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ネットから拾った情報とwikiからだけで動画作っている人が幾万もいる中でちゃんと資料を提示してるのが素晴らしいです。もちろん内容も素晴らしいです。今後とも楽しみにしております。
ありがとうございます。これからも頑張りますので、宜しくお願い致します。
一つの資料だけでなく、色々な資料から総合して、更に出来るだけ俯瞰した視点から伝えてくれてるのがありがたい。これからも動画作成頑張ってください。
ありがとうございます。これからも頑張ります。
すごく観やすい動画で観入ってしまいました題材の人物に対する敬意が伝わってくる良動画だと思います木曽駒ヶ岳遭難事故を茶化しながら解説していた他チャンネルを観てざわついた心を穏やかにしてもらいましたありがとうございます
コメントありがとうございます。そういえば最近は木曾駒ケ岳遭難を取り上げたゆっくり動画をよく見ますね。ブームなのでしょうか。
吉田は孤高の人ではあまりよく描かれてないので、こちらの動画では彼の実力をきちんと説明されていて良かったです。
コメントありがとうございます♪孤高の人はちょっと創作しすぎですね。
まってました!ちゃんと調べているこの手の動画って存外少ない。質が良いコンテンツをありがとうございます!今回も良かった。ゆっくりで良いので次も楽しみにしています。
コメントありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
13年前に浜坂の記念館に行きました。直筆の手帳に記された携行品リストを見た時胸が熱くなりました。最小限の装備だから記すほども無いだろうが、それでもなおかつ最善を尽くす姿勢を垣間見ました。アイコン画像は唯一相棒を募って剱岳八ツ峰に遊んだ時のものですが基本的に私も『単独行』で加藤文太郎は心の師であります。最期に一言言いたい、昨今『ソロ』って言葉を見掛ますが私は『単独行』と日本語で語って欲しい。
コメントありがとうございます。動画を作っておきながら、私はまだ加藤文太郎の記念館に行ったことはありません。いつか行きたいと思っています。八ッ峰は素晴らしいルートですね、私はGWに2回と7月に2回登りました。
素晴らしい動画です!ご本人や小説版のイメージなどを崩さぬようご配慮していて、とても素晴らしいと思いました。この1本の動画を作るのにとても時間をかけて勉強なさったのが凄くよく分かりました!これからも応援しています。
過分なお褒めのメッセージを頂き、ありがとうございます♪これからも頑張りますので、よろしくお願いします。
小説では相方の判断ミスと言う事になっていましたが、二人とも超一流の登山者だったんですね…。
コメントありがとうございます♪『孤高の人』の宮村の扱いはひどいです。
新田次郎さんは、他の作品でもそうですが、フィクションが多くて、実像を歪めていることが多いようです。小説家だから仕方ないにしても、モデルの方のイメージを損なってしまいます。
どの動画も、しっかり調べていて、偏らず、見ていて好印象です。応援してます。
お待ちしていました!ありがとうございます!この動画を作るのに『孤高の人』『単独行者』『単独行』と3冊の本を調べられたご苦労が良く分かります。小説が事実とは違っている事を明らかにして下さって嬉しく思います。小説とは言え明らかに個人が特定出来る中で事実ではない創作をすると言うのはどうなんでしょうね。作品としては面白く成っても、対象と成った人や遺族の方には嬉しく無いと思います。兵庫県は浜坂生まれの文太郎さんは神戸から浜坂の実家までの170~180km程を徒歩で帰省したそうで、それに因んだ“拝啓 加藤文太郎 兵庫縦断スピードハイク”と言う176kmの大会に2度参加したのですが、2回とも死にかけました…。文太郎さんの歩く速さは1km9分だったそうです。やってみて下さい…絶対無理です。
コメントありがとうございます♪スピードハイク、完走出来ただけでもすごいですよー。孤高の人のような書き方されたら吉田富久さんのご家族はつらいかもしれません。
小説家が実際の事件をもとに書く場合に、事実と異なることを書いてもめることが有るようです。八甲田山の遭難事件については、事件を調べていた方(元記者)が小説家に抗議してさらにその方が調べた事実をまとめた本を出されてますね…
「孤高の人」を読んで山を始め、単独行に専念し、北鎌尾根にも(単独で夏に)登りました。冬の北アは単独では難しく、冬は南アをホームとしました。文太郎はすごい!
コメントありがとうございます♪南アでも冬山単独はすごいですよ。お気をつけて!
単独の一つのメリットは、気楽に撤退できる事で、冬7回登頂の倍近く途中で降りてます。
@@user-pp7psytex 確かにパートナーに気を使う必要はないですね。
何が何でも山小屋にたどり着くスタイル
単独で担げるテントが、ない時代ですから
こんばんは、兵庫県の生野峠以北の北部地域は昔から山に隔てられて人的交流が少なかった為か、関西弁のアクセントを使えません、普通に江戸弁と同じアクセントです、文太郎が共通語を話していても不思議はありません。又、浜坂町は兵庫県北西部で生活圏は鳥取市なので、方言も鳥取弁がはいっています。
コメントありがとうございます。兵庫県北部は関西弁とは違うのですね。ただ加藤文太郎はいまの中学を卒業してから亡くなるずっと神戸なので、関西弁(神戸弁)に染まっているきがします。
私も、加藤文太郎のこと、を知りたくて、あらゆる資料を、読みました、又文太郎の歩いた道のりを、歩きました、とてもけわしてい、山です、冬も登りました、良くかえてきたな、思います、でも加藤文太郎は、装備もない時代によくいきましたね、とてもすばらしいです、動画の声もとてもいいです、私も昔を思い出します。
逆に言えば滑落しなければ戻ってこれたたことが異常。
8:00体力だけじゃなくて方向感覚と判断力もやべーな、俺ならひょっとして道間違えたとか悩んで元の小屋には戻れないわ……
コメントありがとうございます。GPSがない時代に冬の北アルプスで単独夜間行動ですからね。信じられないです。
待ってました!私が理想とする岳人です。加藤さんを追って、北鎌にも行きましたよ!
コメントありがとうございます。北鎌尾根すごいですね、私は敗退してしまいました。いつかリベンジ、、、
落石があり、死にそうになりましたよ🤣
ありがとうございます。文ちゃん大好き。浜坂に山越えビバーグで無事帰った話もいれてほしかったです。浜坂人は強い。谷さんのは、あまり文太郎像に近くはないと思います。人物描写について限定ですが。
このチャンネルの動画の第一回は、植村直己の紹介で、この二人は、同郷でしかもかなり近く、自分には、植村は加藤の遺伝子を受け継いだ戦後の生まれ変わりのようにも思える。加藤も、登山家でもあり冒険家とも言える。加藤も植村も、世間の常識人から見れば無謀であり非常識な行動も数々あるが、つまるところ、結果がすべてであり、成功すれば賞賛され、失敗すれば、無謀だ非常識だと叩かれる。植村直己は加藤の世界規模での発展形であり強運の持ち主でもあり、国民栄誉賞までもらう英雄となったが、結局加藤と同じく、厳冬の高山で遭難した。それでも、凡人のなしえない実績を残した英雄には違いない、と思う。英雄には、毀誉褒貶(きよほうへん)はつきものである。
コメントありがとうございます♪兵庫県北部では冒険家が生まれやすいのかもしれませんね。
学生時代、加藤文太郎さんに憧れて甘納豆持って登山したなぁ。
コメントありがとうございます。一般人が真似できるのはそこだけになっちゃいますね。
私も登山やつていた頃。朝 、昼 、夜パンとチーズで3日間過ごしたことも有ります。あ、それと水。
家族がいるのにやっぱり山から離れられないんですね😓魅力的なんだろうな😭ある意味体力に自信がありすぎて遭難してしまった気がします😓
コメントありがとうございます。体力と岩登りに自信があった最強コンビだからこそ、慎重な判断が欠けていたのかもしれません。
本物の「孤高の人」のすごさがよくわかりました。孤高の人・加藤文太郎さんって、下の名前は出てきても苗字はなかなか出てこなかった(笑)もう忘れません。本を読むよりずっと深く伝わりました。ありがとうございます
コメントありがとうございます。動画は本の内容のごく一部を抜粋しただけないので、ご興味があれば本も読まれることをお薦めいたします。
ちょうど『孤高の人』を読み終えてこの動画を見ました読む前から加藤文太郎が北鎌で亡くなるのはわかってたのですが花子や登志子のことを考えると頑張れと思わずにはいられなかった
仏教の千日回峰行でも似たような事やってるから現代でもできそうな人はいるんじゃないかなとは思います。ただ千日回峰行は「修行中に死んでもそれはそれで仏になれるから良し」とする前提だしそもそも成功確率も高くないので、いても天才レベルでしょうね
コメントありがとうございます♪千日回峰行レベルの体力だったということですね、
羊羹と甘納豆は行動食にも非常食にも最適です。美味しいです。粉末緑茶があれば完璧です。
コメントありがとうございます。行動食、非常食に甘納豆はよいのですが、加藤文太郎にとっては主食(米の代わり)でした。
現在、数十年振りに『孤高の人』を読んでいるところでしたので非常に興味深く拝見しました。
コメントありがとうございます。孤高の人はフィクションの部分が多いです。
先日浜坂に行ってきたので動画を見返しに来ました。加藤文太郎記念図書館の閉館時にリピート山中さんの「孤高の人よ 加藤文太郎のうた」が流れて大層エモかったです。仰る通り加藤文太郎に関しては新田次郎さんが小説で作ったイメージが広まっているのですが、この歌はわれわれ後世の登山者が彼に憧れる気持ちを主題に置いているので、その虚像と実像の問題をうまく解決して共感しやすくなっていると感じました。田部井淳子さんも絶賛されたそうで未聴の方にはお薦めですよ。
閉館したの?
