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意外にも小野駅付近は塩尻市と辰野町に集落がまたがり、それなりの町並みが形成されていましたね。
東塩尻信号場が生きてた頃降りたなぁ。みどり湖駅は開業初日に行きました。
伊藤大八の政治力でルートを捻じ曲げたという話は、今ではいろいろな鉄道書籍でほぼ否定されてますね。(動画内でも言っているように、数kmの長大トンネルで一気に貫くのは、明治中期の土木技術では非常に困難で、仮に可能でも工費と工期が膨大になっていつ開通するかわからないから、大八がいてもいなくても選択肢から早々に外れたというのが定説)ただ、大八とその支持者にとっては、デマとは言っても「路線を捻じ曲げた」というエピソードは、大八の政治力を誇示するのに好都合だったので、わざわざ否定する必要もなかったということ。
塩嶺トンネル開通前に165系急行[アルプス]に乗車してビッフエで🍛☕を食べた😂
辰野駅弁「杣人弁当」の掛紙には大八廻りの地図が刷られてました
1:21全然関係無いと思ってた中央線でなぜ普通豊橋なのかと思ったけどそういう事か。
金山でスイッチバックか...?と思いますよね😂
ここの路線は松本平(塩尻)、諏訪地区(岡谷)、上伊那地区(辰野)をそれぞれ繋ぐ路線ですね。
急行「アルプス」は辰野経由でしたね
中央本線辰野支線の紹介大変ありがとうございます。現在の中央本線は岡谷から塩尻まで長さ5994メートルの塩嶺トンネルで短絡していますが今回の動画で取り上げる中央本線辰野支線が岡谷から塩尻までの短絡線が開通するまでの本線でした。当時の中央本線は岡谷から一旦南にくだって辰野から進路を右カーブで北に進んで塩尻に至るルートをとっていました。これは当時この土地の地盤の政治家であった伊藤大八氏の呼びかけでこのようなルートができました。そして伊藤大八の大八の二文字をとって大八回りと呼ばれるようになりました。また、川岸と辰野の間には平出信号所が設置されて列車の行き違い設備として利用されていました。そして、辰野からは右にカーブして信濃川島小野と駅が続きます。そして、小野を出ると線路は千分の25パーミルとなり長さ1670メートルの善知鳥うとうトンネルに入ります。善知鳥うとうトンネルを出た所にあるのが東塩尻駅臨時乗降場があり駅の構造はスイチバック式になっていて駅に入る普通電車列車は一旦塩尻寄りの引き上げ線に入りバックして駅に入っていました。ただし、駅のホームが小野寄りの片面ホームひとつしかなく普通電車列車同士が行き違いする時はどちらかの普通電車列車はこの駅を通過していました。そして、この東塩尻駅臨時乗降場は客扱いのできる臨時駅乗降場として鉄道ファンからも親しまれていました。そして、この東塩尻駅臨時乗降場から線路は千分の25パーミルの下り勾配となって塩尻に向かうようになっていました。また、途中には塩尻大門という地名がありここが元の旧塩尻駅があった場所です。開業当時の塩尻駅は名古屋方面からきた列車はこの塩尻駅で列車の進行方向を変えて松本長野方面に向かっていました。しかし、名古屋方面からきた列車はこの塩尻駅で列車の進行方向を変えなければならずまた、列車運行上の障害となっていました。そして、塩尻大門にあった塩尻駅は500メートル離れた今の場所に移転してきたのは昭和57年1982年5月17日第三土曜日の事です。それから4年10カ月と14日後の昭和62年1987年3月31日の土曜日23時59分をもって公共企業体日本国有鉄道国鉄は解体されて翌日の昭和62年1987年4月1日の日曜日からJR グループが誕生して塩尻駅はJR 東海とJR 東日本の境界駅として生まれ変わり現在に至っています。また、2023年7月5日には岡谷から塩尻までの短絡線が開業して40年になります。また、貴重な映像を大変ありがとうございました。以上、
