Japanese National Railways Iida Line (Spring 1983) A treasure trove of old national trains
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- Опубликовано: 19 окт 2024
- Thank you for watching.
Below is a video introduction from Mr. B who shot the video.
This is an old national train on the Iida Line taken on May 8, 1983.
The 80 series was scrapped when the 119 series was introduced in Toyohashi Ward, and this is a video of the final period of pre-war national electric trains remaining in Ina Matsushima Ward.
I think the first scene is the Yodagiri River iron bridge between Iijima and Inahongo.
Unfortunately, I don't remember any other scenes and couldn't pinpoint their locations.
This video was shot in 1981 using a Victor video camera GZ-S3 and the same VHS portable video deck.
#JNR ED62 Towed Freight Train
#Old National Electric Railway
#119 series Iida line paint color
伊那松島期間区のEF60が好きでした。
荷物車込みの編成も素晴らしいですね!
素晴らしい動画をありがとうございます。
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
ED62ちゃうの?😋
素晴らしい動画。
動く旧型車の映像は本当に貴重。
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
自分自身1983年8月生まれなので少し前の映像ですね。
貨物列車が走ってたのは知ってましたが、実際に観たのは初めてだな。
当時最新鋭の119系も既に過去の物になりました。
福井県のえちぜん鉄道へ譲渡された車両(MC7000系2両編成×6本)が、まだ残っています。
飯田線旧国の走行動画を見ることができて感動しております。今後も楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
懐かしい映像を見させて頂きありがとうございました。余分な音楽や無駄な解説も無くそのままの映像、音源が良いですよね。当時は当たり前のように聞いていた吊り掛け音も久しぶりに聞くと懐かしさの中に新鮮さが感じられました🙂
コメントありがとうございます。
動画に対する当方の意図を汲んでいただけたようで、嬉しい限りです。
良い動画を、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
昨日の事のように思いだされる信州の風景がこんなにも古めかしいとはビックリします。世の中とは移り変わりが速いと、思わされる動画でした。
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
先日、播但線でMT55の音を堪能してきましたが、
もうそれすら過去のものになりつつあるんだなとふと思った次第。
ここに出る吊掛音がなんかほんとに懐かしい。
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
ゲタ電と119系国鉄色、これぞ飯田線
モーターの唸り音が最高🎵🎵
国電の飯田線の走行動画なんてめちゃくちゃ貴重ですね!自分は飯田線の実物は313系と213系しか見た事がないので!
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
こんにちは!いつも楽しく見せていただいております。
いろんな車種の旧型車が走る中、それぞれにクセがあったろうに。😢
運転手さんの苦労がしのばらます。😅
乗り鉄は楽しみが尽きませんでしたね。😂
次の動画を楽しみにしております。🤗
コメントありがとうございます。
確かに色々な車両があると、運転席の機器の配置なども違うかもしれませんね。
東京生活に定着していた頃になります。
中学・高校の修学旅行で豊橋まで行き、京都・奈良、岡山・大阪への旅でした。
