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2001年の2月に廃止間際の白鳥にキャンセルが出て辛うじて乗ることが出来ました。自分にとってはそれが唯一の乗車機会となり大阪~青森を乗り通しました。特急料金は確か600km以上はどれだけ乗っても一定だっだので意外と料金は高くなく、長距離を一本で結ぶ列車のメリットを感じました。本当に良い時代でした。
スマホ📱ないけど今よりもいい時代か?😜
修学旅行で北海道へ白鳥に乗って行ったなんてきっとよい思い出になったんでしょうね。
特急白鳥は三電源対応の485系が真価を発揮できる唯一の特急電車でした。
確かに3・4回くらい、デッドセクションで電灯が消えていました。新しい電車特急ではそういうこともなくなりましたからね。
もう一度、復活して欲しいですね!!昭和時代の、特急列車!!
鉄道マニアには憧れの列車で一度は青森まで乗り通したい人気の列車でした 8:13 。今も復活してほしい特急です。北陸本線が第3セクターに切り刻まれてしまったが、白鳥は日本海縦貫線のクイーンです。日本海縦貫線という名前も過去になってしまったが、復活してほしいですね。第三セクターにしてしまったのは大きな間違いだったかもしれませんよ。誰も言わないけど、東南海地震が発生して太平洋側の交通が麻痺したら、日本海側が一時的でも物流の中心になる。大切な路線だと思います。
45年以上前に大阪→青森を2回乗りました。青森に近づくと車掌さんが青函連絡船の乗船票を渡してくれました。青森に着くと重いリックを背負って猛ダッシュで青函連絡船の座席をキープしたのが懐かしいです。
現在の津軽海峡フェリーと違って階段だけでの移動だったでしょうからね。
懐かしい。大阪で学生をやっていた道民の私は、時々これで帰省してました。飛行機よりも遥かに時間はかかりましたが、遥かに楽しかった記憶があります。
君、団塊ジュニア世代以上の鉄道おじさん?(笑)
@@playboy4649japanだから何?悪いか?😜
昭和末期ですが白鳥号には良く乗っていましたただ敦賀から大阪までの僅かな区間ですが選んで白鳥号にしてましたね、懐かしくて最終日は仕事で大阪駅で特急券だけを購入北海道紀行には日本海、白鳥ほんとにお世話になりました。鉄道人生でも最も思い出深いです
私の学生の頃は北海道ブーム、白鳥には5回、日本海には1回乗車しました。大阪を10時に出発して青森に23時半ごろに到着、いつも30分ぐらい遅れてました。さすがに13時間座り続けるのは苦痛、新潟を通過する夕方ごろがピーク、そこを過ぎるともう何も感じなくなりました。懐かしいです。
高校の修学旅行が北海道で大阪から白鳥、連絡船、北海、オホーツクを乗り継いで旭川まで行ったね、いい経験ができた
1970年ごろに富山から大阪に帰るのに利用した思い出。高校生だったが自分の席におじさんが着席していたので自分の席なんですがというと、面白い回答。途中で席を回したので、この席が自分の席だと。確かに当時は新潟で進行方向が変わった。こんなひょんなことでこのおじさんと道連れになったが、なんと北海道の陸別から四国の宇和島までお嫁さんを迎えに行くのだという。釣書だけのお見合いだそうだ。内地(北海道の人は本州をこう呼ぶ)は初めてで、山ばかりが迫って息苦しくなると。北陸トンネル通過時は「本当にトンネルから出られるのか」と真面目に不安がったり。大阪駅で降りるとハンチング帽に振り分け荷物とでかい鞄。昭和というより「大正か!」という格好。それでも本当に不安そうだったので切符を見せてもらって岡山方面へのホームまで付き合ってあげたら感激されて、乗った列車から最後まで手を振ってくれた。今思うと、このおじさん青函連絡船+宇高連絡船を乗り継いで行ったんだ。石油ショック前の高度成長期といっても、北海道の陸別では結婚相手の女性など見つからないのだという事実をまざまざと教えられた、特急白鳥の思い出。
僻地to僻地の大旅行やな
「あの頃」という言葉でひとくくりにしたくない。懐かしい思い出でしょうね。
電化前の白鳥を乗り通してみたかったな山中峠超えや海沿いを走る親不知等、ロマンあふれる旧線を当時快適だった特急に乗るなんて最高でしょ
中学生の頃、給食の時間(12時20分頃)に上りの白鳥号が通過するってんで、鉄道好きのクラスメート達と教室のベランダから見てたのを思い出しました。
我輩は小4の時です(京都駅の西側)。雷鳥号が12輌で白鳥号が13輌、京都発着の明星号も健在でした。白鳥号のみ食堂車が逆向きだったのが印象的でした。一度は乗ってみたかった!結局乗れず終い!残念でした。
コメントを拝見してると皆さん電車にまつわる色々な思い出があるんですねイイね〜♫ 電車って😊
廃止前の1月に大阪から全線乗車。鉄道ファンとして憧れの列車のひとつだったので楽しい時間を過ごせました。
当時あったワイド周遊券で北海道へ渡るのによく利用しました。初めて乗ったのは丁度食堂車が外される直前でカレーを食べた懐かしい思い出があります。学生には飛行機など高嶺の花で 関西から北海道へは 急行きたぐに 少しリッチにこの特急白鳥を使ったものです。敦賀と村上の手前のデッドセクション通過時 車内灯が消えて非常灯だけになるのを体験できる列車でした。
中学生の時に北海道を周遊して、はまなすから乗り継いで大阪まで乗った事があります。寒い日で青森駅で食べたかけそばの温かさが体にしみたのはいい思い出です。
2001年の1月20日に、青森→大阪間を自由席にて乗り通しました。廃止前のお名残り乗車もあってか、指定席は完売。自由席も常時満席で、なんとか始発から通路側に座ることができました。車窓を眺められない、かなりの苦行状態だったのが懐かしいです。
赤塚不二夫サンマンガの大学生校歌唄おう😁 その行動にアッパレの👍イイネボタン押しました。
電車特急の時代、弘前から京都まで乗車しました。日本海縦貫線の北部は雪で大幅に遅延することもあり、上野発の白鳥と併結するのは大変だったと思います。
1999年ごろに大阪から秋田まで乗りました。昼ごはん夕ご飯を駅弁で済ませたのをよく覚えています。親不知あたりに日本海が透き通っていて、とても綺麗でした懐かしいな在来線で こんな長距離の列車は、もう出てこないでしょうね
四季島や瑞風のような会員制の高級列車ならあり得るかも知れません旅行商品になるでしょう。
下りに乗って笹川流れで日本海に沈む夕陽を見ながら食堂車にてお食事。これこそ鉄道旅行の醍醐味でしょ😊
@@レールスターひかり 食堂車は昭和に廃止されたから君は還暦鉄道じいさん?(笑)
@@playboy4649japan白鳥の食堂車使った時は小学4年だったわ(笑)翌年から食堂車の営業休止になりました😂
西村京太郎氏のミステリー『特急白鳥十四時間』を読んで、乗り通したいと強く思いました。叶わぬままになってしまったことが悔やまれます。
わ〰️❗懐かしい❗亀井刑事に殺人予告が来るストーリーでしたっけ⁉️当時、あの小説を古本屋で買い、読みまくっているうちに実際に乗ってみたくなり、東能代から弘前まで乗車したことがあります。因みに平成2年頃の話しです。
@@須藤寛永 返信ありがとうございます! そんなストーリーだったと記憶していますが、今考えると設定がはちゃめちゃですねwww
雷鳥は便が多いので頻繁に見れましたけど白鳥号は希少なので見れたらラッキーでしたね。個人的にはあのヘッドマークが好きです。
かつての伝説になりつつある日本海縦貫線(北陸本線や信越本線、白新線、羽越本線と奥羽本線などの国鉄時代からJRにかけて存在した、いわゆる日本海側を貫く線の総称)と、そこを走った特急「白鳥」号、今となっては懐かしいです。 当時、一度だけ大阪から青森まで乗り通したことがあります。 そこには、長距離昼行特急列車の良さがありました。 「特急白鳥よ、永遠なれ!!」
1番最後に乗った時、グリーン車の一人用席でした。酒田から東三条までの利用でしたが、日本海側の席で景色を見ながら駅弁を食べたりしたから最高の旅でした。
もう一つエピソード。小学校の頃、路線バスの中で友達と特急白鳥の停車駅を順に言い合うゲームをしてました。私の順番の時、東能代の駅が廻ってきました。「ひがしのしろ」を「ひがしのだい」と言いました。すると隣に座っていた知らないおじさんが「僕、それはねぇ、『ひがしのしろ』というんだよ」と教えてくれました。その後、二度と間違えませんでした。何処のおじさんか知らないけど、ありがとう!! 古き良き時代に万歳!!
