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今から40年ほど前、国鉄職員時代に貨物操作場で勤務していました。本当に懐かしく思います。
動画拝見させていただきました!私も同じ価値観を持っていまして、今は模型で昔の貨物の編成を楽しんでおります。
ありがとうございます。やっぱり貨物の模型は好き勝手できるのでいいですね、コンテナの後ろにヨを連結したり(コンテナはコキフがあるのでヨは不要なのですが)模型の醍醐味ですね
先頭の機関車の重いダダダダダダのジョイント音の後に続く雑多な貨車の不規則なジョイント音が楽しいですタタンタタンタタタタタタタンタンタンタンタタンタタンタタタタ…みたいな感じ
コンテナの風でキャリーバッグがコロコロ……コワいよ〜😮
レムは昔近所のスーパーの倉庫として転用されていましたね。現在は撤去されてしまいましたが…ワラ1はその辺の民家や畑の納屋として多数残存してます。
一般販売されて車輪外されたワムの倉庫あちこちで見かけますね…
オタキ3軸車両がありましたね、またコキフですね、たまにツムがあり、越中島からきたタンク車とDD51を切った時、タンク車は液体を積んでいるので手ブレーキをかけても少し移動するのでブレーキホースのコックを緩め停車した思いでがありますね。
東海道線沿いのビール会社に側線が敷かれててワムやワラが横付けされてましたね
冷凍車といえばとびうお号なんかが有名ですね大宮の鉄道博物館にレムフがありますね
最近Nゲージで貨物をやられている若い世代の方々は余り現行の貨物以外をやらない傾向が多いように思えますね。私もまだまだ若い方ですが、昔国鉄に勤めておられた方々等からお話を伺っている内に当時の国鉄の車扱い貨物に興味を持つようになりました。EF65やED75等で色とりどりの貨車が連結されていた時代のカモレ、一度自分の目で確かめてみたかったものです。
小学生の頃に見たED75重連+コキ10000系のコンテナ貨物がめっちゃ格好良かった!途中、青森で青函連絡船に輸送され北海道まで行ってたのを後で知りました。
近所に白に赤リボン🎀の可愛いフットワーク🐶のコンテナがあります。
シキによる変圧器輸送に間接的に時々携わってます。トレーラーの先導車に乗ってるので貨物駅や側線から電力施設まで最後の陸送時に一緒に走る時あります。
肌色のホキ(穀物車)、昔は新座とかに大量にいたのに、今では小樽と三笠にたった2両しかも有名鉄道youtuberみなさん、ナニコレ?こんなの見たことない!!って悲しいです
ギリギリワム8を見た事ある世代です。国鉄の雑多な貨物も見て見たかったです〜
懐かしい・・・貨車の種類とか、記号の意味とか、子供のころ百科事典でよく読んでおりました。私の最初のHOゲージは無蓋車でしたが、その後Nゲージに移行したためHOはその無蓋車が最初で最後でした。
学研の図鑑には詳細が載っておりました。あのときシキもあった記憶があります。1970年代前半はHOゲージでした。動力の車両は高根の花だったので貨物に走りましたが、ワム、タム、コム、ヨ、ボギー車のチキ(材木付き)などを買いました
同意見。僕も小学校の頃、図鑑と間近で見てました。昔は有蓋車と無蓋車がメインでしたね。後、車窓車もありましたね。
学研の図鑑、私も持っていたのですが「豚積車」が「ウ」なのは「豚のブウ」から来ているとの記述があり、当時はそれで納得していたのですが真相は違っていて「牛のウ」らしいです(鉄道博物館に説明があります)
レ、コ、ツ、ポ、ホ、ナ、カ、ウ、リ、ミ、キ、ヌ、ヒ(すべて貨車記号)とか、いろいろありましたね。近くの国鉄中山寺駅横の農業資材倉庫に搬入のためにトラとかワキとかよく止めてありましたよ。ちょっと足を伸ばせば川西池田駅には、クが何台か止めてあってダイハツの車を積み込んでましたね。あの積み込むためのランプウエイを背負った車が異様だったのを覚えています。宝塚駅にはコンテナ車だったかな?積み込みの基地になっていたような。その向こうの惣川には、砂利運搬用のホッパー車が。むかし交通科学館の貨車の解説のところで、精巧な模型をしげしげと眺めてました。だって、当時一般的なHOゲージの貨車ですら子供には買うのがすごく大変でした。
@@heitetsu4649 さま。自分はなぜか、エンドウのキ100を買ってもらいました。キも貨車ですよね。あとは動力なしのキハ02。このチョイスはいったいどうなんだろうか?
コンテナ車とタンク車以外にも、こんなに色々な貨車が有ったんですね。
国鉄貨物は最高だなぁ〜、ガキの頃長編線を見るのが大好きだったよ
私もそうですね。いろいろな二軸貨物が繋がっているのがワクワクしました
わざわざ常磐線の北千住か松戸に行ってベストポジションで見てたよ
EF66牽引のフレートライナーめちゃくちゃかっこよく見えた。
国鉄の貨車管理がおおざっぱで全数がわからず、形式変更の表記書き換えがいきあたりばったりでいつの間にか完了したとか
そういえば動力をもって単独走行できて人と貨物を同時に運べるキワ90も有りました。宮崎の妻線で短期間だけ運行していました。
それは貴重ですね。キがついているということは気動車扱いだったのですね
思ったより貨物列車はたくさん、あるんですね😄確か?🤔その他にも家畜車のカ2000形や豚などを輸送するウ300形や寝台特急ブルートレインの最後尾に連結されていたカートトレイン、多分ク5000形だと思いますが後、郵便車のオユ11形がありましたね😄貨物輸送に入るかどうかわかりませんが😅それともう一つあまり覚えていませんがブルートレインの最後尾に短いですが貨車が何両か連結されていたのを国鉄時代に見た事がありました😄少年だったのでカメラは持ち合わせていませんでした😅チャンネル登録させて頂きました。
ありがとうございます。ワキとスニの荷物、貨車の混合は見たことありますがブルートレインにもあったのですね。過去は東京口の113の前にクモニの荷物車が湘南色になって繋がれていました。あの時代は混合列車がたくさん見られましたね
子供の頃、様々な貨車が連結されている貨物列車を見て、鉄道好きになりました。今はコンテナ車しか見かけなくなり、鉄道好きの熱も以前ほどはなくなりました。
映像見てふと思ったんですが、突放とか操車場とか懐かしいですね。
コンテナもコンテナでいろいろ種類があって楽しいもんですが…見た目でハッキリ違いがわかった時代の方に親しみがあると見劣りしますよね
国鉄貨物いいですね私もNゲージで国鉄貨物をやっているのですが長編成で走らせるのが好きですただ参考にする繋ぎ方の例がないので悩みながらです。
小学館の「鉄道」という書籍に詳しく記載されてあり、青梅鉄道公園まで行って、貨物車の構造について学びに行きました。
あと、通風車と家畜車がありましたね。昔、吹田駅でEF66が冷蔵庫レサ10000をズラリと引いて走っているのを初めて見て、これがダイヤ改正でも最優先で時刻が決められ絶対遅延してはいけないあの鮮魚特急貨物かと思いました。
その白物貨物のレサをたくさん引っ張っていた姿が弁天町の交通科学館にありました。門という漢字が真ん中に描かれていたのは鮮明に覚えております。最優先だったのですね。
@@heitetsu4649 市場のセリの時間に荷降ろしの時間を含めて間に合わないといけないし、遅くなると魚の値が下がって罰金だったらしい。ダイヤ作成に携わった人が書いた本によるとダイヤ改正で最初に時刻を決めるのが特急旅客列車と鮮魚特急貨物で急行や普通はこれらを邪魔しないようスジを引いたとのことです。
永久保存動画がまた1つ増えました
ありがとうございます。これからも列伝シリーズをアップしていきます
幼少の頃ですが、水戸駅で鉄鋼コイル専用のトキ1000が貨物列車のなかにいました。ジャバラがすごく気に入ってとても好きでありました。
子供の頃蒸気機関車走って黒い色の貨車の種類多かったですね。
貨車しか買えないの分かりみが深すぎて…
ですよね。せっかくカツミでレール買ったのに走らせるのは動力のない貨車はがり。トランスは何するものぞ。高嶺の花🌼🤣
社会人になっても、まだまだ高嶺の花ですね。HOでもNでも、蒸気機関車🚂は、欲しくても夢のまた夢ですよね。
当時普通のHOゲージが変えなくて安い自由形機関車とレールのセット(カツミの「楽しい鉄道模型」でしたっけ)を買ってもらってた友達がいたんですが、いまやそれが普通の車両よりも、高額で取引される時代になってしまいました。
@@後藤康仁-o9h さま。あれは一種の美術工芸品ですよ。それにいまでは、キットひとつ組もうにも、老眼で思うように手元が見えず・・・。
貨車で好きなのはプロポーションが美しいタキ3000、3軸ボギーのタキ50000ですね。
東海道線沿いに住んでいたので長大貨物列車はお馴染みでした。話せばそれこそ貨物列車のように長くなります(--;)よくEF15やEH10に50両位2軸の貨車を繋ぎ、50km/h位でのったり走る姿に妙な威圧感がありました。7割はワラ1等のどす黒い貨車ばかりでした……ワム80000系列は割とグレードの高い貨物列車に連結され、機関車もEF60やEF65の高性能機関車に牽引されていた記憶です。
