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普通列車代替で設定された夜行バスは時刻表の本ではバスのページではなくJR予讃線のページに掲載されていた。
四国島内という短い区間であっても、夜行列車ってあったんですね。四国に関係する夜行列車と言えば今も昔も瀬戸号だけかと思っていました。ただし、四国の陸地から沖を眺めると、毎夜の如く夜行が動いてるんですけどね。しかも2023年にはそのうち1系統に新型が入ったという。
中学生の頃に高松発夜行急行うわじまに乗った事があります。指定席(車両はグリーン車)を利用しました。懐かしいのを有難うございます😢
島内完結の夜行列車はロマンがありますね。確か特急しおかぜにも夜行便があったような。伊予路や土佐路に夜行が走った往時が懐かしいです。
青春18きっぷを使って夜行鈍行461Dに乗りたかったのですが、親から一人旅の連泊が許可されたのが1989年3月。この時は3日間までの行程しか認められず、スケジュール的に断念せざるを得ませんでした。リベンジをするべく同年8月の夏休みに7日間の連泊一人旅の許可を得られたものの、461Dは7月に廃止となりその夢は果たせませんでした。結局、柳井~三津浜のフェリーを代替として行程を組み直した事を思い出しました。
サンライズ松山行き復活しないかな
1、多少の不便くらい我慢して使う2、運賃倍でも我慢するこれだけ
20,000%ない。ワイが乗った際も高松~松山はガラガラ😵
@@psychedelicraspberry517愛媛県は長距離バスが充実しているので使う人が少ないんでしょうね。
種村直樹さんが土讃本線の夜行に乗るつもりで高松の飲み屋さんで時計を気にしていると、姐さんから「高松の者は夜行なんかに乗らない、連絡船が着く前に行けば良い」とアドバイスされたそうです。
夜行列車の終着駅の到着時間が午前3時台と言えば会津高原尾瀬口に午前3時過ぎに到着する東武の尾瀬夜行23:45が思い浮かびます。
懐かしいです。深夜3時台の松山行き、直後に乗り換え便は青春18きっぷで乗ったものです。
夜行鈍行懐かしいですね当時14歳とても便利で旅してると思えた列車でした。
夜行急行うわじま、懐かしいですね!廃止直前の86年夏に高松から終点宇和島まで乗り通しました。当時高校生だったから良かったけど固定クロスシートはめっちゃキツかったー!それも良い思い出。😊
急行鷲羽、懐かしいです。あと新大阪⇔宇野 「特急うずしお」もありました。
昭和39年5月号では各駅停車(遥かに快速に近い)が設定されており、高松00:03→松山05:32・高松00:10→須崎0618と続行運転・客車列車・オール2等車で運行されていました。この列車に接続するのが宇高連絡船27便で宇野22:37→高松23:47でしたしかし、この連絡船に接続する優等列車は無く、岡山21:36→宇野22:30の普通539Mで、この普通列車が岡山で接続する優等列車は東京発の不定期急行「桜島」と大阪19:00発の三原行準急「びんご2号」京阪神の方は「びんご2号」で良かったものの、京都以東の乗客は桜島が運休していたら、急行「霧島」で大阪到着18:53なので、びんご2号に乗り換えが可能。東京からは「霧島」→「びんご2号」→普通→連絡船→普通…って乗車する方はいたのだろうか??ちょっとでも交通費抑えようという方以外は…
瀬戸大橋開業前に「うわじま1号」に乗ったことがあります。キハ58で夜間の車内減光もなく、車内放送もずっと行われていたので、夜行列車の雰囲気は欠けていたかと思います。大阪から仕事を終えて新幹線に乗り、宇野線、宇高連絡船を乗り継いで早朝には松山に着けたので、便利な列車ではありました。
1968年10月の復刻版時刻表を見ると、高松発0:20の土佐佐賀行き、窪川発21:32の高松行き(高松着3:41)の列車があります。宇高連絡船接続がそれだけ重要だったのでしょうね。
ちょうどその夜行普通の時代、461Dと土讃線の窪川行きの721Dとを併せて、青春18きっぷで四国周遊を楽しんでいました。清流しまんと号にも接続が良かったと記憶しています。
いつも精力的に、有難うございます😘
四国〜関西の夜間移動はフェリーがある。夜行バスと違って横になって寝れるし大浴場やレストランもあるしお勧め。
昔は新聞の輪転機が高松にしか無かったんじゃないのその新聞輸送で夜行列車が存続した駅に着くと新聞を投げるのは当時普通のことだった鉄道からトラックに変わったから夜行列車も要らなくなった名古屋から富山に向かう急行のりくらも途中駅で新聞を投げてました
