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てつがくちゃんねる
Япония
Добавлен 25 июл 2021
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人間の優劣『闇の奥|ジョゼフ・コンラッド』【雑談#116】
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単純作業の反復は日々のストレスを解放するか?【独り言#45】
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「詩」という表現について『青い花|ノヴァーリス』【雑談#115】
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右(保守)と左(革新)という概念の功罪【独り言#44】
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感情と論理、抽象と具体『海辺のカフカ|村上春樹』【雑談#114】
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ユマニテ【独り言#43】
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人間の定義『彼女は一人で歩くのか(Does She Walk Alone?)|森博嗣』【雑談#113】
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言葉は幸福を阻害する『シッダールタ|ヘッセ』【雑談#112】
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薬物の本質的是非について【独り言#42】
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当事者になって政治を考えること『エアー3.0|榎本憲男』【雑談#111】
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概念の共有について【独り言#41】
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罪の輪『灰羽連盟』【雑談#110】
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直近でやりたいことリスト【独り言#40】
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承認欲求から逃れられなくなった世界『好き?好き?大好き?|RDレイン』【雑談#109】
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写経のすすめ【独り言#39】
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現実と仮想現実の融合『serial experiments lain(アニメ)』【雑談#108】
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現実と仮想現実の融合『serial experiments lain(アニメ)』【雑談#108】
肉体を捨てたあの子の判断は正しかったのか/記憶と記録『serial experiments lain(ゲーム)』【雑談#107】
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肉体を捨てたあの子の判断は正しかったのか/記憶と記録『serial experiments lain(ゲーム)』【雑談#107】
”からだ”の境界線『ひとはなぜ服を着るのか|鷲田清一』【雑談#106】
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子供に対してどこまで干渉して良いのか『母という呪縛、娘という牢獄|齋藤彩』【雑談#105】
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これが、人生『PERFECT DAYS』【Good Rackクラウドファンディング返礼音声】
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これが、人生『PERFECT DAYS』【Good Rackクラウドファンディング返礼音声】
言葉は時間の源泉、時間は執着を生むというところ、しっくり感じました。そう思うと確かに、言葉は幸福を阻害するという側面があると思いました。 そこから、例えば言葉を持たない動物はより幸福だろうかと考えると、それはまた違うような、言葉を持つから認識できる幸福もあるようにも思いました。例えば、言葉を用いて、人の話を聞いたり、思考したり、対話したりすることは、その行為自体がたのしく、幸福なことと表現しうるようにも思います。そもそも幸福とは何だろうという気分にもなりますが。 また、悟りのような不立文字の世界にだけ集中することの先は、どんなものなのだろうという、不安や懐疑のような気持ちも少しあります。例えば、自転車の乗り方について、僕たちの多くは、それを言葉にすることはできませんが、達成や実行ができます。そして、そのことに大きな価値を認識したり幸福を感じたりしていません。では、生きること、生存の在り方について、悟りを達成することに、どんな意味があるのかと言うと、それは結果でなく過程を求めている可能性もあると思いました。悟りを求める過程が、忙殺や退屈や社会生の苦痛を癒やしてくれて快さを感じられるから、その過程が何かおもしろいから、そうしたくなるということもあるのかもしれないと思います。 もちろんこれは、今ここにあるものという在り方を否定する意図のものではありません。僕もそれは自分にとって大切で意識したいものだと思っています。
まさか、来年(2025年)にリマスター版が発売されるとはね… それだけやった人の心に衝撃を与えた作品なんだなと…
印象深かったのは、ゲーム内では明確には語られていないですがココちゃんの視点が未来と過去を同時に見えていたってことですね。 影鬼とカゲオニでなんで表記が違うかなんて初見じゃ気が付かないって…
本質的な人間の優劣がもしあるとしたら、万人に共通するアプリオリなもの、つまり人格じゃないかと思っています。また、無いとする立場においても、人格は「尊敬の対象」であることは、万人の深い納得が得られるのではないでしょうか。分かりやすく言えば、"大谷選手のすごいところは、成績ではなくてあの成績を残してなお謙虚にいられる人格である"という話とかですかね。
「差別される人は可哀想」と言う人も、「…という差別」と言う人も、「差別」は悪だという前提に立っている。「差別」は、有るものであり、善悪ではない。
うんこ投げ競争の優勝者は、一番手の汚れていない者だ。
アニメ-サイコパス-のなかで狡噛慎也が本書を読んでいたのが印象的で購入したものの、当時の自分(14歳くらい?)には殆ど理解できなかった思い出の本。
We Are The Worldって歌の傲慢さを今回の動画で説明できる気がしました❤
どういう意味でしょうか? 歌詞の話あるいは コンセプトの事を言っていますか?
優劣ゲームを俯瞰するという考え方は、優劣に振り回されづらくなりそうで、いいなと思いました。対照的に、優劣ゲームにハマってのめり込む生き方も、当人がそれをたのしんでいる限りは、いいのかもしれないと思いました。もちろん、おっしゃる通り、優劣ゲームを好む人ほど、優を認識した際の快感だけでなく、劣を認識した際のストレスを感じるだろうとも思います。 例えば人間の方が熊虫よりも優れていると認識する個人がいるとして、環境変化で人類絶滅を向かえようとする時に、環境への適応や追従により存続しようとしたり、存続できなくても人間の方が優れている理屈を思考しようとしたりするのが、そういう人らしいのかなと思いました。
これは、コッポラ監督『地獄の黙示録』の元ネタとなった作品ですね! 追記 今聞いていたら、動画でおっしゃっていましたね。失礼しました😂
タイ人やなかった?
