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伯父が持っていたVHSを小学生の頃何度も飽きずに見せてもらい、鉄道員を目指すきっかけの一つになりました。どうにか運転士になり、「本数が増える区間までにいかに定時に戻して滑り込めるか」という遅延時の回復の大変さを身にしみて感じると共に、定時で終点に着いた時の安堵、これは何にも代えがたいものであると、この作品のラストにいま改めて強く共感しています。
7:10 機関車の煙で真っ黒になった顔をせっけんでゴシゴシ流しで洗う姿。昔の石鹸の匂いが蘇るような生々しい映像です。 素晴らしい
「上野定時到着。特に異常ありません。」それがどれ程大変な努力によって成し遂げられる凄いことなのか、この映画を観て解りました。正に父母の世代の姿。感無量です。
この映画を観て、子供心に感動し……後に水戸鉄道管理局 に就職❗ 平機関区にて 電気機関士になりました………
素晴らしい、羨ましいです、もちろん現役で機関士をなさってるんですよね。
そんな方がいらしたとは!(゚▽゚*)
スーツ「ばい煙って言うんですかね?私のシャツ、真っ黒です」
昔の小学校は、こういう映画を、体育館で、よく上映したっけ♪子供心に、すごく楽しみだった。
夢を叶えられて羨ましいです。
この年になって振り返えると蒸気を上げて常に定時に発着到着するなんて…奇跡と言うか熟練の職人だよなぁ~
「取手通過あー」「取手通過!」「後部オーライ!」「はいっ定ー時!」「定時ー、定時なったんですね!!」機関士おもむろに一服……ああ、この瞬間とてつもなくカッコいい!!。鉄道マンの御乗客の皆様を一分一秒違わず、安全に目的地に着ける様に奮闘される職務に対する必死さがひしひしと伝わって来ます
ありがとうございました。
なんだかんだ、働く男のタバコかっこいい。
おっしゃるとおり!ここで震えました!かっこいい!
転轍手さんの「定位ヨシ!」も地味ながら全身で鉄路を支える姿がひしひしと感じられ、痺れる格好良さがあります
RUclipsがなかったら、たぶん一生巡り会えなかったと思う
この時代に産まれていなかったのに猛烈に懐かしさを感じる錯覚に陥る。。。全く知らないのに知ってる。そう遠く無い過去。おなじ日本人。。。あの時代が今の時代より良いとは思わないけれど、何故か心の奥深い言葉にならない良さ?をジンワリと感じる。
遅れを回復した後の一服がめちゃくちゃカッコいい
先日発売の蒸機EXで昨年、小沼機関助士がお亡くなりになられたそうです、ご冥福をお祈りします。
汽笛も遠く。支えてきた人々の労苦と功績を大事にして欲しいですね。今の鉄道は便利になりましたが、次第に、その財産を放棄しつつ見える時があります。
天国で、あの映画の撮影のときはなあって語ってるんだろうね。小沼さん、大往生だと思います。
この時代の上野駅。私は小学生児童で満員列車から降りられず『降りまーす!』と叫びながら客車通路を進んでいると、客車の各窓が押し開けられて、見知らぬオジサン達がホームの駅員へ『子供が降りるんだって、待ってやれよ!』『子供が降りるからさぁ!待てるだろ?』と怒鳴りながら発車を静止してくれた。私がホームに降りると、汽笛鳴らして列車は動き出し、窓がパタンパタンと閉まる音が聞こえた。
想像しただけでも素晴らしい光景が目に浮かびますね。日本はいつの時代でもこうで無きゃ駄目ですよね🙂
まさに短編映画の1シーン…。
正義を愛する鉄道愛好者が、戦後の何かを知らないままに正論を言う。満員の客車から若い母親が子を連れて難儀しているのを見ていた当時の男性たちは大半が戦時中は戦争経験者たちだ。彼等が失った様々な財産や命は計り知れない。単純に幼い子供が『降りたい!』と叫ぶとき、(駅員、何とかしてやれよ)と思ったからだ。遅延?知らねぇよ。向こうに着いたら俺達が急ぎゃ良いんだ。親子だろ、おろしてやれよ。
@@chimaira1977 ちなみに今でも、私の地元ではよくある光景ですよ。「おーい!待ってくれ~!」そう言えば発車後だろうと汽車は止まってくれますし、場合によっては言わなくても止まってくれます。山陰の、汽車が何時間に1本などという環境だからかも知れませんが。
田舎の駅では、今でもそういう感じですよ。列車の本数が少ないですからね。駅員「業務連絡、業務連絡。622D、跨線橋2名、学生です」みたいな感じです。
この映画を初めて観た時、先ず最初のC62が坂を驀進してくる描写で釘付け。現役時代のC62の本気の走りを知らない世代としては、正に歓喜驚嘆。 SLファンのバイブル的存在の映画だと思います。
ありがとうございます。この映画は35ミリフィルムで撮影されています。ニューヨークの映画祭では、35ミリで上映されました。労働組合に取材して、丁寧に作られています。以前は、鉄道博物館でも上映されたと聞いています。
教育映画なのにスゴい美しい映像…
ありがとうございます。
機械化、コンピュータ化がいくら進んでも仕事の本質とは何かも感じ考えさせる素晴らしい記録映画ですね。何回も見てその度に発見があります。小さなことですが、機関士の検査用ハンマーは個人の持ち物であり、機関車の備品ではないのですね。ちょうど医師の聴診器と同じように。
定時に戻してから一服する仕草がかっこいい、さぞかしうまいんだろうなぁ。
ありがとうございます。 土本典昭も煙草が好きでしたから、そういう場面が採撮れたんだと思います。
今だったら懲戒解雇ですね
一見危険に見えるけど、全ての信号と踏切と危険箇所が頭に入っていて、安全な区間でタバコに火をつけてるのだと想像する。
今でもJR貨物の機関士は眠気防止の意味を含めて喫煙が認められていたかと思いますよ。
今から50年くらい前、どの職場も喫煙は男ならあたり前の時代でした、機関士にとって定時は金科王条の時代です、この映画は三河島事故の国鉄はしっかりやっていますよ的な映画です三河島事故の原因とされる貨物列車のオーバーラン、当時、常磐線は超過密ダイヤで、電車区間の蒸気機関車列車は非常に危険な状態でしたATSが必要とされていましたが、予算がないとの事で見送り、結果事故を出しました、さらに超過密の東海道、鶴見事故も起こしてようやく人々の注意力に頼る事では駄目な事に気付き新幹線でいまだに事故がないシステムが構築されたのです。
55年前頃、北海道の我が町の私鉄で兄が機関助手としてC11に乗務していた。高校も函館本線で通学しSL全盛でした。京都までの修学旅行専用列車は青森~盛岡までSLでそこから上野までは電気機関車でしたが、トンネルに入ると皆反射的に窓を閉めて大笑いした思い出がこの動画のSLの排煙を見て蘇りました。今は栃木県の我が町の駅のSL(C12)にいつまでも長く走ってねと挨拶するのが愛犬との散歩日課です。
万一事故を起こした場合、疲れていましたという弁解は通らないこれは深い
ありがとうございました。土本は当時、国鉄の労働者に取材してつくりました。
何度見ても見飽きない素晴らしい映画。しかし、この映画の根っこにあたる部分に三河島がある事を頭の片隅に置いておいて欲しい。
土本典昭監督の映像の切り取りは本当にすごいと思います。交通博物館で良く見た映画でした。水戸での貨物の入換、電気機関車やディーデル特急をさりげなく映し、事故車両と学園での信号喚呼、踏切支障訓練を絡ませたり、遅れ12列車が取手までに3分の遅れを回復させるところ、上野での小荷物取扱など土本典昭監督らしさを見せる映像でした。水俣三部作にも通じるところもあったと思います。本当に懐かしい作品が見れたこと、本当に感謝です。
とにかくカッコいい!男の中の男の職場、っていう感じがします。
最高の映画です。国鉄好きには、たまりません!
最高時速95km/h...運転中に石炭と蒸気圧で速さを調節して3分の遅れを定刻通りのダイヤに戻す...やっぱり国鉄職員の運転技術は高すぎる...