高松発が確か午前0時32分で、土讃本線の中村行き快速の発車の5分前に発車していました。いやぁ、あまりの懐かしさに涙が。😢霊夢さん説明ありがとう。
本四備讃線が開通する前年に高校の部活動合宿で下り夜行急行の宇和島に乗ったことあります。気動車急行の夜行なんて乗ったことなかったのでずっと起きてました。宇和島で少し待って窪川行きのトロッコしまんとにも乗りました。もう今では乗れないのは非常に残念です。
急行いよ、うわじま、懐かしいねぇ
国鉄時代夜行が多かったのは荷物郵便の輸送が大きかったのではないかと。四国の気動車急行も10系郵便荷物気動車が良く連結されてました。郵便荷物が廃止され夜行列車廃止に拍車がかかったと捉えてます。
四国に行ったときは常に宿代わりにしていた列車。あともう一本土讃線に普通列車の夜行があった。
代替となった夜行バス「いよじ」号高松行きに乗りました。坂出での下車客が多く、マリンライナーに乗り継がれていかれました。本州方面との夜行需要は、少ないながらもあったという記憶があります😃
その時間帯に山陰本線滝部駅から3:27発の始発列車があったとさ‼
サンライズも車両が古くなりつつあるし乗れる内に乗っておかないといけないかも
とはいえ、サンライズも一定数の需要が見込めるうちは存続すると思われるが、これがもし四国に新幹線が開通しようものなら廃止は不可避だろうな。。。
「~瀬戸」は、東海が車両保有撤退したらなくなるな😵
@@鈴木元-b7n 四国新幹線なんて実現しようがないからそれは関係ないな😅
青函連絡船も宇高連絡船も大阪や東京へ行く列車のダイヤに合わせて運航されていたのでそれに接続する列車も当然意識して設定されてたのでしょう。夜行ではありませんが、マリンライナーやしおかぜの始発便が早朝時間帯に運行している所以です。
鉄道ではないけど関西からだと朝6時に西条に着けるオレンジフェリーは乗ってみたいもんだ。
↑乗ったオッサン😁
普通列車に改造されたキハ185系には一度乗ってみたいそれにしても普通列車の松山~宇和島は時間がかかり過ぎる。
国鉄の乗り移り潰しの時に利用しましたね 四国管内はグリーン車の利用が、ほぼゼロだったので一般指定席に格下げされていた事もあり周遊券でしたが指定席券と急行券を買って乗車しました 多分コレクションの中を探すと出て来ると思います
夜行 641Dを、帰省に3回ほど利用しました、マリンライナーで坂出駅で乗り換えて宇和島迄乗りました。行商と思われるおばさん、終点近くでは多数の高校生が乗ってこられていました 良い思い出です
この距離で夜行を設定してたのにも驚きですが、当時の道路事情察すると需要はあったのですね。😢
海の向こうに宇野-新大阪間の急行鷲羽があればこそ成立した列車でした。
それはこの列車じゃない。高松着0時過ぎの急行😉
この列車にもヨンナナサンダイヤ改正までは鷲羽が接続していた。ヨンナナサンダイヤ改正以後は宇野線快速が接続していた。
新幹線🚅開業前で草😉
この鷲羽2号はヨンヨントウダイヤ改正で赤穂線経由になっています。ちなみにこの改正で増備された165系が最後で、内房線にも投入されている。
約15年前に走ってた臨時夜行快速ムーンライト松山を電車で復活させて欲しい
今なら特急で客単価¥30,000やな😁
関西方面からの夜行と言えば、ムーンライト高知に2回乗りました。
下りの夜行、使いましたね。18時台に東京駅を新幹線で発車、岡山22時台に下りに接続、と記憶してます。
このうわじまと土讃本線の快速は急行鷲羽に接続していて高松地区ではあまり需要がなかったようです。もともとは宇高連絡船で列車航送していたが、紫雲丸の事故の影響で中止になった経緯がある。
ムーンライト〜の類には乗りました。
当時 深夜 岡山駅へ運転停車する寝台特急等をホームで撮ってましたが、真夜中 入線して来た急行鷲羽にはいっぱい人が乗ってました。正直その頃は「なんで真夜中なのにいっぱい乗ってるんだろう?」と疑問に思ってました。岡山駅のホームにもたくさんの人が待ってましたから、ちょっと異様な風景に見えてましたねw
当時の「うわじま1号」は香川県内の終列車としての役割も担っていたのか、詫間、高瀬、豊浜にまで停車していたことに驚いた。当時の駅員は24時間体制で勤務していたのか? 詫間や高瀬は現在も朝の上り、夜の下り特急が停車するが、観音寺の次の豊浜は普通のみしか停車しない駅になっている。
普通化された後、確か土讃線窪川行と併結運転していましたよね? 多度津からそれぞれ分かれて運転していたような...
