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寝台急行の銀河と天の川は同じ天体名ですね。一時期20系寝台急行という面も同じ。どちらも憧れでした。
初めて寝台車に乗ったのが、20系天ノ川のA寝台だった。当時は上野〜新潟の牽引機はEF58だったから、水上〜石打でEF16が補助機関車として連結された。
時刻表に白抜きのブルートレインマークが付いていた4本の急行。【銀河】【新星】【天の川】【狩勝】松尾芭蕉の俳句から取った行先とマッチした列車名。名実ともに名列車名急行だと思います。
狩勝じゃなくて「だいせん」ですね
銀河とだいせんは利用した経験がありますよ。
日本中に寝台特急、寝台急行、一部では山陰、はやたまなど普通列車に寝台車を連結していた列車もあった。旅情あふれる時代であった。
だがしかし、新幹線🚅とLCCで今の方が便利😉
@@psychedelicraspberry517 それに今は夜行バスにネットカフェ、安く済ませる手段もいくつかあるしね😁
あけぼのが運行している最末期に時刻表に携わってました。かつての編集長と知己になり、その縁で秋田新幹線新型車両お披露目に招待され、大宮駅の貴賓室で、秋田支社の上層部と話したことがあります。先方は私のことなど覚えちゃいないと思いますが、その際、あけぼのの廃止時期についてかなり突っ込んだ質問をしました。詳細は申し上げられませんが、色々需要予測などのデータをお持ちで、鉄道ファンとは違う視点で考えてるんだなぁと改めて思ったものです。
廃止になる頃のあけぼのでは、一部で多少経年が浅い25型も使用されていたが、殆どが経年40年の24系客車で、76年から35年以上に渡り風雪と塩害にさらされる東北寝台特急での運行で、老朽化が深刻になっていたことでしょう。経年30年程度の頃に冬に利用したが、乗車したオハネフ24は、既に車両が走行中ドンドンと上下にバウンドする酷さだった。その頃に秋田支社が本社に車両置き換えを認められなかった時点で、24系の老朽化の限度時期であけぼの廃止になるのは確定していましたな。
時刻表で白い流れ星だった寝台急行、懐かしい!
20系は車掌室は風通しが良すぎて冬は隙間風に悩まされて夏は窓が大きい事で蒸して灼熱金魚鉢て呼ばれてたとかで。
阪神国道線の金魚鉢も
展望室みたいとはしゃぐのは新人か鉄道ファンくらいでナハネフ22は窓ガラスを固定するゴムが劣化して雨漏りが頻発。早く補修しろと現場から検修部門へ苦情が殺到し多くの乗務員からは嫌われていた。パノラミックウインドも見れているから落ち着かないと不評で切妻型のナハネフ23の方がまだマシとされていた。ボーイが乗り込まなくなってからの20系は戸締めを全て車掌がする事になり労力が掛かり乗務員からさらに不興を買った。
親から天の川って列車があったって聞いた事あって、よくよく調べたらすげえ列車だった…
1980年まで特急あけぼのと同じ20系だったというのも恐ろしいけど10系寝台車だった急行鳥海と同じ料金を取っていたというのも恐ろしい
全車両寝台車で「寝台急行」と呼べるのは「銀河」「天の川」「新星」の三つだけでしたね。時刻表でも寝台急行を表すマークがあったし。その他多数はあくまで寝台車付きの急行に過ぎなかった。
鉄ヲタを卒業して41年。このチャンネル見るたびに当時が懐かしいわ。
寝台列車が無くなって寂しいです。
1986年に一人で乗ったはじめての夜行列車が、臨時の「天の川」でした。バッタン簡リクの14系でエラく難儀しました。
「ロ」(グリーン車やA寝台車)は昔から、「同じ所得と同じ人口」あたりなら 太平洋側よりも日本海側 西日本方面よりも東日本方面のほうが、需要が多い。「瀬戸」にA寝台車はなくても「出雲」にA寝台車は必要だったし、「だいせん」にA寝台車はなくても「きたぐに」にA寝台車は必要だった。「同じ所得と同じ人口」あたりの需要だから、これは、習慣や価値観の違い。
