もうメチャクチャ..30年続いた名門F1チームの悲惨すぎる最期【解説】【ブラバム】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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◆動画について
F1屈指の名門、ブラバムですがその最期はあまりに悲惨なものでした。
今回はブラバムの最期の数年を振り返ります。
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なんだかんだでモデナ、ブランデル、ブランドル、ヒルという表彰台に立てるドライバーをこの一番やばかった時期に4人も引き当てているブラバムって凄い
DAIKINの社員ですが消滅直前は我社もスポンサーしてましたよ。
情報が少なかった当時は、中谷明彦へのライセンス発給拒否と
ジョバンナ・アマティの遅さとスポンサーの未払いが全てを持っていった。
デーモン・ヒルはウィリアムズのテストドライバーを掛け持ちしながら
よくやったというか、少ないチャンスをモノにした偉大なドライバーだ。
ブラバムという名門の火が消えた後、ロ-タス、ティレル、リジェ等
まるで連鎖反応のように次々と名門の火(名)が消えて行きましたね
復活したり、生まれ変わったり、名前が変わったり等
色々ある中、完全に名門の火が消えてしまうのは寂しいです。
80年代に参戦した日本のプライベーターは例外なく悲惨な最期を迎えるのが確定している.... 逆に童夢は参入できなくて正解だったのかもね。
ブランデルとブランドル、名前が似ていてややこしいコンビがいたときのブラバムは結構好きだったな。
しかも、ファーストネームはマーチンとマーク。
ついでにブランビラさんも絡んでほしかった
今はブランドルは解説者として有名だがブランデルとは実際に仲が良く二人でドライバーマネジメント業やってましたね
当時の『難波のブラバム兄弟』て言い回しは下品だが嫌いでは無かったです
2年後、なぜかフランスチームのリジェでもチームメイトになりましたねえ。
最悪な時期のブラバムでデビューしたのに、後に見事チャンピオンになったデーモン・ヒルは、相当な強運の持ち主でしたね。
まあ、ウィリアムズのテストドライバーを長年してて、元々あった素質も磨かれて、例のマンセル引退と、さっさとベネトンに移籍したパトレーゼの呼び戻し失敗したから、テストドライバーとして能力が高い&マシンに慣れているデイモン・ヒルにお鉢が回って来ましたからね。
ヒルはシャシー/エンジンが壊れたら壊れたらほぼその状態でピットまで戻ってこれる腕前で、どこがダメで壊れたかが確認出来るって事でメカニックの信頼は分厚かったんだと。
最強・最速のテストドライバーと呼ばれてたてのは与太話じゃなかったのかもね。
@@user-py2bs4wy5m デイモンですか?
@@SGC7-overdrive そうデーモン・ヒル。親父さんのグラハムじゃない。
@@user-py2bs4wy5m わざわざありがとうございます!
ブラバムが不在だった88年のエントリーリストにカーナンバー7と8が無く、89年に復帰するブラバムの為に用意されていたのはナンバーが『固定制時代』だったある意味でのリスペクトだろうね。 バーニー・エクレストンの影響もあるだろうが。
バーニー・エクレストンの時代あれほど美しく理路整然としていたチームが最後はペンキをぶち撒けたようなカラーリングで終焉に迎う所がたまらなかったな。チーム終焉近くになってブラバムに在籍した事もあるラウダの愛人ジョバンナ・アマティがドライバーとして在籍するなど無茶苦茶な状態になってしまった事もまた面白かったね。