列車は貸切の表示を掲げていました。
コメントありがとうございます。
ご視聴いただきありがとうございました。
まさに旧國の楽園だね
気動車が走っても似合いそうな景色だ😃
旧国の楽園最末期ですね。この時代に飯田線詣でして後に旧国のエキスパートになった人もいる程、当時の鉄道マニア(オタクという言葉はまだなかった)の人生観に大きな影響与えましたね。
自分はその頃まだ小学生だったので行けなくて残念無念
コメントありがとうございます。
この時代にB氏が捉えたビデオ映像は、大変貴重なものだと思います。
もしも、ドラえもんのタイムマシーンがあったら、その頃に戻って乗りにいきたい。
コメントありがとうございます。
そう想う御仁は、少なくないでしょうね。
自分が鉄ヲタを卒業した翌年だ。
80系が映ってないし、108系など無かった。
秘境路線のイメージのある飯田線もこの時代には貨物輸送も荷物輸送もあったんですよね。
真ん中に遊輪をひとつ備えたED61改造のED62は 飯田線ならではの電機。
2:35の4両編成も 後ろ2両は クモニ13とクモニ83 100番台。
105系をクロスシート化したような119系は 飯田線にはうってつけの電車で 103系と同じMT55の音を響かせて快走。
青いボディに引かれた白い線は 塗装ではなく樹脂フィルムを貼り付けたもの。
ただ 出たばかりの頃は 窓から手を出して このフィルムを剥がす輩が多く 綺麗な白いラインがボロボロになった車両も多数見られました。
本動画でも 6:20の4両編成の最後尾の車両の帯が 一部ボロボロになっています。
コメントありがとうございます。
119系の白帯の素材に言及されていましたが、コストダウンで塗装にならなかったのでしょうね。それにしても、白帯の位置が良くなかったのか、剥がされてボロボロになっているというのは、余り目にしたくはないですね。
ED62の1輪中間台車、あれ、絶妙な等間隔になっていて単機で走ると、タンタンタンタンタンと正確なジョイント音を刻んでくれます。伊那松島機関区での体験です。
コメントありがとうございます。
電気機関車の変り種ジョイント音選手権みたいのがあったら、EF58に並んで上位に食い込みそうですね。
この飯田線という路線、この当時から40年以上経過した現在でも、沿線風景は ほぼ同じですね!田舎の光景そのものです。変わったといえば、走る車両がJR東海313系か213系に変わった程度かな?旧型国電は当然として、この当時 最新鋭の119系も過去帳入りしてしまいました。ある意味、時代の流れってのは残酷ですね!
コメントありがとうございます。
日本の原風景を感じられる路線を、これからも残していただきたいものですね。
4;35~の場所は伊北インターから2Kmほど北の三州街道沿いですね。
たまに通る場所ですが交通量の多い場所で、今は撮影の場所の踏切は無くなっているようです。
動画の終盤には天竜川に架かる中央道の真新しい橋脚が見て取れるので昔は電車のこんな風景があったんだな~と見させていただきました。☺
コメントありがとうございます。
貴重な情報ありがとうございました。
4:35 😉
119系白いライン 最初はカッティングシートだったのが、剥がされるイタズラが多発して、ペイントになりました。
コメントありがとうございます。
白帯がイタズラ対策で塗装になったのは、耐候性が低かったということでしょうかね。
高校生なんかが窓から手出してペラペラやったら耐候性も何もないでしょうけどね。
飯田線の佐久間といえば久根鉱山がありました。
その佐久間で、のちにプロ野球で活躍されたある投手が小学、中学時代に家族で住まれていたそうです。
天竜川の対岸に向けて毎日のように石を投げていたという伝説が佐久間にありますね。
コメントありがとうございます。
ホップする直球は石を投げて会得したようで、ボールを放す瞬間の指を押し出すような投げ方が独特で、他に類を見ないようですね。
@@ZIPANG1067
私は中学生の時に私立高校入試で受験した学校は栃木県の私立高校でした(合格したけど入学せず)
今思えばその学校に入学すればよかったと後悔しています。
最近は甲子園によく出場していますね。
私も都内にある私立の進学校に合格したのですが、進学校とは言えない都立高校へ通うことにしました。
もし、その私立高校へ行っていたら……私は後悔はしていませんが、ちょっと気になるところではあります。
@@ZIPANG1067
近所で子供の頃から仲良しだった先輩が帝京の出身でした。
私も帝京に行きたかったけど親から反対されました。
どうしてだろうね…?www
野球、サッカーなどスポーツが得意なら、帝京高校はありかもしれませんね。
でも、プロになっても活躍できるのは、ほんの一握りの人材だからなぁ……。
今回も貴重な映像をありがとうございます。残っていた旧形は6月中旬から月末にかけて、定期運行からは離脱していったので、活躍が残り2ヶ月弱の頃ですね。
撮影場所ですが、
1:20 ~ 伊那本郷駅付近でしょうか?
