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スバルに乗って42年。百瀬晋六さんの大ファン。奥さまの岱子さんに手紙を書いたらお返事と関連書籍を贈ってくださいました。忘れらません。
令和のご時世でまた「国民車構想」で作ってみたら 意外といい車が出来てくるのではないかと思う。
政府が国民よりも外国人を優遇してるから出来ないだろうな
昔は軽自動車免許があって16歳から乗れた!フロント分割バンパーのてんとう虫まさしく親爺の初めての愛車と同型です。当時は碓氷峠を最低一度はボンネットを明けて休憩したのにてんとう虫は一気に登りました。
スバル独自設計最後の、スバル・ステラ初代に乗り続けてると、スバル360てんとう虫の精神が受け継がれているのが体感できます。RRからFF、2ストからクローバー4には変わりましたが。
最近、近所の家にスバル360があることを発見。ディスプレイモデルかなと思っていたら、ちゃんと白煙を上げで走っていたので二度びっくり。引っ越してから30年以上気づかなかったのか、後にマニアが中古を購入したのかはわからずにいます。
スバル360カスタム。このライトバン乗ってました。ギアは3速+OD(オーバードライブ)とにかく柔らかいサスペンションが凄い!!小さな10インチタイヤがフワフワ動く姿は他の車では見られない。運転席に座ると右足に右前輪が当たるwなのでアクセル等のペダルはやや左に設置されていて、極端に言うと左斜方向に向かって座って運転する感じ。ホントに良く出来たカワイイやつでした。
可愛いですよね!
@@松下憲一-k3p さん。かわいいだけでは無くて健気だったりします。当時の自動車ってトラブルが起こるのって日常茶飯事wエラく力が無いので???プラグコードが断線して360cc2気筒の1気筒が点火せず、片肺走行になっていたwそれでも非力でも頑張って走るんですよ。180cc1気筒で!!これを健気と言わずして何を健気って言うwww
片肺@180ccで思い出しました。何故、「360cc」に決定したか、経緯を御存知でしょうか?旧運輸省(現・国土交通省)のお役人が二人か数人かが、居酒屋?かで、軽自動車の排気量を何ccにすれば良いかを話し合っていた。結論が出ず、しばし沈黙の時間が流れた瞬間にグッド・タイミングで仲居さんが御盆に熱燗を2本(@180cc✕2=360cc)乗せて登場。そこにいる全員(2人か数人か不明)が「熱燗2本」に注目をした。誰かが「これで決まりだね」と言った。ウソみたいな本当の話しなのである。
@@倉川豊紀 さん。それで思い出しました。原チャリのエンジンはヤクルト1本。軽自動車は牛乳瓶2本て高校の頃に言ってた話。そうか牛乳じゃなくトックリとはビックリwww高校生には思いつかん発想やった。
@@小北一仁-p1s様へ御指名を頂きまして、有難度うございます。以前、スバルR2(空冷)・左ハンドル(沖縄仕様)を保有していました。スバル360にしても、スバルR2(360cc・空冷)にしても、設計者の中に身長180cmの人がいたらしい。わたくしも、180cmあり、R2とホンダN3は運転がし易かったですね。現「X」(=旧・ツイッター)を今習っています。多数のメールが届き過ぎますので、メールが届かないように設定して貰った処、RUclipsからの返信メールも届かなくなってしまいました。
子供の頃よく見掛けたなぁ。 丸っこい格好は愛嬌の為だと当時は思ってました。 その優秀さ故にトリプルファイターに登場する悪のデビラー軍団に主力戦闘車輌として採用されてましたwww
最初期型のデメキンはプラスアースで、外の金属部に車体が当たると火花が散ったらしいですね。後にマイナスアースにしたり、プラスアース車もディーラーや修理工場でマイナスアースに引き直したとか。
昭和30年代は軽自動車免許(360cc以下)と言う免許が有り16歳で取得可能でした。後に軽自動車が550ccに格上げされると、軽自動車免許360cc以下は、試験場で講習を受ければ、普通自動車免許に更新さらました。また、大型2種牽引車免許(大型牽引トレーラーなどの運転)を取得すると、全ての自動車(大型自動二輪も含む)が運転出来ました!
