薬物の本質的是非について【独り言#42】
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- Опубликовано: 28 ноя 2024
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声が落ち着く
薬物とはちょっと違うかもしれないですが、私の場合サウナ上がりにビールを飲んだ瞬間天国への階段が開きます
3つの理由がクリア出来た場合社会に悪影響が出ないなら別にいいのではと思いました。人体にも社会にも悪影響が出ないなら毎日テレビ見たりRUclips見たりするみたいにライトな感じで日常のルーティーンにくい込んできそうと思いました。確かに薬物に中毒になってしまったらもう終わりって感じがするのは分かりますが。3つの理由で薬物が禁止されていると考えておられましたが、私は法律で禁止する理由として社会に悪影響であるという理由だけなのではないかと思いました。チャイルドシートの例も人が死んでしまったら社会を動かす人手がなくなってしまうと考えられます。(冷酷ではありますが)
RUclipsみまくっても
ラーメン食いまくっても
ランニングしまくっても
薬物摂取しまくっても
みんなが過剰なほどハマれば多かれ少なかれ
①コストは増大するし
②副作用がないわけじゃないし
③社会が回らなくなる可能性
はあると思います。
他のものと比較すると薬物にその傾向が著しいだけで、他のものと本質的な違いがあるとは考えられないですね。
だから人が法としてその傾向が顕著なものを線引きしていて、当然人間による線引きだからその区別は国や種類によって曖昧で…。
なので、これらの条件がクリアできるなら許されると私は思いますね。
もしもう既にお試しとして理想的で完璧な薬物を使用していて、スポーツに挑戦して挫折や楽しみを感じたり本を読んで思考をめぐらせて発信して喜びを得たりというのが妄想状態だったとして、効用が切れて覚醒したら体力も気力も乏しくものを考えてもぼんやりしているしすぐ疲れてしまう様な自分だったとしたら、それでもやっぱり薬物は良くないように思うという意見は変わらなそうでしょうか?
自分も今の自分を捨てて薬物を使用する事には大きな抵抗を感じますが、もし今の自分が薬物使用後の自分なのだったとしたら、目が覚めた後もまた今の自分に戻って来たいと思ってしまいそうです。
@@熱-i2u 読んでいて、自分に生じる不可逆的な変化をどう評価するかは、今の自分の状況に満足感があるかどうかがにかかっているのかな?と思いました。
多分、私も今はあなたの側の人間だと思いますが、かつて肥満から抜け出せなかった頃はとにかくどんな手段を使っても自分を変えたいと思っていたことを思い出しました。
今回取り上げていただいた観点は、ロバート・ノージックの経験機械の議論でしょうか?頭にプラグかなんかを刺して、最も幸福な状態を安全低コストに持続できるのを望むかを質問した場合、ほとんどの人がNOと答えるそうです。
僕も論理的な説明は思い浮かびませんが、そのような状態はなんとなく嫌ですね。我々が感知できていない善のイデアがそうさせているのかもしれない、というのが個人的な感想です。
「鎮痛剤による幸福感」という例示が奇しくも「人は実は平常であれば幸福である」という可能性を示しているのではないでしょうか。
もちろん、人間関係や健康状態で必ずしもそうならないのが人という生き物で、例えばアメリカで鎮痛剤による薬物依存が深刻な社会問題になっているのはそうした要因が考えられます。
例えば、私は「山登り」や「ランニング」で充分に幸福を感じることが出来ますが、果たして某大手テーマパークに定期的に通う習慣のある人がその「難易度の割には穏やかな刺激」で満足するだろうか?と考えることがあります。
人は薬物によって突出した幸福感を経験することで、「平穏な日常に感じるべき幸福感」を「退屈」と評価するようになったりはしないでしょうか。
この仮定が正しいとしたら、争点は「薬物摂取が罪かどうか」というよりは、「損か得か」という問題になりそうですね。
なお蛇足かつ、曖昧な記憶で申しわけありませんが、たしか覚〇剤だったか、初回の体験は激烈だけど二回目以降は初回の快感を得ることは難しく、初回の体験の再来を期待して嵌まっていくパターンが多いという研究があったように記憶していますし、アルコールに至っては「リアルタイムではむしろ酩酊によって混乱しているだけなのに、脳が楽しかったという記憶を捏造する」なんて研究があったような。
いずれにせよ、モニタリングの尺度が「主観」になってしまうので、どうしても自分の体験頼りになってしまうのがこの問題の難しいところですね。
人間は何かに囚われている方が楽なんだ。
考えることをするから未来に不安になったり過去を悔やんだりする。
「こんな人生に意味を?」なんて考えるくらいなら
気持ち良い72時間を過ごした後に瞬きと共に眠りたい
睡眠薬を5種ぐらい
常用していますが(処方箋)
何か問題でも?