東海道本線もトンネル開通で廃線になったり別の路線になったルートが多いので、新旧の両方が存続しているほうが珍しい。(関ヶ原は貨物列車の登り勾配軽減)政治家が引き込んだというよりも地元の意を汲んだ政治家が存続させて今まで残ったと言うほうが正しいのかもしれない。(別路線にすると赤字ローカル線として浮き上がり早い段階で廃線になる)
大八周りの名前の由来を初めて知った
昔は辰野経由するのがステータスだったなw
辰野~塩尻の今の存在意義は、飯田線や辰野から松本方面への短絡だろうか…小野と信濃川島の乗降客数はどちらも日100を下回り、後者は1桁であるようで…飯田線からだと岡谷で接続するパターンが多いんだけどね、塩尻方面も…
辰野駅を出た後 伊奈 電気軌道の 旧辰野駅跡が 見えそうで見えなかった 去年は 小野駅周辺を散策したので 今年は 辰野駅周辺を歩こうかと思います
岡谷・辰野間は「飯田線の一部」として残る事はあっても、辰野・塩尻間は廃止となりそうやな…。
みどり湖ルート開業後もしばらくは伊那盆地から県都長野市を目指す急行列車が走ってたけど今はそんな需要も高速バスに移ってしまったんだろうな
183や189系が臨時で活躍してるときに、この辰野支線経由のあずさが特別運転されたけど、353はそういう企画はしないのかな
まもなく閉鎖する例のアレ ってなんですか?
小野とか辰野とか兵庫県みたいな地名ですね。
確かに、漢字は違いますがね。
たつの(龍野)市ですね
E353が見えた辺りのEPSONからいつも辰野支線を走行してる123系ミニエコーを見てたなぁ~
辰野〜塩尻間廃止なんてことになったら辰野〜岡谷間はどういう扱いになるんだろう。JR東日本中央本線のままにしておくのもめんどくさいような。
篠ノ井〜長野がまだ信越本線であることを考えると、変わらない気がする
かつてあった多くの支線は殆どが枝線だったワケで。。。
線名はそのままだけど、実質的には 飯田線に編入 になるのかと思いますね。東海と東日本の区分がどこだったか、それによったら、違う…かもしれません。
当初の話では、辰野〜岡谷は飯田線扱い、辰野〜塩尻は廃止という噂でした。塩嶺トンネルルート完成後は、後者については一時的に荷電(クモニ83等)改造による単行運転がされていました。
かつて辰野〜塩尻間を走っていたJR東日本のクモハ123-1「ミニエコー」ですね。同車は、2013年3月16日のダイヤ改正で引退しました。
大八氏の胸像が辰野駅近くにあると聞いたが……
コメントありがとうございます。駅の北にある下辰野公園ですね。
中央線の辰野支線だが、塩嶺新線と新生塩尻駅の連立プロジェクトで一気に近代化し距離感が縮まったといえるも問題は諏訪界隈の複線化で厄介なのは頑固な地主他ならないやろ✋💦🔵🚃ついでに飯田線の改善改良の一貫で中津川線もナ✋🚃
大昔、名古屋からの しなの は塩尻駅でスイッチバックをしていましたね。幼少の頃、振り子列車がデビューした当時に乗った覚えがあります。今の塩尻駅に移設したのが、みどり湖経由が開業する頃だったと思います。移設当時は駅前はまだ何もありませんでしたね。みどり湖経由が出来てから、岡谷から松本への連絡が格段に良くなり、流動が劇的に増えたとも聞いています。