これぞ男の仕事。そう思いました。とても良き作品ですね。有難うございます。
ありがとうございました。嬉しいです。
終着の上野駅に近づくにつれ、妖艶な都会の夜のネオンに照らされ、汽笛の雄叫びをあげる蒸気機関車の姿も、またなんともいえず魅力的である。
機関助士として出演された小沼さんはこの映画が公開された時点で機関士に内定しており、クランクアップの翌年に機関士に昇格されています。
クランクアップ→撮影終了撮影終了の前に公開?言いたいことは何となく解りますが…
後年には電車運転士に転換したそうです。
なお小沼元運転士は2020年残念ながら鬼籍入られました。
何度見ても素晴らしいですね。
出てくるもの出てくるもの全てが惜しげもなく本物、というのが実に素晴らしい映像作品ですよね
電車と機関車どっちも常磐線走ってる不思議な光景
凄まじい定時安全運行に対する執念が素晴らしい。世界に尊敬される日本の鉄道のDNAを見た。
大変懐かしく見せていただきました。学生時代は常磐線でしたので、感動です。急行みちのくC62 D51 特急はつかりキハ81 初の交直両用401系とEF80 国電区間はまだ73型で、同じ時期に見られた貴重な時代ですね。この時期は、夜行特急ゆうづるもC62の時代ですね。
喜んでいただいてうれしいです。私は、鉄道はほとんど知りません。お教えいただきありがとうございました。
昭和38年ですので、ゆうづるはまだ登場していませんよ。ゆうづるの登場は昭和40年で、電化区間が伸び、平(現いわき)↔仙台の間のみC62が牽引していました。(約2年間)
乗客の見えないところで尽力し、何事もない日常を支えるのが鉄道員の使命であると...
この時代の常磐線。機関車だけでなくATCやCTCはもちろんATSもなく列車運行が鉄道員の手作業で安全&定時運行、列車本数捌いていたのが凄いと思います。貨物列車のD51はカロリー低い低品質石炭で長大列車牽くとか聞きましたし当時の苦労はたくさんあったでしようね…
ATSはあったけど?
@@冷凍唐揚げ 言い方が悪いっすよ…正直、ATSを設置するに至った三河島事故が1962年の5月で、この映画が1963年のものだとすると、制作段階では設置されていなかった可能性はありますね。確かに、ATSが設置された蒸気機関車があるのも確かではありますが。
みとー みとー みとー水郡線乗り換え みとーホームのアナウンス、何回聞いても味があるわ
3:19
ときどき運転される高崎のD51のときは、ホームのアナウンスもマイク、発車もベル、そこまでやってほしいな。
昔の国鉄の「伸ばしかた」にはいくつかの特徴的な癖があり、特に目立つ代表的なパターンは 「え」が「えー」ではなく 「えい」や「えーん」になるパターンですね。【例】 はこーだてい よこーてーん
名作が視聴できるようになって嬉しい限り。401系が既に登場し、電車化が進み、主要幹線の蒸気機関車は晩年期に入る頃だろうか。現役の蒸気機関車がフルパワーで驀進、夕ラッシュ時の都市部を走るシーンは圧巻です。
Yes, this film Is fantastic ! 🇮🇹❤️🇯🇵
むちゃくちゃカッコイイ
Appreciate the english subtitles, I'm a big fan of Japan's steam locomotives.
昭和62年頃都内の書店でこの鉄道ビデオ見つけ購入しました。今も保管しています。何度見ても感動します。
有難うございます。土本基子
子供達が訓練生と一緒に走ってて可愛い
そうですね。
8:07〜8:21の話はなんかグッと来たどんなに技術が発達しても最後は人の判断で動かすと言うことの大切さを改めて思った✍️
現在でも水戸ー東京を仕事で往復し利用。映像の水戸駅や幼い頃に眺めた三河島より日暮里駅の構内、沿線のネオン、上野駅荷物扱いなど記憶と一緒に当時の音や匂いが懐かしい。蒸気の美しさや支える鉄道マンの力など。ストライキ乱発で崩壊した国鉄の労働環境が惜しまれます。
見応えのある短編映画だ。この当時の国鉄の風景はどの断片を切り取っても、「味」がある。職員はプロフェッショナルの集団で、まさに職人の世界。一方で、この時代には、既に国鉄労働医学研究所なるものがあり、機関士の疲労状況や勤務環境を科学的に研究していたことがわかる。映像の編集は,、ブレを恐れず短い動感あふれる駒を重ねる手法で、37分の全編をあっという間に飽きさせることなく見せてしまう。良き親方日の丸時代で、その後、民営化され合理化の名のもとに安全性を犠牲に収益の追及に走り、福知山線脱線事故に至ったわけだが、この当時の良き時代の国鉄マンの躍動感が見事に記録されており、第18回 芸術祭文部大臣賞 教育映画祭ー一般教養映画最高賞を受賞したというのも頷ける。
ありがとうございます。土本基子
いや~EF80新製時、なんだか新鮮に見えます。さすがに蒸気は、知らない世代ですが、子供のころEF80牽引の旧客仙台行や貨物を荒川鉄橋で見てました。良い時代でした。
@@映画同人シネアソシエ 自分で所有していた。テープがダメになり諦めていましたが、動画UPされ拝聴することが出来ました❗ありがとうございます😄
@@トヨトレタキタキ お役に立ててうれいしです。
もの凄く貴重な映像を有難うございました。🚂視聴:令和4(2022)年9月27日。
「12列車、3分遅れ現発」から始まる回復運転は最高の見せ場ですね
ありがとうございます。お楽しみいただいてうれしいです。
機関士さんが国電区間に入ってから吸うタバコ。実に美味そうです。
人のめんどうの見方や、人のさじ加減で走りが大きく変わる。だから機関車にも人間味が出てくる。これも蒸気機関車の魅力の一つだよなぁ
私もそう思います。ありがとうございました。
私はあなたのビデオが本当に好きです。 日本語が話せないのでごめんなさい。 お時間と労力をありがとう。
私は英語が出来ません。ありがとうございました。
やはり、C62は大迫力ですな・・・。私が中学生の頃夢中になっていました。安全に運行義務は機関士のご苦労のたまものですね。貴重なものを見せて頂きました。ありがとうございました。
機関士は注意力が必要ですね。尊敬します
生まれたころには無かった景色で興味深いです
貴重で美しい映像をアップしてくださって感謝いたします。62歳の私が鉄道ファンになった頃は、蒸気機関車、あるいは蒸機でした。そのあとの、いわゆるSLブームの異常な盛り上がりに嫌気がさし、一気に熱が覚めてしまいました。なので、「SL」という言葉が嫌いです。でも、やっぱり蒸気機関車は素晴らしいです。
コメントありがとうございます。
この時代に国鉄労働医学研究所なるものを発足させ、機関士の疲労状況や勤務環境を研究していたことは驚愕に値する。
鉄道輸送という事故が絶対に許されない環境での労働条件の精査。今はどうでしょうか。バス運転士やタクシードライバーに至るまで、コンビニのアルバイト並みの労働条件です。ですが、事故が起こった時だけ、プロなのに・・・という批判を受ける。小泉・竹中構造改革が必要である雇用条件までをも破壊しつくしてしまいました。効率という免罪符はいつまで叫ばれるのでしょうね。
@@猫発見Yosi 本当にその通りです。「疲労が原因で」「過重労働が原因で」という言葉をよく聞きますが、こういった研究を今も続けていれば起き得ないことです。
Wonderful video , some scenes reminded me of O Winston Links steam photography, was fortunate last year to travel on two steam hauled Japanese trains.