今聞き返してて思ったのですがシッダールタの言葉の限界から自分で真理を探求する流れって、カントの理性(言語)の限界→理論理性より実践理性が上位と通ずるようにも思いました。カントの「我が頭上の星空と内なる道徳法則」ってシッダールタやガウタマのような一種の悟りの境地と捉えるととても面白いですね。
赤組と白組に分かれて競うのが好きな人たち そこに参加するものの大半は、あらゆる事に対して固有の立場を有している訳ではなく、仲間がそうだからその立場を支持する 自由にあらゆる事にさまざまな立場を有する社会はあり得ないんだろうな 二項対立の弊害は多いけど、人類がそこから抜け出すのはまだ困難な気がする
あらすじ説明するのうますぎるですw 読みたくなった😂
今回はコメントしなくてすむと思いましたが、寝て起きたら、また例によって妄想が浮かんできたので、怠惰に抗ってなんとかコメントします。 内容は「自由意志」について。 はたして机の下で貧乏ゆすりするのが「自由意志」なのか、それとも貧乏ゆすりしたい気持ちを抑えて真面目に先生の授業を聞いているのが「自由意志」なのか。 「自由意志」の実験は聞いたことがありますが、それを反証する実験もあるわけですね。しかし、私としては、まず最初の実験の方にあまり納得がいってないんですね。たしかに無意識の行動に後付けで理屈をつけるというのはわかります。なんらかの外部的な作用の結果として行動が惹起され、それを自分の自由意志でやったと解釈しているだけだというのは意外ではあるがもっともらしくもある。ただ、脳のある部位のある状態で発生する電気パルスと自由意志という総合的な脳神経活動がそこまで明確に区分できるのか、ちょっと疑問ではあります。科学論文として認知されているわけですから、それなりの裏付けはあるんでしょう。ただ、自分で論文を読んでチェックする能力も時間もないので、ここでは、とりあえず推測、憶測として続けます。 「自由意志」とは、そんなに時間的空間的にシャープに局限できるものなのか。私の印象としては時間的にも空間的にももっとぼんやり広がっているもののように思えます。飛んできた物をとっさに手で払いのけたりするのは反射であって「自由意志」とは言わないでしょう。「自由意志」は時間をかけて逡巡の末にようやく決めるようなことなのではないでしょうか。 また、自分の中に複数の人格がいて互いに協議して決めるような感じもありますね。 左脳右脳間の脳梁が切断された人の症状で、右手と左手でやることがバラバラで相反する動きをする場合があるといいます。その場合、「自由意志」は右手、左手のどちらにあると言えるんでしょうか。 また、脳と身体で考えても、脳が考えていることと身体が考えていることが常に一致するとは限らない。身体はへとへとでも脳は身体にムチ打って働かせようとしたりする。貧乏ゆすりしたい身体と教師の権威にへつらう脳と、どちらに「自由意志」があるというべきなのか。 結局、「自由意志」といっても、まずその主体がなんなのかということが明確でないと決められないのではないか。私の意見としては、「自由意志」概念より、「主体」概念の方が先に立つもののように思えます。 そもそも「自由意志」自体が西欧的な発想であるとは思います。神学や哲学で昔からいろいろ論争されてきている。やはり、倫理や道徳、あるいは「神」との関係において「自由意志」概念が必要になるんでしょう。 その点、日本人の私などは、別に「自由意志」なんてあってもなくてもどうでもいいように思ってしまう。宗教的にも「悪いことをするとお天道様が見ているぞ」ぐらいの感じではないでしょうか。 そして、「自由意志」を担うものとして「主体」が問題となる。その場合、はたして「主体」とはなんなのか。「神」なのか「人間」なのか「個人」なのか。 古来、いろんな人がいろんなことを言ってきたと思いますが、ライプニッツもそのひとりでしょう。モナドという無数の自由な粒子の運動によって世界を説明しようとしました。ある意味、モナドは「自由意志」をもっているともいえそうです。しかし、モナドが「自由意志」のままに好き勝手に動き回っているのでは、社会としての統制がとれない。そこで、モナドを背後で支え保証する存在として「神」が登場する。個々は「自由意志」で動きながら、神によって全体が調和するように予め仕組まれている。ライプニッツは、そのようにして「神」と「個人」の間の関係を調停しようとしたと考えられます。 そして、その「予定調和説」に異を唱えたのがヴォルテールだった。小説『カンディード』では、ライプニッツへの批判を展開している。世界は災害や人災などさまざまな苦難や悲惨に満ちており、とても「予定調和」のような楽天的なものではないと。結局、「神」は頼れるものではなく、我々にできることは自分の庭を耕すことだけだという結末になる。『寛容論』のヴォルテールは、宗教や信仰に対して寛容な姿勢を見せてますが、実は「神」などまともに信じてなかったのではないかという気もしてきます。 その意味で、ヴォルテールはある意味、実存主義の先駆けとみることもできるかもしれません。神を信じず、自分でなんとかすべしということですから。 そこで、ボーヴォワールの『人間について』の話になりますが、ひとつの章に「カンディードの庭」というのがあるらしいですね。おそらく、ボーヴォワールもヴォルテールを実存主義の先駆けのように考えていたんじゃないでしょうか。