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昭和55年頃、飯田線の写真とダイヤの本が発売され、その後何度も通いました。特に田切の大カーブが好きで、友達の兄に24㎜のレンズを借りて何度も撮った。当時は今と違って撮り鉄などという存在はいなかった。
撮り鉄と言う言葉は嫌いです。当時は鉄っちゃんとか鉄道ファンでまとめられてましたね。規制も緩くて今のような社会問題にもならなかった。いい時代でした
コメントありがとうございます!自分も田切のカーブばかりでした。初めて飯田線に行ったときは豊橋から伊那福岡まで旧国の乗車を楽しんで、それから撮影、家に帰ればGMキットを組んだりと、乗って、撮って、模型もやって、と、変なカテゴライズに囚われずに楽しんでいましたよね。
クモハ53007を見に伊那松島まで何度も見に行きました。
コメントありがとうございます!53007は別格でしたね。それにしても何度か出会うことはできても、先頭に出たところに遭遇できなかったので、伊那松島訪問のとき、先頭を見られたことは本当に感激でした。
@@ggvk3156 飯田民ですが53007は憧れでした。先頭で観たのは記録によれば1度だけで1983年4月2日豊橋で発車前の伊那大島行645Mで165系もいたので側面は撮れませんでしたし夕刻で鮮明でないのが残念ですが貴重な1枚。
1983.03.20に、53007が荷電併結の245Mで辰野に向かうのを見ているので、当日1230Mを待っていれば、53007先頭を撮影できていながら、当時は運用を理解しておらず逃しています。先頭で運用に就いている53007は本当に撮りたかったです。
モハ42、流線型の52など戦前の関西急電で使用されたいわば旧国のクイーンが集結した線区…ぜひ訪れたいと思っていたが、当時は小学生で、小遣いも少なくて地元の首都圏から訪れるのは難しかった。初めてこの線を訪れたのは119系に置き換えられてから10年以上経ってからだったが、やはり旧国現役時代に訪れたかった。
コメントありがとうございます!自分も首都圏在住で流電は小学生のときに廃車になり間に合いませんでした。飯田線旧国最後は、なんとか高校生になっていて、ギリギリ間に合いました。飯田線は、旧国の博物館の異名をもっていましたよね。
鉄道模型でも飯田線旧国はもはや1ジャンルと呼んで良い人気。Nゲージでも比較的早い時期にはグリーンマックスの組み立てキットで出揃い、今日ではKATOのハイクオリティな完成品で全種制覇に近い勢いで製品化。今や実物無く、写真か模型で当時を偲ぶしか無いが、全部揃えて・・・みたいな欲が出てしまう。
コメントありがとうございます!KATOから末期を忠実に再現した53007と53008が出たときには本当に驚きました。流電を最後にシリーズの展開は終わった感じですが、ここに挙げたクロハ改造のクハ68と奇数向きの狭窓二扉電動車をいつか追加で出してくれないかな、と叶わね望みをもっています😅
自分は飯田線沿線の南部の飯田市在住の者ですがゲタ電が全盛期で走っていた頃はまだ幼い頃でなかなか自由に乗れたり写真を撮りに行けなかったのが残念で悲しい限りでしたね。
コメントありがとうございます!自分は遠方だったので、通えたのはロケハンもできるようになった高校生になってから、廃止までの最後の半年だけでした。あと一年、せめてあと半年ぐらい行けていたらと思います。
旧型国電は、今もオラの中ではロマンであり大切なノスタルジィです❤
コメントありがとうございます!今、製造後40〜50年が経った車輌もそれなりの魅力はありますが、それでもあの頃の戦前形旧国と同じ魅力にはならないですね。
おぉ〜!、カッコイイなぁ〜
コメントありがとうございます!やはり二扉クロスシート車は華がありましたね☺️
旅情感も味わえてお得であって華があるって素晴らしいよね〜
80系転入に伴う廃車は、低年式、低出力、2扉、半室式運転台に該当する車両を中心に選定されたことになってるのでこの4項目全てに該当する43015が残ったのは正に奇跡。
コメントありがとうございます!汎用クモハのクモハ54100番台の奇数向きでも廃車になったものもあったのに何故43015は残れたのでしょうね。せっかく奇跡的に最後まで残ったクモハ43でしたが、他の最後の静ママ車とともにあっさり解体されてしまったことは残念でしたが。
この車両、45年ぐらい前に御殿場線にいなかったですか?小学生低学年ぐらいの時見た覚えがあります。
コメントありがとうございます!御殿場線で1968年の電化から1979年まで走っていた旧形国電は、色は同じ横須賀色ですが、主に、この車輌とは少し違う、四扉ロングシート車、戦後製の72系、73系、と呼ばれる車輌と、一部、電化当初の一時期だけ戦前形三扉ロングシート車クモハ60でしたが、少し調べてみたところ、これを撮った数年前、飯田線旧形国電廃止の第一弾の1978年11月ごろ、ここに挙げた車輌と同形式の戦前形、クモハ50やクモハ43の両運転台版のクモハ42などが、一時期、駿河小山に廃車前に疎開されてたようですね。ですので、駿河小山では、留め置かれていた廃車予定の飯田線戦前形旧国を見ることができたようですね。飯田線旧国が御殿場線にも縁があったとは勉強になりました☺️
@@ggvk3156 ご丁寧にありがとうございます。子供の時の記憶なんで、「青い電車」のイメージしかありません。横須賀線でそのカラーとかだいぶ後に知りました。形式は違うようですが、記憶違いではなかったようですね。
この色の「青い古い電車」であるならば、間違いなく御殿場線を走っていましたね☺️
昭和55年頃、飯田線の写真とダイヤの本が発売され、その後何度も通いました。
特に田切の大カーブが好きで、友達の兄に24㎜のレンズを借りて何度も撮った。
当時は今と違って撮り鉄などという存在はいなかった。
撮り鉄と言う言葉は嫌いです。当時は鉄っちゃんとか鉄道ファンでまとめられてましたね。規制も緩くて今のような社会問題にもならなかった。いい時代でした
コメントありがとうございます!