BT58は名車でしたね。活躍もそうでしたがデザインもシンプルで今見ても美しいです。
ブラバムというと、ぺったんこマシンのBT55、ドライバーでいうとピケやパトレーゼを思い出すけど、なんといってもいまだに最盛期のスポンサーだったparmalatとolivettiの文字が頭に浮かんでくる。F-1は走る広告塔と言われるけど、やはり広告の威力って凄いなーと感じてしまいますね。
これを見てると、近年になってカテゴリー違えどよくブラバムの名を復活させたなぁ…としみじみ思う。
F1とはいかに金を集めて、効率的にピンハネなくチーム、ドライバーにお金を使えたチームが強いですね
山善のロゴマークって、30年間も変わっていないんですね。
SHISEIDO(資生堂)の書体は、戦前からあるよ。
バブル時代は、ロゴの変更がたくさんあったけど、あの頃のロゴはシンプルな会社程長生きしている。
あの頃の資生堂は、二輪レーサー平忠彦をスポンサードしていたな。整髪料テック21のロゴをマシンに貼っていた。
山善って何の会社か分からなかったな。フナイは安物家電のイメージしかなかったけど鈴木亜久里のスポンサーになった辺りは製品も充実していって広告効果があった印象だな。
八重洲無線には驚いたな。アマチュア無線をやっていたから知ってはいたけど。マクラーレンはケンウッド、フェラーリはパイオニアが無線担当だった。
ブラバムのヤエスのロゴはオリジナルの書体ではなかったからどこのヤエスか分からなかった。最初はオリジナルロゴだったけど。
有る意味❗、マスプロ📡アンテナ⚡も!? 同じく😣~~👍✨🌟⭕🎆🙌❕❕
まだF1が全戦放送する前、夜中にダイジェスト放送をしていた時代に近所のお兄さんに「ブラバムというチームにピケというすごい速いレーサーがいる」ということを教えてもらった
のちにウイリアムズホンダでピケの速さを見たとき「これがあのピケか!」と驚いたもんだった
ただお兄さんが言っていたブラバムではなかったのであれ?と思ったもんだった
そんなこともあってブラバムといえばピケというのがイメージに残っている
@@jpntechnostream505
初期の川井氏も。
ピケはブラバムと発音できないらしい。ブラッバーンと言う。その名手が中嶋悟のチームメイトだったことが。F3ではスタート後に接触して、ピケの真上を逆さまに飛んでいったのも中嶋悟。初戦が始まる前に、おメェだな。俺様の上を逆さまで飛んでいったのは。まあ、気いつけるんだな。ニッコリ。喧嘩売りに来たのかと思ったとか。
盗んだオイルで走り出す程資金難が続いてしまうのは悲惨としか言いようがないですね・・・。
F1は金と不正が少ないしっかりとしたスポンサーがあってなんぼなんだなと思いました。
盗んだオイルで走り出すぅ~🎵
ハイライトはやはり1989年のモナコGPですよね😊🏁
モデナが3位表彰台、ブランドルもバッテリートラブルがありながらも入賞は立派です👍
後1991年の日本GPでブラバム・ヤマハのブランドルがかつてのチームメイトだったティレル・ホンダのモデナをかわして5位入賞したレースも印象的でした✌️
ブランドル-ブランデルのシーズンあったなぁ(笑)二人ともファーストネームがMで始まるから
M.ブランドル
M.ブランデル
って何とも紛らわしかった(笑)
ブラバムにヒル、ってほんまやったらオールドファン涙モノの組み合わせやったのに、あかん意味で涙目、、、末期症状の出てるチームってビッグスポンサーがないせいもあるけどだいたいカラーリングが酷いですよね。どういうセンスなんやか、、、
個人的にブラバムは85〜86年以降が悪い意味でターニングポイントだったような気がします。やはりピケの離脱、マレーの迷走のちマクラーレンに合流が痛かったですね…
ブラバムの凋落を当時見ていて悲しくなりましたが、今のウィリアムズがこれに近いような…
