古典教育はやはり不要なのか【古典廃止論2】
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- Опубликовано: 14 окт 2024
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前編: • なぜ古典教育の意義を誰もまともに答えられない...
参考文献
浅田孝紀(1992)「古典教育の意義に関する一考察」日本語と日本文学
佐々木勇(2023)「古典の原文を学ぶのはなぜか」「国語教育研究」第六十四号(令和五年三月刊)
シラネ、ハルオ・鈴木登美編(1999)「創造された古典―カノン形成・国民国家・日本文学」新曜社
土佐弥(2015)「カノン化に抗う国語科漢文指導:漢文訓読のゆれに着目して」北海道教育大学学術リポジトリ
中西進 (1981)「古典と日本人」 弥生書房
増淵恒吉(1952)「高等学校の文学教育」、「言語教育と文学教育」『教育建設』第八号、金子書房
文部科学省「教育基本法」www.mext.go.jp...
文部科学省「学校教育法」www.mext.go.jp...
文部科学省「道徳教育について」www.mext.go.jp...
文部科学省(2012)「高等学校教育に期待されるもの」www.mext.go.jp...
文部科学省(2018)「高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説国語編」www.mext.go.jp...
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広告について、サーフシャークの広告の差し込み方はとても巧みで好感度が高い。
一方で、前回の動画は凝った広告の挟み込み方でそれを安易に称賛する声も散見されたが、本編と広告の境界がわかりにくかった上、冒頭だけでなく末尾にも広告が繰り返されてしつこさの方が際立ち、またせっかく本編で良いまとめ方をしたのにその後シームレスに広告が続くため読後感や余韻に浸れず、本編がどのようにまとまったかより広告ナッシュの悪いイメージだけが後味として残る最悪の構成だった。
今回この反論への反論動画を挙げることになったのも、前回変な広告の入れ方をして主張(特に最も重要なまとめ部分の印象)が曖昧になり、不用意な反論を多数招くことになったことに一因があると思われる。
今回やいつものサーフシャークさんのように、雰囲気は損なわずとも明確に広告のフェーズだと認識でき、また冒頭に1度だけの方が潔く、不快感も残らない。それでいてきちんとサーフシャークのことは記憶に残るので、広告としてはこれで十分だと思う。
ナッシュは前回の動画以来悪いイメージしかない。
古典といえば枕草子や平家物語の暗記や文法の勉強だったからなぁ…
古典作品を通じて日本文化や昔の日本人の価値観についてもっと教えてもらいたかった。
そうだよねー
現代で古文書けても意味ないんだから先人の価値観とか教えとかそう言う部分を教えるならありだと思う
じゃあ現代語に訳して教えてくれれば良いよねってかんじるなぁ
そういうのをミクロ視点で具体的には心性史、マクロ視点で大まかには文化人類学と言い、俺も好物分野で具体的にはウィキ心性史の記事をお勧めしますが、日本にはその概念が定着していない以上世間はそこに関心が乏しいと言えそうです。断片的雑学的に語られはするけど哲学的な踏み込み方はされにくい土壌にあります。このチャンネルだけでも何度か書いた気がするので詳細は省きますが日本には哲分が乏しいと思え、世界的哲学者はろくに出ていない事がその表れです。
例えばアラン・コルバン「雨、太陽、風」はフランス人が天気とどう付き合っていたかを書いた本で、1874年に隣り合う教会同士が鐘を突き合って雨雲をまじない的に相手側の教区に押しやり合う様子が書かれており、これは古今東西どこの社会でも地域ナショナリズム感情が存在した事の記録です。中国台湾なら隣り合う村同士で「俺らの方が金持ちだぞ」と見栄を張り合う目的で地元の寺廟に投資合戦が行われ、一見貧しそうな村なのとは不釣り合いな豪華な宗教建築が存在します。現代日本でも似たような事はいくらでもあるでしょう。で、それの何が役に立つの? と言われたら、現代日本に有る事はそれ固有のものとは限らないよと言う知恵にもなるし、中韓露にそういう醜く争う様が存在する話をネトウヨが聞いて笑うなら傍観者にとってはそれはブーメランだよという謙虚さに繋がります。謙虚さを忘れると傲慢になり相手を見くびりいつかそのツケを払う事になります。日本古典が好きな人は「昔の人は四季や自然を繊細に感じ取っててすごい!」とナショナリズム感情を満たす事で間接的に個人エゴも満たしたがるだろうけど、中には「当時の人がこれだけの文化意識を持っていたなら同時期の他国なり現代の同レベル生活集団も同レベルの文化意識を持っていたかも?」という発想を持つかもしれません。国分拓「ヤノマミ」にはアマゾンで暮らす彼らが文字を持たないにも関わらず雨を表現する単語が50ある事が書かれていて、それを知る事は彼らを見下さない事や環境が人に与える影響の大きさを実感する事に繋がります。
しかし、これはあちこちで書いてる事なのですが、神経学者アントニオダマシオ曰く「人は最後は情動で決める」、部長さんのような人がどれだけ説明しても古典が嫌いな人は不要で押し切るし、好きな人は説明するまでもなくまず必要という考えからスタートしその方向性を変える事はほとんどありません。心理学的には二十歳くらいにもなれば相対的思想が以後の人生で反対側に変わる可能性は1割程度です。例えば政治経済の左右がそうです。
天皇がクズというのが伝わっていればいいので、目的が違う
小西甚一『古文の読解』みたいなのを授業で教えてくれればいいんですけどねぇ。
今後は文法とか単語は興味ある生徒以外は暗記強要せず、
AIのサポート機能を駆使して量を読ませる方向に行くんじゃないかな。
『あさきゆめみし』に頼らず高校三年間で源氏物語一気読みとか。
古文が不要なのではなく、古文の授業がただの単語や文法の暗記であることが問題なのだと思います。その当時の文化や背景を考え、学ぶべきです。
というわけで土曜日も6時間目まで学校で古典の勉強をしましょう
なんでそうなる?
@@mizzkip そりゃ当然学ぶ事増やせって入ってんだから単純に時間増やす以外ないでしょw
@@ikedayoshio_of_joytoy 単語や文法の暗記を減らせばいいんだから単純に増やせとは言ってない
@@山本-r6u 誰が?
私は法学部に進み、司法試験も受験したので、古典の知識は必須でしたね。法解釈学においては、明治以来の判例を大量に読む必要があり、そのためにはカタカナ漢字交じりの「雖モ」のような表現を当たり前に読む必要がありますので。
また、法律学を離れても「春は揚げ物」の面白さを理解できるようになる「教養」不要論は近視眼的に過ぎ、「国力」を限定的に解釈し過ぎていると考えます。江戸時代の頃から、和算を研究しながら百人一首も漢籍も理解してきた日本の知識人の在り方を「今この瞬間の」最新の知識のみで置き換えることはできない。
因みに私は司法試験には落ち、技術者(システムエンジニア)を30年以上やった経験を持つ人間です。
法曹とエンジニアって、全く違う分野ですね。
大学の受験科目の物理が"物理"と"物理基礎"で分けられてるみたいに、"古文"と"古文基礎"で学ぶ内容を分けたら色々うまくいくんじゃないかな
大賛成です
国学(古典基礎+漢文基礎+日本史基礎)とういう科目があってもいい気がします
既に分かれてますよ。
高校1年生は『言語文化』という科目で基礎を学び、高校2, 3年生は『古典探究』という科目で発展的な内容を学びます。
自国の君主の歴史すら知らない日本人がグローバルがどうの、建国神話や自国の歴史を知らない日本人が他国にどうこうできるなんてイギリス人が日本人を馬鹿にするわけだ。
@@自由律俳句とかいう無法地
受験科目としては分かれてないよね?
@@zz7787言語文化は共通テストに出るけど古典探究は出ない
結局、教師陣も国民の大多数も受験のためのただの暗記科目と認識してるから意味の無い論争になっていると思う
現状ほとんどの入試科目は単に選抜に便利だから用意されてるだけであって教育目的なんてさらさらあらず。
@@Hoffmann-j5y 英語や数学、物理なんかは覚える扱えることが生活に直結しやすいので、問題しされないというだけな気がしています
残念ながらそうだよね
欧米と違ってアジアはテスト文化だからテストのために勉強する
教育基本法の理念からは離れてると思うよ
@@MaronBard2
それならば、6年間も(小学校を含めたらもっと)教えているにもかかわらず、外国人と初歩的な日常会話すら成立させられない日本人が多いのはなぜ?
