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ようやく紹介された。感激😊
さちかぜ号が急行のままだったのは、車両が近郊型の711系であり、非冷房かつボックスシートというのが大きかったかと思います。いわゆる遜色急行でした。一方で国鉄・JRを通じて、日本国内の急行列車で、表定速度で最速のレコードホルダーでもあります。遜色にして最速の名列車。私も当時旭川に住んでいて憧れましたが、残念ながら機会に恵まれませんでした(いしかりのノンストップ便は乗りましたが)
「非冷房」と「ボックスシート」の部分は、遜色急行の要件を満たしていない(当時の急行では一般的)遜色急行の要件を満たしているのは「近郊形」の部分のみ(急行はデッキ付きが一般的)
@@user-nak7etahew 1971/昭和46年時点では特急用こそ全車冷房化されていたけれど急行用はサハシの[シ]部分とサロ、キロ、そして寝台車のロネ・ハネ(10系のみ、スハネ・スハネフ30は確かラインデリア)位なものでようやく153・165・169そして451・471・453・473・475・457系のハザの冷房化が始まった頃合いでキハ58系も冷房車はまだ僅か、客車に至ってはその頃はまだ10系軽量客車や近代化改造されたスハ43の一党が殆どでこちらに関しては冷房車は皆無(寧ろ季節列車・臨時列車に投入され始めた12系が唯一の冷房完備)だったし、北海道に於いてはキハ56・キハ27すら冷房化は見送られた(冷房準備車のキハ56-200すら対象外)から、冷房のない711系だからって急行用としては外れではなかった(支線区にはキハ22の急行があった北海道だから)。ただ、デッキはあってもロングシート部があったから丁度80系300番台全金車みたいな感覚だったのかもね(^^);
さちかぜ紹介ありがとうございます。
北海道の最長距離ランナー特急おおとり号を取り上げて下さいお願いします。
711の赤2号(旧塗装)は白い雪には燃える炎と言う理由で選ばれた。
苗穂工場の展示館内に「さちかぜ」の、ヘッドマークが飾ってあります。第2・4土曜日に公開されていますので、興味のある方は、是非行ってみて下さい🙇
通常版と赤黒逆転版が存在しましたね。
初めて渡道した際に711系急行かむいに乗りましたが、足回りが近郊型に近い状態なのに足の速さに感激しました。さちかぜに乗る事は叶いませんでしたが。781系試作編成がいしかりにデビューした直後、朝旭川発のノンストップ便に運用されていたのに偶然巡り合えました。
485-1500 北海道上陸時は さつかぜの文字ヘットマークが入ってましたね
今に於ける札幌・旭川間の特急街道の基盤を作ったのは、昔に運行されていた急行列車の「かむい」「さちかぜ」の功績が大きい。のちに「かむい」は特急「カムイ」として復活し、宗谷号の特急格上げのきっかけにも繋がっているのもある。国鉄急行を、決して軽んじてはならない。
乗った事ある。懐かしい。
そいやあ、当時て、全車指定席の急行『くりこま』てあったな。仙台〜青森で途中の停車駅が一関、盛岡、八戸だけだった記憶。
四国にも高徳本線に急行【阿波】がノンストップで「高松↔徳島」間で走っていましたね。
当方、小学生の時に何回か乗った事があります。全車自由席の電車急行なのに、札幌ー旭川(あさひがわ····当時の駅名)を無停車で走る存在は非常に印象深いものでした。とり上げていただき、感謝。
子供の時、急行さちかぜを時刻表で発見したときは衝撃でした。電化完成と新車導入の御披露目的な意味も大きかったと思います。乗車効率はどのぐらいだったのだろう。札幌─旭川間立ちっぱなしだけは御免だ!