ニコラスが入った頃ぐらいは本当にヤバかったけど今は一応安定期に入ったみたいだし、オーナーもアメリカ企業だからしばらくは大丈夫そう
今はグループから外れたけどWAEもFEとかLMDhにバッテリー供給したりジンガーのレストモッドをやったりしてるし、まあなんだかんだで名前は残るんじゃないですかね
なんだかんだでF2で育成していて自力でスーパーライセンスを取得したサージェントを起用しラティフィというペイドライバーの力を借りなくともチーム運営できるようになったので一時のどん底は脱したような気がします。ヨースト・カピートの離脱は痛いですが……。
サージェントは間違い無くペイドラです。ペイドラ批判でウィリアムズとしては隠蔽するだろうし、マルドナドみたいに親族の会社が絡んでないときは1年くらいなら隠せる。アメリカ人ドライバーの地点でお察しやろ。
BrabhamはBMWを積んでいた時代が全盛期だったのでしょう。
勿論、ニキ・ラウダが乗っていた時代も面白かったと思えますね。
Dヒルが乗っていた時代はかなり弱小化していましたね。
当時のスポンサーに日本のロックバンドである聖飢魔IIって、有る意味衝撃的でした。
デイモン・ヒルのデイモンと閣下のデーモンをかけたそうです。
80年代中盤は元気だったのに、80年代末頃から急激にチーム体制を崩壊させ
あとはずっと生命維持装置に頼っていたようなもんでしたね・・・
ヤマハがチームを買い取っていたら?と思うと残念でならないかつての名門チームの最期でした。
初期からいるフェラーリがどれだけすごいか分かるなぁ
ぶらばむについては、ずっと知りたかったので、大変勉強になりました。
私はピケファンです。
ブラバムと言えばピケ、マーレイ、エクレストン…の黄金トリオが思い浮かびますね!当時はホントにトップチーム…チャンピオンチームといった印象ですね。86年位から低迷期に入りましたよね…ブラバムBMWも名ばかりで86年は実質ベネトンがBMWのエースでしたし87年はメガトロンのアロウズ、リジェと大差ない感じでしたね。
しかしながら89年のマシンは良かったですね!セルジオリンランドの出世作であり、名車と言っても差し支えない1台でした。終末期は確かに散々な感じは否めませんが遂にブラバムが消滅…となった時は寂しさを感じずには居られませんでしたね……。BT○○…とはブラバム、トーラナックの頭文字ですよね。あとラルトのRT○○はロントーラナックの頭文字でした…。懐かしい時代でしたね。
黄金期を作った二人(バーニーエクレストンとゴートンマレー)の離脱が名門凋落の始まりだよね。
合併話の出てたオニックスもオーナーが詐欺で捕まってたなぁ…(笑)
セナ世代には何故かブラバム=モナコ激走っていうイメージがあるんだよな。ステファーノ·モデナ好きだったなー。
91年 ドライバーがブランドルとブランデルで名前が紛らわしかった記憶がある。
マークとマーティン。イギリス人コンビ。マークブランデルにマーティンブランドル。ブランドルはスポーツカーレースから耐久、F1までこなすオールラウンドプレーヤー。
ブラバムは何気に日本企業のスポンサーを引っ提げて走っていたのは以外。中谷さんのF1デビューは叶わず残念だったが資金欲しさにアマティを走らすブラバムの末路を見るとむしろ良かったかも知れない。
1991年のブラバムの車体をググって観れば一目瞭然。
日本企業のスポンサーばかりで、さすがにドン引きしました。
ブラバムの最後のカラーリング、大好きなんですけどねー
ミドルブリッジの中内…
ヤマハワークスの誘いに乗るべきやったのに何やってんねん…
オーナーから外されるのが嫌だったのかな?自分が残れるならこんないい条件を逃すわけがないから、そういう内容があったのかも...