9:10古典教育の方法と同様に、英語教育の方法についても議論の余地があると思います。
@@自由律俳句とかいう無法地 やる気と知性の問題じゃないですかね
果たして共通テストを受験する数十万人のうち、原著から学びを得たいと思う人はどの程度いるのだろうか、実際に原著を読み切れる人はどの程度いるのだろうかと思います。
国語を、現代文と古典、で分けるのではなく、論理的思考とその運用(コミュニケーションとしての国語)と、日本語の歴史的文脈の理解(教養としての国語)というように分けた方が、文科省のいう「大学進学や就職等に必要とされる教育」に近づく気がします。
歴史的文脈の理解という意味では、今のようなテクニック偏重の授業ではなく、当時の人たちがなぜそのような文学作品を遺そうと思ったのか(当時の社会的状況や、人々にとっての誘因)を中心として学ぶべきだと思いました。
なるほど、「教養としての日本語」という考えはとても腑に落ちます
今の高校生は現文と古典ではなく「現代の国語(説明的文章や資料など)」と「言語文化(文学的文章と古典)」に分かれますよ。
@@アイネクライネナハトムジーク-q2i 科目の名前としてはそうかもしれませんが、共通テストを見ればわかるように、その実は「評論文・随筆」の現文、「古文・漢文」の古典、に分かれていますよね。
ロジカルシンキングであったり建設的なコミュニケーションだったり、社会人で困難を感じることが多い部分によりフォーカスしては、という提案なのではないでしょうか。
それからあなたの「今の高校生はAとBに分かれます」というコメントは日本語として不適切で、「今の高校生が学んでいる科目はAとBに分かれています」の方が適切だと思いました。高校生の頃にしっかり勉強してなかったんじゃないですか?笑
それだと、探究活動か知識・情報の暗記の科目になるが、成績処理やテスト作成の基準・妥当性がまとまらない。加えて、探究活動は生徒にある程度の学力とモチベーションがないとうまくいかない。全体として、現実的にそういう科目は難しいと思う。
@@空回駄太郎 まぁ均質な教育を届けることを優先するならば抜本的な見直しは難しいですよね。
そういう意味で、毎度お馴染みの、日本の教育が天才の芽をつむ的批判に戻ってしまいますね。
「教養の話をするなら、『漢文は読めないけど、現代日本語で論語、史記、三国志演義を全部読んだ』っていうのと、『漢文の読み方は覚えたけど論語やらなんやらは読んでません』ではどっちが教養がある?』
「古文は甘えすぎ。古文や漢文以外にも学校教育に取り入れてほしいけど時間が確保できないから諦められてる科目なんていっぱいある。『春は揚げ物で受けるから役に立つ』で認めてもらえるなんておかしい。」
これをツイッターで見て考えさせられた
二元論で語ることには限界がある
古典学習としてくだらない受験対策の活用系の暗記に徹した内容である限り古典教育がゴミであることに限りは無いとおもう。
日本の教育の問題は受験の採点の公平性に囚われて減点主義と採点方法が楽な内容にあることに起因する。これは古文漢文だけではなく現代文、英語、社会科、あらゆる科目でも同じ。この入試偏重の教育すなわち高校以下がいい企業、いい大学にはいるための対策機関である限り終わらない
@@Hoffmann-j5y本当にその通り。結局、答えが定型になる数学や一部の理系科目にしか使えない平等な採点方式を、国語や社会科の科目に無理やり押し付けてるのがひずみの原因。
答えが定まらない→他の人から完全否定されない→言ったもん勝ちになる学問なのだから、自由学問と言う分類で、芸術や哲学とひとくくりにすべき。
古典の活用形暗記が現代文の活用形暗記より優先されるのはおかしい。後者が分かれば現代で使われる誤用された言葉の誕生理由にも大方説明がつくのに
古典教育が不要とは言わないけど、共通テストの配点は見直したほうがいいと思う。現在使われてる日本語が100点、過去に使われていた日本語(古文+漢文)が100点、同じ比率はおかしいよ。
あとテストのために活用形を暗記させるような教育よりも、和歌などをじっくり解説したり日本人としての感性を養うような道徳的な教育のほうが望ましいと思う。
追記:
道徳的な教育→古典教育を古代文学として芸術を嗜む科目(例:美術や音楽)として存続させるようなイメージです。
和歌なんて 生成AI でも作れるじゃないですか。役に立たないですよ?
@@北島けいすけ専門バカの典型みたいなコメント撒き散らしてるの迷惑
まぁこういうやつのコメントが反論の理論武装に使えるからありがたいとも言えるが
2025年度から、資料読解である「実用的な文章」が追加され、現代文が110点、古文が90点になりました。
文科省も古文を減らしたいんですかね?
@@北島けいすけ 君の作った内容のないコメントよりも、生成AIで作ったコメントのほうがもっと面白いこと書いてくれそう
@@Leereheit 相手の人、冷静に話せず感情論であちこちコメントしまくってるから、おそらく文系の人との間に何かあったんじゃない?
「好きな子が文系の男とくっついた(自分は何も動いてない)」とかそんなやつ
前回のコメを古い方の300くらいと今回のコメをここまで60くらいを読みましたが感想は
・部長さんほどの人がどれだけ説明しても人の心はほとんど変わらない
・前回コメトップ固定されてる部長さんの補足を読んでない人は読んで欲しい
・人文科学を一通り齧ってるつもりだったけどこの手の命題にすらうまく答えられない自分の無能さを実感
・三国志と水滸伝が好きでも金瓶梅と紅楼夢は無理だったように源氏物語マジ無理。かと言って平家物語も萌えれなかった。トルバドゥール叙事詩も無理。恋愛ものでもホスローとシーリーンなら行ける。自分の性癖の理由をなんとなく分析理解してるけど他人にとってはどうでもいいので略。俺も興味が無いものはどれだけ説得されても関心持てない。必要性や意義は分かります。部長さんに異議ありません。
結局理解はできても納得はできない
自分にとってはやはり不要で苦痛だったってのが大きいのでしょうね
文系の学問なんて適当だから命題にそもそも回答なんかできないですよ。数学ができないやつらが集まるんだから
@@北島けいすけそれ言い出したら理系はお前みたいな文章を理解出来ない奴らばっかになるぞ
金瓶梅のこと、世界史の先生がエ□本だったって言ってて笑った
@@北島けいすけ人文学学べ。
教育は大体は受動的になりがちだから自己の利益につながることを教えろみたいな意見が多く出てくるよね
何のために教育が行われてるかという国の考えや国益の視点が抜け落ちてることが多いから一連の動画良かった
個人的に古文は内容を味わうより文法と単語に終始することが多いからあまり面白いものではないけど短い文で様々な情景や思いを伝えてくる和歌は面白かった
じゃあ生成AIに和歌を書いてもらいましょうか。人間が書いたかどうか、判別できたらあなたの勝ち。できなかったら、生成AIがあなたの古典
@@北島けいすけ え?なんで?
@@北島けいすけ突然人に勝負を始めさせるなwww
「その提案は面白いけど、和歌の評価は主観的だから、人間とAIの区別は難しいかも。AIが優れた和歌を作ることもあるけど、それはデータの模倣に過ぎない。和歌の本質は人間の感情や歴史的背景に根ざしているから、AIには完全に再現できないと思うよ。」
……って、ChatGPTが言ってるよ
そもそも現代教育における国益と個人の利益の違いって何?
国益と言えども全体幸福つまり国民の幸福という意味に還元できるし、個人の利益(=より実用的な教育)も国民の能力を底上げするという意味では国益では?