みどり湖経由と同じ年、5月位に先だって今の塩尻駅に移ったのじゃなかったかなぁただ塩尻市の中心街には打撃だったっぽい
塩嶺トンネル開業前の上諏訪〜松本は普通列車でおよそ1時間半、松本に到着する始発は(新宿発の上諏訪夜行崩れの)8時過ぎで、間隔も2、3時間に一本でしたから、通学にも通勤にも使いづらかったですね。
勉強になった、おもしろかった
1:35 (発車ベルが)JR九州かと思った。
7:22 も
信濃川島・小野とも正直ほぼ乗客がいないので、ミニエコーが引退した時に辰野〜塩尻間は廃止しても良かったんでしょうけど、それをしなかったのがさすがJR東日本ですね。
塩尻~辰野の輸送密度は547(19年)らしいですな電化路線だと弥彦線の吉田~弥彦並みらしい…電化区間だとこれ以下は200を下回る大糸線白馬~南小谷くらい岡谷~辰野は飯田線の乗り入れもあり3021あるんだけどね
愛知北部民です。1両123系電車懐かしいです。私はJR東日本でしか乗車した事がありません。
万が一にも、新線が支障を来した時の保険として。辰野↔岡谷は運行を飯田線からの直通で丸投げ、辰野↔塩尻は区間運転で済ませる。実際のところ、廃線にしたら、飯田線利用客は困るでしょう。
前は朝に一本だけ、辰野周りの松本始発岡谷行きがあったが…もうないのかな…
時間帯は真逆ですが、今年のダイヤ改正で松本21時41分発辰野経由岡谷行が設定されました。なお、ダイヤ改正以前も辰野行として辰野まで運転した後に終点で行き先を変更して岡谷に直通していました。塩尻→辰野間の上り終車であると同時に、上り唯一のツーマン列車でもあります。
列番段落としで今も存在しています。
塩祢ルート開業40周年
火曜に飯田線乗り通したからなんかタイムリーで嬉しい。でも大八廻り西側は乗ったことないのでいつか乗りに行きたい上諏訪発豊橋行きと言えば飯田線最長運用で豊橋まで7時間かかる鬼畜運用ですね。
学生時代、豊橋の大学に通っていて、10時前に豊橋駅に到着すると、飯田線ホームに「上諏訪行き」の165系3両編成が停車しているのをよく見た。現在そのくらいの時間に行くと、「岡谷行き」213系(トイレ増設)を見た。
JR東海の313系が走っている数少ない区間ですね。つい熱海・国府津の事を考えてしまってJR東日本にJR東海の313系が走っていることを忘れてしまいます。あと東塩尻信号場跡も懐かしいです。平成初期にみどり湖駅から歩いて探検に行ったのを覚えています。あの頃の中央東線は青115系が全盛期の頃でしたね。以上、愛知北部民でした。
熱海〜沼津に東日本車が乗り入れている分の走行距離精算と言われていますね。特急しなの塩尻以北分もあるから、どの程度出来ているかは分からないけど。
すいません。7:37で動画が飛んでます。
わざとカットしたんだと思います。
私の勘違いかもしれませんが、JR東日本は甲府まで、それより以西はJR東海ではないでしょうか。新幹線の品川駅でホームドアを閉める呼称が「安全よし!」のKYTを無視?JR東海、(KYTでは具体的事象を呼称にして、ドア閉め良し・無人確認よし 戸閉鎖!とか)新幹線の収入で、リニアの工事も国の費用でできるので、なんでもどうでもよいのかも?
普通に勘違いですね。というか疑問になるならネットで調べてみては?