運転手の働き方改革でトラックが減り始め、JR貨物が再び脚光を浴びてるよね。運転手減で深夜高速バスが減便になったら、寝台列車が復活するのかなー。まぁ、新車製造や夜間保線の兼ね合いもあるから、すぐにとはいかないだろうが、また寝台列車で旅情ある「旅」をしてみたいものだ。出張なんてのは、帰りの寝台車の中で駅弁をツマミに一杯やれるから積極的に行ってたなーww。
現代でも【国】鉄が存続していてくれれば、平行在来線化も行われず【存続していたかも知れない】寝台列車。雪国に向かう列車には、寝台車がひどく似合う🤔
それはありえない。夜行列車は国鉄時代からすでに利用率は悪かった
8:03「車両は特急並ながらダイヤはあくまでも急行」現在ではそのような列車も特急として走らせています。何とかならないものかと思いますが。当時は急行佐渡の夜行もありましたので全車寝台の編成が可能だったと言えます。一部編成は新潟まででしたので、切り離した車両はそのまま7時位まで利用できるようにするのもアリだったかもしれません。
新潟と都内を結びつつ、日中の仕事の人に使いやすい運用をされていたところをみるに、某政治家が(以下略)
スピードが「急行」の時にちゃんと急行料金にしてたなんて良い時代だったんだなぁ。特に急がない、下手したら急行より遅い「特急(笑)」を走らせるJRさんも見習ってほしいな()
悪いのはJRではなく「特急停車」を要望する自治体😢
現行の高崎線内では快速アーバンより、特別快速の方が停車駅が多い、と友人に話したら、それは、特別に停車駅が多い快速という意味、と言われた😅
新潟駅での停車時間長かったのは、上野から新潟間で郵便車(スユ16)を連結していたので、その切り離しと、機関車の交代をしていたからのはず。
新潟駅で進行方向が変わりましたよね?
20系客車が投入されるまでは付属編成を新潟で切り離す方式をとっていたが、全編成の秋田直通に伴い本編成と付属編成にそれぞれ1両ずつあったA寝台を並んで連結する様になったのであります。ちなみに20系は「ゆうづる」の24系化により捻出。
末期の14系座席車時代に乗った。それでも東北ワイド周遊券の、東京から周遊エリアまでの移動に使える夜行急行の値打ちは高く、浅いリクライニングを倒し、減燈した車内で明日乗る弘南鉄道に期待を膨らませた。移動で1泊稼げる夜行急行を、往路復路共に使うことができた古き佳き時代だった。
ベイシティローラーズが新潟でコンサートを終えたあと天の川で東京へトンボ帰りしたのですが、ファンの女の子たちは新潟市内のホテルに泊まってると思って各ホテル前が大混乱だったそうです🤣
かつては東京で印刷した新聞輸送も担っていた天の川🌌今では地域印刷になり、そんな輸送もなくなりましたね😌客車は切り離しなしですが、荷物車は新潟で切り離していたような…上りは客車だけの運行だった気がします。
プロ野球の試合結果が途中までしか書かれていなかった。
それは「鳥海」(上野~新津)。「天の川」は郵便📮車😉
新潟は機関車の付け替えがあったんじゃね?
そうですね。進行方向が変わるから。
小千谷停車の寝台急行あったんですね。確かに急行佐渡は小千谷停車でしたので整合性は取れている。
天の川は、新潟から上野まで何度かお世話になりました。秋田からEF81に牽引されて来て、新潟でEF58に牽引されて上野に向かってましたね!!
新潟県下越地域在住です。もし上野〜秋田間を羽越線、上越線経由で走る寝台列車が残っていたら、羽田や成田から朝九時台に出発する国際線に間に合うのですが、現在はそれができなくて不便です。
当時秋田駅から上野駅まで20系天の川A寝台に乗りました。新潟駅ではかなりの停車時間があったので、いったんホームに降りた記憶があります!
やっぱり、名列車なら白鳥や日本海だな!だが、上野方面のつばさや新潟方面のいなほもあるね!