札幌から松江まで行くのにはまなす、白鳥、だいせんを乗り継いだのは良い思い出。あの頃私は若かった。
「白鳥」にはその晩年に金沢→京都で1回だけ乗ったことがあります。国鉄時代から走り続けた「白鳥」、それは日本鉄道史に大きな功績を残した偉大なる列車だったと思います。
既に雷鳥(現サンダーバード)のフォローになってましたね。
懐かしすぎます。朝10時大阪駅発。北海道が大好きだったのですが、飛行機が嫌いだったので何回も白鳥に乗りました。一人で日本海を眺めながらの旅は、本当にワクワクするものでした。
自分も1990年代後半に、北陸旅行の帰りに金沢から長岡までの上越新幹線の帰りの連絡線としてたまたま、この白鳥を利用しました。全走行距離からすれば僅かな距離ですが、それでも白鳥に乗れたのは貴重でした。この日本海縦貫ラインは寝台特急トワイライトエクスプレスでは走破しましたが、あの距離を昼行で走り抜けるのですから、ホント凄い特急電車でしたね。
気動車時代、動橋という駅に停車していた。鉄道ファンだったお陰で、このような難読駅名、地名を読めるようになり、地理の成績が良かった。感謝🤗
同じ「動」の読み方でも「石動」は通過でしたね。
大聖寺と停車駅合戦をしたあげく、作見改め加賀温泉駅が漁夫の利を得てしまって両成敗になった駅ですね。
@@DJKotony 雷鳥が出来た時にその辺りを整理してましたね。
停車(通過)駅で思い出しましたが、能生駅運転停車事件を起こしたのは白鳥でしたよね。金沢支局の時刻表には能生駅の停車時刻が記載されていたけど客扱い停車ではなく運転停車(通過扱い)で。地元では特急停車を祝うイベントまで行われたと言いますが…
@@Yoshin-Sashizume様 あれは、残酷な事件でしたよね。糸魚川も魚津も通過する白鳥が能生に停車すニュースを誰も疑わなかったのですかね。
実際に白鳥に乗ったことは一度も有りませんが、去年亡くなった水島新司先生のあぶさんで何度も特急白鳥というワードが出ていたので親しみのある列車でした
酒田〜新潟とか乗ったな白鳥。北陸に周遊券あった頃は次から次へとやってくる在来線特急に通勤電車のように使わせてもらった。あの時代に生きられて良かった
「白鳥」は、乗り鉄にとっては、王道中の王道でした。もう?このような列車は現れないから、全区間を乗り通したのを誇りにしています。出来れば、大阪~博多(山陰本線経由)を走行した「まつかぜ」も、取り上げて欲しいです。よろしくお願いいたします。
凄いですね!疲れることはありませんでしたか?
@@BALL_LEMON まったく疲れませんでした。当時の特急は、食堂車あり…車販ありと、暇つぶしが出来ました。車掌さんから、その車掌区しか存在しないオレンジカードを購入したり、車掌さんのサインを貰ったり、楽しかったです。だから乗り鉄は、やめられませんです。
北の『おおとり』も題材にしてもらいたい心境ですね。函館〜網走間を走り、置き換えまでキシを連結させていた列車ですし。
@@越後浪人 「おおとり」も捨てがたいですけど、だったら…急行「宗谷」のが良いと思います。函館~稚内までの走行で、しかも…長万部~札幌間は、山線経由が魅力です。
@@河野孝-y5t 確かに急行宗谷は北海道でも桁違いのロングランナーでしたね。『おおとり』の場合、走行距離ではその頃の『宗谷』に劣りますが、80系で『キシを連結した最後の特急』というところも大きなポイントです。キシとは動力用のエンジンを積んだ食堂車でございまして、気動車だった頃の白鳥🦢にも連結されていました。
30年以上前の正月、宿泊先の青森から途中の金沢まで乗車したことがある。ただ何も考えず、ず~っと座席に座っていた、たまに外の風景を観たりしてたが、ただ“乗ること”だけを楽しんでいた。いい時代だったのかな?
スマホ📱がある今の方がいい時代だと思う😉
紀行作家宮脇俊三氏はご自身の本で、「北前船が陸に上がった列車」と、簡潔ながら本心をついた表現でした。
そして新日本海フェリーは現代の北前船といわれている
名言すぎません?
宮脇俊三さん、種村直樹さん、壇上完爾さん✨三氏の紀行本は、高校時代のバイブルでした✊️✨特に壇上先生は、当時のJTB(日本交通公社時代から)の時刻表に毎月、「岡目八目旅の空(以前は旅のぼやき節)」という旅のコラム執筆しておられ、楽しみに読ませてもらってました。
80年代後期にたった一度だけ直江津で見たことがあります。友人から18切符の使ってないのを買って、各駅で赤羽から直江津に行きました。本当は春日山城に行くつもりだったんですが、当日は台風通過もあって大雨。直江津で北陸特急を見てました。馴染みのない土地なので、来る列車がすべて新鮮。白鳥を見た時は感動しましたね。これが立った1回だけの遭遇でした。帰りの電車で高田まで乗ったおばあさんに分けてもらったミカン、今でも忘れません。
日本海白鳥・信越白鳥時代に、鮎川哲也の傑作『黒い白鳥』がありましたね。
幼い頃なので覚えてませんが、父親の実家の能代(東能代駅)から母親の実家の柏崎までよく乗ってたらしい。乗り換えなしの唯一の列車だったてよく聞かされました。6時間もかかって大変だったと言っていましたが、いま時刻表検索したら上越新幹線を間に入れても7時間以上かかるんですね😅
時代にもよりますが一時的にも武生、芦原温泉、加賀温泉、小松、津幡、魚津、糸魚川、柏崎、新津、新発田、坂町、中条、村上、あつみ温泉、遊佐、象潟、仁賀保、羽後本荘、東能代、鷹ノ巣を通過してたなんて凄すぎ。時代の経過と共にどんどん停車駅が増えていきましたけど不思議なことに最後の最後まで余目には停めてくれなかった…。
白鳥自体実際に乗ったのは上越新幹線開業後の新潟~青森で、東北新幹線八戸開業後の白鳥には何回か御世話になった。でも遥か昔のガキの頃、地平の上野駅ホームで特急白鳥をバックに親に写真を撮って貰った思い出がある。
白鳥は京都で新幹線に乗り換えると青森〜京都間の特急料金が新幹線乗り継ぎ割引で半額になった美味しい列車だったなぁ😋大阪〜青森を乗り通すより合法的に新幹線を一区間だけ乗ってかなりのお釣りが来たからね✌️
嘗ては新幹線から特急に乗り換え当日便ならば料金半額なりました。
在来線 → 新幹線の場合は、新幹線の利用が翌日でも、在来線特別急行料金は半額になりました。乗換駅で途中下車して 1泊、も出来ましたね。
いいなぁー1回は、485系、乗りたかったなぁ(博物館は含めない)
当時 長岡で学生をしていて、帰省の際 長岡ー京都間を良く利用していました。利便性や料金など、白鳥が走っていた時代に学生をしていて良かったと思います。今は日本海沿いの移動となると、北陸新幹線に乗り換えしないといけないし、料金も高くなったり、利便性ははるかに悪くなっていますね。
私も乗りましたねぇ。1985年の夏、初めて北海道へ行った際。大阪から青森まで。次の夜は函館・札幌の夜行。体力あったな。
大阪から長岡まで乗ったことがあります😊今も485系白鳥、小松駅の近くに展示されていますね‼️
この白鳥号から始まる日本海縦貫線の各特急、いまだに色褪せない魅力を発し続けているのか、Tomixは毎年日本海縦貫線で活躍した485系を1編成以上リリースしています。今年の末には1500番台他の上沼垂色9両がリリースされます。
16番メーカーの前前社長が国鉄型は売れると仰ってました。Nゲージも同じでしょう。
私は、実家が関西で、一時期弘前で仕事をしていました。特急白鳥は、大阪ー弘前間で利用したことがあります。寝台特急日本海を利用することの方が多かったですが。
東北ワイド周遊券を使って乗りました。懐かしいですね。青森から函館間は青春18きっぷで青函連絡船や快速海峡に乗ったのを思い出しました。
幼いころ、家族4人で父の運転する車で移動中、踏み切り停車で眼の前を気動車特急白鳥が通り過ぎて行った。その時「いつかは乗ろうね」と言ったが、実現できず、平成の初期にやっとオレ1人で乗る事ができた。485系で、グレードアップ車両で上沼垂色だった。その時が唯一乗った経験。帰りは、国鉄特急色のいなほで帰った。