Thank you
3分の遅れを取り戻すのにどれだけ大変なのかがよく分かる。それにしても最高速度が95km/hには見えないくらい速い
ありがとうございます・。
矜持で定時運行の任務にあたる機関士の方が、「あの煙が…」と仰るシーンに胸打たれました。全力で蒸気を操っているプライドより、当時は電気を操縦したかったのでしょうかね?こういった変遷の時期、職員の方々も複雑だったのかと、勝手に思いを馳せてます。貴重な映画、ありがとうございました。
定時に回復した時、機関士が煙草に火をつけるシーンに、時代を感じました。そういえば、いろいろな博物館で電車や機関車の運転室に入りましたが、長距離列車用の運転席には、ほぼ全てに吸い殻入れがついてました。今だったら、大騒ぎになりますね・・・
今でもJR貨物は眠気防止のために喫煙と水分補給が認められていますよ
電車にはなかったと思います。実はこだま型電車や東海型電車といった長距離電車を作るにあたり、当時国鉄の技師だった星晃さんが「長距離運転に備えて灰皿つけましょうか?」と言ったら「そもそも電車の運転中は禁煙です!」と激怒されてヤンピになったと回想されてます。一方、機関車は昔から眠気防止のためむしろ喫煙を推奨されており、現在に至るまで灰皿は必須の装備になってます。電車の場合こだま型まで客室から運転席が見える(湘南電車はデッキからですがそれでも見える)という理由もあったそうです。一方気動車は機関車から別れたという歴史的事情から国鉄時代は灰皿が付いていました。
感動する作品です。大変な職業です。再確認しました。
ありがとうございます。ご登録ありがとうございました。
引き継ぐ際の火床を整えることを釜換えと言います。普通一駅半前の地点を通過するときから始めます。
スイッチ1つでパンタを上げて、マスコン1つで列車が動かせる今と違い、石炭と水をくべて、沢山の弁やハンドルを操作しながら安全に配慮しつつ定時運行していたこの時代は如何に大変だったか、、、
なんと素晴らしい映画でしょうか!今時の映画制作者に見せてやりたいです。
18:14 のダイヤグラフ見てたら鉄道ファンとは言えど見てみるだけで頭が混乱する
10:52 動画に映る機関車の廃車体は常磐線三河島事故の事故車D51 364らしい。
運転室潰れてるからそうだと思う
これ、テツ趣味の師匠にVHSを借りて見ましたね。当時の常磐線の様子とかがわかる貴重な映像作品ですよね。
C62も素晴らしいけど、最後の上野駅の荷物車の積み込みの掛け声が貴重文章では見たことあるけど音源は珍しい
係の方1:おおふなわたし~係の方2:っ、おおふなと。一つ一つお二人で確めながら積み込まれるんですね。
@@yonayonamytube 40年以上前、旅行用の指定券をみどりの窓口のない自宅近くの駅で購入したことがあるのですが、窓口の駅員が鉄道電話で乗車券センターとやり取りし列車番号や乗降駅名、座席種や席番などを口述・復唱しながら丹念に手書きの補充券に書き写していくのを幼心に興味深く見ていたのを思い出します。
@@hiroakikon はい小さな駅の出札口のガラスの向こう側で駅員さんが「最初のひとつ号車」→1号車 とか「6番チャイナ、デンマーク」→6C(席)6D(席)とか、間違いを防ぐための隠語や符丁、電略の言葉をたくさんつなぎ合わせて復唱さらに復々唱と繰り返して1枚の手書き特急券を発券する様子、私も見入った(聴き入った)記憶があります。最後にそろばんをしゃーっといれて「乗車券特急券合わせて◯◯円になります」よみがえりました🙂その後マルスでの発券になり味も素っ気もなかったけど、それは格段に省力化されたはずと実感したものです。
@@yonayonamytube そうそう、〇つ号車の△番のアメリカ、ボストン、チャイナ・・ね。そうやって発券された切符を渡されると、何かとても遠くに行くような気がしたものです。
遠い知り合いが昔尾久機関区に所属していて急行『みちのく』をはじめとする列車の乗務をしていました。上り列車が遅れたら取手までに定時をとって上野までは、それまで以上に安全に気をつけて走ると言う話もよく聞きました。SLを運転する時は機関士と機関助士のコミュニケーションとコンビネーションが安全運転の為の第一歩だと教えられた事は今でも鮮明に覚えてます。
運転手の方たちは、安全に気を使って、とても真剣に運転されていたようですね。
@@映画同人シネアソシエ 良いえいかですね
英語字幕版初めて拝見しましたが、訳がいいですね!"Approaching Nippori! Cleared Nippori!" とか小気味いいです!・・それと実際の当時の急行「みちのく」は水戸ー上野間は無停車ではなく確か土浦に停車していたはずなので、もし実際に水戸出発時に3分遅延ということがあったならばそれを取り戻す困難さは映画以上だったかもしれませんね・・
ありがとうございます。英訳は当時国際交流基金のつくってくれたものを利用しています。
ラストシーンで中島機関士が報告書を書いていますが、水戸を3分遅れで出発して土浦は2分遅れで到着。2分遅れで出発と書かれています。水戸~土浦間で1分回復、土浦~取手間で2分回復。取手通過定時、上野到着定時です。報告書をよく見ると尾久の機関区を定時に出発して上野定時到着。下りは上野定時発車で取手定時通過。土浦定時到着で水戸定時到着と書かれています。最後の小沼機関助士のナレーションで「12列車、上野定時到着、特に異常ありません」の言葉は凄く重みを感じます。(本編では内原通過時に30秒回復、神立通過前に「遅れを1分縮めた」とナレーションが入ります。神立通過後に1分半遅れの呼称がありますが、駅の通過時間が長すぎるので報告書の通りだとすると土浦出発後のどこかの駅になります。ですが、全て台本通りです。なので土浦停車は敢えて本編に入れなかったのだと思います。)
@@radiotanpa はい。この「特に異常ありません」の報告からすべて逆算して、3分遅れでもらった12列車を運転されたと思います。水戸発車後に「土浦の第2閉塞で閉める」と言われています。そこまでは許容範囲のフルパワーで行くから、圧力が欲しいと、取手定時通過への回復運転プランを描いておられる。お二人の凄まじいプロ意識と、その貴重な記録に感動しました。
14:14~バス運転士をしているがこれは確かにその通り。一度の誤りも許されない・・・ 今の鉄道や貨物・旅客自動車の乗務員にこの気持ちを持っているものはどれだけいるだろうか・・・
100人に1人いるかどうかですかね。みんなスマホやタブレット見ながら運転してます。
私は元鉄道整備士で、現バス運転士です。まったくその通りだと思います。整備士の頃、自分の簡単なミスで何千人も死ぬことがあると教えられ、今その経験がとても生きていると感じます。鉄道と比べてバス業界は色々あって擦れてしまったようで…本当のプロ意識を持った人は今は少ないかもしれませんね…
@@e257ad さん僕は逆にこれから鉄道業界入り希望の元バス運転士です。たしかに鉄道は大量輸送なんで何百何千単位の命を預かる仕事ですね。おっしゃる通り、トラックバスタクシーは本人の意識の差が大きく技量やサービスの差に表れてますね。左折の巻き込み事故は左の側面の衝突からはじまるのに、左にある左折巻き込み防止窓に目貼りをするバカなトラックだらけです。後輩運転士に、左折巻き込み事故は左の側面衝突から始まるから、前扉直接目視と左のミラーとを確認してからハンドルを切るように何回も言ってるのに、ハンドルを切りながら確認をする始末。確認後にハンドルを切らないと、気づくのは巻き込んだ後になるよ。と何回も言ってもウザがられるだけでした。危険を予測した地点で停車する前提でブレーキをかけながら近づき、ヨシ!安全に進行できると判断するまではブレーキをかけ続けるのが大事だと言っても全然やらない後輩ばかりです。お客さんにも最低な対応。車椅子の方の乗降があった時は車庫に無線機で車椅子のせいで10分遅れと一斉送信、で、バカな他の運転士もおつかれ~と返事する始末。トラックもバスもタクシーも誰でもできる仕事とバカにされるのはこんな奴らがほとんどだからです。僕が母のお腹の中にいる時に、つわりがひどくてゲロゲロ吐いてるのに病院まで送ってくれたタクシーの運転士さんがいたと母から聞きました。その運転士さんは母が気持ち悪くならないように滑らかな運転をしてくれて、吐きたくなったら吐いてもいいよと優しく言ってくれたそうです。昭和の頃は腕も心もあるドライバーがいました。今は腕も心もありません。仕事に誇りを持てない素人ドライバーばかりです。車両感覚だけの奴らだけです。なんなんですかねぇ😢
バスの運転士や二種免許を取得した人に勘違いする人が多いように思います。所詮、ハンドル家業なんてもんは積荷がなんであろうと雲助なんですよ。トラックだろうと、バスだろうと車をぶつけずに、客から文句を言われ無いように走りゃ良いだけの話じゃないですか。人の命は大切で牛や豚はどうせ死ぬんだから大した事ないそんな考え方だからバスの人がトラックに乗っても続かないのでしょう。 誇りを思って仕事する事は大切ですが、他を見下すような心では人には伝わらないでしょう。人に教えると言うのは相手を尊重しないと何を言っても伝わらないのでは無いでしょうか?相手の悪い所を言うだけなら悪口とかわりませんよね。
『ある機関助士』(あるきかんじょし)は1963年(昭和38年)の日本国有鉄道(国鉄)企画、岩波映画製作所製作の日本映画。
この頃のお父さんたちの『働いてる感』が濃い!
上野到着後の機関助士のピッチングシーンは実は台本上の演出だったそうな。小沼さんは役者でも無いのに監督の指示を受けて、気恥ずかしさの余りNGを連発したとのこと。あんな凄い仕事が出来る人なのにカメラには緊張するなんて、本当人間には得手不得手があるもんだ(連載「SL甲組」の肖像 第27回 水戸機関区 「ある機関助士」伝より)。
すごい!