@@user-fujikofujiko いえ、その日の利用時間が終わっただけですw
私は30代現役時代に北鎌尾根を春に1回厳冬期に1回末端から槍ヶ岳に向かうコースを踏破したことが有ります。厳冬期北鎌尾根の危険さは思い出しても身震いするほどで、名前の通り鎌の刃先のような細い岩稜に氷雪が張り付き、常に強風が吹きつけている。強風にあおられてバランスを崩したり、足場を踏み外したら数百メートル下の沢底までまっしぐら。まずこれで生存の可能性はゼロです。この状況で北鎌尾根末端まで移動できたのはまさに超人的な体力と意思の強さがあったのだろう。
コメントありがとうございます♪厳冬期北鎌尾根はすごいです!私は春に敗退しました。頂上付近から滑落して末端まで沢を降れるとか有り得ない体力ですよね。ロクな装備も食糧も無いのに。
リクエストに応えてくださり、ありがとうございます😊とても勉強になりました。彼の著書も読んでみます。
コメントありがとうございます。『単独行』には加藤文太郎の熱い思いがあふれていました。
ちょこちょこ出てくる関西弁の加藤がかわいい笑エピソードがどれもとんでもなさすぎて、信じられない事実は小説よりも奇なり
コメントありがとうございます。加藤文太郎は関西弁だったとおもいます。
ありがとうございます!孤高の人は確かに山岳文学としては秀逸な作品である事は間違いないと考えますが宮村健を吉田さんそのものとされては宮村さんもご遺族もいたたまれないでしょう〜吉田さんの名誉の為にこの動画がその辺りの事情も配慮して戴けた事に感謝致しまします。
ありがとうございます。『孤高の人』の書き方は少しひどいですね。
『孤高の人』高校生の時読み、胸がいっぱいになりました。この小説の冒頭に登場する高取山は、神戸の実家の裏山です。私、今は低山歩きのオジイサンですが、青春時代の高みへ高みへという純粋な気持ちが蘇ってきます。 加藤文太は兵庫の神戸の誇りです。
コメントありがとうございます♪そうですね、加藤文太郎は関西弁だったのでしょう。
司馬遼太郎もそうだけどエンタメ性を持たせるために史実を脚色改変しそれがあたかも事実のように思われることの危険性がありますね。
コメントありがとうございます。個人的には脚色しなくても、ありのままの加藤で十分魅力的に感じます。
私も穂高岳や槍ヶ岳、北岳などを何度か登り、木曽駒ヶ岳には積雪期にアイゼン、ピッケルを持って登るほど登山ファンですが、私も単独行が多いので、加藤文太郎は尊敬している登山家です
『孤高の人』読みました。遭難時の史実が違うのは後に知りましたが、加藤文太郎さんの桁外れな健脚ぶりに大いに驚き、山岳小説を随分読み漁りました。この動画を観て、改めて加藤文太郎さんの凄さを再認識しました。山野井夫婦さんのカンチェンジュンガの動画は作られましたか?
コメントありがとうございます♪ギャチュンカンのことでしょうか?あれの動画化は課題がいろいろと、、、
動画化の課題とは、、、何か色々あるのかな⁈ゆっくりアドベンチャーさんの動画は、とてもわかりやすくて、最近のお気に入りです。次回も楽しみにしてます👍
教えていただき拝見しました。加藤文太郎氏は本当に超人でしたね。
コメントありがとうございます。超人ですね、戦後生まれていたらヒマラヤで活躍されていたと思います。
小説では真冬に外で寝たり石を詰めたザックを背負って通勤したり地道な努力する描写があって初めて冬山に行くとき参考させてもらった思い出があります
コメントありがとうございます♪ホントにそんなストイックなトレーニングを実際の加藤文太郎したのかなぁとも思いますが。
槍ヶ岳頂上付近に戻ってこれている事自体驚異的だと思う
コメントありがとうございます。よく吹雪の北鎌尾根でビバークして生きていたものだとおもいます。
リピート山中さんが加藤文太郎の事を思って歌った「孤高の人よ」という曲があります。名曲なのでぜひ一緒に紹介してほしかったです!
コメントありがとうございます♪BGMに使おうと思ってリピート山中さんにメール出しかけるとこまでいきました。冷静に考えるとBGMに使うなんて、失礼かなと思い、メールしませんでしました!
むかーし「孤高の人」を読みました。驚くほどの健脚の持ち主ですね。新婚時代は長田神社の近くに住んでいたとか。地下足袋をはいて浜坂から歩いて神戸に来たことに、まず驚かされました。今高取山の麓に住んでいますが、この辺りもきっと通ったのでしょうね。
今のような軽量トレランシューズもない時代ですからね、地下足袋で登山とはおどろきます
大変興味深かったです。もし宜しければ山田昇さんの動画を作っていただきたく存じます。
リクエストありがとうございます♪頑張ってみます。
戦前の人は体力自慢が多いのは聞きますが、それでも途轍もない運動能力ですね
コメントありがとうございます。私も調べてみて、加藤さんの虚偽を疑ってしまうレベルの記録ばかりでした。
あくまで小説は小説であり、もし人物や事件に興味を持てば他者の本も読んで理解を深める事。新田さんの歴史小説は「武田勝頼」「新田義貞」は思い込みが激しく激しい批判を浴びている。
すばらしい説明をありがとうございました。『孤高の人』により抱いてきた印象が少し修正されました。ところで、一昨年、山岳写真の第一人者であった白籏史朗さんがお亡くなりになりました。確立された分野ではなかった山岳写真に果敢に挑み、巨匠と称されるまでになった白籏さんの生涯を描いていただければ嬉しく思います。ご検討ください。
コメントありがとうございます。リクエストもありがとうございます。山岳写真家は殆ど知識なく盲点でした。
加藤文太郎 三菱で働ける人間だから元から頭良かった方なんだろうな。昔から実業団の部活てあったんだな。
コメントありがとうございます♪技師としての評価も高かったようですね。
新田次郎氏の山岳著書は実在の人物を題材にしているものが多いが、そのほとんどが史実とはかけ離れた創作に依っているようで信憑性を感じない。文太郎に関しても、人物描写に不快感すら感じる。この動画は、そこをきちんと伝えてくれてすごく好感が持てる。食い物については僕もかなり調べたけれど新田氏の『孤高の人』でよく出てくる揚げ饅頭と小魚の唐揚げなどは、文太郎本人の手記には1回も登場していない、てな具合だ。誰かが「冬富士の吹雪の中を、背筋を伸ばした文太郎が登ってきたという描写には嫌悪感(だったかな)を感じる」とか書いていた記事には同意するしかなかった。「ゆっくり解説」はいつも楽しく拝見しているが、さらにファンになったぞ。
コメントありがとうございます。確かに小魚を食べていた話は『単独行』にはなかったですね。『孤高の人』は加藤文太郎を美化しすぎのような気がします。
子供の時、20kmの遠行イベントが学校であって、氷砂糖を携行するように指示があったのを思い出しました。やっぱ糖分があれば体が動くものなんですね…
コメントありがとうございます。子供に20キロあるかせるとか、すごい遠足ですね。やはり即効性のあるエネルギーは糖質のようです。
主様も登山なさるんですか? 山の知識が豊富だなと思いました。
コメントありがとうございます。私も登山しています。もちろんこのチャンネルの取り上げる登山家の足下にもおよびません。
技師としても出来る人だったみたいですね。ディーゼルエンジンの開発で功績を残したとか…
コメントありがとうございます。『孤高の人』では登山中に設計のアイデアを閃いていましたね。
いつもとても面白く見させてもらっています、星野道夫さんなんかもやってほしいです。
リクエストありがとうございます♪検討してみます。
厳冬期に単独で毛勝三山を縦走し、剱岳に登頂した志水哲也氏。これも信じられない記録です。
コメントありがとうございます。志水さんは写真家としても素晴らしいですね。
最強アルパインクライマーのウーリーステェックを取り上げてほしいです!!彼の”What was important was that I was aware of the risk at all times and kept it under control”って言葉が最高です。
コメントありがとうございます♪三大北壁ソロの方ですね。調べてみます!
@@yukkuri_adventure そうですね!なかなかウーリーに関する日本語の文献は少なく「最速!」「ソロ!」みたいな達成した業績ばかりしか注目されないですが、運動生理学とオリンピック選手が使うような平地のトレーニング理論を持ち込んでとんでもない偉業を成し遂げてしまった努力の天才です。(最初に理論を持ち込んでトレーニングしたのはメスナー)今まで「とにかく山へ行くことがトレーニングだ」みたいな古い価値観だった山の世界に新しいトレーニング法でどんどん結果を出していったすごい人なのにいまいち知名度が無くて泣いてます。情報が少なくて大変かもしれませんが、是非動画化をお願いしたいです。よろしくおねがいします。chamonixallyear.com/steve-house-mountaineering-training-chamonix/動画楽しんで見させてもらってます!頑張ってください!