セルジオリンランドとかヤマハOX99とか懐かしいワードを久しぶりに聞いてあの頃を思い出した
最後のシーズンとなった92年、アマーティを起用していた時点でもう終わってたね。
女性ドライバーを起用するという話題性を利用してまでスポンサーマネー確保しなければならない状態だったという事ですね。
女が乗るとF3エンジンを積んでるのかと思うくらいF1マシンは遅くなる。
@@acountgmail8354 その言い方はかなり語弊があるけど、ジョバンナ・アマティがセナに『走るシケイン』と言われていた事は事実としてあるよね。
体力必要ですからね。F1は…(ーー;
そもそも論として、あの程度のマシンしか用意出来ずに参戦を継続しようとしたブラバム自体に問題があったとしか言えないけどね。
皆、ヒルをデーモンって言うけど、本来はデイモンが正しい。
ヤマハに譲渡しなかった時点で命運は尽きている。
89年モナコはインパクト強かったなぁ〜マシンもシンプルだけどカッコ良かったし
ブランドルのバッテリートラブルなければ良かったやねー
アジップの盗品ってフェラーリ(スクーデリア・イタリア)かミナルディか…はたまた…
何処のかが気になるw
同じく財政キチキチだったミナルディから盗んだらすぐにバレそう。フェラーリならバレなさそう。
聖飢魔Ⅱのスポンサーは初耳でした!!って言うか・・・それだけ目立ってなかったんですねえ(;´・ω・)この後のデーモンヒルの活躍はすごかったのに( ゚Д゚)ヴァンデポールも良いドライバーでしたね(`・ω・´)b
日本の、バブル景気が
良かったり悪かったりでブラバムも可哀想な気がする。
中谷さん、結果的にF1に行かなくて良かったね💦
投資家が買収したチームは軒並み消滅していきましたね。
ブラバムも名門とは名ばかりの体制になったときは、ちょっと悲しかったです。
日本の企業がこぞってスポンサーを行っていた時代があったな。80年代後半から、90年代前半まで。
初めてラジコン買ったのがBT50だったけど、その時はブラバムの名前なんてそんな知らなくて、フロントウイングがない珍しいフォルムとホワイトとダークブルーのカラーリングが好きでファンになったんだよな。
あとはストイックな雰囲気のBT58が好きだった…
86年に意欲的なフラットフィッシュBT55が、の事故死など惨憺たる結果に終わり、デザインした鬼才ゴードン・マレーが去り87年もトラブル続きで遂に撤退。
しかし今宮や川井氏の当時のレポートによると、NA時代に復活するためにファクトリーは活発に動いてたといい、見事に89年からスマートでかっこいいBT58で戻ってきましたね。
ドライバーもブランドルにモデナとベストドライバーコンビで、予備予選は楽々通過。
モナコのキレたモデナのドライビングにより、3位表彰台が素晴らしかった。
しかしブラバムの輝きもその表彰台が最期でしたね。
モデナもブラバムには愛着があったそうで。
81年のピケのWCのエンジンはBMWターボではなく、DFV-NAだった記憶
当時のブラバムヤマハのエキゾーストが聴きたくなったが、これぐらいしか見つからないとは哀しい。
ruclips.net/video/D40IT1aznAE/видео.html
金が全て。
地方の軽自動車耐久レースに出るために一人で給料つぎ込んで車作りしてた時があったけど、資金足りないので競争力あるベースを買えないしそうなると全然勝負にならないというただ参戦してるだけというのを思い出した。
それでもレースが好きでやってるだけで楽しかったけど、末期のブラバムはレースが好きでやってるスタッフ居なかったのかな?
ブラバムが撤退したハンガリーで翌年に初優勝を決めたデイモンヒルは凄いし、後にチャンピオンにまでなったのだから強運の持ち主ですね!
ブラバムヤマハは日本の模型メーカーの京商がスポンサーどしていてラジコンカーを発売していたのを覚えてます。
なんか、ブラバムの堕ち方が現在のウィリアムズと似ているような…www
当時、あれブラバムいないなあって思ってて、低迷ながらもヤマハのエンジン積んだりして、日本人には期待値が高かったけど、そういう事で消えちゃったんですね😰💧
マーなんとかブラン◯ルが2人でややこしいと思ってたのを思い出しました。ヒルの件は知らなかったですが、ギタリストのヒルと聖飢魔IIは意外に相性良いのでは……(ヒルはパンクスだからメタルはダメかな)
この時代、老舗の名門チームが時代の流れで末期に向かって衰退して崩壊していくことが多かったですね。
ブラバム、ロータス、ティレルとかつての名門チームが資金難に陥って撤退していった時代だった。
何となく、今のウィリアムズがかつてのロータスやブラバム、ティレルと被るので、今後撤退の可能性もあり得るかもしれないですね。
復活したあたりのオーナーの『金は出すが口は出さない』姿勢って案外どんなプロスポーツ運営でもそれができなくて失敗するチームが多い中いい感じに思えたのにそのオーナーが捕まったのが運の尽き。そこから転げ落ちるような末期の末期症状が本当に末期すぎて笑えない(燃料に盗品を使用とかチームの強さ云々以前の問題)けど、地味にその末期にこのチームにいたドライバーが(ペイドライバーを除いて)後にキャリア成功させてるのはチームに厄を全部ここぞとばかりに押し付けたお陰かな?
