調べました。
間違っていたら、恥の上塗りとなってしまいますが、私が調べた感じでは、
Autonomous Sensory Meridian Responseの略で、「自律感覚絶頂反応」ということでよろしいのでしょうか?
簡単に言えば、「視覚や聴覚への刺激によって、ゾクゾクするような感覚」ということで、もし、そうであれば、自画自賛になってしまいますが、私の動画で臨場感のある乗車体験を味わって頂けているなら、これは本当に有難いお言葉を頂戴しました😊
なつかしいですね~
一度だけ土日きっぷを使って上野~酒田で乗車したことがあります!
ゴロンとシートにきっぷを忘れて、対応してくれた酒田駅の駅員さんにはご迷惑をおかけしました(笑)
それにしても土日きっぷ、超絶便利でしたよねえ…
食の冒険家さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。土日きっぷで上野~酒田を利用されましたか。
土日きっぷとかゴロンとシートとか、懐かしい響きです。
高崎線、上越線経由とは知らなかった。そのまま東北線通るのかと思ってました。
松田様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうそう、元々は「あけぼの」は東北線・奥羽線経由でしたよね。
僕が子供の頃、ブルトレ全盛期の頃は、東北線から奥羽線への経由だったと思います。
いつの頃からか、上越線経由になっていましたが、調べてみたら、色々と経路は紆余曲折の上、最終的に上越線経由に収まったみたいですね。
乗ってみたかったな
AMP3様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか…。
乗る事ができなかったのですね。
時代は変わっていきます。
ヨーロッパでは、夜行列車が次々に復活しているとも言います。
そういうブームが日本にも来ると良いのですが…。
良く乗った【あけぼの】。思い出しますね☆ミ
素敵な映像、ありがとうございます
引退間際に乗車した時、ベテラン名物車掌さんに「長い間お世話になりました」
と伝えたら、手作りの乗車記念カードを頂き、宝物になっています☆
THE!ブルートレインという風格が、今でも大好きです。
Nukki Nukkiさん、コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。
私も「あけぼの」は、何かと良く利用しました。東北方面の旅行には本当に便利な列車でした。
車掌さんからの手作りの乗車記念カード、いいですね。いい思い出になりましたね。
僕も元祖ブルートレインのイメージを持つ「あけぼの」、大好きな列車でした。
国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった😊
HAJIME NINOMAE様、おはようございます。いつもありがとうございます!
そうなんですよね~。
冬の上越線の醍醐味と言えば、まさにそれです😊
神奈川に居る叔母へ遊びに行くのに祖母と乗りましたよ✨確かB寝台?だったと思いましたが夜8時過ぎ位かな?奥羽本線の駅から終点まで長い時間でしたが楽しかったですよ✨
今思えば乗って良かった寝台列車です👍
それと、祖母と一緒に乗ったあけぼのが栃木県の黒磯駅に停車した記憶が今でもありますけど、あけぼのって黒磯駅に止まる筈ないのに調べても無いんですよ。やむを得ず別ルートに変更したのかな?
いいかげん商会 改様、こんばんは。コメントありがとうございます!
「あけぼの」って、以前は東北本線・奥羽本線経由だったので、その頃は「黒磯」を通っていた筈と思い、手持ちの
「ブルートレイン全百科」を見てみました。
すると、黒磯に「あけぼの」1号は0:05~0:11まで停車しています。
もしかしたら、運転停車かも知れませんが…。
@@syaso 主さん調べてくれて有り難う御座いました😢凄くスッキリしましたよ💡私は素人で調べるにも限度がありますが主さんの様に詳しい方が居てくれて有り難う御座いました😢
いえいえ、私なんか全然詳しくありませんよ!
私も、コメントで皆さんに教えてもらってばっかりです😊
いえいえ、私なんか全然詳しくありませんよ!