プロフェッショナルとしての賞賛に値する。しかし同時にこの状況のままではいけないと思わせる映像。
ありがとうございます。その通りです。この映画は1962年国鉄ではオリンピック準備に伴う資材運転や、タイヤの過密化がすすみ 労働強化を強いられていました。その時のおこったのが、三河島の大事故でした。国鉄当局は原因は労働者の過失であると結論づけます。その疑いを払拭させるために、国鉄当局は国鉄の安全をPRする映画を企画しました。安全装置のATLに関する映画です。しかし、 土本典昭たちはこの事件の原因は、国鉄労働者の過密労働であるとし、このような映画のシナリオをかきました。国鉄当局も、このシナリオは良くできていたので、このシナリオを採用することになりました。この映画の中には、分刻みの過重労働の実態が描かれています。労働組合の協力を得て、蒸気機関車を映画のために走らせました。ダイヤをくみ、ち密なカット票の元に、電車を走らせて撮影しています。イギリスにも夜行郵便列車という名作がありますが、この映画も日本映画の記録映画史における機関車映画の傑作だと思います。
まだ一般型客車の塗色がぶどう色2号から青色15号に規程改正される前だから、『みちのく』の茶色に統一された長編成が美しいですね。
12列車上野定時到着、特に異常ありません。淡々としたエンディングにやられたのは俺だけではないはず。
35:36ここで投げているのは郵便小包(現ゆうパック)ですね。昭和の郵便局では、麻ひもで井桁に組んで荷札を付けないと荷物を受け付けてくれなかった。郵便局の集配袋や新聞の束も、国鉄の駅に着くと客車扉からポンポン投げてたなあ。
この映画は三河島事故をきっかけに乗務員の苦労を啓蒙するために作成したそうです。
このあと数年で新幹線開通。リニアの基礎実験も始まる。やはり日本には鉄道がすごく良くマッチする。
喋り方がベテランのじぃじと同じ感じで好き🥺
今は懐かしのレーザーディスクを持っていますが、オープニングは異なりますね。今の水戸駅にも田端の81が駐機していますが、隔世の感あり。
現代につながる鉄道ダイヤへのストイックさの歴史を感じました。今みたいにハンディやGoProでの撮影じゃあるまいし、映像として残っているのもありがたいですね。
蒸気機関車の真剣勝負の運転が今の新幹線に繋がってるんですね。
最近毎日見てる。
0:47 シロクニだ!常磐線がまだ全線が電化してないからまだシロクニが急行を牽いて活躍してたんだ。1:47 シゴハチの貨物列車だ!3:07 水戸機関区だ。当時はやはりデゴイチもここに所属していました。もちろんあの山口線のシゴナナ1号機も高崎のデゴイチ498号機もこの水戸に所属していた時期がありました。11:38 当時は日本初の気動車特急としてキハ81が最新型でした。
通勤電車が往き来するネオンきらめく都内電車区間に蒸気機関車が侵入する様子は、映画「さよなら銀河鉄道999」で、999号が終着駅惑星大アンドロメダに侵入する様子と被る
ありがとうございます。すてきです。
全て実話、実況だから凄い❗😳
13:42(反応が)速いものに限って事故を起こす。これは本当です。例えば工事現場に車が突っ込んできた場合、逃げなければならないのに止めようとする。結果的に人的損害が発生し、後に重大な事故に発展します。大事なのは「命を守ること」人間は切迫状態では判断に誤りを犯します。確認と安全は表裏一体です。ご安全に!
テーマにした列車は常磐線経由で上野と青森の間を走っていた急行「みちのく」だね。しかもあの日本最大のSL、C62形牽引だね。それから今年のダイヤ改正で、あの常磐線が全線復旧しました、おめでとうございます!それを記念して、あの急行列車を12系客車と旧型客車を合わせた12両編成を今のEF81に牽引させる形で復活運転すると面白いかも。
ありがとうございます。楽しそうですね。
あの列車の再現にはSLばんえつ物語用の客車に普通の12系を混ぜ合わせるというのも面白いのではないでしょうか。
@三橋美智也ファンの土本基子 そうですか、すみませんね。
でも家にはですね、旧型客車のプラレールとC62のプラレールが3台ありますので、それで急行「みちのく」を再現してみようと思います。
@@仲宗根康太-v5t頑張ってくださいね
色々と意見は、あろうとも…やはり、一仕事終えたあとの一服がカッコ良すぎる。そして、遅延〇と書き込む、誇り高い表情の気高さ。何ていうか、先人達の偉大さ勤勉さと云うものが伝わってくる。現在の鉄道員は頭脳の労働この頃の鉄道員は、それに加え明確な肉体の負担が伴う。それ故、ご苦労も並大抵ではなかったと思う。まさに、頭が下がる想いです。
緩行線ができる前、C62と、72系が、同じ線路上を駆け抜けていたとは、今の常磐線からしても、到底考えられないことである。(20-03-17)
SLの王者C62を運転するために選抜されたエース級の機関士、機関助手なんだろうね。どちらもイケメン^^ 英語の字幕がいいね! イエッサー、グットタイム 最後の機関助手のピッチングフォームもいいけど、ここまで激渋でカッコイイ仕事ぶりなんだから、急に子供ぽくなてしまうじゃあないかなあ。たとえば、片手を腰にあてて夜空を仰ぎ見て仕事をやり切った満足感を誇りに思うような表情でカッコ付けてほしい。
32:27くらいに出てくるカクテルライト、以前南千住にあった、今は無き東京スタジアムのものでしようか。
常磐線での軽量化仕様とはいえ、現役時代のC62の姿。ジーンと来ます。 ビデオ買いました。
11分くらいのところに出てくるD51は、三河島事故の機関車でしょうか。あの事故も幼心に強く印象に残った事故でした。大きく傾いたD51、転倒した73系電車、そのわずか手前で止まった401系電車。そのD51は、しばらく田端に証拠品として保管されていましたね。
申し訳ありません。私の主人が57年前に作った映画なので、くわしいことはわかりません。
ご回答、ありがとうございます。事故が常磐線であったこと、1962年に発生していることなどから、おそらく三河島事故の車両と思います。
父が生きていたら一緒に見たかったな。よろこんだろうな。
23:47 急行「みちのく」に使われている客車の中も本当にレトロだね。
近代化改造前のスハ43ですね。常磐線は受け持ちは尾久かな。高崎で現役のオハ47(元スハ43)は、水戸の前は尾久配置で急行十和田、津軽に使われてました。
一番古い車両ですら製造後12年しか経っていない時代ですから、そんなにレトロではなかったと思います。
土本典昭作品の公式チャンネルが爆誕していたとは!これは事件だ!!
投稿が凄く増えていて、びっくりしています。
ちなみに寝台特急ゆうづるは、SL機関車と20系客車をつないで引っぱってきた世代から、EF80機関車とED75と20系客車、EF80機関車とED75機関車と24系客車そして、EF81機関車とED75機関車と24系客車の世代でした。
消しゴムで消せない仕事‼️
かなちゅうバス?
取手通過後の利根川橋梁上のジョイント音は完全に110キロ超えていますね 法定上限は95でもC62の場合 制動を緩めるとおそらく簡単に100キロは超えてしまうでしょう ATS導入前であることを考えれば十分ありうることです 例えば「つばめ」は名古屋〜岐阜間は法定95を125ほどで走っていました それは浜松区が大体5分は遅れて入線してくるのを名古屋区が岐阜までに回復して定時に間に合わせていたからです 当時名古屋区には満鉄上がりの自動給炭(ストーカー)扱いに手慣れた優秀な助士が多数在籍していたからできたと言われています 鋼鉄140トンの巨漢が時速125キロというのは通過駅からすると恐ろしいことだと思います
C62ってそんなに出してたんですか⁉︎今の電車特急と大差ないじゃないですか‼︎
@@渋谷多摩探検隊 正直出ますね。昭和29年に17号機が木曽川橋梁耐久試験で偶然129キロだした時も、乗務員は「別にスピード試験ではないので」橋を渡り終えると同時に制動をかけ始めています。もし橋梁終点(堤防)からの下り勾配を使えば130〜140は出ていたでしょう。しかし設計限界からして130を越すことは結構危険が伴ったらしいです。常磐線の昼行優等列車をC62が牽引する動向を追ったこの映画がインターネット上に躍り出てきた時、名古屋機関区や宮原機関区の乗務員の証言は別に大袈裟だったわけではないことが容易に理解できました。利根川橋梁通過音は特に異様な速さでしょう。おっしゃるように同線区の後の485や681と、さほども変わらない異様なスピードです。
@@渋谷多摩探検隊 1時間半ちょいで水戸と言ってますが、今の「ひたち」も70分とかだし、子供の頃は1時間半でしたから、変わらんですね。
この映画、1960年代後半、(旧)交通博物館で鑑賞しました。
かつて、国鉄時代急行みちのく、特急みちのく、寝台特急ゆうづるの先代でしたが今のJRの世代では、上野東京ライン全車指定特急ひたちとときわの世代になっています。
伯父が持っていたVHSを小学生の頃何度も飽きずに見せてもらい、鉄道員を目指すきっかけの一つになりました。
どうにか運転士になり、「本数が増える区間までにいかに定時に戻して滑り込めるか」という遅延時の回復の大変さを身にしみて感じると共に、定時で終点に着いた時の安堵、これは何にも代えがたいものであると、この作品のラストにいま改めて強く共感しています。
7:10 機関車の煙で真っ黒になった顔をせっけんでゴシゴシ流しで洗う姿。昔の石鹸の匂いが蘇るような生々しい映像です。 素晴らしい
「上野定時到着。
特に異常ありません。」
それがどれ程大変な努力によって成し遂げられる凄いことなのか、
この映画を観て解りました。
正に父母の世代の姿。
感無量です。
この映画を観て、子供心に感動し……後に水戸鉄道管理局 に就職❗ 平機関区にて 電気機関士になりました………
素晴らしい、羨ましいです、もちろん現役で機関士をなさってるんですよね。
そんな方がいらしたとは!(゚▽゚*)
スーツ「ばい煙って言うんですかね?私のシャツ、真っ黒です」
昔の小学校は、こういう映画を、体育館で、よく上映したっけ♪
子供心に、すごく楽しみだった。
夢を叶えられて羨ましいです。
この年になって振り返えると蒸気を上げて常に定時に発着到着するなんて…奇跡と言うか熟練の職人だよなぁ~
「取手通過あー」「取手通過!」「後部オーライ!」「はいっ定ー時!」「定時ー、定時なったんですね!!」機関士おもむろに一服……ああ、この瞬間とてつもなくカッコいい!!。鉄道マンの御乗客の皆様を一分一秒違わず、安全に目的地に着ける様に奮闘される職務に対する必死さがひしひしと伝わって来ます
ありがとうございました。
なんだかんだ、働く男のタバコかっこいい。
おっしゃるとおり!ここで震えました!かっこいい!
