テラノバ号の「テラノバ」とは北極の意味です。確か、名前のとおりに当初は北極探検用として建造された調査船でしたが、動画でも紹介されたようにアメリカ人探検家が北極点一番乗りを果たしたため、南極探検へ目的変更されたという経緯があったと思います。アムンゼン隊がとにかく南極点を目指すことだけを目標としたのに対して、ロバート隊は最初から地質学術調査も兼ねた探検計画を立てていました。つまり、単なるライバル同士の南極点到達争いではなかったのです。 ロバート隊の悲劇を扱った再現ドラマは海外製DVDなどに散見されるようですが(たとえば、2007年には英国BBCのTV番組として放映されているそうです)、日本国内向けには見当たらないようです(もしあればご紹介ください)。2012年が遭難事件発生から100年目の節目の年なので、映画化されるかと期待していましたが、そのような話は結局出なかったようですね(日本国内では、前年3月の東日本大震災の余波が、まだまだ根強く残っていました)。南極大陸への立ち入りは現在いろいろな形で規制されており、そう簡単には撮影活動ができないという事情もあるでしょう。 ベースキャンプでの待機隊員の一人、アスプレイ・チェリー・ガラードの書いた長編ドキュメンタリー『世界最悪の旅(The Worst Journey in the World)』は、日本国内では加納一郎の完訳で知られています。大変長くて難解な作品ですが、一読を奨めます。
13:30 テント内のスケッチが妙にリアル。
こんなんじゃ1日が地獄のように長かったんじゃないのかなぁ。
猛吹雪のなか、1日中テントで過ごすとか気が滅入りそうですね、
スコットの悲劇
これによって、人類に残された最後の極である、英国のエベレスト初登頂への執念につながるんですよねえ
スコット イギリス士官、、大佐?
連隊長級以上だったのかな。。
馬に対するこだわり感じました。
馬、愛してたのかな。。
アムンセンのように家畜と割り切って、食べたり餌にしたりできなかったのかな。。
馬は食糧にされたという記録があります。
この動画を観て、ディアドロフ峠事件が頭をよぎりました。この事件も取り上げて欲しいです。
コメントありがとうございます。
あの事件は結構他のRUclipsrが取り上げているので、ちょっとネンマリになりそうです。
@@yukkuri_adventure 確かに、有名な事件ですからね。何にしろ、極地や冬場の山は怖いですね。
学研の図鑑『探検』でこの悲劇が紹介されていたのを思い出しました。
(あとハンニバルのアルプス越えやマゼランの地球一周、ハドソン親子の追放といったトラウマの数々……)
コメントありがとうございます♪
私もオーツの最後のシーンが記憶に残っています
全訳「世界最悪の旅」は冒険旅行の絶望を余すことなく示してます。
私も読みました。
皇帝ペンギンの卵を強奪する話が記憶に残っています。
気力と根性はすげーけど、生きて帰って別のことに使えよ。
ただただ感動した。まさしくお国のために戦士したといえる。一方、勝者のアムンセンだけど最期は飛行機事故で悲劇的な死をとげるのだよね。
コメントありがとうございます。
アムンセンの動画も作成済みですので、よろしければご視聴ください。
5:27 その時のソリ犬は「次々と斃れた」そうだけど、「餌として与えていた干し魚が変質していた」のが原因と言われてますね。アザラシを不定期に狩って、その肉を餌にしていれば…
すごく、分かりやすい動画でした。
ありがとうございます♪
パイオニアの偉大さと苦しみが良くわかる動画でした。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
これからもよい動画を作れるように頑張ります。
スコットは夢破れて全滅。アムンゼンは北極遭難事故の捜索で不帰の人となり、白瀬 矗は日本の敗戦で失意のうちに世を去った・・・・。
この世の無常を思い知らされる出来事である。
普通に考えれば馬を連れてきた時点でこの旅は実験だったんだよな
馬が越冬できるか?毎日の行動・移動に支障は出ないか?
そういうのだけチェックして帰るだけだったらよかったのに
何度も行けるわけではないですし、行く以上は最終目的地を目指すしかないでしょうね。
小学校の時にたまたま読んだ南極探検隊の話で今もスコット隊の悲劇は覚えてます。こうして後年動画で解説して頂いて改めてその時読んだ記憶が思い出されました。その時の話ではスコットは遺体で発見された時に日誌を握りしめたままだったそうで、亡くなる最後まで支えてくれた家族、随行した隊員、イギリス政府等の感謝と生きて伝えられなかった無念さに涙が出ました。
コメントありがとうございます。
スコット隊の悲劇は学研漫画?になっているようですね、複数の方からコメントを頂きました。
アムンゼンは後に遭難し行方不明、白瀬隊長も85まで生きたが晩年は気の毒な境遇だったと、なんか切ないよね・・・
コメントありがとうございます。
南極探検家の晩年は不遇ですね。
アムンセンが生粋の冒険家なのに対してこの方は冒険家ではなくあくまでも軍人なんだなという印象。栄誉がかかってしまったからまた次にチャレンジと引くことが出来なかったか
コメントありがとうございます♪
アムンセンは生真面目なあまり、イギリスという国家を背負ってしまったことで、引き下がることが出来なかったのかもしれません
@@yukkuri_adventure
スコットですよね。
@@AtsushiMizobe
すみません。間違いです。
このような探検家のノンフィクションの動画を最近よく見ています。このチャンネルも分かりやすい。
ありがとうございます♪
これからもわかりやすい動画を作れるように頑張ります
スコット隊はその悲劇故に我々の記憶に強烈に刻み込まれていますね…
アムンゼンからの手紙(自分たちが遭難して帰還できなかった場合、この手紙を持ち帰って証明してほしい)を持ち帰ろうとして携帯していたことにスコットの人柄が現れていると思う。
コメントありがとうございます♪
スコットは悔しかったでしょうけど、フェアでしたね
13:17「彼の死は自然死なり」
キリスト教では自殺は罪だからこんな事を書いたのでしょう。
コメントありがとうございます♪
私もそんな気がします。
本件は、かの本田勝一さんの「アムンセンとスコット」と言う本に詳しく書かれています。
興味を持たれた方は是非ご一読を。
コメントありがとうございます♪
私も読ませていただきました。
2グループの対照的な展開が八甲田山の行進を思い出した
コメントありがとうございます
確かに共通点ありますね。少数精鋭の隊が成功したとことか。
失敗したほうが話のネタになるところも同じですね。
南極探検隊の悲劇は確か、子供の頃学研のひみつシリーズ「できる・できないの秘密」に載っていたエピソードの一つを読んで初めて知りました。未知の世界を探検するのに想定外の事は付き物ですが、スコットの場合当てにしていた馬や雪上車が「本番」で使い物にならなかった事に加え、デポの設置に際し判断を誤った事が悲劇に繋がったのですね。
コメントありがとうございます。
子供向けの漫画や教科書の題材になっている話ですね。
大人になって調べてみると、子供のころに気が付かなかった点が色々ありました。
自分も同じ本で知りました。子供ながら、世の無情を感じました。
オーツ隊員は自分の事を隊長が決して見捨てないと感じて外に出て行ったんだろうね、どうなるか分かってたはずなのに...