『特急 白鳥』かぁ。兄が新潟・越後長岡の国立大学にいたとき、越後長岡へ向かうため、自宅がある函館から『急行はまなす』に乗車し青森で『特急 白鳥』に乗車しました。しかし、往路は弘前で経由する奥羽本線で架線の垂れ下がりで、到着が1時間遅れて、越後長岡に到着しました。傑作だったのは、新潟でスイッチバックのため座席を方向転換したり、復路では485系ボンネット車両に乗りました。今で思うと、ボンネット車両が廃止する予感とは感じはしませんでしたが、新聞で『特急 白鳥廃止』と言う内容で衝撃でした。😢
82系時代の白鳥、それぞれの行き先別に連結された食堂車、お互いに味を競い合っていたと某雑誌で見ましたいったいどんなメニューだったのでしょか😊。
学生の頃、大阪から新潟へ帰省する際によくお世話になりました。一度だけ青森から大阪まで全区間乗りました。確か北海道からの帰りでした。
撮り鉄の親父が北海道から九州にSLを撮りに行った帰り、気動車時代の白鳥を、大阪から青森まで乗り通した!と自慢していました。
30年前のことですが山形県酒田市へ向かうとき、青森~酒田を白鳥に乗ったことがあります今となれば懐かしい特急です
DC時代は昼食と夕食で「別の食堂車に行ってみよう」とかあったのですかね
春休みになると渡道していた私が重宝したのは学割2割引×冬季割2割引のダブル割りの北海道ワイド周遊券で北海道への移動はもっぱら白鳥で、青森ー新大阪ー新神戸の「新幹線乗り継ぎ割引特急券」をよく利用させていただきました。貧乏学生にとっては一食分に匹敵する額が浮いたので「神きっぷ」でした。
40年以上前。白鳥に乗って北海道に初めて一人旅に出る同級生を、大阪駅まで見送りに行きました。懐かしいですね。
5:54ここですね、上越新幹線から羽越線方面の乗り換えで利用した事があり、新潟駅からスイッチバックして羽越線に入っていくので発車したときに「アレ?」ってなりました。今みたいに一斉に座席を反転させる事なく後ろ向きで目的地まで言った思い出です。
冬に乗ると半分以上真っ暗闇で結構つまらなかった・・・
東北地方の日本海側から関西地方まで行った時に何度か乗りました。楽しい旅だったと記憶しています。
当時は青函連絡船の深夜便とアクセスの特急列車は多数ありましたね。上り青森4時50分発ははつかりと同時発車でしたね。
白鳥と青森駅に同時発車はみちのく号ですよ!
@@ナンタ-o5b 間違えました。みちのくでした。はつかりは3分後でした。
かつては西村京太郎作「十津川警部シリーズ」などに幾度か登場してましたな。
上り、下りで各1本の長編+αか
特急列車「白鳥」は鉄道ファンとしては「寝台特急 日本海」と共に、忘れられない列車です。当地の白山車輌工場(旧国鉄松任工機部)で、よく見学会があります。北陸線の歴代の列車のパネル展示や😂いろいろと興味ある車輌の静態保存、修理の状況などの見学があります。「トワイライトエクスプレス」を牽引していた、「EF-81」や雷鳥など、置いてありました。機会があれば、足を運んで下さい。
大阪から青森は1回だけ乗車ですが、青森から大阪は3回(うち1回はグリーン車)
冬は雪だらけで帰ってくる日があり、白鳥は整備が大変だったと向日町運転所の人が言っていた、と鉄道ジャーナルに記事がありました。
昭和43年に大阪から青函連絡線経由しておおぞらに乗り帯広まで。この時は大阪8時に出た記憶が。親に何時に青森に着くか聞いたら11時と答えられて3時間かと思ったら夜だと聞いて泣きそうになった。帯広に着いたのは翌日15時くらいだったかな。帯広で車掌していた祖父が迎えてくれた。これ以降は帰省は飛行機ばかりになってしまいました。懐かしい思い出ですね
青森ー大阪でよく利用していました。新潟駅に近づくと「進行方向が変わるので座席の向きを変えさせて下さい」と言って車掌さんが回って来たのを思い出しました。余裕があれば「にちりんシーガイア」でのんびりと日豊線を旅してみたいです。
青森〜大阪間を乗り通す人ってどのくらいいたんでしょうかね。2001年にサンダーバード・北越・いなほに3分割されたという事は、金沢・新潟でほとんどの乗客が入れ替わっていたのでしょう。
@@tuna2623 鉄道オタクだけ。因みに青森いなほも秋田で分割された。
@@tuna2623 さん 私も京都から新潟まで乗ったことがあります。40年位前ですがさすがに乗り疲れでいやになり大阪青森を乗り通す人が何人いるのかと思い車掌さんに聞いたことがあります。返答は忘れましたか、車掌さんも途中までだったので「多分2桁位いますよ」という返事だったと思います。いずれにしても懐かしい列車ですね。
40数年前に撮り鉄してた頃、新疋田敦賀間の13両白鳥の写真を撮ったの覚えてますね。今じゃ絶対撮れないとは思う。一応、十字コンクリートの外だけど、あまり安全な位置じゃなかったからね💧あと、13両の頃に真冬に天候不順で9両減両したのも撮ったことがありますね😄
なつかしいですね。小生もそのころ、新疋田のカーブに撮りに行きましたよ。ブルトレ日本海、加越、しらさぎと雷鳥のボンネットかっちょよかったですね。もう今の、特急はヘッドマークがないから、あまり撮り甲斐がないですね。のっぺらぼうで、みんな同じに見えちゃいますね。 笑
国鉄➿JRになってからも長距離ランナーだった👏もう見れないのは残念😭
昼間は「白鳥」、夜は「日本海」。大阪⇔青森間を結ぶ昼夜の特急が有ったんですよね。
食堂車が連結されている時代に全線乗車したかったですね。朝5時前に青森発で夕刻に大阪着ということは、朝食と昼食の計2回食堂車へ行けるわけで・・・。
thank you so much, great video here!!! 💯
一度だけ乗ったことがありますが、上沼垂色のグレードアップ車の頃でした。ボンネットのクハ481に乗りました。確か自由席だったと思います。
1974年夏頃にもう一つ転機がありましたヨ!湖西線の開業で白鳥も米原経由を止めて湖西線経由になりました。それで所要時間も更に1時間位短縮されました。
白鳥は新潟駅で進行方向が変わるので、座席を自分で180度転換させなければいけないイベントがあったけど、おばあさんの座席を見知らぬサラリーマンが手伝ったりして子どもながらにほっこりした記憶がある。昔の電車は今に比べて隣の乗客との一体感があった気がします。お隣の家族から貰った冷凍みかんの味は美味しかったなぁ。
白鳥の乗車は平成に入ってからでした。白鳥→はまなすのリレーで札幌へ、さらに旭川に移動してからレンタカーで道内を走り回った思い出が甦ります。白鳥なきあとはおもにきたぐに→いなほ→はまなすのルートで北海道入りしてました。北陸新幹線開通以降は旅先をマイカーで東北に切り替えましたが、北陸自動車道~日本海東北道~国道7号など、白鳥に近いルートで飛ばしてます。
勢いが無くなった9両時代、こだま色の最後に新潟→直江津間で利用したがガラガラでした。時間は午後直ぐの発車だったと思います、廃止後は同じ時間で北越が走っていました。飛行機に負けたのは時間が勿論ですが運賃の差が縮まったのも大きいでしょう、今でも東京駅を挟んで新大阪→新青森を乗りとおす人はどのくらいいるのでしょうか。
特急白鳥の日本海白鳥・信越白鳥との合体運転時代、冬の日本海白鳥は豪雪地帯を走行するため青森発のダイヤが度々大幅に乱れ直江津に上野発信越白鳥が到着しても連結相手の日本海白鳥は新潟辺りで立ち往生状態などがしょっちゅうあり直江津到着のメドが全くたたないので仕方なく信越白鳥が単独で大阪まで先行して走る、ということもあったそうです。特急白鳥の初期の頃は北陸本線の旧線(柳ヶ瀬越えや敦賀ー今庄間海岸ルートなど)や信越本線横川ー軽井沢間のアプト式ルートも走っていたのでしょうね。
95年頃。。3列グリーン車が良くてたまに乗りました。当時既に無駄に長距離走る列車という認識でした。
大阪―青森の白鳥は新潟県の瓢湖の白鳥が由来。青森―函館の白鳥は北海道大沼の白鳥が由来...