転轍手さんの「定位ヨシ!」も地味ながら全身で鉄路を支える姿がひしひしと感じられ、痺れる格好良さがあります
RUclipsがなかったら、たぶん一生巡り会えなかったと思う
この時代に産まれていなかったのに猛烈に懐かしさを感じる錯覚に陥る。。。
全く知らないのに知ってる。そう遠く無い過去。おなじ日本人。。。
あの時代が今の時代より良いとは思わないけれど、何故か心の奥深い言葉にならない良さ?をジンワリと感じる。
遅れを回復した後の一服がめちゃくちゃカッコいい
先日発売の蒸機EXで昨年、小沼機関助士がお亡くなりになられたそうです、ご冥福をお祈りします。
汽笛も遠く。支えてきた人々の労苦と功績を大事にして欲しいですね。
今の鉄道は便利になりましたが、次第に、その財産を放棄しつつ見える時があります。
天国で、あの映画の撮影のときはなあって語ってるんだろうね。小沼さん、大往生だと思います。
この時代の上野駅。私は小学生児童で満員列車から降りられず『降りまーす!』と叫びながら客車通路を進んでいると、客車の各窓が押し開けられて、見知らぬオジサン達がホームの駅員へ『子供が降りるんだって、待ってやれよ!』『子供が降りるからさぁ!待てるだろ?』と怒鳴りながら発車を静止してくれた。
私がホームに降りると、汽笛鳴らして列車は動き出し、窓がパタンパタンと閉まる音が聞こえた。
想像しただけでも素晴らしい光景が目に浮かびますね。日本はいつの時代でもこうで無きゃ駄目ですよね🙂
まさに短編映画の1シーン…。
正義を愛する鉄道愛好者が、戦後の何かを知らないままに正論を言う。
満員の客車から若い母親が子を連れて難儀しているのを見ていた当時の男性たちは大半が戦時中は戦争経験者たちだ。彼等が失った様々な財産や命は計り知れない。単純に幼い子供が『降りたい!』と叫ぶとき、(駅員、何とかしてやれよ)と思ったからだ。遅延?
知らねぇよ。向こうに着いたら俺達が急ぎゃ良いんだ。
親子だろ、おろしてやれよ。
@@chimaira1977 ちなみに今でも、私の地元ではよくある光景ですよ。
「おーい!待ってくれ~!」
そう言えば発車後だろうと汽車は止まってくれますし、場合によっては言わなくても止まってくれます。
山陰の、汽車が何時間に1本などという環境だからかも知れませんが。
田舎の駅では、今でもそういう感じですよ。列車の本数が少ないですからね。
駅員「業務連絡、業務連絡。622D、跨線橋2名、学生です」
みたいな感じです。
この映画を初めて観た時、先ず最初のC62が坂を驀進してくる描写で釘付け。
現役時代のC62の本気の走りを知らない世代としては、正に歓喜驚嘆。
SLファンのバイブル的存在の映画だと思います。
ありがとうございます。この映画は35ミリフィルムで撮影されています。ニューヨークの映画祭では、35ミリで上映されました。労働組合に取材して、丁寧に作られています。以前は、鉄道博物館でも上映されたと聞いています。
教育映画なのにスゴい美しい映像…
ありがとうございます。
機械化、コンピュータ化がいくら進んでも仕事の本質とは何かも感じ考えさせる素晴らしい記録映画ですね。
何回も見てその度に発見があります。
小さなことですが、機関士の検査用ハンマーは個人の持ち物であり、機関車の備品ではないのですね。
ちょうど医師の聴診器と同じように。
定時に戻してから一服する仕草がかっこいい、さぞかしうまいんだろうなぁ。
ありがとうございます。 土本典昭も煙草が好きでしたから、そういう場面が採撮れたんだと思います。
今だったら懲戒解雇ですね
一見危険に見えるけど、全ての信号と踏切と危険箇所が頭に入っていて、安全な区間でタバコに火をつけてるのだと想像する。
今でもJR貨物の機関士は眠気防止の意味を含めて喫煙が認められていたかと思いますよ。
今から50年くらい前、どの職場も喫煙は男ならあたり前の時代でした、機関士にとって定時は金科王条の時代です、この映画は三河島事故の国鉄はしっかりやっていますよ的な映画です
三河島事故の原因とされる貨物列車のオーバーラン、当時、常磐線は超過密ダイヤで、電車区間の蒸気機関車列車は非常に危険な状態でしたATSが必要とされていましたが、予算がないとの事で見送り、結果事故を出しました、さらに
超過密の東海道、鶴見事故も起こしてようやく
人々の注意力に頼る事では駄目な事に気付き新幹線でいまだに事故がないシステムが構築されたのです。
55年前頃、北海道の我が町の私鉄で兄が機関助手としてC11に乗務していた。高校も函館本線で通学しSL全盛でした。京都までの修学旅行専用列車は青森~盛岡までSLでそこから上野までは電気機関車でしたが、トンネルに入ると皆反射的に窓を閉めて大笑いした思い出がこの動画のSLの排煙を見て蘇りました。今は栃木県の我が町の駅のSL(C12)にいつまでも長く走ってねと挨拶するのが愛犬との散歩日課です。
万一事故を起こした場合、疲れていましたという弁解は通らない
これは深い
ありがとうございました。土本は当時、国鉄の労働者に取材してつくりました。
何度見ても見飽きない素晴らしい映画。
しかし、この映画の根っこにあたる部分に三河島がある事を頭の片隅に置いておいて欲しい。
ありがとうございます。
土本典昭監督の映像の切り取りは本当にすごいと思います。交通博物館で良く見た映画でした。水戸での貨物の入換、電気機関車やディーデル特急をさりげなく映し、事故車両と学園での信号喚呼、踏切支障訓練を絡ませたり、遅れ12列車が取手までに3分の遅れを回復させるところ、上野での小荷物取扱など土本典昭監督らしさを見せる映像でした。水俣三部作にも通じるところもあったと思います。本当に懐かしい作品が見れたこと、本当に感謝です。
とにかくカッコいい!男の中の男の職場、っていう感じがします。
ありがとうございました。
最高の映画です。
国鉄好きには、たまりません!
最高時速95km/h...運転中に石炭と蒸気圧で速さを調節して3分の遅れを定刻通りのダイヤに戻す...やっぱり国鉄職員の運転技術は高すぎる...
これぞ男の仕事。そう思いました。とても良き作品ですね。有難うございます。
ありがとうございました。嬉しいです。
終着の上野駅に近づくにつれ、妖艶な都会の夜のネオンに照らされ、汽笛の雄叫びをあげる蒸気機関車の姿も、またなんともいえず魅力的である。
機関助士として出演された小沼さんはこの映画が公開された時点で機関士に内定しており、クランクアップの翌年に機関士に昇格されています。
ありがとうございます。
クランクアップ→撮影終了
撮影終了の前に公開?