ワム80000形がまだマイナーな頃はワラや黒のワムも長大編成にありました。EH10は確か黒に黄色い帯の入った2両の機関車ですね。あれも尼崎の複々線をよく通過していました。模型屋に行くとあれがほしくてほしくてたまりませんでした。
常磐線直流区間も面白かったですよ。ヌシのEF80以外にも 当時は大きな貨物駅があった『北柏』発着の列車にはEF15やEF65といった直流機も活躍していて こちらでもEF15は低速の2軸貨車中心の編成だった記憶があります。EF80の客貨両用型は万能選手で こないだ低速の貨物を索いていた21号機が 今日はフルスピードで『ゆうづる』を牽いていた。なんて事もありました。
@@toriri-service さんEF80はその万能さが故に引退が早かった気がします。
@@hisakounosuke2474 さんはい。そして電車では東急6000系位しか例のない『1モーター2軸駆動台車』という特殊性もその理由だったかもしれません。機関車の次の客車に乗ると 低回転型モーターと遊び歯車のギア鳴り音で カルダン駆動なのに吊り掛け駆動のようなサウンドを奏でました。その構造上空転がしにくく 出足は出力に勝るEF81に劣るものの 高速域の伸びは特に交流区間では寧ろEF81よりも優れていたそうです。交流機器を取り外して軸重を下げて同じく軸重の軽めな戦前形のEF10・EF12の代わりにする計画もあったようですが 実現はしませんでした。すみません。語っちゃいました🙇💦
@@toriri-service さんEF10やEF12の置き換えとは意外ですね…実現したとしても吾妻線や飯田線の貨物輸送からするとあまり長くは使われなかったかもしれませんね……
確かに貨物=コンテナになってます。かつてはいろんな貨物がありましたね。家畜やクルマなんかも川西池田駅に停まってました。懐かしく思い出しました。
わたしも尼崎の福知山線分岐と東海道線の挟まれた貨物駅や八尾にある龍華操作場や百済貨物駅などを関西本線から貨物を眺めるのが好きでした。まだ黒のワラなどがありました
@@heitetsu4649 さま、貨物は僕の場合HOゲージではなくNゲージでしたが有蓋車や無蓋車を持っておりました。子供の頃は福知山線は単線非電化だったので貨物を牽引していたのはDD51でした。カタカナ表記の原則は勉強になりましたね。
「ワフ」(緩急車またの名を寒泣車)というのもありますな
ワフ、貨車と緩急車一体形ですね。若桜鉄道の八東駅に留置されておもわずシャッターを切りまして。
いやあ、懐かしかった。日田彦山線沿線で育ったので、もう毎日セメント貨物がひっきりなしに、たまにバラスや石炭。台形のやら丸いのやら。そして1日10本だけ乗客車両が通った。
日田彦山線沿線でぞだったのですね。あの路線の駅名で 採銅所 ていう駅がありなんか工業路線な感じがしますが添田から夜明駅は山並みのいい風景だったです。もうあの区間は鉄道で復活することはないですね。あとあそこに日本一赤字だった添田線があり香春から添田までショートカットしたことが祟り田川市郊外を通ったため大赤字の路線がありました。
門司機関区所属のD51~DD51が頑張ってました。小倉駅で列車待ちの時によく見かけたものです!
HOというと、昔は有井のプラモを作ってましたなやはり小学生のお小遣いでは揃えきれませんでしたが
わかります、わかりますとも!私も最初に買った貨車はトフ(無蓋車の中央に小さな乗務員室が凸に付いてる奴)でした。
ありましたね。懐かしいです。
雑多な車扱い貨物列車をEF15がガチャガチャと音立ててゴロゴロ走る、40年以上前の楽しい思い出!
「コンテナ」ではなく「コンテナー」なんですね。私も貨物列車が好きでしたが、国鉄時代の貨物はワム3両の後ろに2軸のタンク車1両、その後ろに穀物輸送車、みたく統一性の無い感じが大好きでした。あと貨物駅。主要駅には必ず貨物駅が付いていたなあ。
次は、JTB時刻表に載ってた荷物列車の動画お願いします
シキは、三菱電機の伊丹工場の側線に止まっているのをよく見ましたよ。そういえば試作車ですけども、青色の高速対応の緩急車や連接構造の車運車もありましたね。傍目にはほとんどパズルのように軽自動車を積載する車運車とか。
小さい頃、汽車(昭和感を出す為に敢えて汽車と言う)で旅行をする時に辺りの駅に止まっていた貨車を見るのも楽しみの一つだった。特に操車場なんか変わった珍しいのもいて楽しかった。確かにあの頃はバラエティにいろいろな貨物があったしワムなど夏のアブラゼミの如く珍しくもなんともなくそんじょそこらにあった。でも蒸気機関車や他の機関車や電車のように人間で言えば定年退職のような最後ではなく貨物車は時代背景の関係で殆どがリストラと言うような運命を辿ったことが非常に残念だ。
そうですね。ワムハチも103系もどこでも見られましたがいざなくなると寂しいものがあります。操作場の突放作業もよく見ました
以前申しましたが、東貝塚駅でのユニチカへの搬入・搬出等は子供ながらに覚えてます。
無蓋車には、おなじみの屋根なし車のほか、淡緑色のネット状の壁を追加した木材チップ(紙の原料)専用車、無蓋と言いつつ蛇腹状のカバーを備えたコイル輸送専用車などがあり、なかなかバラエティがありました。余剰となってからは、トロッコ列車用の改造種車になった車も多かったですね。あと、営業列車で実車を見たのは通風車ツム。有蓋車の一種ですが走行中に車内に風が通るよう、側壁がスリット状になっていました。生野菜の輸送用だったそうです。現役の珍記号は、秩父鉄道の石灰石輸送用ホッパ車の「ヲ」。ヲキと緩急車ヲキフがいます。記号の由来は「鉱石」の英語“ore”からとか、「コヲセキ」からとか複数の説があり、はっきりしないようです。
ワムも無蓋車に改造されたものもありました。ツムありましたね。網戸がついている貨車でした。野菜用だったのですね。家畜用と思っていました
お疲れ様です、今晩は、最近は、大分寒くなりましたね。突然ですが、今回は、国鉄時代の、貨物ですね。又、オープニングの、テーマ曲懐かしいですね。で、私は、電車の、玩具を沢山ありましたからね。では、此の辺で失礼致します。令和四年、11月、13日。🤔👼🚴👨👨👧🧏🥰🌈🌌🧙😚💓✌️🙋
こんばんは。今日は急に寒くなりました。電車のおもちゃはまずプラレールから入り詳細の模型へと深みにハマります。またよろしくお願いいたします
子供の頃、家の近くに南海本線があり、緑色凸型のELが牽く貨物列車をよく飽きずに眺めていました、殆どワかト、タ、玉葱輸送かツも、レやチもあったはず、最後尾は必ずワブでした、お蔭で貨物扱わない鉄道は二流という偏見に囚われる有り様、後に近鉄奈良線沿線に引っ越したときは凹みました。
ツム って通風車もありましたね😮
今の貨物を見ると国鉄時代は見てる分には格好良くていいんだけどこれじゃ赤字垂れ流すよな…ってなる
コラ1系って、うp主と同様数百円で買える最安HO模型の1つだったので小遣いで買って持ってます。てっきり(カツミかエンドウか忘れましたが)「EB58」みたいな短尺デフォルメのたぐいと思ってましたが、実在したと知って驚きです。貴重な資料ありがとうございます。
5:39 ワムハチは大昭和製紙が有る萩野から飯田橋貨物駅(1997年3月に廃止)まで苫更を運んでいたぞ。飯田橋貨物駅は構内の路盤が脆弱だったため、コンテナ車やワキ5000形は乗り入れられなかった。
ワムハチの青色のものでしょうか。確かに飯田橋に何台か止まっていました。
車輸送の貨物車なつかしいな。ギリギリ実車を見ることが出来た世代です。ヨーロッパでは使われていたみたいだったが今も使われているのかな。
動画に登場した冷蔵車「レテ」、氷を積めるようになってましたね。積めないのが「レナ」。
末尾二桁のムラサキではなかったのですね。確か卸売市場の引き込み線の鮮魚荷卸しでデカい氷を卸ているのを見てあれがレテだったのですね
確かレテ(レ12000など)の[テ]は天井氷槽式の意味だったかと。
なるほど、『レテ』はいわゆる氷温貨車ですか…
今、残っている車扱い輸送ってこんなものかな。仙台北港ー盛岡タ、郡山(石油)宮下ー安中 (亜鉛焼鉱)浜五井ー宇都宮、倉賀野、八王子、郡山、南松本(石油)安善ー拝島(ジェット燃料)(週2往復)根岸ー竜王、八王子、宇都宮、倉賀野(石油)浮島町ー郡山、倉賀野、南松本(石油)四日市・塩浜―稲沢、南松本(石油)乙女坂―名古屋臨海・新日鉄(石灰石)東藤原―四日市(セメント)東藤原―碧南市(炭酸カルシウム、フライアッシュ)黒崎ー西浜松、静岡貨物、東京タ(レール)(頻度少な目)簡単にリスト化できるほどに数を減らしているという現状…。
石油:根岸発分に坂城行き追加。日鐵からのレール輸送:行き先に新下関、福山、那須塩原、岩切を追加。
最近はタンクもコンテナとかに置き換わってますね
マルタイやトーピードカーとかも見てみたい