新田次郎さんのファンだった父の影響で、孤高の人も読みましたが、なんとも無謀な人だと思ったものですが、決してパーティーを組まなかったコミュ症ではなかったのですね。ただ、やっぱり己の体力を過信したのかなと思いました。それでも当時の天気予報が今のように正確でも無いし、時間毎の物でもないし、そう言う点では気の毒としか言いようがないです。それにしても豆と砂糖の組み合わせはエネルギー効率が良いのですかね?畑正憲さん事ムツゴロウさんのエッセイで、羊羹を食べながら超人的な行動をしたお友達の話がありますが、そんなの嘘だと思っていました。でも、この人の話を聞くと本当だったのかと、認識を新たにしました。新田次郎さんは小説家なので事実ではなく、やはり脚色をして読ませる物で、かの八甲田山死の彷徨でも取材を受けてくれた方が事実と違うとお怒りになったと言う話を聞きます。司馬遼太郎さんも新田次郎さんも大変に素晴らしい方ですが、作品を史実だと思ってはいけないですね。
コメントありがとうございます。甘納豆は大豆なので、砂糖と炭水化物だけのお菓子より、タンパク質が含まれているかもしれないですね。吉田富久をモデルとした、『孤高の人』宮村の書き方はひどいですね。
@@yukkuri_adventure さんここで話を聞いて、ひどすぎると思いました。宮村さん、草葉の陰で無実の罪に泣いているのかあきれているのか。こうして事実を紹介してくれる、チャンネルさんは本当に貴重です。ありがとうございます。
1日に何千キロカロリーも消費する自転車ロングライドでも羊羹やアンパンなどはほぼ理想的な補給食として人気があります。甘納豆も似たようなものではないかと。
八甲田山死の彷徨で新田次郎氏の取材を受けた方が事実と違うとお怒りになり、訂正の書を執筆にかかったものの、未完で亡くなったのは残念。また、八甲田山死の彷徨の福島大尉のモデルになった人の子孫が映画や小説のここが史実と異なると言う本を出版したのだが、現在は恐らく廃版。
>司馬遼太郎さんも新田次郎さんも大変に素晴らしい方ですが、作品を史実だと思ってはいけないですね。司馬遼太郎は史実に基づいた史観で描写するのでまだマシで、大河ドラマにもなった篤姫を例に挙げて比較して見ると島津久光の人物像について篤姫では聡明な人物として描かれているが、司馬遼太郎は生麦事件を起こした島津久光を徹底的にバカ扱いで描写している。小説なので人物像を曲げて描写するのは在ることだと思うが、司馬遼太郎は徹底した研究でリアルに描写しようとする作家だった。上述の島津久光についても生麦事件という愚かな事を起こしたという事実に基づき人物を捉えている。史実という事実を重んじていた司馬遼太郎が事実を捻じ曲げる人物の代表であるかのように取り上げられているのは事実に基づかない。現にこの場において司馬遼太郎をその代表者であるかのように唐突に名前が出されている。新田次郎に関してはこの動画でも言及されているように事実に基づかずに一般人を悪し様に描写してしまったのはかなり不味かっただろうと思う。小説に限らず匿名のコメントなどでも事実に基づかず人様を悪し様に書くのは控えるべきではないだろうか。
新田次郎著「孤高の人」は加藤文太郎をモデルとした作品です。これは他の作品、例えば「銀嶺の人」等も実在する女性登山家をモデルとしてたものです。あくまでモデルとして著わした作品です。そのように出版社が書いてます。ただ残された記録を見る限り超人的な人物だったことは、現代の近代化された装備もスマホなどもない時代に残した記録、まさに登山史に残る登山家と言えると思います。
コメントありがとうございます。調べてみるとモデルとはいえ、『孤高の人』はかなり実像とはかけ離れているのではないかと思いました。
ドキュメンタリーではなくフィクションなんだからあれで良いと思う
「八甲田山」の兵卒を全員、文太郎にジョブチェンジさせた映画が見たい。
コメントありがとうございます♪遭難しないので映画にならないですね
兵庫県ですが新温泉町(但馬地方)は『但馬弁』になりますね。関西弁とは似ても似つかぬ因幡方面の方言に類する言葉です!
コメントありがとうございます♪就職してからずっと神戸住まいなので、関西弁に染まっていると思いました。
ウルトラライトの先駆者なのかも心底尊敬
山の魅力に取り憑かれた人はいつか遭難して命を落とすまで登り続けるものなのか。こういつトップクラスの登山家で穏やかな老後を過ごした人っているのかな?
コメントありがとうございます♪ラインホルトメスナーさんはあれだけの記録を残してご存命です。
@@yukkuri_adventure おお!ではラインホルト・メスナー伝説が見てみたいです!
本日、新田次郎の「孤高の人」を読もうと思って本棚を漁っていた所です。積雪季に直に雪の中で睡眠を執る事はとても無理、昔、冬の槍ヶ岳北鎌平で雪洞でビバークしたが羽毛の寝袋、ジャケットを着て寝たが非常に寒かった。追伸、加藤保男氏をお願いします。
コメントありがとうございます。冬の北鎌平でビバークとはすごいですね。加藤保男さんの動画は作成済みですので、是非ご視聴ください。ruclips.net/video/K5X4rXgvxww/видео.html
有り難う御座います。
いつか山野井泰史さんの動画を作って欲しいです!
リクエストありがとうございます♪頑張ります。
残された家族を思うと、どんな超人的な登山家でも若くして亡くなってしまっては…
花子さんかわいそうですね。
彼らの超人的な行動は何が原動力なんだろう?やっぱり、何かをやり遂げようとする意志かな?それとも、自分を見つめる為、自分に挑戦してたのかな?新田先生の小説はよく読んだが、イメージを膨らませ過ぎなところがあるかなあ。偉人たちの光跡を調べてみようかなって気になりました。
コメントありがとうございます。新田さんはドラマチックに話を盛りすぎな気もします。
数年前に新温泉町の加藤文太郎記念図書館に行きました。実際に使っていた道具も展示されているのですが「こんな道具でよく…」と思うほど簡素なつくりだったのを思い出します。主さんにはぜひ山屋としての梅棹忠夫先生を取り上げてほしいです。
コメントありがとうございます♪今より遥かに劣悪な装備で登っていたことは驚きですね。
北鎌尾根は本当に未来ある偉大な登山家を食う、人喰い尾根です😭
コメントありがとうございます。最近では池学さんも犠牲になられてしまいました
マジで体力化け物
自分の身近に身近な動植物が結構居た時代に登山が趣味になった人達の気が知れん。特に切り立った断崖とかはクラクラして逆に絶対に行きたく無いね。自分は子供の頃に田畑と古墳ばかりだった故郷が全部住宅地に為ってて、本当に自分の帰る場所が無くなったと感じた時が1番ショックだったなぁ。まぁ今の様な長蛇の列が出来る前だから高山は綺麗では有っただろうけどね。動植物も全然違うし本当に誰も居ないから楽しめたとは思うけれど、厳しさに挑戦したいとは思わないなぁ。
どれだけ超人的な体力があろうと所詮は人間の範疇での話であって牙を向いた自然の中では無力だというのがよく分かる時代のせいもあるけど計画も装備もあまりにも無謀山に対しては慎重に臆病に接するのが一番
@stest99 なにが気に障ったのかは知らないがこんなところで唐突に他人のコメントに噛み付いてるあなたの人生も相当なものかとwしかも自分の意見として言うのではなく加藤氏の思いを勝手に忖度して他人の攻撃に使うとか姑息極まりない
日帰りでも御守りにナッツ系一袋忍ばせるようにしてたけどそれを甘納豆に変えようかな
俺、冬山をやる技術も体力もないので、周りに迷惑かけるのを避けるためやったことないけど、登山する時にはミルキーやコンデンスミルクを行動食に使ったなあ。甘味、無茶苦茶欲しくなるよね。
コメントありがとうございます。確かに登山で疲れたときは甘味が欲しくなりますね。
加藤文太郎は、育ちは、浜坂温泉町だから山陰色が強いので一般で知る関西弁とはちょっと違ったと思います。鳥取弁に近いです
コメントありがとうございます。加藤文太郎は今でいう中学校を卒業してからずっと神戸に住んでいたので、関西弁(神戸弁)に染まっているかな?と想定しました。
@@yukkuri_adventure 様早速のご説明ありがとうございます。納得致しましたm(_)m
スイスマシーンこと、ウリシュテックをお願いします。
リクエストありがとうございます♪三大北壁フリーソロの方ですね
加藤文太郎については山でしかも体力の限界まで進むに進んで力尽きたのだか極楽往生だろう。何も言うことはない。
コメントありがとうございます。生まれたばかりの娘さんを残して亡くなったのは、心残りだったかもしれません。
一流で向上心旺盛な登山家は必ず死ぬ。家族を残して。孤高の人も例外では無かった。
コメントありがとうございます。ギリギリの登山を続けるとやっぱりこうなってしまいますね。
ロマンチックな発想が許されるなら、超人が半神になるのを嫌がった山の神が無理矢理神様にしちまったのかも知れないな
コメントありがとうございます。凡人なら槍ヶ岳頂上付近で滑落した時点で死んでますからね。末端まで下山できるなんてまさに超人ですね。
私は安全に気をつけて家で甘納豆を食べます。
コメントありがとうございます♪家で甘納豆が一番安全ですね
そう。体力では岩は登れないんですよね。
コメントありがとうございます。岩は技術も必要ですからね。
加藤文太郎が亡くなった1936年の10月に、日本初のヒマラヤ遠征隊としてインド(当時英国領)の高峰ナンダ・コート(6867㍍)初登頂に成功した立教大登山隊は、陸軍糧秣廠から研究協力名目で特別な糧秣(今で言う所のレーション)を提供して貰ったそうだが、ググッても答えが出て来ず、これがインスタント食品だったら面白いとは思うものの、詳細は不明。なお、その時に使ったテント(当時の最高技術)が2017年に長野県で発見されたのも登山に詳しい人には驚きらしいが、その辺りはUP主さん達の方が詳しいだろうから知ったかぶりはしないことに。
コメントありがとうございます。いえいえ全然知らないことでした。ありがとうございます。ナンダ・コート遠征もこのチャンネルのネタになりそうです。