最末期でも全車寝台車かつA寝台車を2両も連結した列車が庄内秋田方面へ運転されていたそれだけ需要が旺盛だった今は見る影も無い
確かに酒田から秋田の本数が少ないのは困りますが、羽田から庄内空港までのフライトがあり、さらには秋田方面はこまち号が通じていますからね。
作家の椎名誠氏が仲間と粟島へキャンプに行った時に、村上まで利用したそうです。車内で宴会をし大宮を過ぎてもまだ騒いでいたので車掌に注意されたことや、以降も見張りを置いて熊谷まで継続したなどが出版本に書いてました。
天の川、新星、銀河の3列車は所謂ブルートレイン扱いで車掌の格が違うんでしたっけ?かいもんの車掌が同じ夜行急行なのに!とぼやいていた記憶が
全車寝台車でしかもA寝台が2両の豪華な夜行急行列車が時代の流れと共に廃止になったのは惜しまれますね。
末期は新潟までは、ムーンライトえちごと時間帯が似てる
椎名誠の「怪しい探検隊北へ」で使われた列車。A寝台を使ったと文中に在るが、宴会写真はどう見ても3段ハネ。記述間違いではなく、粟島には頻繁に出かけたため寝台のA,B区別なんかどうでも良くなったのではないのか?と思っている。「スキ目車掌のミステリートレイン」は木村弁護士の推理と合わせて、傑作としか言えん。
寝台急行天の川号に郵便車1両を上野ー新潟間連結していました、新潟ー秋田間進行方向が逆編成で運転しました。
新潟新幹線が通るまでは 庄内地方にいくには、昼行特急だと上野からいなほが長い間活躍してた。天の川に乗ったのは幼稚園のころ一度だけだったかな。小学校の時は急行出羽で陸羽西線経由でディーゼル車で上野まで帰った。自動車もまだ関越道が全通してなかったから 本当に庄内に行くのは大変だった。
20系天の川乗ったことあります。到着が朝遅いので中段寝台を畳む作業がありました。残念ながらナハネフは切妻の23でした。
20系化は「新星」とセットで行われ、当初は「新星」の編成にA寝台付きの付属編成を組み合わせる形の編成だったので2両のナロネ21は離れていました。
普通なら、関東と新潟。関東と東北 と2本立てで組むところ、それを両取りした点で、まず驚きでしたよ。まぁ秋田着に照準を合わせるなら、新潟着が早過ぎるし、新潟着に照準を合わせるなら、秋田着が遅い時間帯になってしまうのは、致し方ないことだったのだろうか。個人的には、私も20系全車寝台車による寝台急行という点で、銀河と天の川が東西の横綱でした。同時に、思ったより早く廃止されたのが不可解でした。鳥海?あけぼの? いやいや、天の川を残せや、と思ったものです。
庄内地域や秋田方面は鳥海号で、新潟や下越方面は天の川号という仕分けをしていたのでしょうね。
銀河と天の川、同じ時期に20系化された夜行急行のエリート列車
普通急行列車、なくなる前にと極力乗るようにしていました。天の川はどうにもなりませんでしたが。
現代でしたら企画物として走らせたら鉄オタは喜んで乗りそう
企画しようにも使える車両が無い
まあ新潟の長時間停車は向きが変わる関係で機関車の付け替えもあっただろうからね
銀河ですらA寝台は1両だったから、天の川は真のエリート寝台急行と言えるのかも。
銀河よりもハイグレードな『寝台急行』天の川。
西村京太郎にも「寝台急行「天の川」殺人事件」が単行されました。
A寝台は通常1列車に1両と思い込んでいましたが2両連結の列車があったとは、しかも急行に。A寝台を座席利用できる区間(昼ネ区間)はグリーン料金を徴収していましたね。
登り列車のの時間帯いいね!ところで食堂車はないの知ってるけど車内販売くらいはあったのかな?当時は長時間停車駅でも売店は閉まってる時間だろうし。
秋田駅は17時台の発車なのでそれほど良いとも言えませんが、庄内地域や新潟からの夜行利用を考えるとその時間になるのはやむを得ないですね。
最近、Nで作りました。カヤが余剰状態だったのでEF58-35とEF16で楽しんでます。
蚊帳の外?😁
@@psychedelicraspberry517 カヤだけに😁
天の川という列車名は貴重ですよね、臨時列車で採用してもらいたいです。
カヤ21の隣にスユ16ついてたね
小千谷
新聞輸送は鳥海か😅
123チャラーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
東北地方に豪華寝台急行が多かったのは「季節労働者」の皆さんの利用者が多く、料金負担を配慮しての措置だったのかもしれませんね。
もしかして、急行天の川は特急あけぼのと共通運用されてたのかな?天の川より早く秋田に着くから、あけぼのは特急だったのかな?もうひとつ、583系を最後まで使用した舞浜臨、青森始発ではあったけど、時間帯も違うだろうけど、急行天の川を想起させられる列車だったのかもしれない。
編成はほぼ同じだったけど、電源車が違ったらしい。(天の川…カヤ21、あけぼの…マニ20orカニ22)
特急あけぼのを凌駕した急行、たかのはなではなく天の川…なんてね
急行なら青白逆(反転)でしょうが
これがのちの寝台特急鳥海とあけぼのの元になる列車になるのかな?