このうわじま、四国ワイド周遊券で使いました。
午前3時台に目的地に到着する交通機関としては、中距離フェリーの深夜便が現在でも運航されていますね🛳️丑三つ時に叩き起こされるのがちとキツイですが、到着してからその日1日を目いっぱい有効的に活用できるので、体力に自信がある旅好きの方にはオススメですよ😁
瀬戸大橋が開通するのがもう少し早ければ、関西~松山・高知という夜行急行が運転されたのではないだろうか
ムーンライト高知・松山…。
国鉄時代、夜行のうわじま号と土讃線の夜行普通列車は、四国ワイド周遊券利用の乗り鉄には宿代わりでしたね。土讃線の方が普通列車とはいえ車両は急行用で、グリーン車も普通車扱いだったので「宿」としてはそちらの方が乗り得でした。
この当時グリーン車は普通列車用のグリーン券が必要でグリーン開放ではありません。後にグリーン車が急行の普通車指定席になったときに快速は全車自由席になっている。
ワイは四国は18きっぷだったので乗れず@東京23区😵
@@もりわききくお そうでしたね、四国の急行用グリーン車が普通車指定席に格下げになったのは1980年ですからそれ以降の話です。もっとも格下げと言っても枕カバーが布からビニールに変わったくらいで実質グリーン車でしたが。
新たに作る車両の作成は、クラウドファウンディングとかを利用して、旧型客車をリメイクして、オハとか、オハネ10系とか、あと、トイレとシャワーも困るだろうから、オハトシ10系とかw、オシ10系とか。それで、不定期運航でもいいので、枕崎発、稚内行きの各駅停車とか運航できないものなのかなぁ??観光に値する所では、停車時間4時間とか設けて。そういう夢くらいは提供して欲しいな。昼間だと普通に各駅停車として利用する一般客もいるだろうし。
土讃線の方は中村行き各停夜行があり、そちらも高知まで短縮。多度津までこの予讃線各停夜行と連結し走ってました。どちらもキハ58の2両でした。その高知行きも窪川までは接続列車がありました。だからバス転換は松山系統高知系統同時に行われました。夜行バスは当初J四国単独の予定が伊予鉄、とさでん交通との共同運行になり、18切符や周遊券など使えなくなるばかりか、独自運賃のバス乗車券となりそれで乗客激減廃止になったと記憶してます。
いちこめ0:00 予讃本線は国鉄時代の呼び方です。今は取り残さない観点からか本線呼びを廃止しています。
取り残さない観点?
@@鉄道発祥の日 四国では全路線への施策を平等にするとかで、「本線」呼びを廃止しました。四国ではJR発足以降廃線は有りません。
❌かんのんじ⭕️かんおんじ
予讃線は夏目漱石が松山中に赴任する時に乗ったらしい?🤔
当時の四国は宇高航路が超深夜便運航を行っていたので、夜中とか関係のないダイヤでしたなお、夜中の3時代に終着する列車としては釜石線・山あくせい田線の深夜帰宅列車がありましたよ時刻表非掲載でした、当時小学生だったので乗りに行けなかったんですけど(石野哲氏の時刻表名探偵に載ってます。一応東北ワイドでも乗れると釜石駅に鉄電で確認してもらいました)
というか宇野3時半着で高松に5時に着ける鷲羽もあったかと
宇高連絡船🛳で高松に深夜到着.高松から真夜中に出発する予讃線,土讃線の夜行急行を覚えている.