自分も田切のカーブばかりでした。
初めて飯田線に行ったときは豊橋から伊那福岡まで旧国の乗車を楽しんで、それから撮影、家に帰ればGMキットを組んだりと、乗って、撮って、模型もやって、と、変なカテゴライズに囚われずに楽しんでいましたよね。
クモハ53007を見に伊那松島まで何度も見に行きました。
コメントありがとうございます!
53007は別格でしたね。それにしても何度か出会うことはできても、先頭に出たところに遭遇できなかったので、伊那松島訪問のとき、先頭を見られたことは本当に感激でした。
@@ggvk3156 飯田民ですが53007は憧れでした。先頭で観たのは記録によれば1度だけで1983年4月2日豊橋で発車前の伊那大島行645Mで165系もいたので側面は撮れませんでしたし夕刻で鮮明でないのが残念ですが貴重な1枚。
1983.03.20に、53007が荷電併結の245Mで辰野に向かうのを見ているので、当日1230Mを待っていれば、53007先頭を撮影できていながら、当時は運用を理解しておらず逃しています。先頭で運用に就いている53007は本当に撮りたかったです。
モハ42、流線型の52など戦前の関西急電で使用されたいわば旧国のクイーンが集結した線区…ぜひ訪れたいと思っていたが、当時は小学生で、小遣いも少なくて地元の首都圏から訪れるのは難しかった。初めてこの線を訪れたのは119系に置き換えられてから10年以上経ってからだったが、やはり旧国現役時代に訪れたかった。
コメントありがとうございます!
自分も首都圏在住で流電は小学生のときに廃車になり間に合いませんでした。飯田線旧国最後は、なんとか高校生になっていて、ギリギリ間に合いました。
飯田線は、旧国の博物館の異名をもっていましたよね。
鉄道模型でも飯田線旧国はもはや1ジャンルと呼んで良い人気。
Nゲージでも比較的早い時期にはグリーンマックスの組み立てキットで出揃い、今日ではKATOのハイクオリティな完成品で全種制覇に近い勢いで製品化。
今や実物無く、写真か模型で当時を偲ぶしか無いが、全部揃えて・・・みたいな欲が出てしまう。
コメントありがとうございます!
KATOから末期を忠実に再現した53007と53008が出たときには本当に驚きました。
流電を最後にシリーズの展開は終わった感じですが、ここに挙げたクロハ改造のクハ68と奇数向きの狭窓二扉電動車をいつか追加で出してくれないかな、と叶わね望みをもっています😅
自分は飯田線沿線の南部の飯田市在住の者ですがゲタ電が全盛期で走っていた頃はまだ幼い頃でなかなか自由に乗れたり写真を撮りに行けなかったのが残念で悲しい限りでしたね。
コメントありがとうございます!
自分は遠方だったので、通えたのはロケハンもできるようになった高校生になってから、廃止までの最後の半年だけでした。あと一年、せめてあと半年ぐらい行けていたらと思います。
旧型国電は、今もオラの中ではロマンであり大切なノスタルジィです❤
コメントありがとうございます!
今、製造後40〜50年が経った車輌もそれなりの魅力はありますが、それでもあの頃の戦前形旧国と同じ魅力にはならないですね。
おぉ〜!、カッコイイなぁ〜
コメントありがとうございます!
やはり二扉クロスシート車は華がありましたね☺️
旅情感も味わえてお得であって華があるって素晴らしいよね〜
80系転入に伴う廃車は、低年式、低出力、2扉、半室式運転台に該当する車両を中心に選定されたことになってるのでこの4項目全てに該当する43015が残ったのは正に奇跡。
コメントありがとうございます!
汎用クモハのクモハ54100番台の奇数向きでも廃車になったものもあったのに何故43015は残れたのでしょうね。
せっかく奇跡的に最後まで残ったクモハ43でしたが、他の最後の静ママ車とともにあっさり解体されてしまったことは残念でしたが。
この車両、45年ぐらい前に御殿場線にいなかったですか?小学生低学年ぐらいの時見た覚えがあります。
コメントありがとうございます!
御殿場線で1968年の電化から1979年まで走っていた旧形国電は、色は同じ横須賀色ですが、主に、この車輌とは少し違う、四扉ロングシート車、戦後製の72系、73系、と呼ばれる車輌と、一部、電化当初の一時期だけ戦前形三扉ロングシート車クモハ60でしたが、少し調べてみたところ、これを撮った数年前、飯田線旧形国電廃止の第一弾の1978年11月ごろ、ここに挙げた車輌と同形式の戦前形、クモハ50やクモハ43の両運転台版のクモハ42などが、一時期、駿河小山に廃車前に疎開されてたようですね。
ですので、駿河小山では、留め置かれていた廃車予定の飯田線戦前形旧国を見ることができたようですね。飯田線旧国が御殿場線にも縁があったとは勉強になりました☺️
@@ggvk3156
ご丁寧にありがとうございます。子供の時の記憶なんで、「青い電車」のイメージしかありません。横須賀線でそのカラーとかだいぶ後に知りました。形式は違うようですが、記憶違いではなかったようですね。
この色の「青い古い電車」であるならば、間違いなく御殿場線を走っていましたね☺️