@@yukkuri_adventure このチャンネルは事故専門チャンネルではないから、犠牲者のいない動画は良いですね。 戦前に培われた技術は、約20年後の南極観測隊や1956年の日本山岳会隊によるマナスル(8163㍍)登頂隊のテントやザックにも生かされたというそうですが、自分はヒマラヤ遠征などで使うテントは現在も原則は使い捨てと言うことを知らず(正直、考えたこともなかった)驚きました。マナスル初登頂時のテントは厳しい寒さや強風にさらされ、再使用が不可能だったそうで、ヒマヤラ登山で使ったテントはゴミにならないようにお持ち帰りした後で記念品にするのかなと思ってしまいますね。 なお、”立教大学””ヒマヤラ”で検索した所、「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」で、立教大学OB2人を含む少数精鋭5人の登山隊を編成。2017年10月に再びナンダ・コートの頂きを目指し、登頂の他に初登頂の際にその証として山頂に埋められた立教大学校旗、毎日新聞社旗、日章旗の3本の旗を探し出し持ち帰るミッションも行う様子のドキュメンタリーがTV朝日で2018年に放送されたという情報が出て来ました。有料会員で有ればそのドキュメンタリーを見ることが出来るのかも知れません。
3回目の挑戦で成功した戦後最初のヒマヤラ登山のマナスル登頂や”氷壁”のモデルになったナイロンザイル事件も、動画に出来そうな内容だったら是非。なお、件のテントはナンダ・コート登頂隊と、第1・第2次マナスル登頂隊の両方に参加した記者の長野県の実家に保管されていたのが、「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」で資料収集中に発見(記事は2017年1月に出たものですが、発見は2016年11月でした)されたものの、80年間の用具の進歩を解説する記事を載せたサイトで、ナンダ・コート登頂時には存在しないナイロン製のレインポンチョ(恐らくマナスル登頂隊で使ったもの)をナンダ・コート登頂時に使用したものとして紹介していてビックリ。突っ込む奴がいなかったのか?間違いに気付いたものの記事を治すのが面倒で放置しているのか?テントは登頂隊隊長の遺族に返還され、遺族が遺品を出身地近くにある富山県立立山博物館に寄贈したようです(基が有料記事のため詳細不明)。また、ナンダ・コート初登頂時に作成された山岳ドキュメンタリー『ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コット征服』は戦争のどさくさで忘れ去れ、フィルムが行方知れずとなっていたものの、テント発見と同じ2016年の8月に日本山岳会の倉庫で発見され、その時の様子が ruclips.net/video/2oPL6tmpwKw/видео.html で公開されています。さらに、2017年10月の挑戦は隊長が書いた記事によると、政情の関係で81年前と同じルートを取れず、南壁から挑戦したら氷壁の状態が良くなく、スノーバーやアイススクリューが効かなくて、山頂まで200㍍を残して断念となったようです。
「このアイゼンがどうもいけないんです。どうすれば良いでしょう?」「そんなものは捨ててしまいなさい。アイゼンはきちんと靴に合ったものを買わなければなりません」
アイゼンは生死を分けますからね。
こんにちは吉尾弘さんを動画にしていただけませんか。
冬の北鎌尾根、危険過ぎる。
生きていれば、ヒマラヤに挑戦してほしかった。
コメントありがとうございます。『単独行者』では加藤はヒマラヤも計画していましたね、本当かどうかは分かりませんが。
海外のアルピニストのリクエストも受けて頂けるなら、ウーリ・シュテック(スイスマシン)の生涯もお願いしたいです!❤(ӦvӦ。)
コメントありがとうございます♪ウーリーさん、リクエスト多いので頑張ってみます
関西弁でもないよー。地元は兵庫県北部、鳥取に近い方言。神戸に行って関西弁になったかもしれないけどね。
コメントありがとうございます。就職してからずっと神戸なので、関西弁に染まっていたと思います
冬山でこんなタフやったら日常生活とか一週間寝なくてもいけそうやな
コメントありがとうございます。いけるかもしれませんが、技師としての仕事に支障が出そうです。
取り上げて欲しい登山家ならやっぱメスナーですね。やつはレジェンド
コメントありがとうございます。加藤文太郎を最強登山家と称してしまいましたが、メスナーも最強ですね。
『孤高の人』では、加藤文太郎が政治的な犯罪者だと疑われて、警察の取り調べを受けたり、家宅捜索されるシーンがありました。ああいうことが、加藤に実際にあったのでしょうか。『単独行』には、そういうことは書かれていませんでした。
そんなシーンあったのですか!新田さんの創作だと思いますが
もともとの体力がスゴイというのもあるけど、他の人がまねできないのは、命がけすぎて誰もやらないほうが強そう
ぜひ宮田八郎さんもよろしくお願いします‼️‼️
リクエストありがとうございます♪穂高岳山荘の方ですねー、検討してみます
単独行を読んでから孤高の人を読んで、ものすごくモヤモヤしていました。加藤がペアを組んだから遭難した、ような書き方が失礼な気がします。吉田の名誉回復になるような動画が広まるといいな。
コメントありがとうございます孤高の人での吉田さんの扱いは酷いですね
加藤の食料ですが事実は甘納豆だけで干し魚も創作だったのでしょうか?
加藤の著書に干し魚は出てきませんでした
@@yukkuri_adventure さまほんとですか!じゃあ干し魚は新田氏の創作だったのですかね
@@alleinganger8611 そうかもしれません
@@yukkuri_adventure さまとなると糖分だけですね干し魚を加えることでタンパク質その他も摂取でき理に適った行動食だと思っていたのですが
地元の人には裏山程度に思ってた低い山でも意外に低体温で死ぬ人が多いから、人間は平地に適応した生物なんだろうね。高山地帯にも住んでるけれど裕福な人でも若い割に高齢者に見えるもんね。とは言へ加藤文太郎さんに興味が湧くのは当然でしょうね。しかし、小説とは言へ明らかに誰の事かを書いてるのが判る物に虚構過ぎる話を乗っけるのは止めて欲しいですね。チョッと昔のいい加減な小説家達が史実っぽい物を書いた為に凄い誤解が生まれてるのは残念ですね。
コメントありがとうございます。孤高の人の宮村の扱いは少しひどいですね。遺族からクレームがきそうです。
不死身の加藤単独行の加藤
化け物は全然の加藤、戦後は山田だとおもっています!
コメントありがとうございます♪山田昇さんのことですね。もう少しで、8000m14座登頂だったのに、残念でした。
待ってました、一番好きな憧れの登山家で「孤高の人」は山を始めたキッカケです。それでは今度は「漫画版、孤高の人」のレビューお願い致します!
10動画目!\(^。^)/オメデトー! いつも大変に興味深く且つ楽しい動画をありがとうございます!これからもたくさんの動画をお願いします!
ありがとうございます♪ようやく10動画のチャンネルですが、これからも宜しくお願い致します。
@@yukkuri_adventure 先輩の解説は詳しくてしかも楽しくてわかりやすいので大好きです!すべて何回も聴かせていただいてます!(^。^)ノ
加藤文太郎は地元神戸の六甲山縦走を始めた人としても有名しかも驚異的な体力エピソードとしては朝、神戸の自宅から須磨まで歩いて宝塚まで六甲山地を約50km縦走して夜には歩いて自宅に戻っていたという。六甲山縦走はしたことあるけどありえへんよ(;´Д`)
コメントありがとうございます。たしかに六甲縦走のスピードもすごいですね。このエピソードも入れようとしましたが、全国的に知名度のある北アルプスで語ったほうがいいと思い、省略しました。
加藤文太郎は確か8時間とのことでしたが私は15時間かかりました。
@@西井睦 15時間で六甲全山縦走されたのですか?完歩されただけでもすごいと思います。
この六甲縦走のキツさはやったもの以外は分からないですね。それを事もなげにやってしまう人であった故に、更に険しい山を目指したのでしょう。全てが凄い人であったと言うのはこの動画で本当によく分かりますよ❗️
加藤文太郎の写真、結婚写真なんだね画像の右下のとこに奥さんの角隠しが見切れてる
コメントありがとうございます♪気がつかなかったです、ありがとうございます
誰もペースに着いて行けないから、単独行になったのか
コメントありがとうございます♪私はそう思います。単独行のほうが安全。
今で言うなら「加藤半端ないって!」ですね。
ぜひ山野井泰史さんを!
リクエストありがとうございます。山野井さんはいつか取り上げたいと思います。
ただ、加藤さんは下手すれば雪崩で死んでいた可能性あったんだよな。結婚前に。あの山小屋丸ごと潰された雪崩で、途中で出会った集団に拒否されたから、山小屋に泊まれなくなって難を逃れた。
コメントありがとうございます。剱沢の雪崩ですね、、、宿泊を断られていなかったら加藤はそこで亡くなっていたかもしれません。
@@yukkuri_adventure 真相は今となってはわかりませんが(今でいう上級国民だから断ったのか、単に途中から知らない人が入るのを嫌がったからで、案内人が極度に排他的な人間だったとか・・・)いずれにしても加藤文太郎が伝説になったか否かの分水嶺はそこでしたね。先ず、あの雪崩では無理でしたね。即座に掘り起こすには資材が足りなかったし。
ネットから拾った情報とwikiからだけで動画作っている人が幾万もいる中でちゃんと資料を提示してるのが素晴らしいです。もちろん内容も素晴らしいです。今後とも楽しみにしております。
ありがとうございます。
これからも頑張りますので、宜しくお願い致します。
ありがとうございます。
これからも頑張りますので、宜しくお願い致します。
ありがとうございます。
これからも頑張りますので、宜しくお願い致します。
一つの資料だけでなく、色々な資料から総合して、更に出来るだけ俯瞰した視点から伝えてくれてるのがありがたい。
これからも動画作成頑張ってください。
ありがとうございます。
これからも頑張ります。
すごく観やすい動画で観入ってしまいました
題材の人物に対する敬意が伝わってくる良動画だと思います
木曽駒ヶ岳遭難事故を茶化しながら解説していた他チャンネルを観てざわついた心を穏やかにしてもらいました
ありがとうございます
コメントありがとうございます。
そういえば最近は木曾駒ケ岳遭難を取り上げたゆっくり動画をよく見ますね。
ブームなのでしょうか。
吉田は孤高の人ではあまりよく描かれてないので、こちらの動画では彼の実力をきちんと説明されていて良かったです。
コメントありがとうございます♪
孤高の人はちょっと創作しすぎですね。
まってました!