この頃の、特急列車は、とてもカッコイイですね!!もうこの頃から、北陸本線や、東北本線の方へ、行っていたのですね!!ちなみに、食堂車や、寝台車も、あったのですね!!今では、懐かしいですね!!🛤️🚆
東北ワイド周遊券を使って何回か大阪〜青森間乗りました。485系電車特急でした。
「はまなす」から乗り継いで大阪を目指したけど、神戸や姫路まで帰るのに大阪駅での乗り換えが面倒に思い、京都で新快速に乗り換えた。「きたぐに」で直江津から大阪駅を目指したのと並んでいい思い出
1988年2月に青森→富山に乗りました指定席を取ったら固定座席(リクライニング無し)なのに、自由席を見たらリクライニングシートやった富山で高山本線の特急[北アルプス]に約1時間半の待ち合わせで乗り換えできました
何度か乗ったけど、食堂車廃止後食堂車がある時に乗りたかったなあ…
夏休み、まだ気動車だった下り白鳥が敦賀駅に止っているのを見に、敦賀駅まで自転車でいった事がありました。気動車の特急は忘年会で山陰線の「あさしお」に実際乗ったのが最初で最後でしたが、その時、敦賀駅にたたずむ白鳥はかっこよかったです。、
懐かしいです。😀大阪から青森までの特急券が3150円時代だったので、北海道周遊券にプラスして何度も乗車してました。大阪駅でお茶と食事を買い込んだ思い出があります。自分には大垣夜行に急行八甲田を乗り継ぐ体力がありませんでした。😅
乗ることはできませんでしたが、昼間にそんなロングランを乗り通す人がいるのかなぁって思っていました。自分が大阪から青森まで列車を使うなら、客車で運用される寝台特急の日本海だろうなぁって。個人的には、上沼垂の塗装変更&アコモ改善車が大阪で見られるのが好きでした。
ワイド周遊券があった時代なら定番でしたね
食堂車が両方についてる理由も分かります。
白鳥 乗りたかったな~😑 日本海は5回乗車したけど
白鳥号には、80系、485系の各番台に乗車しました。長く食堂車が連結されてました。大学時代にチャレンジ20000キロ挑戦中には行きは白鳥帰りは日本海で行ってました。ボンネットタイプになってからは乗らなくなりました。485系1500番台の先行使用に乗れたのは新車だし良かったです。
北海道南部住み。これはとても懐かしいです。函館発午前0時台の青函連絡船で午前4時台に青森駅に到着。そして桟橋から繋がる階段の上から、上野行(後に盛岡行)はつかり、そして大阪行白鳥が並んで見えていました。はつかりには10回くらい乗りました。そして白鳥には、連絡船時代、その後の急行はまなす時代、それぞれ一度だけ乗った事があります。青森までの深夜・未明の移動でほとんど寝られなくて、白鳥の中では新潟あたりまでウトウトしてたのを懐かしく思い出しました。今、当時の白鳥のルートでの青森→大阪は、何回乗り換えが必要なのでしょうか。新潟から上越妙高までの接続、特急しらゆきが利用しにくいようにも感じます。
逆によく2001年まで残ってたなと思います。本で読みましたが国鉄時代は大阪車掌区の方が青森まで全線乗り通して乗務したそうです。
坂本衛さん?九州方面も受け持っていたので桜が2か月見られると記述されてましたね。本は3種類くらい出してました。
LCCとか早割とかなかった時代において、東北、特に出羽方面から西日本へ向かう交通としてそれなりに需要があったのだと思います。飛行機の早割ができてから、陸路で仙台空港へ行って関空へ向かったほうが早くて安くなってオワコンになったのでしょうが。
ほんとそれ!ワイなら61-11で廃止するな😉
小学生の時にHOゲージのキハ82系を買ってもらった時には「白鳥型」と言われていました。ちなみに中学の時に買ったクハネ581(お金がなくて先頭車だけ)は「月光型」と呼ばれていました。。。
0:56気動車時代の停車駅、比較的大きな駅ばかりの中に大聖寺駅。
山代温泉など含む加賀温泉郷への需要を見込んでのことです。で、その大聖寺と動橋(いぶりはし)と加賀温泉郷の玄関口として停車駅合戦をしていたが、作見改め加賀温泉郷が漁夫の利を得て、大聖寺も動橋も通過することになった。
北海道新幹線部分開通と北陸新幹線金沢延伸により、大阪から日本海を縦貫する特急、大阪から札幌まで行く特急がなくなってしまいましたね。大阪圏始発の長距離特急は九州新幹線直通のみですか。大阪の地盤沈下、東京一極集中の成れの果てのような気がします。日本海白鳥の時代が懐かしいですね。
特急「白鳥」…食堂車があった頃には当然乗ることは叶わなかったし、その後食堂車無しで15時間の旅は苦痛だからずーっと敬遠してたが、結局乗ったのは、廃止になる前年の12月、敦賀から大阪に帰るのに乗ったのが最初で最期だったなぁ…。ちゃんと指定券取って乗車したが😁👍(全区間じゃないがその普通車指定券はある意味宝物😊✨)帰りに敦賀駅弁、「カニの押し寿司」を買って車内で食べたのは最期の白鳥の良い思い出✨
あぁ懐かしい。1980年代前半に大阪〜青森を特急白鳥に往復乗車した経験が有ります。動画で言われる様に所要時間は13時間を超えていました。この時の思い出は同行者とひたすらトランプの大貧民をしていましたwwwそれと車内で読んだ週刊誌に重力列車構想の記事が有り東京〜ロサンゼルスが5時間と言う記事を読み、嫌がらせかと思った事を思い出しなす。乗車の目的は北海道旅行。帯広からの帰路、台風崩れの低気圧の影響で大雨、当時の降雨記録だったそうで、道内の国鉄が3日ほど止まってしまいました。とにかく長時間の乗車で往路の白鳥で駅弁2回青函連絡船で1回、道内の特急で1回と連続で駅弁を頂いたのですが、全ての弁当に塩鮭が入っていましたが、北海道内で食べた鮭の美味しさに驚いた覚えが有ります。取り留めのない長文失礼致しました。
幕やデータの都合なのかなくなってからほぼ間を置かずに青函連絡特急になりましたねWikipediaもこの関連で白鳥とスーパー白鳥に分かれてます
1970年に青森から大阪まで乗ったことがあります。それ1度だけだったけど長かったなあ…
特急白鳥が新車で置き換えたら北陸新幹線開業寸前まで運行されてたらめちゃくちゃ乗りとくだったかも(乗り鉄にとっては)
はくたか、サンダーバード用681が充当されればスピードアップも図れただろうけど、東日本との調整も難しくそこまでして残す意味はないと判断されたのかもね。しらさぎも683に置き換えられたのは21世紀に入って大分たってからだし。
鉄道オタク以外は乗らないから廃止になった。
正直、63-3で廃止で良かったな😉
Super nice Video! BIG LIKE😍
乗りたかったです名古屋からは米原又は敦賀乗り換えが可能でしたが、乗る機会を作れませんでした
2001年の2月に廃止間際の白鳥にキャンセルが出て辛うじて乗ることが出来ました。自分にとってはそれが唯一の乗車機会となり大阪~青森を乗り通しました。特急料金は確か600km以上はどれだけ乗っても一定だっだので意外と料金は高くなく、長距離を一本で結ぶ列車のメリットを感じました。本当に良い時代でした。
スマホ📱ないけど今よりもいい時代か?😜
修学旅行で北海道へ白鳥に乗って行ったなんてきっとよい思い出になったんでしょうね。
特急白鳥は三電源対応の485系が真価を発揮できる唯一の特急電車でした。
確かに3・4回くらい、デッドセクションで電灯が消えていました。新しい電車特急ではそういうこともなくなりましたからね。
もう一度、復活して欲しいですね!!昭和時代の、特急列車!!
