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90年から94年ぐらいまで87年式のXS Turbo に乗ってました。中古で80万円ぐらいでした。独特のスタイルは今でもかっこいいし古びてもいない、操作系もとても使いやすかったです。動画ではスイッチが多くて戸惑ったという話ですが 全然そんなことなかったですよ。この車はワイパーが1本だけですが、それがまたかっこいいんですよね。中は広くて大人4人は余裕でした。また、全席はバケットシートで長い時間座ってもつかれません。また、後席を倒すとフラットな大きな荷物室となりスキーの板を斜めにすれば積むことが出来ましたし、前席も倒して毛布を引けば大人2人で寝れました。 デートカーとしてはマイナーでしたが逆に珍しがられる存在で 女性受けはよかったです。車内が広いのでイチャイチャにも便利でした(笑) エンジンは150馬力でタイムラグがありましたがターボがかかった時のシューンという加速は鋭かったです。燃費は街乗りで8km 高速で16ぐらいでした。 よくない点は乗り心地、特に舗装が良くない道だとバタンバタンしてました。あと故障、リトラクタブルライトが開かない(開かなくても問題はないけど) エンジンやパワステのオイル漏れ、最後は駆動系が壊れて走れなくなり 廃車になりました。当時は若くて金がなくて修理整備にお金をかけなかったこともあるけど、やっぱりいすずの車はダメだなと悔しかったことを覚えています。 でも、いまはお金に余裕があるので、また買って乗ってみたい。
いすゞはこれだけに限らず他にもコンセプトカーがウケると限りなく忠実に市販しちゃう真面目な会社だったから、一部のマニアには支持されたけど一般ウケはイマイチでしたね。ただ、自分は未だに記憶には残っている車が多いのはいすゞ車が一番ですけどね、
JT150ジェミニの後部座席を取っ払ってトラックにしたり、ミューとか不思議な車も多かったよね。存在感はあったけど、正直ジェミニとトラックのイメージですねw
はっきり言っていすゞのデザイン力は日本一でしたのちに乗用車から撤退する時に、デザイナーだけ日産へ引き抜かれましたね
@@1984yuming 貴方は多分、いすゞを知らない。GMの傘下に入った後の酷評だけじゃなく、いすゞは昔から仕上げが粗くて有名だったよ。JT150を2台、JT191Sも所有してたし、いすゞ社員と交流もあったが、乗用車を生産してた当時は、雑誌も社員も顧客もデザインを嫌ってた。117クーペも初期は高額だけど、自動化ライン後のモデルは今でも凄く安い。隙間だらけなんだよ。合いが悪い。製品の制度が低いんだ。性能も大したこと無かった。ガレージG5がメインに弄ってたけど、全然パワー出なかったし、他のチューナーも嫌がって参加しなかった。私のジェミニRも高額な改造費を掛けたけど、シビックに負けて手放した。誰も車を買わないから乗用車部門を手放しただけだよ。
@@だんがむまーく2 なるほどー、そういえばピアッツァにしばらく乗った後、いすゞの営業の人にはオペルを勧められましたただ、乗用車をやめる直前のジェミニのクーペタイプはかっこよかったと思っています。PAネロという車でしたか
@@1984yuming 偉そうに申し訳無いです。いすゞの車と会社が大好きで、乗用車の自社開発を諦めた時に、直接本社に電話し再考を求めた程、いすゞ車が好きでした。本当に残念でした。今・東南アジアでいすゞは乗用小型トラックを生産しています。日本でも売って欲しいですが、縮小し続ける日本市場では、難しいのでしょう。ジェミニにアスカ、ピアッツアやミュー、ロデオ等、魅力的な車達があったのを、今の若い人にも知って欲しいです。
高卒二年目で。初めての自分の自動車。中古車含めてPIAZZA一択でした。みんな、スターレットとかワンダーシビックとかCITYとか86だのGTX、ソアラ、スープラだのセフィーロだのシルビアだの浮かれてた時代。ヤナセでネロの新車。HBL、イルムシャーよりXSのスタイリングに惚れて買いましたわ。それから10年以上。子供が3人になって降りました。乗ってみ。マジでええ車。いすゞの車づくりって世界が理解るので。乗ったこともないのに、はたからあーだこうだ言うスペック至上主義の方々。現地現物を知ろうねwwwGTRなんて、公道では目でもないぐらい鴨ってたです。下手が乗りすぎ車だったなぁあの時代の高級車。
ただカッコいいだけで、機能的には微妙なセミリトラクタブルヘッドライトも素敵だ。
この頃のいすゞのデザインは大好きでした。特に特別仕様車のイルムシャーシリーズ。その中でもアスカイルムシャーは最高でした。なんでこんなにダサいセダンを美しく魅せるんだろうと・・
正直、おガキ様には理解出来ないデザインだったので、発売当時は全く興味がなかったのですが、成長するに伴ってこのクルマの良さや味が解ってきた感じです。
発売当時まだ小学生でジウジアーロ御大の名前すら知りませんでしたが、テレビCMを見てとにかく『カッチョエ~!』と思いました。後々になって自動車雑誌等でインパネ周りを見て、実用性はさておき『コン・バトラーVじゃ~!カッチョエ~!』と大興奮したものでした。
現在いすゞの博物館に展示されている最初期型のピアッツァは元私の愛車…これ、私のひそかな自慢です(笑)
ピアッツァは、スタイリングはもちろんパッケイジングもよく考えられたクルマです。5(4)人が快適に移動できる設計です。荷物も沢山積めます。
NERO XSターボに乗っていました。国産車で唯一YANASEで販売した、アメリカ仕様のピアッツァです。当時の米国は異形ヘッドライトが認可されておらず、角目四灯の規格品を無理に嵌めた物です。米国ではベンツも丸型の規格レンズのヘッドライトでした。因みにカナダはリトラク式が禁止でした。エアロパーツも付いた、そのNEROに惹かれて購入。YANASE50周年記念車もNEROの特別仕様車で販売されました。とにかく驚き尽くめの車。先ずルーフに雨どいが無いのです。今では一般的ですが、当時の乗用車はステンレスの雨どいが付いていてそこにスキーキャリアなどのステーを付けていたものです。そして一本ワイパー、信号待ちで作動できませんでした。歩道に大量にバシャッといくのです。ドアを開けて驚いたのは、左右それぞれに灰皿とシガーライターが付いていた事です。コックピットに着座した時には「俺が欲しかったのはこれだ」でした。タイトな着座感に戦闘機を思わせるようなインパネと各種ツマミ類。特に夜のイルミ感覚は素晴らしいものでした。そして後席。私が現在でも乗っている 70スープラよりも広く、三段階でリクライニングができました。外寸はスープラよりも小さいですが後席は広かったのです。この動画でも言っているように「走るマヨネーズ」と揶揄されていたのは事実で、初代ソアラが同時期に発売され、その後デザイン的に角ばった乗用車が流行りました。ソアラが「初デジパネ」を謳っていましたが、ピアッツアの方が先だったと記憶します。そして三代目プレリュードは各部に於いてピアッツアの真似をしていました。大好きだった「PIAZZA NERO」不具合が出始めると次から次へと故障ばかりでほとほとでした。YANASEに勤めていた友人は「ピアッツアはお荷物」と入庫すれば全てISUZUのディーラーに持っていき、手数料だけ取っていたそうです。私の場合のその故障や不具合の代表例は、ターボ内へのオイル漏れ 20万円。タイミングベルトの山の摩耗 (切れたのではない) 25万円。そして極めつけはカーブで左フロントの車輪がロアアームごと外れた事です。違和感があり何度も修理に出したのですが、結局この始末。高速道路だったら危ない事例でした。根元から外れたタイヤはフェンダーもへしゃげました。三度の訳の分からない修理とこの修理で数十万・・そしてこの最終修理でも ISUZUはとんでもないやらかしをしてくれました。ボディー全体に白い塗装が点々と・・クレームを入れたら、上がってきたのは、やすりでこすったようなボディー。もう堪忍袋の緒が切れました・・・YANASEも知らんぷり。因みに友人が乗っていた無改造のフローリアン。ホームセンターの駐車場で全焼しました。ISUZUに「メンテナンス不足」で一喝されたそうです。長く乗りたかったし、今でも乗りたい PIAZZA NERO。ガサツなエンジンとぐにゃぐにゃのシャーシ、せめてロータスエスプリみたいに進化して欲しかったです。
