【迷列車で行こう】#39 普通列車なのに寝台車連結!北の夜行列車からまつを追う

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  • Опубликовано: 13 мар 2023
  • #迷列車で行こう #根室本線 #寝台列車 #夜行列車 #釧路
    【訂正】
    ・2:18、2:24 急行「まりも」への寝台連結が開始されたのは1953年で、連結開始後の連結区間は札幌~釧路間のみで、札幌以西で寝台車が連結されたことはありません。制作時に別列車と混同した事で発生したミスと思われます。お詫びして訂正いたします。お教えいただいた方、ありがとうございました。
    ・7:38 石勝線が開通したのは、1982年ではなく1981年です。お詫びして訂正いたします。お教えいただいた方、ありがとうございました。
    【補足】
     紹介したからまつの時刻は、1968年10月時点のものです。1956年の寝台連結時とそこまで大きくは変わっていないと思います。
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Комментарии • 117

  • @user-vt7yl2jh7i
    @user-vt7yl2jh7i Год назад +26

    からまつは1970年代に2度ほど乗りました。寝台券も保存してあります。
    懐かしいお話、ありがとうございました。

  • @MA02288245
    @MA02288245 Год назад +12

    小学生のときに乗りました。朝もやの中、落合駅で駅長さんが新得に向かう列車を見送ってくれました。落合駅も無人化され、当該線区はとうとう廃止が目前に迫っています。寂しいことですね。

  • @sideesprit9580
    @sideesprit9580 Год назад +23

    夜の小樽駅のホームに旧客に繋がれた10系寝台、それだけで旅情を感じられました。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke Год назад +9

    かつて担当してた会社で元JTB時刻表編集長と何度も一緒に仕事をしたが、国鉄時代に全線乗り継いだ話を伺い、はやたまやからまつは乗ったんですかと聞いたら、もちろんと。彼の学生時代、60年代末から70年代からのいろんな話を伺いました。私が80年代に購入したケイブンシャやコロタン文庫などの書籍を参考として持っていったら、こういう風に取り上げられてたんだと興味津々でした。歴代編集長とも色々話しましたが、国鉄時代を知ってる方はやはり話が面白かったですね。

  • @minakatamanabu7413
    @minakatamanabu7413 Год назад +47

    この列車、スハネ30の最後の定期運行だったことと若き日の松山千春が足寄から札幌の放送局に行くための「足」として使われたという話も。

    • @user-yj3ux3ju2n
      @user-yj3ux3ju2n Год назад +8

      「からまつ」乗車の実体験を基に作られた曲が「走れ夜汽車」でございました

  • @agtak1578
    @agtak1578 Год назад +19

    普通列車で寝台車付き、カオスでもなんでもありません。本来あってしかるべき思考だと思います。世界的にはまだ現存してるのではないでしょうか。とくに「はやたま」は最高でしたね。

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u Год назад +17

    富良野で上下「からまつ」が落合、40程停車それに合わせて「駅ソバ」を開けててくれた。
    (車内で撮影した写真から推測すると、「からまつ」を乗り通したのは、1977年頃だと思う。)

  • @2088nissy
    @2088nissy Год назад +20

    からまつの他にもはやたま・山陰・ながさき
    寝台車はないけど函館山線の41列車や有名な大垣夜行、四国の高松ー宇和島・中村夜行や中央線の山男列車など
    数え切れないほどの夜行普通列車がありましたね

  • @user-em9mu8yy2x
    @user-em9mu8yy2x Год назад +18

    私は年齢的にからまつは乗れませんでしたが、高校生の時に青春18切符ではやたま、山陰、ながさき、函館〜札幌、上野〜長岡、新宿〜長野、東京〜大垣、高松〜中村などの夜行普通列車をホテル代わりに乗りまくってました。
    駅寝も出来たしあの頃の鉄道の旅は楽しかったですね!