車扱いは客先までの引き込み線や専用ヤード、取り扱い駅の積み卸し線、操車場等が必要であるのに対し、コンテナ扱いは客先にコンテナを積んだトラックでそのまま集荷、配達に行け引き込み線、ヤード、操車場の必要がないので車扱いは衰退したんでしょうね。一部の車扱いは残っていますが殆どがコンテナ化してますもんね。以前有った貨車もこうやって見ると懐かしいものが有りますが、コンテナもJRF以外の私有コンテナも色々なコンテナがあって新種コンテナを見かけると嬉しくなっちゃいます。
貨物の操車場にあるデカい照明を見ると子供心にワクワクしました。叔父に八尾に連れて行ってもらった時は久宝寺駅近くの龍華操作場に行ったときは楽しかったでした。確かヤードで入れ替え機関車で突放して連結していたのを覚えております。コンテナも最近はタンクまで搭載できるようになっていますので多種多様化していますね。業務効率的から言えば世界標準のコンテナの方が荷役は楽ですが一貨物ファンからすると昔はよかったと思います
「道外禁止」は、「コラ」ではなく、『コム』でした。ご指摘ありがとうございました。
昔長町貨物駅に「ポム」と書いてあった黒い貨物車を見ました。
実物見た事無いけど、鮮魚車「ナ」とか陶器車「ポ」とか家畜車・家禽車(形式は失念)あったとか。昔は様々な需要に応じた貨車があったんですねぇ。
形式は、家畜車が「カ」、家禽車は「パ」、豚積車が「ウ」でした。
コンテナは、荷役による上下動が多いので、精密機械の輸送には向いていないんですよね。精密機械輸送用のワムがあってもいいと思います。
パレットがそのまま搭載できるのであれば荷物によってはワムはまだ使えると思います。意外にも製紙工場で重宝していたようです。富士駅や吉原駅に青のワムがたくさん留置されているのを思い出しました
@@heitetsu4649 小荷物手荷物はかご台車に、大型貨物向けに床にローラーをつけるなどの工夫をすれば、生き延びたと思います。
ワム80000の型式を今さら認識。世紀末新宿駅の午後それが多数引き込まれてきてDE10機関車に交換して飯田橋の貨物駅に向かっていました。新聞社へ紙を運ぶ貨物列車でした。今は、貨物駅は高層ビル街になり輸送もなくなりました。貨車を転がしたスロープ線路が中央線の脇に残っています。あの新宿駅で貨物列車の作業をやっていたことが驚きです。埼京線側の線路は今でもEF210などの貨物列車が通っている様に見えます。平塾受けとは原始的で損失多そう。
豚積車の「ウ」は、🐷さんの声「ブウ」に因んだものらしい🤗
ブの方がわかりやすいですね。
@@heitetsu4649 ただ、語感が悪い😅
先日山陰の県道を走っていたらヨ6000が自治会の集会所?に転用されており、思わず止まって中をしげしげ覗いていまいました。床がカーペット敷きになっていたり一部備品が撤去されてはいましたがオリジナルの状態をきちんと保っていました。車両はレールを敷いてその上に設置されており、塗装も定期的に行っているらしく地元の人から大事にされているんだなぁ…と感じました。
ヨはいろいろなところで物置小屋になっていったりJR北海道の駅舎になっていたりしております。それほど、たくさんあったのですね。集会所に転用されたヨは結構ゴージャスに改造されていましたね。カーペット敷以外はオリジナルのあの窓はどうなっていたのでしょうか。ガラスが敷き詰められていたのでしょうか
そうですね。以前はキャンプ場でバンガロー代わりに使われていたものも見た記憶があります。車内の写真を改めて見直してみましたが、机やストーブなどが撤去されたくらいで天井の白熱灯や首振り扇風機、網棚などはそのままでした。窓もおそらくオリジナルのままで、両側のツマミを押さえて上下させる115系などのようなタイプに見えます。
いろいろあったなぁ。踏切で貨物列車が通ると、ワム、ワム、レ、トラ、コキ、チとかいろいろでヨ。解らないから、来る貨車次々に声出して読んでいた、あの頃笑。たまたまだよね。尾白内の駅舎。
すばらしいですね。私も踏切で貨物列車待っていた時、音だけ聞いておりました。毎日通学するのに貨物列車が通過すると長くなるので踏切から離れて音だけ聞いておりました。ボギー車、二軸車の奏でる音がよかったですね。ワム80000がほとんどでたまにトキが連結。最後に寝ている車掌のヨがスーッと通過していきました
チは長物ってことで「長(ちょう)のチ」と誤解されやすい種別じゃないかと。実際、知るまでそうだと思ってた。
イギリス🇬🇧式英語🔤??のTimberから。
ビンタww 事情はわからぬが主は悪くなかった!と容易に推測出来ましたw儂は都電王国だった月島に生まれ上尾へ移住したs42 国鉄クオリティに驚愕しました(当時儂は小2)更に高1の春、学割証提出したのにも関わらず学校側の不手際で学生証が未発行だったことで学割乗車拒否された挙句酷い言葉で罵られました!!「こんな組織 すぐ潰れろ!」と思ったらそうなりましたwwww以上w
上尾にお住まいでしたでしょうか。私も二年ほど上尾の緑ヶ丘に住んでおりました。国鉄に民衆が反旗を翻した上尾事件やその他多発した民衆の怒り。あの時点で民営化するべきだと思いました。あの発生から10数年経ってようやく民営化されたことを思えばかなりの抵抗勢力があったと思います。学割には非常に厳しいかったのを覚えております。周遊券を学割で友達の分まで買おうとしたとき学割発行書があるにもかかわらず全員分の学生書を要求されました
長物車は、現在も、残っています。九州で、製造された線路を、最終的に、JR東日本まで運んでいますよ!?
シキ400を取り上げて欲しかったです。
在りし日の、「鉄道讃歌」私は、「過去」に貨物列車の操車場で勤務。してました(国鉄時代)色々、思い❤が 込み上げてマス🎵又 配信📡期待してマス❤👍🎵
ありがとうございます。幸せな気分になられて何よりです。今後とも宜しくお願いいたします
車運車はJR発足の時期辺りに復活したけど、あれは幻だったのか?一瞬だった。
40年暮らした東京から、故郷の愛知県に引っ越しました。荷物が多くどうしよ?って思ったんじゃが、アリのマークの引越社さん。本社がたまたま地元愛知県ということもあるらしく、JR貨物のコンテナを使います!その方が安く済みますよ~、と。トラック2台で東名高速を夜通しで走り、新居では積み下ろしがあるのでドライバー1人という訳にはいかず。計4名の人員が必要に。それで必ずしも帰りの仕事が埋まるとは限らず。空の状態で空気を運んで東京に戻ってくるんじゃコストが合わないわなぁ。列車を使えば現地の支店のトラックが新居の近隣駅で荷物をピックアップしてすぐに搬入できるから、効率はいいやね?東海道本線をトコトコと、ワイ専用のえんじ色のコンテナが健気に走って来るなんて、なんか嬉しい( ´△`)モーダルシフトってヤツだね?環境にも優しいし、使い方によっては効率もよし。貨物列車、復権すればいいな( ゚∀゚)ノシ
そうですか。引っ越しでJR貨物使うのは羨ましいですね。あのJRFのコンテナがくるのですね
ごく稀にDE10牽引のバラスト輸送のホキ位しか珍しいのは見ないですね。
遠くを走る貨物列車を見る度、最後尾の車掌車を自宅にすれば日本一周鉄道旅行ができるのではないかと考えていました。
自宅にするならヨ8000ですね。トイレが付いています。ただ北海道は冬はご免こうむりたいですね。極寒ですから
@@heitetsu4649 さん客車ほどしっかり造っていないので、石油ストーブ付きでも冬の雪国ではかなり寒かったでしょうね。
化成品のタンク車には純アルミやアルミクラッドと書いたやつもあった。
貨車の記号の前についている小さい字の記号についても解説してほしかった。長年疑問に思っているので。ここの動画に出てくるものでいえば「ハワム」の「ハ」とか、「オトキ」の「オ」とか、「コタキ」の「コ」とかね。
子供の頃に買ってもらった学研の図鑑『機関車・電車』に貨車の記号の解説がありましたが ここに出た以外にも通風車(ツウフウの ツ)陶器車(ポッタリーの ポ)水運車(ミズの ミ)豚積車(ブタの「ブゥー」の ウ)等あったのを覚えています。因みにだいぶあとになって豚積車はブタの鳴き声が元になったというのは誤りで本当は何故かウシの「ウ」だという事を知り「天下の学研でも誤った事を載せるんだな。図鑑に載っている事でも鵜呑みにしてはいけないんだな。」と思いました。貨物列車が通過中 歯抜けのように空荷のコキが連なると JR貨物の経営や日本経済が心配になります。
その図鑑、持ってましたˆˆ;幼少時の鉄バイブルでした。イラストには色んな貨車がありましたね……試験車等も載ってました。
ラッセル車や寝台車も載ってましたね。カニとか…
@@藤原鎌足の子孫 さん雪搔車4種類(ラッセル、かきよせ、幅広雪搔、ロータリー)ともイラストにありましたね。
@@hisakounosuke2474 連絡船(青函、宇高)も載っていた記憶がありますけど?フェリーの中に線路が敷いてあることには子供の頃に衝撃でした。w
@@hisakounosuke2474 さんはい。主役の機関車と電車・気動車はページを割いて詳細に 主だった形式のイラストとスペックが載っていましたが 客車・貨車は見開きの2ページに大雑把ながらそれでも今では見られない様々な車両が描かれていましたね。特殊車両や試験のための車両のカテゴリーもあり 大型クレーンを装備した『操縦車』やクモヤ93・新幹線の922形0番台『電気試験車』も載ってました。