117クーペのカッコ良さに惹かれ、セリカLBからピアッツァに乗り換え、GT-Rへとステップアップしていきましたが、時代を先取りしすぎた斬新なデザインのピアッツァは、評価が両極端に別れていた気がします!😅自分は今でも通用する素晴らしいデザインだと思います!😆👍
8:38 「どこか「あと一歩」だね」そういうところが「いすゞ」なんだろうね「卜ヨ夕」あたりはこういうところを外さない
ピアッツァを2台乗り継いで、ネロ・ロータスに乗っていたので懐かしい・・・117は初期型が美しいが、ピアッツァは初期型より、最終型が最も美しいですね。動画は初期型がほとんどですが、後期型の画像もあって嬉しかったです。
以前ピアッツァNEROに乗っていました。当時ディーラーはヤナセで、カラーはブラックのみ、黒いマヨネーズなどと揶揄されましたが、あの空力的デザインは個人的には気に入っていました。懐かしい思い出です。
新車情報見て光本さんの試乗レビュー見てガツンと来た。高校生だった私は学校にカタログ持って行って、これ買うんだよアピールしてました(笑)...買えませんでしたけど(笑)。通学途中バスから車をながめるのが好きだった私は。地元京都で一番最初に納車されたピアッツアを発見、歓喜しました。(なぜ納車一号か分かったのはリアハッチに英語でそお様な内容が書かれてたカッティングシートが貼られてたから。)それから40年ほどたった今でも、当時の衝撃忘れられません。こういう車をスペシヤリティ―カーって言うんだっ!て。現在まででもあの時の新車発売時の興奮感動をあたええてくれた車では私の中では一番です。
子供心にセリカLBやランサーセレステを見て「かっちょエエー!」って思ってた頃にこのピアッツァが出て「なんだ!この未来的な斬新さは!」と驚いたものでしたね最後の車、サンタナっぽいぞ?って思ってググったら似てるけど残念、違いましたw
エクステリアはもちろんインパネ周りのコックピット感がカッコ良くてそれだけで欲しい、今でも欲しい
ピアッツアは18年以上のりました、個性の強い車でガラス面積が広くエアコンの効きが悪く毎日乗るにはちょっと根性が必要でした。流れるようなボディラインを楽しむのが嬉しかったですね。
7:54 発想がなかったと言うより、大きく回転するステアリングに信頼性を保ちながら配線を通すのが当時の技術的には難しかったはず。バブルの頃発売の初代シーマの光通信非回転式ステアリングスイッチがその難しさを物語ってる。わざわざ光通信にしたのは、当時の技術では配線を通せなかったからだし、スイッチ部が回らないのは信頼性確保的な意味もある。
懐かしいです、これのネロイルムシャーに乗っていました、惚れ込んで買った車で良いクルマだったな~
ピアッツァネロやビークロスがめっちゃ欲しかったな〰️…やはりデザインが特徴ある車って魅力的だわ。
現在ネロの限定車に乗ってますが、日本中何処に行ってもガン見されます。コンビニでは質問タイム、SAでは撮影会が始まってしまいます。5台乗り継ぎましたが一番好きなのは角目1灯のモデルで、これが一番ライトが明るかった。何故セミリトラのライトになったのかも諸説ありますがそこも言及して欲しかった。足回りはイルムシャーが最高でした。当時いすゞは自前で4速ATが作れなかったので、ATミッションはアイシンからの供給を受けていました。
ピアッツァの運転席は戦闘機みたいって仲間内で盛り上がった思い出。あのセミリトラクタブルヘッドライトは今でも好きだな!
ピアッツァのCMも良かったですね。昭和56年にワイヤーフレームでCMというのはなかなか未来的
ジウジアーロのデザインが色褪せないのは現行型フィアット500からもよく分かりますね。
ジウジアーロと言う名前の響きが好き
先進的なエクステリアエキセントリックなインテリアその一方で長い生産期間によって陳腐化し時代に取り残されたパワートレインパワーウォーズ全盛期で“力こそパワー”だった当時の日本市場でハンドリングや雰囲気だけでは訴求力が弱かった
ピアッツァはスタイルの良いクルマでした。117クーペに憧れていたため、その流れもあり好きでした。最初に購入するクルマの候補に入ってたりしましたが結局他のクルマに。その後仕事がいすゞ車と関係が深い会社に入り、初めて見たインパネ周りに愕然。スタンダードなレイアウトに慣れた自分には斬新なボタン多数の操作に混乱。乗り手を選ぶクルマ…ではなくメーカーでした。エンジンはなんかトラックのようなディーゼル音に感じましたね。一時期、117が2L4WDターボが出る!というウワサがまことしやかに流れましたナ。
いすゞ自動車は中古車をドレスアップして再販していましたね。(日産にもあった)武者シリーズは当時欲しかった。ピアッツァはムシャブルイだったかな。他の車種にはイルムシャーからの派生でカゲムシャやワカムシャ、アラムシャなんかがあった。
ピアッツァは走ってる姿はカッコ良かったです😃💕好きな車のひとつです😃💕
この美しいフォルムをたたずんだまま中身は最新の車を再販して欲しい。絶対買うと思う
初代XEを中古で買いましたが、これがコンデションが悪く、1年程であちこち壊れ、結局、最後はエンジンがオバーヒートして廃車にしましたが、あまり後悔はしませんでした、この車は眺めているだけで十分満足で出来ました、実車を見ないとわからない魅力がありました。
XEに乗ってました。凄くいい車でした。 が、しかし故障が多い。なおかつ、修理代が高い高い。最後は普通に走っててエンジンブローおこして廃車。でも、いい思い出しかないよ。
懐かしいです 発売当初 新聞広告みて 昼休みに 見に行って 衝動買いしました
いすゞピアッツアは、初期のcmソングが大好きです。阿川泰子さんのシニアドリームで良いcmソングでした。
あまり売れなかったとの事ですが、田舎でも割とよく見ましたよ。子供心に綺麗な車だなーと思ってました。当時はソアラやプレリュードや流面系セリカやMR2やスカイラインRSにこのピアッツァなど、本当に車が個性的でした。
よろしくメカドックでツインエンジンで出てきましたね
ハイギャード東条誠!
風見のXXと東条のピアッツァのバトルは好きなシーンの1つです。
ツインエンジンピアッツァはブレーキの大切さを教えてくれた車ですね(^_^;)
はい。その事でブレーキや足回りの大切さを知りMR2はハンドリングを大切にしましたm(_ _)m
出た、コンピュータ制御で2つの回転数合わせる、[ツイン・G20形エンジン]車。
懐かしいです、友人がいすゞの工場勤務していて、ジェミニ乗ってました、街の遊撃手のキャッチコピーで売れていましたよね、ピアッツァも結構走っていたような気がします
初期型は今でも世界一美しいスタイルの車だと思います。
ISUZU車のコメント、トヨタ車のコメントの方々に比べると、コメントまでもマニアックな方が多くて…流石ISUZU車ですね。学生の時に中古で買う車の候補の1台でしたが、買ったのは86トレノでした。俺も普通なんですねw
私は希少なピアッツァの中でもレアな最上級グレードXESに乗っていました。内装はベージュの本革で新車はむちゃくちゃ高価だったみたいです。クリームっぽい白色でまさに走るマヨネーズでした。
初代ピアッツァは全長と全幅の比率を見直せばスタイリングが更に映える気がするな👍最後の車、ダイハツ・シャルマン?