    • @user-uy9xf4nf9w
      @user-uy9xf4nf9w Год назад +1

      『STBのすすめ』ですね。分かります!

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw Год назад

      駅寝は、金沢が最高でしたね。
      あとは、昼間、北陸ワイド周遊券で乗り倒し、2日目を迎えるための新潟行『きたぐに』を待つ、ひんやりとした敦賀駅の待合。
      松山駅も 24H開放で、24時過ぎに到着したら、次の朝、始発で高知方向へ。土佐中村から高松行の夜行に乗りました。
      長岡夜行は、終着一つ前の宮内で、長岡発米原行の EL牽引の普通列車に乗れました。400km超、13時間の修行の始まり始まり…。

  • @tuyoshihase
    @tuyoshihase Год назад +19

    『からまつ』懐かしいです。
    45年くらい前の小学生時代に親に連れられよく乗車し寝台車は憧れでした。
    あと上野~長岡の夜行普通列車も39年前に乗車しました。
    上野発車時には激混みだったが、水上を過ぎたら長岡まで1両貸切だったのを覚えています。

  • @3poko
    @3poko Год назад +12

    「からまつ」乗られた兄貴たちいらっしゃいますね。自分は石勝線開通直前の8月に初渡道で乗れませんでした。
    その代わりに「利尻」の10系B寝台と「はやたま」「山陰」の旧客座席には乗れました。「ながさき」も乗りたかったです😿

  • @user-kz5zq2us3v
    @user-kz5zq2us3v Год назад +12

    新聞輸送という責務もあったんでしょうね

    • @toyo-rex4899
      @toyo-rex4899 Год назад +1

      午前3時台発の普通列車も福島とか山陰に昔ありましたね。おそらくメインは新聞輸送で旅客輸送はおまけだったのでしょう。
      今だとSuica等のICカードのチャージが可能な時間が午前4時以降だから、午前3時台発の列車の設定は不可能ですね。

  • @user-dl2oj3je8o
    @user-dl2oj3je8o Год назад +15

    現代では
    ありえない列車
    信じられない列車
    乗り過ごしたら大変

  • @user-ln4oz2ev1r
    @user-ln4oz2ev1r Год назад +7

    1952年 8月19日 2号車4番上段 札幌~釧路 からまつ。 乗車しました! 切符残してます。当時は周遊券を使って北海道1人旅。夜行座席ばかり(自由席)なので、3000円奮発し(B寝台)乗車しました。〜良き思い出で♪♪

  • @essauouo5251
    @essauouo5251 Год назад +8

    寝台付き普通列車の「山陰」のほうなら小さい頃の家族帰省で乗るか乗らないかってとこまで行ったものの、母の意見で夜行寝台付き急行「だいせん」に変えた思い出が(山陽線で関門地域の父の実家に行き、「さんべ」で島根の母の実家に行き、そこから関西に戻るという今から考えると夢のコース)
    その後二本体制がなくなったのは「からまつ」と同じ理由だったんでしょうね

  • @user-cb5um1du7j
    @user-cb5um1du7j Год назад +56

    「からまつ」や「山陰」や「ながさき」等、10系寝台車連結の普通列車が存在してましたね。懐かしい❗

    • @user-cj4qz3zi3e
      @user-cj4qz3zi3e Год назад +16

      もう一つ。「はやたま」を忘れてる、ぞなもし。

    • @user-wx7nj5dl6d
      @user-wx7nj5dl6d Год назад +4

      ​@@user-cj4qz3zi3e 紀勢本線のやつですよね懐かしいですね…

    • @user-cb5um1du7j
      @user-cb5um1du7j Год назад +2

      @@user-cj4qz3zi3e
      失礼しました。「はやたま」を忘れてました。…

    • @user-cj4qz3zi3e
      @user-cj4qz3zi3e Год назад +2

      @@user-cb5um1du7j さま、たいした事じゃないですョ。鉄ちゃんは、みんな、優しいですから…。

    • @asakazefuji
      @asakazefuji Год назад +3

      「はやたま」もかつては「南紀」でしたねえ

  • @zenshin1961
    @zenshin1961 Год назад +3

    私も1回だけ「からまつ」に乗る事ができました。今は亡き従兄と一緒に帯広から札幌まで乗車し、車中酔いしてしまった事が思い出されます。からまつ物語・・・乗車してから50年近く経って初めてわかる真実です。ほんとうにありがとうございました。