言いたいことは何となく解りますが…
後年には電車運転士に転換したそうです。
なお小沼元運転士は2020年残念ながら鬼籍入られました。
何度見ても素晴らしいですね。
出てくるもの出てくるもの全てが惜しげもなく本物、というのが実に素晴らしい映像作品ですよね
電車と機関車どっちも常磐線走ってる不思議な光景
凄まじい定時安全運行に対する執念が素晴らしい。
世界に尊敬される日本の鉄道のDNAを見た。
ありがとうございます。
大変懐かしく見せていただきました。学生時代は常磐線でしたので、感動です。急行みちのくC62 D51 特急はつかりキハ81 初の交直両用401系とEF80 国電区間はまだ73型で、同じ時期に見られた貴重な時代ですね。この時期は、夜行特急ゆうづるもC62の時代ですね。
喜んでいただいてうれしいです。私は、鉄道はほとんど知りません。お教えいただきありがとうございました。
昭和38年ですので、ゆうづるはまだ登場していませんよ。
ゆうづるの登場は昭和40年で、電化区間が伸び、平(現いわき)↔仙台の間のみC62が牽引していました。(約2年間)
乗客の見えないところで尽力し、何事もない日常を支えるのが鉄道員の使命であると...
この時代の常磐線。機関車だけでなくATCやCTCはもちろんATSもなく列車運行が鉄道員の手作業で安全&定時運行、列車本数捌いていたのが凄いと思います。
貨物列車のD51はカロリー低い低品質石炭で長大列車牽くとか聞きましたし当時の苦労はたくさんあったでしようね…
ATSはあったけど?
@@冷凍唐揚げ 言い方が悪いっすよ…
正直、ATSを設置するに至った三河島事故が1962年の5月で、この映画が1963年のものだとすると、制作段階では設置されていなかった可能性はありますね。
確かに、ATSが設置された蒸気機関車があるのも確かではありますが。
みとー みとー みとー
水郡線乗り換え みとー
ホームのアナウンス、何回聞いても味があるわ
3:19
ときどき運転される高崎のD51のときは、ホームのアナウンスもマイク、発車もベル、そこまでやってほしいな。
昔の国鉄の「伸ばしかた」にはいくつかの特徴的な癖があり、特に目立つ代表的なパターンは
「え」が「えー」ではなく
「えい」や「えーん」になる
パターンですね。
【例】
はこーだてい
よこーてーん
名作が視聴できるようになって嬉しい限り。
401系が既に登場し、電車化が進み、主要幹線の蒸気機関車は晩年期に入る頃だろうか。
現役の蒸気機関車がフルパワーで驀進、夕ラッシュ時の都市部を走るシーンは圧巻です。
Yes, this film Is fantastic ! 🇮🇹❤️🇯🇵
むちゃくちゃカッコイイ
Appreciate the english subtitles, I'm a big fan of Japan's steam locomotives.
昭和62年頃都内の書店でこの鉄道ビデオ見つけ購入しました。今も保管しています。何度見ても感動します。
有難うございます。土本基子
子供達が訓練生と一緒に走ってて可愛い
そうですね。
8:07〜8:21の話は
なんかグッと来た
どんなに技術が発達しても最後は人の判断
で動かすと言うことの大切さを改めて思った✍️
現在でも水戸ー東京を仕事で往復し利用。映像の水戸駅や幼い頃に眺めた三河島より日暮里駅の構内、沿線のネオン、上野駅荷物扱いなど記憶と一緒に当時の音や匂いが懐かしい。蒸気の美しさや支える鉄道マンの力など。ストライキ乱発で崩壊した国鉄の労働環境が惜しまれます。
ありがとうございます。
見応えのある短編映画だ。この当時の国鉄の風景はどの断片を切り取っても、「味」がある。職員はプロフェッショナルの集団で、まさに職人の世界。一方で、この時代には、既に国鉄労働医学研究所なるものがあり、機関士の疲労状況や勤務環境を科学的に研究していたことがわかる。映像の編集は,、ブレを恐れず短い動感あふれる駒を重ねる手法で、37分の全編をあっという間に飽きさせることなく見せてしまう。良き親方日の丸時代で、その後、民営化され合理化の名のもとに安全性を犠牲に収益の追及に走り、福知山線脱線事故に至ったわけだが、この当時の良き時代の国鉄マンの躍動感が見事に記録されており、第18回 芸術祭文部大臣賞 教育映画祭ー一般教養映画最高賞を受賞したというのも頷ける。
ありがとうございます。土本基子
いや~EF80新製時、なんだか新鮮に見えます。さすがに蒸気は、知らない世代ですが、子供のころEF80牽引の旧客仙台行や貨物を荒川鉄橋で見てました。良い時代でした。
ありがとうございます。
@@映画同人シネアソシエ 自分で所有していた。テープがダメになり諦めていましたが、動画UPされ拝聴することが出来ました❗ありがとうございます😄
@@トヨトレタキタキ お役に立ててうれいしです。
もの凄く貴重な映像を有難うございました。🚂
視聴:令和4(2022)年9月27日。
「12列車、3分遅れ現発」から始まる回復運転は最高の見せ場ですね
ありがとうございます。お楽しみいただいてうれしいです。
機関士さんが国電区間に入ってから吸うタバコ。
実に美味そうです。
人のめんどうの見方や、人のさじ加減で走りが大きく変わる。だから機関車にも人間味が出てくる。これも蒸気機関車の魅力の一つだよなぁ
私もそう思います。ありがとうございました。
私はあなたのビデオが本当に好きです。 日本語が話せないのでごめんなさい。 お時間と労力をありがとう。
私は英語が出来ません。ありがとうございました。
やはり、C62は大迫力ですな・・・。私が中学生の頃夢中になっていました。
安全に運行義務は機関士のご苦労のたまものですね。貴重なものを見せて頂きました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
機関士は注意力が必要ですね。尊敬します
生まれたころには無かった景色で興味深いです
貴重で美しい映像をアップしてくださって感謝いたします。62歳の私が鉄道ファンになった頃は、蒸気機関車、あるいは蒸機でした。そのあとの、いわゆるSLブームの異常な盛り上がりに嫌気がさし、一気に熱が覚めてしまいました。なので、「SL」という言葉が嫌いです。でも、やっぱり蒸気機関車は素晴らしいです。
コメントありがとうございます。
この時代に国鉄労働医学研究所なるものを発足させ、機関士の疲労状況や勤務環境を研究していたことは驚愕に値する。
鉄道輸送という事故が絶対に許されない環境での労働条件の精査。今はどうでしょうか。
バス運転士やタクシードライバーに至るまで、コンビニのアルバイト並みの労働条件です。
ですが、事故が起こった時だけ、プロなのに・・・という批判を受ける。小泉・竹中構造改革が
必要である雇用条件までをも破壊しつくしてしまいました。効率という免罪符はいつまで叫ばれるのでしょうね。
@@猫発見Yosi
本当にその通りです。
「疲労が原因で」「過重労働が原因で」という言葉をよく聞きますが、こういった研究を今も続けていれば起き得ないことです。
Wonderful video , some scenes reminded me of O Winston Links steam photography, was fortunate last year to travel on two steam hauled Japanese trains.
Thank you
3分の遅れを取り戻すのにどれだけ大変なのかがよく分かる。
それにしても最高速度が95km/hには見えないくらい速い
ありがとうございます・。
矜持で定時運行の任務にあたる機関士の方が、「あの煙が…」と仰るシーンに胸打たれました。
全力で蒸気を操っているプライドより、当時は電気を操縦したかったのでしょうかね?