国鉄の貨物車両は試作車両もいましたがJRになってからは貨車より機関車の試作そして量産化で、貨車変わり映えが少なくなっていてなんだか寂しくなりましたね…Nゲージ模型でワム90000が既製品で出たら自衛隊のPAC3を載せたいです。
ワステレツカナウポトリチタホセクヒミエサケシソキヤヨ多分これが国鉄貨車記号全部だったはず。NゲージでもT社紙パッケージ香港製貨車は、350円でしたね。K社は500円でした。今は倍の700円。でも床下ディティールがリアル。足踏みブレーキてこも形式ごとに違っているのが素晴らしいです。
ありがとうございます。T社製も結構進化しましたね。親会社がおもちゃメーカーなのでおもちゃのノリと思っておりました。K社製はやっぱりいいですね。でも私はよく考えたらT社製の機関車EF65を持っておりました。ディテールは確かにK社と遜色ありませんね
ちなみに東武鉄道にも国鉄型ワラ1型貨車がなんと春日部内牧と栃木宇都宮子供科学博物館に保存されているみたいだよとりあえず鉄道雑誌にのっていたよ😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
ワムの前にある小さいハは、どういう意味なのでしょうか
もともとはパレット対応で パ だったのですがいつのまにか ハ になりました
貨車の種類も随分と減りましたねぇ・・・・マイナーなのでは鉄製有蓋車(記号はテ)がありましたな・・・ワの中に1両だけ混じって走っているのを結構な確率で見たような・・・・あと、(記号無し)ムラサキではサだけ実際に走っている姿を見たことが無かったですね・・・
二軸貨物がなくなっていくのはさびしいですね。トサとかワサは見たことがありませんね。冷蔵車のレサだけでしょうか
これからトラック運転手が不足するので中長距離は鉄道貨物にするようにセールスして来い😃コンテナだけでなく顧客にあった貨物列車を開発しなさい‼️
今後日本国内で貨物列車が軍事優先となり、『撮影禁止』(図説化、模型化も禁止)とならないよう願うばかりです。
原則運転日時・コース非公開の[ドクターイエロー]ですら何処から情報嗅ぎ付けたのか[其の筋]の連中が撮影してる位だし、たとえどんなにカモフラージュしたところで[鉄]連中の目を欺くのは難しいから無駄だったりして(^^);(かつて日銀所有の現金輸送車があったがこれも一見見た目は普通の荷物車で素人目には長距離列車に繋がれている客車の一つにしか見えない形態だったけど、[鉄]はその違いを見破りしばしば写真に収めていた。[中身]に手を付けようなんて不届きな考えを持つ奴はいなかったけれど…)(^^);
中露と違って鉄道を軍事上の重要インフラとみなしていない日本ではそれはないです。
クルマも飛行機・ヘリコプターも無い昭和初期位までは軍事に限らず大規模、長距離輸送手段は船か鉄道しか無かったので、軍事輸送の多くを鉄道が担っていましたが、ルートが特定しやすく、空爆や弾道ミサイル、巡航ミサイルの標的になりやすく、最寄りから戦場迄は結局トラックかヘリコプターが必要となると「万が一の時の為のノウハウ維持」目的以外の自衛隊での鉄道輸送は風前の灯です。自衛隊創設当初は陸軍のノウハウ継承した陸自の鉄道部隊もありましたがあっという間に廃止されました。欧米露みたいに車両がデカくて貨車に戦車積める国とは条件違いすぎます。
ピギーバッグのトラック貨車輸送は?
コンテナで石油用のタンクってありましたっけ。技術的に無理なのかな?それとも、車扱いで十分であり必要なしなんでしょうか。
最後の方の動画で水島臨海鉄道の弥生駅で行き違いで来た貨物の中にコンテナタンクが連結されていました
@@heitetsu4649 さんありがとうごあいます。石油由来の化成品エチレン/潤滑油などのコンテナは昔からありましたが、ガソリン、灯油など危険物系は見ないかとおもったわけです。あと、コンテナは車扱いと比べて、設計限界上積載量がやや不利になります。そういう意味で、なんでもかんでもコンテナではなく、内陸部など需要が見込めるところは車扱専用貨車(タンク)が生き残っているんだと思いました。ただ、今後EVが普及すると、専用貨車によるガソリン輸送もどうなるか気になります。
子供の頃にずっと疑問でしたが「ムラサキ」の由来は何でしょう?
客車でもナ 並オ 大きい・重いス すごく大きい・重いマ まさに大きい・重いカ かなり大きい・重い(諸説あります)だから 由来なんてそんなものですよ。
真偽は不明ですがムは馬から来てあとはゴロ合わせだそうです。Yahoo知恵袋にありました。detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166792931?__ysp=6LKo54mp44Og44Op44K144Kt
客車はアバウトだったのですね。マはマイテという一等車がありましたがあれはまさに大きかったのですね
補足ですが積載重量区分が5個あるのに4文字の言葉にして一番軽いのを記号なしにしたのは、重量区分記号ができた当時大量に抱えていた12t積の有蓋車の記号を書き換えずに済むからだそうです。
現在コンテナ貨物が積載車『コキ』によって運用されていますが、北海道では、「道外禁止」の注意書きのある『コラ』(ヽ(*`Д´)ノ)が使われていたのは本当だったのですね。
これがホントの〝コラ〟画像で牧草www…つか西部の大草原😂ruclips.net/p/PLIkN4rqbwIRHNWtTIoKib3KFGl3eNgqUm&si=inyz2q30z3U8XbgY
@@tomohikosatoh8897 ???
タキ64000(フレームレス3軸ボギー)が2両、根岸の日石の製油所の線路に放置されているのが、根岸線の電車から見えました。
1993年11月に二両とも浮島町のメンテナンスセンターでタンクの中を綺麗にしてから川崎貨物から西岡山(平松商店)まで回送の上、荷受け人の所で解体されました
みどりのヨは京都鉄道博物館に今いますね
そうなんですか。是非見てみたいです。昔は阪神電車の梅田の地下へ入る前の出入橋のコンテナ駅に緑のヨがあったと思います
何故駅員にビンタされたのか気になります。
ワキ5000、トキ25000てそれなりに普及した貨車だったんですね。特に前者は超ヒット作わむ八の親戚だとは。くしくも今月、KATOより改めて生産されます。車扱い貨物の再現にはぜひ欲しい車両になりそうです。
ちなみに東武鉄道南栗橋工場に国鉄型ヨ5000型貨車が在籍しているかな現在は国鉄型ヨ8634型と国鉄型ヨ8709型は大樹号専用で活躍しているよ私は下今市駅に行くと必ず撮影をしているかな今は外せないかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
昔、家畜車ってありましたね。
ありました。確かカでした。網戸から豚などが見えました
@@heitetsu4649 馬を見たことがあります。
牛や馬を運ぶのがカで、豚を運ぶのがウでしたな
近畿車輛は貨物を作っていないのでしょうか?
挙げたのはワム80000の製造元なので他の貨物は製作していると思います
国鉄時代には雑多な貨車が混ざった普通貨物列車が走り、各々の車両の長さの違いと二軸車が発てる不規則でうるさい走行音が面白い列車だったが…
そうですね。二軸車とボキー車の音がリズミカルでよかったですね。ワム、ワラやトムなどとコンテナが混ざっていました
昭和40年代以降の荷物列車では高速有蓋車との見分けのつかぬボックスパレット荷物(郵便)車(荷貨物兼用有蓋車のワキ/ワサフ8000含む)が混ざる事でカオスぶりが増し、楽しい列車でしたが中には全てボックスパレット車だけで編成された郵便荷物列車すら運行され、これに到ってはもはや貨物列車のような客車列車というJR派が混乱しそうな変な列車でした( ̄▽ ̄;)
初見です。やっぱ貨車はイイですよね。しかし、だんだんナンバーがインフレになるのが、辛いところですが…。
確かにそうですね。ワム80000を見ると280000まであります。貨物の車番はハイフンなど打って枝番管理するか。車のナンバープレートみたいに管理している操車場など振ればよかったですね。もうなくなりましたが
タキ1900なんて112698なんてのもあります…わけわかんねえ。
鉄道自動車輸送って鉄粉がとぶことも衰退の理由だそうです。しかし、鉄道衰退の一因となった乗用車を鉄道輸送するなんて皮肉ですね。
14:17の写真では一番前の車両に積んだ車だけカバーがかけられてますね。鉄粉だけでなく、旅客列車とすれ違うと黄色い液体や茶色の物体も飛んできます。
@@魔改造人間 さn昔は新幹線以外垂れ流しが普通でした。新幹線も食堂車登場くらいまでビッフェは垂れ流しでした。
いまの貨物はコンテナばっかりだものな。
今から40年ほど前、国鉄職員時代に貨物操作場で勤務していました。本当に懐かしく思います。
動画拝見させていただきました!