・古文(古事記・日本書紀を含)の現代語訳を読むこと
・日本史の大体の流れを読むこと
はまだ国民意識の醸成に重要だと思うが、
・文法や当時の語彙を学ぶこと
には、最早"国民意識の醸成"には無意味では。
現代日本語は現代の国民意識に役立つ一方、古典日本語はそうではないと考える。
かけ離れ過ぎていて"ゲームの架空言語を教えるのに法や税金を費やしている"のと何ら変わりはない。
江戸時代当たりまでならまだマシ。
古典って他の科目に比べてつまらないと感じた時の言い訳がしやすいんだろうな
わかる笑 英語や理系科目なんかは反論しやすいしね笑
この淡々としたお声が唯一無二で大好きです
さりげなく前回の「けりをつける」を入れているのも細かくて上手い
給食の話が出たとき、またnoshの宣伝来るか!?って思ってしまった。
「いる」「いらない」ではなく、「いるけど、重要性はもう少し低くてもいい」って感じ
選択科目でいい。現代文と、古典or漢文を必ず取るみたいな感じにして空いた授業時間を他のに回したほうが良い。
@@hadooookenそんなことしたら理系がほぼ全員が漢文とって、古文選択者が試験で点数的に不利になり結果古文が教育から排除されそうだな。
@@浪々 まあ未だに残り続けてる地学のようになるのでしょうね。
教育自体は高校内で完結してるはずなのに、大学入試で課さなきゃいけない謂れがあるのかわからん。
「古典教育で醸成される国民意識が国益に寄与する」という前提を立てて話を進めているけど、そもそも古典教育で国民意識とやらが本当に醸成されるのか、もしくは古典教育が最適解なのか、あるいは国民意識を醸成することが本当に国益にかなうのかともっと根本的な議論をすべきだと思う。
アフリカのサハラ以南の黒人には共有する古典・神話が無くなって、今じゃ陳腐なSF映画が神話扱いされてるんだよ
こういう事実を目の当たりにすると、動画主の主張は正しい
@@ヤマダタイチ-t5l動画主の主張だとその陳腐なSF神話でも国益、国民意識の醸成に役立つなら有意義ってことになると思うけど。
国民意識がなくて、個人の利益を最大化する事を優先する人ばかりになると、優秀な人は基本的にアメリカの方が稼げるんで、優秀な人ほど日本を捨てて出ていく事になり、国益にはマイナスになりそう。実際にアラブ以外のアフリカはそうだし、すでに日本もそういう傾向はあるが…
国民意識の醸成は古典だけでなく、古事記・日本書紀とか、浮世絵から漫画とか、祭り等の民俗学とかもっと幅広くした方がいいと思うけど。
めちゃくちゃきれいにまとまっていてびっくりした。
コメントちゃんと見ているんだなぁ。
料理の例も俺が前回動画で(反対の使い方だったけど)書いたのを読んでくれたのかなと勝手に思って喜んでます。
古文漢文の不要/廃止論が出るということ自体が現代に生きる人たち、特に実際に学んでいる学生たちの国民意識の捉え方とは乖離することをある意味表していると思っています
やっぱり文系の学問だと思ったことは全部正しくなるんですか?
それはどうでしょうか。企業側が社内教育にかかる費用を削減したいという意図があり、こうした言説を故意に流している側面もあります。また日本文化をなんとかして破壊したい国内の外国勢力もあります。古文・漢文不要論を声高に主張している人にグローバリストが多いのも特徴です。わたしは古文漢文不要論という言説自体が政治的プロパガンダと見ています。
@@yomoda_yomokure
そもそも現代の日本は既にかなりグローバル化していると思っています
たしかにLGBTQや気候変動のような視点が文字通りグローバル規模のものは現代日本単体のグローバリズムから自然発生するとは考えづらいので外圧的プロパガンダを疑う余地もあるかとは思いますが、古文漢文不要論に関しては現代日本自体の持つグローバリズムだけでも自然発生しうるのではないでしょうか
それくらいには既に日本はグローバル化していると思います
@@alot-xr9xo
おそらくグローバリズムを誤解なさっているのではないでしょうか。グローバリズムとは世界中のルール・慣習・価値観を欧米、特にアメリカのものにしてしまおうという思想です。つまり文化帝国主義です。国際化とグローバリズムとは異なります。そして欧米においてラテン語・ギリシア語などの古典不要論は出ていません。文化を押し付ける側と押し付けられる側で異なるからでしょうね。つまりグローバリズムだけでは自然に発生しないということです。日本のように押し付けられる側ならなおのことです。
@@yomoda_yomokure
すみません、おっしゃる通りで、言葉を間違って使っていました。
言いたかったことは正しくは「グローバリズム」じゃなく「グローバリティ」です。名詞の選択を間違えていました。
-ismという「主義」を意味を含みたかったわけではないです。
あと理系大学受験あるあるだと思うのですが、国立大学を受けるために古文漢文を勉強する国立型と、古文漢文を捨てて英数物化生(+現代文)に特化して受験する私立型に分かれるのが…なんとも言えないですよね。
ほとんどの場合、理系私大の共通テスト利用入試では古文漢文を必要としないので。
家庭の経済事情により必要ない科目を勉強しなければならず、時間を割かれるというのはどうなのかなーと。
学費を気にしなくても良い家庭で生まれた子には選択肢がありますが、そうでない子は古文漢文に時間を割かれて学部や大学のランクを落とすケースをたくさん見てきたので。
そういう意味で選択科目のほうが良いのかなと思ってます。あくまで大学受験の科目としてはですが!古典教育を否定するものではないです。
偏差値だけで見るとまるで国立が偉いかのように思いがちだけど人生全体で見ると親が金持ちであることの方が偏差値の高低よりよっぽど人生に大事なことがわかるよね
それ文系でも同じやん(笑)
だからリベラルって私立大学出身者が多いのか
@@public_sate
関係ないぞ
3は本当に無駄というか中途半端に感じます。
よく「ハングルの韓国、簡体字の中国と違って日本人は昔の自国の古文書を読める」という主張が見られますが、大間違いです。
日本だって今の古文漢文教育は英語の授業をアルファベットをカタカナに書きなおしたテキストで行っているようなものです。
普通の日本人が常用漢字以前の明治時代の新聞を読むことは非常に困難です。
江戸時代以前の毛筆、くずし字、変体仮名の原文など文字だと認識することすら難しいでしょう。
書道を趣味とする人は実物の古文書もある程度読めると聞きます、古典教育で原文の読解を目的とするならそこまで教えるべきでしょう。
「英語の授業をカタカナで書き直す」はおかしいのよ。外山滋比古の漢文を原型のニュアンスを引き留めつつ日本語の文法に即させたという指摘のあるとおり。
カタカナで書いてしまっては、原文のニュアンスが伝わってない。
@@MarkWater
3「原典はいらない」に対して、「中途半端」と言ってるのだから、ニュアンスの保存の話ではなく、原典そのものに関するコメントでは?