  • @mad1186
    @mad1186 Год назад +6

    天王寺、名古屋間の「南紀」がありました。特急に名前を召し上げられて「はやたま」に改名しました。
    南紀と名付けられてから寝台券を全国のマルスで買えるようになりましたが、それまでは列車番号が寝台券に記入されてました。しかも停車駅や、その近隣の旅行代理店でしか買えませんでした。

  • @zhongguowangbadan
    @zhongguowangbadan Год назад +4

    SL追っかけをしていたころ、最後の瀬棚線のC11を撮影した帰りに釧路から小樽までからまつの寝台に乗りました。発車停車の衝撃がまるで貨物列車並みのヘタクソなウテシのお陰で夜中まで眠れなかったのを覚えています。

  • @user-ni8jp6bh2c
    @user-ni8jp6bh2c Год назад +11

    夜行狩勝は釧路~岩見沢で一度乗車…初めてのB寝台だった。まりもになっても何回も乗ったけど、からまつは乗った事は無かった。その代わり、同じく寝台車付き普通列車だったながさきには佐世保~鳥栖で乗った。

  • @user-nq3fw7rn9v
    @user-nq3fw7rn9v Год назад +5

    1978年12月に乗りましたよ〜
    帯広早朝着、十勝三股往復(全線鉄路)〜広尾〜襟裳岬〜様似〜鵡川日高町往復〜苫小牧〜札幌着で1日の旅程終了

  • @user-cd1en7xq7x
    @user-cd1en7xq7x Год назад +5

    青春18とか、日本縦断一筆書きの旅とかで宿泊代わりに夜行列車を利用してた。種村直樹さんの本の影響もあった。

  • @okhan
    @okhan Год назад +9

    松山千春がからまつで足寄に帰る動画があったはず

    • @user-tz9hx9ls9v
      @user-tz9hx9ls9v Год назад +2

      札幌駅の切符売場で「足寄まで一枚」に痺れた!

    • @user-uk7mc7fy6z
      @user-uk7mc7fy6z Год назад +3

      生きがい
      ruclips.net/video/zF-iy9gPOSs/видео.html

  • @user-mo4jo6en2j
    @user-mo4jo6en2j Год назад +5

    北海道新幹線開業迄残っていたのが、札幌発青森行き、寝台車も連結されていた、夜行急行はまなす、だった、飛行機の時間に間に合わない人達や札幌でライブや遊びで苫小牧や函館、青森に帰る人達に重宝されていたね、女性専用車もあったし

  • @user-yf6ek4qk5l
    @user-yf6ek4qk5l Год назад +9

    京都から松江まで普通列車[山陰🛌]を利用したが京都口は帰宅客,鳥取県内は通勤通学列車&新聞輸送📰を兼ねていた

  • @user-vh6xs9rt2s
    @user-vh6xs9rt2s Год назад +9

    20年近く前、初渡道の際、急行「利尻」「まりも」の寝台を利用しました。
    あちらも寝台車連結という異色の気動車でしたが、そのご先祖様も数奇な運命をたどったのですね。
    「からまつ」という列車があったのも今回初めて知りました。良い動画ありがとうございます。

  • @user-cx6id5re4o
    @user-cx6id5re4o Год назад +15

    せっかくまとめていただきましたが存在理由、廃止理由ともちがいます。
    この列車は新聞輸送のために存在したのであって、そのため新聞販売店があればどんな小駅でも停車しました。廃止もトラック輸送の整備と道新の帯広印刷開始が大きな理由だったはずです。
    この説明を朝日の東京本社輸送担当の人からききましたので。