急行うわじま、いよ…どっかで聞いた気が…あ、予土。…リクエストですけど、やってなかったら急行予土号も中々のカオス列車だったのでぜひ紹介してくださいな。急行予土号とは1965年6月1日に準急として松山〜高知で設定された列車のこと。その後1966年3月5日に急行に格上げされ、1968年10月1日、ヨンサントオ改正によって廃止された、準急時代から見ても3年4ヶ月という超短命列車だった。まず、この列車の編成から。キハ58系1両、以上!!(は?)この列車最大のカオスポイント。それは編成に使われたのが片運転台のキハ58系1両だけということ。実はこの列車、他の急行をハシゴして走る列車で、どの区間でも何かしらの相棒となる列車がいたらしい。その運用を見ていこう。松山→高知松山6時20分発。最初の相棒は急行いよ3号高松行きで、途中の多度津まで走行。多度津でいよ号を切り離し、高松からやってきた急行足摺2号土佐佐賀行きとペアを交代。その後阿波池田にて徳島から来た急行よしの川号を併結し、高知には11時44分着。よしの川、予土はこの駅で終着となり、足摺2号だけが切り離されて土佐佐賀への旅を続ける。高知→松山高知を14時24分に出発。最初の相棒は土佐佐賀から来た急行南風3号高松行き。このまま多度津へ…という訳ではなく、阿波池田で徳島・小松港から来た急行いしづちとペアを交代。余談だが、いしづちは阿波池田まで、高知行きの急行阿佐3号を併結しており、いしづち、予土の双方がペア交代とかいう面白いことが起きていたそう。話を戻して、いしづち、予土のペアは途中の多度津で急行うわじま5号宇和島行きを併結し、松山には20時25分着。いしづち、予土はここで終着となり、うわじま5号のみが宇和島への旅を続ける。ここで色々補足・急行足摺1961年4月に、元々高松、須崎間だった急行土佐の、1号と3号の区間が窪川まで伸びたことにより運行を開始した列車。1990年11月に特急化され、現在も特急あしずりとして運行している。実は西村京太郎サスペンス「土佐くろしお鉄道殺人事件」の舞台となったのも特急あしずり。・急行よしの川→徳島〜高知を結んだ列車。現在は徳島〜阿波池田に区間を短縮し、特急剣山と名を改めて残存している。・急行南風1950年、高松〜須崎に設定されていた準急に名付けられたのが始まり。足摺と非常に関係が深く、ヨンサントオ改正の際に足摺と統合される一度廃止。南風の名は九州の方で使われることになる。なので現在の特急南風とはあまり関係が無い?・急行いしづち小松港〜松山間を阿波池田、多度津経由で結んでいた急行。予土と同じヨンサントオ改正により、1968年9月30日に廃止された。現在の予讃線経由で運行している特急いしづちにその名が与えられたのは、急行廃止から約20年後の1988年4月10日。本四備讃線が開業した事で四国の鉄道運行形態に変化が現れた日の事で、急行のいしづちとは起終点以外にあまり関係が無い。
この頃って大阪までなら夜行フェリーあったし3時に乗り換えしてまで乗る必要あったんかな…
高速道路がない時代だと需要あったんでしょうね。
国鉄時代の四国は「急行王国」だった。しかし急行型気動車のヒゲ、四国オリジナルだったのかな?無い方が似合うと思う。
この頃のキハ58系には確かミュージックホーンがついていたのではないか?ところで当時の郵政省所属のキユ25型というキハ58系そっくりな郵便車があった。しかも冷房車だった。
今でも一応本線のままなんだっけ?予讃線
急行うわじま号の昼行列車が1986年11月1日の国鉄最後の全国ダイヤ改正で特急しおかぜに格上げされて仲間の一部が廃止されて、1990年11月21日のJR四国ダイヤ改正で特急宇和海に格上げされ全列車が廃止されました。
なんか肌色とオレンジの車両が伊予鉄道の昔の車両に見える
02:01準急「せと」…急行「瀬戸」は…?