「本当の原典ではなく、無理やり初学者が読める形に直して学んでる」って意味の比喩だと考えないと、「中途半端」の意味が通じないと思ったのですが。。
あ、書き下しの意味ではありません。念の為。
漢文に関してはそんなことないと思うぞ。
漢文で書かれた原典を博物館で見る時、案外大学受験レベル漢文知識でも割と読み下せてびっくりする。
実用性を考えるのであればそうですね。ただそれでは一教科の範囲を超えてしまうと思います。
個人的には学習能力を測る及び訓練する一種のベンチマーク的なものだと古典を捉えていますが、時代が変わり覚えることが多くなった今日では義務教育である以上より実践的な科目に置き換えてもいいのかなと思いますね。
ちゃぶ台をひっくり返すようだが、根本的に原文を読めることは有益でも実際は原文を読めるところにちょっと近づくくらいしか出来なくて、推測である程度は読めるかも知れないが正しく読めてる保証はないから真摯に原文に向き合うなら結局自分の外にある技術に頼ることにあるわけで、費用対効果が最悪だから最初から名のある研究者が訳したものを読んだ方がよいのではという
「Z世代が“将来役に立たない”と思う教科トップ10」では1位が音楽で数学はトップ10に入ってませんでした。
つまり「数学は嫌いでも必要性は理解している」人達は多いんでしょうね。
感情と必要性を分けて考えられるあたり、人間の論理的思考能力って基本的に高いんだなぁと感じます。
けど3位理科だったような気がします
@@齏このコメントで一気に印象変わった
役に立たないと思うってことは、目的云々も不明瞭になんとなくで学ばせてるってことなんでしょうね。
まじすか、、、でも我々の世代って、学校で音楽学ばなかったら、人生で電子音楽以外聴かないで一生を終える人出てきそうですね。伝統的音楽や合唱の機会というのは、学生時代に音楽の授業がある特別の機会だと思います。
@@paapae音楽の実技や五線譜への理解が求められるテストなんかで成績をおとした生徒は音楽に対して余裕のある評価が出来ないだろうし、音楽含め副教科がランキング上位にはいるのは実態とは別に必然であるとは思うよ
1,2の反論はそりゃそうだって感じ。
3は確かにそうだよなあ。助動詞と単語の暗記で嫌いになったところは確かにある。
かと言って暗記なくして文化だけ学んでも虚しい気がするな。
私は決して古典廃止論者ではないことを前提に
授業時数は有限な中で、文科省は情報科や探求学習とか学習指導要領上必要な要素を一方的に増やしているわけで
教員の働き方改革が不可避な中で、古くから教えてきたことを何かしら取捨選択せざるを得ないフェーズにあることは確かだと思います(それが古典かはわかりませんが。)
正直切り捨てるor削減させるとしたらどの科目かと言われると古典ぐらいしか思い浮かばない…
芸術系はむしろ増やすべきだとも思うし、家庭科保体に関してもそもそも必要なものだし
@@立風tachikaz
芸術系の供給は、公教育では減らしてもいいくらいだと思います。
社會部さんの前回の動画も鑑みると、民間の需給が少ない古典の供給を減らすのは「国民意識の形成」という目的からしても社会的にマズいのではないかと思います。
合唱サークルや書道教室など、民間の需給が古典よりも多いであろう芸術系をむしろ減らすべきかと。
同様に民間で教室(需給)があるもので例えば英語がありますが、「Hello, how are you?」ぐらいは国民全体で理解できるようになっておこうね、ってことで芸術系とは異なると思います。
必要なものが増えれば文化的なものは削らざるをえないと思う
人間が暇であったがゆえにそういったものに時間を費やせたわけで、産業革命で食文化を破壊されたイギリスや受験競争で体育もできない韓国のように、失うのは必然ともおもえます
そもそも古典が残っているのはGHQの影響がある。戦後直後、過度の愛国教育(歴史での建国神話や英雄の武勇伝)はGHQによって禁止されていた。そのため歴史(日本史)教科が一時期無くなった代わりに、古典が選ばれた。というのも教育では必ず国民意識は少なからず持っていた方が良い、しかし歴史のような「編集された物語」を伝えてしまうとGHQから禁止されてしまう。
そのため「歴史の一次情報としての古典」が選ばれた。原文の読み方を教え、それでどう感じるかは生徒に任せる。問題に落とし込むときは「あくまで正しい読み方による正答」とすること。しかし授業で話す言葉だけは、どういう人が書いたか、どういう思いでこれを書いたかを伝えるのである。いつしか古典は、読み方のみを教えるだけで手いっぱいになり、背景や思いはもはや忘れ去られ、今では「不要」の二文字に押されてしまうほどに、中身も薄れてしまったのかもしれない。
結局生徒が必要性を感じられないのが一番問題な気がする。数学は嫌いだが、必要だとは思うって言う人多いと思うし、これは全ての教科に言えるが、必要性を感じられなかったら授業なんて内職か昼寝の時間に成り果てる。古典は必要かもしれないが、子どもに教える教科としての適性が著しく低い。国民意識の醸成という目的すら達成できないなら、結局なくして他の入れた方がまし。こういうのが古典廃止論の根底にあるんじゃない?
それはさ、古典のせいじゃなくて教育関係者や子どもの周りにいる大人たちに責任があるんじゃない?
負の感情が無限ループしてるんだよね。子ども時代に古典はつまんないと感じて育った大人が子どもにも同じように説いちゃってさ。
でもそれは、必要性(主に受験)以上の感情や気付きを与えられなかった大人のせいだと思うよ。
情報が共通テストに加わるのに、あえて共通テストの「受験科目」として古典を残し続ける必要あるのだろうか。
教養や思想、価値観のためなら、受験のためではなく普通に授業でやって、定期テストで(音楽とか家庭科みたいに)テストして、あるいは夏休みの宿題として読書感想文書かせるとかすればいいんじゃないのかな。
もし大学側が古典を試験としてテストしたいなら、共通テストじゃなくて個別入試でやればいいんじゃないだろうか。科挙じゃないんだから。音楽や芸術は芸大で個別に試験を課すみたいに、古典研究を必須とする文学部や史学部は古典を受験させるとか。
受験科目じゃないと高校生は勉強しない!という声もあるかもだけど、そんな点取りのための無味乾燥な古典学習に意義なんて無い。
そもそもの問題なのは、柔軟に科目を変化出来ないシステムな気がする。
主に国立の受験科目のせいだが
共通一次の流れを汲んでいるわけだからそもそもは国立大学受験者向けの試験なのであって、そういった意味で国からの要望として国立大学入学者に古典を義務付けるのは納得が行くのだけれどいかが?
すごくわかる。
解釈が読者の数だけあって然るべきな小説系文章を使って、平等な採点が求められるテストや試験をしてる時点で、現代文だろうが古典だろうが国語自体がヤバい。
論理のとらえ方や行間の読み方、
文章を書く時に気をつける事や必要とされる配慮とかを学んで実践形式で読解したり作文したりした方が幾分かマシ。
それでも、平等な採点は原理的に不可能だから大量に処理しないといけない共通テストには、小説全般が向かない。
@@りらのふ
共通テスト(センター試験)の小説は個人の解釈とか感性によらない回答ができるように作問されてるよ
国語の勉強不足な人ほどそういう誤解をしがち
ごくごく稀にどちらともとれるような悪問もあって全員正解とかになるけど、理系科目でもそれは同じだからね
@@りらのふ共通テスト現代文の最後の問題は悪問😡😡8点分が運で決まる
受験科目としての漢文についての1愚考。
文系の受験科目では、数学などの論理的思考力が問われる科目の配点が低くなる傾向が強い。
その中で、漢文は一定のルールを覚えて当てはめれば、どんな文章が来てもだいたい書き下せるため、論理的思考力が問われる科目だと思う。
数学以外の形で論理的思考力を問う受験科目として、漢文は一定の存在意義があると思う。
なんで情報が増えてるのに科目数を減らさないんですかね……
プログラムもできないし、数学もできないやつは、文系のよくわからん科目を暗記するしかない。
社会の受け皿みたいなもんだよ。
それは仕方ない。現代社会における必要な前提知識とかが増えすぎたんよ…昔は読み書きそろばんだけで済んでたのに
共テ受験科目として理系大学希望者が古文漢文、文系大学希望者が数学②(数学ⅡBC)を必修とされていることには大いに疑問が残ります
文科省は足し算は得意だけど引き算が苦手なのです
@@rickt8426利権にしがみつく勢力がたくさんいるから変えられない。
古典が必修で日本史が選択科目なのがよくわからい。現代文とほぼ同じ比重なのもわからない。古典道徳みたいな教科名に変えて内容重視の軽い授業にした方が絶対良い。古典の文法や語彙は文系の二次試験限定で良い。
「国民意識を醸成する」という価値観なら古典教育の時間を日本史教育に当てた方が全体の底上げになると思う
ほんそれ
GHQが手を加えて愛国心を育みにくいように日本は先の大戦において間違った選択をしたってニュアンスだからそうでも無いんじゃないかな?
特に教科書の暗記ではなく、原典資料にあたり、それを読解するという営みは、
研究における論文の読み方なんかにも通ずるところがあるので、全然あり
それは少し違うと思う。
結局歴史というのは政治史を学ぶ、つまり時の支配者について学ぶことだからナショナリズムを形成するためには文化、文学を教えるべき。だからさっさと文法、暗記形式をやめて歴史的背景や昔の日本人らしい思考、そして日本神話を古典で教えるべき。
歴史というのは大きな視点で時代をみるけど、古典は一人の人間の視点から物事を見る。だから古典を学べば日本人になれる。
国民意識を醸成するという意味で国学(古典基礎+漢文基礎+日本史基礎)とういう科目があってもいい気がします
古典含めて国語だから国語の全体像の理解をするにはそりゃ古典もやんなきゃなって話じゃない?
近現代史だけやっても歴史を学んだとは言えないのと同じ感じ
大学での専攻が歴史学、特に中国史だったから漢文教育のありがたみは身に沁みて感じた。
山の5号目までロープウェイがついていたようなイメージ。
ただ登る人の少ない山にロープウェイを維持する必要があるのかはまた別問題だと思う。
つかシンプルに楽しいよな、漢文漢詩エンジョイ勢からしたら槍玉に挙げられることはただただ悲しい
登山者自体少ないから仕方ないのは同意だけどね…
漢文の教養は恐らく戦前くらいまではエリートの必須条件だったというのに…
日本が邪馬台国やってた時代に漢、三国時代まで迎えてた大国の文化なんだからさ…
楽しいに決まってるのに…
表現がうまいやあ
週100〜200分程度しか学習時間を確保できないのに原文と言う事が馬鹿馬鹿しい程原型を留めていない原文だったり、単語文法の受験勉強ばっかりさせているせいで、文化にも辿った歴史にもろくに触れられていない。そんな状況にも関わらず、殆どの人は単に分かっていないのか恐れているのか知らないが、古典の目指す教育とはナショナリズム教育であるとすら言えず春はなんたらだの馬鹿な話をしている。今のままダラダラと中身のない受験勉強をさせるくらいならいっそ無くしてしまった方がいい。無くさなくても単位数を今の倍に増やしたり、古事記日本書紀をメインに扱う科目へと中身を変えるべき。
結論としてはやはり、古典は悪くないが現状の古典教育は不要かつ変革が必要
投稿されてる嬉しい
中国でも同じ論争があって草
社会部部長さんの動画は本当に楽しみ。要望です。次回は「フェミニズム」と「マスキュリズム」について取り上げてほしいです。インターネットには「フェミニズム賛成派によるフェミニズム反対派や男性への冷ややかな言動」か「フェミニズム反対派がフェミニズム賛成派に嫌悪を表明し、論破をしようとする」以外の行動がほとんど見られず、両者を正しく理解する情報が不足しています。ぜひ、取り上げてほしいと思っています!