自分も、え?え?え?となったよ。
「いしかり」に特急格上げになってもノンストップは1往復、「ライラック」に名称変更になった際は、片道のみノンストップは存在したが、それも1987年に無くなった。ただ最高速度は一時130キロまで上がったので、時間短縮効果はそれなりにあった。
ライラックも実質札幌で分割されましたね、北斗の補完急行だったすずらんの名がああいう形で復活するとは。
急行くりこまや急行エコーもりおかもさちかぜと同じ目玉の乗りトク急行でしたね
(記憶違いでなければ)485系1500番台早期落成車の字幕に「特急さちかぜ」が入っているのを、当時の鉄道雑誌で見たような・・・。
当初、L特急さちかぜで決まってましたが、横やりが入ったようです。名前の公募した際、さちかぜが1位とのことです。子供の頃、父親の関係で運転区での関係者の披露会では、さちかぜでした。札幌~旭川が旧国制度で石狩国、石狩川に由来していしかりになったようです。
485系1500番台は新造車で北海道に入ったと思っている人が多いようですが、実際は前年に特急白鳥に使用されてから北海道へと渡った。ただ本州と北海道では雪質が違いすぎ北海道はサラサラの粉雪で故障が多発した。結局この問題は781系まで持ち越した。そもそも交流電化の北海道に交直流の485系を使用したのが?だ。
このさちかぜについては、知りませんでした❗カムイには、江別の叔父さんの所に行くときに使っていましたね、Lが登場した冬に使う予定が不具合で使えず
2:56江別が抜けている。
くりこま「あいつ(さちかぜ)には勝てなかったよ……」
くりこまも特急並に速かったですね。さちがぜが全車自由席に対して、くりこまは全車指定席というのがおもしろい。
くりこまは所要時間から最高速度が120キロに特認されているのでは?との噂がありましたな。(*´・∀・)
後の盛岡はつかりよりも速かったですね。
@@クモハ165 それは、当時の国鉄運転取扱基準規程で、線区ごとに列車の最高速度が決められていて、東北本線の宇都宮ー青森間は、特急と定員制の急行の最高速度が120kmとなっていて、じつは711系も45系も、その当時の最高速度が110kmになっている。
札幌 - 旭川ノンストップ特急は、仮に存続してたとしても2010年代前半の一連のJR北の不祥事の影響も受けただろうから、結局は消滅したと思うけどあと、今の札幌 - 旭川間は高速バスのシェアがかなり高くなってて、料金面でバスに勝てないJRはむしろ深川以西の中間都市から札幌への需要を拾う展開になってるし、その意味でもノンストップ特急の必要性が薄れてるもし存続してたら…と妄想したくはなるけど、実際には地元需要が見込めない典型例でしょうな
もしも急行さちかぜがノンストップ特急に格上げされ そのまま特急さちかぜとして札幌~旭川間を今も走っていたかもしれませんダイヤとしては 1日3往復位で所要時間も789系の性能を考えると1時間~1時間10分ほどで走っていた 可能性もあります
知っています。さちかぜ号幸せの風ではなかったかな?
さちかぜは戦前九州の急行もしくは特急だったはずだが戦後平和を経てはとやかもめになったはず。
それ、一度格下げされた名称ゆえに格上げ時に採用されなかったのかも。
いろんな文献からさちかぜは、九州にあった特急が先です。同じように、特急ですが、おおとり、白鳥も北海道に渡りました。国鉄時代の北海道のイメージにマッチングするからですかね。(白鳥は、JR ですが。)
@@飯田義明-n4c 元々はBTさくらの前身でしたね、因みに自分はさちかぜとも縁があった長崎の産まれです。
@@maruhiroya417 しかし[さちかぜ]では先行の[あさかぜ]と名前が似ていて紛らわしくしばしば誤乗も発生した為程なく名称変更を余儀なくされ[平和]、そしてそれも程なく[さくら]になった。
勿論ッスよ!
どうでもええかもわからんけどサムネ、S−901編成(711系試作車)やん
さちかぜって名前が付く優等列車🚃の寿命は短いですね~😢。何故でしょうね~🤔。
あの時代にマイカーへの対抗意識はないさちかぜが急行だったのは単純に711系しか車両がなかったからUP主の考察は考えすぎ
ご視聴ありがとうございます。さちかぜが急行だったのは確かに711系しか電車がなかった、というのが一番大きい理由だとは思います。しかし、当時国鉄が発行していた情報誌に、旭川鉄道管理局の担当者の話として、道路整備•マイカー普及に対抗するためには利便性向上が必要だと書かれていたため、マイカーへの対抗意識は実際あったようです。 とは言え、これまでの動画含め、ソースに基づいた情報と、うp主の推測を明確に区別していなかった点は問題と考えているので、次回以降改善を図ります。この度はコメントありがとうございました。
@@koppe_233 781は当時の公害問題で一時開発が凍結されてたんですよね、「781系」「PCB」でググると出るかもしれません。
せっかくの迷列車シリーズで最も気になる急行列車の話なのに、読み上げる音声が男声では耳障りです。女性声で視聴したいので、今後は全て女性声の読み上げソフトを使用して頂きたいです。
ご視聴とコメントありがとうございます🙇♀音声の件は、聞きやすさを考慮し改めて検討することとしました。貴重なご意見ありがとうございました、今後ともご愛顧よろしくお願いいたします!!