ナンバープレートから、英国BL社が作っていた初代バラードセダンのライセンス生産車で、トライアンフアクレイムかと思います。ダイハツシャルマンは、30カローラの前後意匠とエンジンを自社製にしたクルマです。キャビンは30カローラそのものなので、デザインが全く違います。
実家の最寄りのヤナセに取り扱いのある外国車のブランドを並べる看板があったけど、その看板の一番下に申し訳程度にピアッツァの名前があったのを覚えている。場違い感が半端なかったなぁ。
最後に紹介ありがとうございました🙇❗本当にこのチャンネルは面白いです❗
いつもご視聴ありがとうございます!!また、いつもとても貴重な情報ありがとうございます!毎回助けていただき感謝です^^
当初ドアミラーでデザインされた車に、フェンダーミラー。日本の法律上しょうがなかったが、法改定でドアミラーOKになってやっと本来の姿になって買ってしまった😅
個人的にはフェンダー(このクルマの場合ボンネット)ミラーも、スマートで車体と調和した形状で全然悪くない、むしろカッコいいと思うんですけどね・・・
@@ti6687 まぁ貴方は、ピアッツァコンセプトカーモーターショーで見てないからなんでしょうね?とって付けた様なミラーは、違和感ありましたよ。まぁ個人の自由だけどw
自分が初めて買って、9年半にわたって乗り続けた愛車でしたエアダムやリアスポイラーを付けたモデルは気に入らず、ターボはついていないベーシックモデルのXJにしました座ると180度すべて見回せるガラス張りの車室で視界は極めてよく、サテライトスイッチもハンドルから手を離さずにすべて操作できて最高でしたただ、走りだけはいまいちでした。ガソリンを満タンにすると後輪のグリップが効いて、その時だけ加速が良かったのを覚えています
免許取って初めて勝った車がピアッツァでした。(中古でしたけど)走らない車だったけど、「所有感」はありましたね。あのデザインでEVで出して欲しい。似合うと思う。
h知らせ方に不都合があったのでしょう。精進しましょう。
自動車に勝利してて草
@@まさおエリザベスさん誤字お恥ずかしい。車には、負けてましたね。(色んな意味で)
激しく同意です
ピアッツアと言えば、やっぱり「初代」でしょ!!車がどうのと言うよりも、この車種を見ると、何故か「東条誠さん」を思い出してしまうッ!!このコンパクトボディに「ツインエンジン」なら、そりゃあ速いわなぁ~。それ故に「ブレーキ」は強化すべきだった!!思わず「二次元の世界」に意識が飛んでしまう(笑)。
子供ながらに残念な人だと思ったよね
キヤノンボールトライアル。漫画とは言えあからさまな違法レースが熱かったですね。そもそも九十九里浜の砂浜スタートってのが、クルマに辛すぎw
ピアッツァのスタイル、インパネ廻りに惚れて、初めて購入した車でした。故障は多かったですね。ラジエーター関連、アイドリング不調、例のスイッチ等は折れたりとか、ただ注目度は高かったです。また乗ってみたいなぁ。
昔いすゞで働いてましたがピアッツァは大好きでした。高いので自分はジェミニイルムシャー乗ってましたがw
ピアッツァ、好きだったなあ。いつか買おうと思ってたけど、思っただけで終わった。
ピアッツァが好きで動力性能が物足りなかったから後ろにもエンジンを載せてツインエンジン化したけど、エンジンブレーキ使えば良いかってブレーキの強化をしなかったから結局事故って廃車にしちゃったな
凄い!リアル「よろしくメカドック」の東條誠じゃないですか。
最廉価のXJにデジパネがついたXJ-Sが最初の愛車でした。デジパネ、数字表示だと目まぐるしく変わって正直見にくかったですがやはり格好良かったですね。サテライトスイッチはわかりにくそうですが、機能ごとに位置がまとめられているので、実はとても操作しやすかったですよ
「XJ-Sが初の愛車」って、自分と全く同じでびっくりです。当時、右手の中指と薬指でウィンカースイッチを強制操作してました。
@@hkasai1430 さん、おおお仲間ですか!嬉しいな〜😊
ちな、色はブルーメタリックでした。無駄な情報ですが、ステアリングコラム下のエアコンの小さなダクトを、ひそかに「キンタ〇冷やし」と命名してました。
@@hkasai1430 いい色ですね!私のはコンセプトカーのアッソと同じシルバーでした。エアコン、股間とダッシュに飛び出すのと、買った当初は気づかなかったです😅
ピアッツァは今でも二桁ナンバーがごく僅かですが現存しているようです。
鮮烈なコラボが生んだスペシャリティ
いすゞのショールーム閉鎖前、ほぼ半額で買いましたよ。
いすゞの乗用車徹底は悲しかった。 117なんて幼少期に見て外車と間違えてたくらいです。コラボのいすゞでイルムシャーやロータスね 三菱はAMGとかあったなデボネアは斬新すぎたけどギャランはカッコ良かった〜四駆も最高に良かった! ミューはアメ車かよって思うようなリヤガラスハッチに出すのが早すぎたビークロスは今でも有り得ないデザイン
ピアッツアの悲劇はジェミニベースにせざるを得なかった点だろうね。
テールランプ部コーナーパネルはハンドメイドで職人技でした。
AE86のデザインと被りますね。86がマネしたんでょうが。
とにかく故障で大変でした。蟻地獄と言われてました。が、調子が良い時の素晴らしさは、他にはない近未来的なクルマでした。中古で手に入れたいと思いますが、もうほとんどありません。最後のHandring by Lotusは最高傑作でした。
電気系のトラブルが多かったです。走行中にいきなりパワーウインドウが故障して窓ガラスが下がったのには参りました。
おぉぉぉ!メカドックにも、ツインエンジンの車が出てきましたね!懐かしい!いすゞ普通車辞めちゃいましたね。他にも、アスカとかあった気が…
2000年代前半に、通っていた専門学校の近くにピアッツァ2台所有してる方がおり、通るたびカッコいい!と思って見てましたね~現在も地元でシルバー色の個体に乗ってる方、たまに見かけます。クイズの答えは「ローレルスピリット」でしょうかね?
オーバードライブのスイッチがパドルシフトのように使えて便利。
高校生の時、大阪の国鉄天王寺駅前を一台走ってたのを見て、ピアッツァの周辺だけ21世紀の空気を感じましたね。ピアッツァを見たのはその一回だけでした。どうして売れなかったのか不思議でしたが、こういう事情があったのですね。
いすゞのクルマほんと好きだったな・・・サバンナRX-7に対抗できたのっていすゞのDOHCだけって思ってた。
子供の頃、よろしくメカドックを読んで一目惚れし、街中で見掛けると「ピアッツァだ!!」と叫んでたそうです。私にはアーモンドみたいに見えてました。
追伸、ヤナセは昭和40年代から50年代頃までは近鉄モータースと言う名前でした。その証拠に家のHA30 縦グロ(4バレルキャブレター)は近鉄モータースの刻印があります!
近鉄モータースは別の会社です。本社の場所は直ぐちかくだったようですがフォードの上級車種の正規輸入代理店でした。ヤナセは戦前の創業で梁瀬からヤナセに商号変更したのが昭和40年代の半ばだったか、と
@@Giitakun さんヤナセにメールで問い合わせた時に返信メールに掲載されてました!
@@上原智美-f5z さん、そうなんですね。そのヤナセのディーラーの店舗さんが以前は近鉄モータースだったのかな?
@@Giitakun さん何件かが吸収されて今のように大きくなったのかも?