    • @jamesjacobsen7824
      @jamesjacobsen7824 Год назад +3

      新聞輸送というのは、あくまで存在理由・廃止理由の一部であって、メインの根拠ではないと思いますが。
      もし新聞輸送だけが列車に対する需要であるなら、わざわざ客車を繋げる必要はないでしょう。荷物列車があれば事足りるし。
      やはり旅客需要こそが大きな存在理由となるはずです。

    • @user-cx6id5re4o
      @user-cx6id5re4o Год назад +5

      @@jamesjacobsen7824 からまつもながさきも山陰も客車はガラガラでしたよ。ながさきなんか新聞車3両でしたから。

    • @jamesjacobsen7824
      @jamesjacobsen7824 Год назад

      @@user-cx6id5re4o
      新聞車という、新聞だけを運ぶ目的の車両はありません。
      あったのは、荷物車・郵便車です。
      荷物車には、新聞も含まれるのでしょうが現在ならコンテナで運ばれる小口貨物や今でいう宅配便のような小型荷物が主に載せられ
      郵便車に載せられるのは、あくまで郵便事業で扱われる物となります。

    • @jamesjacobsen7824
      @jamesjacobsen7824 Год назад

      @@user-cx6id5re4o
      あと、夜行の普通列車は、末期こそ乗客に恵まれずガラガラでしょうが、自動車交通、道路網の整備が進んでいない時代であれば移動手段としての需要は高いものがありました。

    • @user-uy9xf4nf9w
      @user-uy9xf4nf9w Год назад +1

      @@user-cx6id5re4o 『新聞車3両』是非、北海道新幹線で実現して欲しいです!

  • @user-gd9oh7hl8u
    @user-gd9oh7hl8u Год назад +2

    「からまつ」って聞いたことがあります。懐かしいですね。

  • @hc-ir2dr
    @hc-ir2dr Год назад +7

    からまつ号が走った路線も、もうすぐ一部廃止になりそうですね。
    その中の一部は災害で代行バスになっていますが。

  • @no-qi1hv
    @no-qi1hv Год назад +2

    子供の頃、母親に連れられて帯広から札幌までからまつに乗ったことがある。

  • @kosupuregazou
    @kosupuregazou Год назад +5

    この頃存分に乗りたかった!でも当時中学生だったので親が許すわけもなく、また金もなかった。大人になった時は金はあるんだが時間が無いw そうこうしてるうちに列車はどんどん廃止に。無念。

  • @syotakariage2364
    @syotakariage2364 Год назад +2

    こどもの頃札幌から帯広の祖父宅に行く際寝台車に乗りました。弟と999みたいだと話してました。帰りはおおぞらではじめての食堂車。今でも覚えてます。

  • @khs431228
    @khs431228 Год назад +16

    宮脇俊三氏の本に「からまつ号の寝台で、雪祭り見物帰りの若夫婦が幼子の発熱を心配する様子」が活写されておった事を思い出しました。 ありがとう 

    • @hofckagawakun
      @hofckagawakun Год назад +4

      僕も「からまつ」と聞くと宮脇さんの文章を思い出します。仲間がいてウレシい!

  • @hirosimcard
    @hirosimcard Год назад +1

    ついこの前まで急行列車だと思っていました。

  • @superkamui45
    @superkamui45 Год назад +7

    昔の客レ長距離鈍行は旅情がある

  • @karakasa1
    @karakasa1 Год назад +2

    阪和線~紀勢線の「はやたま」もありましたね、一度乗ってみたかった

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw Год назад

      天王寺から出て、全線乗り通すのではなく、印南か南部で逆方向・天王寺行に乗り換えて、ホテル代わりに使ったことがあります。

  • @user-qp8qn9ju8j
    @user-qp8qn9ju8j Месяц назад

    はやたま山陰等寝台を連結した鈍行列車がありました。もう40年前はやたまに乗った事があります。天王寺から紀勢本線経由で名古屋まで本当に楽しかった。紀伊田辺白浜串本紀伊勝浦熊野市尾鷲紀伊長島多気松坂等本当にゆつくり停車しました。紀勢本線も廃線かなぁと思いましたけど。