急行瀬戸は東京〜宇野間の急行で宇高連絡船を介して四国の準急せとと接続していた列車だったかと。
@@鷂よめないとり さま。おっしゃる通りですね。下り基準ですと…あとで「復刻版」('64年9月)によりますと、「瀬戸」東京21:00→宇野11:14/(連絡船)11:35→高松12:45/「せと」13:00→松山16:23→宇和島18:43。スピードは現在と比べると圧倒的に遅いですが、「瀬戸」は1/2等寝台(1とうはプルマン型オロネ10形)、1等座席、食堂車連結と、「急行」でありながら通好みの編成だったようです。「せと」については編成記載は認められませんでしたが、1/2等指定席含む準急列車、と云う情報しか得られませんでした。
四国に周遊のクルーズトレインでも作っても良さそうなロイヤルエクスプレスを走らせたなら夜行運転有りで
結論が無関係すぎる
関係なくはない
普通列車代替で設定された夜行バスは時刻表の本ではバスのページではなくJR予讃線のページに掲載されていた。
四国島内という短い区間であっても、夜行列車ってあったんですね。四国に関係する夜行列車と言えば今も昔も瀬戸号だけかと思っていました。
ただし、四国の陸地から沖を眺めると、毎夜の如く夜行が動いてるんですけどね。しかも2023年にはそのうち1系統に新型が入ったという。
中学生の頃に高松発夜行急行うわじまに乗った事があります。指定席(車両はグリーン車)を利用しました。懐かしいのを有難うございます😢
島内完結の夜行列車はロマンがありますね。
確か特急しおかぜにも夜行便があったような。
伊予路や土佐路に夜行が走った往時が懐かしいです。
青春18きっぷを使って夜行鈍行461Dに乗りたかったのですが、親から一人旅の連泊が許可されたのが1989年3月。この時は3日間までの行程しか認められず、スケジュール的に断念せざるを得ませんでした。リベンジをするべく同年8月の夏休みに7日間の連泊一人旅の許可を得られたものの、461Dは7月に廃止となりその夢は果たせませんでした。結局、柳井~三津浜のフェリーを代替として行程を組み直した事を思い出しました。
サンライズ松山行き復活しないかな
1、多少の不便くらい我慢して使う
2、運賃倍でも我慢する
これだけ
20,000%ない。ワイが乗った際も高松~松山はガラガラ😵
@@psychedelicraspberry517
愛媛県は長距離バスが充実して
いるので使う人が少ないんでしょうね。
種村直樹さんが土讃本線の夜行に乗るつもりで高松の飲み屋さんで時計を気にしていると、姐さんから「高松の者は夜行なんかに乗らない、連絡船が着く前に行けば良い」とアドバイスされたそうです。
夜行列車の終着駅の到着時間が午前3時台と言えば会津高原尾瀬口に午前3時過ぎに到着する東武の尾瀬夜行23:45が思い浮かびます。
懐かしいです。
深夜3時台の松山行き、直後に乗り換え便は青春18きっぷで乗ったものです。
夜行鈍行懐かしいですね
当時14歳
とても便利で旅してると思えた列車でした。
夜行急行うわじま、
懐かしいですね!廃止直前の86年夏に高松から終点宇和島まで乗り通しました。当時高校生だったから良かったけど固定クロスシートはめっちゃキツかったー!
それも良い思い出。😊
急行鷲羽、懐かしいです。
あと新大阪⇔宇野 「特急うずしお」もありました。
昭和39年5月号では各駅停車(遥かに快速に近い)が設定されており、高松00:03→松山05:32・高松00:10→須崎0618と続行運転・客車列車・オール2等車で運行されていました。
この列車に接続するのが宇高連絡船27便で宇野22:37→高松23:47でした
しかし、この連絡船に接続する優等列車は無く、岡山21:36→宇野22:30の普通539Mで、この普通列車が岡山で接続する優等列車は東京発の不定期急行「桜島」と大阪19:00発の三原行準急「びんご2号」
京阪神の方は「びんご2号」で良かったものの、京都以東の乗客は桜島が運休していたら、急行「霧島」で大阪到着18:53なので、びんご2号に乗り換えが可能。東京からは「霧島」→「びんご2号」→普通→連絡船→普通…って乗車する方はいたのだろうか??ちょっとでも交通費抑えようという方以外は…
瀬戸大橋開業前に「うわじま1号」に乗ったことがあります。キハ58で夜間の車内減光もなく、車内放送もずっと行われていたので、夜行列車の雰囲気は欠けていたかと思います。大阪から仕事を終えて新幹線に乗り、宇野線、宇高連絡船を乗り継いで早朝には松山に着けたので、便利な列車ではありました。
1968年10月の復刻版時刻表を見ると、高松発0:20の土佐佐賀行き、窪川発21:32の高松行き(高松着3:41)の列車があります。宇高連絡船接続がそれだけ重要だったのでしょうね。
ちょうどその夜行普通の時代、461Dと土讃線の窪川行きの721Dとを併せて、青春18きっぷで四国周遊を楽しんでいました。清流しまんと号にも接続が良かったと記憶しています。
いつも精力的に、有難うございます😘