確かに論理的にダメであるとは言えないかもしれませんが、
❝何のために生まれてきたのか❞
と言う感覚に陥りそうな気がします。
しかし、近い未来にはVR技術の発展によって人が好ましいと感じるあらゆる事の疑似体験が出来る未来は来るんじゃないかと思います。
それ自体も自分はあまり好ましく思えません。
要は自分が実体験したい物を、自分の感覚を騙して味わうと言う、何処となく虚しい行為のような…
下品な言い方をすると、人生の大半を自慰行為で終えるような…
やはり、自分本来の五感で感じる楽しさや幸福が充実に繋がるんじゃないでしょうか?
オルダスハクスリー「すばらしい新世界」を思い出しました。
(もし未読なら面白いのでぜひ!)
僕個人としては、
『そうする必要がないのに』『“外的”なものに依存』していることに嫌悪感を感じます。
自身の生を外的なものに握られていることに【不自由】という嫌悪感を抱きます。
なので自由の話だと思います。
つまり、難問(アポリア)です。😊笑
極端に言えばジャンキーであっても大丈夫な社会になって人類のほとんどがジャンキーな社会ってことですよね。
道徳的には悪いことだと思いますね、人間の尊厳が損なわれるからです。人間は考える葦であってそこに人間の尊厳を見出せるはずが、そのジャンキー社会では人間の生まれてきた意味が真の意味でわからなくなりそうです。
現代社会でも人間の生まれてきた意味を確実に答えることはできませんが、いつでも“ハイ”に簡単になれる社会は本当に考える意味すらもわからなくなりそうです。哲学や文学が消滅してそう、、
ただ、すでにカフェインやニコチンやアルコールといったある種の薬物は解放されたまま今現在社会は回っていてカンナビノイド(大麻)も海外では合法の動きがありますから、“嗜好品”の枠組みなら良いのかもしれません。
問題は人類のほとんどが思考しなくなるところにあると思いました。
痛みを感じることができなくなってしまった人間が存在していても、本当の痛み=快楽を知りたいと願うことさえ、罪なのでしょうか?
薬物に限らず、⭕⭕中毒のまま妊娠すれば、新生児に禁断症状が受け継がれてしまうのです。
今ある現実世界のこどもたちの未来は審判できません。
一言でいうと、「人類の堕落は善か悪か」ということですね。ここで言う堕落とは、人間の精神的な部分が正常に機能しなくなることです。
この動画では、この「精神的な部分のみの堕落」が人類に蔓延した場合、それはいいことなのか悪いことなのかということでした。
ここからは自分の意見です。私は良くないと思います。なぜなら、精神的に堕落した人間は廃人ということになり、全てにおいて無気力になると考えるからです。肉体的には問題がなくとも、なにも行動を起こさなくなるのではないかということです。それの何が良くないのかというと、人類が精神的に堕落した時点で、「人類のそれ以上の発展がなくなる可能性がある」からです。
自分は、人類が生き続ける限り、発展していって欲しいという考え、願いがあるから、この意見になりました。もちろん倫理的にも、人類の発展が止まることがいいことなのか悪いことなのかを考える必要がありますが、自分個人としてはそれは起こってほしくないことです。
もし誰かがここまで読んでいるのなら、ぜひ考えてみてください。ありがとうございました。
ずっと前に「人生最後は美意識」という言葉に触れて、歳を重ねる毎に説得力を増してるのですが、今回の話題もそれに当てはまるなと思いました。私は絶対に嫌です。理由は「何か気持ち悪いから」で十分だと思っています。