こういった変遷の時期、職員の方々も複雑だったのかと、勝手に思いを馳せてます。
貴重な映画、ありがとうございました。
定時に回復した時、機関士が煙草に火をつけるシーンに、時代を感じました。
そういえば、いろいろな博物館で電車や機関車の運転室に入りましたが、
長距離列車用の運転席には、ほぼ全てに吸い殻入れがついてました。
今だったら、大騒ぎになりますね・・・
ありがとうございます。
今でもJR貨物は眠気防止のために喫煙と水分補給が認められていますよ
電車にはなかったと思います。実はこだま型電車や東海型電車といった長距離電車を作るにあたり、当時国鉄の技師だった星晃さんが「長距離運転に備えて灰皿つけましょうか?」と言ったら「そもそも電車の運転中は禁煙です!」と激怒されてヤンピになったと回想されてます。一方、機関車は昔から眠気防止のためむしろ喫煙を推奨されており、現在に至るまで灰皿は必須の装備になってます。電車の場合こだま型まで客室から運転席が見える(湘南電車はデッキからですがそれでも見える)という理由もあったそうです。一方気動車は機関車から別れたという歴史的事情から国鉄時代は灰皿が付いていました。
感動する作品です。大変な職業です。再確認しました。
ありがとうございます。ご登録ありがとうございました。
引き継ぐ際の火床を整えることを釜換えと言います。普通一駅半前の地点を通過するときから始めます。
スイッチ1つでパンタを上げて、マスコン1つで列車が動かせる今と違い、
石炭と水をくべて、沢山の弁やハンドルを操作しながら安全に配慮しつつ定時運行していたこの時代は如何に大変だったか、、、
なんと素晴らしい映画でしょうか!今時の映画制作者に見せてやりたいです。
18:14 のダイヤグラフ見てたら鉄道ファンとは言えど見てみるだけで頭が混乱する
10:52 動画に映る機関車の廃車体は常磐線三河島事故の事故車D51 364らしい。
運転室潰れてるからそうだと思う
これ、テツ趣味の師匠にVHSを借りて見ましたね。当時の常磐線の様子とかがわかる貴重な映像作品ですよね。
C62も素晴らしいけど、最後の上野駅の荷物車の積み込みの掛け声が貴重
文章では見たことあるけど音源は珍しい
ありがとうございます。
係の方1:おおふなわたし~
係の方2:っ、おおふなと。
一つ一つお二人で確めながら積み込まれるんですね。
@@yonayonamytube 40年以上前、旅行用の指定券をみどりの窓口のない自宅近くの駅で購入したことがあるのですが、窓口の駅員が鉄道電話で乗車券センターとやり取りし列車番号や乗降駅名、座席種や席番などを口述・復唱しながら丹念に手書きの補充券に書き写していくのを幼心に興味深く見ていたのを思い出します。
@@hiroakikon はい小さな駅の出札口のガラスの向こう側で駅員さんが「最初のひとつ号車」→1号車 とか「6番チャイナ、デンマーク」→6C(席)6D(席)とか、間違いを防ぐための隠語や符丁、電略の言葉をたくさんつなぎ合わせて復唱さらに復々唱と繰り返して1枚の手書き特急券を発券する様子、私も見入った(聴き入った)記憶があります。最後にそろばんをしゃーっといれて「乗車券特急券合わせて◯◯円になります」よみがえりました🙂
その後マルスでの発券になり味も素っ気もなかったけど、それは格段に省力化されたはずと実感したものです。
@@yonayonamytube そうそう、〇つ号車の△番のアメリカ、ボストン、チャイナ・・ね。そうやって発券された切符を渡されると、何かとても遠くに行くような気がしたものです。
遠い知り合いが昔尾久機関区に所属していて急行『みちのく』をはじめとする列車の乗務をしていました。
上り列車が遅れたら取手までに定時をとって上野までは、それまで以上に安全に気をつけて走ると言う話もよく聞きました。
SLを運転する時は機関士と機関助士のコミュニケーションとコンビネーションが安全運転の為の第一歩だと教えられた事は今でも鮮明に覚えてます。
運転手の方たちは、安全に気を使って、とても真剣に運転されていたようですね。
@@映画同人シネアソシエ 良いえいかですね
英語字幕版初めて拝見しましたが、訳がいいですね!"Approaching Nippori! Cleared Nippori!" とか小気味いいです!・・それと実際の当時の急行「みちのく」は水戸ー上野間は無停車ではなく確か土浦に停車していたはずなので、もし実際に水戸出発時に3分遅延ということがあったならばそれを取り戻す困難さは映画以上だったかもしれませんね・・
ありがとうございます。英訳は当時国際交流基金のつくってくれたものを利用しています。
ラストシーンで中島機関士が報告書を書いていますが、水戸を3分遅れで出発して土浦は2分遅れで到着。2分遅れで出発と書かれています。水戸~土浦間で1分回復、土浦~取手間で2分回復。取手通過定時、上野到着定時です。
報告書をよく見ると尾久の機関区を定時に出発して上野定時到着。下りは上野定時発車で取手定時通過。土浦定時到着で水戸定時到着と書かれています。最後の小沼機関助士のナレーションで「12列車、上野定時到着、特に異常ありません」の言葉は凄く重みを感じます。
(本編では内原通過時に30秒回復、神立通過前に「遅れを1分縮めた」とナレーションが入ります。神立通過後に1分半遅れの呼称がありますが、駅の通過時間が長すぎるので報告書の通りだとすると土浦出発後のどこかの駅になります。ですが、全て台本通りです。なので土浦停車は敢えて本編に入れなかったのだと思います。)
@@radiotanpa はい。この「特に異常ありません」の報告からすべて逆算して、3分遅れでもらった12列車を運転されたと思います。水戸発車後に「土浦の第2閉塞で閉める」と言われています。そこまでは許容範囲のフルパワーで行くから、圧力が欲しいと、取手定時通過への回復運転プランを描いておられる。お二人の凄まじいプロ意識と、その貴重な記録に感動しました。
14:14~
バス運転士をしているがこれは確かにその通り。
一度の誤りも許されない・・・ 今の鉄道や貨物・旅客自動車の乗務員にこの気持ちを持っているものはどれだけいるだろうか・・・
ありがとうございました。
100人に1人いるかどうかですかね。
みんなスマホやタブレット見ながら運転してます。
私は元鉄道整備士で、現バス運転士です。
まったくその通りだと思います。
整備士の頃、自分の簡単なミスで何千人も死ぬことがあると教えられ、今その経験がとても生きていると感じます。
鉄道と比べてバス業界は色々あって擦れてしまったようで…本当のプロ意識を持った人は今は少ないかもしれませんね…
@@e257ad さん
僕は逆にこれから鉄道業界入り希望の元バス運転士です。
たしかに鉄道は大量輸送なんで何百何千単位の命を預かる仕事ですね。
おっしゃる通り、トラックバスタクシーは本人の意識の差が大きく技量やサービスの差に表れてますね。
左折の巻き込み事故は左の側面の衝突からはじまるのに、左にある左折巻き込み防止窓に目貼りをするバカなトラックだらけです。
後輩運転士に、左折巻き込み事故は左の側面衝突から始まるから、前扉直接目視と左のミラーとを確認してからハンドルを切るように何回も言ってるのに、ハンドルを切りながら確認をする始末。
確認後にハンドルを切らないと、気づくのは巻き込んだ後になるよ。
と何回も言ってもウザがられるだけでした。
危険を予測した地点で停車する前提でブレーキをかけながら近づき、ヨシ!安全に進行できると判断するまではブレーキをかけ続けるのが大事だと言っても全然やらない後輩ばかりです。
お客さんにも最低な対応。
車椅子の方の乗降があった時は車庫に無線機で
車椅子のせいで10分遅れ
と一斉送信、で、バカな他の運転士も
おつかれ~
と返事する始末。
トラックもバスもタクシーも誰でもできる仕事とバカにされるのはこんな奴らがほとんどだからです。
僕が母のお腹の中にいる時に、つわりがひどくてゲロゲロ吐いてるのに病院まで送ってくれたタクシーの運転士さんがいたと母から聞きました。
その運転士さんは母が気持ち悪くならないように滑らかな運転をしてくれて、吐きたくなったら吐いてもいいよと優しく言ってくれたそうです。
昭和の頃は腕も心もあるドライバーがいました。
今は腕も心もありません。
仕事に誇りを持てない素人ドライバーばかりです。
車両感覚だけの奴らだけです。
なんなんですかねぇ😢
バスの運転士や二種免許を取得した人に勘違いする人が多いように思います。
所詮、ハンドル家業なんてもんは積荷がなんであろうと雲助なんですよ。
トラックだろうと、バスだろうと
車をぶつけずに、客から文句を言われ無いように走りゃ良いだけの話じゃないですか。
人の命は大切で
牛や豚はどうせ死ぬんだから大した事ない
そんな考え方だからバスの人がトラックに乗っても続かないのでしょう。
誇りを思って仕事する事は大切ですが、他を見下すような心では人には伝わらないでしょう。
人に教えると言うのは
相手を尊重しないと
何を言っても伝わらないのでは無いでしょうか?
相手の悪い所を言うだけなら悪口とかわりませんよね。
『ある機関助士』(あるきかんじょし)は1963年(昭和38年)の日本国有鉄道(国鉄)企画、岩波映画製作所製作の日本映画。
この頃のお父さんたちの『働いてる感』が濃い!
ありがとうございます。
上野到着後の機関助士のピッチングシーンは実は台本上の演出だったそうな。小沼さんは役者でも無いのに監督の指示を受けて、気恥ずかしさの余りNGを連発したとのこと。
あんな凄い仕事が出来る人なのにカメラには緊張するなんて、本当人間には得手不得手があるもんだ(連載「SL甲組」の肖像 第27回 水戸機関区 「ある機関助士」伝より)。
すごい!