鉄道マニアには憧れの列車で一度は青森まで乗り通したい人気の列車でした 8:13 。今も復活してほしい特急です。北陸本線が第3セクターに切り刻まれてしまったが、白鳥は日本海縦貫線のクイーンです。日本海縦貫線という名前も過去になってしまったが、復活してほしいですね。第三セクターにしてしまったのは大きな間違いだったかもしれませんよ。誰も言わないけど、東南海地震が発生して太平洋側の交通が麻痺したら、日本海側が一時的でも物流の中心になる。大切な路線だと思います。
45年以上前に大阪→青森を2回乗りました。青森に近づくと車掌さんが青函連絡船の乗船票を渡してくれました。
青森に着くと重いリックを
背負って猛ダッシュで
青函連絡船の座席を
キープしたのが懐かしいです。
現在の津軽海峡フェリーと違って階段だけでの移動だったでしょうからね。
懐かしい。大阪で学生をやっていた道民の私は、時々これで帰省してました。飛行機よりも遥かに時間はかかりましたが、遥かに楽しかった記憶があります。
君、団塊ジュニア世代以上の鉄道おじさん?(笑)
@@playboy4649japanだから何?悪いか?😜
昭和末期ですが白鳥号には良く乗っていました
ただ敦賀から大阪までの僅かな区間ですが
選んで白鳥号にしてましたね、懐かしくて
最終日は仕事で大阪駅で特急券だけを購入
北海道紀行には日本海、白鳥ほんとにお世話に
なりました。鉄道人生でも最も思い出深いです
私の学生の頃は北海道ブーム、白鳥には5回、日本海には1回乗車しました。大阪を10時に出発して青森に23時半ごろに到着、いつも30分ぐらい遅れてました。さすがに13時間座り続けるのは苦痛、新潟を通過する夕方ごろがピーク、そこを過ぎるともう何も感じなくなりました。懐かしいです。
高校の修学旅行が北海道で大阪から白鳥、連絡船、北海、オホーツクを
乗り継いで旭川まで行ったね、いい経験ができた
1970年ごろに富山から大阪に帰るのに利用した思い出。高校生だったが自分の席におじさんが着席していたので自分の席なんですがというと、面白い回答。途中で席を回したので、この席が自分の席だと。確かに当時は新潟で進行方向が変わった。こんなひょんなことでこのおじさんと道連れになったが、なんと北海道の陸別から四国の宇和島までお嫁さんを迎えに行くのだという。釣書だけのお見合いだそうだ。内地(北海道の人は本州をこう呼ぶ)は初めてで、山ばかりが迫って息苦しくなると。北陸トンネル通過時は「本当にトンネルから出られるのか」と真面目に不安がったり。大阪駅で降りるとハンチング帽に振り分け荷物とでかい鞄。昭和というより「大正か!」という格好。それでも本当に不安そうだったので切符を見せてもらって岡山方面へのホームまで付き合ってあげたら感激されて、乗った列車から最後まで手を振ってくれた。今思うと、このおじさん青函連絡船+宇高連絡船を乗り継いで行ったんだ。石油ショック前の高度成長期といっても、北海道の陸別では結婚相手の女性など見つからないのだという事実をまざまざと教えられた、特急白鳥の思い出。
僻地to僻地の大旅行やな
「あの頃」という言葉でひとくくりにしたくない。懐かしい思い出でしょうね。
電化前の白鳥を乗り通してみたかったな
山中峠超えや海沿いを走る親不知等、ロマンあふれる旧線を当時快適だった特急に乗るなんて最高でしょ
中学生の頃、給食の時間(12時20分頃)に上りの白鳥号が通過するってんで、鉄道好きのクラスメート達と教室のベランダから見てたのを思い出しました。
我輩は小4の時です(京都駅の西側)。雷鳥号が12輌で白鳥号が13輌、京都発着の明星号も健在でした。白鳥号のみ食堂車が逆向きだったのが印象的でした。
一度は乗ってみたかった!結局乗れず終い!残念でした。
コメントを拝見してると
皆さん電車にまつわる色々な思い出があるんですね
イイね〜♫ 電車って😊
廃止前の1月に大阪から全線乗車。
鉄道ファンとして憧れの列車のひとつだったので楽しい時間を過ごせました。
当時あったワイド周遊券で北海道へ渡るのによく利用しました。初めて乗ったのは丁度食堂車が外される直前でカレーを食べた懐かしい思い出があります。学生には飛行機など高嶺の花で 関西から北海道へは 急行きたぐに 少しリッチにこの特急白鳥を使ったものです。敦賀と村上の手前のデッドセクション通過時 車内灯が消えて非常灯だけになるのを体験できる列車でした。
中学生の時に北海道を周遊して、はまなすから乗り継いで大阪まで乗った事があります。寒い日で青森駅で食べたかけそばの温かさが体にしみたのはいい思い出です。
2001年の1月20日に、青森→大阪間を自由席にて乗り通しました。
廃止前のお名残り乗車もあってか、指定席は完売。自由席も常時満席で、なんとか始発から通路側に座ることができました。
車窓を眺められない、かなりの苦行状態だったのが懐かしいです。
赤塚不二夫サンマンガの大学生校歌唄おう😁 その行動にアッパレの👍イイネボタン押しました。
電車特急の時代、弘前から京都まで乗車しました。
日本海縦貫線の北部は雪で大幅に遅延することもあり、上野発の白鳥と併結するのは大変だったと思います。
1999年ごろに大阪から秋田まで乗りました。昼ごはん夕ご飯を駅弁で済ませたのをよく覚えています。
親不知あたりに日本海が透き通っていて、とても綺麗でした
懐かしいな
在来線で こんな長距離の列車は、もう出てこないでしょうね
四季島や瑞風のような会員制の高級列車ならあり得るかも知れません旅行商品になるでしょう。
下りに乗って笹川流れで日本海に沈む夕陽を見ながら食堂車にてお食事。
これこそ鉄道旅行の醍醐味でしょ😊
@@レールスターひかり 食堂車は昭和に廃止されたから君は還暦鉄道じいさん?(笑)
@@playboy4649japan
白鳥の食堂車使った時は小学4年だったわ(笑)
翌年から食堂車の営業休止になりました😂
西村京太郎氏のミステリー『特急白鳥十四時間』を読んで、乗り通したいと強く思いました。
叶わぬままになってしまったことが悔やまれます。
わ〰️❗懐かしい❗亀井刑事に殺人予告が来るストーリーでしたっけ⁉️
当時、あの小説を古本屋で買い、読みまくっているうちに実際に乗ってみたくなり、東能代から弘前まで乗車したことがあります。因みに平成2年頃の話しです。
@@須藤寛永 返信ありがとうございます! そんなストーリーだったと記憶していますが、今考えると設定がはちゃめちゃですねwww
雷鳥は便が多いので頻繁に見れましたけど白鳥号は希少なので見れたらラッキーでしたね。個人的にはあのヘッドマークが好きです。
かつての伝説になりつつある日本海縦貫線(北陸本線や信越本線、白新線、羽越本線と奥羽本線などの国鉄時代からJRにかけて存在した、いわゆる日本海側を貫く線の総称)と、そこを走った特急「白鳥」号、今となっては懐かしいです。
当時、一度だけ大阪から青森まで乗り通したことがあります。
そこには、長距離昼行特急列車の良さがありました。
「特急白鳥よ、永遠なれ!!」
1番最後に乗った時、グリーン車の一人用席でした。酒田から東三条までの利用でしたが、日本海側の席で景色を見ながら駅弁を食べたりしたから最高の旅でした。
もう一つエピソード。小学校の頃、路線バスの中で友達と特急白鳥の停車駅を順に言い合うゲームをしてました。私の順番の時、東能代の駅が廻ってきました。「ひがしのしろ」を「ひがしのだい」と言いました。すると
隣に座っていた知らないおじさんが「僕、それはねぇ、『ひがしのしろ』というんだよ」と教えてくれました。その後、二度と間違えませんでした。何処のおじさんか知らないけど、ありがとう!! 古き良き時代に万歳!!