@@くコ三ぼんばーまん甲府から東海ですよね、画像の車両も東海ですが、おかしくないですか
@@くコ三ぼんばーまん 先々週身延線にのり、東海でした。google の表記は甲府から東海になっています。また画像の車両は東海ですよね、おかしくないですか
@@kazemo4757甲府駅から出てる身延線に関してはJR東海の管轄であっていますが、中央本線に関しては塩尻まで東日本の区間です。グーグルの表記も身延線に対して東海の表記となっているだけで中央本線に関しては東日本の表記になっています。甲府以西は全て東海という訳ではなく、路線ごとに分かれてたりします。
境界駅は新幹線を除いて、熱海、国府津、甲府、辰野、塩尻です。中央新幹線はJR東海の自前です。それとリニアも新幹線です。
意外にも小野駅付近は塩尻市と辰野町に集落がまたがり、それなりの町並みが形成されていましたね。
東塩尻信号場が生きてた頃降りたなぁ。みどり湖駅は開業初日に行きました。
伊藤大八の政治力でルートを捻じ曲げたという話は、今ではいろいろな鉄道書籍でほぼ否定されてますね。(動画内でも言っているように、数kmの長大トンネルで一気に貫くのは、明治中期の土木技術では非常に困難で、仮に可能でも工費と工期が膨大になっていつ開通するかわからないから、大八がいてもいなくても選択肢から早々に外れたというのが定説)
ただ、大八とその支持者にとっては、デマとは言っても「路線を捻じ曲げた」というエピソードは、大八の政治力を誇示するのに好都合だったので、わざわざ否定する必要もなかったということ。
塩嶺トンネル開通前に165系急行[アルプス]に乗車してビッフエで🍛☕を食べた😂
辰野駅弁「杣人弁当」の掛紙には大八廻りの地図が刷られてました
1:21全然関係無いと思ってた中央線でなぜ普通豊橋なのかと思ったけどそういう事か。
金山でスイッチバックか...?と思いますよね😂
ここの路線は松本平(塩尻)、諏訪地区(岡谷)、上伊那地区(辰野)をそれぞれ繋ぐ路線ですね。
急行「アルプス」は辰野経由でしたね
中央本線辰野支線の紹介大変ありがとうございます。現在の中央本線は岡谷から塩尻まで長さ5994メートルの塩嶺トンネルで短絡していますが今回の動画で取り上げる中央本線辰野支線が岡谷から塩尻までの短絡線が開通するまでの本線でした。当時の中央本線は岡谷から一旦南にくだって辰野から進路を右カーブで北に進んで塩尻に至るルートをとっていました。これは当時この土地の地盤の政治家であった伊藤大八氏の呼びかけでこのようなルートができました。そして伊藤大八の大八の二文字をとって大八回りと呼ばれるようになりました。また、川岸と辰野の間には平出信号所が設置されて列車の行き違い設備として利用されていました。そして、辰野からは右にカーブして信濃川島小野と駅が続きます。そして、小野を出ると線路は千分の25パーミルとなり長さ1670メートルの善知鳥うとうトンネルに入ります。善知鳥うとうトンネルを出た所にあるのが東塩尻駅臨時乗降場があり駅の構造はスイチバック式になっていて駅に入る普通電車列車は一旦塩尻寄りの引き上げ線に入りバックして駅に入っていました。ただし、駅のホームが小野寄りの片面ホームひとつしかなく普通電車列車同士が行き違いする時はどちらかの普通電車列車はこの駅を通過していました。そして、この東塩尻駅臨時乗降場は客扱いのできる臨時駅乗降場として鉄道ファンからも親しまれていました。そして、この東塩尻駅臨時乗降場から線路は千分の25パーミルの下り勾配となって塩尻に向かうようになっていました。また、途中には塩尻大門という地名がありここが元の旧塩尻駅があった場所です。開業当時の塩尻駅は名古屋方面からきた列車はこの塩尻駅で列車の進行方向を変えて松本長野方面に向かっていました。しかし、名古屋方面からきた列車はこの塩尻駅で列車の進行方向を変えなければならずまた、列車運行上の障害となっていました。そして、塩尻大門にあった塩尻駅は500メートル離れた今の場所に移転してきたのは昭和57年1982年5月17日第三土曜日の事です。それから4年10カ月と14日後の昭和62年1987年3月31日の土曜日23時59分をもって公共企業体日本国有鉄道国鉄は解体されて翌日の昭和62年1987年4月1日の日曜日からJR グループが誕生して塩尻駅はJR 東海とJR 東日本の境界駅として生まれ変わり現在に至っています。また、2023年7月5日には岡谷から塩尻までの短絡線が開業して40年になります。また、貴重な映像を大変ありがとうございました。以上、