ありがとうございます。
プロフェッショナルとしての賞賛に値する。しかし同時にこの状況のままではいけないと思わせる映像。
ありがとうございます。その通りです。この映画は1962年国鉄ではオリンピック準備に伴う資材運転や、タイヤの過密化がすすみ 労働強化を強いられていました。その時のおこったのが、三河島の大事故でした。国鉄当局は原因は労働者の過失であると結論づけます。その疑いを払拭させるために、国鉄当局は国鉄の安全をPRする映画を企画しました。安全装置のATLに関する映画です。
しかし、 土本典昭たちはこの事件の原因は、国鉄労働者の過密労働であるとし、このような映画のシナリオをかきました。国鉄当局も、このシナリオは良くできていたので、このシナリオを採用することになりました。この映画の中には、分刻みの過重労働の実態が描かれています。労働組合の協力を得て、蒸気機関車を映画のために走らせました。ダイヤをくみ、ち密なカット票の元に、電車を走らせて撮影しています。イギリスにも夜行郵便列車という名作がありますが、この映画も日本映画の記録映画史における機関車映画の傑作だと思います。
まだ一般型客車の塗色がぶどう色2号から青色15号に規程改正される前だから、『みちのく』の茶色に統一された長編成が美しいですね。
12列車上野定時到着、特に異常ありません。
淡々としたエンディングにやられたのは俺だけではないはず。
ありがとうございます。
35:36
ここで投げているのは郵便小包(現ゆうパック)ですね。
昭和の郵便局では、麻ひもで井桁に組んで荷札を付けないと荷物を受け付けてくれなかった。
郵便局の集配袋や新聞の束も、国鉄の駅に着くと客車扉からポンポン投げてたなあ。
この映画は三河島事故をきっかけに乗務員の苦労を啓蒙するために作成したそうです。
このあと数年で新幹線開通。リニアの基礎実験も始まる。
やはり日本には鉄道がすごく良くマッチする。
喋り方がベテランのじぃじと同じ感じで好き🥺
今は懐かしのレーザーディスクを持っていますが、オープニングは異なりますね。
今の水戸駅にも田端の81が駐機していますが、隔世の感あり。
現代につながる鉄道ダイヤへのストイックさの歴史を感じました。
今みたいにハンディやGoProでの撮影じゃあるまいし、映像として残っているのもありがたいですね。
蒸気機関車の真剣勝負の運転が今の新幹線に繋がってるんですね。
最近毎日見てる。
0:47 シロクニだ!常磐線がまだ全線が電化してないからまだシロクニが急行を牽いて活躍してたんだ。
1:47 シゴハチの貨物列車だ!
3:07 水戸機関区だ。当時はやはりデゴイチもここに所属していました。もちろんあの山口線のシゴナナ1号機も高崎のデゴイチ498号機もこの水戸に所属していた時期がありました。
11:38 当時は日本初の気動車特急としてキハ81が最新型でした。
通勤電車が往き来するネオンきらめく都内電車区間に蒸気機関車が侵入する様子は、映画「さよなら銀河鉄道999」で、999号が終着駅惑星大アンドロメダに侵入する様子と被る
ありがとうございます。すてきです。
全て実話、実況だから凄い❗😳
13:42(反応が)速いものに限って事故を起こす。これは本当です。例えば
工事現場に車が突っ込んできた場合、逃げなければならないのに止めようとする。
結果的に人的損害が発生し、後に重大な事故に発展します。大事なのは「命を守ること」
人間は切迫状態では判断に誤りを犯します。確認と安全は表裏一体です。
ご安全に!
テーマにした列車は常磐線経由で上野と青森の間を走っていた急行「みちのく」だね。しかもあの日本最大のSL、C62形牽引だね。それから今年のダイヤ改正で、あの常磐線が全線復旧しました、おめでとうございます!それを記念して、あの急行列車を12系客車と旧型客車を合わせた12両編成を今のEF81に牽引させる形で復活運転すると面白いかも。
ありがとうございます。楽しそうですね。
あの列車の再現にはSLばんえつ物語用の客車に普通の12系を混ぜ合わせるというのも面白いのではないでしょうか。
@三橋美智也ファンの土本基子 そうですか、すみませんね。
でも家にはですね、旧型客車のプラレールとC62のプラレールが3台ありますので、それで急行「みちのく」を再現してみようと思います。
@@仲宗根康太-v5t頑張ってくださいね
色々と意見は、あろうとも…
やはり、一仕事終えたあとの一服がカッコ良すぎる。
そして、遅延〇と書き込む、誇り高い表情の気高さ。
何ていうか、先人達の偉大さ勤勉さと云うものが伝わってくる。
現在の鉄道員は頭脳の労働
この頃の鉄道員は、それに加え明確な肉体の負担が伴う。それ故、ご苦労も並大抵ではなかったと思う。
まさに、頭が下がる想いです。
緩行線ができる前、C62と、72系が、同じ線路上を駆け抜けていたとは、今の常磐線からしても、到底考えられないことである。(20-03-17)
SLの王者C62を運転するために選抜されたエース級の機関士、機関助手なんだろうね。
どちらもイケメン^^ 英語の字幕がいいね! イエッサー、グットタイム 最後の機関助手のピッチングフォームもいいけど、
ここまで激渋でカッコイイ仕事ぶりなんだから、急に子供ぽくなてしまうじゃあないかなあ。
たとえば、片手を腰にあてて夜空を仰ぎ見て仕事をやり切った満足感を誇りに思うような表情でカッコ付けてほしい。
32:27くらいに出てくるカクテルライト、以前南千住にあった、今は無き東京スタジアムのものでしようか。
常磐線での軽量化仕様とはいえ、現役時代のC62の姿。ジーンと来ます。 ビデオ買いました。
11分くらいのところに出てくるD51は、三河島事故の機関車でしょうか。あの事故も幼心に強く印象に残った事故でした。大きく傾いたD51、転倒した73系電車、そのわずか手前で止まった401系電車。そのD51は、しばらく田端に証拠品として保管されていましたね。
申し訳ありません。私の主人が57年前に作った映画なので、くわしいことはわかりません。
ご回答、ありがとうございます。事故が常磐線であったこと、1962年に発生していることなどから、おそらく三河島事故の車両と思います。
父が生きていたら一緒に見たかったな。よろこんだろうな。
23:47 急行「みちのく」に使われている客車の中も本当にレトロだね。
近代化改造前のスハ43ですね。常磐線は受け持ちは尾久かな。高崎で現役のオハ47(元スハ43)は、水戸の前は尾久配置で急行十和田、津軽に使われてました。
一番古い車両ですら製造後12年しか経っていない時代ですから、そんなにレトロではなかったと思います。
土本典昭作品の公式チャンネルが爆誕していたとは!これは事件だ!!
投稿が凄く増えていて、びっくりしています。
ちなみに寝台特急ゆうづるは、SL機関車と20系客車をつないで引っぱってきた世代から、EF80機関車とED75と20系客車、EF80機関車とED75機関車と24系客車
そして、EF81機関車とED75機関車と24系客車の世代でした。
消しゴムで消せない仕事‼️
かなちゅうバス?
取手通過後の利根川橋梁上のジョイント音は完全に110キロ超えていますね 法定上限は95でもC62の場合 制動を緩めるとおそらく簡単に100キロは超えてしまうでしょう ATS導入前であることを考えれば十分ありうることです 例えば「つばめ」は名古屋〜岐阜間は法定95を125ほどで走っていました それは浜松区が大体5分は遅れて入線してくるのを名古屋区が岐阜までに回復して定時に間に合わせていたからです 当時名古屋区には満鉄上がりの自動給炭(ストーカー)扱いに手慣れた優秀な助士が多数在籍していたからできたと言われています 鋼鉄140トンの巨漢が時速125キロというのは通過駅からすると恐ろしいことだと思います
C62ってそんなに出してたんですか⁉︎
今の電車特急と大差ないじゃないですか‼︎
@@渋谷多摩探検隊 正直出ますね。昭和29年に17号機が木曽川橋梁耐久試験で偶然129キロだした時も、乗務員は「別にスピード試験ではないので」橋を渡り終えると同時に制動をかけ始めています。もし橋梁終点(堤防)からの下り勾配を使えば130〜140は出ていたでしょう。しかし設計限界からして130を越すことは結構危険が伴ったらしいです。常磐線の昼行優等列車をC62が牽引する動向を追ったこの映画がインターネット上に躍り出てきた時、名古屋機関区や宮原機関区の乗務員の証言は別に大袈裟だったわけではないことが容易に理解できました。利根川橋梁通過音は特に異様な速さでしょう。おっしゃるように同線区の後の485や681と、さほども変わらない異様なスピードです。
@@渋谷多摩探検隊 1時間半ちょいで水戸と言ってますが、今の「ひたち」も70分とかだし、子供の頃は1時間半でしたから、変わらんですね。
この映画、1960年代後半、(旧)交通博物館で鑑賞しました。
かつて、国鉄時代急行みちのく、特急みちのく、寝台特急ゆうづるの先代でしたが今のJRの世代では、上野東京ライン全車指定特急ひたちとときわの世代になっています。
ありがとうございます。