コメントありがとうございます。
隊長が見捨てない以上、自ら命を絶つしかなかった、悲しいですね。
スコットは一度南極を訪れているし10年もの準備期間があったというのに、慎重のあまり大部隊で挑み足を鈍らせましたね。一方アムンゼンは準備期間こそ短いものの南極点到達だけを目標とし、北極圏仕込みの犬ぞりを少数精鋭で使いこなしていた…。冒険の世界ではこういう対称的な例が本当に多いですね。
コメントありがとうございます。
スコットは後の極地法、アムンセンはアルパインスタイルに近いですね。
またスコットとアムンセンの比較動画も作りたいと思います。
10年準備期間があったにも関わらず馬が南極には耐えられないのを調べられてないのがなんとも……デポ作成の時点で馬がやられてるのすら学習出来ていない……
@@蒼樹電
後の世で結果を知ってる人間は簡単に言うね。
アムンゼンは北西航路開拓の時の越冬の際、地元のイヌイットから越冬サバイバル(アザラシの生肉を摂取する事で、壊血病を防ぐ等)を教わり、ソリ犬としてエスキモー犬(狼犬に近い種族)の存在を知った事も、スコットに対するアドバンテージとなった?
極地法など冒険家の恥だ!!
日本の白瀬少尉は北極店は、アメリカのピアリーに一番乗りされて断念、南極点はアムンゼン、スコットに遅れをとったものの、途中まで行きそこで引き返した。アムンゼンは一番乗りの栄光を手にしたものの、後年若手の冒険家に見下されても隠居生活をしていたが、その冒険家の北極圏探検中遭難の危機に際し、自ら動きその際に行方不明になってしまったという話を聞いた。
コメントありがとうございます。
アムンセンの晩年は不遇だったのですね、初めて知りました。
スコット隊の記念写真はセルフタイマーではなく、長いレリーズケーブルを使って撮影してます。
当時はカメラも大きかっただろうし大変だったと思います。
コメントありがとうございます。
セルフタイマーもなかったのですが!知らなかったです。
この件で疑問に思う事は「なぜ馬にこだわったのか?」「犬が使えないと判断したなら、なぜ使えなかったのかを研究して改善を図らなかったのか?」という点です。
アムンセンは実際にイヌイットから犬ぞりを学んでいましたが、誇り高き英国海軍大佐には出来なかったのでしょうね
極点一番乗りを北極に続いて南極をも逃したイギリスはこの後エベレストに向かって死人の列を作るのであった。
コメントありがとうございます♪
ジョージ・マロリーもいつか取り上げたいですね
@@yukkuri_adventure ゆっくりお待ちします
スコット隊の遭難は、アムンセンも大きなショックを受けたそうです(計画に狂いが出ていれば、途中で南極点到達を断念し、引き返しただろうと思っていたとか)。その後、スコット隊の遭難がイギリスに伝わると、イギリス国民の感情はスコット隊への悲しみからアムンセン憎しへと変化し、南極点到達の功績はスコット隊のものであり、アムンセンはそれを盗んだとか無茶苦茶な言われようだったとか。
またある本によれば、もともと動物愛護精神を持っていたイギリス国民は、アムンセンが連れて来た犬を射殺して減らしたという話を聞いて大激怒し、「あれは犬の勝利だ」と言ったり、後年アムンセンがイギリスを訪れた時に、その歓迎パーティーで「(その尊い犠牲によって南極探検を成功させた)犬たちのために乾杯しましょう‼️🍻」と音頭を取ったとか。
Atsushi Mizobe さん
コメントありがとうございます。
また貴重な情報をありがとうございます。
スコットも馬は途中で殺す前提で連れてきたようです。
アムンセンを非難出来ない気が、、、、
小川寛之 さん
コメントありがとうございます。
イギリス人はアムンセンをかなり目の敵にしたようですね。
スコットの遭難もアムンセンの突然の挑戦に動揺したためだとかいう人もいたようです。
@@yukkuri_adventure
そのように言いたい(またそう言った)イギリス国民の気持ちもわかりますよ。まあ「あなた達がヒトの事言えますか❓」とも同時に思いますけどね😤😥
@@AtsushiMizobe 帝国主義は、他国が他国であるというだけの理由で「悪」と考える主義ですね。
アムンゼンとスコットばかり注目されがちだけど、同時期に日本の偉大な探検家、白瀬矗がいた事も忘れないで下さい。
それにしても、白瀬だけが天寿を全うしたのは何ともはや......