ようやく紹介された。感激😊
さちかぜ号が急行のままだったのは、車両が近郊型の711系であり、非冷房かつボックスシートというのが大きかったかと思います。
いわゆる遜色急行でした。
一方で国鉄・JRを通じて、日本国内の急行列車で、表定速度で最速のレコードホルダーでもあります。
遜色にして最速の名列車。
私も当時旭川に住んでいて憧れましたが、残念ながら機会に恵まれませんでした(いしかりのノンストップ便は乗りましたが)
「非冷房」と「ボックスシート」の部分は、遜色急行の要件を満たしていない
(当時の急行では一般的)
遜色急行の要件を満たしているのは「近郊形」の部分のみ
(急行はデッキ付きが一般的)
@@user-nak7etahew 1971/昭和46年時点では特急用こそ全車冷房化されていたけれど急行用はサハシの[シ]部分とサロ、キロ、そして寝台車のロネ・ハネ(10系のみ、スハネ・スハネフ30は確かラインデリア)位なものでようやく153・165・169そして451・471・453・473・475・457系のハザの冷房化が始まった頃合いでキハ58系も冷房車はまだ僅か、客車に至ってはその頃はまだ10系軽量客車や近代化改造されたスハ43の一党が殆どでこちらに関しては冷房車は皆無(寧ろ季節列車・臨時列車に投入され始めた12系が唯一の冷房完備)だったし、北海道に於いてはキハ56・キハ27すら冷房化は見送られた(冷房準備車のキハ56-200すら対象外)から、冷房のない711系だからって急行用としては外れではなかった(支線区にはキハ22の急行があった北海道だから)。ただ、デッキはあってもロングシート部があったから丁度80系300番台全金車みたいな感覚だったのかもね(^^);
さちかぜ紹介ありがとうございます。
北海道の最長距離ランナー特急おおとり号を取り上げて下さいお願いします。
711の赤2号(旧塗装)は白い雪には燃える炎と言う理由で選ばれた。
苗穂工場の展示館内に「さちかぜ」の、ヘッドマークが飾ってあります。
第2・4土曜日に公開されていますので、興味のある方は、是非行ってみて下さい🙇
通常版と赤黒逆転版が存在しましたね。
初めて渡道した際に711系急行かむいに乗りましたが、足回りが近郊型に近い状態なのに足の速さに感激しました。さちかぜに乗る事は叶いませんでしたが。781系試作編成がいしかりにデビューした直後、朝旭川発のノンストップ便に運用されていたのに偶然巡り合えました。
485-1500 北海道上陸時は さつかぜの文字ヘットマークが入ってましたね
今に於ける札幌・旭川間の特急街道の基盤を作ったのは、昔に運行されていた急行列車の「かむい」「さちかぜ」の功績が大きい。のちに「かむい」は特急「カムイ」として復活し、宗谷号の特急格上げのきっかけにも繋がっているのもある。国鉄急行を、決して軽んじてはならない。
乗った事ある。懐かしい。
そいやあ、当時て、全車指定席の急行『くりこま』てあったな。
仙台〜青森で途中の停車駅が一関、盛岡、八戸だけだった記憶。
四国にも高徳本線に急行【阿波】がノンストップで「高松↔徳島」間で走っていましたね。
当方、小学生の時に何回か乗った事があります。全車自由席の電車急行なのに、札幌ー旭川(あさひがわ····当時の駅名)を無停車で走る存在は非常に印象深いものでした。とり上げていただき、感謝。
子供の時、急行さちかぜを時刻表で発見したときは衝撃でした。
電化完成と新車導入の御披露目的な意味も大きかったと思います。
乗車効率はどのぐらいだったのだろう。
札幌─旭川間立ちっぱなしだけは御免だ!