@@上原智美-f5z さん、ありそうですねぇ😅
始めて見た時は外車かな?と思ったけど、当時の外車と比べると細かい所は日本車の印象が有ったので不思議な印象で好きでした。ピアッツァって車名もカッコ良いし好き! マヨネーズに見えてたのが自分だけじゃなかったのを今知りました!クリーム色っぽい車体のせいでマヨネーズの印象を強烈に付けられましたわ。
伯母が乗ってたわ。親父の車は商用バンだったもんで、まあ格好良く見えること。インパネ周りとかもう宇宙船かよと。あらゆる手を使って乗せてもらおうと頑張ってた、5歳のときの思い出。
当時、「マヨネーズピアッツァ」と呼んでた懐かしい
所有していたけど全然イマイチじゃない。若干非力だったがメーター読みで180km/hは出るし、内装は特筆もの。ただ当時はトヨタはソアラやマークⅡ三姉妹、ホンダもプレリュード、日産はシルビヤなどが爆発的に売れていたから。ただ内装の質感はイマイチかもしれない。それより決定的なのはいすゞの売り方が下手。うp主は実車を見たことも乗ったこともないんだろうなあ。
カッチョ良い車ですよね❤️希少車👍
「不朽」というかジウジアーロのデザインは輝きを失わないよね。ピアッツァよりソアラの方が遥かに商品力はあったけど、自動車史に名を刻んだのはいすゞ自動車。そこまでは逝かなくても、日本のメーカーで活躍する有力な日本人カーデザイナーが一人も出てこないのは残念。
日本の自動車メーカーの場合、同じような美術学校出のデザイナーを採用するので、中々デザイナーが育ちにくいのです。日本の会社の枠に収まらないような人は、外国メーカーのデザイナーを渡り歩いています。奥山清行・和田智・児玉英雄(敬称略)らが、代表格ですが、知名度は今ひとつです。ジウジアーロが凄いのは、数十年経っても色褪せないデザイン力と、カーデザインだけに留まらず工業デザイン全てと言って良い程に携われることです。カメラ・腕時計・机・電車等、多岐に渡ります。余り知られていませんが、ジウジアーロを日本企業に紹介したのは、三本和彦さんです。もっと知られていないのは、ジウジアーロが在籍していたイタルデザインは、宮川秀之さんという方との共同経営者でした。
この前自分のデザインのフェラーリを運転していて、速度オーバーで逮捕された人いましたよね😅オーバーヒートしないようにスピード出したって
@@mihoko61 故ポール牧師匠はオーバーヒートで停止したエンジンをかけなおしてクーラーでそのエンジンを冷却しようとしたそうです。
いいですね〜!楽しみに見ますね!これからもよろしくおねがいします。いつもありがとうございます。
免許を取って、初めて買った車がこのピアッツァの中古(ツインカムのほう)でした。2年のローンを組んで乗り合わしましたが、デザインは秀逸で素晴らしかったんですが、走る楽しみが今一つで、ローン終了後に乗り換えました。今でも乗ってみたい車ではありますが、さすがに古すぎて所有する気にはなれないというか。実際手間がかかりすぎるようですしね。
この前渋谷の街で、ISUZU ピアッツァ ネロを見た時懐かしくなった。
それ、ムロさんのだ❣️
ピアッツアは、白いのがマヨネーズ、赤いのがトマトケチャップ、黒いのはナスビ、銀色のは挫薬って呼ばれてましたね。
ピアッツァをマヨネーズと言った先輩がいたけど、同じ人はエスティマをいなりずしってよんでたな。
シルバーのDOHCに乗っていました。周りからは、ずんぐりむっくりとからっきょうとか言われていましたが、気に入って乗ってましたよ。
未だに30年前の中古車屋で掲げられていた売り文句思い出すwピアッツァ=カールルイスより速い!ジェミニ=走るSMイルムシャーR
サテライトスイッチに関しては、このピアッツァのショーモデルが出る前に、ジウジアーロがシトロエン・ヴィザに搭載されていた円筒状のスイッチに興味をそそられていたという話があるので、それに刺激されたのかも知れませんね。
いつも面白い動画拝見しています車の知識がとても参考になりますずっと応援しているので、これからも頑張ってください😆
ピアッツァていうのか〜見たことあったけどずっと名前知らなかったいすゞはジェミニとビッグホーンとミューしか知りませんでした
イタリアにも マヨネーズあるのかな?友達がピアッツァターボに乗っていたので、毎週出かけていました。後席も意外に広く快適でしたか、パワーがない上に走安性が悪いのであまり運転しなかった気が…車重も重くボンネットが死ぬほど重かった。当時は ソアラツインカム24、コルディア4 WD ターボと出かけてましたが、やはり 値段は 性能と釣り合っていない感じでしたね。でもトヨタが作っていたら、あれこれ 難癖をつけりょうさんは全く違う車になっていたと思います。
いすゞピアッツアですね。デザインが走るマヨネーズですけどけっこういいですよね。
これもB4の前に親父が乗ってました!懐かさしいな。
2代目が有ったのをここで初めて知りました(1代で終了と思っていた)開発期間2年なら当時ガワだけ新車の酷評も納得マニュアルが無いとステアリングスイッチの操作が出来ない複雑さ友人が乗っていて同乗した時にそのスイッチに引いたな運輸省が当時ドアミラー禁止で叩かれていたのも思い出します後はボンネットの薄さでペラペラだったのも記憶に残っているロータス仕様と言えばトヨタがよく出していましたね、サーキットの狼で人気が有ったからかな
ハンドリングバイロータスに乗っていました。仲間うちでは、マヨネーズではなく、「イチヂク浣腸」と言われてました。
いすゞって先進的だったよね。思い出したけど、ジェミニで、ロボなんとかって、ミッションをコンピュータ制御?でオートマチックにするやつがあったね。あれ、ホントに魅力的だった。
NAVI5だっけ?
NAVI 5でしたね。新車情報というTV番組で三本和彦さんがアスカの試乗で操作されてました。シフトダウンは上手いがアップは違和感があるとメーカーの人に感想を話しておられました。私はFFジェミニを買うときにNAVI5を希望しましたが既に製造中止なのか手に入リませんでした。
ハィギャードの東條誠氏に、ツインエンジン化してもらいたくなる気分です…ブレーキの制動が今一になるよぅですが…
懐かしいですね〜(^^) 平成元年車のピアッツァ handling by Lotus に乗ってました。マニュアル車でした♪がんだむのコックピットと呼ばれてました😅
出始めの頃は、まだスーパーホワイトが無くてクリーム色で白は、マヨネーズ赤?は、オレンジ色でケチャップと、云われていた
今なら買える。再販希望する一台。
クリーム色がありましたね~正にマヨネーズ。ところで新型プリウスはスリッパみたいですね~
経済性に優れたディーゼルエンジン搭載車の販売やCG無しのカースタントを駆使したCM展開などを行う面白い会社という印象が強かっただけに、乗用車からの撤退のニュースが出た時は残念でした。
パワー無いからSR20DETに載せ変えてリヤサス周りをシルビアのサブフレームごと移植したりして(ちゃんと公認とった)ゼロヨンばっかりして昔乗ってたな。
クイズの答えローレル・スピリットかな
初期型と、ロ…タス、2台乗りました。初期デジパネ、居住性は良いです。丸っこいから、好みが分かれますが、先進性はすごかった。サテライトスイッチとか、よく見ると924にもニてる、リア、1本ワイパーがかっこいい、シ…ト、ダッシュなど、見上げた感じが着座位置から、ス…パ…カ…高級、後期ロ…タスでさらに、パ…ワはたいしたことないです。どちらも、タ…ボならね180PSなら、グロスだけど、スポ…ツではないです。ソアラのほうがが良いでしょ。ロ…タスですが足回りあまり良くなかった。新車で買ったわけじゃなし、代車、または友達の、こちらは新車、高いですね。3台しかないですか?高いですね、30年前じゃなく40年前以上初期型は、斬新ではあった。名車ですよ。