コメントありがとうございます。
その白瀬も晩年は不遇であったと聞いています。
借金は完済出来たけど…
まさかサラブレッドな訳は無いにしても連れてた馬の産地も一寸気になるところですね。それこそノルウェーやスウェーデンの北部で荷馬車に使われてたような種の馬だったのかな。
コメントありがとうございます。
寒さに強い品種の馬を連れて行ったようですが、南極の寒さには耐えられなかったようです。
慣れない環境へのストレスもあったかもしれません。
短期的な馬と隊員の安全が実は全滅の原因なのがつらいね。ライバルみたいに北極での成功者には学ばなかったんだろうな。
オーツの「ちょっと外に出てくるよ」、は有名な、哀しい決断ですよね。せめてスコット達が生還出来ていれば良かったのだろうけど……
雷帝 さん、コメントありがとうございます。
オーツの最後の言葉は悲しいですね、、、、
台風(大雨)の日にちょっと田んぼを見てくる・・と言って出ていくおじいちゃんと同じ。
ググって見つけた解説文で「オーツは陸軍からの参加者で、参加費用を捻出して加わった」とあった。故に「足手纏いになっては…」との念が強かったと思う。
日本だったら「仲間たちを思っての自決」って素直な形で賞揚できるところを、
自殺を忌避する文化だから「自然死」って協調してるんだろうね。
背景は無視するとして、オーツがリーダーだったらもしかしてと思わずにいられない。
本多勝一著『アムンセンとスコット』がこの南極点到達レースの詳細を(そして白瀬隊の活躍も)詳しく記していて面白かったです。未読でしたらぜひ。
コメントありがとうございます。
ご紹介ありがとうございます。読んでみます。
こっちの方がやっぱりお話し的にしっくりきますね
コメントありがとうございます。
スコットには申し訳ないですが、全滅の方が話としては盛り上がってしまいますね。
国家の威信を背負い、全てを自国のスタイルで行い、学術調査も行う。
エスキモーの技術はもってのほか。
スコット隊は背負い過ぎてしまったが故の悲劇ですね。
アムンセンは学べる事はエスキモーから学び、最悪失敗しても仕方ないから引き返そうという過度に背負わずに成し遂げた。
本当に対照的だったと思います。
コメントありがとうございます。
アムンセンとスコットを比較する動画も面白そうですね。
検討してみます。
エスキモーの技術はもってのほか。と言う考えは北極圏で全滅したフランクリン隊にも有ったのかも知れませんね。現地の人と同様な生活をしていたなら捜索隊が来るまで生き延びていたかな。
@@北の独居 両者とも当時の大英帝国の威信をかけたという点が共通している気もします。
自国の技術が最高であり、エスキモーのものなどは一切信じてなかった。
その結果が極地遠征では明らかに邪魔になってしまうものだったんだなと。
是非ウォーレンバレンツの話をお願いします。
リクエストありがとうございます♪
知らない人ですが、どんな人でしょうか?
つらい…学研のできるできないのひみつだったかなあ、子どもの頃からスコット・アムンゼンの名前が頭に残っている
私は子供の時に見た、日本テレビのドキュメンタリー番組「楽しい歴史旅行(電電公社(現NTTグループ)一社提供)」で、アムンゼンとスコットの南極点一番乗りレースの事を知りました。
北極・南極のひみつかも。
@@OolongHai それにもあったんですかね、それは持ってませんでした…
小学生の国語の教科書でこの話しを読んだ。今考えると小学生には厳しい内容な気もするが、色んな意味で心に残っているので学べて良かった。
火山勝男さん
コメントありがとうございます
小学生には怖い内容ですね、、、夢に出そうです。
昭和41年生まれのおっさんですがそのような記憶はないですね。年代と教科書の会社(私は光村印刷)によってちがうんでしょうね。道徳の時間に、アラスカでジフテリアの血清を犬ゾリではこぶ「血清リレー」の話は習いましたが。
私は昭和40年生まれですが、教科書で読んだ記憶があります。アムンゼン(アムンセンじゃなかったような)とスコットという名前と、スコットが一歩遅れて亡くなったという結果だけ覚えています。細かい描写は、この動画ほどは無かったと思いますが、教科書にはアムンゼン隊の描写も多くあった記憶があります。
平成16年生まれだけど、見覚え無いな。(ちなみに教科書は東京書籍)
うん。小4の国語でなかったかな。私も読んだ記憶がある。最期は隊員が錯乱して上着を脱いで上半身裸で雪の上に座り込んで、そのままこと切れたとか、現実はもっと悲惨なものだった様子も教科書なのに書かれていた記憶がある。あと、スコットが南極点到達時、最初はアムンゼンの到達した痕跡がなく「自分たちが一番乗りだぁ」と歓喜して喜ぶのだけど、もう一度現在位置を正確に観測しなおした結果、現地点はホントの南極点から1キロほど外れていることが分かり、すぐそこなので装備を置いて身一つでホントの極点に走ってゆくと、そこにはノルウエーの国旗がはためいていた。ってなショッキングな描写(演出まで)がされていた記憶がある。
昭和49年(1974)光村出版の小学校 6年 教科書にスコットの掲載がありました。
スコットの他、同時期に南極を目指したアムンセン、白瀬。彼らは晩年借金に苦しんだというところも共通してますね。国家の支援があったスコットはその分、国家からの期待も大きかったのでしょう。特に当時の大英帝国は国家の威信をかけていたので、南極点を取られアムンセンバッシングが激しかったのでしょうね。
コメントありがとうございます♪
だからこそイギリスはエベレスト初登頂を目指したのかも知れませんね
アムンゼン、スコット、白瀬の三つ巴の南極点競争は漫画で読んだなぁ
まさかの日本隊まで参加
@@ミックスミッキー-z2g 日本隊は早々に南極点を諦めて行ける所まで行こうに切り替えたけどね。
アムンセンは学術調査をしていないという風潮がありますが、きちんと学術調査を行っておりました。
学術調査のための機械の使い方を学ぶために大学で一年間研究していたくらいです。
また新ルート開拓という意味でも彼の遺した功績は大きく、非常に価値あるものでした。
スコットは馬や最後5人連れて行ったことも大きな敗因ですが、一番致命的な問題は食事ですね。
南極で動くには最初から接種カロリーが根本的に全く足りていませんでした。
あと紅茶とか持ち込んでいました。
コメントありがとうございます。
アムンセンも学術調査していたのですね、知らなかったです!
