素人が作ったマシンでまさかの4位入賞..F1に挑戦した新興チーム 衝撃エピソード【F1歴史解説】【リアルレーシング】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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今回は、かつてF1に゙挑戦したドイツのホイールメーカー、リアルのF1挑戦の歴史を解説します。
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昔は良かったとは言いたくはないが、やはりこの頃の手弁当のプライベーターが、上位の波乱とかで上位入賞とかしてたころがおもしろかったな。
シーズンで必ずどっかにあったよね。
ミナルディがフロントロウとかさ。
1990年アメリカGPですね。
ベルガーが移籍初戦でPP、マルティニ、チェザリスのピレリ勢が2、3位にはびっくりした。
あ、あと予選4位のアレジと予選5位のセナのドッグファイトも語り草。
@@vab-f3169あれは予選2日目が雨になって、予選1日目の順位で決まったこと。
あと、低速コースではピレリの予選用タイヤがグッドイヤーの予選用タイヤより優れていたこと。
の2つの要因ですね。
ミスターミナルディこと、マルティニは、非力なDFRエンジンで89ポルトガルGPでは予選5位に決勝では本人とミナルディ初のF1トップ周回を記録。
更に次戦スペインと最終戦オーストラリアでは予選3位を記録。
速いマシンに乗った姿を見たかったな。
@@5red90 英語が苦手で、イギリスの強豪チームに行けないという話は、当時の本に出てましたね。
@@上杉貴志実は「ヨーロッパF3でチャンピオンになったご褒美で当時の強豪チームのブラハムのテストを受けるチャンスを得たが、マシンをぶち壊しまくって嫌われた」そうです(ソースは結果的にテストで走るコトが出来なかったゲルハルト・ベルガー)
チェザリスの速さって中堅、弱小、新興チームがポイント獲得するための最後のピースって印象。お金だけのペイドライバーは沢山いたけど金だけでなくポイントも持ってくるのが凄い、よく壊すけどw
さらにこれを後押ししたのがDFR(DFV)エンジン
PU時代はエンジンが高額過ぎてもうこういうチームやドライバーが現れないのが残念
F1のスポンサーにならなかったらATSやリアルというホイールメーカーがあるのは今でも知らない可能性が高いので、F1での宣伝効果が大きいのは確かですね。
リアルの最初のマシンを初めて見た時は、そのサイドポンツーンの低さに驚かされたのと同時に、「これで冷えるのか?」というのと「この形状じゃリフトが発生するんじゃね?」というのを思いました。
しかし、2年目のマシンがF1に関係のないメーカーへの外注だったというのは知らなかった。貴重な情報をありがとうございます。
バイドラーファンでした。PLUS LOLAめちゃかっこよかった。耳の持病がなければバイドラーはF3000チャンピオン取れてたのに。
ロス・チーバーを鈴鹿のダンロップコーナーで抜くという離れ技を見せたあとでしたからねぇ
(その時はKAWAI STEEL LOLA)
壊し屋と言われつつも実際は速かったチェザリス。
彼の前の壊し屋の2人、リントとハントが後にチャンピオンになったのに比して他に勲章無かったからね、壊し屋の二つ名を払拭出来なかったから仕方ない。
実際に車壊し捲ったのは新人の頃のマクラーレンだけなんだけどね。
ジョーダン、ティレル時代は全然壊してたイメージないけどな
@@bishop7829 渡り鳥のF1人生でしたが、振り返るとあまりいいマシンに乗っていないんですよね。それで無理してプッツン→クラッシュというパターン。
ようやくジョーダンでまともに速い車に巡り合えて、彼自身もそこまで無理をしなくてもよくなりました。とはいえイギリスでは派手にクラッシュしましたが・・
戦闘力を備えたマシンを駆った時には、それに見合った働きをしていました。
@@user-xe6mh4tq7c
カーボンファイバーモノコックを初導入した、おまけにバカ高いマクラーレンMP4をぶっ壊しまくって、キャリア前期にF1界に悪名を振りまいたのが残念。
リアル、なんか懐かしい名前だな。プライベーターが腕の良い選手をスカウトできたら入賞できたなんて、今のF1は完全に商業主義。個人的にはミナルディが好きだったな。
リアルレーシング・・・懐かしいなぁ。
母が勤めていた会社が日本GPでスポンサードしていたので、F1は分からない母もチェザリスだけは知っていました。
ジーンズのボブソンですか?