私も同じ価値観を持っていまして、今は模型で昔の貨物の編成を楽しんでおります。
ありがとうございます。やっぱり貨物の模型は好き勝手できるのでいいですね、コンテナの後ろにヨを連結したり(コンテナはコキフがあるのでヨは不要なのですが)模型の醍醐味ですね
先頭の機関車の重いダダダダダダのジョイント音の後に続く雑多な貨車の不規則なジョイント音が楽しいです
タタンタタンタタタタタタタンタンタンタンタタンタタンタタタタ…みたいな感じ
コンテナの風でキャリーバッグが
コロコロ……コワいよ〜😮
レムは昔近所のスーパーの倉庫として転用されていましたね。現在は撤去されてしまいましたが…ワラ1はその辺の民家や畑の納屋として多数残存してます。
一般販売されて車輪外されたワムの倉庫あちこちで見かけますね…
オタキ3軸車両がありましたね、またコキフですね、
たまにツムがあり、越中島からきたタンク車とDD51を切った時、タンク車は液体を積んでいるので手ブレーキをかけても少し移動するのでブレーキホースのコックを緩め停車した思いでがありますね。
東海道線沿いのビール会社に側線が敷かれてて
ワムやワラが横付けされてましたね
冷凍車といえばとびうお号なんかが有名ですね
大宮の鉄道博物館にレムフがありますね
最近Nゲージで貨物をやられている若い世代の方々は余り現行の貨物以外をやらない傾向が多いように思えますね。
私もまだまだ若い方ですが、昔国鉄に勤めておられた方々等からお話を伺っている内に当時の国鉄の車扱い貨物に興味を持つようになりました。
EF65やED75等で色とりどりの貨車が連結されていた時代のカモレ、一度自分の目で確かめてみたかったものです。
小学生の頃に見たED75重連+コキ10000系のコンテナ貨物がめっちゃ格好良かった!
途中、青森で青函連絡船に輸送され北海道まで行ってたのを後で知りました。
近所に白に赤リボン🎀の可愛いフットワーク🐶のコンテナがあります。
シキによる変圧器輸送に間接的に時々携わってます。トレーラーの先導車に乗ってるので貨物駅や側線から電力施設まで最後の陸送時に一緒に走る時あります。
肌色のホキ(穀物車)、昔は新座とかに大量にいたのに、今では小樽と三笠にたった2両
しかも有名鉄道youtuberみなさん、ナニコレ?こんなの見たことない!!って悲しいです
ギリギリワム8を見た事ある世代です。国鉄の雑多な貨物も見て見たかったです〜
懐かしい・・・
貨車の種類とか、記号の意味とか、子供のころ百科事典でよく読んでおりました。
私の最初のHOゲージは無蓋車でしたが、
その後Nゲージに移行したためHOはその無蓋車が最初で最後でした。
学研の図鑑には詳細が載っておりました。あのときシキもあった記憶があります。1970年代前半はHOゲージでした。動力の車両は高根の花だったので貨物に走りましたが、ワム、タム、コム、ヨ、ボギー車のチキ(材木付き)などを買いました
同意見。僕も小学校の頃、図鑑と間近で見てました。昔は有蓋車と無蓋車がメインでしたね。後、車窓車もありましたね。
学研の図鑑、私も持っていたのですが「豚積車」が「ウ」なのは「豚のブウ」から来ているとの記述があり、当時はそれで納得していたのですが真相は違っていて「牛のウ」らしいです(鉄道博物館に説明があります)
レ、コ、ツ、ポ、ホ、ナ、カ、ウ、リ、ミ、キ、ヌ、ヒ(すべて貨車記号)とか、いろいろありましたね。
近くの国鉄中山寺駅横の農業資材倉庫に搬入のためにトラとかワキとかよく止めてありましたよ。
ちょっと足を伸ばせば川西池田駅には、クが何台か止めてあってダイハツの車を積み込んでましたね。あの積み込むためのランプウエイを背負った車が異様だったのを覚えています。
宝塚駅にはコンテナ車だったかな?積み込みの基地になっていたような。その向こうの惣川には、砂利運搬用のホッパー車が。
むかし交通科学館の貨車の解説のところで、精巧な模型をしげしげと眺めてました。だって、当時一般的なHOゲージの貨車ですら子供には買うのがすごく大変でした。
@@heitetsu4649 さま。自分はなぜか、エンドウのキ100を買ってもらいました。キも貨車ですよね。
あとは動力なしのキハ02。このチョイスはいったいどうなんだろうか?
コンテナ車とタンク車以外にも、こんなに色々な貨車が有ったんですね。
国鉄貨物は最高だなぁ〜、ガキの頃長編線を見るのが大好きだったよ
私もそうですね。いろいろな二軸貨物が繋がっているのがワクワクしました
わざわざ常磐線の北千住か松戸に行ってベストポジションで見てたよ
EF66牽引のフレートライナーめちゃくちゃかっこよく見えた。
国鉄の貨車管理がおおざっぱで全数がわからず、形式変更の表記書き換えがいきあたりばったりでいつの間にか完了したとか
そういえば動力をもって単独走行できて人と貨物を同時に運べるキワ90も有りました。宮崎の妻線で短期間だけ運行していました。
それは貴重ですね。キがついているということは気動車扱いだったのですね
思ったより貨物列車はたくさん、あるんですね😄
確か?🤔その他にも家畜車のカ2000形や豚などを輸送するウ300形や寝台特急ブルートレインの最後尾に連結されていたカートトレイン、多分ク5000形だと思いますが後、郵便車のオユ11形がありましたね😄貨物輸送に入るかどうかわかりませんが😅それともう一つあまり覚えていませんがブルートレインの最後尾に短いですが貨車が何両か連結されていたのを国鉄時代に見た事がありました😄少年だったのでカメラは持ち合わせていませんでした😅チャンネル登録させて頂きました。
ありがとうございます。ワキとスニの荷物、貨車の混合は見たことありますがブルートレインにもあったのですね。過去は東京口の113の前にクモニの荷物車が湘南色になって繋がれていました。あの時代は混合列車がたくさん見られましたね
子供の頃、様々な貨車が連結されている貨物列車を見て、鉄道好きになりました。今はコンテナ車しか見かけなくなり、鉄道好きの熱も以前ほどはなくなりました。
映像見てふと思ったんですが、突放とか操車場とか懐かしいですね。
コンテナもコンテナでいろいろ種類があって楽しいもんですが…見た目でハッキリ違いがわかった時代の方に親しみがあると見劣りしますよね
国鉄貨物いいですね
私もNゲージで国鉄貨物をやっているのですが長編成で走らせるのが好きです
ただ参考にする繋ぎ方の例がないので悩みながらです。
小学館の「鉄道」という書籍に詳しく記載されてあり、青梅鉄道公園まで行って、貨物車の構造について学びに行きました。
あと、通風車と家畜車がありましたね。
昔、吹田駅でEF66が冷蔵庫レサ10000をズラリと引いて走っているのを初めて見て、これがダイヤ改正でも最優先で時刻が決められ絶対遅延してはいけないあの鮮魚特急貨物かと思いました。
その白物貨物のレサをたくさん引っ張っていた姿が弁天町の交通科学館にありました。門という漢字が真ん中に描かれていたのは鮮明に覚えております。最優先だったのですね。
@@heitetsu4649 市場のセリの時間に荷降ろしの時間を含めて間に合わないといけないし、遅くなると魚の値が下がって罰金だったらしい。
ダイヤ作成に携わった人が書いた本によるとダイヤ改正で最初に時刻を決めるのが特急旅客列車と鮮魚特急貨物で急行や普通はこれらを邪魔しないようスジを引いたとのことです。
永久保存動画がまた1つ増えました
ありがとうございます。これからも列伝シリーズをアップしていきます
幼少の頃ですが、水戸駅で鉄鋼コイル専用のトキ1000が貨物列車のなかにいました。ジャバラがすごく気に入ってとても好きでありました。
子供の頃蒸気機関車走って黒い色の貨車の種類多かったですね。
貨車しか買えないの分かりみが深すぎて…
ですよね。せっかくカツミでレール買ったのに走らせるのは動力のない貨車はがり。トランスは何するものぞ。高嶺の花🌼🤣
社会人になっても、まだまだ高嶺の花ですね。HOでもNでも、蒸気機関車🚂は、欲しくても夢のまた夢ですよね。
当時普通のHOゲージが変えなくて安い自由形機関車とレールのセット(カツミの「楽しい鉄道模型」でしたっけ)を買ってもらってた友達がいたんですが、いまやそれが普通の車両よりも、高額で取引される時代になってしまいました。
@@後藤康仁-o9h さま。あれは一種の美術工芸品ですよ。それにいまでは、キットひとつ組もうにも、老眼で思うように手元が見えず・・・。
貨車で好きなのはプロポーションが美しいタキ3000、3軸ボギーのタキ50000ですね。
東海道線沿いに住んでいたので長大貨物列車はお馴染みでした。話せばそれこそ貨物列車のように長くなります(--;)
よくEF15やEH10に50両位2軸の貨車を繋ぎ、50km/h位でのったり走る姿に妙な威圧感がありました。
7割はワラ1等のどす黒い貨車ばかりでした……
ワム80000系列は割とグレードの高い貨物列車に連結され、機関車もEF60やEF65の高性能機関車に牽引されていた記憶です。