最後の行でふふってなったわ
きちんと学術調査を行っておりました。→アムンセンは具体的に何を調べたのですか?彼は、「私の目的は極点であり、科学の面倒は見ないことになっている」と公言しているのですが。
南極点の基地がアムンゼン基地でなく、アムンゼン.スコット基地なのに納得しました。
アメリカが2人の冒険家に敬意を表して命名したようですね。
シャクルトンも取り上げてほしい。
リクエストありがとうございます。
シャクルトンも検討しております。
@@yukkuri_adventure 是非お願いします。アムンゼン、スコットの名声に隠れている感じですが、エンドウアランス号漂流後の生還劇など、彼らに勝るとも劣らない南極探検黄金期の一人です。
一般的にはアムンゼンの方が偉人として扱われていると思うので、子どもの頃に読んだ偉人伝ではスコット隊は完全に敵役で、
「アムンゼンは人類で初めて南極点に到達しました。スコットは準備の不足もあって、帰りの旅で遭難し、全滅してしまいました」
みたいな記載がされていた記憶がある。
いま考えたらいくらアムンゼン側のエピソードとはいえ、そんな軽い扱いでいいわけないよな…。
コメントありがとうございます。
学術研究ではスコットのほうが功績おおきいですね。
私が見た記憶が残っているのは、スコット隊の遭難後の悲惨な様子ばかり……。
靴を食べものとした時、もう死ぬことを決めたんだろうね。
@すず湯原 アムンゼンに先立ち、ナンセンが北極の探検をしています。犬を犬の餌とし、食料燃料がなくなった後は、アザラシ・北極クマを狩り、獣脂を焚き、獣脂を採り(イヌイットの手法)調理の燃料とし、1年半?後生還。使ったフラム号は、アムンゼンに引き継がれました。動物に対する考え方の相違は時代性であってしかたないことだと思います。ペットではなくあくまでも役畜です。人間・犬の食糧が減ると、ソリ犬の数も必要なくなる。そういう合理性の元に計算しつくしたナンセンの北極行。植村の場合、補給があったのじゃなかったですか?犬は私の地方では、かって食料としていました。そろそろ犬を食った世代はほぼ鬼籍に入りました。
昔読んだ子供向きの漫画では、スコットの悲劇に物語の大部分が割かれ、アムンゼンはスコットの死を誰よりも悲しんだと記載されていた。
@すず湯原
極地で求められている状況での非情の合理的判断であり
それを淡々とこなせたからこそ、スコットと違い一人も脱落者を出さず帰還できたと私は思いますけどね
この時、日本からは白瀬中尉も南極点到達を目指していたのでした。残念ながら途中で撤退しております。
コメントありがとうございます
白瀬の挑戦はあまりに準備不足で、実力が伴っていなかったように思います。
アムンゼン同様北極点到達から南極店到達に目標を切り替えた白瀬中尉だが、現地について南極点到達を断念し南極の学術調査とともに領土を確保することに目的を切り替え、全員の生還を果たした白瀬隊。準備不足でも目的に固執しない柔軟性は持っていたと思いますよ。
@@北の独居 確かに、あの判断力は特筆すべきものがあります。
@@kakkazan2008 ただ、白瀬隊は内紛が酷く、白瀬中尉毒殺未遂事件が起きたりしているから手放しで褒められる実態では無かったようです。
帰国後の白瀬中尉の不運とかの話はいずれ作られるであろう別動画で。
@@北の独居 成程、見えにくい裏の部分で様々な事情があったのですね🤔
貴重な情報有難うございます😃
現在、South Pole点には合州国によってポール=POLEが立てられているとのことで、熊プーじゃやなくとも、位置が確認できる。立っている氷床も移動しており、その修正もやっているとのこと。アムンゼンは3日かけて六分儀による天測を繰り返し、南極点を確定したとのこと。日付を基に、太陽高度が最小あるいは最大になった高度を観測、計算できると思う。中天を緩く移動する動きから観測するのは結構難しそう。アムンゼンによってすでに、目印が立てられていた位置にスコットは到達したわけだ。「地理的発見」と言うが、まさにアムンゼン隊は、南極点を発見したことになる。
かつて、南極のひみつ、という学習まんがに、わずか2ページとはいえスコット隊の悲劇が描かれてました。あれがどうしても忘れられないです。全滅した…と書かれた締めくくりが辛かったです。
コメントありがとうございます。
子供に読ませるにはつらい話ですね。
・極地探検に実績のない雪上モービルとシベリア馬をいきなり使用した
・極点踏破以外に極地調査等と目的が分散した
この2点がスコットが失敗した原因でしょう。
根本的な事を言えば、スコット自身が頑固というか他人の成功事例を素直に試さなかったのもあるでしょう。特に犬ぞりの件は、自身が使いこなせなかったのにシャクルトンが使いこなしてスコット以上に結果を残した事を気にしてたみたいです。
コメントありがとうございます♪
英国海軍士官としてのプライドが悪い方に働いてしまった気がします
「できるできないのひみつ」で読んだなあ。
手にブラウニングの詩集を持ったまま亡くなってたんだよね。泣ける。
コメントありがとうございます♪
動画作っていて泣きそうでした
アムンセン、スコットそれぞれが逐一取った行動の選択肢は、結果を知る我々が見たら正しい間違い言えるのであって、だな。
コメントありがとうございます♪
そうですね、私たちは結果を知っているから評価できるのです
やはりイギリス人は組織で戦争するのは凄かったが、未知の探検はスペイン人、スカンジナビア人が勝っていたのか。
コメントありがとうございます。
イギリスはクックなどは素晴らしい功績を残していますが、フランクリン隊やスコットなど悲劇も多いですね。
目標や夢に、競争心など余計な邪念が絡むと良いことはないのだな、と…
白瀬矗探検隊とも途中で出逢ってるんだよね。
そんな装備で良く来たなと
呆れ返られたとさ(笑)
実際「大和雪原」名付けて帰国。
この大和雪原もアムンセンが
世界に広めてくれた。
コメントありがとうございます♪
スコットと白瀬は会っていたのですね、知らなかったです!
馬は一応、寒いところの品種だったんだろうか?
寸分の狂い無く立てられた計画が狂い、その場の対応が積み重なると計画の前提も変わり、
そのひずみは致命的になっちゃうんだろうねえ……
コメントありがとうございます。
一応寒さに強い馬だったようですが、南極は無理だったようです。
「栄光なき天才たち」で見た事がある
コメントありがとうございます♪
マンガ化されてたのですね。知りませんでした!
