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そんな見限った郵政省も民営化。そう言えば国鉄も鉄道院から鉄道省でしたっけ。
私が「早番出勤」時、百済駅を高架鉄道線から眺めると、鉄郵の皆さんが勤務終了の雰囲気を漂わせながら「魔法瓶と座布団」持って歩いていましたね。
地味に全室郵便車を個人所有してる人いて草
ちなみに鉄道郵便で区分してた人達にはその後普通の郵便局で働いてた人達もいて、その人達は区分の速さが鬼ほど速くて正確だったらしいです。
何か予感のようなものを感じたのか、操車場編、小荷物編を見直してたところに新作投下は嬉しすぎる。鉄道も郵便も詳しくない身ですが、社会を支えるインフラとしてどちらも悪戦苦闘してきた歴史に触れて胸が熱くなりました(とくに保存車両の探訪記は素晴らしい!)
3ヶ月おきの投稿ですみません…ありがとうございます!
平成9年に入省し何度も研修所に通いました。四ヶ月も泊まって訓練を受けていた事がありましたが、時間はあったのに郵便車の中には入ったことはありませんでした。今では研修所に行くこともなくなったので、動画配信大変ありがとうございます。
もう一年半前ですか…前回の荷物車の動画とこの動画のおかげで鉄道模型のほうで荷物列車にハマったのでぜひ続編か客車、貨物列車についての動画を作っていただきたいです。(凄い分かりやすい解説なので期待して待ってます)
物凄くわかりやすく纏めてあったので 退屈することなく全部観ちゃいました。ポストに入れてから届くまでのシステムは わかっているつもりで 細かい所までは知らなかったので勉強させていただきました🙇郵便車〒には 冷水器が付いていたんですね。まあでも 冷房が付いているとはいえ あの作業環境では 水も飲みたくなりますよね。因みに 郵便車は私鉄でも 東武や小田急の大手や 中小私鉄でも 秩父鉄道・近江鉄道・島原鉄道などに荷物との合造車(クハユニ・モユニ・キユニ)がありましたね。気動車では あの国鉄レールバスを改造した『キユニ01』もあり 「車内は狭くて暑かったんじゃないかな?」と思いました。
ありがとうございますキユニ01について、一応区分棚があった上に面積もキハユニよりは広かったようですが車内の暑さは想像を絶したでしょうね…
動画配信お疲れ様ですいつ見ても面白いです 有難うございました
めちゃくちゃ面白かったです特に実車取材が詳しく解説されてて興味深かったです!次回も楽しみにしてます!あと立ち絵かわいいですね!
ありがとうございます2回現地に行った甲斐があります
鉄道郵便末期に集配局でバイトしてました懐かしい。当時は5桁郵便番号時代で、集めた郵便物は上2桁ごと(区分局)に仕分けてタグをつけ郵袋に詰め込んでました。ちょうどOCR読み取り機の導入が始まった時期で仕分けにかかる時間が大幅短縮されてめっちゃ仕事楽でしたがOCR前はあれぜんぶ人がやってたと思うと恐ろしい・・・郵便車内で仕分けやってたのも納得です。
前回の小荷物編から鉄道郵便までの丁寧な解説が素晴らしい!時代の変遷とともに輸送体系はどんどん変わっていったんだなぁとよく分かりました。あと、おでかけパートすごく良いですね。現物映像だと雰囲気がよく伝わってきますし、私も行ってみたくなりました。もう野生のNHKじゃん?
昔、郵便車のポストに直接投函できた時代、丸の内とかにある大きな会社だと、庶務課の担当者が郵便物の仕分けをして、下っ端が上野、東京、新宿などの駅に運んだらしい。ベテランの社員から「〇時〇分、急行十和田」とか言われて、電車で始発駅まで運ぶ。会社にも直接集配をしてくれていたけども、郵便車だと明らかに早く届いたのこと。
4作目、ありがとうございます。待ち焦がれてました。
現在は集約荷物のカタログ等は鉄道コンテナ使ってますね
めちゃくちゃおもしろかったです!情報量の暴力でまた殴られたい笑
30分以上も殴られていただきありがとうございます!
