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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」もいつかお話聞いてみたいです✨とても深読みしがいがあって、哲学や考えることを大切にしている人には是非読んでいただきたいです🫢
まったく本を読まない同僚が、よく読んでいる同僚からほぼ初めて『ノルウェイの森』を勧められて読後にやさしい口調で「○○○○(あだ名です)いい本を教えてくれて、アリガトね、面白かった。」という場面がありました。ふたりはヒロトとマーシーのように仲が良く、ワタシは羨ましかった。その時、急にこの作品の味を感じたような気になりました。
ずっと動画を拝聴していたので、この作品が紹介された事自体が少し感慨深いです。(笑)大好きな作品で、私の場合初めて読んだのは大学生の時でした。自分の情緒的な性格がマスキュリニティ的に嫌で、務めて論理的であろうとしていた時だったので、この作品が多くの人に支持されている事に安心した記憶があります。(このような感傷的な感性を保持していてもいいんだなという安堵感)ただ、十分に歳を取ってから最近読み返した時の感想は、「もうこの(あの)頃には戻りたく無いなぁ」というものでしたが、、、。私としては、「名のあるキャラクターとの交わり」というイベントについては九鬼周造の「いきの構造」における媚態のようなものを連想します。"媚態とは、自と他が互いに相手と関わろうとしながら、決して束縛・固定される事を許さない緊張した関係を維持すること"交わる前は、緊張感のなかで、それぞれは兄弟でも友達でも恋人でも何者でも無い、不確定性が担保されたコドモでいられる。交わった後は、相手との関係性が、不確定性の解消として固定されるオトナになるか、もしくはその関係性自体が喪失されなければならない。レイコとのそれは、それぞれ心に区切りがついた後、これ以上はお互いが交差しない事を理解した諦めのなかでの、通過儀礼としてのそれだったのではないかと思っています。
小林緑です
村上春樹の物語が私には必要の無い理由が解りました。じゃりン子チエ的な、汚れた泥の河で生まれ育った私だからなのでしょう。テレビ版のエヴァンゲリオンにも、カヲルを殺して逡巡する主人公問いかける女性上司の場面があります。私は大人になって汚れてでも生きて行く本質の持ち主だった。村上春樹氏の中学生の頃の同級生と話す機会があり、生まれて育った世界が違うと知った事も思い出しました。
今更ですが、主様はすごい。あらゆる分野の、どんなに晦渋で長編の本も読み解き、噛み砕いで解説できる。主様がエベレストだとすると、ボクなんかはホントそこらへんの石ころ。この差は生まれ持ったものだから何ともならない。ボクには村上春樹なんて一生縁がないです。今回も大変に勉強になりましたm(__)m
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」もいつかお話聞いてみたいです✨
とても深読みしがいがあって、哲学や考えることを大切にしている人には是非読んでいただきたいです🫢
まったく本を読まない同僚が、よく読んでいる同僚からほぼ初めて『ノルウェイの森』を勧められて読後にやさしい口調で「○○○○(あだ名です)いい本を教えてくれて、アリガトね、面白かった。」という場面がありました。ふたりはヒロトとマーシーのように仲が良く、ワタシは羨ましかった。
その時、急にこの作品の味を感じたような気になりました。
ずっと動画を拝聴していたので、この作品が紹介された事自体が少し感慨深いです。(笑)
大好きな作品で、私の場合初めて読んだのは大学生の時でした。自分の情緒的な性格がマスキュリニティ的に嫌で、務めて論理的であろうとしていた時だったので、この作品が多くの人に支持されている事に安心した記憶があります。(このような感傷的な感性を保持していてもいいんだなという安堵感)
ただ、十分に歳を取ってから最近読み返した時の感想は、「もうこの(あの)頃には戻りたく無いなぁ」というものでしたが、、、。
私としては、「名のあるキャラクターとの交わり」というイベントについては九鬼周造の「いきの構造」における媚態のようなものを連想します。
"媚態とは、自と他が互いに相手と関わろうとしながら、決して束縛・固定される事を許さない緊張した関係を維持すること"
交わる前は、緊張感のなかで、それぞれは兄弟でも友達でも恋人でも何者でも無い、不確定性が担保されたコドモでいられる。
交わった後は、相手との関係性が、不確定性の解消として固定されるオトナになるか、もしくはその関係性自体が喪失されなければならない。
レイコとのそれは、それぞれ心に区切りがついた後、これ以上はお互いが交差しない事を理解した諦めのなかでの、通過儀礼としてのそれだったのではないかと思っています。
小林緑です
村上春樹の物語が私には必要の無い理由が解りました。
じゃりン子チエ的な、汚れた泥の河で生まれ育った私だからなのでしょう。テレビ版のエヴァンゲリオンにも、カヲルを殺して逡巡する主人公問いかける女性上司の場面があります。
私は大人になって汚れてでも生きて行く本質の持ち主だった。
村上春樹氏の中学生の頃の同級生と話す機会があり、生まれて育った世界が違うと知った事も思い出しました。
今更ですが、主様はすごい。あらゆる分野の、どんなに晦渋で長編の本も読み解き、噛み砕いで解説できる。主様がエベレストだとすると、ボクなんかはホントそこらへんの石ころ。この差は生まれ持ったものだから何ともならない。ボクには村上春樹なんて一生縁がないです。今回も大変に勉強になりましたm(__)m