ワム80000形がまだマイナーな頃はワラや黒のワムも長大編成にありました。EH10は確か黒に黄色い帯の入った2両の機関車ですね。あれも尼崎の複々線をよく通過していました。模型屋に行くとあれがほしくてほしくてたまりませんでした。
常磐線直流区間も面白かったですよ。
ヌシのEF80以外にも 当時は大きな貨物駅があった『北柏』発着の列車にはEF15やEF65といった直流機も活躍していて こちらでもEF15は低速の2軸貨車中心の編成だった記憶があります。
EF80の客貨両用型は万能選手で こないだ低速の貨物を索いていた21号機が 今日はフルスピードで『ゆうづる』を牽いていた。なんて事もありました。
@@toriri-service さん
EF80はその万能さが故に
引退が早かった気がします。
@@hisakounosuke2474 さん
はい。
そして電車では東急6000系位しか例のない『1モーター2軸駆動台車』という特殊性もその理由だったかもしれません。
機関車の次の客車に乗ると 低回転型モーターと遊び歯車のギア鳴り音で カルダン駆動なのに吊り掛け駆動のようなサウンドを奏でました。
その構造上空転がしにくく 出足は出力に勝るEF81に劣るものの 高速域の伸びは特に交流区間では寧ろEF81よりも優れていたそうです。
交流機器を取り外して軸重を下げて同じく軸重の軽めな戦前形のEF10・EF12の代わりにする計画もあったようですが 実現はしませんでした。
すみません。語っちゃいました🙇💦
@@toriri-service さん
EF10やEF12の置き換えとは意外ですね…
実現したとしても吾妻線や飯田線の貨物輸送からするとあまり長くは使われなかったかもしれませんね……
確かに貨物=コンテナになってます。かつてはいろんな貨物がありましたね。家畜やクルマなんかも川西池田駅に停まってました。懐かしく思い出しました。
わたしも尼崎の福知山線分岐と東海道線の挟まれた貨物駅や八尾にある龍華操作場や百済貨物駅などを関西本線から貨物を眺めるのが好きでした。まだ黒のワラなどがありました
@@heitetsu4649 さま、貨物は僕の場合HOゲージではなくNゲージでしたが有蓋車や無蓋車を持っておりました。子供の頃は福知山線は単線非電化だったので貨物を牽引していたのはDD51でした。カタカナ表記の原則は勉強になりましたね。
「ワフ」(緩急車またの名を寒泣車)というのもありますな
ワフ、貨車と緩急車一体形ですね。若桜鉄道の八東駅に留置されておもわずシャッターを切りまして。
いやあ、懐かしかった。日田彦山線沿線で育ったので、もう毎日セメント貨物がひっきりなしに、たまにバラスや石炭。台形のやら丸いのやら。そして1日10本だけ乗客車両が通った。
日田彦山線沿線でぞだったのですね。あの路線の駅名で 採銅所 ていう駅がありなんか工業路線な感じがしますが添田から夜明駅は山並みのいい風景だったです。もうあの区間は鉄道で復活することはないですね。あとあそこに日本一赤字だった添田線があり香春から添田までショートカットしたことが祟り田川市郊外を通ったため大赤字の路線がありました。
門司機関区所属のD51~
DD51が頑張ってました。
小倉駅で列車待ちの時に
よく見かけたものです!
HOというと、昔は有井のプラモを作ってましたな
やはり小学生のお小遣いでは揃えきれませんでしたが
わかります、わかりますとも!私も最初に買った貨車はトフ(無蓋車の中央に小さな乗務員室が凸に付いてる奴)でした。
ありましたね。懐かしいです。
雑多な車扱い貨物列車をEF15がガチャガチャと音立ててゴロゴロ走る、40年以上前の楽しい思い出!
「コンテナ」ではなく「コンテナー」なんですね。
私も貨物列車が好きでしたが、国鉄時代の貨物はワム3両の後ろに2軸のタンク車1両、その後ろに穀物輸送車、みたく統一性の無い感じが大好きでした。
あと貨物駅。主要駅には必ず貨物駅が付いていたなあ。
次は、JTB時刻表に載ってた荷物列車の動画お願いします
シキは、三菱電機の伊丹工場の側線に止まっているのをよく見ましたよ。
そういえば試作車ですけども、青色の高速対応の緩急車や連接構造の車運車もありましたね。傍目にはほとんどパズルのように軽自動車を積載する車運車とか。
小さい頃、汽車(昭和感を出す為に敢えて汽車と言う)で旅行をする時に辺りの駅に止まっていた貨車を見るのも楽しみの一つだった。特に操車場なんか変わった珍しいのもいて楽しかった。確かにあの頃はバラエティにいろいろな貨物があったしワムなど夏のアブラゼミの如く珍しくもなんともなくそんじょそこらにあった。
でも蒸気機関車や他の機関車や電車のように人間で言えば定年退職のような最後ではなく貨物車は時代背景の関係で殆どがリストラと言うような運命を辿ったことが非常に残念だ。
そうですね。ワムハチも103系もどこでも見られましたがいざなくなると寂しいものがあります。操作場の突放作業もよく見ました
以前申しましたが、東貝塚駅でのユニチカへの搬入・搬出等は子供ながらに覚えてます。
無蓋車には、おなじみの屋根なし車のほか、淡緑色のネット状の壁を追加した木材チップ(紙の原料)専用車、無蓋と言いつつ蛇腹状のカバーを備えたコイル輸送専用車などがあり、なかなかバラエティがありました。
余剰となってからは、トロッコ列車用の改造種車になった車も多かったですね。
あと、営業列車で実車を見たのは通風車ツム。有蓋車の一種ですが走行中に車内に風が通るよう、側壁がスリット状になっていました。生野菜の輸送用だったそうです。
現役の珍記号は、秩父鉄道の石灰石輸送用ホッパ車の「ヲ」。ヲキと緩急車ヲキフがいます。記号の由来は「鉱石」の英語“ore”からとか、「コヲセキ」からとか複数の説があり、はっきりしないようです。
ワムも無蓋車に改造されたものもありました。ツムありましたね。網戸がついている貨車でした。野菜用だったのですね。家畜用と思っていました
お疲れ様です、今晩は、最近は、大分寒くなりましたね。突然ですが、今回は、国鉄時代の、貨物ですね。又、オープニングの、テーマ曲懐かしいですね。で、私は、電車の、玩具を沢山ありましたからね。では、此の辺で失礼致します。令和四年、11月、13日。🤔👼🚴👨👨👧🧏🥰🌈🌌🧙😚💓✌️🙋
こんばんは。今日は急に寒くなりました。電車のおもちゃはまずプラレールから入り詳細の模型へと深みにハマります。またよろしくお願いいたします
子供の頃、家の近くに南海本線があり、緑色凸型のELが牽く貨物列車をよく飽きずに眺めていました、殆どワかト、タ、玉葱輸送かツも、レやチもあったはず、最後尾は必ずワブでした、お蔭で貨物扱わない鉄道は二流という偏見に囚われる有り様、後に近鉄奈良線沿線に引っ越したときは凹みました。
ツム って通風車もありましたね😮
今の貨物を見ると国鉄時代は見てる分には格好良くていいんだけどこれじゃ赤字垂れ流すよな…ってなる
コラ1系って、うp主と同様数百円で買える最安HO模型の1つだったので小遣いで買って持ってます。てっきり(カツミかエンドウか忘れましたが)「EB58」みたいな短尺デフォルメのたぐいと思ってましたが、実在したと知って驚きです。貴重な資料ありがとうございます。
5:39 ワムハチは大昭和製紙が有る萩野から飯田橋貨物駅(1997年3月に廃止)まで苫更を運んでいたぞ。飯田橋貨物駅は構内の路盤が脆弱だったため、コンテナ車やワキ5000形は乗り入れられなかった。
ワムハチの青色のものでしょうか。確かに飯田橋に何台か止まっていました。
車輸送の貨物車なつかしいな。ギリギリ実車を見ることが出来た世代です。
ヨーロッパでは使われていたみたいだったが今も使われているのかな。
動画に登場した冷蔵車「レテ」、氷を積めるようになってましたね。積めないのが「レナ」。
末尾二桁のムラサキではなかったのですね。確か卸売市場の引き込み線の鮮魚荷卸しでデカい氷を卸ているのを見てあれがレテだったのですね
確かレテ(レ12000など)の[テ]は天井氷槽式の意味だったかと。
なるほど、『レテ』はいわゆる氷温貨車ですか…
今、残っている車扱い輸送ってこんなものかな。
仙台北港ー盛岡タ、郡山(石油)
宮下ー安中 (亜鉛焼鉱)
浜五井ー宇都宮、倉賀野、八王子、郡山、南松本(石油)
安善ー拝島(ジェット燃料)(週2往復)
根岸ー竜王、八王子、宇都宮、倉賀野(石油)
浮島町ー郡山、倉賀野、南松本(石油)
四日市・塩浜―稲沢、南松本(石油)
乙女坂―名古屋臨海・新日鉄(石灰石)
東藤原―四日市(セメント)
東藤原―碧南市(炭酸カルシウム、フライアッシュ)
黒崎ー西浜松、静岡貨物、東京タ(レール)(頻度少な目)
簡単にリスト化できるほどに数を減らしているという現状…。
石油:根岸発分に坂城行き追加。
日鐵からのレール輸送:行き先に新下関、福山、那須塩原、岩切を追加。
最近はタンクもコンテナとかに置き換わってますね
マルタイや
トーピードカーとかも
見てみたい