うちの父の仕事がこれだったと聞いた。もう亡くなってしまって確認は取れないのですけどね
「飛行機で仕分けだ!着陸が面倒だから投下するぞ」「マジか?リニア使わせてあげるから勘弁して」かくして郵便車両復活
今回も面白かった。ぶっちゃけて総括すれば、荷物と同じく、きめ細かく対応しなければいけない郵便輸送は基本的にザッパ上等!の鉄道輸送とは元来相性が悪かったのですね。今後復活するとしても、お互い適合する範囲で、となりそうです。……クモユ143、官業の非効率のお手本のようになってしまった。小回りがきくように、一両単位で動ける設計だったので、ローカル線用の車両として荷物車は転用できたのですが、郵政省所有ではそれができなかった。
どう足掻いても他人の持ち物、勿体なくても縦割りだからどうしようも無い、ああお金の無駄…よく見れば今も大して変わっていないというのが何とも言えませんね
詳しい歴史をありがとうございます。かように複雑なネットワークがあったなんて知りませんでしたが、それら各地へ送り主と待ち人の想いを乗せて走っていたのですねえ。終章に出た「61.10」以降に残った鉄道郵便局の一つ、青森駅の青函連絡船桟橋に隣接して建物がありましたね。青函航路が1988年3月に定期運航最終日、そして9月の臨時運航終わりにも大勢の職員方が見送りに出ておられました。
詳しく説明されていてよかったです。
旧小樽機関区があった小樽市総合博物館行った時に郵便車見ました。人形とか郵便も置いてあって当時の作業風景を再現してました。
今回も楽しく拝見させていただきました。ありがとうございます。イラスト説明がわかり易く、コミカルで可愛らしいところがとても素敵です。動画中にちょっと出ましたが、今は無き鉄道連絡船に興味があります。勝手ながら、機会があれば紹介いただけたら嬉しいです。
ついでに日銀所有の幻で伝説のマニ30を取り上げてほしい✋🚃
それなりの資料は手元にあるのですが、いずれ小樽に行った際に動画化しようと思います
カネ30か
本当に良い話でした。
高速道路と中~大型ジェット旅客機の発着できる空港の整備が不十分だった時代は、長距離優等列車に併結された郵便車と荷物車が頼みの綱でしたね。
ここの動画めっちゃためになるな
地元郵便局の本局が駅から離れた市役所側でなく駅近くにあったのが、貨物駅から輸送しやすかった名残りと理解できましたそしてEDで踊る影…
東門線沿線の駅に隣接する東京中央局、名古屋中央局、京都中央局などはいずれも駅の門司寄りに立地していることからも鉄道郵便の名残が分かりますね
@@yomogi_HYP 名古屋中央局、一度は名古屋駅から離れたところに移転して旧庁舎は分室扱いにましたが、JPタワー名古屋開業に合わせて局名を取り戻すという(移転先は名古屋西局に改称)、数奇な運命を辿ってますね。
中学生時代の修学旅行で1個上の先輩の時まで青函連絡船でも鉄道郵便印が押されてた。真似して自分たちも出したら、普通に青森の消印だった(丁度廃止されたタイミングだった)
もし鉄道郵便が復活したら、本気で異動したい
もしかしたら自動区分機が載って人間は受け渡しと投入だけ…みたいになるかもしれませんね
ま、頑張れや😁
システムを聞いてて、面倒くさいことやってるなぁってなるのはそれだけ今に合わないことやってたんだなぁってなる。それでも昔は画期的だったんでしょうなぁ。
まあぶっちゃけ道路網がないから仕方なく鉄道で運んでただけですからね…
関係無いけど、会社に雑に扱われて退職する私にとってまとめの言葉はめっちゃひびいたんだけどね。
やっぱめっちゃ面白いそして地元の郵便局出てきて草ァ!