私も、コメントで皆さんに教えてもらってばっかりです😊
こんばんは(^.^)お疲れ様です〜🙋♀️
上野から青森迄行ったのですね。
私は1月1日の切符で上越新幹線で新潟迄行き新潟から在来線特急いなほ号青森行き迄行きました。⛄️があった年となかった年がありましたがーーー。青森から特急はつかりで盛岡迄座って盛岡から上野迄東北新幹線🚄で帰って来ました。2年間やりましたがーーー。
小澤様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
新潟まで新幹線で、新潟から青森行の「いなほ」に乗り継いで青森まで行きましたか。
そして青森からは「はつかり」で盛岡へ。
当時は、まだ、東北新幹線も盛岡までで、「いなほ」も、青森まで走っていた時代ですね。
昨今は、在来線の特急の運行区間がどんどん短くなってきています。
今度の北陸新幹線延伸で、「サンダーバード」も、「しらさぎ」も、敦賀止まりとなってしまいますね。
ソロの下段ですね A個室はあさかぜのお古なので、山側の景観が良くない部屋でしたから
毎月乗っていたので、乗客がだんだん減って、車販もなくなり寂しくなる列車でした
この動画の秋田運輸区の車掌さんが一番丁寧な乗務されてましたね
8739masaさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
A個室は「あさかぜ」のお古だったのですね。これまた知りませんでした。
確かに、僕が「あけぼの」でBソロを選んで乗ったのは、海側車窓で撮影できるからでした。
シングルDXが海側車窓だったら、きっとシングルDXに乗車したと思います。
僕も「あけぼの」は複数回乗りましたが、車掌さんのことまでは気にしていませんでした。
この日の車掌さんは、良い人だったのですね。
はい。ジャンパ栓の関係で部屋が山側になっていて、不評でしたね。なので、ソロが満室のときはいつも仕方なくシングルDXでした😂
7:34:50
自分用のジョイント音
森のクマさん様、おはようございます。タイムスタンプありがとうございます!
上野発の夜行列車降りた時から~、青森~駅は雪~の中~😅
Hideki Nakamori様、コメントありがとうございます。おはようございます。
阿久悠さんの秀逸な歌詞ですね。たった1行で上野を出発した女性が青森駅に着いている。
そして目の前の真っ白な雪景色、青函連絡船、津軽海峡…。
「あけぼの」は、その歌詞のまんまを体感できるような、そんな列車でしたね。
腰据えて拝見させて戴きます🍺🚬💨感謝❤
酒めいきょうさん、いつもありがとうございます。おはようございます。
全区間は長丁場なので、ちょこちょこっと見てもらえたらそれだけでも十分嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
たまたま隣のJRホームいて写真撮っていて寝台特急いたら
サイコーな写真撮れるよね、埼玉生まれ
東京育ち故郷ない私
乗ってみたいが知り合いも友達もいない
ただ往復する為高額
払って迄乗りたくない。
高橋さん、コメントありがとうございます。おはようございます。
僕も、もともとは東京育ちで、故郷はありませんでした。
なので、ふるさとのある地方出身の人がかえって羨ましかったりしました。
大学生の時なんかは、地方出身者は一人暮らしとかできるのも羨ましかったですね。
寝台列車は、本来は旅行、ビジネス、帰省で利用するのが目的ですから、
僕みたいに、「寝台列車に乗ることが自体が目的」っていうのは、鉄道ファン独特の考えですね。
上越線のEF64重連貨物が懐かしい。
岡桃14号機さん、コメントありがとうございます。
EF64と言えば、私が子供の頃、1000番台が出てきて、その頃は、すごくあの側面の窓に違和感があったのですが、それも段々と好きになって。
そんなEF64も、もう過去の機関車となってしまいましたね。
よく髙崎駅で夜2番線から出発するのを見ていました最終横川行きに乗るので❗
原沢さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
かつて高崎駅は信越本線と上越線の分岐駅として、色々な優等列車が発着していて、見ていて楽しかったものです。
今では横軽も廃線となり、上越線は新幹線にとってかわって、在来線の賑わいがなくなってしまいましたね。
そのうち211がなくなり❗233が信越線や両毛線や上越線や吾妻線に走るのでつまらなくなりますね‼️SLもいつまで走るのやら❗
確か青森から羽後本荘まではB寝台は寝台券不要だったはず。それを使って青森から秋田まで移動するのに1度乗ったのが、唯一の日本で乗った寝台席でした。
Yoshihiroさん、コメントありがとうございます。
懐かしいですね。「立席特急券」ってやつですね。かつての寝台列車には、ありましたよね。
「立席」とあるので、立って乗車しないといけないのか…というと、そうではなくて、空席があれば座れるという切符だったと思います。
しかも、だれも回りにいなければ寝転んで移動することもできたと思うので、「いなほ」や「つがる」で移動するよりも面白かったのではないかと思います。
@@syaso まさにその通りです。確かいなほやつがるって16時頃の早い時間が青森発のラストで、その次に出る秋田まで行けるラストが青森駅18時か19時発のあけぼのだったんですよね。初めてのB寝台で、思ったよりシート固いんだと思った記憶があります。4月なので早く日も落ちて外も真っ暗で何も見えず、、上段には羽後本荘から利用できる寝具類が積まれていたので、できることなら布団ひいて寝たかったなというのが本音でした笑
立席枠は4号車 3人掛け
窓側 中 通路
下りは羽後本荘 上りは秋田までだったかな
なにぶん、旧い記憶なので間違ってるかもしれません
下りは早朝 上りは最終特別急行の補完を担ってました
青森終起点でしたが、鳥海と統合したために 秋田県内はこまめに停車してました
同じ羽越 奥羽を走っていた日本海と停車駅が異なるのは 前記のためです
末期はほぼ大館 秋田以外の駅での降車客はおりませんでしだが
素晴らしい!