この当時はもう既に特急あけぼのは奥羽線回りで存在していたし、寝台特急鳥海は山形新幹線建設にともない2往復あった「あけぼの」の1本を羽越線回りに振り替えた列車なので、急行天の川とは直接関係しない。
急行まりもお金がなかったので、寝台車ではなく客車のほうに乗って、始発から終点まで乗った。若かったから、平気だった。
東海道線[銀河]に較べると知名度はイマイチだった。秋田新幹線&関越道(🚌🛣)の充実により役目を終えた😢😢
「天の川」が廃止されたのは国鉄時代の1985年で秋田新幹線が開業するより12年も前ですが…
秋田新幹線開業で役目終えたのは、寝台特急鳥海な。
@@Yukkuri_n-gauge 様秋田新幹線開業前 上野~青森間には、東北本線を北上して小牛田から陸羽東線を経由して新庄から奥羽本線に入って 青森まで走っていた「あけぼの」と上越線・羽越本線 経由の「鳥海」の2系統の寝台特急が走っていました秋田新幹線開業で廃止されたのは陸羽東線・奥羽本線経由の「あけぼの」でしたが名称は、そのまま上越線・羽越本線経由の寝台特急に引き継がれたので「鳥海」が廃止され「あけぼの」が残った形ですが、運転系統としては「あけぼの」が廃止されたのです…
寝台急行の銀河と天の川は同じ天体名ですね。
一時期20系寝台急行という面も同じ。どちらも憧れでした。
初めて寝台車に乗ったのが、20系天ノ川のA寝台だった。当時は上野〜新潟の牽引機はEF58だったから、水上〜石打でEF16が補助機関車として連結された。
時刻表に白抜きのブルートレインマークが付いていた4本の急行。【銀河】【新星】【天の川】【狩勝】
松尾芭蕉の俳句から取った行先とマッチした列車名。
名実ともに名列車名急行だと思います。
狩勝じゃなくて「だいせん」ですね
銀河とだいせんは利用した経験がありますよ。
日本中に寝台特急、寝台急行、一部では山陰、はやたまなど普通列車に寝台車を連結していた列車もあった。
旅情あふれる時代であった。
だがしかし、新幹線🚅とLCCで今の方が便利😉
@@psychedelicraspberry517 それに今は夜行バスにネットカフェ、安く済ませる手段もいくつかあるしね😁
あけぼのが運行している最末期に時刻表に携わってました。かつての編集長と知己になり、その縁で秋田新幹線新型車両お披露目に招待され、大宮駅の貴賓室で、秋田支社の上層部と話したことがあります。先方は私のことなど覚えちゃいないと思いますが、その際、あけぼのの廃止時期についてかなり突っ込んだ質問をしました。詳細は申し上げられませんが、色々需要予測などのデータをお持ちで、鉄道ファンとは違う視点で考えてるんだなぁと改めて思ったものです。
廃止になる頃のあけぼのでは、一部で多少経年が浅い25型も使用されていたが、殆どが経年40年の24系客車で、76年から35年以上に渡り風雪と塩害にさらされる東北寝台特急での運行で、老朽化が深刻になっていたことでしょう。
経年30年程度の頃に冬に利用したが、乗車したオハネフ24は、既に車両が走行中ドンドンと上下にバウンドする酷さだった。
その頃に秋田支社が本社に車両置き換えを認められなかった時点で、24系の老朽化の限度時期であけぼの廃止になるのは確定していましたな。
時刻表で白い流れ星だった寝台急行、懐かしい!