四国〜関西の夜間移動はフェリーがある。夜行バスと違って横になって寝れるし大浴場やレストランもあるしお勧め。
昔は新聞の輪転機が高松にしか無かったんじゃないの
その新聞輸送で夜行列車が存続した
駅に着くと新聞を投げるのは当時普通のことだった
鉄道からトラックに変わったから夜行列車も要らなくなった
名古屋から富山に向かう急行のりくらも途中駅で新聞を投げてました
高松発が確か午前0時32分で、土讃本線の中村行き快速の発車の5分前に発車していました。いやぁ、あまりの懐かしさに涙が。😢霊夢さん説明ありがとう。
本四備讃線が開通する前年に高校の部活動合宿で下り夜行急行の宇和島に乗ったことあります。
気動車急行の夜行なんて乗ったことなかったのでずっと起きてました。
宇和島で少し待って窪川行きのトロッコしまんとにも乗りました。
もう今では乗れないのは非常に残念です。
急行いよ、うわじま、懐かしいねぇ
国鉄時代夜行が多かったのは荷物郵便の輸送が大きかったのではないかと。
四国の気動車急行も10系郵便荷物気動車が良く連結されてました。
郵便荷物が廃止され夜行列車廃止に拍車がかかったと捉えてます。
四国に行ったときは常に宿代わりにしていた列車。あともう一本土讃線に普通列車の夜行があった。
代替となった夜行バス「いよじ」号高松行きに乗りました。坂出での下車客が多く、マリンライナーに乗り継がれていかれました。本州方面との夜行需要は、少ないながらもあったという記憶があります😃
その時間帯に山陰本線滝部駅から3:27発の始発列車があったとさ‼
サンライズも車両が古くなりつつあるし乗れる内に乗っておかないといけないかも
とはいえ、サンライズも一定数の需要が見込めるうちは存続すると思われるが、これがもし四国に新幹線が開通しようものなら廃止は不可避だろうな。。。
「~瀬戸」は、東海が車両保有撤退したらなくなるな😵
@@鈴木元-b7n
四国新幹線なんて実現しようがないからそれは関係ないな😅
青函連絡船も宇高連絡船も大阪や東京へ行く列車のダイヤに合わせて運航されていたのでそれに接続する列車も当然意識して設定されてたのでしょう。夜行ではありませんが、マリンライナーやしおかぜの始発便が早朝時間帯に運行している所以です。
鉄道ではないけど関西からだと朝6時に西条に着けるオレンジフェリーは乗ってみたいもんだ。
↑乗ったオッサン😁
普通列車に改造されたキハ185系には一度乗ってみたい
それにしても普通列車の松山~宇和島は時間がかかり過ぎる。
国鉄の乗り移り潰しの時に利用しましたね 四国管内はグリーン車の利用が、ほぼゼロだったので一般指定席に格下げされていた事もあり周遊券でしたが指定席券と急行券を買って乗車しました 多分コレクションの中を探すと出て来ると思います
夜行 641Dを、帰省に3回ほど利用しました、マリンライナーで坂出駅で乗り換えて宇和島迄乗りました。
行商と思われるおばさん、終点近くでは多数の高校生が乗ってこられていました 良い思い出です
この距離で夜行を設定してたのにも驚きですが、当時の道路事情察すると需要はあったのですね。😢
海の向こうに宇野-新大阪間の急行鷲羽があればこそ成立した列車でした。
それはこの列車じゃない。高松着0時過ぎの急行😉
この列車にもヨンナナサンダイヤ改正までは鷲羽が接続していた。ヨンナナサンダイヤ改正以後は宇野線快速が接続していた。
新幹線🚅開業前で草😉
この鷲羽2号はヨンヨントウダイヤ改正で赤穂線経由になっています。ちなみにこの改正で増備された165系が最後で、内房線にも投入されている。
約15年前に走ってた臨時夜行快速ムーンライト松山を電車で復活させて欲しい
今なら特急で客単価¥30,000やな😁
関西方面からの夜行と言えば、ムーンライト高知に2回乗りました。
下りの夜行、使いましたね。18時台に東京駅を新幹線で発車、岡山22時台に下りに接続、と記憶してます。
このうわじまと土讃本線の快速は急行鷲羽に接続していて高松地区ではあまり需要がなかったようです。もともとは宇高連絡船で列車航送していたが、紫雲丸の事故の影響で中止になった経緯がある。
ムーンライト〜の類には乗りました。
当時 深夜 岡山駅へ運転停車する寝台特急等をホームで撮ってましたが、真夜中 入線して来た急行鷲羽にはいっぱい人が乗ってました。
正直その頃は「なんで真夜中なのにいっぱい乗ってるんだろう?」と疑問に思ってました。
岡山駅のホームにもたくさんの人が待ってましたから、ちょっと異様な風景に見えてましたねw
当時の「うわじま1号」は香川県内の終列車としての役割も担っていたのか、詫間、高瀬、豊浜にまで停車していたことに驚いた。当時の駅員は24時間体制で勤務していたのか? 詫間や高瀬は現在も朝の上り、夜の下り特急が停車するが、観音寺の次の豊浜は普通のみしか停車しない駅になっている。
普通化された後、確か土讃線窪川行と併結運転していましたよね? 多度津からそれぞれ分かれて運転していたような...