肉増しさん、ご視聴ありがとうございます!
あけぼの懐かしすぎる。秋田駅に何度も見に行ったなぁ。今度ははつかり(スーパーはつかり)や白鳥とかも残っていたらお願いします!
狭間の時さん、コメントありがとうございます。
秋田に何度も見に行ったということは、秋田の近くにお住まいなのですかね。
「あけぼの」はブルトレの中でも最後の方までよく頑張ってくれました。
「はつかり」は、ごめんなさい。撮影してないんですよ。
「白鳥」は、八戸→函館なら、以前、「スーパー白鳥」で、前面展望をアップしていまが、大阪ー青森は持っていません…。
485系の「白鳥」八戸→函館であれば以前に撮影しているので、今度、アップしたいと思います。
よろしくお願いします。
@@syaso 秋田に住んでいますので(笑)(今も)
@@TaPuMa512 そうですか、そうですか。
語弊があるかも知れませんが、秋田、ちょっと羨ましいです。
かつて秋田は色々な列車が通っていましたよね。
夜行では鳥海、天の川、おが、日本海、臨時あきた、臨時あおもり…
昼行でも、白鳥、いなほ、つばさ…
私の亡き父の実家は新潟で、20系の「天の川」秋田行を1度だけ利用した事があります。
東三条っていう駅で降りてしまうので、「あぁ…このまま秋田まで乗りたい!」って子供の頃思いました。年が知れますが(笑)
秋田とか青森とかの人が羨ましかった…。変な事言ってすみません。
大昔上野から北海道に帰郷する時はお金が無くいつも急行八甲田に乗りあけぼのには乗った事がありませんでした……(´;ω;`)ウゥゥ
Yosihisa Tagamiさん、コメントありがとうございます。
いや~、全然いいじゃないですか!僕からしたら羨ましいですよ!
急行「八甲田」は、憧れの列車でした。
「十和田」とか、秋田までなら「おが」とか「鳥海」なんかもDC急行の「出羽」なんかもありましたよね。ちょっとリッチに行くなら寝台急行「新星」や「天の川」。
東北・常磐・羽越、奥羽には憧れの列車が山のようにありました。特急でなく、急行っていうのがシブいんですよね。
@@syaso 返信ありがとうございますm(_ _)m
いつもは八甲田だったんですけど数回気分転換?wwwに急行津軽も使ってました。窓にビールを並べて12時間ずっと車窓を眺めてた30数年前の懐かしい思い出です。
@@yosihisatagami972 こちらこそ、ありがとうございます。
「津軽」!忘れてた!津軽もいいなぁ…愛称名がいい!
30数年前だと、12系とか14系とかの時代ですかね。
窓にビール並べ…イメージ湧いてきます。30数年前にビールということはTagamiさんは、僕のちょっと先輩か同じ年位ですかね。
僕が上野駅に子供の頃よく撮影に行ってた頃は「津軽」はまだ10系寝台が連結してました。10系とか20系が活躍してた頃の急行は特にシブかった。雑多編成の国鉄急行は、私の憧れでした。
うお、大館でかすかに聞こえるきりたんぽ物語が泣ける、、
乗ってみたかった、、
豆大腐さん、コメントありがとうございます。おはようございます。
いや~、すごい。よく聞いてますね。
私、恥ずかしながら、全く気づきませんでした。
しかも、豆大腐さんに言われて、初めて大館駅で「きりたんぽ物語」という曲が発車メロディーに使われている事を知りました。
早速、youtubeで検索したところ、「きりたんぽ物語」の動画を発見!
そこには豆大腐さんのコメントも発見!
とても切ないメロディーと歌詞。そして歌手の方の声がいい声!
少しもの悲しい北国の感じが日本人の心に沁み渡るようなような1曲です。
この曲は、確かに、もっと評価されていいように思う。
@@syaso コメントまで見つけられてしまって恥ずかしいですw
17:03 尾久駅
簡単感嘆様、明けましておめでとうございます。
タイムスタンプありがとうございます!