  • @user-mt9ll8dr3l
    @user-mt9ll8dr3l Год назад +5

    この列車がいた時代が最後の黄金期だった気がしなくもない

  • @ksrse30
    @ksrse30 Год назад +3

    新宮夜行後のはやたまも、そうだったのでしょうね。😅

  • @user-fs3bl4fj7v
    @user-fs3bl4fj7v Год назад +3

    寝台車付き普通列車か乗った人の話しを聞いたことがあります。高値だそうと言っていました。

  • @BISCUITGDII
    @BISCUITGDII 2 дня назад +1

    途中区間の富良野-新得間も、今春に剥がされました😢

  • @user-gq7ph4vw5b
    @user-gq7ph4vw5b Год назад +3

    70年代の『山陰』にも、寝台車がついてたけどね。
    窓が開くってことは冷房なしだろうけど。

    • @user-ii3xb1lc1l
      @user-ii3xb1lc1l Год назад +2

      車軸発電式による冷房化改造されていた

  • @masuburi
    @masuburi Год назад +4

    石勝線は1981年開通です

    • @koppe_233
      @koppe_233  Год назад +1

      教えて頂きありがとうございます。制作者の確認ミスなので概要欄で訂正致します。

  • @sho12340
    @sho12340 2 месяца назад

    その和食堂車に乗った人の話を鉄道雑誌で読んだことがある。戦時中で食糧不足の時にサケフライ定食を食べた、実に美味であったと書いてあった。地物のシャケ、さぞかしおいしかったでしょう。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 9 месяцев назад +1

    全く話はそれるんですが、ムーンライトシリーズの中で唯一ムーンライト八重垣だけが、B寝台車を連結していました。

  • @user-fl6js5sv3x
    @user-fl6js5sv3x Год назад +3

    北海道の夜行列車は快速ミッドナイト(函館〜札幌)しか乗ったことがないけど、夜行普通列車は「上野〜長岡」「天王寺~新宮〜亀山〜名古屋」「窪川〜高松」には乗った。
    「東京⇔大垣」「新宿〜新潟」は別格、記憶にないけど「上野(奥羽本線経由!青森」に乗ったらしい(親から聞いた)
    私的には急行が夜行列車のメインだったけど🚃
    面白いエピソードありがとうございました😀

  • @masayukiyamada1158
    @masayukiyamada1158 Год назад +1

    「からまつ」は郵便車も連結した堂々の長距離夜行・・小樽出発の時は、郵便車に小樽本局から各駅で卸す郵袋を赤帽さんたちが積みこむその風景は
    リアル銀河鉄道999でした。

    • @user-oy9jw6cc2r
      @user-oy9jw6cc2r 10 месяцев назад +1

      赤帽さんではなく、鉄道郵便局員ですね。
      赤帽さんはお客様の荷物を運ぶのが仕事ですね。

    • @masayukiyamada1158
      @masayukiyamada1158 10 месяцев назад

      @@user-oy9jw6cc2r さん、あ、そうだったんですか!。ご教示有難うございます。幼心で見ていたので赤帽さんだと思ってました💦。大きな台車にたくさんの郵袋を何度も何度も積み込んでいた姿が印象的でした。時には発車間際まで。

  • @nshiphone_rail257
    @nshiphone_rail257 5 месяцев назад

    おそ松のから松『からまつと聞いて』

  • @ch-jn4rx
    @ch-jn4rx Год назад

    さすがに年代的にこの列車は乗ることはありませんでしたが、その昔 特急「おおぞら」も函館~釧路で走っていましたね(^ ^)
    迷列車と言えるか 分かりませんが 小学生の頃乗った 急行「きたぐに」も見てみたいです