ちゃんと調べているこの手の動画って存外少ない。
質が良いコンテンツをありがとうございます!
今回も良かった。
ゆっくりで良いので次も楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
13年前に浜坂の記念館に行きました。
直筆の手帳に記された携行品リストを見た時胸が熱くなりました。
最小限の装備だから記すほども無いだろうが、それでもなおかつ最善を尽くす姿勢を垣間見ました。
アイコン画像は唯一相棒を募って剱岳八ツ峰に遊んだ時のものですが基本的に私も『単独行』で加藤文太郎は心の師であります。
最期に一言言いたい、昨今『ソロ』って言葉を見掛ますが私は『単独行』と日本語で語って欲しい。
コメントありがとうございます。
動画を作っておきながら、私はまだ加藤文太郎の記念館に行ったことはありません。
いつか行きたいと思っています。
八ッ峰は素晴らしいルートですね、私はGWに2回と7月に2回登りました。
素晴らしい動画です!
ご本人や小説版のイメージなどを崩さぬようご配慮していて、とても素晴らしいと思いました。この1本の動画を作るのにとても時間をかけて勉強なさったのが凄くよく分かりました!
これからも応援しています。
過分なお褒めのメッセージを頂き、ありがとうございます♪
これからも頑張りますので、よろしくお願いします。
小説では相方の判断ミスと言う事になっていましたが、二人とも超一流の登山者だったんですね…。
コメントありがとうございます♪
『孤高の人』の宮村の扱いはひどいです。
新田次郎さんは、他の作品でもそうですが、フィクションが多くて、実像を歪めていることが多いようです。小説家だから仕方ないにしても、モデルの方のイメージを損なってしまいます。
どの動画も、しっかり調べていて、偏らず、見ていて好印象です。応援してます。
ありがとうございます。
これからも頑張ります。
お待ちしていました!ありがとうございます!この動画を作るのに『孤高の人』『単独行者』『単独行』と3冊の本を調べられたご苦労が良く分かります。小説が事実とは違っている事を明らかにして下さって嬉しく思います。小説とは言え明らかに個人が特定出来る中で事実ではない創作をすると言うのはどうなんでしょうね。作品としては面白く成っても、対象と成った人や遺族の方には嬉しく無いと思います。兵庫県は浜坂生まれの文太郎さんは神戸から浜坂の実家までの170~180km程を徒歩で帰省したそうで、それに因んだ“拝啓 加藤文太郎 兵庫縦断スピードハイク”と言う176kmの大会に2度参加したのですが、2回とも死にかけました…。文太郎さんの歩く速さは1km9分だったそうです。やってみて下さい…絶対無理です。
コメントありがとうございます♪
スピードハイク、完走出来ただけでもすごいですよー。
孤高の人のような書き方されたら吉田富久さんのご家族はつらいかもしれません。
小説家が実際の事件をもとに書く場合に、事実と異なることを書いてもめることが有るようです。八甲田山の遭難事件については、事件を調べていた方(元記者)が小説家に抗議してさらにその方が調べた事実をまとめた本を出されてますね…
「孤高の人」を読んで山を始め、単独行に専念し、北鎌尾根にも(単独で夏に)登りました。
冬の北アは単独では難しく、冬は南アをホームとしました。文太郎はすごい!
コメントありがとうございます♪
南アでも冬山単独はすごいですよ。お気をつけて!
単独の一つのメリットは、気楽に撤退できる事で、冬7回登頂の倍近く途中で降りてます。
@@user-pp7psytex 確かにパートナーに気を使う必要はないですね。
何が何でも山小屋にたどり着くスタイル
単独で担げるテントが、ない時代ですから
こんばんは、兵庫県の生野峠以北の北部地域は昔から山に隔てられて人的交流が少なかった為か、関西弁のアクセントを使えません、普通に江戸弁と同じアクセントです、文太郎が共通語を話していても不思議はありません。
又、浜坂町は兵庫県北西部で生活圏は鳥取市なので、方言も鳥取弁がはいっています。
コメントありがとうございます。
兵庫県北部は関西弁とは違うのですね。
ただ加藤文太郎はいまの中学を卒業してから亡くなるずっと神戸なので、
関西弁(神戸弁)に染まっているきがします。
私も、加藤文太郎のこと、を知りたくて、あらゆる資料を、読みました、又文太郎の歩いた道のりを、歩きました、とてもけわしてい、山です、冬も登りました、良くかえてきたな、思います、でも加藤文太郎は、装備もない時代によくいきましたね、とてもすばらしいです、動画の声もとてもいいです、私も昔を思い出します。
逆に言えば滑落しなければ戻ってこれたたことが異常。
8:00体力だけじゃなくて方向感覚と判断力もやべーな、俺ならひょっとして道間違えたとか悩んで元の小屋には戻れないわ……
コメントありがとうございます。
GPSがない時代に冬の北アルプスで単独夜間行動ですからね。信じられないです。
待ってました!私が理想とする岳人です。加藤さんを追って、北鎌にも行きましたよ!
コメントありがとうございます。
北鎌尾根すごいですね、私は敗退してしまいました。
いつかリベンジ、、、
落石があり、死にそうになりましたよ🤣
ありがとうございます。文ちゃん大好き。
浜坂に山越えビバーグで無事帰った話もいれてほしかったです。
浜坂人は強い。
谷さんのは、あまり文太郎像に近くはないと思います。
人物描写について限定ですが。
このチャンネルの動画の第一回は、植村直己の紹介で、この二人は、同郷でしかもかなり近く、自分には、植村は加藤の遺伝子を受け継いだ戦後の生まれ変わりのようにも思える。加藤も、登山家でもあり冒険家とも言える。加藤も植村も、世間の常識人から見れば無謀であり非常識な行動も数々あるが、つまるところ、結果がすべてであり、成功すれば賞賛され、失敗すれば、無謀だ非常識だと叩かれる。植村直己は加藤の世界規模での発展形であり強運の持ち主でもあり、国民栄誉賞までもらう英雄となったが、結局加藤と同じく、厳冬の高山で遭難した。それでも、凡人のなしえない実績を残した英雄には違いない、と思う。英雄には、毀誉褒貶(きよほうへん)はつきものである。
コメントありがとうございます♪
兵庫県北部では冒険家が生まれやすいのかもしれませんね。
学生時代、加藤文太郎さんに憧れて甘納豆持って登山したなぁ。
コメントありがとうございます。
一般人が真似できるのはそこだけになっちゃいますね。
私も登山やつていた頃。朝 、昼 、夜パンとチーズで3日間過ごしたことも有ります。あ、それと水。
家族がいるのにやっぱり山から離れられないんですね😓魅力的なんだろうな😭ある意味体力に自信がありすぎて遭難してしまった気がします😓
コメントありがとうございます。
体力と岩登りに自信があった最強コンビだからこそ、慎重な判断が欠けていたのかもしれません。
本物の「孤高の人」のすごさがよくわかりました。孤高の人・加藤文太郎さんって、下の名前は出てきても苗字はなかなか出てこなかった(笑)もう忘れません。本を読むよりずっと深く伝わりました。ありがとうございます
コメントありがとうございます。
動画は本の内容のごく一部を抜粋しただけないので、ご興味があれば本も読まれることをお薦めいたします。
ちょうど『孤高の人』を読み終えてこの動画を見ました
読む前から加藤文太郎が北鎌で亡くなるのはわかってたのですが
花子や登志子のことを考えると頑張れと思わずにはいられなかった
仏教の千日回峰行でも似たような事やってるから現代でもできそうな人はいるんじゃないかなとは思います。ただ千日回峰行は「修行中に死んでもそれはそれで仏になれるから良し」とする前提だしそもそも成功確率も高くないので、いても天才レベルでしょうね
コメントありがとうございます♪
千日回峰行レベルの体力だったということですね、
羊羹と甘納豆は行動食にも非常食にも最適です。美味しいです。粉末緑茶があれば完璧です。
コメントありがとうございます。
行動食、非常食に甘納豆はよいのですが、加藤文太郎にとっては主食(米の代わり)でした。
現在、数十年振りに『孤高の人』を読んでいるところでしたので非常に興味深く拝見しました。
コメントありがとうございます。
孤高の人はフィクションの部分が多いです。
先日浜坂に行ってきたので動画を見返しに来ました。加藤文太郎記念図書館の閉館時にリピート山中さんの「孤高の人よ 加藤文太郎のうた」が流れて大層エモかったです。
仰る通り加藤文太郎に関しては新田次郎さんが小説で作ったイメージが広まっているのですが、この歌はわれわれ後世の登山者が彼に憧れる気持ちを主題に置いているので、その虚像と実像の問題をうまく解決して共感しやすくなっていると感じました。田部井淳子さんも絶賛されたそうで未聴の方にはお薦めですよ。
閉館したの?