4:34 ~ 伊那新町-羽場のように思えます。
コメントありがとうございます。
B氏の解説文をご覧いただければと思います。
冒頭の映像以外は、残念ながら明確な撮影場所は不明のようです。
返信ありがとうございます。
説明文に最初のシーン以外は撮影場所が不明と書いておいででしたので、ここではないか?というところを書かせていただきました。
他の方のご見解をお待ちしたいですね。
1:20 私も伊那本郷駅西側からの撮影に思えます。
2:48 直線の長い鉄橋を列車が減速しながら渡っていますので、大田切-宮田間の大田切川橋梁を西側からの撮影に思えます。
この場所は東側国道上から中央アルプスをからめた写真が多いですよね。
3:09 段々北上してきておりますので、この場所は下島-伊那市間の小黒川橋梁手前を東側からの撮影に思えます。
4:33 ほかの方も指摘しておりますが、私も羽場-伊那新町間で西側からの撮影に思えます。
画面奥に進行していく列車が、木々に隠れる辺りがかつて119系での脱線事故が発生した現場付近になると思います。
あの場所は線路のすぐ近くまで天竜川が蛇行してくる箇所でした。
JR東海所属車から国鉄製造車が引退し、東海製造車も静岡で211系引退が急速に進んでいる様子で、
213系の引退も現実味を帯びてきたように感じます。時の流れは速いですね。
コメントありがとうございます。
映像の詳細な分析を賜わり、ありがとうございました。
飯田線、我が思春期、青春時代の思い出!
何時も、新宿発長野夜行、又は東京発大垣夜行でトライした、強行軍の思い出、急行列車以外は全て旧型電車、昭和50年代初頭、各地の電車が新型化の波に押される中、未だ飯田線は旧型天国でしたね。長大な路線で、東三河~遠州北~南信を結び、市街地~平地農村~山間~アルプス山麓と、車窓変化を楽しめる路線でした。
今回の動画は、アルプス山麓の動画にあたりますが、私奴も雄大なアルプスに抱かれた、好みの区間でした。白地図の等高線に沿って敷かれた線路、信じられない程の急カーブ、電車の歩みも、牛歩の如くでしたが、それだけに車窓の自然を満喫出来たのでした!
コメントありがとうございます。
私も大垣行き夜行列車は、「青春18切符」がらみで何度となくお世話になりました。
その列車には登山客も多く、確か冬の時期には暖房で暖かいので、床に新聞紙を敷いて寝る猛者もいたような……。
飯田線の小和田駅が祝福ムードでブームになりましたね。
駅の近くには3県境が接するエリアがありますね。
秘境駅に取り上げられるような駅なのに、一時期テレビ局の取材合戦で凄かったですね。
@@ZIPANG1067
夜行列車は、床に新聞敷いて寝るのは、当たり前でしたね。通路にマグロのごとく寝ているのでトイレに行くのも大変でした。でも、車掌も黙認、何のトラブルも起きない、おおらかな時代でした!
逆に今、新聞敷いて寝てみたい!
飯田線には名古屋鉄道と路線を共用している珍しい区間がありますね。
似たようなケースは福岡県の平成筑豊鉄道でも見られます。
コメントありがとうございます。
またまた凄いネタですね。調べてみたら、上り線が名鉄で、下り線はJR東海が所有しているのだとか。
両鉄道でのダイヤ調整のやり取りを考えると、夜に寝られなくなっちゃいますね。
@@ZIPANG1067
平面クロスはダイヤの組み立てが難しいでしょうね。
関東エリアだったら、やはり蛇窪分岐ですね。
以前にお示しいただいた箇所ですね。
そこのダイヤ調整は、寝られなくなるどころではなく、胃が痛くなりそうです。
豊橋駅〜(JR)船町駅〜(JR)下地駅〜平井信号場間ですね。
平井信号場で、JR飯田線と名鉄名古屋本線とがそれぞれ分岐して、飯田線は小坂井駅方面へ、名鉄線は伊奈駅方面へ向かいます。
コメントありがとうございます。
詳細な情報をご教示いただきありがとうございました。
「飯田線のバラード」ではないのですね
(究極超人あ~る)
コメントありがとうございます。
調べてみると、同曲がリリースされたのは1991年のようですね。
この映像は1983年なので、「飯田線のプレリュード」といったところでしょうか。