  • @user-do8wk3mx9k
    @user-do8wk3mx9k Год назад +1

    「山陰」に乗っといてよかった‥‥

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 2 месяца назад

      ワイも乗ったんだけどさ、オハネフ12ではなくオハ12😵

  • @user-mh4qy4uq9l
    @user-mh4qy4uq9l 7 месяцев назад +2

    人気にて列車?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。

  • @user-bd3ss9qq6r
    @user-bd3ss9qq6r Год назад +7

    乗りたかったなぁ

  • @user-pb1gk5cs7y
    @user-pb1gk5cs7y Год назад +3

    今でもこんな列車があったら北海道を旅する18キッパーが乗ってたんだろうかな

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 2 месяца назад +1

      そして、「何でB寝台は18きっぷ駄目なの?」までがお約束😁

    • @user-pb1gk5cs7y
      @user-pb1gk5cs7y 2 месяца назад +1

      @@psychedelicraspberry517 本当にあり得そうで草

  • @user-sp7xm8gz4t
    @user-sp7xm8gz4t Год назад +4

    お帰りなさい!で良いのかな?

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 9 месяцев назад +1

    寝台車2両のうち確か一両は、池田までだったと思います。釧路まで連結されているのに何故池田までしか乗車出来なかったのか今もってなぞです。

  • @gsan1135
    @gsan1135 Год назад +1

    その列車知らないが同じように門司港長崎駅間の普通夜行列車にも寝台車ついてましたよ 普通車何回か利用したよ
    国鉄時代は普通夜行他にもありましたよね

  • @user-es6zu6lb4m
    @user-es6zu6lb4m Год назад +4

    周遊券所持なら夜行急行っしょ。新得折り返しとかも有ったね

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw Год назад

      北海道ワイド周遊券なら、特急にも乗れました。
      上野から、夜行列車のみで北海道内回り、道内最後は札幌発函館行の各駅停車、朝一の青函連絡船で本州に戻り、仙台で途中下車して仙石線の 103系爆裂快速に乗りました。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 2 месяца назад

      それが、確か「からまつ」廃止までは夜行「狩勝」は普通車全車指定席だから、安くあげるなら「からまつ」なのよ…😵

  • @yagichan0410
    @yagichan0410 Год назад +1

    北はからまつから南はながさきまで、山陰とかはやたまとか寝台付き普通夜行列車いろいろあったよね。寝台取った事ないから愛称なしの座席のみの夜行との違いは愛称の有無だけだったw

  • @kiyomine12
    @kiyomine12 Год назад +1

    記憶違いかもしれませんが、函館発釧路行きの鈍行もありませんでしたっけ?確か山線経由だったような……

  • @AT-M--STSCOOPEDOG
    @AT-M--STSCOOPEDOG Год назад +1

    長距離の鈍行は荷物車両の運行で必要でしたが、1985頃に荷扱い廃止で客車が激減。あと4~5年早く生まれたならば全国各地に運行されていた旧型客車夜行鈍行寝台に18切符で
    バリバリ乗り倒せたのに、中学生じゃ無理やった、残念。😢そんな人は多いと思う。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 2 месяца назад

      ワイは18きっぷ登場時は中坊だが、当時存在してた8系統15本の夜行普通列車のうち8系統14本乗ったよ!(乗ってないのは長野→新宿)もちろん、この動画の「からまつ」は18きっぷ登場前だから乗れなかったよ😵

  • @user-ti3xw1bj3s
    @user-ti3xw1bj3s Год назад +1

    「山陰」という列車名があったかどうかは知りませんが、50年以上前、私が小学生の頃に京都発23:59で出雲市着は失念しましたが、1両だけB寝台が連結されていた列車が運行されていました。これは定期列車でした。親戚が石川県にいたので特急「雷鳥」「白鳥」、急行「立山」「ゆのくに」と夏季の臨時急行(名称不明)で、米原駅でEF58→ED70(だった?)へ交直の機関車切り替えを見学していました。同じく夏季特有の臨時急行「エメラルド」(気動車で小浜線走行)とかにも乗車した記憶があります。