@@user-fujikofujiko いえ、その日の利用時間が終わっただけですw
私は30代現役時代に北鎌尾根を春に1回厳冬期に1回末端から槍ヶ岳に向かうコースを
踏破したことが有ります。
厳冬期北鎌尾根の危険さは思い出しても身震いするほどで、名前の通り鎌の刃先のような
細い岩稜に氷雪が張り付き、常に強風が吹きつけている。
強風にあおられてバランスを崩したり、足場を踏み外したら数百メートル下の沢底までまっしぐら。
まずこれで生存の可能性はゼロです。
この状況で北鎌尾根末端まで移動できたのはまさに超人的な体力と意思の強さがあったのだろう。
コメントありがとうございます♪
厳冬期北鎌尾根はすごいです!私は春に敗退しました。
頂上付近から滑落して末端まで沢を降れるとか有り得ない体力ですよね。ロクな装備も食糧も無いのに。
リクエストに応えてくださり、ありがとうございます😊
とても勉強になりました。
彼の著書も読んでみます。
コメントありがとうございます。
『単独行』には加藤文太郎の熱い思いがあふれていました。
ちょこちょこ出てくる関西弁の加藤がかわいい笑
エピソードがどれもとんでもなさすぎて、信じられない
事実は小説よりも奇なり
コメントありがとうございます。
加藤文太郎は関西弁だったとおもいます。
ありがとうございます!孤高の人は確かに山岳文学としては秀逸な作品である事は間違いないと考えますが宮村健を吉田さんそのものとされては宮村さんもご遺族もいたたまれないでしょう〜吉田さんの名誉の為にこの動画がその辺りの事情も配慮して戴けた事に感謝致しまします。
ありがとうございます。
『孤高の人』の書き方は少しひどいですね。
『孤高の人』高校生の時読み、胸がいっぱいになりました。
この小説の冒頭に登場する高取山は、神戸の実家の裏山です。
私、今は低山歩きのオジイサンですが、青春時代の高みへ高みへという純粋な気持ちが蘇ってきます。 加藤文太は兵庫の神戸の誇りです。
コメントありがとうございます♪
そうですね、加藤文太郎は関西弁だったのでしょう。
司馬遼太郎もそうだけどエンタメ性を持たせるために史実を脚色改変しそれがあたかも事実のように思われることの危険性がありますね。
コメントありがとうございます。
個人的には脚色しなくても、ありのままの加藤で十分魅力的に感じます。
私も穂高岳や槍ヶ岳、北岳などを何度か登り、木曽駒ヶ岳には積雪期にアイゼン、ピッケルを持って登るほど登山ファンですが、私も単独行が多いので、加藤文太郎は尊敬している登山家です
『孤高の人』読みました。遭難時の史実が違うのは後に知りましたが、加藤文太郎さんの桁外れな健脚ぶりに大いに驚き、山岳小説を随分読み漁りました。この動画を観て、改めて加藤文太郎さんの凄さを再認識しました。
山野井夫婦さんのカンチェンジュンガの動画は作られましたか?
コメントありがとうございます♪
ギャチュンカンのことでしょうか?あれの動画化は課題がいろいろと、、、
動画化の課題とは、、、何か色々あるのかな⁈
ゆっくりアドベンチャーさんの動画は、とてもわかりやすくて、最近のお気に入りです。次回も楽しみにしてます👍
教えていただき拝見しました。
加藤文太郎氏は本当に超人でしたね。
コメントありがとうございます。
超人ですね、戦後生まれていたらヒマラヤで活躍されていたと思います。
小説では真冬に外で寝たり石を詰めたザックを背負って通勤したり地道な努力する描写があって初めて冬山に行くとき参考させてもらった思い出があります
コメントありがとうございます♪
ホントにそんなストイックなトレーニングを実際の加藤文太郎したのかなぁとも思いますが。
槍ヶ岳頂上付近に戻ってこれている事自体驚異的だと思う
コメントありがとうございます。
よく吹雪の北鎌尾根でビバークして生きていたものだとおもいます。
リピート山中さんが加藤文太郎の事を思って歌った「孤高の人よ」という曲があります。名曲なのでぜひ一緒に紹介してほしかったです!
コメントありがとうございます♪
BGMに使おうと思ってリピート山中さんにメール出しかけるとこまでいきました。
冷静に考えるとBGMに使うなんて、失礼かなと思い、メールしませんでしました!
むかーし「孤高の人」を読みました。驚くほどの健脚の持ち主ですね。新婚時代は長田神社の近くに住んでいたとか。地下足袋をはいて浜坂から歩いて神戸に来たことに、まず驚かされました。今高取山の麓に住んでいますが、この辺りもきっと通ったのでしょうね。
今のような軽量トレランシューズもない時代ですからね、
地下足袋で登山とはおどろきます
大変興味深かったです。
もし宜しければ山田昇さんの動画を作っていただきたく存じます。
リクエストありがとうございます♪
頑張ってみます。
戦前の人は体力自慢が多いのは聞きますが、それでも途轍もない運動能力ですね
コメントありがとうございます。
私も調べてみて、加藤さんの虚偽を疑ってしまうレベルの記録ばかりでした。
あくまで小説は小説であり、もし人物や事件に興味を持てば他者の本も読んで
理解を深める事。新田さんの歴史小説は「武田勝頼」「新田義貞」は思い込み
が激しく激しい批判を浴びている。
すばらしい説明をありがとうございました。『孤高の人』により抱いてきた印象が少し修正されました。
ところで、一昨年、山岳写真の第一人者であった白籏史朗さんがお亡くなりになりました。確立された分野ではなかった山岳写真に果敢に挑み、巨匠と称されるまでになった白籏さんの生涯を描いていただければ嬉しく思います。ご検討ください。
コメントありがとうございます。リクエストもありがとうございます。
山岳写真家は殆ど知識なく盲点でした。
加藤文太郎 三菱で働ける人間だから元から頭良かった方なんだろうな。
昔から実業団の部活てあったんだな。
コメントありがとうございます♪
技師としての評価も高かったようですね。
新田次郎氏の山岳著書は実在の人物を題材にしているものが多いが、
そのほとんどが史実とはかけ離れた創作に依っているようで信憑性を感じない。
文太郎に関しても、人物描写に不快感すら感じる。
この動画は、そこをきちんと伝えてくれてすごく好感が持てる。
食い物については僕もかなり調べたけれど
新田氏の『孤高の人』でよく出てくる揚げ饅頭と小魚の唐揚げなどは、
文太郎本人の手記には1回も登場していない、てな具合だ。
誰かが「冬富士の吹雪の中を、背筋を伸ばした文太郎が登ってきたという描写には
嫌悪感(だったかな)を感じる」とか書いていた記事には同意するしかなかった。
「ゆっくり解説」はいつも楽しく拝見しているが、さらにファンになったぞ。
コメントありがとうございます。
確かに小魚を食べていた話は『単独行』にはなかったですね。
『孤高の人』は加藤文太郎を美化しすぎのような気がします。
子供の時、20kmの遠行イベントが学校であって、氷砂糖を携行するように指示があったのを思い出しました。やっぱ糖分があれば体が動くものなんですね…
コメントありがとうございます。
子供に20キロあるかせるとか、すごい遠足ですね。
やはり即効性のあるエネルギーは糖質のようです。
主様も登山なさるんですか? 山の知識が豊富だなと思いました。
コメントありがとうございます。
私も登山しています。
もちろんこのチャンネルの取り上げる登山家の足下にもおよびません。
技師としても出来る人だったみたいですね。ディーゼルエンジンの開発で功績を残したとか…
コメントありがとうございます。
『孤高の人』では登山中に設計のアイデアを閃いていましたね。
いつもとても面白く見させてもらっています、星野道夫さんなんかもやってほしいです。
リクエストありがとうございます♪
検討してみます。
厳冬期に単独で毛勝三山を縦走し、剱岳に登頂した志水哲也氏。これも信じられない記録です。
コメントありがとうございます。
志水さんは写真家としても素晴らしいですね。
最強アルパインクライマーのウーリーステェックを取り上げてほしいです!!
彼の”What was important was that I was aware of the risk at all times and kept it under control”って言葉が最高です。
コメントありがとうございます♪
三大北壁ソロの方ですね。調べてみます!
@@yukkuri_adventure
そうですね!なかなかウーリーに関する日本語の文献は少なく「最速!」「ソロ!」みたいな達成した業績ばかりしか注目されないですが、運動生理学とオリンピック選手が使うような平地のトレーニング理論を持ち込んでとんでもない偉業を成し遂げてしまった努力の天才です。(最初に理論を持ち込んでトレーニングしたのはメスナー)今まで「とにかく山へ行くことがトレーニングだ」みたいな古い価値観だった山の世界に新しいトレーニング法でどんどん結果を出していったすごい人なのにいまいち知名度が無くて泣いてます。情報が少なくて大変かもしれませんが、是非動画化をお願いしたいです。よろしくおねがいします。chamonixallyear.com/steve-house-mountaineering-training-chamonix/
動画楽しんで見させてもらってます!頑張ってください!