コメントありがとうございます
実際にはスキーや犬橇の跡から、スコットたちはアムンゼンに先行されていることを南極点到達前から知っていたようです。
そうですか、あのコミックスは内容ほとんど忘れてしまいましたが、この動画から読み返してみたくなりました。
因みに、自分は74年生まれでスコット隊のエピソードは学研まんが「できるできないのひみつ」からです。😅
@テリナQ 「ここは地獄です せめて一位到達の名誉でもないと。。」
基地まで、あと10キロ地点だった・・ が悲しかった
コメントありがとうございます♪
本当にスコットは不運だったと思います
スコットは…… ちょっと頭も性格もカタい感じがしますね。
こう言う場合はアムンゼンみたいな性格の方が強そうな気がします。
コメントありがとうございます。
軍隊の規律を優先し、柔軟性に欠けましたね。
確か彼の遺書には
"英国軍人としてこの旅に出たことに後悔はない"
とも書かれていたとか。彼の奥さんが彫刻家で、スコットの像を作ったそうで、それはニュージーランドのクライストチャーチにありました。何でもスコットさんは、ニュージーランドから南極に向かったそうで。
コメントありがとうございます。
スコットの奥さんは彫刻家だったんですね。知らなかったです。
あらっ、丁度20年前クライストチャーチで、スコットさんの像は見ませんでした残念。でも「南極まで5100km」の標識は見たのですが。。
@@sawakodouglas186 スコットの像は、エイボン川の脇、大聖堂とアートセンターの中間くらいにありました。地震後はどうなったのかわかりません。
今度街にでたら探しておきます。
@@chikako1163 さん ご返信有難うございます。NZにお住まいですか? 当時はスマホもまだ発売されていないし、ガイドブックも持たずに駆け足で、オックランドと二都市だけでした。知人が昨年コロナの騒ぎの中、2月半ばに飛行機とクルーズ船で豪のシドニー~オックランドへ行き無事に帰国しました。いつかまた訪問をしてみたいと思います。
誇りは気高いが、過剰になれば傲慢だ…それは苦々しいだけだ…(ゴルゴ13)
あまりにも苦い話だった。
コメントありがとうございます♪
英国貴族の生き様を南極に持ち込んだ気がします。
初見です。「スコット隊長」と検索して一番上に出て来たのがこの動画でした。5、6歳頃にどういう経緯かは忘れましたが父からこの話を聞きました。その時は「なんで寒さに弱い馬でいったんだろう」「なんでオーツは外に出ていったんだろう」と沢山疑問を持ちましたがこの動画でだいたいの謎が解けました。これも父からの情報ですがオーツは未だに見つかってないそうです。今ではそんなことさすがに思いませんが当時の私はオーツは生きていると本気で思っていました。ちなみにスコット隊はその時期では珍しい程の吹雪に遭ったこと、アムンゼン隊が選んだルートがたまたま平坦だったことなど運に左右された要素もかなりあるそうです。
コメントありがとうございます。
スコットが遭難した年、南極は例年より低温だったようですね。
動画内では英国軍人としての誇りを優先させたがために失敗してしまった人物、といった感じの描かれ方をしているけど、
シャクルトンに対しての縄張り主張を見るに、そんな高潔な人物とはとても思えない。
コメントありがとうございます。
確かに自尊心は高かったようですね。
相手は犬ぞり隊の犬達を途中で撃ち殺して食料にする前提まで置いて猛ダッシュしていき、こちらは学術調査の荷物を積んだソリを人力で引いてる。こりゃ無理だと思っても仕事で来てるから勝手には帰れない…明日の仕事の事が気になりムリに行動して判断ミス連発、全滅 と言うよくある山岳遭難と構図がちょっと似てるなとも感じました
コメントありがとうございます。
スコットは個人より国家としての挑戦という感じでした。
背負っていたものが、アムンセンより大きかったのかもしれません。
八甲田山雪中行軍遭難事故での青森第五連隊と弘前第三十一連隊の明暗に
似ていますね。
@@AtsushiMizobe 少数先鋭の方がが成功したのは同じですね
植村の犬そり探検もスポンサーである新聞掲載の事情でやり続けなければならなくなり、目的地到達(北極点?)して帰路は飛行機で戻ったこともあったはず
スコット隊長は最後まで偉大なる英国軍人であり紳士でしたね。
コメントありがとうございます♪
判断ミスはあったかもしれませんが、最後の姿は立派です。
勝つことに徹したアムンゼンと、英国軍人としてのプライドや国家の後押しもあって、論理的にベストな選択を取れなかったスコット のように思えた。
後にアムンゼンもノビレを探して行方不明、未だ遺体見つからず。。。
コメントありがとうございます。
スコットは背負った国家が大きすぎて、引き際を見失っていたと思います。
子供の頃の記憶ではアムンゼンが完全に正義役で、スコットは機械に頼って負けたって感じの話でしたね
大人になればそんな単純なわけないだろとわかりますが
コメントありがとうございます。
スコットは背負った国家が重すぎたのかもしれませんね。
南極での経験はスコットの方が上かも知れないが極地での経験はアムンゼンの方が圧倒的に上だからね。
コメントありがとうございます。
確かにアムンセンは北極探検の経験は豊富でしたね
@@yukkuri_adventure
アムンゼンは非情さもありましたから、途中で無用になった犬を処分して身軽になっています。私の読んだ伝記ではやむを得ずなんて書いてましたが多分予定通りなんだろうと思います、進めば荷物は減るから余分な犬は邪魔ですからね。
名古屋市民さん
私もそう思います。当時は今のような動物愛護の精神はなかったでしょうし。
@@zennin375 日本のように飼えなくなったからと言って自らの手を汚すまいと保健所に処分を押し付けるよりは、自らの手で殺める方が飼い主としての責任を果たしていると言えるかも知れませんね。勿論、寿命まで飼うか代わりに飼ってくれる里親を探すのが当然なのですが。
これ小学生のとき図書室の本で読んだなあ。
キツかった。
これは1カ月しか差は無いし、1番も2番も違いは無いと思います。アメリカ大陸発見なら1番と2番は全然違いますが。南極点自体、存在は知られていた。科学的なテクノロジーを駆使したわけでも無い。アムンセン達は犬ぞりの犬を生で食べながら進んでいたというぐらいです。「アムンゼン・スコット基地」という観測基地の名称も十分うなずける。
コメントありがとうございます。
確かに学術調査での功績を残したスコット隊のほうが、後世への影響は大きかったかもしれませんね。
日本の白瀬隊も来ていたが、イギリスはあまりにも貧弱な装備だったため、脅威にはならないと早々に相手にしないと決めてましたね。
結局だいたい3分の1位のところで食糧などの問題で引き返してます。
※白瀬隊長はこの後、後援会が資金を飲み食いで浪費してたことが発覚、全額借金となりそれを返すために記録フィルムをもって全国を回り講演することに・・・・
コメントありがとうございます♪
白瀬隊はまったく国家の援助がなかったのが不運でした
結局白瀬中尉の功績を最初に世間に知らしめたのは、十数年後に飛行機での南極点到達を果たしたアメリカの冒険家・バードでした。日本国内では、政府を始めあらゆる所から冷遇され続けた白瀬中尉…😞💨
あぼぼさん
そのことは初めて知りました。ありがとうございます♪
この時代に南極に来ている、日本人がいた事を誇りに思います。
途中で諦めたが、生き延びて帰った事で後に繋がる道筋が出来た方が大切ですね。😁
ただ、白瀬が命名した大和雪原(ゆきはら)の地名が後世の世界地図に載せられましたから、草葉の陰で少しは喜んでいるのではないかと。
ほおお、昔読んだ本ではスコットの敗因は「犬を使わず雪上車を使ったこと」とあったが
かつて一度犬を使って全滅した経験があったのか!!