古典の授業は余り好きでは無かったけど、平家物語を始めて読んだ時は夢中になって読んだな。
RUclipsで「弥生時代の日本語で会話」って弥生時代~現代までの日本語の発音変化の研究を紹介する動画があったけど、思ったより日本語として聞き取れなかった。となると学校で習う読み方も違うんじゃないかと思えて、自分の中の古典授業の必要性が揺らぐ。歴史の授業もそうだけど、未確定の情報を学ぶってなかなかにリスクなことだよね、教育って。先生とはいえ学者ではないし。
「人は国に住むのではない。『国語』に住むのだ。『国語』こそが我々の『祖国』だ。」この言葉をメタルギアで知ったけど、日本人を日本人たらしめるところが「言語」であると理解した人が、古典は必要だと思うんだろう。
たとえば化学で習う「原子核のまわりを電子がぐるぐる回るモデル」が嘘であるように、大学で本格的に学問を学び始めたら、「実はどの学問も未確定の仮説を学んでいるにすぎない」ことに気づくものだと思うし、そこの厳密性に拘りすぎるのはあまり意味がない気がする(もちろん、できる限り教育を良いものにしようと努力し続けることは必要だけど)
あれ見ましたよ!
あれはあくまで、口語ですからね。文語として残ったものとは少し意義が異なるでしょう。
文語として残ったものというのは、その時代時代の解釈と変容まで含めて学ぶことができるので、口語が変化したから学ぶ意義を揺さぶられるのはちと、短絡的かもです。
@@Leereheit ありがとうございます!
そうですね、学問もトライ&エラーを繰り返すバトンリレーが今も続いてるわけですから、完璧を期すまで待つのは難しいですよね。だから今わかってることから教育の現場に下ろすのが現状最適なんでしょうね。
@@MarkWater 補足ありがとうございます
当時現代日本語で読んでた時とあまりに違う発音に少々アイデンティティクライシスのようなものを感じておりましたw
同時にロマンも感じましたが!
ちょうど前回の動画で疑問に思ったことについて投稿してくれて嬉しい
最後については本当にそうだよなって思った
古典でいい点とるためには係り結びとかレ点とかとにかく決まりを覚える必要があって
それをシンプルにそういうものと整理して覚えるのであれば数学と被り
言葉として体になじませるのであれば英語と被る
英語と数学でいっぱいいっぱいなのに全く違う宇宙の古典で同じことやってる余裕ない
もうすこし息抜きできる内容ならもっと人気出ると思う
同感です❗️教養として授業を受けるならいいんですが受験としは邪魔ですね。
どれだけ息抜きさせず淘汰圧を加えられるかが受験制度の目的の一つでもあるでしょうし、国にその意図が無くても人々は自然とそこに戻って行くように競争を始めるでしょうから、古典が息抜き化してもその分だけ他の強化が厳しくなるでしょうね。
音楽の授業って無駄じゃね? という議論を今年ネット上で見かけ、いや私にとっては存在意義の大きな科目だったという反論も多数あったものの、その場ではそもそもなぜ音楽文化が存在するのかという根本的な部分について触れた人が誰一人いなかったのが残念でした。俺なりの哲学的な答えは有りますがそれはこの動画と関係無いので置いておくとして、音楽や美術も国民意識醸成要素を持つ点では古典と同じですね。
「息抜き」はマイナスをゼロにしますが、ゼロをプラスにするポジティブな形態はモンテッソーリ教育という事になります。権威主義的な国民性のアジア社会ではそれはまず受け入れる気が無いし、唯物的にも今の教育制度の方が成績が良いという主張で押し切られます。権威主義社会は国民の幸福度を下げたり主体性を奪ったりアイデンティティ形成を妨げたりしますが、教育程度の高さはやはり国の発展の必要条件でもあり、万人が納得出来る匙加減は存在し得ませんね。
@@meroppa1権威主義社会嫌い
やっぱ新大陸・英米圏が良いな
江戸時代は公文書を漢文で書いてたというし、国会図書館で戦前の官報とか読んだりすると書き下し文調で書かれてるんだよね
近代に日本人によって書かれた漢文を高校の教科書で取り上げても良いのにと思ったりしてた
古典廃止論者にも、いわば穏健派と過激派がいると思っていて、「教育自体から完全に無くせ」という過激派は少数だと思います。
大多数の人は「義務教育段階の教養・基礎教育」として古典を教えることに否定的では無い穏健派と思います。穏健派の主な論拠としては「大学受験で進路問わず必修であり、他の科目と同程度の配点になっている」ことへの疑問が根底にあると思います。
部長さんは「高校以降は義務教育ではないとはいえ、学校教育自体が公益も考慮する側面があるのだから、高校以降で古典を学ばせてもおかしくない」という主張だと思いますが、「教養や国民意識として重要とはいえ、義務教育を超えた段階では各自の進路に応じた専門教育に入っていくべきであり、古典は実用面としては優先度が低いのは事実なので、大学受験に含めるほど重要視するのはおかしいのでは?」という意見も一定の根拠はあると思います。
もっと文化や政治的側面に切り込んで古典を取り上げられたら良いのにとはずっと思ってる
歴史的資料として物語や和歌が残っていることは本当に素晴らしいことだから
小学校の校歌が文語文でちんぷんかんぷんだったけど、大人になってその言葉の意味と七五調の流麗なリズムに気づいた時に、日本人として古文勉強してよかったと思いました。
社会に出て不幸にも必要される「不要だと思っていながらも、耐え抜く力」をつけるためだと思って我慢してたが、やはりそれは必ずしも古典から学ぶ必要はないな。
それって奴隷が理不尽に耐え忍ぶ思考停止の理由を考えてるだけですよね。
日本人は特にそう言う言い方する人が多いと感じてます。理不尽に怒鳴られる経験を肯定したり。
そういうこと言ってる人が将来の被害者を産み続けていることを忘れないでね。
@@Hoffmann-j5y あなたと考えは一緒です。理不尽を耐えなければならない状況なんて無くなるべきだと思います。ただ、現状はそういう力が必要になってしまう場面もあるんだと感じてます。僕はまだ20代ですが、僕たちの世代、僕たちより下の世代にはそんな状況がないようにしたいです。理不尽は理不尽、不要です。
@@Hoffmann-j5y
自衛隊、第一次産業、第二次産業ぐらいならまだしも
第三次産業はなくなっても困らないものばかりで経営者の思う壺だと感じますね。
長文失礼します。前回の動画のコメント欄で説明されていたことへの反論も含みます。あと、私は古典文学は大好きです。
1思いがけないところで役立つ。一部の人に役立てばよい
これに関しては余りに古典を贔屓目しすぎかと思います。役立つでいえば地理と地学は大変大変役立つものですし、地質や植生、天気は気にすれば日常から恒常的に役立つ可能性を秘めています。また、自身の住む土地への理解も深まるためこじつけの如く帰属意識を高めると言っても決して過言にはなりません。一部の人に役立てばよい。であれば不要とまで言わなくとも重要度の低い学問として見られてもさして問題はないはずです。見るからに役立ちそうな可能性を秘める学問を押しのけて「多大な時間を労してまで学習する」という行為への正当な説明として上記の理由は説明に足りえていないと考えます。この意見に関しては「あえて縮小する方が良い可能性すらあります」と前回語っていますが、何も敢えてではなく縮小しないことのデメリットを十二分に吟味すべきであると考えます。
2国民意識の醸成