価格と(近所の)ディーラーの無さで最後まで候補に残っていたのに結局乗らなかった車でした…
90年から94年ぐらいまで87年式のXS Turbo に乗ってました。中古で80万円ぐらいでした。独特のスタイルは今でもかっこいいし古びてもいない、操作系もとても使いやすかったです。動画ではスイッチが多くて戸惑ったという話ですが 全然そんなことなかったですよ。この車はワイパーが1本だけですが、それがまたかっこいいんですよね。中は広くて大人4人は余裕でした。また、全席はバケットシートで長い時間座ってもつかれません。また、後席を倒すとフラットな大きな荷物室となりスキーの板を斜めにすれば積むことが出来ましたし、前席も倒して毛布を引けば大人2人で寝れました。
デートカーとしてはマイナーでしたが逆に珍しがられる存在で 女性受けはよかったです。車内が広いのでイチャイチャにも便利でした(笑)
エンジンは150馬力でタイムラグがありましたがターボがかかった時のシューンという加速は鋭かったです。燃費は街乗りで8km 高速で16ぐらいでした。
よくない点は乗り心地、特に舗装が良くない道だとバタンバタンしてました。あと故障、リトラクタブルライトが開かない(開かなくても問題はないけど) エンジンやパワステのオイル漏れ、最後は駆動系が壊れて走れなくなり 廃車になりました。当時は若くて金がなくて修理整備にお金をかけなかったこともあるけど、やっぱりいすずの車はダメだなと悔しかったことを覚えています。
でも、いまはお金に余裕があるので、また買って乗ってみたい。
いすゞはこれだけに限らず他にもコンセプトカーがウケると限りなく忠実に市販しちゃう真面目な会社だったから、一部のマニアには支持されたけど一般ウケはイマイチでしたね。ただ、自分は未だに記憶には残っている車が多いのはいすゞ車が一番ですけどね、
JT150ジェミニの後部座席を取っ払ってトラックにしたり、ミューとか不思議な車も多かったよね。存在感はあったけど、正直ジェミニとトラックのイメージですねw
はっきり言っていすゞのデザイン力は日本一でした
のちに乗用車から撤退する時に、デザイナーだけ日産へ引き抜かれましたね
@@1984yuming 貴方は多分、いすゞを知らない。GMの傘下に入った後の酷評だけじゃなく、いすゞは昔から仕上げが粗くて有名だったよ。JT150を2台、JT191Sも所有してたし、いすゞ社員と交流もあったが、乗用車を生産してた当時は、雑誌も社員も顧客もデザインを嫌ってた。117クーペも初期は高額だけど、自動化ライン後のモデルは今でも凄く安い。隙間だらけなんだよ。合いが悪い。製品の制度が低いんだ。
性能も大したこと無かった。ガレージG5がメインに弄ってたけど、全然パワー出なかったし、他のチューナーも嫌がって参加しなかった。私のジェミニRも高額な改造費を掛けたけど、シビックに負けて手放した。
誰も車を買わないから乗用車部門を手放しただけだよ。
@@だんがむまーく2 なるほどー、そういえばピアッツァにしばらく乗った後、いすゞの営業の人にはオペルを勧められました
ただ、乗用車をやめる直前のジェミニのクーペタイプはかっこよかったと思っています。PAネロという車でしたか
@@1984yuming 偉そうに申し訳無いです。いすゞの車と会社が大好きで、乗用車の自社開発を諦めた時に、直接本社に電話し再考を求めた程、いすゞ車が好きでした。本当に残念でした。
今・東南アジアでいすゞは乗用小型トラックを生産しています。日本でも売って欲しいですが、縮小し続ける日本市場では、難しいのでしょう。ジェミニにアスカ、ピアッツアやミュー、ロデオ等、魅力的な車達があったのを、今の若い人にも知って欲しいです。
高卒二年目で。初めての自分の自動車。中古車含めてPIAZZA一択でした。みんな、スターレットとかワンダーシビックとかCITYとか86だのGTX、ソアラ、スープラだのセフィーロだのシルビアだの浮かれてた時代。ヤナセでネロの新車。HBL、イルムシャーよりXSのスタイリングに惚れて買いましたわ。それから10年以上。子供が3人になって降りました。乗ってみ。マジでええ車。いすゞの車づくりって世界が理解るので。乗ったこともないのに、はたからあーだこうだ言うスペック至上主義の方々。現地現物を知ろうねwwwGTRなんて、公道では目でもないぐらい鴨ってたです。下手が乗りすぎ車だったなぁあの時代の高級車。
ただカッコいいだけで、機能的には微妙なセミリトラクタブルヘッドライトも素敵だ。
この頃のいすゞのデザインは大好きでした。
特に特別仕様車のイルムシャーシリーズ。
その中でもアスカイルムシャーは最高でした。
なんでこんなにダサいセダンを美しく魅せるんだろうと・・
正直、おガキ様には理解出来ないデザインだったので、
発売当時は全く興味がなかったのですが、成長するに伴って
このクルマの良さや味が解ってきた感じです。
発売当時まだ小学生でジウジアーロ御大の名前すら知りませんでしたが、テレビCMを見てとにかく『カッチョエ~!』と思いました。
後々になって自動車雑誌等でインパネ周りを見て、実用性はさておき『コン・バトラーVじゃ~!カッチョエ~!』と大興奮したものでした。
現在いすゞの博物館に展示されている最初期型のピアッツァは元私の愛車…
これ、私のひそかな自慢です(笑)
ピアッツァは、スタイリングはもちろんパッケイジングもよく考えられたクルマです。5(4)人が快適に移動できる設計です。荷物も沢山積めます。
NERO XSターボに乗っていました。国産車で唯一YANASEで販売した、アメリカ仕様のピアッツァです。当時の米国は異形ヘッドライトが認可されておらず、
角目四灯の規格品を無理に嵌めた物です。米国ではベンツも丸型の規格レンズのヘッドライトでした。因みにカナダはリトラク式が禁止でした。
エアロパーツも付いた、そのNEROに惹かれて購入。YANASE50周年記念車もNEROの特別仕様車で販売されました。
とにかく驚き尽くめの車。先ずルーフに雨どいが無いのです。今では一般的ですが、当時の乗用車はステンレスの雨どいが付いていて
そこにスキーキャリアなどのステーを付けていたものです。そして一本ワイパー、信号待ちで作動できませんでした。歩道に大量にバシャッといくのです。
ドアを開けて驚いたのは、左右それぞれに灰皿とシガーライターが付いていた事です。コックピットに着座した時には「俺が欲しかったのはこれだ」でした。
タイトな着座感に戦闘機を思わせるようなインパネと各種ツマミ類。特に夜のイルミ感覚は素晴らしいものでした。
そして後席。私が現在でも乗っている 70スープラよりも広く、三段階でリクライニングができました。外寸はスープラよりも小さいですが後席は広かったのです。
この動画でも言っているように「走るマヨネーズ」と揶揄されていたのは事実で、初代ソアラが同時期に発売され、その後デザイン的に角ばった乗用車が流行りました。
ソアラが「初デジパネ」を謳っていましたが、ピアッツアの方が先だったと記憶します。そして三代目プレリュードは各部に於いてピアッツアの真似をしていました。
大好きだった「PIAZZA NERO」不具合が出始めると次から次へと故障ばかりでほとほとでした。YANASEに勤めていた友人は「ピアッツアはお荷物」と
入庫すれば全てISUZUのディーラーに持っていき、手数料だけ取っていたそうです。私の場合のその故障や不具合の代表例は、ターボ内へのオイル漏れ 20万円。
タイミングベルトの山の摩耗 (切れたのではない) 25万円。そして極めつけはカーブで左フロントの車輪がロアアームごと外れた事です。
違和感があり何度も修理に出したのですが、結局この始末。高速道路だったら危ない事例でした。根元から外れたタイヤはフェンダーもへしゃげました。
三度の訳の分からない修理とこの修理で数十万・・そしてこの最終修理でも ISUZUはとんでもないやらかしをしてくれました。ボディー全体に白い塗装が点々と・・