新田次郎さんのファンだった父の影響で、孤高の人も読みましたが、なんとも無謀な人だと思ったものですが、決してパーティーを組まなかったコミュ症ではなかったのですね。
ただ、やっぱり己の体力を過信したのかなと思いました。それでも当時の天気予報が今のように正確でも無いし、時間毎の物でもないし、そう言う点では気の毒としか言いようがないです。
それにしても豆と砂糖の組み合わせはエネルギー効率が良いのですかね?畑正憲さん事ムツゴロウさんのエッセイで、羊羹を食べながら超人的な行動をしたお友達の話がありますが、そんなの嘘だと思っていました。でも、この人の話を聞くと本当だったのかと、認識を新たにしました。
新田次郎さんは小説家なので事実ではなく、やはり脚色をして読ませる物で、かの八甲田山死の彷徨でも取材を受けてくれた方が事実と違うとお怒りになったと言う話を聞きます。
司馬遼太郎さんも新田次郎さんも大変に素晴らしい方ですが、作品を史実だと思ってはいけないですね。
コメントありがとうございます。
甘納豆は大豆なので、砂糖と炭水化物だけのお菓子より、タンパク質が含まれているかもしれないですね。
吉田富久をモデルとした、『孤高の人』宮村の書き方はひどいですね。
@@yukkuri_adventure さん
ここで話を聞いて、ひどすぎると思いました。
宮村さん、草葉の陰で無実の罪に泣いているのかあきれているのか。
こうして事実を紹介してくれる、チャンネルさんは本当に貴重です。ありがとうございます。
1日に何千キロカロリーも消費する自転車ロングライドでも羊羹やアンパンなどはほぼ理想的な補給食として人気があります。甘納豆も似たようなものではないかと。
八甲田山死の彷徨で新田次郎氏の取材を受けた方が事実と違うとお怒りになり、訂正の書を執筆にかかったものの、未完で亡くなったのは残念。また、八甲田山死の彷徨の福島大尉のモデルになった人の子孫が映画や小説のここが史実と異なると言う本を出版したのだが、現在は恐らく廃版。
>司馬遼太郎さんも新田次郎さんも大変に素晴らしい方ですが、作品を史実だと思ってはいけないですね。
司馬遼太郎は史実に基づいた史観で描写するのでまだマシで、大河ドラマにもなった篤姫を例に挙げて比較して見ると島津久光の人物像について篤姫では聡明な人物として描かれているが、司馬遼太郎は生麦事件を起こした島津久光を徹底的にバカ扱いで描写している。
小説なので人物像を曲げて描写するのは在ることだと思うが、司馬遼太郎は徹底した研究でリアルに描写しようとする作家だった。
上述の島津久光についても生麦事件という愚かな事を起こしたという事実に基づき人物を捉えている。
史実という事実を重んじていた司馬遼太郎が事実を捻じ曲げる人物の代表であるかのように取り上げられているのは事実に基づかない。
現にこの場において司馬遼太郎をその代表者であるかのように唐突に名前が出されている。
新田次郎に関してはこの動画でも言及されているように事実に基づかずに一般人を悪し様に描写してしまったのはかなり不味かっただろうと思う。
小説に限らず匿名のコメントなどでも事実に基づかず人様を悪し様に書くのは控えるべきではないだろうか。
新田次郎著「孤高の人」は加藤文太郎をモデルとした作品です。これは他の作品、例えば「銀嶺の人」等も実在する女性登山家をモデルとしてたものです。あくまでモデルとして著わした作品です。そのように出版社が書いてます。ただ残された記録を見る限り超人的な人物だったことは、現代の近代化された装備もスマホなどもない時代に残した記録、まさに登山史に残る登山家と言えると思います。
コメントありがとうございます。
調べてみるとモデルとはいえ、『孤高の人』はかなり実像とはかけ離れているのではないかと思いました。
ドキュメンタリーではなくフィクションなんだからあれで良いと思う
「八甲田山」の兵卒を全員、文太郎にジョブチェンジさせた映画が見たい。
コメントありがとうございます♪
遭難しないので映画にならないですね
兵庫県ですが新温泉町(但馬地方)は『但馬弁』になりますね。関西弁とは似ても似つかぬ因幡方面の方言に類する言葉です!
コメントありがとうございます♪
就職してからずっと神戸住まいなので、関西弁に染まっていると思いました。
ウルトラライトの先駆者なのかも
心底尊敬
山の魅力に取り憑かれた人はいつか遭難して命を落とすまで登り続けるものなのか。
こういつトップクラスの登山家で穏やかな老後を過ごした人っているのかな?
コメントありがとうございます♪
ラインホルトメスナーさんはあれだけの記録を残してご存命です。
@@yukkuri_adventure おお!ではラインホルト・メスナー伝説が見てみたいです!
本日、新田次郎の「孤高の人」を読もうと思って本棚を漁っていた所です。積雪季に直に雪の中で睡眠を執る事はとても無理、昔、冬の槍ヶ岳北鎌平で雪洞でビバークしたが羽毛の寝袋、ジャケットを着て寝たが非常に寒かった。追伸、加藤保男氏をお願いします。
コメントありがとうございます。
冬の北鎌平でビバークとはすごいですね。
加藤保男さんの動画は作成済みですので、是非ご視聴ください。
ruclips.net/video/K5X4rXgvxww/видео.html
有り難う御座います。
いつか山野井泰史さんの動画を作って欲しいです!
リクエストありがとうございます♪
頑張ります。
残された家族を思うと、どんな超人的な登山家でも若くして亡くなってしまっては…
花子さんかわいそうですね。
彼らの超人的な行動は何が原動力なんだろう?やっぱり、何かをやり遂げようとする意志かな?それとも、自分を見つめる為、自分に挑戦してたのかな?新田先生の小説はよく読んだが、イメージを膨らませ過ぎなところがあるかなあ。偉人たちの光跡を調べてみようかなって気になりました。
コメントありがとうございます。
新田さんはドラマチックに話を盛りすぎな気もします。
数年前に新温泉町の加藤文太郎記念図書館に行きました。
実際に使っていた道具も展示されているのですが「こんな道具でよく…」と思うほど簡素なつくりだったのを思い出します。
主さんにはぜひ山屋としての梅棹忠夫先生を取り上げてほしいです。
コメントありがとうございます♪
今より遥かに劣悪な装備で登っていたことは驚きですね。
北鎌尾根は本当に未来ある偉大な登山家を食う、人喰い尾根です😭
コメントありがとうございます。
最近では池学さんも犠牲になられてしまいました
マジで体力化け物
自分の身近に身近な動植物が結構居た時代に登山が趣味になった人達の気が知れん。特に切り立った断崖とかはクラクラして逆に絶対に行きたく無いね。自分は子供の頃に田畑と古墳ばかりだった故郷が全部住宅地に為ってて、本当に自分の帰る場所が無くなったと感じた時が1番ショックだったなぁ。まぁ今の様な長蛇の列が出来る前だから高山は綺麗では有っただろうけどね。動植物も全然違うし本当に誰も居ないから楽しめたとは思うけれど、厳しさに挑戦したいとは思わないなぁ。
どれだけ超人的な体力があろうと所詮は人間の範疇での話であって
牙を向いた自然の中では無力だというのがよく分かる
時代のせいもあるけど計画も装備もあまりにも無謀
山に対しては慎重に臆病に接するのが一番
@stest99
なにが気に障ったのかは知らないが
こんなところで唐突に他人のコメントに噛み付いてるあなたの人生も相当なものかとw
しかも自分の意見として言うのではなく加藤氏の思いを勝手に忖度して他人の攻撃に使うとか姑息極まりない
日帰りでも
御守りにナッツ系一袋忍ばせるようにしてたけどそれを甘納豆に変えようかな
俺、冬山をやる技術も体力もないので、周りに迷惑かけるのを避けるためやったことないけど、登山する時にはミルキーやコンデンスミルクを行動食に使ったなあ。甘味、無茶苦茶欲しくなるよね。
コメントありがとうございます。
確かに登山で疲れたときは甘味が欲しくなりますね。
加藤文太郎は、育ちは、浜坂温泉町だから山陰色が強いので一般で知る関西弁とはちょっと違ったと思います。鳥取弁に近いです
コメントありがとうございます。
加藤文太郎は今でいう中学校を卒業してからずっと神戸に住んでいたので、関西弁(神戸弁)に染まっているかな?と想定しました。
@@yukkuri_adventure 様
早速のご説明ありがとうございます。
納得致しましたm(_)m
スイスマシーンこと、ウリシュテックをお願いします。
リクエストありがとうございます♪
三大北壁フリーソロの方ですね
加藤文太郎については山でしかも体力の限界まで進むに進んで力尽きたのだか極楽往生だろう。何も言うことはない。
コメントありがとうございます。
生まれたばかりの娘さんを残して亡くなったのは、心残りだったかもしれません。
一流で向上心旺盛な登山家は必ず死ぬ。家族を残して。孤高の人も例外では無かった。
コメントありがとうございます。
ギリギリの登山を続けるとやっぱりこうなってしまいますね。
ロマンチックな発想が許されるなら、超人が半神になるのを嫌がった山の神が無理矢理神様にしちまったのかも知れないな
コメントありがとうございます。
凡人なら槍ヶ岳頂上付近で滑落した時点で死んでますからね。
末端まで下山できるなんてまさに超人ですね。
私は安全に気をつけて家で甘納豆を食べます。
コメントありがとうございます♪
家で甘納豆が一番安全ですね
そう。体力では岩は登れないんですよね。
コメントありがとうございます。
岩は技術も必要ですからね。
加藤文太郎が亡くなった1936年の10月に、日本初のヒマラヤ遠征隊としてインド(当時英国領)の高峰ナンダ・コート(6867㍍)初登頂に成功した立教大登山隊は、陸軍糧秣廠から研究協力名目で特別な糧秣(今で言う所のレーション)を提供して貰ったそうだが、ググッても答えが出て来ず、これがインスタント食品だったら面白いとは思うものの、詳細は不明。
なお、その時に使ったテント(当時の最高技術)が2017年に長野県で発見されたのも登山に詳しい人には驚きらしいが、その辺りはUP主さん達の方が詳しいだろうから知ったかぶりはしないことに。