そもそも、古典教育が国民の帰属意識に寄与するという既に理想論が叶っている前提で話を進めているのですが、それは広く役立っていない例があるだけで根底が崩れます。私の祖父母は地方の田舎で農家をしていてどちらも学歴は中卒です。田舎では一切珍しいことではございませんが、故に春はあけぼの程度は知っていても内容までは知りません。私が小学生の時分枕草子とよだかの星を暗記し地元の老人ホームで発表していた時、これはどういう意味なんだいと未だボケていない人に聞かれたことをよく覚えています。この時点で古典教育が世代による平均的な学歴の差、世代間格差を埋めることには役立っていないと体感できます。また、帰属意識が国民全員にというのであれば、それは小中学教育に必要な要素になってしまうので矢張り高等教育である理由を論理的に説明できていません。わかります、歳の差がありすぎると言えばそうですが、過度な高齢化社会の日本でそれを例外とするには高齢者はマジョリティーすぎます。それに、前回の動画内では老人が若者へ伝承を教えると言っていましたが私のこの体験はむしろその逆になっています。つまりカタストロフです。
3国民全員が共通知識を知り合うことに意味があるへの反論
一応「帰属意識そのもの」は国益になりうると仮定するのは、歴史から幾らでもそれらしい論理が持ってこれるのでいいとしましょう。日本語学としての歴史を誇る人よりアニメやゲームといった文化を誇る人が増えているのを見るに明らかに古典より現代文化のほうが国民意識を生んでいると言われたらいかがでしょう。肌感ですが、古典より現代文のほうが帰属意識を高めている可能性は考えられないでしょうか。父母と現代文の教科書の内容で話題を作っても、古典で共通話題を作った試しがございません。これは同世代にも同じく言えます。クジラ雲、旅する本、スイミー、少年の日の思い出、スーホの白い馬、こころ、檸檬、山月記、舞姫、ずっとずっと大好きだよ。これだけ出して一つも被らなかったのは小学校から不登校だった子だけです。特に、高校を卒業しているのであれば「精神的向上心のない豚はただの豚だ」「バカ」のくだりが通じなかったことがないですし、冗談として通じる話題や意識が現代文で完結してしまっています。
4教育政策への変更には特に慎重になるべき
円周率を3.14から3にした時期がある文科では説得力に欠けすぎます。また、化学と地学、英語に関しては目まぐるしく変化しすぎて50年ほどで原型をとどめていないくらい変化しています。それに、また役立つかも…って言ってるのであれば、逆に明日アメリカ経済が崩壊したら英語の必要性はまぎれもなく落ちます。学問は役立つよりカルチベートするべしとあるのであれば、矢張りそれが古典教育のカリキュラムの多さが矛盾になります。また、フィンランドの学力が落ちたのは詰め込み教育後のゆとりの弊害だという意見は割と支持しますが、古典教育と直接の因果はないので詰め込み教育の有意義性は問うても古典教育の有意義性という主題に反れると感じます。
5面白いとみんながやる気を出してしまう。
学問のレベルが高くなることは、平均して難易度が高くなることです。暗記教育のメリットについて私は完全に同意しますが、であれば学問の難易度がインフレすることの何がいけないのでしょうか。そもそも、望んでもいないのに数学や英語、物理はとんでもない速度でインフレーションを起こしているのに「難しくなっちゃう」を盾にすることは不可能に思います。
長くなりましたが私が言いたいのは必要がある前提で理由を作っているように感じるので否定派の人と平行線になってしまうのではないかということです。「必要なんだよ」という意見の中に少量隠れてる「時間取りすぎなのはわかる」が否定派に伝わっていないんじゃないかなと思いました。否定派の人の意見を見てると「根本からいらない」ではなく「学校教育で行うカリキュラムと役割が多すぎる」という時間的、現実的視点が多いように感じたので現在の問題点をもっと提起すれば否定派の人が腑に落ちるのかなぁと思った次第です。
まぁこんだけ書いてもどうせなくなることはないんで古典教育は「役に立たないが学問である」として存在し続けるでしょうね。
長ったらしくご高説垂れて申し訳ございません。
ただ、文科省がそんな真面目に考えているのかという点は懐疑的に見なければならないと考えています。
それらを踏まえ、強いていうなら「なくすの手間だしなくしたら老害どもがうるせぇから必要としておく」が必要なんじゃないですかね。
そのくらい文科省なんて教育のこと舐めてるだろ。ってのが一小市民の率直な感情です。
古典好きって言ってるのにこんだけ否定はなんはなんでなん?
@@餅アジ 学問としてはお触れにして、文学は本来勝手に読めばいいから。
友人が「道徳は暗記科目」って言ってて本物だと思った
それいだちゃんねるっていうRUclipsrの定番のボケやで
社会に出れば道徳なんて通用しない会社ばかりだけどね。
まあ、行動パターンによる相手の感情とそれに沿った望ましい行動を覚えるものではあるよね。
現状の古典ってただの文語体学んでる感じに近いと思う。
受験科目であることの弊害かは分からないけど、物語の内容の背景を考えたり、当時の心情を理解するよりも、受験のためにに文法、単語の暗記をすることにその時間の大半をさいていて、学んでいる側の関心が自ずと、古きを学ぶことから、受験で点取ることに移ってしまう。
そして、結果として得られるものは「国破れてサンガリア」とか、「春は揚げ物」みたいななんとも微妙なものとなってしまう。
あ"ぁ"〜コメント読まれてて嬉しいんじゃ〜〜
古典の問題は教え方にあるのは100理あると思います。
これがまた「教え方に問題がある論争」は古今東西全科目で議論されているので藪蛇なんですよね…
この話題をRUclipsで話せる日が来るなんて投稿主さんには感謝感謝です!
近代文明を取り入れるときに、漢籍に詳しい学者が中国の古典を漁って西洋の言葉を熟語化してくれた。そのおかげで明治の日本人はいち早く近代の科学、技術、法律を理解できるようになった。また、現在使っている熟語の多くが漢語由来であることなどを踏まえると教養だけでなく実用としての漢文の学習も無視できない。
で、戦前中国からの留学生が持ち帰った。国名「中華人民共和国」の「人民共和国」」、党名「中国共産党」の「共産党」、皆和製だ。
近代の科学は、ヨーロッパではなくて、アジアから発生していたんですか?知らなかった!
日本人はニュートン力学や微分積分学を古典から学んだことなんですね。あ、そもそも文系だと両方知らないか…
@@北島けいすけ
この壊滅的な読解力のなさからすると古文どころか現代文もまともに読めないでしょ
@@北島けいすけ
そういう意味ではなく、そうした西洋科学を日本語として取り入れる際に、日本語の由来の漢文を引用する意義について論じてるわけですよ
仮に英語のイントネーションを最初からカタカナで教えていたら、英語で科学を学ばないといけなくなった。日本語の権威は大きく損なわれてただろう
更新頻度上がったら嬉しいチャンネル断然一位
教育の方法という点では、テストしやすさを求めて本末転倒してるように見えますね。
日本人として日本の文化を学ぶためには歴史教育だと思いますが、その中の近代史の歴史教育を自虐史観に染められては、古典に日本文化の継承を期待するところもあると思いました。
受験のコスパを論じる方のご意見には、この話は主語が日本なので、レイヤーが全く違うのでは?という印象でした。
「受験にはいらない」って感じ
官僚を育成する文系国立には難解な文章を即座に理解し一見不要な知識でも詰め込む素質を示すという点で必要。
テストに置いてはマジで内容は別でもいい気がするけど官僚こそ前回の動画の国民意識が重要だから古典はなんだかんだ学ばせるのが国にとって得でしかないんだよな。
「官僚を育成する文系国立では」←ここ重要
@@鵜-w3fそんな国立東大くらいしかないやんけ
東大専用科目でいいんじゃないかな(暴論)もうなってるかもしれないけど
たしかに、アイデンティティ的なのは日本史で足りる気がする
論点3はめっちゃ思ってたから方法は議論の余地ありって結論がすごくしっくり来た
Q.古典はなぜ必要なのか?