クレームを入れたら、上がってきたのは、やすりでこすったようなボディー。もう堪忍袋の緒が切れました・・・YANASEも知らんぷり。
因みに友人が乗っていた無改造のフローリアン。ホームセンターの駐車場で全焼しました。ISUZUに「メンテナンス不足」で一喝されたそうです。
長く乗りたかったし、今でも乗りたい PIAZZA NERO。ガサツなエンジンとぐにゃぐにゃのシャーシ、せめてロータスエスプリみたいに進化して欲しかったです。
117クーペのカッコ良さに惹かれ、セリカLBからピアッツァに乗り換え、GT-Rへとステップアップしていきましたが、時代を先取りしすぎた斬新なデザインのピアッツァは、評価が両極端に別れていた気がします!😅自分は今でも通用する素晴らしいデザインだと思います!😆👍
8:38 「どこか「あと一歩」だね」
そういうところが「いすゞ」なんだろうね
「卜ヨ夕」あたりはこういうところを外さない
ピアッツァを2台乗り継いで、ネロ・ロータスに乗っていたので懐かしい・・・
117は初期型が美しいが、ピアッツァは初期型より、最終型が最も美しいですね。
動画は初期型がほとんどですが、後期型の画像もあって嬉しかったです。
以前ピアッツァNEROに乗っていました。当時ディーラーはヤナセで、カラーはブラックのみ、黒いマヨネーズなどと揶揄されましたが、あの空力的デザインは個人的には気に入っていました。懐かしい思い出です。
新車情報見て光本さんの試乗レビュー見てガツンと来た。高校生だった私は学校にカタログ持って行って、これ買うんだよアピールしてました(笑)...買えませんでしたけど(笑)。通学途中バスから車をながめるのが好きだった私は。地元京都で一番最初に納車されたピアッツアを発見、歓喜しました。(なぜ納車一号か分かったのはリアハッチに英語でそお様な内容が書かれてたカッティングシートが貼られてたから。)それから40年ほどたった今でも、当時の衝撃忘れられません。こういう車をスペシヤリティ―カーって言うんだっ!て。現在まででもあの時の新車発売時の興奮感動をあたええてくれた車では私の中では一番です。
子供心にセリカLBやランサーセレステを見て「かっちょエエー!」って思ってた頃に
このピアッツァが出て「なんだ!この未来的な斬新さは!」と驚いたものでしたね
最後の車、サンタナっぽいぞ?って思ってググったら似てるけど残念、違いましたw
エクステリアはもちろんインパネ周りのコックピット感がカッコ良くてそれだけで欲しい、今でも欲しい
ピアッツアは18年以上のりました、個性の強い車でガラス面積が広くエアコンの効きが悪く毎日乗るにはちょっと根性が必要でした。流れるようなボディラインを楽しむのが嬉しかったですね。
7:54 発想がなかったと言うより、大きく回転するステアリングに信頼性を保ちながら配線を通すのが当時の技術的には難しかったはず。
バブルの頃発売の初代シーマの光通信非回転式ステアリングスイッチがその難しさを物語ってる。
わざわざ光通信にしたのは、当時の技術では配線を通せなかったからだし、スイッチ部が回らないのは信頼性確保的な意味もある。
懐かしいです、これのネロイルムシャーに乗っていました、惚れ込んで買った車で良いクルマだったな~
ピアッツァネロやビークロスがめっちゃ欲しかったな〰️…
やはりデザインが特徴ある車って魅力的だわ。
現在ネロの限定車に乗ってますが、日本中何処に行ってもガン見されます。コンビニでは質問タイム、SAでは撮影会が始まってしまいます。
5台乗り継ぎましたが一番好きなのは角目1灯のモデルで、これが一番ライトが明るかった。何故セミリトラのライトになったのかも諸説ありますがそこも言及して欲しかった。足回りはイルムシャーが最高でした。当時いすゞは自前で4速ATが作れなかったので、ATミッションはアイシンからの供給を受けていました。
ピアッツァの運転席は戦闘機みたいって仲間内で盛り上がった思い出。あのセミリトラクタブルヘッドライトは今でも好きだな!
ピアッツァのCMも良かったですね。昭和56年にワイヤーフレームでCMというのはなかなか未来的
ジウジアーロのデザインが色褪せないのは現行型フィアット500からもよく分かりますね。
ジウジアーロと言う名前の響きが好き
先進的なエクステリア
エキセントリックなインテリア
その一方で長い生産期間によって陳腐化し時代に取り残されたパワートレイン
パワーウォーズ全盛期で“力こそパワー”だった当時の日本市場でハンドリングや雰囲気だけでは訴求力が弱かった
ピアッツァはスタイルの良いクルマでした。
117クーペに憧れていたため、その流れもあり好きでした。
最初に購入するクルマの候補に入ってたりしましたが結局他のクルマに。
その後仕事がいすゞ車と関係が深い会社に入り、初めて見たインパネ周りに愕然。
スタンダードなレイアウトに慣れた自分には斬新なボタン多数の操作に混乱。
乗り手を選ぶクルマ…ではなくメーカーでした。
エンジンはなんかトラックのようなディーゼル音に感じましたね。
一時期、117が2L4WDターボが出る!というウワサがまことしやかに流れましたナ。
いすゞ自動車は中古車をドレスアップして再販していましたね。(日産にもあった)
武者シリーズは当時欲しかった。
ピアッツァはムシャブルイだったかな。
他の車種にはイルムシャーからの派生でカゲムシャやワカムシャ、アラムシャなんかがあった。
ピアッツァは走ってる姿はカッコ良かったです😃💕好きな車のひとつです😃💕
この美しいフォルムをたたずんだまま中身は最新の車を再販して欲しい。絶対買うと思う
初代XEを中古で買いましたが、これがコンデションが悪く、1年程であちこち壊れ、結局、最後はエンジンがオバーヒートして廃車にしましたが、あまり後悔はしませんでした、この車は眺めているだけで十分満足で出来ました、実車を見ないとわからない魅力がありました。
XEに乗ってました。凄くいい車でした。 が、しかし故障が多い。なおかつ、修理代が高い高い。最後は普通に走っててエンジンブローおこして廃車。
でも、いい思い出しかないよ。
懐かしいです 発売当初 新聞広告みて 昼休みに 見に行って 衝動買いしました
いすゞピアッツアは、初期のcmソングが大好きです。阿川泰子さんのシニアドリームで良いcmソングでした。
あまり売れなかったとの事ですが、田舎でも割とよく見ましたよ。子供心に綺麗な車だなーと思ってました。当時はソアラやプレリュードや流面系セリカやMR2やスカイラインRSにこのピアッツァなど、本当に車が個性的でした。
よろしくメカドックでツインエンジンで出てきましたね
ハイギャード東条誠!
風見のXXと東条のピアッツァのバトルは好きなシーンの1つです。
ツインエンジンピアッツァはブレーキの大切さを教えてくれた車ですね(^_^;)
はい。その事でブレーキや足回りの大切さを知りMR2はハンドリングを大切にしましたm(_ _)m
出た、コンピュータ制御で2つの回転数合わせる、[ツイン・G20形エンジン]車。
懐かしいです、友人がいすゞの工場勤務していて、ジェミニ乗ってました、街の遊撃手のキャッチコピーで売れていましたよね、ピアッツァも結構走っていたような気がします
初期型は今でも世界一美しいスタイルの車だと思います。
ISUZU車のコメント、トヨタ車のコメントの方々に比べると、コメントまでもマニアックな方が多くて…流石ISUZU車ですね。
学生の時に中古で買う車の候補の1台でしたが、買ったのは86トレノでした。俺も普通なんですねw
私は希少なピアッツァの中でもレアな最上級グレードXESに乗っていました。内装はベージュの本革で新車はむちゃくちゃ高価だったみたいです。クリームっぽい白色でまさに走るマヨネーズでした。
初代ピアッツァは全長と全幅の比率を見直せばスタイリングが更に映える気がするな👍
最後の車、ダイハツ・シャルマン?