その場合には、人間には「自由意志」があるが、その「主体」は「神」ではなく、あくまで「個人」である、ということになるんでしょうね。 また、「お天道様が見ている」で思い出したのが、カミュの『異邦人』です。 殺人の理由を聞かれたムルソーは「太陽がまぶしかったから」と答えました。ニヒルでもあり、キザったらしくもあるセリフですが、いままで今ひとつピンときていませんでした。 しかし、今回「自由意志」と結びつけて考えてみるとかなりわかったような気になりました。このセリフは「自由意志」なんてものは無いんだという「自由意志」の否定とみてもいいでしょう。お天道様のせいだというんですから。責任転嫁もいいところですが。 「自由意志」も無いですが、ライプニッツのような「自由意志」を保証する「神」もいない。つまり、無神論です。カミュにおける「主体」は「自由意志」を持たない。その状況(不条理)を引き受けて生きるのが「主体」であるという立場なんでしょう。 その点、サルトルやボーヴォワールの場合は、「自由意志」はある。ただし、その「主体」は「神」ではなく「個人」である、ということになりそうですね。
お疲れ様です。大変共感しました。自分は周りから、それやって何の価値があるの?とよく聞かれますが、価値が無いコトこそが重要だと思っています。(周りには全く理解されませんが笑) 敢えて言語化するなら「孤独の持久力」とでも言いましょうか、そういうものに耐えるチカラが必要だなと感じています。
社会性のない価値は無意味だと言う人には、理解されなくて結構ですね。 数々のバイアスを払いのけるほどに社会から孤立するという現実。 「孤独の持久力」は言い換えれば「真理を探究する信念の強さ」だと思います。
貧乏ゆすりは、何故いけないのか。貧乏になるからです。そもそも、金持ちは、ストレスが無いですよね。
そんなの誰でも知ってるよw
貧乏ゆすりをするから貧乏になる。 金持ちはストレスがないから貧乏ゆすりをしない。 前段は因果関係、後段は相関関係、それぞれ根拠が希薄でしかもそれを併記してくるあたりが独特。 そしてそう言われるとそんな気がしなくもない不思議さ。
@@MOS-mq9rqですよね。
@@zeparhyfar5320前段は受け狙いもありますけど、貧乏ゆすりというネーミングの問題かなと思って、金持ゆすりにすればいいんじゃないかと。でも、成金じゃないホントのお金持ちは、金持ゆすりさえしないくらいストレスが無いと思った次第です。
@@zeparhyfar5320前段はボケです。ネーミングの問題で金持ゆすりがいいんじゃないでしょうか。けど、成金じゃない本当の金持は、金持ゆすりさえしないほどストレスが無いんだろうと思います。
いつも楽しく拝聴させていただいております!! 私は陰謀論者でもないつもりですし、特定のイデオロギーもないと自覚していますが、 メディアや世の中の大きな流れが作り出す二項対立のような構造がとても興味深い気がしています。 右左を個人的に定義するなら、連続性を大切にし緩やかな変化を許容するのが「右」で どんでん返し的に急激な変化を求めるのが「左」と思いますが、 これもどこまで行ってもある種の陳腐さをはらむので適切ではないように思いますね。 個人的な態度としては、後半でお話しされていた内容に近いと思いますが、 世界は複雑であると自覚し、その複雑さをそのまま許容する態度かなと思います。 変なカテゴライズをしたがり過ぎるとよくないなと感じますね。 次の動画も楽しみにしております!
具象で抽象を炙り出すのが哲学で、具象で抽象を醸し出すのが詩。抽象を志向するところが同じ。と思います。
自由意志が、上書きでなく拒否をしているとしたら、それは後からの意味付けではない、まさに意志のようなものではないだろうかと思いました。そうだとしたら、自分の意識が、生物としての反応や記憶関連機能の副産物などにとどまらず、自己の主体性を形成する要素のように思います。それは、自分の意識の方が主という感覚に近づくようで、なんだか気分が良いです。 ところで、単純反復に貧乏揺りを習慣化されているのであれば、僕は筋トレ好きとして、スクワットも試してみることをオススメしたいです。デメリットとして、椅子から立ち上がるワンクッションが増えてしまいますが、メリットとして、雑念を浮かべにくい効果と身体運動量が高くなると思います。 また、深呼吸もオススメしたいです。これは思い立ったらいつでもどこでも楽に手軽にできます。そして、呼吸ゆえに自律神経への影響も信じられます。僕にとってのコツを書かせていただきますと、まず先に、口から体温の乗った生暖かい空気をゆっくりと息が続く限り吐き出し切ります。この時、空気の生暖かさや、吐き出すことで生じる音や、肺やお腹辺りがしぼまっていく感覚に集中します。吐き出せる空気が無くなって空っぽになったら、次に、鼻から冷たい外気をゆっくりと体に取りこめる限り吸い続けます。この時も同様に、鼻の内側や脳が冷やされる感覚や、空気を吸い込む音や、膨らむ肺やお腹に感覚を集中します。こうして感覚を集中することで、雑念を意識に浮かべない効果を高めることができます。以前このチャンネルで呼吸に関する動画も視聴しましたし、釈迦に説法というのになっているかもしれませんが、そうだったらすみません。