@@5red90
はい。
ボブソンと言えば8耐のチーム紳助のスポンサーもしていましたね
チェザリスは貧弱なマシンだからこそ、チームのために限界を越えて性能を引き出そうとして、結果クラッシュしてしまう。とは言われてましたね。ジョーダンやティレルでいい走りをしたのが、彼の腕の良さを示していたと思います。
だから上手く行った時はちゃんと入賞出来た事もあった
6:18この4位は見事ですね。チェザリスはツボにはまると手のつけられない走りをすることがありました。
弱小チームは、同時期の89年にAGSがタルキーニが6位、オニクスもヨハンソンが好走して表彰台に立っていましたが、この手のチームは軒並み翌年は没落しています。
ジョーダンのように交渉がうまくなければ、活躍してもスポンサーやエンジン獲得には繋がらないようですね。
当時プロ野球ニュースのF1コーナーで、有賀さつきさんが伝えてた予備予選の結果で「リアル」というチームの存在を知ってただけで、気にも止めてなかったのでマシンを初めて見た気がします。内容面白かったです!
このチャンネル見ていると、当時は分からなかった背景を知って納得する事も多く面白いです。
この頃のF1マシンは速い遅い関係なく美しい。
ダナーは現在もコメンテーターとして活躍されていますね。
バイドラーは失意のもと、日本へ武者修行へ旅立つ訳ですが、森脇さん曰く93年は確実にF1に乗れていたとの話で、引退の引き金となった耳の病気が悔やまれますね・・
バイドラーが引退した後の代役でNOVAのF3000に乗ったフレンツェンがその後F1で活躍したのも皮肉でしたね。
フレンツェンも好きですが、バイドラーのF1再挑戦も見てみたかったです。
このマシンで全戦予選通過と入賞とはチェザリスはすごいな!
次の年も棚ぼた入賞はできたけど、あとはひどかったな!
89カナダGPですな。
確かにセナが終盤エンジンブローでリタイアしたから表彰台に上がれたけど、大雨でサバイバルレースになったのを上位で生き残れたのはチェザリスの凄いところ。
87ベルギーGPも中嶋以外ホンダ勢が全滅したなか、ゴール間際でガス欠になりながらもなんとか表彰台をゲットしたのも持っているチェザリス。
@@5red90 はい、自分ティレル推しでしたから92年のチェザリスの勇姿は忘れません!
@@user-zl1yy8lz5f 確か2位か3位走ってた時でしたね。カフィーがもし表彰台に上がってたら運命が変わってたでしょ。
後にマツダ787B55号車でル・マン総合優勝に輝くドライバーが二人もリアルレーシングから参戦していたとは(ヴァイドラー、ガショー)
剥き出しのエンジン 丸いステアリング Hパターンシフト….🔥🔥🔥
子供の頃は、スーパーGTのリアルレーシングがここの関連チームだと思っていました...
ダナーやヴァイドラーは後に日本のレースを走ることになったが、ヴァイドラーの後釜に座ったラファネルも後に日本に来てトムスのグループCやグループAのカローラレビンを走らせたなあ。因みにラファネルはアレジの国際F3000時代のチームメイトで、アレジとはあまり良い関係ではなかったとか。
89年のフジテレビF1ハンドブック、リアル評。
○…グスタフ・ブルナーが手がけたマシンはなかなかよくできている。
×…何といってもブルナーがいなくなったのが大きい。
フロントウィング翼端板にMr.JUNKOついてたけど日本まで参戦できなかった。
ATS、riaLは同時期アルペンスキーのスポンサードもしていました。
シュミットはATS時代のイメージしかないけど、クセの強い人でドライバーやほうぼうと衝突してた気がします。
このARC1とか88年のウイリアムズとかコンパクトなサイドポンツーンの
車種ってなんとなくカッコ良く見える。
グスタフ ブルナーの青いフェラー ザクスピードのZK891
ミナルディと弱小チームにはありがたいデザイナー
イタリアのホイールメーカーのフォンドメタル
野良F-1チームって感じで嫌いじゃ無い、ATSも雌型成形モノコックでカッコよかったですよね。
当時の日本のF1ブームから、コシノジュンコがスポンサーに付かなかったっけ?