車扱いは客先までの引き込み線や専用ヤード、取り扱い駅の積み卸し線、操車場等が必要であるのに対し、コンテナ扱いは客先にコンテナを積んだトラックでそのまま集荷、配達に行け引き込み線、ヤード、操車場の必要がないので車扱いは衰退したんでしょうね。
一部の車扱いは残っていますが殆どがコンテナ化してますもんね。
以前有った貨車もこうやって見ると懐かしいものが有りますが、コンテナもJRF以外の私有コンテナも色々なコンテナがあって新種コンテナを見かけると嬉しくなっちゃいます。
貨物の操車場にあるデカい照明を見ると子供心にワクワクしました。叔父に八尾に連れて行ってもらった時は久宝寺駅近くの龍華操作場に行ったときは楽しかったでした。確かヤードで入れ替え機関車で突放して連結していたのを覚えております。コンテナも最近はタンクまで搭載できるようになっていますので多種多様化していますね。業務効率的から言えば世界標準のコンテナの方が荷役は楽ですが一貨物ファンからすると昔はよかったと思います
「道外禁止」は、「コラ」ではなく、『コム』でした。ご指摘ありがとうございました。
昔長町貨物駅に「ポム」と書いてあった黒い貨物車を見ました。
実物見た事無いけど、鮮魚車「ナ」とか陶器車「ポ」とか家畜車・家禽車(形式は失念)あったとか。昔は様々な需要に応じた貨車があったんですねぇ。
形式は、家畜車が「カ」、家禽車は「パ」、豚積車が「ウ」でした。
コンテナは、荷役による上下動が多いので、精密機械の輸送には向いていないんですよね。精密機械輸送用のワムがあってもいいと思います。
パレットがそのまま搭載できるのであれば荷物によってはワムはまだ使えると思います。意外にも製紙工場で重宝していたようです。富士駅や吉原駅に青のワムがたくさん留置されているのを思い出しました
@@heitetsu4649 小荷物手荷物はかご台車に、大型貨物向けに床にローラーをつけるなどの工夫をすれば、生き延びたと思います。
ワム80000の型式を今さら認識。
世紀末新宿駅の午後それが多数引き込まれてきてDE10機関車に交換して飯田橋の貨物駅に向かっていました。新聞社へ紙を運ぶ貨物列車でした。今は、貨物駅は高層ビル街になり輸送もなくなりました。貨車を転がしたスロープ線路が中央線の脇に残っています。あの新宿駅で貨物列車の作業をやっていたことが驚きです。埼京線側の線路は今でもEF210などの貨物列車が通っている様に見えます。平塾受けとは原始的で損失多そう。
豚積車の「ウ」は、🐷さんの声「ブウ」に因んだものらしい🤗
ブの方がわかりやすいですね。
@@heitetsu4649
ただ、語感が悪い😅
先日山陰の県道を走っていたらヨ6000が自治会の集会所?に転用されており、思わず止まって中をしげしげ覗いていまいました。床がカーペット敷きになっていたり一部備品が撤去されてはいましたがオリジナルの状態をきちんと保っていました。車両はレールを敷いてその上に設置されており、塗装も定期的に行っているらしく地元の人から大事にされているんだなぁ…と感じました。
ヨはいろいろなところで物置小屋になっていったりJR北海道の駅舎になっていたりしております。それほど、たくさんあったのですね。集会所に転用されたヨは結構ゴージャスに改造されていましたね。カーペット敷以外はオリジナルの
あの窓はどうなっていたのでしょうか。ガラスが敷き詰められていたのでしょうか
そうですね。以前はキャンプ場でバンガロー代わりに使われていたものも見た記憶があります。車内の写真を改めて見直してみましたが、机やストーブなどが撤去されたくらいで天井の白熱灯や首振り扇風機、網棚などはそのままでした。窓もおそらくオリジナルのままで、両側のツマミを押さえて上下させる115系などのようなタイプに見えます。
いろいろあったなぁ。踏切で貨物列車が通ると、ワム、ワム、レ、トラ、コキ、チとかいろいろでヨ。解らないから、来る貨車次々に声出して読んでいた、あの頃笑。
たまたまだよね。尾白内の駅舎。
すばらしいですね。私も踏切で貨物列車待っていた時、音だけ聞いておりました。毎日通学するのに貨物列車が通過すると長くなるので踏切から離れて音だけ聞いておりました。ボギー車、二軸車の奏でる音がよかったですね。ワム80000がほとんどでたまにトキが連結。最後に寝ている車掌のヨがスーッと通過していきました
チは長物ってことで「長(ちょう)のチ」と誤解されやすい種別じゃないかと。実際、知るまでそうだと思ってた。
イギリス🇬🇧式英語🔤??のTimberから。
ビンタww 事情はわからぬが主は悪くなかった!と容易に推測出来ましたw
儂は都電王国だった月島に生まれ上尾へ移住したs42 国鉄クオリティに驚愕しました(当時儂は小2)更に高1の春、学割証提出したのにも関わらず学校側の不手際で学生証が未発行だったことで学割乗車拒否された挙句酷い言葉で罵られました!!
「こんな組織 すぐ潰れろ!」と思ったらそうなりましたwwww
以上w
上尾にお住まいでしたでしょうか。私も二年ほど上尾の緑ヶ丘に住んでおりました。国鉄に民衆が反旗を翻した上尾事件やその他多発した民衆の怒り。あの時点で民営化するべきだと思いました。あの発生から10数年経ってようやく民営化されたことを思えばかなりの抵抗勢力があったと思います。学割には非常に厳しいかったのを覚えております。周遊券を学割で友達の分まで買おうとしたとき学割発行書があるにもかかわらず全員分の学生書を要求されました
長物車は、現在も、残っています。
九州で、製造された線路を、最終的に、JR東日本まで運んでいますよ!?
シキ400を取り上げて欲しかったです。
在りし日の、「鉄道讃歌」
私は、「過去」に貨物列車の操車場で勤務。してました(国鉄時代)
色々、思い❤が 込み上げてマス🎵
又 配信📡期待してマス❤👍🎵
ありがとうございます。幸せな気分になられて何よりです。今後とも宜しくお願いいたします
車運車はJR発足の時期辺りに復活したけど、あれは幻だったのか?一瞬だった。
40年暮らした東京から、故郷の愛知県に引っ越しました。荷物が多くどうしよ?って思ったんじゃが、アリのマークの引越社さん。本社がたまたま地元愛知県ということもあるらしく、JR貨物のコンテナを使います!その方が安く済みますよ~、と。
トラック2台で東名高速を夜通しで走り、新居では積み下ろしがあるのでドライバー1人という訳にはいかず。計4名の人員が必要に。それで必ずしも帰りの仕事が埋まるとは限らず。空の状態で空気を運んで東京に戻ってくるんじゃコストが合わないわなぁ。列車を使えば現地の支店のトラックが新居の近隣駅で荷物をピックアップしてすぐに搬入できるから、効率はいいやね?
東海道本線をトコトコと、ワイ専用のえんじ色のコンテナが健気に走って来るなんて、なんか嬉しい( ´△`)モーダルシフトってヤツだね?環境にも優しいし、使い方によっては効率もよし。貨物列車、復権すればいいな( ゚∀゚)ノシ
そうですか。引っ越しでJR貨物使うのは羨ましいですね。あのJRFのコンテナがくるのですね
ごく稀にDE10牽引のバラスト輸送のホキ位しか珍しいのは見ないですね。
遠くを走る貨物列車を見る度、最後尾の車掌車を自宅にすれば日本一周鉄道旅行ができるのではないかと考えていました。
自宅にするならヨ8000ですね。トイレが付いています。ただ北海道は冬はご免こうむりたいですね。極寒ですから
@@heitetsu4649 さん
客車ほどしっかり造っていないので、石油ストーブ付きでも冬の雪国ではかなり寒かったでしょうね。
化成品のタンク車には純アルミやアルミクラッドと書いたやつもあった。
貨車の記号の前についている小さい字の記号についても
解説してほしかった。長年疑問に思っているので。
ここの動画に出てくるものでいえば「ハワム」の「ハ」とか、
「オトキ」の「オ」とか、「コタキ」の「コ」とかね。
子供の頃に買ってもらった学研の図鑑『機関車・電車』に貨車の記号の解説がありましたが ここに出た以外にも
通風車(ツウフウの ツ)
陶器車(ポッタリーの ポ)
水運車(ミズの ミ)
豚積車(ブタの「ブゥー」の ウ)
等あったのを覚えています。
因みにだいぶあとになって豚積車はブタの鳴き声が元になったというのは誤りで本当は何故かウシの「ウ」だという事を知り「天下の学研でも誤った事を載せるんだな。図鑑に載っている事でも鵜呑みにしてはいけないんだな。」と思いました。
貨物列車が通過中 歯抜けのように空荷のコキが連なると JR貨物の経営や日本経済が心配になります。
その図鑑、持ってましたˆˆ;
幼少時の鉄バイブルでした。
イラストには色んな貨車がありましたね……
試験車等も載ってました。
ラッセル車や寝台車も載ってましたね。カニとか…
@@藤原鎌足の子孫 さん
雪搔車4種類(ラッセル、かきよせ、幅広雪搔、ロータリー)ともイラストにありましたね。
@@hisakounosuke2474
連絡船(青函、宇高)も載っていた記憶がありますけど?