羨(うらや)ましい時代ですね。360ccの軽自動車免許は、1968年(昭和43年)5月末日までに、16歳だった人に受験資格があった。翌日以降は18歳となった。
私もスバリストの一人ですよね!百瀬さんの素晴らしい技術力が後世に伝えて行きたいと思いますよね🤩
デビュー以来、年次改良やマイナーチェンジが実施され、本格的なフルモデルチェンジは行われず、生産・販売は12年間のロングランに亘った。発売早々、自家用車に購入のユーザーは数多かった。
極限設計に近い形で製品化したため国民の生活が豊かになると初期型のまるで路線バスのようなシートではなくもう少し座り心地の良いものを求めたりカーラジオ、ヒーターなどを求めだすと車重は増える。するとより高出力にしなければならないと言ったジレンマを内包したクルマでもありました。現代では軽自動車のプラットフォームで1000〜1200cc位の小型車も造れる設計となっていましたがスバルを始めとした軽自動車は拡大版のエンジンを積むことはあっても大型化は出来ませんでした。
このスバル360は、デザインが秀逸で買いたかった軽自動車です。その次にR-2に変更されてからあまり乗りたいクルマでは無くなりました
個人的には、この「スバル360」よりも、後継の「スバルR2(360cc )」の方(ほう)が私(わたくし)は好きだった。左ハンドル(沖縄仕様)を保有したほどです。空冷エンジンよりも水冷のが、今でも欲しいくらいです。旧車雑誌「オールドタイマー誌」を創刊号から最新号196号まで32年余り、1号も欠かさずに購読・保管しておりますが、数年前のコロナの真っ最中に水冷R2(360cc)が一度売りに出たくらいです。程度良好・実走4万5千km余り、価50万円?福岡県の方だったように思う。
デメキンが初代サブロクなのは有名だけど、年式によってボンネットフードやエンジンフード、メーター、混合給油から分離給油、ウィンカーランプやテールランプの形状、3速副変速機付き、遠心クラッチ、シート形状、などなど…一見同じサブロクでも見る人が見たら明らかに年式がわかる。それくらいここでは書ききれないくらいの違いがある。スバルはそれほど細かくマイナーチェンジした車だから未だに愛されてるんだと思う。私自身も昭和43年式デラックス(3速)を15年間大事に乗ってました
2:29 画像は初代スカイラインですね。
素晴らしい!
あれだけ長期間製造され「国民車」として大ヒットしているのに現存車が極端に少ないのは、とあるTVドラマが一枚嚙んでいると云われている(番組名忘れた)全国からかき集め車体を黒く塗り替え・・・その後どうなったかわからない。あとアニメの話で恐縮だが「よろしくメカドック」の社用車(?)にもなってた。ただ、あの車体にフルチューン12Aターボを積んでいた設定だから、実車だとイチから作り直さないと無理でしょw
トヨタグランビアとグランドハイエースをリクエストします
Professor阿笠博のGermanyBeetle❤🎉
パッと見ると似てますね。
ボクが幼稚園児となる以前の昭和40年代半ば迄、親父の派遣先だった千歳駐屯地でボクら一家の移動手段を務め、熊本へ戻った後も2代目パブリカに置き換わる迄、引き続いてボクら一家のもとで360後期型は一緒だった。熊本では我が家の玄関扉を通って、家の中の土間迄入っていたという(^_^;)今もボクのリトルカブが玄関扉を出入りしており、土間がカブの居場所となっているよ。
トヨタは外国メーカーの車を参考(真似とも言うう)にはしたがノックダウン生産はしてないんじゃないか「大きな修理は起こさない」おかしな言葉だ
ポルシェ設計の国民車VWビートルを小さくしたようにしか見えない。
流行りですね。
このRRレイアウトは三菱アイでも採用されていたという。
カブトムシを真似したのが、此のテントウムシ。当時の技術の粋を結集したのが「スバル1000」→15分10秒に登場。誕生が数年早くて、余り売れなかった。それを真似たのが、初代「ワーゲン・ゴルフ」 // →「スバル1000」に似てるでしょう。一種の意趣返しですね。
スバルに乗って42年。百瀬晋六さんの大ファン。奥さまの岱子さんに手紙を書いたらお返事と関連書籍を贈ってくださいました。忘れらません。
令和のご時世でまた「国民車構想」で作ってみたら 意外といい車が出来てくるのではないかと思う。
政府が国民よりも外国人を優遇してるから出来ないだろうな
昔は軽自動車免許があって16歳から乗れた!フロント分割バンパーのてんとう虫まさしく親爺の初めての愛車と同型です。
当時は碓氷峠を最低一度はボンネットを明けて休憩したのにてんとう虫は一気に登りました。
スバル独自設計最後の、スバル・ステラ初代に乗り続けてると、スバル360てんとう虫の精神が受け継がれているのが体感できます。
RRからFF、2ストからクローバー4には変わりましたが。
最近、近所の家にスバル360があることを発見。ディスプレイモデルかなと思っていたら、ちゃんと白煙を上げで走っていたので二度びっくり。引っ越してから30年以上気づかなかったのか、後にマニアが中古を購入したのかはわからずにいます。
スバル360カスタム。このライトバン乗ってました。
ギアは3速+OD(オーバードライブ)
とにかく柔らかいサスペンションが凄い!!