今ある世界が数々の選択的分岐を繰り返してきたバタフライ効果の結果であるなら、無限とも思える確率のなかで成立したこの世界を、なんの意志もない偶然の産物だと言い張るのには無理があるかと。 意識が意志の主体であり、生物的反応はもとより全ての物質より先だつものだという感覚は私も気分が良いです。
🇺🇸Trump(president)の2025年取り巻く世界DesignがEconomist誌に掲載されたTrumpの下に Ms Austinの顔が描かれているので、何故と思って⁉ 河出文庫で新訳が出たので読んでみる! 谷崎の『細雪』を思想が無くただの結婚小説と西洋評論家が評していたが⁉️🤔 解析分析力が優れ歯切れも声も良い😏
放っておくと何時間でもぶっ通しでやってしまう自分の性質を、「集中力がある」と思っていました。 でも考えようによってはそれは、他にそれだけやりたいものがない状態でもあるんですよね。 「やりたいこと=楽しいこと」と思えているなら、その「楽しいこと」をするのにシングルだろうがマルチだろうが、そんなことはどうでもいいかな。 日常で雑念を排除するより、「楽しくない」ことを排除したい。 もっといえば雑念さえも楽しければ許そう。 しかし人生は楽しいことばかりではない。 だからこそ、楽しくないのはなぜなんだろう、どうすれば楽しくなるのだろう、という思考態度まで排除しないようにしています。
建設的で能動的な思考態度を、瞑想的な邪念・雑念排除のもとに埋没させたくない、ということです。 まあこれも人によるんだろうなあ(思考停止)w
子供の多動症ADHD(注意欠陥多動障害)が近年社会問題になっていますが、子供の頃からスマートフォンを持たされれば、多動的でない子でさえ注意力散漫になるのは当然ではないかと思います。私自身は子供の頃からさんざん親にそのことで叱られてきました。そして常に何かを考えている多動的な自分にとってさえ、ここ20年ほどで成立したネット環境、情報の洪水というか過剰な提供は、はっきりと異常だと感じています。 公共のあらゆるところにテレビあるいは液晶モニタが設置され、電車の駅や商店街でも常に何らかのアナウンスが流れており、意識してシャットアウトしないと、無駄な情報に思考が振り回され時に苛立ちで叫びたくなります。だらだらとネットに触れていると、情報を得ることそのものが目的となってしまっている自分に気づき、心身ともにくたびれはてます。 炒ったヒマワリの種むきが私にとっては現在有効な単純作業?です。 ゆるめの握力ボールを常に手にしていつも前腕の運動も行っています。けっこういけますよ。
ASD側の自分からすると、知恵の輪を外しながら海底深くに沈んでいく自身を救ってくれるのは、多動性を刺激する外部情報です。 散漫で煩雑であることが救いになる者もいます。 テレビを見ながら食事して今日あった出来事を家族と話し、同時に明日の宿題の心配をして好きなあの子のあの言葉の意味はなんなんだろう?、と短い時間の中で浅い水たまりをバシャバシャ叩いて遊ぶような思考。 思考のジャンプであるなら、また元に戻っていけるなら、それは決して悪いことではないと思っていますし、そう信じたい。
人生に本質的な意味がない点、同感です。そこからニヒリズムにつながりやすい点も、同感です。ですが、つながりやすいであって、必ずではないとも思います。「人生に本質的な意味がないとするならば、私たちは何を指針に生きるべきなのか」という問いからは、私たちは生きるのに指針を要するかのような感じを受けまが、必ずしもそうではないように思います。 例えば、赤ちゃんは、母語を習得するまで、意味という概念を持っていない可能性はありそうに思います。また、大人でも、非常に稀でしょうが、何らかのアクシデント等でその状態にある人も、存在しうるように思います。また、嫌味でなく、いわゆるその日暮らしを幸福そうに生きている人たちもいると思います。逸れますが、ピダハンという民族の生き方は、そういう意味で興味深いと僕は思います。ともかく、そういう人たちは、人生に意味がないからとニヒリズムになることはなく、生きていると思います。 僕たちは、生まれてからだんだんと、言語を習得して、意味という概念を持って、人生に意味がないとするならば何のために生きるのかと思うようになる気がします。この、言語も、意味も、その他の概念も、生に意味がないのに生きる意味を疑うのも、人間がおそらく頭の中で勝手にやっているだけのことと思います。そして、人間が頭の中で勝手に矛盾等を感じているのではないかと思います。 例えば、どんな盾でも貫ける矛があり、そして、どんな矛でも防げる盾があると聞くと、人間は頭の中で矛盾を感じます。ですが、どんな盾でも貫ける矛も、どんな矛でも防げる盾も、人間が勝手に信じた概念だと思います。頭の外の世界では、矛や盾という切り分けも、どんなという抽象的な概念も、ないと思います。そのように、人生に本質的な意味がないならば生きる意味がないと思うのは、人間が頭の中で勝手にやっていること、人間独自の意味付けや論理展開をして、その独自の意味の組み合わせから勝手に矛盾という独自の観念を感じて、その認識から勝手に活力セーブなのか無気力になっている、というように思いました。 ですので、例えば、人生に本質的な意味がないとするならば、私たちは生きる指針が意識的や意味的にはないかもしれないけれど、そのことは生きることに絶対的な影響を及ぼすわけではないと考えられるように思います。生きていて快楽を感じているならそれでよし、苦痛を感じているなら脱しようとして状況を変えるも死ぬもよし、生きる意味がないと生きていて落ち着かないから意味のような何かを見出して生きるもよし、と僕は思います。