それにしてもデーモン小暮閣下、F1チームのスポンサーしていたんですね。相撲に超詳しい悪魔だとは存じ上げていましたがw
当時はFAXで予選結果を送ってくれるのがあって、どういう風に登録したのか覚えてないけど、予選翌日は楽しみだったなぁ♪
F1は87年から見始めたが、最初に見たベルギーGPでチェザリスが3位表彰台ゲットしたのが印象強く、いぶし銀パトレーゼにBMWという4気筒ワークスエンジンが玄人好みチームだったな。
しかしBT56はいつも炎上していて、惨憺たる成績から撤退。
89年に、シンプルでスマートなかっこいいBT58で華麗な復活を果たしたのは嬉しかったが、その後はまた坂道を転げ落ちてしまったな。
91年にヤマハV12がなんとかしてくれるかと思ったが、名手ブランドルでも入賞がやっとな体たらく。
その年後半のベストモータリングを見たら、引退して久しい中嶋悟に中谷明彦さんが意気軒昂とF1参戦のアドバイスを求めていたな。
中谷さんからしたら、中嶋と同じ30半ばでF1にチャレンジする立場だったから、大いに参考にしたかったことだろう。
89年に地元のコクピット開店記念ゲストに招かれた際に、ル・マンで300キロ出した時のこととか色々お話したということもあり、理論派レーサーの中谷さんのF1ドライブはぜひ見たかったな。
ジョバンナ・アマティとヤマハV12エンジンしか思い出せない…
ブラバム最期の輝き、エンジンさえ良ければ名マシンのBT58は?
今更思うがブラバムを買えるとかバブルはすげぇな。。
中谷にはスーパーライセンス発給を認めずアマティとか言うポンコツには何でほいほいとライセンス発給するんです?
国際レースの経験値?
当時のスーパーライセンスの発給条件が、
1、国際F3000に1シーズン参戦(アマティはこれに該当)
2、各国のF3現役チャンピオン
3、それ相当の実力があると認められた者
でした。中谷は前年に全日本F3000で1勝を挙げてランキング6位に入り、条件3に該当すると思われましたが、二度申請するも、却下されました。当時のFIAのモズレー会長曰く、『日本とイギリスのF3000は国内レースだから、チャンピオンにならないとダメ』とのことでした。確かに、同年の全日本F3000チャンピオンの片山右京にはライセンスが発給されました。
しかし、日本とはいえ1勝した中谷がダメで、国際F3000でノーポイントのアマティはOKってのは、やっぱり腑に落ちませんでしたね。その翌年、日本GPとオーストラリアGPにスポット参戦した鈴木利男(日本の上位ランカーだけどチャンピオンではない)にはライセンスが下りたのだから、もっと意味がわかりませんでした。
超鼠への枕とか??w
ヨーロッパの組織であるFIAに「チャンピオンではないが実力派の日本人男性」と「実力は無くても話題性のあるイタリア人女性」を選ばせたらどちらをとるかはライセンスの発給基準という理屈以前に明らかな感じがします。認めない屁理屈はなんとでもつけられますし。
完走した記憶がないんですよね。あっ、デイモンのミニカー持ってます(笑)
89年のBT58のミニカーかプラモデル欲しいけど、希少なうえに高値なので手が出せません💦残念😵
有る意味❗、後にティレルホンダV10に乗るステファーノ・モデナ!? がブラバムジャッドV8でモナコGP🏁で3位表彰台🏆に輝きましたね👌。 特に,モデナはセナと同じく市街地コースに強さを発揮しますねぇ~😣👍🙌🌟✨⭕🎆❕❕
デイモン・ヒルにとってはチームが途中撤退して、色々なことが重なってだと思いますが結果的に翌年にトップチームのドライバーになれて良かったですね
もちろん、テストドライバーとして実績もあったんでしょうけど、レースでの実績が乏しいにも関わらずだったので、どんなドライバーだったっけ?って思いました(プロストの意向もあったかとは思いますが)