小さな10インチタイヤがフワフワ動く姿は他の車では見られない。
運転席に座ると右足に右前輪が当たるw
なのでアクセル等のペダルはやや左に設置されていて、極端に言うと左斜方向に向かって座って運転する感じ。
ホントに良く出来たカワイイやつでした。
可愛いですよね!
@@松下憲一-k3p さん。
かわいいだけでは無くて健気だったりします。
当時の自動車ってトラブルが起こるのって日常茶飯事w
エラく力が無いので???
プラグコードが断線して360cc2気筒の1気筒が点火せず、片肺走行になっていたw
それでも非力でも頑張って走るんですよ。
180cc1気筒で!!
これを健気と言わずして何を健気って言うwww
片肺@180ccで思い出しました。
何故、「360cc」に決定したか、経緯を御存知でしょうか?
旧運輸省(現・国土交通省)のお役人が二人か数人かが、居酒屋?かで、軽自動車の排気量を何ccにすれば良いかを話し合っていた。
結論が出ず、しばし沈黙の時間が流れた瞬間にグッド・タイミングで仲居さんが御盆に熱燗を2本(@180cc✕2=360cc)乗せて登場。
そこにいる全員(2人か数人か不明)が「熱燗2本」に注目をした。
誰かが「これで決まりだね」と言った。
ウソみたいな本当の話しなのである。
@@倉川豊紀 さん。
それで思い出しました。原チャリのエンジンはヤクルト1本。
軽自動車は牛乳瓶2本て高校の頃に言ってた話。
そうか牛乳じゃなく
トックリとは
ビックリwww
高校生には思いつかん発想やった。
@@小北一仁-p1s様へ
御指名を頂きまして、有難度うございます。
以前、スバルR2(空冷)・左ハンドル(沖縄仕様)を保有していました。
スバル360にしても、スバルR2(360cc・空冷)にしても、
設計者の中に身長180cmの人がいたらしい。わたくしも、180cmあり、R2とホンダN3は運転がし易かったですね。
現「X」(=旧・ツイッター)を今習っています。多数のメールが届き過ぎますので、メールが届かないように設定して貰った処、RUclipsからの返信メールも届かなくなってしまいました。
子供の頃よく見掛けたなぁ。 丸っこい格好は愛嬌の為だと当時は思ってました。 その優秀さ故にトリプルファイターに登場する悪のデビラー軍団に主力戦闘車輌として採用されてましたwww
最初期型のデメキンはプラスアースで、外の金属部に車体が当たると火花が散ったらしいですね。
後にマイナスアースにしたり、プラスアース車もディーラーや修理工場でマイナスアースに引き直したとか。
昭和30年代は軽自動車免許(360cc以下)と言う免許が有り16歳で取得可能でした。後に軽自動車が550ccに格上げされると、軽自動車免許360cc以下は、試験場で講習を受ければ、普通自動車免許に更新さらました。また、大型2種牽引車免許(大型牽引トレーラーなどの運転)を取得すると、全ての自動車(大型自動二輪も含む)が運転出来ました!