コストについて、脳が耐性を増していって払えなくなる他に、時間や可能性などの資源を、快楽装置の他活動に分配させず食いつぶしてしまう可能性があると思い、それは問題になりえる、やってはいけない理由でありえると思いました。別の表現をすれば、快楽装置を知らなければ経験できた他の行為が、快楽装置の強力さによって選べなくなる、選択を快楽装置と脳の快楽回路に制限されることになるように思います。 そう言えど、薬物中毒者が他の快楽に魅力を感じなくなる様子を聞くに、快楽の総量という点では、使用者の方が多くなりえるようにも思います。他方、苦痛を感じていない時間や少しでも快楽を感じている時間の総量ならば、非使用者の方が多くなりそうと思います。また、人間が自由意志を主のように感じていることから、使用によって自由意志や人生の意味を損失すると感じたら、たとえそれが幻想のようなものだとしても、それを持っている間は、やってはよくない理由になりえるのかもしれません。また、人生に意味はないと考えると、積極的ニヒリズムの超人のような生き方をするのも、自殺をするのも、保留できる限り保留し続けるのも、快楽装置を使用するのも、いけないわけではないと思います。そう思うと、道徳的、善く生きるうえでどうなのかという話のようにも感じました。 道徳的に、例えば、激痛に苦しんでいるときに薬物を使用しても、コスト・リスク・社会について問題がないなら気にならないように、忙殺や退屈に苦しんでいるときに薬物を使用しても、コスト・リスク・社会について問題がないなら気にしなくてもいいような気もします。ですが、どちらも常用するとなれば、善く生きていないような気もします。なにか、あえて自然から遠ざかっているから、そう感じる気がします。そう言えど、例えば僕が交通事故にあってペースメーカーを付けなければ生存できないと言われたら、不自然なペースメーカーを付けて欲しいとお願いして不自然に生存するだろうと思います。そう思うと、こう考えているのは、なんだか自由意志みたいに、後から適当に意味付けしているだけのような気持ちにもなってきます。 論理的にはやっていい気がする、同時に、道徳的にはよくない気がする、この感覚はなんだか、デメリットがないならとか、コスト・リスク・社会について問題がないならとかの論理的な前提と、自分の知覚や認識の積み重ねを通して見る自然感や現実感とが、うまく合わさらない感覚なのではないかという気もしました。 デメリットがないという前提が真実であるならば、論理的に、やってもいいように思います。逆に言えば、やってよくない理由が何かあるならば、その理由はデメリットであると表現できるように思います。そして、デメリットがないことが真実であると、賭けでなく確たる証明をすることは、困難なことのようにも思います。 他方、コスト・リスク・社会について問題がない快楽は、不自然と感じます。例えば、ドーパミンは快楽により、生存性を高める活動を促す機能を持つと聞きます。対して、快楽装置を使用する無活性化された人間は、快楽を動力源とする活動をせず、自然的には個も種も存続できず淘汰されるように思います。それだからか、自然的な在り方を善いとする道徳があるなら、それに合わないように思います。 例えばデジタルネイティブと呼ばれる人がいるように、仮に生まれた時から快楽装置が存在して使用するのが当然の環境に育った人がいたら、その人たちはもしかしたら、この違和感をあまり覚えないのかもしれないと思いました。そう言うより、前提として置いたように当然と感じるはずと思います。なんだか、例えば囲碁や将棋をたのしむシニアと、ソシャゲをガチャゲーと呼びながらプレイし続けるヤングとが、互いに価値観の差異を感じるような、そんな感じもしました。
私も「詩」はよくわかっていないくちですが、それなりに関心はあります。これといって定見があるわけでもないので、問題意識の羅列になると思いますが、一応、コメントしてみます。 まず、「詩は言葉による絵画である」ということについてですが、たしかに詩がイメージを喚起するものだということはありますね。「古池や蛙飛び込む水の音」と聞けばその情景が浮かびますし、「竹、竹、竹が生え」とか言われると、実際の竹林を眺めている以上に竹林の中にいるような気になってきます。 しかし、一方で本来は詩とは、絵画的なものでなく、音楽的なものだったのではないかという考えも浮かびます。詩の起源を考えた場合、文字言語よりは音声言語、散文よりは韻文が先だったと思われます。「詩」のことを「うた」とも読むくらいですから、もともとは歌のようなものだったと考えるのが自然かと思います。それが、後になって絵画と結びついたのではないか。 なぜ、このようなことにこだわるかといえば、パルメニデス的なロゴスは視覚的なものからきており、ヘラクレイトス的なロゴスは聴覚的なものなのではないかという私なりの仮説があって、その図式に当てはめたいという意識が働くからです。パルメニデス以降の西欧哲学の真理主義、理性主義というのは視覚優位のなせるわざであって、ニーチェなど近現代の哲学者(あるいはロマン主義者)がそれをひっくり返そうとしたのは、視覚優位に陥った流れを聴覚に引き戻そうとする意味があったのではないかという牽強付会によるものです。 