20系は車掌室は風通しが良すぎて冬は隙間風に悩まされて夏は窓が大きい事で蒸して灼熱金魚鉢て呼ばれてたとかで。
阪神国道線の金魚鉢も
展望室みたいとはしゃぐのは新人か鉄道ファンくらいでナハネフ22は窓ガラスを固定するゴムが劣化して雨漏りが頻発。
早く補修しろと現場から検修部門へ苦情が殺到し多くの乗務員からは嫌われていた。
パノラミックウインドも見れているから落ち着かないと不評で
切妻型のナハネフ23の方がまだマシとされていた。
ボーイが乗り込まなくなってからの20系は戸締めを全て車掌がする事になり労力が掛かり乗務員からさらに不興を買った。
親から天の川って列車があったって聞いた事あって、
よくよく調べたらすげえ列車だった…
1980年まで特急あけぼのと同じ20系だったというのも恐ろしいけど
10系寝台車だった急行鳥海と同じ料金を取っていたというのも恐ろしい
全車両寝台車で「寝台急行」と呼べるのは「銀河」「天の川」「新星」の三つだけでしたね。時刻表でも寝台急行を表すマークがあったし。その他多数はあくまで寝台車付きの急行に過ぎなかった。
鉄ヲタを卒業して41年。
このチャンネル見るたびに当時が懐かしいわ。
寝台列車が無くなって寂しいです。
1986年に一人で乗ったはじめての夜行列車が、臨時の「天の川」でした。バッタン簡リクの14系でエラく難儀しました。
「ロ」(グリーン車やA寝台車)は昔から、「同じ所得と同じ人口」あたりなら
太平洋側よりも日本海側
西日本方面よりも東日本方面
のほうが、需要が多い。
「瀬戸」にA寝台車はなくても「出雲」にA寝台車は必要だったし、
「だいせん」にA寝台車はなくても「きたぐに」にA寝台車は必要だった。
「同じ所得と同じ人口」あたりの需要だから、これは、習慣や価値観の違い。
運転手の働き方改革でトラックが減り始め、JR貨物が再び脚光を浴びてるよね。運転手減で深夜高速バスが減便になったら、寝台列車が復活するのかなー。
まぁ、新車製造や夜間保線の兼ね合いもあるから、すぐにとはいかないだろうが、また寝台列車で旅情ある「旅」をしてみたいものだ。
出張なんてのは、帰りの寝台車の中で駅弁をツマミに一杯やれるから積極的に行ってたなーww。
現代でも【国】鉄が存続していてくれれば、平行在来線化も行われず【存続していたかも知れない】寝台列車。
雪国に向かう列車には、寝台車がひどく似合う🤔
それはありえない。夜行列車は国鉄時代からすでに利用率は悪かった
8:03「車両は特急並ながらダイヤはあくまでも急行」現在ではそのような列車も特急として走らせています。何とかならないものかと思いますが。当時は急行佐渡の夜行もありましたので全車寝台の編成が可能だったと言えます。一部編成は新潟まででしたので、切り離した車両はそのまま7時位まで利用できるようにするのもアリだったかもしれません。
新潟と都内を結びつつ、日中の仕事の人に使いやすい運用をされていたところをみるに、某政治家が(以下略)
スピードが「急行」の時にちゃんと急行料金にしてたなんて良い時代だったんだなぁ。
特に急がない、下手したら急行より遅い
「特急(笑)」を走らせるJRさんも見習ってほしいな()
悪いのはJRではなく「特急停車」を要望する自治体😢
現行の高崎線内では快速アーバンより、特別快速の方が停車駅が多い、と友人に話したら、それは、特別に停車駅が多い快速という意味、と言われた😅
新潟駅での停車時間長かったのは、上野から新潟間で郵便車(スユ16)を連結していたので、その切り離しと、機関車の交代をしていたからのはず。
新潟駅で進行方向が変わりましたよね?
20系客車が投入されるまでは付属編成を新潟で切り離す方式をとっていたが、全編成の秋田直通に伴い本編成と付属編成にそれぞれ1両ずつあったA寝台を並んで連結する様になったのであります。ちなみに20系は「ゆうづる」の24系化により捻出。
末期の14系座席車時代に乗った。それでも東北ワイド周遊券の、東京から周遊エリアまでの移動に使える夜行急行の値打ちは高く、浅いリクライニングを倒し、減燈した車内で明日乗る弘南鉄道に期待を膨らませた。移動で1泊稼げる夜行急行を、往路復路共に使うことができた古き佳き時代だった。
ベイシティローラーズが新潟でコンサートを終えたあと天の川で東京へトンボ帰りしたのですが、ファンの女の子たちは新潟市内のホテルに泊まってると思って各ホテル前が大混乱だったそうです🤣
かつては東京で印刷した新聞輸送も担っていた天の川🌌
今では地域印刷になり、そんな輸送もなくなりましたね😌
客車は切り離しなしですが、荷物車は新潟で切り離していたような…
上りは客車だけの運行だった気がします。
プロ野球の試合結果が途中までしか書かれていなかった。
それは「鳥海」(上野~新津)。「天の川」は郵便📮車😉
新潟は機関車の付け替えがあったんじゃね?