1.プロストの給料が高額だったから。2.FW15CがFW14Bの発展型だったので、マシンを知っているドライバーが1人は必要だったから。3.マンセルが推薦したから(当時の雑誌では一貫して自分の後任はヒルと言っていた模様)。
中内さんとミドルブリッジは、ぽっと出のスポンサーだと、当時は思っていましたが、イギリスを拠点にレース活動をしてたんですね。当時のレース雑誌(レーシングオン、オートスポーツなど)には中内さんの事を詳しく書いてなかったように記憶しています。
レーシングオン誌によると、ベネトンからB186を購入して亜久里を87年にF1参戦させるプランも画策してたそう。
最終年度も
・山善
・住友金属工業
・スピードボックス
・マドラス
・ホクシン
・聖飢魔II
と日本絡みのスポンサーが多かったですね。
当時のイメージが今でもあり、山善の商品を前向きに購入しがちです笑
最後の92年は金がなさすぎて、メキシコの予選では、他の中堅チームにレーシングガソリンを借りて参戦しているような状態だった…。普通のハイオクガソリンだと30馬力ダウンしたらしい。
マシン自体は全くのダメというわけではなかったので、運営が出来ずに終わったのは残念だった。
マネージャーのハービー・ブラッシュが、シーズン途中で「ウチのチームはもう終わりだよ」と嘆いていたな。
80年代まで元気だったブラバム…、もし真面な80年代後期からマトモなチーム体制だったら、違っていた名門復活の可能性もあったかも…?
この動画を拝見して時の流れの恐ろしさが垣間見れる内容の動画でした。これらの経済動向で左右されるモータースポーツですがF1だけが例外ではなく他のカテゴリーのレース活動、F1でのレース活動も全て含めて今、光輝いているチームでも、向こう10年、20年間先、存続しているか?となると、重いハテナ❓だけが残りますね。
YAMAHA発動機が買収したところで、日本のバブル崩壊の影響は避けられないし、そもそもエンジンが・・・、だから歴史的には大きな変化は無かったろうな。
ブラバムBT60ヤマハはたしか京商からミニカーが発売されてましたね。
末期のマシンのキメラのような統一感が無く且つ下品なカラーリングがいかにも没落した名門チームって感じで悲しい…
最盛期のシンプルな白と青のカラーリングを見てると尚更。
最終年も開幕当初は青白だったような…
ティレルに似てて間違えるから変えたとか言われてますが
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復帰後~末期も青白ですが、正確にはピケがタイトルを取った時代のカラーリングですね。
青白カラーリングにメインスポンサーのパルマラットのロゴが入ってたのが強そうに見えました。
@@yosss0930mjk
エンポリオアルマーニも。
ブラバムはやはり白紺のカラーリングが宜しい。ピンクはヒドい
今ブラバムの株って誰が持ってるんだろ
女性ドライバー、確か「走るシケイン」とか実況で言われていた記憶が微かに。
予選でフォーメーションラップの練習してるとか、言われ放題でしたね。速報誌でも書かれることは走りではなく、レースの現地で買ったものとかばかり。開幕前に一周も走れなかったそうだし、気の毒ではありました。
それはニコラス君のニックネームでは?
まあ元祖かな。
マンセルからは、ここは教習所じゃない。トップから24秒遅いのは致命傷。4コマ漫画では決勝進出。あれっ、アマティペースカーに抜かれてしまったとか。まあハンドルは重いらしい。ヒルをもってしても24位スタート。
知らなかった・・いつの間にか消えたな、と思っていたがこんな裏舞台があったんだね。かつての名門チームが悲惨な末路だなぁ。。
ブラバムのコブラのチームロゴ、カッコよかったですよね。
どこかの大富豪が商標権買い取って、復活しないかなぁ
マーレーが居た時みたいに比較的レギュレーション緩く、トンチキマシンOKだったら中堅以降のチームも下克上出来たのかなァ。レイトンのペンシルノーズやティレルのアンヘドラルウィング辺りが『中堅の意地』見せた最後の例か?