札幌から松江まで行くのにはまなす、白鳥、だいせんを乗り継いだのは良い思い出。あの頃私は若かった。
「白鳥」にはその晩年に金沢→京都で1回だけ乗ったことがあります。国鉄時代から走り続けた「白鳥」、それは日本鉄道史に大きな功績を残した偉大なる列車だったと思います。
既に雷鳥(現サンダーバード)のフォローになってましたね。
懐かしすぎます。朝10時大阪駅発。北海道が大好きだったのですが、飛行機が嫌いだったので何回も白鳥に乗りました。一人で日本海を眺めながらの旅は、本当にワクワクするものでした。
自分も1990年代後半に、北陸旅行の帰りに金沢から長岡までの上越新幹線の帰りの連絡線としてたまたま、この白鳥を利用しました。
全走行距離からすれば僅かな距離ですが、それでも白鳥に乗れたのは貴重でした。
この日本海縦貫ラインは寝台特急トワイライトエクスプレスでは走破しましたが、あの距離を昼行で走り抜けるのですから、ホント凄い特急電車でしたね。
気動車時代、動橋という駅に停車していた。鉄道ファンだったお陰で、このような難読駅名、地名を読めるようになり、地理の成績が良かった。感謝🤗
同じ「動」の読み方でも「石動」は通過でしたね。
大聖寺と停車駅合戦をしたあげく、作見改め加賀温泉駅が漁夫の利を得てしまって両成敗になった駅ですね。
@@DJKotony
雷鳥が出来た時にその辺りを整理してましたね。
停車(通過)駅で思い出しましたが、能生駅運転停車事件を起こしたのは白鳥でしたよね。金沢支局の時刻表には能生駅の停車時刻が記載されていたけど客扱い停車ではなく運転停車(通過扱い)で。地元では特急停車を祝うイベントまで行われたと言いますが…
@@Yoshin-Sashizume様 あれは、残酷な事件でしたよね。糸魚川も魚津も通過する白鳥が能生に停車すニュースを誰も疑わなかったのですかね。
実際に白鳥に乗ったことは一度も有りませんが、去年亡くなった水島新司先生のあぶさんで何度も特急白鳥というワードが出ていたので親しみのある列車でした
酒田〜新潟とか乗ったな白鳥。北陸に周遊券あった頃は次から次へとやってくる在来線特急に通勤電車のように使わせてもらった。あの時代に生きられて良かった
「白鳥」は、乗り鉄にとっては、王道中の王道でした。
もう?このような列車は現れないから、全区間を乗り通したのを誇りにしています。
出来れば、大阪~博多(山陰本線経由)を走行した「まつかぜ」も、取り上げて欲しいです。
よろしくお願いいたします。
凄いですね!疲れることはありませんでしたか?
@@BALL_LEMON
まったく疲れませんでした。
当時の特急は、食堂車あり…車販ありと、暇つぶしが出来ました。
車掌さんから、その車掌区しか存在しないオレンジカードを購入したり、車掌さんのサインを貰ったり、楽しかったです。
だから乗り鉄は、やめられませんです。
北の『おおとり』も題材にしてもらいたい心境ですね。
函館〜網走間を走り、置き換えまでキシを連結させていた列車ですし。
@@越後浪人
「おおとり」も捨てがたいですけど、だったら…急行「宗谷」のが良いと思います。
函館~稚内までの走行で、しかも…長万部~札幌間は、山線経由が魅力です。
@@河野孝-y5t 確かに急行宗谷は北海道でも桁違いのロングランナーでしたね。
『おおとり』の場合、走行距離ではその頃の『宗谷』に劣りますが、80系で『キシを連結した最後の特急』というところも大きなポイントです。
キシとは動力用のエンジンを積んだ食堂車でございまして、気動車だった頃の白鳥🦢にも連結されていました。
30年以上前の正月、宿泊先の青森から途中の金沢まで乗車したことがある。
ただ何も考えず、ず~っと座席に座っていた、たまに外の風景を観たりしてたが、ただ“乗ること”だけを楽しんでいた。
いい時代だったのかな?
スマホ📱がある今の方がいい時代だと思う😉
紀行作家宮脇俊三氏はご自身の本で、「北前船が陸に上がった列車」と、簡潔ながら本心をついた表現でした。
そして新日本海フェリーは現代の北前船といわれている
名言すぎません?
宮脇俊三さん、種村直樹さん、壇上完爾さん✨
三氏の紀行本は、高校時代のバイブルでした✊️✨
特に壇上先生は、当時のJTB(日本交通公社時代から)の時刻表に毎月、「岡目八目旅の空(以前は旅のぼやき節)」という旅のコラム執筆しておられ、楽しみに読ませてもらってました。
80年代後期にたった一度だけ直江津で見たことがあります。友人から18切符の使ってないのを買って、各駅で赤羽から直江津に行きました。本当は春日山城に行くつもりだったんですが、当日は台風通過もあって大雨。直江津で北陸特急を見てました。馴染みのない土地なので、来る列車がすべて新鮮。白鳥を見た時は感動しましたね。これが立った1回だけの遭遇でした。帰りの電車で高田まで乗ったおばあさんに分けてもらったミカン、今でも忘れません。
日本海白鳥・信越白鳥時代に、鮎川哲也の傑作『黒い白鳥』がありましたね。
幼い頃なので覚えてませんが、父親の実家の能代(東能代駅)から母親の実家の柏崎までよく乗ってたらしい。
乗り換えなしの唯一の列車だったてよく聞かされました。
6時間もかかって大変だったと言っていましたが、いま時刻表検索したら上越新幹線を間に入れても7時間以上かかるんですね😅
時代にもよりますが一時的にも武生、芦原温泉、加賀温泉、小松、津幡、魚津、糸魚川、柏崎、新津、新発田、坂町、中条、村上、あつみ温泉、遊佐、象潟、仁賀保、羽後本荘、東能代、鷹ノ巣を通過してたなんて凄すぎ。時代の経過と共にどんどん停車駅が増えていきましたけど不思議なことに最後の最後まで余目には停めてくれなかった…。
白鳥自体実際に乗ったのは上越新幹線開業後の新潟~青森で、東北新幹線八戸開業後の白鳥には何回か御世話になった。でも遥か昔のガキの頃、地平の上野駅ホームで特急白鳥をバックに親に写真を撮って貰った思い出がある。
白鳥は京都で新幹線に乗り換えると青森〜京都間の特急料金が新幹線乗り継ぎ割引で半額になった美味しい列車だったなぁ😋大阪〜青森を乗り通すより合法的に新幹線を一区間だけ乗ってかなりのお釣りが来たからね✌️
嘗ては新幹線から特急に乗り換え当日便ならば料金半額なりました。
在来線 → 新幹線の場合は、新幹線の利用が翌日でも、在来線特別急行料金は半額になりました。
乗換駅で途中下車して 1泊、も出来ましたね。
いいなぁー1回は、485系、乗りたかったなぁ(博物館は含めない)
当時 長岡で学生をしていて、帰省の際 長岡ー京都間を良く利用していました。
利便性や料金など、白鳥が走っていた時代に学生をしていて良かったと思います。
今は日本海沿いの移動となると、北陸新幹線に乗り換えしないといけないし、料金も高くなったり、利便性ははるかに悪くなっていますね。
私も乗りましたねぇ。
1985年の夏、初めて北海道へ行った際。
大阪から青森まで。次の夜は函館・札幌の夜行。
体力あったな。
大阪から長岡まで乗ったことがあります😊
今も485系白鳥、小松駅の近くに展示されていますね‼️