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw Год назад

      京都駅 0番線発、急行(と言っても、福知山あたりからは普通列車に)『だいせん』だと思います。

    • @user-ti3xw1bj3s
      @user-ti3xw1bj3s 10 месяцев назад

      @@Oh-iy5bw
      「急行だいせん」が京都始発という事実はいくら探してもありませんでした。「だいせん」は全て大阪発着ですね。この当時の国鉄時刻表がまだ実家にありますが、やはり普通列車です。編成はごく普通のオハ、スハ系です。ナハは東京発の「桜島」「高千穂」以外ではほぼ見たことがありません。12系、14系そして20系ではない、非電化時代の「普通の」客車列車です。B寝台は1両のみ連結です。

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw 10 месяцев назад

      @@user-ti3xw1bj3s ご教示いただき、ありがとうございます。
      とすると、私が京都駅 0番線から乗ったのは、途中停車しない駅があったから急行だと、これまた勘違いしていた、実は普通列車の『山陰』だったんでしょうかね。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 2 месяца назад

      その頃は米原からの北陸本線はまだDD50いたのかな?田村から先がEF70&ED70&ED74かな?😋

  • @user-kd4hc4rd7i
    @user-kd4hc4rd7i Год назад +1

    内地だと
    山陰 ながさき
    紀伊半島にも何かあった気がしたが
    忘れた

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw Год назад

      『はやたま』
      両方向設定があったので、天王寺発着で、大阪でのホテル代わりに使えました。

  • @user-ro3bl1gi2r
    @user-ro3bl1gi2r Месяц назад

    スハネフ連結のまりもとか鉄道模型で知った私は珍しいなぁと思っただけでした(^^;

  • @oratorio51
    @oratorio51 Год назад +3

    間違いが有るのでご指摘致します
    02:16 「まりも」の寝台車連結区間ですが、「札幌~釧路」で御座います
    昭和39年4月の時刻表では食堂車込みで座席車のみ8両が函館~札幌で、二等指定席2両と一等指定席1両の3両が切り離され、一等寝台B1両と二等寝台3両の4両が連結し釧路に向かうようになっています
    因みに函館~札幌が夜行運転なのは、寝台車連結は室蘭廻りの「準急たるまえ」で、倶知安経由一等車連結の各駅停車釧路行で御座います

    • @koppe_233
      @koppe_233  Год назад +1

      教えていただきありがとうございます。時刻、編成を再調査したところ、1910年に函館~釧路に直通列車が設定された時から、1965年に札幌以西が急行ていねとして分離されるまで、札幌以西が昼行、札幌以東が夜行で運転されていたため、1953年に寝台車の連結を開始した際は、連結区間は札幌~釧路間のみだったことを確認しました。制作時の文献参照が不足していたことによるミスと思われますので、概要欄で訂正させていただきます。

  • @gorotame1425
    @gorotame1425 Год назад +3

    札幌〜釧路間の夜行列車の復活を願いたい。
    乗り通すも途中までの乗車にも利便性が高かったし、廃止までの10年程は冬季半年間寝台3000円だったのも魅力だった。

    • @masayukiyamada1158
      @masayukiyamada1158 Год назад

      小樽から釧路間ですぅーーーと小樽民が涙の抗議(笑)。

  • @user-on2om2yg2k
    @user-on2om2yg2k Год назад +1

    おはよう御座います、確か、貨物兼任、新聞とかも、運んでたとか、

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 2 месяца назад

      厳密に言うと、国鉄では郵便📮・荷物📦️輸送は旅客の範疇。まぁ、この動画の頃の北海道には、ガチで「貨車」繋いでた「混合列車」あったよ!(乗ったオッサン)😉

  • @futon_hosu1661
    @futon_hosu1661 Год назад +3

    道内でしか見られなかった珍車、オロハネ10を使っていたと聞いています。

  • @yamayosu7959
    @yamayosu7959 Год назад +1

    普通寝台って中国(山陰)でも在りませんでしたっけ?