犬に与えていた餌(干し魚)が、原因だったとの説
「世界最悪の旅」でしたか、若い頃読んだ記憶があります。雪橇の扱いに長けた極地民族の協力を得る事に思い至らなかった事が最大の敗因と考えます。
コメントありがとうございます。
世界最悪の旅はこの動画作成に当たり読みました。
確かに極地民族から犬ぞりの使い方を学んだかどうかが勝敗を分けましたね。
だから植村直己もグリーンランドに滞在して犬ぞりも学んだのかもしれませんね。
物心ついたときから探検を志してきた根っからの探検家であるアムンセンと違い、あくまでも国家に忠誠を誓う軍人であるスコットには極地民族から極地での生活手段を学ぶような時間のゆとりもなければ発想も生まれ得ないでしょう。
@@gavan1735 確かに誇り高き英国海軍大佐がエスキモーに学ぶとか、、、プライドが邪魔して無理ですね。
エベレストに初登頂したヒラリー氏も現地のシェルパであるテンジン・ノルゲイ氏の協力がなければ登頂はできませんでしたからね。
犬が役に立たないとか・・・
訓練不足の犬では、確かに役に立たないですね。
クジラ湾でアムンゼンと出会ったとき、犬の譲渡の申し出があったそうですが
おそらくきちんと訓練された犬だったしょうね。
コメントありがとうございます♪
スコットはキチンと犬橇を学ばすに、犬は役に立たないと決めつけた気がします
@@yukkuri_adventure スコットが犬は役に立たないと決めつけたのは、1901年に行った南極上陸時に犬が全滅した事が原因ですから、犬橇を学ぶと言う発想が生まれる道理はないでしょう。経験は人間を成長させるものですが、不運にしてスコットの場合その経験が結果として判断を誤らせてしまったようです。
@@gavan1735 コメントありがとうございます。アムンセンのようにエスキモーから犬ぞりを学んでいれば、結果も変わっていたかもしれませんね。
なんだ、生きて帰れる探検じゃないか。
そうですか?
悲劇的な結末とそこに至るまでの経緯、という流れは人の注目を集めるものだし古今東西の創作物においてもそういう作品はたくさんあるけれど、それに加えて最期まで誇りを保ち人間性を捨てず、無念ではあるけれでも取り乱したり発狂したりすることもなく死を覚悟し受け入れた、そんなところもスコット隊の物語が当時も今も人々を惹き付け要因ではないでしょうか。
コメントありがとうございます。
最後までイギリスの貴族であろうとしたのだと思います。
テラノバ号の「テラノバ」とは北極の意味です。確か、名前のとおりに当初は北極探検用として建造された調査船でしたが、動画でも紹介されたようにアメリカ人探検家が北極点一番乗りを果たしたため、南極探検へ目的変更されたという経緯があったと思います。アムンゼン隊がとにかく南極点を目指すことだけを目標としたのに対して、ロバート隊は最初から地質学術調査も兼ねた探検計画を立てていました。つまり、単なるライバル同士の南極点到達争いではなかったのです。
ロバート隊の悲劇を扱った再現ドラマは海外製DVDなどに散見されるようですが(たとえば、2007年には英国BBCのTV番組として放映されているそうです)、日本国内向けには見当たらないようです(もしあればご紹介ください)。2012年が遭難事件発生から100年目の節目の年なので、映画化されるかと期待していましたが、そのような話は結局出なかったようですね(日本国内では、前年3月の東日本大震災の余波が、まだまだ根強く残っていました)。南極大陸への立ち入りは現在いろいろな形で規制されており、そう簡単には撮影活動ができないという事情もあるでしょう。
ベースキャンプでの待機隊員の一人、アスプレイ・チェリー・ガラードの書いた長編ドキュメンタリー『世界最悪の旅(The Worst Journey in the World)』は、日本国内では加納一郎の完訳で知られています。大変長くて難解な作品ですが、一読を奨めます。
コメントありがとうございます。
『世界最悪の旅』は動画作成に当たり読みましたが、古い(戦前)の訳だけに難解でした。
冬に皇帝ペンギンの卵を取りに行く話とか面白かったので、この動画に入れようかとも悩みましたが、
やはり南極点への旅だけに絞って作成した次第です。
因みにこの二人の探検を現代で再現した結果(南極ではなくグリーンランドでだが)、アムンセン側の完全勝利でスコット側はドクターストップで中断という、見事なまでに歴史の焼き直しだったそうな。
コメントありがとうございます。
現代で再現しようとしていたのですか、しらなかったです、
遺された日記が本人主観にもかかわらず、人を率いて大業を成し遂げられる才能も器もない人だったんだな、と納得させられてしまう悲しさよ。
コメントありがとうございます♪
スコットは不運なだけではなく、状況に応じて戦略を変える柔軟性に欠けていました
国家間の領土拡張競争の目的が有ったので無理を重ねざるを得なかった。アムンゼンの方が極地のプロだった。
確か靴などの装備にもかなりの違いがあってアムンゼン隊の方が防寒で優っていたんですよね。
コメントありがとうございます♪
アムンセンは毛皮の服、スコットは革製だったようですね。
アムンゼンは極寒の北欧ノルウェー出身で生まれながらに防寒対策を心得ていたのでしょうね。加えて北極探査の経験も生かされたのではないでしょうか。
@@Fujitani 国内に居ながらにオーロラが見える国出身は伊達じゃ無いってことですね。北海道でも観測された事は有るそうですが、光の帯には程遠いそうですね。
@@yukkuri_adventure 厳密に言うと、スコットが防寒具に使用したのは牛革、アムンセンが防寒具に使用したのはアザラシの毛皮ですね。アザラシは氷の浮かぶ海で生活している野生動物ですので、その毛皮は牛革よりも遥かに耐水性・防寒性に優れていたわけです。
(イヌイットから学んだ)アザラシの毛皮の防寒服には敵わないな…
アムンゼンもノヴィレの飛行船イタリア号が北極飛行の途上遭難し
その国際捜索隊に参加し、飛行機で捜索中行方不明になりましたね
ノヴィレはイタリア号のほかの乗組員を北極に残して
積まれていた飛行機で自分だけ脱出したとかで非難を浴びたとか
某国人、並みに卑怯なヤツだ。😱💦
@@オハラ正助
卑怯者という汚名を浴びたノヴィレ氏ですが、実は違うらしいんですよね。