このうわじま、四国ワイド周遊券で使いました。
午前3時台に目的地に到着する交通機関としては、中距離フェリーの深夜便が現在でも運航されていますね🛳️
丑三つ時に叩き起こされるのがちとキツイですが、到着してからその日1日を目いっぱい有効的に活用できるので、体力に自信がある旅好きの方にはオススメですよ😁
瀬戸大橋が開通するのがもう少し早ければ、関西~松山・高知という夜行急行が運転されたのではないだろうか
ムーンライト高知・松山…。
国鉄時代、夜行のうわじま号と土讃線の夜行普通列車は、四国ワイド周遊券利用の乗り鉄には宿代わりでしたね。
土讃線の方が普通列車とはいえ車両は急行用で、グリーン車も普通車扱いだったので「宿」としてはそちらの方が乗り得でした。
この当時グリーン車は普通列車用のグリーン券が必要でグリーン開放ではありません。後にグリーン車が急行の普通車指定席になったときに快速は全車自由席になっている。
ワイは四国は18きっぷだったので乗れず@東京23区😵
@@もりわききくお そうでしたね、四国の急行用グリーン車が普通車指定席に格下げになったのは1980年ですからそれ以降の話です。もっとも格下げと言っても枕カバーが布からビニールに変わったくらいで実質グリーン車でしたが。
新たに作る車両の作成は、クラウドファウンディングとかを利用して、旧型客車をリメイクして、オハとか、オハネ10系とか、あと、トイレとシャワーも困るだろうから、オハトシ10系とかw、オシ10系とか。それで、不定期運航でもいいので、枕崎発、稚内行きの各駅停車とか運航できないものなのかなぁ??
観光に値する所では、停車時間4時間とか設けて。
そういう夢くらいは提供して欲しいな。
昼間だと普通に各駅停車として利用する一般客もいるだろうし。
土讃線の方は中村行き各停夜行があり、そちらも高知まで短縮。
多度津までこの予讃線各停夜行と連結し走ってました。
どちらもキハ58の2両でした。
その高知行きも窪川までは接続列車がありました。
だからバス転換は松山系統高知系統同時に行われました。
夜行バスは当初J四国単独の予定が伊予鉄、とさでん交通との共同運行になり、18切符や周遊券など使えなくなるばかりか、独自運賃のバス乗車券となりそれで乗客激減廃止になったと記憶してます。
いちこめ
0:00 予讃本線は国鉄時代の呼び方です。今は取り残さない観点からか本線呼びを廃止しています。
取り残さない観点?
@@鉄道発祥の日 四国では全路線への施策を平等にするとかで、「本線」呼びを廃止しました。
四国ではJR発足以降廃線は有りません。
❌かんのんじ
⭕️かんおんじ
予讃線は夏目漱石が松山中に赴任する時に乗ったらしい?🤔
当時の四国は宇高航路が超深夜便運航を行っていたので、夜中とか関係のないダイヤでした
なお、夜中の3時代に終着する列車としては釜石線・山あくせい田線の深夜帰宅列車がありましたよ
時刻表非掲載でした、当時小学生だったので乗りに行けなかったんですけど
(石野哲氏の時刻表名探偵に載ってます。一応東北ワイドでも乗れると釜石駅に鉄電で確認してもらいました)
というか宇野3時半着で高松に5時に着ける鷲羽もあったかと
宇高連絡船🛳で高松に深夜到着.高松から真夜中に出発する予讃線,土讃線の夜行急行を覚えている.
急行うわじま、いよ…どっかで聞いた気が…あ、予土。…リクエストですけど、やってなかったら急行予土号も中々のカオス列車だったのでぜひ紹介してくださいな。
急行予土号とは
1965年6月1日に準急として松山〜高知で設定された列車のこと。その後1966年3月5日に急行に格上げされ、1968年10月1日、ヨンサントオ改正によって廃止された、準急時代から見ても3年4ヶ月という超短命列車だった。まず、この列車の編成から。キハ58系1両、以上!!(は?)