ただし、デリダなどは、西欧哲学の中心はむしろ話し言葉(パロール)であって、文字として記述されたエクリチュールの方に注目すべきだといった逆のことを言っているようですね。このへんは、よくわかりません。ちょっと考えると文字の方が差異は生じにくく、音声の方がずれが起こりやすいようにも思えますが。おいおい調べたいと思います。 さて、そのような議論よりわかりやすいのは、唯物論的な解釈でしょう。視覚や聴覚に限らずその他の感覚も含めてなんらかのクオリアを構成する要素であるとして、詩とはクオリアと概念の間を結びつけるものだと考えるのはよいと思います。それに対して、一般の文章、散文は概念と概念を結びつけるものであると。概念を概念によって説明しているのが散文。それに対して、詩などの韻文は、感覚と概念の間を橋渡しする。感覚の統合として概念が生じる、その原初的な「意味」が発生する現場、言葉の本来の姿を表現するのが詩だといえるのではないか。 テレビによくでる俳句の夏井先生が俳句をつくるコツは、説明しないことだと言ってましたね。感覚したものを描写するだけで、説明しないのが俳句であると。説明してしまうと散文になってしまうということなんでしょう。 そこで問題となるのが、冒頭の「なぜ、詩がイメージを喚起することができるのか」ということです。感じたことを言葉にするわけだから、感覚から概念が生じるというのはよいとして、それだけでは概念(言葉)によって感覚が生じる保証にはなりません。なぜ、言葉によってクオリアを生成できるのか。しかも同じ体験をしたわけでもない他人に対してまで。 そのヒントは、「夢」にあるのではないかと思います。我々は夢を見ているときに、ありありと見たもの聞いたもの触ったものの感覚があるように思いませんか。夢は概念化されたクオリアの記憶を呼び覚ますことができるのではないでしょうか。そして夢で可能であれば、詩という言語作用によってもクオリアを呼び覚ますことができてもおかしくはないでしょう。
母国語の詞ならともかく、外国語となるとやっぱり尻込みしてしまいますね 訳者の方に失礼な話かと思うんですけど、訳書ではどうしてもその作品を味わったとは思えないのではないかと感じてしまうので… 食わず嫌いと言えばそうなんですけどね
洋楽の翻訳なんか見てると人によってかなり差異が生じますねぇ
この話はメタフィクションになっていて、エンタメ的な楽しさがありますよね。 以下ネタバレ この小説自体が羊皮紙で、誰かが小説を開くたびに滅亡が繰り返されるっていう構造が面白いです。 「不死の命を手に入れた」という発言から、メルキアデスがこの話の外側を認知または干渉しているように思えます。 「百年の孤独」というタイトルには、マコンドの100年の話自体が独立してループしている、という意味も含まれているかもしれないですね。 ウルスラが気づいたのはこの“繰り返し”なのかなとか、アウレリャノ系の人が見る運命もメタ的なものなのかなと勝手に想像してます。 長文失礼しました
解説?ありがとうございます。 僕は現在21歳の大学生ですが、若いうちにこの小説を読めて良かったと思っています。 僕は子供の頃から周りと捉え方や考え方が違っていて(カッコつけとかではなく本気で悩んでいた)、実際周りからも不思議ちゃんのような見方をされていました。自分では、自分なりのロジックがしっかりあるのに、周りからは変な奴扱いされるのが不満でした。 なので、ムルソーのような周りの人に理解されなくても、確固たる自分の信念や軸をもとに自由や幸せをみつけ、自信を持って生きている人物と出会えて幸運です。お手本のような存在でもあります。 僕はムルソーに自分が似ているとは思いませんでしたが、僕の中にムルソーがたくさんいることに気がつけました!
相手を攻撃する時にしか聞かない気がする
難しいことはよく分からないが、普通に村上春樹の小説は面白いと感じる。『ダンス・ダンス・ダンス』以前と以降で作風がガラッと変わるけど、どちらにも良さがある。以前なら『風の歌を聴け』、以降なら『1Q84』が好きです。私は世間の下馬評とは違って、文体が好きですね。
なんでそんなわかりにくい言葉で話すんだ。
私は学生時代、経済を専攻していましたが、政治学を選択したり、かなり周囲から変わり者?と思われていました。(笑)なので、政治思想やイデオロギーは大切だと思っていますが、当時の政治学の講義は不人気で、政治学を専攻する学生以外で講義を取る方は少なかったですね。今の若い方々にとっては、更にその傾向は強いのだと個人的に感じます。仰る通り、左右の政治的な分類は形骸化しているのだと感じます。ポピュリズムとの指摘もあるかとは思いますが、具体的な施策や話しが出来る政治家や政党が生き残り、そうでない相変わらずの、イデオロギーの話しや、伝統的な支配つまり戦前の日本や宗教がという方々は、高齢化と共に少数派になっていくのかなと感じます。では、何故長らく左右の分類が続いたかと言うと、米ソと分かり易い陣営で色分けされていたからと、経済成長が長らく続き、いわば経済が安定成長だから、政治はお決まりの左右の安定した対立構造のままで良かったからなのだと思います。話しが長くなりすみません。お話し面白かったです。ちょっと、一つ、良い悪いは別にして、実は日本共産党さんは、戦後の一時期は日本国憲法に反対の立場、つまり改憲派だったと思います。自民党さんの目指すそれとは違うとは思いますが。勿論、共産党さんを攻撃する意図はありませんし、自民党さんも、あまり改憲に乗り気で無かった自由党と、改憲に意欲を燃やしていた日本民主党の保守合同で出来た政党ですので、話しが複雑なんですよね。