ノヴィレ隊を救助するために飛行機が到着した際、彼は重傷者を先に乗せていくように飛行士に伝えたうえで自分は後で脱出するつもりだったそうです。
しかし、救助機の飛行士がそれに反対し、結局「救出活動の指揮を執る」名目でノヴィレが先に脱出した。ちなみに飛行士が有名人のノヴィレを救出したという名声を得たくて無理にゴリ押ししたという説すらあります。
脱出後のノヴィレは救助活動の指揮を執り、残った探検隊の救助に取り組みました。
しかし、他国と共同で救助チームを組むという彼の意見がイタリア政府の方針と合わず、更迭されたうえで軟禁状態に置かれたそうです。(イタリア政府は面子のため、自国だけで救助を行いたかった)
結局のところ、イタリア政府の主導した方針は上手くいかず、救助作業は大幅に遅れ・・・
取り残された探検隊はソ連の派遣した砕氷船に救助されました。
こうした失敗の数々は最終的に、「すべての責任は卑怯者のノヴィレにある」とされたそうです。
この悪評は世間に広まってしまい、今でも「ノヴィレ=卑怯者」というイメージが強いんだとか・・・
ちなみにノヴィレは、1926年(大正15年~昭和元年)に、アムンゼン、リンカーン・エルズワース(アメリカ人、アムンゼンのスポンサー)と共に、イタリアの飛行船N-1号改めノルゲ号(イタリア語でノルウェー号)による、世界初の北極横断飛行に成功しています。
その噺の詳細については、星野之宣 氏の漫画「妖女伝説」の一章『ファタ・モルガーナ篇』で確認願います
本筋ストーリーの"背景"としての扱いですが、「事件」の説明としては必要十分なモノがキチンと描かれています・・・
そして其処では、歴史上の謎とされていたアムンゼン 氏の"最期"についても一応のビジュアル提示が為されています、まあ信じるか信じないかは・・・
人類史で最も過酷で重要なレース。
入念な準備をして、当時の先端科学の力で南極点を目指したスコットが敗れて、原始的な方法と経験の力で目指したアムンセンが勝つ。この対比が興味深い。
スコットは理性的な人だったから、アムンセンがいなければウマを失った時点で計画を断念してたんだろうと思う。
コメントありがとうございます。
今回はスコット視点で、スコットだけを対象に動画をつくりましたが、アムンセンとスコットの比較動画もいつか作ってみたいと思います。
えっ 動画見てそういう感想なんだ。まあ人の自由だけど。
まさに記録の為に北極から南極に目をつけたアムンセンよりスコットの方が人として好きだな。スコットの動画としても。
アムンゼンはスコットよりも10日以上早い10月20日には越冬基地を出発し、しかも越冬基地から極点までの距離もアムンゼンの越冬基地のほうが100km以上近い地に上陸設営しての挑戦だからねぇ。100kmの差は大きいよねぇ。輪をかけて、スコットは南極に経験があるといいながら、その実は馬の耐えられる寒さではないことや、雪上車のエンジンが凍り付いてしまうこと等々なにひとつ学び取っていない。経験あると吹聴するだけでその実、素人同様だったのだよ。これでは勝てない。
コメントありがとうございます。
文明の利器に依存しすぎたのかもしれませんね。
@@yukkuri_adventure スポンサー絡みとか軍と懇意にしてる企業とのしがらみもあったりして
ぜひうちのを使え!みたいな
北極圏で、馬が使われている実例が無いにも関わらず、南極に馬匹を持ち込もうとしたところに英国人の頑固さを見た気がする。
英国人にとって馬は特別な存在だと聞きますね。拘りがあったのでしょうが、準備段階で既に使えないと判ったのに強行したのは残念です。
犬も連れてきていたということだから犬ぞりの存在は知っていたのだろう。たが使えなかったのは犬種のためか?。白瀬隊の方も樺太犬を連れてきていたらしいが使えたのかな。白瀬隊の準備や装備はスコット隊よりも下回っていたので南極点到達不可能。
何故準備期間中に馬が役に立たないとわからなかったんだろ
スコットの視点の話は教科書にも載っていて有名ですが、アムンゼンの視点で語られる話は自分は聞いた事が無いので、彼視点の話を見てみたいです。
コメントありがとうございます
アムンセン視点も面白そうですね。検討してみます。
スコット隊の悲劇は小学校の時に教科書に出ていました。
担任が「極点に一番乗りは出来なかったけど、研究をしながらの冒険はアムンゼンより価値があるものでした」
と主観丸出しでスコット隊長を美化していました。
この紳士の風貌、振る舞い、美しい遺書は心を打ちますが、登山や未踏の地で一番乗りの重みを考えるとアムンゼンが気の毒な気がします。ノルウェー人も「大英帝国と小国の国力の差がイメージ戦略にでてる」と怒ってました。
登山事故でリーダーの資質を問われる現代から見ると、スコット隊長の判断ミスはまた違って見えてきます。
悲劇ではありますが、アムンゼン以上に有名で美化され名を残し、ある意味幸せな隊長だとも思います。
花咲ゆめこ さん
コメントありがとうございます。
ご指摘の通りアムンセンは南極点だけを目的にしていたのに対し、スコットは学術調査も兼ねていました。
(動画では尺の都合でカットしてしまいましたが)
後の人類に与えた影響はスコットのほうが大きく、ある意味勝者はスコットかもしれません。
判官贔屓は日本だけではないのですね
冒険は生きて戻る事が重要だと言ってた植村直己の言葉を否定する様な言葉だ。スコットを貶める事は言いたくないが、自分としては目的を達成して、危険な冒険についてきてくれた隊員達を無事に生還させたアムンセンの冒険は冒険家として価値あるものだったと思っている。
色々と欲をかいたのがスコットの敗因で命取りになった、という事ですね。
極地一番乗りという単純明快な目的の為に邁進したアムンセンに対し、国の威信や調査目的と大義を背負い込み、更に最新の機器を使おうとした故の…
それでもスコットと言う人は最後まで高潔な人柄を示した、探検家としてはミスを犯したかも知れませんですがそこは立派な人間だったと思います
コメントありがとうございます。
死の淵に際して後世のために記録を残した態度は尊敬に値します。
スコットは、極点到達が目的と言いながら大陸調査も行ってたそうな・・・・
極点到達だけに絞ってたら、結果は変わってたかも???