能登のほうの奴、年始に地震あったけど大丈夫かなぁ…
消印と見るとショーインと脳内で勝手に変換される
しょーいん、にっぷいん、ですね
@@yomogi_HYP そうそう!日附印はニップイン
@@chobichobi2001以前は日附印が金属製で、記念押印を依頼すると自分で押させてくれる局もありました。今のシャチハタ印は趣きに欠けます。
高速や飛行機がなかった時代は、郵便も鉄道一択だったからね。高速開通に感謝しましょう。
車歴の若い車両でも容赦なしに解体。改造しようにも、旅客車ですら余り気味。しかも特殊用途だから、元々が旅客車として新製されてるのを流用した方が安上がり。それ故に保存車両も少ないのでしょうな。それでも「救援車代用」として残したのは良い事。結果的に一度も出動する事なく、役目を終えたのだから。むしろ出動しちゃ駄目な車両だから。
日本通運も最初は、鉄道輸送の荷役
集配局と集配局の間に拠点局がある
現在は、輸送するだけに成っちゃったりしてるかも知れない?、大きめな郵便局は、駅近に有るには有るんだが、鉄道ではやらかして無いかも知れないって、見直しをはかっても良いかも知れないとは思うけれど?、
保存車両、国立の郵政研修センター内にあるみたい、普段出入りできないけどね、クロネコの進出での衰退と言うより、当時の小荷物の扱いに問題があって、以下当時の送り方、小荷物を送る時は段ボール箱を紐で規定の縛り方で縛る、必ず荷札は付けて箱と荷札両方に送付先を書く、窓口(郵便局、鉄道駅)へ荷物を持って行く、 結構面倒くさい、戸口から戸口へ、なんて鉄道に書いてあったけどね、それで、届くのに下手すると1週間かかったり、映像にも出てるけど箱の取り扱いがあんな感じなので届いた時は箱はフニャフニャ中の缶詰は凹んだり漏れてたりが当たり前だったし。クロネコも初期は10トントラックでやって来て集荷と配荷というのを見ているし、当時は口コミだったのかそれ程利用者が居なかったみたい、
時代が違うと言えばそれまでか。パレット輸送とじか積み、郵袋輸送では、結果は自ずと明らかだったね。懐かしい!!
鉄道の郵便配達と聞くときかんしゃトーマスのパーシーを思い出してしまう………(クソコメ)
クモユ143は、超短命!
と、ずっと昔から思ってたら、本編でも言ってたわ^ ^
キハユニ欲しかったな
もうKATOの売ってないの?😋
@@psychedelicraspberry517おそらくこの人は実車の事を言ってるのでは?
@@夢待翔太なら、もっと入手難易度高いな😁
郵便局は集配局を本局、無集配局を特定局と言われます。本局は各市町に1つないし2つ、特定局は地域の地主、金持ちなどが地域に作った局になります。
特定郵便局と無集配局は違う概念です。特定局は局長の任用方式によるもので、特定局でない郵便局は普通局です。集配局でない郵便局は無集配局。だから無集配普通局や集配特定局というのも存在しました。
君レターパックで現金送ることなかれ詐欺はしにたまへ
そんな見限った郵政省も民営化。そう言えば国鉄も鉄道院から鉄道省でしたっけ。
私が「早番出勤」時、百済駅を高架鉄道線から眺めると、鉄郵の皆さんが勤務終了の雰囲気を漂わせながら「魔法瓶と座布団」持って歩いていましたね。
地味に全室郵便車を個人所有してる人いて草
ちなみに鉄道郵便で区分してた人達にはその後普通の郵便局で働いてた人達もいて、その人達は区分の速さが鬼ほど速くて正確だったらしいです。
何か予感のようなものを感じたのか、操車場編、小荷物編を見直してたところに新作投下は嬉しすぎる。鉄道も郵便も詳しくない身ですが、社会を支えるインフラとしてどちらも悪戦苦闘してきた歴史に触れて胸が熱くなりました(とくに保存車両の探訪記は素晴らしい!)
3ヶ月おきの投稿ですみません…
ありがとうございます!
平成9年に入省し何度も研修所に通いました。
四ヶ月も泊まって訓練を受けていた事がありましたが、時間はあったのに郵便車の中には入ったことはありませんでした。
今では研修所に行くこともなくなったので、動画配信大変ありがとうございます。
もう一年半前ですか…前回の荷物車の動画とこの動画のおかげで鉄道模型のほうで荷物列車にハマったのでぜひ続編か客車、貨物列車についての動画を作っていただきたいです。
(凄い分かりやすい解説なので期待して待ってます)
物凄くわかりやすく纏めてあったので 退屈することなく全部観ちゃいました。
ポストに入れてから届くまでのシステムは わかっているつもりで 細かい所までは知らなかったので勉強させていただきました🙇
郵便車〒には 冷水器が付いていたんですね。
まあでも 冷房が付いているとはいえ あの作業環境では 水も飲みたくなりますよね。
因みに 郵便車は私鉄でも 東武や小田急の大手や 中小私鉄でも 秩父鉄道・近江鉄道・島原鉄道などに荷物との合造車(クハユニ・モユニ・キユニ)がありましたね。
気動車では あの国鉄レールバスを改造した『キユニ01』もあり 「車内は狭くて暑かったんじゃないかな?」と思いました。
ありがとうございます
キユニ01について、一応区分棚があった上に面積もキハユニよりは広かったようですが車内の暑さは想像を絶したでしょうね…
動画配信お疲れ様です
いつ見ても面白いです 有難うございました
めちゃくちゃ面白かったです
特に実車取材が詳しく解説されてて興味深かったです!