神が人に自由意思を与えたと信じる人は、独裁は人から自由意思を奪うことで反神だと気づくでしょう。
若者に「投票に行って」と言ったら、「老人が多い、投票に熱心な老人に勝てない、行っても無意味だ」と返されました。「意味は最低二つある。一つは、白票でも替え玉投票を防止できる。日本は国の体制の異なる国ばかりと隣接している。また、情報技術がどんどん進むいま、これから先に役所をハッキングして投票しない人のデータを盗んで外国人があなたの代わりに投票に行く可能性が無いとは限らない。何も銃を持っての侵略のみが侵略で、議会を乗っ取られたら、そこで終わりだ。もう一つは、血縁上の惰性での付き合いではなく、爺ちゃん婆ちゃんに自分のことを可愛く思い続けてもらうように努力することだ。そうしたら、次世代のあなたの為に投票してくれるはずだ。勝てないのは自分の可愛さが足りないと思って」と言いました。 一瞬で嫌われたかな…😂
交渉術として、選んで欲しくない内容を、敢えて外して、選択肢を提示するというのがありますが、日本の政治もそんな感じですね。どれを選んでも同じ穴に落ちる。
村上春樹は、実存主義的なんですね。なるほど。文体の好みじゃないかと思います。私は、どんなに評判のよい漫画でも、画風が嫌いなものは、読まないです。
「人生に本質的な意味がないとするならば、」という前提に無理があるので、その後の議論は、全て空虚な感じがします。
天然の人間が、「人」で、「人間」は、「人」の「間」つまり、関係性だとすると、アンドロイドも、「人間」でいいんじゃないかと思います。他者に自分と同じような意識があるかどうかは、人でもアンドロイドでも、分かりようがないわけですから。
政治に関心が深まるのと 理解が深まるのは違うので たとえばワ○○ン否定が盛んでも インフル用ならアリみたいな変な層も 他マイナンバー妙な賛成派が多いが進めたのは同じ、かのデジタルワクチン河野太郎なのだが、。 二項対立でこれって追えませんよね。 思考回路一般の方残念に遅い。 ちなみいま上記の全て法案に自分は反対派です。
保守が伝統文化を守り保つことなら、いっその事、ホモサピエンス時代まで遡っていただければ、国や人種を超えて融和できるんですよ。
二項対立からの脱却、是々非々での議論など、大変腑に落ちる内容でした。 自分は20代の頃は伝統、保守という概念は打破するモノであまり好きではありませんでした。 ただそこから数十年たって、天皇制などの伝統は残していくべきではないかなと思っています。(男系女系などについて思う所ありますが省きます) 何故なら源氏物語など多くの古典、文化の源流となっているものだから。 ただ戦前に帰れという考えには反対です。何故なら天皇主権の名のもとにどれほどの血が流されたのかを考えればわかると思います。 国の在り方はみんなでもっともっと議論していい話題だと思います!
あなたは少なくとも平均より思慮深く善意を持って政治を考えているように思うので、今一番マシだと思える選択肢に投票してほしいと思いました。属する団体に言われたからとか自己の利益とかなんとなくの印象で決めている人の影響力を下げたいのでそうして欲しいです。
これだけ議論するカテゴリーも増えて、それぞれについて選択すると、必ずしも完全に自分と一致する政党がある可能性は低くなりますね。 政党の選択や保守革新の概念も更新されていくのは良いなと思いました。
議論する上での利便性を考慮して、分類はするが、対立しない。どちらも自分の属する国をより良い方向に進めたいと本気で思っているなら、相手も自分と同じく目的が一緒なので、対立ではないと理解できるはず。
保守と革新、この2語を作り出した人が最初から「右に悪意、左に善意」を持つように意図していたと思います。結果的に保守という言葉にはマイナスのイメージを、革新という言葉にはプラスのイメージを人々が持つようになりました。保守というと、古いものに固執する人のことだと思われてしまいました。保守的な考えを捨てよう、と人々はそう思っても、そう言っても違和感を感じないようになりました。保守の皆さん、あなた、嵌められましたよ。保守、あんな言葉、自称するものではありません。あなたは「伝統重視派」です。伝統を捨てよう、さすがに、左も言い出せない、でしょう⁉︎彼らも伝統のおかげで生き継いでいるからです。伝統重視派は別に、一切変えないわけではありません。流行りに走らず、暴力ではなく、議論の上で慎重に変えていきたいと思っているでしょう。伝統重視派と伝統軽視派、と言ったら、イメージが逆転します。言葉って、魔力がありますね。 政治に関心を持ちましょう。衣食住の全ては否応なしに政治に関わっていますから。隣の超大規模の国で暮らす人々はまだ選挙権も手に入れていなく、伝統がどんどんと暴力装置によって歪曲され消滅され、人として生きる様子がなくなっています。政治や選挙に無関心なんて、なんともったいないこと。
ふくろうになっててかわいいです。
人生を楽しめてないと意味がないことが苦痛になります そのため美味しいものを食べたり、恋をしたり、仕事や趣味に没頭することで苦痛を和らげるのでしょう このコンテンツを楽しむのもその一環です🥰