フェリーの中に線路が敷いてあることには子供の頃に衝撃でした。w
@@hisakounosuke2474 さん
はい。
主役の機関車と電車・気動車はページを割いて詳細に 主だった形式のイラストとスペックが載っていましたが
客車・貨車は見開きの2ページに大雑把ながらそれでも今では見られない様々な車両が描かれていましたね。
特殊車両や試験のための車両のカテゴリーもあり 大型クレーンを装備した『操縦車』やクモヤ93・新幹線の922形0番台『電気試験車』も載ってました。
国鉄の貨物車両は試作車両もいましたが
JRになってからは貨車より機関車の試作
そして量産化で、貨車変わり映えが少なく
なっていてなんだか寂しくなりましたね…
Nゲージ模型でワム90000が既製品で
出たら自衛隊のPAC3を載せたいです。
ワステレツカナウポトリチタホセクヒミエサケシソキヤヨ
多分これが国鉄貨車記号全部だったはず。
NゲージでもT社紙パッケージ香港製貨車は、350円でしたね。
K社は500円でした。
今は倍の700円。でも床下ディティールがリアル。足踏みブレーキてこも形式ごとに違っているのが素晴らしいです。
ありがとうございます。T社製も結構進化しましたね。親会社がおもちゃメーカーなのでおもちゃのノリと思っておりました。K社製はやっぱりいいですね。でも私はよく考えたらT社製の機関車EF65を持っておりました。ディテールは確かにK社と遜色ありませんね
ちなみに東武鉄道にも国鉄型ワラ1型貨車がなんと春日部内牧と栃木宇都宮子供科学博物館に保存されているみたいだよとりあえず鉄道雑誌にのっていたよ😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
ワムの前にある小さいハは、どういう意味なのでしょうか
もともとはパレット対応で パ だったのですがいつのまにか ハ になりました
貨車の種類も随分と減りましたねぇ・・・・
マイナーなのでは鉄製有蓋車(記号はテ)がありましたな・・・ワの中に1両だけ混じって走っているのを結構な確率で見たような・・・・
あと、(記号無し)ムラサキではサだけ実際に走っている姿を見たことが無かったですね・・・
二軸貨物がなくなっていくのはさびしいですね。トサとかワサは見たことがありませんね。冷蔵車のレサだけでしょうか
これからトラック運転手が不足するので中長距離は鉄道貨物にするようにセールスして来い😃コンテナだけでなく顧客にあった貨物列車を開発しなさい‼️
今後日本国内で貨物列車が軍事優先となり、『撮影禁止』(図説化、模型化も禁止)とならないよう願うばかりです。
原則運転日時・コース非公開の[ドクターイエロー]ですら何処から情報嗅ぎ付けたのか[其の筋]の連中が撮影してる位だし、たとえどんなにカモフラージュしたところで[鉄]連中の目を欺くのは難しいから無駄だったりして(^^);
(かつて日銀所有の現金輸送車があったがこれも一見見た目は普通の荷物車で素人目には長距離列車に繋がれている客車の一つにしか見えない形態だったけど、[鉄]はその違いを見破りしばしば写真に収めていた。[中身]に手を付けようなんて不届きな考えを持つ奴はいなかったけれど…)(^^);
中露と違って鉄道を軍事上の重要インフラとみなしていない日本ではそれはないです。
クルマも飛行機・ヘリコプターも無い昭和初期位までは軍事に限らず大規模、長距離輸送手段は船か鉄道しか無かったので、軍事輸送の多くを鉄道が担っていましたが、ルートが特定しやすく、空爆や弾道ミサイル、巡航ミサイルの標的になりやすく、最寄りから戦場迄は結局トラックかヘリコプターが必要となると「万が一の時の為のノウハウ維持」目的以外の自衛隊での鉄道輸送は風前の灯です。
自衛隊創設当初は陸軍のノウハウ継承した陸自の鉄道部隊もありましたがあっという間に廃止されました。
欧米露みたいに車両がデカくて貨車に戦車積める国とは条件違いすぎます。
ピギーバッグのトラック貨車輸送は?
コンテナで石油用のタンクってありましたっけ。技術的に無理なのかな?
それとも、車扱いで十分であり必要なしなんでしょうか。
最後の方の動画で水島臨海鉄道の弥生駅で行き違いで来た貨物の中にコンテナタンクが連結されていました
@@heitetsu4649 さん
ありがとうごあいます。
石油由来の化成品エチレン/潤滑油などのコンテナは昔からありましたが、ガソリン、灯油など危険物系は見ないかとおもったわけです。あと、コンテナは車扱いと比べて、設計限界上積載量がやや不利になります。そういう意味で、なんでもかんでもコンテナではなく、内陸部など需要が見込めるところは車扱専用貨車(タンク)が生き残っているんだと思いました。ただ、今後EVが普及すると、専用貨車によるガソリン輸送もどうなるか気になります。
子供の頃にずっと疑問でしたが「ムラサキ」の由来は何でしょう?
客車でも
ナ 並
オ 大きい・重い
ス すごく大きい・重い
マ まさに大きい・重い
カ かなり大きい・重い
(諸説あります)だから 由来なんてそんなものですよ。
真偽は不明ですがムは馬から来てあとはゴロ合わせだそうです。Yahoo知恵袋にありました。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166792931?__ysp=6LKo54mp44Og44Op44K144Kt
客車はアバウトだったのですね。マはマイテという一等車がありましたがあれはまさに大きかったのですね
補足ですが積載重量区分が5個あるのに4文字の言葉にして一番軽いのを記号なしにしたのは、重量区分記号ができた当時大量に抱えていた12t積の有蓋車の記号を書き換えずに済むからだそうです。
現在コンテナ貨物が積載車『コキ』によって運用されていますが、北海道では、「道外禁止」の注意書きのある『コラ』(ヽ(*`Д´)ノ)が使われていたのは本当だったのですね。
これがホントの〝コラ〟画像で牧草www
…つか西部の大草原😂
ruclips.net/p/PLIkN4rqbwIRHNWtTIoKib3KFGl3eNgqUm&si=inyz2q30z3U8XbgY
@@tomohikosatoh8897
???
タキ64000(フレームレス3軸ボギー)が2両、根岸の日石の製油所の線路に放置されているのが、根岸線の電車から見えました。
1993年11月に二両とも浮島町のメンテナンスセンターでタンクの中を綺麗にしてから川崎貨物から西岡山(平松商店)まで回送の上、荷受け人の所で解体されました
みどりのヨは京都鉄道博物館に今いますね
そうなんですか。是非見てみたいです。昔は阪神電車の梅田の地下へ入る前の出入橋のコンテナ駅に緑のヨがあったと思います
何故駅員にビンタされたのか気になります。
ワキ5000、トキ25000てそれなりに普及した貨車だったんですね。特に前者は超ヒット作わむ八の親戚だとは。
くしくも今月、KATOより改めて生産されます。車扱い貨物の再現にはぜひ欲しい車両になりそうです。
ちなみに東武鉄道南栗橋工場に国鉄型ヨ5000型貨車が在籍しているかな現在は国鉄型ヨ8634型と国鉄型ヨ8709型は大樹号専用で活躍しているよ私は下今市駅に行くと必ず撮影をしているかな今は外せないかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
昔、家畜車ってありましたね。
ありました。確かカでした。網戸から豚などが見えました
@@heitetsu4649
馬を見たことがあります。
牛や馬を運ぶのがカで、豚を運ぶのがウでしたな
近畿車輛は貨物を作っていないのでしょうか?
挙げたのはワム80000の製造元なので他の貨物は製作していると思います
国鉄時代には雑多な貨車が混ざった普通貨物列車が走り、各々の車両の長さの違いと二軸車が発てる不規則でうるさい走行音が面白い列車だったが…
そうですね。二軸車とボキー車の音がリズミカルでよかったですね。ワム、ワラやトムなどとコンテナが混ざっていました
昭和40年代以降の荷物列車では高速有蓋車との見分けのつかぬボックスパレット荷物(郵便)車(荷貨物兼用有蓋車のワキ/ワサフ8000含む)が混ざる事でカオスぶりが増し、楽しい列車でしたが中には全てボックスパレット車だけで編成された郵便荷物列車すら運行され、これに到ってはもはや貨物列車のような客車列車というJR派が混乱しそうな変な列車でした( ̄▽ ̄;)
初見です。やっぱ貨車はイイですよね。しかし、だんだんナンバーがインフレになるのが、辛いところですが…。
確かにそうですね。ワム80000を見ると280000まであります。貨物の車番はハイフンなど打って枝番管理するか。車のナンバープレートみたいに管理している操車場など振ればよかったですね。もうなくなりましたが
タキ1900なんて112698なんてのもあります…わけわかんねえ。
鉄道自動車輸送って鉄粉がとぶことも衰退の理由だそうです。しかし、鉄道衰退の一因となった乗用車を鉄道輸送するなんて皮肉ですね。
14:17の写真では一番前の車両に積んだ車だけカバーがかけられてますね。鉄粉だけでなく、旅客列車とすれ違うと黄色い液体や茶色の物体も飛んできます。
@@魔改造人間
さn
昔は新幹線以外垂れ流しが普通でした。新幹線も食堂車登場くらいまでビッフェは垂れ流しでした。
いまの貨物はコンテナばっかりだものな。