羨(うらや)ましい時代ですね。
360ccの軽自動車免許は、
1968年(昭和43年)5月末日までに、16歳だった人に受験資格があった。翌日以降は18歳となった。
私もスバリストの一人ですよね!百瀬さんの素晴らしい技術力が後世に伝えて行きたいと思いますよね🤩
デビュー以来、年次改良やマイナーチェンジが実施され、本格的なフルモデルチェンジは行われず、生産・販売は12年間のロングランに亘った。発売早々、自家用車に購入のユーザーは数多かった。
極限設計に近い形で製品化したため国民の生活が豊かになると初期型のまるで路線バスのようなシートではなくもう少し座り心地の良いものを求めたりカーラジオ、ヒーターなどを求めだすと車重は増える。するとより高出力にしなければならないと言ったジレンマを内包したクルマでもありました。現代では軽自動車のプラットフォームで1000〜1200cc位の小型車も造れる設計となっていましたがスバルを始めとした軽自動車は拡大版のエンジンを積むことはあっても大型化は出来ませんでした。
このスバル360は、デザインが秀逸で買いたかった軽自動車です。その次にR-2に変更されてからあまり乗りたいクルマでは無くなりました
個人的には、この「スバル360」よりも、
後継の「スバルR2(360cc )」の方(ほう)が私(わたくし)は好きだった。
左ハンドル(沖縄仕様)を保有したほどです。
空冷エンジンよりも水冷のが、今でも欲しいくらいです。
旧車雑誌「オールドタイマー誌」を創刊号から最新号196号まで32年余り、1号も欠かさずに購読・保管しておりますが、数年前のコロナの真っ最中に水冷R2(360cc)が一度売りに出たくらいです。
程度良好・実走4万5千km余り、価50万円?福岡県の方だったように思う。
デメキンが初代サブロクなのは有名だけど、年式によってボンネットフードやエンジンフード、メーター、混合給油から分離給油、ウィンカーランプやテールランプの形状、3速副変速機付き、遠心クラッチ、シート形状、などなど…一見同じサブロクでも見る人が見たら明らかに年式がわかる。それくらいここでは書ききれないくらいの違いがある。スバルはそれほど細かくマイナーチェンジした車だから未だに愛されてるんだと思う。私自身も昭和43年式デラックス(3速)を15年間大事に乗ってました
2:29 画像は初代スカイラインですね。
素晴らしい!
あれだけ長期間製造され「国民車」として大ヒットしているのに現存車が極端に少ないのは、とあるTVドラマが一枚嚙んでいると云われている(番組名忘れた)全国からかき集め車体を黒く塗り替え・・・その後どうなったかわからない。
あとアニメの話で恐縮だが「よろしくメカドック」の社用車(?)にもなってた。ただ、あの車体にフルチューン12Aターボを積んでいた設定だから、実車だとイチから作り直さないと無理でしょw
トヨタグランビアとグランドハイエースをリクエストします
Professor阿笠博のGermanyBeetle❤🎉
パッと見ると似てますね。
ボクが幼稚園児となる以前の昭和40年代半ば迄、親父の派遣先だった千歳駐屯地でボクら一家の移動手段を務め、熊本へ戻った後も2代目パブリカに置き換わる迄、引き続いてボクら一家のもとで360後期型は一緒だった。
熊本では我が家の玄関扉を通って、家の中の土間迄入っていたという(^_^;)
今もボクのリトルカブが玄関扉を出入りしており、土間がカブの居場所となっているよ。
トヨタは外国メーカーの車を参考(真似とも言うう)にはしたがノックダウン生産はしてないんじゃないか
「大きな修理は起こさない」
おかしな言葉だ
ポルシェ設計の国民車VWビートルを小さくしたようにしか見えない。
流行りですね。
このRRレイアウトは三菱アイでも採用されていたという。
カブトムシを真似したのが、此のテントウムシ。
当時の技術の粋を結集したのが「スバル1000」→15分10秒に登場。
誕生が数年早くて、余り売れなかった。
それを真似たのが、初代「ワーゲン・ゴルフ」 //
→「スバル1000」に似てるでしょう。
一種の意趣返しですね。