A.国が必要だと言っているから
こういうことか
今も古典教育は字句の解釈と文法的操作に終始しがちであり、国民意識が醸成できるとは思えません。
漢文を学ぶ意義は十分に理解できるのですが、日本の古典すら満足に学べておらず、本来の目的の達成も疑わしい現状で漢文を学ぶ意味はあまりないと思います。
むしろ理不尽な日本の権威主義教育の象徴って感じで反発するわ
日本の教師は全員嫌い。クズが普通で、普通な人が聖人と褒められる職業。
字句解釈と文法が中心になるのは、結局は受験の為だと思います。国語で客観的正解を示そうと思ったら、単語や文法といった知識問題が1番楽なので。
漢文←啓蒙的で面白い😂古文←痴情のもつれとか随筆でつまらない😢
受験でさんざん覚えたけど、十年経って全部忘れたわ(笑)
そもそも存在してないも同じですからね。
アインシュタインだかは、教育とはその内容全てを忘れた後に残るものにこそ大きな意味があるって言ってたからいいんじゃない?
論語にある「思いて学ばればすなわちあやうし」なんて今でも残っていて、そのままヤフトピのコメ欄のことやんけ!としかwww
@@立風tachikaz残ったもの…学歴とか?
@@はる-s1g3b思考力や暗記したものを使う応用力だろ
欧米はどういう議論がされているのかも一度聞いてみたい。
アメリカの高校とかだとラテン語や中世の英文学を学んでるイメージだけど「ラテン語なんてやったって意味ない」っていう議論があるのかどうなんでしょう?
古典も英語と同じでアクティブラーニングが重要。
とはいっても古語で会話は難易度が高すぎるから、時代背景とか文学史とかを学ぶべきなんじゃないかな。
社会科は、もうこれ以上増やさないで欲しい、まとめて1科目で充分だよ
大学教授の友達は、文学部なんてのは文学部の先生を喰わせるために存在してるっていつも言っとる
同意はするけど、まぁそれを言われると他の学部だって実社会で役に立たんやろ、となってしまうからなんとも。
古代の記録って文字しかないから、その書かれている文章と今の日本語とに感覚的に連続性が見いだせるって結構重要そう。それがないと、日本や日本語が江戸時代(なんとなく想像できる程度の昔)くらいに成立したと思う人がそこそこの割合で出てきそう。
凄い時間に投稿されてる!
国の存在意義を示すのは歴史だ
歴史は文字だ
文字がなければ歴史があるとは言えず、国の存在意義を示すことはできない
個人的には古典は「やった方がいい」ってレベルにとどまっているのが不要論が広まる原因だと思う。
英語や現代文、数学などの「やるべき事」ってレベルに比べるとやっぱり優先順位は下がる、その結果生まれた過激派だと考えてる。
とても分かりやすくて勉強になりました。
コメントを読んでいても、色々な意見をお持ちの方々がいらっしゃいます。
頭ごなしの否定やただの持論の展開も結構ですが、やっぱり頭の中に残るのは、こういう丁寧でわかりやすい解説なんですよね~。
正直な話、いくらコメント欄で小難しい持論を展開されていても、他のコメント読んでるうちに忘れてしまう私です。
それ、ものすごくいい習慣ですよ。ちゃんと示されていないことは、さっさと忘れた方がいいです。
情報みたいに新教科が追加される中、既存の教科を廃止したりしないと教科あたりに割ける時間がどんどん減っちゃうよね
確かに国民意識の形成は国益には資するでしょうね。だって実用的な学問は私益には必ず資するでしょうけど国益に必ず資するかといえばそうじゃないですし。例を挙げれば金融が得意で語学力がある人なら日本より世界的な金融センターのある国やタックスヘイブンに行く方が私益にあってますから。実用的な学問だけ教えるのはは人物金全て国外移動禁止にしないと下手したら教育費だけかけて移動先の国に丸パクリされかねない。
逆に国民意識の形成に必要な学問は私益に必ずしも資さないけど国益には資する。なぜなら、国民意識があれば私益の1部を捨てる、例えば投資先を少しは日本の企業にふろうなんてことを考えてもらえたりするから。まあここを突き詰めちゃうと日本から人材出さないように外国語教育全面廃止みたいになっちゃうからこの2つの教育はバランスが大切でしょうね。
なんで文系の人達っていきなり、過去の文章や古典を学ぶと、国民意識が形成されるっていう仮定をいきなり立ててるんですか?
そんな風に思ったから正しいってことなんですか?結構いい加減にレポートとか書いても単位もらえるって事なんですかね?
@@北島けいすけ
「文系の人って」っていう謎の括りがあるのは置いといて、
その仮定の説明を部長さんが前回の動画で説明されたじゃないですか。
もし見ていてその発言をしているのであれば、貴方は数学を学ぶよりやるべきことがある。
@@北島けいすけナショナリズムは認識や言語、宗教などを共有する集団において発生する。これはナショナリズムの正当性を民族の歴史に求め、歴史学が発展していったという近代史の文脈からも自明であろう。仮説を立ててるだけで証明がされてないというのはあなたの中だけであって、全ての人とは言わないが、あなたが謎に一括りにしている“文系の人”というグループ内では、根本を証明できない物理学の法則と同じような扱われ方として共有されている事項である。
授業として行うかということと、大学入試の対象とするかは大きく異なる問題。
大学入試は大学教育を受けるための基礎的素養を確認するものであるべきで、正直99パーセントの大学生の教育に使われることもない古典を大学入試に入れるべきなの?というのは大きな疑問。
明治期に大きく社会体制も変革されてしまったので、一部の人文系を除いて古典がほとんど役に立つことはなく、ラテン語よりも優先度が低い。同様に日本史も価値は低いが、選択制になっているので同様の議論はなく、古典も選択制にしてはと思う。
大学入試科目であるが故に強制的に学ばざるを得ないことが多くの人の不満の元で、そこから外れれば道徳感覚で皆受け止められると思う。
古典を学ぶことは学問の本質だと思う。
学校の語源はスコレー(余暇)であり、本来学問とは労働とは無関係の役に立たないものであるから、役に立つ、立たないという議論はそもそも学問に対して前提から間違っている。
余暇なら、強制的に学ばせる必要はないじゃないかという意見が生まれるが、それは文化資本の考えにつながる。
我々は小中高と受験に使いすらしない音楽を古典を学ぶよりも長く学ばされる。それは音楽という、家庭環境や親の教育水準によって触れる機会が左右されてしまう文化資本を平等に学ばせることで、かつては貴族だけが楽しむ文化であった音楽を、誰でも接することのできる文化に変えることができる。
同様に本に出てくる引用を理解するてきや、時代劇などを楽しむために古典の知識を備えておくことは、それらの文化、作品を一部の階級が独占して楽しむ娯楽にしないために必要である。
入試試験でいまだに扱われるのも、勉強ができるかを問うというより、学問に取り組む素養と教養があるかどうかを見極める指標のように思う。
なんという時間に、、、!
感謝感謝、、、🙏
塾経営者です。国語も教えています。
古文漢文を子どもたちが学ぶ必要性は、社會部部長さんがおっしゃる通りで、大人になると分かることが多いのも事実です。
「問題は古典教育の方法にある」というのも至言です。
私は小4生から高3生まで指導していますが、古典を嫌いという子どもは割と少ないです。
話し方に拠ると思いますが、日本の成り立ちを含めて話をすると、子どもたちは割と興味を持って聞きます。
現時点で難しいのは、今の50歳代以上の世代は全体として知識に対する興味・飢えが大きいと思われるのですが、世代を下るとともに低くなっている感じを受けます。豊かで便利な世の中になっていった反動なのかもしれません。
ここからは特に私見ですが、古典不要論者は経済的観念から不要と考えている人だけでなく、受験で不要な苦労をした経験者が多いのではないでしょうか。
特に理系の人からすると、数学・物理・化学だけでも膨大なのに、英語・現代文更に古典・社会となると恨み骨髄となるのも分かります。
公教育が国民意識を醸成することを目的とするのであれば、方法論として、小学校から或いはその前から、文字を見て音読を取り入れることをお勧めします。
そうすることで、少なくとも受験上の古典アレルギーは改善されるでしょうし、肌になじませることにより国民共通の基盤が醸成されます。
小学校から中途半端に英語やプログラミングをさせるより遥かにマシ、と私は考えています。
結局東アジア特有のテスト文化だから思考力のための教育じゃなくて受験のために暗記するものになってしまって生徒が負担や苦痛を感じるのは仕方ないよな
特に文系科目は覚えることが多すぎる
教育基本法の理念からは程遠くなってしまってる
言語を学ぶことで国民意識を醸成するのはわかる。
でも古文漢文は、もはや日本語ではない。
例えがあっているかどうかわからないけど、ポーランド人は外国語を「音の感じ」で理解する。自分たちがもつ言語の『音感』を大事にするそうだ。わたしも日本語の語感はとても大事だと思う。その意味で古典は、いいや若者言葉すら「音に溢れている」よ。そも書き言葉優先じゃなかったからだね。もし、もはや日本語ではないと感じるなら、もう日本語を知らない、わからなくなっているってことじゃないのかな
ためになりました!ありがとうございます!