この列車最大のカオスポイント。それは編成に使われたのが片運転台のキハ58系1両だけということ。実はこの列車、他の急行をハシゴして走る列車で、どの区間でも何かしらの相棒となる列車がいたらしい。その運用を見ていこう。
松山→高知
松山6時20分発。最初の相棒は急行いよ3号高松行きで、途中の多度津まで走行。多度津でいよ号を切り離し、高松からやってきた急行足摺2号土佐佐賀行きとペアを交代。その後阿波池田にて徳島から来た急行よしの川号を併結し、高知には11時44分着。よしの川、予土はこの駅で終着となり、足摺2号だけが切り離されて土佐佐賀への旅を続ける。
高知→松山
高知を14時24分に出発。最初の相棒は土佐佐賀から来た急行南風3号高松行き。このまま多度津へ…という訳ではなく、阿波池田で徳島・小松港から来た急行いしづちとペアを交代。余談だが、いしづちは阿波池田まで、高知行きの急行阿佐3号を併結しており、いしづち、予土の双方がペア交代とかいう面白いことが起きていたそう。
話を戻して、いしづち、予土のペアは途中の多度津で急行うわじま5号宇和島行きを併結し、松山には20時25分着。いしづち、予土はここで終着となり、うわじま5号のみが宇和島への旅を続ける。
ここで色々補足
・急行足摺
1961年4月に、元々高松、須崎間だった急行土佐の、1号と3号の区間が窪川まで伸びたことにより運行を開始した列車。1990年11月に特急化され、現在も特急あしずりとして運行している。実は西村京太郎サスペンス「土佐くろしお鉄道殺人事件」の舞台となったのも特急あしずり。
・急行よしの川
→徳島〜高知を結んだ列車。現在は徳島〜阿波池田に区間を短縮し、特急剣山と名を改めて残存している。
・急行南風
1950年、高松〜須崎に設定されていた準急に名付けられたのが始まり。足摺と非常に関係が深く、ヨンサントオ改正の際に足摺と統合される一度廃止。南風の名は九州の方で使われることになる。なので現在の特急南風とはあまり関係が無い?
・急行いしづち
小松港〜松山間を阿波池田、多度津経由で結んでいた急行。予土と同じヨンサントオ改正により、1968年9月30日に廃止された。現在の予讃線経由で運行している特急いしづちにその名が与えられたのは、急行廃止から約20年後の1988年4月10日。本四備讃線が開業した事で四国の鉄道運行形態に変化が現れた日の事で、急行のいしづちとは起終点以外にあまり関係が無い。
この頃って大阪までなら夜行フェリーあったし3時に乗り換えしてまで乗る必要あったんかな…
高速道路がない時代だと需要あったんでしょうね。
国鉄時代の四国は「急行王国」だった。しかし急行型気動車のヒゲ、四国オリジナルだったのかな?無い方が似合うと思う。
この頃のキハ58系には確かミュージックホーンがついていたのではないか?ところで当時の郵政省所属のキユ25型というキハ58系そっくりな郵便車があった。しかも冷房車だった。
今でも一応本線のままなんだっけ?予讃線
急行うわじま号の昼行列車が1986年11月1日の国鉄最後の全国ダイヤ改正で特急しおかぜに格上げされて仲間の一部が廃止されて、1990年11月21日のJR四国ダイヤ改正で特急宇和海に格上げされ全列車が廃止されました。
なんか肌色とオレンジの車両が伊予鉄道の昔の車両に見える
02:01
準急「せと」…
急行「瀬戸」は…?
急行瀬戸は東京〜宇野間の急行で
宇高連絡船を介して四国の準急せとと接続していた列車だったかと。
@@鷂よめないとり さま。
おっしゃる通りですね。下り基準ですと…
あとで「復刻版」('64年9月)によりますと、「瀬戸」東京21:00→宇野11:14/(連絡船)11:35→高松12:45/「せと」13:00→松山16:23→宇和島18:43。
スピードは現在と比べると圧倒的に遅いですが、「瀬戸」は1/2等寝台(1とうはプルマン型オロネ10形)、1等座席、食堂車連結と、「急行」でありながら通好みの編成だったようです。
「せと」については編成記載は認められませんでしたが、1/2等指定席含む準急列車、と云う情報しか得られませんでした。
四国に周遊のクルーズトレインでも
作っても良さそうな
ロイヤルエクスプレスを走らせたなら
夜行運転有りで
結論が
無関係すぎる
関係なくはない