東海道本線もトンネル開通で廃線になったり別の路線になったルートが多いので、新旧の両方が存続しているほうが珍しい。
(関ヶ原は貨物列車の登り勾配軽減)
政治家が引き込んだというよりも地元の意を汲んだ政治家が存続させて今まで残ったと言うほうが正しいのかもしれない。
(別路線にすると赤字ローカル線として浮き上がり早い段階で廃線になる)
大八周りの名前の由来を初めて知った
昔は辰野経由するのがステータスだったなw
辰野~塩尻の今の存在意義は、飯田線や辰野から松本方面への短絡だろうか…
小野と信濃川島の乗降客数はどちらも日100を下回り、後者は1桁であるようで…
飯田線からだと岡谷で接続するパターンが多いんだけどね、塩尻方面も…
辰野駅を出た後 伊奈 電気軌道の 旧辰野駅跡が 見えそうで見えなかった 去年は 小野駅周辺を散策したので 今年は 辰野駅周辺を歩こうかと思います
岡谷・辰野間は「飯田線の一部」として残る事はあっても、辰野・塩尻間は廃止となりそうやな…。
みどり湖ルート開業後もしばらくは伊那盆地から県都長野市を目指す急行列車が走ってたけど今はそんな需要も高速バスに移ってしまったんだろうな
183や189系が臨時で活躍してるときに、この辰野支線経由のあずさが特別運転されたけど、353はそういう企画はしないのかな
まもなく閉鎖する例のアレ ってなんですか?
小野とか辰野とか兵庫県みたいな地名ですね。
確かに、漢字は違いますがね。
たつの(龍野)市ですね
E353が見えた辺りのEPSONからいつも辰野支線を走行してる123系ミニエコーを見てたなぁ~
辰野〜塩尻間廃止なんてことになったら辰野〜岡谷間はどういう扱いになるんだろう。JR東日本中央本線のままにしておくのもめんどくさいような。
篠ノ井〜長野がまだ信越本線であることを考えると、変わらない気がする
かつてあった多くの支線は殆どが枝線だったワケで。。。
線名はそのままだけど、実質的には 飯田線に編入 になるのかと思いますね。東海と東日本の区分がどこだったか、それによったら、違う…かもしれません。
当初の話では、辰野〜岡谷は飯田線扱い、辰野〜塩尻は廃止という噂でした。塩嶺トンネルルート完成後は、後者については一時的に荷電(クモニ83等)改造による単行運転がされていました。
かつて辰野〜塩尻間を走っていたJR東日本のクモハ123-1「ミニエコー」ですね。
同車は、2013年3月16日のダイヤ改正で引退しました。
大八氏の胸像が辰野駅近くにあると聞いたが……
コメントありがとうございます。駅の北にある下辰野公園ですね。
中央線の辰野支線だが、塩嶺新線と新生塩尻駅の連立プロジェクトで一気に近代化し距離感が縮まったといえるも問題は諏訪界隈の複線化で厄介なのは頑固な地主他ならないやろ✋💦🔵🚃
ついでに飯田線の改善改良の一貫で中津川線もナ✋🚃
大昔、名古屋からの しなの は塩尻駅でスイッチバックをしていましたね。幼少の頃、振り子列車がデビューした当時に乗った覚えがあります。
今の塩尻駅に移設したのが、みどり湖経由が開業する頃だったと思います。移設当時は駅前はまだ何もありませんでしたね。みどり湖経由が出来てから、岡谷から松本への連絡が格段に良くなり、流動が劇的に増えたとも聞いています。
みどり湖経由と同じ年、5月位に先だって今の塩尻駅に移ったのじゃなかったかなぁ
ただ塩尻市の中心街には打撃だったっぽい