コメントありがとうございます。
いえいえ全然知らないことでした。ありがとうございます。
ナンダ・コート遠征もこのチャンネルのネタになりそうです。
@@yukkuri_adventure このチャンネルは事故専門チャンネルではないから、犠牲者のいない動画は良いですね。
戦前に培われた技術は、約20年後の南極観測隊や1956年の日本山岳会隊によるマナスル(8163㍍)登頂隊のテントやザックにも生かされたというそうですが、自分はヒマラヤ遠征などで使うテントは現在も原則は使い捨てと言うことを知らず(正直、考えたこともなかった)驚きました。マナスル初登頂時のテントは厳しい寒さや強風にさらされ、再使用が不可能だったそうで、ヒマヤラ登山で使ったテントはゴミにならないようにお持ち帰りした後で記念品にするのかなと思ってしまいますね。
なお、”立教大学””ヒマヤラ”で検索した所、「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」で、立教大学OB2人を含む少数精鋭5人の登山隊を編成。2017年10月に再びナンダ・コートの頂きを目指し、登頂の他に初登頂の際にその証として山頂に埋められた立教大学校旗、毎日新聞社旗、日章旗の3本の旗を探し出し持ち帰るミッションも行う様子のドキュメンタリーがTV朝日で2018年に放送されたという情報が出て来ました。有料会員で有ればそのドキュメンタリーを見ることが出来るのかも知れません。
3回目の挑戦で成功した戦後最初のヒマヤラ登山のマナスル登頂や”氷壁”のモデルになったナイロンザイル事件も、動画に出来そうな内容だったら是非。
なお、件のテントはナンダ・コート登頂隊と、第1・第2次マナスル登頂隊の両方に参加した記者の長野県の実家に保管されていたのが、「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」で資料収集中に発見(記事は2017年1月に出たものですが、発見は2016年11月でした)されたものの、80年間の用具の進歩を解説する記事を載せたサイトで、ナンダ・コート登頂時には存在しないナイロン製のレインポンチョ(恐らくマナスル登頂隊で使ったもの)をナンダ・コート登頂時に使用したものとして紹介していてビックリ。突っ込む奴がいなかったのか?間違いに気付いたものの記事を治すのが面倒で放置しているのか?テントは登頂隊隊長の遺族に返還され、遺族が遺品を出身地近くにある富山県立立山博物館に寄贈したようです(基が有料記事のため詳細不明)。
また、ナンダ・コート初登頂時に作成された山岳ドキュメンタリー『ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コット征服』は戦争のどさくさで忘れ去れ、フィルムが行方知れずとなっていたものの、テント発見と同じ2016年の8月に日本山岳会の倉庫で発見され、その時の様子が ruclips.net/video/2oPL6tmpwKw/видео.html
で公開されています。
さらに、2017年10月の挑戦は隊長が書いた記事によると、政情の関係で81年前と同じルートを取れず、南壁から挑戦したら氷壁の状態が良くなく、スノーバーやアイススクリューが効かなくて、山頂まで200㍍を残して断念となったようです。
「このアイゼンがどうもいけないんです。どうすれば良いでしょう?」
「そんなものは捨ててしまいなさい。アイゼンはきちんと靴に合ったものを買わなければなりません」
アイゼンは生死を分けますからね。
こんにちは
吉尾弘さんを動画にして
いただけませんか。
リクエストありがとうございます♪
検討してみます。
冬の北鎌尾根、危険過ぎる。
生きていれば、ヒマラヤに挑戦してほしかった。
コメントありがとうございます。
『単独行者』では加藤はヒマラヤも計画していましたね、本当かどうかは分かりませんが。
海外のアルピニストのリクエストも受けて頂けるなら、ウーリ・シュテック(スイスマシン)の生涯もお願いしたいです!❤(ӦvӦ。)
コメントありがとうございます♪
ウーリーさん、リクエスト多いので頑張ってみます
関西弁でもないよー。
地元は兵庫県北部、鳥取に近い方言。
神戸に行って関西弁になったかもしれないけどね。
コメントありがとうございます。
就職してからずっと神戸なので、関西弁に染まっていたと思います
冬山でこんなタフやったら日常生活とか一週間寝なくてもいけそうやな
コメントありがとうございます。
いけるかもしれませんが、技師としての仕事に支障が出そうです。
取り上げて欲しい登山家ならやっぱメスナーですね。やつはレジェンド
コメントありがとうございます。
加藤文太郎を最強登山家と称してしまいましたが、メスナーも最強ですね。
『孤高の人』では、加藤文太郎が政治的な犯罪者だと疑われて、警察の取り調べを受けたり、家宅捜索されるシーンがありました。
ああいうことが、加藤に実際にあったのでしょうか。
『単独行』には、そういうことは書かれていませんでした。
そんなシーンあったのですか!
新田さんの創作だと思いますが
もともとの体力がスゴイというのもあるけど、
他の人がまねできないのは、命がけすぎて誰もやらないほうが強そう
ぜひ宮田八郎さんもよろしくお願いします‼️‼️
リクエストありがとうございます♪
穂高岳山荘の方ですねー、検討してみます
単独行を読んでから孤高の人を読んで、ものすごくモヤモヤしていました。
加藤がペアを組んだから遭難した、ような書き方が失礼な気がします。
吉田の名誉回復になるような動画が広まるといいな。
コメントありがとうございます
孤高の人での吉田さんの扱いは酷いですね
加藤の食料ですが事実は甘納豆だけで干し魚も創作だったのでしょうか?
加藤の著書に干し魚は出てきませんでした
@@yukkuri_adventure さま
ほんとですか!
じゃあ干し魚は新田氏の創作だったのですかね
@@alleinganger8611 そうかもしれません
@@yukkuri_adventure さま
となると糖分だけですね
干し魚を加えることでタンパク質その他も摂取でき理に適った行動食だと思っていたのですが
地元の人には裏山程度に思ってた低い山でも意外に低体温で死ぬ人が多いから、人間は平地に適応した生物なんだろうね。高山地帯にも住んでるけれど裕福な人でも若い割に高齢者に見えるもんね。とは言へ加藤文太郎さんに興味が湧くのは当然でしょうね。しかし、小説とは言へ明らかに誰の事かを書いてるのが判る物に虚構過ぎる話を乗っけるのは止めて欲しいですね。チョッと昔のいい加減な小説家達が史実っぽい物を書いた為に凄い誤解が生まれてるのは残念ですね。
コメントありがとうございます。
孤高の人の宮村の扱いは少しひどいですね。
遺族からクレームがきそうです。
不死身の加藤
単独行の加藤
化け物は全然の加藤、戦後は山田だとおもっています!
コメントありがとうございます♪
山田昇さんのことですね。もう少しで、8000m14座登頂だったのに、残念でした。
待ってました、一番好きな憧れの登山家で「孤高の人」は山を始めたキッカケです。
それでは今度は「漫画版、孤高の人」のレビューお願い致します!
10動画目!\(^。^)/オメデトー! いつも大変に興味深く且つ楽しい動画をありがとうございます!これからもたくさんの動画をお願いします!
ありがとうございます♪
ようやく10動画のチャンネルですが、これからも宜しくお願い致します。
@@yukkuri_adventure 先輩の解説は詳しくてしかも楽しくてわかりやすいので大好きです!すべて何回も聴かせていただいてます!(^。^)ノ
加藤文太郎は地元神戸の六甲山縦走を始めた人としても有名
しかも驚異的な体力エピソードとしては朝、神戸の自宅から須磨まで歩いて
宝塚まで六甲山地を約50km縦走して夜には歩いて自宅に戻っていたという。
六甲山縦走はしたことあるけどありえへんよ(;´Д`)
コメントありがとうございます。
たしかに六甲縦走のスピードもすごいですね。
このエピソードも入れようとしましたが、全国的に知名度のある北アルプスで語ったほうがいいと思い、省略しました。
加藤文太郎は確か8時間とのことでしたが
私は15時間かかりました。
@@西井睦 15時間で六甲全山縦走されたのですか?完歩されただけでもすごいと思います。
この六甲縦走のキツさはやったもの以外は分からないですね。
それを事もなげにやってしまう人であった故に、更に険しい山を目指したのでしょう。
全てが凄い人であったと言うのはこの動画で本当によく分かりますよ❗️
加藤文太郎の写真、結婚写真なんだね
画像の右下のとこに奥さんの角隠しが見切れてる
コメントありがとうございます♪
気がつかなかったです、ありがとうございます
誰もペースに着いて行けないから、単独行になったのか
コメントありがとうございます♪
私はそう思います。単独行のほうが安全。
今で言うなら「加藤半端ないって!」ですね。
ぜひ山野井泰史さんを!
リクエストありがとうございます。
山野井さんはいつか取り上げたいと思います。
ただ、加藤さんは下手すれば雪崩で死んでいた可能性あったんだよな。結婚前に。
あの山小屋丸ごと潰された雪崩で、途中で出会った集団に拒否されたから、山小屋に泊まれなくなって難を逃れた。
コメントありがとうございます。
剱沢の雪崩ですね、、、宿泊を断られていなかったら加藤はそこで亡くなっていたかもしれません。
@@yukkuri_adventure
真相は今となってはわかりませんが(今でいう上級国民だから断ったのか、単に途中から知らない人が入るのを嫌がったからで、案内人が極度に排他的な人間だったとか・・・)
いずれにしても加藤文太郎が伝説になったか否かの分水嶺はそこでしたね。
先ず、あの雪崩では無理でしたね。即座に掘り起こすには資材が足りなかったし。