92年の開幕戦で古舘伊知郎が「アマティー甘くなかったですね」といってたのも思い出した
アマティはセナやマンセルに予選の段階で邪魔だ!って言われてたもんな~🤣
セルジオリンランドデザインほんとすきなんだけど大体チームがしょぼいか金がなくて消えていくのかなC
ヤマハOX-99…色々な意味がありますね。
ヤマハOXと聞くとファックスかコピー機に思える。
ロータスと同じで名前だけで中身は別物になってしまっていましたね。
ミドルブリッジはヨーロッパでしっかりとしたチーム運営をしていましたが、やはりF1の参戦を続けることはレベルの違う世界だったのでしょうかね。
混ぜて作った燃料でのエンジンのセッティングも大変だったのではないかと… 安全側に振った仕様だったのでしょうからパワーも何も無かったのでしょうね。
アマティの異常な遅さはひどかったのですが、ドライビングしている姿はなんとなくかっこよかった気がします(笑)
ピケのブラバム懐かしいなぁ。ネルソン生きてるのかなぁ⁇ヤマハを積んでた時もありましたね
アマティはブラバム降りたあとすぐに脱いだ事が記事になって、ヌードも見たがまあ……という感じだった。確かレーシングオンの記事
特に面白くもない体だったとか?
見たい!
BT44からBT46あたりは今見ても本当にカッチョイイよなあ?
武田勝頼の最期みたいだな。
中谷選手にスーパーライセンスが発給されていたらチームは存続されていたんだろうなとは思う。
ビックスポンサー持ってたし。
ヤマハとはそんな関係だったとは
初めて知りましたね
末期は経営が滅茶苦茶でしたね。
ブラバムのおかげでF1のシートを確保しましたドライバーはそれなりにいましたデーモンヒルネルソンピケニキ・ラウダがF1ワールドチャンピオンになりました
ウィリアムズも無くなっちゃうのかなぁ
有る意味❗、ハースも同じく!?
まあ闘将が亡くなったから、率いる人がいなければダメでしょう。
バーニーが手放した途端にこの有り様だもんなー!
おっと
ここにきて走るシケインことアマティーが登場しました(笑)
12:55 もしかしたらこんなような事は当時の下位チームにはよくあったんやろか?
グラハムヒルの、息子、ディモン。父親が残した、借金返済で、レースデェービューが遅れたそう。
グラハムヒルは、三大レースチャンピオンです。
昔々、富士で、行われた、インディーカーで、来日、レースをした。
ディモンヒルの息子が、難病だったため、レースから、いんたいした。
ブラバムのマシンがジャパンマネーだらけなのを皮肉った輩がいた覚えがある😅
聖飢魔Ⅱは面白い🤣
栄枯盛衰やなぁ・・・
正直、ブラバムはジャック氏自身が現役引退した時点で役割を終えたコンストラクターだったのでしょうね。現に以降は様々な野望家の道具に堕してますし。
『勝てるドライバーを育てた』という意見も散見されますが、そりゃチームも企業ですから目のあるドライバーという商品をサーキットという畑で育てて高く売るのは『ビジネス的』には実に理に叶った行動でしょう。
ただモータースポーツにそういうビジネスライクな要素を持ち込むと必ず反発を買います。
レーシングファンは特定のチームやドライバーに入れ込む傾向なのでチームの買収やドライバーの移籍にナーバスになりがちです。
ジョーダンなんかもそういうビジネスモデルでしたね。グラ天で商人キャラで描かれてました。
まー出場チームを確保したいFIAと予算を何とか確保したいチームとの温度差がそういうビジネスライクなチームの存在を許してしまう要因かもですね。
アマティかあ、、、、チームも末期状態だったのね
ぬ〜すんだガソリンで走〜り出すぅ♬😚🎙️🐶ワゥ💕🏎️三