自分も、え?え?え?となったよ。
「いしかり」に特急格上げになってもノンストップは1往復、「ライラック」に名称変更になった際は、片道のみノンストップは存在したが、それも1987年に無くなった。ただ最高速度は一時130キロまで上がったので、時間短縮効果はそれなりにあった。
ライラックも実質札幌で分割されましたね、北斗の補完急行だったすずらんの名がああいう形で復活するとは。
急行くりこまや急行エコーもりおかもさちかぜと同じ目玉の乗りトク急行でしたね
(記憶違いでなければ)485系1500番台早期落成車の字幕に「特急さちかぜ」が入っているのを、当時の鉄道雑誌で見たような・・・。
当初、L特急さちかぜで決まってましたが、横やりが入ったようです。名前の公募した際、さちかぜが1位とのことです。子供の頃、父親の関係で運転区での関係者の披露会では、さちかぜでした。札幌~旭川が旧国制度で石狩国、石狩川に由来して
いしかりになったようです。
485系1500番台は新造車で北海道に入ったと思っている人が多いようですが、実際は前年に特急白鳥に使用されてから北海道へと渡った。ただ本州と北海道では雪質が違いすぎ北海道はサラサラの粉雪で故障が多発した。結局この問題は781系まで持ち越した。そもそも交流電化の北海道に交直流の485系を使用したのが?だ。
このさちかぜについては、知りませんでした❗
カムイには、江別の叔父さんの所に行くときに使っていましたね、Lが登場した冬に使う予定が不具合で使えず
2:56
江別が抜けている。
くりこま「あいつ(さちかぜ)には
勝てなかったよ……」
くりこまも特急並に速かったですね。
さちがぜが全車自由席に対して、くりこまは全車指定席というのがおもしろい。
くりこまは所要時間から最高速度が120キロに特認されているのでは?との噂がありましたな。(*´・∀・)
後の盛岡はつかりよりも速かったですね。
@@クモハ165
それは、当時の国鉄運転取扱基準規程で、線区ごとに列車の最高速度が決められていて、東北本線の宇都宮ー青森間は、特急と定員制の急行の最高速度が120kmとなっていて、じつは711系も45系も、その当時の最高速度が110kmになっている。
札幌 - 旭川ノンストップ特急は、仮に存続してたとしても2010年代前半の一連のJR北の不祥事の影響も受けただろうから、結局は消滅したと思うけど
あと、今の札幌 - 旭川間は高速バスのシェアがかなり高くなってて、料金面でバスに勝てないJRはむしろ深川以西の中間都市から札幌への需要を拾う展開になってるし、その意味でもノンストップ特急の必要性が薄れてる
もし存続してたら…と妄想したくはなるけど、実際には地元需要が見込めない典型例でしょうな
もしも急行さちかぜがノンストップ特急に格上げされ そのまま特急さちかぜとして
札幌~旭川間を今も走っていたかもしれません
ダイヤとしては 1日3往復位で所要時間も789系の性能を考えると
1時間~1時間10分ほどで走っていた 可能性もあります
知っています。さちかぜ号幸せの風ではなかったかな?
さちかぜは戦前九州の急行もしくは特急だったはずだが戦後平和を経てはとやかもめになったはず。
それ、一度格下げされた名称ゆえに格上げ時に採用されなかったのかも。
いろんな文献からさちかぜは、九州にあった特急が先です。
同じように、特急ですが、おおとり、白鳥も北海道に渡りました。国鉄時代の北海道のイメージにマッチングするからですかね。(白鳥は、JR ですが。)
@@飯田義明-n4c
元々はBTさくらの前身でしたね、因みに自分はさちかぜとも縁があった長崎の産まれです。
@@maruhiroya417 しかし[さちかぜ]では先行の[あさかぜ]と名前が似ていて紛らわしくしばしば誤乗も発生した為程なく名称変更を余儀なくされ[平和]、そしてそれも程なく[さくら]になった。
勿論ッスよ!
どうでもええかもわからんけどサムネ、S−901編成(711系試作車)やん
さちかぜって名前が付く優等列車🚃の寿命は短いですね~😢。何故でしょうね~🤔。
あの時代にマイカーへの対抗意識はない
さちかぜが急行だったのは単純に711系しか車両がなかったから
UP主の考察は考えすぎ
ご視聴ありがとうございます。さちかぜが急行だったのは確かに711系しか電車がなかった、というのが一番大きい理由だとは思います。しかし、当時国鉄が発行していた情報誌に、旭川鉄道管理局の担当者の話として、道路整備•マイカー普及に対抗するためには利便性向上が必要だと書かれていたため、マイカーへの対抗意識は実際あったようです。
とは言え、これまでの動画含め、ソースに基づいた情報と、うp主の推測を明確に区別していなかった点は問題と考えているので、次回以降改善を図ります。この度はコメントありがとうございました。
@@koppe_233
781は当時の公害問題で一時開発が凍結されてたんですよね、「781系」「PCB」でググると出るかもしれません。
せっかくの迷列車シリーズで最も気になる急行列車の話なのに、
読み上げる音声が男声では耳障りです。女性声で視聴したいので、今後は全て女性声の読み上げソフトを使用して頂きたいです。
ご視聴とコメントありがとうございます🙇♀音声の件は、聞きやすさを考慮し改めて検討することとしました。貴重なご意見ありがとうございました、今後ともご愛顧よろしくお願いいたします!!