この白鳥号から始まる日本海縦貫線の各特急、いまだに色褪せない魅力を発し続けているのか、Tomixは毎年日本海縦貫線で活躍した485系を1編成以上リリースしています。今年の末には1500番台他の上沼垂色9両がリリースされます。
16番メーカーの前前社長が国鉄型は売れると仰ってました。Nゲージも同じでしょう。
私は、実家が関西で、一時期弘前で仕事をしていました。
特急白鳥は、大阪ー弘前間で利用したことがあります。
寝台特急日本海を利用することの方が多かったですが。
東北ワイド周遊券を使って乗りました。
懐かしいですね。
青森から函館間は青春18きっぷで青函連絡船や快速海峡に乗ったのを思い出しました。
幼いころ、家族4人で父の運転する車で移動中、踏み切り停車で眼の前を気動車特急白鳥が通り過ぎて行った。その時「いつかは乗ろうね」と言ったが、実現できず、平成の初期にやっとオレ1人で乗る事ができた。485系で、グレードアップ車両で上沼垂色だった。その時が唯一乗った経験。帰りは、国鉄特急色のいなほで帰った。
『特急 白鳥』かぁ。
兄が新潟・越後長岡の国立大学にいたとき、越後長岡へ向かうため、自宅がある函館から『急行はまなす』に乗車し青森で『特急 白鳥』に乗車しました。
しかし、往路は弘前で経由する奥羽本線で架線の垂れ下がりで、到着が1時間遅れて、越後長岡に到着しました。
傑作だったのは、新潟でスイッチバックのため座席を方向転換したり、復路では485系ボンネット車両に乗りました。
今で思うと、ボンネット車両が廃止する予感とは感じはしませんでしたが、新聞で『特急 白鳥廃止』と言う内容で衝撃でした。😢
82系時代の白鳥、それぞれの行き先別に連結された食堂車、お互いに味を競い合っていたと某雑誌で見ました
いったいどんなメニューだったのでしょか😊。
学生の頃、大阪から新潟へ帰省する際によくお世話になりました。一度だけ青森から大阪まで全区間乗りました。確か北海道からの帰りでした。
撮り鉄の親父が北海道から九州にSLを撮りに行った帰り、気動車時代の白鳥を、大阪から青森まで乗り通した!と自慢していました。
30年前のことですが山形県酒田市へ向かうとき、青森~酒田を白鳥に乗ったことがあります
今となれば懐かしい特急です
DC時代は昼食と夕食で「別の食堂車に行ってみよう」とかあったのですかね
春休みになると渡道していた私が重宝したのは学割2割引×冬季割2割引のダブル割りの北海道ワイド周遊券で北海道への移動はもっぱら白鳥で、青森ー新大阪ー新神戸の「新幹線乗り継ぎ割引特急券」をよく利用させていただきました。貧乏学生にとっては一食分に匹敵する額が浮いたので「神きっぷ」でした。
40年以上前。
白鳥に乗って北海道に初めて一人旅に出る同級生を、大阪駅まで見送りに行きました。
懐かしいですね。
5:54ここですね、上越新幹線から羽越線方面の乗り換えで利用した事があり、新潟駅からスイッチバックして羽越線に入っていくので発車したときに「アレ?」ってなりました。今みたいに一斉に座席を反転させる事なく後ろ向きで目的地まで言った思い出です。
冬に乗ると半分以上真っ暗闇で結構つまらなかった・・・
東北地方の日本海側から関西地方まで行った時に何度か乗りました。楽しい旅だったと記憶しています。
当時は青函連絡船の深夜便とアクセスの特急列車は多数ありましたね。上り青森4時50分発ははつかりと同時発車でしたね。
白鳥と青森駅に同時発車はみちのく号ですよ!
@@ナンタ-o5b
間違えました。みちのくでした。はつかりは3分後でした。
かつては西村京太郎作「十津川警部シリーズ」などに幾度か登場してましたな。
上り、下りで各1本の長編+αか
特急列車「白鳥」は鉄道ファンとしては「寝台特急 日本海」と共に、忘れられない列車です。
当地の白山車輌工場(旧国鉄松任工機部)で、よく見学会があります。北陸線の歴代の列車のパネル展示や😂いろいろと興味ある車輌の静態保存、修理の状況などの見学があります。
「トワイライトエクスプレス」を牽引していた、「EF-81」や雷鳥など、置いてありました。
機会があれば、足を運んで下さい。
大阪から青森は1回だけ乗車ですが、青森から大阪は3回(うち1回はグリーン車)
冬は雪だらけで帰ってくる
日があり、白鳥は整備が大変だったと向日町運転所の人が言っていた、と鉄道ジャーナルに記事がありました。
昭和43年に大阪から青函連絡線経由しておおぞらに乗り帯広まで。この時は大阪8時に出た記憶が。親に何時に青森に着くか聞いたら11時と答えられて3時間かと思ったら夜だと聞いて泣きそうになった。帯広に着いたのは翌日15時くらいだったかな。
帯広で車掌していた祖父が迎えてくれた。
これ以降は帰省は飛行機ばかりになってしまいました。
懐かしい思い出ですね
青森ー大阪でよく利用していました。
新潟駅に近づくと「進行方向が変わるので座席の向きを変えさせて下さい」と言って車掌さんが回って来たのを
思い出しました。余裕があれば「にちりんシーガイア」でのんびりと日豊線を旅してみたいです。
青森〜大阪間を乗り通す人ってどのくらいいたんでしょうかね。2001年にサンダーバード・北越・いなほに3分割されたという事は、金沢・新潟でほとんどの乗客が入れ替わっていたのでしょう。
@@tuna2623 鉄道オタクだけ。因みに青森いなほも秋田で分割された。
@@tuna2623 さん
私も京都から新潟まで乗ったことがあります。40年位前ですがさすがに乗り疲れでいやになり大阪青森を乗り通す人が何人いるのかと思い車掌さんに聞いたことがあります。返答は忘れましたか、車掌さんも途中までだったので「多分2桁位いますよ」という返事だったと思います。いずれにしても懐かしい列車ですね。
40数年前に撮り鉄してた頃、新疋田敦賀間の13両白鳥の写真を撮ったの覚えてますね。
今じゃ絶対撮れないとは思う。一応、十字コンクリートの外だけど、あまり安全な位置じゃなかったからね💧
あと、13両の頃に真冬に天候不順で9両減両したのも撮ったことがありますね😄
なつかしいですね。
小生もそのころ、新疋田のカーブに撮りに行きましたよ。
ブルトレ日本海、加越、しらさぎと雷鳥のボンネットかっちょよかったですね。
もう今の、特急はヘッドマークがないから、あまり撮り甲斐がないですね。
のっぺらぼうで、みんな同じに見えちゃいますね。 笑
国鉄➿JRになってからも長距離ランナーだった👏
もう見れないのは残念😭
昼間は「白鳥」、夜は「日本海」。大阪⇔青森間を結ぶ昼夜の特急が有ったんですよね。
食堂車が連結されている時代に全線乗車したかったですね。
朝5時前に青森発で夕刻に大阪着ということは、朝食と昼食の計2回食堂車へ行けるわけで・・・。
thank you so much, great video here!!! 💯
一度だけ乗ったことがありますが、上沼垂色のグレードアップ車の頃でした。ボンネットのクハ481に乗りました。確か自由席だったと思います。
1974年夏頃にもう一つ転機がありましたヨ!