88年は中嶋とよくバトルしてたし、89年のアメリカは確か片方のミラーが脱落しながら入賞したよね。
プライベーターも頑張っていた良き時代。
いくらグライダーを製造してるメーカーだからといって、F1のシャーシも簡単に開発出来るだろうなんて甘く見過ぎ。でも棚ボタとはいえ4位入賞するとはダナーもやりますな。
ヴァイドラーさん、F1では散々でしたが、ル・マンでは91年に優勝ドライバーに名を連ね、92年には序盤でトップを奪うなど見せ場を作りましたね。持病が原因で若くしてドライバーを引退せざるを得なかったのは残念でしたが、フレンツェンがF1に進出するための橋渡しをしてくれました。
ヴァイドラーは1985年のドイツF3チャンピオンですよね。雑誌の91年ル・マン優勝後のインタビューで確かベロフとシューマッハの間に生まれた異端児とか書かれていたような記憶が。
ヴァイドラー氏はマシンをドライブするときも耳栓をしなかったってエピソードがあって、それが難聴を発症した原因ではないかといわれましたね。
オーナーの情熱と資金力とF1村での顔の広さで走ってた古き良きF1チームだわな。
エンジン剥き出しなのに88鈴鹿のリタイア原因がエンジンのオーバーヒート
ダナーの4位が懐かしい!
バイドラーは日本で見事に復活したよね。NOVAで走って。
ATSのマシンよく見たらフロントウィングのプレートの上にノーズが垂れかかってるのかと思ってたら、
ノーズに板が挟みこむような形状スタイルなんですね👍
あれ…こっちじゃないや💦
91年のマシン
製作は素人ってまさかの
鳥のように優雅にとびたく空に憧れていた方々か💦
途中の
サイドが白色の配色は
これは自分の好み🔵⚪
👍
ARC1あたりのは
F3000がグッドイヤータイヤ履いて参加しているような構図に💦
この頃のF1までが好きだったかな、予備予選なんてやってたもんね!おもろかったわ。ブルナーはザクスピードに行ったけど散々だったけどね。チェザリス大好きだわ、荒れたレースはこの手のチームにチャンスがあって面白かったF1 。夜中に起きてテレビ見てたのが懐かしい。
ダナーとヴァイドラーは後に全日本F3000でライバルになるとは
特殊なコートレイアウトで番狂わせも多いストリートサーキットですが90年代にUSAGPがカレンダー落ちするとモナコ、カナダ、オーストラリアのみのシーズンが長く続きました。しかし2000年代ナイトレース導入でまさかの復活を果たしました。
当時の写真を見たらカウルの合いが悪くてガタガタだったのを思い出す。
アメリカの公道アスファルトとの相性が良かったのかアメリカの雰囲気が良かったのか分からないが、いっその事「インディ500」に鞍替えすれば案外結果をン越せたのでは?
「ホイールの販売」もちまちましたヨーロッパ市場より桁違いの販売数を見込める北米市場の方が良いハズなのに。
現に「ATS」のホイールは結構ヨーロッパ車オーナー界隈では「ロナール」といい勝負してたけどね、当時アメリカに居た時に。
シャシーデザインだけは好きでしたw
アメリカはストリートだから直角コーナー主体のストップ&ゴーサーキットで、元々グリップも低いから剛性不足の弱点が表面化しなかったのでしょうね。しかしチェザリスはちょっと過小評価されすぎだと思います。ベテランの域に入ってからはめったにクラッシュもせず、確実に速さを見せる素晴らしいドライバーだったのに。
デ・(ここ大事)チェザリスさんマジかっけーす。
本当、もうちょっと冷静さというか慎重さがあればセナプロマンピケデチェの時代があったかもと思う事がある?
当時、ガキンチョの私。89年のリアルとスクーデリアイタリアのマシンがカラバリなん?と思ってました。
今回のエピソードは、資金をケチったが為にの悲劇でしたが…ブルナーが移籍したザクスピードでも似たりよったりな事態になっていたとは…
F187のプラモをわざわざリアルカラーにした思い出wジーンズメーカーBOBSONって日本GPのスポットスポンサーだったけな。
このバブル時代、全日本F3000でもスポンサー活動してましたな。
ATS、リアルにザクスピードとドイツ🇩🇪のチームはF1とは相性が悪いのかなぁ🤔
昔むかしのF1だが、メルセデスがチャンピオンにはなっている。
@@5red90 ワークス。
凄いのは運を味方につけたこと
1は金があっても入賞すらできないから凄い
Mr.JUNKOがスポンサーに着いた
F1チーム
冬用のアルミホイール??
トヨタもこの部類❤❤❤
サムシングリアル矢沢。
これがリアルだから。
16戦中15リタイヤのチェザリス😅