そうですね。進行方向が変わるから。
小千谷停車の寝台急行あったんですね。確かに急行佐渡は小千谷停車でしたので整合性は取れている。
天の川は、新潟から上野まで何度かお世話になりました。
秋田からEF81に牽引されて来て、新潟でEF58に牽引されて上野に向かってましたね!!
新潟県下越地域在住です。もし上野〜秋田間を羽越線、上越線経由で走る寝台列車が残っていたら、羽田や成田から朝九時台に出発する国際線に間に合うのですが、現在はそれができなくて不便です。
当時秋田駅から上野駅まで20系天の川A寝台に乗りました。新潟駅ではかなりの停車時間があったので、いったんホームに降りた記憶があります!
やっぱり、名列車なら白鳥や日本海だな!
だが、上野方面のつばさや新潟方面のいなほもあるね!
最末期でも全車寝台車かつA寝台車を2両も連結した列車が庄内秋田方面へ運転されていた
それだけ需要が旺盛だった
今は見る影も無い
確かに酒田から秋田の本数が少ないのは困りますが、羽田から庄内空港までのフライトがあり、さらには秋田方面はこまち号が通じていますからね。
作家の椎名誠氏が仲間と粟島へキャンプに行った時に、村上まで利用したそうです。
車内で宴会をし大宮を過ぎてもまだ騒いでいたので車掌に注意されたことや、
以降も見張りを置いて熊谷まで継続したなどが出版本に書いてました。
天の川、新星、銀河の3列車は所謂ブルートレイン扱いで車掌の格が違うんでしたっけ?
かいもんの車掌が同じ夜行急行なのに!とぼやいていた記憶が
全車寝台車でしかもA寝台が2両の豪華な夜行急行列車が時代の流れと共に廃止になったのは惜しまれますね。
末期は新潟までは、ムーンライトえちごと時間帯が似てる
椎名誠の「怪しい探検隊北へ」で使われた列車。
A寝台を使ったと文中に在るが、宴会写真はどう見ても3段ハネ。
記述間違いではなく、粟島には頻繁に出かけたため寝台のA,B区別なんかどうでも良くなったのではないのか?と思っている。
「スキ目車掌のミステリートレイン」は木村弁護士の推理と合わせて、傑作としか言えん。
寝台急行天の川号に郵便車1両を上野ー新潟間連結していました、新潟ー秋田間進行方向が逆編成で運転しました。
新潟新幹線が通るまでは 庄内地方にいくには、昼行特急だと上野からいなほが長い間活躍してた。
天の川に乗ったのは幼稚園のころ一度だけだったかな。
小学校の時は急行出羽で陸羽西線経由でディーゼル車で上野まで帰った。
自動車もまだ関越道が全通してなかったから 本当に庄内に行くのは大変だった。
20系天の川乗ったことあります。
到着が朝遅いので中段寝台を畳む作業がありました。残念ながらナハネフは切妻の23でした。
20系化は「新星」とセットで行われ、当初は「新星」の編成にA寝台付きの付属編成を組み合わせる形の編成だったので2両のナロネ21は離れていました。
普通なら、関東と新潟。関東と東北 と2本立てで組むところ、それを両取りした点で、まず驚きでしたよ。
まぁ秋田着に照準を合わせるなら、新潟着が早過ぎるし、新潟着に照準を合わせるなら、秋田着が遅い時間帯になってしまうのは、致し方ないことだったのだろうか。
個人的には、私も20系全車寝台車による寝台急行という点で、銀河と天の川が東西の横綱でした。同時に、思ったより早く廃止されたのが不可解でした。
鳥海?あけぼの? いやいや、天の川を残せや、と思ったものです。
庄内地域や秋田方面は鳥海号で、新潟や下越方面は天の川号という仕分けをしていたのでしょうね。
銀河と天の川、同じ時期に20系化された夜行急行のエリート列車
普通急行列車、なくなる前にと極力乗るようにしていました。天の川はどうにもなりませんでしたが。
現代でしたら企画物として走らせたら鉄オタは喜んで乗りそう
企画しようにも使える車両が無い
まあ新潟の長時間停車は向きが変わる関係で機関車の付け替えもあっただろうからね
銀河ですらA寝台は1両だったから、天の川は真のエリート寝台急行と言えるのかも。
銀河よりもハイグレードな『寝台急行』天の川。
西村京太郎にも「寝台急行「天の川」殺人事件」が単行されました。
A寝台は通常1列車に1両と思い込んでいましたが2両連結の列車があったとは、しかも急行に。
A寝台を座席利用できる区間(昼ネ区間)はグリーン料金を徴収していましたね。
「ロ」(グリーン車やA寝台車)は昔から、「同じ所得と同じ人口」あたりなら
太平洋側よりも日本海側
西日本方面よりも東日本方面
のほうが、需要が多い。
「瀬戸」にA寝台車はなくても「出雲」にA寝台車は必要だったし、
「だいせん」にA寝台車はなくても「きたぐに」にA寝台車は必要だった。
「同じ所得と同じ人口」あたりの需要だから、これは、習慣や価値観の違い。
登り列車のの時間帯いいね!ところで食堂車はないの知ってるけど車内販売くらいはあったのかな?