湖西線の開業で白鳥も米原経由を止めて湖西線経由になりました。それで所要時間も更に1時間位短縮されました。
白鳥は新潟駅で進行方向が変わるので、座席を自分で180度転換させなければいけないイベントがあったけど、おばあさんの座席を見知らぬサラリーマンが手伝ったりして子どもながらにほっこりした記憶がある。
昔の電車は今に比べて隣の乗客との一体感があった気がします。お隣の家族から貰った冷凍みかんの味は美味しかったなぁ。
白鳥の乗車は平成に入ってからでした。白鳥→はまなすのリレーで札幌へ、さらに旭川に移動してからレンタカーで道内を走り回った思い出が甦ります。白鳥なきあとはおもにきたぐに→いなほ→はまなすのルートで北海道入りしてました。北陸新幹線開通以降は旅先をマイカーで東北に切り替えましたが、北陸自動車道~日本海東北道~国道7号など、白鳥に近いルートで飛ばしてます。
勢いが無くなった9両時代、こだま色の最後に新潟→直江津間で利用したがガラガラでした。時間は午後直ぐの発車だったと思います、廃止後は同じ時間で北越が走っていました。飛行機に負けたのは時間が勿論ですが運賃の差が縮まったのも大きいでしょう、今でも東京駅を挟んで新大阪→新青森を乗りとおす人はどのくらいいるのでしょうか。
特急白鳥の日本海白鳥・信越白鳥との合体運転時代、冬の日本海白鳥は豪雪地帯を走行するため青森発のダイヤが度々大幅に乱れ直江津に上野発信越白鳥が到着しても連結相手の日本海白鳥は新潟辺りで立ち往生状態などがしょっちゅうあり直江津到着のメドが全くたたないので仕方なく信越白鳥が単独で大阪まで先行して走る、ということもあったそうです。
特急白鳥の初期の頃は北陸本線の旧線(柳ヶ瀬越えや敦賀ー今庄間海岸ルートなど)や信越本線横川ー軽井沢間のアプト式ルートも走っていたのでしょうね。
95年頃。。3列グリーン車が良くてたまに乗りました。当時既に無駄に長距離走る列車という認識でした。
大阪―青森の白鳥は新潟県の瓢湖の白鳥が由来。青森―函館の白鳥は北海道大沼の白鳥が由来...
この頃の、特急列車は、とてもカッコイイですね!!もうこの頃から、北陸本線や、東北本線の方へ、行っていたのですね!!ちなみに、食堂車や、寝台車も、あったのですね!!今では、懐かしいですね!!🛤️🚆
東北ワイド周遊券を使って何回か大阪〜青森間乗りました。
485系電車特急でした。
「はまなす」から乗り継いで大阪を目指したけど、神戸や姫路まで帰るのに大阪駅での乗り換えが面倒に思い、京都で新快速に乗り換えた。
「きたぐに」で直江津から大阪駅を目指したのと並んでいい思い出
1988年2月に青森→富山に乗りました
指定席を取ったら固定座席(リクライニング無し)なのに、自由席を見たらリクライニングシートやった
富山で高山本線の特急[北アルプス]に約1時間半の待ち合わせで乗り換えできました
何度か乗ったけど、食堂車廃止後
食堂車がある時に乗りたかったなあ…
夏休み、まだ気動車だった下り白鳥が敦賀駅に止っているのを見に、敦賀駅まで自転車
でいった事がありました。気動車の特急は忘年会で山陰線の「あさしお」に実際乗ったのが
最初で最後でしたが、その時、敦賀駅にたたずむ白鳥はかっこよかったです。、
懐かしいです。😀
大阪から青森までの特急券が3150円時代だったので、
北海道周遊券にプラスして何度も乗車してました。
大阪駅でお茶と食事を買い込んだ思い出があります。
自分には大垣夜行に急行八甲田を乗り継ぐ体力がありませんでした。😅
乗ることはできませんでしたが、昼間にそんなロングランを乗り通す人がいるのかなぁって思っていました。
自分が大阪から青森まで列車を使うなら、客車で運用される寝台特急の日本海だろうなぁって。
個人的には、上沼垂の塗装変更&アコモ改善車が大阪で見られるのが好きでした。
ワイド周遊券があった時代なら定番でしたね
食堂車が両方についてる理由も分かります。
白鳥 乗りたかったな~😑 日本海は5回乗車したけど
白鳥号には、80系、485系の各番台に乗車しました。長く食堂車が連結されてました。大学時代にチャレンジ20000キロ挑戦中には行きは白鳥帰りは日本海で行ってました。ボンネットタイプになってからは乗らなくなりました。485系1500番台の先行使用に乗れたのは新車だし良かったです。
北海道南部住み。
これはとても懐かしいです。
函館発午前0時台の青函連絡船で午前4時台に青森駅に到着。そして桟橋から繋がる階段の上から、上野行(後に盛岡行)はつかり、そして大阪行白鳥が並んで見えていました。
はつかりには10回くらい乗りました。そして白鳥には、連絡船時代、その後の急行はまなす時代、それぞれ一度だけ乗った事があります。
青森までの深夜・未明の移動でほとんど寝られなくて、白鳥の中では新潟あたりまでウトウトしてたのを懐かしく思い出しました。
今、当時の白鳥のルートでの青森→大阪は、何回乗り換えが必要なのでしょうか。新潟から上越妙高までの接続、特急しらゆきが利用しにくいようにも感じます。
逆によく2001年まで残ってたなと思います。本で読みましたが国鉄時代は大阪車掌区の方が青森まで全線乗り通して乗務したそうです。
坂本衛さん?九州方面も受け持っていたので桜が2か月見られると記述されてましたね。本は3種類くらい出してました。
LCCとか早割とかなかった時代において、
東北、特に出羽方面から西日本へ向かう交通としてそれなりに需要があったのだと思います。
飛行機の早割ができてから、陸路で仙台空港へ行って関空へ向かったほうが
早くて安くなってオワコンになったのでしょうが。
ほんとそれ!ワイなら61-11で廃止するな😉
小学生の時にHOゲージのキハ82系を買ってもらった時には「白鳥型」と言われていました。
ちなみに中学の時に買ったクハネ581(お金がなくて先頭車だけ)は「月光型」と呼ばれていました。。。
0:56気動車時代の停車駅、比較的大きな駅ばかりの中に大聖寺駅。
山代温泉など含む加賀温泉郷への需要を見込んでのことです。
で、その大聖寺と動橋(いぶりはし)と加賀温泉郷の玄関口として停車駅合戦をしていたが、
作見改め加賀温泉郷が漁夫の利を得て、
大聖寺も動橋も通過することになった。
北海道新幹線部分開通と北陸新幹線金沢延伸により、大阪から日本海を縦貫する特急、大阪から札幌まで行く特急がなくなってしまいましたね。大阪圏始発の長距離特急は九州新幹線直通のみですか。大阪の地盤沈下、東京一極集中の成れの果てのような気がします。日本海白鳥の時代が懐かしいですね。
特急「白鳥」…食堂車があった頃には当然乗ることは叶わなかったし、その後食堂車無しで15時間の旅は苦痛だからずーっと敬遠してたが、結局乗ったのは、廃止になる前年の12月、敦賀から大阪に帰るのに乗ったのが最初で最期だったなぁ…。
ちゃんと指定券取って乗車したが😁👍(全区間じゃないがその普通車指定券はある意味宝物😊✨)
帰りに敦賀駅弁、「カニの押し寿司」を買って車内で食べたのは最期の白鳥の良い思い出✨
あぁ懐かしい。
1980年代前半に大阪〜青森を特急白鳥に往復乗車した経験が有ります。
動画で言われる様に所要時間は13時間を超えていました。
この時の思い出は同行者とひたすらトランプの大貧民をしていましたwww
それと車内で読んだ週刊誌に重力列車構想の記事が有り東京〜ロサンゼルスが5時間と言う記事を読み、嫌がらせかと思った事を思い出しなす。
乗車の目的は北海道旅行。帯広からの帰路、台風崩れの低気圧の影響で大雨、当時の降雨記録だったそうで、道内の国鉄が3日ほど止まってしまいました。
とにかく長時間の乗車で往路の白鳥で駅弁2回青函連絡船で1回、道内の特急で1回と連続で駅弁を頂いたのですが、全ての弁当に塩鮭が入っていましたが、北海道内で食べた鮭の美味しさに驚いた覚えが有ります。
取り留めのない長文失礼致しました。
幕やデータの都合なのかなくなってからほぼ間を置かずに青函連絡特急になりましたね
Wikipediaもこの関連で白鳥とスーパー白鳥に分かれてます
1970年に青森から大阪まで乗ったことがあります。それ1度だけだったけど長かったなあ…
特急白鳥が新車で置き換えたら北陸新幹線開業寸前まで運行されてたらめちゃくちゃ乗りとくだったかも(乗り鉄にとっては)
はくたか、サンダーバード用681が充当されればスピードアップも図れただろうけど、東日本との調整も難しくそこまでして残す意味はないと判断されたのかもね。
しらさぎも683に置き換えられたのは21世紀に入って大分たってからだし。
鉄道オタク以外は乗らないから廃止になった。
正直、63-3で廃止で良かったな😉
Super nice Video! BIG LIKE😍
乗りたかったです
名古屋からは米原又は敦賀乗り換えが可能でしたが、乗る機会を作れませんでした