次回も楽しみにしてます!
あと立ち絵かわいいですね!
ありがとうございます
2回現地に行った甲斐があります
鉄道郵便末期に集配局でバイトしてました懐かしい。当時は5桁郵便番号時代で、集めた郵便物は上2桁ごと(区分局)に仕分けてタグをつけ郵袋に詰め込んでました。ちょうどOCR読み取り機の導入が始まった時期で仕分けにかかる時間が大幅短縮されてめっちゃ仕事楽でしたがOCR前はあれぜんぶ人がやってたと思うと恐ろしい・・・郵便車内で仕分けやってたのも納得です。
前回の小荷物編から鉄道郵便までの丁寧な解説が素晴らしい!時代の変遷とともに輸送体系はどんどん変わっていったんだなぁとよく分かりました。あと、おでかけパートすごく良いですね。現物映像だと雰囲気がよく伝わってきますし、私も行ってみたくなりました。もう野生のNHKじゃん?
昔、郵便車のポストに直接投函できた時代、丸の内とかにある大きな会社だと、庶務課の担当者が郵便物の仕分けをして、下っ端が上野、東京、新宿などの駅に運んだらしい。ベテランの社員から「〇時〇分、急行十和田」とか言われて、電車で始発駅まで運ぶ。
会社にも直接集配をしてくれていたけども、郵便車だと明らかに早く届いたのこと。
4作目、ありがとうございます。
待ち焦がれてました。
現在は集約荷物のカタログ等は鉄道コンテナ使ってますね
めちゃくちゃおもしろかったです!
情報量の暴力でまた殴られたい笑
30分以上も殴られていただきありがとうございます!
うちの父の仕事がこれだったと聞いた。
もう亡くなってしまって確認は取れないのですけどね
「飛行機で仕分けだ!着陸が面倒だから投下するぞ」
「マジか?リニア使わせてあげるから勘弁して」かくして郵便車両復活
今回も面白かった。
ぶっちゃけて総括すれば、荷物と同じく、きめ細かく対応しなければいけない郵便輸送は基本的にザッパ上等!の鉄道輸送とは元来相性が悪かったのですね。今後復活するとしても、お互い適合する範囲で、となりそうです。
……クモユ143、官業の非効率のお手本のようになってしまった。小回りがきくように、一両単位で動ける設計だったので、ローカル線用の車両として荷物車は転用できたのですが、郵政省所有ではそれができなかった。
どう足掻いても他人の持ち物、勿体なくても縦割りだからどうしようも無い、ああお金の無駄…
よく見れば今も大して変わっていないというのが何とも言えませんね
詳しい歴史をありがとうございます。
かように複雑なネットワークがあったなんて知りませんでしたが、それら各地へ送り主と待ち人の想いを乗せて走っていたのですねえ。
終章に出た「61.10」以降に残った鉄道郵便局の一つ、青森駅の青函連絡船桟橋に隣接して建物がありましたね。
青函航路が1988年3月に定期運航最終日、そして9月の臨時運航終わりにも大勢の職員方が見送りに出ておられました。
詳しく説明されていてよかったです。
旧小樽機関区があった小樽市総合博物館行った時に郵便車見ました。
人形とか郵便も置いてあって当時の作業風景を再現してました。
今回も楽しく拝見させていただきました。ありがとうございます。
イラスト説明がわかり易く、コミカルで可愛らしいところがとても素敵です。
動画中にちょっと出ましたが、今は無き鉄道連絡船に興味があります。
勝手ながら、機会があれば紹介いただけたら嬉しいです。
ついでに日銀所有の幻で伝説のマニ30を取り上げてほしい✋🚃
それなりの資料は手元にあるのですが、いずれ小樽に行った際に動画化しようと思います
カネ30か
本当に良い話でした。
高速道路と中~大型ジェット旅客機の発着できる空港の整備が不十分だった時代は、長距離優等列車に併結された郵便車と荷物車が頼みの綱でしたね。
ここの動画めっちゃためになるな
地元郵便局の本局が駅から離れた市役所側でなく駅近くにあったのが、貨物駅から輸送しやすかった名残りと理解できました
そしてEDで踊る影…
東門線沿線の駅に隣接する東京中央局、名古屋中央局、京都中央局などはいずれも駅の門司寄りに立地していることからも鉄道郵便の名残が分かりますね
@@yomogi_HYP
名古屋中央局、一度は名古屋駅から離れたところに移転して旧庁舎は分室扱いにましたが、JPタワー名古屋開業に合わせて局名を取り戻すという(移転先は名古屋西局に改称)、数奇な運命を辿ってますね。
中学生時代の修学旅行で1個上の先輩の時まで青函連絡船でも鉄道郵便印が押されてた。真似して自分たちも出したら、普通に青森の消印だった(丁度廃止されたタイミングだった)
もし鉄道郵便が復活したら、本気で異動したい
もしかしたら自動区分機が載って人間は受け渡しと投入だけ…みたいになるかもしれませんね
ま、頑張れや😁
システムを聞いてて、面倒くさいことやってるなぁってなるのはそれだけ今に合わないことやってたんだなぁってなる。それでも昔は画期的だったんでしょうなぁ。
まあぶっちゃけ道路網がないから仕方なく鉄道で運んでただけですからね…
関係無いけど、会社に雑に扱われて退職する私にとってまとめの言葉はめっちゃひびいたんだけどね。
やっぱめっちゃ面白い
そして地元の郵便局出てきて草ァ!