  • @tkk1149
    @tkk1149 6 месяцев назад

    よく燃料もつな

    • @itouda5229
      @itouda5229 4 месяца назад

      昔は特急白鳥(DC)が青森~大阪間1000km余りを途中無給油で走っていたのだが。

  • @user-xc8zx9fo8e
    @user-xc8zx9fo8e Год назад +3

    あの当時の夜行列車は、ゴージャスなものではなく、車内が薄暗くて、レトロ感が半端なくありました。
    80年代頃までは、「寝台車付きの夜行普通列車」も走っていました。
    北海道、函館線、根室線の「からまつ」(小樽⇔滝川間、ED76 ₅₀₀牽引、 滝川⇔釧路間、DD51牽引 )や、
    山陰線の「山陰」(京都⇔出雲市、DD51牽引)、
    阪和線・紀勢線の「はやたま」(天王寺⇔新宮、熊野市など、EF58,DF50,DD51等の牽引)、
    九州の鹿児島線、長崎線・佐世保線の「ながさき」(門司港⇔長崎、佐世保、ED76 牽引)などは有名でした。
    いずれも旧型客車を主体とし、寝台車には10系寝台客車が用いられていました。
    この時代よりも前は特急、急行、普通列車を問わず、もっと多くの夜行の寝台列車が走っていました。
    数年前、北アルプスに登山に行ったら、早朝のJR松本駅や松本電鉄の新島々駅、上高地には山のような登山客がいました。なるべく早い時間帯から登山を開始して山小屋などの目的地には日没前に着くようにしたい。今でも夜行需要は確実にあります。

    • @jamesjacobsen7824
      @jamesjacobsen7824 Год назад +2

      「ながさき」について補足させていただきたいのですが
      早岐駅で佐世保編成・長崎編成が分割併合されていたはずで、長崎編成は大村線を経由する関係で
      長崎~早岐での牽引機としてDD51が担当していました。

    • @user-xc8zx9fo8e
      @user-xc8zx9fo8e Год назад

      @@jamesjacobsen7824 さん
      補足ありがとうございます。
      もともとの夜行普通列車「ながさき」の運行目的は、戦前の上海航路への連絡だったようで、それがこの時代まで残っていたものです。なので寝台車付き夜行列車であり門司港発着だったのです。
      牽引機は、門司港⇔早岐間がED76 ₀、早岐⇔長崎、佐世保間はDD51牽引で、最後の頃は、早岐⇔長崎間は8両くらい、早岐⇔佐世保間は2両くらいとなっていたはずです。
      寝台特急「あかつき」とはルートが異なっており、「あかつき」の方の佐世保編成は筑豊本線経由であったため、そのまま架線下でのDD51牽引でした。
      ちょうど1985年2月のダイヤ改正で、1・4号の佐世保駅発着編成を、西鹿児島駅発着の「明星」にその編成ごと置き換えた関係で、寝台特急「明星」と新大阪駅⇔鳥栖駅間での併結運転をすることとなりました。そのため「あかつき」の牽引機もED76 ₀となり、スイッチバックとなる早岐での折り返し時間の短縮のため、一時(1984年2月~1985年3月のダイヤ改正までの約1年間)、佐世保方向にDE10を連結したプッシュプルとなりました。同様の現象は昭和40年代初頭にもあり、この時にはC11がこの役割を果たしていました(この当時の鹿児島線等電化区間での本務機はED72。)。いずれのケースでも非本務機にもヘッドマークがついていました。

  • @hokkai3706
    @hokkai3706 Год назад +1

    サムネが電車じゃ