ナンバープレートから、英国BL社が作っていた初代バラードセダンのライセンス生産車で、トライアンフアクレイムかと思います。
ダイハツシャルマンは、30カローラの前後意匠とエンジンを自社製にしたクルマです。
キャビンは30カローラそのものなので、デザインが全く違います。
実家の最寄りのヤナセに取り扱いのある外国車のブランドを並べる看板があったけど、その看板の一番下に申し訳程度にピアッツァの名前があったのを覚えている。場違い感が半端なかったなぁ。
最後に紹介ありがとうございました🙇❗本当にこのチャンネルは面白いです❗
いつもご視聴ありがとうございます!!
また、いつもとても貴重な情報ありがとうございます!毎回助けていただき感謝です^^
当初ドアミラーでデザインされた車に、フェンダーミラー。
日本の法律上しょうがなかったが、法改定でドアミラーOKになってやっと本来の姿になって買ってしまった😅
個人的にはフェンダー(このクルマの場合ボンネット)ミラーも、スマートで車体と調和した形状で全然悪くない、むしろカッコいいと思うんですけどね・・・
@@ti6687 まぁ貴方は、ピアッツァコンセプトカーモーターショーで見てないからなんでしょうね?
とって付けた様なミラーは、違和感ありましたよ。
まぁ個人の自由だけどw
自分が初めて買って、9年半にわたって乗り続けた愛車でした
エアダムやリアスポイラーを付けたモデルは気に入らず、ターボはついていないベーシックモデルのXJにしました
座ると180度すべて見回せるガラス張りの車室で視界は極めてよく、サテライトスイッチもハンドルから手を離さずにすべて操作できて最高でした
ただ、走りだけはいまいちでした。ガソリンを満タンにすると後輪のグリップが効いて、その時だけ加速が良かったのを覚えています
免許取って初めて勝った車がピアッツァでした。(中古でしたけど)
走らない車だったけど、「所有感」はありましたね。
あのデザインでEVで出して欲しい。似合うと思う。
h知らせ方に不都合があったのでしょう。精進しましょう。
自動車に勝利してて草
@@まさおエリザベスさん
誤字お恥ずかしい。
車には、負けてましたね。(色んな意味で)
激しく同意です
ピアッツアと言えば、やっぱり「初代」でしょ!!車がどうのと言うよりも、この車種を見ると、何故か「東条誠さん」を思い出してしまうッ!!このコンパクトボディに「ツインエンジン」なら、そりゃあ速いわなぁ~。それ故に「ブレーキ」は強化すべきだった!!思わず「二次元の世界」に意識が飛んでしまう(笑)。
子供ながらに残念な人だと思ったよね
キヤノンボールトライアル。
漫画とは言えあからさまな違法レースが熱かったですね。
そもそも九十九里浜の砂浜スタートってのが、クルマに辛すぎw
ピアッツァのスタイル、インパネ廻りに惚れて、初めて購入した車でした。故障は多かったですね。ラジエーター関連、アイドリング不調、例のスイッチ等は折れたりとか、ただ注目度は高かったです。また乗ってみたいなぁ。
昔いすゞで働いてましたがピアッツァは大好きでした。高いので自分はジェミニイルムシャー乗ってましたがw
ピアッツァ、好きだったなあ。
いつか買おうと思ってたけど、思っただけで終わった。
ピアッツァが好きで動力性能が物足りなかったから後ろにもエンジンを載せてツインエンジン化したけど、エンジンブレーキ使えば良いかってブレーキの強化をしなかったから結局事故って廃車にしちゃったな
凄い!
リアル「よろしくメカドック」の東條誠じゃないですか。
最廉価のXJにデジパネがついたXJ-Sが最初の愛車でした。デジパネ、数字表示だと目まぐるしく変わって正直見にくかったですがやはり格好良かったですね。サテライトスイッチはわかりにくそうですが、機能ごとに位置がまとめられているので、実はとても操作しやすかったですよ
「XJ-Sが初の愛車」って、自分と全く同じでびっくりです。
当時、右手の中指と薬指でウィンカースイッチを強制操作してました。
@@hkasai1430 さん、おおお仲間ですか!嬉しいな〜😊
ちな、色はブルーメタリックでした。
無駄な情報ですが、ステアリングコラム下のエアコンの小さなダクトを、ひそかに「キンタ〇冷やし」と命名してました。
@@hkasai1430 いい色ですね!私のはコンセプトカーのアッソと同じシルバーでした。エアコン、股間とダッシュに飛び出すのと、買った当初は気づかなかったです😅
ピアッツァは今でも二桁ナンバーがごく僅かですが現存しているようです。
鮮烈なコラボが生んだスペシャリティ
いすゞのショールーム閉鎖前、ほぼ半額で買いましたよ。
いすゞの乗用車徹底は悲しかった。
117なんて幼少期に見て外車と間違えてたくらいです。コラボのいすゞでイルムシャーやロータスね
三菱はAMGとかあったなデボネアは斬新すぎたけどギャランはカッコ良かった〜
四駆も最高に良かった! ミューはアメ車かよって思うようなリヤガラスハッチに出すのが早すぎたビークロスは今でも有り得ないデザイン
ピアッツアの悲劇はジェミニベースにせざるを得なかった点だろうね。
テールランプ部コーナーパネルはハンドメイドで職人技でした。
AE86のデザインと被りますね。
86がマネしたんでょうが。
とにかく故障で大変でした。蟻地獄と言われてました。が、調子が良い時の素晴らしさは、他にはない近未来的なクルマでした。中古で手に入れたいと思いますが、もうほとんどありません。最後のHandring by Lotusは最高傑作でした。
電気系のトラブルが多かったです。走行中にいきなりパワーウインドウが故障して窓ガラスが下がったのには参りました。
おぉぉぉ!メカドックにも、ツインエンジンの車が出てきましたね!懐かしい!いすゞ普通車辞めちゃいましたね。他にも、アスカとかあった気が…
2000年代前半に、通っていた専門学校の近くにピアッツァ2台所有してる方がおり、通るたびカッコいい!と思って見てましたね~
現在も地元でシルバー色の個体に乗ってる方、たまに見かけます。
クイズの答えは「ローレルスピリット」でしょうかね?
オーバードライブのスイッチがパドルシフトのように使えて便利。
高校生の時、大阪の国鉄天王寺駅前を一台走ってたのを見て、ピアッツァの周辺だけ21世紀の空気を感じましたね。ピアッツァを見たのはその一回だけでした。どうして売れなかったのか不思議でしたが、こういう事情があったのですね。
いすゞのクルマほんと好きだったな・・・サバンナRX-7に対抗できたのっていすゞのDOHCだけって思ってた。
子供の頃、よろしくメカドックを読んで一目惚れし、街中で見掛けると
「ピアッツァだ!!」
と叫んでたそうです。
私にはアーモンドみたいに見えてました。
追伸、ヤナセは昭和40年代から50年代頃までは近鉄モータースと言う名前でした。
その証拠に家のHA30 縦グロ(4バレルキャブレター)は近鉄モータースの刻印があります!
近鉄モータースは別の会社です。本社の場所は直ぐちかくだったようですがフォードの上級車種の正規輸入代理店でした。
ヤナセは戦前の創業で梁瀬からヤナセに商号変更したのが昭和40年代の半ばだったか、と
@@Giitakun さん
ヤナセにメールで問い合わせた時に返信メールに掲載されてました!
@@上原智美-f5z さん、そうなんですね。そのヤナセのディーラーの店舗さんが以前は近鉄モータースだったのかな?
@@Giitakun さん
何件かが吸収されて今のように大きくなったのかも?
@@上原智美-f5z さん、ありそうですねぇ😅
始めて見た時は外車かな?と思ったけど、当時の外車と比べると細かい所は日本車の印象が有ったので不思議な印象で好きでした。
ピアッツァって車名もカッコ良いし好き! マヨネーズに見えてたのが自分だけじゃなかったのを今知りました!