コメントありがとうございました
学術調査もすることで戦力を分散させてしまった感はありますね
美化する内容では無い
準備不足
検証不足
練習不足
冷凍内で馬、雪上車、犬、燃料缶
をテストすべき
全然いい話じゃない
コメントありがとうございます♪
海軍の流儀に執着しすぎたように思います
八甲田山の遭難事故とまんま同じ。
人の命を預かる身でありながら余りにも無責任な情報収集と準備の不足が招いた遭難。アムンゼンより先に到達してても結果は同じだったと思う。
コメントありがとうございます♪
スコット的には何年も準備して挑んだつもりだったと思いますが、結果が全てですからね。
@@yukkuri_adventure どうしても軍隊式の行軍様式にこだわりすぎたのが失敗の最大の原因かと。イヌイット式の装備を取り入れなかったり、ちゃんと訓練された犬ぞり隊を編成しなかったり、草葉が繁る気候でしか活動できない馬を移動の主力に据えたり、適切な移動方法を欠き進行速度が大幅に下がったことにより帰路の途中で夏が終わるという事を考えずに出発した、数年かけて適切なキャンプ地を設置したり実験したりしておかなかった事。
まあ全て現代だから指摘できる事かもしれませんが、八甲田山で同日に行軍訓練を行った二部隊のうち、一つは対策不足で遭難、もう一つの部隊は余裕で訓練を完遂したあの事故と被っちゃいますね。
いつもブリカスが勝つとは限らない。
大昔、小学生の時分に読んだ本だと「〇〇(隊員名)、テントから出て行く」とだけ書いてあったので喧嘩か錯乱して出て行ったのかと…
しかも吹雪の絵が暗い灰色で、闇の中一人で外に出る隊員の事を思うとゾッとしたのを思い出しました…
コメントありがとうございます♪
小学生には重い話ですね。
アムンゼンはスコットにちゃんと、通達してますやん。本当に卑怯なら、黙ってひたすら南極点を目指すはず。
アムンゼンを卑怯と思ったスコットの心が既に萎縮している。
コメントありがとうございます。
ご指摘の通りです。当時ノルウェーの人から同じような反論があったようです。
つか、卑怯ってなんやねんって話だけどな。
祖国の名誉を欲したのも、己の名誉を欲したのも、同じ。
どちらかが醜いなら、二人とも醜いですよね。
これ、ワシの小学生時代には教科書に載ってたなぁ
今でも教科書に載ってるんだろか?
コメントありがとうございます♪
教科書や漫画で子供の頃に知った方、多いですね。
装備の不具合と馬が寒さに耐えられない状態は事前テストで分からなかったのだろうか それとも当時の感覚だと現地テストはしないのが普通だったのだろうか・・・?
コメントありがとうございます♪
慎重なスコットのことですから、何か検証していたと思いますが、、、
おそらく犬の訓練技術を持たなかったがために、馬しか頼れるものがなかった。もしアムンゼンがいなければ、その年は諦め、馬の防寒具をなにか用意したかもしれません。
植村の犬ぞり探検で、使ったエスキモー犬のタフさに驚いていたが、使役用の犬種となると一般の犬とはかなり違うらしい。
アムンゼンは確かに急に南極点に切り替えたけど極地で探検するための準備は十分に行ってましたからね
エスキモーの装備や極地での生活の仕方等を取り入れてましたから
コメントありがとうございます♪
だから植村直己はエスキモーに学んだのだと思います。
ちなみに白瀬隊も北極から南極へと急に鞍替えしてます
学研ひみつシリーズの「できるできないのひみつ」でこの話を知りました。
なつかしい。
私も子供の頃、めちゃめちゃ愛読していました〜!この本でいろんな探検家の名前を知りました。
@@Ezziokia1112 だから、最近のアムン「セ」ンという表記には違和感があります。
はじめまして。楽しく拝見しました。スコットとアムンゼンの南極点到達競争がこんな白黒まったく逆の結果になってしまい、スコット本人はもちろん全イギリス国民が悔しい思いをしてことでしょう。「アドベンチャー」ということですから、悲劇だけでなく成功も含めてこれから紹介していただけると思います。題材探しも大変でしょうが、じっくりとチャンネルを育ててください。期待しています。
コメントありがとうございます。
入念に準備したスコットが遭難、そうでないアムンセンが成功と、反対の結果になってしまいました。
遭難して終わる話ばかりでなく、成功した冒険も取り上げていきます。
これからも面白い冒険動画を公開できるように頑張りますので、どうか宜しくお願い致します。
そのアムンゼンも北極に双発飛行艇でイタリア探検隊の捜索に出向いたまま行方不明になる。冒険家というものは畳の上では死ねないものなんだろう
@@かがみ純
植村直己さんもまた然り。
アムンゼンはノルウェーの偉大な英雄(次はコンチキ号のハイエルダール)になって各国で歓迎された(英国を除く)。