能登のほうの奴、年始に地震あったけど大丈夫かなぁ…
消印と見るとショーインと脳内で勝手に変換される
しょーいん、にっぷいん、ですね
@@yomogi_HYP
そうそう!日附印はニップイン
@@chobichobi2001以前は日附印が金属製で、記念押印を依頼すると自分で押させてくれる局もありました。今のシャチハタ印は趣きに欠けます。
高速や飛行機がなかった時代は、郵便も鉄道一択だったからね。高速開通に感謝しましょう。
車歴の若い車両でも容赦なしに解体。改造しようにも、旅客車ですら余り気味。
しかも特殊用途だから、元々が旅客車として新製されてるのを流用した方が
安上がり。それ故に保存車両も少ないのでしょうな。
それでも「救援車代用」として残したのは良い事。
結果的に一度も出動する事なく、役目を終えたのだから。
むしろ出動しちゃ駄目な車両だから。
日本通運も
最初は、鉄道輸送の荷役
集配局と集配局の間に拠点局がある
現在は、輸送するだけに成っちゃったりしてるかも知れない?、大きめな郵便局は、駅近に有るには有るんだが、鉄道ではやらかして無いかも知れないって、見直しをはかっても良いかも知れないとは思うけれど?、
保存車両、国立の郵政研修センター内にあるみたい、普段出入りできないけどね、
クロネコの進出での衰退と言うより、当時の小荷物の扱いに問題があって、以下当時の送り方、
小荷物を送る時は段ボール箱を紐で規定の縛り方で縛る、必ず荷札は付けて箱と荷札両方に送付先を書く、窓口(郵便局、鉄道駅)へ荷物を持って行く、
結構面倒くさい、戸口から戸口へ、なんて鉄道に書いてあったけどね、それで、届くのに下手すると1週間かかったり、
映像にも出てるけど箱の取り扱いがあんな感じなので届いた時は箱はフニャフニャ中の缶詰は凹んだり漏れてたりが当たり前だったし。
クロネコも初期は10トントラックでやって来て集荷と配荷というのを見ているし、当時は口コミだったのかそれ程利用者が居なかったみたい、
時代が違うと言えばそれまでか。パレット輸送とじか積み、郵袋輸送では、結果は自ずと明らかだったね。懐かしい!!
鉄道の郵便配達と聞くときかんしゃトーマスのパーシーを思い出してしまう………(クソコメ)
クモユ143は、超短命!
と、ずっと昔から思ってたら、本編でも言ってたわ^ ^
キハユニ欲しかったな
もうKATOの売ってないの?😋
@@psychedelicraspberry517
おそらくこの人は実車の事を言ってるのでは?
@@夢待翔太なら、もっと入手難易度高いな😁
郵便局は集配局を本局、無集配局を特定局と言われます。
本局は各市町に1つないし2つ、特定局は地域の地主、金持ちなどが地域に作った局になります。
特定郵便局と無集配局は違う概念です。特定局は局長の任用方式によるもので、特定局でない郵便局は普通局です。集配局でない郵便局は無集配局。だから無集配普通局や集配特定局というのも存在しました。
君レターパックで現金送ることなかれ
詐欺はしにたまへ