塩嶺トンネル開業前の上諏訪〜松本は普通列車でおよそ1時間半、松本に到着する始発は(新宿発の上諏訪夜行崩れの)8時過ぎで、間隔も2、3時間に一本でしたから、通学にも通勤にも使いづらかったですね。
勉強になった、おもしろかった
1:35 (発車ベルが)JR九州かと思った。
7:22 も
信濃川島・小野とも正直ほぼ乗客がいないので、ミニエコーが引退した時に辰野〜塩尻間は廃止しても良かったんでしょうけど、
それをしなかったのがさすがJR東日本ですね。
塩尻~辰野の輸送密度は547(19年)らしいですな
電化路線だと弥彦線の吉田~弥彦並みらしい…
電化区間だとこれ以下は200を下回る大糸線白馬~南小谷くらい
岡谷~辰野は飯田線の乗り入れもあり3021あるんだけどね
愛知北部民です。1両123系電車懐かしいです。私はJR東日本でしか乗車した事がありません。
万が一にも、新線が支障を来した時の保険として。
辰野↔岡谷は運行を飯田線からの直通で丸投げ、辰野↔塩尻は区間運転で済ませる。
実際のところ、廃線にしたら、飯田線利用客は困るでしょう。
前は朝に一本だけ、辰野周りの松本始発岡谷行きがあったが…もうないのかな…
時間帯は真逆ですが、今年のダイヤ改正で松本21時41分発辰野経由岡谷行が設定されました。
なお、ダイヤ改正以前も辰野行として辰野まで運転した後に終点で行き先を変更して岡谷に直通していました。
塩尻→辰野間の上り終車であると同時に、上り唯一のツーマン列車でもあります。
列番段落としで今も存在しています。
塩祢ルート開業40周年
火曜に飯田線乗り通したからなんかタイムリーで嬉しい。でも大八廻り西側は乗ったことないのでいつか乗りに行きたい
上諏訪発豊橋行きと言えば飯田線最長運用で豊橋まで7時間かかる鬼畜運用ですね。
学生時代、豊橋の大学に通っていて、10時前に豊橋駅に到着すると、飯田線ホームに「上諏訪行き」の165系3両編成が停車しているのをよく見た。現在そのくらいの時間に行くと、「岡谷行き」213系(トイレ増設)を見た。
JR東海の313系が走っている数少ない区間ですね。つい熱海・国府津の事を考えてしまってJR東日本に
JR東海の313系が走っていることを忘れてしまいます。あと東塩尻信号場跡も懐かしいです。平成初期に
みどり湖駅から歩いて探検に行ったのを覚えています。あの頃の中央東線は青115系が全盛期の頃でしたね。
以上、愛知北部民でした。
熱海〜沼津に東日本車が乗り入れている分の走行距離精算と言われていますね。
特急しなの塩尻以北分もあるから、どの程度出来ているかは分からないけど。
すいません。7:37で動画が飛んでます。
わざとカットしたんだと思います。
私の勘違いかもしれませんが、JR東日本は甲府まで、それより以西はJR東海ではないでしょうか。新幹線の品川駅でホームドアを閉める呼称が「安全よし!」のKYTを無視?JR東海、(KYTでは具体的事象を呼称にして、ドア閉め良し・無人確認よし 戸閉鎖!とか)新幹線の収入で、リニアの工事も国の費用でできるので、なんでもどうでもよいのかも?
普通に勘違いですね。
というか疑問になるならネットで調べてみては?
@@くコ三ぼんばーまん甲府から東海ですよね、画像の車両も東海ですが、おかしくないですか
@@くコ三ぼんばーまん 先々週身延線にのり、東海でした。google の表記は甲府から東海になっています。また画像の車両は東海ですよね、おかしくないですか
@@kazemo4757甲府駅から出てる身延線に関してはJR東海の管轄であっていますが、中央本線に関しては塩尻まで東日本の区間です。
グーグルの表記も身延線に対して東海の表記となっているだけで中央本線に関しては東日本の表記になっています。
甲府以西は全て東海という訳ではなく、路線ごとに分かれてたりします。
境界駅は新幹線を除いて、熱海、国府津、甲府、辰野、塩尻です。
中央新幹線はJR東海の自前です。
それとリニアも新幹線です。