物理学的にも、時間は相対的なものなので存在しないとも言える😊
初期の作品以外は村上春樹を読まなくなっていましたが、なぜかこの作品だけは読みました。たまたまタイトルに惹かれて手にとっただけかもしれません。そのせいか、話の内容はほぼ忘れてました。ナカタと言われて、たしかにそんなのがいたなと思い出す程度。話の結末も覚えていない。それでこの作品、また村上春樹を語るのもおこがましいかぎりですが、昨日の朝、目覚めたときにちょっとした妄想が浮かんだので、記録の意味でコメントしておきます。 それは「はたして村上春樹は論理的なんだろうか?」という疑問です。村上春樹が何か目的なり主題なりをもって書いている感じはしないんですよね。まあ、ぼんやりした主題のようなものはあるのかもしれません。しかし、その主題を論理的に展開しているとはいえないのではないか。むしろ、村上の基本スタンスとしては、論理の否定というのがあるんじゃないか。論理的な展開では読者に予測されてしまうこともあるでしょうし、なにより、論理的なものへの拒否感が表現行為そのものの核にあるのではないか。 では、「論理」でなければなんなのか。「構造」のようなものではないか。構造なり状況設定なりをしておいて、その中で自然に発生する思考、行為、事件などを観察して記述するとでもいうか。決まった譜面を演奏するのでなく、その場の気分や掛け合いでアドリブで演奏するジャズのようなイメージで。元々、ジャズ好きでジャズ喫茶をやってたわけだし、その方法論を文学に応用しようという意図は明らかにもってますよね。『ノルウェー…』の場合は、ビートルズでしたが。 さらに、そもそもなぜジャズかといえば、60年代のカウンターカルチャーとかの影響もそれなりにはあったんじゃないでしょうか。「壁に卵を投げつける」みたいなかんじといってもいいかもしれませんが。 そして「構造」といえば、「構造主義」ということにもなりますね。「構造主義」には西欧近代に対するカウンターという側面があるわけで、当然、西欧近代が標榜する「論理性」に疑義を呈することにもなるでしょう。論理性以外にも主体性とか進歩主義とかいろいろあるでしょうけど。 さて、村上春樹が登場してきたのは80年前後だったと思いますが、60年代が実存主義、70年代が構造主義の時代だったとすると、文学も意図するしないに関わらずその影響を受けてはいたでしょう。 そこで、話変わってガルシア・マルケスの『百年の孤独』の話になるんですが、あれも「魔術的(マジック)リアリズム」とか言われてましたよね。たしかに空からいろんなものが降ってきたりするのは魔術的ではあります。最近、文庫版が出たということで、よく売れているというのを聞きますね。さらに次の『予告された殺人の記録』も文庫になるとか。この2冊については似たような共通する「構造」があるような気がするんですね。私なりに単純に図式的に言ってしまえば、それはすべての出来事が予告されているということ。予告されているということは、繰り返し起こりうるということであり、それは「円環的構造」をもつといってもいいでしょう。 西欧近代が「直線的構造」をもつのに対して、「円環的構造」を持った別の世界も存在するというのが構造主義のひとつの主張でした。進歩を旨とする資本主義社会が「熱い社会」だとすれば、伝統的な循環型社会は「冷たい社会」だと言われたりもしました。 ノーベル賞委員会も『百年の孤独』選定にあたっては、そのような時代の流れを考慮していたものと、後知恵では考えますが、当時の書評などで、そのようなことが言及されていたのだろうかと気になります。 そこで『海辺…』に戻ります。この作品では、『オイディプス王』が基本構造にあるらしいですが、『源氏物語』『雨月物語』あるいは夏目漱石の作品なども主要なモチーフとして描かれているようですね(当然、完全に忘れてましたが)。雑な言い方をすれば、伝統的な日本そのものへの回帰とでもいうか、日本人のアイデンティティを考えてみようといった意図が見え隠れするような気もします。昔の人は今のように計算高く生きていたわけではなく、祖先なり、妖怪なり、怨霊なりを、リアルに自身の回りに感じて日々を生きていた。 村上自身もこの小説の頃はもういい歳になっていたはずで、カウンターばかりではしょうがない、自身のアイデンティティを確立することが肝腎であるみたいなかんじになってたんでしょうかね。 当然、時代的にも20世紀末のバブルも弾けて、いったいこの世界の資本主義はどこに行くんだといった背景もあったとは思われます。直線的世界から円環的世界へといった見方もでてきていたでしょう。200年ばかりの間続いてきた論理主義、進歩主義、主体主義もこの辺りで少し見直して、改めて新しい世界のありかたを考えてみましょう的な雰囲気はあったような気もします。それが2024年になって「マジックリアリズム」という形でまた話題になるのも悪くないというか。 村上自身についていえば、若い頃に卵を投げつけていた相手の歳になってきてもいたわけですしね。資本主義において卵を投げつけられる側になってしまった。オイディプスでなく、オイディプスに殺される父親の側になってきたわけだ。そのようにして人間の社会は同じことが繰り返されるもの。だから、『オイディプス王』が基本構造として選ばれた、ということじゃないですか。
確かに人間との違いがなかったらもうそれは人間かもしれない。始点が違うだけ