クリーム色っぽい車体のせいでマヨネーズの印象を強烈に付けられましたわ。
伯母が乗ってたわ。
親父の車は商用バンだったもんで、まあ格好良く見えること。インパネ周りとかもう宇宙船かよと。
あらゆる手を使って乗せてもらおうと頑張ってた、5歳のときの思い出。
当時、「マヨネーズピアッツァ」と呼んでた
懐かしい
所有していたけど全然イマイチじゃない。若干非力だったがメーター読みで180km/hは出るし、内装は特筆もの。ただ当時はトヨタはソアラやマークⅡ三姉妹、ホンダもプレリュード、日産はシルビヤなどが爆発的に売れていたから。
ただ内装の質感はイマイチかもしれない。それより決定的なのはいすゞの売り方が下手。
うp主は実車を見たことも乗ったこともないんだろうなあ。
カッチョ良い車ですよね❤️
希少車👍
「不朽」というかジウジアーロのデザインは輝きを失わないよね。
ピアッツァよりソアラの方が遥かに商品力はあったけど、自動車史に名を刻んだのはいすゞ自動車。
そこまでは逝かなくても、日本のメーカーで活躍する有力な日本人カーデザイナーが一人も出てこないのは残念。
日本の自動車メーカーの場合、同じような美術学校出のデザイナーを採用するので、中々デザイナーが育ちにくいのです。
日本の会社の枠に収まらないような人は、外国メーカーのデザイナーを渡り歩いています。
奥山清行・和田智・児玉英雄(敬称略)らが、代表格ですが、知名度は今ひとつです。
ジウジアーロが凄いのは、数十年経っても色褪せないデザイン力と、カーデザインだけに留まらず工業デザイン全てと言って良い程に携われることです。
カメラ・腕時計・机・電車等、多岐に渡ります。
余り知られていませんが、ジウジアーロを日本企業に紹介したのは、三本和彦さんです。
もっと知られていないのは、ジウジアーロが在籍していたイタルデザインは、宮川秀之さんという方との共同経営者でした。
この前自分のデザインのフェラーリを運転していて、速度オーバーで逮捕された人いましたよね😅
オーバーヒートしないようにスピード出したって
@@mihoko61
故ポール牧師匠はオーバーヒートで停止したエンジンをかけなおしてクーラーでそのエンジンを冷却しようとしたそうです。
いいですね〜!楽しみに見ますね!これからもよろしくおねがいします。いつもありがとうございます。
免許を取って、初めて買った車がこのピアッツァの中古(ツインカムのほう)でした。2年のローンを組んで乗り合わしましたが、デザインは秀逸で素晴らしかったんですが、走る楽しみが今一つで、ローン終了後に乗り換えました。今でも乗ってみたい車ではありますが、さすがに古すぎて所有する気にはなれないというか。実際手間がかかりすぎるようですしね。
この前渋谷の街で、ISUZU ピアッツァ ネロを見た時懐かしくなった。
それ、ムロさんのだ❣️
ピアッツアは、白いのがマヨネーズ、赤いのがトマトケチャップ、黒いのはナスビ、銀色のは挫薬って呼ばれてましたね。
ピアッツァをマヨネーズと言った先輩がいたけど、同じ人はエスティマをいなりずしってよんでたな。
シルバーのDOHCに乗っていました。周りからは、ずんぐりむっくりとからっきょうとか言われていましたが、気に入って乗ってましたよ。
未だに30年前の中古車屋で掲げられていた売り文句思い出すw
ピアッツァ=カールルイスより速い!
ジェミニ=走るSMイルムシャーR
サテライトスイッチに関しては、このピアッツァのショーモデルが出る前に、ジウジアーロがシトロエン・ヴィザに搭載されていた円筒状のスイッチに興味をそそられていたという話があるので、それに刺激されたのかも知れませんね。
いつも面白い動画拝見しています
車の知識がとても参考になります
ずっと応援しているので、これからも頑張ってください😆
ピアッツァていうのか〜
見たことあったけどずっと名前知らなかった
いすゞはジェミニとビッグホーンとミューしか知りませんでした
イタリアにも マヨネーズあるのかな?
友達がピアッツァターボに乗っていたので、毎週出かけていました。
後席も意外に広く快適でしたか、パワーがない上に走安性が悪いのであまり運転しなかった気が…
車重も重くボンネットが死ぬほど重かった。
当時は ソアラツインカム24、コルディア4 WD ターボと出かけてましたが、やはり 値段は 性能と釣り合っていない感じでしたね。
でもトヨタが作っていたら、あれこれ 難癖をつけりょうさんは全く違う車になっていたと思います。
いすゞピアッツアですね。デザインが走るマヨネーズですけどけっこういいですよね。
これもB4の前に親父が乗ってました!懐かさしいな。
2代目が有ったのをここで初めて知りました(1代で終了と思っていた)
開発期間2年なら当時ガワだけ新車の酷評も納得
マニュアルが無いとステアリングスイッチの操作が出来ない複雑さ
友人が乗っていて同乗した時にそのスイッチに引いたな
運輸省が当時ドアミラー禁止で叩かれていたのも思い出します
後はボンネットの薄さでペラペラだったのも記憶に残っている
ロータス仕様と言えばトヨタがよく出していましたね、サーキットの狼で人気が有ったからかな
ハンドリングバイロータスに乗っていました。
仲間うちでは、マヨネーズではなく、「イチヂク浣腸」と言われてました。
いすゞって先進的だったよね。
思い出したけど、ジェミニで、ロボなんとかって、ミッションをコンピュータ制御?でオートマチックにするやつがあったね。
あれ、ホントに魅力的だった。
NAVI5だっけ?
NAVI 5でしたね。
新車情報というTV番組で三本和彦さんがアスカの試乗で操作されてました。シフトダウンは上手いがアップは違和感があるとメーカーの人に感想を話しておられました。
私はFFジェミニを買うときにNAVI5を希望しましたが既に製造中止なのか手に入リませんでした。
ハィギャードの東條誠氏に、ツインエンジン化してもらいたくなる気分です…ブレーキの制動が今一になる
よぅですが…
懐かしいですね〜(^^) 平成元年車のピアッツァ handling by Lotus に乗ってました。マニュアル車でした♪
がんだむのコックピットと呼ばれてました😅
出始めの頃は、まだスーパーホワイトが無くてクリーム色で白は、マヨネーズ赤?は、オレンジ色でケチャップと、云われていた
今なら買える。再販希望する一台。
クリーム色がありましたね~正にマヨネーズ。
ところで新型プリウスはスリッパみたいですね~
経済性に優れたディーゼルエンジン搭載車の販売やCG無しのカースタントを駆使したCM展開などを行う面白い会社という印象が強かっただけに、乗用車からの撤退のニュースが出た時は残念でした。
パワー無いからSR20DETに載せ変えてリヤサス周りをシルビアのサブフレームごと移植したりして(ちゃんと公認とった)ゼロヨンばっかりして昔乗ってたな。
クイズの答えローレル・スピリットかな
初期型と、ロ…タス、2台乗りました。初期デジパネ、居住性は良いです。丸っこいから、好みが分かれますが、先進性はすごかった。サテライトスイッチとか、よく見ると924にもニてる、リア、1本ワイパーがかっこいい、シ…ト、ダッシュなど、見上げた感じが着座位置から、ス…パ…カ…高級、後期ロ…タスでさらに、パ…ワはたいしたことないです。どちらも、タ…ボならね180PSなら、グロスだけど、スポ…ツではないです。ソアラのほうが
が良いでしょ。ロ…タスですが足回りあまり良くなかった。新車で買ったわけじゃなし、代車、または友達の、こちらは新車、高いですね。3台しかないですか?高いですね、30年前じゃなく40年前以上初期型は、斬新ではあった。名車ですよ。
価格と(近所の)ディーラーの無さで最後まで候補に残っていたのに結局乗らなかった車でした…