21:17 赤羽通過のときに
「わー!埼京線の205系だー!なつかしー!」
って思った直後、なんか205系がわんさか出てきて「ちょっとでしゃばりすぎん?」っておもってしまったw
面白くない人さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですね、そうですね。当時は205系がまだまだ全盛期。そこかしこで走ってましたからね。
そんな風景も、今では過去のものとなってしまいました。
10:28:30 二ツ井到着。
アカワイン三世様、おはようございます。タイムスタンプありがとうございます!
日本海の水平線がお月さんに反射されてるのが素晴らしい、やってくれるね?
原じぃ原尾さん、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます!
先日は「津軽線」にもコメントを頂きありがとうございました。
月明かりが海に反射して見える時には僕も嬉しくなります!
あけぼの懐かしいです👍学生の頃祖母と乗って叔母の所へ遊びに行ってましたよ✨動画は上野→青森ですが私は秋田から上野まで乗って行きましたね。私の自宅は奥羽本線の側なので日本海やあけぼの、白鳥、トワイライトエクスプレスなどが通過してる音がよく聞こえました。あけぼのを乗ってる動画を観れて此方も乗ってる感を味わえたので嬉しかったです。主さん有り難う御座います(^^)
いいかげん商会さん、モチベーションのあがるコメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。「あけぼの」でのコメントは、秋田の方が多いですよね。
奥羽本線の沿線ということで、かつては面白い列車が沢山見れたことでしょう。
日本海、あけぼの、トワイライト、白鳥…みんな懐かしい列車たちです。そしてどれも魅力的な列車でした。
全部無くなるなんて、子供の頃は想像もできませんでした。
優等列車街道だった奥羽本線も寂しくなってしまいましたね。
@@syaso 奥羽本線から東は東京、西は大阪まで向かう列車があったので遠くまで行くには凄く有難いですよ。学生の頃にあけぼのや日本海、トワイライトエクスプレスや白鳥は自分が大人になってもずっとあるのだろうなと思い続けてましたが無くなって残念ですよ(泣)今は貨物、普通、特急位しか走ってないので寂しくなりましたよ(泣)希に奥羽本線にカシオペアが走ってると「良いな」と思いますね✴
@@いいかげん商会 重ね重ねコメントありがとうございます!
なるほどですね。僕は東京や大阪方から鉄道を見る癖がついてますが、秋田側から見ると、確かに東西両方に行けるわけですよね。
優等列車街道だった奥羽本線から名列車が次々と消え、普通列車も通勤電車みたいなものばかりになり、かつての奥羽本線らしさがほとんど感じられなくなっってしまいました。そんな中でたまに来る「カシオペア」はちょっと嬉しくなりますよね。
あけぼの臨時化すると乗れる車が6両に、なるハズです。。
鉄様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
寝台特急の動画もやっぱりたのしいです‼️関西の特急の動画も出してみてもいいと思いますよ特急くろしお、特急まいづる、はしだて、きのさきとか、出してみて下さい‼️
ぽん鉄道TVさん、先ほどのコメントに引き続き、今回もコメントありがとうございます。
関西特急、これであればいくつか撮影しています。
くろしお、まいづる、はしだて、きのさき…全て撮影していますが、ただ、全部古いんですよ。
僕はもう50歳のオッサンですから、国鉄車両へのこだわりが強くてね。183系時代に撮影したものばかりですなんです。
なので、古い車両による車窓動画になりますが、今度、追ってアップしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
華が無い寝台特急と言えばあけぼののイメージが強い世代です。
hnさん、コメントありがとうございます。
華がないんですよね。あけぼの。北斗星とかカシオペアみたいな華やかさ。
でも、KuroNosukeさんがおっしゃるように、北東北の日本海側の人にとって実用的で「地域密着型」な所が晩年まで生き残れた理由のひとつかもしれませんね。
この動画のような12時間以上の動画のアップロードの仕方をお教え頂けないでしょうか?🙇♀️
他のチャンネルで12時間以上の動画がアップされてるのをあまり見た事がないので方法が気になります🙇♀️
Anonymousさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
12時間以上の動画も、おそらく通常のやり方でアップロードできると思います。
ただ、アカウントによっては、制限がかかっているようです。
僕はyoutubeをはじめたのが15年以上前なので、今とはアップロードの制限などで条件が違っていたかもしれません。
ちなみに、以下のサイトが参考になるかもしれません。
youtube→ ruclips.net/video/AroTpC_0X-s/видео.html
ブログ→ www.howtonote.jp/youtube/movie/index4.html
よかったら、参考にしてみて下さいね。