当時は長時間停車駅でも売店は閉まってる時間だろうし。
秋田駅は17時台の発車なのでそれほど良いとも言えませんが、庄内地域や新潟からの夜行利用を考えるとその時間になるのはやむを得ないですね。
最近、Nで作りました。カヤが余剰状態だったのでEF58-35とEF16で楽しんでます。
蚊帳の外?😁
@@psychedelicraspberry517 カヤだけに😁
天の川という列車名は貴重ですよね、臨時列車で採用してもらいたいです。
カヤ21の隣にスユ16ついてたね
小千谷
新聞輸送は鳥海か😅
123チャラーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
東北地方に豪華寝台急行が多かったのは「季節労働者」の皆さんの利用者が多く、料金負担を配慮しての措置だったのかもしれませんね。
「ロ」(グリーン車やA寝台車)は昔から、「同じ所得と同じ人口」あたりなら
太平洋側よりも日本海側
西日本方面よりも東日本方面
のほうが、需要が多い。
「瀬戸」にA寝台車はなくても「出雲」にA寝台車は必要だったし、
「だいせん」にA寝台車はなくても「きたぐに」にA寝台車は必要だった。
「同じ所得と同じ人口」あたりの需要だから、これは、習慣や価値観の違い。
もしかして、急行天の川は特急あけぼのと共通運用されてたのかな?天の川より早く秋田に着くから、あけぼのは特急だったのかな?
もうひとつ、583系を最後まで使用した舞浜臨、青森始発ではあったけど、時間帯も違うだろうけど、急行天の川を想起させられる列車だったのかもしれない。
編成はほぼ同じだったけど、電源車が違ったらしい。
(天の川…カヤ21、あけぼの…マニ20orカニ22)
特急あけぼのを凌駕した急行、たかのはなではなく天の川…なんてね
急行なら青白逆(反転)でしょうが
これがのちの寝台特急鳥海とあけぼのの元になる列車になるのかな?
この当時はもう既に特急あけぼのは奥羽線回りで存在していたし、寝台特急鳥海は山形新幹線建設にともない2往復あった「あけぼの」の1本を羽越線回りに振り替えた列車なので、急行天の川とは直接関係しない。
急行まりも
お金がなかったので、寝台車ではなく客車のほうに乗って、始発から終点まで乗った。若かったから、平気だった。
東海道線[銀河]に較べると知名度はイマイチだった。秋田新幹線&関越道(🚌🛣)の充実により役目を終えた😢😢
「天の川」が廃止されたのは国鉄時代の1985年で秋田新幹線が開業するより12年も前ですが…
秋田新幹線開業で役目終えたのは、寝台特急鳥海な。
@@Yukkuri_n-gauge 様
秋田新幹線開業前 上野~青森間には、東北本線を北上して小牛田から陸羽東線を経由して新庄から奥羽本線に入って 青森まで走っていた「あけぼの」と上越線・羽越本線 経由の「鳥海」の2系統の寝台特急が走っていました
秋田新幹線開業で廃止されたのは陸羽東線・奥羽本線経由の「あけぼの」でしたが名称は、そのまま上越線・羽越本線経由の寝台特急に引き継がれたので「鳥海」が廃止され「あけぼの」が残った形ですが、運転系統としては「あけぼの」が廃止されたのです…