義務教育で学ぶ古典はほんの触りだけで、文法など本格的に学ぶようになるのは高校、特に普通科高校。今の日本では、中学校を卒業した人のほとんどが普通科高校に進学しているけど、そもそも普通科高校の教育は 「さらに上の学校への進学を前提とした教養教育」。なので 「日常生活では使わない」 「職業訓練にもなっていない」 教養科目ばかり。教養教育はエリート養成のためには必要だろうが、今の日本のように、十代後半のほとんど全員が学ぶ必要があるだろうか?
今の時代、スマホがあれば 「わからない事は、その場で調べられる」。社会人になってから、また勉強したくなったら、放送大学やインターネットを使った 「学び直し」 もできる。日本人のほとんど全員が普通科高校に進学して、十代後半で暗記中心の教養科目を学ぶ必要が、本当にあるのだろうか? 昭和の時代は、高校の半分は職業高校で、授業で職業訓練を行なっていた。
2025年度共通テスト【国語】
国語は現代文に大問が1題追加されます。配点は現代文が110点(45点、45点、20点)、古典が90点(古文45点、漢文45点)に変更となる予定です。試験時間は変更前より10分長く、90分になります。
↑ネット記事より抜粋
今後は古典教育を存続させつつ、大学入試に関しては配点を減らす方向にシフトするようです。選択科目にはならないようです。
日本の国語教育の文法学習が、明治時代から古文だけでなく現代文も品詞分解ばかりで構文は全く考慮されないままなのは流石に酷過ぎるなと思う。
漢文の訓読・書き下し文はそんなにストレスないけど、問題は古文の文法。特に活用・助動詞周り。覚えることが多くて割に合わないと思っている生徒が多いと思う。
古文の品詞分解・逐語訳はもう少し柔軟に授業してもいいと思う。ただ、和歌に関しては語訳見て覚えればヨシ!ってことじゃないから要不要の線引きは難しい。
古典をなくさなくてもいいけど受験で課さないもしくは配点を減らす
これで全部解決する話
教養が無くたって生きてはいけるがそれでいい?の問い
現代の問題形式は『暗記した答えを書く』だからね。記憶力も一定数必要だけど、分からない問題を調べられて答えを作り出し解く方も一定数必要。現代の問題形式を見直すことも大事じゃないかね。趣旨とは異なるけど...。
文語文を教えたほうが有益だと思います。
古い法令は文語文ですし、歴史的に重要な玉音放送なんかを授業でやって、平和学習に繋げたりできます。
不要ではないが優先順位を考えろと思う
政治、法律、経済、金融等の教育より優先すべきかという問題
そもそも役に立つ役に立たないで語ること自体がナンセンスだと思う
バイドゥがアンケート調査した将来役に立たないと思う教科TOP10によると1位が音楽で古文に関して意見されている国語については10位なんだよね
じゃあ音楽をなくせばいいのかって話になるけど、そうじゃないでしょ
言語化できないけど無くしたら何かが無くなるのは確実だと思い
更新速度に感謝しかない😭
活版印刷で明朝体とかで整然と並んだ古文って本当に古文なんでしょうかね。
変体仮名も旧字体も無い、ただ歴史的仮名遣いで書いてあるというだけで、しかも句読点まで有り難く振られている。
そして「ぬ」の識別だの係り結びだの、敬語で主語を推測だの、ほとんど論理パズルのようだ。
むしろ和紙に墨で流れるような草書で綴られた「春はあけぼの」を眺めて、前近代の日本人の息遣いを感じながら味わうとか、感性に思いを馳せるとか、そういうことが本当の古文学習なんだと思うのだ。
有意義だとは思うし興味がある人は学んで欲しいけど、あくまで学びたいという一部の人が知っていれば良いかなと思っちゃうな
それよりプログラミングやexcel 、PowerPoint を活用した授業或いは税金や選挙、保険とかの知識や仕組みをもっと教えて欲しかった
古漢は現代語の素地だからなぁ…。
使える語彙が乏しくなれば、その分だけ認識できる世界も狭くなる。
本来の日本語の良さが段々と薄れていくのが怖いから、横文字はなるべく使わずに表現するというのが個人的に好きな態度。
数学と物理学んだ方が、捉えれる世界はよっぽど広がりますよ(笑)
文系の学問なんて、それが正しいかどうかなんか信じるしかないですからね。実験もできないし。何人かで集まって話して「妥当です」って言って終わり(笑)
個人的に思ったのは語彙を身につけるから世界が広がるのでは無くて
本を読むと世界が広がりそして語彙が身につくのかなって
だから語彙を多くするよりもどれだけ多くの文章を読み理解するのかが重要なのかなって思った
@@北島けいすけ文章を読む限りあなたの語る「捉えられる世界」というのはただ単に数学と物理の教養のことでは?
不要は言い過ぎだけど、世知辛い世の中故に投資やら特殊詐欺やら何やら他に
生存上必要な対策を教えるのが先だとは思う。政治経済が衰退する一方で
優雅に古典を嗜む余裕のある人は加速度的に減っていくと予想されるので
今後は増々お寒い状況になっていくのではないでしょうか?
古典は工業高校とか商業高校では選択科目になってたりするから今も別に必須とはされてないんだよな
結局使ってる脳みそは英語と同じやから、同じの2個もいらんじゃろって思っちゃう。
自分の勉強の仕方が間違ってるんだろうけど。
今の古典教育、力の配分がおかしい。
古文法のクイズが解けるようになっても、中身の理解がおろそかなままでは本末転倒。
大学入試問題古文・漢文を外さなくても良いが変なクイズで文化の共有は達成できないことを考えるべき。
詳しい注釈のついた古典作品なら文法の知識が深くなくても理解できるし、時代背景なども学べる。
電子教科書であれば本のサイズは問題にならないのだから、そのような教材で教育すれば良い。
結局現行の教育方針なら古典要らないのでは?
変な話、昔の人はこんな考えだったよ
というのを強制的に植え付けたいだけなら
全部現代語訳して教えれば良いだけで
それを古文として教える必要性はないですよね?ってなりそうです
原文読みたい人は選択で取ってね、で事足りるし
古文の内容は面白いし
教養としてはあった方が面白いけども…
その理由だけだと現行の古文教育は不要ってなりそうです…
枕草子ぐらいは暗唱できると昔の人も今の自分も、見る景色は一緒なんだなぁ、と楽しめるとは思うんですけどね
追記
古典と現代文を統合
文学という科目で
全部現代語訳して教えても良いよねって話です
要するに古典という「カテゴリ」か要らないのであって、「思想」だけ残せば良い
となりそうです
思想面に関してはおっしゃる通りですね。他方、教育制度という面でみると、昨今共通テストが冗長ともいえるほど読解を要する形式となっており、日本史、世界史においても文章読解(古文読解と含む)が出題されています。この一面からも、思想教育というよりも、様々な場面に即して処理、行動できる能力やコンピテンシーを測る方向に進んでいるのではないかと考えます。
授業でやる事で専門家が世の中に生まれる素地を作ることが出来るんだよな。大多数の人には実質、意味ないかもしれないけど、伝統文学の存在を認知するには学校で強制でやる他ない。
マジで関係無いかもしれないけど、タイガキングダムっていうRUclipsrが漢文を読み解いて料理のレシピにしてた
古典に触れることには大賛成なんだけどなぜ第二言語のように文法や単語まで完璧にしなきゃいけないのか理由がわからん
弥助問題とか外からの政治的な攻撃に対応するために国民が日本の歴史に関心もつの大切よ。
それ以前にエンタメとしても、逃げ上手の若君とか、歴史上の人材の厚みがもの凄い。先人に感謝。
南北朝から令和までという歌詞に再発見。
ずっと続く日本にも感謝。
共通テストの古典の難易度を下げるか配点を少なくするか選択式にするだけで解決します!!
2次試験で使う大学も少ないので勉強のコスパが最悪です。
道徳、技術、図工、音楽などの科目に不要論が沸き起こらないのは大学入試で出題されないからですし、世界史などが不要だと言われないのは選択の自由があり試験対策のコスパがいいからです。
日本は学歴社会で入試に合わせてカリキュラムを組むのが普通なので、必要派と不要派が双方納得するような入試の方式を議論するしかないでしょう。